工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

老人像 

2016/04/30
Sat. 23:18

連休に入ってからの2日間は、万善寺境内や参道の草刈りで過ごしている。
自分の身体が悲鳴をあげていて、肩がこるというより首筋が固まってしまって頭痛がひどい。
足も膝から下がガタガタで、一度座ると立ち上がることができない。
自分の肉体老化がかなり進行したと感じる。
まぁ、これから先今より良くなることもないだろうから、自分の心と身を上手くつり合わせて無理の無いようにつきあっていくしかないなと思っている。

おかみさんをはじめとして、今で云うところの高齢者、昔ながらの老人と付き合っていると、自分もいずれはアァ〜なっていくのだろうかと不安になる。一方では、今の彼等の言動が自分の近い将来の姿に見えていろいろと教えられる。
「あぁ〜なりたい」と思うこともあるし、「あぁ〜にはなりたくない」と思うこともある。
それも全ては自分の心がけ次第だと思うようにすると少し気楽になれる。

最近は「老人」ということばをあまり聞かなくなった。おかみさんのことでお世話になりつつある福祉関係や役場や病院の職員の皆さんは、たいがい「高齢者」といっているように感じる。自分が知らない間にいつの間にか世間が「そういうふうに云うようにしましょう」ということになっているのかも知れない。
そこでふと「敬老の日」って今もあるんだっけ?・・・思って、宗門手帳をチェックしてみたら、ちゃんと9月の祝日に加わっていた。あの頃は、ちょうど彫刻の制作で忙しくしている真っ最中だからもうかれこれ40年近くも本気になって「敬老の日」を意識したことがなかった。
改めて思うと、わざわざ「老いを敬う日」という祝日をつくった日本は素晴らしい国だ。
良い悪い含めて、老人の言動は若輩の手本になっているから、もっと老人を老人らしく尊重して大切にしようという人の優しさが感じられる。

「自分はどんな老人になるべきか!」などと、みずから老人になるための心がけを整理しておくことも大事なことかも知れない。そして、そう考えることで、老人になることを肯定できるし、目標とする老人像が具体的に定まってくる。
結局は、自分の身体が若い頃と同じように動くようなこともないし、そういう体力も無くなってくる・・・という事実を、如何に冷静に我が身へ受け入れるかということへの現実直視が重要に思える。こうして、毎日少しずつ続ける草刈りひとつとっても、自分の体力に正直につきあって、極力無理の無いようにつとめることで、仕事の継続につながるし、完成度のキープにもなる。若い頃と同じように、力任せに草刈り機を振り回すだけのものでもない。
それなりに壮大な我が身の老人像を模索しながら、せっせと草刈りにはげむ自分が愛おしくなった。
「明日も草刈りするぞ!」と我が身を奮い立たせながら帰宅していたら、法類寺のおかみさんが亡くなったという知らせが入った。
草刈りも2日ばかり休止で葬儀の随喜に努めることになる。

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なっちゃん結婚するの? 

2016/04/29
Fri. 23:53

なずみさんへ

今、改めて思うと・・・
あなたは、吉田家唯一の「常識人」に育ってくれた気がする。

これも、ひとえに、私たち夫婦が「ちょうどいいかげん」なさじかげんで君を育て上げたからだろうと、自画自賛している。
一方、なずみさんは吉田家家族の面々をクールに冷静に観察し、「あぁ~なってはダメだ!」とか、「こぉ~なってはいけない!」とか、自力で自分の人生を軌道修正しながら現在まで生きてきたと思っている。

なずみさんは目出度くたくまくんと結婚するという。
私が彼とはじめて接近遭遇したのは、そろそろ3年くらい前だっただろうか??いや、もっと前からだったかも知れない。
まぁ、それほど彼は私の前へ何気なくさり気なく普通な感じで現れた。
日頃からシャイで人見知りでチキンの私にとって、それこそ「ちょうどいいかげん」で緊張の無いゆるやかな出会いになった。

そもそも、私と満寿美さんの出合いもそんな感じだった。
だらしなく遊び暮らしていた私に付かず離れず、何気なくさり気なく、だいたいどういう場面でもつつましく私の近くへ寄り添ってくれていた。

結婚とはそういうことが大事で、そういうところからはじまっていくものだと思っている。
自分の人生ではじめてお互いに血の繋がらない他人と暮しはじめることになって、それが最小のコミュニティーのスタートになる。
二人はそれぞれ二親がいたからこの世に生まれたわけで、またその4人の親にはそれぞれの親がいて、それが君たちに繋がっている。
君たちにもそれぞれ何人かの兄弟姉妹がいるわけで、実は最小のコミュニティーであっても、その歴史の中でとてもたくさんの人格と大きな社会を造っているというわけだ。
これから数限りなく遭遇するであろう大小の波乱から目をそらさないで、しっかりと向き合って、二人で助け合って正直に生きて素晴らしいコミュニティーをつくってほしい。

最近、寺の境内で鼻水たらして泣きながら必死で自転車の練習をしているなずみさんの姿をよく思い出す。あの必死の形相がとても可愛かった。それともう一つ、バイクのタンデムでしっかりと私のメタボ腹へしがみついていた君の小さな手の形を思い出す。

スティーブ・ジョブズ氏は、「人生に大切なことは、人間関係や、芸術や、または若い頃からの夢かもしれない。終わりを知らない富の追求は、人をゆがませてしまう。私のようにね」といって死んだという。
一度しかない人生を二人で大事に育ててください。・・・SNSストーカーオヤジより

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お不動さんのご縁日 

2016/04/28
Thu. 18:29

ノウマク サンマンダ バザラダン カン
ノウマク サンマンダ バザラダン カン
ノウマク サンマンダ バザラダン カン・・・

28日は不動尊のご縁日なので、それに都合をあわせて山の斜面に安座されている祠までお参りした。
その祠は、先代のおじいさんが家内安全と家門興隆を祈念して自ら建立されたもので、今は次の代の奥さんが一人でお守りしていらっしゃる。
まだ憲正さんが元気だった頃から彼の足変わりを兼ねた役僧でお供していたから、万善寺が代替わりしてからあとも、遺漏無く普通に引き継いで今に至っている。
少しだけ変ったところは、「せっかく毎月28日にご縁日が回ってくるのだから、お参りもそれにあわせて都合をつけた方がお不動さんも喜ばれるでしょう」と勧めて、それじゃぁそうすることにしようということになって、それから後は日にちが動かなくなった。

しばらく汗ばむほどのいい天気が続いていたのに、昨日から雨になって、今朝には冬に逆戻りしたようなほど寒くなった。テレビの天気予報を見ると、気圧配置が西高東低になっている。これじゃぁ、寒くなるのも当たり前だ。ひょっとして北海道のあたりは雪になるかも知れない。改良衣に着替えて町並みへ出ると、冷たい雨がシトシト降っていた。
祠の前でおつとめをする間は雨もやんで傘がいらなかったから携帯の木魚を打ち鳴らすこともできた。お経が終わって回向に入ったら雨がポツポツと落ちてきた。帰りの急な坂道はその雨に濡れながら傘をステッキがわりに使って慎重に下った。
この近年、お不動さんの日はいい天気が続いていたのに、久しぶりの悪天候になってしまって、正直、けっこう気持ちが萎えてしまっていた。

帰宅して着替えをすませてもまだ寒いからストーブをつけようか少し迷ったが、こういう時は働いて身体を動かして暖まった方が良さそうだと決めて、土間の片づけをすることにした。連休に入ってからすぐになっちゃんが東京から帰ってくるし、キーポンが石見銀山のショップでアルバイトをすることにもなっていて吉田家が久しぶりににぎやかになる。吉田家家長としては、少しでもキレイげに片づいていた方が彼女達も喜ぶだろうと、まぁ、そういうふうに前向きに判断したわけだ。
そうやって身体を動かしていたらワイフが帰宅した。午後からは中学校の先生方の研修会が入ったのだそうだ。二人で昼食を食べて落ち着いてからメールチェックをしたら、倉敷から美術イベントの告知データが届いていた。
データの原稿には先日搬入展示した鷲羽山の彫刻が使われていて、「吉田正純ー龍雲山万善寺住職・島根県 東京芸術大学大学院云々・・・」と、デカデカ略歴印刷がしてある。
自分の個展チラシでも最終学歴など記入することもないのに、数十年ぶりかで活字になった自分の略歴を見ると、なにやら心がザワザワ落ち尽きなく動揺してしまった。
その、鷲羽山ではフラメンコギターのライブイベントも企画されているらしい。
しばらく前には、萩の往還まつりのDMが届いていたし、今年の連休はノンビリと寺の裏山のタケノコを掘って暮すこともできなさそうだ・・・

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善行悪行 

2016/04/27
Wed. 23:49

毎月28日はお不動さんのご縁日。
万善寺は特にお不動さんとご縁があるわけでもないが、町内にお不動さんの御堂を建立されているお宅があって、前住職の頃から「今年もお経をあげてくださいや」とお願いされるので、4月か5月のご縁日に都合を合わせて出かけている。

島根県はしばらくブリに本格的な雨が降っている。
吉田家の増築部分は華奢なトタン屋根のあばら屋だから、この程度の雨でも「何事が起きたか?」というほどの凄い雨音が家中に響きわたる。
この雨も昼前までは時々小雨がパラつく程度でたいしたことにもならなかったから、駐車場の脇で乾燥中の薪を雨に濡れるまでに少しでもたくさん割って土間へ積み上げてしまおうと休憩もしないで働いた。
石見銀山で雨が本格的になったのは午後の1時を過ぎてからだった。
「きっと、九州では朝から降っていたんだろうなぁ・・」と、ふと熊本の震災が頭をよぎった。
たぶんこのままだと、「また昼食抜きだな・・」駐車場へちらかった道具を片づけてから軽くシャワーを浴びて汗を流しながらなんとなくそう思った。
これから連休中は石見銀山の町並みも観光客であふれるし、私は萩の方へ少しばかりの彫刻を持って行くことになると思うし、町内で埃っぽい仕事もしにくくなるから、その間にツナギの作業着一式を洗濯しておくことにした。

汗を流してサッパリして、いつものリーバイスにトレーナーに雪駄履きで、平日でないと片づかない万善寺がらみの用事を3つかかえて結界君へ乗り込んで飯南高原へ向かった。
道中絶え間なく降り続く雨が、また九州の震災を思い出させた。
自由にストレス無く電動の道具を使い、屋根を叩く雨の様子を見ながらノンビリとシャワーで汗を流し、たった二つ三つの用事のために燃料を無駄遣いして、自宅に帰ればネコチャンズが平和に爆睡している。
なんとも緊張感の無い成り行きに我が身を委ねる一日がいつの間にか終わっていく。

飯南高原をひと回りして自宅前の駐車場へ帰ったら、ワイフの車が町並みの道を走ってきた。たまたまの偶然だろうが、それにしても珍しく気が合ったものだ。
一人でいると自分の責任でそれなりに緊張しながら行動するが、ワイフが目の前にいたりすると何処かしら彼女に頼ったりすがったりして、些細なことで気が抜ける。その気の緩みを感知したクロが見事に脱走した。シロは私を無視してワイフにしがみついた。
吉田家の日常の生業(なりわい)がいつもとかわりなくつつましく過ぎていく。

「業」は、仏教ごとで「ごう」といい、「成す行為」の意味を持ち、大別すると「表業(意識して成す行為)」と「無表業(無意識に成す行為)」があると云われている。
「業」には「善悪」つきまとうから厄介だ。
無表業の善行は表業に勝るが、無表業の悪行は自分で気付かないところに始末が悪い。
吉田正純は歴が回って還って本日誕生日。さて、どのような無表業を生きれるだろう?

