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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

彫刻の秋 

2016/09/30
Fri. 22:40

ほんとうに雨の多い9月だった。自分の人生でここまで雨ばかりの9月は覚えがない。
自分にとって、9月は1年のうちで1・2を争うほど重要な1ヶ月になっている。
お盆が終わってギリギリまで万善寺の寺務を引っ張って、限界の日程を調整して彫刻の制作に入るという、気持ちの切り替えがとても難しい1ヶ月でもある。

奥出雲の彫刻展のこともあったりして、まだ、8月の流れで気持ちの切り替えがうまくいかないでもたついていた頃、具象の彫刻家から今年の秋の六本木は彫刻が出品できそうもないという内容の電話が入った。
詳しくは話もしないし聞きもしなかったからわからないが、とにかく体調不良が長引いてしまって彫刻を造る気持ちになれないということだった。長い人生、誰にでもたまにはそういうこともあるだろうから、私としてはだからどうこうと意見らしきものもないまま、心を込めて「おだいじに・・ね♡」と云っておいた。

鳥取の倉吉在住で、すでに90歳を越える老彫刻家が今年の六本木は出品できないことになった。右か左かどちらかの肩か肘か、どこかそのあたりを脱臼して腕が動かないことになってしまったらしい。もうかなりの高齢だし、若い頃のように身体の無理も効かないから、まずは自分の健康を大事にしたほうがいい。こうして、1年のあいだに何かしら色んな出来事があってそういうことと上手に付き合いながらコツコツと何十年も制作を続けているわけだから、やはりいずれは自分の肉体の限界が見えてくるときもあるだろう。十分に静養して心身ともに鋭気を養って次の一作を目指して欲しい。

島根搬入の前日になってすでにベテランの域に達しているはずの木彫作家から「今年は彫刻出品できません・・」と、不出品の連絡が入った・・・という知らせが搬入出の業務担当経由で入った。
秋の彫刻展出品で特に私がすべてを仕切っているわけでもないつもりでいるのに、何故かそれぞれの都合伺いが回ってきて、それなりに了解しながら善後策を決定したりしているところもある。
島根県に限れば作家歴は長い方だから、それで頼られていたりするのかもしれないが、そうであるなら直接吉田宛に不出品の意向を伝えれば済むことだと思ってしまったりもする。

今年の夏はやたらと暑くて、私もいいかげんヨレヨレでかなりバテた。よっぽど体調管理を上手にしておかいないと身体の不具合も出てくるだろうし、そのことで彫刻制作の気持ちも萎えることだって十分考えられることだ。
暑ければ暑いなりに「そんなもんだ」と思えば、自分の心身もそれなりに気楽に周辺の環境へ慣れてくれる・・・と、私はそう信じて日々の日常を過ごしている。9月の雨も、絶え間なくやってくる台風も、それはそれで避けて通ることが出来ないことに一喜一憂してもしょうがないことだ。いつもだったら、雨のやみ間を見計らって青空工房をやりくりしていたが、さすがに今年はそれも難しかった。それでもそれなりにそれなりの大きさの彫刻にはなったからそれでいいや!・・・って、大きいから良いわけでもないけどね。
彫刻を造ることだって、やっぱり最後は「気合だ!」でノリキッてるな、オレは・・・

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褒められて育つ 

2016/09/30
Fri. 11:46

保育実習や近所のショップのアルバイトで帰省していたキーポンが学業へ帰って、久しぶりにワイフとネコチャンズと2人と2匹の静かな暮らしに戻って少しは落ち着くかと思っていたら、今度は海士町暮らしのじゅん君が研修出張とかで帰省した。
いい歳をして、研修先の何処か近所で宿泊すればそのほうが楽だろうにと思うし、自分だったら絶対そうするだろうなと思うのだが、彼はオヤジの意見を簡単にスルーして母親に甘えてくる。ワイフの方も満更でもない様子で、何かしら面倒がりながら「仕方ないわねぇ〜」などと、じゅん君の無茶振りに反応して甲斐甲斐しく動いている。そういうワイフが自分の都合でどうにもならない時はイヤに他人行儀に低姿勢で私へ頼ってきたりして、どうも居心地の定まらない吉田家になっている。
こうして、1年のうちに5日と吉田家に寄宿するかどうかの疎遠な親子関係が長く続いていると、何かしらどこかしら意思の疎通なるものがギクシャクしてお互いに遠慮気味になっているところは、やはり男同士だということが関係しているのかもしれない。

じゅん君は、まだ中学生だったかの時に「ボクは褒められて育つ子なんだ。だからいっぱい褒めてくれると頑張れるんだ!」と親に宣言したことがあった。
一方、私は何かの機会に人を育てる時の心得として「褒める時は何度でも、叱る時は短く1回で!」と聞いたことがあって、なるほどそういうものかと思ったものだから、いまだにそういう気持ちでいたりする。もっとも、現実の私の立場では、こういう場面など巡ってくることもないし、どちらかといえば、くどくどと長々と叱られている方が多かったりするから、よけいにそのフレーズが記憶されているのかもしれない。
日常のそこここでワイフに叱られることが頻繁だが、彼女の叱り方というとまさに絵に描いたようなくどくどシイもので、そのうち叱られている方も嫌気がさして逆ギレしてしまったりする。こういう夫婦の暮らしが続きながらお互いに歳をとっていくとよけいに気が短くなって我慢できなくなって気まずいままな仮面の老夫婦になっていくんだろうなぁ。

好語不可説尽(こうご ときつくす べからず)と禅語にある。
この場合、「好語」をどう解釈するかによるが、たとえば「相手に都合の良い語」とか「相手が喜びそうな語」とか「相手にとって解りやすい語」とか、まぁ、そういう意味だと私は思っている。
さて、じゅん君は今の歳になるまでどれだけ褒められて育ってきたのだろう。
振り返ってみると、少年時代はオヤジなりにけっこう褒め倒してきた気がする。確かに本人もそれで喜々として盛り上がっていることもあった。じゅん君の恩師もそれなりにさり気なく盛り上げてくれているところもあって、親の私もまんざら悪い気がしなかった。
そのうち彼も一人暮らしが始まって私との接点も激減したからその後の彼の周辺事情がどうだったかわからないが、こうして久しぶりに会話の機会を得てみると、なんとなく彼の周辺の事情のアレコレにイライラと憤懣を撒き散らしているようにみえる。それでも、少年時代のあの純粋なじゅん君の様子はいまだに変わりなく続いているようだし、彼なりのジレンマを持っているのだろう。
たぶん今のじゅん君は、褒められる機会が激減しているのかもしれない。いつまでも「好語」がすぎるのもどうかと思う。そろそろ「好語」に甘えすがる年齢も過ぎた気がする。

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2016-09