FC2ブログ

工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

正福寺再中興大和尚遷化 

2017/03/20
Mon. 23:59

東京では都立美術館の展覧会が、飯南高原では万善寺のお彼岸が、それぞれ終わった。
これで、吉田の春の大きなイベントを乗り越えた感じだ。

石見銀山の吉田家を8時に出発した。
石見銀山の町並みから出てすぐに結界君の燃料が少ないことに気がついた。1週間位前から少しずつ油価格が値上がりしはじめて、給油1回で5000円を越えるようになってきた。
49日までの七日務めが結構財布に響く。下世話な話だが、七日務めにお布施が出ないことが多い。飯南高原あたりだけのことかもしれないが、こういう地域オリジナルに近いような慣習は、坊主にとってかなり厳しく生活費を圧迫する。一般の各種職業のように、必要経費と割り切って別途請求するのもはばからられるし、現実はなかなか厳しい。
春彼岸の法要は、15名弱のお参りを頂いた。
毎年のことだし、万善寺オリジナルカレンダーにも年間行事が記載してあるから、とくに改めてご案内する必要もないことのはずなのに、万善寺お檀家様各位は彼岸仏事にあまり関心がないようだ。それぞれ各家でお墓参りくらいはしていただいているものとささやかな願いを込めて法要をおつとめした。

今年は先代住職の憲正大和尚3回忌の法要がある。
昨年は、記念事業として憲正さんの墓石と舎利棚殿を建立し1周忌を厳修した。
今年は、永代供養塔を建立し、ひとまず、憲正さんの報恩仏事として3回忌を厳修する。
これらの事業は、お檀家さんとは一線を画してすべて現住職である吉田正純とその家族で取り仕切る。本来は、万善寺運営役員会で協議してもおかしくないほどの大事業であると思うが、人の頭の数ほど人の考えも口もあるから、そういうことでモタモタするのも性に合わないし、ひとまず自腹を切って5カ年計画くらいで借金を返せればいいかなくらいに思っている。それでも、総額は高級な新車が1台買えるほどのかなりのものになるし、いつまでたっても家族に辛い思いをさせてしまって心苦しい。

上野の都立美術館へ彫刻搬入と展示が終わったのを見ていたように、万善寺法類(親戚寺)から訃報が入った。憲正さんの弟弟子に当たる東堂(住職を引退された前住職)さんが遷化(死亡)されたという。
生前の憲正さんは、何かとその弟弟子の方丈さんを頼っていた。私も、ついつい甘えて頼ってしまったりして随分お世話になっていたし、現住職さんには、憲正大和尚遷化以来本葬に到るまで葬儀仏事全てを取り仕切ってもらって随分助かった。
展覧会のオープニングから2〜3日は都立美術館の会場へ出かけようと思っていたが、急きょ取りやめてとんぼ返りした。それでも、枕経には間に合わなかった。
翌夕方からの通夜から引き続いて密葬、荼毘、拾骨までお付き合いさせてもらった。

新聞を読まなくなって久しいが、彼岸法要にお参りの檀家さんから、島根の地方紙にその東堂さんの本葬日程が掲載されていたと聞いた。
憲正さんの本葬は檀家葬で散々にお世話になっているから、おかえしも兼ねて、せめて万善寺檀家役員の皆さんくらいは万象繰り併せて参列して貰いたいものだが・・・

IMG_5668.jpg
IMG_5731.jpg
IMG_5762.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

オヤジ道中記〜キーポン卒業〜 

2017/03/20
Mon. 03:18

東京から帰って以来、毎日改良衣や大衣を着ていて、1日中帯を締めない坊主の自由服で過ごしたのは久しぶりのことだった。
その日はキーポンの卒業式であり、石見銀山にある今では全国でも珍しい昭和の木造校舎が現役で使用されている大森小学校の卒業式でもあった。

吉田家は、私が学校評価委員なる立場で、ワイフが民生委員なる立場で、毎年それぞれ式に来賓招待されていて、どんなに都合が悪くてもだいたいどちらか一人がやりくりして出席をさせてもらっていた。それが、今年はキーポンの卒業と重なってしまって二人して欠席になってしまって、とても残念なことだった。
全校児童20名を下回る大森小学校の卒業式は、少ない児童数だから出来る対話式の演出がされていて、それがとても感動的だ。
世間で常識的な代表の送辞答辞がなくて、1年生から6年生までの児童一人一人が自分の思い出を大きな声で発表し、まるでミュージカルのような全員の合唱に続く。
卒業式や入学式がない年も時々あるような極小規模の小学校だから、子供も大人もよけいに練習に力が入って、濃縮されて熟成された夢のような世界が木造の体育館に満ちる。
吉田家の4人の子供たちは全員その大森小学校を卒業して、このたび、最後の末娘が同じ日に卒業式を迎えることになったわけだ。

早朝に石見銀山を出発して、雪の大山を横目で見ながら少し余裕を持って鳥取の倉吉へ着いて、お世話になっていた学校の寮へ挨拶に回ってから卒業式の会場へ向かった。
倉吉は昨年に大きな地震があって、いまだにその後遺症が残っていて、アチコチでブルーシートの屋根が目につく。地震の直後は市内の給食センターが機能しなくなって、急きょ、キーポンの通う学校の調理室を開放して急場をしのいだということだ。余震も頻繁で学園祭も中止になって、急きょ帰省することになったキーポンを迎えに行った時は、歩道のインターロッキングが液状化現象で波打っていた。あれから約半年後にその同じ場所を通過すると、あの時のことがウソのように改修されて元の風景に戻っていた。
倉吉には彫刻の作家も暮らしていて、地震からあと、なかなか連絡がつかないままでいたが、先頃やっと消息が確認できて少し安心した。

卒業式に続いて謝恩会やクラスのお別れ会などがあって、その間ワイフと二人で車中待機した。私は、多分こういうことになるだろうとおおよそ予測してデスクワークの準備をしておいたから待機時間が全く苦にならなかった。
日本海へ沈む夕日の見えるパーキングまで移動してAppleMusicでラムゼイ・ルイスのアルバムを見つけてiPhoneからBluetoothで飛ばして垂れ流しながらラップトップをつついた。昔は「なんて軽くてつまらんジャズだ」なんて思っていたが、今はそうでもないし、むしろ懐かしく感じたりする。歳をとったせいかもしれない。

キーポンが助手席へ滑り込んできたのは夜の10時を過ぎていた。それから石見銀山まで約2時間半。自宅前の駐車場に到着した時はすでに日が変わっていた。
ほぼ一日中座りっぱなしで見事に足がむくんだ。

IMG_3692.jpg
IMG_3710.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

2017-03