工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

蒸し暑い一日 

2017/07/27
Thu. 23:01

万善寺台所に壁を作って一つの部屋を二つにしようと計画したのが、5月の連休明けくらいの頃だった。
ひとまず、憲正さんの3回忌と俊江さんの49日が終わらないと改修作業を始められないだろうと思って、まずは法事までに6畳と3畳をフローリングへ改修することを優先した。結果、棟梁の都合で大工工事が先延ばしになって、そのまま玉突きされて台所の改修も遅れて、その間に予期せぬ仏事が加わったり今回の展覧会ではワイフの代行をしたりして、やっと本気で大工仕事に取り掛かることが出来たのが本日であった。
素人だから、とても表向きの大事な場所をイジることは出来ないが、私の一人暮らしでしか使わないところとか、台所のようにたまに家族の誰かが使ったり、1年の数回の万善寺年中行事でワイフの世話になったりする程度で使用するくらいのところは、素人のなんちゃってリフォームで十分だ。
例のごとく石見銀山から通勤坊主の途中で、ホームセンターへ寄って必要な資材を仕入れて、コンビニで熱中症用のスポーツドリンクを買って万善寺へ着いたのが9時前だった。
この半世紀で床がブクブクに弱って、場所によってはよほど気をつけないと踏み抜いてしまうまで傷んでいた。だいたい12畳くらいの広さへコンパネを隙間なく敷き詰めて、その後壁を造った。冷蔵庫の場所が動かせなかったり、作り付けの食器棚の場所が悪かったりして、シンプルな四角い部屋を作ることができなかったが、色々工夫して夜の9時過ぎにやっとひと通りの大工仕事が終わった。

松江の美術館で開催中の展覧会に、私が初めて見る絵画の新人作家(だと思うけど・・)が2人出品していた。
1人は、父親がその展覧会のベテラン出品者で、影響を受けた息子も絵を描きはじめ、目出度く父親と同じ会場へ自作を展示することになった二世作家になる。
初めて見る絵画だから新鮮に観ることが出来た。年齢がわからないので何とも言えないが、抽象の硬い構図と色彩の組み立てに「苦悩する若者」がイメージされた。これからその絵がどのような展開をみせるのか楽しみである。作風の正直さに現代美術の曖昧な境界が必然性を持って加味されてくるともっと面白くなっていく気がする。構図や色彩が直接的であることに対して、筆触の不規則性がズレすぎているふうに見えて、素直に絵のフレームへ入り込むことができにくかった。きっと、トテモとても真面目すぎるくらい真面目なヒトなのだろう。
もうひとりは、たぶんまだ20代後半か、もしくは30代前半くらいだろう女性作家。
出品者の会話を聞くともなしに聞きながら想像するに、何処かの高校の美術の先生らしい。アカデミックで素直な作風の静物画は、室内の一角を切り取って構図を決めた癖のない伸びやかで爽やかな具象の絵に仕上がっていた。題材や作風は今回の展覧会出品絵画の中ではとても分かり易く万民受けすると思う。其処にあるものをそのまま丁寧にうつしとることには、それなりのデッサン力が大事であって、その力量の有る無しが絵画に深みとか説得力とか、絵の裏に隠された作家のテーマの重さに還元される。絵画に限らず、具象の表現の難しいところはテーマの設定と、その目指す先をどのように咀嚼して鑑賞者へ正確に伝えることが出来るかということのように思う。
ただ、上手に描くとか上手に描けたとか、そのあたりで思考や方向が止まらないように自分の絵へグイと踏み込んで欲しい。

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坊主も作家も 

2017/07/26
Wed. 23:52

前日の雨が上がって、琴引山の木々からは雨水が気化して空に戻っていく。
この1日で島根県内アチコチを300km以上走った。結界くんのエンジンオイルは、交換時期を過ぎているが、カーショップへ行く時間がなかなか作れない。

先月遷化された方丈さんの本葬に向けて、事前の準備でお手伝いの方丈さま方が参集されるので、主喪(しゅそう)役の私も朝から隣町のお寺へ向かった。
主喪は、一般で云うと喪主のような立場の配役になる。これは、表向きの建前当て職のようなもので、内実は副住職のご長男が喪主になっている。宗門僧侶の立場では、この副住職は、遷化されたご住職のお弟子さんに当っている。それを遺弟(ゆいてい)と称し、本葬では遺弟としての立場で諸々の役割を果たすことになるから、別に表向きの喪主的役割を受け持つ係が必要になるわけで、それが万善寺方丈の私に当たったわけだ。
なかなか、一般では理解不能で面倒な習わしが宗門の葬儀の決まりごととして今に継承されている。
それぞれ、寺の内情や方丈さまの功績やお檀家衆護持会のお考えや、それに当日配役寺院の事情などを総合して、多少のオプションが加わったり、逆に次第の変更や割愛があったりするので、あらかじめの予習や予行練習をしておく必要もあるし、この度のように葬儀会場となる本堂を中心とした模様替えなどの準備もしておくことになるわけだ。

松江の美術館で山陰二記展がはじまって初日でもあるし、今年はワイフが留守にしているし、他にも彫刻のベテラン出品作家が揃って留守にしているから、誰かが搬出のことも含めて遺漏の無いように手配しておかないと絵画の皆さんへ迷惑をかけることになる。
こういうことは前々から分かっていることだから、出品者でありグループのメンバーでもある彫刻の仲間には誰かが事前に申し送りをして事態の収集調整をしておくべきことだと思う。その「誰か」が立場としてはワイフであるわけなのだけど・・・
部外者である私がしゃしゃり出るのもどうかと思いつつ、ワイフとのやりとりで事前調整が出来ていなさそうな雰囲気を感じたので、今回はさり気なく搬入搬出へ絡んでおくことにした。

僧侶と作家は、職業の接点があるわけでもないが、モノの考えや立場が比較的近いと思っている。規模の大小はあってもひとつ寺の住職としての立場は、ある意味腕一本で表現し個人オリジナルな独創的思考を身上とするアーチストと似たようなところで考えたり行動したりしていたりする。
私自身がそういう立場で日常の暮らしを使い分けたりしているからそう思うだけのことかもしれないが、とにかく、それで良いこともあればどうかと思うこともある。
個人のプライドであったり、テーマや主張の好き嫌いであったり、頭の数ほど口の数もあって考えることも言うことも違うし、行動パターンも違う。
坊主集団の良いところは、みんながそれをわきまえて自分の立ち位置をキープしながら、一方で組織的な集団行動も出来る配役を粛々とこなせることだ。
坊主も作家もお互い一人の人間だし・・・それなりに過不足なく付き合うのも面倒なことでけっこう疲れますなぁ〜・・・

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雨の美術館 

2017/07/25
Tue. 23:47

猛烈な豪雨の山陰道を結界くんはフラフラしながら健気に走り続けて、ほぼ予定の時間通りに松江へ着いた。まだ午前中だと云うのに、空は厚い雲に覆われてどんよりと暗い。国道は渋滞していていつもと様子が違う。対向車はほとんどがライトを付けて走っていた。

山陰二記の展覧会があって、その搬入で松江の美術館までワイフとワイフの彫刻を乗せて移動した。ワイフはそのまま松江から東京へ移動する。7月の押し迫った最後の日曜日になっちゃんの結婚式があるので、先発隊を務めることになった。
島根と東京の距離で、電話やLINEやSNSなどを駆使して色々連絡をとりあいながら準備を進めていたが、関係者のみんながそれぞれ自分の仕事をしながらその合間に思いついたり思い出したりする断片的なスケジュールや用件を伝えあうくらいのことしか出来ていないから、具体的な全体像が実に曖昧なまま当日を迎えることになるだろう。
いずれにしても、終わりよければ全て良し!・・・といったあたりに物事が収束してくれれば良いことなので、今は、時々の流れに我が身を委ねている状態だ。

展覧会へ向けて杉の丸太から掘り出していたユキちゃん(彫刻見習い)の半抽象の彫刻が、搬入当日の朝になってやっと最後の仕上げに入った。
ユキちゃんは同じ猛烈な豪雨の中を搬入時間から少し遅れて美術館へやってきた。飯南高原の方もかなり強烈に降ったようで、移動の道中が大変だったようだ。
いずれにしても、無事に彫刻の搬入も出来たし、ひとまず安心。
私としては、まだまだ完成度のレベルアップが可能な気もしていて、制作過程の造形の組み立てに工夫の余地が残されていると思うが、本人は、かなりしつこく時間をかけてかたちに寄り添っているようにも見えたし、まぁ、彫刻の大小は抜きにしてユキちゃんの粘り強さと集中力と持続力と執着心と直向きさが十二分に内包された立派な木彫に仕上がったと感じる。
なんでもかんでも、大きければ良いというものでもないし、作家の許容の範囲で表現の段階を確実に抑えながら次に繋げることが制作の継続にもなるし、作家歴の積み重ねには、そのことがとても大事なことでもある。
ひらめきや思いつきやセンスにすがったり頼ったりして出来上がる作品は、結局鑑賞の持続につながらないし、一瞬の感動に頼りすぎる危険性もある。
見れば見るほど味わいが伝わってくるような造形の奥深いところを目指して欲しい。