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更新不能 

2016/04/27
Wed. 04:47

吉田家営繕も外仕事を優先して駐車場やその周辺の草刈りをしたり、薪の丸太を割り木にしたりしていたが、調子の悪い膝をかばいながら少し無理をしたせいか今度は足首が疼きはじめて、夜に寝ていてもその痛さで目が覚めたりするようになってきた。
歳をとるということはこういうことなのだろうなぁと、自分の身体の不具合を変に冷静にひとごとのように感じたりしている。

最初にこういう身体の不具合を意識したのは40歳になってすぐの頃だった。
ある日突然、背中の肩甲骨のあたりから首筋や肩の方へかけてズシリと思い感じの鈍痛が絶え間なく襲ってきて我慢できなくなった。それまでかなり無理をしたなと云う時でも、筋肉痛くらいの痛さしかなくて、そういうことはしばらく安静にしていたらいつの間にか治っていたりしていたから、こうして同じ場所で延々と続く痛みがなにか特別の病気の前触れではないかと心配するようになって、それがどんどん自分の頭の中に広がってやたらと良くないことを考えるようになって収拾がつかなくなった。そのくらいになってからやっと人生はじめての整形外科へお世話になった。
「最近、頭痛はしませんか?」とドクターが質問するので、「いえ、それほどでもないですが・・・どちらかといえば、頭が重くてボォ〜ッとした感じはありますね」たしか、そんなふうに答えたと思う。
結局は、背骨を支えている筋肉の疲労が慢性化して、背骨周辺にある神経を刺激しつづけてしまって、その両者の関係が改善しないままドォ〜チャラコォ〜チャラ云々・・・という説明を受けたあと、頚椎の牽引をしようということになって、まるで首つりをするような格好にさせられて幅広の革ベルトのようなワッカヘ顎をのせてそのまましばらくジッとさせられたあと、飲み薬と湿布薬を処方された。
まわりで同じように首を吊っている患者さんはみんな相当のジジババばかりで、なんとも気まずい思いをしながら半日以上も病院で過ごした。
あとになって考えると、その時が老化のスタートだった気がする。その後、あれだけ心配していた鈍痛も知らない間に治っていて、それからあとは、周期的に「来るぞ来るぞ」と何かしらの前兆のような症状が2~3回くり返されて本番がやって来る・・というような具合で、自分の身体からしだいに体力が奪われながら今に至っている。
今回の不具合も、そういう一連の肉体老化現象のひとつだろう。

ノッチのiPhoneが風前の灯らしい。確かに、SNSの写真を見ると、もうほとんど壊れているといっても良いほどだが、さて、その自分のiPhoneの状況を「どうやって写真に撮ったのだろう??」とそっちの方に疑問の先が移ったりしてどうも変な具合だ。
とにかく、そのノッチは、シンガポールを1ヶ月ほど前に出国して、現在香港でアルバイト暮らしをしている。あと2~3週間で帰国したら、そのまましばらく日本で暮すようだ。
ノッチが出国した2年ほど前のことをふりかえると、あの頃の私は若干膝の不具合を感じてそれを意識する程度のことだった。
iPhoneのMacのスティーブ・ジョブズは病床で「自分の代わりに病気になってくれる人を見つけることはできない」と云っている。
自分の身体はiPhoneのように不具合が起きても新品に買い替えることはできないしね。

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色々な出会い 

2016/04/25
Mon. 23:53

現代彫刻小品展がらみの幾つかの書類を清書して、お昼前に石見銀山を出発した。
自宅から浜田までは約1時間ほどかかるから、このまま行けばちょうどお昼休みにぶつかってしまう。貴重なお昼の休憩中にオヤジの用事へつきあってもらうのも職員さんが可哀想な気がしたので、下道をノンビリと走って時間調整をする事にした。
予定通り午後の業務がはじまってすぐくらいに浜田の市役所駐車場へ到着。
市長宛と教育委員会宛の後援依頼をそれぞれ手渡ししてそれぞれ受理してもらった。
これで、受諾通知が来ればいっきに販促原稿を作成して印刷へまわす事になる。

お昼をはさんで移動したものだから、結局昼食が抜きになってしまった。
三度の食事を一食抜いてもメタボオヤジには体力的に何の問題もないが、脳みそが勝手に「腹ヘッタ!」サインを発信しつづけるものだから、その誘惑でオヤジの心が何度かポキッと折れてしまいそうになった。結界君を走らせていると、絶妙のタイミングでラーメン屋があったり、道の駅があったり、コンビニがあったりする。それでも、食欲をグッと我慢して誘惑に耐えながら結界君を走らせていたら、マンマと制服を着たネコに捕まってしまった。通勤時間帯から大きく逸れたお昼のなんでもない時間帯の事だからダレをうらむ事もできない完全なる自分の不注意だった。こうして、毎日のようにアチコチウロウロしていると時々こういう事態に遭遇してしまう。
サインをしながらふと吉田家のネコチャンズを思いだした。きっと今頃あいつらは吉田家の一等地で爆睡していることだろうと思うと、若干イラッとした。
いくらネコ好きの私でも、制服を着たネコは、やはりどうも好きになれない。

江の川沿いを南下して、途中から銀山街道へ合流して飯南高原(いつの間にか「赤来高原」の看板がそれに変っていた)へ向かった。
お檀家さんのおばあさんが「まだかまだか・・」と待っていたお位牌さんを届けた。
山寺の和尚さんは、時々こうしてAmazonの向こうを張って無料配送の宅急便坊主にもなったりするのです。燃料代で身銭を切ったうえに、制服のネコにまでなけなしの1万円を巻上げられて踏んだり蹴ったりの大赤字になってしまった。
少し時間の余裕があったので介護福祉センターへ寄ったら、運良く担当さんがいて、やっと面会することができた。そろそろおかみさんが弱ってきて、ガンコと根性だけでは普通に暮すことも不自由になっているから介護認定の手続きを進めることにした。おかみさんも、普通に素直になればそれなりに手厚い介護サービスが受けられるのに、それを頑なに拒みつづけているから厄介なことだ。色々打ち合わせをして、あとはメールの送受信で連絡をとりあうことに決めた。

気が付けばもう夕方になっていて、自宅の用事も残っているのでので石見銀山へ急いだ。
途中、また猿に出合った。今日の猿は、行儀よく交通ルールを守って車道の右側を歩いていた。その後、いつもはカラスの軍団がたむろしている牧草地へ入ったら、雉の夫婦がヨチヨチと車道を歩いていた。結界君が近づいても飛び立とうともしない。
制服のネコに捕まり、行儀のいい猿や肝の据わった雉の夫婦に遭遇し・・・まぁ、色々な出会いのある1日でありました。

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水清くして 

2016/04/24
Sun. 22:07

自分では特に忙しいとも思わないで毎日を過ごしているつもりなのだが、やはり、少々無理が続いていたのかも知れない。
週末に入って身体の節々が思うように動かなくなってきたからワイフの按摩器を借りたり、古い肩たたきを引っ張り出したりして使っていたのだが、どうもスッキリと疲れがとれないでいる。

せっかくの日曜日だから、「今日は絶対休むぞ!」と心に誓って、久しぶりにプロジェクターをONにした。
このところYouTubeのチェックも遠ざかっていたので、新作の動画が新鮮だった。
アリアナちゃんのノーメークに近いセクシーな動画や、バニーちゃん仮面で歌うアカペラがあって、思わず「聴き入る」というより「見入って」しまった。何時見てもアリアナちゃんは歌も上手いし可愛い。
いつもだったらスピーカーの音をうるさがるワイフが、何も云わないで見逃してくれたおかげで、気がつくと延々4〜5時間もYouTubeを垂れ流していた。

気のせいか、なんとなく身体が軽くなったふうに感じたので、結界君の燃料補給に出かけた。このところ燃料が少しずつ値上がりしていて、満タンにしたら5000円が消えた。
ついでに近所のホームセンターで水槽を物色していたら、なんの変哲もない大きめの水槽が比較的安くなっていたのでカルキ抜きなどのお魚系グッズと一緒に買ったら、ここでも5000円がフッと消えた。
先日、4月に入って久しぶりに仏事でお経を読む機会があって、西国三十三ヶ所の経本をめくり香をくぐらせながら60枚ばかりの塔婆回向をうなって頂いた1万円が一瞬で小銭に変ってしまった。
この弘法大師尊前塔婆回向のおかげでグッピー家族の水槽をリニューアルできた事になって、それはそれでそれなりの「記念の品」というか「祈念の品」になったわけだ。

朝のうちは今日の終日を久しぶりの休暇で過ごそうと心に決めていたのに、少し休んで少し調子が上向くと、水槽の事が気になってどうもジッとしていられなくなって、結局夕方からグッピーの引っ越し業務にとりかかった。
「水清くして魚棲まず」の如きたとえを都合よく念頭に解釈して、ろくに水槽の掃除もしないままほったらかしにしていたから、バクテリアの繁殖には絶好の環境になっている。
灯油の給油ポンプを使ってパコパコやりながら水を入れ替え、水草や砂や石を洗い、活性炭のろ過器を再生し、カルキ抜きを入れて、バクテリアの繁殖した古い水を少々加えて環境を整えながらグッピーの引っ越しを半分ほどすませたところで日が暮れて夜になった。

このところ万善寺への通勤坊主が慢性化していて、水槽の水を入れ替える余裕がないまま時が過ぎたから久しぶりに透明な水に泳ぐグッピーたちを鑑賞できた。
ふと、老犬のシェパ爺と前後して死んだ銀山川の「アカモチハヤ」を思いだした。あのハヤは、劣悪な環境の吉田家水槽で背骨が曲がるほど歳をとるまで長生きした。
小さな水槽を不器用に泳ぐハヤの姿に、寺で不自由に暮すおかみさんがダブって見えた。

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苦悩の日々 

2016/04/23
Sat. 22:59

銀山街道もさすがに昼のうちは周辺の野生たちが出てくる事もないだろうとノンビリ走っていたら、また猿が出た。
私が少年時代の昭和の頃は、猿を見る事など数年に1度あるかないかの珍しい事だった。
それが、ここ近年は1年のうちに何回も目撃するようになって、この一週間では、連日のように全く別の場所で出合っている。
島根県・・というより、銀山街道沿いの事だけかも知れないが、人間が山に入らなくなったからなのだろうか、人の社会の高齢過疎化が進む事にあわせたように野生の目撃が増えているように思う。

順番が回ってきたという訳でもないが、今年は万善寺のある保賀自治会の会計担当になった。
どうせ集金や支払いで地区内を定期的に巡回する事にもなるし、高齢世帯や独居老人も増えて役付きの順番が狂いはじめて地区内の手間も足らないので、二度一を兼ねて上組班長も引き受けた。
連続の役員会議に引き続いて、まずは年度初めの集金や回覧の配りモノをしているところだが、昼のうちは仕事で留守の家があったり、在宅介護の高齢世帯で集金にならなかったりして無駄足も出る。ヘルパーさんへ伝言したりもするが、結局当面立替え払いで乗り切るしかなくて厄介な事だ。
保賀地内で二重生活をしているのは万善寺の吉田家だけだから、私が留守の間におかみさんへ役回りが振られたりして、これまたややこしい事になってしまったりする。
「ワシャ知らん!」でその場を乗り切ってもらえば簡単な事だが、変に気丈にふるまうおかみさんではそういう訳にもいかなくて、内に外に気苦労が絶えない。

おかみさんは、最近急激に気弱になってきた。それでも、昔ながらの生活を忘れられないままよく覚えていて、動かない身体で無駄に無理をする。その無理が高じて余計に身体が不自由になって、それが改善しないまま日に日に悪化する。
やたらとガンコに気丈なこういう悪循環をくり返しながら見る見る老化している。
きっと自分の心がポキッと折れる事が怖くてしかたがないのだろう。自分の弱みを全て息子に投げ出してスッキリと気楽になってしまえば、身も心も今よりはずっと楽になるだろうにと思うが、自分では意地でもそうするのがイヤなのだろう。そうまでして自分で自分をいじめて生きる事へ執着するのも苦労な事だ。
「これからはあんたが仕事を休んで私の面倒を見てもらわにゃぁいけんで!」とか、「こんな年寄りをほったらかしにしてどがぁ思うとるんだら!」とか、「ダレのおかげでここまでこれたと思うとるんだら!」とか、とにかく、私の顔を見るたびに、ひとの事情を無視して自分の優位を押し付けてくる。あきれるほど頑強な精神を死守しているところが凄い。
介護福祉センターの職員さんも、最近はあたらずさわらず一歩引いてしまっている感じだ。
まぁ、それでもほったらかしにできないので来週早々にでも介護相談をしてみようと思う。

こういうことは、簡単にハウツーのノリで片づける事もできないし、まだ当分の間オヤジの苦悩の日々が続きそうだ。
このストレスを彫刻に吐き出したら、さて、どんなかたちになるんだろう??

