工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

♫Can't help falling in love with you♫♫♫ 

2017/03/29
Wed. 15:31

月額1000円弱で、世界の音楽聴き放題!・・・というのは、高校生の頃からのエア・チェック派としてはヨダレが出るほど美味しいサービスだ。
延々とこもりっぱなしでデスクワークをしている時など、時々の気持ちの振り幅で聴きたい楽曲選り取り見取りというのがとてもありがたい。

特別本気になってマニアックに何かとか誰かとかを追いかけているわけでもないが、気になる曲が巡ってくると、フッと我に返って集中していたデスクワークが一瞬で遠ざかっていく。
かえって、そのくらいの方が自分のミスに気づいたり、物事の整合性がチェックできたりして、随分助かっていることも多い。
その、気になる曲が流れている間は、固まった身体をほぐしたり、冷え切ったコーヒーをすすったりして小休止する。
年中こういうことを繰り返しているわけでもないが、この度のように、なにかの申請書や報告書を作成したり、つい数週間前のように確定申告をしていたりする時は、まぁ、似たり寄ったり音楽漬けの暮らしが続いている。

先日も、2晩くらい使って約1時間位のキース・ジャレット絡みのオリジナルジャズアルバムをプレイリストに仕立てた。
キース・ジャレットは、クラシックのアルバムも幾つかリリースしているから、今度ヒマができたらそちらもチェックしてみようと、今のところそう思っているが、時間が経てば日常の慌ただしさに紛れてそのうちそんなことも忘れてしまうのだろう。

そんなわけで、今少し気になっているのは・・・
たとえば、ショーン・メンデス。彼はキーポンも気に入っているようで、何かの用事で移動している時にしばらく一緒に聴いていた。
その少し前(といっても、もう1年くらい前からだと思うが・・)は、チャーリー・プース。比較的飽きもこないし、かるく聞き流せるので、少し間を置いては何度も繰り返しながらアルバムを聴いている。彼はノッチも好きなようで、彼女もアルバムをiPhoneへしまっているらしい。次のアルバムが楽しみだ・・が、コケなければいいけどなぁ〜・・
それこそ、1ヶ月ほど前の確定申告の最中に再発見したのがピンク。彼女の楽曲はやたらとCoverされていて、ひところはそちらのイロイロなアレンジで聴くほうが多かったが、改めてオリジナルのアルバムを何枚か聴いてみると、これが最近のオヤジにハマった。
変わったところで云うと(・・というと叱られそうだけど)Kiiara。EP1枚聴くと、もういいかと思ってしまうところもあるが、なんとなくキャッチーなところがあって耳につくので、時々思い出したように聴き返している。
Kina Grannisはネイティブかアジア圏の血が入っているような気もするキレイなオネイサンで、YouTubeで見つけた。あの、エルビス・プレスリーのCoverでCan't help falling in loveがなかなか良い感じで、最近のボクの癒しになっている。
〜・・・♫Can't help falling in love with you♫♫♫・・・〜
結界君を運転しながら、般若心経から引き続いて口ずさんだりしていたりする。

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雨男の運 

2017/03/29
Wed. 12:07

毎週火曜日になると冬に戻ったように寒くなる。
2月の頃からそういう周期が定着したように規則的に繰り返されて、すでに3月も終わろうとしている。

前夜から降り始めた雨は吉田家の薄いトタン屋根を嫌というほど激しく叩き続けていたが、それが早朝まで続いて、それで、またその火曜日がやたらと冷たい雨になった。
飯南高原では、その冷たい雨に氷の小粒まで混じっていた。

もう1ヶ月以上続いている七日務めがまた巡ってきて、1周間がアッという間に過ぎる。
先週末から、報告書の最後の追い込みに入って、雨音を聴きつつ一気にそれを仕上げた。
インターネットラジオからは、(たぶん??)カル・ジェイダーの軽めのラテン系ビブラフォンが流れているが、雨音がうるさくて聴き取りにくい。
ビブラフォンというと、ミルト・ジャクソンが好きでMJQをよく聞いていたから、その演奏は「彼でないことは確かだ!」と確信した。

1日のスケジュールに、報告書の提出も繰り入れて、午後から松江の県庁へ回ることにした。万善寺の近所を2軒ほど回って、それから松江へ向かおうと思っていたが、出かける前にそれでもと思って「今日のスケジュールは?」とワイフに聞くと、
「別に・・午前中の予定も無くなったし、何もないよ」
「たまには、松江に行かない?あのコロッケもしばらく食べていないし・・」
「わかった。じゃぁ、昼過ぎ出発ね♡!」
何時になくあっさり決まったものだから、飯南高原の万善寺業務を早めに切り上げて、石見銀山へ引き返した。
それから、仲良く二人で松江へ向かったのだが・・・その後、思わぬ展開が待っていた。
↓メールからの抜粋です
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さて、報告書の件についてですが・・・
(中略)
諦めきれないで周囲まで捜索範囲を広げて見ました・・・といっても、田舎のことで何もないとことばかりですが・・
それでもと思って、側溝を覗いて移動していると、グリーチングの下で何やら四角い白いものを見つけました。
水量も多いし取り出すのも大変なのでそのまま諦めることにしました。
かなりショックでしたが、ひとまずは見つかったので悪用されなくて助かりました。
そんなわけで・・・またはじめからやり直すことになりました。
(後略)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
上記内容で、経緯をご想像ください・・・
年度末の〆が、次年度に繰り越してしまいそうな状況となった次第・・
最近の雨男は、あまりにも雨にフィットしすぎて「ウン」が流されてしまったようです。

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いつの間にかもう日曜日 

2017/03/26
Sun. 09:03

保賀地区の最終常会が終わったのは夜の9時を過ぎていた。
それから1年間の納会が始まるから、盛り上がれば午前0時を過ぎることになるだろう。
私は、3月の年度末の用事もあるから、常会が落ち着いたところで早退した。

まだ三十五日を過ぎたばかりで、6・7日も来ていないのに49日の法事をした。
施主さんの都合だから仕方のないことだけど、坊主としてはなんとなく収まりの悪い法事に思えて、今ひとつ気持ちが滑ってしまう。

倉敷児島から搬出関係の事務連絡が入った。
引っ越しの時期でトラックレンタルも出来ないし、なかなかスケジュールが決まらない。
児島にはワイフやノリちゃんも彫刻を展示している彫刻の仲間でもあるし自分のことでもあるから、もう少し親身になってスケジュールの調整へ積極的に加わって欲しいが、二人とも他人ごとと決め込んでいるようで話題の一つも返ってこない。
いつものことだから、特に気にもかけないで自分の都合を優先して乗り切っている。
なにごとも、スタートの時点ですでにだいたいのお膳立てが整ったところから自分の都合を振り分けるようなコトを繰り返していると、あとになって苦労するのは結局そういう楽をしている連中だということもそろそろ気がついてほしいものだ。

