工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

衣替え 

2016/05/31
Tue. 23:55

日本禅宗三派の一つ臨済宗の大般若会に手間替え随喜をしてきた。
島根県の県境近くには臨済宗も曹洞宗も寺院が少ないから、お互いに各種法要で宗派を越えて近所の寺と付き合いながら急場をしのいでやりくりしている。

手間替えというと、私が少年の頃は普通にダレでもがお互い家族ぐるみで助け合って一つ仕事を回していた。
田植えの時や稲刈りの時もそうだし、山の下草を刈ったり杉の苗木を植林したりする時も集落みんなで助け合って出かけていた。冠婚葬祭も集落が集まって取り仕切った。もちろん、氏神様の祭りもそうだし、寺の行事も集落でまかない焚きだしを助けてもらっていた。
今から思うと、あの頃は信じられないほどの結束力で集落全体が活性していた。

日本の高度経済成長期を境に全て機械化や業界産業の事業化がどんどん進んで、そういう手間替えもいつの頃からか無くなっていった。田舎からは人口の流出が止まらなくなって、核家族化が進み、やがて高齢者だけが田舎に取り残された。
現在の万善寺周辺がそういう状態で、やがて近い将来限界集落になって地域から人間の営みが消えていく日が来るだろう。

そういう現状で、今日随喜した寺はお檀家さんが結束して昔ながらの宗教行事をきちんと守り続けていらっしゃる。まぁ、万善寺とはくらべものにならないほど寺の規模も大きいし、歴史も古い寺だから当然の事だろうけど、それでもよく宗教行事をもり立てていらっしゃる。
今年も例年と変わりなく、お斎の茶飯や精進料理をふるまっていただいた。

宗門では今日を境に衣替えとなる。
白衣や襦袢といっしょに改良衣を洗濯して、明日からは9月いっぱい夏仕様に切り替える。
帰宅して衣を洗いにだしていつものスタイルに着替えている間中、吉田家のネコチャンズがうるさく足元に絡みついていた。見ると、猫メシが空になっている。
しばらくカリカリと盛大に乾いた音が響いていたが、満腹で一段落したら今度は外へ出せと催促でフギャフギャ甘え鳴きを始めた。ネコチャンズにリードをつけて玄関先へ出してやってから、部屋の床に散乱している抜け毛をクイックルワーパーでからめ捕った。
人間の衣替えのようなもので、このところ彼等の抜け毛が半端なく激しい。毎日ブラッシングをくり返しているから、その抜け毛を集めたらマフラーが一つくらい編めるかも知れない。ワイフにそう言ったら鼻で笑われた。

動物は実に良い具合に季節や環境にの変化に順応している。
臨済宗は5月15日と10月15日が衣替えの日になっているのだそうだ。見た目で決めるのか、月々の節目で決めるのか、とにかく暑さ冷むさでアバウトには対応していないようだ。
人間の暮しは、何処かしらかたっくるしいところがある。
坊主の世界では、いまだに古き良き手間替えシステムも残っているからそれはそれで良いことだと思うけど、こうして見た目にこだわる俗っぽい様式も残っているのが面白いね。

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ほどほど 

2016/05/31
Tue. 10:06

久しぶりに寺の裏山の斜面へ張り付いて営繕作業をしたものだから、昨夜は身体の節々が痛くて寝返りばかりうっていた。
このところ肉体労働が続いていて老体が悲鳴をあげている。

彫刻の制作もどちらかと云えば肉体労働だが、こちらのほうは一つ一つの工程がリズミカルに推移するので、身体を無理することがほとんどない。どちらかといえば頭脳労働も結構重要な役割をはたしているから、身体をいたわりながら集中力を持続させて成果を出すような感じだ。

山仕事や草刈りなどの自然を相手にする作業は、自分の都合で一連の工程を組み立てることが出来ない。只ひたすら草刈りをし、只ひたすら斜面をよじ登りにじり降りることのくり返しが延々ととめどなく続く。切り倒す竹や雑木も、方向を間違えるとその後の始末が大変になる。

昨年の春まで、山や畑の維持管理は寺の老夫婦が仕切っていた。
二人がまだ働き盛りで若かった40代の頃、裏山の斜面の草が醜いからと、一面にサツキやツツジの挿し木をした。農地整理の公共工事を契機にして水田を畑に変えて休耕田一面へ挿し木を広げた。水路の畔にも挿し木。駐車場の周辺も挿し木・・・とにかく彼等は、万善寺周辺を底花木で埋め尽くしたかったのかも知れない。
一人暮らしを始めた私が長期休みで寺へ帰省する度に、寺の作務というと庭木の剪定へ借り出された。それもなかなか複雑な思いだ。自分で蒔いたタネは最後まで自分で責任を持って刈り取ってほしい。やがて、今のワイフ(前のワイフはいませんよ!)と結婚して二人で寺へ帰省すると、今度はワイフまで庭木の剪定に借り出されるようになった。結婚するまで都会のお嬢様暮らしを続けていたワイフが、ある日突然麦わら帽子に長袖軍手長靴スタイルで庭木の剪定や草刈りをすることになった。彼女もしばらくのあいだは文句も言わないでセッセと寺の営繕作業を続けていたが、子供が次々と産まれて、歳とともに体力が続かなくなって、やがてギブアップした。
老夫婦の高齢化が進んで身体が自由に動かなくなってきた最近では、私の営繕作業にヨチヨチとついてきて手を出す代わりに延々と自分の都合で口を出すようになった。それがあまりにもクドクドと細かくて独断的なので、私は剪定作業から一切手を引いた。
そして今年のサツキが終わった今、おかみさんは自力で歩くことが難しくなるまでに衰えたので、これを機会に寺周辺の底花木を根絶やしにすべく剪定を再開して今に至っている。
少しずつ境内の境界線に昔ながらの形状が再現されはじめ、先日は数年ぶりに北側斜面の石垣が見えるようにまで刈り込んだ。

人の暮しと自然の境界は線引きがなかなか難しい。自然が勝ち過ぎても厄介だし、人の手が入り過ぎてもわざとらしい。ほどほどにちょうどいい加減が大事なことだ。それを無視して無理すると、人が放棄した農耕地はほんの数年で竹林になり、山との境界を競り合って耕作した畑は野生のえさ場になり遊び場になる。
人は自然に助けられ育てられていることを忘れてはいけないよね。

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月末の月曜日 

2016/05/30
Mon. 22:53

ひと晩を万善寺ロフトで過ごした。
石見銀山も夜になると結構冷え込んで安物の羽根布団が手放せないが、万善寺ロフトはそんなもんじゃないくらい寒くて、7度対応と0度対応のシュラフを2枚重ねて寝たのに、それでも朝は寒くて目が覚めた。
島根の辺りは長期予報によると猛暑になるそうだが今のところそういう気配は微塵もない。

午前中は保賀の会計と吉田家の家計とキーポンの学費の調達やりくりで終わった。
おかみさんへ昼ご飯を食べさせないといけないから、銀行から近所の農協スーパーへ直行して弁当やお総菜を買い込んだ。
おかみさんは案の定、辛いだの酸っぱいだの硬いだの甘いだのアレコレ文句ばかりをおかずにしながら、それでもほぼ完食してくれた。
昼食を終わってすぐにドタバタ働きはじめるとおかみさんの機嫌が悪くなるのがわかっているので、午後の3時近くまでは3畳にこもってジッと我慢した。

今日の万善寺営繕の主たる目標は、芯の伸びきった庭木松の剪定と裏庭に迫る斜面に伸びた若竹3本を伐採すること。憲正さんが永眠してそろそろ一周忌を迎えるが、この1年間で万善寺の北側にどんどん山が迫っている。小雨の中で松の剪定を終わらせて、それから裏庭へ回ってタケノコから伸びた若竹へ辿り着くまでの道を伐採し、それから3本の竹を切り倒して本日の万善寺営繕作業を終了した。

このところ工場通いや彫刻制作から縁遠くなっている。
これも長い人生、そういう時期が巡り合わせているのだろうと思うようにしている。
限られた自由時間を彫刻制作に充てる程度では話にならない。何とかして無駄なく制作時間を捻出して出来るだけ妥協の無い彫刻を造ることを目指さなければいけない。とろけた脳みそのおかげで絶妙に醗酵して活性した頭の中では既に幾つかの彫刻がかたちになって完成している。あとは実材をひたすら溶断してひたすら叩いてひたすら溶接することをくり返しながら立体に仕上げればいいことだが、なかなかそれができないというか、気持ちがそちらの方へ向いてくれない。

夕方6時を過ぎたくらいに万善寺を出発して7時前に吉田家前の駐車場へ到着した。
汗と雨で濡れたツナギを脱いでいたらクロが何処からともなくやってきて鳴きながらズリズリとすり寄って甘えてくる。最近連続してリードの長さ分だけ石見銀山の町並みへ遊ばせているから、たぶんその催促だ。
何処からか美味しそうな夕食の匂いが漂ってくる。
クロが時折空に向かって犬のように鼻をクンクンさせているが、ヒョッとしたらその夕食の仕度の匂いをかぎ分けているのかも知れない。
それからしばらくしてワイフが大きな買い物袋を抱えて帰ってきた。
「今日は肉が半額だったから買ってきたわよ!」
ワイフが落ち着く間も無く夕食の仕度の間に私は頭へバリカンをあてた。
明日は大般若転読会の手間替え法要がある。

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猫背 

2016/05/29
Sun. 21:39

石見銀山は、雲が下がって寒いわけでもないが暑いわけでもないし梅雨を思わせるような湿気の多い朝だった。
ガンコに寺暮らしを続けているおかみさんがこの2・3日チョクチョク電話をしてきてもう淋しさも限界になっていることが予想できる。高齢者特有の症状が数年前から現れているから、こちらとしてはそういうもんだと思って付き合おうと思うが、本人がそれを自覚出来ないまま益々意固地になっているから始末が悪い。雨が降る前に吉田家の営繕を少しでも進めようとバタバタしていると、今日も朝からひとの都合を無視してやたらとおかみさんから電話がかかってくる。
そういう歳相応の苦労を感じながら駐車場へあふれている杉の丸太を割って防災捕吏面のブロックへ積み重ねた。ひとますワイフのファンカーゴがまともに駐車できるまでになったので油圧の薪割り機を片づけて雑草の草刈りを始めた頃から雨が本格的になってきた。
「もう、お昼ですよ。雨も降るしそろそろ店仕舞したらどうですかぁ〜」
親切に、下隣のおばちゃんが声をかけてくれた。
「どうせこのツナギ洗濯するし、まぁ濡れても一緒ですからもうチョット刈っときますよ」
そう返事をしておいた。
草刈り機を振り回すたびに駐車場の小石が跳ねてワイフのファンカーゴへカンカン当たる。
けっこう薄い鉄板使ってるなぁと気付いたが、ガラス窓を跳ねた石で割らないように気を付けながら草刈り機を振り回した。

日曜日だというのに町内の付き合いの仕事で朝から出かけていたワイフが午後のティータイム頃になってやっと帰ってきた。気がつくと、私は結局今日も昼飯抜きになっていた。飲むヨーグルトを駆けつけ三杯にコーヒーをすすって昼飯変わりにした。
寺へ行く準備をしていたら飯南高原で暮す同級生の郵便局長から電話が入った。
「急なことなんだけど・・・夕方から同窓会の打ち合わせで飲むんだけドォ〜」だって。
あまりに急だけど、たまたま寺へ行こうとしていたところだし、「少し遅れるけど・・」と出席の意向を伝えた。
寺へ到着したら、おかみさんが例の如く渋い顔をしている。
(可愛い息子が帰ってきたのだからにっこり笑って出迎えてくれよ!)と思うが、おかみさんにはそういう上手がない。いつものことだからそんなもんだと思うしかないが、表情の乏しい鮮度の落ちたイサキのような目で出迎えられて一瞬イラッときた。
まだまだ修行が足らないと自覚しつつ、自分の母親がそういう状態であることに至る経緯を思うと、何処かしら我が身を攻めてしまうようなところもあって、なかなか複雑に感じつつ今夜の予定を伝えて同窓会に出かけた。
また前回のように万善寺の鍵をかけて締め出されているかも知れないがそれも仕方がない。
おかみさんの極度に意識して感情を殺した無表情を見て、ふと、吉田クロを思い出してしまった。それに、小さく縮んだ身体をくの字に曲げてペタリと座る後ろ姿など、クロの猫背のアウトラインにシンクロしてしまう。

そぉかぁ〜〜、おかみさんと接する時は、「ボクは今、吉田クロちゃんと会話しているんだ!」と思えば気楽になれるかも知れない・・・と、これからはそう思うようにしよう!