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通勤坊主の日々 

2016/04/23
Sat. 02:49

連日通勤坊主が続いている。
毎日の事だから万善寺で寝ればすむ事なのだが、なかなかそう簡単にことが進まない。
理由は、万善寺の庫裏に居座るおかみさん。
自分の母親に対して「居座る」とは失礼な言い方だが、寺の住職としてのもう1人の自分にとってはそういう表現がもっとも的確であると思っている。
そもそも今で云うところの「住職」とは、「寺の結界の内に住み暮し、ご本尊様をお守りし、参詣の信者の信心に御仏の名代として接し、仏教の発展と寺院の守備営繕に努めることを主たる目的とした生業(なりわい)職の人・・・つまり、その寺で住み暮す僧侶」のことを云い、まぁ、簡単に云うと「寺に住むことを職業とする人」だと云う訳だ。

万善寺は、禅宗の曹洞宗末寺である。今でも曹洞宗は建前として師弟関係で住職交代がくり返されていて、世襲寺院ではない。だから前住職との交代は僧侶同士の交代となるから、場合によっては僧侶の姓が変る事も当然のことになる。もっとも、今の世の中、田舎の末寺程度で出家得度の師弟関係を結ぶ縁など無いに等しいから、結局本音のところは親子で代を引き継ぐ世襲交代がほとんどなんだけどね。僧侶の妻帯が許されたのも近代になってからの事で、つい昭和の初期までは、住職の遷化がその妻より先であった場合、残された未亡人は次の代の住職にその寺を譲り、自らはその寺を出るか、または庫裏の一部屋をあてがわれて隠居して死を待つかの選択肢しかなかった。
万善寺も、憲正さんの先代までは、そうして未亡人が寺の庫裏で暮す事が許されないまま帰俗して自分の親族を頼る道しか残されていなかった。薄情な一面もあるが、それはそれでそれなりの理屈も筋も通っているような気もする。最近の禅寺に無住が多いのは、こういう世代交代の不具合で引き継ぎが上手くいかなかったせいだという話しもよく聞く。
おかみさんは私の母親でもあるから、無下に寺の庫裏から追い出すなどという事は思ってもいないが、それにしても、ほぼ半世紀のあいだ住職の妻として暮してきた訳だから、自分の立場を少しはわきまえていただきたいと思うところもある。
心優しき正純和尚は、おかみさんの毒舌と世間の冷笑に耐えながら粛々と毎日を過ごしている訳であります。

現在の住職は前住職未亡人の前で小さくなってビクビクしながら暮している。
地域の年度変わりの会合も、終わるのが夜の8時を過ぎ9時になったりすると、庫裏の玄関はすでに施錠されて閉め出される。過去にも何度か車中泊で朝をむかえた事もある。玄関先で大騒ぎをしておかみさんをたたき起こす事もできるが、その後の様々な対応で余計にグッタリ疲れてしまう事がわかっているから、最近では通夜も含めて夜の用事は全て石見銀山の吉田家を起点にして行動することにしている。

そんな通勤坊主の日々、銀山街道の道中はなかなか刺激的だ。
結界君をすっ飛ばしているとたぬきが飛出してきてすぐ前を横切った。それから少し走ると猿がガードレールに座っていた。牧草地ではカラスの大群が道を塞ぎ、その先でつがいの雉がバタバタ飛び立った。打ち止めは、軽く100kg以上はあるだろう巨大なイノシシが結界君の前を悠々と横切った。あと一歩で結界君がクラッシュするところだった。
これは全て、現実の出来事であります。

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ねじれ欅 

2016/04/22
Fri. 14:11

万善寺裏山のねじれ欅(山に自生する雑木でやたらねじれて硬い!)が芽吹きはじめた。
さすがに、もう桜の時期は過ぎたものの、花冷えの寒い毎日が続いていた島根県の山間部で広島県との県境に近い中国山地のてっぺんも、やっと春らしくなってきた。

倉敷児島の彫刻設置が終わってからは、万善寺とその周辺地域で年度初めの会議が続いている。
そろそろ田植えのしろかきもはじまっているから、自治会の会議も日が暮れてから始まる。
ある時は通勤坊主。またある時は通勤彫刻家・・・そんな中途半端な暮しをしている私にとって、この時期の何ともいえない無駄な移動時間のおかげで体力の回復が遅々として進まない。せめて半日ほどもゆっくり休んで近所の温泉で疲労回復でもしたいのだが、それもままならない。

今年度の自治振興会総代会へ出かけた。
万善寺のある保賀地区は他の周辺地区と併せて85戸で集落を形成している。その中で保賀地区は18戸が上中下の3班に別れている。少し前までは20戸以上あった集落も、毎年のように数軒ずつ減少して、その上高齢化も進んでいる。総代会へはそういう事情を背景にそれでも保賀地区から私を含めて役員が4人出席して1人欠席した。保賀地区の現状をみるに、役員の統合整理の見直しは避けて通れない状態だ。
現在の会長は隣の自治会の同級生で、その心安さが災いして吉田が議長に指名されてしまった。そもそも、こういうかたっ苦しい会議そのものがイヤでしょうがない性格で、ことあるごとにそういう状況を避けて過ごしているところへ、今回の議長指名はかなり精神的に萎えた。だからといってことわることも座を長引かせることにもなるし、たったひと晩1回だけの事だから、自分のワガママを飲み込んで議長席へ移動した。
よくある事業や決算の報告と新年度の事業や予算の審議程度の事だからサクサクと採決や承認をとって終わらせて目出度く議長解任となった。

その他の議題で審議が停まってそれからが長かった。
消防団の分団統合による共通理解のこと。
地域の公共交通見直しのこと。
他にも健康診断受診促進や地域の伝統芸能振興のことなど、熱心な議論が続いた。

人の数ほど頭の数があって、頭の数ほどそれぞれの考えがある。それに、それぞれの立場の違いが入り乱れてモノゴドがどんどんややこしくなる。
一歩引いてモノを見渡せば、それぞれの立場なりにそれぞれの正論が理解できるものの、だからといって、無理にそれを通してしまうのも何処かで無駄に摩擦が広がる。
民主主義というものは厄介な事だ。かといって、カリスマの指導者や独裁に期待するのも民意の反映にならない。社会や組織の中で自分の立ち位置を自覚して、そこから逸脱した行動を慎むほどの主体性がほしい。世の中に過度な期待はしない方がいい。社会が平等であるということに期待しない方がいい。既成の概念にしがみつく生き方から自分を開放すべきだと私は思う。

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気楽 

2016/04/20
Wed. 23:22

石見銀山では、最近珍しく好天が続いているので、これ幸いにと吉田家営繕に励んでいる。
その日の天気に合わせて気楽に身の降り様を決められる身分であるからこういう事が簡単に出来てしまうわけで、自分としてはそんな暮しに比較的満足している。

聞く処によると、歳をとって痴呆症になるリスクを軽減できる手段の一つに、人生の幸せ度を上げるという事があるらしい。今の自分が幸せであるという満足度が高い人ほど痴呆症になりにくいという。その研究が間違いでなければ、私など痴呆症になることなどないはずなのだが、こればかりはその時になってみないと分からない事だ。
もっとも、この「幸せ」の定義をどのあたりで解釈するかで、幸せの価値が大きくズレてしまう事も当然の事で、たとえば「お金」を幸せの価値にしているような人には、何故私のような貧乏人が幸せだと思っているのか理解出来ないことだろう。それに、痴呆症対策には脳みそをセッセと使い続けることも有効だというから、夜な夜な金庫の札束をペラペラ数える事も効果的であると言えるのかも知れない。

だいたいがヒマに暮している私だって、たまにはなにかと忙しかったりする事もある。
倉敷から帰って、その疲れも取れないまま、大森小学校の草取り機を修理して納品した。制作者としては、溶接して組み合わせた鉄材があれだけすり減るまでセッセと使ってもらっていることに感動した。制作者冥利につきる。
それから、近所のガソリンスタンドが感謝デーの安売りをしていたので灯油のポリタンクをかき集めて結界君を走らせた。結局財布の1万円札がペロリと無くなった。本当に得になったのか今一つ釈然としないものがあるが、結局は消耗品の事だから仕方がない。
先日の晴れた日に駐車場の草刈りをして、そのついでに下隣の空き地の草も刈っておいたら、その持ち主のおかみさんが礼を云ってくれた。たった10分程度の私の肉体労働くらいのとこで丁寧な礼もいらない事だが、そこが近所付き合いでもあるし、「ありがとう!」のひと言で疲れもとれるというものだ。そのお礼の続きだったのか、ワイフが後になっておかみさんから畑の野菜をわけてもらったそうだ。
駐車場の上隣の空き地も草が伸びているから、「アッチも刈っておかないとダメよ!」などとワイフが云いだした。自分としては「別にそこまでしなくてもいいだろう・・」と思ったが、ワイフの近所付き合いもあるだろうからと、ワザワザそのためだけに草刈り機に給油をしてひとしきり振り回した。こちらの空き地は下隣の4倍くらい広いから30分近くも振り回していただろうか・・・持ち主のおばあさんには草刈り機の音が絶対聞こえている筈なのに、何の音沙汰もない。最初から見返りを当てにして何かをしている訳でもないからどうでも良い事だが、人は人それぞれで、世間とはこういうものだ。

それから、ストーブ用の薪を割ってしばらく駐車場で乾燥させておいたものを土間へ移動した。丸太のままで積み重ねるとそれほど場所も取らないが、それを割り木にすると途端に場所を取る。そもそも、全体の質量は同じ筈なのに面白い。形や大きさの違う薪の噛合せが微妙な隙間をつくって、その隙間分が少しずつ増えるからだろう。1本の丸太から10も20も薪に割ると、それだけでいっきに表面積が増える。
人も脳みそも隙間ができ過ぎるのも良くないが、丸太が良いと云う訳でもないし・・・難しいことだ・・・

