工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

賑わいの吉田家 

2017/02/28
Tue. 23:54

寺暮らしを切り上げて石見銀山暮らしに切り替えたのは2月の中旬だった。
それから、気がつけば2月も終わって3月が始まる。
あまりに毎日が過ぎるのが早い。

結婚してまだ1年も経たない長女のなっちゃんが先日帰省した・・・が、離婚したわけではない。現在の仕事の出張を兼ねて帰ってきただけのことだ。
結婚したと云っても、すでにその1年くらい前から今の旦那(前の旦那はいませんよ・・・)がなっちゃんの部屋へ転がり込んで共同生活をはじめていたから、実質の結婚は2年前と言って良いかもしれない。
なっちゃんの当時をみると、ナント乱れたいい加減な暮らしをしているのだ・・と思うかもしれないが、オヤジの私が特別それでどうこう口を挟むことでもないと、平常心をとおしていた。
たまに用事で上京した時は、旦那も呼び出して一緒に飲んだりもする。
ニートオヤジのごとく年中自堕落に暮らす私より、彼の方がズッとまともで真面目な暮らしをしている気もする。
なっちゃんとしては、旦那の日常のアレコレに色々と思うところもあるようだが、私からみるとそれも普通に常識の範囲で、それなりに仲のいい似合いの夫婦に見える。

自分から言うことでもないが、私は一人暮らしが結構長かったから、日常の家事はだいたいそれなりにこなせる。
ワイフがしばらく家を空けても、特に気にもしないで粛々と日常を乗り切るし、2ヶ月半続いた寺暮らしでは、母親の食事の世話までしていた。
世間の煩わしさに振り回されて落ち着かない毎日を過ごすより、むしろ、自分一人のほうが落ち着いて自由にマイペースが保てて都合が良かったりする。
一人暮らしの引きこもりの時期は、「一日中、一言もしゃべらないで過ごすことも普通でしたけど・・・」
先日、なのか日のお経が終わってお茶をいただきながらそういうことを話したら、その家で一人暮らしになられた奥さんがやたらと驚いて珍しく私の話に食い下がっていらっしゃった。
男と女の性格の違いもあるだろう。マイパパの憲正さんも、晩年の日常は特に無口になって、通院の道中、ほぼ1日近く一緒にいても男二人が一言も口を利かないことなど普通だった。

ようするに、何が言いたいかというと、なっちゃんが帰ってきた数日間は、なかなか賑やかな吉田家ぐらしになったということ。
なっちゃんに自分の寝場所を追い出されたキーポンが玉突きでオヤジの寝場所に転がり込むし、あげくには、なっちゃんにイジラレまくったクロまで私の居場所へ避難するようになった。
とにかくこの半月ほどの吉田家暮らしでは、いまだにマイペースが機能しないでいるのだが、だからといって、決してなっちゃんをはじめ、吉田家メンバーがキライなわけではないので誤解のないように!
ボクはみんな大好きだよ!

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モンカーダこじま芸術祭ーその2 

2017/02/27
Mon. 18:30

モンカーダこじま芸術祭がはじまった。
倉敷児島の旧野崎家住宅前、こんじんまりした公園スペースでは野外展示がされている。
展示作家は、岡山県在住の石彫作家小林照尚氏。同じく岡山県在住の草月流師範西本秋翆氏。島根県から内田紀子氏と、私吉田正純。

小林照尚氏の最近の石彫は、岡山産出の万成石をほぼ方形にザックリと加工して、それを幾つかのパーツに割ったあと、内部をくり抜いて磨き上げ、再度組み合わせて方形の原型に戻すという工法を繰り返しながら一見シンプルな彫刻に仕上げている。
形態の内面と外面の対比を構成表現させることで、見るものの感情や周辺の空間や、それらをとりまく視覚的感覚的情感を石の内部に引き込むように工夫されている。
造形としてのカラッポを用意することで空虚感を演出しつつ、一方でその内部空間に周辺を吸い込ませて、石の本来持っている無機的重量感に周囲から有機的質量が注入される。より凝縮された内空間をさまざまに想像させる、とてもミステリアスな彫刻であるように私は思う。

草月流師範の西本秋翆氏の真竹を使った空間構成は、竹の持つしなやかさを熟知してつくりあげる有機的な形態の連続が面白い。
彫刻界でも線材を多用した空間造形をよく見るが、面白いものでそのたぐいの彫刻は何故か女性の作家に多い気がする。
残念ながらまだ付き合いが浅いので、西本氏の竹作品をそれほど多く見ているわけではないが、草月流の造形物の中では比較的面的要素の強い形態が多いように感じる。
これは、ある意味で彫刻的な表現に近いところで造形が意識されているのかもしれない。
いずれにしても、野外での展示構成であることには変わらないから、竹の集積でつくられる人工の構造物がその周辺の空間とどのように関連されているかが造形の見どころであろう。

内田紀子氏の野外に設置された造形作品を久しぶりに見た。
彼女は、まだ10代の頃からよく知っていて、平面から立体まで、そして、具象から抽象まで、さまざまな素材を利用工夫しながら幅広い造形表現を展開している。
野外での表現は、やはり設置空間をどのように自分のつくりだす造形に取り込むか、もしくは、自分の造形をどのように周辺空間と対峙させるか、そのあたりのサジ加減が重要なことでそれが難しいと自分では思っている。
長い間みていると、彼女の場合は造形の取り組みが器用過ぎるきらいがあって、それが少し残念に感じる。
自分の工夫がもう少しじっくりと錬られたあとに何かしらの形へ置き換わるという、ある意味での「造形のタメ」のようなものが加わると良いと思う。

まぁ、自分のことを棚に上げていろいろと自分勝手に言いたいことを言わせてもらったが、このような発表の場が提供されて共有できているから言えることだけどね。

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モンカーダこじま芸術祭 

2017/02/25
Sat. 22:06

岡山倉敷児島での芸術イベントがはじまった。
吉田は、昨年に声がかかって今年で2回目の参加になる。

例のごとく落ち着かないまま午前中が過ぎ、私の野暮用もあったりして予定より30分遅れて石見銀山を出発した。
児島の旧野崎家住宅でオープニングイベントがあるのだが、それに間に合いそうにないまま、結界君を走らせた。

搬入の時にザックリと会場の様子を確認しておいたのだが、その後幾つかの作品が展示されて、良くも悪くもそれなりの芸術イベントらしい雰囲気ができあがっていた。
公共の場所を使った彫刻展示は、いつどんなことが起きるか全くわからないから、かなり神経を使う。
自分の彫刻は、もう30年以上野外の全天候に絶えられるように造り続けているから、だいたいどういう状況にも対応できると思うが、彫刻家の考えは人それぞれだから、彫刻家集団の一人として作品展示をすると、それなりに緊張する。
他人に丸投げして全てを任すまでの度胸もないチキンオヤジとしては、やはり、期間中の不具合が無いように自分の目で確かめておかないと気がすまないし責任持てなかったりして、児島へ向かったわけだ。

野外彫刻でいつも思うことだが、石とか木とか金属とか素材の種類は別にして、作家の住み暮らす地域と彫刻の形状は、やはりどこかしら環境と形態がお互い引き合う何かがないと、野外彫刻としての普遍性とか恒久性が失われる気がしている。
彫刻家の主観を環境の束縛でまげることになる気がしないでもないが、そもそもの彫刻美術の起源を意識すると、やはりお互いの関連は彫刻制作の大前提に起因する大事な要素の一つに位置しているはずだ。
技法テクニックがどうとか、造形の緊張感や完成度がどうとか、それ以前に、まずは彫刻の存在と環境の共有が確保できていることが大事なことだ・・・と、私は勝手にそういうふうに解釈して制作を繰り返し続けている。
たとえば、私が住み暮らす島根県の石見銀山と飯南高原をくらべても、あれだけ狭い世界で全く自然の環境が違っていて、一つの彫刻がどちらの環境でも同じように機能することがない。

もうかれこれ5年ほど前になるが、だいたいの予測をもとに、銀山街道と出雲街道の分岐点を起点にして、野外彫刻設置のデータ収集を目的とした実験を始めた。
近年はたて続けに暖冬と猛暑が続いて、平均的なデータを記録できていない気もするが、それでもこの数年の経年変化をまとめてみると、自分の造形イメージを補正するための要素の幾つかは収集できた気がする。
予想的中で成功したこともあれば、見事に失敗したこともあったし、何より、期待も予測もしていなかった新しい発見があった。
現在、その発見のデータを元にして次の何かへ繋げられないか模索中である。

