工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

朽ちる美 

2016/03/31
Thu. 23:59

構想360日、制作5日の小品が完成した。
自分としては、けっこう満足している。

ひと頃に比べると、制作に使う時間が激減している。
理由はアレコレ思い浮かぶが、結局は「人生の巡り合わせ」というヤツでググッと飲み込んで片づけるしかない。
こんなことなら、若い時に遊んでばかりいないでもっとセッセと彫刻を造っておけば良かった・・・などと、思っても後の祭り。
もっとも、たとえあの頃にたくさん彫刻を造っていたとしても、そのほとんどはどうでも良いようなろくでもない代物にしかなってなかったろう。
なにごとも、ちょうど具合のいい時期というものがあるから、今でしか出来ないことは今でしか出来ないわけだ。

小品のためにもう20年以上も寝かせた鉄板を小分けして使った。
もう少しストックがあるが、そろそろ残りわずかになって先が見えてきた。
これから先々のために鉄の素材を作り込もうと思っても、20年も風雨にさらしながらノンビリといい感じになるまで待っている時間はもう無い。
日常の暮しも彫刻の制作も、これから先は少しずつ身の回りの整理をして無駄なものを処分しながら後腐れの無いようにスッキリとサッパリとしていくことが自分の使命であるような年齢になった。

この2日間で工場の横の桜の古木が満開になった。
聞くところによると、桜の寿命は80年くらいなのだそうだ。
だから、樹齢100年とか200年とかいう桜は、よっぽど周辺の環境が良かったか、近所の誰かの手入れが良かったか、とにかく非常識で珍しいということだ。
そういうふうに意識しながら工場の行き帰りに古木の桜並木を見ていると、この数年のあいだに、大風や大雪の度に大きな太い枝木が折れて、そのあたりから腐れも広がって、次第に瑞々しい勢いのようなモノがなくなりはじめている。
私も、これからあと何年工場へ通い続けることが出来るだろうか。
ひょっとしたら桜の古木が先に枯れ朽ちてしまうかもしれない。
仕事の合間の休憩にそんなことを思いながらコーヒーをすすった。

この週末から銀座のギャラリーで彫刻作家が全国から20人くらい集まってグループ展がはじまる。島根からはワイフと私、それに今年は周藤さんが出品する。
なにかこういうことでもないと新作を造る機会が造りにくくなってしまったから、今回は久しぶりに制作を楽しむことが出来た。
かたちの造り込みで制作時間のほとんどを、鉄の古材を叩くことに使った。
錆び朽ちてもろくなるばかりにならないように、叩き鍛えておくことがかたちの張りになって緊張感が増す。
私も、錆び朽ちた鉄や桜の古木のようにカッコいい老人になりたいなぁ・・・

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吉田家春事情 

2016/03/30
Wed. 21:52

キーポンの春休みが終わって、やっと学校へ帰っていってくれて、これから連休くらいまでは彼女の一人暮らしが再開する。
現在の吉田家は竜巻が通り過ぎた後のように凄いことになっている。私の四畳半も、何処から手を付けようか悩むほど色々なキーポンの痕跡が散乱している。
吉田家の場合、もう大きくなった上の子供たちのこともあって今にはじまったことでもないから、こういうことにはそれなりに慣れているといえなくもないが、それにしてもこの乱れようはなかなかのものだ。
オヤジ的には、こういう状態をつぶさに写真に記録して、彼女が結婚でもしたらアルバムに仕立ててプレゼントでもしてやろうかと思わなくもないが、まぁ、彼女の乙女心を傷つけるのも可哀想だから、グッと我慢して自分の瞼の裏に焼き付けておくだけのことにした。

春になるとワイフの花粉症が激しくなって、だいたい2カ月くらい彼女の苦しい状態とつき合うことになる。
山育ちで、小さい頃から杉の花粉の真下で暮しているような私にはそういう症状が全く現れないから、彼女のつらさが本当のところはどのようなものなのか、どうも理解出来ないところがある。
それでも、一緒に暮しているとこちらまで気持ちが滅入ってくるから、何とか少しでも楽になることが出来ないかと自分なりに情報を探ったりしていたら、コンビニコーヒーのカップのような形をした車載用空気清浄機なるものを見つけた。使用効果をチェックしてみると、それなりに良いことが書いてあったし、今の私でも手に入る程度のお手軽な金額だったから、ダメモトでワイフとボクの結婚記念日でプレゼントしてみることにした。
本当は、本日、3月30日が結婚記念日なのだが、発注の関係で少し早くに商品が到着してしまった。ちょうど展覧会の搬出もあったりして二人揃って出かける用事もあったから、彼女のファンカーゴで試してみることにした。
自宅前の駐車場を出発する時に、「つまらないものですが、結婚記念日の品ということで・・」と、助手席に座った彼女へ手渡しした。
その後、今日まで使い続けているが、車の中でまでマスクを外さなかった彼女が、このところマスク無しで運転をしているから、それなりに効果があるのかもしれない。

工場の時はさんざんに汚れた作業着で帰宅することになるから、すぐに部屋着へ着替える。
寺では、寺に帰ってまで道中の改良衣でウロウロできないから、すぐに部屋着へ着替える。
そして少しでも早く昼間の汚れた身体をキレイにしたくてすぐにシャワーを浴びるか風呂に入る。私の場合、そういう状態が習慣づいてしまっている。
吉田家の私以外の家族はすべて、帰宅しても寝るまで外着のままウロウロし、朝シャワーをする。こういう暮しの習慣がどうも理解出来ない。
人の暮しはそれぞれだから自由にすればいいと思うが、同居している連中はそれなりにお互様でそれなりに相手の事情を考慮して暮すことも大事な気がする。

昨夜、ネコチャンズが吉田家のネズミを捕獲して虐待死させた。
いつもは自分のフトンで一緒に寝ているシロをワイフが閉め出した。
「ネズミをくわえた汚い猫と一緒に寝るのがイヤだ」という理由。
可哀想にその夜のシロは、私とクロの隣で丸くなって寝てました。
なにかと汚い吉田家でありますが、そのくらいの方がそれぞれに免疫がついて家族みんなが丈夫になっているのかもしれない。

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草取り機と彫刻 

2016/03/29
Tue. 21:08

「小学校の草取り機の溶接がとれてしまって、直してもらえないですか?」
校務技能員さんが訪ねてきて、そうおっしゃるので、「それじゃぁ、ヒマな時に駐車場まで持ってきておいてください。直しときます!」って返事をしておいたら、さっそく、その日の夕方にはすでに駐車場へ置いてあった。

さて、造ってからかれこれ10年くらいは経っているかもしれない。
PTA会長が運送屋の社長さんだった時はダンプで重たいH鋼を引っ張っていて、会長さんが変ってから後もしばらくお願いしていたのだが、そのうちなかなか云いにくくなって、吉田家の子供たちが大森小学校へ通うようになってからは、ひたすら親子の人力人海戦術で草取りをしていた。
当時の校長先生が、「グランドの草取り機があると便利なんだけどなぁ~」とつぶやいていたので、キーポンがお世話になっていることだし、図面を引いて造ってあげることにした。
ポイントは・・・1)一人で持ち運び出来るもの。2)軽量で軽トラサイズ。3)誰でも簡単に使用できる・・・この条件を用意して材料代だけで造ったら、校長先生大喜び。それから転勤移動で3代ほど校長先生が変って、今年が4代目になったばかり。

いずれにしても、ここまで便利に使ってもらって、制作者としては嬉しい限り。
5㎝のアングル鋼を溶接で張り合わせてブロックが重しの本体を作って、草取りの櫛は丈夫な炭素鋼の角材を使った。
角材の櫛はさすがに摩耗が少ないが、アングルの方は普通の生鉄だから、この10年で原型が無くなるほど見事に摩耗していた。
鉄製の草取り機も一見丈夫に見えるが、やはり石や真土には勝てない。
自然の土砂がどれだけ硬くて丈夫かということがよくわかる。

少し前から小品の彫刻を造りはじめた。もちろん素材は鉄。
久しぶりに溶接や溶断で紫外線を浴びて顔の皮膚がヒリヒリ痛む。
小品だから、作業の総距離が短くて制作時間は短い。
それで、いらないことをしてしまって失敗することがよくある。

それこそ、草取り機を造りはじめたもっと前のこと・・・具象彫刻の作家の卵が吉田家に寄宿していたことがあった。
鉄の彫刻のことや制作の技法を勉強したいと云うから、工場へ一緒に行って、私の彫刻の手伝いをしながら技術を覚えようということになったのだが、自分1人で彫刻を造っていた頃に比べて、手間が増えた分ずいぶんと時間の余裕が出来た。
今になって思うと、それが自分にとっていけないことだった。
人手が余分に加わることで、自分の彫刻の造らなくても良いところまで嬉々として踏み込んでハマってしまって造り込んでろくなことがない。
あの頃造った彫刻を石見銀山の谷間に置いて自分の戒めにしている。
人間も彫刻も、いい歳をして身の程をわきまえないまま饒舌が過ぎるのは厄介なものだ。

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田舎坊主 

2016/03/28
Mon. 18:56

タレントのT氏の名言が話題になっているようだ。
よく覚えていないけど、たしか、歳をとってやってはいけないこと「説教」「昔話」「自慢話」だったかなぁ〜・・・
まぁ、そういわれてみると納得しないでもないが・・・吉田的には少々スッキリしないところがある。
何故かって?
それはやっぱり、坊主に説教は付物だし、つき合っている檀家さんやジジババの平均年齢は軽く75歳を越えているし、そういう皆さんの会話の話題というとだいたいが他人の悪口と自分の自慢話。
万善寺の日々は、そうして毎日夜が明けて日が暮れて夜が更けているわけであります。

保賀の自治会の最終常会があった。
保賀は上・中・下の3つの班に別れていて、それぞれに色々な役職がついて回り、それを総合して公民館長やら自治会長やらが決まっていく。それぞれの役員は毎年順番の持ち回りになって引き継がれていくから、全く無役という年がない。
今年は下組から上組へ回ってきた会計を私が引き継ぐことになった。
どうせ戸別訪問で集金することになるから、回覧板の配りモノも一緒に引き受けることにした。なにせ、上組の世帯主で一番年若なのが私だから、そのくらいのことは引き受けて当然だと思っている。

ダレソレが手術をしたとか、ダレソレが転んで骨を折ったとか、ダレソレがドコソコのナントカをドウトカしたとか、まぁ、田舎の狭い付き合いではそういう話題しか思い浮かばないのだろう。
寺へ帰って引きこもりのおかみさんに少しでも保賀の様子を教えてあげようと、そんな話題をふったら、私よりずぅ〜〜っとよく知っていて、微に入り細に入り細かく解説しはじめて、やがてそれが確たる自分の意見もないまま恒例の悪口に置き換わって、あげくに、私が会計やら配りモノやら引き受けたことをとやかく言いはじめて収拾がつかなくなってきた。
おかみさんの数少ない情報源は、時々お茶飲みがてら様子を見にきてくれている近所のおばさんと、巡回の移動販売車のおじさんくらいのものなのだが、それでも私よりずいぶん詳しく情報収集出来ているからたいしたもので田舎の独居老人暮らしもあなどれない。

とにかく、世間一般大衆の常識として通じることでも、まがりなりにも宗教家のハシクレとしてはどうしても納得できないことがないわけでもなく、在家坊主の近所付き合いもなかなか境界があいまいで暮しにくかったりする。
いっそのこと、世間との付き合いを断ち切って境内地の結界の中に引きこもってしまえば、そのほうがズッと気楽にいられるような気がしないでもないが、それこそ世間の常識からは逸脱することになるし難しいものだ。
無理して友達をつくろうとしないあたりに、そういう自分のワガママがあったりするのかもしれない。

