工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

万善寺の年越し 

2016/12/31
Sat. 22:00

松江の忘年会の後、ボクの結界君を運転して石見銀山まで連れて帰ってくれたじゅん君が、ワイフと一緒に万善寺へ来てくれた。
2016年最後の一日は、4人で万善寺の年末を迎えることになって、独居老人の母親は見違えるほどウキウキしている。

もう随分前から万善寺の梵鐘には割れが入っていて、荘厳な鐘の音と言うより、やたらとうるさいドラの音と言った感じで一打ちの鐘に新年を迎える風情など微塵もない。
近所の人は、破れ鐘と知ってか知らずか、毎日の斎の鐘をついていた頃は、「あの鐘の音で一日が終わるような気がして助けになりますワァ〜」などと、上手を言ってくる。
私の場合、「住職」というよりは、「無住職」で通すことが圧倒的に多い。
それも、生きる手段で当然の行為なのだが・・・毎日の斎の鐘を撞くためだけに万善寺の暮らしを続けていたらとっくの昔に栄養失調で干上がって即身成仏のミイラになっているだろう。
それはそれで、「あぁ〜、あの人は有難く偉いお坊さんだった!・・・」などと後々まで伝説を残すくらいになれたら即身成仏も良いかなと思うが、見方を変えると、自ら断食をチョイスして生きる術から絶縁してしまうあたりなど、体のいい自死のようなものと大差がないことにもなって、そのあたりの曖昧な宗教的解釈が釈然としない。

とにかく、石見銀山の吉田家の留守を預かり新年を迎えるのは、ネコチャンズとグッピー一家、それに少々のゴキブリたちと屋根裏のムカデとか・・そういった連中だけだということになった。

久しぶりのじゅん君だが、やはり以前と変わりなくオヤジとの会話は殆ど無い。
多少の変化といえば、男ながらに編み物ができるようになっていた。
他でもない、私自身も昔々の少年時代には母親と一緒に編み物をしていた時期もあったから、吉田家的には特に珍しいとも思わなかったが、それでもやはりいい歳をした男子がモタモタとそしてノンビリと編み物に興じている様子にはそれなりの発見と刺激があった。
会話の少ない親子ではあるが、どこかしらお互いにお互いの事情を認識できているようにも思うし、男同士の付き合いはその程度で良いような気もする。

除夜の鐘には後もう少し時間があるし、遅れていた年回の繰り出しも一通り出来たし、それでも結局年賀状へ手を付けるまでには至らなかったが、今更焦っても年内にどうこうできるわけでもないから、まるごと新年の仕事へまわすことにして、コーヒーを抽出することにした。
私の場合、「コーヒーを飲んだから眠れなくなった!」ということとはほとんど縁がないし、むしろ、寝る前の一杯のコーヒーで気持ちが落ち着いて熟睡できる。
これから除夜の鐘を撞き終わったら、引き続いて約2時間ほどの新年朝課法要もあるし、その前に少しノンビリと落ち着くことも大事なことだし、まぁ、色々と都合の良い言い訳を用意して2016年を乗り切ろうとしているわけであります。

この数日は気持ち悪いほど天気が良い。元旦は放射冷却でぐっと冷え込みそうだ。

IMG_1300.jpg
IMG_1293.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

万善寺の年末 

2016/12/30
Fri. 23:47

毎年のことだが、この近年は特に万善寺の年越しが忙しい。
分かっていることだからもっと早くに準備を始めたら良いことなのだが、どうもそういうわけにいかないところもあって苦労している。
それでも、天は私に味方してくれているようで、年末の数日を好天にしてくれた。
ほぼ1日かけて本堂の掃除や荘厳を済ませて、年始会の法要準備も出来た。
お参りの檀家さんはだいたい20名くらいだが、参列の席を用意したりすると狭い本堂がより狭くなって窮屈に感じる。

前住職の憲正さんが病気で寝込むようになってから、庫裏のひと部屋にベットを入れて病室代わりにした。それが今からかれこれ30年ほど前で昨年に遷化するまで続いたから、それまで盆正月の法要で檀信徒会館代わりに使っていた万善寺の田の字の庫裏はいっきに使い勝手が悪くなって今に至っている。
今は母親がその部屋に陣取っていて私の動静をチェックしている。

成人した吉田家の子供達は、そういう状態の万善寺の庫裏で寝る場所を探すのも厳しくなったので、オヤジとしては無理に寺で正月を過ごさなくても良いように、それとなく振る舞って彼らに伝えている。
住職の立場としては正月には正月なりの寺の法要もあって、一般在家のように寝正月を決め込むようなことは出来ないし、むしろこういう時期のほうが忙しくしていたりして落ち着かないこともあるから、身内のゴタゴタで気遣いをすることがなくて助かっているところでもある。
憲正さんが元気だった頃は、お檀家さんもたくさんお参りがあって、年始会で日が暮れるまで大酒を飲んで、庫裏のアチコチで囲碁将棋や花札まで始まっていた。台所ではまかないお手伝いの近所の奥さん方が料理や雑煮を作ったりしながら酒のカンをしたりして賑やかなことだった。
少年の私はそういう時の居場所がなくて、唯一の避難場所は仏壇の隣りにある押し入れだった。小さな山寺に生まれた子供の宿命のようなものだと諦めるしかない。
そんなわけで、ボクにとってのお正月は、非常に憂鬱なのであります。

昔は万善寺の裏山に赤松が密集していて、松竹梅の若松を採取することは容易だった。それが、松くい虫の被害にあって全滅したものだから、その後の若松探しに苦労している。
今年は梅の若芽を探すのにも苦労することになった。こちらの方はイノシシが原因。万善寺の周囲はイノシシの餌場と遊び場になっていて、夕方になると何処からか獣の匂いが漂ってくる。
簡単にとれるのは竹。これはむしろ山が荒れて竹林が広がってしまったといったほうが良いだろう。
松竹梅は、あまり早くに準備すると正月のうちに枯れ萎れて無苦しくなる。
松は石見銀山近くの粘土山からいただき、梅はイノシシの遊び場からいただき、竹はその辺の1本を切り倒した。
今日の好天はとても助かった。

IMG_4946.jpg
IMG_4944.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

こころをくばる 

2016/12/29
Thu. 23:51

「ありがとう」
「ゴメンナサイ」
「おねがいネ」
身内の恥になるが、ボクのお母様は90歳を過ぎて魔界の人になってしまったようだ。
普通の常識で正直に暮らしていれば、その時々に色々な不具合や様々な迷惑があってあたりまえのことだし、高齢になって身体も思うように動かなくなれば、そういう場面も増える一方で減ることは無いはず。
朝から晩まで目が覚めている時は、そのあいだじゅう自分の正当性を息子に押し付けてくる。息子でもある私は、一方で万善寺の経営者であるという公的な立場で寺暮らしをしているわけでもあり、そのあたりの事情を少しでも良いからわかってもらわないと寺の行事がうまく回らないのですよ。

