工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

ともびき 

2016/06/30
Thu. 23:50

急な葬儀・・・と言っても、そもそも葬儀は普通に急なものなんだけど・・・の日程は、珍しく友引に決まった。
島根の田舎では今でも友引の葬儀を嫌うところがあるから、珍しいことだと言っていいだろう。

友引の語源というか起源というか発祥というか、その辺りは中国の六曜から来ている。
六曜というと歴とか易の流れにあると何処かで聞いた気がする。
私の場合は、坊主という立場でそのことを聞いた時、友引の通念が長い歴史の中で結構都合よく解釈されて民間に根付いて今に伝わってきたのだということがよくわかった。

万善寺の先代住職憲正さんはこの友引を極端に嫌っていて、私が覚えている限り友引葬儀を行ったことはなかったと思う。
その憲正さんから代替わりして住職交代をした頃は、すでにこの友引のいわれが単なる民衆信仰の伝承だということがわかっていたので、私の方から強いて友引を避けるようなことは考えないでいた。
それでも地域の慶弔ごとで仕切られる葬儀となると、施主さんの意向や坊主の都合で日程が決まるということはほとんどなくて、やはり地域の主だった皆さんが集合して日程次第の相談が始まって、その延長に友引の取り扱いが決まることがほとんどだったし、多分これからも当分の間そういうしきたりは残っていくだろう。

このたびの施主さんの友引葬儀の決断は、地域にとってかなり思い切った改革的決定になったはずだ。
地域みんなで葬儀の手伝いをする慣わしでは、お手伝いの皆さんそれぞれが、自分の仕事と相談して無償の奉仕をしているわけだから、やっぱり、個人的な心のわだかまりとか、地域のみんなで取り掛かるお手伝いの過不足や気持ちの温度差も出てくるだろう。
坊主のというか菩提寺の方へ不安や不満のはけ口が向いてくれるのは一向に構わないが、施主さんの方へ友引葬儀の不満が偏ってしまうことが少し心配だ。
自治会の代表さんがこの度の葬儀の世話人役になられたようだ。その世話人さんは、図らずも私の同級生。どちらかといえばお互いに遠慮のいらない方だから、こういう心配もさりげなく過ぎてしまう気もして、それに密かに期待しているところもある。

夕方になって、その世話人さんはじめ主だった役割の具体的問い合わせが何回かあった。
私の方は、しばらく仏事から遠ざかっていたから伸びた坊主頭も刈り込まなければいけない。
こういう時に二重生活の難しさを感じながら結界君を飛ばして石見銀山へ一時帰宅した。
これから引導の香語や塔婆の裏書も何にするか決めるのだか、場の読めないおかみさんの介入がないだけでも落ち着いて集中できる。
それに、この度は仏教と友引の関係について少しお話をしておこうと思う。
通説の間違いを正すことも大事な仏教教示の一つだと思う。
明日は早めに石見銀山を出発して、万善寺の三畳で墨をする。

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さいわい 

2016/06/30
Thu. 15:52

ボクのかわいいMacBookが調子悪くなって久しい。
今は、キーポンが学業で使っているMacBookAirをかりて急場をしのいでいるが、彼女の方も実習の報告などで忙しくなるだろうし、前期の試験が入りはじめたりするだろうし、このまま借り続けるわけにもいかなくなってくる。
一番良いのは早くに修理へ出せばいいのだが、それで今までのデータが無くなってしまうとそれこそ大変なことになるので、とにかく、今は諸々の用事の合間を使って虹のグルグルをだましだまし外付けのHDへ移動しているところだ。
まさか、よりによってデスクワークが重なって忙しくなったところでこんなことになろうとは思ってもいなかった。
不幸中の幸いと云うか、デスクトップと違って気楽に持ち運べるので、行く先々に二機のラップトップを持って移動しておけばそれだけでも少しは気休めにもなるしデータの移行作業も地道に進めることが出きる。それで、昨夜も万善寺の三畳でコツコツとそんなことをしていたのだが、やっぱり、どう考えても面倒臭いばかりのことでなかなか集中して仕事がはかどらない。気がついたら事務イスに座ったままひっくり返って爆睡していた。

早朝、まだ早い時間にけたたましくiPhoneが鳴った。
時間を見るとまだ6時半。
早朝や深夜の電話は、そのほとんどが良いことでかかることがない。
案の定、お檀家さんからで高齢の実父が亡くなったと云う知らせだった。
前日のおかみさん通院のお供で一日を潰して、その夜は興奮気味のおかみさんへ付き合って、合間をぬって移行作業をして、全く充実感の無いまま寺暮らしを続けていたが、かえってそれが幸いして、枕経もすぐに出かけることができたしお檀家さんへの対応も早くに進んで葬儀までのスケジュールが楽に決まった。

午後からは電気屋さんがエアコンの更新に来てくれることになっていて、それを待ちつつ移行作業を続けていたら、空気の読めないおかみさんが自分の都合でとにかくチョコチョコとちょっかいを出してくる。それでなくてもなかなか集中できないでイライラしているところでさすがに我慢も限界に達した。自分でも気分が滅入るほど大声を出して叱りつけてしまうが、当の本人はプルッとして動じる気配もない。
こういう試練がいったい何時まで続くのだろう・・・お互いにイヤな思いをしながら、それでも付かず離れず一緒にいなければいけないというストレスは自分の精神状態に重たく影響している。
たぶんおかみさん本人は、私ほど深刻に鬱々と思い悩んでいるわけでもないのだろう。自分からヤブをつついたり地雷を踏んだりしてもそこまでして息子とコミュニケーションをとりたがっているのだろう。
そういう時の一波乱が納まると、また数時間後には同じような行為をくり返してくる。
自分の世界に閉じこもって、好き嫌いもハッキリして、我慢することもしないで周囲に毒を吐きながら、それをエネルギーにして元気をキーブできて暮すことも、考えようによっては、本人にとって有る意味で幸せなことなのかも知れない。
最近、胃がシクシク痛むのはまんざら酒の飲み過ぎのせいだけでもなさそうだ。

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親子事情 

2016/06/29
Wed. 18:52

おかみさんの通院で1日を丸々使った。
それでも、自分としては素人診断で悶々と耐え忍んでいた心の支えが少しだけ解消した気がして、今夜の酒が進んでしまいそうですよ!
まっ、身内のつまらない・・というより、気持ちが滅入る面倒くさいようなことなので、これから先は保賀の谷の梅雨の曇り空でも見て、「あぁ〜〜、今の吉田はこんな心境なんだな・・」くらいに思っていただいて、それでトットとたち去っていただいて結構でございます。

さて、そのおかみさんが心筋梗塞で最初にお世話になった頃はまだ「島根医大付属病院」と言っていた。それが、大学の統廃合で「島大医学部付属病院」になってから今回初めて受診に出かけることになった。
昨年の憲正さん永眠後におかみさんの様子が一気に定まらなくなって私にその感情の矛先が向いてきて、どこかしら高齢者特有の脳障害を患ってしまった風に感じたので、ちょっとした健康診断感覚で大学病院の受診を勧めた。診療所の主治医の診断書ももらって、さぁ出かけようという時になって、「そんな話は聞いとらん!!」とものすごい拒否反応が返ってきて、結局、取りつく島もないまま私が一人で受診に出かけることになった。本人不在の受診など、担当のドクターにとってはどうにもならないことで軽く流されてその場は終わってしまったのだが・・・それから苦節1年!・・・やっとおかみさんの機嫌を損ねないように慎重にことを進め、本日めでたく受診することができたというわけ。
なんといっても、担当になってもらったドクターがとても良さそうな方で、私のしつこいほどの食い下がりと、おかみさんの繰り返されるリピート話に粛々と付き合ってもらえて、当初の軽い問診程度で済まされるあたりから、結局脳の断層写真検査まで世話してくれるまでに漕ぎつけた。
結果、若干の前頭葉の萎縮が見られ、幾つかの認知症症状の原因がそのことにあるのかもしれないと曖昧な診断らしきものが出そうになったところで第1回目の受診が終わった。
前頭葉の萎縮というと、認知症的診断では、前頭側頭型認知症の枠に入るようだが、おかみさんの場合は、どちらかというと幾つかの精神症状がそのタイプの認知症に当たるようなところもあって、一般の認知症を判断するより微妙で曖昧な症状が現れるようだ。
自分の行動を客観的に制御できなくなったり、社会的常識的な対人関係を維持できなくなったり、感情の起伏が激しくなったり、まぁいろいろあるようだが、おかみさんの場合は、特に記憶障害が見られないほど認知がしっかりできているから余計にややこしいことになってしまう。自分で自分の障害を自覚できないわけだから、周囲がいくら「あなたは病気です」と言っても、それを素直に認めることができないことになる。それで、私のような家族身内が相手になると遠慮というものがないから、途端に厳しい威圧的反応が返ってくることが多くなる。他人の都合を考えないで自分のことばかり優先で物事を判断されてしまうと、それ以上の修正が効かなくなってしまうことが厄介だ。そんなわけで、このところ息子の言うことがことごとく否定される。普通におかみさんの話を聞いていたら、いつの間にか息子は極悪人に仕立てられてしまっていたりする。

親子の事情なんて、それぞれみんな違うのが当然のことで仕方のないことだ。
今回の通院で、少しばかり自分の気が楽になっただけでもありがたいことだ。

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彫刻の旅その2 

2016/06/28
Tue. 21:55

飯南高原はどうしてこんなに寒いのだ!!
もうすぐ7月だというのに結構冷え込んでいます!
そういえば、今朝は石見銀山で寝ていたのだが、いつものようにクロのうるさく鳴きながらの朝の見回りで目覚めると、いつの間にか羽毛の布団を身体に巻き付けて寝ていた。

もうずいぶん昔のことになるけど、私がまだ小学生の頃だったと思うが、確か今のように寒い梅雨があった。
あの時は丁度台風が通過していて、まだ板戸だった雨戸が強烈にすごい音を立てて夜の間じゅうまともに眠れなかったことを覚えている。
学校へ行ったかどうかは覚えていないが、夜にはあまりに寒いので半畳の畳を外して掘りごたつの櫓をはめ込んで炭をおこして一度しまいこんでいたコタツ布団を引っ張り出した。
万善寺の田んぼもまだ作っていて、冷害がひどくて1年の米がギリギリ足りるくらいの収穫しかなくて、普通は一斗缶が軽くいっぱいになる程集まっていたお正月のお供えの米も少なくて両親は暗い顔をしていた。

今年はこれから夏にかけて猛暑になる予想だから米の心配はないと思うが、今まで暑さに慣れないでいるから、だらしなくなまりきった身体が耐えられるかどうかそれが心配だ。
先日お邪魔した熊野神社の輪くぐり神事も、6月の大祓は「夏越しの祓え」になって、まぁ、これからやってくる「暑い夏を無病息災に乗り切ろうぜ!!」的な神事で今に伝わっているわけだ。
石見銀山にもそれなりに由緒のある神社が幾つかあるが、夏と秋(冬かな?)の年に2回ほど行われることが多い輪くぐり神事も久しく廃れてしまって、せいぜい年に1回ほど何処かの神社で行われている程度のようだ。
宮司さんの力とか肝入りの度合いにもよるだろうが、結局は氏子さんの無償の奉仕による力が大きいと思う。
これを仏事的に言うと布施や身施の類と同じ意味合いになるのだろう。
芦の輪を潜るという行為に自然と人間が一体になって体現できるところがあるから、願いとか祈りに対するシンプルな神事様式として今に遺ってきたのだろうと思う。