美術館の会場に山陰彫刻界の重鎮古市義二さんの顔を見た。倉吉在住で、昨年の鳥取県中部地震では制作工房が倒壊する被害を受けたそうだ。それでも、めげずに工房の復興を目指し、瓦礫の中からめぼしい材料を引き出して彫刻に置き換えるエネルギーには頭が下がる。90歳を越えてなお、益々やる気満々のご尊顔に接し、気持ちが高揚した。
江津市出身の絵画の重鎮佐々木信平さんは、残念なことに先頃他界された。静岡の制作アトリエで最後まで制作に没頭されていたようだ。
すぐ近くで、こういう立派な造形作家の後ろ姿を見ながら、自分の彫刻の励みにしていられることはとてもありがたいことだし、幸せ者だ。
古市氏の益々のご多幸と、佐々木氏のご冥福を祈りつつ美術館をあとにした。

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狩人ネコチャンズ 

2017/07/24
Mon. 23:28

琴引山のてっぺんあたりへ、一日中厚い雲がかかっていた。
いつもだったら、だいたいシトシトと雨が降り続いているはずなのに、何故か今日は降りそうで降らない。湿った空気が飯南高原高原をスッポリ包んでいて、とにかく蒸し暑くてしょうがない。
何もしないでいても汗が滲み出てくるような不快な状況で、こういう時はパンツ一丁でフローリングへベタリと寝転んで一日中ダラダラ過ごしたいとツイツイ思ってしまう。
朝からそういう状態で、仕事をする気にもなれない。

仏様は時々薄情で意地悪で冷たく無視される。
「今日のような不快な日は、きっと、仏様もやる気も失せてしまうのだろう・・」
そう思うことにして、白衣と改良衣で坊主の制服を着込んだ。
月曜日から法事をすることなど、1年で一度あるかどうかと云うほど珍しいことだが、たまたまご親族の仕事に月曜休日が多かったということで、それにあわせて法事の日程を決められたのだそうだ。
工場の制作も片付けたし、これから7月のうちに万善寺庫裏の台所を修繕する作業に入ろうと思っているくらいで、おおむねヒマにしている私の方はこの不快な天気が気になるくらいで、特に不都合はない。
大祥忌の法要を済ませ、斎膳をいただいて、午後の早いところで万善寺へ帰って、すぐに白衣などを洗濯機へ放り込みつつ、シャワーで汗を流してスッキリした。

田の字の庫裏は、美術の制作工房代わりに提供していて、グループ展搬入を前に新人の作家たちが最後の追い込みへ入っている。
まだ若い人には、今日のように不快な蒸し暑さなど気にもならないようで、黙々と制作を続けていた。
たぶん、今夜はほぼ徹夜になるのだろう。「それも、試練で良い経験だ・・・」などと、偉そぉ〜に上から目線を被せながら麦とホップをグビリと喉に流し込んて、すぐに寝た。
きっと、ワイフも石見銀山の吉田家で、食卓を作業台に使いながら「制作に励んでいるのだろう」と思いつつLINEしようと思っていたら、本人から電話が入った。
「気持ちが通じてるねぇ〜♡!」
「何云ってるのよ!アンタ出掛けに後ろのドア閉めなかったでしょ!」
ネコチャンズが開いたドアから悠々と脱走して、屋外散歩を楽しんだらしい。
「ストーブの前にスズメが死んで転がってたわよ!外で何してるか分からないんだから!」
外出中に狩りもして獲物をゲットしたようだ。さて、シロかクロか?どちらの仕業だろう??
スズメにはかわいそうなことをしてしまったが、「彼らもナカナカ猫らしいところもあるじゃないか・・」と、ワイフのプンプン声を聞きながらニヤついてしまった。

急に暑くなりはじめてからの吉田家は、必然的に窓やドアを開放する機会も増えて、ネコチャンズにとっては脱走の確率も増してウキウキなシーズンになっているようだ・・・
その夜、ワイフは自分の寝場所からシロを追い出したらしい。それも可哀想だな・・・

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 似たもの母娘 

2017/07/23
Sun. 23:40

熱中症で倒れるかもしれないと思いつつ制作を続けていたら、昼を過ぎて14:00くらいに塗装まで終わって、とりあえずなんとか完成させることが出来た。
いつも造っている彫刻の仕事ではないが、鉄の材料を使ったクラフトを造ることになったのはなっちゃんからの依頼があったからだ。

吉田家長女のなっちゃんは、7月の終わりに東京で結婚式と披露宴をする。
もう2年くらい前に入籍を済ませて旦那の家族が暮らす埼玉県へ引っ越しているから、「いまさらワザワザあらたまって大金使って披露宴をすることもないだろうに・・・」と、私は今でもそう思っているが、本人は、「このまま結婚式もしないでダラダラと夫婦の生活を続けていても、旦那の旦那としての自覚がない曖昧な結婚生活が続くばかりだから、キチンと自覚してもらわないと困るの!」と、結婚生活は独身時代の気楽な同棲暮らしとは違うんだということを態度で示すことが大事だと主張をしている。
「考えようによってはソレも大事なことかもしれない」・・・と思わないでもないが、私としてはやはり「いまさらなぁ〜〜」って感じが頭の隅の方へ残っていて、どうも素直に付き合えないところがある。
まぁ、一般の常識では目出度いことだからしつこくとやかく言うことでもないから、「フンフン・・」と、いわれたように乗り切っていたら、或る日、「お父さん、ちょっとお願いがあるんだけど、出来なかったらソレはソレで良いからね・・」と、なんとなく奥歯にモノの挟まったような煮え切らない言い回しの電話がなっちゃんから入った。
彼女は電話口でアレコレこまめに説明をしていたが、私も世間の結婚式事情を詳しく心得ているわけでもないし、内容がよく飲み込めないまま「なっちゃんの頼みだったら断れないだろう」と、その場のノリで披露宴用の小道具になるらしいモノを造ることになった。

だいたい2週間位は、色々と形とか用途とかを総合してナニを造ろうか考え通していた。
「昔は、無い知恵を絞って山のようにメモを描きつづけていたなぁ〜」と、若い頃の制作の背景を思い出したりしているうちに、少しずつ全体の形が決まってきたのが、さて、3日位前だっただろうか・・・
それから、工法を考えなだら必要な部品や材料を揃えて本格的に制作へ入ったのが今朝のこと。
「それじゃぁ、工場へ行ってくるから・・」
ワイフへ声をかけて自宅を出ようとしたら、
「あっ、チョット待って、この石のココの所へ2mmの穴をを空けてくれない?それから、こんな感じで台に固定したいんだけど、どぉ〜かなぁ〜・・」
こんどのグループ展用の小さな彫刻を、やっと本気に造るようになったようで、パーツ制作の打診をしてきた。
コトのついでと言ってしまえば、まぁ、そんなもんだが、「こちらのスケジュールのことも無い訳ではないし・・・ブツブツ、仏仏、ぶつぶつ・・・」
ワイフもなっちゃんも、やはり母娘のことだから、どこかしらオヤジの使い方に似たようなノリを感じる。
「頼ってもらえているだけでも、ありがたいことサ!!」・・・そう思うことにした。

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何時もの海岸 

2017/07/22
Sat. 23:27

仕事の合間に日本海へ出た。
工場は強烈な暑さで、粉塵の換気代わりに回している古い扇風機が何の役にも立たないまま、熱い空気をかき混ぜているだけだ。
ツナギは汗を吸って重たいし、鉄板入りの安全長靴の足が気持ち悪いほどジクジクしている。
こういう劣悪な環境ではなかなか集中力も続かないし、チョットした気の緩みで大怪我をしてしまったりする。
自分一人で工場へいる時に、一番注意しなければいけないのは怪我だ。
大怪我をしても誰も助けてくれないし、すべて一人で世話しなければいけない。
常々、仕事の進捗より自分の身体を気遣うことを優先するようにしている。
今日も、集中の限界を感じて、あと少しでキリの良いところまで進む仕事を切り上げた。
身体の方は悲鳴を上げているのに、気持ちだけが熱く盛り上がっているという状態が一番危険だ。

コンビニでスポーツドリンクとお茶のペットボトルを買って、何時もの海岸へ結界君を走らせた。
狭い駐車場へ乗用車が1台止まっていた。
日本海へ直角に止めて海岸を見渡すと・・・砂浜になっている・・・

私が彫刻の素材で使う日本海の石は、だいたいその海岸で採集する。
島根県の海岸はほとんど砂浜と岩場ばかりで、石浜を探すことが難しい。
たいしてこだわっているわけでもないが、川の玉石は、角の取れ具合というか丸まり具合にまだ完成されていないところがあるように感じる。こういう石は自分の主張というか個性というか、そういうものが宿っていて全体がひとつにまとまりにくいところがある。
日本海の石浜の方は、徹底的に海の波で転がされて、稜線が微かにかろうじて残りつつ、一方で個性が程よく消えるまで丸まってくれている。
この、川の石と海の石の違いで自分の彫刻の主張の落とし所が狂ってしまう。