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真夜中のコーヒー 

2017/02/24
Fri. 21:09

万善寺の夜は、かなり激しい風雨が遅くまで続いていた。
通夜が終わって3畳の寺務所へ帰ると、さっそく母親の足音が近づいてきた。
私の寺暮らしではこういうことが頻繁で、とにかく落ち着かない。
特にこれといった用事があるわけでもないのに、いまだに親の子離れが出来ないまま、90歳を過ぎて、より過激に母の優位を振りかざしながら子供にしがみついてくる。
限りなくジジイに近いオヤジのボクは、いつまでも子供のままじゃないんだけどね・・・
なれない浄土真宗の、仏説阿弥陀経とか正信偈を必死でおつとめしてグッタリ疲れているボクのことなどまったく無視でからみつく母親には、どぉ〜も、こぉ〜も対処のしようがない。

麦とホップをたて続けに2缶空けて少し落ち着いて、お経本をチェックし直して、本葬の法式を見直していたら、ボタボタとユキズリの音がしはじめた。
そういえば、いつの間にか風雨の音も消えて静かになっていて、たぶん、その頃から雨が雪に変わっていたのだろう。
万善寺の本堂は、寄棟と方形をたして二で割ったような独特の作りをしている。
屋根を真上から見ると、限りなく正方形に近い形になっているはずだ。
その関係で、本堂の周囲へほぼ同程度のユキズリの山ができるのだが、西側に庫裏が続いているから、西のユキズリがモロに庫裏の壁を叩く。
3畳の即席書斎寺務所は本堂と庫裏を結ぶ渡り廊下に張り付いたような部屋だから、急勾配の本堂屋根から絶え間なく雪が擦り落ち始めるとやたらにうるさくなる。
一度気になり始めたら、集中力も消えて寝るしか無いことになるが、そのうるささでは素直に寝ることも難しくなる。
いつもだったら、このまま麦とホップをガブ飲みして無理やり酔っ払うか、アクション映画を観始めるか、そんなところだが、さすがに本葬の前の夜にはそういう気になれない。
曹洞宗の場合はだいたい法式を覚えているから良いが、やはり宗派が違うと磬子の打ち方や止め方も違うし、とろけきった脳味噌の反応が鈍くてなかなかすんなり頭に入らない。

深煎りの豆をミルで挽いた。
3畳にコーヒーの香りが広がった。
寺暮らしだと、だいたいこういう時は白檀香かなにかが香るのだろうが、私は、どちらかというとコーヒーが香り漂うほうが落ち着く。
一度沸騰させたお湯をしばらく冷まして、ゆっくりと豆を蒸らす。
このあたりの所作にコルトレーンあたりがさり気なくかぶさってくるともうたまらない。
世間では、カフェインがどぉ〜のこぉ〜の云うが、私には一向に差し支えない。
コーヒーを一口すすって、コンビニに寄った時に仕入れておいたドーナツを頬張る。
そうこうしている間に、ユキズリが気にならなくなってきた。
大衣や袈裟の確認などしてシュラフに潜り込んだ。

気がつくと外が明るくなっていて、遠くで鳴きあうつがいのカラスの会話で目が覚めた。
いつの間にか、寝てしまっていたようだ。

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久しぶりの万善寺 

2017/02/23
Thu. 22:58

今ボクは、久しぶりの万善寺三畳の寺務所兼用マイルームで麦とホップを飲んでいる。
2月から3月にかけて、今年最初の彫刻絡みで2つほど展覧会があって、その準備やら搬入やらで忙しくしている時に、万善寺のある保賀の谷の自治会から訃報の知らせが入った。
亡くなったのは、先代住職憲正さんの同級生。

憲正さんが少年の頃からの付き合いで、同じ保賀の谷の遊び仲間の一人が死んだわけだから、息子の正純としてはオヤジの代わりに精一杯の恩を返しておくことにもなるし、眼前の用事を投げ出して急いで枕経代わりの仮通夜へ参列した。
菩提寺は、隣町の浄土真宗西本願寺派。
ご住職は、ワイフとほぼ同年齢くらいだと思う。

他の寺はどうか知らないが、万善寺は枕経とか仮通夜、場合によっては通夜の席まで色着物に改良衣で出かける。
これは、「とにかく、とるものもとりあえず、馳せ参じました!!」という、ビジュアル上のスタイルを演出するという意味合いも含まれている・・・と先代住職の憲正さんから伝授された。
確かに、そう言われるともっともそういう解釈もアリかな??!!という気がして納得するようなところもあって、私の場合は、いまだに先住職の言いつけを守っている。

下世話な話だが、私は相手の分け隔てなく坊主の香資に5000円を包むことにしている。
島根の田舎相場であり、万善寺の周辺の常識で言うとだいたい2000〜3000円の香典が一般的だが、それはそれとしてこれは、亡き万善寺住職の憲正さんが生前に受けた「数限りない恩のささやかなおかえしだ」という気持ちが込められている。
憲正さんの住職在位60年間で、どれだけの御恩を頂いて暮らしていただろうかと思うと、5000円札一枚ごときではとても替えることも出来ないはずだと、確信している。

「生前は、うちの父(マイパパのこと)がお世話になりまして・・」
「いえいえ、とんでもありません、こちらこそ・・、方丈さんが(マイパパのこと)が亡くなられてから一気に気弱になって・・ほんとに寂しがって・・足腰がどんどん弱って・・ほんとうに、ほんとうに、仲良くさせてもらっていたようで・・」

ひょっとしたら、菩提寺のご住職より私のほうが亡くなったご主人のことをよく知っていたかもしれない。
春の桜の頃は、同級生と家族が集って花見に興じた。
農閑期には同級生と家族が集まって近くの温泉へ湯治に出かけた。
年に数回、盆正月に仏事を兼ねて帰省すると、毎年のようにそういう話を聞かされた。
亡くなったご主人・・今頃は、彼岸の国で憲正さんと昔話に興じていることだろう。

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ざわめく吉田家 

2017/02/22
Wed. 23:08

石見銀山の吉田家暮らしも、さすがに長い間留守にしていると、どうも自分の居場所が落ち着かなくて、さり気なく居心地が悪かったりする。
ひとり暮らしのキーポンが荷物と一緒に帰省してから、四畳半のオヤジの居場所がアッという間に占拠されて、コタツ兼用の事務机には彼女のグッズが散乱している。
こういうことになるだろうとあらかじめ予測して、本来キーポンの部屋であるはずの吉田家2階ロフト部屋を片付けた。事務用のデスクトップは吉田家の子供たちが中学校を卒業するまで使っていた勉強机に移動して使えるようにしておいたし、時々ネコチャンズの寝床になっていたキーポンのベッドもベッドメイキングしておいた。
こうしておけば、親子3人の夕食が始まって終わっても、さり気なく2階のロフト部屋へ引き上げてしまえば家庭の大きな混乱もなくて平和に穏やかに過ごせるはずだった。

確かに、この2〜3日はおおよその予想通り、七日務めのスケジュールをはさみながら比較的静かな毎日が過ぎていたが、昨日の夕方になって長女のなっちゃんが営業の本社会議を兼ねた出張と称して帰省してきた。
ここにきて、吉田家が一気に賑やかになってザワメキ始め、シロは四畳半のコタツデスクに潜り込んで出てこないし、クロは2階ロフト部屋の即席オヤジ書斎に避難して一日中ゴロゴロし始めるようになった。最近の私は、次々に押し寄せる様々な試練に押しつぶされそうになって、もう、ヨレヨレ状態だ。たぶん、ワイフの方は、一気に増えた口の数に振り回されて、想像以上に苦しい思いをしていることだろう。

七日務めから帰宅したら、キーポンがやっとゴソゴソ起き始めたところだった。
もうお昼の頃で、これから改めて昼食をつくるのも面倒だから、外食をすることにした。
昨年末に親から子へ店長交代をしてメニューも新しく入れ替えた近所のレストランへ数カ月ぶりに行ってみることにした。
前の店長のオヤジさんは、なかなかの趣味人で、店の経営の傍ら、もっぱらマイペースに人生を楽しんでいるような人だ。
そのあたりでは、私も似たような存在だったりして、彫刻の工場から作業着のまま昼食を食べに出かけたりすると、店へ入る前にご主人と立ち話が始まったりすることもしょっちゅうだった。
ひところは、炭焼に凝っていて、木酢液をペットボトルに入れてレストランのアプローチで安く販売したりしていた。私が陶芸の心得もあることを知っていて、窯のことや釉薬のことなど、かなりマニアックな質問を受けたりもしていたし、溶接の話が出たこともあった。海で採取した芽わかめをドッサリくれたりもする、なんとも楽しい人物である。
今度、店長の代替わりをしたご主人の次男坊は、まだ若いがすでに嫁もいて娘もいる。
銭勘定に長けていそうでなかなかシッカリとした経営者だ。
しだいに店の雰囲気も代わって、この世知辛いご時世に客が増えているふうに見える。
新メニューにはまだ慣れないし、どこかしら、前の味に懐かしさもあったりする。変わることは良いこと悪いこと予測が難しい。新体制のレストランがこなれて落ち着くまでには、もう少し時間がかかりそうな気がした。