今回の「あかりパーク」の企画も、宮司さんはじめ氏子の皆さんの理解と協力がないと実現することはなかっただろう。
ナンチャッテ坊主の巡業彫刻も少しばかりは役に立ったのかもしれないが、それ以前に、何日もかけてのびだ雑草を刈って竹のあかりをセッセと作って会場を整える作業はたくさんの協力がないと出来ることではない。
倉敷の赤盤市に工房を構える地元の陶芸家芝さんもその一人。
石見銀山から3時間ほど結界君を飛ばして駆けつけて、1時間程度で設置が終わる程度の働きが恥ずかしくなる。吉田に出来ることといえば、旨いコーヒーを飲ませてくれた青年と、陶芸家の芝さんと一緒に夜が白むまで酒を酌み交わすことくらいしかなかった。
今回の彫刻は、これから先しばらくの間、倉敷のアチコチを移動するらしい。

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彫刻の旅その1 

2016/06/27
Mon. 23:34

この2日間、彫刻と一緒に巡業の旅をしていた。

iPhoneだけ持って、iPadもキーポンのMacBookも一度も開かないでいたら、メールがすごいことになっていた。
一つ一つ確認しながら削除していたら、その中に幾つか現代彫刻小品展の申し込みデータが入っていた。
あと少しで申し込み締め切りが近づいている。
今年は、例年になく出品者が少なくて開催予算の確保に苦労する。もう既に10回くらい展覧会を重ねているし、そろそろ潮時だということなのかもしれない。

さて、その巡業の旅だが、今年に入って彫刻と一緒に倉敷の熊野神社へ出かける機会が増えた。
熊野神社の境内で輪くぐり神事があって、その関連イベントで地元の作家が「あかりパーク」なる企画を立てた。
それに参加してほしいという依頼を受けたので、急遽結界君へ一人で持てるほどの軽い彫刻大小8つを積み込んで出かけたのが2日前。
直前まで万善寺の用事があって少々焦りつつ準備をしたから、現場へ着いてからいろいろ忘れ物をしていることに気がついて若干苦労したが、氏子さんが親切に手伝ってくれて、夕方のあかり点灯時間までにすべての設置を完了させることができた。

春先に、熊野神社から児島の先の鷲羽山へ彫刻を移動した時に手伝ってくれたお兄さんが美味しい深入り焙煎のこだわりコーヒーを入れてくれて、それがまたすごく美味しくて、旅の疲れが吹き飛んだ。
日の長い時期だからなかなかろうそくの効果が見られなかったが、そのコーヒーをチビチビやりながら混ぜご飯の差し入れをぱくついている間になかなかいい感じで暗くなってきた。
ちょうどそのぐらいの時間になって、今回企画者の草月流お姉さまが登場。
やはり、彫刻の世界のむさ苦しい付き合いとは比べ物にならないほどの華やいだ空気が漂って、薄暗くなったあかりパークが一気に活気付いた。
輪くぐりを終わった参拝の皆さんが、五月雨にやってきて、楽しんでくれていたようだ。

この熊野神社の輪くぐり神事は、今の時期と秋の年に2回ほど行われるらしく、秋の方はもっと盛大で賑やかなのだそうだ。
宮司さんは当事者で忙しいから、目配せで挨拶する程度のことしかできなかったが、地域の伝承行事として氏子さんたちが盛り上げていらっしゃる様子に好感が持てた。
ろうそくの番をしながら、やぶ蚊と戦いながら、それでもお客さんやお手伝いの氏子さんなどと会話も弾んで、夜の時間があっという間に過ぎた。
宮司さんの求心力と行動力があって、この度のようなあかりパークの企画も組みたっていったのだろう。
慌しく過ぎた一晩限りの神事イベントの後片付けをしながら1日の疲れが心地よかった。

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待機坊主 

2016/06/25
Sat. 23:49

万善寺は朝から冷え込んで1日中寒かった。
梅雨のこの時期は時々そういう日があるものだが、それにしても寒暖の差が激しすぎて自分の肉体が環境の変化についていけない。

もう数十年も前に広島へ転出した檀家さんから1か月ほど前に万善寺へ電話があって、それをおかみさんが取り次いだものだから事態がややこしくなってしまった。
おかみさんもすでに90歳を越えた高齢者だから、10年前と同じように寺の寺務を切り盛りすることが難しくなっている・・・というより、かえって混乱させてしまっている。
おかみさんとは身内でもあるし、憲正さんと坊主の師弟関係で長く付き合っていた経験から、寺の内情が少しずつ変化していることに気づきながらその時々の不具合を修正して随分以前から年中行事や年回法事をやりくりしているようなところもある。
今の万善寺くらいの規模だと寺の運営など一人で十分にこなせる。おかみさんも、もういい加減に自覚して完全引退して隠居暮らしを楽しんでもらいたいのだが、戦中戦後の激動の時代を踏ん張って生き抜いてきた人には、なかなかすんなりと割り切れないところもあるのだろう。内も外も気を使うことばかりでぐったり疲れる。

そういう裏事情もあって、たった30分で終わるくらいの上げ法事のために朝から本堂の準備をして接客の支度をして大衣まで着て待つこと4時間半。
その間に、おかみさんは何度も庫裏と本堂をヨチヨチ往復してお昼ご飯を炊いて、とにかく全く落ち着かないままイライラと過ごしていた。挙句には、自分の寺務引き継ぎのミスを私に転化し始めて収拾がつかなくなってきたところで、やっと広島から連絡が入った。
「広島の○○です。いつもお世話になってます。お寺参りですが、明日じゃダメですか?」
なんというフェイント!
「すみません。すでに明日は別の予定が入ってまして・・・」
まぁ、それぞれ事情や都合で予定の変更はよくあることだし、坊主としては受け身の状態を維持することも仕事のうちだとは思うが、さすがに今回はマイッタ・・
結局、その後広島のお檀家さんは慌てて仕事先から作業着のまま万善寺へ駆けつけてきた。
2時間以上はかかっただろう、たった30分の法事のために・・・

坊主が言うのも不届きなことだが、そこまでしてドタバタと年回法事を片付けなくてもいいというか、そういう法事でお先祖さまの供養になっているのかどうか怪しいもので、やった事で片付けるような法事はしないほうがまだマシというもの。
内心、そういうふうに思いながら、いやらしくもニコニコ顔の作り笑いで、「遠いところからご苦労様でございます・・」などと言いつつ法事を済ませた。お帰りの時も、もったいぶって駐車場から車の姿が見えなくなるまで本堂の濡れ縁に出て見送った。

その後、寺の用事をかたづけて夕方になって石見銀山へ帰った。
玄関の頭上では、すっかり大きくなったツバメの雛たちが無表情に私を出迎えてくれた。

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マック 

2016/06/24
Fri. 21:08

キーポンのMacBook Airを借りてから、幾つかの事務がサクサクと片付いている。
ボクの愛しの年代物MacBook Proも時々通電したりしてなんとかしてやらないと、そのうち何処かの接触不良で完全にクラッシュするかもしれない。

記憶を辿ると、島根県にUターンしてすぐに、必要に迫られてワープロを使い始めたのが東芝のルポだった。
当時は、日本語タイプライターなるものが主流で、写植の鉛ダイキャストでできた文字盤をピンセットで摘みながら文字の入れ替えをしたりして、ガリ版刷りの文章原稿を作るのもそれはそれは大変なことだった。
今のように、簡単にコピーで増刷するなどとんでもない時代で、ロウ引きしたガリ版専用の原稿用紙を輪転機に巻きつけて、手動レバーを枚数分くるくる回し続けるという地道な人力作業がひたすら続いていた。
今でもそうだが、私はどちらかというとアナログ文科系人間だったので、そんなめんどくさいタイプ仕事など絶対にやらないぞと心に決めていたところもあったが、社会構造の常識の深みに片足突っ込んでしまうと、上司から「この原稿、タイプしておいてね」の有無の言えない一言で自分の仕事が決められてしまって、秘書のような慣れない仕事で徹夜に近いほど過酷に働かされたことも多々あった。
そういう時代に流行し始めたのが携帯用のワープロだった。文章が出来たらワープロ本体に紙を巻き込んでそのまま印刷できるという画期的なものだった。自分にとって時間の無駄以外何者でもないほどの事務など少しでも早くに片付けた方が得策と割り切って、何度目かのボーナスをはたいて買った。
その初代ワープロを使い倒して不具合が直らないとわかってから2代目を物色したのだが、その頃は日本中ワープロブームでどのメーカーも売れまくっていた時期だったから、知人がワープロを更新するという話を聞きつけて、使い古しの富士通を安く手に入れた。
やはり中古は限界があって、それから3年ほど使ったところで突然に壊れた。修理代を払ったら最新機能の新品が買えるくらいに市場の価格が下がっていたから、次の妥当な機種を物色していたら、その筋に詳しい友人のH氏が「これからはパソコンが主流になるよ。今だったらMacがいいよ!」と推薦してくれて、広島の方の業者さんと数回のやりとりをして最初に買ったのがパフォーマだった。
それ以来、私はMacを使い続けている。MacとかAppleとか、そういう音(オン)を聞くばかりだと、最初はアップルパイなどもあるあのハンバーガー会社が作ったパソコンかと思ったりしていたくらい機械に興味がなかった私が、それからすでに30年近く浮気をすることもなくMac派を貫いている!・・・というより、その実態は、日本社会で主流のWindowsを使ったりすると、余計に無駄な事務仕事が増えるような気がして、それが嫌だというだけのことなんだけど・・・

石見銀山は朝から猛烈な雨になった。吉田家裏庭の営繕が途中だから、全身ずぶ濡れになってゴミ袋6つ分の草木を処理した。ゴミ処理場へ持ち込みを終わって帰宅したら仕事を終わったワイフが食事の支度をしていた。デスクワークも肩こりや腰痛で疲れるが、肉体労働もそれなりに体力を消耗する。風呂の後の麦とホップが実に旨かった。

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見て見ぬ・・・ 

2016/06/23
Thu. 22:44

気がつけば、あと少しで月末。六月はやたらと万善寺寺務が多くて、彫刻家の吉田は完全に何処かへ消えてしまった感じだ。

憲正さんの墓石建立諸経費と舎利棚殿の建立費の請求が一気に来て、それに1周忌の支払いもあるので、とにかくなんとかして金策するしかない。お檀家さんへ寄進をお願いするか護持会の会計から借りたりするのが寺らしい方法なのだろうが、檀家の財力もそこまで期待できないし、いろいろとめんどくさいところもあるから、とにかく集められるだけかき集めてなんとか切り抜けることにした。
午前中は、そういう寺の会計処理などの書物で過ぎたが、その間中クロが目の前の椅子で爆睡していた。
借りたり通帳から引き出したりする金策を整えて午後の2時過ぎに吉田家の玄関を出た。
頭上では、ツバメの子供たちが一気に大きくなってみんなで揃って巣の縁へ顎を乗せて私を見下ろしている。彫刻プランターを覗くとセキレイの子供が黄色いクチバシをパクパクさせながら蠢いている。近所の屋根でつがいの親鳥がチッチッチと激しく鳴いている。
鳥たちに「頑張れ!へこたれるな!」と励まされているようで、なんとなく元気が出た。
約1時間かけて銀行や郵便局や信用金庫とあらゆる金融機関を駆け巡った。
たった数分の間に金の出し入れで数字がめまぐるしく変化してゼロが激しく増えたり減ったりしたが、どうせ出て行く金だし見て見ぬ振りで通帳を閉じた。