毎年少しずつ採取して補充しながら使い続けていた石浜の石が、見事に跡形もなく消えている。こういうことが数年前にもあった。
仕方がないからホームセンターで20kg入りの玉石を買う羽目になった。巨大なポットミルで挽いて作成した玉石は、見るからに味気ない。少しほどストックしてあった海の石を全てかき集めて、その玉石もどきと組み合わせてなんとか展覧会を乗り切った。
あの時の記憶が蘇って、防波堤に立ち尽くしてしまった。

砂浜になってしまっている海岸で、500ml2本分の水分補給をして工場へ帰ってプラズマ切断を準備したが、どうも仕事が手に付かない。
飯南高原の山暮らしが長く続きすぎたツケが回ってきた気がする。
この前この浜に来たのは、俊江さんが死んですぐの頃だったはずだ。
あの頃は、冬の名残の冷たい北風に白波が立って、海岸の石が波打ち際で濡れていた。

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ヤモリのシーズン 

2017/07/21
Fri. 23:46

またヤモリのシーズンになった・・・といっても、ヤモリは1年中いると思うんだけど、とにかく、暖かくなると少しずつアチコチで見かけることが増えて、梅雨が終わる頃からいっきに活動が活発になって、だから目撃の回数も増えて、「ヤモリのシーズンになったなぁ・・」と錯覚してしまうのだろう。

ヤモリというと、高校生になってすぐの1年半ほど下宿をしていた家の窓へ夜になると何処からともなく現れて張り付いていた。
高校生の頃は、午前0時前に寝ることなど無いほど常習的に夜更かしをしていたから、窓からもれる灯を目指して集まってくる虫達も多いし、ヤモリの捕食には都合の良い環境を提供していたわけだ。
夜更かしといっても、ひたすら勉強ばかりしていたわけでもなくて、ひと通り予習などが終わったら、あとは深夜のラジオを聴きながら小説を読んだりしてダラダラ過ごすという悪循環が続くといった具合だった。

その下宿は、自室の施錠ができない造りになっていて、個室の環境があまり良くなかった。
1年が終わる頃には少し慣れるだろうと思いつつ我慢して暮していたが、そのうち、自分が留守のあいだに誰かが部屋へ入ってアチコチ物色した形跡が感じられるようになって、それがしだいに具体的な物証に変わってきたから、このまま見逃すともっとヤバいことになりそうだったので、2年生の夏休みをはさんで下宿を変ることにした。
時期的に云うと、丁度今頃のことだったが、荷物を整理して段ボールの山に埋もれながら夏休みを待ちつつ夜更かししていたら、文庫本の開いたページを目掛けたようになにかが上から落ちてきた。
だいたい、日常の暮しの中で、こういうシチュエーションに遭遇することなど滅多に無いことだし、夜中のことでもあるし、その上ねっからのチキンボーイだから驚いたの何の・・・!
最初何が降ってきたのか見分けもつかなくて、また確認の余裕もないまま本をバサリと閉じて放り出してしまった。
段ボールの方まで飛んだ文庫本がピクピク動くのが見えて、余計にビビったが、そういう状況をそのままにしておくわけにもいかないし、近づいて確認すると、その本の中からヤモリがクネクネ這い出てきた。勢い良く本を閉じたことで、ヤモリも若干のダメージを受けたのだろう、動きがヨタヨタしてぎこちない。
意を決して摘み上げたら、「キーキー」と鳴いた。
「ヤモリって鳴くんだぁ〜」
その時はじめて知った事実に驚きつつも、「可愛いヤツだなぁ〜〜」とも思って、いっきにヤモリとの距離が縮んだ気になった。手の平のヤモリはヒンヤリと冷たいまま動かない。
本に潰されたあとだから、「このまま死んでしまうのかなぁ〜」と心配になって、しばらくジッと眺めていたら、少しずつシッポや手足を動かすようになって、それから手の平で身体をクネクネ動かして指のあいだへ頭を突っ込んできた。その力が自分の手に伝わってきて「これは、生返ったな」とわかって、すこし気楽になった。
そのヤモリは、ガラス瓶の中で小さな蛾を食べながら引っ越しの日まで一緒に暮した。

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夏野菜が旨い 

2017/07/20
Thu. 23:34

お盆までに万善寺庫裏の改修を終わらせておこうと、結界くんへパネルを積み込んだ。
それから幾つか用事をして吉田家前の駐車場へ帰ると、どうも空模様があやしい。
AppleWatchで天気を確認すると、雲に雷マークがついている。
工場の方は、青空も見えて雨が降る気配などなかったから、一晩おいて翌朝に寺まで移動すればいいと思っていたのだが、計画を変更して今日中に運んでおいたほうが安心できる。
「雨が降りそうだから、チョット寺まで行ってくる」
ワイフにそう言い置いて銀山街道へ出た。
石見銀山はジッとしていても汗がにじみ出るほど蒸し暑かったが、飯南高原は爽やかさが違う。万善寺の庫裏へ入ると、空気がヒンヤリしていて、一気に汗がひいた。

板の間とフローリングへ改修した6畳間にパネルを立てて壁を自作する。
基本的に万善寺はとてもヒマな寺だから、1年に数回の仏事行事で使う以外は、空き部屋のまま遊んでいる状態だ。
昔の日本家屋だから、柱と建具で田の字に仕切られたシンプルな作りなのだが、その田の字の部屋に先代夫婦は色々なモノを持ち込んで狭く狭く使っていた。
私はどちらかというとなんにもないスッキリした空間へ憧れているようなところがある。やっと自分の自由に暮らせるようになった庫裏を、必要最小限の家具を置くだけにして、彫刻の展示台を並べてギャラリーにしようと考えている。
女流彫刻家吉田満寿美と鉄の彫刻家吉田正純の彫刻を季節ごとに入れ替えながら常設して、時々知り合いの彫刻家へお願いして個展をしてもらったり出来ると庫裏の空間が活かせる気がする。
考えているようにうまくいくかどうかわからないが、何もしないでお寺参りを待つだけよりはマシだ。8月の盆月が落ち着いたら、倉庫で眠っている彫刻を移動して秋にはオープンしようと思う。

ワイフが、例のごとく食卓を彫刻の作業台に使いはじめた。
今年は松江の県立美術館がグループ展の会場になる。
会期中になっちゃんの結婚式が重なって吉田家の7月は一気に忙しくなる。
ワイフは、彫刻の搬入をしてそのまま島根を離れる。
私は少し遅れてじゅん君と待ち合わせをして別便で移動する。
ボンヤリと決めていたスケジュールが少しずつ具体的に固まりはじめた。

寺から吉田家へ帰宅したら、作業台になっていたテーブルが夕食の食卓に戻っていた。
ボクのスキな料理が並んでいた。チーズの焦げた香ばしい匂いがしていた。
トマト、ナス、キュウリ・・・夏野菜が美味しい。
クロが珍しく擦り寄ってきた。シロは何処かへ潜り込んで出てこない。
「雨どうだった?」
「それほどでもなかったよ」
やっぱり、石見銀山は雨が少し降ったようだ。

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ミョウガの始末 

2017/07/19
Wed. 23:11

しばらく吉田家を留守にしている間に、裏庭の草が伸びて茂っていた。
春のうちに2回ほど集中して徹底的に刈り込んでおいたから、昨年までに比べるとこの時期の草刈りもかなり楽になった。
それでも、問題がいくつかあって、その一つが葛。この葛がはびこって根付いてしまうと、草刈り機の回転にツルが巻き付いて厄介だ。それに、裏庭の果木へ巻きついて幹を締め上げると、木の成長の体力を奪う。この数年の間に、ほとんどの梅の木が葛にやられて絶えた。自然の植生の力関係は、容赦がない。
吉田家の裏庭程度でも、人の手が入らないと、たった数年で人間が踏み込めないほどのジャングルになってしまう。
この葛を筆頭に、蔓や蔦系の植物がはびこると、成長力の弱い植物は一気に絶えてしまう。人の暮らしに余裕がなくなったり、暮らしが絶えて環境が放置されたりすると、一軒家は2・3年にうちに蔓蔦に飲み込まれてしまう。

今年の春に母親の俊江さんが永眠するまでの、だいたい10年位は石見銀山の吉田家のことがほったらかしにされていた。
私の体力と生活力の弱体が原因と云えなくもないが、結局は石見銀山の吉田家をワイフへ任せっきりにして、万善寺とその周辺の維持管理を優先し続けたからのことだ。
最近になって少しずつだが、吉田家の裏庭をワイフが諦めるようになった気がする。
一時期は、何かに取り憑かれたように裏庭のアチコチの空いたところを見つけては色々な種類の木や花を植え続けた。やがて花が満開になったり、果実がたわわに実ったりすると、それをすごく喜んで愛でた。私が仕事の合間に草刈り機を振り回して大事な草木の幾つかを薙ぎ払ったりするものだから、それが気に入らなくて自分で草刈り機を使ったりしていた時期もあったが、それもいつの間にかしなくなって、人の手が入らなくなった裏庭が荒れはじめた。
寺の俊江さんの方も、ワイフと似たり寄ったりで、万善寺の境内やその周辺に草木を植えたり挿し木をしたりした。こちらの方はまだ彼女が若くて元気だった頃からのことだからその後30年位の間にしだいに株が大きくなって見晴らしが悪くなっていった。
たまたま、私の近くの二人の女性が似たような趣味を持っていたのかもしれないが、そのおかげで、私自身がけっこう苦労している。

