工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

2017 現代彫刻小品展 in 奥出雲 

2017/06/30
Fri. 23:57

この2〜3日は梅雨らしい日が続いて洗濯物の乾きが悪くて困ってしまう。パンツの替えもチョット考えないと、ノーパンツで過ごさなければいけなくなってしまいそうな状態だ。かといって何日も下着を替えないで過ごすのも気持ち悪いし、なかなか厄介なことだ。
毎日の天気を相手に気をもむのもバカらしいことで、俗な自分をさらしてしまって、それでまた気が滅入ったりしてガッカリする。

さて、ひとまず滑り込みセーフで6月のうちに彫刻展の要項草案が出来た。
これから共催や後援や講師依頼など細かいところを煮詰めていくことになる。
今年は、春先に俊江さんの葬儀が入ったりしてスタートがかなりもたついてしまったが、やっと少しずつ色々な遅れを取り戻しつつある。これから1週間のうちに関係者宛書類発想ができるよう、あと一踏ん張り!・・・ってところだ。
だれか、ボランティア講師を立候補してくれないかなぁ〜〜〜・・・
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
              2017 現代彫刻小品展 in 奥出雲 (後援依頼)

 時下、皆様には益々ご健勝のこととお喜び申し上げます。
 さて、この度、標記展覧会を開催することになりました。多くの皆様にご鑑賞いただき、島根県内彫刻家をはじめ、全国で活躍する彫刻家の制作のはげみにしたいと思っております。非営利文化活動にご協力下さいますようお願い申し上げます。

                         記

名称     2017 現代彫刻小品展 in 奥出雲
主催     島根県現代彫刻振興委員会
共催     未定          
後援     奥出雲町/奥出雲町教育委員会他を予定
趣旨     広く彫刻制作を愛する作家と作品が島根に集い、彫刻とふれあう機会を拡充させ、彫刻を通
       して島根県の文化的活用を実践的に推進する。

会期     2017年 9月17日(日)~9月24日(日)(入場無料)
            9:30~17:00(休館日無し)但:最終日クローズは16:00予定
        搬入展示 9/16  搬出会場復元 9/25 (彫刻・備品搬入出は前後1週間を予定)
       1)現代彫刻小品展示
         内容:全国から集めた触れる彫刻を含む様々な素材の小品彫刻を展示公開する。    
       2)ギャラリー・トーク~触って感じる彫刻~
         内容:触ることの出来る彫刻を中心に、彫刻素材の材質や重さ、技法の違いなど、彫刻
            の仕組みを分かりやすく解説する。
       3)ワークショップ~ガラス絵の制作~(但:材料代・消耗品は受益者負担となる予定)
         内容:期間中会場へ彫刻の素材別にブースを用意して、講師彫刻家が制作指導し完成品
            は各制作者が持ち帰る。
参加者    1)小品彫刻展(触れる彫刻含む)島根県内外を問わず、作品を制作する彫刻作家 
        ※作家推薦を歓迎します。
       2)オープニング・ギャラリー・トーク 9月17日(日)予定
         対象:会場来場者    
       3)ワークショップ  9月17日(日)・18日(日)講師:未定
            素材別講師:やまにあプロジェクト予定
         対象:会場来場者
※但し、講師、内容などを予告無く変更する場合があります。ご了承下さい。

会場     会場 旧横田ガラス工芸館ホール  〒699-1832 島根県仁多郡奥出雲町横田1377-4 
連絡先     島根県現代彫刻振興委員会
      〒694-0305 島根県大田市大森町ハ176-1  吉田正純  
      Mobile:090-1688-7543 Tel/Fax: 0854-89-0365
      Eメール:tetujin29@gmail.com
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一人暮らし 

2017/06/29
Thu. 23:31

保賀の谷はなぜかカラスとセキレイがやたらにうるさい。
きっと、彼らにとって「気に障ることでもあったのだろう」・・・なんて思いはしたが、逆に良いことでもあったのかもしれないと思い直したりもして、まぁ、けっきょく私にはどうでもいいことだから気にいないことにした・・・ものの、本当に今日はやたらにうるさい。

奥出雲の彫刻展の依頼で出かけることになるし、週末は隣の寺の方丈さんの都合で法事代行をすることになったし、行動のほとんどで万善寺を起点にしたほうが無駄が省けるのでしばらく石見銀山の吉田家に帰らないで別居暮らしをすることにした。
もう随分前の法事で頂いた丸餅を冷凍してあるし、蕎麦の出汁付き乾麺も残っているし、別居中の食べ物に困ることもないだろうと、普通にいつもと同じように朝の支度をして出かけようとしていたら、「もう少し待っててぇ〜」と台所からワイフが叫んでいるので何事かと思いつつ、頃合いを気にしながら結界くんへ荷物を積み込んだ。
しばらくして、また台所の方で「少し留守が続くでしょ!?」というので、テーブルを見たらビニールの買い物袋が置いてあった。中を覗くと、麻婆茄子やカレールーや酢の物などのおかずとラップした食パンが数枚入っていた。
どちらかというと、自宅にいる時のワイフはボンヤリと無口なことが多いから、私の万善寺暮らしのこともそれほど気にしていないだろと思っていたのに、今朝のさりげない気配りは予期せぬ意外さもあって、かなりキッチリと感動した。
付き合い始めてからだと、ゆうに40年は経っていて、それでもいまだに新鮮な感動があったりする自分は本当に幸せものだと心底そう思った。

寺の庫裏の玄関を入ると、いつになく湿っぽくて昭和のすえた臭いが鼻を突いた。
あれだけモノを捨てて改修を急いだのに、一晩締め切っている間に一気に老夫婦の暮らしが戻ってきたようだ。さすがに60年の暮らしの積み重ねは1・2ヶ月で消えてなくなるほど軽くはない。ドタバタとアチコチの窓やドアや障子や襖などを開放して一息ついてからデスクワークへ入った。
外は絵に描いた梅雨のように雨が絶え間なくシトシト降り続いている。

共催や後援の草案書類を整えて、必要部数を印刷して、奥出雲町へ向かった。
総務から観光振興課から文化協会に商工会やケーブルテレビと広報活動を続けて、すべて
一巡したら夕方になっていた。
夕食の食材を買い込んで寺へ帰ると一気に汗が吹き出して身体がベトついてきた。
「やっぱり梅雨だなぁ〜」と納得しつつ、軽くシャワーを浴びて夕食をつくった。
そろそろ人生2度めの一人暮らしに慣れてきて、日常家事のカンが戻りつつある。
まず第一に気をつけることは、生ゴミをすぐに処分すること。
使った食器や食卓などの什器や道具は、必ずその日のうちに元の場所に戻しておくこと。
食材や調味料などの消耗品は補充の有無を確認しておくこと。
他にも風呂の始末や掃き掃除拭き掃除のタイミングなど、マメにチェックする。
ワイフがいたら「こんなことまずしないだろうな!」と自分のマメさが愛おしくなった。

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一本の電話 

2017/06/28
Wed. 23:35

大森小学校へ通う集団登校の賑やかな声が吉田家の前を通り過ぎたら、簡単にその日の荷物を準備して石見銀山の町並みへ出る。
万善寺への通勤坊主が最近の日課になっていて、「しばらく休んでいないから、たまには1日ゆっくりと映画でも観て過ごしたいなぁ〜」と、毎朝のように気持ちはそちらの方に傾いているのに、身体のほうが勝手に反応して出かける準備に入ってしまう。
今日もそんな感じで疲れの取れきらない身体を引きずるように結界くんへ乗り込んで銀山街道へ入った。
その頃はまだ雨も降らないでいたが、梅雨の雲は低く下がっていて、何時降りはじめてもおかしくない状態だった。

万善寺へ着くと、保賀の鳥たちへ朝ごはんを振舞う。
それから本堂や庫裏のアレコレをいつものように一巡し、朝のコーヒーを抽出する。
外仕事は絶えることがないので気長に取り掛かるしか無いが、デスクワークの一つ一つはそれなりの締切りもあるから、午前中はそちらを優先するようにしていて、そろそろそういう流れが出来て習慣になりつつある。
狭い部屋へ閉じこもってイジイジとデスクワークで過ごすのも気が滅入ってはかどらないから、業者さんが撤退してから後はテーブルを庫裏玄関の軒先に持ち出した。
開放感が心地よくて、周囲のノイズで煩いわりに集中が持続して、気がつくとお昼を過ぎていたりする。
ひとりメシをつくる時間の無駄が、かえって仕事の気晴らしにもなって都合良かったりもする。
坊主の営業は開店休業状態であるが、それもあまり気にならなかったりする。
こういう状態でいられるということは、それなりに贅沢であるのかもしれない。

現代彫刻小品点のデータをまとめていたら電話が鳴った。徳島の彫刻家松永さんからだった。久しぶりだったが、相変わらず元気そうな声だった。用事の電話ではあったが、それも確認程度のことで、世間話がほとんどだった。
最近の吉田は、彫刻家というより坊主家業にベッタリ浸かりっぱなしでいることのほうが多くなっているから、彫刻絡みの書類作成がなんとなく空々しくもたついていたところだったので、松永さんからの電話で彫刻の感を少し取り戻すことが出来た気がする。
会話の途中で、永代供養墓の自然石のコトが出てきて、「さては、松永さん・・ボクのブログを見たな!」と、ピンときた。
私の現状をつぶさに見抜かれているようで、ドキリとして「ヤバイ!」と思ったが、一方で彼のさりげない親愛の支援が伝わってきた。

いつもいつも、ダラダラとりとめもなくその日の出来事を垂れ流しているだけのことなのだが、たまに、松永さんのように行間をくみ取ってさりげなく励ましてくれるヒトもいて、心の支えになっているし、踏ん張っていられたりする。
ブログがソコソコ継続しているということは、まぁ、自分がソコソコ元気で正気でいられているということなのだろう。

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悪魔のように大胆に 

2017/06/27
Tue. 23:32

万善寺庫裏の水回りと、座板の工事がひとまず修了した。
だいたい1周間はかかっただろうか?その間、普通に法事はゼロ!
もうそろそろ6月も終わりになるし、早速水回りの請求も届いて、1ヶ月の収入を合計するまでもなく、完全なる大赤字となった。

先日、彫刻の企画を進めることで奥出雲町へ出かけた。
ちょうど梅雨らしく小雨も降って外仕事も休むしか無かったから、午前中に用事を片付けて午後から移動出来るように計画した。
まだ、その時は大工工事の最中だったから気がつけばすでに大幅に時間がずれて夕方になっていた。
奥出雲町へ窓口でお願いしているOさんと待ち合わせの時間を調整し直して、小雨の降る中国山地の山道を東へ急いだ。

Oさんとは半年ぶりの再会になったから、打ち合わせが終わってから濃厚で且つ他愛ない世間話になった。
そうこうしているうちに、鳥取県の西の端で制作を続けている平面の作家が訪ねてきた。彼女は島大の新井研究室を卒業していて、その後、学校の先生を続けながら絵画を描いている。
新井さんは、確か私と同じ年だったと思う。
最近の作風には、年齢を感じさせない軽やかでさり気なく清涼感が漂いつつも、ベースには混沌とした生臭さが見え隠れしていて、一度観たらいつまでも記憶に残る深みがある。
基本的に平面の作品だから、実材の持つ頑強な素材感からズゥ〜〜っと遠いところで造形表現が組み立てられている。彫刻のことばかりでモノを考えて悶々としている私にとって、彼の制作表現は観ていて飽きない。
彼女は、そういう師匠に師事していたからだろうか、どこかしら新井さんと似たような作風を感じて少々気になる存在である。
ただ今の彼女には、平面造形に昇華するテーマの立ち位置がまだ安定していないような気がしていて、造形の内側に内在する危機感とか緊張感を感じられないままでいる。