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鷲羽山の彫刻 

2016/04/20
Wed. 10:26

倉敷の水島から児島方面へ出かけた。
日本第一熊野神社境内に設置してある私の彫刻を児島の鷲羽山レストハウス展望台へ移動するためである。

寄り道をしないで往復すると片道3時間かかる。
彫刻移動の作業はだいたい4時間もあれば終わるだろうから、一日10時間労働ということになる。
ワイフが仕事を休んでくれたので心強い!・・・が、そのかわり途中の道の駅各所のお買い物があるので、それで都合2時間くらいは余分にかかるだろうと予測していたら、それが見事に的中した。

早朝6時30分に石見銀山の自宅を出発。
9時30分に熊野神社境内へ到着。
彫刻移動をして、設置を完了したのが午後の2時。
それから遅めの朝食をとって午後3時30分頃鷲羽山を出発。
道の駅を数ヶ所経由して石見銀山へ帰宅したのが午後7時だった。

ザブッと風呂に入って汗を流して夕食で慰労の一杯をやった。
四畳半へ移動して、彫刻移動の記録で写した写真を整理しようとG12を用意して準備万端。
チョットだけ1日をウエブニュースでおさらいしておこうと、ラップトップをつついていた・・・と、そこまでは記憶しているが、いつの間にか爆睡してしまっていた。
耳元でクロがフギャフギャ鳴きはじめてそれがうるさくて目覚めたら、なんとすでに世が明けはじめて世間が明るい。
SDカードがラップトップへ刺さったまま開きっぱなしのモニター画面は真っ暗。
昨夜ひと晩が完全に私の記憶から抜け落ちてしまっていた。
やはり、一日の疲れがそうとうに溜まっていたようだ。
首筋と腰がやたらと重くて痛い。
そろそろ老人の域に達しつつある我が身を、もう少しいたわるか、またはもう少し鍛え直すか、思案のしどころである。

今朝になって浜田こども美術館の館長さんから公益財団法人の後援受諾通知をいただいた。
自分の彫刻のことや万善寺のことでしばらく現代彫刻小品展の業務が抜け落ちていた。
春の連休に入ったらまた色々なイベントが続くから今のうちに展覧会の開催事務を進めておかなければいけない。
ちょうど1年ほど前の今頃は、憲正さんの体調不良が悪化して入院の介護が続いていた。その反動でもないが、今年は年明け早々彫刻がらみの移動が頻繁に続いて、一人残されたおかみさんが淋しがってしがみついてくる。これも、ひとそれぞれ人生の巡り合わせであるから避ける事も出来ないことだ。
ある日突然何が起こるか解らないままに漫然と毎日を過ごす訳にもいかない。
日々是好日・・・自分の都合を世間のせいにしてしまわないように気を引き締め直そう!

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まっちゃんの悲鳴 

2016/04/18
Mon. 23:57

ワイフは満寿美という名前で島根県を代表する女流彫刻家である。
私は、まだ結婚する前から彼女の事を「まっちゃん」と呼んでいて、それが今でも続いている。何故「まっちゃん」と呼ぶようになったか、それを話せば少し長くなるのでまたの機会にしておく。
朝から、そのまっちゃんがらみのひと騒動があった。

週も変って世間が動き始めたから、午前中は彫刻家の事務所兼万善寺の寺務所にしている自宅の四畳半でデスクワークをすることにした。
前日の薪割りが応えて、やたらと腰や肩が痛いのを我慢しながらラップトップをつついていたら、突然ワイフの悲鳴が狭い吉田家に響きわたった。
それはそれはものすごいハイソプラノの悲鳴で、それに続いて「シロ!ヤダァ〜!!」と叫びはじめた。
シロが何かやらかしたようだ・・・と、その程度の事で私までドタバタするのも面倒だからそのまま無反応を通していたら、「しょうちゃぁ〜ん!きてぇ〜!はやくぅ〜!」と、ついに悲痛なソプラノで私へ救いを求めてきた。
「どうした!!まっちゃん!どうしたの!?」
こういう時にモタモタしていたら、後になってあの時はどぉ〜したこぉ〜したと根に持たれる事も多々あるから、迅速な対応を心がけるようにしている。
「シロが鳥くわえてるぅ〜〜!なんとかしてぇ〜!」
そういえば、四畳半の隣の部屋や土間のあたりでシロがゴソゴソやってたなぁと思い当たったが、まさか鳥を狩り捕ったとは・・・なかなかの野生の動体視力と身体能力である。
「シロは何処だ?」と聞いてもうろたえるワイフはとっくにシロを見失っていて、かわりにこれで何とかしろと買い物のポリ袋を手渡された。
それで、ポリ袋を受け取って狭い吉田家を探し回ったら、ワイフの衣裳ハンガーの裏に隠れているシロを見つけたが、捕獲された鳥は何処にも転がっていない。
結局、数枚の羽根とフワリと微風に舞い上がる少しの羽毛を発見しただけだった。
一瞬、シロが何処かの部屋の隅でその鳥をバリバリ食べ散らかしている光景が目に浮かんだが、はたしてあの小心者で甘えん坊のシロが、そこまで野生に目覚めるものだろうか?

二人でお昼ご飯を食べていたら、頭上で何かが動く気配を感じた。見上げると何かが視界をよぎった。「まっちゃん、何かいるよ!まっちゃんの上の方に何かいるって!」二人で天井を見上げると、梁の上で何かが動いて、それが飛んで天窓へぶつかった。「まっちゃん!ツバメ!ツバメだよ!」・・シロに捕獲されたのはツバメだった。
それにしても、何とのろまなツバメだ。鍵シッポのシロに捕まるとは・・・
シロは・・・パクリとくわえた鳥も、甘え噛み程度ですませて戦利品を大好きなワイフへ見せに来たようだ。それをワイフが叫び狂って、ビックリしたシロは取り逃がしてしまって、私に叱られると思って部屋の隅に逃げ隠れたのだろう。
九死に一生のツバメは、天窓を開けたらそこから飛んでいった。
シッポの羽根を何枚かシロにむしり取られた程度で済んだようだが、これからは普通に上手く飛べなくて苦労するだろう。それが少し心配だ。

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日曜日の石見銀山 

2016/04/17
Sun. 21:18

4月に入ってはじめて吉田家で日曜日を過ごした。
坊主をしていると、休日に法事や仏事が入る事が多いから、世間で云うところの土日は、万善寺で坊主営業をしている事が多い。
3月末はお彼岸でドタバタしていたし、そのうえ、先週は銀座での彫刻グループ展があったりしたから、自分としては久しぶりに吉田家で過ごす日曜日だから、朝から何もしないで一日くらいゆっくりと過ごしたいなぁと思ったりしたが、ワイフの冷ややかな視線が朝のうちから何度となく突き刺さってくるし、テレビでは地震の報道ばかりで気持ちが荒んでくるし、結局何かしない訳にはいかない状況になって、ツナギの作業着を着る事にした。

駐車場の周囲を富山から頂いた薪で埋め尽くしているから、そろそろ撤収もしておかないと、自治会長さんを経由してどこからか苦情が返ってくるかも知れない。その前に少しでも薪を割って片づけておいた方が良さそうだから、今日は朝から夕方までほぼ1日中石見銀山吉田家の営繕に努めた。
石見銀山は世界遺産になってから一応観光地になっている。
駐車場に道具一式を広げて薪割りをしていると、町内の知人や観光さんなどが頻繁に声をかけてくる。声をかけられる側の私は、なかなか落ち着いて仕事に集中できないまま適当に会話をまわして相手をしながら作業を続ける事になった。
お昼前に、ほぼ1年ぶりの再会になったTさんが声をかけてくれた。これから近所のショップで金接ぎのワークショップがあるのだそうだ。久しぶりに逢ったから、お互いの近況を情報交換した。「年寄りって何であんなにワガママでガンコになるんだろうねぇ??」何て云う話題で盛り上がってしまった。せっかく久々の再会だったのに「そんなネガティブな話題しかないのか?・・」と一瞬気持ちが萎えたが、ようするにTさんも私も親の介護で色々と悩み多き毎日を過ごしているのだという事がわかって、若干の気休めになったような気もする。「結局は、自分の親だから、出来るだけ自分で責任をもたなきゃいけないよね!」というところで同意を得て、なんとなく現状の共有が出来たような気もして、少しほど気楽になれた。
短時間の昼休みをはさんで作業を再開してすぐに、「なにやってるのぉ??」と、可愛い女の子が稼働中の薪割り機を目指して走ってきた。そのまま作業を続けるのも危ない気がして「おじさんちは、冬になって寒くなってもストーブの油が買えないから、この木を燃やして暖まってるんだよ」などと、小さな女の子相手にやたらと卑屈で自虐的な回答をしたりしていたら、お母さんがやってきた。先ほどの会話を聞かれたかも知れないと少し恥ずかしくなって、大人の世間話に切り替えていたらそのうちお父さんが合流した。吉田家前の彫刻が気になったようで、そのことに話題がそれたところで、「ヒョッとして油絵を教えてもらった吉田先生じゃないですか?」などとお父さんの方が突然云いはじめた。たしかに、昔々は近所の高校で美術を教えていた時もあったから、そんなところから探りを入れてみると、「ボクOといいます。覚えてないですよね。あの時描いた油絵まだ家にありますよ!」などと、盛り上がってきた。ハッキリ言って、彼の顔を全く覚えていない。
自分の物覚えの悪さを反省しつつ、現在の名刺を渡してその場をごまかしてしまった。
観光地でもある石見銀山で休日の作業は出来るだけ避けた方が良さそうだという事がよく分かった。これからは、日曜日は工場で彫刻を造る事に決めた。

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山寺のいち日 

2016/04/16
Sat. 20:39

「今日もいい天気だなぁ〜・・」と思いつつ、「外仕事がはかどるだろうなぁ〜・・」と思いつつ、石見銀山から結界君をすっ飛ばして万善寺へ向かった。
7回忌の法事が2つと、50回忌が1つの計3つの年回法事をひとつにまとめて上げ法事をお願いされたので、それで万善寺へ急いだ。

施主さんは、先代が亡くなった時に代替わりをして今に至っている。
その先代の頃から、年回法事というと比較的サクッと済まされるようなところもあったが、代替わりのあとは、それが益々簡潔でシンプルになった。だからというわけでもないだろうが、このたびも法事の後は墓参を済ませてそこで解散。斎の膳は、現物支給だったり膳料だったりで法事終了となる。
私としては、今どきの事なので「こういうご法事も有り!」だなと思っている方だから、お互いに変にかたっ苦しい礼儀も必要がなくて楽に済まされるところがありがたい。それに、音信不通のまま年回をスルーしてしまう施主さんよりはずっと信心深いところも感じられて好感が持てる。
憲正さんのころは、なかなかこういう訳にもいかなくて、法事が終わって万善寺の庫裏へ落ち着くと、年寄り夫婦のお茶飲み話でさんざんの悪口が飛び交っていたものだ。
「最近の法事は全くやりかたがなっとらん!!」と憲正さんが愚痴れば、「アノ家のご主人はどぉ〜とかで、奥さんがナントカで、親戚の誰かさんはどぉ〜ちゃらだから、それでみんながアァ〜だコォ〜だ、云々・・・」などとおかみさんが追い討ちをかけで、それをつまみに二人でお茶をズリズリ飲んでいるような事が多かった。

そもそも、数ある宗教行事や宗教事情のたった一つの年回法事で家計を支えている田舎の末寺山寺の坊主というものは、どんな些細な仏事でもありがたく承ってハイハイと乗り切ってこそ、薄謝の収入に繋がって自分の生活の支えになっている訳だから、そういうありがたい仏事依頼は二つ返事でニコニコと請けあってナンボのもんだと思うのだ。
お経を触媒にして日頃の宗教観や人生観を自分の言葉で伝えられるし、それによってささやかながらの意志の疎通もはかられることが無い訳でもない。今どきの宗教活動はそういうこまやかな気配りの積み重ねで細々と継続できているようなところもあって、それはそれで大事な事だと思っている。