銀山街道を結界くんで移動している時は、ひたすら運転をしているだけのことだし、脳味噌の方はヒマにしているから、イロイロアレコレ考え事ばかりしている。
それから、法事などの仏事の前は般若心経を繰り返して発声練習をしたりもする。
最近の法事は朝が早くなりつつあって、どうしても声が出にくい。音楽は好きな方だと思っているが、カラオケでガンガン歌うようなタイプでもないし、どちらかといえば日頃は声帯を使うこともなく無口を通してコツコツ彫刻制作に励んでいる部類に属している人間にとっては、約2時間近い法事のお経はとってもとっても疲れてしまうのだ。

移動の途中で思いついて、東京での一人暮らしが本格的にスタートしたキーポンへ電話をしてみた。水は出るけどお湯が出ないと言っているから、きっとガスの元栓が閉まっているのだろうと直ぐに気づいたが、今までの彼女は何事もだいたい前準備が出来てからあとに絡んでくることばかりだったから、そういう単純なことにも気が付かないままでいたのだろう。そのあたりは、何処かの誰かと似たようなものだ。それでも、彼女なりの対応策も考えていて、特に不自由はしていないようだし、まぁ、こうやって少しずつ一人暮らしが普通になって慣れていくのだろう。
なっちゃんは、高校から一人暮らしをはじめて何度も引っ越しを繰り返しているベテランだし、ノッチも高校から親元を離れて暮らしはじめて、海外暮らしも含めてトランクひとつの引っ越しには慣れているし、そういうお姉ちゃんたちが近くで暮らしているから、キーポンはかなりの幸せ者だ。

帰宅して夕食を始めたのは22時を過ぎていた。
ウエブニュースを見ていたはずなのにいつの間にか寝ていて、気がついたら朝になっていた。例のごとくクロに起こされた。

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キーポン一人暮らしスタート 

2017/03/24
Fri. 22:29

ワイフの新しい赤い中古車(名前は知らない)は、なかなかスグレモノだった。
キーポンの引越荷物を一回で全て積み込むことが出来た。
お母さんの収納タップリ新しい赤い中古車。
お父さんの念入りな引越荷物の梱包。
それに、キーポンのプロ並みの確かな積み込み技術。
吉田家3人の華麗なる連携プレーが実に見事だった。

島根の何時も彫刻運搬でお世話になっている運送屋さんへ持ち込みして、キーポンが別便で移動して現場待機。予定の時間ピッタリに引越荷物が到着して、アッという間に荷降ろし完了。
厳重にラップでぐるぐる巻きにした布団などの梱包を解いたりさり気なく整頓したりして、残るはオヤジ手造りのコタツを組み立てるくらい。

お父さんもお母さんも島根での用事があってキーポンの引っ越しに付き合えなかった。
中学校から高校を卒業するまでの6年間を吹奏楽で過ごしたから、年に何度となく楽器の積み込みで引っ越しのような重労働を経験していたことがこういう時に役立ったようだ。
部屋にはエアコンもあるが、ホームセンターの格安電熱器を取り付けたオヤジ制作のコタツの方が若干電気代も安いだろうから、まずは木ねじでコタツを組み立てるところから彼女の一人暮らしがスタートした。
プラスのドライバーが必要で、アチコチ探した挙句、ヨドバシカメラでグッドデザインのドライバーセットを買ったようだ。こういう工具が一組あるだけでも日常の暮らしが随分楽になる。なかなか良い買い物をしたと感心した。
久しぶりにワイフと二人水入らずで夕食をとっていたら、キーポンから絶え間なくLINEの着信があった。その中に、部屋の様子や組立ったコタツの写真が送られてきた。
フローリングを傷つけないように応急処置で鉄製の足に梱包で使ったラップが巻きつけてある。なかなか良い思いつきだ。
吉田家の自宅では、一日中ゴロゴロして何もしなかったナマケモノが、こうして一人になると結構こまめに立ち働いて色々とやりくりしているようだ。

急な仏事が次々と入って、予定の仕事が後回しになって苦労している。それでも、やっと少しばかり先が見えるようになって、来週早々には関係各所へ提出できそうなところまでになった。
今週末には、保賀地区自治会の年度末常会もある。
4月に入ったら、倉敷児島のイベントへ設置してある彫刻を搬出することになる。それが終わったら、万善寺法類の遷化された東堂さんの本葬があって、それから1ヶ月後には、新命住職の晋山式がある。近所の寺では弘法大師の縁日法要で塔婆回向をすることになるし、憲正さんの3回忌もある。アッという間に春が過ぎて梅雨になりそうな勢いだ。
梅雨が終わる頃に長女のなっちゃんの結婚式がある。そろそろ衣装合わせなどしているようだが、和服にドレスに和洋折衷神仏混合なんとも現代日本らしい披露宴になりそうだ。

その頃にはキーポンの一人暮らしも慣れて落ち着いていることだろう。

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石見銀山小春日和 

2017/03/22
Wed. 19:33

昨日は冬が戻ってきたような寒い1日で、晩酌も日本酒の熱燗にしたくらいだ。
冷え込んで寒いからシッカリとシュラフにくるまって寝ていたらどうも寝苦しくて目が覚めると、石見銀山の町並みはすでにほんのり明るくなり始めていた。
気がつくと、クロが私の足元で丸くなって寝ている。寝苦しさの原因がわかった。

銀山街道はいつも以上に朝もやが濃い。
多分、この様子だと今日は暖かく春らしい1日になるだろうと予測しながら結界君を走らせた。
2月のはじめから続いていた七日務めがやっと大練忌(49日)を向かえる。
すでに法事の方は少し前の親族が集まりやすい頃合いを日程に組んで終了している。それでも、正規な満中陰は、それはそれで大事な意味もあるし、施主さんの都合に不具合がなければ菩提寺として区切りのお経をあげさせてもらうことにしている。
お経が終わってから、お仏壇の荘厳を整えて、香華灯明などの配置や湯茶仏飯などのお供えのことなど、ひと通りお話をさせてもらった。

「お昼は何時くらいになるの?」
珍しく自宅を出る時ワイフが聞いてきたから何事かと思っていたら、夕方出発の高速バスでキーポンが上京するのだという。アパートも決まって、これから引っ越しや職場の社員研修の日程のこともあって、本格的にキーポンの一人暮らしがスタートする。
これで吉田家の子供たちが全て社会人になった。
出発前のお昼ごはんは何が食べたいかと聞いたら、「お母さんのつくったハンバーグ!」ということになって、家族水入らずの昼食にするために私の帰宅時間が気になったようだ。
あいかわらず、ワイフのハンバーグは絶品だった。何処かのファミリーレストランよりズッと美味しい。調子に乗って2個も食べてしまった。

駐車場でレシート太りした財布からお札を2枚引き出して手渡した。
多分、上の子供たちにはそんなこともしなかったはずだ。やはり、なんだかんだ云っても末娘は可愛いものだ。もちろん、他の子供たちもそれぞれ可愛いのだが、オヤジもそれなりに歳をとってジジイになったということなのかもしれない。