センスでモノを組み立てることに頼っている間は、どうしても客観的な表現の最終的な完成度が下がる。
作家歴の浅い時期は、完成度の低さをそのときどきの勢いとノリで凌ぎ続けて場数を踏むことも大事なことだが、それをいつまで続けるわけにもいかない。
ある時には、踏みとどまって踏ん張ることもしなければいけないし、それをするためにはテーマのベースをブレないものにしておく必要がある。
一方、あまりに一つの表現にしがみついていると、自分で気が付かないうちにその呪縛に捕まって抜け出せなくなっていたりする。観るものを圧倒する熱い表現が必要なこともあるが、やはり表現に大事なのはヒトの感動を引き込むくらいの求心力を持たせることだと、私は思っている。
黒澤明さん曰く、「悪魔のように大胆に、天使のように繊細に!」というヤツかな・・

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くちばし移し 

2017/06/26
Mon. 23:11

丸々と太っている方が実は子供で、ほっそりとしてスリムな方が親だったりする。
さすがに、世間の厳しさをソコソコ知っている親の方は、周囲への気配りもシャープで動きに無駄がない。
・・・これは、万善寺の境内に置いてあるスズメたちの食卓での食事風景。
飛び方を覚えたての世間知らずな子供たちへ、親がセッセと「くちばし移し」でご飯を食べさせてやっている。
彼らへのご飯の提供者は、私であります。

人間が大事にしまいこんで、いつの間にかそれを忘れて古々米にまでなってしまった数年前の米をおすそ分けするようになって、そろそろ2ヶ月が過ぎた。
彼らも、はじめのうちはやたらに警戒しながら古々米を食べていたから完食するまでに一日はかかっていたし、場合によっては二日にまたがることもよくあった。
それが、今年の子育てが始まる頃から一気に図々しくなりはじめて、一日に3度のメシでは足らないくらい食いつきが良くなった。
そして、気がつくといつの間にか子供が生まれていて、ぎこちなくフラフラ飛んできて着地に失敗して頭から地べたへ突っ込んでしまったりするようなヤツまで食卓周辺へ現れるようになってきた。
そういう未熟な子へ親がご飯を食べさせている姿は、なかなか微笑ましくていじらしく思える。
一個の米粒が、ふっくら太っている子スズメには少々大きすぎるようで上手に飲み込むことが出来ないでいたりする。

朝のコーヒータイムのひと時、ほぼ毎日のようにそのような境内の様子を楽しんでいると、保賀の谷のスズメたちも私の姿を見分けるようになって警戒と遠慮の距離が次第に近づいてきた。
買い物があって近所のホームセンターへ出かけたついでに、小鳥用の餌を買ってきて、それを古々米に混ぜてやると、彼らは喜んで大小の粒を食べ分けるようになった。
お互いキスをしている風なスズメの親子の食事風景は人間と変わらない。すぐ近くの電線で寄り添っている様子もどこかしらベンチに座る母子の姿がダブる。

時々、仕事先から万善寺へ直行して彫刻を造りながら寄宿している彫刻家のタマゴちゃんは、学生時代の実習指導が良かったのか、制作の姿勢に無駄がない。
もちろん、未熟な失敗もたくさんするが、かたちを探る視線の方向にブレが少ない。
ある時は正面に立ち、ある時は隣に擦り寄って、ある時は覗き込み、ある時は見上げ、ある時は指の軌跡を追いかけ、私の言動に粘り強くしがみつく。
こういうことを飽きないで・・または、諦めないで繰り返し続けることが出来ていたら、それほど遠くない近い将来には、島根を代表する女流彫刻家のPart2くらいにはなれるかもしれない。
もちろん現在のPart1は、ボクのワイフだけどね。
梅雨の晴れ間の朝のひと時・・・コーヒーをすすりながら、ボンヤリとそう思った。

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彫刻家のモチベーション 

2017/06/25
Sun. 23:51

少し雨が降って、「やっと梅雨らしくなったな」と思いつつ、一方で外仕事が出来ない上に、境内周辺の「草が一気に元気になるな」と少々うんざりしながら奥出雲へ向かった。
俊江さんの百ヶ日が過ぎるまでは万善寺のことが気にかかってどうも落ち着かないまま毎日が過ぎていたが、憲正さんの3回忌に併せて永代供養墓の建立や俊江さんの納骨を済ませたりしてやっと気持ちが彫刻の方へ向き始めた。
とにかく、6月のうちに今年の彫刻スケジュールを組み立てておかないと彫刻家吉田正純のモチベーションが永遠に崩壊してしまいそうな気がして、気持ちが萎えていたところだ。
見方をけると、梅雨の雨もある意味自分を救ってくれているのかなぁと思ったりしないでもない。
やはり私には、適度な「雨男」が似合っているのかもしれない・・・

万善寺から奥出雲町へは、峠を2〜3越えると1時間以内で到着する。そういう近道もあるのだが、結界君の息切れして大変そうな様子を感じながら運転を続けるのが忍びなくて、わざわざ遠回りをして楽な道を走ることが多い。
いつもだったら迷うこともなく町境のトンネルを抜けてもそのまま国道を直進してしまうが、さすがに今は彫刻の遅れのほうが気になって迷わず右へハンドルを切ってしまった。

午前中は法事を請け負っていたから、万善寺のことでモタモタしていたら出発が午後の4時を過ぎるぐらいになった。
遅刻を連絡して待ち合わせの場所を少し変更して小雨の中を奥出雲へ急いだ。
奥出雲の窓口でお世話になっているOさんは、私とどっこいくらいの年齢で、最近まで公務員の行政マンだった。
私の偏見だと思うが、どうも行政マンはモノの考えや組み立てが硬っ苦しくて性に合わないところが多いのに、Oさんは珍しく(失礼!)フットワークが軽くてとてもアクティブなヒトなので気楽に付き合えて、すぐに甘えてしまったりする。
この度も、彫刻展の日程を事前に打ち合わせしておく必要があって、迷わず彼にすがったところだ。
事務的な話はトントンと軽く進んで、あとはダラダラと他愛ない会話が続いた。それがなかなか楽しくて、結局万善寺へ到着したのは夜の8時になっていた。

梅雨らしい雨も、ほぼ1日続いていたが結局長雨になる前にあがってしまって、いつの間にか空から雲が切れた。しばらく石見銀山の吉田家から遠ざかっているし、ネコチャズのことも気になるし、別居ぐらしに慣れはじめたワイフの気持ちが大きく遠ざかるのも心配だから、次の日は朝から溜まった寺のゴミなどを整理して石見銀山へ向かった。

留守にしていた一週間の間に郵便物がたくさん溜まっていた。その中に、一ヶ月ほど前にあった晋山式の記念写真が届いていた。
万善寺現住職の晋山式は結局時代に流されて何処かへ消えて無くなっていくのだろう。
まぁ、それもボクらしくて良いかもネ・・・

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寺の朝 

2017/06/24
Sat. 23:12

実は、寺の朝はやたらと周囲がうるさくて、それで目が覚めてしまう。
中国山地の島根県と広島県の県境に近いところにある寺だから、緑が豊富でマイナスイオンがタップリ降り注ぐ静かな山里だろうと思われているかもしれない。そういう想像も、まんざら外れているわけでないが、かえってそういうところだから余計に人間以外の様々な生き物もたくさん生息しているわけで、早朝の夜から昼に変わるあたりの時間帯になると、それらの生き物たちが一斉に活動をはじめて様々な情報交換をする、それが、「やたらとうるさい!」のだ。
万善寺は、保賀の谷にある山の尾根から少し下がったところにあって、比較的見晴らしが良い。
生息する生き物たちもそういう状況を都合よく知っている。
ロフトのいつもの部屋で寝ていると、天窓のすぐ前のトタン屋根へつがいのカラスが飛んできて、ひとしきりアチコチぴょんぴょん飛び跳ねる爪の音がガサガサと、とにかくうるさくてだいたいそれで目が覚める。
こんどは鳶がピューピュー鳴き始める。時々、カラスと鉢合わせすることがあって、しばし空中戦が続いたりすると、バタバタと羽音がかなりの迫力だったりする。
それからあとは、もう寺の周囲のアチコチから数種類の鳥たちが鳴きがじめて、それが2時間近く続いて最後頃に鶯が鳴く。
その頃がだいたい6時半前後で、町内の有線放送が町民歌のピアノ演奏を流す。
強い湿気が谷へ降りているとカエルの合唱がひとしきり続くが、今は空梅雨状態だからカエルの方は比較的おとなしい。
やがて、人間が活動をはじめて草刈機の音や、国道を走る車の走行音が増えてくる。
もう、ソコまでくると朝寝をむさぼる気にもなれなくてゴソゴソとシュラフから這い出ることになる。
・・・だいたい、今の時期の朝はこんな感じだ。これが、盛夏になるとむせ返るような暑さが加わって寝苦しくなるから、それよりはまだマシではある。

週末に棟梁が改修の仕事をスタートさせた。
私の方は相変わらずいつもの終わりのない草刈りが続いていて、畑の端のイノシシが掘り返した大きな穴へ生草を投げ込んでは灰にしている。
「ほんに、いい風が通って涼しいがぁ〜!」
お茶休憩の時に棟梁がそう言った。
確かに、寺の庫裏は裏山からの風が吹き下ろしてなかなか涼しい・・というより、昼寝などしていたら寒いくらいでつま先が冷たくなるほどだ。

生前の老夫婦が、畳の上にナイロンござを敷いて、その上に箪笥などを置いて暮らしていたから、座の下から這い上がる湿気をタップリ吸った畳がブクブクになっていた。
座板も常に湿った状態で家のためには良くないことだから、この際思い切って二部屋をフローリングへ替えることにした。
いらなくなった畳は、俊江さんの畑へ敷き詰めるつもりだ。
それで当分の間、少しほど・・・ほんの少しほど草刈りの面積が少なくなるはずだ。

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百日紅のこと 

2017/06/23
Fri. 23:04

島根県は梅雨に入ってからほとんど雨が降らない。
田植えの終わった田んぼは、そろそろ水が足らなくなりつつあるようだ。
幸い、保賀の谷は適度に水量があるのでよっぽどのことでもない限り水不足で悩むことはない。
それでも、兼業農家は土日あたりに集中して田仕事へ入るから、それで水の流れが一気に変わることもある。
お百姓さんもなかなか気の抜けない毎日が続いているわけだ。

この2・3日急に暑くなってきた。
相変わらず万善寺の通勤坊主をしているが、幾つかの寺の用事と、庫裏の修繕業者さんが入ったのとで、それが一段落するまで寺に常駐することにした。
寺の夜はこの時期でもかなり冷えて寒いし、台所で使う井戸水はやたらと冷たい。
それだけのことだが、それだけのことがとても贅沢に思えてくる。

