工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

珈琲と中古本 

2017/01/31
Tue. 21:52

珈琲のない生活が我慢できなくて、ほぼそれだけの理由で出雲まで出かけた。
せっかく燃料を使うのだからできるだけ無駄にしないようにと、幾つかの思いつく用事を抱き合わせにした。

まずは、コメダ珈琲で一杯やりながらメール確認をしたり万善寺春の法要のご案内原稿を作成したりした。
ここだけの話・・・
コメダ珈琲の珈琲は、それほど美味いとも思わないが、不味いわけでもない。
Wi-Fiも使えるし、長居しても嫌な顔されないし、どちらかといえば店員さんも場を読んでそっとしておいてくれる。
二人がけの席が多くて人の目も気にならないままソコソコ集中できるからそれも良い。
これで、もう少しシートの座り心地が良ければ云うこと無いが、あの珈琲の値段でそこまで求めたら贅沢が過ぎるというものだ。
気がつくと2時間が過ぎるほど長居をしていた。

出雲の目的は珈琲の豆を買うことだったから、いつもの輸入雑貨の店へ向かった。
深煎り焙煎の中から2種類を選んで、豆のまま200gずつ買った。
そろそろバレンタインデーが近いこともあってか、店頭の目につく場所は色々な輸入チョコが山積みされていて、思わず衝動買いしてしまった。
今度の初午祭は12日だから、その時お参りの皆さんのお茶口にしてもいい。
そのお店と同じフロアーにスーパーがあるから、そこで1週間分の食料を仕入れてもいいかなと思って見渡したら、どのレジも長蛇の列で時間がかかりそうだったので、もっと暇そうな別のスーパーへ回ることにした。

途中に古本屋さんがあったので寄った。
今年に入って初めてだし、これだけ間があいていれば本の入れ替えもされているだろう。
案の定、(新入荷の中古本??)だらけで、どれもこれも欲しくなってその衝動を抑えきれないまま手当たり次第に本棚から引き出していた。
350円以上の本はAmazonの1円プラス送料の中古本が安いから、タイトルをチェックしてグッと我慢して、かろうじて合計1000円以下で踏み留めた。

人の入りが少ないとは云え、さすがに出雲のスーパーだけあって品揃えも豊富で、万善寺の近所では買えないものがたくさんあった。
輸入品の1kgスパゲッティや、幾つかの香辛料を買った。
自他ともに認めるチキンオヤジにチキンは欠かせないから、親鳥バラ肉切り落としと砂肝スライスをゲット。
400円以下の輸入ワインもあったし、豆腐やたまごもバカ安。

万善寺を出発する時に財布へ忍ばせた1万円がヒラリと何処かへ飛んで消えたけど、まぁ、それなりにアレコレ仕入れられたから、燃料の無駄遣いにはならなかっただろう。

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石見銀山農閑期限定田んぼ野外彫刻 

2017/01/30
Mon. 20:03

飯南高原は、夕方から雪になった。
最近のスポット天気予報は比較的よく当たるから、心の準備がしやすくて助かっている。
今日も、そんな感じで万善寺3畳の寺務所兼用書斎が急に冷え込んできたから、「降り始めたかな・・」と感じて確認したら、結構小粒のパウダースノーに近い雪が絶え間なく降っていて、辺り一面がグレーに染まっていた。

そろそろ、万善寺のコーヒーも残りわずかとなった。
不本意だが、お湯の量をカップ2杯分くらい多めに抽出してしのいでいる。
吉田的には物足らないが、世間的にはそれなりに我慢できるくらいの濃さのコーヒーにはなっている気がする。
ようするに、いつもはそれだけ贅沢な一杯の珈琲を飲んでいるというわけだ。

「そろそろ節分で立春だから、いつまでも万善寺の常駐も出来ないからね・・」
先日、江津の仕事へ出かける前に母親へそう伝えておいたら、急に図々しい気弱が出てき始めて、このところ食事の度に湿っぽく絡んでくる。
「墓のことを考え始めて夜も眠れない」とか、
「自分の身体が思うように動かないから一人になるのは嫌だ」とか、
「いろいろ考えていることがあるから相談しよう」とか、
・・・まぁ、上げればきりがないが、現代社会の常識からすると半世紀も前の時代を引きずって、それでなんとか出来ると確信しているような言い回しが繰り返され続けると、あっという間に胃潰瘍になってしまうくらいストレスが消化されないまま身体に蓄積されていく。
自分の都合で1日に何度も3畳へやってきて私のデスクワークの流れをせき止める。
気持ちも集中も萎えてなかなかもとに戻らないから、それで余計イライラが増す。

・・・以上、現在の吉田オヤジの愚痴をたれてしまったわけでありますが、基本的には目先の面倒なことへ気楽に乗り切る方が多いほどのどうしょうもない人間なので、ある意味本能的にいろいろな手段を使ってストレスの解消をしているようなところもあって、それはそれなりに若干の良心の呵責を感じたりもして、実に面倒臭いボクでもあったりするわけです。

今年2回めの寒波が島根県へやってきた時に、「この機会を逃したら、後がないかもしれない」と直感して、若干のストレス解消も兼ねつつ、石見銀山の農閑期限定田んぼ野外彫刻の記録写真撮影へ出かけた。
前回の撮影は概ね失敗の方へシフトしてしまったので、今回はできるだけ好条件の記録を残しておきたい(・・・ようするに、天候相手の坊主の神頼みというやつ・・で)と強く願った!結果、納得しているわけでもないがそこそこ妥協できる程度の記録は残すことが出来た。
最近の石見銀山は、雪の量が減った気がする。この、雪の積もった野外彫刻についての一考察は、そのうち、少しじっくりとまとめておこうと思っている。

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男の体臭 

2017/01/29
Sun. 20:35

万善寺の3畳暮らしも1ヶ月が過ぎると、自分で自分の男臭さにむせて吐きそうになってくる。
いつも怠惰に暮らしているのに、最近いやにコマメに狭い3畳を片付けたり、ゴミの仕分けをしたりし始めている自分がいる。
毎日1回は深煎りの珈琲を入れたりして気持ちをリニューアルしている自分がいじらしく思えるようになってきた今日此頃である。

(一杯のコーヒーにはやはり適度にスイーツが必要なんだよね!♡)などと、勝手に納得して、母親と二人暮らしの食料買い出しの度に、コンビニを経由してドーナツを2つ3つ買い込んだりしていたら、年が明けてから1ヶ月の間にみるみる太ってきた。
(ドーナツはメタボの天敵だ!)ということが、身をもって実践的に体験できた正月であった・・・といいつつ、今夜も食後のデザートでファミマドーナツをペロリといっちゃったけど・・・

土曜日は江津で仕事をしたあと、久しぶりに石見銀山で一泊した。
やっぱり、薪ストーブの柔らかい暖かさは絶品で、せめてひと晩くらいはその包み込まれれうようなヌクモリの優しさを自分のものにしたくて、結局カウチにごろりと寝転んだまま日曜の朝になってしまった。
珍しくダンナのボクが石見銀山の吉田家にいるというのに、ワイフは朝飯を食べたら「午前中はアノ用事があって、お昼からはコノ用事もあって・・・」などと、慌ただしく出ていった。
例のごとく、ネコチャンズはさりげなくオヤジを無視して、それでもストーブのヌクモリが捨てがたいようで、しばらくのあいだその周辺をうろついていたが、そのうちそれぞれくつろぎの定位置をみつけて落ち着いた。
ワイフも帰ってこないし、いつまで家にいても無駄に薪の消費をするだけだから、荷物をまとめて吉田家を出た。
石見銀山の町並みは小雨が降り始めていた。
食料の買い出しもあったから、思いついて憲正さんが長い間通院していた神戸川沿いのルートを走ってみることにした。
万善寺はその上流に流れ込む支流の近くになるから、憲正さんの病院へお供している時は寺を出発するときに「今日はどの道を行こうか?」と彼のリクエストを聞いて出雲の総合病院へ走ったものだ。

食料を買い込んで、ついでにファミマのLサイズコーヒーとドーナツも仕入れて神戸川沿いを万善寺へ向かった。途中から雨が雪に変わるかなと思ったが、それはなかった。
1泊2日ぶりの3畳を開けたら、オヤジの男臭い体臭で淀んだ空気が流れ出た。
天気が良ければシュラフを日干しした方が良いと思うが、このまま春を待つしかないだろう。
早速コーヒーを入れて、これから暖かくなるまでしばらくのあいだ、その出がらしを3畳の脱臭剤にすることにして、ペーパータオルに移した。

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寒雀 

2017/01/28
Sat. 16:33

毎朝のように日の出を待ってにぎやかに騒いでいた保賀の谷のつがいのカラスが、冬になってから忽然と消えた。
そのことに気づいたのはもうそろそろ1ヶ月は前のことになるから、彼らも渡り鳥のように冬前から何処か温かいところへでも移動したのかと思っていた。

今回の寒波が収束して一気に暖かくなった昨日の朝、聞き覚えのあるカラスの鳴き声を一瞬聞いた・・・ような気がした。
それで、渡り廊下の3畳のガラス窓を開けて空気を入れ替えながらしばらく周囲の音に集中していたが、その後、山鳥や雀は鳴きながら何度か目の前を飛び交っていたのに、カラスの鳴き声を聞くことはなかった。
「きっと保賀の谷のカラスではなかったのだろう」と日が暮れるまでにはほとんど忘れかけていて、回覧板を配ったり食料の買い出しをしたりして夕方の冷え込みが深まる中、大荷物を抱えながら参道を登っていたら、カラスが鳴いた。
今度はシッカリとそれを聞いた。
温かい頃とだいたい同じような場所で2羽が鳴き合っていた。

つがいのカラスが鳴き合っている時は、まだもう少し寝ていたいと思いつつそれで目が覚めたりしてそのノイズを迷惑がったりもしたのに、聞こえなくなったことに気がつくと、「あいつらいったいどうしたんだろう?」と気がかりになってしまったりする。
都合のいいことだが、ようするに、そういう些細な事が気になってしまうほど寺暮らしが暇なのだということなのだろう。

1月最後の江津行きの日だったので、8時過ぎに万善寺の3畳を出た。
昨日は溶けた雪が参道を川のように流れ下っていたから、今朝はそれが凍ってかなり危険な状態だった。
こういうこともあるからと用意しておいたトレッキングステッキを駆使して、溶け残った雪の上を選んで慎重に下った。
雪の結晶が朝日に反射してキラキラ光っている。
結界君は放射冷却にさらされて、凍り固まっていた。
ドアゴムが張り付いて運転席へ乗り込むのも一苦労だった。
暖機運転でガラスの霜が溶けるまでの間、保賀の谷を歩いた。
万善寺の隣と前の家は、2年前までは、その家の玄関先まで道が空いていたのに、今年は空き家になったまま雪の中へ埋まっている。
1軒は出雲市でご親族が暮らし、1軒は息子さんが神戸へ家を建ててしまった。
隣の家の老夫婦がまだ元気だった頃、棚経でお邪魔するたびに息子さんの自慢話をされていたことを思い出す。
「校長を退職して楽になると思っとったら、今度は幼稚園の園長も引き受けたようなことを言っとりまして、まだまだ、こっちへ帰れそぉになさそうですけぇ〜」
(もう、そこまでいったら、老後に田舎へ帰ることなど無いだろうに)・・・
まるまると冬ぶとりした寒雀の群れが頭上でやかましく鳴きながら飛び交っていた。