母娘を見送ってから、クロと一緒にしばらくストーブに暖まってボォ〜っと過ごした。それから、気持ちを切り替えてコタツ兼用のデスクとその周辺(つまりコタツの周囲)へ書類を広げた。それからキース・ジャレットのマイ・アルバムをシャッフル再生した。そのリストにはワイフの彫刻タイトルになっている「Birth」も入れている。
ゆったりしたバラードが心地よい。
ワイフは日常であまり音楽を聴かない。テレビが大好きで目覚めると直ぐにテレビのスイッチを入れる。彫刻の制作中もテレビがつきっぱなしだったりしている。結局耳にも目にも入っていないのだろうから、どうせだったらイメージの膨らむ音楽でも流しながら制作したほうが彫刻のレベルアップになる気がするんだけどなぁ・・

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オヤジ道中記〜ラムの焼肉〜 

2017/03/21
Tue. 15:45

最近数回続けて同じ夢を観た。
だいたいの夢は、目覚めて気がつくといくら思い出そうと頑張っても、その内容のカケラも思い浮かばないほど忘れてしまっている。そんな自分が、自分の見た夢を覚えているということは非常に稀で珍しいことなのだ。

まだ小学校にあがったばかりくらいの少年が、山羊の乳で造ったプリン(だと思う)を食べている。
プリンの容器は、小ぶりの磁器雑器の煎茶茶碗が代用されていて、それを小さな菓子皿に伏せて何度かイジイジと揺すったりしていると、中のプリンがプルンとお皿に出てくる。形は煎茶茶碗がひっくり返ったというか、皿に茶輪を伏せた感じ。それを、大量生産のプレス型で打ち抜いて整形した安っぽいステンレス製のスプーンでスクって食べている。スプーンの形に切り取られた断面の端っこが粘っこく伸びて、やがてちぎれて欠けたプリン本体がしばらくのあいだ皿の上でプルプルとゆれている。その様子を見ながらスプーンをパクリと咥える。独特の生臭くて野性的な味が口の中に広がる。なかなか旨い。
それが延々とリピートされるという夢なのだが、そのプリンの味まで覚えているというか感じているというか、とにかく、プリンを食べるという行為のその一連の状況を現実の出来事のように鮮明に記憶している・・・という、ある意味奇妙な夢を何故か連続して観た。

銀山街道を往復している時に、その夢のことをふと思い出した。なぜプリンの素材が山羊の乳なのか?なぜその山羊の乳なるものの味を自分が覚えているのか?そして、そのプリンを食べている少年は間違いなく自分自身だということ。
古い記憶を手繰ると、保賀の谷の林道を登っていった先にある家で山羊を飼っていたということと、小学校の下校途中にまだ現在の国道が出来る前の昔の砂利道だった国道脇にある掘っ立て小屋に捨てられていた子山羊を見つけて、かわいそうだからと約1kmの距離を寺まで抱きかかえて帰った(結局飼うことはできなかった)ということを思い出した。
それらの出来事は吉田少年にとって、成長の過程の通過点の些細な出来事くらいのものだったのだろうが、山羊というキーワードからは、その程度のことしか心当りがなかった。

東京で半年ぶりにノッチと逢って飲んだ。
昨年に帰国してから、そろそろ1年になる。やっぱり生身の娘と飲んだりすると、時々思い出したようにSNSの会話で盛り上がる程度の距離感が、一気に縮まる。この1年近くの間に大人のオンナになった気がした。色っぽくなったと云うより、分別のある社会人になったと云う印象だ。傍目にはいつまでも落ち着かなくてプラプラ気儘にその日暮らしをしているように見えるかもしれないが、父親としては、親娘の距離が少し遠くなったように感じて、それが彼女の人格の成長だと錯覚したのかもしれない。
彼女が池袋のお店を予約してくれて、ラムの焼肉をたらふく食べた。実に美味かった!
「あっ!ヒョットして、山羊のプリンの夢のネタ元はラムの焼肉かも知れない!」
一瞬、そう思ったが、山羊と羊は、まぁ似ているといえば同類のようなものだろうけど、まさかそれと夢とが重なったとも思えないし・・・なぁ〜・・

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正福寺再中興大和尚遷化 

2017/03/20
Mon. 23:59

東京では都立美術館の展覧会が、飯南高原では万善寺のお彼岸が、それぞれ終わった。
これで、吉田の春の大きなイベントを乗り越えた感じだ。

石見銀山の吉田家を8時に出発した。
石見銀山の町並みから出てすぐに結界君の燃料が少ないことに気がついた。1週間位前から少しずつ油価格が値上がりしはじめて、給油1回で5000円を越えるようになってきた。
49日までの七日務めが結構財布に響く。下世話な話だが、七日務めにお布施が出ないことが多い。飯南高原あたりだけのことかもしれないが、こういう地域オリジナルに近いような慣習は、坊主にとってかなり厳しく生活費を圧迫する。一般の各種職業のように、必要経費と割り切って別途請求するのもはばからられるし、現実はなかなか厳しい。
春彼岸の法要は、15名弱のお参りを頂いた。
毎年のことだし、万善寺オリジナルカレンダーにも年間行事が記載してあるから、とくに改めてご案内する必要もないことのはずなのに、万善寺お檀家様各位は彼岸仏事にあまり関心がないようだ。それぞれ各家でお墓参りくらいはしていただいているものとささやかな願いを込めて法要をおつとめした。

今年は先代住職の憲正大和尚3回忌の法要がある。
昨年は、記念事業として憲正さんの墓石と舎利棚殿を建立し1周忌を厳修した。
今年は、永代供養塔を建立し、ひとまず、憲正さんの報恩仏事として3回忌を厳修する。
これらの事業は、お檀家さんとは一線を画してすべて現住職である吉田正純とその家族で取り仕切る。本来は、万善寺運営役員会で協議してもおかしくないほどの大事業であると思うが、人の頭の数ほど人の考えも口もあるから、そういうことでモタモタするのも性に合わないし、ひとまず自腹を切って5カ年計画くらいで借金を返せればいいかなくらいに思っている。それでも、総額は高級な新車が1台買えるほどのかなりのものになるし、いつまでたっても家族に辛い思いをさせてしまって心苦しい。

上野の都立美術館へ彫刻搬入と展示が終わったのを見ていたように、万善寺法類(親戚寺)から訃報が入った。憲正さんの弟弟子に当たる東堂(住職を引退された前住職)さんが遷化(死亡)されたという。
生前の憲正さんは、何かとその弟弟子の方丈さんを頼っていた。私も、ついつい甘えて頼ってしまったりして随分お世話になっていたし、現住職さんには、憲正大和尚遷化以来本葬に到るまで葬儀仏事全てを取り仕切ってもらって随分助かった。
展覧会のオープニングから2〜3日は都立美術館の会場へ出かけようと思っていたが、急きょ取りやめてとんぼ返りした。それでも、枕経には間に合わなかった。
翌夕方からの通夜から引き続いて密葬、荼毘、拾骨までお付き合いさせてもらった。