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Hennessyと玉鋼 

2016/05/28
Sat. 21:41

島根県在住で鉄の彫刻家の一人、周藤豊治氏が制作途中のなかなか面白い力作彫刻とHennessyの箱を持って訪ねてくれた。
ワイフは夕方からコンサートへ出かけたが、その前にイサキとアサリのワイン蒸しやマダコとトマトのカルパッチョやセセリとタマネギに大根おろしを添えたポン酢あえなどのつまみを用意してくれていた。私はもらいモノの玉鋼大吟醸の封を切って待っていたが、ワイフの手料理にはHennessyだろうということで、そちらから飲むことにした。
彼と飲んだのは、確か銀座のグループ展以来だったと思うが、良く覚えていない。それほど久しぶりだったということだ。

ちょうど同じ日に、今度の浜田こども美術館での現代彫刻小品展ポスターとチラシが刷り上って、営業のお兄さん(といっても、PTA活動も忙しい普通にオヤジだけど・・)がワザワザ吉田家まで持参してくれていて、早速周藤さんにそれを見てもらった。
私としては、今年の現代彫刻小品展でひとまず浜田市での彫刻の展覧会を一区切りつけようと思っていて、周藤さんには以前からその話をしていたのだが、彼はそれをどう思っているのかよく分からないまま、展覧会の搬入展示作業などの手伝いのことに話が集中した。
私が企画した展覧会はあくまでも非拘束の任意の団体の事業として進めているので、「準備や会期中くらいちゃんと手伝ってくれよ!」などとエラソォ〜に命令できる立場でもない。だから、基本は周辺の作家に迷惑をかけないように吉田ができるだけ自分で展覧会業務のコトをすませ、あとは、各自の事情や都合にゆだねるふうな気持ちでいるのだが、たとえば周藤さんのような強力な助っ人がセッセと働いてくれているから今まで何とか展覧会を続けることが出来ていたということも事実である。

今から10年くらい前に公僕をリタイヤしてフリーになった時、それまで週休2日に特別休暇や有給休暇が当たり前の暮しがいっきに崩れた。
寺の仕事が土日に入ることもあるし、再就職で嘱託に近い仕事は昼夜の境界もなく不定期に入ってくる。みんなが休んでいる土日に仕事したり、夜中遅くまで仕事が続いたりする。
「何で自分だけ・・・」仕事中に、少し前まで同僚だった人達の顔が脳裏に甦ることもシバシバだった。そんな毎日の日課の乱れになかなか自分の気持ちが切り替わらなくて、それから2年くらいは悶々として暮していたように思う。その後自宅を少し改造してギャラリーをオープンしたら憲正さんの体調が崩れて病院の通院が続くようになった。こうなると、規則正しい休日の保証など期待できるわけもなく、宗門手帳が手放せなくなった。とにかく、五月雨に入ってくるコマゴマした仕事の一つ一つをすぐにメモしておかないと用事が重なったりして収拾がつかなくなる。
今では休みが無いことが当たり前になって、場合によっては晴耕雨読が当然のことで一仕事を片づけるようなこともある。雨が降ればデスクワークや細かな彫刻仕事に切り替えるし、晴れれば外仕事で寺や自宅の営繕で草刈りをしたり薪割りをしたりして過ごし、時々ワイフと日程調整をして休日に切り替えて温泉につかってたりして気楽に暮している。

自分の仕事を窮屈にやりくりして吉田と付き合ってくれている周藤さんには頭がさがる。
今、少しでも周藤さんのような立場の人が楽に動けるようにできないものかと、無い知恵を絞っている。

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佐々木信平氏のこと 

2016/05/27
Fri. 16:43

佐々木信平氏が、今度浜田こども美術館で個展をされることになって、御丁寧にもご本人直筆でナンチャッテ坊主彫刻家吉田正純と島根県を代表する女流彫刻家吉田満寿美宛にリーフレットが届いた。
佐々木信平氏は島根県江津市の生まれで、浜田の高校を卒業して画家を志して上京された。その後、精力的に制作活動を続けられ現在は二紀会の理事職を勤めながら静岡のアトリエで制作の日々を過ごしていらっしゃる。
私は彫刻家だから今回の彼の絵画展の経緯はわからないが、今の島根県画壇にとっては欠かすことのできないほど実力のある重鎮であるから、出身母校のすぐ近所にある美術館の企画展示にふさわしいものだと思っている。

「ボクは、不器用でセンスがあるわけでもないから、とにかくコツコツと見えたものを丁寧に描き続けることしかできませんから・・」
かれこれ、20年以上は前のことだったと思うが、山陰地方のグループ展でお逢いした時、そのように話されていたことを良く覚えている。
「二紀会のお仕事も、このようなボクを頼りに思っていただけるだけでもありがたいことだと思って働かせてもらってます」
また別の時にはそんなことも云っていらっしゃった。
我侭放題の私など、佐々木氏とは全く別の世界で生きている。そもそも、見えたものをコツコツと写しとろうとするような写実の面倒は受験生で終りにした。
別に絵を描くとかモノを写しとるとか、それが特にイヤなわけでもないが、ワザワザ手間暇かけて現物に迫ろうとしても、やはり何処かしら表現の限界があると思ってしまう。それに、具体を借りて自分の心情を正直に表現するという行為が窮屈に感じて面白いと思えない。
表現の自由とは、色々な作家が色々な自分のテーマを色々な手段で表現しているから、色々な絵や彫刻が出来上がってそれが面白いと思える。

佐々木信平氏の属する二紀会の主催する公募展の図録には、最初の一ページに次のような「二紀会主張」が記されてある。

・美術の価値を流派の新旧に置かず、皮相の類型化を排する。
・具象・非具象を論じない。流行によって時代を誤ることを極力避ける。
・真に新たな価値を目指し、創造的な個性の発現を尊重する。
・情実を排しつつ、新人を抜擢し、これを積極的に世に送ることに努める。

まだ20代の私は、この二紀会主張に自分の制作の方向を包括して飲み込んでくれるほどのふところの広さと深さを感じた。
限りなく自己中心的で自己顕示欲が強い社会生活不適合者の集団であるような美術界で、このような主張が通用する美術組織が存在することに感動した。
佐々木信平氏のような質実の画家が二紀会を支えていることに感謝しつつ、吉田は島根の田舎でやりたいことをやりたいようにやらせていただいている今日このごろであります。

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サミットじゃないですか? 

2016/05/26
Thu. 23:58

朝がいつもよりゆっくりできるとワイフがいうので、朝食がおわってから少しゆっくりして、コーヒーをガリガリ挽いたりあと少しで終わる読みかけの本を読んだりして過ごしていたら、富山のKさんから電話が入った。
「駐車場の具合どうですか??やっと田植えが終わったもんで・・・」
日陰をつくっている彼の自宅前の杉を5月の連休前に切り倒してあって、その始末の問い合わせだった。
昼から現代彫刻小品展がらみの用事で浜田から益田へ回ろうと計画していたが、このまま丸太がどんどん積み重なっていくと、ボクのかわいい結界君やワイフのファンカーゴの駐車スペースを圧迫するので、「あぁ、それはどうもすみません!午前中はチョット用事があるので昼前にもう一度電話させてください。それで予定を決めましょう!」ということにして急きょ駐車場に積み上げてある杉の丸太を割ることになった。

平日なのに観光客が絶えない。「それはなんになるんですか?」とか、「その機械はなんですか?」とか、「銀山口駐車場ってどこですか?」とか、「間歩(まぶー坑道)までどのくらいありますか?」とか、やたらと話しかけてくる。
そのたびに薪割り機を止めて返事をしたりしていたら、午前中がアッという間に無くなってお昼のサイレンが鳴りはじめた。
「こりゃぁ〜、昼飯ぬきだな・・・」
とにかく、Kさんへ「1時過ぎには行きますからよろしく!」と一報を入れておいて、ひたすら薪を割りつづけた。
珍しく・・といっては失礼だか、駐在さんが軽パトで町並みをグルグル巡回している。
「今日は町内でなんかあったんですか?やたら駐在さん見かけるけど??」
いつもの観光ガイドのおっちゃんが通りがかったので聞いてみたら、
「サミットじゃないですか、きっと・・」
「そうか!!」と、それで納得した気がする。
平日で観光客が多いのも、広島の警備網強化で締め出された観光客が石見銀山へ流れてきているのかも知れない。日本はこんなに狭いのかと実感させらる。

午後からKさんの軽トラとボクの結界君で2往復して、切り倒した杉の1本分を運び終わる頃になって雨が降りはじめた。
どうりで曇っているわりに蒸し暑かった筈だ。
「そんな大きな丸太どうやって割るんですか?」・・・また、観光客が質問してくる。
雨がひどくならない間にすべて荷降ろしをすませたいと思っているのに・・グッと我慢して観光客と付き合わなければいけないこの辛さは、世界遺産のど真ん中で暮している現場の人間にしかわからないことだろう。
杉の丸太を降ろし終わったKさんを見送って、結界君の丸太を運び終わった頃には、全身ずぶ濡れでパンツまでグッショリ。土間に入ったら、雨と汗で濡れたツナギから気化した水気で眼鏡が曇った。

サミットは、石見銀山の吉田家の営繕作業まで影響を及ぼしています!

