FC2ブログ

工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

旅暮らし 

2016/10/25
Tue. 20:57

先週末から、旅ぐらしが続いている。
10月に入って、ほとんど自宅で寝ることがない・・・ということは、万善寺の用事もないまま、彫刻絡みであちこちうろついているばかりということ。

飯南高原と石見銀山を行ったり来たりしているだけでも、自分の周辺のいろいろなものがあっちへ行ったりこっちへ行ったりしてとろけた脳みその記憶がオーバーフローして収集がつかなくなってしまった。それで今、最大の問題となっているのは、万善寺の大事な印鑑が見当たらなくなったこと。それに気づいたのが先週の初め頃で、それからあと今に至るまで自分の脳みそは常にカラカラと印鑑のことで回転し続けている。その上、幾つかの心当たりのところへすぐに出向いて探すことも出来ない旅ぐらしのままだから始末に負えない。

あまり気にもしないでiPhoneを使っていたら、知らない間に通信速度規制がかかってしまった。
ワイフが最新のiPhoneに機種変更した時に、家族みんなで使用するような契約に代えたと言っていたが、それが良かったのかどうなのか、その内容をあまりよく理解することもないまま使い倒していたら、あと半月も残っている時期から速度規制でとにかく使いづらくなった。キーポンが鳥取の地震で一次避難して帰省したときも、オヤジの速度規制のとばっちりで苦労しているようなことを言っていた。ワイフは携帯も不携帯状態だから特に気にしている様子もない。

彫刻の撤収と搬出が終わって、リニューアルされた高速バス乗り場まで移動した。
そのあたりは、東京のど真ん中でもあるから、公共のWi-Fiスポットだらけでバスが出発するまでの待ち合わせの時間に旅ぐらしで溜まったメールや諸連絡が簡単に出来るだろうと気楽にしていたら、使っているアドレスやパスワードが脆弱で危険だという通知が入ってそれから先にコトが進まない。しばらく、アレコレ工夫してみたが、インターネットにつながっても、世間のどうでもいいような情報が垂れ流れてくるだけで、自分の使っている書類のページまでたどり着けない有様・・
日頃から、日常の文房具のようにパソコンを使って暮らしはじめてもうかなりの時が過ぎた。光ケーブルも街道沿いに続くケーブル線が見えるだけで、それが我が家で使えてるわけでもない島根の田舎で、不自由なりにそれはそれとして都合よく使っているくらいのほうが今の自分には分相応のことなのかもしれない。何かしら不具合が起きると、吉田家のコーヒー一杯で付き合ってくれるケーブルテレビのメカニック兄さんがすぐ来てくれるし、とにかく、旅暮らしの不自由なことには心身ともに悩まされた。

あと少しで、大田市駅に列車が到着する。
今日はこれから富山へ直行する。
公開制作用の竹の切り出しと、会場へのパネル設置が主な仕事。
吉田家のネコチャンズはどうしているだろう・・・しばらくぶりのオヤジの顔を覚えていてくれるかなぁ~~・・

IMG_1065.jpg
IMG_1062_2016102520550267d.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

二紀展終了! 

2016/10/25
Tue. 11:50

心優しき二紀会彫刻部野外メンバーのご協力をいただき、無事に(だと思うけど・・・)搬出作業を終了しました!
本当にメチャメチャ久しぶりに一人で搬出することになって、朝からどうも落ち着かない1日だった。
チャータートラックの運転手さんからお昼に電話が入った。
彫刻の撤収作業は14:30以降になるから、いやに早い到着で、それで余計に緊張が増した。
野外の彫刻展示会場には、いつもの見慣れた彫刻家たちもちらほら確認できる。
東京を中心にした関東圏の作家は、今日の搬出撤収作業要因で大勢出かけてくれている。
彼らのおかげがあるから、島根の出品者メンバーも手分けして代表が一人くらい立ち会うだけでなんとか撤収や搬出が出来ているわけで、やはり、こういう大事な一日は出品作家一人ひとり自分の目で確認して自分も一緒になって汗を流す経験もした方がいいと強く感じた。

落ち着かないままベンチへ座っていると、埼玉の本多さんが隣へ座ってくれた。
彼とはもう随分長い付き合いになる。
今年が70回の記念展だったから、私の出品歴もそろそろ30年を過ぎたくらいのはずだ。彼は、その頃から多分一緒に出品していたような気がする。
最初はワイフのお供で搬入や搬出の手伝いをしていたのだが、結婚して島根に帰ってからはワイフが造った彫刻を小荷物に梱包したりして手伝ってけっこう大変な思いをしていた。どうせ苦労するなら自分もワイフと一緒に彫刻を造ってみようかと思うようになって、その後吉田家の二人が一緒になってそれぞれ自分の彫刻制作をして搬入して陳列して搬出することをした。
当時は、島根県から二紀会へ彫刻を出品していたのは、吉田家の二人だけだった。
今では、年によって流動的ではあるが、それでも10人近くのメンバーが共同で搬入出をするまでになった。
毎年同じようにやってくる秋のこの時期の展覧会は1年間のスケジュールに組み込まれているから、気持ちの切り替えや体調の管理などをしながらそれぞれの作家がそれぞれに制作を続けている。それでも、結局は1年に1点の彫刻を造ることがやっとだったりして忙しくしている人もいるし、彫刻も継続するにはなかなか厳しい世界である。

まだ上野の都立美術館へ彫刻を陳列していた初期の頃の私は、どうも指定の安定した場所が定まらないで、毎年のようにアチコチ展示場所を移動していたから、なかなか親しく会話できる作家が見つからなかった。今にして思えば、それもいい勉強になっていた。自分の彫刻の力量が不安定だから、展示の場所も決まらないでいるようなことだったのかもしれない。
それまで世間話程度だった本多さんと親しく話せるようになったのは、野外の展示会場で彫刻が安定し始めた頃からだったような気がする。
田舎者の、一年に1・2回しか展覧会の仕事もしないナマケモノの吉田へ親しく声をかけてくれるだけで気持ちが楽になる。

IMG_3264.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

2016-10