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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

奥出雲彫刻搬出顛末記その2 

2016/09/07
Wed. 19:04

奥出雲暮らしが続いて、久しぶりに石見銀山の我が家へ帰った。

石見銀山で暮らしているときは、光ケーブルもないしケーブルテレビの通信回線がモタツクこともあって、ちょっとした不具合でもあるとすぐにケーブルさんの工事のお兄さんを一杯のコーヒーで釣って名指しで呼び出して文句を垂れながらインターネットのスピードチェックなどを診断してもらっていたが、こうして、奥出雲に通い始めて展覧会の会場やその周辺の現場に居続けると、飯南高原とドッコイくらい情報メディアの脆弱なことにかなり悩まされた。
たとえば、一日の会場受付でしばらくの休憩タイムなどにYouTubeやHuluやAmazonの配信動画を見ようとすると、我慢できないくらい幾度と無く画面が止まって見るに耐えない。iPhoneの回線を使って娯楽にハマってもデータ通信の縛りが不安で落ち着かないし、ほとんどテレビを見ない自分にとって、心身の疲れを癒やしてくれる娯楽手段が思うように機能してくれないことになかなか慣れることの出来ないまま現代彫刻小品展業務が過ぎた気がする。
面白いもので、特にストレスもなくほぼ毎日更新していたブログも、暇な時にテキストデータに書き込んでおけばそれでどうにか更新が続けられることなのに、こうしてYouTubeレベルで動きがギクシャクしてしまうと、とたんにインターネット環境を操作するのが面倒になってしまう。
「毎日毎日、よくも飽きないで似たようなつまらん日常を垂れ流して何が楽しいの?」
生来の怠け者の性格がボクの心に囁きかけるのだ。
別にたいして楽しいと思っているわけもなく、なんとなく惰性でラップトップのキーボードを叩いている程度のことだから、こうした、チョットした障害にすぐに反応して楽に過ぎてしまう自分がいるのだ。

そんなわけでしばらくタイムラグを生じた現代彫刻小品展搬出顛末記。

奥出雲で2tのアルミへ積み込んだ彫刻などはそのまま富山町の旧小学校へ搬入した。
現代彫刻小品展をそのまま移動するわけでもないのだが、彫刻の展示台やその他の什器などは使い回しができるから十分に経費削減の対象になる。
こういうある意味イベント事業と言っても良い企画は、とにかく人件費と行動実費に多額の費用を支出してしまう。
主催者である吉田は結界君で何往復しようが出先で何泊しようが全く経費計上できないから全て自腹で乗り切っているわけだ。たとえば、今回の棟梁や助手君などへはキチンと実費や委託料支払いの義務が生じているわけだから、こういう支出の予算立てもいい加減アバウト感覚では乗りきれないところもある。
この歳になって、チマチマとした計算ごともチャンと筋を通して遺漏の無いようにしておかないと吉田の信用が崩れてしまう。ナンチャッテ坊主にとっては結構な試練なのだ。
搬出移動の前半で周藤さんがキッチリ働いてくれた。ノリちゃんは二人の子供を助っ人で連れて来てくれた。それにもちろん私の愛妻であり女流彫刻家のマッチャンがとても良く働いてくれた。その夜は慰労で本場インドカレー屋さんへ行った。ナンが旨かった。

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奥出雲彫刻搬出顛末記その1 

2016/09/07
Wed. 14:56

現代彫刻小品展が終了して、会場撤収搬出移動などの作業を残すばかりになったら、また台風がやってきてどうなることかと心配したものの、見事に途中から熱帯低気圧になって島根県の奥出雲から大田市にかけては特に悪天候で悩まされることもなく過ぎた。
棟梁が気を利かせて助手君を連れて来てくれたから思った以上に早くことが片付いた。

会期が終わって、会場をcloseしようとしたら、駆け込みのお姉さまが二人ばかり来てくれたので、照明もそのままにして作品解説などもして付き合った。
ひとりのお姉さんは、昔々の島大の彫刻研修室の先生に少しばかり彫刻を教わっていたらしく、そのことで話題が弾んだ。
もう一人のお姉さんは高校の美術部で教わっていた先生が彫刻を作っていて、そのことを思い出してとても懐かしかったなどと、これも話が弾んだ。
私はその彫刻家というか美術の先生というか、とにかく二人の人物をよく知っていたものだから、知らず知らず立ち話が盛り上がってしまって、気が付くとすでに軽く一時間は経っていた。
あたりが少し暗くなり始めてから二人のお姉さんを見送って、作品移動や展示台の搬出などを始めていたら、今度は奥出雲で知り合った木工所の跡取り息子が仕事の帰りにトラックで駆けつけてくれた。うまく話題を振ったら手伝ってくれそうな雰囲気だったが、まだ付き合いも浅いし、グッと我慢してその場を凌いだ。
展示台を全て会場外のテラスへ搬出して、彫刻の梱包材を収納庫から引き出したところですでに夜の8時を回っていた。そろそろ、体力も限界だし近所のコンビニで夜食を仕込んで奥出雲の宿舎へ引き上げることにした。

20年近く前から知っていた音響のOさんの自宅が奥出雲だということは知っていたが、事務所兼スタジオ兼倉庫兼麻雀部屋兼助手の仮眠場所などで使っているWAREHOUSEの例のロフトへ落ち着いてシャワーで汗を流していたら、ヌシのOさんが助手君と一緒に仕事から帰ってきた。
彼らはこの3日間松江の地方テレビ局移転のイベントで働いていたそうだ。新しいテレビ局は大橋川の側になったらしい。以前の場所は駐車場もなかなか無くて面倒なところだったからこれからは今回のような展覧会の営業で出かける時も少し楽になるかもしれない。
結局、助手のたくちゃんと三人で夜食兼用の飲み会が始まった・・・といっても、彼ら二人は自宅へ帰らなけれればいけないから、私一人で飲み続けたわけだけど・・・

奥出雲では、このOさんのロフトのおかげでとても助かった。
少し落ち着いたら、何かお礼の品を持って行こうと思っている。
奥出雲は万善寺のある飯南高原とドッコイくらい雪深いところだから、簡単な薪ストーブでも作ってあげようかと思っている。それも、実はずい分前にあった時にそんな会話があって、こっちはいいかげん酔っ払って気持ちが大きくなっていたこともあったりした安請け合いだったのだが、酒を飲まない彼はシッカリ覚えていて、それが未だに機能していたわけだ。男の約束だし吉田の信用にも関わるから、これから冬になる前にひと踏ん張りしなければいけない。それに、またそのロフトでお世話になることだし♡!

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