帰宅すると、駐車場にワイフの車がなかった。まだ仕事が終わっていないようだ。
明日から天気が崩れるらしいので、それまでに吉田家の営繕をしておくことにした。
裏庭はこの2年間ほとんど手つかずのまま過ぎた。
私が万善寺に居ることが増えて、吉田家の身の回りのことへ手が回らなくなってしまったことが一番の原因だろう。
それに、ワイフの植栽が複雑でむやみに私が手を入れてしまうととんでもないことになってしまうという現実がある。これは今に始まったことでもなくて、過去に何度も彼女の大事な植栽を草刈機で刈り払ってしまったことがある。その時は散々に叱られて、その後の彼女の落胆と思い出したように繰り返される私へのあてつけがましい愚痴が聞くに耐えられなくなって、それ以来、吉田家裏庭は見て見ぬ振りを決め込むことにした。それでもやはり限界というものがあって、梅雨の雨に目覚めた庭の草木たちが一気にみずみずしく茂り始めると、夫婦の綺麗事だけでは済まされなくなって、ついに実力行使に至った。

ワイフがネコチャンズ用に毛糸の帽子を編んだ。これから暑くなるというのにナンデ今になって??・・一瞬そんな気もしたが、吉田ファミリーではSNSを中心にかなりの大評判になってウケもいいから、この際あまり深く詮索するのはやめることにした。
最近の留守がちなオヤジのせいなのかよくわからないが、このところネコチャンズはワイフへピッタリと寄り添って寝ていることが多い。毛糸の帽子も、ワイフのいいつけを守ってしばらくの間はジッと我慢してぬいぐるみのごとくおとなしくされるままになっている。結局はそれなりに可愛いし、癒しになって疲れも忘れるからまぁいいや!・・・ということで、とにかく見て見ぬ振りで深く詮索しないことにした。

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付かず離れず 

2016/06/22
Wed. 17:48

そもそも、私が小まめにしたためているこのブログは、限りなく身内とその周辺の狭い世界を中心に個人事情の垂れ流しをしている程度のことだ。
だから、相当吉田家に興味のあるマニアな諸氏か、相当毎日を退屈に過ごしているモノ好きな諸氏か、それに吉田の家族身内か・・・そのくらいの訪問しかないはずだ。
そういうこともあるから、あえて自分の偏屈を隠すこともないし比較的気楽に毎日を1000字程度にまとめて時々の備忘録にしている。

今年に入ってから、もう何年も愛用しているラップトップの調子が少しずつ狂ってきて、その度に検証や修復を繰り返して騙しながら使っていたのだが、現代彫刻小品展と憲正さんの一周忌を中心に使い倒していたら、一気に状態が悪化して強烈に動きが鈍くなってしまった。最近は、夜寝る前になって布団へ潜り込んで腹ばいになってプチプチとキーボードを打つことが増えていたから、ワープロの文字を打つたびに回り始める虹のグルグルを見ていると、催眠術にかかったように眠くなって、気がつくと低反発枕へ顔を埋めてヨダレを垂らしていたりする。

ワイフは、もうずいぶん前からだらしない私の日常に嫌気がさして、ベタベタと近くに寄り付こうとしない。猫が同居するようになってからは彼女の隣には常にシロが寄り添っていて私の入り込む隙がない。彼女曰く、「寝る時くらいはゆっくりしたいの」ということらしい。つまり、私が彼女の隣でイジイジしていると落ち着かないということ。もう結婚して30年以上になるし、付き合い始めてからだと40年近くになる。自分の人生の半分以上を一緒に過ごしているわけだから、四六時中ベタベタとくっついている方がむしろ奇異なことかもしれない。今の付かず離れずの自立した大人の関係が続いているくらいが丁度良い加減なのだろう。
彫刻を造るときも、ひと頃のようにうるさく口を出すこともなくなったし、締め切りの日程もそれほど大きく狂うことなく辻褄が合うようになっている。お互いにギラギラと自分の彫刻を主張してしのぎを削って高め合うほどのこともしない。長い年月を経て、日常の暮らしの何処かで彫刻の制作や発表が特別なことでなくなったのだろう。
子供もできて家族が増えて、子育てを終わって各自が自立を始めて、気がつけばいつの間にかワイフと二人暮らしに戻っていた。そういえば、あの頃も黒い雄猫が同居していた。やはり、そういうお互いの心の拠り所がお互いから少しほどズレたところに存在しているということが刺激の緩和につながって、お互いに都合のいい適度な妥協が長続きの要因になっている気もする。

「誰にでもニコニコと笑っていたら疲れるばかりで良いことは一つもないよ。渋い顔をしている奴には渋い顔を返しておけば良いし、怒ってる奴には怒り返せば良いし、泣いてる奴には一緒に泣いてやれば良いんだよ」昔々・・人付き合いの悩み事相談に、そう答えた偉い方丈さんがいたとか・・・
私には含蓄が深くて真意がつかめないけど・・・夫婦なんてのも、結構そういう遠慮のない付き合いがひたすら毎日繰り返されているから長続きしているのかもしれない。
もっとも、どちらかがアホくさいほど鈍感だったら救いようがないだろうけどね・・

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コロッケとラム肉 

2016/06/21
Tue. 21:09

偉くもなんともないナンチャッテ坊主なのに、曹洞宗の教区長代行(渡された書類には「代理」とあったが・・)で島根県東部の婦人部総会来賓の立場で松江まで出かけてきた。
曹洞宗の衣替えは六月なので、夏仕様の改良衣などをかき集めて出かけたのだが、やはり教区を代表するそうそうたるメンバーの集まりとなると、皆さん上から下まで全身着ているものの質が違う。
オメカシした婦人部の皆さんや着こなしのシャープな教区長様方に混ざると、松江に行くより広島へ出かけた方が便利だったりする島根県県境にある山寺の住職の、お尻の擦り切れた改良衣に、鼻緒が伸びてほころびた雪駄履きという、なんとも貧相なスタイルがひときわ際立って異彩を放っていた。
人は見かけで判断してはいけないというような建前の話は、それこそ場所をわきまえてのことで、本音のところはなかなかそういうわけにもいかないのが世の常というものでもある。

島根県も梅雨に入っているはずなのに、松江の方は路面も乾いて雨の降る気配もなかった。
せっかくなので、総会が終わってから会場のすぐ近くにあるコロッケが有名なお肉屋さんへ寄った。その店は、なっちゃんから教わったのが最初で、その後度々ローカルの情報番組で取り上げられたりしている。
おかみさんへの土産と法類のやもめ方丈さんへの差し入れでコロッケとラム肉を買った。
例のヨレヨレの改良衣に雪駄スタイルでお肉屋さんへ入って、血の滴る美味そうな肉を物色する姿など、なかなか普通に一般人が見ることはできない。前後したお客さんは、私のスタイルに何かしら近寄りがたいものを感じたのか、珍しく店内が静まり返っていて、いつもは結構順番を待たされるのに、この度はやたらとスムーズにお買い物ができた。

万善寺へ帰宅する道中は、集中豪雨並みの土砂降りが断続的に続いていた。
雨の止み間を利用して保賀地区の回覧板などを配った。
1軒は仕事中の事故で圧迫骨折で入院中。
1軒は高齢者世帯で介護施設に出たり入ったり。
1軒は仕事の関係で毎日が留守がち。
そんな状態の保賀地区上組は、生活の活気を感じることもないまま、梅雨の湿気がじっとりと淀んでいる。

麻生太郎氏が、「90になって老後が心配とか訳のわからないことを言っているが、いつまで生きているつもりだよ!」などと言ってしまったらしい。
世間のバッシングも結構ひどかったようだが、そういう発言もわかる気がするし、結構核心をついていると思う。
それなりに蓄えのある高齢者自身やその家族は、もっと潔く福祉の充実に身を任せるべきだと思う。自分の人生を楽しく笑顔で全うできるためのお金ならどんどん使いきった方がいいと思う。お金は墓場まで持っていくこと出来ないしね。

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親父ネタ 

2016/06/20
Mon. 23:00

ボクの愛しのラップトップが、もうどうしようもなく調子悪くなってしまって、虹のグルグルが絶え間なく回転を繰り返して、ほぼ使用不能になってしまった。
これから現代彫刻小品展の仕事で使用の機会が増える一方のこの時期になってとんでもないことになってしまった。

苦肉の策で、キーポンに助けてもらおうと彼女のMacBook Airをしばらく使わせてくれとお願いしたら、ニヤリと笑って「お小遣いイクラ❤️???」と切り返された。
通用しないだろうとわかってはいたが、もしものこともあるので「お返しはボクの愛情❤️!!」とニッコリ笑って見せたがやはり冷たい視線が返ってきただけだった。

そういう、他愛ないやり取りをしつつおがみたおして、やっとしばらくの間貸してもらうことになった。
さすがに新しいMacは信じられないくらいのスピードでビュンビュン動く。
自分が今まであんなにのろまな動作で仕事をしていたのかと思うと、めまいがしてきた。
とにかく、彼女のデータや使い勝手を壊さないように、外付けのハードディスクをつないで目先の作業に取り掛かった。
それがひとまず落ち着いて、メールの受信も出来るようになったので、今こうしていつも使っているお気に入りの無料ワープロアプリをダウンロードしてその使い心地を確かめているが、こちらの方もやたらと変換が早い。
これでしばらくの間は、今まで通り毎日の出来事をストレスなくウエブアップしていけそうだ。

なんとなくもたついている間に、世間は父の日を迎えて、そして過ぎていった。
私自身は特に何かを期待しているわけでもなかったが、ほとんどの子供達からはそれなりに忘れられないプレゼント(???)が届いて、少しほど気が晴れて笑顔になれた。
結局は、オヤジがヤツらにいじられているだけのことなのだが、無視されるよりはずいぶんとマシで幸せなことだ。

午前中は百ヶ日(卒哭忌)の法事へ出かけ、夕方からは保賀の班長として地区の役員会へ出かけた。万善寺へ帰った頃から雨が落ち始め、夕食が終わった頃からそれが本格的になってきて、今はかなりの勢いで降り続けている。一日中蒸し暑さが続いたが、この夜の雨で若干過ごしやすくなった気がする。
現代彫刻小品展をはじめとして、大事な仕事が憲正さんの一周忌でずいぶん遅れてしまった。だからと言って、憲正さんをどうこう思っているわけではない。それはそれで、自分にとっては大切な仏事の一つで、できる限り精一杯のことをしたつもりで悔いはない。
キーポンのMacBook Airを駆使して、これから一気に遅れを取り返せばいいことだ。
まずは出品作家の資料を整理して第3弾のお知らせを発送しつつ、DMを各所に配布することになる。
それに・・・ボクの新作彫刻も造らないとね!