強い北西の風で珍しく日本海が濁っていた。飯南高原は明日からまた雨から雪になりそうだ。

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作家の言葉 

2017/02/21
Tue. 18:34

今更改まって云う程のことでもないが、実は、彫刻家としての吉田正純は何かしら造形作品のようなものを造り始めた20代の頃から今まで1年も休むこと無く何処かの展覧会へ発表を続けている。
「あれだけ飽きっぽい性格でナマケモノなのに」よくこの歳まで地道に長々と長続きしているものだ・・・と感心しつつ、ふと、自分で自分のことを褒めてあげたくなってしまうときがあったりする。

制作を始めた初期の10年間位は、毎年アチコチの展覧会の出品規定や要項をチェックしながら、そして時には、実際にその展覧会の会場へ出かけて出品作家たちの作品を観たりしてから、幾つかの作品を造って出品したりしていた。落選するときもあるし、入選するときもあるし、まぁ色々だったが、何かしら形が完成して搬入までのなんとも例えようのない虚脱し且つマッタリとしたひとときが無性に気持ちよかった。制作中の抑圧された全ての欲望が一気に開放された感じだと云って良いかも知れない。
その時々によるが、ある時は映画館を目指したり、ある時は行きつけの飲み屋へ直行したり、ある時は神保町で古本を買い漁ったり、天気が良いと新宿御苑でメシも食べないでごろ寝していたり・・・とにかく、だいたい一人で過ごしていた。

20代後半にワイフの彫刻搬入搬出を手伝うようになって、それがとても刺激になった。
彫刻制作の裏側がリアルに伝わってきて、いい勉強になった。その搬入会場へ参集する彫刻家たちの様子が自分の感覚にあっていたというか、ゆるやかに包容されるような空気感が心地よかった。ワイフの彫刻出品を手伝いながら依然として特定の会派を決めることもなくのらりくらりと気ままに制作を続けていたが、いつまでも搬入出の手伝いばかりしていてもしょうがないし、少しずつ本気になって結局彼女の会派へ合流することにした。
それが二紀会で、気がつけばあれからすでに30年以上出品を続けている。
出品歴はワイフが長いから、たぶん、彼女が彫刻を造り続けていることで飽きっぽい性格のボクもここまで継続してこれたのだろうと、今更ながらにそう思う。

たぶん、昨年の年末くらいだったのだろう、二紀会事務局から70周年記念誌の原稿依頼が届いていたらしい。
寺のことでドタバタしていた頃だから、自分でそのことを確認できていたかどうかも覚えがないまま過ぎていたら、先日、彫刻部のH氏から督促の電話が入った。その前にも別件で二紀会本部からFAXが届いていたようだし、なんともだらしない組織員で、会の運営に何かと迷惑をかけっぱなしでいる。
あわてて、原稿を書いてH氏にメール送信した。Hさんゴメンナサイ・・反省してます!

〜〜〜〜〜〜〜作家の言葉〜〜〜〜〜〜〜
近年の彫刻は、一貫したテーマを主軸に制作を続けている。この彫刻もその一つで、まぁ、読み切り連作小説の一編のようなものと思って観ていただければありがたい。そこにある彫刻とそれを観る鑑賞者のあいだに発生するさまざまなシンパシーが自分の彫刻の成長につながるといいし、それを楽しんでいる。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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雪男の旅ーその3 

2017/02/20
Mon. 21:19

強行軍の彫刻搬入から帰って一段落したら、いっきに気持ちの緊張が抜けて、それまでだましつつ働かせていた身体のアチコチが鈍く痛みはじめて身動きできないほどになった。
2ヶ月あまりの万善寺暮らしの間に、自分の身体から筋肉がとろけてなくなってしまったようだ。

岡山の児島一帯をフィールドにした芸術祭へ彫刻出品を誘われたのが昨年のこと。
その時の誘い主は学生時代の同級生のiさん。
現在のiさんは、七宝の作家で作品制作と展示発表を繰り返しつつ、日本各地や欧米の都市部を中心に七宝教室の講師をしたりして技法の伝授を積極的に展開している。
長い間、東京を基地にして暮らしながらそういう制作活動を続けていたのだが、故郷で暮らすお母さんの高齢に伴い、Uターンを決めたのが今から数年前のこと。
その後、何度か「正純の近くへ帰ったよ!」と連絡をくれたり、共通の友人から情報が流れてきたりしていたが、2年前の暮になって、今回の「岡山での文化イベントに参加しない??」かと誘ってくれた。
私は年中ヒマにマイペースな暮らしぶりだから、こういう時の誘いに乗っておかないと、いつも忙しくしている彼女と逢う機会もなかなか巡ってこないだろうと思って、参加を決めた。
「久しぶりにiさんと逢えるかも?」という動機からして、主催者の高尚な文化事業をどこかしら無視してしまうような超個人的なレベルで彫刻出品を決めたようなところもあって、昨年の初出品はとにかく吉田のワガママワールドが炸裂した感じで終始した。

その後いろいろあって、なんとなく岡山との縁が絶えないまま1年が過ぎる間に、少しずつ岡山の主催メンバーとも緩やかなつながりが出来てきて、今年はiさん抜きで2回めの参加をすることが決まった。
それで、先週末に搬入日程を組み込んで、2tのレンタルをしたりして行動を開始した。
ちょうど移動の最中に天候が崩れて降雪の予報になっていたから、直前までスケジュールの組み立てがなかなか決まらなくて、チキンオヤジの神経がとにかく消耗した。
いつもの雨男が今年になって雪男状態になったまま、雪深い中国山地を越えることになってしまった。
だいたいに岡山の瀬戸内沿岸は年中温暖な気候で過ごしやすいところだが、児島での搬入作業のあいだ中、絶え間なく小雨が降り続いて肌寒い1日になった。それでも、お昼過ぎには一通りの搬入と展示の作業を終了することが出来た。これも、岡山倉敷森山珈琲君が甲斐甲斐しく献身的に手伝ってくれた御蔭だ。ありがとうございました!

同日にキーポンの引っ越しをスケジュールに入れていたから、昼飯抜きで一気に倉吉へ移動した。荷物を積み込む最中はみぞれになったりした。まったくもって、ことごとく悪天候に悩まされた1日1晩になった。
打ち止めは・・・やっとの思いで石見銀山の我が家近くまで帰ってきて、あと少しで町並みの自宅前というところで、2tのアルミの角を民家の雨樋へぶつけてしまった。
真っ暗な中で平身低頭家長に謝ったり善後策を決めたりして身も心も冷え切って凍った。

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気持ちの切り替え 

2017/02/17
Fri. 18:42

ボーズには特に関係も影響もないことだけど・・・まぁ、ひとまずのくぎりということで気持ちの切り替えも必要だし・・・
2月14日バレンタインデーをご縁日に、万善寺暮らしから石見銀山の吉田家暮らしに移動した。
約2ヶ月半の間に少しずつ増えた荷物運搬で参道の一本道をヨレヨレになりながら結界くんまで何往復したことか・・・
3回目の寒波は、完全に山雪寒波だったようで、石見銀山は申し訳程度に薄っすらと雪が降り積もった程度のことだった。
飯南高原から約40分ほどの間に、風景がまったく変わってしまう。

2月15日・・・島根大学教育学部の卒業制作展が県立美術館ではじまった。
若い学生さんの4年間の勉強の成果発表だから、できるだけ毎年の展覧会を外さないようにしている。
今年は、週末から倉敷児島の芸術祭イベントで彫刻搬入があるから、珍しく青空も見えて天気もいいし、初日に出かけることにしてワイフを誘った。
裏日本の山陰で暮らしているから仕方がないことだが、やはりアチコチアクティブに行動しようとすると雪はそれなりの障害になって動きも鈍くなってしまう。