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3畳暮らし 

2017/01/27
Fri. 21:59

万善寺の3畳暮らしも、1ヶ月が過ぎた。
似たような毎日が過ぎているから、ブログネタも尽きるような気がしないでもないが、そのわりには夕食が終わって3畳に引き上げてマッタリとしたひとときを過ごしていると、その日1日の出来事も含めてそれなりに何かと思い巡らすようなこともあって、結局はそれが備忘録になってブログネタになってしまっている。

夜のうちに屋根からの雪ずりが続いていたから、それほど寒くないんだろうなぁと思っていたが、朝目覚めるとシトシト雨が降っていて、保賀の谷が一面霞に覆われていた。
こういう時は、降り積もった雪が一気に溶けて水っぽくなる。
この雪解けの水がその年1年の農作物の水源になるのだから、それはそれでありがたいことだし、万善寺の井戸水やボクのコーヒーの水源にもなっている。
雪深い寺に閉じこもって世間とそれなりの距離を置いて暮らすことに慣れてくると、それはそれで気楽に1日が過ぎて自堕落で怠け者の私にとっては捨てがたい日々になっている。
それでも、いくつか無視できないメールが入ってきたり、一ヶ月の自治会の事務が巡ってきたりして、完全な現実逃避までには至らないところが厄介なことであったりする。

万善寺の寺歴をまとめなければいけないことがあって、それを1月のうちに済まそうとしていて、この数日はそれにかかりっきりになっている・・・といっても、過去の資料が全く充実していなから、断片的に記録されている重要と思われる年代やその時の出来事や人物の姓名を拾い出して、それを手がかりに手繰り寄せる程度のことしか出来ていない。
歴史に詳しかったり、そういうことに趣味や興味があったりすれば、それなりに楽しくて張り合いのある仕事にもなるのだろうが、私の場合、どうもそこまでの気持ちの高ぶりもないから、集中が続かなくて困ってしまう。
それでも、闇雲に過去の資料をかき集めているわけでもないから、ここにきて幾つかの記録の断片が少しずつ繋がり始めてきたようにも思える。

万善寺は、今から約450年くらい前の開山であるらしく、飯南高原で記録に残っている寺社仏閣の中では、どちらかと言えば古くからの山号寺名が残っているほうのようだ。
宗派で言うと曹洞宗の禅宗だが、もともとはどうやら臨済宗から始まっているようでもあり、また、万善寺の口伝を信じるとやたらに加持祈祷絡みの法要が盛んであったらしいから、場合によっては天台宗あたりの密教からスタートしているかもしれない。
今の境内は3回目の移転であることが大体解っていて、もともとは保賀の谷の真ん中を流れる保賀川の水源にもなっている山の頂上にある神仏混合の聖域で開山されたようなので、そのことからしても、どこかしらなにかしら、密教系との繋がりがあったことだけは間違いないだろう。
調べていくうちに、毛利やら尼子やら、清和源氏が出てきたり、まぁとにかく際限がない。それに、一番厄介なのは、記述の漢字に当て字が多いこと。「音」を頼って手繰っていくしか無かったりして、面倒この上ないし、正しいのか間違いなのかもわからない。
どう考えても、ボクには彫刻を造っている方が向いていると再確認の毎日である。

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雪はそのうち消える 

2017/01/26
Thu. 19:28

「ぼっちゃん」・・・ほんの半世紀ほど前は、保賀の谷の人たちからそう呼ばれていた。
寺参りのお檀家さん方からも、だいたいそう呼ばれていた。

今は4軒に減ったが、当時は保賀の谷に7軒程お檀家さんがあった。
そのうちの一軒のご主人は、50歳で山仕事を辞めたあと、身体が動くあいだじゅう万善寺の寺男のように働いていただき、寺領だった昔からの寺の山に入って、境界を確認したり炭を作ったりと、マメにメンテナンスをしてくださった。
冬は山猟師が入ってくるので危険だからと、山へ入る代わりに寺の外回りの営繕をされていた。
とても器用な人で、ハンドル付きのソリを作ってくれたりもした。
そのおじさんが色々な工具や道具の使い方からメンタナンスのことまで教えてくれたことで、自然とモノ作りが好きになってきたのだろうと思っている。

さて、そのおじさんが今度のような雪がたくさん降ったあと、参道の道あけをしながら寺へ上がって、ついでに庫裏でお茶飲み話をしているときに、まだ小さかった私へ雪の世話の話をしてくれたことを覚えている。
それは、昭和38年の豪雪より前のことだった。
「雪はそのうち消えるけぇ〜、何にもせんでええんよ。人が通る1本道が空いてりゃぁ、なんとか暮らせるけぇ〜ねぇ〜」

何もしないでも、春になればそのうち消えてしまうことがわかっているのに、無理に雪かきなどして疲れるだけ無駄だ・・というわけだ!・・・ということを、最近になって痛感する。
日常の暮らしをあらためて意識すると、冬の雪のことだけでもないくらいいろいろな場面で無駄に無理しているようなことが結構あったりする。

昨日までの寒気が去ったその日の夕方に、いつものお檀家さんがユンボを動かして参道の1本道を広げてくれた。
はじめから彼のユンボを当てにしているわけでもないが、ある意味絶妙なタイミングで意思の疎通が機能していると思う。
彼の勤労奉仕は万善寺との関係だけで成立しているわけでもない。
保賀の谷のいろいろな事情に、我が身の出来事のごとく普通に粛々と奉仕されている。
少なくても、私は彼の奉仕に打算を感じることがない。

ユンボの彼は少し前まで長い間、私を「若さん!」と呼んでいたが、最近になって気がつくと、いつの間にか「方丈さん」と呼んでくれるようになっていた。
母親とワイフには「しょうちゃん!」と呼ばれている。
その「正ちゃん」と呼び続けている90歳を過ぎた母親が、昼前から雪の降り積もった境内に出て、スコップを振り回してユンボのデカイ道を迂回して1本道あけをしていた。
まぁ〜、なんと言いましょぉ〜か、お元気なことで・・・母親は永遠にボクを「方丈さん」と呼ばないだろうね・・

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冬の結界くん 

2017/01/25
Wed. 20:38

ボクの超個人的な備忘録ブログに飽きもせず時々立ち寄ってくださっている皆様のことですから、すでに重々ご承知のことと存じますが・・・「結界くん」という、ボクにとっては切っても切れない大事な相棒がいるのです!
彼は、マニュアル5段切り替え4WDデッキバン貨物車仕様で、現在はヨコハマのスタッドレスタイヤを履いて何処までもひたすら健気に走ってくれています。

冬シーズンは、出先のどこで何があるかわからないから、昨年末に結界くんを少しほど重装備して今に至っている。
幸い運良く、それらの装備のお世話になるところまでに至らないまま、厳しい寒気を2つばかり乗り越えることが出来た。
その、重装備とは(べつにたいしたことではないのだが)・・・
後部座席をフラットにした上に、若干改造した助手席をフルフラットにして、45cm✕180cmのパネルをはめ込んで作った簡易ベット。
チャチで薄っぺらな、それでも見た目は羽毛布団(これは、結構コンパクトになってそれなりに温かいから便利!)と、何時ものシュラフにバスタオル、歯磨とお泊りセット。
パジャマ代わりのジャージ上下と、パンツにシャツ数枚。
履き替え用の雪駄、サンダル、長靴、それに子供からの誕生日プレゼントカジュアル革靴と、傘、もしもの時の坊主の必需品一式に改良衣などの法衣一式。
そうそう、最近トレッキング用の杖を2本積んだ。
そして、欠かせないのはカセットコンロと、それ用ボンベなど。
他にも、大工道具や鉄工道具とそれに関連する必要最小限の電動工具も常備してある。
それで、iPhoneとその充電器があれば少々の渋滞でも普通に気楽に乗り切ることが出来る。

今回の2回めの寒波は、島根の隣鳥取県で交通網が分断されて大変だったようだ。
島根の方は、今のところ昨年並みかそれ以下の積雪で、万善寺のある飯南高原も吉田家のある石見銀山も、比較的楽な毎日を送っている。
このままいけば、「モテル結界くん」のお世話にならないで春を迎えられそうな気もする。

昨日の保賀の谷は、ひと晩で50cmは積もったと思う。
その前日から同じくらい降り続けていたから、1本道を歩く時は腰のあたりまで降り積もった雪だまりをスコップでかき分けながら結界くんまで歩いた。
そして、今朝は薄く降り積もった今季最高のパウダースノーを舞い上げながら慎重に1本道を探りつつ参道を下った。
こういう朝は、放射冷却が特に厳しいから、結界くんの暖気運転がいつもの3倍位必要だった。
それでもワイパーにこびりついた雪というより氷の塊が溶けるまでにはかなりの時間を要した。
過酷な飯南高原の冬に、文句一つ言わないで耐え続ける結界くんが愛おしくなる♡!

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雪見舞 

2017/01/24
Tue. 21:06

万善寺暮らしには、「サカムケア」が欠かせない。
食事の支度や洗い物と、雪の世話(参道の一本道)が続くからだ。

お檀家さんの大練忌の日だったので、参道の雪かきをしながら結界くんまで急いだ。
夜通し降った雪が大量で150mの1本道を道開けしながら下って、やっとの思いで結界くんへたどり着いたらすでに1時間経っていた。
本当は白衣に改良衣の坊主スタイルで決めなければいけないところを、こんな状態だからとても不可能なことなので、長靴に少し気を利かせて黒のリーバイスとパイロットジャケットという、坊主とは程遠い完全防備で雪に埋まった結界くんへ乗り込んだ。
エンジンをかけてしばらく暖機運転しながら窓の雪を溶かすのだが、雪の中で排気ガスが溜まって一酸化炭素中毒で坊主がお陀仏というのも情けないことだから、それなりに緊張しながら結界くんの脱出を試みた。

幸い、朝のうちは雪も小康状態で青空もちらほらのぞいていた。
大練忌の後、お位牌の点眼遷座を済ませて、その足で国道54号を北上して斐伊川の近くで用事を済ませて、出雲経由で富山へ向かった。
今朝の飯南高原でだいたい1m弱の積雪量だったから、富山もそれなりに積もっているだろうし、野外彫刻の雪風景を撮影出来るだろうと予測したわけだ。
富山の雪は思っていたほど積もっていなかったが、とりあえず記録に残すことは出来た。
万善寺から富山までは、雪がないときでも1時間近くはかかるから、冬の雪の時期は特に「チョイとそこまで・・」という気楽なノリで移動はできない。
撮影中に電話が入ったので出てみると、栃木在住彫刻家の重鎮H氏からだった。
「鳥取がすごいらしいから島根のしょうじゅんちゃんはどうかと思って・・雪、大丈夫??」
珍しく雪見舞の電話だった。
例年は今よりもう少し雪が多く積もるから、自分的には普通に冬を乗り切っているつもりなのだが、メディアがいつになく大騒ぎしていると、太平洋側に暮らす方々には何かと気にかけて心配していただく。
思ってもいない雪見舞は、それだけでボクの冷え切った心と身体が暖かくなった。