自宅前の石見銀山の町並みは、いつになく強い日差しが眩しかった。
ワイフが気を利かせてネコチャンズにリードをつけて朝の石見銀山へ遊ばせていた。
光のコントラストが夏めいている。
つい先日まで桜が咲きつつも肌寒い毎日が続いていた事がウソのようだ。
石見銀山の若いウグイスが鳴いている。
久しぶりに聞いた鳴声はずいぶんと上達していた。
そういえば、東京の一週間があったせいか、今年の石見銀山の春はいつの間にかアッという間に終わってしまったような気がする。
銀山街道のアチコチで水田にひかれた用水が光に反射して周辺の風景を逆さに写している。
島根県は、これから本格的に春の農繁期がはじまる。

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富山の野外彫刻 

2016/04/16
Sat. 13:25

吉田正純の超主観的個人ブログをお楽しみ(?)のみなさま、お待たせ致しました!
1日ほど、ブログの更新が途絶えてしまいましたが、これは単純に私のパソコン管理ミスが原因でありました・・・といっても、重大な故障でもなく、ラップトップの充電切れで万善寺にいる間中、使用不能状態になっていただけのことです。

昨日の石見銀山一帯は久しぶりの好天に恵まれた。
時間講師で吉田家の家計を支えてくれているワイフが、珍しくのんびりとした朝を過ごしていて、何となくそれにつられてゆるやかに過ぎる朝のひと時を向かえている・・というわけにもいかない状態でテレビの情報番組を見続けていた。
熊本県を中心に大きな地震が起きたので、その後の状況が心配だったからだ。
私にとって、熊本は忘れられないたくさんの思い出がある場所だ。
まだ日本中に焼酎ブームが広がるずっと前、熊本市内の飲み屋へフラリと入って、そこで始めて飲んだのが「白岳しろ」。これがなんともサッパリしてとても美味しい。
島根に帰っても、しばらくその味が忘れられなくて、近所の酒屋へ問い合わせたが全く情報が入らない。結局、ラベルの連絡先を頼りに直接問い合わせをしたら、山陰方面へは一軒だけ鳥取の酒屋さんへ卸しているだけだと回答があった。その酒屋へ問い合わせたら、商品の発送注文は受けていないといわれた。やはりあきらめられなくてまた白岳へ連絡したら、それじゃぁ一箱単位で注文されたら送ってあげようということになって、それから当分の間そういう注文のやりとりが続いた。今のことだったらAmazonとか楽天とかアスクルとか、全くストレス無く手に入っただろうが、当時はそういう手段もなかったから、かなり苦労して焼酎を飲んでいた。
熊本城のスケールにも圧倒されたし、阿蘇山の近くにある地ビールも美味かったし、しろをチビチビやりながらの馬刺も美味かった。
とにかく、まだ子供が小さかった頃の家族旅行は、何度となく九州阿蘇熊本方面をめざしていた。

せっかくの好天で、いつまでもテレビにかじりついているわけにもいかないし、ワイフより一足先に自宅を出て、彫刻イベントでお世話になっている富山へ向かった。国道から富山への入り口で山陰道の延長工事が続いていて、現場到着に予想以上の時間がかかった。
島根在住の金属彫刻家は珍しい。周藤豊治氏と私くらいのものかもしれない。
その周藤豊治氏の野外彫刻が設置してある耕作放棄地の田んぼを草刈りした。いつもなら、もっと伸びてから刈っても良いところだが、その場所はイノシシの遊び場になっていて、あまり草が伸びすぎるとイノシシの掘った穴に足を取られて予想以上の重労働を強いられる。すでに昨年の秋にそういうことを経験済みだから、今回は少し早めに草刈をしてみた。
石彫作家の石川隆さんの彫刻は、ちょうど周辺の草が黄色いカワイイ花を咲かせていたので、その時期が過ぎるまで草刈を遠慮した。もう一人の石彫作家堤一彦さんの彫刻は、すでに草刈が終わってきれいになっていた。枯れ草のくずがビッシリと彫刻に張り付いたので、彫刻の拭き掃除をしておいた。
こうして今年も、野外彫刻のメンテナンスを続けながら秋開催の彫刻イベント準備がスタートした。

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姫路道中記 

2016/04/14
Thu. 23:26

もう、かれこれ半月ぐらい前になるだろうか・・・姫路を拠点に創作活動を精力的に続けていらっしゃる彫刻家から個展のお知らせが届いていたので、ワイフの仕事休みを調整して早朝から二人で石見銀山を出発した。

石見銀山から姫路までは、最近開通した無料区間の自動車道を尾道まで使って、そこから山陽道へ乗り換えて都合約5時間かかった。
ワイフのファンカーゴには燃料が半分しか残っていなかったから、早朝の街道を24時間営業のガソリンスタンドを探しつつ走る事になってしまって、少しばかり遠回りをした。
おかげさまで、自動車道へ乗り入れる道の角にそれを見つけてやっと給油する事が出来た。
自分が何時も乗っている相棒の結界君だったら、だいたい残りの燃料でどのあたりまで走行できるか予測できるのだが、やはり他人の車はその判断が難しくてやっかいだ。
まぁ、そんな感じで一日が始まったわけだが、吉田家の場合はこういうこともだいたい何時もある事だからドタバタと大騒ぎするほどの事でもない。
Googleのナビゲーションを頼りに姫路の市街地へ入ったら、やたらとマニアックな土地っ子しか知らないような細い路地などを案内されて大変な思いをした。
会場のすぐ目の前に姫路城が見える。前回姫路を通過した時はまだ改修工事の最中だったから、はじめて天守閣の勇姿を近くで見る事が出来た。そのまた近くには美術館もあって、姫路の文化レベルの高さを間近で感じつつ展覧会場へほぼ予定通りに到着した。

会場へ入ると、版画やドローイングが少しあって、20号程度の絵画が20点くらいと大理石彫刻の小品が5〜6点展示してあった。
絵画は中南米の取材旅行が主なモチーフになっていて、色彩や構成も比較的解りやすい表現に好感が持てた。この30年以上、彼の彫刻しか見る機会がなかったから、具象を想起出来る優しい感じの抽象的表現でまとめられた絵画はある意味新鮮であった。それに、抽象彫刻の原点のような構成が随所に感じられて、作家のブレない造形の方向性が確認できたような気もして良い勉強になった。
1年に1回の発表で集う東京の展覧会だけで出合う1人の作家の1点の彫刻は、30年継続しても結局断続的に30点しか観ていない事になる。たった30点程度の彫刻で作家の表現が理解出来る訳もなく、そういう底の浅い希薄な付き合いをこの30年間してきたという事がわかる。そんな彫刻の付き合いで作家や作風の造形についてアァーだコォーだ偉そうな事など云える訳もない。
1回の個展でその作品群の前に立つと、その個展がその作家にとってどれだけ重要な自己表現のライフワークになっているかという痕跡が一目で見渡せる。

「そろそろ、また個展を思いついてもいいかな・・・」と思いつつ、「ワイフと二人展もいいな・・」とも真剣に考えながら帰路についた。
せっかくだから、3月から彫刻を置かせてもらってお世話になっている倉敷の熊野神社さんと造り酒屋さんへ途中寄り道をした。都合よく関係者との打ち合わせも出来て、来週には設置の彫刻移動で再度倉敷へ向かう事になった。
これから5月の連休が終わるまでアチコチと彫刻がらみの巡業の旅が続く。

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贅沢三昧 

2016/04/13
Wed. 23:52

午前中の法事を終わって、仏具屋さんを経由して石見銀山へ帰宅した。
ワイフはすでに帰宅していて、「ただいま!」と声をかけると四畳半から疲れ切った寝ぼけ声の返事が返ってきた。

寺を出発する時は降っていなかった雨が、仏具屋さんを出る頃から降り始め、斐伊川土手では本格的になってきた。
出雲の西から国道へ合流して、久しぶりの日本海を右に見ながら結界君を走らせた。
国道沿いのガソリンスタンドが軒並み価格を上げている。日本の田舎の底辺で暮す庶民の一人として、毎日の生活に密着した自動車の燃料代は上がろうが下がろうが無くなれば給油するしかないわけで、ダイレクトに家計を刺激する。

そろそろ就職を考える時期になったキーポンに、「学割が使えるうちに免許とっておいたほうがいいんじゃない?」と何度か云ってきたが積極的な返事が無い。
長男のじゅん君や長女のなっちゃんは、高校を卒業する前から「免許が欲しい!」とか、「免許とるから!」とか大騒ぎして親の家計を圧迫した。
じゅん君に至っては学生になって間も無く、友人の伝手を頼って勝手に中古車購入の段取りをつけたりして、数々の書類やもちろん高い買い物の現金授受で親はひたすら振り回された。
あの頃をふりかえると、高校生の3年生になったら進学も就職も関係なく自動車免許を取得する事が当たり前だった。たった10歳の歳の差で、ここまで自動車免許に対しての執着心に違いが出てくることに驚かされる。

先週末まで一週間ほど東京暮らしをしていたが、確かにああいう都会の交通の便利な暮しを続けていると、かえって自家用車など持たない方が身軽でいられる。
もっとも、一週間のギャラリー通勤の往復で使ったスイカは3度もチャージをして、軽く1万円を越えてしまった。
そのことを思うと、交通の便利さを金で買っているという事を実感する。
移動の距離にもよるだろうが、私のような自営業は自分の旅費も自分で捻出しなければいけないから、それはそれで厳しいものがある。
免許を持たないで公共交通に身をゆだねるか、免許を取得して自家用車を乗り回すか、判断に苦しむところではあるが、それも結局、稼ぎが良くて家計にゆとりのある高所得者の皆さんには縁のない悩みでもある。まぁ、彼等の悩みどころといえば自家用車の車種を決める時ぐらいの事だろう。

昨日はおかみさん転院主治医交代祝いで島根和牛の焼き肉を一握りほど奮発したばかりだったが、それにひきつづいて、本日は「安くなってたの♡」と高級豚のしゃぶしゃぶ!
2日間に渡っての贅沢三昧で胃が少々びっくりしている。
こういう食生活が出来るのも、なにごともいいかげんで適当に都合よく暮す在家坊主であるからのこと。
偉いボォーさんでなくて良かったなと思ったりする今日この頃なのです。

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椿の古木 

2016/04/12
Tue. 20:48

いつの頃からか弱って、いまひとつパッとしないまま、冬の雪の重みで腐った太い枝木が次々と折れてみすぼらしくなっていた椿の古木が、今年は狂ったように真っ赤な花を咲かせている。

おかみさんが年に数回ほど境内にまいている枯葉剤の農薬が長い年月で庭木の幾つかを弱らせている事は、たぶん間違いないと思っている。
椿の前は、本堂東にあった椎の巨木だった。桜が跡形もなく枯れたのはその前くらいで、またその前に生死の境を彷徨ったのが百日紅だった。いずれも私が学業で万善寺を離れてから後のことだった。その後ほぼ枯れていた百日紅は、私が島根へ帰って子供が生まれて、まだかろうじて花を咲かせていた枝にブランコをつるした頃から少しずつ甦って、夏になると細々と花を咲かせながら今に至っている。立ち枯れは回避したものの、残念ながらしばらくしてブランコの枝は枯れて折れた。百日紅が弱った少し後から、境内の2本の松が瀕死の状態になってしまった。その年の夏の終りから秋の初めにかけていっきに松葉が紅葉して落葉した。その時も、おかみさんは原因が自分の散布し続ける枯葉剤農薬だとは全く気付かないまま、お盆前の庭履きの手間を軽減する目的でセッセとまきつづけていた。
前住職が遷化したのが昨年の6月で、おかみさんはそれでいくぶん気落ちでもしたのか、境内の手入れを全くしなくなった。私の寺暮らしが増えた事で、境内の営繕が頻繁になったからかも知れないが、とにかく庭草がすぐに伸びて、本堂と庫裏のグルリを西から南東北と移動している間に、また西の草が伸びているという状態で、夏から秋にかけては雑草の後を追いかけながら草取りをして暮した。
今こうして満開の椿の古木を観ていると、昨年の私の境内営繕の成果かも知れないと勝手に思ってしまうようなところが無い訳でもない。