ワイフとしばらくぶりの情報交換をしながら松江の県立美術館へ移動している最中に、iPhoneが鳴った。
お檀家さんからの着信だったのでふと嫌な予感がした。
ハンズフリーにしたら、「主人が亡くなりまして・・」・・・予感が的中してしまった。
「いま移動中でして・・・夜の8時位にはお邪魔できると思いますので、それでお願いします。急なことでしたね・・・」
葬儀日程の事務的な話も必要だが、まずは少しでも早く枕経を読んであげなければいけない。

卒業制作展も、そんなことでなんとなく落ち着かないままになってしまったが、作品の内容は力作ぞろいで好感が持てた。
前年に工芸の教授が定年退官された関係で、金属工芸の作品が絶えた。
退官の彼は私の大学時代の先輩で、内地留学の2年間は隣の研究室でよく見かけていた。
私が島根へUターンした頃の彼はまだ独身生活をしていたから、時々吉田家を訪問してワイフの手料理をぱくついたりしたこともあったが、そのうちどちらからともなく疎遠になった。それでも、同じ県内に暮らす、同じような金属素材の造形作家つながりもあるから、時々風の便りに彼の情勢を耳にすることもあった。出身は兵庫だが奥さんの実家が松江なので、自宅を新築して松江の人になったようだ。ちなみに、奥さんはワイフの後輩になるが、こちらも特にワイフとの付き合いはなさそうだ。

枕経を済ませて、石見銀山へ帰宅したのは夜の10時近かった。
亡くなったご主人は私と同じ年生まれの同級生だった。

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2月14日 

2017/02/15
Wed. 22:23

久しぶりに朝から晴れた。
前夜の降雪も夕方の足跡が確認できるくらい少しだった。
役場や市役所や幾つかの金融機関を回ったり、書類作成を完了して発送したりなどの用事を済まそうと、大荷物を抱えて参道を下って結界君へ乗り込んで暖機運転をして出発したら、走りがぎこちなくてお尻を降り続ける。
「パンクかもしれない??」
国道の広いところへ出てからタイヤ確認をしたら、やはり、後輪がペチャンコ。
そのまま2kmほどハザードを付けながらゆっくり走って同級生経営の自動車工場へ駆け込んだ。
奥さんが入れてくれたコーヒーを飲みながら修理を待っていると、バーストしていてもう使い物にならないことがわかった。
ひとまず代替えのタイヤを履いて当面乗り切ることにして、そのまま役所へ向かった。
この時期にタイヤ1本と修理代の出費はキツイ。

七日務めが当分続くから、雪の飯南高原を移動することが多いし、万善寺の参道もいつになったら結界君で登れるか予測できない状態だ。
収入の途絶えた状態がまだ当分続きそうだし、厳しい冬になってしまった。

14日は世間のアチコチがバレンタイン仕様になっていた。
就職の決まったキーポンが最後の学業へ帰る日でもあったので、家族3人が私の結界君へ乗り込んで出雲まで出かけた。
列車の時間もあるし、私が寺へ帰る時間もあるから、落ち着いて買い物をするほどの余裕はなかったが、それぞれがそれなりに必要な買い物をすることは出来た。
私が寺の食料を買い込んでいる間にワイフがチョコとワインを買ってキーポンがマックをくれた♡!

3回目の寒波はドカ雪に近い降りようだったので、万善寺は断続的な停電に苦労した。
特に、母親の大騒ぎがひどくてそれに付き合うだけでかなり疲れた。
ひと昔前なら、停電ぐらいで大騒ぎすることもなかったのに、この半世紀の間にそれだけ電気需要が拡大して、それに依存した日常の暮らしに慣れてしまったのだろう。
万善寺でこういう停電非常時に困ることは・・・
井戸水供給のストップ→ポンプの給電が絶える。
水洗トイレ→水の補充が絶える。
暖房→電気炬燵に電気ストーブに電気敷毛布にエアコンが使えなくなる。
インターネット環境→充電も出来なくなって、私にはこれが一番の苦労になった。
だいたい思いつくとこんな具合だ。

ガスはあるし、上水道もあるし、寺には大きなロウソクもあるから、それだけで非常時に十分絶えられるほどの余裕がある。
近年急激に拡大したオール電化住宅はかなり大変だったろう。
屋根の上で見かける太陽光発電システムは、こういう時どのように機能するのだろう?

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スキッパ 

2017/02/13
Mon. 20:40

今朝はかろうじて参道の道あけをしないですんだ。
初午祭の最中に、いつものお檀家さんがユンボで道あけをしてくれたおかげだ。

3回目の寒波がやって来る前に予約をしておいた歯医者さんの通院日だったので、9時前に万善寺を出発した。雪が少なかった分、放射冷却がひどくて結界君がお地蔵さんの横でガチガチに固まっていた。そういえば、万善寺のボクの寝室にもなっている三畳でペットボトルのお茶も凍って飲めなかったことを思い出した。

歯医者というと、小さい頃はさんざん虫歯で悩まされて、小学校時代の乳歯が永久歯に変わる大事な時は、ほとんど1年中小学校近くの歯医者さんへ通っていた。
低学年の頃の遅刻は、すべて歯医者さんの通院だった。
高学年になってやっと落ち着いて一段落したものの、今にして思うと、虫歯の原因は両親の子育て教育の失敗だった気がする。死んだ父親は40歳代で総入れ歯だったし、母親に至っては30歳代後半にはすでに総入れ歯になっていた。私の姥のごとく可愛がって育ててくれた父方のおばあちゃんも気がつけば総入れ歯だったし、吉田家には虫歯予防の知識がまったくなかったと云っていいだろう。
「これでやっと虫歯で悩まされることも無くなったわぁ〜、あぁ〜楽々・・」
「だけぇ〜、我慢せんではよぉ〜入れ歯にせぇ〜言うたろぉ〜がぁ〜・・」
そういう両親の会話をボンヤリ覚えている。

私の場合、運が良かったのは、永久歯に変わる時に歯並びがガチャガチャでスキッパになったことと、早くから一人暮らしをスタートさせたことだ。
年頃の青少年の多感な時期は、スキッパがイヤで恥ずかしくて結構悩んだもので、一人暮らしを始めた頃は、周囲の女の子の視線が気になってしょうがなかった。
スキッパは自分で矯正することは不可能だろうし諦めるしか無いが、せめて虫歯で悩むことだけは絶対に嫌だと、その頃からセッセと歯を磨き始めた。
やはり、歯磨きは虫歯予防の効果があったようで、その後、歯医者さんのお世話になったのは、大学時代に小学校の頃に直した銀の被せがチビて取れたときくらいのものだった。
今、通っている歯医者さんは、30代の頃になって昔修繕した2本の虫歯の寿命が尽きて周辺の神経を刺激し始めたのでその治療をしたことが始まりで、それから私の歯の主治医のごとく全てをその歯医者さんへ任せている。

しばらく前から、右の下の歯が痛くなって、それをかばっていたら、今度は左の上の歯が痛くなった。右も左も痛くて収集がつかなくなったからいつもの歯医者さんのお世話になった。
「見たところ虫歯は無いですから歯茎かもしれませんね・・念のためレントゲンをとってみましょう」ということで、色々丁寧に見てもらって歯石も取ってもらったら、その2日後にはウソのように痛みがとれた。ドクターの見解によると、磨き残しの場所に歯石が溜まって、それが歯茎を刺激して悪さしたんだろうということだった。
助手の美しいお姉さんが、歯磨きの方法をとても丁寧に教えてくれた♡!