富山から直接万善寺へ向かおうとも思ったが、せっかくだし、石見銀山を経由して、ボクの田んぼ彫刻も記録しておくことにした。
撮影をしていたら雪が舞い始めて条件が悪くなったので適当なところで切り上げた。
富山も石見銀山も、今回の彫刻の雪景色は納得できる1枚を残すことができなかった。

途中で万善寺暮らし数日分の食材を買い込んで、お地蔵さんの下へ結界くんを駐車した頃には、雪が吹雪に変わっていた。
朝の一本道は、微かに痕跡が残っているくらいまで雪が積もっていた。
本堂前の境内には、屋根からの雪ずりの山が出来ていた。すでに、その山を切り通すまでの体力は残っていなかったので胸までの雪をかき分けながらその山をよじ登って越えた。

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雪が降る 

2017/01/23
Mon. 18:27

さすがに今朝の3畳は寒かった・・・
昼間に少しほど空が明るくなったので、お地蔵さんの近くに駐車中の結界君を見に行った。
今年の雪は、ドッサリ積もるというほどでもないが、ダラダラと絶え間なく降り続いている感じだ。
雨でいうと、シトシト降り続く梅雨の長雨のように、降っては止み、またしばらくすると降り始める。

結界君は、吹きさらしの保賀の谷で雪に埋もれていた。雪をかぶっている方がかえって降り始めの状態を維持できて無駄に凍りついたりしないから、そのまま手をかけないでソッとしておくことにしたが、翌朝は今夜一晩の雪にスッポリ埋まっているだろう。

こういう状態で雪に埋もれた万善寺では、極力何もしないでジッと寒気が去るのを待つ。
やらなければいけない仕事があるのだが、どうもその気になれない。
母親と暮らしていると、仕事の集中が分断されて、全くやる気が起きない。
だからサッサと諦めて読書をしたり映画を見たりして過ごす。
モヤァ〜〜っとした頭で過去を振り返ってみると、小学校や中学校の頃から島根へUターンして社会人になった後も、そして、我が子もそれぞれ社会人になって親の手が離れた今になってまでも、母親の無意味な過剰介入で気力をなくす場面が頻繁にあったことを思い出す。母親の激しいほどの母性愛なのだろうが、現在は、それが一方的に私一人に向かって集中攻撃をしているような状態だ。

そもそも、保賀の谷の現在地に万善寺が再建されたのは文久年間にさかのぼる。
過去の寺歴をみるとそれ以前もそれ以降も、延々と坊主ばかりの男社会で寺が運営されていて、万善寺へはじめて住職の妻として女性が迎え入れられたのは大正時代になってから後のことで、私の母親は約450年続く万善寺の歴史の中で3人目のおかみさんということになる。
もともとは、浄土真宗さんを菩提寺にもつ一般在家の次女に生まれた。生家はどちらかといえばお宮さんに縁が深くて、親族には宮司さんやその奥さんが多い。そのなかで、母親だけが禅宗寺院に嫁いできたわけだから、それはそれなりに周囲の事情がわからないことばかりで苦労も多かったことだろう。
それでも、息子であり現住職の私から見れば、随分と楽な若奥様でなにかと持ち上げられながら万善寺の切り盛りをしていた気がする。記憶を手繰ると、万善寺の年間諸行事のほぼ全てで賄い手伝いの女性方が周辺地域から10人近く集まって、庫裏の台所は終日賑やかに黄色い声が飛び交っていた。

今はどうかというと、ワイフがたった一人で母親の小言を聞きながら終日台所を切り盛りしている。母親の時代は、万善寺の一つの仏事にほぼ1週間くらかけて準備をしていたが、万善寺歴代4人目のおかみさんであるワイフは大体の仏事を一日一晩でこなしてしまう。
そろそろ、節分立春が近いしそのあとは初午祭で、ワイフの出番が控えている。

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島根寒気団事情 

2017/01/22
Sun. 21:36

万善寺を出発する時は、水をタップリ含んだ雪が舞っていた。
さて・・・一晩で30cmは積もっただろうか??
今年に入って2回めの寒気が島根の上空まで南下しているようだ。

小さな山寺とはいえ、それなりに寺らしい寺だから(??)本堂と庫裏を含めるとそこそこの部屋数がある。
例えば、仏間(方丈の間)、奥の間(万善寺は観音様が安座していらっしゃる)、前の間、居間、韋駄天様の間、それに板の間に台所、庫裏玄関とその真上のロフト(ボクの寝室兼書斎)、そして、本堂と庫裏を結ぶ3畳の廊下部屋が現在の寺務所兼用書斎兼寝室。
90歳を過ぎて益々元気な母親は、庫裏のど真ん中の部屋で1日を過ごし、台所で食事をし、板の間の簡易ベットで眠る。
一応、世間的には万善寺の現在住職である智光(道号)正純は、立場上、方丈の間を拠点として、先住職とその親族が安座される吉田家仏壇をお守りしながら寺務に働くことがノーマルな坊主の日常であるはずなのだが、現在は、庫裏のほぼ90%を前住職の妻であり万善寺のおかみさんであり現住職の母である、ボクの母親が占拠死守している。
その、ボクの母親は、もうここまで来ると超スーパーリアリズムの絵に描いたような◯◯の一つ覚えで、それ以外のことはほとんど全て自分のオリジナル常識の圏外になったまま年齢を重ねたような人だ。
日常の大体を、ノリと勢いと感で生きているような私からすると、究極の真反対で思考し施行しているような人だ。
私は、15歳までしか母親の影響下で暮らしていないから、母親からみる正純は、いつまでたっても15歳の正純のまま成長しないでいる。まぁ、俗にいうところの「子離れに失敗した母親」である訳だ。
身内のハジをさらすようだが、本日現在のほんの数分前に、本年一二を争うほどの母息子バトルを行った次第。
坊主の端くれとしては、言い訳もできない実に不本意で生臭く我欲の強い自分を恥じるしか無いわけである。

そんな、万善寺の母息子共同生活も、そろそろ一区切りの時期が迫ってきた。
正月もあと残すところ1週間あまり。
雪に埋もれた寺務所で残るデスクワークを一気にまとめ上げたら、彫刻の制作工場へ気持ちを切り替えることになる。
石見銀山の吉田家を拠点に、工場へ通勤し、終日制作三昧に入る。
2月の中旬には、幾つかの彫刻を岡山倉敷の児島周辺へ搬入して設置する。
3月には別に造る彫刻の新作を東京の上野へ搬入する。

南下した寒気団は、南北に短く東西に長い島根県上空で様々な表情を見せてくれた。
北からの強風で日本海はうねりも激しく白波が絶え間なく打ち寄せていた。
ボクの心は万善寺を包む雪のごとく冷えかたまり、母親は山陰の海岸へ激しく打ち寄せる日本海の荒波のように揺れ乱れていた。

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オヤジの立場 

2017/01/21
Sat. 21:18

万善寺から約2kmのところへ出雲街道沿いに地元では古くから「三日市」と言っている小さな町がある。
たぶん、グーグルにも公的な地図にもその町の名前は記載してないと思う。
飯南高原のだいたい中央といっていいが、行政の中央ではない。
地形的には、高原であるものの、その中では緩やかな盆地といって良いかもしれない。
この時期の雪の量も、両隣の町に比べると10cmくらいは少ないかもしれない。
そういう、変哲もない過疎の田舎町だが、そこには島根県の県立高校がある。
私も、順当に行けば中学からその高校へ進学するはずだったが、いろいろな事情でそうはならなかった。
その頃から数十年の間にその高校もかなり変わった。
今では、過疎の町の小規模の高校から京大、早稲田など、かなりのハイレベルな大学へ進学する子も出て、島根県下ではさりげなく注目されるまでになった。

今日の法事の施主は、その町の自動車販売ディーラー経営者で、私の中学校までの同級生のお宅。
その家の当主の彼は、信心深いのか、宗教に無関心なのかよくわからないところがある。
万善寺のお檀家さんではあるが、万善寺の年間の諸行事にお参りすることがない。だからといって、仏事の付き合いを無視しているふうでもなく、思いついて個人で勝手に本山参りをしたりしているようでもある。
仏事以外のところでは、それなりに飲み友達だったりして、これといって険悪な仲でもないから、ようするに彼から見ると、少年時代から顔見知りの同級生の坊主が「どうも今ひとつ胡散臭くて信用ならない・・」のだろう。
坊主の吉田としては、寺参りもしないこの同級生オヤジに、この際だから徹底的に長々と説法を垂れてやろうと心に決めて法事にのぞんだ。それでも、結局は15分程度で息切れし始めて、脳みそを絞り上げたシナリオのカケラを披露したところで力尽きた。
終わってみると、いつもの同窓会の延長のような緊張感のない法事になってしまったという次第。

目が合わなくて・・・というのではなく、この数年の間にメガネの度があわなくなって疲れ目が激しくなったのでしばらく前にメガネ屋へ出かけて、いろいろ視力検査をしてもらったら、案の定、メガネと自分の視力にかなりのズレが生じていた。
検査をしてみると、乱視がひどくなっていた。
選択肢は2つあって、フレームはそのままでレンズ交換をするか、メガネそのものを買い換えるか・・・迷ったものの、フレームはまだ十分しっかりしているし、レンズ交換の方が新品のメガネより約3000円ばかり安いし、フレームにもそこそこ愛着もあるから、新しく調整し直したレンズを作ってもらうことにした。そのレンズが届いたという連絡が入ったので、法事が終わってからメガネ屋へ走った。
新しいレンズは、焦点も合ってとても見やすくなった。
せっかくだから石見銀山の吉田家へ寄ったら、ネコチャンズどころか、ワイフまで布団に潜り込んで爆睡していた。オヤジの居場所が完全に消滅していた。

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寒波第2弾 

2017/01/20
Fri. 21:32

前回の寒波から1週間目に、次の寒波がやってきた。
一晩中雨の音が聞こえていたが、朝、寺を出るときにはそれが雪に変わっていた。

万善寺の前を流れる保賀川は飯南高原の広島県の県境近くに源流を発する神戸川の支流で、その神戸川は、日本海へ注ぐまでに保賀川をはじめとして幾つかの支流が集まって川筋の地域や出雲平野の米を育てている。
少し東にはヤマタノオロチ伝説の斐伊川があって、西には江の川がある。
広島方面から続く街道が、飯南高原の真ん中で出雲大社へ向かう参詣の道出雲街道と、石見銀山へ向かう銀を陸路で運搬した銀山街道に別れる。
その、分岐のあたりに小さな祠があって、立派な御神木がある。
その祠は、かなり古くからの由緒謂れあるものらしいが、地域の人々にはあまり関心も無いようで、どちらかと言えば歴史の流れに流されて忘れ去られてしまったような存在に思える。
私は、万善寺と石見銀山を出雲街道と銀山街道をそれぞれ経由して移動しているから、祠の存在がとても大事なものになっていて、いつも気にしながらその近くを通過している。
今日も、朝のうちはほぼ消えかかった雪が祠周辺に残っているだけだったが、夕方に寺へ移動する頃は吹雪に包まれていた。

昼のうちは、江の川の支流から江の川へ出て、川岸の道を結界くんで移動していた。大体に、島根県は雪の降るところだが、川岸の地域にはそれほど雪が降らない。川そのものが標高の低い所を選んで流れているから当然当たり前のことなのだろうが、土地土地を結ぶ主要な街道は、こうして大きな川に沿っているから、島根の彼方此方を広範囲に移動することが多い私にとっては、年間通してその時々の過酷な気候へそこそこ楽に付き合えて助かっている。
少し前に完成した、山陰山陽を結ぶ松江尾道道は、中国山地の山の頂上付近を縫うように走っているから、冬のシーズンは頻繁に通行止めになって物流の停滞が続く。今建設中の島根を東西に走る山陰道も日本海岸沿いに沿った山々の斜面を縫うように走ることになる。

自然を相手に人々の工作はあまりにも虚弱だ。
昔の人は、自然の怖さを知り恐れながら自然と過不足なく付き合っていたように思う。
人の便利をあまりに優先しすぎると、自然の何処かに皺寄せや無理がたまる。
自分の立ち位置を分相応に心得て意識することが大事だと思うが、それを常にわきまえるということもなかなか難しいことでもある。

寺へ帰ってから墨を摺って大練忌塔婆を1枚書いた。
裏文は、例の「春色無高下 花枝自短長」とした。
自然から学ぶことが山ほどある。自分の指針として肝に命じておこうと考えている。
今年になって、すでに数回ほど塔婆の裏へこの禅語を書いた。
忘れない程度に間を置いて思い出すことで時々の自分を整理できるといいと思っている。

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趣味は読書!?? 