決して広くない境内の端に百日紅がある。
50年ほど前は、幹が大きく2つに分かれて適度な日陰を作ってくれていた。
私が寺を出て一人暮らしを始めてからあとになって、その幹の1本が枯れた。
夏休みでお盆の棚経の手伝いへ帰省した時はすでに枯れた幹が切り払われて、なんとなくバランスが崩れた変な感じになっていた。
子供の頃はその百日紅の下が絶好の遊び場になっていたから、そのことが思い出されて残念でガッカリした。
残った方の幹から横に広がって伸びた枝はまだかろうじて健在で時が来るとそれなりにタップリと花を咲かせていた。私がまだ小さい頃、近所のおじさんがその枝にロープを結んでブランコを作ってくれた。小学校に入ってもまだぶら下がっていて、学校から帰るとランドセルのまましばらくブランコで遊んだ。
そういう思い出深い百日紅が数年前から急に弱ってきて、全く花を咲かせないまま秋になってしまった年があった。気がつくと、その百日紅周辺にあるサツキなどの低木もあまり元気がない。オノレバエのヤマユリが毎年同じ場所で芽を出していたはずなのにそれも見当たらない。その年の気候のせいだとも思ったが、今年のような空梅雨でもなかったし、それほど自然条件が厳しいとも思えないまま、そういう状況を心配しながら棚経に出かける毎日が続いていた或る日、俊江さんがジョロでセッセと水やりをしていた・・・と思っていたら、それが液体の枯葉剤だった。百日紅の根本もその枯葉剤で濡れている。
元気がなくなった原因がそれでハッキリした。
やめてくれと頼んだが、雑草にしか効かない薬だから大丈夫だと譲らなかった。
そういう、曰く付きの枯葉剤の瓶を先日片付けの最中に見つけた。
俊江さんは、死ぬ3年ほど前から足腰が弱って境内の整備をしなくなった御蔭で、弱りきって瀕死の状態だった百日紅が少しずつ元気になってきて、根本から若い脇芽も出てグイグイ伸び始めた。この調子だと、今年の夏は花を咲かせてくれるかもしれない。
ちょうどその頃、万善寺では施食会と大般若経転読会がある。
さて、あの瓶はどうやって処分すれば良いんだろう・・・

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石のお地蔵さん 

2017/06/22
Thu. 23:29

ワイフを誘って松江の美術館へ出かけた。
万善寺の庭先で石の地蔵さんを彫っていた彫刻家のタマゴが、その美術館で開催されるお地蔵さんを集めた展覧会へ出品したので、その展示効果をみるのも目的の一つだった。

島根県は梅雨に入っているが、幸いにも雨が降り続くこと無く今に至っていて、外での仕事が遅々として進んでいないナンチャッテ住職にとっては、とても都合が良い。
午前中は、傷んだ庫裏の床を張り替えるための打ち合わせや荷物の移動をして、湯沸かし器の配管改修や墓参や花替え用に使う野外水洗い場の工事打ち合わせをしたり、保賀地内への回覧板や配り物をしたり・・・何かと慌ただしく過ぎた。
せっかくやる気満々で作業着に着替えていたが、結局外仕事にならないまま、いつものカジュアルなスタイルに着替えてワイフの待つ石見銀山へ向かった。

玄関を開けると、脱走に失敗したクロが土間の暗闇に潜んでいた。
「おかえりぃ〜〜」
珍しくワイフの声が♯がかって機嫌良さそうだった。
「私が出かける準備している間に琵琶採っておいてくれない?・・オ・ネ・ガ・イ♡」
・・・そうか、そういうことだったのか・・・あの♯の意味がわかった。
結婚生活も長くなると、お互いに遠慮というものがなくなって嘘がつけなくなる。ある意味、それも正直に付き合えているわけで良いことなのだろうが・・・だいたいにチキンで小心者の私の方はこうみえても結構ワイフに気を使いながら暮らしていると思ってるんだけど・・ブツブツ・・・
このところ、寺暮らしが常習化してきた感があって、その間に石見銀山で暮らすワイフも気楽な一人暮らしに慣れつつあるようで、私と連動しない彼女なりのスケジュールが出来上がっているようだ。

お地蔵さんの展覧会は、島根県の各所に散らばっている地域の文化教室やサークル活動の講師さんや生徒さんの作品を集めたもののようだった。
島根県現代彫刻振興委員会が主催で開催しているワークショップで講師をお願いしている石彫仏師の坪内正史さんが今回の展覧会を主催しているので、石のお地蔵さんもたくさん出品されてあった。
こういうタイプの展覧会に、造形がどうこうとか、具象とか抽象とか、素材や技法がどうのこうのいい始めたら厄介なことになる。とにかく、造ることを楽しむとか、同好の士が集まって有意義なひと時を共有するとか、そういうことのほうが大事なことで、造形の常識を柔軟に調整して、できるだけ振り幅を広くしておくことも大事なことだ。

出品点数にして、大小合わせ約600体くらいのお地蔵さんが集まっていただろうか・・・
万善寺の庭先でコツコツ刻んでいた石のお地蔵さんは、その中でもなかなかの完成度であったように思う。まぁ、チョット贔屓目かもしれないけど・・・
彫刻見習いと言ってもいいかもしれない彼女は、4月から6月にかけて木彫1点と石彫1点を制作して発表した。
まずは、コツコツと地道な仕事の継続が大事だと思っている。

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野生の目 

2017/06/21
Wed. 23:53

予報では、今年の梅雨始まって以来の激しい雨になるようなことを言っていたので、一日の万善寺仕事を早めに切り上げた。
結界君を駐車場に止める音を聞きつけて、あわよくば脱走できるかもしれないと期待しながら土間の角へ身を隠すクロを気にしながら慎重に玄関障子を開ける。
いつもだったら何処かでクロの気配を感じるのだが、それがない。
「さては、二階で爆睡してるな!?」
そうも思ったが、ずる賢いヤツの脱走戦略かもしれないと、気を抜かないまま荷物を運び入れた。
「ただいまぁ〜」
「あぁ〜、おかえりなさぁ〜い!クロが脱走してるからね」
・・・それか・・・!
気配を感じない理由がわかった。
そういえば、裏玄関のドアが少しほど開けてある。そうしておけばそのうち何事も無かったように無表情のクロがソコから入り込んで一件落着となる。

帰宅してまだ腰掛けてもいない私の足元をすり抜けていつものご飯場所に直行したクロがガツガツ飯を食べ始めた。裏庭の何処かで私の帰りを確認していたのかもしれない。
ワイフ曰く、近所の奥さんと玄関先で立ち話をしているスキに脱走を成功させたらしい。
彼女は猫を外に出すことを極度に嫌がっているわりに、失敗が多い。
クロは完全にワイフの行動を読み切っているふうで、彼女のスキを探すのが実に上手い。クロはこの5年間で幾度となく野外を経験しているから、それなりの危険も分かっているだろうし、外でつまみ食いをするような猫に育てていないから自由にさせてやっても良い気がするのだが、ワイフはそれがイヤらしい。

万善寺でひとりメシをつくる時は、余った食材とか萎れきったお供えの果物とかを刻んで野生の連中へおすそ分けしておく。そうすると、長くて一晩の間にほぼ綺麗になくなって容器が空になっている。私一人の暮らしだからおすそ分けの量も微々たるものだが、野生の彼らは私の動きを何処かで目ざとく確認しているようだ。
スズメたちの方は、少しずつ私の様子に慣れてきたようで、以前に比べると随分警戒の距離が近くなった。
だいたいは、そろそろこの時期になると境内のいつもの場所で日光浴をしているマムシを見かけるのだが今年はまだ見ない。

前住職夫婦は、万善寺周辺の野生をことごとく目の敵にして暮らしていた。そういうこともあってか、当時の寺の周辺は野生の仕業でひどく荒れていた。お墓のお供えも墓地の各所へ散乱していたし、花入れの青葉もすぐに引き抜かれてしまって散々な状態だった。
昨年の憲正さん墓石建立から今年の永代供養墓と俊江さんの墓石建立まで、このところお墓参りが続いているが、雑木の春枯れの落ち葉が一面に散らばっているくらいで乱れたふうでもない。吉田家のクロもそうだけど、野生は正直で嘘をつかない。
万善寺住職吉田正純は、幾つもの野生の目で見つめられているようだ。

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紫陽花の咲くころ 

2017/06/20
Tue. 23:29

「わたし、いつもデジカメ携帯してるから♡!」
少し前に、キーポンから紫陽花の写真が届いたので、上手に撮れてキレイだと返事した。

4月から保育士で働き始めた彼女は、現在ゼロ歳児を担当しているのだそうだ。
仕事で、色々なシーンを記録しておくこともあるから「デジカメ買ったの!」だそうだ。
それから、出かける時はそのデジカメを鞄に忍ばせているらしい。

私がキャノンAE-1プロギラムを買ったのは、新宿ピットインの斜め前にあったカメラ屋さんだった。
当時学生だった私は、特にカメラが好きだというわけでもなく、どちらかといえば必要に迫られて「買わされた」ような状況だったと記憶している。
カメラ本体売りが常識で、それにどのレンズを組み込むかオプションの選択肢で価格が決まるシステムで、その日暮らしの貧乏学生にとっては、かなり高価な買い物だった。
結局、店員さんの推薦というか、助言と言うか、まぁ、云うなりに標準レンズをセットして設定されていた最低標準価格のモノに決めて、それがキャノンだったわけだ。
カメラのことは特に詳しいわけでもないし、ひとまず一眼レフで被写体の構図やピントが狂わなければいいくらいの写真になっていれば良かったから、買ってしばらくは、プログラム設定のおまかせ写真ばかり撮っていた。
その頃中元と歳暮を狙って定期的に開催していた展示即売のクラフトグループ展があった。まだバブルがハジケル前で、学生の分際でも何かそれらしきものを造ればソコソコ売れていた時代だった。庶民でも日常の暮らしが少しばかり贅沢できていたから、クラフトのオリジナルデザインが気に入られていていたし、学生の手造りクラフトは価格も安く設定してあったし、それに、大量生産でない一品物であるという付加価値も加わって、需要と供給の思惑が合致してよく売れた。
キャノンはその展覧会と称した展示即売会の売上で買った。

グループ展の先輩にカメラの詳しい人がいて、立体作品の撮り方を丁寧に教えてくれた。
被写界深度と絞り優先とかシャッタースピード優先とか、ISOのことやフィルムの感度など、グループ展の会期中に集中してやたら親切に指導してくれた。
「一見怖そうだけど優しい先輩だなぁ〜」くらいに思いつつ熱心に教わっていたら、「俺、他の用事があってもう会場へ来ること出来ないのよ。悪いけど、俺の代わりに、展示作品全部、写真撮っておいてくれる?よろしく頼むわぁ〜」ということだった。
私が一番暇してるふうに見えたのだろう、マンマとハメられた感じだったが、ある意味信用されたふうにも感じて、やたら緊張しながら三脚使って撮影を続けた。

今は、キャノンでもお手軽PowerShot Gシリーズ愛用者になったが、あの時の先輩のお陰で写真撮影の基礎がシッカリ身についてとても助かっている。
展覧会の図録用写真から、お正月の年賀状までなんでも一人でまかなっている。
憲正さん遷化の時は、遺影や本葬差定冊子まで手造りした。
あの先輩とはその後疎遠のままだが、とても感謝している。