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オヤジ走る 

2016/03/28
Mon. 11:05

なんと!ひと晩寝てブログチェックしたら、日曜日のウエブアップがされていない・・
どうしたことだろう??最近、どうも何かと調子が悪い。
3月に入ったくらいに地元のケーブルテレビさんがメンテナンスを行うと通知していたし、今使っているブログ会社がメンテナンスを通知していたり、この時期、アチコチでメンテナンスの工事が増えている。そのせいでもないだろうが、このところHuluの動画がよく停まるようになっているし、なんとなくインターネット環境がおかしくなっている気がする。今度時期を見てケーブルテレビさんの工事のお兄さん(・・といっても、もう嫁もいるオヤジだけど・・)にコーヒーでもふるまって吉田家の現状をチェックしてもらおう。
そんなわけで、吉田ブログのファンの皆様お待たせしました。以下、一日遅れの日曜日のつぶやきをどうぞ!・・・ちなみに、朝になって読み直してみると、昨夜酔っ払いながらしたためたどぉ〜でもいいおはなしがダラダラと続いていたので、若干校正して縮めてみた。こうしてみると、けっこういいかげんなブログなのに、よくみなさん飽きもせず訪問していらっしゃるものだと、反省したりしたところであります。今後は、出来るだけウエブアップのまえに、校正しようと心に誓ったのであります!・・・って、まぁ面倒臭くて結局なにもしないだろうけどね。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
いやぁ〜〜、久しぶりにあわただしくて忙しいと感じた日曜日だったなぁ〜〜

午前中は広島県との県境を越えて万善寺の一番端っこのお檀家さんまで13回忌の法事で出かけた。
昼前に寺へ帰って急いで大衣をたたんで結界君へ乗り込んで石見銀山へ突っ走った。
銀山街道の桜並木は濃いピンクに染まって開花を待っている。
街道沿いの有志の皆さんが「桜街道」の桃太郎旗をたてていた。
吉田的には、「それがかえってジャマなんだけど・・何にもしない方が桜をキレイに見られる気がするんだけどなぁ〜」などと、勝手にそう思う。

今日はワイフのグループ展最終日で搬出日だから、彼女のファンカーゴに乗り換えて贅沢に山陰道を使って松江へ移動。
半年ブリに顔を合わせた絵画の作家仲間と挨拶を交わし、搬出を手伝った。
それほど目を見張るような大作はなかったが、それでも意欲的で実験的な作品が多く並んでいて、それなりに見ごたえのある展覧会になっていた。
最近良く思うことだが、作家の技量が充実してくると、そのぶん作品が重たくなってかえって観る者の心が疲れるような気がしてならない。
自分の持っている表現力をもっとグッとうしろに引っ込めて表現の精査を究める方に制作の気持ちを込めていった方が、鑑賞者の感動を気楽に引き込める気がするのだが・・・
作家の表現というものは、同業のプロに対してというより、むしろ一般の大衆に対して感動を与えるようなモノであるべきだと思うのだが・・・

そして打ち止めは・・大田高校定期演奏会のお手伝いをしていたキーポンを迎えに行った。

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Macのこと 

2016/03/26
Sat. 17:56

私がMacを使いはじめたのはじゅん君が小学校の1年生に入学した年からだからもう20年を越えた。
それまでは、東芝や富士通のワープロを使っていて、印刷は感熱紙だった。
当時は、パソコンもMS-DOSが主流だったと思う。
私のような生粋の文科系(といっても、漢字も書けないし英語もからっきしダメだけど)は数字のことや計算のことやコマンドがドォーコォーいわれても全く理解出来ないまま、とにかく文字が入力できればそれで十分だったから、ワープロが1台あれば何の問題もなかった。
それに、ワープロの文字変換は漢字が書けない私にとっては最強の便利グッズだった。
すでに30代からこうして計算は電卓任せ、漢字はワープロ任せで仕事を乗り切っていたから、この歳になってすでに計算と漢字に特化した慢性痴呆症になってしまっている。
さいわい、本を読んだり映画を観たり音楽を聞いたり、そして彫刻を造ったりしているから、日常の暮しを総合的に見渡すと、まぁまぁそれなりに脳みそを使っているようだし、脳機能もまずまず過不足なく動いてくれているようではある。

坊主家業が続くと、どうしても健康上の不摂生が続く。
法事の時のお斎は日常の粗末な食材が使われることもなく、四季折々の旬のものがふんだんに使われた贅沢三昧の膳になっているし、せっかくの施主さんのおもてなしを粗末には出来ないからと完食を目指して栄養過多になる。道交法が厳しくなった最近でこそ、酒類のふるまいが減ってきたからこれは助かっているものの、とにかく、平均して食べ過ぎ状態が続くし、加えておかみさんとの寺暮らしで炭水化物の過剰摂取も避けられないから、結局総合的不摂生が慢性化する。
高血圧に肥満に痛風、それに変則的痴呆症が慢性化してしまっているから、身体全体が成人病の塊といっていいだろう。

先日この時期恒例になっているMacのスペシャルイベントが行われた。
私は、Macしか使えないからパソコンの選択肢は極端にかぎられてしまうが、そういうこともあるからなのだろうか、Macの恒例のイベントは比較的マメにチェックしてきている。
今回、「へぇ〜〜・・」と思ったのは、Macは今年で創業40周年を迎えるのだそうだ。それに、世界で10億ものMac製品が稼働しているのだそうだ。
自分が適当に便利に使っている幾つかのMac製品もその中に入っているということになる。
なにか、あまりにも次元が違うというか、島根の片田舎とは遠いところの話題のようでピンとこない気もするが、ティム・クックCEOの話しによると、Macは自然環境対策と健康医療への取り組みを強化しているのだそうだ。
たしかに、そう言えば、Macを分解解体するMacのコマーシャルを何処かで見たことがある。自動車業界のような世界で成熟した製造企業でも、自社の製品を分解するようなコマーシャルを見たことがない。自分の情報不足でもあるだろうがMacの解体映像はある意味衝撃だった。AppleWatchの医療アプリで一命をとりとめた少年もいたようだし、歩く成人病状態の吉田もそろそろ手首に時計を巻いてもいい頃かもしれない。
自分のことで家族に迷惑かけられないからね・・・

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花冷えの吉田家 

2016/03/25
Fri. 20:57

春休みで帰省中のキーポンが例の如くダラシナイ朝寝をむさぼってやっと起きたと思ったら、ドカドカと私の四畳半へ入り込んできた。
やっと自分の部屋で寝てくれるようになって、少しは静かな朝を迎えられると思っていた考えが甘かった。

例の如く、早朝の吉田家パトロールをひと通りすませたクロが私の隣へ落ち着いて朝の二度寝をはじめてすぐくらいにキーポンが入り込んできてクロをいじり回したものだから、さすがのクロも我慢できなくなってフギャフギャ怒りはじめた。
突然キーポンが大笑いを始めたので何事かと思ったら、耳かきを持って爆笑している。
見ると、白い丸いボンボンがシナシナになってよれっている。
クロが夜中に耳かきで遊んだらしい。
そういえば、昨夜寝る前まで耳かきをしながらデスクワークをしていた。
寝ている間にそれをクロが見つけて遊んでしまったのだろう。
いたずらにしては可愛いところがあるし、キーポンのばか笑いもあるし、どうも本気で叱ることも出来なくなって、今回は見逃してやることにした。

寺の味気ない日常を思うと、こんな些細なことでも十分刺激になって気が晴れる。
週末はまた寺暮らしになるから、今夜は石見銀山の夜を満喫しようと思っている・・・といっても、せいぜいHuluで「クリミナルマインド」を見るくらいのことだけどね。

キーポンが卒業した高校の定期演奏会が近い。
昼からその準備を手伝いに出かけるというから、自分の作業もそれにあわせることにした。
会場まで彼女を送って、その足で富山の連合自治会長宅へ向かった。
今年も「とみやま彫刻フィールドアートワーク」を企画開催しようと思っているから、その下準備も兼ねて、顔見せがてら自治会長さんが切り倒した杉の丸太をもらおうと計画したわけだ。
実をいうと、どちらかというと彫刻のことより薪の材料調達がメインだったりしたんだけどね・・・そのあたりが、動機の不純でいいかげんな吉田オヤジらしいところでもある。
結界君のリヤデッキいっぱいに積み込んだ杉を吉田家前の駐車場の隅へ仮に降ろしてから4tの薪割り機を準備した。杉は少々節があっても簡単に割れる。この時期に大割にしておいて夏前まで乾かしたものを土間に移動して積み上げておけば、杉くらいなら少々大きくても簡単に着火する。

今度のシーズンは吉田家のストーブも新調することになる。
ついこの前に一人暮らしをスタートさせたキーポンは、その頃就職活動で大変な時期。
シンガポールから帰国するノッチは日本の何処かで新しい仕事をしているはず。
なっちゃんは入籍をすませて何処かの新居に引っ越ししていると思う。
じゅん君は、このままいけば島根県隠岐郡海士町の中学校2年目で働いているはず。
ワイフはあいかわらずアチコチ忙しくしているはずだし、私はノンビリと新調ストーブの使い勝手を試しているはずだ・・・と思うけど・・・さて、どうなっていることやら・・

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花冷えの浜田 

2016/03/24
Thu. 22:45

今年の現代彫刻小品展の要項をまとめてファンドの校正を待っていたら、ビックリするほど速くにその返事が返ってきた。
島根県の美術関係文化活動が停滞しているということを事務担当さんの方からよく聞いていたので、そういうこともあって反応が速くなっているのかもしれない。
いずれにしても、こういう迅速な対応は自分にとっても励みになるしやる気も出る。

昨日の島根県・・というより石見銀山のあたりは、小春日和でほの暖かく過ごしやすい一日だった。
今日は、晴れているのに朝から冷え込んでなかなかフトンから出られないほどだった。
こうして少しずつ春になっていくのだということはわかっているのに、暖かくて過ごしやすい日が何日か続くと、身体の方がそれに慣らされて少しの寒さでも耐えられなくなって軟弱に弱音を吐いてしまう。
かえって、こういう時は寒いのが当たり前だと思うようにして薪割りなどしたりすると気持ちが丈夫になってそれに集中できたりするから面白い。
昼の間、かれこれ2時間以上は薪づくりでけっこうマメに動いたのだが汗も出ない。
それほど石見銀山は寒い一日になっていたのだろう。