2017/01/19
Thu. 20:52

万善寺のウエブ環境の特に下りの方が良くないのは今に始まったことでもないが、最近になって上りもあまり思わしくなく、大事な事務連絡は、メールか場合によっては直接電話するかしないと安心できないほどになっている気がする。
少々神経質が過ぎるかもしれないが、用心に越したことはないし、少しばかりひと手間加わるくらいのことだから、だいたい暇にしている私にとってはそれほど気にすることでもない。
むしろ、インターネット回線の脆弱さのほうがずっと気になってイライラする。

お昼前になってようやく今日の1日分の仕事の準備ができたので、母親にその旨伝えて出かけようとしたら、またもや相変わらずのわがままが出て収集がつかないまま逃げるように寺を出た。
まったく、自分が住職をしているはずなのに、どこかしら遠慮しながら寺に住み暮らしているようなところがあってどうも釈然としない。

昨年末の金策がつまづいて遅れていた業者さんへの支払いをやっと済ますことが出来た。
それに合わせて幾つかの金融機関を巡回して、月末の残高をチェックしたが、新年早々、結構ヤバイ状態で、気が滅入った。
全て自分の見通しの甘さと営業の力不足なのだが、それにプラスして、万善寺の家計補助が余分に事業費を圧迫している。
もっと自由にノビノビと活動できれば、今の状態が少しばかり改善できる気もするが、高齢の母親を無視できないし、難しいところだ。

そんなこんなで、気がついたらもう午後のティータイムくらいの頃合いになっていた。今更これからお昼ごはんというのも気が乗らないまま、雪で孤立状態だった寺の食料補給をすることにした。
スーパーを回って、結界くんへ燃料も補給して、いろいろ動き回って、石見銀山の吉田家に寄った。
もちろんワイフは仕事で留守。ネコチャンズはいつものようにオヤジを無視。
テーブルの上はワイフの様々なグッズであふれていて、その中に紛れていた私宛の手紙などを探し出して整理していたら、1週間ほど前にAmazonへ注文していた中古本が2冊出てきた。
送料込み1冊258円也!
普通に買えば1冊1500円也!
2冊とも、新品と変わらないほどキレイ!
そろそろ10年ほど前の本になるから、自分で自分の我慢強さというかシブトサを褒めてあげたくなる。
最近、年々読む本が減ってきた気がする。小学生の頃からこの歳になるまで、絶えることなく本を読み続けているが、振り返ると、高校生から予備校生の頃がいちばん激しく読書していた。
昨年1年で、あの頃の1週間分も読まなかった気がする。
寿命もそろそろ先が見えてきたし、もうあの頃のような読書三昧は出来ないのだろうか?

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身施喜捨 

2017/01/18
Wed. 20:23

夜は月が出ていたから、放射冷却で厳しい朝になるだろうと思っていたら、やっぱり、かなり冷え込んだ。
万善寺のあたりは、雪が積もって曇り空のほうがむしろ温かい・・といっても、寒い冬であることには変わりないけど・・・
早朝に目が覚めてから、シュラフの中でイジイジしながらiPadでメールチェックなどしていたら電話が入った。
予定していた用事が都合でキャンセルになって、そのお詫びだった。
特に面倒な用事でもなかったが、孤立状態にある万善寺暮らしだと、お地蔵さん脇の結界くんが無事でいるだろうかとか、アイスバーンはスリップしそうだなぁとか、それなりに若干の緊張がある。
キャンセル電話でなんとなく緊張感が狂って、気持ちが緩んでしまった。
だからというわけでもないが、たまには1日のんびりと休息しても良いかな・・と思って、「よし!そうしよう!!」と心に決めて、3畳の寺務所で終日ゴロゴロすることにした。

午前中に電話が2本と事務メールが1本入った。
電話の方は、彫刻家の知人からで、私に流れてきた用事を振っておいた内容の報告だったが、その振り返しでも無いだろうが、向こうからも仕事の会話の流れで「それだったら吉田さんで間違いないですよ!」などと、「思わず口走ってしまったから気になって・・」という、後悔と懺悔の事後報告だった。
まぁ、こういうことはお互い様で、私の方も当人の承諾なしに無茶振りすることなどショッチュウだから、お互い相殺ということで笑いあって会話を打ち切った。
メールの方は、若干お硬い方面からの事務連絡のようなものだったので、返信に時差があっても問題ないだろうと勝手に判断して、ひとまずはそのままスルーすることにした。

特に何もしないでいるだけなのに、時間が過ぎるのが早い。
参道の方で、ガタガタとキャタピラの音がする。
雪があると、世間の音が積もった雪に吸い込まれてしまうのか、周囲がとても静かで、その音に気がついて本堂の正面を覗いた時は、すでにユンボが境内へ上がりきったあとだった。毎年、雪がドカッと積もるとユンボで雪かきをしてくれている万善寺から一番近くのお檀家さんのご主人だった。

坊主の心得というか、信条というか、暮らしぶりというか、そういう日常で「無財の七施」という教えがある。
あくまでも、坊主側の立場で自覚すべき大事な教えなのだが、さて、私に日々の暮らしの中でそれのどれだけが出来ているだろうか??
その「無財の七施」の一つに「身施」がある。誰にでも出来ることだが、一方で自覚がなかなか難しいことでもある。
彼は、常に普通に当然のような気配りで身体が動く。普通なかなか出来ることではない。

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親のNGーWord 

2017/01/17
Tue. 18:10

「正月ってのはね、いつまでか知ってる?」
「・・・・」
「正月ってのは、1月の1ヶ月を言うんだよ!だから、1月の31日までが(正月!)なんだよ!」
「・・・ムムム・・・??!!」
てな感じで、すでに、1月も半月が過ぎた今頃になって、やっと年賀状の整理をしたり、年賀状もどきの年始の粗品を発送したりして、本日、ひとまずおおむね完了したのであります!
いやぁ~、ながかったなぁ〜〜・・

これでも、結構絶え間なくセッセと眼前の用事を済ませていたはずなのに、とにかく1日が終わるのが早すぎてしょうがない。
このところ、平均の睡眠時間が4時間位だったりして自分でもビックリしている。

飯南高原の萬善寺周辺は、昨日まで続いていた強烈寒気の影響もやっと峠を越して、終日良い天気だった・・が、・・・萬善寺の方は、島根県の飯南町の保賀地内でほぼ孤立状態になったままでいる。
命の綱は、参道の一本の道のみ。
ボクの相棒の結界くんは、参道下のお地蔵さんの近所が仮の駐車場になっている。
大きくて重たい荷物は、その場所から一輪車に載せ替えて、約150mほどの参道の坂を引き上げている。
3畳の寺務所前についた頃には、口から心臓が飛び出しそうになっている。「このまま雪の中にバタリと倒れてお陀仏になるのではないか」と、それこそドキドキもするが、一方で「それでも良いかな?」と思ったりもしてしまう。
後期高齢者であるのにやたらと元気な母親は、とにかく自分の都合のことでモノを考えたり行動したりすることしかしなくなってしまった。
せめて、盆正月の坊主の忙しい時期だけでも母親の影響のない穏やかな暮らしを維持したいと思うのだが・・・正月のこの調子だと、今年も厳しいお盆になりそうだ。

萬善寺の暮らしが長引くと、ボクのレジリアンスは途端に衰弱して一気にストレスが増殖する。
親子関係における「親のNGーWord」なる記事を見つけた。
↓(以下転記)
〜〜〜〜〜〜〜〜
「危ないからやめなさい」
「あなたには無理だからやめておきなさい」
「どうせ長続きしないでしょ」
「そんなのできっこないわよ」
「あなたには無理よ」
〜〜〜〜〜〜〜〜
あぁ〜〜〜、思えば、ボクの少年時代はだいたい母親から似たようなことを言われ続けながら育ったなぁ〜
もうしばらく、母親と二人の寺暮らしが続く・・・

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一本道 

2017/01/16
Mon. 21:30

さて・・・そろそろ1mくらいは積もったかなぁ〜
萬善寺の周辺では、そのくらいの雪は毎年普通に降っていて、この近年は積雪量も減ってきている。数年に1度、ドカッと大量の雪が降って、家屋への重大な被害が及ぶ。
私が少年の頃は、毎年普通に今の2倍は降り積もっていたから、この半世紀の間に地球の気温が上昇しているということは確かだ。

物心ついてからの人の一生は、今頃の高齢者でだいたい70〜80年くらいだろう。
島根県の飯南高原くらいのことしかわからないが、こうして短期的に雪の積もり具合を見てみると、毎年同じように降り積もってまた溶けて、また降り積もってそれが溶けることの繰り返しが続いていて、50年前と少しも変わらないように見えるだろうが、実はその雪の質とか、降る時期のこととか、微妙な変化が続いていて、長期的スパンの変化はかなりなものだと感じている。

1月もすでに中盤を迎え、萬善寺的にも彫刻家的にも急に動きが激しくなってき始めた。
先週末から、1泊2日ほど寺を留守にしている間に、今回の大寒波がやってきて雪になったから、寺の庫裏で寒々と暮らす母親が寂しがって収集のつかないまでに平常心を失ってしまった。外泊の2日めの朝から私の携帯電話がなり始め、それが夕方に寺へ帰るまで続いた。私が、外で遊んでいるわけでも無いことはわかっているはずなのに、息子の都合は全くお構い無しだ。やっとの思いで、国道から町道へそれて、寺の参道下のお地蔵さんの脇へ結界くんを止めて、それから駐車スペースをスコップでかき分けて、一輪車に荷物を積み込んで、息も絶え絶えに雪中行軍をしながら参道を3往復している間も、電話が鳴り続けていた。2回めの往復の時は、吹雪の中、縁側の窓ガラスを開け放して何やら支離滅裂なことを吹雪に向かって叫んでいた。その後も、私がいなかった2日分の寂しさを取り戻すように何度も3畳の寺務所兼用書斎を覗きに来て、落ち着く暇もない。
まぁ、現在の母親はそれほど肉体は元気だということだ。精神の方は結構危ういけどね。