植物は、モノも言わないし文句も言わないし只々静かにさり気なく成長するだけのことで、人手もかからないように見えるかもしれないが、実はそれが一番厄介だったりする。
同じ生き物でも、私は断然動物のほうが良い。
植物に比べたら、動物のほうがずっとずっと慎ましく健気に正直に生きて死んでくれる。

7月の終わりには保賀の谷で一斉清掃がある。それまでに万善寺周辺の草刈りも終わらせなければいけないし、今のうちに吉田家の草刈りを済ませておくことになる。
オノレバエのミョウガの時期で、それが密集している。さて、刈り込むべきかどうか?
万善寺のミョウガは、とっくに刈り込んでしまったけどね・・
久しぶりの石見銀山吉田家暮らしは、裏庭の草刈りからはじまっている。

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大森小学校のワークショップ 

2017/07/18
Tue. 23:02

万善寺にいると、昼間から庭先でプラプラしていても、G15を首からぶら下げてお地蔵さん下の町道をブラブラしていても、特に周囲を気にすることもなく普通だったりする。
保賀の谷の住民も、「今日の方丈さんは、坊主仕事もなくて暇してるんだな」くらいに思いつつ、自分はセッセと田んぼの世話や田の畦の草刈りしながら普通に軽く会釈して挨拶を交わす。
そもそも、飯南高原全体の住民も高齢化率が高いから、スーパーへ出かけても郵便局へ入っても、行く先々で出逢うのは現役をリタイヤしたくらいの年格好のおじさんおばさんや、杖や手押し車や買い物カートの助けを借りてフラフラと歩いていらっしゃる高齢者の皆様がほとんどだ。

久しぶりに白昼の石見銀山を歩いていると、観光客の多さに驚く。
「何処からこれほどたくさんに人間が湧き出てくるんだろう・・・」などと、そういうことの方へ関心が向いたりする。
「わざわざ人の集まる混雑へ我が身を投じなくてもいいだろうに・・・」
日常の暮らしの周辺環境が違うだけで、自分でも気が付かない間に暮らしの常識も少しずつズレて思考の基準が変化していたりする。

大森小学校の子供たちは、現在全校で11人まで減っていた。
ワークショップの材料や道具を結界くんへ積み込んで観光客の人波を縫うように町並みを抜けて小学校へ急いだ。
図書館(図書室かな?)は、ランチルーム兼ときどき今回のような特別授業の会場になったりする。
今回準備した題材は、「ガラス瓶へリューターで絵や模様を描こう!」と言った感じ。
夏らしくて良いかな?と思ったし、ガラス瓶は、家に持って帰って何にでも使うことが出来るし、壊れなければ何時までも目に見える思い出として自分の近くに置いてくれるだろうというささやかな期待も込めてみた。
授業2コマ分をいただいて校長先生や教頭先生のお話から始まって、最後は子供たち一人ひとりの感想発表があって、私の〆のお話で終了。
リューターは、島根県現代彫刻振興委員会の備品として揃えてあるもので、ビットなどの消耗品を買い足しながら色々なワークショップで使い続けている。
大人から子供まで簡単に使えて危険も少なくて都合の良い道具になっている。
大森小学校の子供たちは、私の取扱説明が終わると、一気にリューターを使いはじめて、図書館にモーター音が充満した。
途中から担任の先生方も加わって、なかなか面白い力作がたくさん出来上がった。

小学校では、お昼の給食や学校菜園の夏野菜までいただいて、石見銀山の町並みに面した吉田家前の駐車場へ結界君を止めた時の印象が前記のそれだった。
これから1週間、石見銀山を拠点に暮らすつもりだ。
その間に鉄のクラフトを幾つか造るつもりにしている。

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しおらしいメール 

2017/07/17
Mon. 23:27

7月の熱い連休が終わった。
かろうじて、連休最終日に石見銀山の吉田家へ帰宅することが出来た。

週初めに大森小学校のワークショップがある。
島根県現代彫刻振興委員会が毎年この時期に講師派遣をさせてもらっていて、今年でもう5年は過ぎたと思う。
吉田家の子供たちが全員お世話になって卒業させてもらった小学校だから、何かのかたちで美術造形を通した恩返しができないかと思っていたのだが、2010年からスタートした現代彫刻小品展でワークショップと講師を招聘するようになって、せっかく、プロの彫刻家が島根県へ来てくれるのだから、小学校の子供たちと美術交流をしてもらうのも良いことだと思いついて、それ以来日程の調整が可能な限り、この夏休み直前に時期に大森小学校へお邪魔する機会をつくるようになった。

幾つかの事情が重なっためぐり合わせで、とっても久しぶりに彫刻家吉田正純が今年の講師を引き受けることになった。
ワークショップ材料を万善寺へ移動して、寺の作務の都合をみては材料や道具などの準備をしたりしてきて、連休最終日になって最後の調整が終わるようにスケジュールを組み立てた。
・・・と、其処まではおおよそ予定通りに進んでいたところ、鳥取で学校の先生をしながらコツコツ制作に取り組んでいる絵画の新人から、「吉田さんのおじゃまにならないようにさり気なくチラリとお目にかかれたら・・・」などと、いやに低姿勢のしおらしいメールが入ってきた。
7月の終わりにある展覧会へはワイフも出品するから、まんざら無視もできないし、特に作家歴の短い新人は海千山千魑魅魍魎の蠢く美術界の実情を知らないまま、マンマと「飛んで火にいるナントヤラ」状態になって、純粋で清らかな造形精神が錯乱炎上でもしたら大変なことになるから、ここはひとつ、吉田のたるみきったひと肌でも脱いでやってもいいかと、珍しく坊主の仏心が目覚めて「どうすればいいの?時間調整しようか?」って感じのメールを返しておいたら、描きかけの絵や幾つかのパーツを持って万善寺までやってきた。
彼女は、倉敷の児島旧家でのインスタレーションがいい感じだったので、何かしらその路線で次の展開に繋がってくれると良いなと思っている。
今は、未消化の曖昧な状態が続いているが、かえってそういう制作上の朦朧としたカオス的世界観が制作者の「リアルな今」を伝えているふうにも感じて、それがモヤモヤと漂う空気感として画面に切り取られるのも面白いかも知れない。
ベースになる絵はまだ下描きの段階で、題材もどちらかといえば直接的すぎて商業的素材に見えなくもなかったが、まぁ、それもボキャブラリーの積み重ねの過程でそのうち自分で気付くことでもあるだろうし、彫刻家吉田正純としては、「今はまだ静観の時期かな!」などと、偉そうに勝手に納得したりしつつ、幾つか思いついた吉田流の参考素材を提供しておいた。
たとえば、「赤ひげ」とか、「第三の男」とか、「麦秋」とか・・わかるかなぁ〜?・・

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里山の端 

2017/07/16
Sun. 23:26

早朝の第一声が蜩に変わったのは・・・さて、そろそろ1週間も前くらいからだろうか・・・
それまでは、まだ暗いうちから山鳥が鳴きはじめて、世間が明るくなってから保賀のカラスが情報交換をはじめて、それから一斉に万善寺周辺が賑やかになるという、なんとなく決まった順番があった。
それに、たとえば雨の日のカエルが加わったり、子育てツバメが加わったりとそのその時々で若干変化しながら夜が明ける。
最近、夜鳩が頻繁に鳴くようになって、それにつられて木菟も聞こえたりして、それでなくても寝苦しい夜が賑やかになってきたものだから、少々睡眠不足気味である。

今朝も蜩で目が覚めて、まだそのまま起きるには早いから二度寝を貪ろうとしていたら、つがいのカラスが境内に舞い降りて鳴き始めたものだから、うるさいのなんの!・・・もう完全に目が覚めてしまった。
少し前に気がついたのだが、いつものつがいのカラスに3羽目のカラスが加わって一緒に行動するようになっている。電線に3羽並んで止まっていたり、保賀の谷の上空を飛び回ったりしている。子供なのか友達なのか新参者なのかよくわからないが、このまま住み着いてくれるのも少々厄介だなと思ってしまう。

夕方からお大師様の供養と塔婆回向へ出かけた。
保賀の自治会から少し離れた自治会でお祀りしてあるお大師様で、土地のみなさんも起源や謂れはわからないらしい。いつもは、名ばかりの御大師堂の祠へ安座されていて、1年に1回ほど供養のために自治会館へ遷座される。
私が前住職から引き継いだ頃は、各家ご夫婦や先代ご夫婦まで自治会へ参集されて、20人を越えるほどの賑やかな仏事であった。それから10年の間に、どんどん参拝が減って、今夜は遂に男性3人女性5人という、寂しい仏事になった。塔婆回向の枚数も20枚は書いていったが、「もう、この施主さんは死んどりますけぇ」ということで、差し戻されたりして、なかなか複雑な心境のままお供えのおさがりで斎をいただいた。 
さて、この地域のお大師講もこれから先何時まで継続することやら・・・

お通夜のような斎の席になってしまったので、こういう時は坊主の方から話題を提供して会話の道筋をつくることも大事なことだ。
「このあたりはクマは出ますか?」と振ってみたら、一気に話題が広まって会話が動きはじめた。
イノシシ出没は当たり前。田んぼに残った足跡ですぐにクマと分かる。数年前からシカも増えてきた。まだ大きな被害になってないが、これから増えると植林の木や果木の被害が増えそうだ・・・などなど。いまのところ、万善寺の夜はせいぜいタヌキやイタチくらいで、時々イノシシが境内で悪さをするくらいに収まっているが、今朝のようにうるさい朝が常識化してしまうと、もう、寺の境内というより里山の端といえるほどの状態になってしまうかもしれない。
田舎の過疎地の限界集落が山に飲み込まれようとしている実態を見聞した。

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梅雨明け?? 