まぁ、こんな感じで、今年も殺伐とした年末になっているわけであります。

吉田家の家族は、私とワイフの世帯に4人の子供がいてそのうち一人は5月5日に入籍をして結婚した。それに万善寺で一人暮らしをしている母親がいる。
この母親は、前住職の憲正さんが遷化するまで寺の二人暮らしを切り盛りしていたつもりでいて、住職が代替わりしても、いまだに昔ながらの寺内のしきたりをかたくなに維持しようともがいている。彼女に「引退」とか「隠居」とかいう気持ちは無いと云っていいだろう。それが母親にとって幸せな生き方であるなら、死ぬまで現役のおかみさんを演出しておこうと決めてなんとか昔からの状態と変わらない寺暮らしを続けてもらおうとしているのだが現実は結構厳しいものだ。

10月から12月のカレンダーには「心配(こころをくばる)」と書いた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
心配は相手があってのこと。
相手構わず広く浅く心配するのは無駄。
無駄に気にかけて世話がすぎるとかえって迷惑。
ふかく、こまやかに、こころをくばる。
つよく、きびしく、こころをくばる。
やさしく、ゆるやかに、こころをくばる。
なかなか難しいものです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
本当に、「こころをくばる」ことが難しいと思うのですよ・・・

私と母親の間には、意思の疎通というものに障害ができてしまっているようだ。
べつに、身内でもあるし、母親でもあることだから、他人行儀に堅苦しく緊張して付き合うことも無いのだが、せめて息子のささやかな気配りや心配や親切心くらいは素直に受け止めてもらっても良いと思うのだ。
・・・それは、私の一方的なワガママだけのことなのだろうか?

10-12月

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

いきおい、つかいつくすべからず 

2016/12/28
Wed. 23:45

この数年、周藤さんが松江で忘年会を企画してくれる。
だいたい多くて5人程度の小規模なものだが、私にとっては仕事のしがらみとか遠慮とかそういうものが無くて、勝手に手放しで盛り上がってしまう。
それで今度もシッカリと羽目をはずして島根の地酒に酔いしれた。

隠岐の海士町で暮らしているじゅん君が帰省のために本土へ帰っていて、ちょうど松江の友達のところでしばらく滞在していたから、帰りは彼にボクの結界君を託した。

昼過ぎに石見銀山の自宅を出発して銀山街道を登っていくと、飯南高原は一面雪景色。
松江で飲んでいる間中雨が降っていたが、その頃には万善寺周辺は雪に変わっていたようだ。
年末から年始にかけて寺暮らしに必要な荷物を降ろした。さすがに冷え込んで寒い。
しばらく留守にする吉田家の営繕で薪を運び込んだりしていたときの筋肉痛が今頃になって身体中へ広がって節々が痛い。
母親と二人の夕食は、ワイフが託してくれたブリ大根や白菜の漬物ですませた。
90歳を過ぎて一人暮らしに慣れてきた母親は、ますます頑固になって私の言うことを全く聞いてくれなくなった。自分も年をとるとああなっていくのだろうと思うと切なくなってくるが、まぁ、せいぜいあと20年も生きたら御の字だろうから、まだ、若干聞き分けが残っているうちにこの世とおさらばできるだろう。

いつもの印刷屋さんから来年のカレンダーが出来上がったという知らせが入ったので、雨の松江へ行く途中にそちらへ回った。原稿の作成中に寺の仏事が入ったりして入稿が遅れて迷惑をかけてしまった。
このカレンダーは、私絡みの年間の行事が決まって動かない日が抜き出してある。これを関係各所に配っておけば、おおよそ吉田の動きがわかってもらえるのではないかと勝手に思っているのだが、役に立っているのかどうかはわからない。それでも、ワイフは自宅の目につくところでそれにメモを書き込んだりしてソコソコ活用してくれているから無駄にはなっていないようではある。

1月から3月には「勢不可使尽(いきおい、つかいつくすべからず)」と書いた。
〜〜〜〜〜〜
調子よく物事がうまくいっているときこそ、自分の立ち位置をシッカリ確かめて盤石なものにしていくことが大事。
だいたいにおいて、人の暮らしは順風満帆であるばかりではない。
いいときもあれば、どうしようもなくうまくいかないときもある。
ムリヤリ無理を通して無理しすぎると、そのうち力尽きておしまい。
〜〜〜〜〜〜
自分を振り返ると、昔の頃のように時間や心の余裕がなくなっている気がする。
結構意識して周辺の仕事を整理して彫刻と寺務の大事なところへ気を使うようにしてきたつもりなのに・・・それでもまだまだ無駄に無理が過ぎているのかもしれない。

1-3月

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

ラップトップ君の1週間 

2016/12/27
Tue. 16:15

しばらくぶりにラップトップ(古い方の・・)を開いたら、しばらく経っても画面が黒いまま!
2016年の年が明けてしばらくして調子が悪くなってから、だましだまし使っていて、そうこうするうちになんとなくいい感じに動きはじめて、「こいつ、なかなか頑張ってくれるじゃないか!」と見直したりして、いい気になって使っていると、またある日突然虹のグルグルがとめどなく回りはじめて機嫌が悪くなる。悪さしているアプリとか、重たそうな書類とかを探って消去や削除を繰り返していると、そのうちなんとなくもとに戻って・・・・といった状態が秋になるまでくりかえし続いていた。
それからあとは、ソコソコいい感じで動いていたから、まだ元気が良かったときのように結界君に積み込んでアチコチ連れ回して酷使していたから、またあの頃の症状が再発してしまったのかと、一瞬焦って、少し諦めて、それでも未練がましく再起動をしてみたりしたのだがピクリとも動かない・・・それが、だいたい1週間くらい前のことで、その後、目先の用事に忙殺されて、鞄に入れたままでほとんど彼の存在を忘れかけていた。
そして彫刻の報告で必要な書類をその鞄へ入れていたので今日になって久しぶりにラップトップ君と再会した次第。どうも諦めきれないし、少し時間があったから、ダメ元で再起動を試してみたがやはり無反応。「やっぱりダメか・・」と諦めて鞄へ入れ直したら、ほの暗い中に微かな明かりが・・・「アレッ??」気のせいかと思って外に出してみると、やっぱり何の変化もない。「もう一度充電をしてみよう!」と決めて、充電器を接続したら、ランプが緑からオレンジに変わった。
それから約30分、コーヒーを飲みながらPTXのクリスマス・アルバムを聴いて過ごしてから、ダメ元で再起動。
「ジャラァ〜〜〜ン!!」見事に動きました、ラップトップ(古い方の・・)君!
「ヒョットして、単純に充電切れだったかも・・・」
なんとなく、そのような気がしないでもないが、ひとまず今のところほぼ前と変わりなく動き始めた。こういうことが頻繁になってから、外付けのハードディスクがセットものになっていて少々不便ではあるが、データが無くなって途方に暮れることは避けられている。もうかれこれ5年位は使っているが、それなりに踏ん張って動いてくれている。