今日は朝からおかみさんの通院につきあった。
前回の定期通院でドクターの助言もあって、病院を変える事をやっと承知してくれた。
それで、今回は初診扱いになって憲正さんが通いつづけていた病院へ連れて行った。
4月から新任のドクターは女医さんで、彼女がおかみさんの主治医になってくれた。
おかみさんの止めどない長話に延々とつきあってくれて、そのわりにあまり多くを語らないまま、診察の間中とてもいい感じで年寄りにつきあってくれた。
息子の私としては、前の主治医のように年寄りを相手にやたらと専門知識を語りつづけ、脅しをかけて摂生を則すようなタイプの人だったらどうしようとドキドキしていたが、受診のしぐさを通しておかみさんの脳の認知度をおおよそ把握して、心配を誘発しない程度の助言に留めてもらったことがとてもありがたかった。
それでなくても、偏屈な健康オタクのおかみさんへ、「肉はだめだ!」とか「塩分は控えろ!」とか云いはじめたら、三度の食事で食べるものが無くなってしまって、いっきに栄養失調!・・・息子としては、それが心配だった。
メデタシ!ということで、島根和牛と地元豚と新タマを焼き肉でふるまった。
「花が落ちて庭が汚れてやれんがの!」
結界君の助手席から元気に満開の椿を観て、おかみさんがそうつぶやいた。怖い怖い・・

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花冷え 

2016/04/11
Mon. 22:09

吉田家が暮す石見銀山のど真ん中にある大森小学校は、本日が入学式だった。
私は、石見銀山で一・二を争うほどの暇人なので、
「少しくらいはお前も地元に貢献しろ!」
と、小学校の評価委員なるものを仰せつかって10年くらいになるだろうか?・・
それで、毎年入学式や卒業式に来賓で出席させてもらっている。

今年は、新入生1名!そして、来賓は私も含めて15名くらいはいたと思う。
私以外は町内外のそうそうたるメンバーで、児童委員のワイフも来賓で出席していた。
小学校の全校生徒は確か16名くらいだったから、来賓の出席率がどれほど高いかという事が分かってもらえるだろう。
大森小学校とそこに通う子供たちが、それほど地域から愛され地域の宝物とされているかがひと目で分かる。

石見銀山は、このところ花冷えが続いていたらしい。
私は昨日まで一週間ほど東京暮らしが続いていたが、そちらもぐずついた雨空が続いてやたらと冷え込んで寒かったから、そのおかげで桜の見頃もしぶとく長続きして展覧会のギャラリーへの道中はそれなりに花見を楽しむ事が出来た。
同じ評価委員職で来賓の社長夫人とたまたま隣り合わせになったから、そんな話をしていたら、石見銀山の桜は入学式を待たないで散ってしまったと嘆いていらっしゃった。
確かに、校舎の窓の外の桜は見事に葉桜に変っていた。

ワイフは午後から中学校の入学式へ出かけた。
私はおかみさんの通院の予約日が迫っているので、念のために寺へ移動しておく事にした。
途中、スーパーを経由して食料を買い込んで寺の境内へ結界君を乗り入れると、ちょうど夕方の時の鐘を撞く時間だった。
破れ鐘を撞いて庫裏へ声をかけると、何時も話し相手になってもらっている近所のおばさんがお茶を飲んでいた。息子の私には、なかなか言うことを聞いてくれなくてワガママを通すおかみさんも、近所の他人にはやたらと愛想を振りまく。それでも、一人で庫裏に引き篭もっているよりはマシだから、おばさんの訪問にはずいぶん助けられている。
夕方から夜にかけて万善寺へ数回電話がかかってきた。その度におかみさんが応答して何かやりとりをしてすぐに電話を切っていた。話を聞くと中国電力かららしい。
この時期の頻繁の電話は、口座の残高不足かもしれないと察したが、おかみさんにはそういう心当たりが無いから詐欺電話か何かと勘違いしているようだ。先代住職の口座から名義変更しているから、いずれは私を名指してくるだろうと思っているが、おかみさんのおかげで、こういう万善寺の事務処理の不具合が増える一方で悩まされる。
一人暮らしのおかみさんが、朝目覚めてから夜寝るまで、ほぼ15時間以上もエアコン暖房をつけっぱなしにしているから電気代が3倍くらいになるのも当然の事だ。この冬の光熱費が吉田家の家計に大きな打撃を与えている事をおかみさん本人は知らない。
息子はセッセと薪割りで汗を流し、母親はセッセと30年前のエアコンを使い続ける・・・この庶民の暮しの不条理は、解決の糸口もみつからないまま当分続きそうだ。

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戒名 

2016/04/10
Sun. 23:02

朝の7時前に高速バスを下車。
約12時間のバスの旅で身体中の関節が悲鳴をあげている。靴を履こうと思ったら、足の甲が浮腫んでパンパンになっていた。
駐車場には、結界君が朝露に濡れながらひっそりと待っていてくれた。
キーを回すと一呼吸置いてエンジンがかかった。さすがに、一週間ほど動かないでいるとバッテリーのパワーが落ちている。
交通安全の桃太郎旗がいたるところではためいている。そのわりにはパトーカーの姿が見えない。島根県警のお巡りさんたちは、みんな揃って日曜日がお休みのようであります。何とも真面目な事であります。

途中、眠気覚ましにコーヒーを仕入れて石見銀山の自宅まですっ飛ばした。
帰宅するとワイフが裏庭で咲き乱れる春の花を摘んでいた。
旅の荷物を取り出して、洗濯物をドッサリと洗濯カゴへ移してワイフの仕事を増やした。
すぐに風呂へ入って旅の疲れを落として一週間ぶりに頭へバリカンをあてた。
湯船に浸かっているとフッと意識がなくなって自然に目が閉じる。そういうことが断続的に通いて、何度めかに目が覚めたらすぐ目の前にクロの顔があってビックリ!
思わず風呂で溺れそうになった。

東京行きの荷物を取り出したコロコロに衣などの寺グッズを詰め替えた。
昼前には寺の三畳で戒名を書かなければいけない。
途中の農協スーパーへ寄って、白木の位牌を2つ買って万善寺へ急いだ。
今年の1月2日に東京で亡くなった記録映画の監督さんの戒名を考えた。
島根出身者は、けっこう色々な業界にまんべんなくそれなりの実力者がちらばっている。
その監督さんもその筋ではなかなかの人だったが、やはりお金にはあまり縁が無かったようで、映画1本を制作するのにとても苦労していらしたらしい。
彫刻の制作費で苦労している私と何処かしら似たようなところもあって、それに私も大の映画好きだったりするから、なんとなく親近感を持ってしまう。
何かと苦労の多い人生だったようで、最後は友人葬の告別式だけですませて荼毘にふされたということだ。
それから3ヶ月以上、納骨もされないままの遺骨がそのままになっていて、田舎の親族としては気になってしょうがないものだから、思いきって万善寺へ相談してみようと云う事になったらしい。
それが、彫刻のグループ展で東京へ出かける前の事だった。
心配しているおばあさんに色々聞いていると、数年前に亡くなった奥さんの遺骨もそのままになっているという事がわかった。
最近・・・というより、都会の方は、田舎の山寺の坊主が思っている以上にずいぶん前から急激なスピードで葬式離れが進んでいるようだ。
都会ではお葬式や墓地などの仏事にからむ諸経費がやたらと高額なのだそうだ。
戒名もないまま放置されている遺骨の存在を思うと心が痛む。
「戒名」は、産まれた子供へ名前を付ける事と同じ意味を持つと聞いて坊主を務めている。
お金で戒名を売り買いする連中がいるという事がそもそもの間違いなのですよ。

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銀座最終日 

2016/04/09
Sat. 08:11

展覧会最終日の夜が明けた。
天気をチェックしたら、久しぶり・・というより、はじめて終日降水ゼロの晴れになっていた。
とにかく、この一週間の東京はよく雨が降った。

石見銀山の朝は、新聞配達の軽ワンボックスのエンジン音からはじまる。
夜明けも早くなって、ウグイスの若鳥のヘタクソな鳴声が石見銀山の谷間に響く。
吉田家の裏庭の方でヒヨドリが鳴きはじめ、玄関先の町並みの方ではセキレイが鳴きはじめる。
万善寺の朝も似たようなものだが、一番朝が早いのは例の保賀の谷に暮す夫婦のカラス。
今日のようないい天気になると、けっこううるさく鳴きあいながら朝の情報交換をしているはずだ。
保賀でも、まだ桜が咲く前から若いウグイスがセッセと鳴声の練習を始めていた。
それから国道を走るトラックの走行音がうるさくなりはじめる。
こんな感じで、朝の世間が賑やかになって、それを聞きながら少しずつ覚醒する。
さて、東京はというと・・・
今朝は、やたらと大きな声で会話する男二人の笑い声で目覚めた。
それから犬が鳴きはじめ、それがしばらく続いているうちにバイクのエンジンがすぐ近くでかかった。
犬の鳴き声に暖気運転がかぶさって、そのバイクが何処かへ走っていったら、朝のラジオが聞こえてきた。
いつもの耳鳴りが全く気にならないほど世間が賑やかで、もう完全に目が覚めてしまった。
さすがに東京の朝は違う。こういう環境で普通に住み暮している皆さんを尊敬する。

昨日の朝に、布団の中でプチプチとラップトップをつついてF.Bへ展覧会の写真を載せた。
会期スタートの頃は、出品作家の数人が会場風景を早々とSNSに掲載していたので、私までそれにたたみかけることもないだろうと静観することにした。
そのうち自分の周囲のSNSが落ち着いて、桜のことや出先で食べた食事のことなど、日常の個人情報公開が増えてきたので、そろそろ良い頃かなと判断して、朝のひと時をウエブアップの時間に置換えた。
結局1日の間に、30件ほどの「いいね」があって、「いけたら行きます!」とか、「東京にきてたんですね?」とか、「会場へは何時くらいにいるの?」とか、まぁそのような連絡がメールや電話などで入ってきた。
そんなわけで最終日の本日は、きっと吉田の友人の何人かは会場へ訪ねてきてくれることでしょう。
昨日は、島根に引きあげて以来、疎遠が続いていた古い古い知人が数十年ぶりに訪ねてくれたし、ワイフの学生時代の友達も来てくれた。
こうしてマメに何かの広報告知をしておくと、吉田の彫刻を観にきてくれる人がいないわけでもないし、とにかくありがたいことだ。
そういうことがあるから、彫刻を造り続ける意味や価値があると思う。

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ちょうどいいかげん 

2016/04/08
Fri. 23:43

何かと敏感過ぎるのもやっかいだが鈍過ぎるのも疲れる。
適当にちょうどいいかげんにゆるくぬるく乗り切ればいいのにと思うが、やはり結局はそれを決め込むのもなかなか骨が折れる。

