FC2ブログ

工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

旅の空・・その1 

2016/10/10
Mon. 19:46

早朝4時に石見銀山を出発して東京のワイフの実家へ到着したのが20時30分。
移動が連休にぶつかっているから、東名でも中央道でも関東圏の夕方は混んでいるだろうなぁと予測して、それでも少しはマシだろうと考えたことと、どうせ混雑するならのんびりと絶景の山々を眺めながらノロノロ走るのもいいだろうと中央道を選択した。夕方には山梨県へ入って逆光の富士山も黒々と雄大なアウトラインを見せてくれた。情報では大月から東は渋滞になっているということだったので、それからあとはサービスエリアでこまめに休憩でもしながらのんびりと東京入りしようと決めた。それでも結局3時間程度の渋滞遅延でワイフの実家へ到着した。

調布から甲州街道に入って武蔵境方面へ北上するルートをグーグルマップが教えてくれたので、その案内に従って車を走らせたら、その道が思ってもいなかった場所へ合流した。
中学校を卒業してすぐに一人暮らしをはじめたノッチは東京の高校を卒業している。
ちょうど彼女の受験の頃は、吉田家もワイフの実家も何かしら色々なことがあって、ノッチはそのカンフル剤のような役割を担って東京の高校受験を目指した。
第一希望の高校は、田舎者中学生にとって見聞の全てがはじめてのことだから受験会場の過酷な空気に圧倒されて完全に飲み込まれてしまったようだ。それで見事に不合格。貧乏オヤジの財力では私立受験など夢のまた夢のことだから、石にかじりついてでも、浪人してでも公立高校へ合格するしかノッチは進路の選択肢がない。それで必死に踏ん張って、その上生来の強運も加わって、見事第二次募集の激戦都立高校へ合格した。それから3年ほどお世話になったのがワイフの実家のご両親だったというわけ。
それで合流地点は、ノッチの不合格思い出の高校のすぐそば・・・という奇遇。これも何かの縁かも・・・

ノッチの高校生3年間を親身に育ててくれた病身の義父が、高校卒業と大学合格を祝ってくれたあとしばらくして永眠した。義父の病気が見つかって、なんとか気持ちが落ち込まないように張り合いのある老後を送ってもらいたいと、ヤンチャなワガママ者のノッチを送り込んだのだが、その心配事もたくさんあっただろうし、数え切れないほど迷惑もかけただろうが、寡黙な義父は愚痴一つこぼさないで見事に思春期のノッチを育ててくれた。その後、大学を卒業したノッチは自力でお金を貯めてシンガポールで仕事に就いた。

長女のなっちゃんが結婚して埼玉県で暮らすようになったとほぼ前後してノッチが帰国した。またそれと前後して万善寺先代の憲正さんが永眠した。
吉田家はそれぞれの事情があって憲正さんの密葬や本葬で全員揃うことがなかった。
家族がジジババから順番に死んでいくことも幸せなことである。親族一同が揃って葬儀に同席出来なくても、それぞれが心の中で手を合わせて故人を偲んでくれて様々な思い出を忘れないでくれていたらそれで十分供養になると思っている。むしろ、それぞれが生きているうちになんとか都合が付けば、5分でも半日でも何処かで一緒に過ごす時間をつくることのほうが大事で、それを面倒がるということは、それだけ家族の絆が希薄であるという事だと思う。
吉田家の娘達は、少しずつ関東を本拠地にして暮らし始めている。

島根の早朝は厚い雲に覆われていた。
八ヶ岳は雲を突き抜け、夕日に染まっていた。

IMG_3068.jpg
IMG_3088.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

2016-10