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愚者 

2016/05/25
Wed. 11:33

夜のうちから雨が降りはじめた。
前日は風が強くて蒸し暑かったから「この風がやんだら雨になるだろうなぁ〜」と思っていたら、その通りになった。
蒸し暑い湿度のせいなのか、足首の古傷が疼きはじめて、一日のあいだに膝の調子も悪くなった。それにこのところ、デスクトップやラップトップを覗きつづけていて、日頃使わない脳みそを酷使しすぎている。そのせいか、首筋から肩から背中にかけてズシリと重たい感じが抜けきれない。
とにかく、自分の身体が今までと同じように動かなくなっている事だけはわかる。
夕方、まだ明るいうちから風呂をぬるめに沸かして、文庫本を持って入浴した。

こうして、「四苦八苦」が現実味をおびてきはじめた今日この頃・・・ここで踏ん張って苦行を乗り切るか、ここで都合よく現実逃避して心身を労るか・・・なかなか、思案のしどころであります。

四畳半の定位置を占領して、昼夜ことごとく私のデスクワークのジャマをしていたクロが、珍しく夜半をすぎて何処かへ消えた。昨夜は蒸し暑さのせいと、それにもう一つ現代彫刻小品展の準備で思うようにいかないことの心配もあって寝苦しくて寝返りばかりしていたから、彼はたぶんそれが鬱陶しくなってきたのだろう。
だれに気兼ねすることもなく本能に正直に生き続ける吉田家の同居猫やグッピー集団をみると、自分も含めて人間のあきれるほどの我欲の強さに恥じ入るばかりだ。

自分の日常にこれといって重要だとも思われないどうでもいい情報があまりにも多いと感じるものだから、もうずいぶん前から新聞やテレビとは縁遠くなってしまっているが、そのかわりSNSの方はマメにチェックしているようなところもある。これで吉田家の家族や彫刻関係のことなどはだいたい不都合無くチェックできている。
そのSNSで「殿、利息でござる!」の記事を目にした。
最近、チョット気になっている磯田道史さんの本が原作で、実在の人物や事実が元になっている。今の世の私利私欲に走る偽善公僕などとても理解不能な「四枚の般若(布施、愛語、利行、同事)」を実践した東北の小さな宿場町の人々の話である。
宗門高祖道元さまは、今から800年前に「四枚の般若を実践できることが偉いんだよ!」と云われた。
お釈迦様は今から2500年前に「自分が愚者であると自覚できているものは賢者なのだよ!」と云われた。さすがに、お釈迦様のお言葉は含蓄が深くて私のような凡人にはなかなか真意を読み切れないところもあるが、学歴や地位や収入の高低で人の賢愚を判断してはいけないというようなことなのかも知れない。

今の世の中、とにかくダレよりも強欲で頑強な自我を持つことが力の象徴となって人間社会の発展に繋がっているようなところもある。
この最近、自分の今まで気がつかなかった自分の怠慢や傲慢がチラホラ見え隠れして、身体の不調はけっこうそのせいかも知れない。

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挨拶 

2016/05/24
Tue. 05:28

教区会があって出かけた。
毎年ほぼこの時期に行われる坊主総会のようなものだ。

宗門坊主が集まると、だいたいお互いに立ち止まってかかとを揃えて両手を合わせて合掌して頭を下げる。これが僧侶のあいだで交わされる挨拶になる。このような光景がアチコチでみられると何処かしら周辺の空気が凛として澄み渡るような気がする。
在家坊主の自堕落な日常ではこのようなかしこまった挨拶を交わすことはない。せいぜい、「ヤァー」とか、「久しぶりぃ〜」とか、「おはよう」や「こんばんわ」程度の気楽なひとことですませているが、それでもするとしないとでは大きな気持ちの違いがある。

その挨拶について、今年の万善寺カレンダーに少しばかり書かせてもらった。
お檀家さんや少しの知人へ配布したから、ヒマで時間がたっぷりある人で老眼や近眼で無い人には読んでもらったかも知れない。
その一部がこんな感じ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「あいさつ」は漢字で書くと「挨拶」になり、「押し迫る」というような意味で、語源は禅語にあります。それに、それぞれ「一」がついて「一挨一拶(いちあいいちさつ)」となるわけですが、私が思うに、この「一」を付けるかつけないかで「挨拶」の真意に深みが増すかどうかというほどの大きな違いというか、重たい言葉になるような気がします。

人と人が相対してお互いに押し迫る・・・という行為に、強烈な緊張感を覚えるのです。
そこには、親愛を込めて「Hello!」と声をかけあうほどの軽さはないと思うのです。
そこには、修行の厳しさを超えてお互いの真意がわかりあえた時の喜びがあり、また、微妙な解釈のズレに新鮮な発見があり、その時の感情の深浅をつぶさに感じ取るほどの真剣な付き合いが含まれていると思うのです。

禅の道場でこのような師弟関係を維持しながら続く修行のことを思うと、今の我々にある「挨拶」がどれほど見た目だけの俗な言葉としてだけに使われているかがわかります。
・・・・・云々・・・・
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
自分で自分の目鼻口耳を見ることはできない。四六時中自分の顔を鏡に映して見つづけていても、鏡から客観的な情報が自分に返ってくることはない。ただ、自分で左右入れ替わった自分の顔の機微を認識して満足している程度のことだ。
目の前の人と相対すると、お互いに相手の表情で相手の心情を読み取ったりしながら自分の心身の揺れを察する。
挨拶は、日常の暮しの時々に自分自身が自分の現状を客観的に認識できる数少ない手段のひとつだと思う。
自分からの挨拶に相手からの挨拶が返ってこないことほど虚しいものはない。自分の存在そのものを否定されているように思えて絶望する・・・って、まぁそこまででもないけど、やっぱりなにかしら虚しいなぁ・・・

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懺悔 

2016/05/22
Sun. 23:53

午前中に現代彫刻小品展がらみのことをいくつかすませて、ワイフの愛情たっぷり鴨そばを食べて万善寺へ向かった。
保賀地内上組の回覧板や配りものや集金もあるし、境内の掃除や草刈りもある。
一週間が過ぎるのがとにかく速い。

昨年まで7軒あった上組が、今年に入って数ヶ月の間に実質4軒に減った。1軒は孤独死で絶縁空き家。1軒は高齢夫婦世帯で施設入所。1軒は独居老人が事故で入院。万善寺も高齢者のおかみさんが一人で暮しているから近所付き合いに不具合を生じている。
こういう、どう考えても発展性の無い閉塞された環境であっても、そこを捨てるわけにもいかないし、なんとかして日常の最低の暮しを維持することだけはしなければいけない。本当は、私が寺暮らしを始めれば少しほど保賀の現状が改善できると思うが、現実をみるとそれも難しい。なかなか鍛えられる毎日を過ごしています・・・

4軒を集金して回ったら、全て留守で集金ゼロ。今月も支払いを立替えておくことになった。身体の動かないおかみさんは、頭と口だけは達者に動くので、私の動きのアレコレが気になってやかましく口を出す。自分でできることでもないから見て見ぬふりでほったらかしておいてほしいのだが、それができない。昼の陽が高い時、3畳の寺務所で寺の書き物をしていると、おかみさんがカステラを食べろとしつこく迫って仕事にならない。作業着に着替えて草刈りを始めたら、庭の玄関先から松やサツキの植え込みにかけて雑草が茶色にちぢれて枯れている。これも、おかみさんが無理して除草剤をまいた証拠。

人は、自分が知らない間に善業もすれば悪業もする。面白いもので、自分の善業は他人に嫉妬され他人の善業には何かと文句をつける。自分の悪業は他人のせいにして他人の悪業はそれ見たことかと毒づく。とにかく、人は世間を自分に都合よく生きている。
野良猫で生まれ育ったシロは、いまだに人の食べ物をつまみ食いして叱られている。シロはそうやって生き延びてきたことだから仕方がない。むしろ、悪いのはシロにつまみ食いをさせてしまった注意力が欠落した同居人(ボクやワイフ)の方だ。
寝ている時以外は常に吉田家脱走を画策しているクロはかなりの確率でそれを成功させている。その度にこっぴどく叱られているが本猫は罪の意識を感じていない。むしろ叱られるべきなのは脱走を成功させてしまっている人間(ボクやワイフ)の方だ。

我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋癡
(がしゃくしょぞうしょあくごう かいゆうむしとんじんち)
従身口意之所生 一切我今皆懺悔
(じゅうしんくいししょしょう いっさいがこんかいさんげ)
「私がこれまでしてきた諸々の悪業は、全て始まりの無い欲や怒りや愚なことなのです」
「それは身や口や心から生じたものなのだから、私は今ここでそれら全てを懺悔します」
このお経は、懺悔文(さんげもん)という華厳経行願品の一節で、お葬式の時をはじめとして、日常でよくお唱えする。
まぁ、自分自身に「また悪いことしちゃった。ごめんね♡!」と言っているようなもの。

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万能 

2016/05/21
Sat. 21:06

4月に入ってから、1ヶ月に2回ほど土曜日の約2時間ほどキリスト教の私立高校へ美術の先生で通うようになった。
もう長い間学校とは縁のない暮しをしているから、高校の1時間の授業が何分なのか分からないまま隔週の土曜日になると出かけているが、たぶん、1日1回で2時間相当の授業をしたことになっているのだと思う。それで、今日はその3回目の美術の授業があった。授業といっても、世間一般の高校で通用する授業になっているようなモノでもないだろうが、とにかく、できるだけ子供たちがやりたいことをやりたいようにやらせられるよう、色々な素材や道具や工具や資料などを用意するようにしている。

今年度の美術の選択者は2人いて、2人とも男の子だからとても気楽でいい・・・といって、女の子がキライというわけではありませんよ!
一人は、彫刻を造りたいといっていて、もう一人は絵がヘタだから上手になりたいといっているので、自宅や工場のアチコチを探して、適当な材料や資料などを用意して毎回持参している。二人ともとても熱心で、聞く処によると、美術の授業のあとも夕方まで残ってコツコツ作業を続けているらしい。今日も、帰る頃になって他の授業が終わった友達がやってきて、協力しながら作業の続きに取り組んでいた。

学校サイドからいうと私はあくまでも外部の人間だから授業中は学校の先生が助手のようなかたちで一人ほど付き合ってくれている。これでコーヒーの一杯でもあったら、チョットしたカルチャーサロンのような雰囲気がある。世間話などをしながら彼等と付き合っていると、突然に身の上相談タイムになったりしてなかなか気が抜けないところもある。
「ずっと小さい頃は絵が好きだったと思うんだけど、小学校に入ってからは上手に描けなくてキライになった」とか、「何か絵を描きたいと思ったりすることはあるんだけど、すぐに色々なアイデアが浮かばないからだんだん描くのがイヤになってしまう」とか、そんな話が出た。そもそも、私自身はこの歳になるまでそういうことを思ったり考えたりしたこともないくらいバカの一つ覚えでこの世界にどっぷりと浸かっているから、彼等のような悩みというか質問というかそういうことに適切な回答をすることができない。だからといって、その場を適当に誤魔化すことも不本意だから、「上手と下手」のことで少しほど持論を語っておいた。
「上手下手」は、自分と他者の関係で認識する客観的感覚であり、「好き嫌い」は、自分が自分自身で認識する主観的感覚であるということを解っておく必要がある・・・と私は思っている。つまり、「他人が上手と認めても、自分では嫌いなこともある」し、「自分では好きでしょうがないことでも、いつまでたっても全く上手にできないこともある」ということ。結局ザックリいうと、「好きこそモノの上手なれ」という感じ。

道すがらツラツラ反省するに、せめて高校くらいまでの学校の教師たるもの、全能である必要はないが万能であることは大事だと思った。
薬でいうと、万能薬のようなもので、「ひとまず、これを飲んでおけばナンとかなって重病になることはないよ」くらいの効能があればそれで十分というか、ある意味、せめてそのくらいの効き目はあってほしいな・・という感じ。

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習慣 

2016/05/20
Fri. 04:57

恒例になっているクロの夜間徘徊がはじまった。
こうみえても比較的神経質な私は、クロが目覚めて手足の裏などをペロペロと舐めはじめる音で目が覚めてしまう。
ひとしきり自分の身体中をなめ回したあと、あくびを幾つかして背中を丸めて伸びをする。
それから隣で寝ている私を起こさないように脇をすり抜けたり飛び越えたりして、四畳半出入り口の引き戸を自分で開けて吉田家見回りに出かける。
一連の彼の行動で目覚めてしまった私は、お茶を一杯飲んでまた寝るか、ついでにオシッコをしてまた寝るか、完全に覚醒した時は読みかけの文庫本を開くか、こうしてラップトップのフタを開けてキーボードをプチプチ叩くか、まぁ、そんな感じでしばらくはゴソゴソしている。