東京暮らしを振返ると、肉体的にはやっと暖機運転が終わったくらい。精神的には疲労困ぱいパワー切れ・・といった感じだろうか・・・
とにかくこの一週間は、よく動きよく話しよく考えよく食べよく飲んだ。

今日は昼過ぎくらいの出勤でもいいかなと勝手に自己判断してゆっくりと銀座へ向かった。
面白いもので、こういう特に定まった目標もなく決められた時間もないゆるいノリの時は、気持ちや肉体の余裕もあって無駄に打算が働かなくて平常心でいられる。
それがかえって自分の身を守るというか、自分が助けられるというか、予期せぬ幸運が向こうからやってきてくれるようなことが重なる。
坊主的に云うとこういう状況を無心であるといっていいのかもしれない。
まぁ、つまらないことだけど、何を云いたいかというと、移動中の電車で運良く座れて楽が出来るかどうかと云う程度のこと。
時と場合によるが、確信を持って計画的に「座る」ということを目指すこともあれば、偶然に期待して「座る」ことに運を賭けるということもある。
云ってしまえば。庶民のケチクサイ、チッポケな希望や夢のようなものなのだが、これが上手くいけばすこぶる気持ちの良いものなのだ。
銀座へ到着するまでのこの数日間の無心の行は、本日の朝までことごとくヒットして実に気持ちのいい毎日であった!・・・ということは、ついに、吉田オヤジの幸運もネタ切れになった次第。
本日の帰宅の全てが不運に尽きた。
今こうして枕にあごを載せてプチプチとキーボードを叩いているくらいになると、先ほどまでの不運の重さはいささか軽減されている気がしないでもないが、とにかく、有楽町でJRに乗った時から、心の迷いが判断の不具合を誘発して、久しぶりに延々とつり革にぶら下がり続けることになってしまった。

この展覧会期間中の宿舎でお世話になったのはワイフの実家、怜子さん宅。その怜子さんは、もう何年もの間自由に一人暮らしを続けている。そこへ、突然娘の婿殿が転がり込んだ訳で、毎日の暮しにそれなりの緊張を強いられることになってしまった。
数日ならまだしも、それが一週間も続くともうストレスが溜まる一方。
お世話になっている私の方も、まんざら鈍い方でもないから、そのあたりの事情が手に取るように伝わってきて気まずくなる。寺のおかみさんとの付き合いも大なり小なりそんなようなものだ。
とにかく、彫刻を造る時でも、日常の暮しの日々でも、ひとの心の機微はけっこうシンプルにダイレクトに伝わっていくものだ。
最小限のコミュニティーでさえ「ちょうどいいかげん」に毎日を過ごすことがどれだけ難しくて大変なことであるか・・こういう時に具体的によく見えてくる。

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雨の銀座 

2016/04/07
Thu. 23:19

受付当番で定刻より少し前に会場へ到着したら、すでにギャラリーのオネエサンンが解錠を終わっていて、ポスター看板の準備をしてくれていた。
「すみませんねぇ〜、良い会期なのに雨ばかり降って・・・」
美しい顔を曇らせてすまなさそうにそうおっしゃるものだから、かえって恐縮してしまった。

昨夜、フトンの重さで寝苦しくなって目覚めた時は、すでに窓の外では激しい雨音が聞こえていた。
朝の予報では一日中雨模様だと云っていたし、昼からは風もひどくなるらしい。
そんなことだから、すでに目覚めた時から心の準備が出来た状態で、暇つぶしのグッズもキッチリと仕込んで準備万端。
どうせお客さんもこないだろうから、島根県の現代彫刻小品展がらみの書類原稿をまとめたり、彫刻などの写真データを編集したり、そんな用事も作ってある。
建前としては、真面目にこなさなければいけない会場受付の仕事があるのに、コソコソと隠れて内職をしているようなものだから、今回の展覧会主催代表にガツンと叱られても「ごめんなさい・・」と謝るしかないことなのだが、それも承知で雨の銀座へやってきたら、逆にこっちが「すみませんねぇ〜・・」などと謝られてしまった。
小心者のチキンオヤジとしては、自分の小賢しい悪巧みがバレてしまったように思えたりして、東京の雨をうらんだりした。

面白いものだ。
天気の善し悪しを相手にしてアレコレ思い巡らしていてもダレの責任であるわけでもないし、どうにかなるものでもないのにね。

だいたい予測の通りで、昼過ぎまではとても静かで集中できる時間が過ぎた。
ふと外の銀座の通りを見ると、ビル清掃のおじさんが雨に打たれながらセッセと会場入り口のドアノブを磨いている。この職務をまっとうする姿に心が揺らいだ。「オレはいったい何やってるんだろう?・・」ラップトップを閉じて、入り口のドアを開けることにした。
それからしばらくして、受付けの交代要員石彫の作家T氏が到着。
またそれから少し後に、今回の展覧会事務局長W氏が到着。
そのすぐ後に、木彫の女流彫刻家H氏が到着。
それに、吉田の友人の彫刻家S氏も訪ねてくれて、打ち止めは滑り込みセーフで学生時代からの飲み友達Hさんがやってきた。
会場入り口のドアを開けただけでここまで人の動線が活発になるものだろうかと疑わしいところもない訳では無いが、実際にこうして午後のひと時が活性すると、やはり素直に嬉しいものだ。
身内の彫刻家がほとんどかもしれないが、中にはそういうアットホームな雰囲気につられて飛び込みのお客さんもチラホラあって、一言二言の会話の中で秋の本展への誘導も上手くいって、住所もゲットできたりする。
やはり、東京だと思った。そしてやはり、天下の銀座だと思った。

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東京を歩く 

2016/04/06
Wed. 22:00

銀座のグループ展は、4日目にしてはじめていい天気になって気温も上がった。
おかげさまで・・・かどうかわからないが、35人の来場があった。
その数が多いか少ないのか普通なのか、島根の田舎暮らしの私には判断に苦しむところでもあるが、知人が3人も訪ねてくれたし、自分としては満足かな・・・

さすがに東京暮らしはよく歩く。
毎日最寄りの駅まで10分歩き、有楽町から10分歩き、途中でコーヒーを仕入れてギャラリーへ到着すると片道だけで20分ほど歩いていることになる。帰りも同じ要領だから1日に40分は歩いている。
石見銀山の自宅の近所の寺の奥さんはだいたい1時間ほどかけて町内をぐるっと一周ウォーキングしていらっしゃるらしいから、こうして比べてみると東京でのウォーキングなど、まだまだ序の口レベルのことになってしまうが、それでも横になって落ち着く頃にはふくらはぎがパンパンに張って、スネには上半身の体液が下がってむくみも出るし、お尻から腰にかけての筋肉がやたらと痛いし、それに、前から調子の悪い膝の周辺はガタガタになってしまって、今の私はかなりの肉体酷使をしている状態だ。

東京で暮す人は本当によく歩くと思う。
昔を思い出すと、自分も東京暮らしの頃は一駅二駅くらいは平気で歩いていた。
確かあの頃は、国電初乗りが50〜60円くらいだったと思うが、それをケチってタバコにまわしたりしていた。
そのタバコは、ハイライトが70円から80円で銭湯が50円くらいだったと思う。
その後すぐに銭湯もタバコも倍くらいに値上がりして、貧乏学生にとってはかなりの打撃になった。
ようするに健康のためのウォーキングという意識など皆無で、単純に生活費をケチルためだけにセッセと歩き続けていただけのことだ。

こうして今になって社会の現状を見るに、都会も田舎も関係なく健康指向が人々に浸透していることがよくわかる。
それでも私など、いつもだらしなくひらすら楽をすることばかりを追いかけて不摂生で不健康に暮しているからどうしようもない。
これが吉田オヤジの健康指向だと云えるようなことを強いて上げるなら・・・
万善寺の営繕で草刈り機を振り回して汗をかき、定期的な庭の掃き掃除で汗をかくことや、
彫刻の制作で金槌ふるって汗をかき、グラインダーをグイグイ振るって汗をかくことくらいのものだ。
タバコは30年も前にやめてしまったが、べつに食事を制限することもないし、酒を慎むわけでもない。
こんな暮しをしていると、ストイックに禁欲的に自分を律しながら暮している皆さんからは白い目で見られていることだろう。
それはそれ、これはこれということで、あまり他人のことを詮索し過ぎるのもどうかと思うし、まぁ、気楽に毎日を過ごすことが出来ていればそれで十分なのです。吉田はね。

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ワイフの思い出 

2016/04/06
Wed. 00:11

まんざら異常気象のせいでもないような気がするようになってきた今日この頃・・・
東京はやたらと冷え込んで、冬物の一式を全て結界君へ置きっ放しにしてしまった吉田オヤジとしては、素肌に容赦なく突き刺さる太平洋側の冷たい寒さに打ち震えているところであります。

4月に入って入学式前のこの時期に、花冷えの頃とは云ってもあまりにも寒過ぎる一日が始まって終わった。
だいたい、私が何か事を構えて起こす時には雨や悪天候がつきまとって、そういうことは慣れていることなのだが、それにしても、小春日和にだらしなく慣らされてしまったオヤジとしてはなかなか厳しい銀座の一日を過ごすことになってしまった。

会場で受付けをしていると、やはり銀座の芸術レベルの高さを肌で感じる。
毎年のように銀座のギャラリーで個展などしている芸術家諸氏にとっては、こういう状況も普通のこととして気楽に過ぎているのだろうが、私のような田舎者の彫刻家としてはやはり田舎では味わうことの出来ない都会的芸術観のようなものをつぶさに感じて気が付けば緊張ばかりしてしまっている。

ギャラリーのクローズ間際に、ワイフの学生時代の同級生が訪ねてくれた。
ワイフは学生時代バスケットのクラブに入ってキャプテンで活躍していたから、その時の仲間の一人でもある。
そして私がまだ結婚する前のワイフと付き合っていた頃からのことだでもあって、そのiさんもよく知っている。
前回彼女と逢ったのはもう10年くらい前のことだったと思ってそういうことを云ったら、彼女はそんな昔のことではないと否定した。
お互いに失われた記憶をアレコレ探っていたら、結局、結論は前回のこの同じ趣旨のグループ展のオープニングの時に逢っている筈だということで決着した。
それでも、前回というと、もう5年以上は前のことになっていて、3月のお彼岸の時期にこのグループ展の会期が移動する前のことだから、その後万善寺のことで色々あった私にとっては10年にも匹敵するほどの遥か昔のことに思えてしまうのも仕方のないことだ。

とにかく、久しぶりの再会は嬉しかった。
予定では、会場クローズの後に吉田家長女のなっちゃんと逢うことになっていたから、そういう連絡もしながらiさんも一緒に新宿へ移動した。
新宿といえば私の青春のホームグランドといっても云い。
西口の中央公園から、ションベン横丁脇のガードをくぐって、歌舞伎町から要町の先の新宿二丁目あたりまで、とにかく連日のように徘徊していた処でもある。
そういうあたりを、ワイフの友達のiさんと一緒に歩いているということがなんとなく不思議な感じだった。あの頃と同じ風景は探すことも不可能なほど大きく様変わりした新宿の町を、なっちゃんの指示に従ってしばし彷徨っていると、あれほど冷えきっていた身体がいつの間にか温もって火照ってきた。

