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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

吉田家ネコチャンズ事情 

2016/11/27
Sun. 15:51

犬のシェパが19歳と10ヶ月で大往生して、そらから2ヶ月位経って黒猫が来た。それからまた2ヶ月位してから白っぽい猫が来た。2012年の早春から初夏にかけてのことである。

その頃のワイフはかなりの猫嫌いで、シェパがいなくなってから後も「絶対に猫は飼わない!」と言い続けていた。彼女と付き合い始めた頃の私はすでに6畳の書生部屋でメス猫と暮らしていて、私の猫好きは分かっているはずなのになんとなくおかしな話だと思いつつ、犬好きなのだろう彼女の機嫌を損ねないように2ヶ月ほど寂しく暮らしていたらじゅん君が側溝に落ちて弱っていた子猫を引き取ってきた。まだ小さくて、乳離や自力の排泄も充分でないくらいだったので、ペースト状の猫飯を食べさせたり肛門を刺激してやったりしていたら少しずつ元気になって生きながらえた。それでもいつ死ぬかわからないし、ワイフは猫がキライだと云うし、無駄に情がうつらないように、特に名前もつけないまま「オイ!」とか「ネコ!」とか呼んでその場をしのいでいたら、縁があって白っぽい猫が吉田家にやってきた。その猫はまだ子供ながら必死にたくましく生き抜いてきた野良猫特有のずる賢く且つ臆病なしたたかさがあった。2匹めの猫が加わったことで、名前をつけないままでいるわけにもいかなくなってオス猫の方を「クロ」メス猫の方を「シロ」と呼ぶようにした。家族からは、色々クレームも出たが、結局なし崩しにそれで通して今に至っている。
クロの方は、物心もつかないまま親とはぐれたか捨てられたかしているから、自分を猫型の人間だと思っているようなところがある。かなりワガママで頑固で独断的で我の強くプライドの高い偏屈なオス猫に育った。反面、慎重で思慮深く小利口なところもあって脱走のプロに成長した。
シロの方は、飼い猫の環境に慣れたとはいえ、野良猫時代の記憶が色濃く残っていて、よく人の目を盗んでつまみ食いをしつつ、上手に人間へ甘えることも覚えた。
その2匹の猫のおかげかどうか、あれだけ犬好きを公言していたワイフが手のひらを返したようにコロリと猫好きに心変わりした。

今年の島根は、未だに夏の暑さが残っているような気がするほど温かいまま秋が深まっている。
この2日間をかけて、やっと吉田家の各所を冬仕様に切り替えた。四畳半にコタツを出し、リビングにホットカーペットを敷き、一応キーポンの部屋になっている2階のベッドへ電気敷毛布を用意しておいた。薪は昨年からコツコツと薪割りをして溜め込んでいるから春までは十分に保つ。
ネコチャンズは人間にも増して季節の節目をよく心得ている。彫刻のことでドタバタしている間に私が愛用している一人用の古いソファーをクロが占領するようになって、少し肌寒くなった頃からシロがクロに抱きつくようになった。ワイフが帰宅すると、すぐにシロがワイフに擦り寄って甘える。私が愛用のソファーへ座ると、クロが居場所をなくしてしばらくアチコチうろついているが、気持ちが向くと私の腹の上で寝始める。私が彼のお気に入りの場所を横取りしているように思っているのかもしれない。
これからもっと寒くなると、私のシュラフの上でクロが寝るようになるはずだ。シロはすでにワイフの布団へ潜り込んでいる。ネコチャンズは来年で5歳になる。早いものだ。

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雨の日曜日 

2016/11/27
Sun. 13:15

夜のうちにかなり激しい雨が降っていた。
富山の後片付けがまだ完全に終わっていないので、雨が続くとまた作業が長引く。天気を相手に悶々と悩んでもしょうがないことだが、やはり、わかっていてもどうにか良い天気にならないものかと無駄に期待したりする。

ワイフは石見銀山の妙見さん法要のお手伝いへ出かけた。
私が法要の欠席を思っていることに薄々気がついて、なにかと不満めいたことを言っていたが、地域の行事の何から何まで付き合っていたら身体が持たない。万善寺のある保賀の谷の方がもっと切実に現実の問題を抱えながらしのいでいる。それはそれこれはこれであっちもこっちも過不足なく付き合おうと思ってやりくりしていることの方が今の私にとっては大事なことだ。
富山の後片付けで日参していたある日、町内で行われた午前中の小さなイベントが終わって後片付けの最中だった。私の方は午前中の用事を終わって昼食をどうしようか悩みながら結界君を運転しているうちに富山へたどり着いてしまったふうになった。運良く、イベントで造った燻製とおにぎりが残っていて、町の人が食べろ食べろと勧めてくれるので、丁度良い昼食になってありがたく頂いた。
その片付けが終わったら絶景の富山を見下ろす町のシンボル要害山へイルミネーションの設置に登るのだそうだ。要害山は、年間の節目ごとに町内有志の営繕が入って登山道もきれいに整備されている。この要害山の件も含めて富山を守り育てる活動が続いているのも、町内各戸からの浄財喜捨があってのことだという。約250戸から年間約4000円を集めているのだそうだ。思うに、この金額はなかなかのものだ。250戸の中には独居世帯もあるだろうし高齢者もいらっしゃるだろう。保賀の谷に至っては、約20戸から年間1万円近くを3ヶ月毎に分けて徴収している。
地域の事情はそれぞれで比べる根拠も無いことだろうが、石見銀山の町会費もかなりの額だし、アチコチに出向いてアチコチの事情に触れながら世間を均してみると、有れば有るなりに無いは無いなりに毎年似たようなイベントが繰り返されていることに気付く。
地域への帰属意識や年中行事は金額の高低で計れるものでもないだろうが、やはり予算が充足していればそれなりに物事も楽に過ぎる。

まぁ、彫刻がらみの展覧会事業も似たようなもので、予算を念頭に出来ることをやりくりするしか無いことだが、それでもお金の問題で妥協し続けていたら何もできなくなるし、結局は自分でなんとか乗り切るしかないことだ。
来年は石見銀山が世界遺産に登録されて10年の節目を迎える。今年辺りから、周辺がなんとなくざわついている。2010年からスタートした現代彫刻小品展もそろそろ10年近くなるが、特にこれといって盛り上がるわけでもなく、しかし、盛り下がるわけでもなく、彫刻の出品者も出品点数も過不足なく推移していて、それはそれで、それなりに安定した事業になっているのかもしれない。だからそれでイイかというとそういうわけでもない。気がかりなのは、この10年近く、関係者がみんな一緒に1年毎に歳を重ねているということ。彫刻家も、10年間漫然と生き漫然と制作を続けていたわけでもないと思うのだ。過去を反省し未来を見据える現在を思う大事な時期であることだけはたしかなようだ。

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2016-11