久しぶりの休日・・なっちゃんより受信
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確か仕事中のはずだと思うんだけど・・ノッチより受信
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ツバメとセキレイ 

2016/06/19
Sun. 23:07

吉田家の玄関先が にぎやかになってきた。
かれこれ4~5年前になるだろうか・・あと少しで巣から飛び立てるまでに成長したツバメの子が吉田家のヌシのアオダイショウに襲撃されて全滅した。
それ以来、ツバメの子育てもないままその巣が放置されていたが、今年になって久しぶりに再利用されることになった。
ツバメそのものは、毎年のように石見銀山の町並みへ帰ってきて、家の軒先で子作りをして子育てをして時期がきたら去っていくことをくり返しているが、吉田家の軒先にあるアオダイショウでケチのついた巣にツバメが帰ることはなかった。
そのまま風化しはじめていた巣へある日一羽のツバメが入り込むところを見かけた。
それからそれなりに気にかけていたら、チョコチョコ羽根休めに立ち寄ったり、夕方になるとその巣へ帰ってくるようになっていた。
始めは若いツバメが恋の相手を探し回っているのだろうくらいに思っていたが、またまたある日、その巣の真下へ小さな卵の殻が落ちて転がっていた。
やたらと外へ出たがるクロを玄関先へ繋いで激しい抜け毛をブラッシングしていたら頭上から私の鼻先をかすめて固形物が落下した。幸いクロに当たることは無かったがよく見るとツバメのウンコだった。
それからいっきにウンコが増えて、今はウンコの山ができつつある。
何故かそれでもクロの頭や背中に落ちたことがない。そういえば、ウンコの山ができた頃からクロがわけもなくニャァ~ニャァ~うるさく鳴くようになった。
子育て中のツバメに向かって、「オレの頭にウンコしたらお前達食べてやるからなぁ~」と脅しているように聞こえはじめた。

もうそろそろ、ツバメの子供たちの羽毛も変ってメシを催促しながら大口開けてうるさく鳴きはじめるようになるだろう。
キーポンやワイフが確認したら、5羽の子供が育っているようだ。そうなると、ウンコの量も数倍に増える。巣の真下でウロウロしているクロは、さて、これから先どれだけ落下するウンコを避け続けることが出きるのだろう。
その前に、ヌシのアオダイショウが襲撃してツバメ一家が全滅するかも知れない。
自然の食物連鎖が人間の甘ったるい干渉で狂ってしまうのもどうかと思いつつ吉田家玄関を出入りしている。

そして、久しぶりに半日ほどいつもの四畳半で休息していると、キーポンが大騒ぎしながら駆け込んできた。「お父さん!お父さん!玄関の彫刻の中に鳥のヒナがいる!見て見て、いっぱいいるぅ~!」
夕方少し薄暗い玄関先の彫刻プランターをのぞいて見ると、ツバメの子よりもっと小さい鳥の子がパクパク口を開けて蠢いていた。
そうか・・・最近、よく黄セキレイがクロをおちょくっているなぁと思っていたが、あんなところで巣をつくっていたのか・・・さて、吉田家のヌシはまだ生きているのだろうか?・・・しだいに可愛くなりはじめている鳥の子を見ると、このまま無事に成長してほしいと思うようになってきた。

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土曜日の一日 

2016/06/18
Sat. 19:55

2週間ブリにナンチャッテ美術講師を務めた。
憲正さんの一周忌があって、翌日は松江にある万善寺法類のご住職御母堂の49日があって、そして本日が美術講師と気疲れが延々と続いて、自堕落オヤジはヨレヨレオヤジになっているのです・・・

重たい身体を鼓舞して講師の準備をして石見銀山の町並みへ出ると、夏を思わせるような強い日差しに炙られたアスファルトから湿気ぽい熱気が湧き上がっていっきに汗が出た。
気がつくと、ノッチが買ってくれたクラプトンのライブTシャツにリーバイスといういつものスタイルで学校へ出かけようとしていた。
一瞬「着替えなければ!」と思ったが、その時間も無さそうだったので、気付かなかったことにした。

お昼過ぎまで、特に授業らしい授業もしないまま世間話が弾んだ。
憲正さんの引物に配った瓶詰めの金平糖とチョコレートを持って行っていたので、それをネタにして少しシャベリ、ワイフのガラスカッターを使ってステンドグラスの理屈を実技しながらシャベった。その学校はキリスト教系の全寮制学校なので、教会のステンドグラスが身近に思い浮かんだらしく、結構食いつきが良かった。

法事の日から日曜日まで帰省中のキーポンが吉田家でゴロゴロしている。
彼女のおかげでいまだに落ち着いてハンモックが使えていない。
外はあれだけ暑いのに、吉田家の玄関を入ると土間がヒンヤリしている。春先から割って積み重ねている薪の薫りも漂って、森林浴をしているようだ。
これでハンモックへゴロリと横になったら気持ちよく眠れるだろうなと思いつつ、四畳半のいつもの書斎へ落ち着いた。さすがに疲れがたまっていたのだろう、すこぶる調子の悪いラップトップを検証していたら気がつかない間に寝てしまっていた。
「出かけてくるねぇ〜」「今夜はキーポンのリクエストでハンバーグ!」
なんとなく、夢うつつでワイフの声をきいた気がする。

肌寒い気がして目覚めるとすでに夕方になっていた。
一日の汗を流して、キーポンの間隙を縫ってハンモックを使っていたら、買い物の二人がお父さんへ嬉しいおみやげを買ってきてくれた。ミッキーのパンツにハデなノイズ柄のトランクスパンツ。それに、なんと有名ソムリエ推薦のワイン詰め合わせ。たっぷりと家族の愛情を感じて実に幸せな気分だ。
まだ20代の頃、ワイフとつき合い始めて彼女の実家へおじゃました時、無口な清さんから「家族のあいだでは(まっちゃん!)と呼んでるから・・」と云われた。それ以来、この歳になるまで私はワイフを「まっちゃん!」と呼んでいる。そのワイフは「正ちゃん」と私を呼ぶ。アチコチ引っ越しをしたがその先々でも変わらないでそう呼び合って今に至った。
色々波風に襲われたりもしたが、おおむね仲良く暮し子供達もそれほど大きくネジ曲がらないでいられるのも清さんのおかげだと思っている。
6月の1日が清さんの祥月命日だ。

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呵々笑(かかとわらう) 

2016/06/16
Thu. 21:52

石見銀山にあるハンモックで久しぶりに帰省したキーポンが寝たらしいが、ゆらゆら揺れて少し酔ってしまったらしい。
隠岐の海士町から帰省したじゅん君も寝たらしいが、最近の彼は船に乗り慣れているから酔わなかったらしい。
オヤジが買ったハンモックなのに、本人はまだ一度も寝たことがないまま万善寺暮らしが続いているから何処かしら複雑な心境だ。

憲正さんの一周忌の準備をしている時からやたらと蒸し暑かったから、そろそろ空が絶えきれなくなって雨が降るだろうなぁと思っていたが、やはり、今日は雨になった。
それでも法事の最中は小雨程度で過ぎたが、墓参と納骨をする頃になって傘がないと絶えられないほど本格的な雨になった。
私とじゅん君とで憲正さんの遺骨などを持って雨の中を墓まで歩いた。
たった200〜300mの距離だが、その間久しぶりにじゅん君としゃべった。
彼はワイフに似たのかあまり酒を飲まないし、お茶飲み話程度では会話もはずまない。
家族の中でも男同士と云うのはそういうものなのかも知れないが、それは吉田家だけのことかも知れないのでなんともいえない。
そういえば、私と憲正さんの関係もなんとなく会話の乏しいまま時が過ぎた。
今振りかえっても、かなりの時間二人で過ごしていた筈なのに、記憶に残る会話が思い出せない。だからと云って疎遠であるわけでもなかった。心の何処かで彼とつながっていたところもあったと確信できる。
この一周忌を迎えるにあたって、脳みそのスケジュール表が真っ黒になるほどコマゴマとした準備期間が続いたが、その時々にさり気なく笑顔の憲正さんが頭の片隅に登場してアレコレ助言整理してくれたおかげで、メモひとつとることもなく全てを乗り切ることができた。
急な変更もいくつかあって、それはそれで修正も厄介だったが、ワイフのフットワークの軽さにずいぶんと助けられた。

引物と云うわけでもないが、蓋付きのガラス瓶を用意して、その中に金平糖と△チョコレートを詰めた。
手配は全てワイフの発案。
ワイフは、まだ結婚する前から私を頼って何回か島根に遊びにきていたが、その度にレンタカーを借りたりして憲正さんを連れだしていた。そういう頃からの付き合いの中で、ワイフなりに憲正さんの好き嫌いをチェックしていたのかも知れない。
結局、私一人ではここまで心のこもった引物を用意することはできなかった。
「さて、自分で何ができるか・・・」準備をしながら色々考えた。
ひとまず、ありきたりのカタログ冊子。
島根は不昧公の関係でお茶どころだし憲正さんも大好きだった茶葉セットははずせない。
ヱビスビールと豊の秋はすぐに決まった。
そして、ガラス瓶にリューターで一つ一つ「呵々笑(かかとわらう)」と書いた。
好きな金平糖をカリカリ食べ、お茶をすすり、晩酌を欠かさなかった憲正さんだった。

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一周忌前日 

2016/06/15
Wed. 22:12

衝動買いのハンモックがキーポンに不評で叱られた。
それでなくても寺暮らしで気分が滅入っているのに・・・つらい・・・

午前中は憲正さんの納骨準備で墓掃除をした。
冬のあいだの枯葉が一面に敷き詰められていたが、かえってそのおかげで雑草が生えなくてすんでいるから比較的楽に掃除ができる。
一般のお墓は直方体の石が重なるが、亡僧や歴代住職のお墓は寸胴の擬宝珠のような円柱に近い形をしていて、手が込むと基礎石が蓮台座になったりする。
現住職は稼ぎが悪くて人望も財力もないから、前住憲正さんのお墓は立派な上等を奮発することができなかった。
それでも、息子思いの優しい人だったから、たぶん笑って許してくれているだろう。
後になって今の墓地がどうなるかわからないから骨壷のまま納骨することにした。
そのうち、私も憲正さんの隣に並ぶか、ひょっとしたら墓地ごと何処かに移転して歴代住職が一緒になって集合墓になるかも知れない。
まぁ、先のことまで今から考えてもしょうがないから、せめて自分の墓くらいは自力で積み立てをするか保険で何とか間に合わせるかして次の代に迷惑をかけないようにしておこうとは思っている。

30基はある墓掃除も楽ではないが、今どきの集合墓や街場の混雑した墓地とちがって、なんとなくそれなりの趣があって私は結構気に入っている。
開祖開山さんのお墓は、あまりにもふるい昔のことだし、万善寺が今の場所に移転したのも江戸の中期のころだから、現存していない。それに昔は古い五輪塔を解体してそのパーツを使い回してお墓にしたりしているから、きちんと体裁のとれた墓石が並びはじめたのは明治以降のことだ。
こうして墓地をながめると、万善寺が宿坊も持たない田舎の小さな山寺であると云うことが良くわかる。