最近の電化製品(パソコンもその部類なのかわからないが・・)は、昔のものに比べると随分虚弱になったと思う。
寺の台所へ設置した30年前のエアコンも、夏前はまだ普通に動いていたが、どう考えても電気効率が悪くて1ヶ月の電気代が馬鹿にならないので、思い切って買い替えた。
30年間、夏も冬もそのエアコンの下で過ごしていた母親のために取り替えたのに、それから後、あのひとは、エアコンの下に居住しなくなった。
どうしてかと聞いてみたら、「リモコンの使い方がわからない」ということと、「夏は涼しくない」ということと、「冬は暖かくない」という理由らしい。
壊れてもいない新品のエアコンも、高齢の母親にとっては不具合の多いダメ電化製品になってしまったようだ。おかげさまで電気代は激減したけどね・・・
石見銀山の吉田家のエアコンは、この20年の間に2機種ほど壊れて入れ替えた。
べつに、あのラップトップ君のように無理やり酷使しているつもりもないんだけど・・・

IMG_4934.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

「とみやま」に来て思う 

2016/12/23
Fri. 23:19

富山の報告書のことで、島大の新井先生へ依頼していた原稿が届いた。
当然のことであるが、さすがに大学教授となると内容もしっかりしていて読み応えがある。
報告書がシッカリ完成するのはもう少し先のことになるが、ひとまず、頂いた原稿だけでも先に読んでおいてもらうと嬉しいな・・って、友達の少ない吉田のブログだから限界もあるけど、まぁ、何もしないよりは少しはマシだろうということで・・

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「とみやま」に来て思う

国道9号線、大田市から山側に20分ほど上がったところ、「富山(とみやま)」には美しい棚田が広がっている。ここ富山の廃校になった旧富山小学校とその周辺で、地元の芸術家を中心に美術作品の展示とワークショップが行われているというので行ってみた。
日本の原風景のような里山の道を、休耕田のところどころに置かれた鉄や大理石、竹などの大型野外彫刻を見ながら登って行くと、旧富山小学校に着く。小学校の庭では作家が竹のオブジェをその場で公開制作し、玄関口では地元のお母さんや子供たちが、石を彫って頭像を作っている。校舎に入ると、やはり地元の皆さんが竹を細工して何やらオブジェを作っている。そこを過ぎ、たくさんの抽象彫刻や絵画作品を見ながら校内を進むと、教室では、それぞれのアーティストが一部屋ずつ丸ごと使って自由に創作した世界を繰り広げている。
美しい風景に溶け込む野外彫刻、いくつかのワークショップ、公開制作、教室を使ったインスタレーション(インスタレーションとは空間全体が一つの作品となっていて、鑑賞者がその中を巡って体験する現代美術の形式)などの作品鑑賞と制作体験ができる「とみやま彫刻-ものつくり学校」は、実に多彩で美術の面白さを堪能できる楽しいイベントだった。
この山間地域で行われているアートイベントが、伝統芸能などではなくて、現代美術を通して地元の住民との交流を作り上げていることは驚きだ。
しかしここに展示されている作品は、単に住民との交流の道具に使われている訳でもなく、また啓蒙的な目的で置かれている訳でもない。よくわからないと言われている現代美術を、余計な説明を加えず訪れる人に直接対峙させることで、その時鑑賞者の中に生まれる化学変化、それは多少の戸惑いとともに何か新しい世界を見た驚きだ-を生み出している。またそこでワークショップ等の体験型イベントも同時に行われていることから、訪れる人が楽しく交流し、また不思議な体験をしているうちに、自然に美術に親しんでしまうのだ。こんな双方向の提示ができるのは、今を生きる美術の楽しさと可能性を信じている人間だけだ。
またこのイベントは県内外のアーティストやその卵たちに自由な発表の場を与えることによって、若いアーティストを育てていることも忘れてはならないだろう。
一見のんびりと楽しげに繰り広げられているように見えるこれらのイベントは、実は多様な芸術性と緻密な企画力に基づいており、主催者である吉田正純氏とそのお仲間たちの美術に対する深い理解と知見、また人間に対する愛情によって初めて可能となるものである。
「とみやま」にこのイベントが続き、根を下ろすことを、そして来年もまたこの風景に会えることを楽しみにしている。

新井 知生
島根大学教育学部教授・画家
個展(銀座スルガ台画廊, Cast Iron Gallery, 島根県立美術館など)
グループ展(現代日本美術展, 安井賞展, DOMANI明日展 など) 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
IMG_4779.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

暴風の夜 

2016/12/22
Thu. 20:20

一晩中大風が吹いていて、なかなか寝付けなかった。
それでなくても立て付けが悪い万善寺の、本堂と庫裏の谷間のような廊下部屋を寺務所にしているが、その部屋が大風で何処かへ吹き飛んでしまわないか心配になるほどだ。
朝になって、明るくなり始める頃から少しずつその風が止んで雨に変わった。
母親は、月に2回のデイサービスの日で、前の日から行きたくないふうで渋ついていたが、私が完全無視を決め込んでいたので、夜が明ける頃には覚悟を決めて長々と時間をかけて外出の準備に取り掛かっていた。
お盆前に切り取ったシキビを庭先の水槽へ投げ込んでいて、それが昨夜の大風で庭まで飛び出していた。
今時の風雨は、肌を突き刺すように冷たいものなのに、今日は気持ちが悪いほどぬる温かい。少しばかりモノを動かすほどで汗ばむ。長袖のシャツを肘まで巻き上げて、雨に濡れながら素足に雪駄履きでウロウロする姿はどこか異常だ。
昼過ぎから土砂降りになって夕方まで収まる気配がない。そのさなかにデイサービスから母親が帰ってきた。
いつもは、一人暮らしの真っ暗な庫裏の玄関でイジイジと時間をかけて履物を脱いだりしているのだろう。あと少ししたら、夕食の仕度をしようと思っているが、日頃の一人暮らしの様子を大きく変えてしまうのも厄介だし、どの程度手をかけるか、そのあたりのさじ加減が難しい。

・・・Don't think twice, it's all right
あの、ボブ・ディランの曲ですね・・・
毎年のように世間が村上春樹さんで盛り上がっているらしいノーベル賞をとっちゃいましたね。ボブ・ディランというと、物心付いた・・というか、反抗期に突入したあたりに、良く聴いていた気がする。島根の田舎の山寺育ちの小坊主に英語なるものは全く無縁だったから、彼の歌う英語の歌詞はまともに聴きとることも出来ないまま、繰り返されるシンプルなメロディーラインが耳について、それだけのことでよく聴いていた時期があった。
それから後は、周囲の影響もあってビートルズとかクイーンとかそのあたりを経由して、ハービー・ハンコックの処女航海あたりから、もうどうでも良くなった感じで手当たり次第に際限なくアレコレ聴き漁る方向へ傾いてしまった。
気に入った曲は、当時の音楽雑誌などから歌詞を探してきて、英語の辞書片手に一晩かかって訳そうと努力したりもしたが、英語の文章というものはそれなりの前後関係でなんとか雰囲気くらいは見えてくるが、英語の詞というものはそういうわけにもいかなくて、簡単なのか難しいのか正しいのか間違いなのかよくわからないまま「とにかく、まぁ、こんな感じなんだろうな」くらいのところで納得していた。
ボブ・ディランは、「Don't think twice, it's all right」のところだけはなんとなく聞き取れた。他にも、ブルース・スプリングスティーンとかギルバート・オサリバンも訳したことがあるし、最近は、チャーリー・プースも少し訳してみた。