いつもの浜田こども美術館の館長さんと調整していた時間にあわせて自宅を出発した。
ほぼ一日中四畳半の炬燵に潜り込んでゴロゴロしていたキーポンを誘って浜田へ向かっていると、途中から雨が降りはじめて、美術館の駐車場へ着いたら霰が落ちてきた。
遠くの空は晴れているのに、結界君の頭上一帯には厚い雲が広がっていた。
館長さんは企画展の入れ替えで忙しい最中だったが、それでも時間を割いて私の説明を聞いてもらった。
今までと少し条件が違うのは、浜田の他に第二期で県東部での彫刻展が加わったことだ。
東西約250kmはあるだろう長い長い島根県のことだから、西部の方でばかり彫刻展をしていても、東部の方では情報も流れないし見向きもされない。
ちょうどワイフが松江の県立美術館で開催中の美術グループ展へ彫刻を出品しているが、だいたいの県内在住美術家の活動は彼女と同じようなパターンで、松江の美術館へ発表が集中する。
面白いもので、石見銀山で暮す彫刻家の吉田家はこうして松江の美術館へ出かけて展覧会を観たり出品したりしているが、松江で暮す美術作家はワザワザ石見銀山や、ましてや浜田の方まで出かけて知人の展覧会を観ようとまで積極的に動くことが珍しい。
こういう傾向は島根県にかぎったことでもないだろうが、とかく人の注目の先が一極に集中する傾向にあるということが、どうも個人的に釈然としなくて気に入らない。
吉田の身勝手な思い込み程度のことで片づけられても文句の言いようの無いことだということはわかっていても、どうもそのあたりのわだかまりを何か具体的な活動におきかえて少しでも気楽になれたらいいなあとも思っているわけで、どちらかといえば島根県西部にこだわっているあたりの経緯も、そういうことがあってのことだ。
キーポンというより自分が食べたくて美術館の帰りに行きつけの店で大判焼きを買った。
コーヒーを飲みながらこれを食べるとなかなか絶妙に旨いのですよ。

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早春の日本海 

2016/03/23
Wed. 13:27

石見銀山の四畳半で寝苦しい一夜を過ごした。
すでに親離れが出来ているはずのキーポンが、またオヤジのフトンを横取りして寝ている。そのうちクロまでがフトンの上に乗ってくるし、とても落ち着いて寝られる環境に無い。
それにしても、キーポンはさておいて、猫というものは気温の変化にやたらと敏感だ。
少し暖かくなると、フトンや炬燵が寝苦しくなって、ソファーやカウチや椅子の辺りに移動して寝はじめる。
少し寒いなと思うと、昨夜のように人間の近くへすり寄ってきて特等席を見つける。
四畳半はどう考えても私が寝るにはあまりにも劣悪な環境だから、ついにキーポンの部屋へ移動して、イチゴの嫌いな彼女の何故かイチゴ枕を借りて寝はじめたのだが、そのイチゴ枕を中心にして、何とも甘ったるい化粧品の匂いがきつくてこれまたどうにも寝苦しい。
結局、夜中になって自分の四畳半へ引き返して、爆睡中のキーポンをフトンの端へ転がして、丸くなって寝ているクロをたたき起こして自分の寝場所を確保したのだが、そのクロがニャアニャア鳴きながら真夜中の吉田家パトロールをはじめて、収拾がつかないまま血圧がいっきに上がって倒れそうになった。

やたら現実的でリアルな(「これはどう考えても夢の出来事だな!」と自覚しながらウトウトと)夢の続きを追いかけていたら、遠くの方でワイフが「しょぉ〜ちゃぁ〜ん!」と呼んでいる。さっきまで夢の中のワイフが切れない包丁で野菜を押し切っていたまな板の音が、少しずつ現実の音に重なってきた。
どうやら、夢の中のことだと思って聞いていた包丁の音は朝食の仕度の音だったらしい。

結局、たいして寝たとも云えないまま今朝になって、今はもうお昼になった。
石見銀山の自宅でデスクワークをするには、どうも落ち着かないから、玄米の精米をしに出かけたついでに金融機関を一巡して、途中、セブンイレブンでコーヒーを仕入れてからそのまま日本海へ向かった。

結界君の窓を開放して日本海の潮っぽい海風を受けながら現代彫刻小品展の彫刻家宛要項をおおよそ書き上げた。
アウトドアのデスクワークも、なかなか開放的で良い。
目の前をつがいのセキレイが超高速で横切った。
場所にもよるのだろうが、最近は何処へ行っても先々でセキレイをよく見かける。
ひと頃のようにスズメの群れを見かけることが少なくなった。
セキレイは、ツバメのように人間の暮しの近所で巣作りをすることがよくあるから、人間の生活環境の改善向上に伴って、卵から成鳥になるまでの生存の確率が上がったのかもしれない。

南風のせいか、波がやたらに静かだ。
春霞が激しくて太陽の位置がぼやけたまま晴れているはずなのに視界が悪い。
海の波を見ていると、陸にいながら船酔いをしそうになる。
さて、そろそろ帰宅して、原稿のプリントアウトでもしよう。

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現代彫刻小品展実務スタート 

2016/03/22
Tue. 21:05

三連休も終わって、また世間が動き始めた。
私はお彼岸もあったり、キーポンが東京から帰ったりで、休日といえることも全然なかった。
そうそう、そういえばじゅん君まで風のようにやってきて風のようにさっていった。

前から約束していた島根県の現代彫刻小品展2016年第二会場の下見と、日程調整があったので、昼前に石見銀山を出発してそちらへ向かった。
ちょうどワイフのグループ展搬入と重なって自宅を出る時は一波乱あったが、オヤジの仕事をキーポンに託して、ひと足先に出発した。
あまり頼りにならないキーポンでも、こういう時に役にたってくれるからやっぱり助かる。

高齢になって毎日が不安定にワガママやガンコがすぎるようになって、息子の云うことに反抗することが増えてきたおかみさんがまた一騒動起こしてしまったので、寺を経由することになってしまった。
親の介護や看取り医療の難しい現実がいつまで続くのか予測できないまま、私のガラスのような繊細な心に小さなヒビが少しずつ増えてくる。
そのうち、何かの強い衝撃でいっきに割れ崩れてしまわないかと心配しながら毎日を過ごしているが、当事者であるおかみさん本人は、自分の過激のバージョンアップを認識しているのかどうなのか良く分からないまま益々より過激になっている。
寺へ到着すると、ちょうど巡回の福祉車両が駐車場へ停まっていて、職員のオネエサンンがおかみさん相手に渋い顔をしてつき合っていた。
冷たいようだけど、彼女も結局は田舎の福祉業務で給料をもらって生活をしている職員だからそれなりの仕事をしてもらうことも当然だと思うし、私の方は、おかみさんの暴走で被害を受けた三畳の寺務所兼事務所の復元に集中した。
こういうおかみさんの暴走もこの程度でこのまま維持できれば何とか見逃すことも出来るが、これがもっとひどくなっていったら、最悪、障子やドアの稼働部分を木工ビスか何かで固定するしかないかと思っている。

30分程度のロスがあって、約束の時間にギリギリ間に合うか心配しながら法定速度を守りつつ捕まること覚悟で結界君をすっ飛ばした。
途中、華麗なるドライブテクニックを駆使して、田舎の街道をチンタラ走るプリウスなどを追い抜いたりしていたら、だいたい15分くらいの余裕が確保できたので、何の躊躇無くファミリーマートへ滑り込んだ。
こういうイライラした時はやっぱりコーヒーの一杯で心を落ち着かせておかないと商談もうまくいかない。チビチビとコーヒーをすすりながら待ち合わせの場所へ到着したら、すでに関係者が集まっていた。
彫刻展の会場は、外観の印象より狭く感じたものの、小品彫刻60点くらいだったらゆったりと展示できそうな雰囲気だ。照明は少し暗い感じだったから、彫刻にはそのくらいが良いかもしれない。
今年も、現代彫刻小品展の実務がスタートした。

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オヤジとおそろ! 

2016/03/21
Mon. 21:40

じゅん君が夜中に帰宅して風呂に入って「ドライヤーどこぉ〜?」とかいって、すでに寝ているオヤジを起こしたりしてドタバタして「そいじゃぁ〜」とかいって、真夜中に出ていってそれっきりになって、何かしら寝るタイミングを逃がしたまま、悶々と朝まで過ごしてウツラウツラしていたら、ワイフが東京から帰ってくるキーポンを迎えに「行ってくるねぇ〜」とひと声かけてきたから、またそれで目が覚めてしまって、しばらくイジイジしていたが休日の石見銀山の町並みがしだいに賑やかになって「なぁ〜にこれ?江戸で使っていたものかしらぁ〜?」「これは銀を造る時に使っていた道具だよ!」などと、彫刻家吉田正純の作品をそんなふうにとんでもなく断言する変なオヤジの声が聞こえたりして「へぇ〜、そぉ〜なんだぁ〜」などと、全く疑いもなく納得する観光客の団体さんがいたりして、もう寝るどころではなくなったから、結局ブラウンを持ち出してジイジイと歯磨きをするしかない状況になってしまった。
彼岸に向けて、結構絶え間ない気配りが続いていたから、そろそろ「今日は絶対に休むぞ!」と心に誓って四畳半に篭っていたのに、シロがフニャフニャいいながらすり寄ってくるし、クロは図々しく横になってくつろいでいる私の腹に乗ってくるし、もう人間の都合を無視してやりたい放題の猫どもに休息をジャマされて、全くゆっくりとくつろげないままでいたら、いつのまにか時が過ぎてもう母娘が帰宅して、ネコチャンズが騒ぎはじめて、無駄に半日がつぶれてしまった。

「オヤジィ〜、帰ってやったぞぉ〜!」と、恩着せがましく叫びながらキーポンが帰ってきた。「オヤジ、見て見て!ねぇ、見て見て!!おそろ!オヤジとおそろ!」
なんと、彼女が私のパイロットジャケットと似たようなUSAアーミー仕様を着たまま四畳半に入ってきた。
いったいどういうことだ??と、一瞬開いた口がふさがらない。
今どきのうら若き女の子が、わざわざ東京で買ってくるようなファッションではないだろうとあきれていたら、「最近、あぁ〜いうのが流行ってるみたいなのよぉ〜」などとワイフがいいはじめて、何か、この10日間の間に吉田家の現状に微妙なヨジレが出来てしまったような感じだ。

どうも、世の中の流行が理解出来ない。
学生のころにアメ横の・・確か中田商店で買っていたUSA仕様の丈夫なジャケットは、その後島根にUターンしてからあともしばらく愛用していたのだが、それからしばらくあとになって夏冬衣料の衣替えの時に、寺へ移動してしまってから何処かにいって見失って探し出せないまま時が経っていたところへ、偶然Amazonの衣料品ページに似たようなジャケットが安くて乗っていたので、ダメモトで注文してみたら、当時の仕様とは若干違うものの、防寒と丈夫な縫製は昔以上に進化していたので、それから後はけっこう気に入って冬のシーズンに愛用していたそのジャケットとドッコイデザインの春秋仕様をキーポンが着て帰ってきたのでありますよ!
それはそれなりに、やはり結構ビックリしましたよ、当事者としては・・・
今年・・というか、最近の女の子の流行になっているらしいし・・・あのジャケット、これから先なんとなく着にくくなってきたなぁ・・・オヤジとしては・・・

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彼岸の夜 

2016/03/20
Sun. 22:23

彼岸法要が終わった。
お経を読んで、塔婆回向をして、少しお話をして、お茶会にまでつき合って頂いたお参りの皆さんは総勢12名。
当初の予測を10名にしてワイフへ色々お茶会の手配をしておいたから、まぁだいたい予測が的中したといってもいいだろう。

雨男の私が仕切ったわりには、珍しく朝から晴れて、かえって山の放射冷却がひどくなってしまったからかなり肌寒く感じた。
昨日は風が強くて庭掃きをしても枯葉は強風で舞い上がるし、その強風で落ちた松葉は境内の真土に張り付いなかなか箒がかからないし、そういう状態だったからギリギリまで庭掃きをしないことにした。
ご飯にふりかけで簡単に炭水化物だけの昼食をすませて庭を掃いた。
例の如くおかみさんの場の読めない行動が目立って若干苦労したが、やはり1年のあいだに体力も衰えていて動きが鈍くなったからそのぶん少し気配りが楽になった。
それに、ワイフがいてくれたお蔭で、私へのダイレクトな絡みが減って助かった。

彫刻の制作も停滞しているから急いで本堂の片づけをすませて石見銀山へ向かった。
この数日でけっこう体力を消耗した。昨夜は、腰から尾骶骨にかけて鈍痛が絶え間なく続き、節々の痛みでなかなか眠ることが出来なかった。
今夜は絶対にゆっくりと休んで体力を回復するんだ!・・と張りきって四畳半に落ち着いたら、自宅の電話がしつこく鳴りはじめた。このしつこさはたぶん身内の誰かだろうと思って無視していたら、こんどは自室で早々と寝る体勢に入っていたワイフの携帯電話が鳴りはじめた。この一連の流れはまずじゅん君にちがいないと確信した・・・と、そこまではいつものノリで過ぎたのに、二人の会話の声が絶えたすぐあとに、私の5sへワイフから着信が入った。
「ねぇ〜、風呂の追いだきONにしておいてくれない?お・ね・が・い♡」だって・・・
腰から尾骶骨にかけてジリジリの痛みをこらえながら、ワイフの指令で働きましたよ。
じゅん君のいやらしいところは、最初から私を無視してワイフを上手に懐柔すること。
結局はオヤジの私がワイフの指令で動くことになるということを知ってか知らずか・・自分のわがままな都合で家族を振り回す。いいかげんいい歳になっている彼に対して、今さらカリカリイライラしてもそれで余計に疲れるばかりだと、あたらずさわらず、微妙な距離を確保しながら無駄に深入りしなように心がけながら付き合っているが、それでも結局こうして何かしらの接触が避けられない状態になってしまうというところに、家族の切れない結びつきを感じてしまうのであるのですよ!