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気が抜けた 

2017/06/19
Mon. 23:50

2・3日前から気持ちが緩んだ。
まず、身体が動こうとしなくなった。
そして、身体を動かそうという気持ちが何処かへ飛んでいったままになった。
こういう状態を、「気が抜けた」というのだろう。
いつもだったら、「ヤバイ!」と感じて、焦って、少しでも早く気持ちの切り替えをして次につなげようとジタバタするのだが、どうもそういう気になれないまま、そろそろ3日目が過ぎた。
その間に、幾つかの出来事があった・・・といっても、別にどぉ〜ってことのない些細な事なのだが、抜け殻のような自分にとっては適度な刺激になって、マッタリとした時間がいい具合に過ぎている。

万善寺で過ごす時間が増えてから、誰にも文句を言われることが無くなったまま「トイレ読書」が続いていて、薄いエッセーや薄い短編集を持ち込んでチビチビ読み進めている。その一冊を3日前に読み終わって、次の一冊と入れ替えた。
万善寺のトイレは、窓の外に人目を気にすることのない荒れ地や裏庭が続いているから、半分野外にいるような開放感があって、吉田家以上に長居をしてしまう。
そのせいか、読書しながらウンコをしている(・・というより、ウンコをしてからそのままの姿勢で読書をしている・・)ときにかぎって、「方丈さぁ〜ん、こんにちわぁ〜」とか、「ごめんくださいませぇ〜〜」とか、近所のおじさんや業者さんの訪問が多い。あわてて本を閉じて「はぁ〜〜い、いまトイレですぅ〜〜、ちょっとまっててくださいねぇ〜、すぐでますぅ〜〜」などと、叫びながらトイレットペーパーをグルグル回したりする。そういうことが何回か続いて、次の予定が少しずつ決まった。

古い瞬間湯沸かし器を廃棄することにして業者さんに相談していたら見積もりが出た。「梅雨に入ってしまったから雨次第ですけど・・」の条件付きで、「ひとまず、今週末に伺いますので・・」と、日程が決まった。
「トラックの修理が終わったら仕事入るけぇ〜ね〜」ということで、棟梁から三畳と六畳のフローリング改修日程の知らせが入った。
そして・・「永代供養墓も良うなりましたけぇ、チョット一杯やりましょぉ〜やぁ〜」
万善寺の墓地で石屋さんの工事が入っているのを聞きつけて、「これは良い都合だ!」と我が所の墓地整理を思いついた近所のオヤジさんが二個一の建立祝をしようと誘ってきた。なにか、ヒトのフンドシを勝手に借りていった気がしないでもないが、まぁ、それも大事な近所付き合いだし、「そりゃぁ〜良いですねぇ、やりましょう!」ということにしておいて、今週末に予定を入れた。
お地蔵さまを万善寺の庭先で彫っていた彫刻家のタマゴが、松江の県立美術館のお地蔵展へ出品するので、ワイフと調整してそれを見に行く日も決めた。奥出雲町で今年も開催予定の彫刻展打ち合わせや相談をすることにして、それも今週末に決まりそうだし、「気が抜けた・・」といっても、結局2・3日だけのことで終わってしまいそうだ。

俊江さんの納骨も終わった早朝の墓地へ登った。
微風に揺れる雑木林の心地よい葉音がシャワーのように降っていた。

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海街diary 

2017/06/18
Sun. 23:32

万善寺の・・というより、吉田家の法事が終わったので、久しぶりに石見銀山の吉田家で寝る。
こうして、1日中吉田家に居るのは久しぶりのことだ。

1年に1度の石見銀山町内一斉清掃の史跡掃除があったので、朝の5時起きで万善寺を出た。
いつものことだが、早朝と夜の銀山街道は、殆どの信号が黄色と赤の点滅に変わるので、40分足らずで移動できる。集合時間の6時半に余裕で間に合って、自治会長さんの挨拶の後、駒の足自治会の受け持つ清掃場所へみんなが散らばった。
約1時間ほど草刈機を回して、支給された朝食代わりのパンと飲み物をもらって、帰宅した。
吉田家前の駐車場にはじゅん君が借りたレンタカーがあった。
だいたい土間へ入ると出迎えてくれるクロがいなくてガッカリした。
ワイフは朝シャワーの最中。じゅん君はまだ私の寝床を占領して寝ている。
吉田家家長のオヤジが朝のひと仕事を終わらせて久しぶりに帰宅したと云うのに、あまりにも普通過ぎる出迎えで拍子抜けした。
「アッ、おかえり。早速で悪いんだけど、ネコチャズのゲージ倉庫から持って来てくれない?ミワちゃんが欲しいって、それで受取に来ることになってるの」
5時おきのオヤジがひと仕事終わってグッタリ疲れて帰宅して最初の挨拶にも会話にもならないひと言がそれだった。

そんなこんなで、午前中の半日が虚しく消えた。
昼食には、ワイフが肉そばを作ってくれて、それで少しほど気持ちが落ち着いた。
1日シッカリ静養しようと決めていたから、麦とホップをプシュッとやった。
それから80インチのスクリーンで「海街diary」を観た。
原作は漫画らしいがよく知らない。
長澤まさみサマは、ロボコンの頃から好きだが、あの頃に比べると随分大人になって色気も出てシッカリしたいい女になっていた。もっとも、映画の中での佳乃が・・だけどね。
綾瀬はるかさんも広瀬すずちゃんもつくり過ぎない自然な雰囲気がいい感じだったが、何故かボクにとっては、夏帆さんの普通過ぎる存在感の薄い「普通さ」が強く印象に残った。ある意味、夏帆さんのシーンがそっくりなくなってもストーリーにそれほど大きな影響もないくらいの存在に思えたし、原作の人物の頭合わせくらいにしか感じないほどの存在にも思えたが、彼女の何とも言えない浮遊感漂う演技を感じさせない演技がとても強く印象に残った。「あれは一体何なんだろう?・・・」ストーリーを追いかけながら、ズゥ〜っとモヤッとしていたが、終わりの頃の海のシーンになって、「五目そばの片栗って感じだな・・」と、何やらそんなふうに思えた。五目そばには片栗が外せないと思っていて、それがあるから最後まで熱々スープで麺も冷えないでいてくれる。
「彼女が一番演技に苦労したんじゃないかな?・・」と、勝手にそう思った。

それから、とにかく次々色々映画を見漁った。こんな1日はもう何年も遠ざかっていた。

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坊主の冷や汗 

2017/06/17
Sat. 23:00

午前中いっぱい江津に用事があったので、万善寺を朝早くに出発した。
途中、石見銀山の吉田家近くを通過した時は、坊主頭の短い後ろ髪が引かれて、困った。
何度かこのまま左折しようと思ったが、踏みとどまった。
昼過ぎにまた石見銀山を通過する時も右折をかろうじて踏みとどまって万善寺へ向かった。

法事も終わって、もう少しノンビリゆっくりしたいと思ってはいるが、そういう時に限って幾つかの用事が重なってしまう。
毎年恒例のお大師講もその一つに重なった。
聞くところによると、九十数年続いているらしいが、その間の何回かの代替わりで本当のところは誰も分からないことになってしまったようだ。
荘厳安座されてある仏様をみると、お大師さまの他にも十王様らしき方や、お地蔵様らしき方など、色々な仏様が入り乱れていらっしゃって、お経の後の回向もなかなか一つに絞りきれない。

毎年、世話人さんが持ち回りで引き継がれている。
今年は、坊主の控室もあってお菓子付きのお茶が出たりして手厚い待遇だった。
この時期は日が長いからお経の始まりはまだ十分に明るかった。
回向を終わって焼香を回して、塔婆回向に入った。
西国三十三箇所観音巡りの御詠歌を元にして、万善寺流に吟じる。
憲正さんからの口伝だから、それが正しいかどうかも分からないまま、とにかくそれなりの音階を調整しているが、憲正さんは透き通るような高い声が自慢だったから、私のかすれたヨレヨレのつまらない声と差が開いて、終わった後、「憲正さんの声は、そりゃぁ〜よかったがぁ〜〜、涙が出よぉったけぇ〜〜ねぇ〜〜・・」などと昔話しになったりすると、一気にドッと汗が吹き出して気が滅入る。
そんなことが毎年続いて、今ではお供えのお下がりをいただく斎の恒例話題になったりしてしまった。
もう、かれこれ10年はこの時期にお大師さま供養が続いているから、さすがに小心者のナイーブなナンチャッテ坊主も打たれ強くなって慣れてきた。
お参りのみなさまは、近所のことだからお酒も入ってしだいに賑やかになる。だいたい20〜30分くらいで中座するのだが、今年は仏教やお墓の話題が振られてしまって、切り上げ時を決められないままひたすら解説や回答に汗をかいた。
日頃は、こういう仏事の質問を受けることが珍しいから少々ビビッたが、反面、こういう機会でもないとなかなか質問することもないし、されることもないから、それなりに良い機会を頂いたと、ひとまず、このたびの世話人さんに感謝しつつ、なかなか終りが見えてこないので、「それでは、今回はこのあたりで・・・ということで、第二弾は来年ということにしましょう!」などと、強引に中締めに入ってしまった。

万善寺へ帰ってすぐに白衣などを洗濯機へ放り込んだ。明日は早朝から石見銀山の一斉史跡清掃がある。木魚のバチを草刈機に持ち替えて汗を流すことになる。

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我儘住職の抵抗 

2017/06/16
Fri. 23:12

禅嶽憲正大和尚の祥月命日をご縁日にした3回忌の法要に、俊江さんの大練忌と卒哭忌を併せて吉田家家族親族が集まって法事を厳修した。

当日に向けて準備を始めたのは、4月1日の俊江さん葬儀が終わってすぐの頃だった。
それから約2ヶ月半は、幾つかの仏事で随喜しながらひたすら坊主家業に集中し、また、万善寺内外の片付けや修繕、整備が続いた。
石材屋さんと相談しながら墓地の改修や整備も進め、永代供養墓建立もほぼ完成が見えてきた。

私も、限りなくジジイに近いオヤジであるから、そろそろ、1日の肉体の疲労が蓄積されて次の日に持ち越され、身体の痛みで一晩の睡眠もまともに取れない状態が続いた。
そんなこんなでいろいろあったが、一方で、島根県上空は連日好天に恵まれ、私の行く先々でそういう幸運に何度も助けられた。

導師様はじめ、ご随喜方丈さま4ヵ寺、憲正さんと俊江さんのご親族7名、それに吉田家4名で総勢15名の参集となった。
憲正さんの親族は兄弟姉妹が多くて、何かの折に集まると8畳二間がビッシリ埋まって、それでも足らないくらいになる。
俊江さんの親族も元は多かったが、比較的短命が多くて今は半減した。
私は6人家族で、子供たちは長男のじゅん君が島根県内へ残っているだけ。今時のことで、気軽に慶弔事で仕事を休むわけにもいかないから、この度は、東京暮らしの三姉妹を代表して長女のなっちゃんがじゅん君と一緒に参列してくれた。

寺の仏事は、在家の仏事とは少しずつ様子が違う。
一般には、寺の仏事を準備段階から寺族と檀家が協力して仕切ることが多い。
浄土真宗では、内室さんを「坊守さん」と称して、ご院家さんとほぼ同格の扱いになっていたりするが、曹洞宗では坊主夫婦で寺を維持管理しているわりに、内室の奥さんは「寺族」で一括りにまとめられる程度の扱いになっている。建前上は寺族代表とか寺族婦人部とか、そういう役付で扱われているようだが、組織的な実態は曖昧な状態だ。元々が禅宗坊主の男社会で組織だっていたものだから、そういう名残が今に続くのも当然なことだ。
私は、万善寺住職として、ワイフや子供たちを寺族扱いしないようにしている。
ワイフの方は、坊主の吉田正純に惚れたのではなくて彫刻家の吉田正純に惚れて(だと思うけど・・)結婚したわけだし、4人の子供たちは坊主の子供としてこの世に生を受けたわけでもなく、普通に我々夫婦の子として生まれてきたわけで、彼らの人生は彼らの意思で選ぶ権利がある。
吉田正純の場合は、生まれたときから寺の息子として生まれ育てられた経緯があるから、自分で自分の意思を操作できる状態が存在しないまま今に至っている。個人では色々思うところもあるが、それはそれとして自分に託された宿命であると飲み込んで受け入れている。この度の法事も、檀家衆にすがること無く、家族にもできるだけ迷惑をかけないように取り仕切ったつもりでいる。まぁ、我儘住職のささやかな主観的抵抗である。

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ヤルことはヤッタ!! 