冬のはずなのにやたらと生暖かい暴風の万善寺の夜を、ボブ・ディランを聴きながら村上春樹ならぬ群ようこさんを読んで過ごしたのでありました・・・そんな暇無いのにね。

IMG_1282.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

SEMIKUJIRA 

2016/12/22
Thu. 09:49

実は、フェイスブックもやってるんだけど(って、周知の事実でしょうが・・)寝ている間に「いいね」ポチットが50件も溜まっていた。
先行き不透明な日本の現状から逃避して深く静かに潜航しているカナヅチオヤジとしては、脅威のアクセス数になっていてビックリ!
「坂田明さん効果はすごいことだ!」
まぁ、超メジャーな御仁だけに、当然といえばアタリマエのことだろう。

年末になって、年内の雪がない間に大事な法事を済ませてしまおうと、飯南高原に点在しているお檀家さんから問い合わせが続いている。
そんな中、浄土真宗さんから四十九日の法事へ招待があって出かけた。
最近の若い浄土真宗のご院家さんは、だいたい1冊の教本を決まり通りに順番におつとめされるので、それほど不自由することもなくついていけるくらいに慣れているが、万善寺先代の憲正さんクラスの現役老僧さんだと、なかなかそういうわけにいかなくて、法事の当日になってはじめて見る経本を手渡されて、「今日はこれでおつとめさせていただきますので、よろしく・・」などと軽く振られるものだから、それから後は施主さんやご親族さんとドッコイ付け焼き刃のにわか坊主を通すしかなくなってしまう。
それでこのたびは、仏説無量寿経全巻と仏説阿弥陀経の西本願寺和訳本をメインに浄土真宗流の節付きでおつとめした。
漢文のお経は経験しているが、和訳のお経ははじめてのことだった。
「こちらの(和訳の)お経の方が、どなたさんでも(良く)意味がわかりますけぇ〜ねぇ〜。おつとめしていると、お浄土の風景が目の前に見えてきますけぇ〜」
・・・ということで、その老僧は好んでそういうお経で法事のおつとめをしているのだ・・と、解説されていた。

はじめてのお経だったので、なんともいいにくいところではあるが・・・
率直にいえば、やはり漢字に託されたくどいほどの仏の教えはかなり薄まってしまってるなぁと、そういう感じがした。
曹洞宗のお経も、メジャークラスの幾つかは和訳がしてあるから、頭陀袋に忍ばせた分厚い経本を引き出して暇な時にそれを流し読みしていたりするが、味気ないほどだいたいの直訳になっていて、結局、漢文も読み下しもたいしてかわらない。
ザックリいうと、浄土真宗さんの和訳は意訳に近いのかもしれない。
そのあたりの意訳と直訳の落とし所が、仏教の目指す先の方法論になって現れているのかもしれない。ナンチャッテ坊主的に云うと、直訳はクラシックの室内楽で、意訳はモダンジャズのアドリブたっぷりで、モーツァルトを演奏しているようなモノに近いような感じかなあ・・・個人的にはアドリブ大好きだけどネ。そういえば、憲正さんもかなりアドリブの多い方丈さんだった。

あれから、坂田さんのアルバムを全曲聴いた。
やっぱり「ひまわり」も良かったが、「SEMIKUJIRA」も坂田ワールド炸裂で良かった。
風景が見えた。お浄土は見えなかったけどね・・・

IMG_1283_20161222094750963.jpg
IMG_4861_20161222094751af1.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

〆は「ひまわり」 

2016/12/20
Tue. 23:36

30人位でいっぱいになってしまうような小さな店で、坂田明さんのソロライブがあった。
ちょうど、彫刻のことが事務を残すだけになって一段落したところだったし、寺のこともなんとか都合がついたので、ライブ前から坂田さんのマネージャー要因を務めた。
ボクの可愛い結界君に即席のステージを積み込んだりして会場へ向かったが、なにせいつもは宅飲みばかりのことだし、大田市の飲み屋とは全く縁がないから、その店を探し出すのに一苦労した。
助手席の坂田さんがGoogleMapを駆使して人間ナビゲーターを務めてくれてやっとたどり着いたその店はあまりにも狭くて、結局、積み込んだ即席ステージの出番がないままそのまま結界君の荷台で寂しく一晩雨に濡れることになってしまった。

開宴の時間前には40人ほどがすし詰め状態になって超満員。
前回は確か2年くらい前に松江で聴いたように記憶いているが・・・
曲は、最近の坂田節炸裂で心が震えた。
いつものMCも、これまた坂田節絶好調で名言だらけ・・・
アッという間に2時間が過ぎて、最後の〆は「ひまわり」だった。

彼のアルバムのほとんどはiTunesに入れて結構聴いていて、「ひまわり」は吉田の好きな楽曲トップテンに入っている。
今のところ色々なミュージシャンのひまわりの中で、坂田さんが一番好きだ。
ライブの次の朝、七日努めでお邪魔した先で坂田さんの話になって「ひまわり」の話題で盛り上がった。
マルチェロ・マストロヤンニやソフィア・ローレンのことや、あのチェルノブイリのことや、もちろん咲き乱れるひまわりのこと・・・
いつも思うことがだ、坂田さんのライブの裏には、とても大きくて重たいメッセージが隠されている。

はじめてナマ坂田明を観たのは新宿のピットインだったはずだ。
山下洋輔トリオの頃で、あのころ私は20歳位だったかなぁ〜・・・
まだ、日本の多くの若者が真面目に本気になって活発に政治活動を展開していた。
音楽・美術・演劇・映画・文学・・・思いつく全ての文化が時代へのメッセージをタップリと含んでいた。
だいたい10年位前だったろうか?チョットした縁で坂田明さんと再開して、それからあとは時折々に付かず離れずお付き合いが続いて今に至っている。
彼の熱いメッセージは出会った頃と変わりなく常に新鮮で強烈な鮮度を保っている。

石見銀山の定宿に落ち着いてから後は、ライブの余韻も手伝ってほぼエンドレス打ち上げ状態になった。
2016年もあと少しになった。吉田のこの1年は、結構あわただしかったが、坂田明ライブも堪能して、それなりに充実していたなぁ〜・・・

IMG_4842.jpg
IMG_4839.jpg
IMG_4835.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

富山彫刻イベント納会 

2016/12/19
Mon. 15:15

無事に(たぶん??)納会も終わって、今年も残すところあと僅かとなりました・・
書類の提出が2つほどあって、それをまとめるのに2日ほどほぼ徹夜が続いて、そのあとに富山の納会があってそれも朝まで徹夜して、次の昼過ぎまで仕事をして石見銀山へ帰宅したら、もう自分のパワーも充電切れで、それから「チョット寝ます・・」とワイフに断ってボクのダブルシュラフに潜り込んでバタンキュー!
それから、何時だったかオシッコに一回ほど起きて、また爆睡で、気がついたと言うか、「もういい加減に起きなさい!」とワイフに叱られて目覚めたのが16時間後だった。
徹夜分の睡眠の元をとったことになるが、一気に睡眠を溜め込んでしまったものだから、目が覚めても、どうも身体がいつもの調子に戻らなくて苦労した。

