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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

暴風の夜 

2016/12/22
Thu. 20:20

一晩中大風が吹いていて、なかなか寝付けなかった。
それでなくても立て付けが悪い万善寺の、本堂と庫裏の谷間のような廊下部屋を寺務所にしているが、その部屋が大風で何処かへ吹き飛んでしまわないか心配になるほどだ。
朝になって、明るくなり始める頃から少しずつその風が止んで雨に変わった。
母親は、月に2回のデイサービスの日で、前の日から行きたくないふうで渋ついていたが、私が完全無視を決め込んでいたので、夜が明ける頃には覚悟を決めて長々と時間をかけて外出の準備に取り掛かっていた。
お盆前に切り取ったシキビを庭先の水槽へ投げ込んでいて、それが昨夜の大風で庭まで飛び出していた。
今時の風雨は、肌を突き刺すように冷たいものなのに、今日は気持ちが悪いほどぬる温かい。少しばかりモノを動かすほどで汗ばむ。長袖のシャツを肘まで巻き上げて、雨に濡れながら素足に雪駄履きでウロウロする姿はどこか異常だ。
昼過ぎから土砂降りになって夕方まで収まる気配がない。そのさなかにデイサービスから母親が帰ってきた。
いつもは、一人暮らしの真っ暗な庫裏の玄関でイジイジと時間をかけて履物を脱いだりしているのだろう。あと少ししたら、夕食の仕度をしようと思っているが、日頃の一人暮らしの様子を大きく変えてしまうのも厄介だし、どの程度手をかけるか、そのあたりのさじ加減が難しい。

・・・Don't think twice, it's all right
あの、ボブ・ディランの曲ですね・・・
毎年のように世間が村上春樹さんで盛り上がっているらしいノーベル賞をとっちゃいましたね。ボブ・ディランというと、物心付いた・・というか、反抗期に突入したあたりに、良く聴いていた気がする。島根の田舎の山寺育ちの小坊主に英語なるものは全く無縁だったから、彼の歌う英語の歌詞はまともに聴きとることも出来ないまま、繰り返されるシンプルなメロディーラインが耳について、それだけのことでよく聴いていた時期があった。
それから後は、周囲の影響もあってビートルズとかクイーンとかそのあたりを経由して、ハービー・ハンコックの処女航海あたりから、もうどうでも良くなった感じで手当たり次第に際限なくアレコレ聴き漁る方向へ傾いてしまった。
気に入った曲は、当時の音楽雑誌などから歌詞を探してきて、英語の辞書片手に一晩かかって訳そうと努力したりもしたが、英語の文章というものはそれなりの前後関係でなんとか雰囲気くらいは見えてくるが、英語の詞というものはそういうわけにもいかなくて、簡単なのか難しいのか正しいのか間違いなのかよくわからないまま「とにかく、まぁ、こんな感じなんだろうな」くらいのところで納得していた。
ボブ・ディランは、「Don't think twice, it's all right」のところだけはなんとなく聞き取れた。他にも、ブルース・スプリングスティーンとかギルバート・オサリバンも訳したことがあるし、最近は、チャーリー・プースも少し訳してみた。

冬のはずなのにやたらと生暖かい暴風の万善寺の夜を、ボブ・ディランを聴きながら村上春樹ならぬ群ようこさんを読んで過ごしたのでありました・・・そんな暇無いのにね。

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SEMIKUJIRA 

2016/12/22
Thu. 09:49

実は、フェイスブックもやってるんだけど(って、周知の事実でしょうが・・)寝ている間に「いいね」ポチットが50件も溜まっていた。
先行き不透明な日本の現状から逃避して深く静かに潜航しているカナヅチオヤジとしては、脅威のアクセス数になっていてビックリ!
「坂田明さん効果はすごいことだ!」
まぁ、超メジャーな御仁だけに、当然といえばアタリマエのことだろう。

年末になって、年内の雪がない間に大事な法事を済ませてしまおうと、飯南高原に点在しているお檀家さんから問い合わせが続いている。
そんな中、浄土真宗さんから四十九日の法事へ招待があって出かけた。
最近の若い浄土真宗のご院家さんは、だいたい1冊の教本を決まり通りに順番におつとめされるので、それほど不自由することもなくついていけるくらいに慣れているが、万善寺先代の憲正さんクラスの現役老僧さんだと、なかなかそういうわけにいかなくて、法事の当日になってはじめて見る経本を手渡されて、「今日はこれでおつとめさせていただきますので、よろしく・・」などと軽く振られるものだから、それから後は施主さんやご親族さんとドッコイ付け焼き刃のにわか坊主を通すしかなくなってしまう。
それでこのたびは、仏説無量寿経全巻と仏説阿弥陀経の西本願寺和訳本をメインに浄土真宗流の節付きでおつとめした。
漢文のお経は経験しているが、和訳のお経ははじめてのことだった。
「こちらの(和訳の)お経の方が、どなたさんでも(良く)意味がわかりますけぇ〜ねぇ〜。おつとめしていると、お浄土の風景が目の前に見えてきますけぇ〜」
・・・ということで、その老僧は好んでそういうお経で法事のおつとめをしているのだ・・と、解説されていた。

はじめてのお経だったので、なんともいいにくいところではあるが・・・
率直にいえば、やはり漢字に託されたくどいほどの仏の教えはかなり薄まってしまってるなぁと、そういう感じがした。
曹洞宗のお経も、メジャークラスの幾つかは和訳がしてあるから、頭陀袋に忍ばせた分厚い経本を引き出して暇な時にそれを流し読みしていたりするが、味気ないほどだいたいの直訳になっていて、結局、漢文も読み下しもたいしてかわらない。
ザックリいうと、浄土真宗さんの和訳は意訳に近いのかもしれない。
そのあたりの意訳と直訳の落とし所が、仏教の目指す先の方法論になって現れているのかもしれない。ナンチャッテ坊主的に云うと、直訳はクラシックの室内楽で、意訳はモダンジャズのアドリブたっぷりで、モーツァルトを演奏しているようなモノに近いような感じかなあ・・・個人的にはアドリブ大好きだけどネ。そういえば、憲正さんもかなりアドリブの多い方丈さんだった。

あれから、坂田さんのアルバムを全曲聴いた。
やっぱり「ひまわり」も良かったが、「SEMIKUJIRA」も坂田ワールド炸裂で良かった。
風景が見えた。お浄土は見えなかったけどね・・・

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