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初午祭 

2017/02/12
Sun. 19:29

今年の初午祭当日を狙ったように万善寺は寒波第3団に襲われた。
今回は、ひと晩で50〜60cmは降っただろうか・・
前日の積雪と合わせて1mは軽く越えていた。

初午祭の朝は、参道の1本道作成から始まった。
長靴が埋まらない程度までアルミスコップで雪かきをして、その後雪踏みをする。
本堂の雪ズリを避けつつ、それをひたすら続けて寺の境内から参道を下っていく。
ここでのポイントは、あまり雪を深く掘り下げないこと。
踏み固めた雪道はできるだけ高くしておいたほうが、次の雪が降り積もった時にスコップの雪かきがしやすくなる。積もった雪の上に積もった雪をかきあげるわけだから、雪の壁は低いほうが楽だというわけだ。
少年の頃からこの歳になるまで、毎年雪国で冬を暮らしているから、そのくらいの知恵は自然についてくる。
それにしても、この近年は自分の体力の衰えを身にしみて感じる。雪かきの夜は身体が痛くて眠れない。
色々工夫してできるだけ楽に過ぎようと思うのだがやはり限界がある。
今回はまだ明るいうちからスパジャズを流しながら風呂にゆっくり浸かってみた。昨夜は、比較的寝付きが良かった気はしたが、夜中にキーポンのLINE攻撃にあって起こされてからあと、腰から下が延々と疼き続けて寝る機会を逸してしまった。読書でもしよとしたが、眼がショボショボでうまく焦点をあわせることが出来ないのでhuluをチェックしたら、銭形警部とタラレバ娘と左江内氏の新着があったから見ることにした。
そのうち眠くなるだろうと思っていたら、身体の痛みが勝って、気がつくと朝の5時を回っていた。

ウツラウツラしていたら、母親がドタドタやってきて停電の報告をはじめた。そのくらい、ひとつ屋根の下で寝ているのだからとっくに気づいているのに、ほんとに面倒臭い。
このところ絶不調が続いているが、母親の頑強な呪縛に絡まって自分の心身が日に日に蝕まれているからだと思っている。
今年の1年が、自分の体力の限界になるかもしれない。
そろそろ先が見えてきたきもするし、後々悔いの残らないように自分の仕事にケリをつけることも必要になる。諸々、断捨離を急いだほうが良さそうだし、まだまだやらなければいけないことが山のようにある。
そんなこんなで、気持ちはけっこう焦っているが、一方で、この眼の前の雪が一段落して先が見えるくらいまではどうしようもないし、腹をくくってジッと耐えるしか無い。

そんなことを考えながら、半日の間に参道の1本道を鼻水垂らしながら2往復した。
初午祭の法要が始まる直前に、その1本道を近所のご婦人が3人ほどお参りに登ってこられた。
今年は一人で法要を済ませることになるだろうと思っていたが、ありがたいことだ。
法要の最中にユンボが境内まで上がってきた。いつもいつも、本当にありがたいことだ。

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雪男の旅ーその2 

2017/02/12
Sun. 03:10

3回目の寒波は、西日本の鳥取島根に大きな雪害を与えつつある。
その寒波の最中に倉敷児島から岡山経由で山越えして倉吉でキーポンと彼女の荷物をピックアップして石見銀山へ帰った。
結界君は、この悪天候に健気に絶えながら走り続けてくれているが、このところ、バッテリーが弱ってきたり、エンジンのオイル漏れがひどくなったり、少しずつ弱り始めている。
もう、18万キロ近く走っているし、春になったらスタッドレスからノーマルタイヤへ履き替えて、そのついでにメンテナンスをしてもらおうと思っている。

今年の岡山は、児島を中心に神仏混合が今に残る霊山由加山と塩田業の豪商旧野崎家住宅で彫刻を展示させてもらうことになった。
昨年は由加山近くの日本第一熊野神社境内とその周辺へ彫刻を置いた。
そちらも昔ながらの神仏混合の保存状態も良くて、岡山県児島の土地が、奈良平安の頃から聖地であった様子がよく残っている。
その2つの聖地境内に私の彫刻を設置していただけることになったのも、何かの縁なのかもしれない。

今回の由加山下見では、今に残るいくつかある参詣街道の中で、比較的古い街道沿いにある民家に宿泊させていただいた。
自分としては、下見程度のことだから結界君のモテル宿泊で十分だったのだが、主催のはからいで手厚いもてなしを受けることになっていささか恐縮しつつ、それに甘えた。
相手をしてくれたのは、昨年からお付き合いが始まった倉敷の森山珈琲氏。
その宿泊した民家で、週末だけの珈琲屋オープンを計画しているとのこと。
私のような、珈琲通ともいえないいい加減なタダの珈琲好き程度には敷居が高いかもしれないが、由加山参詣街道沿いでこのようなコダワリの珈琲屋ができると、けっこう口コミで話題になるような気がしないでもない。

この今に残る参詣街道は、軽自動車だと楽に走れるが、普通車だとかなりのテクニックが必要になって、2tだと、土地っ子のプロでないと難しいくらいの急勾配でカーブの多い難所である。
昔の人は、瀬戸内海を船で移動して、由加山下の幾つかの港へ上陸して、そこから聖域を目指して約1里と少々の距離をひたすら登り続けてお参りをしたわけだ。
巨岩の積み重なった渓谷を縫うように続く坂道のわずかな平地へしがみつくように幾つかの民家がある。
その殆どは、生活の不便さに絶えられなくて空き家になっているが、それでも、その渓谷と参詣街道の魅力に惹かれて、養蜂家とか木工家が残された民家と周辺の環境を支えていらっしゃるということだ。
ひょっとしたら、近い将来それに珈琲屋が加わることになるかもしれない。

一泊した次の朝、早朝の散歩を楽しんだあとの一杯の珈琲は最高に旨くて身に染みた。

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雪男の旅ーその1 

2017/02/11
Sat. 11:14

昨年から出品させていただいている岡山県児島周辺のフィールド芸術祭へ今年も参加させていただくことになった。
吉田の場合は、比較的彫刻に特化した展覧会やワークショップを中心に島根県の田舎を巡業するような企画にとどまっているが、岡山の場合は、コーディネーターの広瀬氏を中心に、備前あたりから倉敷、水島、児島あたりに暮らす地元のアーチストやその周辺の有志の皆様が集まって、絵画・彫刻・工芸などの美術に音楽や演劇なども取り込んだ総合芸術祭を練り上げ、だいたい2ヶ月をメイン期間として企画開催されていて、確か今年で5〜6回目になるはずだ。
その芸術祭には、日本を始め世界各国からアーチストが参集するから、ある意味国々の文化交流的要素も加わって、たとえば寄せ鍋のような旨味のある文化事業である印象も受ける。
私としては寺の維持管理を含めた生活上の制約もあるから、全面的に岡山の芸術祭へ乗り切るわけにもいかないが、山陰の田舎で地道に制作や発表の活動をしている若い美術家たちの制作の場を広げて欲しい気もしていて、吉田が触媒にでもなれれば良いなとも思っていたりする。

1泊2日の岡山の旅は、その芸術祭での彫刻設置の下見を兼ねたものだった。
それに、徳島と鳥取の用事も抱き合わせして、石見銀山で準備をしているところへ今回の3回目の寒波襲来となった。
自他ともに認める雨男の吉田は、この冬シーズンでは見事「雪男」になってしまった。
雪道の移動を含めた雪対策は、それなりに遺漏無いようまとめているつもりだが、なにせ、世間には雪になれない集団諸氏も大勢いらっしゃるので、そういう不特定多数の中を移動することはかなりのストレスになってしまう。

初日は、徳島の用事を済ませて児島の由加山を目指した。
お昼の3時位に由加山神社へ到着する予定でスケジュールを決めたのだが、例の寒波の影響で、夕方近くの到着になった。
境内の様子は特に問題がなさそうに思えたが作品の搬入経路が厳しくて苦労しそうな気もする。
そのことが事前にわかっただけでも心の準備ができるし、やはり下見をしてよかった。
一晩由加山近くで1泊して、2日目は児島にある芸術祭メイン会場へ移動した。
そちらは昨年にチェックしてあるから、搬入動線の確認程度で終わった。
その後、下津井の港町で別件用事を済ませ、そちらから一気に中国山地を山越えして倉吉へ急いだ。高速道の各所で冬タイヤの確認をされたが、無事に鳥取県へ入ることが出来た。一山越えたあたりの街道で、11tが道から滑り落ちていた。これでトラックが車道を塞いでいたら、たぶんその日は車中泊になっていただろう。不幸中の幸い・・・
ほぼ予定していた定刻に、倉吉のキーポン宿舎前へ到着して、彼女の引っ越し荷物を結界くんへ積み込んだ。
それからは、山陰道を順調に西走して石見銀山へ着いた頃に、また雪が降り始めた。
ワイフが気を利かせて風呂を用意してくれていた。

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岡山倉敷児島にて 

2017/02/09
Thu. 23:56

3回目の寒波がやってきたようだが石見銀山は一晩中雨が降っていた。

岡山へ行くには中国山地を越えないといけないので、そのあたりは雪になっているから、出発する時間を見極めるのが難しい。
色々迷ったが安全策で出発を2時間遅らせることにした。
8時に自宅前の町並みへ出ると、雨だった。
いつもの銀山街道を10分ほど走ったら、雨が雪に変わった。
面白いものでこの時期の銀山街道は、飯南高原へ登るまでに二箇所ほど天候事情が大きく変わるところかあって、雨になっても雪になっても、それに晴れても曇ってもだいたいその場所が境界になっている。
石見銀山から出発した場合、一箇所は雨が雪に変わるところで、もう一箇所は降る雪の量が一気に増えるところ。
地元の人はみんなそういうところを心得ているから、車の運転もそのあたりは慎重になるが、その道になれない車は、頻繁に脱輪したり法面に突っ込んだりして立ち往生している。それがトラックだと完全に交通渋滞の元になって、数時間も身動きできないままジッと救助を待つしか無い。今回は、そのうちの一箇所で見事に乗用車がカーブを曲がりきれないで側溝に突っ込んでいた。