それにしても、よく食べよく飲んだ。
周藤さんが手際よく紅ズワイガニをさばいてくれて、とても食べやすくて助かった。
竹ちゃんがシャンパンを持ってきてくれてスパーリングワインも一緒に乾杯の封を切った。その竹ちゃんの奥さんが自家製のハムを差し入れしてくれた。
ワイン好きの松本さんもボトルを差し入れしてくれた。
ワイフはアヒージョを作ってくれていて、いい感じで〆の一品になった。
ノリちゃんも仕事先から駆けつけてくれたし、個展作家の本池女史も鳥取から県境を越えて駆けつけてくれた。

倉敷チームは、今年初の積雪に突っ込む形で中国山地を越えて参加してくれた。
草月流の西本さんが美味しくてオシャレな洋風料理(名前がよく覚えられなかった・・)を差し入れしてくれた。田舎者オヤジにはお初の味で、なかなか美味かった。
森山珈琲は、例のごとくボク好みの深焙煎のコーヒーを入れてくれた。これが上手くてちょうどいい中休みになって、それからまた酒がはかどってしまった。
今回、運転手に徹した広瀬氏は早々と来年のイベントチラシをアレコレ持ってきて盛んに宣伝をしていた。

富山の地元チームもたくさん参加してくれた。
公開制作でお世話になった地元の大御所。
奥さん手造り猪鍋持参のセンター長さんに、地域おこし協力隊の竹内さん。
ワークショップの常連親子。
何かと汗を流してくれる富山の突撃隊長幸村さんは自ら燻製を作って持ってきてくれた。これが絶妙に美味い。

だいたい半年くらいかけて富山の美術イベントを回してきたが、年末の慌ただしいこの時期にこうして関係のみんなが集まってくれるだけで感動してしまう。ジジイになって地球の重力に耐えられないままたるんだ顔面の肉がだらしなく垂れ下がってしまった自分の目尻が潤む。
色々不具合もあって八方迷惑をかけっぱなしではあるが、こういう時にキッチリと手伝ってもらえることのありがたさを噛み締めている。

IMG_4799.jpg
IMG_4800_20161219151358e0e.jpg
IMG_4802.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

納行脚 

2016/12/15
Thu. 23:48

昨日に続いて、今年の納行脚に出かけた。
こういう時に、自分の自由さが痛感される。
こうして、今でも夜中になってもネコと戯れながらコーヒーをすすりながらゴソゴソと昨日のことや明日のことでデスクワークなどしているが、自分としてはとても真面目に「ボクの仕事」をこなしているつもりなのだ。ところが、世間はちゃんと業務時間なるものがあって、朝は○○時から夕方は○○時までの間に1日の仕事を片付けなければいけないことになっていて、諸官庁になると特にそれがキッチリと守られていて、場所によっては窓に灯りがついて人影があるのに入口が閉まっていたりする。昨日は、そういうところをお昼のど真ん中で訪問するようにスケジュールを調整していたが、それはそれで面会の相手がお昼休みで連絡できなかったりする不都合もあって、とにかく行く先々で都合をあわせることがなかなか難しい。年末の忙しさは何処も似たようなものだから仕方がないことだということにして、比較的自由に動き回っている吉田の方は、大事な用事の合間に私用を適当に混ぜ合わせて不測の事態にさり気なく対応しているようなところもある。

富山へ納会の道具などを搬入して、青空と富山の棚田風景などを写真に記録した。それからあらかじめ予定を打ち合わせしておいた奥出雲の方へ確認の電話を入れたら、「何時でもどうぞ!」と云ってくれたので、富山から直行することにした。時間が短縮できる山道のルートにするか、時間はかかるが気楽に運転できる斐伊川土手を回るか少し迷ったが、ちょうどお昼時だし、その時間は外したほうが良いだろうと決めて斐伊川の中流から上流へノンビリと結界くんを走らせた。斐伊川は数日前からの雨で水かさが増していたし、日陰やトンネルの中など路面が濡れていて少し走りにくかった。奥出雲に近づくと結界くんの空調が肌寒く感じてきた。予報では雪マークもあったから、外気がけっこう冷え込んでいるのだろうと思っていたら、目の前に雪をかぶった船通山が見えてきた。

奥出雲での彫刻展でお世話になった各所へ、お礼代わりに私の彫刻を配って回った。
どちらかといえば、欲しくもないものを貰わなければいけない面倒の方が多いかもしれないが、見た目はそういう本音を見せるわけにもいかないし、一応は建前の笑顔で対応していただいた。それでも、自分としてはおおよそのねらいどおりにいい感じでいい場所へ収まったと思っている。

奥出雲を出発して、斐伊川と付かず離れず結界くんを走らせていると、燃料がなくなっていることに気付いた。このところ、2日に1回位のハイペースで給油している。安いセルフスタンドには車の列が続いていた。年末の燃料の高騰はなかな厳しい。
国道を走っていたら検問にぶつかった。この慌ただしい時期に、わざわざ渋滞の元をつくらないでもいいだろうと思いつつノロノロ走っていたら、2台前の2tアルミがそのまま検問をスルーした。1台前の軽トラダンプもスルーした。結界くんのスピードを緩めたら警察官がそのまま行けと合図している。バックミラーに映るすぐ後ろの軽の乗用車は検問に引き込まれて、その後ろのユニックはまたスルーした。どうも、商用車と自家用車を選別して検問しているようだ。
そうか・・・ボクの結界くんは商用車だったのだ!

IMG_1275.jpg
IMG_4747.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

結界君大活躍! 

2016/12/14
Wed. 23:33

ワイフが久しぶりに仕事休みだと云うので、二人してボクの愛車結界君で出かけた。
彼女にとっては、アレコレとショッピングの計画もあったのだろうが、結局は私の幾つかの用事に付き合わせることになってしまって申し訳ないことをした・・・と思っているが、夕食の時にさり気なく聞いてみると、まぁまぁそれなりに1日を楽しんでくれていた様子なので、ひとまず安心した。

これから本格的な冬に入って結界君も忙しくなるから、1年の慰労も兼ねてオイルは、1ランク上のモノに交換し、フィルターもメッシュ付きの上等品にして、エンジンの掃除や水抜きなどもしてもらった。外見は薄汚れたポンコツ車であるが、中身にはそれなりにお金をケチらないで大事に労ってあげているつもりだ。
その効果もあってか、エンジンの音も軽やかに走行距離も思った以上に伸びてくれて、なかなかいい感じのドライブになった。

石見銀山の自宅を出発して、まずは半年分の溜まった支払いを済ませるために何時もお世話になっている印刷屋さんへ向かった。
2ヶ月ほど前に、営業のお兄さんが一身上の都合で退社したからか、見積書をもらってからあとの納品と請求が届かないまま年を越えてしまいそうになっている。
会社のアプローチへ曲がると、玄関がなんとなく暗くて閑散としている。「平日なのにこの暗さはどういうことだ?」と少し心配になって玄関口を覗くと、奥の方で奥さんが一人忙しくしている様子が見えたので少しホッとした。
今までだったら、営業のお兄さんやおじさんやお姉さんが忙しそうに事務処理をしたりして事務机には書類も山積みされていたのに、きれいに片付けられている。一瞬、島根の印刷業界もなかなか厳しいのだろうと、余計な(?)心配が脳みそにチラツイてしまったが、オペレーターのご主人も忙しそうにしていらっしゃったし、近所のお客さんの訪問もあったりと、それなりの活気も感じられて安心した。