今頃の飯南高原はハチクやササの芽が伸びはじめている頃で、それを食べに山の獣達が民家近くまで近づいてくる。
イノシシがタケノコやミミズをあさって耕作放棄地の至るところを掘り返している。昼のうちは彼等も山に帰っておとなしくしているが朝夕はバッタリと遭遇することもある。
クマも万善寺の近くを通り道にしているから墓へ行く時は鳴り物が手放せない。
墓から境内から六地蔵さんの脇までMacMusicの洋楽をガンガン流しながら掃除をしていたら、畑仕事の近所のおばさんと参道でバッタリと目が合った。
日頃は改良衣に雪駄履きでウロウロしている近所の坊主が、ツナギに長靴に防虫ネットまでかぶって洋楽を聴いている姿にはそう滅多に遭遇できない。

いよいよ明日は法事の本番!久しぶりにじゅん君とキーポンに逢える。
法事と云うのは、こうして日頃疎遠の家族親族が一同に集まることでもあって、それはそれなりに大事な意味のある行事にもなっているのだ。

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確信犯的衝動買い 

2016/06/14
Tue. 23:25

この数日の間に、ボクのラップトップの不具合がいっきに進んだ。
ハッキリ言って、かなりヤバイ!
このまま不具合が慢性すると今の諸々の仕事が全て停滞する。
ディスクユーティリティで何度も検証と修復をくり返して騙しながら使っているが、それをするだけでもかるく4〜5時間は無駄に過ぎてしまう。
今日も、そういう状態が改善しないので昼の営繕作業を続けながらラップトップを起動しっぱなしにして修復をくり返してみたが、いまだにサクサクと動くにはほど遠い状態が続いている。
ねっからの文科系だから、メカとかハードとかそういうものには弱いどころか拒否反応が出る。
唯一ストレス無くお絵描き感覚で使えるのがMacなのでそれでずいぶん前から助けられているのだが、こうして不具合がでてしまうとそれだけで一日が憂鬱になってしまう。

万善寺営繕作業も佳境を迎え、朝も早起きして庫裏の裏山が襲いかぶさっている裏庭の掃除にとりかかった。
これが一段落すると、あとはセッセと境内一周掃き掃除を続ければなんとなく見た目だけは小奇麗に見える筈だ。
夕方かかってひと通りの大仕事を終わらせたことにして、このたび導師でお世話になる方丈さんを訪ねて憲正さんの一周忌法要略次第を見てもらった。
その方丈さんは確か私が中学校の時の国語の先生で、部活は野球部の監督をしていたと思う。とても温厚な人で、声がやたらと小さい。黒板に板書しながらしゃべられると、教室の後の方の席では声が聞きとりにくくて苦労した記憶がある。退職されてしばらくあとに大病をされて手術をされたが、見事に復活されて今に至っている。憲正さんとは長い間交流が続いて親しくしてもらっていたから、私の代になってからも変らず付き合わせてもらっている。

江の川沿いのその寺を辞して、そのまま石見銀山の吉田家へ直行した。
ワイフと法事の打ち合わせをする為でもあったが、実は、ほぼ確信犯的衝動買いのハンモックが留守の間に届いている筈で、それが気になってしょうがなかったからだ。
「組み立てておいたわよ。チョット膝の納まりがどうかと思うけど・・・先に昼寝で使わせてもらったわ」
「そう、それは良かった!」
梱包の状態もやたらと丁寧で組み立てるのが面倒臭いほどだったらしい。
早速夕食前に使ってみたが、なかなか具合が良い。
エスニックなデザインも涼しげないい感じで、「ベトナム製らしいわ」と云われてみると確かにそれらしくてわかる気がする。
フレームの金具にはベアリングがついているようで、揺れ具合もしばらく続くし、今日のような一日続く肉体労働のあとには、なかなかの癒しになってくれると思う。
「寺へ持っていこうかな?」とポロリと云ったら、「何いってんのヨ!」
ピシャリと却下された。どうやらワイフにも気に入ってもらえたようだ。

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ふぇ~ばら 

2016/06/13
Mon. 22:02

憲正さんの一周忌が近いので最近寺暮らしが続いているが、完全に単純に坊主家業だけで毎日を暮らすわけにもいかなくて、現代彫刻小品展をはじめとしてそこそこさまざまに入ってくる用事も結構あって落ち着かない。
そういうこともあって結界君に二重三重の暮らし分の荷物を積み込んで移動しているわけだが、時々大事なものの積み込みを忘れてしまっていたり、コリャァまずいらないだろうというものが急に必要になったりしてなかなかややこしい。

万善寺は朝から雨で・・・と云うより昨夜から結構激しい雨が降り続いていたので、今日の外仕事は全て休むことにした。自堕落オヤジは、一瞬「このままゴロゴロ一日中寝てようか!」とも思ったが、さすがに良心が勝って踏みとどまった。
大事な忘れ物もあったので、今回随喜でお願いした方丈さんへ略式の差定を作文して持っていったり、書き上がっている塔婆を受け取りにいったりしながら石見銀山へ向かった。

吉田家には珍しくワイフが居た。
「居上さんから彫刻届いてるわよ!」
これで彫刻3点ゲットできた。

脱走常習犯のクロがさりげなく土間でウロウロしている。
これから小品彫刻が宅配で頻繁に届くことになる。さて、クロの脱走をいかにして阻止するか・・また、無い知恵をしぼらなければいけない。
ひとまずリードをつけて吉田家の玄関先まで出してやった。
クロはまるで犬のような雰囲気を醸し出しつつ番犬ならぬ番猫におさまっている。
ワイフの手造り昼食「うどんカルボナーラ」をぱくついていたら、玄関先でクロがしきりに鳴いている。
何かあったかとのぞいてみたら、「チッチッチッチ!」と鋭くセキレイがが鳴いている。
セキレイはクロのリードのギリギリの所までやってきてクロをオチョクって鳴いている。
それでそれこそ、手も足も出せないクロがイライラしながら鳴いている。
だいたいに、セキレイは人なつっこいから、ヒョッとしたらクロと遊びたがっているのかもしれない。

忘れ物を結界君へ積み込んで吉田家を出たら燃料があとわずかしか無いことに気付いた。万善寺とは逆方向になるが仕方が無いから比較的安い給油所へ向かった。
まだ陽も高いし、ふと思いついて憲正さんが元気に通院していた(というのも何かおかしなことだけど・・・)頃に使っていた幾つかの道中を久しぶりに走ってみることにした。
病院を転院してからは通ることもなくて、もうずいぶん前のことだから風景を思い出しながら走っていると、この数年で拡幅工事がずいぶん進んで至る所で昔の道が何処かに消えてしまっていた。
あの頃あった木造の小学校はもう無くなっていて、跡地が公園になっていた。
「稗原」と云う土地は出雲弁で「ふぇ~ばら」という。憲正さんのルーツはその土地から始まっている。

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荒地のグミ 

2016/06/12
Sun. 21:01

最近、彫刻家の吉田・・というより、坊主の吉田的状態が慢性化しつつある。
その、坊主的な吉田・・が何をしているかというと・・・草刈り!
法事の無い万善寺は、只今収入の無い状態が慢性化しています。
まぁ、こんなことを世間に公開してもどうなるわけでもないんだけどね・・・でも、「働く」ということは、こういうことだと思うんだ!銭勘定でもないし、代償を期待するでもない、目の前の現実と向かい合って、その時何をしなければいけないかということに真摯に向き合った働きができたら、それは何にも変え難い精神の充実になるのだ!
肉体の健康も大事だろうけど、人間の清浄を保つ上では精神が健康であるということが重要なのだ!
見た目をいくらキレイにつくって着飾っても、精神が泥まみれだったら、そんな人間はタダのカスだ!

少しノンビリした朝のひととき、テレビ好きのワイフが垂れ流している番組を見ていたら、今の政治にもっとも期待したいことは「経済の充実である」と云っていた。
つまらん事をかんがえてるなぁ〜・・・もっと大事なこといっぱいあるだろぉ〜!
そういう国民ばかりだったら、そのうち日本は破綻してつぶれるよ。
少なくても今の吉田はそう思ってます。

せっかくの日曜日なのに・・・といっても、吉田的にはそんなの関係ないことで、朝食が終わって急いでツナギに着替えて万善寺へ向かった。
銀山街道の途中から雨が降りはじめたから、今日の草刈りができるか心配したが、参道脇の六地蔵まで到着した時にはまだ本降りの前だったから急いで草刈り機を準備した。
それから混合油を給油すること2回分ほど草刈りができた。これで、万善寺正面の見た目だけでもなんとなく小奇麗になった気がする。
昼過ぎから雨が本格的に降りはじめて梅雨らしくなってきた。
法事用のお膳弁当を注文したり、随喜寺院方への引物を見つくろったり、そのついでに食料を買い込んだりした。
夕食には、ワイフが持たせてくれたしめサバを半身ほど親子で分け合って食べた。
この雨の様子だと明日の外仕事は無理そうだ。

雨と一緒に陽が当たったりする何とも曖昧な天気と相談しながら草刈りをしていたら、荒地の端でオノレ生えした百日紅の隣で、これもいつの頃からか根付いたグミの木が実を付けていた。
この2~3年ほど投げっぱなしにしていた休耕田という名目の耕作放棄地である万善寺名義の農地に、実は山の上にある現在の万善寺墓地を移転しようと計画していた。
まだ元気だった憲正さんが渋り、おかみさんが猛反対し、檀家総代さんは見て見ぬふり、農業委員会の審査が長引き、近所の土建屋さんの見積もりが馬鹿高く、とにかくなんとなく良心的で妥当な回答を得たのは墓石屋さんの見積もりだけだった。
ふがいない万善寺住職が身動きならない状態のまま放置されて今に至ったその荒地の端っこでぶら下げているグミの実がけなげに赤く色づいていた。

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富山の野外彫刻 

2016/06/11
Sat. 23:16

このところ毎日草刈りばかりが続いている。
始めのころは、腰痛対策で腰の運動くらいの前向きな気持ちで草刈り機を振り回していたが、現実はそれほど甘くなくてそれこそ山あり谷ありのデコボコだったり、伸びた葛の蔓が巻き付いたりでどんどん体力が奪われていく。

万善寺の境内やその周辺ばかりの草刈りもそろそろ飽きてきたので、たまには目先を変えようと富山に置いてある堤さんと石川さんと周藤さんの彫刻周辺の草刈り状況を確認しに行った。
周藤さんの彫刻周辺は、少し前に本人が草刈りしてくれていたからもうしばらくは大丈夫。
石川さんの彫刻周辺は、その土地の人がマメに草刈りをしてくれていて助かっている。それでも土地を借りて設置させてもらっている当方としては任せっぱなしに出来ないし、少しのびた若い雑草を刈り込んでおいた。
堤さんの彫刻周辺は、田植えが終わってどろおとしの前に行った富山町内一斉清掃で刈った草の廃棄場所になっていて、その枯れ草の山に火がつけられていた。彫刻周辺の空き地で草刈り機を振り回していたら、土地の人がその枯れ草の火の具合を見にきた。「自分の土地だから自分で草刈りするから」と、やたらと恐縮されるので少々こまってしまった。「それじゃぁ、ひとまず今刈りかけのところだけでも刈らせてください」と、こちらからギャクにお願いしたりしてその場を治めた。

万善寺の保賀地内にくらべたら、富山町の人々はとても元気が良くて農業に前向きだ。
農作業の人々をアチコチで見かけるし、起伏の激しい町内の農地が見事に整備されていて点在する耕作放棄地や休耕田との整備の格差がひと目で分かる。
野外彫刻の設置も、周辺の草刈りをして土地が活気づけば富山の棚田風景もより美しく見えるはずだ。

草刈りの帰りに最近薪をもらいつづけているKさんを訪ねて少しほど世間話をしてお昼前に石見銀山へ帰った。たっぷり汗を吸い取ったツナギを洗濯機へ放り込んでシャワーをあびた。
水分補給に「ほろよい一缶飲んでいい?」とワイフへお伺いをたてたら、「しょうがないわねぇ〜」と渋々許可が出た。
昼食は海鮮丼風アボガド入りどんぶり。
これが結構腹に溜まって昼休みくらいでは胃がこなれない。
陽が少し傾いてから替えのツナギを着込んで駐車場へ溜まっている丸太を割った。
草刈りで踏ん張っている膝がガクガク笑ってなかなか力が入らない。
上半身は緩みきった贅肉が少しずつ筋肉に変りつつあるが、下半身はなかなか思うように筋肉がついてくれない。今年の西日本は例年より暑さが厳しくなるらしいし、夏までにもっと身体を絞って棚経を乗り越えなければいけない。

夕食はワイフ手作りの「なめろう」と「しめサバ」・・絶品でチョットした高級料亭の味だ!・・といっても、高級料亭なんて行ったことないけどね。

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母は強し! 