寝る前にオシッコをしておこうと四畳半からリビングへ出たら強烈なタバコの匂いが充満していた。台所に電気がついている。じゅん君が換気扇に向かってイップクやったのだろう。
せっかくの我が家でゆっくりと疲労回復を図ろうという企みは、雲散霧消・・・
結局は今夜も気の休まらない夜になりそうだ・・・

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春彼岸前夜 

2016/03/19
Sat. 21:30

事務連絡:一時期不具合が多くて閉口していたマイブログだったが、そのうちなんとなくあまりストレスにならないところまで持ち直して、以前と変らない程度に使い続けることが出来ていたが、最近の数日になってまた何かおかしい感じで不具合が見られるようになってきた。原因がどうとか深く詮索するまでの知識や技量がないから、このままダマシダマシ使い続けるしかないと半分あきらめながら不具合とつき合っている。
まぁ、そんなわけでマイブログ訪問者のヒマでコアな皆様におかれましては、若干イライラしてしまうようなブログ配信になってしまっているだろうというとを想定しつつ、心よりお詫びを申し上げる次第でございます・・・といっても、私も被害者・・というか、たぶん、私自身が一番大変な状況に遭遇している被害者といっても良いかもしれないということを改めて感じさせていただいている今日この頃なのであります。

本日は万善寺におります!
3月20日・・・つまり、明日がお彼岸週間の中日(なかび)になるから、世間では「彼岸の中日」といってけっこう大騒ぎをしてしまっているわけなのです。
本日の万善寺は、若干の仏事の合間を調整して、お彼岸法要の準備を続けていた。
舎利棚殿が出来た(実はまだ完成していない・・)日が先週の11日。
それから一週間かけて本堂の片づけや整頓をしてきて、やっとそれなりに舎利棚殿をまぁまぁ許容できるレベルまで造り込んだつもりだ!・・・といっても、私ではなくていつもの大工さんが造ってるんだけどね。

施主家におじゃまして法事を務めての帰りに、偶然同級生と一緒になって立ち話をしたら、「今度の集まりは○○家に泊まって花見で一杯という風にまとまりそうだよ!」とレジで支払いをしながら情報を流してくれた。最近は万善寺暮らしも増えているから、そういう話しにも躊躇無く乗ることが出来る。その上、私の場合は結界君に宿泊用具一式を詰め込んで旅の一座で乗り切っているから、結界君が一緒に行動してくれていれば日本全国何処に行ってもそこここで普通に爆睡できるのでなんの問題もない。
「へぇ〜、○○君家(ち)桜があるんだぁ〜」
いくら坊主とは言え、宗派が違うと施主家との接触もダブることがないから、この歳になっても新鮮な発見があったりして、それが面白い。
生活の買い出しをして万善寺へ帰ったら、近所のおばさんが寺の墓地のすぐ近くにある自分の親族の墓掃除をしたらしい。今のこの時期に坊主が寺の墓地の掃除をするほどの余裕も強い宗教心もないから、普通に「あぁ〜そぉ〜ですかぁ〜」などと、その場をファジーに治めてしまう。

おかみさんが大喜びで話し相手のおばさんを離さないから、私はそれからしばらくは三畳にこもって塔婆回向の準備をした。100円ショップの墨が残りあとわずかになった。
このところ、硯に向かうたびに指が汚れる。
墨を擦るストロークには、AC/DCくらいのハデなロックがいい感じでリズムを刻んでくれる。
塔婆もせいぜい10枚くらい揃えておけば余るくらいのお参りを予測している。

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目出度い! 

2016/03/18
Fri. 07:29

この数年で一二を争うほどの吉田家重大発表であります!!

それは・・・
ワイフの差し歯が取れた!・・・ということではなく、ノッチの歯が欠けた!・・・ということではなく、最近ブラウンで磨いているオヤジの歯がやたら茶色だった原因がコーヒーだった!・・・ということでもなく、そんなこととは一切関係ないところで、吉田家長女のなっちゃんが婚約報告をしたこと!!

相手の旦那候補は、数年前からオヤジと一緒に飲んでいるので、私的には今更どーのこーのあるわけでもないが、先日東京へ里帰りしていたワイフはこのたび初めて旦那候補と会うことができて、彼女なりに好印象を持ったようで、そういうこともあってなっちゃんとしては最後のハードルをクリアーすることが出来たことになる。

職場の上司へなっちゃん本人から報告をしたので、それでやっとオフレコ解禁になった。
自分で言うのもどうかと思うが、私はどちらかといえば口の硬い方なので、今回もなっちゃんの口外禁止令が出た時から大した苦労もないまま、普通に毎日の現実と向き合いながら粛々と暮らしていた。だから、口外禁止令が解除された今でも、だれにもなっちゃんのことをしゃべることもない。
それが、ここにきて石見銀山地内に本社のある会社を中心に一気に周辺へ広まることになった。
彼女の勤務する会社の代表が、自らこのたびのなっちゃんの婚約を職員朝礼で華々しく披露したらしい。
どちらかといえばめでたいことなので、別に文句も何もあるわけもないのだが、一方で、単なる個人の私的な出来事で、なんとなくそこまで公的におおげさにする必要もないような気がしないでもない。
それはそれとして、ナニワトモアレとにかくめでたいことではある。
オヤジとしては、自分の人生で初めての女の子のなっちゃんを我が腕に抱いた時のことは、彼女のいろいろな思い出と一緒に生涯忘れることができない。
とにかく、おめでとう!
いろいろ大変なこともあるだろうけど、悲喜こもごもひっくるめて幸せになってほしい。

夜遅くに帰宅したら、木製のポストに差し込まれた郵便物が街灯の明かりに照らされていた。この時間だとすでにワイフが帰宅しているはずなのに、その郵便物に気づかなかったようだ。
持ち帰って封を切ったら、文化ファンドから今年度事業の採択通知だった。
これで今年も現代彫刻小品展を開催することができる。
すでに見切り発車で作家宛には少しずつお知らせ要項の発送準備を進めていたところだったから、少しほど肩の荷が下りて気持ちのつかえから解放されて、何かしらニヤリとニヤついてしまう。
なっちゃんの婚約発表も目出度いが、ファンド採択も目出度いことだ。吉田は幸せです!

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倉敷の思い出 

2016/03/17
Thu. 21:44

ボクのことを愛してやまないワイフが帰ってまいりました!
やっぱり、オヤジの醸しだす芳醇で魅力的な男ホルモンは、結婚して30年以上経っった今でも彼女をトリコにしているようであります!

午前中から午後のティータイムに至るまで外せない用事があったので、それを過ぎてからワイフへ電話をしたら、寝ぼけた声で返事が返ってきた。
1周間前と変わらない感じで、ボクの四畳半のボクの書斎のボクのデスクワーク炬燵に潜り込んでボクの男くさい残り香に包まれながら昼寝をしていた。
やはり夜行の高速バスではあまり熟睡できなかったようだ。

少し前の事になるが、倉敷で久しぶりに再会した久保田くんのことを今になってまた、ちょっと思い出した。
彼は、現在凸版印刷のクリエイティブディレクターである。
そして、はるか数十年前の青春時代は浪人の苦楽をともにした仲間の一人でもある。
あまり酒が強い方ではなかったが、付き合いはすこぶるいい方であった。
浪人の悲哀を乗り越えて晴れて大学生になってからあとの彼は、色彩学の色占いなるものを習得して、その世界でみるみるのし上がった。
角砂糖にたかる蟻の如く、彼の色占い目当てに周辺のうら若き乙女どもが集まって、ハーレム状態になった。
もちろん、吉田はその彼と彼の周辺の事情を指をくわえてよだれを垂らしながら眺めていたムサ苦しい男どもの一人だったわけだ。
あまりにも悔しいから、或る日、彼の色占いをエサに吉田主催(今で言うところの)合コンを華々しく開催した。
「おんな」をエサにしたら久保田くんすぐにノッてきて、なかなかいい感じで盛り上がった。
そこで残念なのは、その時、その宴席に今のワイフがいたということ。
あの頃の吉田は本当はまだフリーだったはずなのに、せっかく汗水流して苦労して集めた女の子たちが久保田くんの色占いの話術で舞い上がってしまって、主催のはずの吉田は、酔っ払う隙もなく滅茶苦茶冷めてしまった・・・というところを、ワイフに目撃されてしまった。吉田の、甘くせつない古き好き青春時代の思い出の一コマである。

倉敷で久々に再会した折、ワイフと、こともあろうにキーポンもいる夕食会の席で、久保田くんがその思い出話を披露し始めて、一気にオヤジの酔が冷めた。
彼にとっては、数少ない吉田絡みの思い出話として記憶に残っていたのかもしれない。
それどころか、その後の展開で今も時折色占いをベースにした講演活動を展開しているらしい。
さすが凸版印刷の営業デザイナーだけのことはある。転んでもただでは起きないしたたかさがある。
田舎の山寺の和尚さんのぬるま湯につかってふんぞり返っていた吉田オヤジにはいい勉強になった・・・いろいろな意味でね・・・

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早春の吉田家 

2016/03/16
Wed. 21:53

吉田オヤジはついにワイフから見放されてしまったのかと、ほぼ諦めていた。
気がつけば、ワイフがキーポンを連れて家を出てからもう1週間になる。
こちらから電話をしても、ほとんどまともに出てくれないし、ワイフから電話がかかることは皆無に等しい。
もう結婚して30年以上も経つし、付き合い始めてからだと40年近くになる。
だいたい人生の半分を一緒に暮らしていることになるから、まぁ、いずれは愛想つかされるのもしかたがないことなのかもしれない。
それで、現在唯一の連絡網キーポンを頼って電話してみたら、「これからおかあさんバスにのるよ!」と情報が入った。
そんなわけで、明日の朝には島根県出雲市のバス停へワイフが到着するようだ。

その頃私は、おばあさん(マイママ)を連れて診療所へ通う。
90歳を過ぎて、どうしようもなくネジ曲がってしまった彼女の性格はどうもこうも付き合いきれないところまできている。超高齢者の避けて通れない身心の不具合が少しずつ深刻な状態になり始めていることだけは確かだと思っている。
残念ながら、どう考えても今の診療所のドクターは名医とは言えないと思っているし、その彼が、今になってやっと家族の同伴を呼びかけてきたというわけで、こちらとしては立場上無視もできないから付き合っておこうくらいのことでしかない。
せっかく、ワイフが島根県へ帰ってくれるという日に、お迎えに上がれないという残念な結果になってしまった。

シンガポールのノッチがSNSに書き込んでいた。

Tシャツジーパンビーサンリック姿で、太陽と風でシャワー浴びたての髪を乾かしながら出勤するのも残り2週間!