2017/06/15
Thu. 23:29

法類の寺で晋山式があったのは5月末のことだった。
それから既に半月も過ぎてしまったのに、その時の記録写真を渡すことが出来ないでいる。
気にはなっているのだが、万善寺のことが色々続いて、毎日がアッという間に過ぎてしまう間に今になってしまった。

デジタルカメラで約1000枚の写真データになっているので、変にゴッソリ全てをボクのクラウドへウエブアップしてしまうと許容オーバーになってしまうかもしれない。
銀山街道を往復したり草刈機を振り回したりしながら、頭の中で色々と対応をシミュレーションしていたが、それも結局同じことの繰り返しになってしまって最善の方法が見つからない。
それで、「エイ!ヤッ!!」っと意を決めてひとまず1000枚そっくりまるごとDVDへコピーしてしまうことにした。
そのまるごとコピーをとりあえず新命方丈さんへ渡しておけば、しばらくのツナギになるだろう。
ボクの軟弱なMacBookくんでも、一晩あればなんとかデータの書き込みが終わるだろうと確信して夕食が終わってからMacBookを動かしはじめた。
書き込みの記録中は特に何もすることがないからゴロリと横になってiPadをイジったりしていたらいつの間にか寝てしまったようだ。
例のごとく、クロがフギャフギャ鳴きながら真夜中の徘徊をはじめて目が覚めたら、健気にもMacBookくんがひとりでウィンウィン動いて書き込みを続けていた。

法事の準備も最終段階を向かえ、本堂の荘厳を整えたりしていたら、ワイフから「お昼食べない?」と電話が入った。
なっちゃんが東京から帰省してくれていて、彼女がワイフの愛車を運転しているようだ。
万善寺からすぐのところにある蕎麦屋「一福」で待ち合わせることにした。
その後、ワイフたちは法事当日の配膳などの準備をして、寺を出た。
久しぶりに夏を思わせるほど暑くなって、とても陽の高いうちは外仕事は無理だと決めて、あの書き込みの終わったDVDを届けることにした。
途中夕食の食料を買い込んだりしてとんぼ返りして、残っていた草刈りを始めた。
ギリギリ法事までに本堂と庫裏の周囲をグルリと一周することが出来た。
まだ幾つか気になることもあるが、一人で2ヶ月以上の日数を万善寺内外のことに使ったのだから、それなりに「ヤルことはヤッタ!!」と自分に言い聞かせておいた。

あとは、当日早起きをして庭を掃いて花や青葉をお供えして・・・
鳥のむね肉ソテーを頬張りつつ、麦とホップを飲みながら差定をイメージした。
珍しく夜鳩がしきりに鳴いている。
昼は久しぶりに暑くなったが、それも陽が落ちると一気に冷え込む。
晋山式の1日は雲ひとつない快晴だった。
さて、万善寺の法事はどうだろう・・・ボクは雨男だからなぁ〜・・・

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カラッポの意味 

2017/06/14
Wed. 23:27

「地球は、なんと醜い星なんだ!海も山も生命で満ち溢れているではないか・・・」
みたいなことが書いてあった、ある小説家のある長編?小説を読んでいて、「なるほどな!」と納得したことがあった。
・・・さて、何時ぐらいのことだっただろう・・・
今は、その「ある小説家」は「たぶん、あの人だったよなぁ〜」と、チョット心当りがある気もするが、なんとなくそう思っているだけで確証はない。そんなことだから、「ある長編?小説」となると、まったく記憶になくて、それが果たして長編だったかどうかも曖昧だ。
とにかく、確かに、「地球という星を、そういう見方で認識することも出来るな!」と、実に素直に、納得できた自分がいたということだけは事実だ。

これも、出典は全く記憶にないが・・・
「器は、カラッポであるということに意味があるのだよ。カラッポであるから、器として機能するのだよ」と、「器」が定義付けてあったその一節をよく覚えている。正確な記憶ではないから、言葉なり文章なりの言い回しは違っているが、だいたいそのような内容の言い回しであったように思う。

憲正さんの3回忌と、俊江さんの納骨と、それに、少し早いが俊江さんの百ヶ日を一つにまとめた法事に向けての準備が、約2ヶ月半の期間ひたすら続いて、やっとその法事当日が直前に迫ってきた。
まさか、1日で始まって終わる年回法事に、これだけ長期間の準備が必要だとは思ってもいなかった。
準備といっても、その約90%は庫裏とその周辺の片付けと営繕作業に費やされた。
今現在も、万善寺二十三世住職である自分の思い描く空間には程遠い状態が続いていて、環境整備が収束するまでに、最低でも概ね2年は必要だと予測している。

本堂の方は、憲正さん遷化以降、2年かけて少しずつ整理を進めていて、あとは、時期を見て仏具什器の撥遣をして、まとめてお焚きあげをすることができれば、ひとまずは落ち着く。
庫裏の方は、なかなかそう簡単にはいかなくて、俊江さんの嫁入り以来、ピクリとも動かないで鎮座したまま老朽した箪笥の撤去からスタートしないと、次の作業に移れないし、数少ない押し入れには、生前の二人分の品物があふれかえるほどに詰め込まれていて収納の用を成さない状態だし、床や畳の敷物を上げると、その下は腐れが進んで手のつけようもない状態になっていたり・・・などなど、次々に発見される障害の数々に圧倒される数ヶ月であった。
先日も、積年のホコリや汚れを雑巾掛けして磨きあげて、やっと見た目もマシになったと思っていた板の間の床を自分で踏み抜いてしまった。
掃除をしてキレイにしているのか、家のアチコチを壊して歩いているのか訳がわからなくなってきた。
何もないこと、カラッポであることの本意を身をもって感じている今日此頃である。

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晴れの幸運 

2017/06/13
Tue. 23:22

最近の雨男吉田正純は、日頃の行いが良いのか、やたらと晴れの幸運に恵まれている。
島根県の吉田が行動している地域一帯では強烈な暴風雨がどかっとやって来て梅雨になった。
これは、近年珍しく、あまりにも華々しい梅雨入りだった。
ところが、その風雨が去ったあと、そのままモヤァ~っとした曇りがしばらく続いて、その雲が去ってからは、サッパリと澄みきった晴空になって今に至っている。
おかげさまで、富山の野外彫刻周辺も、チョットした里山状態に鬱蒼とした吉田家の裏庭も、それに、万善寺の境内地や参道、俊江さんの大事にしていた畑やその周辺も、だいたいひととおり草刈りが終了した。

石材屋さんが、永代供養墓一式を万善寺墓地へ搬入設置の日も爽やかに晴れた。
雑木林に囲まれた墓地は、肌寒く感じるほど空気が澄み切って実に気持ちがいい。
もったいないくらい上等の黒土を掘って、永代供養の納骨スペースを確保したあと、3つの自然石を安座した。
手慣れた石職人さんのスキのない作業が約半日ほど続き、8割がたの完成に至った。
まだ、憲正さんが元気だった頃から密かに計画をしていた永代供養の建立が、やっと具体的な形になった。

中央の自然石が永代供養墓で「両忘」と銘を入れた。
この世がどうとか、あの世がどうとか、善悪苦楽生きていれば色々なことがあるから、いちいちアレコレ理屈をつけて窮屈になるのも大変なことだ。既成の概念や変なこだわりや執着を忘れて自分を素直に開放すれば、気持ちもスッキリ気楽になれるはずだ。

向かって右の自然石が有縁無縁供養墓で「道心」と銘を入れた。
ヒトが往生して成仏するには長い長い年数を修行に励まなければいけないのだ!・・というわけで、道元さまも「仏道をもとむるには、まづ道心をさきとすべし!」と正法眼蔵で説かれていらっしゃる。

向かって左の自然石が三界萬霊墓で「玄妙」と銘を入れた。
輪廻転生という思想というか、理論というか、哲学的というか、そのような発想はどこかしら人類共通に存在している死生観のようだ。こういう、なかなか具体的に答えにくいところのものにある計り知れないほどの幽玄な奥深さに思いを馳せることも大事なことだ。

普通に、何処にでもあるような「◯◯供養塔」などと具体的にその意味を伝える文字を刻むことも考えたが、自他ともに認めるナンチャッテ坊主ではあっても、いちおう曹洞宗の禅僧でもあるし、お釈迦様の教授を遥か彼方に仰ぎながら香を焚く身であるときくらい、世間の俗からできるだけ遠いところでモノを考えていたいものだと思っている。
造園業者の資材置き場で山積みされた石の中から、それなりの造形的意識を持って厳選した自然石だが、それに禅の仏道に通じる「ナニカ」を刻むことで、建立の真意を感じていただきたいと思ったりしている。

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如山林中花 

2017/06/12
Mon. 23:30

如瓶鉢中花(へいはつのなかのはなのごとし)
如盆檻中花(ぼんかんのなかのはなのごとし)
如山林中花(さんりんのなかのはなのごとし)
・・・その人の人物としての技量度量人徳の大きさ深さを花に例えて示したものだ。

ザックリいうと、今から400年ほど前に万善寺へ臨済宗の方丈さんが晋山された。
その後、二世の代に本寺が曹洞宗へ改宗したことに合わせて万善寺も曹洞宗になった。
ちょうどその頃、中国は明の時代。儒教道教仏教の三教の壁を超えた持論を「菜根譚」にまとめたのが洪自誠さんだった。前記の言葉が、その菜根譚の一節。

吉田家長女のなっちゃんが、この度の法事へ都合をつけて帰ってくれることになった。
なっちゃんの名前には「菜」の字を使った。打ち明けると、色々な意味がその一字へ含まれていて、たとえばその一つが菜根譚からいただいたものである。そういうこともあって、彼女の就職が決まった時に、単行本仕様の菜根譚を奮発してプレゼントした。「あれ、読んでるかい?」と聞いてみたら、「なにそれ?」と返ってきて、どうも読んでいないようであった。どうせそんなことで、昼寝の枕代わりにもなっていないだろうと思っていたが、その通りの様子だった。まだ、20代の若さに洪自誠さんの境地を望むのも酷なことかもしれない。

島根で暮らしていると、若い美術家に巡り合うことが少ない・・というより、ほぼ無いことだから、気がつけば、何かのきっかけとか出会いとかを求めていたりすることがあって、たとえば、大学の卒業制作展とか、高校の美術展とか部展とかそういう情報にパクリと食いついて、できるだけ時間を調整して出かけるようにしている。
彼らのほとんどは社会人になるとひとまず制作から手を引いてタダのヒトになってしまうようだが、それでも何人かは仕事をしながら地道に制作を続けていたりする。

今年の春先に倉敷児島へ彫刻を展示させてもらった時も、そういう若い制作者の一人と一緒に作品展示することになった。
彼女は、島根県大田市富山町の「とみやま彫刻フィールドアートワーク」へ個展参加もしてくれていて、その時の教室展示がとても面白くて、次の展開を期待していたから、倉敷がどういう構成の展示になるか楽しみだった。
結果、空間に溶け込むような浮遊感がとみやま以上の表現になっていて、造形の構成が少し前進したふうに感じた。

学生時代の研究制作は、ある意味ハウス栽培の野菜のようなもので、粒も揃ってソコソコ美味しいが、ハウスの中でしか旨く育たなかったりする。自力でコツコツ制作を続ける経験の浅い若い作家は、鉢植えで育てる野菜のようなもので、誰かがこまめに水やりなどしてやらないと収穫までに枯れてしまう。地物の露地野菜は、そのままにしておくとトウが立って花が咲いて、種まで出来てそれが落ちて、翌年の時期になると気づけばオノレバエで新芽が出ていたりする。旨いかどうかは別にして、劣悪な環境を凌ぐ逞しさが良いな!