島根県の方は、寒波の影響でそんな感じだったが、広島県に入ったら雪の量が激減した。
松江と尾道を結ぶ自動車道のやまなみ街道は、交通規制もなく渋滞もなく快調に走ることが出来た。
瀬戸中央道へ入ってから四国のMさんに電話したら元気な声が返ってきたので、そのまま瀬戸内海を渡って四国へ入った。
お昼を少し過ぎたくらいに徳島へ到着した。
彼は、あと1週間したらオーストラリアへ出発するそうだ。
船便で送った彫刻より自分の往復の飛行機代が安かったそうだ。
同じ彫刻仲間でも、山寺に張り付いている私とは住む世界が違う。
そういえば、岡山の彫刻家Kさんは、現在北海道の方で雪像彫刻を制作中だ。

自分の立場で自分の彫刻を造っていることだから、色々なタイプの彫刻家が色々な制作の活動を続けることは当然のことで、彫刻のネットワークも広がってとてもいいことだと思う。
私のように行動半径が極端に狭い彫刻家にとってはそういう同業の人たちの様々な制作活動の実践を聞くだけで十分刺激になる。
そういう楽しみもあるから、アチコチの色々なタイプの彫刻家との付き合いを大事にしているようなところもある。
まぁ、それが坊主の付き合いと全く違って常に新鮮でいられるからありがたいことだ。
とはいえ、全国共通何処へ行ってもだいたい似たり寄ったり同じスタイル同じ作法で同じお経が通用するということも坊主として大事なことで捨てがたいほどの魅力も感じる。
それはそれで、貴重な体験というか経験になっているのだ。

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第3次寒波襲来前夜 

2017/02/08
Wed. 23:24

初七日は、奥さんがお一人で待っていらっしゃった。
一応、万善寺のお檀家さんなのだが、そのお宅では私のことを「ご院家さん」と読んでいただいている。

宗門では、一丈四方の部屋で「起きて半畳寝て一畳」をもっぱらとした慎ましい修行暮らしを身上にしていて、そういうことから万善寺の住職(とりあえずボクのこと)はだいたい「方丈さん」と呼ばれることが多い。
今の万善寺寺務所で寝起きしている私など、3畳の部屋にテーブルやら衣装ケースやらパソコンにその周辺機器やらがすし詰めになって、せいぜい1辺180cmの正方形(2畳ともいう)くらいしか融通が効かないような暮らしぶりだから、どちらかというと「半丈さん」と呼ばれるくらいが正確かもしれない。
まぁ、「方丈さん」と呼ばれるほど偉くもないし、半端者の坊主は「半丈さん」と呼んでもらっても一向に差し支えない。
そういう程度の私が、「ご院家さん」で通ってしまったりするところに、田舎仏教の境界の曖昧さが漂っていて、むしろそのあたりの一般在家の認識の緩やかさの御陰で気楽にいられたりもする。

さて、ひとまず奥さん相手にお経の後の仏教の話など少々してから、急いで万善寺へ帰って明日からの彫刻絡みの準備に入った。
何か見えない糸で結ばれているかのように、連絡しようと思っていた彫刻家の方から電話が入った。
「もらった電話にこちらの用事を返してすみませんが・・・」と、岡山行に併せてついでに四国まで足を伸ばそうと思っている旨を伝えたら、「そのあたりの時間だったら大丈夫そうだから・・」私の到着を待っていてくれることになった。
今夜辺りから西日本の日本海側を中心に大荒れするとのことだ。
雪道の走行はそれなりに慣れているから大丈夫と思うが、表日本のドライバーと一緒に結界君を走らせることが不安だ。
交通事情は、自分一人の注意ではどうにもならないことばかりだから、運を天に任せるしかしょうがない。
早朝に石見銀山の自宅を出発しようと思っていたが、天候のこともあるし、少しゆっくり目に出かけることにする。
飯南高原を走る国道は、かなりの圧雪になっているだろうし、自動車道の通行も規制が入っているかもしれない。
岡山で一泊して次の日は、そこから直接倉吉を目指す。
この2日間は、なかなか過酷な移動になりそうだ。

石見銀山の吉田家は、しばらく・・・といっても、ほぼ2ヶ月近く留守にしている間に、どこかしら埃っぽく荒れた感じがした。
グッピー一家が暮らす2つの水槽は、水が干上がっていた。
何時もと変わらないのは、ネコチャンズくらいかな?

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どちらが幸せ 

2017/02/07
Tue. 21:17

万善寺では、ボクとマイママ(ボクの母親)の二人暮らし。
石見銀山では、ワイフとネコチャンズとグッピーたちの共同生活。

・・・さて、現在吉田家の夫婦は約2ヶ月近くほぼ別居状態の暮らしが続いているわけだが、そうしたねじれた夫婦生活にあって、どちらが「幸せ!!!!!」であるのだろう?

ワタシ的立場から云うと、確実にワイフのほうが幸せでしょう!
これは、誰が何を言っても絶対に紛れもない事実以外の何物でもないほどの確信を持ってそう言い切れる!
気がつくと、数週間前から胃薬を呑む回数が増えた。
数年ぶりに不眠症の症状が自覚できるほどになって、ほとんど眠れない状態も続いている。
酒の量が増えて、食後のデザートも増えて、今年になって1週間で1kgずつメタボが増量している。
このままの状態が改善できなければ、たぶん、憲正さんの3回忌の頃には成人病が悪化して寝込んでいるかもしれない。

・・・そんなことを、他人事のようにクールに想像しながら銀山街道を石見銀山の吉田家へ急いだ。
到着すると、例のごとくワイフは留守で、クロはカウチで爆睡中で、シロは何処かに潜り込んで顔も見せない。グッピー一家は、水槽から私の存在を発見して、意地汚くピチャピチャ跳ねながらご飯の請求を始めた。
そういう、状況を横目で確認しながら、ボクの数週間分の洗濯物を洗濯かごへ移動してから吉田家の各所へ散らばっていた灯油の空缶を回収した。
ストーブの煙突も気になっている。
土間に積み上げた薪の量も心配だ。
吉田家の郵便ポストをチェックしたら、クレジット会社から銀行口座の残高不足通知が届いていた。

まぁ、現在の吉田家はこんな状況なもんで、なかなか緊張感のある毎日を送っているわけであります。気になる全てのことに過不足なく対応するには本日の半日では難しい。
優先順位を決めて、幾つかの作業をこなしている間中、吉田家のネコチャンズには完全無視された。
冬のシーズンに入ってから、一度も煙突掃除をしていないから、そろそろ溜まったススにストーブの火種が引火して火災が発生するかもしれない。煙突掃除は1年ぶりくらいのことだから、それなりに緊張しながら固定パーツなどを外していたら庭先の電線へスズメが1列に止まって私のへっぴり腰の鑑賞会を開いていた。
買い物袋一杯ほど溜まった煙突掃除の残骸を土間に置いておいたところにワイフが気づいたのだろう・・・ネコチャンズのマッタリシーンを送ってくれて、電話で慰めてくれた。
ボクの力作ネコチャンズ椅子が使ってもらえているようで、少し幸せになれた。

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ブックカバーの1冊 

2017/02/06
Mon. 14:47

写真のブックカバーは、私の愛する娘達(もちろん、長男もワイフもそれにネコチャンズも愛してますよ!)からの誕生日プレゼントである。
文庫本仕様だから単行本は今までのように何かの包装紙を裁断してカバーを作っている。