2017/07/15
Sat. 23:24

蒸し暑い1日だった。
庫裏の縁側にある温度計は西陽を受けて30℃を越えていた。

3つの年回を2つの法事でつとめた。
ありがたいことであるが、この蒸し暑さに大衣と袈裟でお経を読むのは軟弱坊主にとってかなりつらい。
午前中の法事は、7回忌と13回忌を1つの法事にまとめてくれということで、施主さんのご両親の年回法事でもあるし、「まぁ、良いでしょう・・」と引き受けた。
その施主家では、50回忌のご先祖さんが年回法事をスルーされていらっしゃるが、最近はそういうことも普通に増えてきたし、忘れたふりで見逃すことにした。坊主からしてこういう態度だから日本人の宗教観も希薄なものになって仏教離れが進むことになってしまうのだ・・と、若干反省しつつ、それでも、「まだ自分はまともな方だ!」と我が身をなぐさめて正当化しようともがいていたりする。

二枚の塔婆には、ボクのスキな禅語の一つ「結果自然成」を含む達磨さんの伝法とされる偈文を別けて書いた。
〜一花開五葉 結果自然成〜
達磨さんが禅を中国に伝え広めたことで、中国禅の祖師とされていることは禅宗では一般常識で誰でも知っていることだ。
「一花開五葉」とは、「自分が中国にやってきて伝えた禅の思想は、やがて中国全土に広まり大きく花開くだろう!」とでも訳して良いのだろうか??無学なナンチャッテ坊主には達磨さんの真意まで分かるはずもなく、「なんとなく、そんな感じなんじゃないかな?」と思うようにしているくらいのものだ。
「結果自然成」が、ボクのスキな禅語で、これについては、何度かこのブログでも引用させてもらっているから、気に成る方は検索でもしてみてください。
午後からのもう一つの法事でもまた別の禅語を塔婆へ書かせてもらって同じようにお経を読んでお墓参りも済ませて、ヨレヨレになって万善寺の庫裏へたどり着いたら、もう夕方の4時を過ぎていた。

そろそろ梅雨明けと言って良いかもしれない。
保賀の谷に降り続いた雨が地面へ沁み込んで、水分を含んだ土からミネラルたっぷりの水を吸い上げて稲やマメや雑草までもがスクスクと伸びて地上の表面積が一気に広がった。夏を思わせる日差しがそれら全ての植物をジリジリと焙り、気化した水分の強烈な湿気があたり一帯に停滞し、そういう環境の中で白衣から衣から袈裟までつけた坊さんは、サウナにでも入っているくらいの酷暑に絶えつつ木魚を叩きながらお経を読む。
1日で2時間半のソロライブ2回公演をこなしたようなものだから、なかなかのハードワークだ。
湯船にぬるめのお湯をためて行水しながら白衣やパンツなど洗濯した。斎膳を2箇所でいただいていて腹も減らない。麦とホップをプシュっと開けて、その後のことはよく覚えていない。気がついたら座敷に広げて干していた敷布団でそのまま寝ていた。

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無限に単純 

2017/07/14
Fri. 23:26

飯南高原にある薬膳レストランのアプローチへ私の野外彫刻を置かせてもらってから、もう5年位は経っただろうか?
今の彫刻のテーマに到るきっかけとなる、自分にとっては重要な位置づけの連作彫刻でLandscape connectionのタイトルで制作を続けていた頃のものが5〜6点ある。
そのアプローチをレストランに向かって進むと洋風の門柱があって、それから先は前庭が広がってレストラン入り口へ続く。
その前庭へは現在の連作彫刻Landscape situationシリーズの初期彫刻を3点ほど設置させてもらっている。

飯南高原は、広島県との県境まで続く島根県東部の豪雪地帯で、暖冬といわれる冬季でも総積雪量は普通に2mくらいまでになる。
さすがにそのレストランも、真冬の時期は客足も途絶えて営業にならないから、だいたい2ヶ月位を休業にして、その間に新メニューの開発をしたり、出張の料理講習会を開いたりして春を待つ。
私の野外彫刻は、積雪を避けて移転することも出来ないので、ひたすら極寒の飯南高原でジッと雪に埋もれたまま春を待つ。

この5〜6年の間にドカ雪が2回位巡ってきた。
彫刻は背の高さで云うと、低いものは50〜60cmくらいで、背の高いもので3m近くある。
島根で暮らし続ける限り、降雪を避けるとか無視するとかして彫刻制作を続けることは出来ない。むしろ、降る雪も含め島根の四季とどのように関わってどのような彫刻にしていくかを考え、共生や協調を目指したほうが彫刻の造形に深みが増す。
彫刻のタイトルに「Landscape」を当てているのも、そのような島根の田舎暮らし事情がベースにあったりするわけだ。

・・・青山元不動 白雲自去来・・・
・・・雲去山嶺露・・・
・・・坐看雲起時・・・
・・・雲流無心亦無心・・・
・・・山是山 水是水・・・
・・・雲在嶺頭 水流澗下・・・
・・・山光我心澄・・・

などなど・・・あげればキリがないほど禅の僧侶は自然の景勝に自らの境地を託す。
字面の意味は乏しい知識を絞って捻るまでもないほどシンプルで、視覚的にスルリと心に入るが、その境地を探るとなると、なかなか奥深いものがあって計り知れない無限の解釈に迷う。
これから先、自分の造形がどこまで「無限に単純である」境地を目指せるかわからないが、自分の彫刻にはそういう目標が託されている。

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今の自分 

2017/07/13
Thu. 23:26

週末から万善寺の一人暮らしに戻る。
石見銀山の吉田家からだと結界君で40分もあれば飯南高原の万善寺へ到着するから、通勤坊主でもなんとかなるのだが、やはり法事の仏事が連続すると往復の時間ロスもあるし、なによりジジイに近いオヤジの体力が徐々に奪われてしまって集中力も続かなくなる。春からはじまった一人暮らしも次第に慣れてきたし、自分の食事の世話を面倒がらなければ経費削減にもなるし、それに面倒臭いお荷物オヤジの世話が減るだけでもワイフの家事負担軽減につながるだろうと恐妻家・・・オット失礼!「愛妻家!!」のボクの愛情でもあるのだ。

この3連休で法事や塔婆回向が続く。
塔婆回向は、長い間続いている地域の弘法大師様の大師講で、お大師様の供養法要の後、参列各家先祖代々供養などの塔婆を一枚一枚和讃で読み上げる。憲正さんからの口伝だが、最近になって少しずつマイオリジナルの節回しが安定するようになって少し気が楽になった。
その、塔婆回向用の塔婆を20枚チョット書き続けて、墨を擦ったついでに連休中の法事の塔婆も4枚書き上げた。筆を使って一文字ずつ書き上げることの大事さは分かっているつもりだが、やはりワープロのキーボード操作に慣れてしまうと、塔婆1枚表裏書き上げるのもナカナカの重労働に思えてしまう。
例のごとく、塔婆の裏書きで使う禅語を幾つか思いつく順に絞り出した。
その1枚に「結果自然成」と書いた。これは昨年の万善寺カレンダーでも書いた。
今の自分をもう一度見直す良い頃合いだろうと思ったからだ。
以下は、そのカレンダーの禅語解説の抜粋。文責はナンチャッテ坊主の私自身である。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「結果自然成」は、「けっかじねんになる」とでも読めばいいかと思います。
この言葉は解釈によっていろいろな意味が考えられます。「成」とは成功を意味したりもしますが、そうすると、「結果的には何をやってもまぁそこそこ成功するものさ!」というように、楽観的な解釈もあるでしょう。さて、どうでしょうか?
私は万善寺住職を引き継いだあとも彫刻を造り続けています。
方丈さんが彫刻を造っているのか、彫刻家が寺の住職を務めているのか、そのあたりの解釈は人それぞれでしょうが、私自身としては、坊さんでも彫刻家でもどちらでもなく、只の一人の人間がそこにいて、それぞれの役割を果たしているということなのです。
万善寺の日常は、そこで彫刻の制作をしていないという只それだけです。
工場で彫刻の仕事をしている時は、自身の修行と寺の作務を重ねあわせて過ごしたりしています。
島根県で小さな彫刻展を企画して開催している時は、これも布教活動だと確信して働いています。
それぞれ何をやっても成功の実感を持つことはありません。
むしろ、今の自分が何をしてきたのか、自分に何が出来るのか、そういうことが大事であって、それが目標になって頑張ることも出来て、結果はそのズゥ~~っと先にあって、自分の行為についてきているだけのことなのです。
ようするに、何もしなければ結果もないということです。
失敗を繰り返しても、それを恐れてなにもしないでいるよりはずっと良いことで、ひょっとしたらいつの間にかそれが人生の生きがいになっているかもしれません。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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ジタバタ 