・・・ついに、帰国する意志を固めたようだ。
思えば、彼女が出国して2年弱・・・このSNSがなかったら、オヤジは寂しくてしょうがなかっただろうと思う。自分で言うのも恥ずかしい限りだが・・・
四人の子供達はみんなそれぞれ可愛くてしょうがないから、それぞれに何かと気になってさり気なく心配をしたりしているところへ、海の向こうで暮らしているノッチはやはり他の子供達と同じ条件とはいかなくて悲喜こもごも心配の落とし所が違っていたことはしかたのないこと。4月には展覧会で東京へ行くし、ひょっとしたら彼女と久々に一杯飲めるかもしれない・・とは、少々動機が不純かもしれないが、それでも、元気な様子を見ることが出来るだけでも幸せになれる気がする。

そういえば、キーポンが一人で東京へ残った。お彼岸に手伝ってもらおうと思っていたのに、その日もまだ東京で遊ぶようなことを言っていた。ついこの前までオヤジの腕枕で寝てた娘が、一気に親離れしてくれたようだ。
オヤジも先が見えてき始めた。
絶対に可愛い子共たちだけには迷惑をかけてはいけない。

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舎利棚殿 

2016/03/15
Tue. 17:32

寿命(じゅみょう)は「いのちをいわう」
宿命(しゅくめい)は「いのちえをやどす」
短命(たんみょう)は「いのちがみじかい」
長命(ちょうめい)は「いのちがながい」
延命(えんめい)は「いのちをのばす」

命(いのち)一つのことに様々種々の思いが込められているから、こうしてたくさんの言葉が出来上がってきたのだろうなぁと思ってしまう。
あの有名な室町時代の禅僧一休宗純和尚様は、ある時大旦那から「この世で一番めでたい言葉を書いてもらえませんか」と依頼されて渡された軸に「親死(に)子死(に)孫死(に)」と書いて渡したら、「縁起でもない!」と、その旦那烈火のごとく怒った!・・という有名なお話がある。
他にも、一休宗純様らしく、「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」という一句もある。
そもそも、ほとんどの坊主というものは得度して授戒を受けているから、「生きながらにして仏になっているのだ!」ということになる。
まぁ、生きているうちから、それも得度が早かったりするとまだ少年のうちから「オマエはすでに死んでいる!」などと北斗のような怖いお師匠さんに洗脳されて生き続けていたりすることになる。
何をいいたいかというと、つまり、坊主ほど本気で身近に「命(いのち)」と向き合っている人(ひと)はいないということ。
現代では、世間のドクターの方が、坊主より「いのち」に近いところで「いのち」と付き合っているように見えるが、それは、あくまでも物理的肉体的な医療の付き合いであって、人が人と付き合っているだけのこと。
坊主は「人と仏の付き合い」をしているという根本が違っているわけだ。

先ほど、万善寺の舎利棚殿を掃除して本尊様や御位牌を遷座したりしばじめたところだ。
先日、この棚殿を造ってくれた工務店の社長がまだ50代の若さで亡くなった。
お子さんが比較的大きいからせめてもの救いになるかもしれないが、すでに引退して経営の全てを息子夫婦にに任せていたご両親の失意は計り知れないものがあるだろう。
訃報を聞いて、すっ飛んで枕経に出かけ、仮通夜をおつとめして、出棺荼毘が終わって、これから本通夜に葬儀が続く。
しばらく前から体調を崩して入退院を繰り返していらっしゃったようだが、仕事の話でお会いしている時は、そんな様子は微塵も感じなかった。

寿命、宿命、短命、長命いろいろあるが、延命には延命地蔵菩薩とか、延命観世音菩薩といった仏様がいらっしゃる。まだ現代のように医療が発達していない昔には、やはり、もう少し長く人として生きていたいという人々の強い願いが仏様を創りだしたのだろう。
「親死(に)子死(に)孫死(に)」・・・こうして、一休宗純様のお言葉には、なんとも切ない究極の幸せが秘められているのだなぁと改めて思うのは自分だけなのかなぁ・・

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ラムちゃん会 

2016/03/14
Mon. 22:35

友達の少ない吉田は、普通に一人でいることが特に淋しいわけでもなく、ノイズの少ない静かな暮しの方が気持ちも落ち着くし、どちらかといえば賑やかな方より好きだったりするのだが・・・一方で、世話好きというか、比較的マメにアレコレ気がついたりするものだから、気が向いて時期が良かったりして自分も動きやすかったりすると、近所の思いつく連中へ声掛けをして飲み食いどんちゃん騒ぎをすることもある。

たとえば・・・
新酒の頃になると「新酒の会」
これは、はじめ気の合う仲間とつつましくさり気なくやっていたのが、次第に規模も大きくなって酒を飲む飲まない関係なく親子夫婦老若男女公私ゴチャゴチャ入り乱れて40人以上の規模になってきて、とても吉田一人でそれほどのことを仕切るには荷が重くなったから近所の知り合いへ丸投げしてスッキリ身を引いた。
冬になると「カニ食う会」
基本的に吉田家の子供たちはおおむねカニ好きで、カニ漁のシーズンが始まると、家族の状況を見てオヤジが買い出しをする。これも、ひと頃はカラオケパーティーも同時開催したりして40人以上に膨れ上がって収拾がつかなくなったから、潔くスッキリと身を引いた。その後、しばらくおとなしくしていたが、最近になってまた少しずつ復活して、カニ好きの友人もチラホラ合流しはじめている。何といっても、ズワイガニは普通に安く手に入るから、せいぜい一人1000円も出せば、カニだけで腹いっぱいになるほど食べられる。まわりのみんなが無口にガツガツとカニを貪りすすり食べているところをチビチビやりながら見ているのも面白い。今度のシーズンの吉田家はすでに3回やってしまった。これは、キーポンが倉吉で暮しているという地の利もあって増えてしまったと云えなくもない。キーポンを迎えに行くという大義名分のもとにワザワザ遠回りをしてカニを買ってしまっているわけだ。吉田家の場合・・というか、オヤジ的こだわりというか、普通、3月でカニは打ち止めにして終りにするのだが、今年は近所でカニに目覚めたヤツがいてまた食べたそうな雰囲気を醸し出しているから、優しいオヤジは見過ごすこともしのびないし、4月にもう一度くらいはカニを食べても良いなぁと気持ちが傾きはじめている。
肉食いテェ〜と「ラムちゃん会」
これは、前段にマトンジンギスカンネットワークというものが発端になっている。
そもそも、マトンの肉をそのあたりで売っていることがないから、どうしても食べたくなるとジンギスカンのお店へ通うしかないことになってしまう。ラムの方は、それなりのお肉屋さんへ行けばだいたい冷凍のカチカチが置いてあるから、最近はそれで我慢するようになって、今度のシーズンあたりから少しずつラムちゃん会が増えている。それで・・・たまたまワイフも留守だし、ちょうど肉屋の前を通る用事もあったから前回のカニメンバーへ「ラムちゃん会やるかい?」と声をかけたらパクリと食いついてきたので、それを実践に移した。結局参加者が7人にまで膨れ上がったので、ラムを2kg買った。それに野菜などを刻んで添えて、倉敷で仕入れた新酒も開けて、ひと晩で一升瓶が空き、ラムを完食した。
まったく、どちらかといえば静かな方が好きなはずなのに、ふと気が付けば、なかなか賑やかな暮しぶりだったりしますなぁ・・・

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長い夜 

2016/03/13
Sun. 13:38

年度末の3つ目の提出書類が午前中で終わった。
毎年のことだが、年明けから春先までのこの数カ月がイヤでしょうがない。
何をしていても頭の何処かにかたっ苦しい文章のことや、1年に数回しか縁のない小数点や分数のかけ算や割り算のことが離れなくて吐きそうになる。
週明けには、出来上がった書類を提出して校正を仰ぐ。それでパスしたらそのまま受理になるがミスがあると差し戻しで、それで次の1日がつぶれる。

私はどちらかといえば限りなく好き嫌いが激しくて、そのうえ燃えにくくて常に燻り続けているタイプだから、こういう短期集中型の事務仕事を一番苦手としている。
昨夜も麦とホップの誘惑に負けてプシュッとやってしまってから、なかなか頭が回転しないまま次第にやる気も失せてきて、ついついデスクトップの画面をHuluに切り替えてしまった。ハリウッド版の「ドラゴン・タトゥーの女」を観はじめたら、(確かスウェーデンかデンマークの)ヨーロッパ版と頭の中で比べはじめたりして、もう途中でやめることが出来なくなってしまった。
好きなことに使う時間は苦にならない都合の良い性格は、オヤジがジジイになりかけても全く改善の糸口がみつからない。このまま歳をとれば今よりもっとガンコになって自分の気に入ったことしかしないような偏屈な人間になってしまいそうで恐ろしくなる。

観はじめた映画が終わってもしばらく興奮が続いて眠れそうにもないから、「それじゃぁ」と提出の書類を片づけることにした。
結局は終わらせなければいけないことがわかっている仕事なのにどう考えても気持ちが乗りきれないまま、ダラダラと一杯やりながら夕食をすませ、2時間の映画を一本観て、真夜中になって「眠れそうにないな・・」という消極的な理由でやっと取り掛かれているわけだから、自分で自分の軟弱さがバカらしくなってあきれてしまう。
まぁ、それでも終わり良ければすべて良し!・・・ということで、ひとまず本日午前中に書類の完成を見た!・・・というところが、なかなかいじらしいではないか!・・・と都合よく自分で自分をなぐさめたところであります。

昨夜はせいぜい2時間くらいしか寝ていないから、やっと今になって眠くなってきた。さて、このまま昼寝に入ろうか、フラリと何処かへ散歩に出かけようか・・・そんなことを思いながらブラウンをブイブイ動かしていたらクロが足元へズリズリとすり寄ってきた。洗面所の水道を少し出してやると蛇口からペロペロ水を飲みはじめる。オヤジの行動を何処かでチェックしていたのだろう。
そう言えば、今日は日曜日で観光さんが多いし、町内の何処かから神楽囃子の音が聞こえてくるし、自宅にいても落ち着かないから、「結界君とドライブをしよう!」と決めて洗面所から出たら、何と、手足を濡らして水を飲んだばかりのクロがラップトップに座っている。家族がいなくて、久しぶりに自由に使えるはずのテーブルなのに、なかなか思うようにいかないモノだ。ガツンと叱っても、またケロッとして似たようなことをくり返すのがわかっているから、優しく抱きあげてフローリングへ放り投げてやったら、ドスンと床が抜けるような凄い音がした。「デブ猫め、もうメシ食わせないぞ!少しは痩せろ!」