2016/06/11
Sat. 06:46

さて・・・だいたい1日ぶりくらいになるかなぁ・・・ラップトップを開いたの・・・

このところ、万善寺の野外営繕作業が延々と続いている。
憲正さんの一周忌までもう一週間を切った。
昨年から一昨年と、その憲正さんの通院や入院のお付き合いでほとんど万善寺境内の営繕が手付かずのままだったので、そのあいだにはびこった庭木や山の草木が大変なことになっている。
それを自分1人で何とかしようとしているのだから、まぁ、普通なら無謀なことだ。
それでも、こうしていっきに整備をしておくと今後積年の荒廃が少しは持ちこたえられるから、それで無理をしながらがんばっている。数年のうちにいまのおかみさんを見送ることになるし、老衰の症状が長引けばまた万善寺営繕作業が停滞する。
小さな山寺とは云えそれなりの規模でもあるから、こうして身体が動いて何とかなっていることも、さてあと何年続くことだろうか・・・

庫裏の西側に続く境内地までこの2年でクマザサが広がってきた。それに加えて孟宗の根が伸びて竹の林が迫っている。
それを何とかしようと早朝から草刈り機を振り回していたら、気がつくと私のすぐ後をおかみさんがヨチヨチ歩いている。
以前にも何度かこういうことがあって厳しく叱ったことがあるのに、全く反省がない。
歳をとるとそこまでガンコになれるものだろうかと思いつつ、これからは自分が気を付けておくしかないなと思うようにすることにした。
おかみさんとしては、息子に「私はまだまだこんなに元気で働けるんだよ!」ということを見てもらいたいと思っているのかも知れない。
そうやって、雑草の伸びきった荒れた畑の先端まで這うように移動して、鎌をふるい鍬をふるって午前中を過ごしていた。
その荒れた畑で刈り倒したクマザサや雑木などを焼いてしまおうと計画していたのに、結局すぐ横でおかみさんが畑仕事を始めたものだからそれも無理になった。
おかみさんが昼から石垣の端にある梅の古木の下へブルーシートを広げはじめた。
「梅ができとるけぇ〜、叩いて落としといてくれんといけんけぇ〜、わつし(私)ゃぁ〜肩が痛ぉて、できんけぇ〜」

日中の気温が28度まで上がった。
飯南高原でこの気温上昇だと、石見銀山はどのくらいになっているのだろう?
昼のうちはワイフも出かけてるし、ネコチャンズが吉田家の留守番をしているはずだ。
それに、週始めに送付しておいた現代彫刻小品展の案内要項と出品申込書がそろそろ返信されて届いているかも知れない。
週末は石見銀山の用事と、富山の野外彫刻回りの草刈りをする。
ワイフと一緒に、一周忌の引物やお膳弁当も決めなければいけない。
吉田家の庭の梅は今年も完熟するまで木にぶら下がることになるだろう。
二つ三つは甘く実った生の梅をかじりたいものだ。

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梅雨の晴れ間 

2016/06/09
Thu. 21:33

「ジャマな木を切ったんですが、いりますか?」
その電話が入ってからずっと気になっていたのだが、やっと今日になって時間の調整がついたので朝早くに電話をしてみたら、お昼前くらいだったら何とかなるだろうと云うことになって、それに併せて結界君を飛ばした。

今日は、おかみさんのデイサービス2回目。
このまま慣れてくれれば、おかみさんの居ない間に万善寺の不具合を少しは修正できるのでとても助かる。
とにかく、デイサービスを楽しんでもらわないと意味の無いことなのでそれが心配なところだ。
はじめのうちは、薪を運びながらそのことが頭の何処かで淀んでいたが、結界君のお尻のデッキに切り倒したばかりの生木の丸太を目一杯積み込んで走っていると、タイヤが路面のデコボコに反応してハンドルがフラリと持っていかれてひっくり返りそうになってしまうものだから、小心者の私はそっちの方が気になって知らない間におかみさんのことが何処かへ消えてしまっていた。

薪をくれたおじさんの軽トラと一緒に石見銀山の吉田家前まで2往復した。
梅雨の雨も降るには降ったが、外仕事に影響するほどでもなくて3時過ぎには全て運び終わることが出来た。
ワイフは遅くなるといっていたし、おかみさんの事も気になるから、汗をたっぷり吸い込んだつなぎをそのままに万善寺へ急いだ。
ひと足違いで、すでにおかみさんは帰宅していた。
デイサービスのファイルノートを見ると、ゆかりごはんに豆腐や野菜中心の昼食メニューが書いてあった。それにお昼寝タイムもあって、三時のおやつもあって、パズルをしたりゲームをしたり歌ったり踊ったり、所内の散歩も少しほどしたようだ。
豚のバラ肉と茹でたスパゲティーをトマトジュースで煮込んだりしてイタリアン風の夕食を作っているあいだじゅう、おかみさんはそんな今日に1日をシャベリ通しだった。

なんとなくいい機嫌のように思えたので、デイサービスは面白いかとたずねたら、「何が楽しいもんかね!しょうもない!」
おかみさんの本心かどうかわからないが、期待をし過ぎた自分が甘かった。
かろうじて自力で歩くことまでは出来ているおかみさんだが、やはり本人は相当無理をして意地を通しているようなところもある。所内で見かけた車椅子の老人とか、痴呆が進んで一人で食事もできなくなっている老人とか、耳が聞こえなくて目が中空を泳いでいる老人とか、そういう人がアァ〜だったコォ〜だったと嬉々として話しつづけるおかみさんを見ると何処かしらひとの不幸を喜んでいるように思えて実に複雑な心境だ。

あと1週間で憲正さんの一周忌法事がある。
案内へ今日になって最後の返事が返ってきた。結局、お檀家さんの参列は1名のみ。
みなさん我が身我が事で必死に生きていらっしゃるのだろう。自分だって似たようなものだからひとのことをとやかく言えないけどね。

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万善寺の石垣 

2016/06/08
Wed. 22:33

万善寺の寺歴によると、現在の場所へ本堂を再建したのは十四世量外素圓(りょうがいそえん)大和尚ということになっている。
没年が文久3年(1863)とあるから、だいたい今から150年くらい前のことになる。
寺院建立を発願しても、それから数年かけて経費を工面したり土地を探したりして何年も大汗をかいて、その後また何年かかけて整地施工するわけだから、その素圓和尚さん在職の生涯をかけた大事業であったと思う。
元々万善寺は、保賀の谷を琴引山へ登りきった平地にあった寺町の一坊であったらしく、起源は1400年頃とされている。
それから400年の後に現在の場所へ万善寺が移転したわけだ。
たぶん、本堂の北側の斜面にある石垣も、その頃に積み上げられて今まで裏山を支えてくれているのだろう。

私が少年の頃はその石垣も遊び場の一つだった。
裏山は松林になっていて、尾根を伝って琴引山方面へ登っていくと、至るところに戦国時代に築かれた櫓出城の基礎石が組まれていた。
1500年代は万善寺の辺りが毛利と尼子の最前線でそれぞれ両軍に味方した地域の豪族武将たちの戦がくり返されていただろう様子がよく伝わっていた。
その石組みの場所を過ぎてしばらく登ると雑木林が広がっていて、それを数年かけて順番に約一反歩くらい切り倒しながら移動して炭を焼く。雑木は5〜6年で手ごろな太さまで生長するから、また元に戻ってその辺りの手ごろな木を切り倒して炭にする。
山はそういうふうにして育てられていたものだが、今は見る影もなく荒れて石垣に根付いたサツキもはびこって、年々境内へ山が迫ってくる。

3日ほどかけてその石垣を掃除した。
サツキは、おかみさんが若い頃、山の斜面へ手当たり次第挿し木をして増やしたものだ。
熊笹や低木の雑木やススキなどがはびこるより、一面サツキの花が咲き乱れた方がキレイで良いと思ったのだろう。
私が小学生も高学年の頃には挿し木のサツキがどんどん伸びて隣通しくっついて大きくなるからマメに剪定をしなければいけなくなった。小学生の体力で急な斜面に足を踏ん張って伸びたサツキの枝をかき分けながら剪定ばさみをふるうのはなかなかの重労働だった。
熊笹やススキ程度の草は、片手で鎌を振りまわせば何とか足場を作れるがサツキはそうはいかない。しまいには、はしごまで持ち出して営繕作業もやたらと大掛かりになって、その頃には憲正さんも病気で肉体労働が難しくなり、おかみさんの女手では持て余し、結局森林組合へお金を払って木や草を刈ってもらうようになってしまっていた。
年間の営繕経費もバカにならないし、この数年は憲正さんの入院遷化でかかりっきりになって、荒れるに任せていた石垣だったが、こうして憲正さんの一周忌も近いので、私的には、一周忌追善営繕事業と心に決めて万善寺の境内を整備しはじめたところだ。

石垣の隙間に根を張って太ったサツキはやがて石垣を破壊する。目先の欲があとの災いになる。出きるだけ何もしないで自然に寄り添って暮せたらそれが一番良いと思う。

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現代彫刻小品展 要項発送! 