私の場合、読書時間の90%はゴロリと寝転んで片手の親指と小指でページを広げて、ほかの指で角度を調整しながら、肘を支えにして手首の調節で文字を追いかけている。
最近は、単行本が次第に重く感じるようになった。
特にハードカバー仕様はその重さと頑丈さが障害になって近年遠ざかっている。
それに、何年も前から新刊本を本屋さんで買うことも無くなった。
年に数回ほど古本屋さんで買いあさり、チェックを入れ、Amazonで検索して中古本が1円になることをひたすら待ち続ける。
読んだ中古本は、適度に溜まったところで下取り放出をする。
本によっては1円にもならないものもあるが、本棚の肥やしにしておいてもしょうがないから、そのまま処分してもらう。
まれに、何年か時が経ったあとで、昔読んだ同じ本を無性にもう一度読みたくなる時があるが、そういう時は、迷わずAmazonで1円の中古本を検索する。
時々そんなことを繰り返していたら、気がつくと吉田家の数カ所の本置き場へ同じ本が別々に並んでた・・ということもあったりする。
それでも、せいぜい合計500円にもならないから、「新刊本を1冊買うよりは安いのだ!」と、自分のミスを正当化してしまったりする。
読書好きだったり、文学に傾倒される諸氏にとっては、私のような読書システムなどもってのほかで憤懣おさまらないとこであろう。

そんなふうな、だらしない読書をしていても、一向に値段が下がらなかったり、むしろ中古本になって値が上がったりするような本もあったりする。
あれは、今から1年くらい前のことだったろうか?まだ2年までは過ぎていなと思うが・・私のスキな安西水丸氏絡みの本が新刊文庫本仕様になったことがある。タイトルが「雑文集」で村上春樹さんの本だ。確か、単行本が出た時は、まだ安西水丸さんはお元気だったと思うが、思い間違いかもしれない。
その「雑文集」なる本の文庫本化を心待ちにしていて今に至ったわけだ。
だいたい、文庫本など、発売されてブームが過ぎれば市場がこなれて1円価格で安定供給に入ったりすることが多いので、その雑文集もそれをひたすら待ち続けていたのになかなか1円にならない。そろそろ、安西水丸さんの4〜5回目の命日も近いし、出来たらそれまでに「あの本を読んでおきたいなぁ〜」という気持ちが次第に強くなって、その気持を抑えることができなくなってしまった。
そこで、遂に思い切って、今年に入って数十年ぶりに、栞もあるし帯もある新品の文庫本を買った。確か、800円はしたような気がする。
今、それにブックカバーしてチビチビ読んでいるが、なかなか勉強になっていたりする。
村上春樹さんのことは何処が良いのかどうもわからないこともあるが、安西水丸さんの引合せで村上春樹さんの知られざる奥深い一面に触れている気もする。

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肝っ玉ワイフ 

2017/02/05
Sun. 23:42

石見銀山の町並みへ出ると、小雨が降っていた。
雪のカケラもない風景を見るのは久しぶりのことだ。

午前中の用事が終わったらワイフと二人で出雲まで出かけようと、昨夜寝る前に予定を決めておいた。
特に大事な用事があるわけでもないが、たまには意思の疎通も大事なことだ。
年が変わってから石見銀山やワイフの周辺の現状や、吉田家家族でオヤジ抜きの会話もそれなりにあっただろうし、まぁ、色々な出来事の情報交換も大事なことだと思ってのことだ。
出雲までの往復で車の中での会話が出来るというより、そのくらいのことしかやることもないし、後はどちらかが運転でどちらかが助手席で寝てしまうくらいのものだ。

ワイフは東京生まれの東京育ちで、その上、学生の頃にはほぼ私と結婚することも決まっていたから、正式な社会人として就職を経験することもないお嬢様のまま島根県で暮らすようになった。
私がUターンで、彼女はIターンということで、それが今から約35年ほどまえのことになる。
帰省した当時は仕事の関係で転勤族だったから、それから5回の引っ越しをして今に至っている。
私の信条として、仕事をさせてもらっている場所で住み暮らすことで、その地域の公私を含めたさまざまな付き合いも深まるし、良し悪し含めて地域の事情も見えてくるし、そのうえ自分たちの暮らしぶりや人柄も知れ渡るし、そういう、もろもろ悲喜交交の付き合いを共有しながら仕事をさせてもらうことはとても大事なことだと思っていた。
引っ越しが多かったのも、そういう理由があったわけだが、一方で、私と一緒に島根のアチコチを移動しながら、引っ越しのたびに一人ずつ子供を産んで都合4人の子供を育ててきたワイフの方は、それこそ生活の全てで必要に迫られて地域の付き合いが深まって、気がつけば私など足元にも及ばないほど島根県にどっぷりと浸かった島根県人として堂々と生きるまでになっていた。

私の留守の間にワイフワールドになった吉田家のテーブルで、ワイフへの委嘱状を見つけた。なんと、今では地域の民生委員や児童委員を仰せつかっていた。それに、まちづくりセンターの運営委員長とか、保育園の役員とか、やたらとたくさんの役職を抱えながら、その上石見銀山周辺の中学校3校をかけもちでの美術時間講師まで引き受けている。
携帯電話を持っているのに、何時電話しても出てこない不携帯状態だったり、たまに帰る吉田家が何時も留守状態だったりして、なかなか連絡が取れないことがやたらと多いのもわかる気がする。
そんな忙しい時間の間隙を縫って彫刻も制作しているわけだから大したものだ。

出雲の往復は濃厚な会話の時間になった。それに夕食の砂肝アヒージョも絶品だった。
改めてワイフの偉大さを確認した1日になった。

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奥出雲のマニアなメンバー 

2017/02/04
Sat. 23:59

何か色々あったけど、葬儀が終わった。
坊主家業を続けていると、1年に数回は反応の場が読めない仏事があって、自分の坊主経験の浅さに落ち込んでしまう事がある。
今回も、2月に入って間もないのにそういう状況が巡ってしまったようだ。
こういうことをいつまでも悶々と引きずっても事態が好転するわけでもないので、気持ちを入れ替えて万善寺を留守にすることにした。
そんなわけで、久しぶりの完全フリー無住職を過ごしている。

告別式のようなお葬式が終わって、お斎の膳も終わって坊主解散して、万善寺に帰ってから、セッセとフリー無住職坊主に向けての準備をした。
次の目指す先は、昨年お世話になった島根県奥出雲町を基地にして活動する音響プロオヤジの事務所兼倉庫兼スタジオ兼たまり場兼ボクの仮の宿。

例の、倉敷森山オリジナル焙煎珈琲と、その周辺の道具一式を結界君へ積み込んで万善寺を出発した時は、すでに午後の1時を過ぎていた。途中。幾つかの用事を済ませて事務所前の駐車場へ結界君を乗り入れたら、音響オヤジがタイミングよく出迎えてくれた。
早速、彼の自慢の薪ストーブの、概ねボクの定位置へ落ち着いて、森山珈琲の深煎り焙煎をミルにかけた。若干怪しげな珈琲を飲みながら、しばらく音響さんとマッタリマニアックなオヤジ談義をしていたら、奥出雲の土地っ子怪しげなオヤジがもう一人加わった。
そこで、3人のオヤジ談義で盛り上がっている間に、いつの間にか時は過ぎ、ボクのささやかな造形絡みの用事で連絡をしていた本人が近所まで来ているということで迎えに行って、それで都合4人となった。
この4人目の本人は、私の長男とドッコイの年齢で、美術家である。
幾つかの事情がダブリあって、作品展の出品仲間になったから、そのための出品作品の事前打ち合わせで都合つけた次第。
森山珈琲のマッタリとした香りに包まれながら、世間のことや趣味のことや、もちろん珈琲のことなどの会話に、造形の工夫や、方向性や、表現力のことなどアレコレ私なりの考えをけっこう真面目に話したりしていたら、奥出雲のコダワリ蕎麦屋のお兄さんが彼女とやってきてこれで6人になった。

土曜日の夕方にここまでマニアなメンバーが集まったら、普通だとアルコールに流れてしまいそうなところだが、一方では結構真面目な造形のアレコレの話になっているし、一方ではマニアックな音響絡みの話題で盛り上がっているし、そこに蕎麦屋のお兄さんの熱い熱い地域活性の会話が絡んだりしてくると、もうそれらの流れに身をゆだねるすべは一杯の美味い珈琲とその香りしかないだろうというわけで、それから後は、それぞれの限りなく身勝手な音の話題や香りの話題や造形の話題や文化活性の話題が絡み合って際限がなくなってしまった。
そんなわけで、石見銀山の吉田家へ到着したのは夜の9時少し前。
ワイフは、お風呂に入っていて、猫のシロは土間へ締め出されて寒さに震えつつフニャフニャ泣いていて、クロはストーブのぬくもりに包まれながらマッタリしていた。

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雪駄がない 

2017/02/03
Fri. 22:54

通夜の夜は、万善寺頭上の星や月が今にも落ちてきそうなくらいすぐ近くで瞬いていた。
珍しく風もない2月の冷えた空気が冬空いっぱいに広がって、山陰の島根県の飯南高原は快晴だ。