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ひとりめし 

2016/03/12
Sat. 20:04

例の如く、朝方にクロの吉田家パトロールの一騒動があって目が覚めたが、起きてゴソゴソするにはまだ早いから二度寝をすることにした。
それで、次に目が覚めたのが8時少し前。
只今の吉田家はオヤジの一人暮らしでありますので、布団に包まってゴロゴロしていても朝食が出来ているわけでもありません!・・・ということで、冷蔵庫を開いたのでありました。

そういえば、母娘が出かけてから後、何かしらせわしない時間が過ぎていて、自宅の冷蔵庫を開ける事がなかった。
ワイフがいる時は、台所スペースへ家族が入ってくることを嫌がるので、どうしても私の吉田家の暮しには台所が疎遠になってくる。
一人の朝食くらいのことは、その辺にある食材を適当になにかいじっていれば出来上がることだから特に張りきる必要もないくらいの軽いノリで冷蔵庫を物色していたら、どれから食べようかと迷ってしまうほどの食材がぎっしり詰まっている。
こんなことだったら、わざわざ近所のスーパーまで買い出しに出かけなくても良かった。

ワイフがいると普通に見ているテレビの電源が入っていない。
大森小学校へ登校する子供たちの声と、ランドセルにぶら下げた鈴の音が聞こえる。鈴は熊除けのために支給されたものだ。
それから少しして、車が上下する音が聞こえてきた。石見銀山の町並みは、朝の9時を過ぎると一方通行になる。
外が明るいからきっといい天気になりそうだ。早朝の運動が終わったネコチャンズがそれぞれの場所で寝はじめた。
裏庭の方で若い鴬が鳴きはじめた。こうして今年になってあらたまって鴬の鳴き声を聴くのもはじめてのことだ。
テレビの音が無いだけのことで、これだけ日常の暮しのさまざまな音が耳に入ってくる。
メディアの垂れ流し情報をなにげなく見聞きしながら日本の現状を知ったつもりになってアレコレ思い巡らしていることがバカらしくなる。
そういえば、昨日一日は3.11ではじまって終わったような気がする。テレビもそうだし、ウエブニュースも3.11で埋まっていた。きっと新聞もそうだったのだろう。

テーブルいっぱいに書類を広げてラップトップをつついていると、定期的にクロがやってきて何も云わないで目の前に座る。しばらくつき合ってやると満足して吉田家のパトロールに出かける。
クロのあとにはシロがフニャフニャ鳴きながら抱いてくれとせがむ。膝を貸してやると待ってましたと飛び乗ってくつろぎの体勢に入って、私の叩くキーボードの指に反応してちょっかいを出す。
まぁ、そんなふうにマッタリとした1日が過ぎて、夕食は冷蔵庫のあふれる食材の中から、ベーコンとホウレンソウの炒め物にしようと賞味期限で決めた。
もちろん、赤飯はお檀家さんの法事で頂いたものです。

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一人暮らし 

2016/03/11
Fri. 21:43

オヤジの働きがあまりに悪いものだから、長い間修繕をくり返しながらかろうじて紡ぎ続けていた堪忍袋のヒモが切れてしまったワイフが、キーポンと一緒に実家へ帰ってしまった・・・というのは、実際にあってもおかしくないけど、本当はウソ!!・・・と思いたい・・・

寺のおかみさんをふりきって愛妻の元へいそいで帰って、そのままオシッコも我慢して出雲の高速バスの駅まで送っていったのは昨日のこと。
だから、今夜で一人暮らし2日目を迎えております。

昨日は本堂の大工仕事が一段落する日でもあって、最後まで大工さんを見届けなければいけないところを、ギリギリのところで時間切れになって、麦とホップ1パックを手土産に渡してドタバタと万善寺を出発した。あまりにも慌ただしく出かけたものだから色々忘れ物があったのをあとになって気がついたりしつつ石見銀山へ向かった。
吉田家へ到着すると、母娘はオヤジの心配を適当に流してノンビリしたもの。
だいたいに、いくらド田舎とはいえ、一応世間の勤務時間終了の帰宅ラッシュに引っかかる時間帯。内心、けっこうイライラしながら彼女達の荷物を積み込んだりして、大急ぎで出雲へ向かった。
バス停へ到着したのは、予定の出発時刻の20分前だった。
帰りに途中の公衆トイレへ駆け込んで膀胱にたっぷり溜まったオシッコを排出してやっと人心地ついた。
吉田家へ帰ったのは夜の九時近くになっていて、有り合わせで夕食を済ませてよっぽど疲れていたのだろう、そのままバタリと寝てしまった。

今朝は、位牌点眼の法要があったので、改良衣を着て石見銀山を出発した。施主さんをはじめ、ご親族の皆さんも参列していただいて、久々に本格的な点眼法要になった。お経が終わってから少しお話をさせてもらったが、それも熱心に聞いていただいた。
こういう時間を気にしないで落ち着いた法要はめったにないから、なんとなく気持ちがいい。お斎には自家製のお赤飯もふるまっていただいた。しばらく世間話に花が咲いてそれから石見銀山へ帰った。

一人暮らしが長かったから、1日中ひと言も喋らないで過ごすことには結構慣れている・・・というより、それが気楽でどちらかと云えばスキだったりする。
午後から、バックミュージックも無しで誰もいない吉田家を満喫しながら、掃き掃除をし、ふき掃除をし、洗濯をし、グッピー家族の水槽へ水を補充し、食材の買い出しをしてからお風呂を掃除して入り、風呂上がりの一杯は400円の白ワイン。
とにかく、こんな静かな半日を過ごしたのは久しぶりのこと。
ネコチャンズも、アチコチで思い思いにマッタリと過ごしていた。
喋らないでいると、かえって頭の思考回路が活性する。来週から制作を始めようとしていた彫刻のかたちが少し違ったふうにひらめいた。
なにか、とても贅沢な悩みのように思えてきた。

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春が来た・・かな? 

2016/03/10
Thu. 12:53

デスクワークがもうしばらく続きそうだ。
このところ、少しコーヒーを飲み過ぎているから、今朝は濃いめのコーヒーに差し湯をすることにした。こうするとマイルドになって飲みやすくなるし胃に優しい・・・と思っているが、結局飲みやすくなった分だけかえって飲み過ぎてしまっているのかもしれない。

本堂の大工仕事が4日目になる。
そろそろ全体が見えてきそうなところまで進んだ。
けっこう厚い板を使って組み上がっていたから、その重量で本堂の座が落ちないか心配になってきた。
もう何年も前の事になるが、知り合いの方丈さんのお寺で法要中に参拝の皆さんの体重で本堂の座が落ちて大騒ぎになったという話を聞いた。
万善寺の本堂も、今の場所に移転再建されたのは江戸中期の事だから、その頃の厚みも寸法も違った床材がいまだに使われていて、数年のあいだに畳の下で微妙にズレてしまうから、盆や正月でお参りが多い時に畳をはね上げて点検したりしている。
長い目で見ると、こうして本堂の床板から座の下が覗いて見えたり、戸締まりがしてあるのに小鳥が迷い込んで大騒ぎになったりするくらいスカスカの造りになっているから、年中適度に風も通って湿気もこもらないし、夏も涼しくいられるのかもしれない。もっとも、そういう具合だから冬の寒さはチョット厳しいものがあるけど、こればかりは仕方ないね。

2日ほど続いた春先の冷たい雨がひとまずあがった。
ロフト部屋から降りて三畳に移動して灯油ストーブをつけてみたが、それほど寒いとも感じない。
その三畳で二つの事務を片づけて発送できるまでになったから、大工さんの車でひしめいている狭い境内でイジイジと結界君を切り返して郵便局へ走った。窓口で発送をお願いして、ついでに通帳へ記帳してみると、生活費や諸々の必要経費が引き落とされて残高が厳しい状態だった。
これから春の展覧会シーズンがやってきて、彫刻と一緒にアチコチの巡業が続く。
四月は銀座でグループ展。五月は萩で野外展。それに、声がかかればワークショップが一つ増えるかもしれない。声をかけてもらえるだけでもありがたいことだと思って彫刻を造り続けているが、さて、それもいつまで続く事やら・・・坊主も彫刻家も定年がないから良いような悪いような・・・

雨もあがっているし、気持ちの切り替えになるかもしれないと、少しほど散歩に出かけた。
参道を降りて六地蔵さんまで来ると造花のシキビが枯れ草の上に落ちていた。ヒョッとしたら保賀のつがいのカラスのわるさかもしれないし、強烈な風が吹き荒れている時があったからその時に飛ばされてしまったのかもしれない。
枯れ草の下からヨモギの若芽や青々としたリュウノヒゲが覗いている。
所々に食べごろを少し過ぎたフキノトウがある。
おかみさんがフキノトウを採集するのも、そろそろ限界かもしれない。
保賀の谷もこれから本格的な春の山菜シーズンを迎える。

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保賀のカラス 

2016/03/09
Wed. 11:09

寒いのか暖かいのか曖昧でなんとなく寝苦しいままの夜が明けたら、本格的な雨になって保賀の谷には霧が広がっていた。
本堂の北側には屋根からのゆきずりがまだ残っている。こうして雨が降り続くと、それもやがて溶けて消えてひと冬の山のゴミだけが残る。今年は前住職が亡くなってはじめての春だから、今までとは営繕の様子が少し違ってきそうだ。

本堂の大工仕事も朝早くからはじまって本格的になってきた。
本尊さんへお参りすると、ひと晩のうちに香のかおりに変って建材の杉のかおりが満ちている。ひと昔前だったら桧とか欅とか、そういった材料を使うべきだろうが、そこまでの財力もないし人望もない私には、杉の木くらいが身の丈でちょうどいい。

「晴れとる時でなけりゃぁゴミが燃やせんけぇ〜」といって、おかみさんが畑の側に瓦を重ねて作ったゴミ焼き場が今でも使われている。
ひと頃自治体の指導でゴミの分別が厳しくなったことがあったが、その時も回覧板の分別協力の告知を無視して、火のつくものは全て徹底的に燃やしていた。山のゴミを燃やすのとは訳が違う。私がいてもいなくても関係なく今でもその行為は変らないで続いている。
おかみさんには頑固なところがあるから、息子の言うことの99%は聞く耳を持たない。
最近は、地域の付き合いや寺の行事などでも年寄り独特の頑固な気丈さが目に付くようになって、私ばかりでもなく四方八方に迷惑がかかって付き合いが難しい。

保賀の谷にはもう何年も前からつがいのカラスが仲良く暮している。そのカラスがおかみさんのヨチヨチとした行動を空から眺めていて、時々ちょっかいを出しているようだ。
「燃やさにゃぁいけんゴミ袋をせっかく集めて持っていきょぉ〜ったら、カラスがくわえて散らかしてしもぉ〜て、やれんことんなってしもぉ〜たが」
そういう話題を夕食の時に持ち出すから私もかなわない。
結局、散らかったゴミは風に吹かれて雨に降られてあちらこちらへ飛散してしまったようで、そう言えば雪が消えた境内の端の吹きだまりへスチロールやビニールが溜まっていたなぁと思い当たる事もあった。

私が見るに、保賀のカラスはとても頭が良くて人間の暮しぶりをかなり冷静に観察しているように感じる。
都会のカラスのように図々しくもないし、悪食で卑屈でもない。厳しい山陰の中国山地の気候にそれなりに順応しながら、人のスキを見てほどほどにあそびわるさをしながら、付かず離れず微妙な距離を維持して暮している。
私は、彼等を見かけると出来るだけ近所の子供に声かけするような感じで話しかけるようにしている。もうかれこれ3年くらいは続いているだろうか。昨年あたりから、彼等が私のことを何かの意志を持って認識しているということに確信が持てるようになった。
時々、視線があう事もあるし、面倒臭そうに鳴き返してくる事もある。
私が云っている内容のことまでは分からないだろうが、ひょっとしたら、今のおかみさんより、カラスの方が私の気持ちを理解して聞き分けてくれているのかもしれない。