新聞を読まなくなって久しいが、彼岸法要にお参りの檀家さんから、島根の地方紙にその東堂さんの本葬日程が掲載されていたと聞いた。
憲正さんの本葬は檀家葬で散々にお世話になっているから、おかえしも兼ねて、せめて万善寺檀家役員の皆さんくらいは万象繰り併せて参列して貰いたいものだが・・・

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オヤジ道中記〜キーポン卒業〜 

2017/03/20
Mon. 03:18

東京から帰って以来、毎日改良衣や大衣を着ていて、1日中帯を締めない坊主の自由服で過ごしたのは久しぶりのことだった。
その日はキーポンの卒業式であり、石見銀山にある今では全国でも珍しい昭和の木造校舎が現役で使用されている大森小学校の卒業式でもあった。

吉田家は、私が学校評価委員なる立場で、ワイフが民生委員なる立場で、毎年それぞれ式に来賓招待されていて、どんなに都合が悪くてもだいたいどちらか一人がやりくりして出席をさせてもらっていた。それが、今年はキーポンの卒業と重なってしまって二人して欠席になってしまって、とても残念なことだった。
全校児童20名を下回る大森小学校の卒業式は、少ない児童数だから出来る対話式の演出がされていて、それがとても感動的だ。
世間で常識的な代表の送辞答辞がなくて、1年生から6年生までの児童一人一人が自分の思い出を大きな声で発表し、まるでミュージカルのような全員の合唱に続く。
卒業式や入学式がない年も時々あるような極小規模の小学校だから、子供も大人もよけいに練習に力が入って、濃縮されて熟成された夢のような世界が木造の体育館に満ちる。
吉田家の4人の子供たちは全員その大森小学校を卒業して、このたび、最後の末娘が同じ日に卒業式を迎えることになったわけだ。

早朝に石見銀山を出発して、雪の大山を横目で見ながら少し余裕を持って鳥取の倉吉へ着いて、お世話になっていた学校の寮へ挨拶に回ってから卒業式の会場へ向かった。
倉吉は昨年に大きな地震があって、いまだにその後遺症が残っていて、アチコチでブルーシートの屋根が目につく。地震の直後は市内の給食センターが機能しなくなって、急きょ、キーポンの通う学校の調理室を開放して急場をしのいだということだ。余震も頻繁で学園祭も中止になって、急きょ帰省することになったキーポンを迎えに行った時は、歩道のインターロッキングが液状化現象で波打っていた。あれから約半年後にその同じ場所を通過すると、あの時のことがウソのように改修されて元の風景に戻っていた。
倉吉には彫刻の作家も暮らしていて、地震からあと、なかなか連絡がつかないままでいたが、先頃やっと消息が確認できて少し安心した。

卒業式に続いて謝恩会やクラスのお別れ会などがあって、その間ワイフと二人で車中待機した。私は、多分こういうことになるだろうとおおよそ予測してデスクワークの準備をしておいたから待機時間が全く苦にならなかった。
日本海へ沈む夕日の見えるパーキングまで移動してAppleMusicでラムゼイ・ルイスのアルバムを見つけてiPhoneからBluetoothで飛ばして垂れ流しながらラップトップをつついた。昔は「なんて軽くてつまらんジャズだ」なんて思っていたが、今はそうでもないし、むしろ懐かしく感じたりする。歳をとったせいかもしれない。

キーポンが助手席へ滑り込んできたのは夜の10時を過ぎていた。それから石見銀山まで約2時間半。自宅前の駐車場に到着した時はすでに日が変わっていた。
ほぼ一日中座りっぱなしで見事に足がむくんだ。

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オヤジ道中記〜東京都立美術館〜 

2017/03/18
Sat. 12:39

隔年開催の春季展へ先週のはじめに彫刻の搬入をすませたのに、もう搬出の日が迫っている。その搬出の方は、島根県彫刻界の新進気鋭ホープ作家周藤豊治氏が行ってくれる。

私にとって春の展覧会は、公私を含めて日程の調整がとにかく難しい。
作品発表の場が東京の美術館に集中することが多いから、島根県のように東京から1000km近く離れていると、こうして、何人かの同好の士が周辺にいてくれないと、年々歳を取る一方のヨレヨレ彫刻家としてはとても彫刻制作や展覧会を継続できるものではない。

最初の展覧会らしきグループ展に誘われて銀座のギャラリーへ作品展示させてもらったのが、確か22〜23歳の時だった。
その頃は、強い意志を持って何かしら作品発表を継続しようと決めていたわけでもなかったが、気がつけば毎年何かしらの展覧会らしき作品発表が続いていて、結局、この歳になるまでしばしも絶えることなく制作を続けることが出来ていた。
もう、ここまでくると自分のライフワークの一つと踏ん張ってみるのも良いかもしれない・・・と、具体的にそう思うようになったのは2010年の春だったと記憶している。

石見銀山が世界遺産認定登録されたのは2007年だったはずだ。
その2〜3年前から周辺がとにかく騒がしくなって、昼夜公私を問わず、何処かで何かの世界遺産認定に関連した会議とか説明会とか研究会とかイベントとかが開催されていた。
石見銀山のど真ん中で、それなりに緩やかなスケジュールをこなしつつ、つつましく静かに彫刻の制作や発表を続けていた私も、いつの間にか流行性感冒の熱に感染したかのように世界遺産の熱に飲み込まれてしまっていた。
それまで、普通に楽に石見銀山町内の好きなところへ彫刻を設置させてもらっていた(もちろん、地権者の承諾を得てのことだけど)し、町内で美術の展覧会が出来ていたのに、急に文化の規制が厳しくなって彫刻家の住みにくい町になった。
規制の根拠としては、過去の文化遺産を保存し後世に伝えるうえで、個人の文化活動が時代考証や地域文化伝承の妨げや弊害になる可能性が高いと判断されたわけだ。
個人の文化活動は趣味の延長とか大衆の文化祭くらいに留めておけばそれが妥当だくらいにしか認識されないことへのいきどおりを強く感じた。
彫刻の制作で、彫刻のかたちを借りて自分の今を表現させてもらっている私としては、そういう、一部の硬直した官民一体のまずは世界遺産保全ありき的不透明で希薄な寄生虫のような管理体制に対して、あくまでも自分の彫刻表現で抵抗するしか無いと決めて、現代彫刻小品展を石見銀山で立ち上げたのが2010年だったわけだ。

都立美術館がリニューアルオープンして、久しぶりに彫刻展示を手伝わせてもらった。
学生時代からお世話になっている思い出深い美術館だったが、ほとんど変わらない外見に対して、あまりにも大きく様変わりした管理システムには驚かされた。
美術館という器は、やはりそこに美術芸術表現をもって参集する作家の資質に、毅然として、且つ包容力を持って対峙するくらいの度量が欲しい。
石見銀山しかり都立美術館しかり、担板漢的類友の衆には心底疲れる・・・