2017/07/12
Wed. 23:26

不甲斐ない住職のボクはとっくの昔に万善寺の御本尊様から見放されてしまったのだろうなぁ〜・・と、最近のヒマな坊主暮らしをしながらそう思っていたら、こんどの3連休前になって次々と法事やお大師様供養が入って、7月の無収入はなんとか回避できそうな感じになった。
延々と続く万善寺赤字財政に変化はないが、それでも、もらい物の夏野菜に豆腐一丁プラスくらいの贅沢はできそうでありがたい。
吉田家の食卓はワイフの収入にすがってばかりだから、せめて万善寺の一人暮らしくらいは坊主稼ぎでなんとかまかなおうと踏ん張っているところだ。

最近は、坊主暮らしの日常の其処此処で、「息子さんは何歳になられましたね?」とか、「跡継ぎの心配はしとられますかね?」とか、「息子さん得度は済んどったかいネ?」とか、やたらにじゅん君が話題へ登るようになってきた。
誰がどう考えても近未来の発展的展望が皆無の万善寺を次の代へ譲るとか引き継ぐとか、そういう夢の如き話題などいい加減聞き飽きてしまった。
「彫刻の弟子は受付けますが、坊主の弟子はとらないことに決めてますので・・」
その手の話題を振られた時は、だいたいそのように回答することにしている。
やはり、自分の発言にはそれなりの説得力と具体的証明が必要でもあるから、特に彫刻へこだわることもなく、何かしらクリエイティブな路線で気になる周辺の若い人材はできるだけ見逃さないようにして声をかけるようにしている。
末寺坊主と美術を秤にかけると、やはり近未来の発展が望めるのは美術のほうだと思っている。それに何より、自分の苦悩や努力がキチンと正直な結果になって自分に返ってくるところに魅力を感じるし、生きる目標にもなる。

なんとなくノリと勢いで万善寺へ寄宿することになった彫刻家のタマゴちゃんも、早いものでそろそろ住み込みをはじめて1ヶ月が過ぎた。
今は、地元山陰のグループ展へ出品を目標に、木彫を制作している。
それとなくさりげなく、制作の様子を見ていると、この2週間は制作の手が止まって悩み続けているふうに感じる。1作1作、1点1点を大事にすることは良いことだが、それにハマりすぎてコダワリすぎるのも良くない。作家歴の若い頃は抜け出せない制作のラビリンスに迷い込むことがよくある。それも、自分の造形の成長でもあるのだが、自分で気が付かないまま制作の泥沼にハマってしまうと、其処から抜け出すのに相当のエネルギーが必要になる。
今の彼女には、とことんジタバタしてほしいと思っている。

万善寺の庫裏玄関を解錠したら、入り口の土間へノミ跡が残る制作中の木彫があった。
材料の元は、私がストーブの焚付にしようともらって来た杉の丸太。
決して木彫として上等の材料ではないが、その節や木目を工夫しながら粘り強く彫り続けた過程に味があって面白くなりそうだ。
表現のテーマがブレなければ、技術や完成度はついてくるものだ。
今は、ひらめきの積み重ねを素直にかたちの連続へ置き換える作業が大事な時だと思う。

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クロ帰宅 

2017/07/11
Tue. 23:57

駐車場へ帰って結界君から降りたら、吉田家のロフト窓のいつものところからクロが鼻先をペロペロ舐めながらクールな目で見下ろしていた。
ついさっきまでだらしなく伸び切って寝ていたのだろう様子が目に見えるようだ。
荷物をおろしたりしている間に、窓からクロがいなくなっていた。
「さては、土間へ降りたな・・」
玄関の引き戸を開けていると、家の中からクロの鳴き声が聞こえる。

クロの脱出で一番警戒しなければいけないのが、この玄関を開ける時。
それを上手にクリアーすれば、あとはオヤジのペースで事が進む。
脱出失敗を察したクロは、だいたいほとんど、しばらくのあいだ未練がましく玄関の障子戸を見上げながらウロウロしはじめる。
「あわよくば、オヤジがもう1・2回、玄関を出入りするかもしれない・・そのスキに・・」
クロの執念深い性格がこういう具合で垣間見れる。
彼のそういう諦めきれない行動をオヤジのペースに引き込んで、脱出の未練をキッチリと断ち切ってやることにしている。
ある時は、抱き上げて抱っこしてギュッと抱きしめる。
ある時は、玄関の引き戸を少し開けて町並みの外気を嗅がせてやる。
ある時は、大げさにドタバタと追いかけて吉田家の奥へ追い詰める。
ある時は、クロの存在を無視してサッサと居間へ上がり込む。
その時々で対応を変えながらクロの脱走欲を断ち切ってやると、あとは普通に彼の気持ちも落ち着いて興味が別のところへ向く。
適度にリラックスして気持ちに余裕がある時は、左手で水をすくって飲むことがある。
クロの癖だが、これが実に可愛らしくて癒される。
めったにその仕草をしないので、それを見かけた時は「ナニか良いことがあるかもしれない」と、密かに思うようにしている。
クロのそういう仕草は彼の健康状態が良好であるという判断材料の一つにしている。

珍しく午後から吉田家に居たら、クロが私の周囲でやたらとフギャフギャ鳴きながら何かの誘導を仕掛けてくるので、ご飯か水でも無くなったかと覗いてみたがそれも十分に足りているし、どうも判断に苦しみつつ無視をしていたら、そのうちあきらめたようで静かになった。
それから少しあと、ワイフの帰宅の様子が玄関の方から聞こえてきた。
「クロだめ!ダメよ!駄目だからね!コラ!クロ!」・・・しばらくワイフの声だけが聞こえていて、「ただいまぁ〜」と居間へ上がってきた。
「おかえりぃ〜、おつかれさまぁ〜」
「まったく、チョット目を離したスキに脱走したからね!クロが!」
ワイフは、自分の失敗をクロのせいにしてプンプン怒っている。
クロは、完全にワイフの行動を読んでいる。
それから4〜5時間も過ぎただろうか・・・だいたい日の変わる少し前に静かに帰宅されました・・

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緩い付き合い 

2017/07/10
Mon. 23:52

ひとまず万善寺の用事を切り上げて制作に入ることにしようと、石見銀山暮らしを再開させた。味気ないひとりメシもつくらないでいいし、癒やしのネコチャンズを何時でも抱きしめられるし、ワイフも近くにいて旨いメシが食べられる。
まぁ、自己虫オヤジの身勝手なことで、周囲の迷惑も気が付かないわけでもないが、そのあたりは見て見ぬふりを通している。

しばらく病院の定期通院から遠ざかっているし、大森小学校の恒例ワークショップも近づいているし、金策と支払いという1ヶ月に1度の高いハードルをクリアーしなければいけないし、すぐに「工場へこもって制作三昧」というわけにいかないところがむなしい。

だいたい7月の終盤は山陰二紀展があるのでワイフはそれに出品する彫刻を造る。
私は時期的に制作の余裕がないから出品しない・・と、それも理由の一つだが、ほかにも幾つかのまたまた「自己虫オヤジの身勝手な」考えがあって出品しないことにして、もう10年は過ぎたのではないだろうか・・・
そもそもこのグループ展のスタート時点では、公募団体二紀会の下部組織でも支部でも何でもない普通に美術がスキな同好の士が集まって制作発表をし、加えて作家の身内や親戚縁者や近い友人、職場の友など、地元地域に根付いた美術愛好家とその周囲の制作研鑽と鑑賞交流会的意味合いが強かったと記憶している。
制作者が、上下の隔てなくお互いにお互いを認め励まし感想や意見を出し合って次の制作や発表への手がかり足がかりに出来るような発表会的グループ展であった。