先日、ワイフと同じ歳で遷化された宗門大和尚の葬儀に参列した時、若い方丈さんが何人か集まって熊本の震災の話をしていらっしゃった。東関東大震災の時も、島根県宗門から多くの若い方丈さんがボランティアで現地へ出かけていて、その後何人もの方丈さんが会報や宗報などの印刷物にその時の様子を報告していらっしゃった。たぶん、今回の熊本地震も数ヶ月後には現地での活動の様子が活字になって報告されるのだろう。
私はというと・・・、只只、日々是好日を過ごしているばかり。
東関東の時もそうだったし、熊本もそうして今に至っている。

3.11のことは今でもよく覚えている。ちょうどその頃は、2回目の現代彫刻小品展開催にむけて準備の真っ最中だった。初回の開催での不具合を自分なりに検証し、要項の手直しや出品募集の方法を見直しなどして、あとは印刷から発送作業に入る直前の状態だった。何事もなければ5月の連休が落ち着いて、梅雨に入る少し前の一番気候がよく、新緑もキレイな時期に石見銀山で第2回目の展覧会がスタートするはずだった。
報道の動画が絶え間なく惨状を映し出しているテレビを横目で見ながらしばらくは封筒の宛名書きなどしていたが、結局はそれも途中で投げ出してその後何もする気になれなくなってしまった。こういう天変地異を、自分の心身が受け入れられないまま数日が過ぎ、日常の暮しに様々な不具合が生じた。
現代彫刻小品展の開催の有無も、その後当分の間悩みつづけた。結果、当初の予定を少し変更して会場の都合も仕切り直して第2回現代彫刻小品展を開催することにした。
あの時展覧会の開催を断念していたら現代彫刻小品展も今まで続くことは無かったと、今は思っている。
2010年スタートの展覧会も、1年2回の巡回もあって既に10回展を迎えるまでになった。
何もしないでいるよりは何かした方が良い程度のことからはじまったことだが、それが2回3回と続くと、継続することが当たり前になって惰性がはじまる。
そこで如何に自分を奮い立たせ、かつ周囲の期待に支えられてもう一踏ん張りする。
慣れることは良くもあり悪くもある。同じことのくり返しの中であって、自分の心身の反応が常に新鮮であるということは大事なことだと思う。
習慣の難しさはそのあたりにある気がする。

早朝5時少し前・・・恒例深夜の見回りを終わったクロが定位置へ落ち着いた。

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良識 

2016/05/19
Thu. 10:45

暖かくなってからネコのクロが吉田家の何処か涼しげなところへ移動して寝ていたから、しばらくのあいだオヤジはいつもの四畳半で邪魔者のいない静かな日々を満喫していた。
ところが、最近になってまたクロが四畳半へ出入りするようになって、デスクワーク用に使っている炬燵テーブルの一等地を占領するようになった。
昼間に外出から帰ると、すでに四畳半の定位置でクロが爆睡していたり、夜にデスクワークをしていると、日頃は抱かれることも嫌がるオス猫のクロが自分から私の膝に乗ってきたりする。彼にとっては、自分の定位置をオヤジが占領して仕事をしているくらいにか見えていないのかも知れない。我慢して膝をかしているが、そのうちクロの体重に自分の膝が絶えきれなくなって重たいデスクトップを抱えて場所を移動することになる。
築250年は越えている石見銀山の吉田家は、春でもなく夏でもなく梅雨でもない微妙なこの時期が一番過ごしやすい。昼間は町並みの気温からだいたい3度くらい低くて涼しいというより寒いくらいだ。夜はアチコチの隙間から土間へ入り込んでくる石見銀山の冷気でより冷える。比較的寒さに強い私は、クロのワガママに付き合いつつも、それはそれとしておおむね快適な日々を過ごしている。

そのクロの吉田家アチコチ夜の散歩のおかげで、限りなく朝に近い深夜に目が覚めて眠れなくなった。読みかけの本が近くに無かったのでiPadをたぐり寄せてSNSやウエブニュースを見て暇をつぶしていたら、面白い記事を見つけた。
その記事は、御年80歳になられるらしい東大名誉教授でフランス文学の権威である蓮實重彦氏が若手作家の登竜門でもある三島由紀夫賞を受賞されて、その記者会見の様子をまとめたものだった。内容が気になる方は別途自力で検索などしてほしい。
とにかく私としては、蓮實氏の横柄な態度に「共感するわけでもないが、解らないわけでもないな」という印象を持った。
だいたい、人間80歳にもなるとそれなりにガンコになってワガママが過ぎるようになる。たぶん、私もいずれそういう方向にシフトするだろうなぁということは、今の暮しの時々に現れる世間に対する自分の反応や態度をみても想像がつく。だから、そこまでは許容の範囲としてそれほど気にもならないことだが、私は、それよりむしろそれ以前に、その賞を受賞し、チャッカリと賞金まで獲得された上での発言であることに反感を感じる。その上、東大名誉教授という立場で研究費の名目で彼に給付される高額の給与は、ヒョッとして国民の税金から支払われていたりするかも知れない。
金に縁のない私がこんなことを言っても、どうせ貧乏人のひがみ根性程度のことにしか見えないだろうが、やはり、どう考えても彼の記者会見の発言はあまりに大人げない。そういう人物が日本の有識者の上位でふんぞり返っているということが悲しい。
自分で自分を見失って制御できなくなる前に潔く身を引くくらいの良識はほしいね。

まぁ、そんなわけで今朝はどうも朝から悶々として気持ちが乗りきらないから、仕事のバックミュージックを少し大きめにして、自分の時間をやりくりして乏しい予算をケチクサク使いながら、浜田での開催は最後になるかも知れない現代彫刻小品展の印刷原稿を校正手直ししたりしている。
例の如くクロはいつもの四畳半で爆睡している。そろそろティータイムにでもしよう。

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執着 

2016/05/18
Wed. 05:02

ワイフが鼻をグズグズさせているから花粉症にでもなったか?と聞いたら、最近しばらく薬を飲んでいなかったからそれでかも知れないといいつつ、昨日はノドが痛かったから風邪をひいたかも知れないともいっていて、いずれにしてもどこかしら調子が悪いということだけは確かなようだ。
聞く処によると、キーポンが通っていた高校ではインフルエンザで学級閉鎖をしているようだし、ワイフの仕事先でもチラホラとインフルエンザが流行っているらしい。
私など、日頃から他人付き合いの良い方でもないし、自分から進んで人ごみへ出かけることもないから、よほどのことでもないかぎりインフルエンザになることも無いと思うが、そう毎日引き篭もっているわけにもいかないから、日々のなりゆきに身を委ねるしかないところでもある。
とにかく、今の吉田家はワイフと二人暮らしで落ち着いているから、気が利かないなりに食器くらいは洗っておいてやることにした。

少し落ち着いて例の如くコーヒーをチビチビやりながらメールチェックをしたら、申請書類の提出が終わっていた助成事業の担当さんから校正のメールが入っていた。
審議委員の疑問を少しでも減らしておいた方が事業採択の確率が上がるからということで親身に対応してもらっている。
丁寧なことに作例も幾つか添えてあったので、とにかく少しでも早めに訂正しておいた方が良いと判断して急きょ午前中の予定を変更することにした。こういう時にストレス無く自由に何とかできてしまうフリーなところが気楽で都合がいい・・・と、そこまでは良かったのだが・・・
書類の校正で読み直しを始めたら、アチコチ何かと気になるところが出てきて、一つを修正すると他との整合性が崩れたりして収拾がつかなくなってきた。そもそも、こういうかたっくるしい文章の作成そのものが苦手だったりするから、どんどん悩んでしまってなかなか名案も名文も浮かばないまま午前中が過ぎた。
やっとの思いで改訂版の作成を終わって、プリントアウトしたものをポストへ投函し終わって、ほぼ午後のティータイムになろうという時間になって遅めの昼食をかき込んでいたら時間講師のワイフが帰宅した。
何処かに潜り込んでいたシロがフニャフニャ甘え鳴きしながら玄関までお出迎えをしている。私が帰宅してもダレもお出迎えをなどしてくれないから、少しばかり嫉妬してしまう。

こうしてネコチャンズやグッピー家族を見ていると、彼等は本当に正直に生きているなぁと思う。
人間はとにかくよくウソをつく。
それも、無駄な波風をたてないための処世術かも知れないが、気がついたらウソの泥沼からはい出せないままひたすらウソにまみれた毎日をおくっていたりする。
人の社会は、常に何かに執着することで発展してきたのかも知れない。その執着が心の支えになって生きる活力になっているのかも知れない。ウソの方便は執着を支えるための大事な要素である気もする。ふと人の暮しの不条理に絶えられなくなる時がある。
自堕落オヤジはネコになりたい・・・と、時々思ったりする。

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データ収集 

2016/05/17
Tue. 05:37

前の日からどうも蒸し暑いなと思っていたら、本葬の間に土砂降りになっていた。
そう滅多に着ることもない上等の喪服が濡れるのを嫌ってだろう、葬儀が終わった葬祭場の玄関先が参列の皆さんであふれかえってやたらと混雑していた。
私は洗濯もできるお手軽な安い改良衣しか持っていないから、こういう時に慌てることもなく足袋だけ脱いで土砂降りの中を結界君まで普通に濡れながら歩いた。

石見銀山の町並みは観光客の姿もなく雨に濡れている。
改良衣を脱いでワイフに洗濯をお願いして黒衣をたたんだりしてシャツ1枚にトランクスパンツでウロウロしていたらなんとなく肌寒くなってきた。
まったく、暑くなったり寒くなったり晴れたり大雨になったり毎日がめまぐるしい。

今年の現代彫刻小品展は、はじめて島根県東部の山間の町奥出雲町へ移動展をすることになった。
石見銀山の自宅からは約2時間、万善寺からは約1時間半の距離だから、チョット思いついて気軽に往復できるほど近くもない。
ポスターやチラシ用のデータを収集する必要もあるし、開催中の宿泊のことなど不案内の土地で遺漏の無いようにしておかないといけないし、できたら女流彫刻家のワイフにも会場の様子を見ておいてもらいたいし、天候の具合を見てスケジュールを調整して、なんとなく同行を渋っていたワイフを「道の駅お買い物めぐり」で釣って、彼女の愛車ファンカーゴで奥出雲町を目指した。

チョット遠回りになるが、最近開通した通称「やまなみ街道」(命名は「しまなみ街道」の向こうを張っているらしい)を経由して、アチコチの道の駅へ寄りながら、「私、三度のご飯をしっかり食べないとダメな人なの!」と昼ご飯に執着するワイフを無視して奥出雲町へ着いたのは午後の2時近かった。
幾つかある名所や観光スポットを下見したあと、今回の会場になる横田ガラス工芸館の外観をチェックして、宿泊データの収集を兼ねて亀嵩の温泉施設まで回って、せっかくだから温泉に入って帰ることにした。
「ここの温泉は熱いですか?」だいたいが根性無しの軟弱オヤジだから熱い風呂が苦手なので受付けの熟女へ聞いたら「どちらかというと熱いかも・・・」というので少しビビっていたら、「でも、露天風呂があるから大丈夫だと思いますよ♡!」と教えてくれた。確かに、露天風呂はそれなりにぬるくて1時間弱ほどゆっくり浸かった。

開催主催者は、こういう下見ツアーも助成金の必要経費で計上できないことになっているから、今回の道の駅のお買い物や温泉の入浴や、もちろん油代もなにもかも実費は全て自腹になる。
世間で賑わっている何処かの都会のカネに目がくらんだ偽善政治家のような小賢しい公私混同はしようとも思わない。
遊びのついでにチョット仕事の用事を兼ねたくらいのノリで十分用が足りて、各種のデータ収集もそれなりにできたように思う。