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カメムシの災難 

2016/03/08
Tue. 13:04

寺の三畳へ落ち着いて荷物の整理を始めたら、どこからか越冬のカメムシが数匹湧き出てきた。
昨日に半日ほど万善寺へ帰ってきた時もさり気なくブンブン飛んでいたから、「何処か寒さがしのげる場所に集まっているんだろうなぁ・・」くらいに思っていたが、やはり気温が少しほど暖かくなるだけで、それを敏感に感じてこうやって活動をはじめたのだろう。

朝から本堂へ大工さんが入ってくるので、石見銀山の自宅をいつもより早くに出かけた。
なんとなくパッとしない空模様で、昨日ほどの暖かさも感じないし、かといって上着を着込むほどの寒さでもない。これから晴れるのか雨になるのか微妙な春先の空気を感じながら万善寺へ到着した。
おかみさんへ顔を見せると、「何するんかわからんが、本堂があがぁ〜なことんなって・・」などと、いつものネガティブな小言が出てきた。これで、先代の憲正さんだったら、満面の笑顔で「おぉ〜〜、帰ったんかぁ〜!そりゃぁ〜ごくろさん、ごくろうさん!」とベッドから声をかけてくれただろう。
人が変れば、時々の挨拶でここまで気持ちが大きく萎えてしまうものなのか・・

なんとなく気持ちが晴れないまま寺務ならぬ事務の書類を三畳のそこここへ広げていたら、先ほどのカメムシがその上によじ登ってくる。
寺で朝っぱらから殺生をする気にもなれないまま、無駄に刺激しないようにカメムシの動くに任せた。
ワイフやキーポンだったら、カメムシ出現で大騒ぎになっているだろう。
彼等だって、人間に対して自ら積極的に好戦的行動へ出る事もないだろうし、どちらかと云えば人間の方が勝手に自分の都合で彼等を毛嫌いしているだけの事で、それでむりやりガムテープの刑や灯油瓶水没の刑に処せられては死ぬにも死にきれないだろうと可哀想になってくる。
ボンヤリとそんなことを思いながら濃いめのコーヒーを入れていたら、大工さんがやってきて荷物を搬入しはじめ、そのうち雨がポツリと落ちはじめ、お昼前にはそれが本降りに変って、結局このまま今日1日中雨が降りそうな雲行きになった。

今度の本堂の事で棟梁と最初に打ち合わせをした時は、家具を搬入する程度の軽いノリで話が進んでいたのに、こうして昨日からの様子をみると、本堂の座を手直しするところからはじまるような大仕事になっている。
今の時期にこうして特別に仕立てた作り付けの家具のようなところまで造り込んでおけば、当分の間というより、シロアリでもやって来なければ今後100年くらいは十分に耐えられるだろうくらいの丈夫な造りになっていきそうだ。
こういう大工工事は、材料代がどぉ〜のこぉ〜のというより、一日ナンボで働く職人さんの手間賃の合計で決まる事が多い。
今でも3人の職人さんがセッセと働いている。
久々に万善寺の本堂が騒がしくなって、それまでヌクヌクと越冬していた諸々の連中は、本堂の床まではがされたりして、きっと大騒ぎになっていることだろう。

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猫の気楽 

2016/03/07
Mon. 18:25

通勤坊主が再開した。
本堂の西側壁面へ畳二畳を潰して納骨用の舎利棚殿を造り付けることにして、その大工工事が始まったからだ。
前住職の頃からお檀家さんの離散が少しずつ始まって、現住職である私の代になってからそれが加速している。
昨年には、ついに独居世帯で孤独死の葬儀をすることになってしまった。ひとまず、近い親族でかたちばかりの葬式をして万善寺墓地の空き地へ埋葬するところまでは進めたが、七日務めも割愛され、四十九日もかたちばかりのお経で済ましたことにして、あとは親族からの連絡も耐えたまま現在に至っている。
最近の仏教は、世間では葬式坊主程度の認識しか持ってもらえなくて、「仏教」の教典のことなどどうでも良くなってきた。だから坊さんはどちらかと云うと仏教と云うより仏事のことができればそれでOKと云うノリで付き合ったりされているような気がする。

そんなわけで、どうも新亡さんが粗末に扱われることが増えているようで、親族の身寄りが少なかったり絶縁になったり、場合によっては絶家になるようなこともあるだろうし、そういう立場の新亡さんを、かたちばかりでも寺でお守りできればいいかなと思って舎利棚殿を寄進することにした。
これから何年かかかって造作代を支払うことになる。

倉敷の飯尾ちゃんの個展会場には、可愛らしい猫のジュエリーがいくつか並んでいた。
吉田家のネコチャンズを思い出してしまいそうな小さな猫がショーケースの一角に鎮座していて、欲しくなってしょうがなかった。
とても今の自分にはそれを手に入れられるほどの余裕もないので、値札は見ないようにしながら個展の作品群を鑑賞させてもらった。

彼女も、数年前から親の介護をすることになって、それで実家の愛媛に帰ってきた。
彼女は、受験で上京してから30年以上も東京暮らしがつづいていて、そこを生活の本拠地にして世界各地に出稼ぎをしていたくらいだから、親の介護のためだけに愛媛へ拠点を移そうと決めるまでには随分と葛藤があったと思う。
とにかく、なんとかして自分が暮らしていくだけの生活力を持っておかないと、親の面倒を見ることなどできない。
私も彼女の同業に近いから作家としてものをつくり続けることで生活の糧を得ることの厳しさはそれなりに分かっているつもりだ。
財力のある人は、お金の力で親の面倒をどうにでも看ることができるだろうし、正に商売柄そういう現実をつぶさに目にすることも多い。
歳をとって死ぬにも死にきれないまま生きながらえて、その上我が子にも見放されて何処かの介護施設に放り込まれてしまう親の立場を思うと、複雑な気持ちだ。
私など、ある意味でそうすることなどしたくてもできない貧乏人だから、かえって諦めもついて自分で親の面倒を看ることが当たり前と思って暮らしている。
いつになったら、悩み多き人生から解放されてネコチャンズのように気楽になれるのだろう・・・

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倉敷の旅 

2016/03/06
Sun. 23:44

キーポンの用事で倉吉まで出かけたから、そのまま石見銀山へ帰ってしまうのも味気ない。
ワイフも一緒で吉田家の家族が揃っているしするから、今どきこういう機会は滅多に巡ってくる事も無いだろうと思ったので、倉吉から倉敷までいっきに南下した。
2月に倉敷へ彫刻を持って行って設置したまま、その後のお礼もしないままになっているし、家族に・・というより特にキーポンにオヤジの仕事を見てもらうのも大事な事だと思ったからでもあった。

上の三人の吉田家の子供たちは、小さい時からオヤジの彫刻と一緒にアチコチ貧乏旅行をしてきた。
キーポンは上の子供たちと年齢が離れている関係で、彫刻がらみの家族旅行にほとんど縁がないまま大きくなってしまった。
それも結局はその時々の巡り合わせでもあろうが、こうして今思うと、ほんの20年から30年の間に、私の彫刻制作や発表の環境も大きく変ってきたという事がよくわかる。
一度しかない人生のかなりに多くの部分を、こうして彫刻と関係しながら過ごしてきたということを、自分の子供たちへも少しは知っておいてもらいたい・・・そういう気持ちがない訳でもないし・・・

鳥取の倉吉を出たのが午後の2時を過ぎた頃だった。
ワイフが早起きしてセッセとつくってくれていたお弁当をパクつきながら走り続けて、倉敷へ到着したのが夕方の4時半だった。
学生のころの同級生で今は七宝作家で活躍している飯尾京子女史の個展会場が倉敷の美観地区の端にあって、まずはそれを観に行く事を優先して予定を立てた。
会場のクローズが5時だったので、あまり長く鑑賞する事は出来なかったが、彼女の一連の七宝作品の現物を観る事は学生の時以来のことだったから、とても有意義な時間になった。
せっかく、久々の再会になったし、たまたまワイフの女子美辞代の同窓生も飯尾ちゃんとつながりがあって会場に来ていたので、出張中の同窓生の久保田くんも合流して夕食をご一緒する事にした。
いつもだったらこういう時の私は車中泊で一晩を過ごしてしまうが、家族が一緒だとトイレの問題もあるし、オヤジの気軽な一人旅と同じように乗り切る事も難しい。

夕食は、色々昔話で花が咲き乱れたり美味しい地酒を飲む事も出来てオヤジ上機嫌。
倉敷2日目は、昨夜の久々に再会した同窓生たちと倉敷の各所に点在する作家の作品展を巡った。
その中に彫刻家吉田正純の彫刻も展示されていて、もちろんそれも彼等にじっくりと観てもらう事ができた。
日本第一熊野神社の宮司さんや搬入でお手伝いを頂いた氏子の皆さんに逢ってお礼をすることもできたし、もう一ヶ所彫刻を置かせてもらっている造り酒屋のご主人とお話しする事もできたし、もちろん、新酒の一升瓶をゲットする事もできた。
ワイフやキーポンもそれなりに倉敷を楽しんでくれたようで良い思い出が一つ出来た。

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泰山木 

2016/03/05
Sat. 23:40

石見銀山から東に向かうと、国道をだいたい20分くらい走ったところで山陰道へ乗ることが出来る。
そこで自動車道へ乗ってしまうと、キーポンが通っている学校の近くまで下道に降りないまま辿り着く。
ひと昔前は、自動車道など無かったから、だいたい5時間はかかっていたが、こうして山陰道が伸びてくれたお蔭でノンビリと走って3時間もあれば楽に到着できるまで時間の距離が縮まった。

キーポンがお世話になっている学校の寮まで彼女の冬物の荷物を取りに来た。
それと同時にワイフが三者面談の時間を指定してあって、私はその待ち時間で学校の構内を少しばかり散歩した。学校はもう春休みに入っているから学生の姿もまばらで閑散としている。良くは知らないが、学校そのものは結構昔からあったようだが、校舎の方は現在の場所へ統合して新しい。空が広がって、いかにも田舎ののどかな学園風景になっている。校内の街路樹や小さな憩いの場にある樹木も、ほとんどが新しく整備された時に植栽されたようで、樹形に幼さが残っている。学生館とある建物は、たぶん学校の総務部や教務部や入っている管理棟のようなものなのだろう。その前にある小さな公園には、落葉松や欅の若木が植えられていて、それらの中に1本だけ泰山木があった。
泰山木は常緑で冬でも青々と葉を茂らせているから、先ほども、その葉影に入ると吹き抜ける風の冷たさがひときわ身にしみた。
まだ若い木だから花が咲くまでにはもう少し年月がかかりそうな気もする。
この泰山木に似た木で(学術的には同系なのかもしれない?)木蓮がある。
何故か今まで、私はこの木蓮や泰山木を行く先々でよく見かけていて、何かしらの縁があるような気がする。
木蓮は寺の境内の端にもあって、毎年春に花を咲かせる。花の香りが境内一面に拡散して、本堂の線香と競う。結構香が高いから小さい頃から「あれが木蓮だ」とか、「アノ匂いはきっと木蓮の花が咲いたな」とか、春を感じるには十分の刺激になっていた。泰山木はたしか、木蓮の少しあとから花を咲かせていたと思うが、単なる私の勘違いか、島根の環境の都合だけなのかもしれない。
吉田家の長男と末娘が卒業した高校には泰山木の朽ちかけた古木があって、これがそのあたりではとても大事な時代の象徴として大切にされていたし、学校の機関誌の書名にもなっていた。
石見銀山に移住した時も、その町の中心にある明治新政府が建てた旧裁判所の前庭に泰山木の古木があった。こちらの方は、明治の植栽が成長してそのまま古木になったもののようで、時代の証明としては大事な遺産のような気がしていたが、石見銀山が世界遺産に登録されると前後して、管理上の都合が悪くなったのか、まだ花を咲かせていたのにあっけなく切り倒されて切り株も掘り返されて跡形もなく更地になった。
最初は人の身勝手な記念樹程度で植樹されたものなのだろうが、その後の時代の流れで生き残る事もあれば死に絶える事もある。
私が公共彫刻に手を出さないのは、あの泰山木のように自分の彫刻をそういう時代の都合の遺物にしたくないからだ。