母親がまだ若かった頃(70〜80年前)は、毎日朝夕にカンジキを使って参道の雪を踏み固めて1本道を作っていた。あの頃は、自家用車なるものも無かったから、1本道が出来ていればそれで十分に日常の用が足りた。どれだけ大量に雪が降り積もっても、ただひたすらに雪を踏み固めるだけの1本道がそれぞれの家々から続いて、それがあちこちで合流して少しずつ幅広になって国道まで届いていた。
今は、萬善寺の隣の家が留守になり、前の家が空き家になり、上と下の家は一人暮らしになった。自家用車は、一家に1台以上になって、場合によっては一人2台あったりする家もある。除雪車が保賀の谷の一番端の家まで到着するのはだいたい夕方に近くなる。多少の不具合はあっても、昔に比べたら随分便利になっているはずなのに、一方で人口減少と高齢化が進む保賀の谷の冬は、どこかしら一年ごとに住みにくくなっているような気がする。
これから2回位雪が降って積もって消えて、3回目あたりが最後になるだろう。それまで、参道の1本道が萬善寺の暮らしの命の綱になるわけだ。
何か、半世紀過去にタイムスリップしたみたいだな・・ 

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大寒波襲来がどうした! 

2017/01/15
Sun. 22:17

世間的にいうと、島根県の東部を中心にそれなりの強烈な寒気団にスッポリと包まれているようであります!
吉田的にいうと、まぁ、毎年何回か遭遇する厄介な降雪の1回分に遭遇した・・と、そんな感じの1日を過ごしたわけであります。

万善寺の早朝は、絶え間なく降り続く雪から始まった。
保賀の谷のとんど祭りの日で、前夜には御焚きあげ用の御札を書いて守護印をペタペタ押して準備完了して、夜の冷え込みが結構厳しかったから、「これは、夜のうちに降り積もるな!」と雪の心配をしながら2枚重ねのシュラフに潜り込んだ。
やっぱり冷え込みが何時もより厳しかったようで、早朝の尿意を我慢できなくてオシッコに起きたら、だいたい一晩で30cmは雪が積もっていた。

島根県の飯南高原でその程度の積雪は普通に常識の範囲だから、特に気にすることもなくとんど祭りの仕度をしていたら、保賀の自治会長さんから電話が入った。
「おはよぉ〜〜〜ございますぅ〜〜、それで、お清めは何時ぐらいがいいでしょぉ〜かぁ〜〜〜?」
さて、そんなに早くても、この雪で参道を下りるまでに20分はかかるだろう・・と、判断して、
「そぉ〜ですねぇ〜・・・それじゃぁ、9時ということで・・・」
チョット見栄を張ってそぉ答えたものの、寒い朝をそれなりに自堕落に過ごしていたナンチャッテ坊主は、それはそれなりに焦ったのでありました。

絶え間なく降り続く雪の中で、とんど祭りのお焚きあげ法要を済ませ、その足で広島県との県境を越えた。
保賀地内にあれだけ降っていた雪が、県境を越えると「なにこれ??」という感じで雪風景が軟弱になった。

法事は結局、この度の大雪(でもなかったけど・・)報道でビビッたご親族の欠席が続いて、当初予定の半分以下の参列になった。人の頭数でお経の長短が決まるわけでもないから、それなりにいつも通りのゆったりとした法事を済ますことが出来た。
斎場の仕切りオヤジが、「とても勉強になりました!なかなかこういうご法事は無いものですから・・・」などと、話題を振ってきた。
「それで、何かどうかしたということで??・・・」などと、話題を繋げていたら、「このあたりでは、法事はだいたい20分というところでしょうか・・・」
「広島県の仏事の実態はこれなんだ!」と、唖然とした。
「まずはティータイム!」から始まる法事の法式が、島根の万善寺と広島でここまで違うのかと、もう、むちゃくちゃビックリ!!
普通の法事で、短くて1時間半から始まる万善寺の法式は、果たして正しいのだろうか・・??だれがどう考えても、法事一つを20分で片付けるのは無理でしょぉ〜〜〜?

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寒すぎて話がスベった 

2017/01/14
Sat. 22:42

大寒波襲来で、島根県は強烈な風と雪で冷凍庫の中にいるようだ・・といっても、そこまでの経験はないけど・・・
久しぶりに一夜を過ごした石見銀山の吉田家から朝の町並みに出ると、結界くんの窓ガラスに昨夜の雪が凍りついてびくともしない。こういう時は、しばらくエアコンフルパワーの暖気運転をして運転席前の視界が開けるのを待つ。
山陰道へ入って江津方面へ走ると、横からの北風に結界くんがあおられてハンドルをとられそうになる。フラフラしながら走り続けてやっとの思いで今日の仕事先キリスト教系列の高校へ着いた。
昨年の後半で建て替えが続いていた美術小屋が立派に蘇って、ログハウス風のオシャレな小屋になった。
美術関係の授業らしきことをしなければいけないのだが、どうもその気になれないまま正月気分を引きずって、年末年始の寺暮らしと坊主の実態に、今考えていることと、吉田の今年の目標のことなど無駄話ばかりを延々と続けてしまった。
授業とも言えないほどのつまらない時間が過ぎてから、学校のみんなで餅つきが始まった。もち米を石臼で潰すあたりまで手伝った。北風が強くて、鼻水がとめどなく流れた。

近隣のお檀家さんへは、先日までにお年始の御札などを配り終えて、その後、県内外の遠くのお檀家さんなどへの発送作業が続く。下世話なことだが、ゆうパックの発送でも1通180円かかるし、カレンダーの印刷代も加えると、結構な合計額になってしまう。正月早々から布教活動もなかなか厳しくて辛い。
毎年、明治時代制作の版木を使った手摺り木版で守護札を摺る。

〜〜〜〜〜〜〜〜
おふだのおとりあつかいについて・・・
「大般若経六百巻祈祷守護札」は、皆様のご自宅の玄関内側上部へ貼りだしていただくことで、ご家族をはじめ、毎日御札の真下を通過されるすべての皆様の家内安全、無病息災、身体安全等をお守りすることとなります。
「五穀豊穣」は、地球人全てが幸せに暮す事のできる根本であります。どんな職業であれどんな国家であれどんな社会であれ、食の根本が絶たれると生きることも危ぶまれます。
大般若経六百巻の転読祈祷法要には、そのような、大きな願いが祈り込められています。
・・・・・云々・・・
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
こんな感じの添え文を用意するのだが、それでも皆さんなかなか読んでもらえなくて、夏の棚経でお経を読むと、お仏壇のお位牌さんの裏辺りにペロンと立てかけてあったりしてがっかりすることもシバシバだ。
この世で暮らす我が身のための守護札を、お仏壇の仏様やお先祖様と一緒にお祭りしておいてもなんの効果もないのだが・・・今時の宗教観というものはせいぜいその程度のものなのだろう。
高校生を相手に、そんな悲哀の仏教坊主の話をしてしまったわけだ。
こんなことが校長に知れると、この3月いっぱいでクビだろうね・・・

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あわただしい1日 

2017/01/13
Fri. 23:31

今年に入ってはじめて寺以外の仕事らしい仕事が入ったのだが、一方でこの週末は強烈に強い寒気団が南下してくるという状況になってしまったので、ひとまず前日から石見銀山の吉田家で待機しておくことにした。
朝になって、万善寺が雪で埋もれてしまったりしていたら、それこそ移動も厳しくなって遅刻してしまいそうだし、仕事始めでそれだけは避けなければいけない。

切りの良いところまで三畳の寺務所でデスクワークをして、残りの仕事をまとめて結界君に積んで参道を下っていたら、足元の方からゴムの焼けるような匂いが湧き上がってきた。その匂いがやたらと強烈で、自分のお尻の下の方で何かが燃えて焦げているような感じだったから、一度結界君を止めてぐるりと見回った。それでも結局素人には何処の何が原因なのかわからないので、直ぐにいつもお世話になっている車屋の営業さんへ電話した。色々症状を言ったら、見てみないとわからないから、そのまま工場の方まで来てくれということになったので、慎重に運転してそちらへ急いだ。
こういう時にチキンオヤジは意気地がない。ヒョットして走っている途中で結界君が燃え始めるんじゃないかと、嫌なことばかり想像してしまって、銀山街道の道中ビビリっぱなしだったが、とにかく何事もなく無事に工場へたどり着いた。
メカニックのおじさんに診てもらうと、匂いの原因はエンジンから漏れたオイルがマフラーの熱で暖められて焼けたことだとわかった。オイルも油の一種だし、素人はそのオイルが燃え上がってしまうのではないかと、余計にビビってしまったが、「このまま走っても火が出て燃えることは絶対に無いから大丈夫!」とおじさんがキッチリ言ってくれたので、やっと安心できた。

この週末は強烈な寒波の中を島根県内から中国山地を越えて広島県の方までアチコチ移動しなければいけないことになっている。結界君のドック入りは来週になって都合の良い日にすることに決めて、それからやっと石見銀山の吉田家へ帰り着いた。
ワイフがお風呂を用意してくれていて、早速ゆっくりと風呂に浸かって温まって落ち着いた。前回帰宅した時、「あなた、臭い!」とワイフに散々言われていたが、風呂の前にアチコチクンクン嗅がれて、その原因は私の坊主頭であることが分かった。冬になってジジイに近くなったオヤジの肌は乾燥でカサカサになってきたから、風呂上がりに頭も含めて全身へセッセとニベアを塗りたくっていて、どうやらそれがいけなかったらしい。

ワイフの作ってくれた夕食が美味かった。
それから、ストーブに薪を継ぎ足してプロジェクターをONした。
今夜は、Xファイルの新シリーズを見た。
クロもシロも抱っこして頬ずりもした。
クロはやたらと嫌がってしまいには「シャー!!」と鳴いた。
シロはやたらとビビって膝の上でカギしっぽをパタパタさせながらのけぞった。
なにかと色々あってあわただしい1日だったが、やはり自宅は落ち着く。
私の誕生日プレゼント革製ブックカバーを、未読の文庫本へ付け替えた。
今夜は、寝るまでのひとときを読書でもしようと決めた。

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萬善寺の夜 

2017/01/12
Thu. 21:35

昼の間、石見銀山を中心にアレコレと用事を済ませて、夕方になってから萬善寺へ着いた。
荷物を下ろしていたら、雨が振り始めて、それからあとはみぞれになったり雪になったりしながら、それでも絶え間なく降り続いて、暗くなってからはほぼ雪に変わって、アッという間に境内が白くなった。
本堂の屋根は勾配が急なので、水っぽい雪が積もる間もなくずり落ちている。