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富山野外彫刻環境整備 

2017/06/11
Sun. 23:55

時々必要になった時お世話になっている銘木屋さんから、杉と松の板を仕入れた。
杉は、幅が40cm以上はほしかったので、4mのものを苦労して取りだしてもらった。

「最近、松は人気がないんですよ・・」
その材木屋さんは地物の木材を仕入れていて、それなりに信用もできて安心なのだ。
松も今どき地物の良いものはなかなか手に入らないから貴重で高価だと思っていたら、建築関係の世界では全く人気がなくて使われることもほとんど無くなったのだそうだ。
「細工が面倒で時間がかかって仕事が遅れるし、良いことがない」・・・のだそうだ。
万善寺のような島根県の山の中の雪の多いところのある小さな寺は、まずは見た目より雪害対策を優先して、屋根や柱などいたるところに松を使っている。
少々ねじれようが曲がっていようが松脂が滴ろうが気にしない。
庫裏は大正時代に改築か増築かされたらしいが、居間の鴨居の一部からはいまだに松脂がにじみ出ている。
棚経で訪問する家も、何軒か似たような苦労をしていて、「暖かくなるとこれだから・・」困っているんだと、松脂の滴る鴨居の真下に新聞紙が敷いてあったりする。
そういう、少々大工泣かせだったり施主泣かせだったりがあっても、やはり地物の肥松をふんだんに使った純和風の住宅は、今どきの2×4の壁だらけの積み木のような味気ない住宅とはくらべものにならないほどの風格や趣がある。

「カナダ産のヒバを近所の温泉施設へ治めることがありましてね・・」
何処で何に使うのかと聞いたら、「露天風呂の一部へ架ける橋を造る」ということで、いくらヒバが腐らなくて丈夫だといっても、それは少々無理があるのでは・・と思いつつ、云われたように希望通りのヒバを納品したのだが、出来上がってみると、それから数年のあいだにアッという間に腐って使えなくなってしまったそうで、「そもそも、カナダの寒いところで育った木を日本の温暖な島根の、それも湿気の多い温泉の一部に使うという発想そのものに無理があるんですよ」というわけだが、それも「商売でお金になれば」と割り切るしかなかったそうだ。
こういう業者泣かせの話が聞けるのも、たまには楽しいものだと、他人の不幸を身勝手に喜んでいたりする。彫刻を造りながら色々な業者さんとお付き合いさせてもらいつつ、一方で坊主家業の先々で漏れ聞く愚痴話もあったりして、そういう業界がらみのマニアックな話題は実に面白く、また良い勉強にもなる。

毎年、雪が降らないことのない山陰地方で暮す私にとっては、野外彫刻と雪の関係はとても重要な制作上の工夫に繋がっている。
富山へ野外彫刻を置かせてもらっている幾つかの借地を3日間かけて草刈り整備を終わらせた。今年は、春先から私事で寺暮らしが続いていたから、草刈りも回数が減って気になっていたが、知らない間に地権者さんがキレイに草刈りをしてくれていたりして助かった。
たかが草刈りだが、されど草刈りでもある。
彫刻が縁で、草刈りをしようという気持ちになってもらえていることがありがたい。
近年めっきり疎遠になりつつある自然との距離が少し縮まった気がする。

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人間の都合 

2017/06/10
Sat. 23:14

幾つかの用事を済ませて休憩しながらメールチェックをしていたら、境内の端にある蔵の方でスズメたちが一斉に鳴き始めた。
最初、その鳴き声がスズメなのか気づかないほど何時もと違って断続的に一定の間を置きながら合唱しているふうに聞こえた。
どうも、何時もの長閑な雰囲気が伝わらないし、むしろ合唱の規則性にどこかしらただならぬ緊張感も伝わってくるので、玄関に回って鳴き声のする方向を見てみると、やたらにひょろ長い口縄が今は物置代わりに使っている昔の外トイレのドアにしがみついてウネウネと動いていた。
そのすぐ下の踏み台に人間が食べる時期を失ってしまった古々米を入れた器があって、チョットしたスズメたちの食堂になっている。
口縄は、そこに集まるスズメたちの匂いを敏感に感じ取ったのかもしれない。
それにしても、10羽以上のスズメが、一定の距離を置いて一斉にその口縄の方向を向いて緊張しながら鋭く鳴き続ける様子はなかなかの迫力である。
彼らの危機に対する防衛の手段なのだろうが、自然に生存することの厳しさを見た気がした。
珍しい光景だから、手元にあったiPhoneカメラを使った。
スズメは、一見人懐っこい鳥のように見えるが、実はなかなか警戒心の強い臆病な鳥で、人間との距離がすぐに縮むことがない。
農村地帯では、トコトン害鳥扱いされてさんざん人間にいじめられてきたから、いつのまにかそういう情報が彼らのDNAに蓄積されて子々孫々まで引き継がれてきたのかもしれない。人間の日常に入り込んで、上手に人間を使いながら子育てをして、用が済むとサッサと何処かへ飛んでいってしまうツバメのような図々しい度胸はない。
人間の暮らしの都合だけで、相手を選んで、勝手に可愛くも憎くもなる。
自分が気づかないうちに自分の感情に都合よく刷り込まれた人間の身勝手な傲慢さに気づく。
一匹の口縄から1mも離れていないところで、大騒ぎして警戒を伝達するスズメたちを見ていると、人間に対しての警戒心がどれだけ強いかよく分かる。

今年の万善寺参道脇の田んぼは、小豆を栽培するようだ。
先日大きな農耕機が入って豆の種を撒いて、その後獣よけの電熱線が張られた。
そろそろ小さな双葉が規則的に一直線に並んでのぞいている。
その小豆畑へ獣の足跡がジグザグに続いている。
「あの足跡はなんですか?」
「あれは、たぶん猪でしょうね。芽が出て少し立つと今度はウサギですよ。あの柔らかいのが旨いんでしょうね」
「それで電熱線ですか?」
「この間隔じゃ、ウサギまでは・・・」
草刈りの合間に作業中のお兄さんと少し話した。
本来なら、水を張って稲を育てる水田の転作が水を嫌う小豆というのもおかしなことだ。稲が小豆に変わってウサギが害獣になりつつある。これも人間の身勝手な都合だね。

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ボクの円グラフ 

2017/06/09
Fri. 23:22

万善寺の法事も近づいて、毎日がアッという間に過ぎる。
梅雨に入って何時雨が降り出すかわからないから、少しでも条件のいい時を有効に活用しないと、仕事の積み残しが出てしまう。
例年だと、4月に入ってから2回位は草刈りをしている富山の彫刻周辺を、今年は一回も草刈りできないでいる。
タイミングの問題もあるが、やはり憲正さん3回忌に向けての墓地整備とか、俊江さんの納骨のこととか、吉田家内の各種事情が重なって、どうしてもそちらを優先する毎日が過ぎてしまった。

しばらく雨の降らない時期があったから、彫刻周りの草も水気が減って芯が強くなって葉や茎がかなり固くなってしまっただろう。
富山も5月以来ご無沙汰だから、今のうちに草刈りだけは終わらせたいと思っていて、先日からチップ刃用とナイロン刃用の2機の草刈り機を結界くんに積み込んでいる。
富山周辺は曲がった道が多くて強いカーブを曲る度に、5Lの混合油缶がリヤデッキでガラガラ音をたてて少々うるさい。

アクティビティをチェックしたら、草刈り機を振り回した日はやたらとエクササイズの数値が伸びている。
3つのカテゴリーすべてが一回転していて、エクササイズなど2回転を過ぎて3回転目に回り込んだりしている。草刈り機を振り回す同じ動きが延々と続くせいなのだろう。
カロリーの消費もけっこうあるし、立ち動いている時間も多い。
歩数計を見ると、草刈りの範囲が多かったか少なかったかが正直にわかる。
万善寺の境内地は狭いから平地を広範囲に動き回るというより、坂や石垣など斜面の草刈りが多い。富山の方は田んぼの耕作放棄地だったり、住居跡の平地だったりするところへ彫刻を設置してあるから、当然草刈り範囲も広がって動き回る量も増える。

AppleWatchを腕に装着するようになってからその日やその週やその月の自分の動きを客観的なデータで確認するような事が増えて、このところそれが習慣になりつつある。
今年の5月など、ほぼ連日動き回っていて、ゆっくり休日を過ごすような状態ではなかった。感覚的には、デスクワークも停滞しているし、彫刻やクラフトの制作もご無沙汰しているし、万善寺の法事など1ヶ月で2つくらいしか無かったし、暇に怠けてばかりいたふうに思っていたが、円グラフや数値を見るととても怠けて暮らしているように思えない。

「どうせそのうち飽きてしまうだろう」と自分を信用出来ないまま、こうしてダラダラとマニアックなブログを書き続けていたら、何故かそれがいまだに続いている。
毎日自分勝手に暮らしているから、必要に迫られて何処かの誰かと会話をする必要もないし、のんびりしたものだが、それでも何かしら自分の心が乱れて落ち着かないこともあるから、ブログの書き込みはチョットしたガス抜きにもなっていて都合がいいのだろう。
AppleWatchが勝手にボクのデータを集計して、その時々の自分が客観的記録に残る・・ということが、今の自分にはとても新鮮に感じているところだ。

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仏心(ほとけごころ) 

2017/06/08
Thu. 23:51

「シャギー聴くと〜夏だなぁ〜!・・って感じだよね」
iTunesのウエブラジオを垂れ流していたら、約1年ぶりに帰省したノッチがそう言った。
私の方は、「夏になるとビーチ・ボーイズかチューブだよね」という感覚でいたから、(そんなもんかなぁ〜・・)と思いながら、それ以来、何気なく仕事のバックミュージックで聴くようになった。
知り合いに「ボクはレゲエ派だから・・」などと言いつつ、ジャズから演歌までこだわらないでなんでも聴いているようなレゲエオヤジがいるが、彼の気持ちもわかる気がしてきた。
梅雨に入って湿っぽくなった万善寺の庫裏で、そのシャギーを大音量にして聴きながら掃除や片付けをしていると、流れる汗が爽快に感じたりするから不思議だ。