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吉田家歴代ペット 

2016/03/04
Fri. 13:12

歳をとると昔のことを良く思い出すというから、私もそろそろ年寄りになってきたのかもしれないと思いはじめるようになっている。一方で、自分が主体的に自分の意志で自分に対してそうしようと思って昔のことを思い出しているわけでもないような気もしている。

比較的移動距離が長くて、結界君を運転しながらの移動時間が増えてくると、運転に集中しているとはいえ、どうしても頭の思考回路の何パーセントかは全く別のところで動いているようなこともあって、ふと気がつくと自分の身体と自分の幾つかの感覚だけが勝手に惰性に働いて運転をしていて、あとに残った幾つかの感覚は脳みその別な回路をセッセと動かして全く別のことを考えていたりする。
そういうことが度々と重なってしまったりした時の幾つかの思考テーマがたまたま昔の出来事のことだったりして、また、なんとなく当時の懐かしさもあったりして、結局記憶の何処かに昔のことが上書きされてリニューアルされた状態で保存されることになってしまったと云う事が、「昔のことを良く思い出す」ということになっているのではないかと、面倒臭く分析している。

20分ほどのお経で片道40分かけて移動しての帰りに、チョット用事があって銀山街道の途中で寄り道したお宅で、小さな家犬の洋犬にほえられた。
自分では動物は好きな方だと思っているし、どちらかと云えば可愛がる方だと思っているが、血統書がついていそうな犬や猫はどうも心から好きに馴染めないようなところもある。つまりは、自分のかってな食わず嫌いだと思うが、それに加えて好きになれないポイントがもう一つあって、こちらの方は確信的主観的な理由がある。それがそのペットの名前。全てがそうだとは云えないが、だいたいにして高い金で買ったようなペットにはキャサリンとかヘンリーとかジョンとかヨーコとか、団十郎とか市之助とか、まぁ偉そうな名前で呼ばれたりしている事が多い気がする(って、きっとオヤジの勝手なヒガミとヘンケンだろうけど)。そもそも、いくら可愛いからといって、せいぜい犬や猫を相手にとても呼び捨てなど出来ないような名前を付けて嬉しがっているような人間の気持ちがわからない。
「ハイハイ、どぉ〜したの?鳴かないのよ、ねっ、○○ちゃん♡良い子だからね♡♡」だって・・・その○○のところは、狭い世界で暮すチキンオヤジの私の立場上、実名を挙げると大事になりそうなので、あえて伏せさせていただきます(が、お暇な方は自分の周辺の似たような現実に当てはめて勝手に想像してください)。
その、可愛らしい小さな犬は、とにかくやたらと落ちつきなく終始吠え回っていた。
お蔭で、帰りの道中は「昔の思い出」で脳みそがにぎわったわけなのです。
最初に飼っていたのは口癖の悪い(ヨソの家の靴をくわえて来る)ポチ。カナリア達は名無し。その次が文鳥のチチ。その後セキセイインコのピーコ。その後インコは増え続け、あとは無名。明大前時代が美猫タマとその子のパーとピーとプー。島根に帰ってハンサム黒猫タマジュニアスペシャルツー(通称タマ)。石見銀山に転居して三毛の雑種犬シェパ。ウサギのグレーと2代目グレー。柴系雑種久々のポチ。そして現在、限りなく黒に近いオス猫のクロと、何とも曖昧なキジ模様がはびこるおおむね白っぽいメス猫のシロ。
こうして、とてもシンプルな名前の吉田家歴代ペット達と暮した日々を思い出しながら石見銀山の自宅前駐車場へ無事に帰着したのでありました。

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薪ストーブ 

2016/03/03
Thu. 13:34

「私だけになったら、薪ストーブはもう無理だからね!」
ワイフにそう宣言されて、もう何年か経つ。

そういう状況とはどんなことかと考えると、私が何かの病気で倒れた時とか、老人になって足腰が動かなくなって薪づくりが出来なくなった時とか、コロッとある日突然御陀仏になった時とか、それに、自堕落なオヤジに愛想がつきて三行半を突きつけられてしまった時とか、まぁ、おおよそそんなことになったら、薪ストーブも廃棄されてエアコン暖房に切り替わってしまうということでしょう。
自然環境にとってはその方が良いのかもしれないし、老体にむち打ってわざわざ不便に苦労することもないだろう。
今どきのことだから、毎年シーズンになると、嬉々として薪割りをしてストーブをメンテナンスして屋根に上って真っ黒になりながら煙突掃除をするなどということそのものが、世間の目を通すと趣味の世界で楽しんでいるようにしか見えてこないのかもしれない。
それもまんざら間違いでもないが、私としては時代に対しての昭和のオヤジのささやかな抵抗くらいの気持ちでいるようなところもあるのです。
実は、そう思ってしまうところの根拠のようなものがある。

私が少年時代の万善寺は、周辺の寺院の中でもまだまだ元気に寺業が運営されている時代で、寺の営繕を生業に夫婦一家で移住していただくようなこともあった。その世帯主のおじいさんがまだおじさんだった頃、少年の私は、彼が寺の山に入るたびに自分の都合をつけて一緒にくっついて山へ入っていろいろなことを教えてもらっていた。山の営繕は山の恵みの収穫にもつながった。春の山菜からはじまって秋の各種茸までとにかく山からの収穫はきりがなかった。
冬に入る少し前に、寺の山の斜面へ近所から掘り出した粘土を集めて炭焼きの窯をつくる。だいたい1回の窯で寺で必要な1年分の炭をつくる。炭にする木を切り出して寸法を整えて窯に積めて火入れをしてそれから普通に3泊4日くらいかけて炭焼きをする。ある程度窯に火が回ると入り口を粘土で塞いでいぶし上げる。それから1週間くらいしてから炭の窯出しをする。背負子に背負って何往復もして庫裏内の納屋へ運び入れたり、座の下へ敷き詰めて活性炭がわりに使いながら保存する。そんな一連の山仕事のたいした手伝いにもならないのに私も少し大きくなると窯を囲って立てた掘っ建て小屋で一緒に合宿するような時もあった。おじさんは火の番をしながら一杯が二杯三杯に進んで機嫌が良くなって饒舌になると、炭をつくるために山の木を間伐するから、山が育って山のものが収穫できるのだという話を、色々ネタを変えながら少年の私へ聞かせてくれた。山の下草もそれほど無駄に茂ることもなく、適度にクマザサもはびこるくらいの状態を維持できると、秋の落葉がいい感じで斜面の腐葉土に変って木の実も良く育つ。
「このあたり一帯の山は、自然が残っとるようなところはひとつもないけぇねぇ〜。隅から隅までどぉ〜っこも人の手が入っとるけぇ良い山になるンよ!」
聞くところによると、嘘か真か、そのおじさんは、若い頃島根半島の出雲大社の近所の山へ入っていたらしい。今では代も変っているからおじさんの前身を知ることも叶わないが、人が山で汗を流すことがどれだけ大事なことかということはわかる気がする。

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吉田家男事情 

2016/03/02
Wed. 23:00

島根の石見銀山や赤来高原は三寒四温を絵に描いたような毎日が続いている。
石見銀山へ帰ってから、やっと少し落ち着けると思っていたら、何のこともない、結局ボクの憩いの四畳半を吉田家のおんなどもに占領されてしまったまま、どうも落ち着かない毎日になっている。キーポンは自分の荷物や道具を四畳半にまき散らし、仕事から帰ったワイフは「あぁ〜疲れた疲れた!」といいながらキーポンの隣へ潜り込んで夕食までのひと時をマッタリと仲良く過ごしている。それでなくても隙間風の多い吉田家に今以上に冷たい不穏な空気が漂うよりはマシだと思うが、それにしても、どう考えても冷遇されているとしか思えないオヤジのこともあるし、自分としてはもう少し吉田家暮らしを快適に過ごさせてもらいたいものだと思っている。ついポロリとそういうささやかな不満を口走ってワイフに聞かれてしまったりすると、取り返しの付かないほど険悪な状況に陥ることは簡単に想像できるし、それなりに緊張しながら何食わぬ顔でニコニコとつつましく目立たないように気を配りながら吉田家の現状を改善していくしかない。

ワイフやキーポンとつき合うというか暮すというか一緒に過ごすのも久々のことだが、同じようにネコチャンズと逢って、間近で付きあうのも久しぶりになる。
ダラダラと付かず離れずの同居が毎日続いていると、それはそれでお互いに踏み込み難い距離感を自然に自覚しながらストレス無くつき合っているような気もしていたが、しばらくぶりに彼等の吉田家の暮しぶりに接すると、今まで気がつかなかった微妙なしぐさの幾つかが妙に新鮮に見えてきて、余計に愛おしさが増したような気がする。

首がやっと座って、ヨレヨレしながらヨチヨチ歩きをし始めた頃にU字管の底で蠢いているところを拾われてきて吉田家で暮すようになったクロは、赤ん坊のうちからの猫社会の常識を体験することのないまま人の手で育てられてしまった。猫社会の厳しさや人間と同居する時の最低のルールを教え込むにはあまりにも小さくてひ弱だった。
ワイフの献身と私のスパルタで見事に巨大に成長したが、そうなるまでには尿管が詰まって尿毒症で生死の境を彷徨ったりもした。野良猫とのバトルでさんざん痛めつけられてプライドがボロボロに砕けてしばらく立ち直ることが出来ない時もあった。
クロはクロなりにイロイロ鍛えられながら大きくなったと思うが、反面、吉田家の家族の愛情に甘えてワガママに育ってしまったようなところもある。
クロとの再会は淡泊なものだったが、それでもちゃんと私のことを忘れないでいたくれた。オヤジに甘えることもちゃんと覚えているし、大きなため息を漏らしながらでもオヤジの身勝手な溺愛につき合ったりもしてくれる。男同士の意気がった見栄が見え隠れすることもある。一日のほとんどを寝て暮しているが、目が覚めている時は勝手に上手に一人遊びをして吉田家の隅々まで何度もパトロールして戸締まりを確認している。それに、オヤジの動きを何処からか執拗に観察していて、自分の都合の良いように自分の居場所を乗っ取って「ザマァ見ろ!」と平然としている。たぶん彼にとっては、猫感覚を磨くためのトレーニングくらいに思っているのかもしれない。目覚めている時の彼の身勝手な行動の幾つかを見ているとそういう気がしてならない。
結局は、吉田家の男同士のこととして、お互いを探り合いつつもお互いの信頼関係を維持出来れば、それがいいことだと思っている。

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2016-03