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オヤジ道中記〜シェーキーズ〜 

2017/03/17
Fri. 20:04

吉田家の子供たちは長男を除いて、すべて関東で暮らすことになった。
長女は結婚して埼玉県人になった。
次女は今のところ東京で暮らしているが、また何処かへ移動するかもしれない。
三女は先日職場が決まったばかりで、その近所で暮らすことになった。
何故か、長男は島根県が好きなようで県内のアチコチをウロウロしている。ヒョットしたらそのうち石見銀山へ帰ってくるつもりでいるのかもしれない。
まぁ、そんな感じでひとまず私とワイフの波乱の子育て人生が一段落したと思っている。

キーポンは、就職先が決まってからあと配属先が不確定のまま時が過ぎていたのに、都合良くというか、運良く(または運悪く・・)というか、ちょうど私の彫刻搬入展示終了を狙ったように職場決定の連絡が入って、その流れで一緒に家探しをすることになった。

吉祥寺を彷徨いていたらシェーキーズを見つけた。
シェーキーズというと、18歳で上京して東京暮らしをはじめてから「ピザ」なるものを産まれて初めて食したのがシェーキーズだった。
あまり正確に覚えているわけではないが、確か最初に入ったのは新宿のシェーキーズだったと思う。お店のドアを開ける前から賑やかなデキシージャズが漏れ流れていた。それまで、食事をしながらデキシージャズの生演奏を聴く機会などなかったから、ピザの味も含めて何もかも全てが初体験で、身も心も震えた。
誘ってくれた友人が勧めてくれたフライドポテトはスパイスタップリでホクホクで確かに美味かったし、当時はフライドチキンもメニューにあったはずだ。
一人暮らしの貧乏学生には、しょっちゅう出入りできるお手軽な店でもなかったが、それでも何かの節目だったり、アルバイトの給料日だったりすると、周囲の何人かで誘い合って生バンドのステージ2回ぐらいは長居をしていた。
マクドナルドも上京して18歳の春が初体験だったし、吉野家の牛丼もそうだった。そうそう、ハンバーグは昼バイトを始めた喫茶店のランチタイムではじめて食べた。
とにかく、田舎の山寺で生まれ育った少年は、18歳を過ぎてはじめて食した食べ物が他にも上げればキリがないほど山のようにあったことになる。
いまだにこの年齢になってもジャンクフードが大好きなのは、その頃の食体験があまりにも衝撃的であったからかもしれない。

吉祥寺のシェーキーズは、さすがに時代の流れを感じた。それは、スイーツのような具材のピザが増えたこと。新宿の頃のサラミとかイカ・エビの海鮮とかハムトマトとか、そういう、ある意味定番ピザのようなトッピングが少し減ったような気がする。
それに、客層が変化したようにも感じた。これは吉祥寺という土地柄のことも影響しているかもしれないが、(良く言えば)少し個性の強そうなオジサマとかオバサマがお一人で来店されること。そういう方が隣の席に座ったりすると、純朴な田舎者のチキンオヤジは少々ビビる。
それはさておき、なにわともあれ、いまだにピザというと、やはりあの薄くてペタンとした生地のアメリカンクリスピーピザが一番好きだ。

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オヤジ道中記〜上野の餃子〜 

2017/03/16
Thu. 23:51

石見銀山でもみぞれが降るくらいだから、夜のうちからかなり冷え込んだ。
このところ、いやに規則正しく1週間毎に冬型の気圧配置が巡ってくる。
それを待っていたように、万善寺の仏事や彫刻の用事が重なってしまって、雨男や雪男に変身しながらときどきの用事を粛々と片付けている。

ボクの結界君は、すでにスタッドレスタイヤを脱いでいるから、ワイフの新しい中古車トヨタ(車種名はまだ覚えられていない)を借りて飯南高原へ向かった。
銀山街道のいつものあたりで道に雪がたまり始め、周囲は一面雪景色に変わった。
3月のこの時期に降る雪は水分をたくさん含んでいてすぐ消えるから、それほどおおごとになることもないのだが、この近年続いていた暖冬に自分の身体が慣れてしまっていて、久しぶりに巡ってきた平均的な冬気候へ順応できないでいる。

吉田家は、キーポンの引越し準備と、ワイフの年度末資料の数々と、焚きつけの廃材と、洗濯物の山と、若干のネコチャンズグッズが散乱して、足の踏み場もない状態である。
私の方は、相変わらず落ち着かなくて慌ただしい毎日を過ごしてはいるが、基本的に暇なことに変わりなく、1日に2〜3時間くらいの家事時間を確保するくらいは簡単なことで、部屋の片付けくらいは直ぐにできるのだが、我が家の女性方からのそういう依頼は皆無に近い。理由は簡単で、ようするに私に片付けを任せてしまうと、「何処に何を片付けたのか分からなくなるから嫌なのヨ!」ということで、とにかく「自分の都合で勝手にアチコチ触らないで!!」と、まぁだいたい叱られてしまうから、乱れまくった吉田家の現状をひたすら見て見ぬふりで過ごしているところだ。
たぶん、それもあと少しの辛抱で、キーポンの引っ越しが終われば、今よりは若干改善できて平和な日常が戻るはずなのだが・・・その時が来てみないとなんともいえない。

先日の上京の折に、都立美術館の搬入が終わったあと、手伝ってくれたキーポンと上野公園を御徒町方面へ下って、京成上野駅の不忍池側にある蓬莱閣で昼食をとった。
蓬莱閣は、学生の頃からの思い出深い中華料理店で、上野界隈の用事があって、お昼時に時間の余裕がある時は、不思議とそのお店に足が向いてしまう。
店の様子は、レジの場所からテーブルや椅子の種類や配置まで30年以上も前から全く変わっていないし、メニューも同じように思える。
「この椅子、すごくグラグラ揺れるんだけど」・・・そんなことを言っているキーポンも、すでに何回かこの店で五目そばや餃子などを食べている。
唯一、昔と違うのは料理の味。少なくても、私が確認できているだけで4回は味が変わっている・・・ということは、料理人の代替わりがあったということ。
学生の頃に食べていた蓬莱閣の餃子は、他のどの餃子とくらべて別格だった。
あの頃は、小さめサイズの餃子が6枚皿に乗っていた。その後、巨大な餃子が3枚になって、また小さめサイズ6枚に変わって、今回は大きめサイズ6枚が皿に乗って出てきた。
そのたびに餃子の味が違っていて、それはそれで仕方がないことだし、不味くて食べられないわけでもないし、むしろソコソコ美味しかったりもして、納得もできる・・が、やはり、何と言っても学生の頃に食べた初代餃子はなんとも美味かった。