朝のうちは、雲が厚く下がって梅雨らしい空模様だったが、その雲もしだいに上がって、そのうち青空がのぞくまでになった。
田植えの終わった田んぼの畦の草刈りがアチコチではじまっている。
雨が降ると一気に伸びるし、晴れが続くと一気に硬くなるし、夏の草は始末が悪い。
手間があれば・・というより、ヒマがあれば、ひたすら境内の周りを草刈りしながらグルグル回っていれば、酷くはびこる前に楽に刈り込むことが出来るのだが、いくら坊主家業が暇だと云っても、夏の間中そればかり続けるわけにもいかない。
こうして、少しでも身体に無理がきいて動くうちは、見苦しくならない程度に草刈機を振り回し続けるしか無いと諦めている。

万善寺の境内や参道のアチコチに、フランスギクが根付いていて、毎年5月に入ったくらいからに満開になる。
せっかく花を咲かせるから、せめてその間は刈り払わないでおいてやろうと仏心でいるが、こうして梅雨の雨に打たれ始めると、ヒョロリと伸びた長い茎がアチコチ四方へドット倒れ込んで、途端に見苦しくなる。
その刈り込みを兼ねてひと汗流して、シャワーでも浴びようと作業を片付けていたら、木彫の新人が制作中の石の彫刻を持ってやってきた。

彼女は4月の終わり頃から時々こうして彫刻の制作をしにやってくるようになった。
職場からだと1時間近くかかるようだが、今のところ気楽に制作出来る適当な場所が見つからなくて、かといって彫刻制作をやめるわけにもいかないし、昨年来の付き合いもあって相談に乗ってやっていたら、万善寺の蔵の軒先とコンセントを貸してやるから、「それで良ければ彫刻彫りながら慎重に時間をかけて都合の良い場所探したら良いよ」と、ついつい仏心を出してしまった。
いつまでも、延々と甘やかすつもりもないが、本人にやる気があって彫刻にしがみつく根性があれば、そのうちそれが造形の強さにつながるかもしれないと、期待が無いわけでもない。
もう少し先が見えるまでは、こういう状態で付き合ってやろうと、今はそう思うようになってきた。

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チョット驚き! 

2017/06/07
Wed. 23:58

夜のうちから雨音がはじまった。本格的な梅雨に入ったようだ。
この雨だと寺へ行ってもそれほど仕事もできないだろうと気持ちを切り替えて、こんどの法事の引き物を物色することにした。
一般在家的に云うと、私が施主として仕切る法事は、憲正さんと俊江さんの年回だけだから、せめて身体の自由がきくうちはその二人分の年回法事を遺漏なく務めようと思う。

法事はお先祖様の供養でもあるが、一方で、家族も含め故人に縁深い親族が一同に集まれる数少ない縁日行事でもある。
引き物の用意も、それがその時の年回の記憶に残る記念の品としていつまでも参列者の手元において置けるようなモノが一番いい。
時々その品の経緯を思い出したり話題にしたりすることは、故人の供養につながる・・・そういう気持ちを大事にしながら色々と思い巡らすのだが、結局、最近流行りのギフトカタログあたりに落ち着いてしまうことが不甲斐ない・・・というしだいで、そのカタログに今年の新茶を添えることにした。

島根県の出雲圏は茶処で、まずはお互いお茶のオモテナシからはじまる。
それは、家族も客も同じことで、何かというと必ずお茶の仕度からコトがはじまる。
出雲圏は臨済禅を中心とした禅宗の地帯でもあるから、まずは、「喫茶去!」と云うわけだ。
それに、松江城主の松平不昧公が不昧流を創始するなどして、そういうこともお茶文化の流行に拍車がかかって、今に至ったという感じだ。
もっとも、私も含めて、現代というか現在の島根県民出雲圏住民は、過去に隆盛したお茶文化の継承がほぼ絶えた気もする。お盆の棚経でも、今はお茶の出ることが激減している。それだけ、世代交代が進んでオモテナシの意識も変化したのだろう。
いずれにしても、このたびは寺の仏事法事でもあるし、そのあたりは引き物に到るまで正道を抑えることも大事なことだ。

最近は、お斎の膳にお酒が出せなくなったから、お持ち帰りの小瓶を探しに酒屋めぐりをした。こういう時に銘柄がどぉ〜のこぉ〜のうるさいことを云っても話題のネタが法事から逸れてしまう。ひとまず、人数分揃えて、ついでに「ボクの麦とホップでも・・」と、そちらのコーナーへフラフラ流れてみると・・・ありました!「魅惑のホップセッション」
一瞬、法事のコトが何処かへ飛び去ってしまった!・・・が、気を取り直して、冷静に1ケース買い占め、次は仏具屋さんへ移動。

梅雨の入りに思わぬボクへのプレゼントになって、ウキウキしながらツマミなどを少々買い込んだりして帰宅したのでありました。
味の方は・・・これが、チョット驚き!ボクには何も言えません・・・サッポロ好きの皆様・・まずは、近所の酒屋さんへ急ぎましょう・・
ちなみに、私はサッポロの回し者でもなんでもありません。

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そろそろ梅雨入り 

2017/06/06
Tue. 23:12

山口県のあたりまで梅雨入りしたらしいので、島根県もそろそろだろと思いつつ、万善寺の外仕事を進めた。
一人でコツコツ精を出す程度のことだから、見た目に大きくはかどるわけでもないが、昨日まで境内を邪魔してた松の枯れ枝が今日は無くなっていた・・くらいの変化はしている。

いよいよ、憲正さんの3回忌法事が近づいて、準備が本格的になってきた。
6月に入ってすぐに法事出席の取りまとめをお願いしていたのだが、その返事が集まった。
親族家族あわせて11人。それに、ご導師以下方丈様方が4人。併せて15人となった。
祥月命日を優先した平日の縁日法事で二桁の親族が出席だから、みなさん、よく都合をつけて頂いたことだ。これも、憲正さんの人徳と感謝している。

世間事情で仕方がないことだろうが、万善寺の今時の年回法事は祥月命日と全く連動しなくなった。その関係もあってか、施主さんご自身でも、ご先祖様の祥月命日を覚えていらっしゃることが激減した。
昔は、お盆の棚経で回って歩くと、行く先々でその家のお仏壇前にご先祖様の御位牌を月の順番に並べてお奉りして佛飯のお供えなどがしてあった。そのように手厚くお奉りしてあると、坊主としては回向が長くなるので何かとグッタリするが、一方で施主さんのご先祖様に対する供養おもてなしの気持ちが伝わって気持ちがシャンと引き締まる。
近年はのお仏壇は、お経を読む気も失せるほど見るも無残な状態でであるところが増えた。そういう現状を横目で見ながら坊主家業を続けなければいけなところに、なにかしらのジレンマを感じるのである。

最初の子育てが終わったらしく、ツバメがつがいで飛び回るようになった。
彼らの本能なのだろうか、縁側の窓も全開してあるのにだいたいほとんど玄関から家の中へ飛び込んでくる。
ひとしきり庫裏を飛び回ったあと本堂へ飛んでいった。
つがいで仲良く半鐘の支えで羽を休めている。
これから二回目の子育てが始まるのだろう。

石材屋さんへ永代供養墓の文字を提出して、夕方いつもより早めに寺を出た。
石見銀山を過ぎて大田市のスーパーへ寄った。
その時間帯は、食材やお惣菜が二割引きから半額になる。

自然石に刻む文字は、色々と考えた末に、「両忘」「道心」「玄妙」とした。
この3つを、それぞれ、「永代供養」「有縁無縁供養」「三界萬霊」にした。
数日間、久しぶりに集中して昔の仏教絡みの本を読み返した。
一つの文字に託された深い意味や味わいに触れることは大事なことだと再確認できた。
石見銀山の町並みへ梅雨の湿りが低く降りてきた。

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5月のアクティビティ 

2017/06/05
Mon. 23:11

AppleWatchを買ったのは、自分への誕生日プレゼントと、結婚記念日の記念品と、35年間私のワガママに付き合ってくれたワイフへの慰労と、吉田家の4人の子供たちすべてが社会人になってひとまず子育てが修了した祝を兼ねたものだ。
これだけ色々なアレコレを無理矢理くっつけて一つにまとめて済ますことはオキテヤブリかも知れないが、最近の2〜3の年回法事をまとめて1つの法事で済ませてしまうような檀家さん方のやり方にいつの間にか染まってしまったのかもしれない・・などと、自分の行為を正当化してしまったりしている。

AppleWatchのことは、その情報が流れ始めたときから気になっていた。
まだ2年も経っていないが、以前使っていたノキアがどうにもこうにも動かなくなってdocomoに駆け込んだら、「すでに生産していない商品ですので、お客様のご要望には添えかねます」とアッサリ見捨てられてしまった時に、渋々と買い替えたのが当時の携帯電話で一番小さかったiPhone5sだった。
それ以来、少しずつiPhoneの使い方に慣れてきて、そうするうちにAppleWatchとの連携のことが気になりはじめて、比較的クールにそういう情報を収集しつつ静観していた。
そういう時に、吉田家の記念すべき幾つかの出来事が集まり始め、その上、俊江さんの死亡もあって、色々なことが何かの形になって記憶されることも良いかもしれないと思いはじめて夫婦揃っての購入に至ったわけだ。

たぶん、AppleWatchがタダの時計だったら、未だに魅力を感じないまま買わないで過ぎているだろう。
私が腕時計を腕から放棄したのは島根県へUターンしてしばらくしてからのことだった。
最初の時計はシチズンの自動巻きスレンテスベルトを俊江さんのお父さんで私のおじいちゃんから高校入学祝いにプレゼントされたものだった。その時計は、高校3年間私の腕で動き続け、一緒に上京してからも故障なく動いてくれていたが、大学に合格して、その春の新入生歓迎会の夜に大学から上野駅までの何処かで落として失くしてしまった。
私にとっては、おじいちゃんの思い出がいっぱい詰まった時計だったからなかなか諦めきれないままお盆の棚経を手伝いに帰省した時、憲正さんに腕時計をしていないことを発見された。正直に事の経緯を話したら、お盆を過ぎて学業へ帰る時に、寺の近所の時計屋さんでその時流行していたセイコーの時計を買ってくれた。とても申し訳ないまま、有難く頂いてそれからUターンして島根に帰って壊れて動かなくなるまで約10年間使い続けた。壊れてからしばらくそのままで暮らしていたらいつの間にか腕時計が無くても気にならなくなって、それから数年して携帯電話を持つようになって、時間はそれがあれば用が足りて不便を感じない暮らしが続いた。

もう、自分と四六時中行動をともにする機械は携帯電話に切り替わっていて、生涯腕時計とは縁がないだろうと、今でも思っている。
私にとってのAppleWatchは、iPhoneの延長の便利グッズのようなもので、時計とは思っていない。
おじいちゃんと憲正さんにもらった腕時計は自分の思い出の中で今でも動いている。

