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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

徳島の松永勉さんのこと 

2016/11/18
Fri. 17:21

徳島の松永勉さんは金属彫刻のベテランである。
特別興味もないので年齢を知らないままだが、私より少なくても5歳は年上だと思う。
まだ日本のバブルがハジケル前から彫刻を造っていて、公共彫刻が全盛の頃は日本全国からの発注に大忙しだったようだ。その関係もあって、彫刻素材はほとんどステンレスばかり。
今は、当時のあわただしさも落ち着いて、徳島の彫刻家集団を束ねることで忙しくなっているようだ。

私が松永さんとはじめてすれ違ったのはかれこれ20年以上は前のことになるだろう。
その頃すでに徳島の野外彫刻展は立派に地域に根づいた文化活動として認知されていた。島根の当時の実情を事例発表したり、情報交換したりするような彫刻シンポジウムの参加メンバーの一人で徳島へ出向いたときがはじめての出会いになる。
徳島とは、まだ島根の彫刻文化の稚拙さが恥ずかしいと気が付かないほど大きな差があった。

彼の彫刻は出会いの前から知っていたものの、その頃は松永さんの彫刻と松永さん本人がシッカリと繋がらないままで過ぎていた。
たぶん金属彫刻の縁なのだろう、その後も何かしら細く長く彫刻絡みで繋がっていたが、島根県の現代彫刻小品展へ誘うと快く乗ってくれて、それ以来、年々縁が深まっている。
昨年からは、苦節◯◯年!めでたく徳島野外彫刻展へ出品も叶って、今年で2年目になる。これから先、何時出品をクビになるかわからないから、今のうちにセッセと四国通いをしようと心に決めて、先日もワンボックスレンタカーをすっ飛ばしたところだ。

昨年は、彼の制作工房を見せてもらった。
今年は彼のアトリエを見せてもらった。
吉田の鉄工場とはレベルもラベルも全く違って、「彫刻家の制作とはこうあるべきだ!」というお手本のような素敵な空間だ。
仕事場を見ると、その人の性格までわかってしまうようなところがあって、自分への戒めにもなるし、良い勉強になる。

いずれにしても、数十年前に徳島の彫刻家集団に接したことは、当時の自分にとって大きな刺激になったし目標になった。
田舎でコツコツと制作を続ける彫刻家は、周囲からの刺激が乏しいだけに、気が付かないまま自分の嗜好の殻に閉じこもってしまって、造形の基本とか方向性とかそういうものが常に流動する現代社会から取り残されるというより疎外されることになっていたりする。現在の造形や彫刻の流行に迎合したりそれを追いかけたりする必要もないが、一方で、造形の現状を俯瞰出来るくらいの余裕も必要だと思う。自分の制作の立ち位置がおおよそわかっているだけでも、自分にとって必要とか不必要の精査も出来る。
自分の彫刻を楽なポイントに留めておくことは何時でも幾らでも簡単にできる。それよりむしろ、自分の表現の可能性を信じて失敗を恐れないでいられることが難しいことだ。

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一杯のコーヒー 

2016/11/18
Fri. 05:55

四国から帰った次の日、深煎りしたケニア産の豆をミルで挽いて遠藤さんのお初コーヒーカップで飲んだ。

ほぼまる1日の休み無い移動が続いて、最後の打ち止めが彫刻の荷降ろしとなると、ジジイオヤジはさすがに朝から頭も身体も思うように動かなくて、こういう時は苦いコーヒーでも飲んでシャキッとしたいと思いつつ、少し前に森山さんから頂いたツヤツヤと焙煎の汗にまみれたコーヒー豆が思い出されてしょうがなかったが、ワイフのいない間に勝手に一人で一杯やったりして後でこっぴどく叱られるのも嫌だなとグッと我慢して夕方を待った。
となりの改築中の大工仕事の音も絶えて、石見銀山の町並みの外灯も点いて、そろそろキーポンをピックアップしたワイフが帰ってくる時間を見計らってミルを挽き始めた。ツヤツヤと光る豆の油でミルのギヤが軽く回る。とてもいい香りが手元から湧き上がるように漂ってくる。

コーヒー好きが始まったのは、新宿通りに面した紀伊国屋の入り口から入って、その真裏のあたりにあるDUGと、そこからまた一つ歌舞伎町よりの靖国通りに面したところにあるDIGに入り浸り始めてからあとのことだった。
高校を卒業するまではどちらかというと紅茶派で、味もよくわからいままあの四角いキューブ状の缶入り紅茶をその日の気分で3種類くらい交互に飲み分けていたりした。当時はコーヒーというとネスカフェのインスタントくらいしか飲んだことがなくて、本当の旨さを知る機会がなかった。それでコーヒーの旨さに目覚めたのは、上京してしばらくしてから知り合ったバイト先の青山学院の先輩に連れられてその2つの店に入り浸るようになってからだった。

追求すれば茶道の如く奥深い何かもあるのだろうが、自分の場合、どうもそのあたりの堅苦しいところが壁になってなかなか一歩踏み込むことをしないまま、一杯のコーヒーに付き合っているようなところもある。今となってはそれなりに長い付き合いにもなっているから、嗜好の変化が少しずつ定まってブレが少なくなってきた。それを決定的にしたのは島根に帰ってしばらくして知り合った萩焼の友人に教えてもらってたどり着いたお店で飲んだメキシコ産の豆をブレンドして深煎りしたコーヒーだった。あの時の一杯のコーヒーの味は今でも覚えているほどの衝撃だった。その後、色々と豆を試したが、やっぱり自分には汗をたっぷりかいた少し苦目の味が合っているようだ。

森山さんのコーヒーは、深焙煎の豆をネルドリップで温めのお湯で蒸らしからじっくり時間をかけて少しずつ落としていく。こういう具合は茶道の煎茶道に近いノリを感じる。
臨済宗ほどでもないが、そもそも禅宗の寺はお茶にうるさい。それに島根の出雲地方は不昧公の影響もある茶処で、子供の頃からお檀家さんのおばあさんのマッタリとした煎茶道に付き合ってきた。
コーヒーにも、場合によってはそういう道を極める程の世界があって良いのかもしれない。森山さんのコーヒーを遠藤さんのカップで飲みながら味わうひと時は至福だ!

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