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オヤジ道中記〜プロローグ〜 

2017/03/15
Wed. 19:16

こんどの冬シーズンは、いやに正直で真面目に寒気団が繰り返して南下してくる。
そのたびに飯南高原では雪が降って一面白く染まる。
1週間前も南下した寒気に悩まされて東京の展覧会に向けて準備していた色々なことがつまずいた。幾つかの不具合もあって心身ともにかなりダメージを受けたが、とりあえず展覧会の展示までは終わらせることが出来た。
相棒の結界くんも、若干のオイル漏れに苦しみつつ良く健気に頑張ってくれて、無事に上野の都立美術館往復約1800kmを走破してくれた。

東京で就職が決まったキーポンが一足先に上京していて、その流れで配属先も決まった。
父親としては、そこまでは「良かったよかった!!」と目出度いことで浮かれていたのだが、研修も終わって美術館の展示を手伝う予定だったキーポンが結局遅刻した。
慣れない東京で、山手線に乗り間違えたのだろうくらいに思っていたら、指定銀行へ口座を作ったり、配属先周辺の最寄り駅とソコから徒歩10分以内の圏内で◯◯円以下の宿舎を探せとかなり厳しい条件を提示されて、指定業者さんへ連絡したりしていたらしい。

もう、半世紀近くも前のことだが、一応ワタシも東京暮らしを経験しているから、こんなオヤジでもいないよりはマシだろうと、急きょ宿探しへ付き合うことになった。
お彼岸が終わるまでには住む場所を決めて、家財道具などの引っ越し搬入を済ませておかなければいけない。職場の事情もあるだろうが、個人の事情は完全に無視された状態で容赦がない。もっとも、思い返すとそういえば私の場合も似たようなものだった。

吉田家の上の3人の子供は、もう少し楽に余裕があった気もするがよく覚えていない・・というより、あの頃は私自身も務めに拘束されて身動きがとれなかったから、子供の方ではじめから父親を抜きにしてコトを進めていたのかもしれない。そうすると、末娘のキーポンはそれなりに楽をしているのかも知れないが、いずれにしてもやはり、こういう時は身内や親に頼るしか仕方がないことだから、ワザワザこちらからシャシャリ出るつもりもないが頼られるうちはできるだけマメに付き合おうと思っている。

今更どうでも良いことだが、「ブログ」の定義をウィキペディアでチェックしたら、「ログ」とは「記録」という意味で、Web上でLogするWeblogが略されてBlogになったようだ。
私がそのブログなるものを始めたのは2010年の1月からだった。
その頃はまだ島根の片田舎に暮らす自分の周辺でブログ記事を公開している人は殆どいなかったと思うが、それからアッという間に世間へ広がって、またそれからしばらくしてツイッターやフェイスブックが登場して、少し前からLINEが加わって、還暦を過ぎたジジイとしてはとてもややこしいことになってしまった。
私自身は、自分の備忘録的データの記録として、とても都合よくブログを利用させてもらっているが、この度のように日々の記録が追いつかなくなってしまうと、途端に幾つかの時間軸に狂いが生じて収集がつかなくなってきた。
多少前後するが、記憶が薄れないうちに根気よく先週の出来事を整理しておこうと思う。

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早朝の富士山 

2017/03/14
Tue. 15:13

数少ない(たぶん、それなりに暇な)吉田ブログ訪問者の皆様・・・お久しぶりでございます。

吉田本人は、この1週間がクソ(失礼!)忙しくしていて、アッという間に過ぎてしまった・・・と思っていた。
とにかくこのブログが存在するのも、限りなく暇に過ごすひとときが1日のうちにだいたい1〜2時間くらいあるからダラダラとほぼ毎日続いているだけのことだから、いつものことなら、その無駄な時間も無いほど忙しいことなどありえないことなのだ!・・・と思って、1週間を振り返ってみたら、何のこともない、結局、ただひたすら結界君を運転して、バカバカ飲み食いして、グースカ寝て、「腰が痛い」とか「膝が痛い」とか「目がかすむ」とか「ムネヤケがする」とか文句ばかりたれて、気がつけば2〜3kg太ってしまっていたという、なんともいつも通りの自堕落な生活が過ぎていただけのことだった。

さて、ことの始まりは・・上野の東京都立美術館で隔年開催される春の展覧会へ彫刻の小品を制作して搬入出品するという、彫刻家吉田正純の一見計画的と思えるだけで実態は無計画この上ない行動だった。
それは、ボクの身勝手な勘違いからスタートした・・・
「マッチャン(ワイフのこと)、東京行きの予定決まった?」
「ワタシ仕事があるから行けないよ。あなたが彫刻搬入してくれるんでしょ?」
「えっ??キーポンも一緒に東京行くんでしょ?彫刻も積むからシート3人分確保しなきゃいけないし・・・」
「キーポンは、研修があるから先に出かけるよ。ワタシは仕事休めないよ!ネコチャンズもいるしね♡!」
「えぇ〜〜??そぉ〜なのぉ〜〜??」

上野へ出発の朝は、七日務めを3軒回った。
島根県の飯南高原は前の夜から今年何個目かの寒気が入り込んで雪が降っている。
片道1000km弱を走ることになる結界君へ、少し前の春めいて暖かな日にノーマルタイヤを履かせたばかりだし、またしても雨男ならぬ「雪男」パワー全開となってしまった。
その日は、何時もだったら2時間もあれば十分の用事が昼から2つほどあって、それを済ませながら東へ向かうことにしていたが、雪のお陰で予定がドンドンずれ込んで、確定申告の後半はワイフに託すことになった。
島根県や鳥取県をはじめとして、東京までの降雪地帯の道路情報を検索しながらルートを決めて、石見銀山の自宅を出発したのは結局夕方近くになってしまった。途中で共同搬入の彫刻を積み込んで、申告の結果を気にしつつひたすら広島県へ南下して雪のチラつく中国山地を越えて一安心。あとは、山陽道から吹田を経由して新名神へ入って新東名へ抜けた。早朝の富士山を観て少し元気が戻って、首都高から上野の都立美術館搬入ゲートへ到着したのは、9時30分を少し過ぎた頃だった。
彫刻を降ろしているとキーポンが手伝いに駆けつけてくれた。
キーポンは、就職も決まってこの春から東京で働くことになる。

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彫刻の抽斗 

2017/03/06
Mon. 09:25

構想350日の彫刻をそろそろ造り始めようと、完成予定日の15日くらい前から準備し始めていたら、万善寺の用事が次々に入り込んで、見事に出鼻をくじかれてしまった。

自分の今までの彫刻家人生で唯一、展覧会出品をドタキャンしたことがある。
あれは、島根県へUターンしてまだ5年と経っていなかった頃だったと思う。
先代住職の憲正さんは、50歳を過ぎた頃に大病を患ってそれ以降の生涯は、常に何かしらの病気と付き合いながら通院と入退院を繰り返しながら無理をしない程度に住職を続け、結局90歳近くまで長生きをした。
私は、その憲正さんの初期の大病を契機に東京暮らしを切り上げた。
島根の仕事に落ち着いて、「さぁ、そろそろ制作を再開しようか!」と準備をはじめて何年かアレコレと造形に取り組んでいるうちに気持ちが彫刻に傾きはじめて、それこそ、今回のように構想◯◯日を過ぎて材料の準備も整って、あとは実材にとりかかろうという頃合いを見計らったように憲正さんが手術することになって、そのドタバタでどうにもこうにもいかなくなって、ワイフと二人して制作を断念した。
当時の展覧会事務局などで忙しくしていた新進気鋭の彫刻家へ、その旨を伝えたら、「そういうことも想定して、幾つかの彫刻を造りタメておくくらいでないとダメだね!」と軽く一括された。
どんなに工夫しても都合の付かない事情はいつどんな時にどういう形でやってくるか予測不能だ。そういう事態に備えて、あらかじめ幾つかの善後策を用意しておくくらいの余裕が大事だと、痛感した。
同じ間違いは二度としないように気配りをするようになってから現在まで、幸いにも自分の個人的な事情で展覧会のドタキャンをしたことは無い。