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一俵の米 

2017/06/04
Sun. 23:41

朝目覚めた時に、外の光が明るいと家の中にいることがもったいない気になって、じっとしていられなくなる。
5月はほとんど法事がなくて仏事というと寺の随喜ばかりだったから、それ以外はほとんど毎日万善寺の内外の掃除や片づけや草刈りなどで過ごした。

6月になってはじめてお檀家さんから法事をしてくれと連絡が入った。
おばあさんの100回忌とおとうさんの37回忌を併せて、塔婆も2枚書いた。
万善寺のお檀家さんで、その施主さんだけがいまだに自分で塔婆を作られる。
私が住職になってからでも、5枚は作られたはずだ。そのすべてがヒバの板塔婆で厚さが1cmはあるような立派なもので、お墓に参ると風化しないでシッカリとカタチが残っている。

常々、万善寺では33回忌法事の後の年回は「お祝い法事だと思っておつとめください」とお話していて、このたびの法事は正に目出度いお祝い法事になった。
それが先日随喜でお経を読んでいる最中に何度も電話がかかって往生したことに繋がる。
法事当日の少し前になって、五輪塔建立を思いつかれた。
それはそれでとても良いことだが、あまりにも話しが唐突過ぎて、その後の段取り付合いで苦労した。
五輪塔建立そのものは、普通ではなかなか出来ない一大事業であって、そういう思いつきをしてご先祖様を大事にされる施主さんが皆無状態の今の世に、とても立派なご信心であるが・・・それであるから、坊主としては、石塔建立の場所配置からきちんと撥遣をして点眼法要へ至るまでの順序というものもある。
そういうことをまるまるすっ飛ばして、法事当日を目指した突貫工事になってしまったから、とにかく慌ただしく振り回されてしまったわけだ。

アレコレと色々あったが、終わりよければ全て良しということで無事に法事が終了して、寺へ帰って布団を干したり衣替えの衣を干したりしていたら、先程すませた法事のご主人がお参りされた。何事かと思ったら、米を1俵持参してくださった。いまどきのことでは久しく絶えて無くなったお供え物になった。
ひと昔前はお参りの度のお供え物で、住職一家が1年中食べても食べ尽くせないほどの米が集まっていた。
ずいぶんと念入りなご配慮に恐縮しながら有難く頂いて、ひとまずは御本尊へお供えさせていただくことにした。
おかげさまで、夫婦二人の1年分のお米を確保できた。米代が家計から削減できただけでもとても助かる。早速ワイフへ報告して二人で喜んだ。

このところ、ひたすらハードに身体を動かしていたから、ほぼ半日の仏事で静的動作が続いて、身体のアチコチが固まった。少しほどゆっくり休もうと寝転がったのに、こういう時に限ってネコチャンズがオヤジへ絡んでくる。肉体の疲労回復にはならなかったが、良いこともあったし、心の疲労は少しほど回復した気がする。

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野生の境界 

2017/06/03
Sat. 23:52

石見銀山から飯南高原から雲南、出雲と、そのあたりをウロウロする毎日が続いていたが、ほぼ1ヶ月ぶりに江津方面の仕事があって、波の穏やかな快晴の日本海へ出た。
私は、生まれも育ちも山の人間だから、海を見る機会が極端に少なかった。
今、家族と暮らしている石見銀山からは、結界くんで10分も走れば日本海を見ることが出来るし、彫刻の素材探しに重宝している石の海岸も近い。
彫刻の仕事でつまづいたり、気持ちが晴れないことが続いたりした時は、なんとなく日本海を見たくなる。
今日のように快晴で穏やかでもいいし、悪天候で波が高くてもいいし、日本海に沈む夕日が特に見えなくてもいいし、とにかく、海と馴染みが少ないまま大人になった私としては、日本海になにかしらどこかしら気持ちのザワメクものがあって、無性にそういう刺激を求めたくなることが時々やってくる。

前日の夜が夜更かしだったから、結界くんを運転している間中眠くてしょうがなかった。
国道から旧国道へ左折して西へ走っていたら、突然「ドン!」と大きな衝撃があって結界くんがグラッと揺れた。
ボォ〜っとしてハンドルを握っていたから、突然のことで一瞬何が起こったのか頭がまっ白になった。
バックミラーに、なにやら黒い物体が横切った。
「ギャワッ!グブグブ!グフャ!」
何とも言えない叫び声を上げながら旧国道脇の林へ逃げ込むところが目に入った。
あの野太い鳴き声は、クマに違いない。
ゴロッとズングリした体型も猪とは違う。

もう、10年は前のことになるが、盆の棚経で神門川の支流脇の街道を走っていたら、川向うの桜並木の道を、競歩くらいの速さでツキノワグマが私と同じ方向へ向けて移動していた。あのクマは黒ぐろして立派なオトナだった。
今回の動物は、黒というより黒に近いグレーに見えた。これは光の反射の具合だったかもしれない。10年前のツキノワグマの半分くらいと小さかったが、あの何とも無骨な競歩の感じは近い。
結界くんの衝撃があまりにもすごかったから、横腹の何処かが凹んでいるかもしれないと心配になった。駐車場へ到着してすぐに確認したがこれといった凹みは見当たらない。
しかし、どうしてワザワザ走行中の結界くん目指して飛び込んできたのだろう?
「このあたりで、クマの目撃情報はありますか?」
「今年は、そういう話は聞きませんが・・・去年だったかなぁ・・ローソンの近くにいたという連絡が入ったことはありましたね」
「あれは、多分、クマだったと思うのですが・・・小さかったから子供かもしれません」

暑いから、窓を開けて走っていると、モヤァ〜っと、獣の匂いが流れ込んでくることがある。だいたいそういう時は猿の集団が周囲をうろついている。
島根県は少しずつ人間と野生の境界が近づいている。

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典座寮復元 

2017/06/02
Fri. 23:23

昨年の12月から今年の2月までの島根県は、例年に比べて雪が多かったように思う。
それでも、寒波に比較的正確な周期のようなものがあって、マメに雪対策をしておけばそれほど雪害で悩まされることもなかった。
あとになって、法事の席などでさまざまな地域事情を聞く機会があって、それでやっと山陰から瀬戸内にかけての広範囲で厳しい冬を乗り切ったような状況を知った。

そもそも、万善寺のある飯南高原そのものが山陰とか島根県とかに絞ってみると、雪がよく降って積もるところだから、今回の冬季が特別だったとは感じないまま春を迎えたように思っていたが、実情はそうでもなかった。
万善寺でも自分の気づかないところで若干の被害があった。
境内の端には土留の石垣が組まれていて、そのほぼ中央に大きな松がある。
たぶん、寺が現在の場所に移築されたときからその場所にあったと思うから、樹齢300年くらいにはなっていると思う。

昭和の終わりから平成にかけて松くい虫の被害が東の方から広がって、数十年かけて山陰一帯を襲った。
飯南高原から石見銀山にかけても、かなりの深刻な被害が広がって、その頃は吉田家の子供たちが中学生だったし、保護者の奉仕作業で枯れた松を切り倒したりした。
松に限らず、木を切り倒すにはかなりの専門的な知識や経験が必要で、素人の仕事にはできない。
万善寺のお檀家さんの中にも昔は専門の林業従事者がいて、子供の頃から山の怖さを数多く聞かされたし、中には、若くしてその山仕事の最中に事故死した人もいる。

それで、万善寺の冬の被害のことだが、なんとか松くい虫の被害を凌いだ境内の松の大きな枝木が、雪の重みで折れた。
そのまま地面に落ちればよかったのだが、その折れた枝のすぐ下にある枝木に寄りかかって中空に踏みとどまってしまった。
下から見上げると、自分でなんとかできるとその時は判断して時が過ぎ、今になってやっと本気に伐採を思いついて本堂の荘厳用の長いハシゴを松に立てかけた。
そうしてみると、思っていたよりずっと上の方で折れていて、ハシゴを登りきっても鋸の先が届かない。
何かいい方法がないか考えたが自分の技と道具では無理だと決めて、知り合いの電工さんの工事車両目当てで泣きついた。
「今日の昼からだったら行けますよ。明日からまた仕事で使うから・・・」
というわけで、急きょ万善寺境内が大騒ぎになった。

予定外の仕事になってすっかりバテて、外仕事をする気も失せたので、途中で終わっていた庫裏の典座寮(台所配膳室)の拭き掃除をした。
前住職夫婦が、60年の間に溜め込んだゴミの山を一気に処分したところで終わっていた掃除を再開して、夕方やっと素足で歩けるまでになった。

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ひとりめし in 万善寺 

2017/06/01
Thu. 23:48

このところ連日快晴で暑い日が続いていたが、今朝は薄雲が石見銀山の谷に降りて肌寒いくらいだった。
石見銀山でこういう状態の時の飯南高原は、もっと厚い雲にスッポリと包まれているか、朝霧が晴れて抜けるような青空が広がっているかどちらかになっていることが多い。

銀山街道の途中で三瓶山の全景が見渡せるところがあって、其処まで行くとだいたい万善寺周辺の事情が想像できる。
「万善寺のあたりは雨になるかもしれないな・・・」
なんとなく、そんな気がした。

午前中は石材屋さんが万善寺の墓地で永代供養墓の作業を進めると連絡が入った。
墓地のある辺りは、古い土地でどこまで掘っても墓地にしておくにはもったいないくらいの上質の黒土である。
甲子園の土は大山から持っていっているらしいが、それに負けないくらい純度が高い。
今は、国の行政指導もあって荼毘火葬がほぼ100%になっているはずだが、少なくても島根県各所で昭和の中頃まで土葬が普通に残っていた。
この黒土に土葬で埋葬されたご先祖様方は、200年位経ってもまだ遺骨が原型をとどめて残っているだろうと思っていたが、職人さんから、無縁仏の墓から二体ほど土葬の遺骨が出たので、火葬にして仮埋葬しておいたと報告を受けた。
今の事情でお墓に手を加えると、こういうことがあるのも当然のことだから、事前の撥遣供養がどれだけ大事なことかよく分かるだろう。この度も、遺骨が残っていると予測できたので、事前に念入りに撥遣のお経を読んで供養をしておいたから、職人さん方も安心して仕事に打ち込んでくれているわけだ。

午前中で作業を終わった職人さんが帰ってから、一人昼飯を造って食べた。
前日に随喜した大般若の斎の御下りで茶飯や煮しめを頂いた。そのお寺では、数年前にお檀家さんの大々的な世代交代をした時、婦人部の皆さんも一気に若返った。茶飯は作り手が違うと味も変わる難しいご飯だから、先輩ご婦人方から事前の厳しい引き継ぎ指導があったらしい。
ワイフは流行りのサラダチキンのようなものを造ってくれていて、直前にフライパンで火を通した。そういうことをして良かったのかどうかわからないが、旨かった。
ボクは、買い置きしておいたサーモンの切り身をムニエルにした。もともと新鮮だったし、あまり火を通しすぎるとパサパサになって鮭ふりかけと変わらなくなりそうだから、少しレアの状態で火を止めた。
墓地の往復と境内の外仕事で流した汗の補充は、麦とホップのハーフ&ハーフ。
バックミュージックは、先日のテロ被害で傷心のアリアナちゃんを想いつつ、最新アルバムを流した。

外は、なんとなく怪しげに曇っていて湿気が強い。
たぶん、夕方には雨になるだろう。

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2017-06