山陰地方の美術芸術は、比較的閉鎖的で派閥志向の強い環境にあって、それは今でもそう大きく変わっていないと思う。俗に云う、「中央」であるところの存在に対してそれぞれの派閥がお互いを牽制しながら研究会的展覧会を開催運営するという、公募美術団体の地方支部展として地域に根づいている。
私は、どうもそういうタイプの組織的活動が苦手で、「まずは、◯◯ありき!」という、事前に仕立てられたレールへ乗ることが出来ない方なのだが、唯一二紀会の彫刻部は、そういうワガママ者の我儘な行動の殆どを黙認してくれて泳がせてくれた緩さと懐の深さを持っているように感じたから、島根にUターンした直後から現在まで強いシガラミもなく自由に制作を続けさせてもらっている。
その二紀会が社団法人の改変をすることになってからあとが、どうもシックリいかなくなって、気がつけば、他の既成の美術団体同様、本部と支部の組織構造が出来上がって、同好の士が集まったグループ展のようなゆるくて楽しい展覧会にならなくなっていた。1年の中で数ヶ月にも渡って心血注ぎ悶々と制作を続けた記念すべき作品が、一人の講師の一日数分の講評で大きくどうこう変わるわけもない。
制作の背景にはそれぞれ違った制作者の環境や感性や感動があってそれがその時々の技量で具体的な表現としてに昇華しているわけで、センスと技量が適度なバランスを維持しながら向上するところに制作者のブレのないスタイルが出来上がる。
表現の伸びしろはひとそれぞれでとてもデリケートなものだ。
当たらず触らず付かず離れず・・例えばそういう、緩い付き合いの継続も大事だと思う。

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生き残りの条件 

2017/07/09
Sun. 23:26

ほぼ1日中雨が降り続き、時折猛烈な豪雨になったりして、万善寺の裏庭に溢れた行き場の無い雨水が庫裏の周囲の低地を探して流れ始めるまでになった。
殆どの雨は、そのまま地面の地下に吸い込まれて庭が池のようになるまであふれるようなことなど無いのだが、今日の1日は、完全に地面の許容を越えていた。

境内周辺の草刈りが残っているし、それを終わらせようを、雨のやみ間を待っていたが、とてもやみそうにない状態が続くし、裏山の土砂崩れも心配だから、石見銀山の吉田家へ避難することにした。
この近年の島根県は確実に雨の振り方が変わった。
昔のような夕立程度の降りようではなくなって、排水の処理などどうしようもなくなって、手のつけようがない。
結局は、そういう状況を呆然の眺めていることぐらいしか出来なくて、水の流れる方向や、水の行き場が無くて溜まってしまうしかないところなど確認して、雨が止んで水がひいてから、セッセと真砂土を運んで埋め立てたり水の道を作ってやったりするしか方法が見当たらない。

出雲街道から銀山街道を経由して石見銀山へ向かう間も、局地的集中豪雨に何度か遭遇して、そのたびに結界君を道の脇へ止めて大降りをやり過ごした。
ワイパーの役目などまったく頼りなくて、水中を走っているような感じだ。
江の川の支流もアチコチで増水が確認できたが、断続的な短時間の豪雨なので、なんとか許容の範囲で踏みとどまって濁流を阻止している。
この程度のことだと、江の川の増水もそれほど心配することもないだろうが、それにしても、短時間の降雨量が非常識なほどすごいことになっている。
チキンオヤジは、チンチンも縮み上がるおもいで街道の様子にビビりながら吉田家へたどり着いた。
石見銀山の町並みへ入る頃は、殆ど雨も上がって傘が必要にないほどだった。
こんなことなら、万善寺の出発をもう少し遅らせておけばよかったとも思ったが、あのAppleWatchでも局地的な豪雨は予測不能だし、地球の自然相手にジタバタしてもしょうがないし、今の自分にはせいぜい観音様に手を合わせるくらいしかヤルこともない・・

吉田家は、いつもと変わりなく平静だった。シロの具合が良くなくて、食欲もなくてぐったりしている。それ以外は、特に変わったこともなくてやたらに蒸し暑く不快だった。
動物は本当に正直で嘘がつけない。
調子の悪いシロをクロが極度に警戒している。
自分にとって不易な条件を本能的に排除しようとしているみたいで、そうすることで、自分の生き残りの条件を確保しようとしている感じだ。
まだ小さくて幼いころはそういうこともなかったが、成長して色々な猫なりの知恵もついて脱走も経験して場数も踏んで、身につけた自分なりの生存の手段なのかもしれない。
自然の猛威に抵抗の術もなく、ビクつきながら観音様にすがっているナンチャッテ坊主は、クロの生存に執着する非情な強さに生きる力の具体を教えられた気がする。

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今を生きる 

2017/07/08
Sat. 23:31

〜「“禅的な生き方とは何か”と考えてみると、それはつまり、“今を生きる”ことではないかと思うんです」〜

ダイアン・レイン・・・知ってますか?
吉田よりだいたい10歳くらい若いアメリカの女優さん。
彼女がまだ10代のときだったと思うが、「アウトサイダー」で始めてみた。
おっぱいが大きくて、可愛くてエロチックで・・・そういうことばかり目についた。
よく覚えていないが、ワイフと結婚して島根に帰ってすぐくらいの映画だったと思う。
あの頃は、まだ自分も世間的には「若者だ!」と思っていたから、違和感なくすんなりと映画の世界へ入ることが出来た。
とてもシンプルで、先の読める、ある意味安心して観れる古いタイプの作りが少し物足らない気もしたが、何かとひねくり回した難しい映画も多かった頃だったし、島根県に帰ってから、簡単に軽いノリで娯楽に走ることも難しい時だったから、そこそこ強く印象に残っている。

久しぶりに観た彼女は、美しい熟女になっていて、あのおっぱいも健在で、益々色気が増していた。
華のある女優さんが、まさか「禅」を語るとは想像もしなかった。
色々な役に出逢う中で、自分を捨てて役にハマることの難しさから、精神の平静を保つことは大変なことで、時には自分を見失ってしばらく立ち直れなくなってしまうこともあるようだ。
役者というのはよっぽど強い理性を持っておかないと務まらないのだなぁと思った。
そういう職業だから、よけいに「禅」の世界に救われてきたのかもしれない。
前記の彼女の言葉には、坊主である私がいつも大事に思っていることが実にすんなりと自然にシンプルに表現されていると思う。

正確な所作や、上手なお経や説教が出来ることも大事なことであるのだろうが、もっとそれ以前に飾りのない素直でシンプルな宗教家としての自分の存在を明確に示し伝えることも大事だと思う。
私のように、生まれたときからお寺の境内の中で大きくなって、そのまま惰性で坊主になって、何の疑いもなく当然のように住職にまで決められたルートを手繰り、なにも考えないで、なにも疑問を持たないで、宗教家としての自覚も希薄で、世間の常識を疑うこともなく、坊主としての技量を研鑽するでもなく、毎日を平穏に暮らし通しているような坊さんもけっこう沢山いるようなきがする。

「◯◯寺は、外人の坊さんがいっぱい修行をしている」・・・というような坊主どおしの会話を聞いた。
「僧侶」という職に、人種の違いなど関係ないだろう・・・
大事なのは、修行の積み重ねでナニを求めナニを掴みナニに気づきナニを伝えるか・・そういうあたりのことのような気もしている。

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七夕の夜 

2017/07/07
Fri. 23:14

もう3週間ほど草刈りをしていないから、そろそろ境内周辺が見苦しくなってきた。
浄土寺さんの密葬も終わって少し落ち着いたし、梅雨の豪雨も過ぎて土も湿っているから、今のうちに主だったところだけでも見苦しくない程度に刈り込んでおいたほうが良いだろうと、朝から作業着に着替えて固まった身体を騙しながら草刈り機を振り回した。
これから本格的な夏に向けて、葉茎も益々固く太り根も張ってきて、刃のチップがすぐに摩耗する。
草刈り機を振り回す力も今まで以上に必要になって1時間も作業をすると一気に体力が消耗する。

万善寺の一人暮らしも、気がつけばアッという間に3ヶ月が過ぎた。
春の頃は、今の万善寺くらいの規模だと「せいぜい1週間に3日も通勤坊主をすれば十分だろう」なんて気楽に思ってワイフと1ヶ月のスケジュールを決めたりしていたが、いつのまにか、そのような机上の計画は何の効果もなく遥か彼方へ消え去ってしまっていた。
今では、オヤジのひとりメシも普通に習慣づいてきて、午前中の仕事が終わる頃には、なんとなく頭の何処かへ冷蔵庫の食材を投影しながら「ナニを作ろうか?」ナンチャッテ料理の段取りをしていたりする。

蕎麦の乾麺を茹でる間に、近所でもらった夏野菜をぶつ切りにして、ベーコンとツナ缶を併せてトマトベースの味付けをして弱火でコトコト煮込んだ。
そこそこ満腹になって、昼の暑いうち昼寝の休憩をして体力の回復を図ろうと庫裏でゴロゴロしていたら、カエルが一斉に鳴きはじめて雨が降り出した。
なんとなく午後からの草刈りの出鼻をくじかれたようで気持ちが萎えたまま、外の様子を見ながらトイレ読書をしていたら、けっこう長いハエのことのエッセイを見つけた。
ハエのネタでよくこれだけの長文が書けるものだと感心しながら読んでいたら、確かに思い当たることがいっぱいあって、その観察眼の細かさに感心した。
「そういえば、最近はハエも随分少なくなっていなくなったなぁ」などと。しばしボォ〜っと物思いにふけっていたら、知らない間に雨がやんでいた。