私に付かず離れず寄り添って彫刻を造り続けているワイフも、最近は彼女なりのペースを組み立てて制作に取り組んでいる。
搬入の日時が迫ってくると、吉田家の二人の彫刻家はそれぞれがそれぞれの事情で日常をやりくりして制作を続けることになるわけだが、さすがに今回の私は、次々に予期せぬ出来事が巡ってきて思わず挫折しそうになった。
それでも過去のドタキャンの時の一括があった御蔭で、何かの時の彫刻を幾つか造り貯めているから、ずいぶんと気楽でいられる。

今回の新作彫刻は、急きょ当初の制作予定を変更して、メインテーマにつづいて用意してある幾つかの系統から一つを選んで直感的に形を造り上げた。
知人の彫刻家から、「吉田さんは幾つかの抽斗を持ってるね。それも必要なことだよね!」と指摘されたことがあるが、まさにその通りで、まぁ、次の個展でもする時のテーマにでもいなればいいなと密かに溜め込んでいるへそくりのようなものが入った抽斗の一つを開けさせてもらった次第。
構想350日の彫刻は、ひとまずその系統の抽斗の方へしまっておくことにした。
時々中を覗いたり引っ張り出したりしながら、次の制作の機会を待つことにする。
今日中にワイフの彫刻が完成するはずだ。明日は搬入に向けて島根を出発する。

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小品彫刻完成! 

2017/03/05
Sun. 07:13

先日、法事でお経が終わったあとに、少しほど仏教のお話をさせてもらってからお茶を頂いていたら、おくさんがいやにあらたまって「チョットご質問があるんですが・・」と身を乗り出された。
なにか込み入った話だと長くなりそうだなと思いつつ、にっこり笑って(顔が若干引きつっていたかも知れないが・・)「ハイハイ、なんでしょう?」と話を促すと、
「実は、実家が浄土真宗なんですが、私がまだ小さいときに家族で本山参りをして私の法名を頂いたそうなんです。禅宗の家へ嫁に入った私は、その法名をどうすればいいんでしょう?」
・・・なるほどそういう話かと、少し気楽になった。
この手の話というか、質問を時々受けることがある。

私の場合は、ひと通りお話を聞かせてもらって、大きな問題がなければだいたい次のように答えている。
「ハイ、それでは、法名さんを戒名さんにさせていただいて構いませんよ。あなたがそれで良ければ??」
ひとまずは、そのくらいのことで話題を濁しておくと、それなりに安心されるのだろう、だいたいどなたも表情が少しほど柔らかくなって、ホッとされるようだ。

万善寺は、その起源が尼子系の郷士にあったようだから、浄土真宗の信者でもあった毛利家の侵略にあっても、改宗をしないまま現在に至ったようである。
戦国の世の古い頃のことだから、農閑期になると領地を奪い奪われる小競り合いがはじまって、農繁期が近づくとお互い休戦協定を結んで田畑の仕事に従事するというような、武士と百姓が混ざりあった暮らしをしていたのだろう。
そんな連中の領地争い程度のことで、宗派の違いが絡まった宗教戦争に発展することもなかっただろう。
毛利さんの方が少しほど偉かったのかもしれないが、自分の領土を増やしつつ、一方で侵略した先々のお寺に乗り込んで坊主相手に改宗を迫った様子が伺える。ようするに、何かと口うるさく、話の上手い坊主の口を塞いでおけば、その寺周辺の庶民もおとなしくなるし、土地を治めるには都合がいいと云うわけだ。
広島県から島根県の山間部一帯に浄土真宗の寺が多いのも、だいたい毛利さんの勢力圏に重なっているから、当たらずと云って遠からず・・といった気もする。
厳密に難しく云えば、法名と戒名はその意味が違うから使い回しをはばかられることでもあるが、坊主本人が心得て飲み込んでおけばそれで十分だと私は思っている。

工場で彫刻を造りながら、そんなことを思い出していた・・・というのも、今度、島根県の県境を越えて浄土真宗さんの多い広島県のお檀家さんへ法事で出かけるからだ。
坊主家業をボンヤリ思いながら仕事をしていたら、あと一歩のところで溶接の手順を間違えるところだった。その1つのミスで制作時間が一気に伸びる。実に危ないところだった。
気を取り直して、集中し直して、夜の9時過ぎ、無事に小品彫刻が完成した!

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ひな祭りの日本海 

2017/03/04
Sat. 08:36

絶不調ながら、自分の周辺で流行中のインフルエンザではなさそうなので、それなりに不幸中の幸いということで片付けてはいるものの、不調であることには変わりなく、頭もシャンとしないし身体も思うように動かないしするので、なかなか思考がまとまらないまま、彫刻を見切り発車することにした。

石見銀山のバイパスを走っていたら、T字にぶつかる脇道から2台の乗用車が本線へ出ようと一時停車していた。
目の端にそれを確認しながら運転していると、最初の1台がかなり強引に結界君の前に入った。それに釣られたように、2台めがフラフラと本線に入りはじめてくる。
誰がどう考えても、このままだと完全な衝突事故になる。
結界君は、年期の入った平成時代初期の貨物車で、かろうじてエアバックを装備しているもののABS装置など搭載していない。
その脇道は、ちょうど大きなカーブの頂点あたりで本線に合流している。
私の方はハンドルを少し右に切っているし、このままブレーキを踏むと自分がスピンしてしまいそうでヤバイ!
とにかく、2度3度と断続的にブレーキを踏みながら後続車へ事態の異変を知らせつつ道の真中で停車した。
脇道からフラリと出てきた乗用車は、ニットの帽子を目深にかぶってオシャレな細縁のメガネを掛けたおばさんだった。
彼女の視線は進行方向から左に向いたままで、左へ曲がる気満々。
本線を右から走ってくる車などあるはずが無いと、確信しているふうだ。
ここで、怒りに任せてクラクションを鳴らすなどしてら、そのおばさん完全にパニックになってその後どうなるかわからないし、それも面倒だから、とにかく冷静にピクリとも動かないで眼前の事態が回避できるまで待つことにした。