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大事なもの 

2016/05/16
Mon. 05:46

このところ、私の周辺ではとにかく色々な出来事が次々にやってきて絶えない。
私自身はというと、本当はドタバタ慌てるほど忙しいわけでもないと思っていて、一つ一つの用事をコツコツ丁寧に片づけているくらいのこと。
それでも結局は、このスローペースをなんとかしないと周囲のスピードに追いつけなくなって幾つかの何かを割愛するか妥協するかすることになる。そういうことのしわ寄せが暮しの何処かに溜まっていく様子はあまり気持ちの良いものでもない。
ほんの2・30年くらい前はもっと暮しにゆとりがあって、本当は子育てもけっこう大変だったハズなのに特にアクセクした毎日が過ぎるわけでもなく、それなりにノンビリと暮していたような気がする。

「除湿器が1日ももたないのよ」
ワイフのファンカーゴで出かける時になって、モタモタとなかなか吉田家玄関から出てこなかったワイフがそんなことをいいながら助手席へ座った。
まだ生木に近い杉の丸太を割って土間へ積み上げているし、少し前には暴風雨の悪天候もあったし、だいたいがそんなもんだろうと思って聞いていたが、主婦でもある彼女としてはオフシーズンの衣類や寝具などの入れ替えを考えたりして、やはり家の中の湿気が気になるのだろう。
確かに、5月ももう半ばを過ぎて衣替えが近い。出がけに変形の8畳間の鴨居へつるしておいた改良衣もあと何回か着たらしばらく御用済みになる。私が自分で管理しているものは、せいぜい大衣や改良衣など万善寺関係の諸々と、自分の日常の私服ぐらいのもので、それらを全てひとまとめにして積み上げてもたかが知れている。
先日は、だいたい半日ほどで万善寺の三畳寺務所を夏仕様に模様替えをした。その三畳には、まだ憲正さんの衣類をはじめとして遺品が沢山残っているが、おかみさんの目が光っている間は簡単に処分することが難しい。母子といっても、モノの価値観も全然違って「大事」とか「大切」の意識や基準も違うから、自分の価値観だけで先走りの行動はひとまず慎んで捨て置く方が大きな波風も立たないですむし何かと都合がいい。憲正さんの衣類にしても、結局は永遠にそのままにしておいてもどうなることでもないし、廃棄するしかないことなのだが、今のおかみさんにとっては、まだまだ自分にとって大事で大切な思い出の品でもあるわけで、それはそれなりに機能している遺品のひとつである。

入籍をすませ、嫁いでいったなっちゃんの引っ越しが終わったようだが、色々ドタバタあったらしい。私もこの歳になるまで数えきれないほどアチコチ転々と引っ越しをくり返してきた。衣替えや模様替えや引っ越しと、まっちゃん(ワイフ)、なっちゃん(吉田→川島)・・・なにかとお疲れさまです!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
埼玉にお引越ししました。
島根×2→奈良→兵庫×2→東京×3→埼玉
13年かけて9回目の引越しでまさか最終地点が埼玉とは思っても無かったけど住めば都‼︎
とりあえずレッズサポーターにでもなろー
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
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ダイレクト電話の件 

2016/05/15
Sun. 03:52

もう、かれこれ2~3ヶ月は経っただろうか??
ブログ更新のタイミングが上手くいかなくて、記事が保存できていなかったりウエブアップされていなかったり、色々な不具合が続いている。そういうことが度重なると、なんとなく一つ一つの習慣が微妙に崩れて気持ちが乗らなくなってしまう。
私のささやかな苦情の情報がケーブルテレビさんの工事担当さんの方へ流れて、突然にダイレクト電話が入ったことがある。不具合の出元がどこにあるのかわからないまま愚痴をこぼしていたのが、色々な経緯の末彼の耳に入ったということらしい。
最近御無沙汰だし、世間話でもしようと吉田家へ来てもらうよう約束してその日が来たが、結局インターネット環境は正常だということで決着がついた。
しばらく調子がいい状態が続いていたある夜・・・また、使い込んだラップトップが何かしらおかしな感じになって虹のグルグルがとめどなく回転しはじめてイライラする状態が続くようになったので、面倒臭くなって強制終了した。つい先週末になって、不具合の原因がTime machineではないかと思うようになった。そういえば、調子が悪い時はだいたい外付けのハードディスクをUSBで繋いでいたような気がする。そのストレスがラップトップ本体へ過剰に影響しているのかも知れない。

・・・さて、さきほど栄泉寺さんのことを書き残して横になったのだが、どうも色々なことが思い出されて眠れなくなってもう少しで朝になるまでになってしまった。

もう30年以上疎遠が続いていた昔の同僚から唐突にダイレクト電話が入った。珍しくもあり懐かしくもあってしばらく世間話をしていたのだが、「さて、いったいこの電話は何か用事でもあってのことなのかな?」と、ハタと気がついてそう聞いてみると、「そうだ」と返事が返った。悪いことをしたと思いつつ用件を聞くと、1ヶ月に2回ほど土曜日に美術を教えてもらえないかというお願いを兼ねた問い合わせだった。
今の彼は、島根県に1校だけのキリスト教系列の全寮制高校の校長先生をしている。昔、正副担任の仲だったし、彼の人柄の良さは熟知しているので、そういう人からの誘いは断わることも出来ないだろうと、引き受けることにした。
それから1回ほど学校へ出かけて、昨日が2回目だった。公立学校の面倒臭い規則もないようだし、子供たちと大人たちのアットホームなコミュニティー感が何より心地良い。
彼等が「美術小屋」と呼んでいる美術室は、とにかく何も設備らしいものがなくて、それがまた気に入った。一回目の訪問が終わって、早速子供たちから聞いた「あれがしたい!これがしたい!」を元に、自宅や工場にちらばっている道具や資料をかき集め、ワイフからは新品のスケッチブックをプレゼントしてもらい、結界君に積み込んで、予定の授業時間の1時間ほど前からそのなんにもない美術小屋へ搬入した。道具や材料を広げ、積年の埃をかぶっていた美術本や画集図録などを並べると少しばかり教室らしくなった。
だいたい、キリスト教の学校へ曹洞宗のナンチャッテ坊主が白い鼻緒の雪駄履きで出かけて、時々お釈迦様の話を持ち出して雑談して、なにかおかしなことになってしまった。
昨日は、今年度最初の保護者懇談を兼ねた参観日だったようで、美術小屋の見学も絶え間なくあった。
何時まで首が繋がっているかわからないが、彼等のピュアな心根を吉田の毒で濁さないようにしなけれないけない!と秘かに心に誓ったのでありました!!

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栄泉寺さん遷化 

2016/05/15
Sun. 02:21

久しぶりにラップトップを開いた。
ネタが無くて放置していたわけではなく、ラップトップを開くタイミングが無いまま今になったということ。

このだいたい2日間の間に、けっこう目まぐるしく色々な出来事があった。

半日ほど自宅の四畳半にこもって彫刻イベントの助成事業申請書類最後のひと山の作文を完成させ、その後、松江に走り、幾つか用事を済ませて担当窓口へ書類を提出し、無事に受理していただき、また一つほど用事を済ませて急いでUターンして自宅へ着いて、慌ただしく急いでワイフに修繕してもらった改良衣に着替えて九教区総会へ移動。
三瓶山の山越えをして、開会予定時間ギリギリに到着して何食わぬ顔で出席。護持会役員の皆さんも比較的高齢者が目立つなぁ〜・・などとボォ〜ッと会場の雰囲気を見渡している間に会長以下丁寧なおはなしが延々と続き、それに引き続いて粛々と議事が進行し、時々承認の拍手が数回あって会議終了。
席を立ったところで呼び止められて「あんた今年から監事だけん、監査してもらわにゃいけんけぇ〜」と唐突なおはなし。「えっ??、それって何時に決まったことでしたっけ??」・・・前後の経緯がよく飲み込めないまま、ゴネてことわる理由もなく承知して監査日程を宗門手帳へ書込んで、配られた会議弁当を頂いて散会帰宅。

「正ちゃん・・・帰って早々だけど・・・栄泉寺さんがお亡くなりになったって・・」
ワイフから訃報を聞いた。
少し前に、病気が見つかって入院したがもう治る見込みがないそうだ・・という情報が、これもワイフ経由で入っていたのだが、あまりにも急なこと。
通夜密葬の日程を聞きとったものの、具体的な葬儀内容までの情報が入らないまま悶々と一晩を過ごすことになった。
栄泉寺のご住職は、私のようなチンピラ坊主とは訳の違う特派布教師の立派な方丈さんで、1年中日本全国を巡りながら布教活動をしていらっしゃった。
宗門開祖の道元さんが残された書物の研究や、地元地域に縁深い名僧高僧の古文書を読破されるなど、なかなかの勉強家であり仏教の研究者でもあった。島根のような田舎では、滅多に存在しない逸材の名僧だと思っていた。
もう10回を数える現代彫刻小品展も、初回から会場へ足をはこんでいただき、「専門外で分からんことですが、いやぁ〜、立派ですなぁ〜!こういう小さな町でこういう一流の彫刻が見られるということは幸せなことですよ!」などと、身に余る感想を頂いたりした。そういうご縁もあって、栄泉寺境内へ展覧会企画のワークショップで制作した都合3体の石彫を奉納させていただくことも出来た。facebookで近況を報告されたり、1カ月に1回ほど地元地方紙の日曜版へ1200字ほどの記事が掲載され続け、もう何年も続いていた。
私よりズッと若くてこれから島根の仏教界を引っ張っていただけるような方だと期待していたのに残念なことだ。
このところ、facebookにはあまり深く関係しないまま時が過ぎていたが、気がつかない間に静かにさり気なく栄泉寺さんのページや記事が消えていた。冥福を祈ります・・・

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ノッチ帰る 

2016/05/12
Thu. 23:51

位牌の裏には昭和61年6月吉日建立とあった。
その年に吉田家長男のじゅん君が生まれているから、憲正さんはまだ現役バリバリで万善寺を盛り上げていた頃だ。
その頃の私は、万善寺から50分くらい離れたところで地方公務員をしながらワイフと暮していて、寺の手伝いをする時間もなかなかとれなくなっていた。それでも当時の地方公務員は今よりずいぶんゆるやかな縛りで、比較的楽に融通がきいた時代でもあった。

もう、あれから30年近く経ったわけだ。
位牌を建立された施主さんはすでに亡くなっているはずだが、万善寺では絶縁の記帳も見当たらないまま位牌堂の隅に並べられていた。憲正さんを受け継いでしばらく経つし、そろそろ自分で管理しやすいように本堂のアチコチを整理しはじめたところで、つい2カ月ほど前に、そういう有縁無縁の位牌を舎利棚殿へ移動したばかりだった。
じゅん君が産まれた年に建立された位牌が幾つかあってその一つだったからなんとなく覚えていたその位牌のご親族から突然電話があったのは先週のことだった。しばらくお墓参りもしていないし、自分も歳をとって次にお参りできるかどうかわからないから、兄弟姉妹と一緒にお寺のお位牌さんへもお参りしておきたい旨のお話だったので、せっかくだから日時を調整してひと声お経をおつとめさせていただきましょうということになった。
おつとめが終わって、用意した番茶をすすりながら懐かしそうに当時の様子をお話された。
お逢いするまでは、すでに縁も耐えているし、良い機会を見て御炊き上げでもしようと思っていてそういう話をしようと決めていたのだが、昔話を聞くうちに気が変った。
昭和が平成になった今の世の中、血のつながりと縁のつながりは別のものになりつつあるということを実感した。せめて自分の代だけでも、お位牌さんのご縁を繋いでおくことくらいはしておいた方が良いように思った。