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銀座スタイル 

2016/04/04
Mon. 23:58

東京は朝から・・・というより、夜中から降りはじめて、午前中は猛烈な雨になった。
この状態だと、銀座のギャラリーも来場が厳しいだろうと思いながら電車を乗り継いで有楽町へ着いた時は、雨もあがってほのかに日が差していた。
それから2~3時間は比較的暖かくて良い天気だったが、気がつくと雲が広がっていて気温も急激に下がった。
会場をクローズしてAppleStoreの横を通り過ぎる頃には、小雨が落ちて来はじめた。
東京都心の桜も、この雨で満開の見頃はすぎてしまっただろう。

一日立ったり座ったりで電車に乗ったり受付をしたりやたらと歩いたりしていると、上半身からの体液が下がりっ放しになって足が浮腫む。
なにげなくいつものサンダルで石見銀山の自宅を出ようとして、やはり東京の銀座へこのまま通うわけにもいかないだろうと思い直して、吉田オヤジ唯一の靴を履いて出かけた。
この靴は、何年か前の私の誕生日に、なっちゃんとノッチがプレゼントしてくれたもので、東京へ行く時用に決めて大事に掃いている。
靴ヒモが切れかかって革製のヒモに交換する時は、ノッチが吉祥寺の靴屋さんまでつき合ってくれた。靴を履く時に靴底を確認したら、溝も確認できる状態でまだまだ当分の間履けそうな状態だった。
A4の書類を入れてあとさき出来るような鞄も必要だと思って、自宅を物色していたらこれも何時かのオヤジの誕生日になっちゃんがプレゼントしてくれたアーノルドパーマーのバッグがあったので、それに色々なモノを詰め込んだ。
上着はずいぶん前にワイフが近所の衣料品店のオリジナル商品を買ってくれていたので、それを着ることにした。

久々の銀座だということでいつもと違うふうに色々なものを準備してみると、自分で買ったのは通信販売のリーバイスくらいのものでそのベルトまで娘からの贈り物だったりする。
下着のパンツやシャツもワイフが買ってくれるし、現在の私のコーディネートはほぼ吉田家の女性達の見立てで決まっているようなものだ。
そうしてみると、自分で何とか体裁を見つくろっているのは、彫刻を造る時の作業着や作業靴と万善寺で必要な業務用衣料品の数々程度のことになる。
自分ではそれなりに自分の好き嫌いでそれなりのファッションを少しくらいは意識しているつもりなのだが、こうして改めて自分の周辺を見渡してみると、日常を比較的無頓着に過ごしている暮しぶりが客観的に見えてくる。
ギャラリーの受付をしながら銀座の町並みを行き来する人達の様子を見ていると、男も女も老いも若きも実にカッコよくファッションを決めている。やはり、住む世界が全く違うのだなぁと素直にそう感じる。
かといって、それが羨ましいなどとは全く思わない。そこが不思議なところだ。
自分の表現は彫刻を造ることで、自分が造る彫刻のスタイルが自分そのものの存在の証明になっているのだと思っている。
銀座に暮す彼等は外見で自分を表現して勝負することしか方法が無いのかと思えてきて、かえってそれれが哀れにも見えてくるところが面白い。

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結局やめられない 

2016/04/03
Sun. 23:50

もう10年ぶりくらいになるような気もするが、たぶんそこまで昔のことではないのだろう。
それでも、かなり久しぶりに銀座のギャラリー青羅で隔年に開催されている彫刻のグループ展へワイフと一緒に参加させてもらった。

全国から30点近くの彫刻が集まって、なかなか見ごたえのある良い展覧会になった。
搬入展示作業の後の慰労会で久しぶりに飲んだジャックダニエルが旨かった。
彫刻家の彫刻の話しも、とてもとても面白かった。
木彫のこと、石彫のこと、テラコッタのこと、具象のこと、抽象のこと、素材のこと、技法のこと・・・とにかく、話しが尽きることなく、アッという間に時間が過ぎた。

島根で「現代彫刻小品展」を始めたことも、こういう彫刻家の彫刻の話しが島根でたっぷりと出来たら良いと思ったからでもある。
ふりかえると、自分の力不足もあって今回の銀座でのような濃密な時間を共有できるまでには至らなかった。
やはり、島根では作家の力量が完全に不足している。
そのことが確認できただけでも、今回新作を造って良かったと思う。

展覧会初日だったから会場でオープニングパーティーがあった。
女流彫刻家のキレイどころがセッセとおつまみをつくってくれて、とても美味しかった。
富山の彫刻家はホタルイカのおつまみを持参してくれた。
埼玉の彫刻家は廃線のトンネルで貯蔵した珍しい日本酒を持ってきてくれた。
みんな、なんて優しい人達なのだろう。
日頃は、島根の片田舎でコツコツ一人で彫刻を造っていることが当たり前のように慣れてしまっていて、それで淋しさなど感じることもないのに、こうして自分の周囲を彫刻家でかこまれた中にいると、かえって何故かなんとなく孤独に淋しくなってきたりする。
こういう感覚もおもしろいものだ。こういうことがあるから彫刻を造ることがやめられない。
「何でこの歳になっても彫刻を造ってるんだろうと思って、やめてもいいかなと思うんだけど、やめてしまったらそれこそ何にもする事がなくなってしまうから、結局やめられないで造ってるんだよね・・・」
すでに90歳の彫刻家がポロリとそんな愚痴をこぼしていらっしゃった。
なんとなくわかる気がする・・・というより、後になってジワリと心にしみる重たい一言だと思った。
さて、私はあと何年彫刻を造っていられるのだろう。
身体が動かなくなって、握力もなくなって、重いものを持つ力もなくなってきたら、また絵でも描きはじめるかもしれない。それも出来なくなったくらいに筆を持って字を書きはじめるかもしれない。指の力がなくなって筆ももてなくなって墨も擦れなくなったら・・・まぁ、その時は死ぬ時だな。
今回のグループ展のおかげで、チョットだけ自分の先が見えてきた気がする。

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「ごめんなさい」と「ありがとう」 

2016/04/02
Sat. 12:35

高速バスを降りたら、膝が固まっていてしばらく歩くことに苦労した。
これから一週間は東京暮らしだから、セッセと歩いて膝を鍛えようと思う。

乗車中は、乗務員休憩を2回ほど覚えている程度で、後は比較的よく寝た。
都合、4時間は確実に爆睡していたはずだ。
その間に、怒濤のいびきでもかいたのではないだろうかと、チキンオヤジは不安で恥ずかしくて伏せ見がちに小さくなっていたが、周辺のお客さんからの冷たい視点が投げ掛けられることもなく過ぎたので、おおむね静かに寝ていたのかもしれない。

東京駅の八重洲口に到着してから電車を乗り継いでワイフの実家へ着いたのが朝の9時だった。
昨年の秋以来の再会になる怜子さんは、あいかわらず元気だった。
頭も身体もシャンとしていて、寺のおかみさんとはくらべものにならない。
やはり、老人にとっては周辺からの刺激があるということが一番の元気のもとになっているのだということがよく分かる。
近所付き合いもそうだし、友達付き合いもそうだし、趣味やレクリェーションの付き合いも幅広く、一週間のほとんど外出して過ごしているほどの活発な暮しが、元気のもとになっているということは間違いない。怜子さんを見て、つくずくそう確信した。

島根を出発する日に、少々ややこしい事情の檀家さんからの相談を受けていた。
そのことで高速バスに乗車する寸前に着信が入って電話口のおばあさんとしばらく喋った。
東京駅から電車に乗って移動中に、また着信が入った。
怜子さん宅で少し落ち着いてから返信すると、昨夜の話しの続きだった。
人が歳をとるということは人それぞれ色々に違うふうに歳をとるということがよく分かる。
老人は、一人として同じように歳をとることがないような気がする。
面白いもので、私もそうだが、そういう老人をかかえている家族のほうは、だいたい何処でも似たり寄ったりの対応をしてその家の老人と付き合っている。
このところよく電話でお話をしているおばあさんも、同居の娘さんは、セッセとお話が続くおばあさんの横ですまなそうな表情を私に向けながら時折苦笑いを浮かべつつ「それはもうついさっきお話されましたよ・・・方丈さん、もう、ご存知のことだから・・・」とかいって、興奮気味のおばあさんをなだめ静めていらっしゃる。
そのおばあさんおように、「ハイハイ、それはごめんなさいね。歳をとるとねぇ〜、こういうことがわからなくなって・・・」と、自覚もあって、ちゃんと謝ることが出来ているうちはまだいいが、寺のおかみさんのように、お礼や労いの言葉一つ出なくなってしまうと、なかなかやっかいなことになる。自分の息子である私は、自分の言動の自由をことごとく阻害する極悪人にしか見えていないようなところがあって、そのくせ、しばらく小康状態が続くと一人でいるのが淋しくなって息子に我侭を言いはじめて甘えてくる。

「ごめんなさい」と「ありがとう」が自然に云える老人は偉いと思うし尊敬する。
万善寺の前住職憲正さんは、死ぬまでそれを云い続けて生きた人だった。

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久しぶりの銀座 

2016/04/01
Fri. 18:57

今から高速バスに乗って東京へ向かいます!・・というのは、ウソではありませんよ。本当のことです。

明日の夕方から銀座のギャラリーで彫刻の搬入と展示をして、展覧会のスタートが日曜日から。
全国から20人以上の彫刻家が集まるようで、ワイフの彫刻も一緒に展示するので、今朝ギャラリー宛にゆうパックで発送をすませた。
二人とも、銀座での展覧会は久しぶりのことで、かれこれ10年近くブリになるのではないだろうか・・・

ワイフは、島根県産の凝灰岩を叩いた。
私は例の如く鉄板を叩いた。
彫刻の形をつくると云うより、ひたすら叩き続けている時間の方がズッと長い。
そうやって叩いているうちに少しずつかたちになってきて、それを組み合わせたり切ったり張ったりしているうちに全体が見えてくる。
吉田家の二人の彫刻家は、そうやってそれぞれに自分の仕事を組み立てていて、だいたい最後は少しだけ私の方に余裕が出来て、それからワイフの彫刻の最終段階で手伝うことになる。
今回は、荷造りをして発送しなければいけないから、その荷造りを引き受けた。
ワイフがスーパーから段ボールの空き箱をもらってきて、それを私が切り刻んで張り合わせたりした。

島根県で2010年から続けている現代彫刻小品展は、今回の逆バージョンで、作家が荷造りをして指定の場所まで発送して、私がそれを受け取る。
この荷造りの梱包の具合で作家の力量がだいたい分かる。
彫刻界の大御所になると、業者がキチンと責任を持って立派な梱包に仕立てられてある。
なかなかいい感じの彫刻を造って安定している中堅の彫刻家は、自分の造り出した彫刻をひたすらいとおしく丁寧にキッチリと自分の責任で梱包して、彫刻の取り扱い説明書を添えてあったりする。
まだ作家年齢の若い彫刻家は、きっと搬入の締め切りギリギリまで制作を続けているのだろうが、とにかく彫刻のまわりに色々なものがグルグル巻き付けられて、梱包を解こうとすると悩んでしまうような具合のモノが多く届く。
すぐ近所で、いつでも持ち運び出来るような県内在住かそれに準ずる近場の彫刻家は、現物をモーフか何かでグルグルッと巻き付けた程度だったりする。
少数派としては、彫刻の梱包材にお菓子やおつまみや地元の名産や、場合によっては酒の瓶が1本入っていたりする。吉田的には、この少数派が一番嬉しくて大歓迎!
数年前の展覧会の時、彫刻の梱包だと思って会場まで搬入して開包したら、缶ビールのケースがまるまる一箱入っていたことがあった。これはこれでとても嬉しいことだが、結局、その作家へお礼を言うのがずいぶん後になってしまった。

まぁ、とにかく久しぶりの銀座のグループ展がはじまろうとしている。

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2016-04