その後、何事もなかったようにことごとく行く先々私の前を走り続けた乗用車は、町道の四つ角で停車したままなかなか動かなくなった。どうかしたのかとイライラしながら後ろで待っていたら、しばらくして右から1台の車がやってきて目の前を通り過ぎた。
そのおばさんは、今度は随分遠くから走ってくる車が通過するのを待っていたようだ。
あぁいうドライバーが一人いるだけで、どれだけの人間が迷惑していることだろう。
場合によっては、本人の知らないところで何台もの車が事故に巻き込まれているかもしれない。

それでなくても、体調が思わしくない上に、無駄に気疲れしてしまった。
素直に工場へ行く気になれなくて、そのまま日本海を目指した。
玉石採集をしているいつもの海岸は、直前に漂着物の清掃を済ませたようで、ゴミの山が駐車場の周囲へうず高く積み上げられていた。
見渡す限り玉石の海岸だったひところに比べるとかなり砂浜の面積が広がっていた。
見た目には春が近づいているふうだが、まだまだ北西の風が強い。
波が玉石の間際まで打ち寄せている。

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四寒三温 

2017/03/03
Fri. 09:30

島根の私周辺は、まだまだ三寒四温というより四寒三温状態で、結界君のスタッドレスタイヤをいつ取り替えようか、判断を悩みながら毎日を過ごしている。

息子の言うことを「聞かない」というより、「無視」して自分の我がままを通し放題の母親が近所の診療所へ通院するので、寺まで迎えに行った。
境内は、屋根から落ちた雪が圧雪の山になっている。
母親は、少し暖かくなって春めくと、鉄のスコップを持ち出してその山を崩しているようで、庭のアチコチにその痕跡が残っている。90歳を過ぎてなんとも元気がいい。
一方、30歳も若い息子の私は、岡山の往復や倉吉からの引っ越しや、先日の吉田家前駐車場の整備などで体力を消耗した上に、万善寺周辺で葬儀がたてつづけに3つもあったものだから、完全に体調を崩してしまった。
2〜3日前から、調子が思わしくないなぁと感じながら無理をしていたら、遂に、昨日になって弱っている身体へ風邪が入ってしまったようだ。
飲み残しの風邪薬をワイフが探してくれて、それを飲んだら一気に睡魔に襲われて、気がつけば一夜明けた次の朝・・つまり本日の今だった。
食欲もないし、喉や鼻の奥にジワリと違和感があって、それに肉体疲労の節々の痛みも加わって、起き上がろうとすると背中から腰へ激痛が走る。
オヤジの体調不良を敏感に悟ったのか、いつも夜になるとベタベタ擦り寄ってくる猫のクロが、昨夜は姿を見せなかった。

現在も、二枚重ねのシュラフにくるまってミノムシのごとくイジイジと蠢きながら彫刻のことを考えている。
搬入まであと4日しか無い。そのうち1日は法事が入っているから実質3日で何か形にしなければいけない。
体調が崩れるまでは、確信を持ってある形を決めていた。今は、それが見事に崩れて頭の中の形がモヤモヤとゆれている。
たぶん、工場へ行って材料の鉄板をみると、気持ちが定まって制作の道筋が決まって、あとはチョークのドローイングのラインへ気持ちを預けてしまえば、なんとか形になってくれるとは思うのだが、それを何時から始めようか、そのスタートで気持ちがゆれている。

2ヶ月以上吉田家を留守にしていたから、そろそろ薪の在庫が無くなってワイフがストーブの焚付に苦労している。
調子が思わしくないまま、それでもまだ少しは身体が動いている時に、もう何十年も使っていた古い整理棚を2つほど解体して焚付に回した。
バラバラにするのに半日はかかったかもしれない。
最近のビス止めの華奢な家具などとは比べ物にならないほど丈夫に丁寧に出来ていて、解体するに一苦労した。
今あれだけの整理棚を求めたら、いくらぐらいで買えるのだろう。それに気づいたのは丸鋸を入れてしまったあとだったから、モッタイナイことをしたと、ひとしきり後悔した。
それでもダンボールに5〜6個分の焚付が出来た。大事に使わせてもらおう・・・

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小春日和 

2017/03/01
Wed. 23:40

今、ラ・ラ・ランド(「・」打つのが面倒臭い・・)のサントラ聴きながら、キーボードをプチプチ叩き始めた。

ノッチが、劇場へ観に行ったらしい。
「あぁ〜、観たいなぁ〜・・」と思いながら、サントラ聴き始めたら、ニューヨーク・ニューヨークを思い出した。
あの映画は、当時、酷評とまではいかないものの、あまり良い批評をもらうことができなかったと記憶している。
監督は、「沈黙」のマーティン・スコセッシ。ダブル主演は、ロバート・デ・ニーロとライザ・ミネリ。
ライザ・ミネリは、ミュージカルのプロ(そういう例えがあるかわからないけど・・)のような人で、メチャクチャ歌うまいし、演技も外さないし、安心して泣けた。
ロバート・デ・ニーロは、サキソフォン奏者でビッグバンドの指揮者の役だったけど、演奏の指の動きが違和感もないし、もちろん演技も最高だった。
マーティン・スコセッシは、だいたいに癖っぽい映画をつくる人だと思っているから、ニューヨーク・ニューヨークも、普通のミュージカル映画以上の何かがあるだろうと、どこかしら期待しながら観た覚えがある。
映画館は何処だったかなぁ???新宿のピカデリーかミラノだったような気もするが、良く覚えていない。

あの映画は何と言ってもテーマソングに尽きるだろう。それに、劇場で観た人にしか味わえない古色感というか、1950年代ハリウッド映画全盛期のスタジオミュージカル映画が蘇ったような、一見あざとく見えるほどのバレバレ描き割りが逆に新鮮で、高架線を走る電車なんか最高だったな。

まだ学生の勉強中で、やっと専攻専科の実技を本格的に習得し始めた頃だった。
自分の将来がどうなるのか、まったく想像もつかないし、どちらかといえば不安で暗い毎日を過ごしてきた時期だったから、才能のこととか、実力のこととか、運の善し悪しとか、周辺の環境や理解とか、悩み始めたらキリがなくなって、1日のほとんどを何か気楽な方へ逃避していた。
映画も逃避の手段のひとつだった。どこかしら悶々とする自分に元気をくれているようで、たいした才能もない自分が、ひとまずはなにかしら造ることを諦めないで毎日を過ごせたのも好きな映画に救われていたからかもしれない。

このところ小春日和の良い天気が続いていて、寺との往復も気持ちがいい。
昨年から延々と続いていた上隣の住宅工事がやっと終わって、工事関係者の車や簡易トイレや廃材置き場になっていた吉田家前の駐車場が開放された。想像以上の長期工事のおかげで、ストーブの薪運びや薪割りが出来なくて苦労した。
これからは、駐車スペースを2軒で使い分けることになる。
半日かけて薪を整頓したり草刈りをしたりして駐車場の整備をした。

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2017-03