2016/06/07
Tue. 21:01

チョット前におかみさんと二人の夕食が終わった。
食事の準備から食事中を通しておかみさんはシャベリ通しだった。
憲正さんがいなくねってから1年近く、一人の時は話す相手もいないまま淋しい暮しをしているだろうから、とにかくジッと我慢で耳を日曜日にしながら延々と続くリピート話に付き合っている。それはそれで感心するところもあって、ひとこと変らずくり返される台詞の精度はなかなかのものだ。

3畳の寺務所に引きあげても、さしあたって急ぐ寺務がない。
本当は憲正さんの一周忌にあわせて引物や会食の膳などを決めなければいけないのだが、フレを回した各諸氏のなかで、檀家さんからの返事だけがまだ返ってこない。10日まで待って音沙汰無しだったらいっきに諸々を詰めていこうと思っている。
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25日、文化庁より2016年度の日本遺産が発表され、雲南市、安来市、奥出雲町が
共同で申請していた「奥出雲たたら風土記」が日本遺産に認定されました!
日本古来の鉄づくり「たたら製鉄」で繁栄した奥出雲地方。
人と自然とが共生する持続可能な産業として日本を支えてきたたたら製鉄の歴史は千年を超え、現在も操業が続けられています。
長い歴史の中で地域には様々な文化、文物、風土が育まれてきました。
「たたら製鉄」で使われた用具や技術、ゆかりの場所や建造物、産業の賜物として栄えた街並みや、そこで生れた民謡、神話にまつわる祭りや伝統芸能などなど、数多くの文化財も存在しています。
今回、「出雲國たたら風土記~鉄づくり千年が生んだ物語」という一つのストーリーが「日本遺産」に認定されました。
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今度の現代彫刻小品展は7年目にして始めて島根県の東部に進出して展覧会を行う。
まずは世界遺産の石見銀山でスタートして5回が終わって一区切り。
次に島根県西部の中心地で絵画の根付く浜田に彫刻を巡回して今年で5回が終わる。
そろそろ島根県東部開催もあっていいかなと思いはじめて準備に入ったのが2~3年前。
たくさんの関係者の支援や協力をいただいて今年の8月後半から奥出雲町で現代彫刻小品展を開催することが決まったのが昨年のこと。
その時には、2016年度の日本遺産に「たたら製鉄」が認定されるとは思ってもいなかった。
展覧会会場のすぐ隣にある「奥出雲 たたらと刀剣館」では、たたら製鉄で生産される玉鋼を素材とした日本刀の展示などもされていて見ごたえ十分!
このタイムリーな時期に、奥出雲町のそのまた奥出雲 たたらと刀剣館のすぐ隣の施設を会場にして現代彫刻小品展を開催することになろうとは・・・

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イライラ親子 

2016/06/07
Tue. 18:44

おかみさんの通院日なので、予定の時間へ十分間に合うように万善寺へ着いたら、すでに外に出て鎌を振るって草刈りをしていた。
「早くからお仕事ですか?」と問いかけたら何故かおかみさんは機嫌が悪くてプンプン!
通院の病院が変って私が事務を仕切りはじめたものだから、自分の都合で自由にアレコレ決めて動くことが出来なくなってイライラしているようだ。

田舎の病院のことで、患者さんはみんな時間をもてあまして暇にしている高齢者ばかりだから、早く受付けをすませても結局自分の順番が来るまでひたすら待ちつづけることになって、それに付き合う私としては時間の無駄以外の何ものでもない。

昨夜は久しぶりに夜なべをして現代彫刻小品展の書類を整え、封筒を用意して、あとは郵便局へ持って行って切手を貼るばかりにしてから寝た。
それで今朝は9時前から郵便局が開くのを待ってそいう諸々の用事を済ませて急いで寺へ向かったのに・・・これだから・・・
まぁ、万善寺の住職である前におかみさんの息子だから身内の世話をする事も当然のことなのだが、少しはひとの都合というものも気にかけてほしいと期待してしまう。
おかみさんのような歳のとり方をしてしまうことは良くあることなのだろうか・・・その実態が掴めなくて私のイライラも高じてしまっているような気がする。

結局、二人して病院の待合室でイライラしながら順番を待って、診察が終わってドクターと善後策を相談したり、会計を済ませたり薬をもらったりしていたらとっくにお昼を過ぎて2時近くになっていた。
「こういうことだからもっと遅くに出かけておけばそれだけ待つ時間も減るだろう?」
ダメモトでおかみさんに云ってみたが聞こえないフリで無視された。

とにかく、毎日毎日面白いように色々なことがある。
若い頃はもっとノンビリと1日を過ごして気楽に遊んでいた。
もう、あの頃に戻ることは出来ないし、今の自分の年齢を考えるとおかみさんの30年前にくらべたらずいぶん忙しくなっている。
おかみさんが、今の私と同じ歳ぐらいのころはどうやって毎日を過ごしていたか思い出してもらいたい。
自分の両親は既に他界して、息子は家族を持って孫も出来て、好きな畑仕事で毎日を過ごし、年に何回か寺の護持会や郵便局の積み立てで旅行へ出かけ、寺の行事は率先して自ら仕切り、贅沢をしなければそこそこの蓄えで不自由もなく楽に暮せていた。
ひとの一生など、一人一人みな違って当たり前のことなのはわかる。
それでも、この待遇の差はなかなか素直に納得できないところもある。

明日は我が身・・・
自分はこれまで人生のほとんどを自堕落に不摂生に生きているから、おかみさんのように長生きは出来ない。せめて我が子に迷惑をかけるようなことだけはしないようにしよう。

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グローバル 

2016/06/05
Sun. 23:31

家族葬から散骨というかたちで葬儀をした檀家さんの3回忌をおつとめした。
病気で亡くなったご本人の意思というか遺言だったようだ。
当家の歴代墓地には墓石もなく塔婆も書くことがなく、せめてお仏壇に位牌くらいはほしいということで49日にあわせて小さな位牌を安座したのが2年ほど前のこと。
私にとっては、俗に云う家族葬の定義が飲み込めなくて釈然としないまま導師一人だけの葬儀をさせていただいた。憲正さんの時代にこういう葬儀をすることは皆無だった。それほど仏教の宗教的認識が日本の一般大衆の社会生活において急激に改変してきたのだろう。

散骨の場所は、島根県隠岐郡海士町の近くにある小さな島だそうだ。
その島は国立公園の中にあるので、むやみに自由に訪れることは許されていなくて、1年に2回の慰霊祭が決められていてそれにあわせて各所から遺族が集まってくるのだそうだ。
日本海を小舟で渡るわけだから、当日の天候の具合によっては慰霊祭が中止になるようなこともあるらしい。私自身は全く情報が入らないままこの度のように遺族の問わず語りで少しずつ状況がつかめてきた程度のことだ。
私のようにまがりなりにでも仏教の宗教的思想を継承していく立場の人間は、諸々の仏事が地域社会との密着性も含めて人の暮しの健全な相互依存を形成する要素のひとつとして大事な日本文化様式を形成するものでもあると思っている。
地球のグローバル化が加速する一方で、やはり、人種や民俗や思想の独自性を確保することも大事な時代の証明になると思うんだけど・・・

このところ連日のように忙しく働いているワイフに半日ほどヒマが出来たので急きょ思いついて一緒に仲良く買い物に出かけた。ワイフが出雲で発見した新しい業務用系列のスーパーへ入ったら、石見銀山で仲良くさせてもらっている友人の家族とバッタリ出合った。石見銀山の町内で見かけることなど希なことなのに、50km近く離れた遠くの町でお互い立ち話で盛り上がったりして、こういうこともあるから面白い。
吉田家はラム肉が目当てだったのだが、なんと冷凍の鴨肉もあった。肉の権威(同級生の獣医)によると、動物の肉はシーズンによって旨さが違うと云うことらしいが、たしかにその通りだと思う。そういえば鴨肉も春から夏にかけて市場で見かけることがない。最後に買ったのはタイ産の鴨肉で4月のことだった。地球規模の渡り鳥なら、「北半球がダメなら南半球があるさ!」みたいなノリで島根のスーパーにあってもおかしくない。

吉田家の玄関先頭上に数年前巣作りをしたツバメの巣が残っている。卵がヒナになってにぎやかになった頃、吉田家に住み着いているアオダイショウにやられて全滅した。その後しばらく空き家が続いていた巣に今年はツバメが帰ってきた。たまたま壊れないで残っていた巣を見つけて羽根休めをしているだけかも知れないが、ヒョッとして卵を抱えたりしているということも無いわけではないから、最近は脱走常習犯のクロにリードをつけてツバメのガードマンをしてもらっている。本猫は狩人の如く低空飛行のツバメを狙っているが、マンマと仕留める確率はかなり低いと思う。町並みをそぞろ歩く観光客の相手をしながら、だいたいが巣の真下でゴロゴロしている。
毎年石見銀山にやってくるツバメは何処産だろう?・・なかなかグローバルなことだ。

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鑑賞教育 

2016/06/05
Sun. 06:39

現在は東京在住で、静岡のアトリエで制作三昧の島根出身佐々木信平氏の絵画展が浜田市の浜田世界こども美術館でスタートした。

10時からオープニングで、引き続いてギャラリートークがあって、その後浜田市教育委員会が主催する写生大会の講師を努めたあと昼食やら懇親会やらが続いて大忙しだ。
島根や鳥取をはじめ近県や遠くは関西の方からも佐々木信平氏のシンパやファンが集合して大にぎわいの最中に美術館会場へ少し遅れて到着した。
幸い、佐々木信平氏と二言三言会話をする事も出来た。
少し前に郵送しておいた資料の事務的な話をすることはできなかった。
佐々木氏も久しぶりの帰省になるし、そこまでガツガツと決まったスケジュールに割り込んで深刻で味気ない話を持ち出すのも大人げないから、さり気ない挨拶程度でその場を流した。

ちょうど一ヶ月に二回の美術講師で高校まで出かける日だったから、せっかくだし、美術を受講している2人の高校生と時間担当の先生の3人を連れて鑑賞教育と称して会場まで出かけることにした。
2人の高校生と引率の先生は、思った以上に熱心に佐々木信平氏の絵画へ見入っていた。
私はもう30年以上も前から彼の絵画の変遷を見続けているから、特に目立った感動もないまま冷静な目で見直すことができて、それはそれで良かった。なかでも、学生から若い頃に描かれた研究と苦悩とテーマへの葛藤を絵画表現の中で改めて確認できたことが良かった。やはり、どんな立派な図録でも、一冊の本にまとめられた小さな写真で見る絵画とは全く感動のレベルが違う。

本物の持つ圧倒的な存在感は、何にも替え難いほどの説得力を持って自分に迫ってくる。
その高揚した気持ちが冷めないうちに、高校生たちを連れて江津在住の根付け彫刻作家宅へ寄り道した。
運良く奥さん共々在宅で、図々しく押しかけた我々をあたたかく迎えてくださって、美味しいお茶やお菓子まで御馳走になりながら、彫刻の苦労話を聞かせてもらうことができた。
近代日本彫刻の祖師ともいえる高村光雲氏の最後の弟子で現代日本彫刻の巨匠澄川喜一氏を神と仰ぐ田中俊晞さんの話はとめどなく延々と続き、高校へ帰校したのはお昼をすっかり過ぎてからだった。
わにはともあれ・・若い高校生達は本物の刺激をたっぷりと受けたようだ。

私など、キチンとした学校の先生でもないし、日本の教育界がドォーのコォーのと偉そうに語れるほどその世界の知識もないまま高校生と付き合って遊んでいるが、こうして「百聞は一見に如かず」を少しばかりは実践提供できた気がして、そこそこ先生らしいことが出来たのかなぁと自分で勝手にそう思ったりして、なんとなく良い気持ちで帰宅した。

1ヶ月に2回しか会わない高校生達と、これから先どこまで親しくつきあえて美術を好きになってもらえるか・・・楽しみなところである・・・

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アザミ 

2016/06/03
Fri. 23:31

飯南高原の夜はやたらと寒かった。
3畳の寺務所でデスクワークをしていると、足先が冷えて落ち着かない。
微熱でもあるのかと心配しつつ寒さを我慢していたがそれも限界になって、つい先日に衣替えでしまい込んだダウンベストを引っ張りだしてしまった。