坊主の必需品の雪駄が無くなってしまって苦労している。
気がついたのは1月の寒波がやってきた頃だった。
冬の間は長靴に改良衣という、なんとも奇妙なボウズスタイルで過ごすことが多いから、特に気にもとめないまま時が過ぎていたのだが、葬儀となるとそれなりの坊主らしい最低限統一性のあるファッションをキープしておかないと軟弱坊主がより軟弱に見えてしまうので、本気になってセッセとあちこち雪駄をさがし始めた。
寺に無いし結界くんにも見当たらない。
「ひょっとして、石見銀山の吉田家かも知れない・・・」
ふと、そんな気がしたので、荼毘のお経が終わって火葬場から改良衣に長靴スタイルのまま石見銀山へ直行した。

銀山街道から石見銀山の町並みへかけて、もう春がきたのかと錯覚するほど周囲の色彩が春めいて見えた。
吉田家の木戸を開けて土間へ入っても肌寒く感じない。
飯南高原の万善寺とここまで差がつくものかと、ワイフとネコチャンズの暮らしがうらやましくなった。
こうなったら、一日でも早くに万善寺の庫裏にしがみついている母親を見捨てて吉田家へ帰らなければいけない・・・というより、「帰りたい!」

テーブルいっぱいにワイフの世界があふれていて、私の痕跡は、かろうじて「吉田正純」宛の郵便物くらいしかない。
少し前の電話でワイフが、
「そうそう、コーヒーが届いてたよ。なんか袋に色々書いてあったけど・・」
そんなことを話していたのを思い出して、ワイフワールドを物色して、やっと深煎り焙煎のコロンビアとエチオピアを見つけた。
袋を持っただけで湧き上がってくる香ばしい香りが心地よい。
思わず雪駄のことを忘れてしまいそうになったが、気を取り直して当初の目的を物色するも、ついに見つけ出すことができなかった。
ある意味、雪駄のために片道40分の距離を往復したことは燃料の無駄以外の何物でもない結果となったが、一方、美味そうな倉敷森山珈琲を見つけ出すことが出来たわけで、その希少価値を加味すると、徒労や無駄は相殺できた気がしないでもない。
今まさに、通夜のあとの一杯の珈琲を入れてその香りに浸っているところだ。
明日はほぼ告別式といってもよいほどの略式葬儀がある。
喪主さんはじめ地域の事情もあるから仕方がないと割り切って粛々と乗り切るしか無い。
どうやら、今日の天気は明日まで続いてくれるようだ。
それだけでもありがたい・・・のだが・・・雪駄がない・・・どうしよう・・・

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予定変更 

2017/02/02
Thu. 23:36

先日、出雲へ出た時に衝動買いしたベルギー産のチョコを、初午祭まで待てなくて味見してしまった。
ようするに、軟弱坊主は食欲の誘惑に負けて甘いものに手を出してしまって、その原因は倉敷の森山珈琲深焙煎を飲んでしまったことによる!・・・などと、また他人のせいにして我が身を守ったりしている・・・という、このいやらしいオヤジだったりする。
万善寺の3畳寺務所で珈琲飲んでマッタリしていたら、知らない間にそういう状況にハマってしまったりしてしまう訳だ。

このところのブログネタは、延々と万善寺のことや雪のことばかりで、自分のひらめきとか発見とかワクワク感とかがまったく無い。
「立春が過ぎたら、彫刻家の吉田に変身するぞ!」
しばらく前からそういうふうに自分の気持を切り替え始めていて、やっと、モヤッとしていたスケジュールが具体的になり始めたところだった。
その区切りの一つに、母親の通院日程を組み込んで、雪の状況とか参道の具合をチェックしながら、一方で最近やたらとしぶとく超元気な我儘自己虫母親を牽制しながら適度に負荷を与えつつ過ごしていた。
その通院が本日で、昨夜から雪がぱらつき、夜半から明け方は星が降るほどの晴天になり、もう最悪の雪が積もってガチガチに凍った放射冷却の朝になってしまったのだ!
仕方がないから、鉄の先が尖ったスコップを持ち出して参道の氷をカキ砕いて結界くんを無理やり境内まで上げたら、彼の軟弱なFRPバンパーがグニャリと曲がったりして、なかなかイラつく通院になった。

母親を病院へ預けて自分の用事を済ませていたら、電話が鳴った。
いつもは1年に1度も会話がないほどのお檀家さんからで、とてもイヤな予感がした。
やはり、的中で、大正13年生まれのお母さんが亡くなったとのこと。
時間の調整をして枕経を読んでから葬儀日程を打ち合わせした。
節分から立春が面白いほどピタリと見事に重なった。
実は友引が重なったりしていたから内心ビクビクしていたが、自治会の世話人さんは見事にスルーしてくれて助かった。
気がつけば、密かに温めていたボクの彫刻計画があっけなく崩れ去ってしまった。
自分にとっては坊主も外せない仕事のうちだから、仕方がないことなのだが、それにしても、日頃の付き合いが全くないお檀家さんで、それも亡くなったお母さんの方は、年に1度の棚経でもお話をしたことがなかったりして、坊主は坊主なりに複雑な心境の枕経になった。

夕方から、仮通夜で出直して、1時間ばかりしっかりとお経を読んで、日頃お寺参りの皆さんに少しずつ積み重ねてお話している仏教のアレコレから幾つかをまとめて、少し長めの説教とも言えない「今さら聞けないお経の話」なる講釈を垂れておいた。
週末から3日間はすでに予定を決めて連絡しあっていたことが幾つかあったのだが、それのキャンセルやら日程変更やら、夕食後は慌ただしい夜になって、今になった。

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2月の坊主 

2017/02/01
Wed. 20:56

もう2月になってしまった・・・
万善寺のことばかりで1月が終わってしまった。
まぁ、世間的には住職坊主だからそれもアタリマエのことでしかたがない。

2月というと、節分があって立春になってそれからしばらくあとに初午祭があって、だいたいその頃までは雪が続く。
絵に描いた梅雨のように毎日降り続くわけでもないが、1日のうちに一気に天候が変わって青空が見えていたと思ったら、横殴りの雪になったりすることもそれほど珍しいことではない・・・といっても島根県では飯南高原を含む一部の山間部だけのことだろうけど。

午前中は、地域の檀信徒さんへ万善寺の法要ご案内と立春大吉札を配布するための事務処理で終わった。
昔からの習慣を死守している母親が、鮮度のない一昨年の古米を炊き続けていて、昼食だけでもそれを食べないと延々しつこく「食え食え」が続くから、米を食べざるを得ない。
誰がどう考えても、普通に「ご飯」として食べられるしろものでないから、万善寺暮らしでお昼ごはんが一番苦痛だ。
あのお釈迦様は、布教中のある村で、誰が見ても歴然と腐ったご飯の施しを受けて、それを断ることもなくありがたく食されたそうだ。それがもとで体調不良に陥って、そのうち歩くこともできなくなって臥せったまま数日後に入滅されたそうだ。
お釈迦様くらいになると、自分の命をかけてでも施しをありがたく頂戴されたわけだが、修行も中途半端な限りなく俗人のナンチャッテ坊主はとてもそこまでの根性も度胸もない。
とにかく、炊飯器の中で黄色く炊き上がった米をコンソメとハーブと塩味で徹底的にごまかしたおかゆに改変して、それに卵まで落としてひたすら胃に流し込んだ。

昼食が終わって、飯南高原から、広島との県境を越えたあたりまで檀信徒各家をぐるりと巡回した。保賀自治会も含めて62軒総距離約100kmを約2時間かけて一周りしていると、途中で何回か吹雪に遭遇した。おまけに下腹がシクシク痛くなり始めてトイレに行きたくなったりして、気を紛らわせるのに苦労した。
思い出したくなかったが、やはりあの昼食のせいかもしれない。

日陰に残った雪にタイヤをとられてスピンしそうになりながら健気に走り続ける結界くんがとても頼りになった。
地蔵さんの近所へ帰った時はすでに夕方だったが、最近は日が長くなって参道も凍るまでにはまだ間があって助かった。
防水スピーカーでスパ・ジャズを垂れ流しながら、身体がふやけるまで入浴したら少し落ち着いた。
夕食はお昼の残りがまだあって、気持ちが滅入ったが仕方がないし、それなりに頑張って食べたものの、完食までには至らなかった。
3畳に落ち着いて、深煎りの珈琲を挽いた。部屋中に香ばしい香りが広がった。

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2017-02