それから、宍道湖の北側を東進して松江に入って県庁の用事を済ませて、そこからまた東進して途中の道の駅へ寄ったりしながら中海の北側から境港へ向かって、お歳暮の品を物色したり吉田家用の新鮮な魚介類をゲットしたりした。それでワイフのショッピングも、ソコソコ満足してもらったようだ。
同じルートを松江まで帰って、ワイフを駅前に降ろしてから島大の新井研究室を訪問した。少し前からSNSなどでお願いしていた原稿資料を届けたり、若干の事務連絡をしたりして別れた。
松江駅の南口でワイフをピックアップして、出雲まで帰ってから業務用のスーパーへ寄った。

もう、ここまで至れり尽くせりだと、ワイフのショッピングも十分に満足してくれたはずだと思っていたが、夕食には境港の紅ズワイガニと輸入雑貨店でゲットしたワインと砂肝と椎茸のアヒージョが出た。
一日中、私の年末の用事へ付き合わせた感じのワイフだったが、これだけの夕食が堪能できたことだし、ボクは幸せ者サ!!
明日は富山から奥出雲へお礼まわりに出かける予定だが、雪が降りそうだしなぁ〜・・・

IMG_1272.jpg
IMG_1269.jpg
IMG_1271.jpg

[edit]

CM: 1
TB: 0

page top

節目の納会 

2016/12/13
Tue. 19:06

今の吉田にとって、1.5日の休息はとても良い心の疲労回復になった。

面白いものだ。
ほんの10年前は土日の休日があたりまえで、たまに、その休日返上で万善寺の法事が入ったりすると、メチャクチャ損をしたふうに感じて、だいたいがふてくされ気味に憲正さんのお付坊主を務めていた。土日休日の決まっている仕事を辞してからも、その癖が身体にも心にも染み付いていて、「他人が休んでいるのになんで自分だけ働かなきゃいけないんだ・・」と、不満タラタラに仕事をすることばかりだった。そういう気持ちの動きは、どこかしら態度になって現れるから、はじめからほとんど持ち合わせることもない信用もアッという間に崩れ去ってしまって、目先の仕事もどんどん減って、1年毎に収入も減収が加速して、年収が辞職前の4分の1くらいに落ち込んでしまっていたのを2010年の申告時期になって気付いた。それからしばらくはドタバタと慌ててワンオーナーのギャラリーを立ち上げたりしたが、それもしばらくして憲正さんの病気悪化で頓挫した。

いい歳をしたオヤジがこれといった人生の目標もなく定職にもつかないままフラフラと坊主家業を引き継いでしまっているわけだから、普通だったらとっくに家族に見放されてしまっていておかしくないくらいなのに、その頃のワイフはこれといって過激な愚痴をこぼす訳でもなく粛々とアルバイトやパートや時間講師などを引き受けながら家事を支えてくれていた。私の方はそれでも彫刻だけは真面目に本気に制作を続けていて、ワイフの個展を企画したりして暇を乗り切っているうちに、「やっぱり自分にはこれしかないな・・」と、改めて正面から自分の彫刻に向き合うことを決めた。それで始めたのが、「現代彫刻小品展」というわけで、貯金も家計も底をついて、借金だけはタップリ溜まっているという金欠状態なのに、そういう吉田家の経済状態を全く無視して、とにかくありったけの金をかき集めてスタートさせた。

現代彫刻小品展は、石見銀山で5回、浜田世界こども美術館で5回と、今年奥出雲町で1回ほど開催するまでになった。
石見銀山の5回の内、最初の2年間2回分は出品作家の出品料と自己資金でまかなった。今思うと、よく2年間も自腹で乗り切ってきたものだと恐ろしくなる。しかし、その2年間の蓄積というか実績というか、そういうものがないと現在のように各所からの助成金を獲得することはできなかったと思う。助成金のおかげでプロの彫刻家も講師依頼できて、展覧会やワークショップの質も保てたわけだ。

気がつけば、あれから10年近く経った。今は1日の休日もなかなか確保できない。
これから先、確実に歳をとって心身の老化が進む。いつまでも、現状にしがみついているわけにもいかないし、そろそろ、それなりの潮時が近づいているような気もする。なかなかすんなりと次に引き継ぐことも難しい・・・というより、まず限りなく不可能に近いことかもしれない。
今週に入って、今年最後の再稼働を始めた。
今週末は、空に近い町とみやまの旧富山小学校で今年最後の納会を盛大に開催する。

IMG_1224_20161213190543c64.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

島根県高等学校美術展 

2016/12/12
Mon. 23:57

吉田のマニアックなブログをお楽しみの(??)皆様・・・長らく(・・でもないか??)お待たせしました!
本日より、満を持して再開いたします!・・・って、大げさなことですが、とにかく、このだらしない備忘録も、それなりに休んでしまうと、とろけた脳みそに記憶された時々の出来事が絶え間なく次々に消え去ってしまって、昨日のことを思い出そうにも相当苦労してしまうこともシバシバで、慢性の物忘れ症状が活性化してしまって、そのうち各所に迷惑をかけそうになりはじめて・・・そういう自覚がかろうじて残っているものだから、少しでも痴呆症状を食い止めようとささやかな期待を込めつつ、久しぶりにプチプチとラップトップのキーボードを叩き始めたところであります。

富山の事後処理(報告書作成)がもたついている間に、万善寺の仏事が絶え間なく入ってきて、昼やら夜やら、石見銀山やら飯南高原やら、島根県やら広島県やら、とにかく11月末から先週いっぱいはどうしようもなくせわしなく動き回っていた。気がつくと、結界君の燃料給油が2日ごとにやってきたりして、ジワジワと値上がりしている油代が吉田の家計を圧迫している。島根の過疎地の小さな山寺でも、さすがに1週間に一つずつお葬式が入ったりすると、何処かのブラック企業並みのかなりのオーバーワークになってしまう。私の老体もこの2週間で蓄積した疲労が回復しないままデスクワークに取り掛かってみたものの、どうもうまく気持ちを切り替えることが出来ないものだから、思い切って全ての用事を打ち切って四畳半へこもることにしたのが土曜日の午後からのことだった。

葬儀の一連の仏事が一段落して石見銀山の自宅へ帰ってから、久しぶりに深煎り焙煎のコーヒー豆を挽いた。セラミック製のギヤに砕かれる豆の音。手元から漂う香ばしい香り・・やっと人心地ついてメモ帳を開いたら「高美展」の文字がある。そういえばちょうど始まったばかりだ。週明けは七日努めが続くから行くのは今しかない。さっそく、ワイフと調整して土曜日の朝から益田へ向かった。
いつもは、松江の県立美術館が会場になっているが、今年の島根県高等学校美術展は益田市で開催される。
山陰道が少しずつ西に伸びていて、この数年の間に益田が随分近くなった。せっかくだから途中の浜田市で寄り道をして日本海の魚をチェックしようと提案したらワイフの目がキラリと光った。二人で満腹になるほど大きくて活きの良いカレイを買った。昼ごはん用にバカ安のにぎり寿司も2パック買った。葬式の斎膳に魚が出ることも期待できないし、ボクの胃袋は仏事の反動で魚を欲しがっていたのだ!