吉田家のSNSが久しぶりに活発に賑わっていた。
ノッチが帰国することは本当のことらしい。オヤジとしては、べつに彼女のスケジュールの信憑性を疑っているわけでもないが、どうも素直に信じ難いところもあって、半信半疑のまま今に至っていたところもある。それでも、基本真面目なノッチの性格を考慮すると、今回の帰国決定も彼女なりにじっくりと考えて決めたことでもあるだろうから、それとなく疑ってしまっていた自分がいたことを反省している。
ノッチとは彼女が15歳になった時から別居している。10代の頃は1年に数回は石見銀山へ帰省もしていたと思うが、20代になるとそれも途絶えて、海外での暮しがはじまってからは憲正さんの葬儀で久しぶりに逢ったくらいのことだ。
父親としてはそれなりに心配でもあるが、だからといって過剰に干渉する気もない。自分の人生だし、自分の責任で正直に健康に生きてくれればそれでいいと思っている。
ワイフとのSNSの会話を見ていて、彼女が小さかった頃のことや、中学校時代の頃を思いだした。じゅん君やなっちゃんとは少しほど年齢に差があったから、小さい時はお父さんと一緒にいることもそれなりに多かった。甘えん坊の末娘キーポンには負けるけどね。
さて、当分の間日本で暮すようだし、このまま上手くいけば秋には東京で逢える筈だ。
オヤジ譲りの似た者のんべぇノッチと久しぶりに旨い酒が飲みたいものだ。

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シンプルに暮す 

2016/05/12
Thu. 00:00

ワイフと二人の静かな暮しが戻ってきた。
それでもネコチャンズはあいかわらず一日のほとんどを思い思いの場所で寝て暮し、真夜中や早朝の数時間ほど吉田家中を走り回って大騒ぎをくり返している。
水槽を更新して新しい環境に移ったグッピーの群れは、止めどなく赤ちゃんが増え続け、見る見る成長している。
少し落ち着いて身の回りの物を整理して、幾つかの模様替えをして二人暮らしを快適にしようと考えてはいるのだが、なかなかそういうまとまった時間がつくれないまま一日がすぐに終わってしまう。

今週から来週にかけて宗門の春の総会が続く。
そのための資料をまとめたりして報告の準備もしなければいけない。
彫刻の本年度事業計画にもすでに取り掛かっていて、今週末にはチラシ原稿を作成して入稿出来るように手配をしようと思っている。
憲正さんの一周忌もあと1ヶ月後に迫ってきたから、その手配もしなければいけない。
決まった仕事もしないでプラプラしているから何とかなっているようなものだが、これでお役所仕事やサラリーマンだったりしていたらとてもこれだけの用事を一人でやりくりすることなど出来ないと自信をもっていえる。他人に使われないでいられる気楽さもあるが、むしろかえって他人に使われているくらいの方が自分の逃げ道も出来て責任も分散されて余計に気楽でいられたりするかもしれないなどと身勝手な妄想がふくらんでしまう。
年金暮らしの老僧は別として専業坊主の暮しがどれだけ機能しているのだろうか?
自分の周辺の坊主事情を見渡すと、学校の校長先生だったり、まちづくりセンターの所長さんだったり、民生委員だったり、社会福祉事務所の職員だったり、デイサービスを経営していたり、夜間警備員をしていたり、代行の運転手をしている坊さんもいたりする。何がピンで何がキリなのか分からないが、とにかく坊主の副業だけでも数えきれないほどだ。
もう少ししたら、浄土真宗のシンガーソングライターの尼さんが石見銀山へやってきてライブがあるそうだ。街場では坊主カフェとか坊主バーなどの飲食業も流行っているようだし、最近はテレビのバラエティー番組にも沢山の坊さんがレギュラー出演している。イケ僧とかいって世の女性方のアイドルになっている坊さんもいるようだし、有る意味で宗教ブームのようなものがやってきているのかも知れない。

私も、それとなくなにげなくさりげなくボーさんであるわけだが、現代社会をパワフルに乗り切るだけの商才がないから地道にコツコツと彫刻を造りつづけるくらいのことしか出来そうにない。
先日、萩の往還まつりに彫刻と一緒の巡業展覧会へ出かけたが、その時出あったクラフトマンのみさんと名刺交換し過ぎて名刺在庫が無くなってしまった。この際だから次に造る名刺は少しデザインを変えてみようと思っていて、今思案中だ。
坊さんによっては、名刺サイズ一枚の裏表におさまらないほどの肩書きを持っていたりして、二つ折り裏表4面の全てがビッシリと文字で埋まっているような名刺をいただいてビックリしたことがある。
私はシンプルな方が好きだから次の名刺もたぶんそうなるだろうし、その前にわざわざ記載するほどの肩書きもないからね。

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飯南高原雨模様 

2016/05/10
Tue. 19:58

飯南高原は朝からけっこう激しく雨が降っている。
万善寺の境内は、雨を吸った真土がすでに飽和状態で至る所に水たまりが出来て大変な状態だ。
おかみさんは幾つかの検査があるので通院の時間が9時になっていたから、「8時45分に出発するからね」と声をかけておいたら、すでに8時過ぎから雨に濡れた結界君のすぐ横までヨチヨチと歩いてきて出発を待っている。私はまだ顔も洗っていないし、着替えもすんでいないし、そんなに早く出かけても結局待たされる時間は一緒だからゆっくりすればいいと云う事がわかっていてノンビリしているのに、場の読めない気の早いおかみさんの行動に閉口してしまう。

レントゲンと心電図と血液検査とそれにもう一つ何かの検査があって、あとは問診や診察を待つだけになるまで、病院のアチコチを車椅子で移動した。おかみさんも前回の通院の時には杖一本で大変な思いをした事を覚えているから、今回は比較的素直に車椅子へ座ってくれた。90歳を過ぎてガンコのレベルもアップして筋金も強化されているから、ヘナチョコ息子の云うことはほとんど素直に聞いてくれない。そういうことがわかっているから、私としても他人の目を気にもしないでガンコの向こうを張ったガンコさでひたすら極悪人親不孝息子に徹している。

田舎の病院は、ほんの20~30年で隔世の感がある。
色々な検査機械も常備されて、ドクターだけでも非常勤出張を含めて5人くらいの名前が貼り出されている。私が子供の頃は、田舎の開業医が一つの町にせいぜい一人か二人程度いるだけで、それぞれが自腹で建てた設備もほとんどない病院を経営していた。それが今では個室の病室まで整った小さな総合病院と言っても良いほどの規模になって至れり尽くせりの医療になっているわけだから、後期高齢者も死ぬに死にきれないままひたすら長生きをして田舎行政の高齢化社会に貢献(??)していたりする。

そんなことを思いながら診察を待つ間、鞄にしのばせておいた読みかけの「トラちゃん」を出して読書タイムを過ごした。おかみさんも、何か気の紛れるペットが近くにいたりすると生きる張合いにもなるだろうにと思って時々水を向けるが、全くその気がない。
私が少年時代の昔はそうでもなかった。犬の初代ポチもいたし、長い間カナリヤやセキセイインコや文鳥も飼っていたし、金魚も風呂の隣の大きくて深い水槽で野生のような暮しをしていた。それに卵目当てのニワトリは私が生まれる前から飼っていたらしくて、歳をとってばぁさんになったニワトリはすき焼きの肉になっていたことをしっかり覚えている。
その頃の吉田少年の毎日の仕事はニワトリの餌づくりと本堂や庫裏の仏壇のお茶とお水のお供えだった。だいたいほとんどおかみさんが動物たちの世話をして飼っていたのだが、そういえば、おかみさんは飼っている動物たちへ餌をやりながらよく話しかけていた。今から10年ほど前に二代目のポチが死んでからは、完全にペットとの縁が切れた。

どうやら、その頃からおかみさんの長話が人間に向けられはじめたようだ。はじめは憲正さんが聞き役になり、それから近所のおばさんが聞き役になり、今は私が延々とリピートされるおかみさんの長話の聞き役になっている。

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読み書き事情 

2016/05/09
Mon. 21:42

連休で遅れていた業者さんへの支払いを済ませたり、2カ月ぶりに通院してドクターと世間話しながら血液検査の結果を聞いたり血圧測定などしたりしていたら、とっくにお昼を過ぎてしまっていて、半日がアッという間に終わった。
歩く成人病の私としては、炭水化物の摂取をひかえて満腹になるまで食べ過ぎないようにしながら歳相応につつましく摂生して暮していくことが大事だといういつものありがたい助言をドクターからいただいた。

明日はおかみさんの通院日で、主治医が替わったから改めて幾つかの検査をしてもらうことになっている。親も子もいいかげんいい歳になって病院とか検査とか、気が滅入るような用事が増えてきた。自分の身体のことだから仕方がないことなのかも知れないが、歳相応にそれなりに体力も衰えるし老化も進むから、病気の一つや二つはあって当然で、ノラリクラリとだましだまし仲良くつき合っていくしかないことだ。

銀山街道の途中から雨になった。
寺の境内は、真土が雨をたっぷり吸い込んで車の轍が幾重にも重なって残っている。
巡回の移動スーパーが境内まで入っておかみさんの話し相手をしてくれているのだ。
母の日のこともあったから、連休中におかみさんを連れだして昼食を食べた。ワイフも一緒に付き合ってくれて、おかみさんはすこぶる上機嫌でいつも以上に饒舌になった。特にこれといった話題など無いのに、あまりにも話しが耐えないで延々と続くものだから、iPadに残っている吉田家の家庭内SNSからなっちゃんの婚姻届前後の話題を見せたらしばらくのあいだ静かになった。たった1〜2行の文章ともいえない文章を読むのにやたらと時間がかかっている。一人でいる時はテレビばかり見ていないで何か小説でも読んだらどうだと云ったら、字を読むのはキライだがちゃんと読んでると云うから、何を読んでるんだと聞いたら新聞だと云う。新聞は、憲正さんがいなくなってしばらくしてから、おかみさんが自分で購読をことわっている。この期に及んで見え透いたウソをつくこともないだろうにと思いながら、それじゃぁどんなことが書いてあったと聞いたら、ダレソレが殺されたとか、犯人は家族のナニガシだったとか、島根の道で崖から落ちた石に女子大生が潰されて死んだとか、まぁ、テレビのニュースやワイドショーで仕入れた血なまぐさい話題がポンポン出てくる。そういうことではなくて、もっと想像が膨らんで脳みそが活性するような読み物を読んでみたらどうだと云ったら、漢字が読めないからイヤだとハッキリことわられた。
たしかに、おかみさんの世代には、漢字がほとんど読めなくても日常の暮しに困らないで大きくなった人達も沢山いたハズだ。さすがに憲正さんはとてもよく漢字を知っていたし、意味も解って読み替えも出来ていた。こうしてキーボードを叩いて文字変換しているだけの現在の私などとても足元にも及ばないほど博識だった。今のおかみさんとはくらべものにならないほどボケていたのに晩年になっても漢字の読み間違いはなかった。
頭がしっかりしているのに漢字が読めないおかみさんと、ボケているのに漢字が読めていた憲正さんと、たぶん、まだボケてはいないと思うが漢字がだいたい読めても書けない私と・・・さて、ダレが一番偉いんだろう??
結局は、似たもの親子でどっこいどっこい・・というところでしょうね。

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春の大型連休終了 

2016/05/08
Sun. 23:53

ついに・・というか、やっと・・というか、春の大型連休が終わった。
私にとっては、あわただしい連休だった。と同時に、終わってしまえば「アッという間」に感じるわけでもなく、何とも曖昧にはじまっておわったふうに感じる。
連休中に諸官庁や金融機関の窓口が機能しないということは不自由だがしかたがない。