三畳の寺務所兼書斎へ落ち着いて、まずはコーヒーを入れた。
寺暮らしが長くなったので、年が変わるころには豆も残りわずかになっていた。
だましだまし量を稼いでいたが、どうしても薄くなって水っぽくなって俗に言うアメリカンにもならないほどになったから、しばらくはコンビニコーヒで急場をしのいでいた。
それで、今日になってやっと大田市の少し大きな業務用スーパーへ寄り道をして、それなりの豆を仕入れてきた。
飲んでみたらどぉってことない普通の味だったが、それでも薄まったコーヒーよりは随分とマシになった。

さすがに飯南高原は石見銀山に比べて随分冷え込みが厳しい。
私は、厚着とか重ね着が嫌いな方で、冬の寺暮らしでも、せいぜい下着と厚手のシャツとトレーナーの3枚位で過ごしている。それに、よほどのことでもない限り年中裸足でいるから、島根県くらいの冷え込みにはもう身体のほうが慣れてしまった感じだし、暖房といえば小さな灯油ストーブが一つあるだけの質素な暮らしをしていて、薪ストーブなどあるわけもなく、だいたいが寒々とした毎日をすごしている。
それで冬の寺暮らしの楽しみというと、まだ明るいうちから温めの風呂に入って1時間位のんびりすることくらいしかない。

萬善寺の風呂は、憲正さんが元気だった頃、老夫婦が二人で考えて決めて、物置だった場所を改造してシステムバスをはめ込んだ。
全体がステンレス製の直方体の箱に、浴槽やシャワーや蛇口や鏡などの必要なものがすべてワンセットで組み込まれているタイプのものだ。風呂掃除とかお湯の取扱など、毎日の生活には使い勝手も良いし特に不満があるわけでもないが、とにかくなんとも味気ない。ゆっくりと風呂に入って一日の疲れを癒やすなどという雰囲気は皆無だ。
だからというわけでもないが、「よし!今日はたっぷりと時間をかけて湯に浸かるぞ!」と心に決めたときは、防水のBluetoothSpeakerを持ち込んで、約1時間位のアルバム1枚分をきっちり聴くことにしている。
幸か不幸か、ステンレス製の箱がなかなか良い感じで働いてくれて、低音の振動が風呂の壁や浴槽にまで伝わって、結構な迫力に変わってくれる。
iTunesから、ブルーノートのいい感じのを見つけ出して、半身浴をしながらそれを流していたら、いつの間にかウツラウツラと寝てしまったようで、体重を支えていたバランスの力が抜けて溺れそうになった。
とにかく泳げないボクが、寺の風呂で溺れそうになった。

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キーポンプチお引っ越し 

2017/01/11
Wed. 23:22

久しぶりの石見銀山吉田家夕食でワイフの手料理を堪能して気持ちよく寝ていたら、冬休み最終日のキーポンが例のごとく私のダブルシュラフに潜り込んできた。
つい先日、成人式で振り袖の撮影をして立派に大人になったはずなのに、全く甘え癖が治っていない。
深夜になって寝苦しくて気がつくと、キーポンがシュラフの中で斜めになってオヤジの腹へ2本の足が乗っていた。
若い娘の恥じらいなど、微塵も感じられない我が末娘が、あと数ヶ月で社会人になるなんてとても想像できないほど親離れの出来ないガキにしか見えないんだけど・・・

そんなキーポンが学業に帰っていった。
就職先も内定をもらってほぼ確定したし、学生生活もあと2ヶ月足らずで終了するし、次の引っ越しのこともあるしするから、今の部屋の荷物を整理して少しでも身軽にしておいたほうが良いだろうということになった。
それでは、誰がどうするかということになって、ワイフは終日仕事で空きがないし、夜には地域の会議が入っているしするから、結局、私が彼女を送りがてら荷物を搬出することになった。

今年になって、はじめて石見銀山の吉田家に帰ったのだが、少しも落ち着けないまま1日がアッという間に過ぎて、途中で夕食用のお惣菜などを買い込んで帰宅したのは夜の7時を過ぎていた。
「お疲れさま、お風呂わいてるから入ってください」
テーブルに、裏紙を使ったメモが置いてあった。
強い北風の中で終日結界君を運転していたから、身体が固まって動きがぎこちない。
ストーブに薪を補充してゆっくりと風呂に入った。ほのかに入浴剤の香りが漂っていた。

石見銀山二日目の夜は、キーポンもいないし、ワイフも会議でいなし、ネコチャンズはオヤジを避けて何処かへ潜り込んで姿を見せないし、スーパーのお惣菜も味気ないしで、寂しい夕食になった。
幾つかの仕事を段ボールに入れて持ち帰っているが、それに手を付ける気にもなれないまま、麦とホップをちびちびやっていたが、ふと思いついて、Huluチェックをしてみた。
「かもめ食堂」が新作に加わっていた。
ちょうど群さんの文庫本を一冊読み上げたあとだったし、いいタイミングだと思って、ブロジェクターのスイッチをONした。
2時間弱の映画は、比較的原作に忠実にストーリーが進んでいて、それなりにいい感じの雰囲気も漂っていて、気持ちが和んだ。それでもやっぱり、原作の小説は自分のイメージを映像に置き換えながら読み進んでいくワクワク感のようなものが楽しめて、物語の深みもあって良かったかな・・・と、そういう印象もあった。
映画が終わるタイミングを図ったようにワイフがグッタリ疲れて帰宅した。
それから食べ残しておいたお惣菜を二人で分けて完食した。
明日は、夕方につけてまた万善寺へ移動する。寒波の影響が心配だ。

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鴨山窯経由石見銀山 

2017/01/10
Tue. 23:54

昨年末から続いていた寺暮らしをひとまず切り替えることにした。

正月からの寺務がうまい具合に区切れなくてこらからもしばらく続きそうなので、彫刻がらみの用事もあるし、そちらの方の事務処理も停滞したままだし、やはり、昨年の仕事量は今の私にとってオーバーワークだということが良くわかった。
自分の許容を超えて無理をすると、結局一つ一つのことにミスも増えるし精度も下るし好いことは一つもない。

今の地球社会は、自分の暮しを保証するためにはある程度自分で都合をつけて自分でやり繰りしなければいけないことも多いから、それに見合うほどの収入は確保しておかないといけないというか、収入を確保するための仕事をしなければいけないことになっているからややこしい。
そもそも、働くということとお金を稼ぐということがイコールでつながって正比例しなければ収入に繋がらないというシステムそのものが本当に正しいのかどうなのか、凡人の私には理解不能だ。
生臭いことになるが、たとえば、「般若心経のお経は、一回くり返したら1000円で3回くり返したら3000円で、だから当然5回くり返したら5000円だけど、まぁ、その場合は500円おまけして、4500円でいいですわぁ〜」みたいな感じで、お布施の額を坊主から示しはじめたら、もう、その時点で「仏の教え」なるものの心柱は根元からボキリと折れてしまって、気がついたら、「戒名代が○○円、院号代が○○円、お葬式は、3コースの中から選べて、オプションも豊富に揃っておりますが・・」なんて、商売が出来上がって、商売上手な坊主がやたらと営業しまくって、ついに総合宗教会社になっちゃった・・・てことになったら、もうおしまいだね。そういう坊主が自叙伝なんか書いたりして、仏教のうんちく並べたハウツー本か何か出版したら、もうそれこそ御陀仏だ。

とにかく、いくら自他共に認めるナンチャッテ坊主でも、お金如きでコロッとコロブような職業坊主にだけはなりたくないね・・・などと、勝手にカッカしながら荷造りをして結界君へ積み込んで、万善寺を出発して石見銀山へ向かった。
飯南高原は、しばらく続いていた雨もあがって冬にしてはほのあたたかい穏やかな1日になった。
これから、本格的な寒気団が南下してくるようで、冬の青空もしばらく見れなくなるだろう。2〜3日したら、また万善寺暮しに戻る予定だが、その時は飯南高原も一面雪景色になっているはずだ。

銀山街道の途中にある知人の陶芸家を訪問した。
毎年、正月のこの頃に、石見銀山への移動を途中で寄り道して、新年の挨拶をかねて自家製大般若六百巻祈祷札と自家製カレンダーを年始がわりに手渡す。もう、何年も前から続いていて、その時にはせっかくだからその年の新作を幾つかチョイスしている。
今年は、やっぱりコーヒーカップになってしまった。
さっそく、夕食の後に一杯のコーヒーでそれを使った。

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春色無高下 花枝自短長 

2017/01/09
Mon. 21:02

今年最初の3連休最終日は、仏事が立て込んで3畳の寺務所兼用の書斎へ落ち着いたのは午後の4時近かった。

かすかな雨音で目覚めた時は朝の4時過ぎだった。
雪でなければいいやと二度寝に入ろうとしたら、庫裏の玄関先で木の板がひっくり返るような物音がして、それで気になって眠れなくなった。風もそれほど強くなさそうだし、きっとタヌキか何かの仕業だろうということにしてウツラウツラしていたら、今度は本堂の裏の座の下辺りで獣の格闘のドタバタが聞こえてきた。
野生の動物は朝が早い。結局二度寝のタイミングを逃して、読みかけの文庫本を鞄から取り出した。

改良衣に着替えて、裏書きに「春色無高下 花枝自短長」と書いた塔婆を結界君に積み込んで万善寺を出発する頃は、雨が本格的に降り始めた。片方だけになった雪駄は、一晩でもう片方も消えていた。あの格闘は雪駄の取り合いだったかもしれない。
島根県境を越えて片道40分位先にあるお宅まで結界君を走らせて、30分ほど七日のお経を読んで、お茶をいただきながら世間話をして、広島県から県境を越えて島根県の次の法事のお宅へ回った。
法事が終わった時はお昼を回っていて、すでに準備してあった豪華な斎膳をいただくことになった。一昔ならお酒も出るところだが、今時はそれはない。帰りに膳のおすそ分けを頂き、それにビールも忍ばせてあった。

今日の雨は結構冷たい雨で、このままいけば雪に変わりそうな雰囲気だ。
寺へ帰って、それでも雪駄が見つかるかもしれないからと雨の中を濡れながら探したが見つからなかった。それから、本堂の荘厳を片付ける前に、「お経さんだけ上げておいて」と頼まれていた年回法要をした。こうして施主家のお参りのない法事の時は、「妙法蓮華経如来寿量品」を読み上げることにしている。そのお経は、偈文の前段が結構長くて、ゆっくりと最後まで読み上げた場合の総時間は30分を軽く超える。それにもう2つばかり別のお経を添えて1時間少々で年回法要の一式が完了する。お参りがない坊主一人の法事は味気ない気もするが、どちらかというと私はそれも結構好きで、時間を気にしないでゆっくりと思うままにお経が読める良さもある。この年回法要の様子は、記録の写真をとって後ほどお檀家さんまで塔婆と一緒に届けることになる。近隣にお住まいのお檀家さんは直接持参して報告をする。遠方のお檀家さんは塔婆も小さな経木塔婆で済ませて郵送する。
最近の仏教はどうも商売的要素が濃厚になってきて、個人的には気に入らないところもあるが、施主さんの事情もあるし、複雑だ。