高校生諸君の美術作品はとても新鮮だった。ひところに比べると工芸部門の激減が気になった。絵画部門は油絵が小ぶりになった気がした。デザイン部門はたくさんのイラストに混じって手の込んだ細密描写が増えていた。今の高校生のブームなのかもしれないと思ったが、それはそれなりに彼らの粘り強さも伝わって好感が持てた。立体や彫刻は、技術レベルがどうこう云うより、高校生らしい遊び心があって楽しめた。なんでも上手いだけが全てではない、高校生にはたった3年間のその時でしか表現できない何かを真っ直ぐに追いかけてほしいと思う。大人の古臭い分別はいらない。

IMG_1247.jpg

[edit]

CM: 1
TB: 0

page top

朝霞の飯南高原 

2016/12/09
Fri. 16:55

結構激しく雷が鳴っているなぁと思っていたら、雨が吉田家のトタン屋根を激しく叩き始めた。
そういえば、昼のうちから少し冷え込みがきついなぁと思いつつ、ストーブに薪を投げ込んでいた気がする。

身体のアチコチが痛くてどうもデスクワークがはかどらないまま夜になった。夕食も食べるには食べたが一杯呑む気になれない。気がつくと何ヶ月ぶりにアルコールの無い夕食になっていた。それでかどうか、あの雷と激しい雨で目が覚めてからなかなか寝付けないままでいたら、知らない間に朝になっていた。
iPhoneが鳴りはじめてハッキリと目覚めた。
中学校までの同級生からだった。
「今朝方オヤジが亡くなって・・」

つい1ヶ月ほど前にお母さんの3回忌を済ませたばかりで、その時はお父さんも法事の斎膳をモリモリ食べて元気そうだったから、かなりびっくりした。
「あれから急に調子が悪くなって・・・あれだけ生きる気満々だったのに最後の夜は自分で『もうダメだ』って云って・・・それで、今朝になって・・・」
枕経を終わって葬儀日程の打ち合わせもできて、それからあとの立ち話だった。

亡くなったお父さんは、憲正さんの一つ歳下だった。少年時代の私にとって、彼はとてもかっこよくて男らしくて、ある意味憧れていたところもあった。
あの頃は町に一つの映画館もまだ現役でスクリーンの下にはステージもあって、映画に演劇に文化祭にフル稼働していた。1階はステージに向かって緩やかに下りの勾配があって、一人がけの硬いベンチシートが並んでいた。劇場の後ろ半分くらいからは2階席もあって、なかなか本格的な映画館だった。そのかっこいいお父さんはあの頃流行っていたベンチャーズのコピーバンドを結成していた。加山雄三あたりもコピーしていた気もする。映画のスクリーンから若大将が飛び出した感じでとにかくかっこよかった。私の同級生もそのお父さんも、万善寺の小坊主でもある吉田少年と父親の憲正さんとは住む世界が違っていた。
日本が高度経済成長期に入った頃、それまでの自転車から原付バイクを取り扱うようになり、やがて自動車販売をしながら修理工場を拡張して今の基礎をつくられた。当時の島根の田舎町の自転車屋としては思い切った決断だったと思う。
昼間は真っ黒になって働き、夜はグループバンドの練習に励み、町のイベントを盛り上げ、突っ走った人だった。

私が島根にUターンしてからかれこれ30年になるが、彫刻を造り続けられるか迷いつつ、それでもなにもしないでいる訳にもいかなくて、デッサンを図面に置き換えて大工さんを頼ったりして構成の木彫を造りつつワイフの彫刻制作を手伝っていた頃、修理工場のアーク溶接機を使わせてもらったことがある。
あのアーク溶接機が使えなかったら金属彫刻を続けていられなかったかもしれない。

IMG_1243_20161207203121843.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

引き継ぎ 

2016/12/07
Wed. 20:34

広島の葬儀の後の初七日のお経が終わってから、少しだけお話をさせてもらった。
内容は、桜の老木が次の代に命を引き継いで生き残り続けるワザの話。
どうも、葬式の場でお話するネタでも無いような気がしたが、亡くなったおばあさんは、概ね大往生といってもいいと思ったので、残されたご親族へ菩提寺からのお願いを込めてお話させていただいたつもりだった。
ようするに、「今の自分があるのも産み育ててくれた両親があってのことなんだよ!」というあたりまえを忘れないようにしましょうね・・ということ。それは、自分の子や孫の代まで引き継がれていくことでもあるということで、子は親の背中を見て育っているということなのです。

田舎の方とは違って街場のことなので、斎膳の意味もわからないまま、「お昼ごはん」感覚のお誘いを受けた。坊主が膳についたら、一品も残さずに平らげるのが礼儀だと前住職から教わっていて、時と場合をわきまえながらできるだけそいういう風に務めるようにしているが、最近は、最初からテーブルに持ち帰り用の弁当膳が並んでいることが常識になりつつある。小さい頃から副住職時代も含めて前住職の昔からのことを知らないわけでもないので何かしら味気ない気もするが、時代の流れがそういう風に変わってきていることもあるし、さり気なくお昼ごはんのお付き合いをして石見銀山へ帰った。

ワイフの車もないし、2日ぶりに無人の吉田家の玄関へ入ると、やっぱりネコチャンズに軽く無視された。ストーブも冷たく冷え切っている。少し落ち着いてからメール確認をしながら深焙煎の豆を挽いた。留守の間に300件以上の着信が溜まっている。市役所の教育委員会から旧富山小学校の光熱水費請求が届いていた。たった4日間の電気代だけで1万円を越えている。吉田家の1ヶ月の使用料でもせいぜい2万円程度のことなので、公共施設の必要経費も馬鹿にならないものだ。廃校の施設を開放しないまま物置代わりに使い続けるよりはマシだろうと思って使わせてもらっているが、富山町住民ではない外部の任意の団体が使用するのだからということで、そのような使用料が計上されるようだ。富山町の住民ではないけど大田市に現住所はあるんだけどね。解釈は色々と都合よく読み替えが出来ているようで現実はなかなか厳しく出来ている。

ウソかホントか知らないが、桜の話は造園業の気難しいオヤジが喋っていたことを思い出したからで、彼曰く、「桜の寿命はだいたい80年が普通なのだ!」そうだ。だから、昔は子供が生まれると記念に桜を植樹することもあったらしい。環境の条件や、手入れ次第で寿命はマチマチらしいが、歳をとって弱り始めた桜は、気根の元になるような芽を地面に向かって伸ばし始める。運が良ければ、その芽の先が地面まで届いてつっかえ棒代わりに桜の老木を支えつつやがて地面に根付いて代替わりしながら生きながらえる。世代交代が上手くいくと若い幹が太り、老木を抱え込みながら成長して大木になるのだそうだ。
石見銀山の桜は、この近年一気に病気が広がって年々弱っている。
万善寺の巨大な枝垂桜も冬の雪の重みに耐えられなくなって、遂に朽ちて果てた。
まぁ、今の吉田家には気根の芽が出るような兆候は皆無だな・・・
石見銀山や富山町や、それに万善寺や飯南高原はちゃんと世代交代できるのかなぁ〜?