キーポンが短期間のアルバイトを終わって学業に戻った。これから現場での研修や、グループ発表の演習などが入って、その合間に就職の視察訪問も始めるようだ。
なっちゃんは連休中に入籍をすませて「吉田」から姓が変った。戸籍上は吉田家の家族が一人減ったことになる。
ノッチは五月中旬に帰国する。約2年弱の外国暮しで生活力もパワーアップした筈だと思っているが、はたして実態はどうだろう?
じゅん君はきわめてマイペースに暮しているようだから、それはそれで彼らしくて良いと思う。
いずれにしても、吉田家の子供たちはそれなりにまあまあ自立出来ているようだ。

こうして自分の周囲をみわたすと、情報ネットワークは昭和の頃から隔世の感がある。
自分が何処にいても何をしても、幾つかのSNSなどを手繰ればだいたいその状況が把握できるようになった。それはそれで安心でもあるが、一方で迷惑に感じることもある。自分では普通に使いこなしているように思っていても、知らない間に都合よく使われてしまっていたりして、そのあたりの境界の落し所を間違えると無駄にストレスを抱え込むことになってしまったりして厄介だ。

1日だけだけど、しっかりと休養をさせてもらった。
何かにつけて無理をすると身体のアチコチに不具合が生じて動きにくくなって、それが重なって気持ちと身体の動きのズレが修正できなくなるまでになってストレスが増す。
若い頃はひと晩寝たら次の朝には体力もほぼ回復して無理も出来たが、この歳になるとあの頃と同じような訳にはいかない。日常の生活のリズムをそれなりにその時々の自分の心身の状況に併せて寄り添うような思いやりを持って自分とつきあうことが大事だ。ようするに、無理をしないということ。
その効果があったかどうかわからないが、今日は朝から黙々と吉田家の営繕にはげんだ。
ほぼ1日中外にいたら、「あなた日焼けしたんじゃない?」とワイフに指摘された。自分では気付かないが、そういわれてみるとシャワーで汗を流したあともいつまでたってもなんとなく顔の火照りがとれないでいる。

「懐かしいわねぇ〜、昔を思い出すわぁ〜」
駐車場の隅で薪を割っていたら、町並みをそぞろ歩く観光客がそう言いながら通り過ぎていった。ふりかえると、私とドッコイくらいの年齢のおばさんだった。今の彼女の暮しで薪割りをすることなど無いのだろう。暮しが便利になる一方で大事な何かが消えてしまうこともある気がする。
少々の不便や苦労がある方が、ズッと豊かな心根でいられる気がしてますよ、私は・・・

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何もしない 

2016/05/07
Sat. 22:10

日の出とともに吉田家のネコチャンズが家中を走り回って大騒ぎを始めた。
あれほどドタバタやられるとイヤでも目が覚める。
しばらく大騒動が続いた後にワイフが起きてきた。

目覚めた時から心に誓ったことがある。
「今日は、何があっても絶対何もしないぞ!」
ナンか変な誓いだが、意地でも守り通してやると信念を持って朝の二度寝に入った。

ネコの騒動も落ち着いてしばらくウツラウツラしていると、「正ちゃぁ〜ん、ごはぁ〜ん」とワイフが台所から声をかけてきた。
クレソンとアボガドたっぷりのヘルシーサラダにパンとみそ汁の朝食が終わって、歯を磨いて顔を洗って、それからまた寝た。

石見銀山の吉田家の近所のショップでアルバイトをしているキーポンが昼休みで帰ってきた・・・とそこまでは気配を感じたが、また寝た。

これで、半日ほど無事に休むことができた。
空腹で目覚めて遅めのお昼を食べたところで、吉田家の営繕の仕事が気になってきた。
ここでその気になってしまったら朝の誓いに背いてしまう!
気を紛らわそうとアメリカドラマを観ることにした。こうしてドラマ鑑賞ができるのも久しぶりのことだ。
ワイフが、さりげなく萩で買ってきたコーヒーを入れてくれた。
この絶妙のタイミングにウルッときた。
朝の大騒ぎのあとから足元で寝つづけていたシロがイジイジと動き始めた。土間からクロの鳴声も聞こえてくる。なにかしら、今日のオヤジは吉田家のネコチャンズと似たような一日を過ごしている。

ワイフもキーポンも二匹のネコまで四畳半でゴロゴロしている私を見て見ぬふりでいてくれる。何もしないでほったらかしにしてくれるというあたりに家族のさりげない愛情を感じる。
「チョット買い物に出かけるからねぇ〜・・あぁ〜そぉ〜そぉ〜、お風呂わいてるからね」
土間からワイフが声をかけてくれた。またまた愛情を感じる。
先日ドッサリ買い込んだ中古本の中から群さんの「トラちゃん」を引っ張り出して風呂へ持ち込んだ。群家のペット達との日常の暮しが活き活きと活字に置き換わっている。
小一時間ほどぬるめのお湯につかりながら読んでいたら、しだいにジワリと汗がにじみ出てきた。坊主頭から額を通って顎先まで汗が伝わり始めたところでボディーソープで全身を洗った。ふやけたひざ小僧やかかとなどを指で擦って老化角質化した皮膚を擦り落とした。
パンツを履こうと膝を上げたら、普通に楽に曲がった。入浴の効果絶大でビックリ!
あと少しで、何もしない一日が終わる。

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読書 

2016/05/06
Fri. 18:46

Bookoffが連休中特価価格になっていたので、中古本をドッサリ買った。
いつもだったら108円のところ、それより安くなっているから・・・程度のことだけどね。
我ながらケチクサイことだと思わなくもなかったが、どうせ中身に書いてあることは変らないわけだし、少々ページが汚れていたり本が水っぽくなってヨレヨレになっていたりしても、まったく気にならない。あわよくば、その108円の本を読み終わったらまたbookoffへ持って行ってやろうとドケチなことまで考えている。

それで、せっかくの連休だからノンビリと昼間からカウチにもたれながら読書三昧ができたかというと、そんなことなど全くなくて、毎日毎日入れ替わり立ち替わり、これでもかというほど周辺に色々なことが起こって、結局、トイレのブックスタンドへ投げ込んでおいたエッセーの一篇を読んだだけで終わってしまった。
あと2日ある休日を無理やり何とかして、せめて1冊だけでも読破したいものだと思っているが、さてどうなることやら・・・

私はどちらかというと本はよく読んでいる方だと思う。
生活の暇を見つけて読む程度のことだから、完全に趣味の延長だと云っていいだろう。
本を読むといっても、そこには色々な読み方があって、人によっては本を読むことそのものが自分の仕事や営業に直結している場合もあるだろう。
もう2~3年前のことだったと思うが、なっちゃんが「七つの習慣」とかいうビジネス本を読めと勧められたといってきたことがあって、それが自分の仕事に役立つのなら読んだ方がいいだろうということになって、それじゃぁオヤジが「暇を見つけて古本をチェックしてみるよ」と安請け合いをして色々とウエブ検索をしてみたら、これが、そのスジの方々にはバイブルのような本であるというような解説があったりしたものだから、そんなに立派なことが書いてあるのなら自分もひと通り読んでおこうかと、Amazonで中古本を購入した。
届いた本は目茶苦茶分厚くていっきに読む気が失せたが、それでも少しはオヤジのうんちくなどを添えてなっちゃんへ届けてやろうと思って、とにかく無理矢理読破した。結果、万年フリーターかニートに近い暮しのオヤジにはどうでも良いような内容だった。「こういう本を自分の仕事のバイブルとしてあがめたてまつっている職業人もいるんだなぁ~」くらいの感想しか浮かばなかった。時間の無駄・・とまではいかないまでも、まぁ、自分にとってはその程度のものだった。その後、その中古本にそんな感想を添えてなっちゃんへプレゼントしたが、彼女がその本を読んだかどうか・・・それは知らない。

私のバイブル的読書本はそれなりに何冊かあるが、その一冊が洪自生さんの「菜根譚」
これは、吉田家の四畳半や万善寺の三畳やロフトへ常備している。
そして、なっちゃんの就職祝いにプレゼントもした。
菜根譚の翻訳本は色々たくさん種類があるから、原本というか出典というか、その洪自生さんの原文は変らないが、著者や翻訳者や出版者などで微妙に解釈が違ったりしていて読み飽きない。
それに、あの何ともいえない自己中心的なゆるさが心地良い・・・と勝手に解釈している。
実は、なっちゃんの名前も菜根譚の「菜」の字が使いたかったという裏事情もあった。

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萩〜彫刻巡業の旅その2 

2016/05/05
Thu. 22:52

萩往還まつりのクローズは16:00だった。
町並みの通りは今でもバス通りの街道で、こういうイベントの間も車両通行止めにすることができないらしい。搬出作業もあるので結界君を古民家の軒先へ横付けして搬出準備をしている間中車の往来が耐えない。何度か轢かれそうになりながらほんの10時間ほど前に降ろした彫刻をまたセッセと積み込んだ。だいたい1時間ほどで積み込みも終わって、展示でお世話になった会場の点検をして襖や障子を建て直して結界君へ乗り込んだのは17:30くらいになった。

はじめて萩へ来たのは今から30年以上前の頃だった。
あの頃は道も今のように整備されていないし、バイパスや自動車道もなかったから、萩までは普通に4〜5時間はかかっていた。
その頃にあった美味しいコーヒー屋さんへしばらく行っていないので、まだ日も高いし久しぶりに訪ねてみることにした。
その店の名前は「長屋門珈琲」という。前回訪ねたのはもうずいぶん前のことになるし、その後の萩市は都市開発や主要道路の拡幅も進んで、昔の面影がどんどん消えている。Googlemapのお世話になろうとしたら検索不能だったので、かろうじて記憶に残る町並みの風景をたよりに、古い道へ入り込んでしばらくその店を探した。食べ物や飲み物や、とにかく食に関する記憶に特化するワイフが絶妙の記憶と感と嗅覚を駆使して遂にその店を探し当てた。私がかろうじて記憶していた風景は、その長屋門珈琲へ曲がる曲がり角の商店だったのだが、すでにその建物は消えて更地になっていた。
遥か昔からの時の流れを実感しながら駐車場へ結界君を停めると、お店からほのかなコーヒーの薫りが漂ってきた。帰りのお客さんがドアを開けたらそれがいっきに広がってコーヒー好きの私は思わずよろめいた。
メキシコの古代遺跡にちなんだ中煎り焙煎のティカルが当時と変らないままメニューにあった。朝5時からスタートした一日の彫刻巡業の旅も、このティカルブレンドの一杯で疲れを忘れることができた。
帰りに、豆を100gほど買った。

途中、道の駅へ寄った。ワイフと一緒に遠くへ出かける時には、出先の各地で道の駅を素通りすることは許されない。彼女の指令に従い、粛々と対応しつつそれでもそれなりに石見銀山への帰路を急いだ。
だいたい3時間ほどかかると計算して、帰宅は9時前後になるだろうと判断した。
キーポンはバイトが終わって帰宅しているだろうから、この度の慰労も兼ねて夕食は外食することにした。飲みかけのボトルがキープしてある八剣伝へ3人で出かけて焼き鳥をパクついた。私はボトルを空にした。ワイフはお店オリジナル特製ラーメンを食べた。キーポンは梅ジンジャーなる飲み物をチビチビ飲みながらサラダやポテトフライなどアレコレ注文していた。

気持ちよく爆睡した次の朝は、身体中の節々が悲鳴をあげていた。やっとの思いで起き上がって結界君から彫刻を降ろした。今年も連休の彫刻巡業の旅がひとまず終わった。

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萩〜彫刻巡業の旅その1 

2016/05/05
Thu. 17:36

実働時間16時間、走行距離350km!
吉田正純と吉田満寿美の彫刻巡業の旅が終了しました!