荘厳と松竹梅としめ縄がなくなった本堂は、いつもの質素な須弥壇に戻った。
私は、この飾り気のない観音堂のような質素な本堂がスキだ。
昨年末に松竹梅と一緒にお供えしておいたシキビが年を超えて花を咲かせていた。
裏書きの一節は私のスキな禅語である。確か、圓悟禅師さまのお言葉だったような・・?
違うかもしれない・・興味のある方はググッてみてください・・・

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雪駄が消えた 

2017/01/08
Sun. 20:58

万善寺年始会を欠席された近隣のお檀家さんへ年始の粗品と年回のお知らせを配って歩かないといけないので、前日前夜からセッセと準備してやっと必要部数が整ったのが深夜の2時を過ぎていた。
少し前から、廊下部屋のトタン屋根を本堂からの雨垂れが勢い良く叩き始めた。
新年になってはじめての雨になった。
年中だらしなく都合よく身勝手にスケジュールを決めて一見忙しそうにしているおおむねヒマな私が、それでも本気になって何か動こうと計画を立てたりすると、それに反応したようにさり気なく天候が崩れて雨になったりする。
どちらかといえば、年中無住職状態で出歩いていることのほうが多いから、そのスケジュールの流れにたまたま雨天がぶつかっているだけのことなのだろうが、それにしてもとにかく、私が何かしようとすると雨になることが多いということは確かだ。

日曜日だからあまり早くにお檀家さんを訪問するのもはばかられるので、万善寺の出発を10時位に設定して出かけることにした。
へいぜい私が万善寺常駐の時は、直接寺務所から出入りの用が出来るように、式台を用意して雪駄を履くのもそこで済ませている。大きなお寺だと、この場所が随喜寺院方の玄関になるところだが、万善寺はそこまで様式や形式が整った寺ではない。
さて、即席玄関もどきから年始回りに出かけようとしたら、そこに脱いであった雪駄が片方何処かに無くなっている。よく見ると、そのすぐ近くに私の小指より少し小さめのウンコが2つほど転がっている。
・・・たぶん、雪駄がなくなったのはタヌキか何かの獣の仕業だ。以前にも同じようなことがあった。雨の中、万善寺境内をぐるりとひと回りしたが近くで見つけることはできなかった。前回持って行かれた雪駄はまだ比較的新しいもので形もそう大きく崩れていなかった。今回のは、もう1年近くだましだまし履き続けているヨレヨレ雪駄だったから、無くなったままでもまだあきらめが付く。こんな事もあろうかと結界君に常備している新しい雪駄を持ち出して履いた。
雨で境内の真砂土が膨れ上がって容赦なく雪駄の縁を越えて足の裏まで侵入してくる。
雨ごときで長靴を履くのも軟弱だし、年中素足状態で雨の冷たさも全く気にならないからそのまま出かけることにした。

この雨が数日したら雪に変わるだろう。
正月からの好天気で暖められた地面や木々から雨水が絶え間なく空中に気化している。今のところ空一面に垂れ下がった雲のお陰で冷え込みが弱い。
万善寺のジジババ(ジジはボクでババは母親)二人暮らしでたいしてたくさんパクパク食べているわけでもないのに、正月の食材がそろそろ尽きてきた。年始回りのついでに少し大きめのスーパーへ寄って、3日分は保つくらいの買い物をした。母親が楽しみにしているコンビニ巡回車でのおおよそ決まった買い物もあるし、そのあたりの事情も考慮しておいたのだが、どうも私の買い物が母親には気に入らないようで、夕食の間中ブツブツと私へ聞こえるように毒を吐いていた。
それにしても、あの片方の雪駄はどこまで持って行かれたのだろう?・・

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おくればせながら・・・ 

2017/01/07
Sat. 22:20

みなさま・・・おくればせながら・・・
明けましておめでとうございます!
本年も変わりませず、どうかよろしくお願いいたします!

昨年末から苦戦していた年賀状が宛名書きも終わってやっと完成いたしました。
これから、ワイフにバトンタッチで、最終チェックをいただき、来週早々に発送させていただきます。

年頭の挨拶程度のことだが、やはり1年の区切りでもあり、気持ちの切り替えにもなるし、惰性になってはいけないと思っている。今後も、体力と精神力の続く限り年賀状は作成し続けるつもりだ。
この近年は、喪中はがきが増えてきた。私の年齢のこともあるだろう。自分の親の世代が高齢になって、死期が近づいてきたということも考えられる。実際、私の父であり師匠でもあった憲正さんも2年前に老衰で遷化した。憲正さんと同い年の隣の家のおばあさんも昨年末に老衰で亡くなられた。万善寺のお檀家さんも2軒ほど亡くなられたが、これも概ね老衰の大往生であった。
お葬式のご家族も、招待を受ける菩提寺も、人生を全うされて往生された方のお葬式は、どこかしら気持ちがおだやかでいられる。あの一休宗純大和尚さまの名言に「親死に、子死に、孫死に」がある。一休さん的にはこれこそ何よりも目出度いことなのだと云うわけだ。確かにそのように思う。年寄りから順番にこの世からおさらばして消えてなくなることが一番ノーマルな自然の循環である。これが何処かで逆転したりすると、気持ちの整理がつかなくていつまでもどこかしら心のしこりになって悔やまれる。年末にかけて届いた喪中はがきを読み返しながらそんなことを思っていた。
吉田家もひとまず末娘が成人してくれたし、あとは、なんとかして上手に彼らより先に死ななければいけないことになって、これから先の自分の目標が一つ増えた。

万善寺の寺務所にしている庫裏と本堂をつなぐ3畳の廊下部屋は、私が小学校の頃、高校生のお姉さんの下宿部屋になっていた。
当時は、自家用車も稀な時代で、国道はまだ改良工事前の砂利道だったから、唯一の公共交通機関である国鉄の定期バスも学生の通学に合わせて運行することもなかった。だから、遠方の高校生は寮に入るか町内の何処かに下宿するかどちらかしか選択肢がなかった。憲正さんが長い間民生委員をしていたこともあったのだろう、時々下宿を頼まれることがあった。当時の3畳は今よりももっと立て付けが悪くて、雨戸は板戸で隙間だらけだった。そういう部屋で彼女は寒い冬をコタツ一つで3年間よく辛抱したと思う。

寺務所のデスクワークが毎日のように深夜まで続くから、今はそのままそこにシュラフの2枚重ねで寝ている。
今朝は、寒くて目が覚めた。
かなり冷え込んでいるから、夜のうちに雪でも降ったかと外を見たら、保賀の谷一面が霜で覆われている。雪ではなくて放射冷却で冷え込んだようだ。明日から雨になってそれから雪に変わるようだ。今までの好天のツケが回ってドカ雪になりそうで怖い。

2017年賀状 (1)
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年越しのススキ 

2017/01/06
Fri. 23:45

気がつけばもうお昼のティータイムを過ぎている。
冬の斜めの日差しが、夕日に変わりかけている。
新年を迎えて、もう1週間になろうとしているのに連日好天気が続いている。
ここまで良い天気が続くことなど、記憶にないほど珍しいうえに、万善寺の境内へ最後まで残っていた昨年の雪も全て消えた。
これから一気に冬らしくなってドカッと雪が降ったら、万善寺は飯南町の孤立寺になってしまいそうだ。

ワイフからチクチクと催促されていた年賀状にやっと手を付けることが出来た。
決してサボったり怠慢していたわけではないのだが、眼前の仕事を優先順位の高い方から片付けていくと、どうしても年賀状が後回しになってしまった。
2016年は前住職の憲正さんが前年に遷化したから喪中のお知らせをどうしようか迷ったが、結局そういう世間の習わしに即した事務処理はしないことにした。憲正さん自身は民衆の習わしに敏感に厳しく反応するタイプだったが、私はそこまで頑なにこだわる方でもなかったし、1年に一度しか無い近況のお知らせが喪中のお知らせで途絶えることも味気ないと思ったからだ。それでも、現実は喪中の期間でもあるし、おめでたいことは自粛することも大事なことだから、正月の三ヶ日が明けて少し落ち着いたところで、憲正さん遷化のお知らせを兼ねて挨拶状を作った。それが、1月6日のこと。
備忘録を紐解けばちょうど1年前の6日から7日あたりに礼状のような挨拶状の原稿を作成して印刷を始めている。自分の・・というか、自分流の仕事のスケジュールを調整すると、結局毎年それほど大きな誤差もなく一つ一つの決まり事を順番に片付けていることがわかる。

このところ延々とデスクワークが続いていて、腰から膝の筋がガチガチに固まってしまった。このまま運動もしないであとは風呂に入って夕食を済ませてまた寝るまでデスクワークが続くとなると、それこそ身体の関節が動かなくなってしまいそうなので、ひとまず夕方の散歩へ出かけることにした。
「こういう時にシェパ君でもいれば喜んで付き合ってくれていたのに・・・」
もう4年(開けたから5年か・・)も前のことをふと思い出した。
あの時の正月は、年老いたシェパ爺を寺へ連れて帰るのもかわいそうで、石見銀山の自宅に居させようかどうしようか随分迷ったことを覚えている。そのくらい老衰していたシェパ爺が息を引き取ったのは、2月10日のことだった。
そんなことを思い出しながら、G15を首にぶら下げて境内から参道を下りると、万善寺周辺の田んぼがこの数年で随分荒れてしまっていることに気がついた。たぶん、毎年少しずつ人の手が入らなくなって、耕作地が少しずつ縮小されて、田の畦道も道が絶えてきたのだろう。

毎年のように季節ごとの変化を自分の目で見ているはずなのに、少しずつの変化に気が付かないで見過ごしてしまっていた。
新年になって、いまだに万善寺の参道脇でススキが残っている風景をはじめて見た。

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「お正月」とは 

2017/01/05
Thu. 20:09

早いもので2017年正月も、5日が過ぎた。
万善寺では、少し早いと思ったが、お供えしておいた鏡餅を下げた。
このタイミングがなかなか難しいもので、その年の正月の天候事情を考慮して、お餅にカビが生える一歩前で保存の工程を用意しておかないと、せっかくのお供えのお下がりをムダにすることになってしまう・・と同時に、仏様や先祖代々様に失礼をしてしまう。

世間では、あまり良く知られていないことだと思うが、実は、「お正月」とは、1月の1ヶ月のことだという。
万善寺では、すでに前住職の頃からその習わしで、しめ縄も1月を過ぎて節分祭までそのままにして立春を待って降ろしたりしていた。
さすがに、前住職が弱ってベットの暮らしが長くなってから後は、私の都合や独断でサッサとしめ縄やそれこそ生モノの松竹梅や鏡餅など、お供え物まで降ろし下げてしまうようになった。いまだに「おかみさん」を引きずっている母親はそれがとにかく気に入らなくて、現住職を名指しで小言にしてはかなり過激な毒を吐く。虫の居所が悪かったりすると、ワイフや孫にまでその矛先が向いて収集がつかない。

