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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

ゆれた! 

2016/10/21
Fri. 23:10

本日も、ヨレヨレオヤジにとっては過酷な1日でありました・・・
松江でのお葬式の前に、前から約束をしていた百ヶ日の法事があったので、石見銀山の自宅を早朝に出発した。だいたいこんな時は万善寺で一泊すれば楽なのだが、とみやまの彫刻イベントの事務処理もあったりしてなかなかすんなりといかないところがある。昨夜も、少しほど仮眠して真夜中からゴソゴソと起き出した。ちょうど、不眠症気味だったりしているから都合がいいところもあるが、やはり移動が多くて結界君を運転している時は眠気が襲ってきてつらいこともある。
飯南高原から松江へ移動していたら、国道がアチコチで工事中。葬儀開始の時間に間に合いそうにないから松江道から山陰道へ乗った。さすがにど田舎の島根県も松江あたりまで行くと通勤ラッシュらしきものがあったりして、あなどれない。おみそれしました。

荼毘を終わって斎膳についてしばらく喪主さんと歓談していたら、斎場のホールがグラリと大きく揺れ始めた!最近珍しいほどの大きな地震だ。葬儀参列の皆さんの携帯電話が一斉にけたたましく鳴り始めた。喪主さんは目が不自由なのでキララちゃんという盲導犬が寄り添っている。その犬が、揺れているテーブルの下でピクリともしないでのんびり寝ているから、この地震も大したことないだろうと予測してしぶとく弁当膳を食べ続けた。「松江震度4だって!」だれかが早速情報を収集していた。「震源地鳥取の方らしいよ」とか、「倉吉が震度6あったらしい」とか、次々に情報が斎膳の席に伝わる。
「キーポン大丈夫かな?」彼女は倉吉で暮らしているから少し心配になった。
それからしばらくして、喪主さんへ挨拶して斎場の駐車場へ出ながら携帯電話を確認すると、やたらとたくさん着信が溜まっている。
一つは、ワークショップの参加予約の電話だった。
一つは、徳島の彫刻家からの着信だったので、仕事の打ち合わせでもあったのかと返信したら、地震の心配だった。
一つは、キーポンからだった。ちょうどとんこつラーメンを食べている最中で、スープがカバンに溢れて臭くてしょうがないと愚痴をこぼしていた。すごい揺れで、お店の器が割れて散乱して大変だったらしいが、カバンの心配をするくらいだから本人は無事だった。
一つは、なっちゃんからだった。何かの報道番組で知って電話してきた。
他にも、メールが来たりメッセージが届いたり、友達の少ない吉田をこんなにも沢山の知人が心配してくれていて、斎場の駐車場でしばし電話を眺めつつ思わずウルッときそうになったが、喪主さんがキララちゃんを連れてお見送りをしていらっしゃるので、さりげなく微笑みを返して結界君をスタートさせた。
寺の用事で、松江のK寺さんへ電話したら、地震の関係で全く通じない。それから4時間位過ぎた夕方になってやっと通じた。
そのご住職、なんと震源地のすぐ近くで用をしていらしたらしい。「もう、すごかったですわぁ〜、生きた心地しませんでしたわぁ〜、人生で初めてですわぁ〜、いやぁ〜すごいのなんの・・」
鳥取の倉吉辺りはかなりの被害が出ているようだ。
これから週末だし、キーポンは急きょ石見銀山へ避難することに決めたようだ。
夜になって帰宅した私と入れ替わって、少し前にワイフがキーポンを迎えに出かけた。

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眠れない夜 

2016/10/21
Fri. 03:02

最近、朝夕が少し寒くなってきたかなと思うようになったが、それでも少し動くとすぐに汗ばんでくる。そろそろ10月も終盤に差し掛かっているこの時期に、昼間は半袖でいても何の問題もなく過ごせている。

落ち着いてデスクワークが出来ないまま午前中を石見銀山に居た。
大工の棟梁が気を利かせて、最近慌ただしく過ごしている吉田の日常にピタリと自分のスケジュールを合わせてくれた。
棟梁の仕事場は石見銀山の町並みから少し離れたところを走るバイパス道の脇にある。そこは携帯各社の電波の谷になっていて、こちらの用事で電話をしてもほぼ100%通じることがない。それでも、着信履歴を残しておいたら適度なタイムラグを挟んで用が済んでしまう。長い経験値のなかで絶妙な棟梁ペースが出来上がっているのだろう。
確かに、自分の仕事中に都合を無視した容赦ない電話が入ったりすると、途端に集中力が切れて仕事の手順が乱れたりすることも多々経験しているから、「何の用事だったかナ?」と、それこそ自分の都合で電話を返してくるあたりの棟梁の仕事ぶりは、ある意味理にかなっているのかもしれない。

私の彫刻絡みのプロジェクトには、棟梁の存在を欠かすことが出来ない。
石見銀山に移り住んで20年を過ぎたが、その間に、少しずつ自分の周辺の付き合いが整理されて、それなりの信頼関係が出来上がって今に続いている付き合いはそう多くない。周辺に暮らす彫刻仲間でも、それぞれ自分の暮らしがあるからどこかしら遠慮しているところもあって付き合いにくかったりしているから棟梁は別格の存在になる。

万善寺の都合が優先になった何年も前から、思いついては立ち消えしていたギャラリーが、棟梁の手早い仕事ぶりで再稼働しつつある。
大工仕事のノイズを聞きながら、戒名を考えて決めたりセッセと墨をすって七日塔婆や白木位牌などの葬儀用仏具一式を午前中いっぱいで書き上げたりした。
先日の早朝電話からスタートした葬儀の日程が固まって、昨夜が通夜だった。斎場まで片道1時間半の距離を往復する事になったのだが、数か月前から決まっていた万善寺近所の施主家墓石点眼もあったから、結局島根県の中央から東をぐるりと一周りする格好になって、帰宅したのが夜の10時近かった。
夕食とも夜食とも酒のつまみともいえるような、なんとも曖昧な食事を終わって書斎へ引き上げたらもう午前0時近くなっていた。明日は葬儀があって荼毘があって初七日法要も引き続くことになるから結局それだけで1日仕事になる
何事もなければ、富山地内で公開制作用の竹を切り出す一日を予定していた。
ワイフに代行を頼んで、富山のセンター長さんへことわりの電話を入れて凌ぐしか無い。

一晩寝たら、またまた早朝に自宅を出発して大阪へ向かう。
彫刻の搬出がその直後だから、大阪から東京へ直行することになる。
2・3時間寝たら、すぐに目が覚めて、色々なことが真夜中の脳みそを刺激する。
クロが鳴きながら夜の吉田家を巡回し始めて、私の足元を通り過ぎた。ヒンヤリとした夜気が揺れた。

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