早朝、5時に石見銀山の自宅前駐車場で彫刻を積み込んだ結界君のエンジンをスタートさせた。
目指すは山口県萩市の明木。
だいたい、3時間と予測していたが、見事に的中。
連休とは云え、早朝の国道9号線はいつもとかわりなく空いていて、有料の山陰道へ乗ることもなく快適に西を目指した。益田から萩へのルートは若干車の量が増えた感じだが渋滞するほどではない。この連休中に長距離トラックがいっぱい走っている。日本の物流の基盤はこの行き交うトラックの車列に担われているのだろう。

益田を過ぎたあたりで明木の往還まつり実行委員長へ展示会場の様子を電話したら、すでに玄関のカギを開けておいたとの回答を得た。昨年に引き続いて萩と小郡を結ぶ維新街道の宿場町として栄えた明木村の頃に旅籠を営んでいたという古民家が今回の彫刻展会場になる。
今年の彫刻展参加作家は吉田家夫婦2人に絞った。それで移動の諸経費を抑えることも出きるし、道中のスケジュールに余裕もできる。
会場へ到着して結界君から彫刻を降ろして古民家の各部屋へ展示設置が終わったのは9時少し前だった。往還まつりのスタートが10時からだから、余裕を持って彫刻展示の微調整もできた。我ながら、良い展示になった。

ワイフが10時前からソワソワしていたのでオシッコでもしたくなったのかと思っていたら、何のこともない、お祭りの出店でお買い物が待ち遠しくて仕方がなかったようだ。
「もう10時だから、チョットひと回りしてくるね♡これ、コーヒー入ってるから、飲んでいいからね♡!」
要領良く受付けや接客を私に任せて、さっさと明木の町並みへ消えていった。

やはり、萩は石見銀山とくらべものにならないほどの観光地であり、また、観光で来訪のみなさんの文化意識も高い。受付けをしていると、結構突っ込んだ専門的な質問を受けたりして、飲んだコーヒーをちびりそうになった。昼前に、初老の紳士がキレイなお姉さんを連れて会場へ現れた。実行委員長も現れてその紳士に吉田正純を紹介してくれた。「こういう芸術性の高い作品があると、やはり会場が絞まりますなぁ・・・大事なことですよ、こういうところでは・・・」と、(たぶん?)褒めていただいた。あとで聞く処によると萩焼陶芸協会か何かの会長さんだということだった。この、明木での往還まつりイベントもすでに13年目を迎えたようだが、今回初めて会期中に視察訪問して頂いたのだそうだ。彼が萩でどれだけ偉い人物なのか吉田には想像の域を超えてしまう。
「もぉ〜、いっぱい買っちゃったわよ♡♡!ネエネエこれいいでしょ?」
その後、昼食の買い物に出かけて屋台の本場インドカレーを買ったりと、島根を代表する女流彫刻家吉田満寿美は、完全に主婦のお買い物モードへ切り替わった一日でありました。

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連休のネコチャンズ 

2016/05/03
Tue. 20:32

連休後半の朝は強風で明けた。
連日の僧侶暮らしで心身ともにかなり疲れた。
私は、それほどいいかげんなナンチャッテ坊主で暮しているかということを身をもって自覚したことになる。
とにかく、ジッとしていることがどれだけ辛いかということを久しぶりに思いだした。

身体が覚えているのだろうけど、朝早くに一度目覚めてワイフと二言三言しゃべって、そのうちアルバイト中のキーポンが起きる時間になってドタバタのあと、そのまま次の何かを始める気にもなれなくてSNSやウエブニュースを確認しているところまでは記憶にあったが、いつの間にかそれも途絶えて、気がつくと13:30近くになっていた。
もう、老人といってもいい年頃でこんなに正体を無くして爆睡できるとは思っていなかった。私も「こうみえてまだ結構若いのかも知れない!」などと都合よく解釈した。

萩のイベントで彫刻を展示することになっていたのだが、急な仏事が入ったので当初の予定がかなり狂った。当初予定していたワンボックスのレンタルもキャンセルになって、結局ボクのいとしき結界君に活躍してもらうことにした。
彫刻を結界君へ積み込んだりして作業をしていたら、強風に雨が加わりはじめた。暴風雨の中、梱包材変わりに確保している毛布やフトンなどの廃材を使って荷造りを進めた。
小品から中品まで吉田正純の彫刻13点と吉田満寿美の彫刻4点を、あの可愛い結界君へ積み込んだ。我ながら神業としか云えないほどの梱包積み込みになった。
その後、燃料を満タンにして帰宅したら、キーポンがアルバイトから帰っていた。
彼女は、アルバイト先の社員のお姉さんから今夜の夕食を誘われたらしく、間も無くしてイソイソと出かけていった。

世間では春の大型連休だからドォ〜シタコォ〜シタとやたら盛り上がっているが、吉田家に限っては特にこれといって大騒ぎになるようなこともない。
吉田家の場合、私が子供の頃からそういうところがあって普通に日常の暮しの延長で連休の毎日が過ぎていた。我が子の連中もそんなもんだと思って、普通に文句も愚痴も出ることがないまま今に至っている。

強風はおさまりそうにないまま続いていたが、雨の方はそれほどでもなかったので結界君に彫刻が積めるように準備をしていたらクロが脱走した。近所へ悪さをすることもないと私は彼を信頼しているので特に大騒ぎもしないで駐車場の結界君をいじっていたらシロもさり気なく脱走を成功させていた。脱走のプロのクロがいるから大事になることもないだろうが、シロの前身は野良暮らしの経験があるので、ヨソの家でつまみ食いなどされたらかなわない。
人間と猫の共同生活が難しいというところがそのあたりにある。お互いを尊重し信頼しておかないと、無駄に厳しくしつけたり無駄に緊張して卑屈になったりして日常の暮しに亀裂が生じる。今のところ、吉田家のネコチャンズは特に大きな反抗も抵抗もなく今に至っている。さて、それが彼等にとって幸せなことなのかねえ・・・

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緊張の連休 

2016/05/03
Tue. 10:16

松江市の松江城近くにある万善寺法類親寺のご住職御母堂が遷化されてから通夜、密葬、本葬告別式、初七日と続いた。
万善寺は、その親寺から一番遠くにある法類寺になる。
いつものことなら、「何せ松江の方は遠いもので・・・」などと理由をつけて時節や各種法要の随喜を不義理することも多いが、昨年の憲正さん遷化でなにかとお世話になっているところだし、さすがにこの度はそういうわけにもいかない。
それで、数回の往復を続けた。昨日など、朝出発して夜キーポンを松江でピックアップして帰宅するまで、実に走行距離が250kmにも及んだ。
それくらいの距離になると、山陰の日本海沿岸だと兵庫丹後あたりまで行けそうだし、瀬戸内では岡山を越えて備前辺りまで行けそうな気がする。
ちょうど葬儀のはじまる日にかけて、倉吉の水島や児島に置かせてもらっている吉田の彫刻周辺でライブイベントの企画が開催されていて、何事もなければ連休に一日くらいはそちら方面へ出かけてもいいかなとも思っていたが、それも計画以前で無に消えた。

とにかく、この度の葬儀は山寺のナンチャッテ坊主としては破格の規模で緊張も倍増した。
なにせ、仏事師が五仏・・つまり、5人の方丈さんが祭壇前に並ばれるという光景を見たのは、ハッキリ言ってはじめてのことだった。
引導を渡される方丈さんは、鳥取倉吉の本寺さんがいらっしゃった。
弔辞も延々と続き、島根県知事さんの代読もあった。
代表焼香は島根県議会議員をはじめ、政治家が長蛇の列。
ライオンズクラブや各種経済界の代表、それにもちろんご住職の宗門関係者をはじめとした多数の方丈さん方。
本葬随喜の方丈さんだけでも、軽く30人は越えていただろう。

聞く処によると、その寺の寺歴は私のような下々の坊主には想像を絶するほどの格式があるようだった。
開山の謂れというと、松江城の城主正妻さまのお子様に至という。
まだ幼少の嫡子を亡くされて悲観にくれた正妻様が、そのお子様の菩提を祈念して建立されたお寺であるということで、収蔵の宝物も国宝級が多数との噂もあるとかないとか・・
檀家数もケタ違いの大きな寺だから、経営も片手間程度で出きるわけではない。檀家総代衆のしっかりした著名人が名を連ねて盤石の運営がされている。
そのようなお寺様とお付き合いさせていただけるだけでも、田舎の山寺坊主としてはありがたいことである。ご住職からも、目が合うたびに気さくに声をかけていただき、恐縮きわまりない。

グッタリ疲れて帰宅してひととおり吉田家SNSを巡回したら、ノッチとなっちゃんが近況の写真を載せていた。
ノッチは台湾の一人旅でやたらとアチコチ歩き回ったらしい。
なっちゃんはダンナになるタクマ君と島根を満喫し、益々島根好きになったらしい。
・・・それに、私が松江へ行っている間にじゅん君が入れ替わりに帰省していたらしい。

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吉田家連休前半終了記念特大号 

2016/05/01
Sun. 23:28

忙しいのか暇なのかよく分からないまま連休前半が終了。
吉田家ファミリーはそれぞれそれなりにアクティブに活動したようである。

ノッチは・・・
香港でアルバイト中
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休みを利用して台湾へ一人旅
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・・・って、よくカネあるなぁ〜
それだけセッセと働いたということなのだろう。自分へのご褒美を満喫してください!

近々入籍をすませて結婚するらしいなっちゃんは・・・
独身最後の二人旅が未来のダンナと一緒に島根へ帰省・・・というのも、オヤジ的には何か複雑だが、まぁ、それなりに小旅行を楽しんだようだし、出雲大社の有名そば屋でその日最後の打ち止めそばも食べられたようだし、吉田家のワイフシェフの絶品料理の幾つかにもありつけたし、それに、万善寺のおばあちゃんにも逢ってくれたし・・・
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ワイフは・・・
久しぶりに里帰りをしたなっちゃんへ、母の愛情たっぷり料理をふるまい、連休で帰省中のキーポンに振り回されてドタバタしたり、どちらかといえば落ち着かなくて忙しい日々を過ごしたようだ。

というわけで、キーポンは・・
連休返上でセッセとアルバイトの日々。
自分の学費と生活費を自ら稼いでくれています!
働きの悪いオヤジは頭が上がりません・・・

隠岐の海士町に暮すじゅん君は・・・
音信不通なのでどんな連休になっているのかよく分からないが、きっと日本の何処かでノンビリと休日を楽しんでいることだろう・・・

シロは・・・
だいたいが極度の人見知りでビビリチキンネコだから、この数日間はきっと生きた心地がしない地獄の日々だったことだろう。まぁ、それでもそれなりに食欲があるし何とかビクビクしながらそこそこ元気に暮している。

吉田家のドタバタに乗じて見事に脱走成功のクロは・・・
彼の人生(じゃなくて、猫生!)で滅多にないほど貴重なフリータイムを堪能して、堂々と朝帰りしてきた。
よっぽど遊び疲れたのだろう、昼の間中ピクリとも動かないで爆睡していた。

そして、オヤジは・・・
例の如く通勤坊主をくり返し、境内周辺の草刈りにはげんでいたら、突然法類からの訃報が入って、ドタバタと準備をして、通夜へ出かけたところ。寺関係の葬儀は一般在家とかなり違ってねんごろだから、その間の時間がひたすらゆるりと過ぎていく。10人以上の坊主が参集して読経がはじまると、空気がひんやりとして荘厳さが増す。山寺で暮すナンチャッテ坊主は、イヤでも緊張してビビりっぱなし・・が、明日も朝から続きます・・
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2016-05