朝は寒くて目が覚めた。
冬仕様のシュラフにくるまってしばらくイジイジしていたが、いつまでも寝ているわけにもいかないから意を決して起きだした。
庫裏の空気がひんやりと冷えきっている。
本堂のカーテンを開けると朝陽が入り込んで、見る見る暖かくなってきた。
太陽の力がこんなに凄いものだと、改めれ実感できる。

今日は墓石の業者さんが朝から寺の墓地を整地しに来る。
万善寺の墓地は、本堂の東側から人一人がやっと歩けるほどの山の斜面の細い道を200mくらい登ったところにある。
昔は保賀の谷に続く棚田から石州との境界になる山並みまで広く見渡されて絶景だった。
私が中学校へ入る頃に国道の改良工事で棚田の谷が寸断された。
その後、島根を離れている間に高圧線の鉄塔が山並みに沿って横切った。
そうこうするうちに墓地に続く斜面の雑木がどんどん大きくなって視界が狭くなった。
今では高齢化で耕作放棄地が広がって竹が細道の真ん中から伸びたりするようになった。

憲正さんの一周忌に併せて墓石を建立し納骨をする。
隣の民家も跡取り息子が帰らないままほとんど空き家状態になってしまって、周辺の農地が荒れている。今までは墓地の掃除も一年に春から秋までの数回ですませていたが、憲正さんが眠るようになったらもう少し頻繁に手入れをしておかないと、いっきに野生がはびこってしまいそうな勢いだ。

朝から3時間ほどで墓地の整地が終わって、業者さんのキャタピラが境内まで降りてきた。
挿し木からはじまったサツキがはびこって、その種が石垣の隙間でオノレ生えしたまま放置されていたものを全て刈り払ったら久しぶりに石垣が見えてきはじめた。
その石垣の隙間から春のアザミが伸びて花が咲いている。
昔は棚田の畔や畑の脇など至るところに自生して珍しくもなかったが、最近は農業の機械化と除草剤散布で見事に姿を消した。
本堂の北側の石垣のわずかに東から陽の当たる場所に張り付くように咲いているアザミを営繕作業で刈り取ってしまうのも可哀想な気がして、ひとまずそのまま捨て置いた。
アザミはだいたい同じような場所に咲くと思っていたが、その石垣のアザミははじめて見た。何処かから種が風にはこばれて根付いたのかも知れない。
草木は人間と違って根付く場所を自分で選べないから、それはそれなりに過酷なことだ。

これから一周忌の法要まで境内の整備が続く。

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舎利礼文 

2016/06/02
Thu. 22:20

おかみさんがディサービスに出かけてくれたおかげで、1日の万善寺営繕作業がすこぶるはかどった!
マイペースで仕事をする事に慣れてしまっているから、おかみさんがお茶だご飯だと介入してくるだけでペースが乱れる。

「お昼ご飯は何食べた?」
帰宅したおかみさんへ聞いたら、アァーだコォーだ色々しゃべっていたが、要約すると「焼きそばにご飯とあとは良くわからん」というようなことらしい。
だいたいのことがわかったので、農協スーパーへ夕食の買い出しに行った。
それで夕食は、アジの刺し身と冷ややっこと完熟トマトにキンピラ牛蒡とキャベツのサラダ。
おかみさんは夕食の間中同じネタをリピートしながら延々と何やらしゃべっていた。

朝の内に舎利礼文のことを書いたから、草刈りをしている間も、なんとなくそれが頭から離れないでいた。
吉田家の子供たちばかりか、寺暮らしが60年以上にもなるおかみさんでもお経の内容がどういうことなのか良くわからないまま丸暗記をしてしまっているだろうと想像できる。
私だって結局は似たようなもので、数えきれないほどお経を読んでいるのに本気になってその意味を脳みそへたたき込むようなことなどする気もないまま今に至っている。

アジが旨かったかどうかも良くわからないまま夕食も終わったし、チョット本気で舎利礼文を紐解いてみようという気になった。
宗門の偉い方丈さんにはガツンと叱られるだろう意訳だが、それも田舎の山寺のナンチャッテ和尚さんがやらかしたことだということで見逃してくださいませ・・・

一心頂礼(只々一心に礼拝します)
 
万徳円満(全ての徳に満ちあふれた) 
釈迦如来(お釈迦様を・・) 
真身舎利(お釈迦様のご遺骨そのものを・・) 
本地法身(本来の真理であるお釈迦様を・・) 
法界塔婆(全ての真理であるお釈迦様のお墓を・・) 
我等礼敬(私たちはひたすら敬い礼拝します)

為我現身(私のためにお釈迦様が現れ) 
入我我入(私の内に入り一体となります) 
佛加持故(お釈迦様の不思議なお力により・・) 
我証菩提(私は悟りの証を得) 
以佛神力(お釈迦様の神通力により・・) 
利益衆生(全ての人々はご利益を得) 
発菩提心(悟り得る気を発し) 
修菩薩行(仏になるための修行に励み) 
同入円寂(仏となってお釈迦様の世界に入ります)
 
平等大智(大いなるお釈迦様の智慧はあらゆる人々に広がるでしょう) 
今将頂礼(あぁ、今まさに心を込めて礼拝いたします)

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吉田家family 

2016/06/02
Thu. 10:26

ドッと疲れて帰宅したワイフが、久しぶりに大笑いしてくれた。

所帯をともにする身内の誰かが浮かぬ顔をしていると、それが家全体に蔓延して空気が沈殿して精神衛生上良くない。
外でどんなことがあっても、家の内にそれを引きずらないようにしたいと思っているのに、一歩玄関の内へ入ると、どうしても気持ちが緩むというか、心のわだかまりが開放されるというか、とにかく外の我慢が堰を切っていっきに噴き出してしまう。

「アァ〜〜疲れた!少し寝かせて・・・」
昨日のワイフは1日中研修があって夕方遅くに帰宅したあとそのまま四畳半へ倒れ込んだ。
私も自分の心の弱さがわかっているだけに、ワイフのこういう仕種を見ると、あとで何を云われてもひとまずその場はあたらずさわらずジッとしておいてあげるのが一番だと思っている。
夕食を何かしようとお伺いをたてると、自分で既に何かを決めていたのでそれもあたらずさわらずそのままにしてSNSを巡回していたら、吉田家familyLINEが盛り上がっていたのでそれに加わった。

曹洞宗他多くの日本仏教で親しまれているお経「舎利礼文」
一心頂礼(いっしんちょうらい) 万徳円満(まんとくえんまん) 釈迦如来(しゃぁかぁにょぉらい) 真身舎利(しんじんしゃぁりぃ) 本地法身(ほんじんほっしん) 法界塔婆(ほっかいとぉばぁ)我等礼敬(がぁとぉらいきょうぉ) 為我現身(いぃがぁげんしん) 入我我入(にゅぅがぁがぁにゅぅ) 佛加持故(ぶつがぁじぃこぉ) 我証菩提(がぁしょぉぼぉだい) 以佛神力(いいぶつじんりき)利益衆生(りぃやくしゅぅじょぉ) 発菩提心(ほつぼぉだいしん) 修菩薩行(しゅぅぼぉさつぎょぉ) 同入円寂(どうにゅうえんじゃく) 平等大智(びょうどぉたいちぃ) 今将頂礼(こんじょぉちょぉらい)

この実に短いお経は、私が最初に憲正さんからの口伝で覚えたお経だった。さて、小学校に入る前にはだいたい覚えていたかも知れない・・・
だからと云うわけでもないが、吉田家の子供たちは門前の小僧よろしく、オヤジが知らない間にどこかしら似たようなフレーズでいつの間にか聞き覚えてしまったようで、チョットした拍子にそのお経が飛出してくる。
一番正確に近いところで覚えているのがキーポンかなっちゃんで、じゅん君は小さい頃にお盆の棚行でお経を読みながらアルバイトをしていたからたぶん暗記をしていると思うが、私は彼の舎利礼文をナマで聞いた覚えがない。ノッチはたぶんなっちゃんあたりと遊んでいる時にこのお経を聞いているとは思うが、何せ彼女はアノ年で波乱万丈の青春を過ごしているから舎利礼文など遥か彼方へ消し飛んでしまっていると思う。

いずれにしても、この「舎利礼文」つながりの一連のLINE会話がワイフにとっては一服の清涼剤になったようで、しばらくのあいだ大笑いをしていた。メデタシメデタシ!

名称未設定 4

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愚痴 

2016/06/01
Wed. 10:39

ワイフは今日も早くから出かけた。夕方帰宅するのも遅いし、自分でも「忙しい忙しい!」と、それが口癖になっている。
私の方は、現代彫刻小品展関係の事務、寺関係の書き物や配りモノ、保賀自治会の会計、それに憲正さんの一周忌が近いからその準備、吉田家の営繕薪割り、万善寺の営繕草刈りなど、決まった仕事を順次片づけることが難しいまま、天候の具合と相談しながらそれぞれを急ぐ順番から片づけている。

そうこうしていたら「平成28年度経済センサス活動調査」なる政府統計調査票が届いた。全国から無作為に抽出した事業所へ調査依頼しているということだが、よりによって万善寺と工房むうあの2つの事業所が調査対象になってしまった。

年度変わりのこの時期はアチコチで総会が続くし、何かしらの役付きだったりすると総会前の役員会があったり、総会を請けて行事や事業計画の実施がついて回ったり、もうバカらしくなるほど雑用(といっては失礼だが・・・)が回ってくる。
年度末も結局は申告の事務処理が続くし、各種役員の任期交代がらみの総会や、その上自治会の常会まであったりする。

何でこんなに毎日毎日世間の付き合いで振り回されなければいけないのか?
自分の仕事は何時になったら落ち着いて集中して取り掛かれるのか?
どうせなら政府の関係者もこういうあわただしい毎日が続くような時期を避けてほしいモノだが、彼等の事務処理だって結局は自分の都合が優先されているのだろうから、社会の下層階級でジタバタしている下々の事情などどうでもいいことになっているのだろう・・・などと、愚痴やひがみをタレながら一杯のコーヒーとウエブラジオから流れる爽やかな音楽にひとときのささやかなくつろぎを求めている。

ワイフが忙しいのがわかっているから、彼女よりは時間の融通がきくところで家事のまねごとをしていたら、石見銀山のまちづくりセンターから届いた配りモノが目に入った。
「まちづくりセンター運営委員 委員長 吉田満寿美」とある。それに、大森社協副会長・主任児童委員の肩書きまでついている。いつの間にか、無役の私など足元にも及ばないほど偉い人になっていた。それに、保育園や婦人会の役も引き受けているようなことをいっていたし、どうりで、昼となく夜となくアチコチへ出かけているわけだ。

彼女にくらべたら、私の用事などたかが知れたものだ。
その程度であご出してアップアップしている自分が恥ずかしくなった。
仏教では、「貪瞋癡(とんじんち)」という三毒の煩悩があると教えられる。その貪瞋癡とは、「欲と怒りと愚なこと」と略されている。
日常の暮しの中で、目の前にぶら下がっている避けることの出来ない仕事は、粛々とこなして片づけて過ぎるしかないことだ。
そのことがわかっていながら、それでもクドクドと愚痴を吐く。
貪瞋癡の煩悩が全く自覚できていないクソ坊主だということを反省する今日このごろです。

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2016-06