5日は、そういう母親の定期通院日が予定に入っていて、前日からソワソワして神経が何時もより過敏になっていた。今年はじめてのデイサービスも、診療所と同じ敷地にあるし、曜日も重なるし、色々職員さんの手間も省けて都合がいいから、昨年末の通院の時に「診療が終わったらそのままデイサービスでお世話しましょうね♡」とわざわざ職員さんの方から提案があって、母親もその時は渋々ながらそれを認めていたのだが、今日の診療所では、「そんな話は聞いていない。今日は薬をもらって家に帰る!」とわがままをいい始めた。私はもう慣れているから、看護師さんに「まぁ、そんなわけで本人は納得してないようですし・・・」などと、クールに流していたら、なんと職員さんが薬局まで迎えに来てくれた。それでも、なにかと意味のない理由をつけて帰ろうとしていた母親だったが、結局私に無視されて渋々職員さんの言うことを聞くことになった。

とにかく年末から溜まっている仕事が正月になってもなかなかはかどらない。
キーポンの成人式で1日潰れ、母親の通院で1日潰れ、吉田のクローンが2人くらい欲しい。「〜〜のに・・」ってやつは、考えたくも言いたくもないことだし、まがりなりにも坊主の端くれとしては思ってしまうことも修行が浅いダメ坊主であって、今の私はまさにそういう状態で悶々とした日々が過ぎている。

3畳の寺務所にあるレーザープリンタが結露続きで動かなくなってしまった。もう踏んだり蹴ったり状態だ。
冬の万善寺は、ドコもカシコも隙間だらけで、殆ど野外に居ると変わらない。この度のようにいい天気が続くと寒暖の差が激しくなって余計に家の中に露が溜まって湿っぽくなる。本堂などいまだに年始会の酒宴の香りが漂って、線香の香りが負けるほどだ。
そうそう、万善寺的には1年を「喪中」と認識して、1周忌が「喪明け」と心得ていたりします。知ってましたか?かすかな名残は「喪中につき・・・」ってやつですよ。

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キーポンの成人式 

2017/01/04
Wed. 19:51

1月3日の朝の祈念法要を全て終わったら、韋駄天さまへお供えしておいたお神酒の御下りをその日の朝食で雑煮などと一緒に頂き、坊主の寝正月へ突入する!
・・・といったお正月の決まったスケジュールが続いていたのは、憲正さんが遷化した年の正月までだった。
思えば、憲正さんもおおむね幸せな坊主暮しを続けていた気がする。正月の行事がだいたい自分の思うように過ぎて、2月には入院することになって、一時退院できたものの、それからすぐにその年2回目の入院が決まって、そのまま存命中に寺の庫裏へ帰ることがなかった。
残された母親は、前住職存命中の諸行事をかたくなに守り続けようともがいている。
そういう気持ちは分からないでもないが、誰がどう客観的に見ても90歳を過ぎた老婆と、かぎりなくジジイに近いヨレヨレオヤジ坊主の二人で昔ながらの正月仏事を乗り切ることは不可能なのだ。
結局は、年末から年始にかけての万善寺オリジナルスケジュールを調整して割愛できる幾つかのポイントを抜きだして削除しながらシンプルに乗り切っていくしかないことなのだ。そういうわけで、坊主の寝正月はもう何年も前から削除されて無くなった。

4日は世間の仕事始めもあって、地域の年始会もあって、とにかくめまぐるしい1日であるが、今年の吉田家は、それにキーポンの成人式が加わった。
吉田家の三姉妹は、お母さん(ボクのワイフ)から引き継いだ晴れ着で成人式を迎える。
その晴れ姿の撮影係がオヤジのボクなのです。
それで、早朝に万善寺を出発して石見銀山の吉田家へ向かった。
今年は雪もなくて、とても楽な新年になって、移動も楽で、銀山街道の途中からは朝霧もはれて絶好の撮影日よりになった。

早朝の石見銀山は、人影もなく静まりかえっていた。
自分にとっては、年が改まってはじめての石見銀山で吉田家になった。
例の如く、吉田家玄関へ入ってもネコチャンズのお出迎えは無し。正月休みで帰省中のじゅん君はまだ就寝中。グッピー家族の水槽は水が蒸発して可哀想なほど窮屈に暮している。
母娘が着付けから帰ってくるまでの間、ストーブに薪を補充したり、水槽の水を補充してフィルターの掃除をしたり、撮影用のG12を動作確認したりしていたら二人が帰ってきた。
久しぶりに見るキーポンは、それなりに年頃の娘らしい大人びた姿になっていた。

じゅん君からはじまって4人の子供たちが無事に成人してくれた。
じゅん君は、最初の子供でどう育てたら好いのかわからないまま時が過ぎて、知らない間に大きくなっていた。
なっちゃんは、逞しく活発に育ってくれた。泣きながら自転車練習をしたことをよく覚えている。
小さい頃のノッチは風呂嫌いで、彼女のシャンプーにはかなり苦労させられた。
キーポンの口癖は「お父さん大嫌い!」で、小学校に入るくらいまで散々そのフレーズを聞きながらだっこしていた・・が、いまだにお父さんのダブルシュラフに潜り込んでくる。

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お正月のウンコ 

2017/01/03
Tue. 23:38

お正月三が日の朝課法要がやっと終わった。
日が変わってから洗顔をして身を清め、井戸から引いた初水を湯茶に沸かし、本堂や庫裏の仏様へお供えするところから始める。
お湯が湧くまでの間に大衣に着替え、万善寺の各所へ蝋燭と線香をお供えする。
その日の初湯を仏様へお供えして回る。
火の付いた香炭を香炉の香灰へ沈めて香を焚べる。

だいたい、そのあたりまでは寺暮らしをしている時の朝の日課になっているが、お正月の3日間は、午前0時を過ぎたところからそれをはじめて、何時もよりたくさんのお経を読んで、そのたびにそれぞれの回向をしたり三拝をしたりしてかなりの重労働である。
本堂の須弥壇から始めた朝のおつとめは、庫裏の方へ移動して、最後は韋駄天様の前でお経を読んで終了する。これが、万善寺の前住職から引き継いだ正月の仏事になっていて、だいたい1時間半から2時間ほどかかる。
これと似たようなことを宗門の本山以下、全国の各寺院が法式として行っているはずだが、それぞれの寺院ごとにそれぞれの山風があるから、どれが正しくて間違いかなどと詮索する必要もなく、各寺院オリジナルのお正月祝法要を行っているはずだ。

憲正さんの頃は、布団の中から小言やら寝言やらわからないほどの発言を繰り返していた母親が、住職の代替わりが終わった頃から万善寺の朝の法要へやたらとまめにしゃしゃり出るようになった。私のお経の最中に「それはせんでいい」とか、「何時まで何しとるんだ」とか、本堂の方まででしゃばって監督がうるさい。
どうして今更そういう風になってしまうのか?もしくは、何を言おうとして何が大事なのか?そのあたりを伺うまでもなく、誰がどう見ても私の法要の邪魔になっている。もしくはどう見ても邪魔をしている風にしか思えないように振る舞ってくれる。そういう公私の入り混じった母親の行為は仏様や仏事に対してとても失礼なことになるので、事あるごとに厳しくしかりつけても、一向に改善の意思を持とうとしない。
そういうことが頻繁の、なんともだらしない朝課法要が続いたが今朝で一区切り付いた。

この数日は、天気が良すぎて放射冷却がすごい。今朝も保賀の谷は霜で覆われ、それなりに冷え込んだ。それでも、空に広がる雲が先頃より若干厚くなって来たふうにも感じる。
母親が見ている大音量の箱根駅伝を背中に聞いて、七日のおつとめと、保賀の谷の年始回りの準備をしていたら、本堂の濡れ階段下の式台へポトリと小さなウンコを見つけた。よく見ると木の実の果肉だけが消化されて、消化までには至らなかった何かの種がウンコになって転がっていた。
ウソかマコトか・・獣が食べて排出したコーヒーの種を焙煎すると、なんとも芳しく美味しいコーヒーが出来上がるのだそうだ。
そのウンコをみると、その状況が感じられてわかるような気になった。
たぶん、タヌキか何かのウンコだろうが、何かの実の種は少しも汚いと感じなかった。
90歳を過ぎて頑固に暮らす老婆の方がズッと汚いと見えてしまう。
心の汚さや気持ちの醜さがそのまま見た目の姿や行為に現れている気がする。

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ナンチャッテ坊主の年頭挨拶 

2017/01/02
Mon. 20:43

万善寺新年の恒例行事は・・・
正月2日の年始会。
新年初午の豊川稲荷初午祭。
それに3月の春彼岸。
・・・以上の3つが大きな(そうでもないか・・)仏事になっていて、その時にお檀家さんや地域の信者さんがお参りくださる。

この年始会も時代の流れに乗ってお参りが減少し、この近年はだいたい多くて20名ほどの参拝に落ち着いている。
今年は、年末から続く好天気で雪も無かったから、寺の参道を本堂下の駐車場まで車で上ることも出来るし、家族の送迎も楽だしするから年始法要の後の新年会も出席が多いだろうと期待していたのだが、結局例年と変わることがなかった・・というより、天気が良すぎて正月早々家族揃って遠出でもされたのか、むしろ何時もよりお参りが少なくなった気もする。それでも、お参りの皆さんはワイフのつくった正月料理の数々をパクツキながらそれなりに賑やかに盛り上がって、一升瓶がいつも以上に早く大量に空になった。

万善寺の正月イベントに向けて、私とワイフの二人は、それぞれに自分の業務分担を受け持ちながら粛々と準備が進む。
ワイフがおかみさんから台所を引き継いでから後も、いまだに現役気分のおかみさんがアレコレ無駄口をはさみ続けるので、今年ははじめて年末ギリギリまで石見銀山の吉田家台所で正月料理に取り組んでいた。そのかいあってか、恒例のメイン料理「万善寺おでん」がいつになく絶品で、特にダシ汁をタップリ吸い込んだ大根は最高に美味しかった。その大根は富山でお世話になっているお百姓さんからいただいた立派なもので、素材そのものも格段に良かったからかもしれない。

お参りの皆さんを前に、その年の年頭挨拶をさせてもらっているが、今年は、約2500年前にお釈迦様ご自身がお弟子の修行僧相手にお話されたらしいことを、自分流に意訳して「ニートだって立派に社会へ貢献している大事な存在なのだ!仏教の修行僧なら究極のニートになるくらいの覚悟が必要なのだ!」というようなお話を伝えさせてもらった。若干意訳たとえが過ぎるかもしれないとも思ったが、どうせナンチャッテ坊主の新年の話など、新年会の一杯の酒で忘れてくれるだろうと勝手に都合よく判断したわけだ。
今の世の中、使う方も使われる方も、やたらと生産性や利潤の向上を目標に仕事をしすぎているから、少しだけ小心者で気の弱い、たとえばボクのような人はそういう世間に潰されてどんどんそういう世間から弾き飛ばされる。世間や会社や組織など、自分一人でやりくりできる社会などあるわけもなく、知らない間にどこかしらお互い様で過不足なく助け合って暮らしているはずだ。何もしないとか、何も出来ないとかそういう人が自分のすぐ近くにいてくれることで、自分自身が色々な場面でどれだけたくさんアレコレ助けてもらっているか・・・それをもっと自覚しねければいけないんじゃないですか?
・・・とまぁ、そんなことがいいたかったわけで、ものの本によると2500年も前にお釈迦様が自ら似たようなことをおっしゃっているらしいのです。仏教は深いでしょ!

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2017-01