IMG_1240_20161207203120e52.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

檜林の彫刻 

2016/12/05
Mon. 15:12

初七日が終わった。
もう、あれから1週間ですよ・・・何か、早かったような気もするけどよくわからんなぁ〜・・

私が住職になってから島根県の県境を越えたお葬式はこれで2回目になる。
所変われば葬式システムも地域事情で変わるのは普通のことだが、それに加えて、広島は毛利元就さんの関係で浄土真宗さんがとても多い。そういうところへ曹洞宗の山寺の田舎坊主がノコノコと出かけていることからして、なんとなく居心地が悪かったりする。だいたいが軟弱なチキンボーズは、この一週間緊張でビビリっぱなしだったのです。
これから、年末年始と続く七日務めから四十九日や百ヶ日の法要も、冬の雪と上手に付き合いながら遺漏の無いように務めなければいけない。

石見銀山の谷にある田んぼへ、今年も野外彫刻を置かせてもらった。
この近年は年中行事のようになっていて、だいたい翌年のお彼岸前後までの農閑期は路線バスの回転場からその彫刻を見ることが出来る。本当は、もう一つ野外彫刻を設置しようと準備までは出来ているのだが、例の1週間続いたお葬式で中断してしまった。
私が本格的に石見銀山へ野外彫刻を設置し始めたのは1999年から2000年にかけてのあたりからだったとおもう。野外彫刻そのものはもっと前からその気になって制作していたのだが、その頃からは、あるコンセプトを意識して石見銀山の谷へ置くようにしている。
石見銀山が今から10年ほど前に世界遺産へ登録されてからは、野外彫刻の設置条件がかなり厳しくなったので、それからは常設設置をあきらめた。それでも、石見銀山は吉田家が住み暮らす町でもあるし、彫刻家としての吉田の立ち位置を地域の皆さんの目に触れるかたちで表現し続けることも大事だと思っている。

日中はほとんど外出が続いていて、陽のあるうちに石見銀山の町並みを歩くことが稀になっていたが、先日ちょっとした用事もあって久しぶりに吉田家の裏庭から銀山川を渡って田んぼの野外彫刻を横目で見ながら石見銀山生活文化研究所の正面玄関まで出かけた。
会社の玄関前には広島の上下町(?)から移築した茅葺屋根の古民家があって、小川の向こうの敷地のアチコチに私の野外彫刻が点在している。その彫刻群も2000年を少し過ぎた頃におおよその場所を決めて設置したはずだ。自分で言うのも気恥ずかしいことだが、彫刻の一つ一つに思い出があっていまだにその制作の背景を生々しく覚えていたりする。
檜の林に設置した彫刻は個展のために造った一番大きくて展覧会の主役を務めたものだ。小川ぎりぎりまで移動した3tのユニックのアームを最長に伸ばして今の場所へ設置した時はまだ檜の間隔も空いていたが、今改めて見るとその後約20年で成長した檜に埋もれてなかなかいい感じになってきた。毎年春になるとアイビー系の蔦が萌黄に芽吹き、次第に緑が増して夏には彫刻の半分近くほどビッシリと蔦の葉で埋もれる。秋になるとその葉も紅葉が進みやがて晩秋前に葉が落ちて冬を迎える。昨年は雪が少なくて、檜林の彫刻にまでは雪が積もることもなかった。
いずれにしても湿気の多い石見銀山のことだから、彫刻の表面が薄っすらと苔むしてきたりしてこれから先の経年変化が楽しみなことだ。

IMG_1187.jpg

[edit]

CM: 1
TB: 0

page top

師でもないのに走ってる 

2016/12/03
Sat. 20:41

師走ですなぁ〜〜・・
「師」と言われるほどのこともない吉田でありますが、11月末からやたらと慌ただしくアチコチ結界くんで走り回っております!

このところの島根は雨模様の天気が続いているわりにそれほど寒いわけでもなく、何か変な感じの毎日が続いていた。こういう時の飯南高原は、ある日突然一気に寒くなって雪が降ったりすることがあるので、暇を見つけてスタッドレスに履き替えた・・・のだが、それから12月に入って今に至るまで雲一つない秋の空が続いている。夏の暑さといい、絶え間ない台風通過といい、どうも今年の天気は予測できない。

広島在住のお檀家さんからの訃報が入ってから結界くん大活躍で、片道1時間半の距離を3回ほど往復した。日のめぐり合わせで友引が入ったものだから葬儀が終わったら次の日がもう初七日になる。
そもそも、「友引」というものは・・・などと講釈を始めたら面倒くさいものになるので割愛するが、易学に端を発する友引は、市井の庶民の大衆信仰として仏教に結びついてしまったようなものだから、仏教の立場でいうと特にそれを仏事に充てて忌み嫌う必要もないものでもある。だからといって、いちいち目くじら立てて坊主の立場を主張するのも大人げないし、地域の事情や喪主さんのお考えもあるから、万善寺の場合はそれに準じたノリでお付き合いさせてもらうことにしている。

そんなわけで、毎日中国山地を南北に行ったり来たり昇ったり降りたりしていると、さすがに軟弱オヤジは疲れが溜まって腰痛が悪化し、たぶん坐骨神経痛だと思うが、それも我慢できないほどの痛さが続くようになって、夜も大の字で寝られないほどになってしまった。ようするに、無理をしたり我慢をしたりしてもなんとかなっていた頃の身体ではなくなってきたということなのだろう。富山のイベントも現場での用事は一段落したし、気持ちを切り替えて温泉にでもつかって2〜3日ゆっくり休養しようと思っていたが、考えが甘かった。

今年の春頃だったろうか?なっちゃんが結婚して入籍して姓が川島に変わって埼玉県人になった。川島家のことはあまりよく知らないが、義父は趣味は違うと思うけど、どこかしら自由なノリを信条としているような空気を感じて、私と比較的近いあたりで暮らしていらっしゃる風に見える。義母は吉田家ワイフに近いノリでどこかしら土壇場で理性を維持して世間の常識を大事に生きていらっしゃる風に見える。現在のところ、そのくらいの付き合いしか無いのでなっちゃんが川島家の嫁としてちゃんと機能しているかは不明だ。
その川島家からお歳暮が届いた。
ハッキリいって、どちらかというと後先が逆転してしまったような気がする。
シマッタ!!やらかしてしまった・・・そろそろ世間は年の暮れのお歳暮の時期になっていた。近日中に結界くんと一緒に境港まで走って紅ズワイガニでも物色しようと思っている。
紅ズワイガニというと、富山での納会「カニ喰う会!!」も近いなぁ〜〜・・・

IMG_0712.jpg

[edit]

CM: 1
TB: 0

page top

2016-12