珍しくワイフの方から「今日は帰るの?帰らないの?」と連絡が入ったので、何事かと聞いたら「この前買ったラム焼こうかどうしようかと思って・・」と、夕食を決め兼ねていたようだ。そういえば、先日出雲のスーパー巡りをした時に、真空パックの骨付きラムを見つけて仕入れていた。

切りの良いところで草刈りを終わらせて、汗まみれのツナギからパンツまで洗濯機に放り込んでシャワーで汗を流して、散らかった万善寺をおおよそ片付けて、結界くんへ乗り込んで久しぶりの銀山街道を吉田家へ急いだ。
土間からリビングへ入ると、ジューシーな肉の焼ける香りが扇風機の風に乗ってきた。
いつもは脂身のない薄くスライスされたラムばかりで、それはそれで旨いが、骨付きの油タップリの肉汁が滴るラムもなかなか!
七夕の夜・・・気がつくと、皿の上には7本の骨が転がっていた。

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密葬の日 

2017/07/06
Thu. 23:30

「方丈さんの車があると、(あぁ〜、いらっしゃるなぁ〜)と、すぐわかって・・」
「寺におられると、だいたいいつもこの椅子に座っとられて・・」
「朝も早うございまして、(早すぎるかな)と思っても、もう、起きとられて・・」
「大きな熊手で庭掃除しとられたりなぁ〜・・」
荼毘からの帰りまでお寺で留守番のお檀家さん方の思い出話し・・・
(皆さんに慕われた立派な方丈さんだったんだなぁ・・)と、生前の様子が垣間見れた。
さすが在位62年の現役方丈さまだ。とても自分には出来ないことだと思う。
本葬用だと思うが、その印刷物への略歴原稿がテーブルに置いてあって、何気なくチラリと見させてもらったが、まことに華々しい職歴がビッシリと記されてあった。
隣の寺の方丈さまのことであるのに、あまりに知らないことが多すぎる。

密葬の朝は、前日までの大雨があがって、蒸し暑い曇り空となった。ジッとしていても白衣に汗が沁み込むのが分かる。
葬儀の配役で主喪を当てられたので、少し早めに万善寺を出発した。
遺弟さんとはそれほど親しい関係でもないから間合いの具合が微妙で気持ちを読み取りにくいところもあるが、出来る限り付かず離れず、邪魔をしないように本葬が終わるまで様子を見ていこうと思う。

密葬から出棺が終わって火葬場までお付き合いしたところで、安位の祭壇の人手が不足している事がわかって、急きょ浄土寺へ引き返すことになった。
最近、まともに落ち着いて一杯のコーヒーを飲むことも無かったから、ファミリーマートへ寄り道をしてコーヒーを買った。いつものことだが、改良衣に雪駄履きで店の中をうろついているとお客の視線をヒシヒシ感じる。そういうスタイルは坊主の制服のようなものだから自分ではどうとも思わないが、やはり一般には珍しいことなのだろう。こういう時に、大衆の信仰が神仏から遠く離れてしまったことを強く感じる。

万善寺の憲正さんが二十二世で60年在位。浄土寺さんが同じ二十二世で62年在位。
修行僧の頃からだと、生涯僧侶を貫いた二人の大和尚さまは、大きな時代の変遷の中でそれなりに布教の苦労もあっただろうが、それでもソコソコ充実した住職方丈の人生を送ることが出来たのではないだろうかと、私はそう思う。
50にも充たない檀家で坊主暮らしのやりくりを考えなければならない現住職は、一方で百も二百も桁違いの大きなお寺様と同じように寺院付き合いを迫られることになって、この不条理はとても日常の修行と信心だけでは埋めることが出来ない。
ある意味、そういう現実と向き合ってノラリクラリ適度に緩くその時々を乗り切っている自分もナカナカのモノじゃないかと思ったりする。

「このスズメも、もう餌がもらえんようになりましたなぁ〜」
いつもの場所のいつもの椅子に浄土寺さんが座ると、スズメたちが窓下へ集まるのだそうだ。毎朝、パンをちぎって彼らへ食べさせてあげていたらしい。ヌシのいなくなって誰も座ることない空席のままの椅子のすぐ下へヒトを恐れないスズメたちが集まっていた。

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豪雨のあと 

2017/07/05
Wed. 23:30

島根県は、今までに経験のないほどの局地的豪雨になった。
過ぎてしまえば、だいたい1日のうちにはじまっておわるほどの間だけだが、その1日で降る雨の量がとてつもなく多かった。
ほんの数kmしか離れていない場所で全く降り方が違っていて、河川の増水は予測できる余地が無いほど一瞬で迫ってくる。

石見銀山のワイフは、その日も仕事で近くの中学校へ出かけた。
朝のうち残っていた雨も、帰宅する頃にはやんでいたようだ。
飯南高原の方もほぼ似たような感じだったが、石見銀山より若干東南に位置しているから、その距離ほど雨が遅くまで残った。
それでも、通夜に出かける頃は雨も上がっていて普通に傘もいらなくて雪駄で用が足りる状態だった。

近隣の若い方丈さま方が心得た所作で準備が整い、檀家衆の動きにも遺漏なく、粛々と当夜の差定が進んだ。
おもえば、万善寺の憲正さんはすでに遷化の数年前から現役住職を辞して東堂の暮らしをしていたから、檀家葬といっても、なかなか寺院葬儀の詳細が行き届かなくて取りまとめに苦労したところもあった。
この度の浄土寺さん遷化は、現職のご住職で、ほんの数週間前まで仏事にお勤めでもあったから、お檀家衆の驚きと悲しみは計り知れないものであったろう。
悔やみ受けの受付に立つ遺弟さんと檀家代表さんを前に、言葉にならない号泣の弔問客があとをたたなかった。
方丈ささまのお顔が見れるのも、あと1日だけになった。

密葬の朝は早い。
法要はもちろん、出棺から荼毘、拾骨と安位までおつとめさせていただこうと思っている。
1日前の未曾有の豪雨がウソのように雨も風も止んで天気も回復している。
浄土寺さんでは、この春に内室さんを看取られ、先日49日の法要が終わったばかりだった。
方丈さまも、どこかしら気持ちの支えが無くなって気落ちが加速したのかもしれない。
内室さまの後を追うようにあわただしく遷化された感じだ。
私が物心ついて、随喜の方丈さんのあいだを無邪気に駆け回っていた頃から浄土寺さんがいらした。
万善寺を離れていた数十年の間も、病気療養の憲正さんを支えて頂いた。
これから少しずつ、受けた御恩をおかえししようと思っていたが、それも出来ないままお別れすることになってしまった。
あとは、息子の遺弟さんが寺を引き継がれて安泰ではあるが、その息子さんも松江のお寺の住職であるし、当分の間は浄土寺も留守がちで寂しくなる。
今は只々、冥福を祈るばかりだ。

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ほとけさまの御蔭 

2017/07/04
Tue. 23:27

数え歳で85歳は少々早すぎる気がする・・・隣町の禅寺ご住職が遷化された。

宗門では、多少の地域差はあるものの、だいたいおおよそ葬儀の流れが決まっていて、この度も本葬は49日が巡ってくる8月に行われることが決まった。
それに向けてまずは密葬を行うまでの2日間は枕経や夜伽のおつとめが続いた。
それから通夜があって密葬のあと荼毘に付された大和尚さまは、本堂へ仮に安置された祭壇で本葬の当日を待たれることになる。

梅雨に入ってからほとんど雨の降らない毎日が続いていたので、一度降り始めたらなかなか収まらないまま大雨になることを心配していたが、先頃からどうもそういう心配の方へ天候が変わりはじめてきた。
万善寺から離れられないまま、雨の具合を気にしているのだが、ただいま別居中のワイフから「LINEでもいいんだけど、電話のほうがはやいから・・」と珍しく着信が入った。
石見銀山の駒の足自治会は、避難待機の連絡が回ってきたそうだ。
石見銀山の谷は、V字型に切り立っていて、そのほぼ真中を銀山川が流れている。
町並みの数カ所に銀山川の大きな蛇行があって、大雨が続くとそのあたりに冠水の被害が出る。万善寺から離れることが出来ないでいるから、ワイフやネコチャズの暮らす吉田家のコトが心配ではあるが、今のところどうしようもない。

山陰二紀展のグループ展案内状が届いた。知らない間に出品者も増えている。
いつも私のすぐ隣でワイフがコツコツ制作しているはずなのに、あまり展覧会情報が私の耳にまで入らない。ワイフくらいのベテランになると、作品の破綻もないから心配もないが、作家歴の若い新人が増えているのなら、それなりの手厚い援助も大事なことだと思う。
万善寺へ寄宿中の彫刻見習いチャンもそのグループ展へ出品できるといいと思っている。
DMを見せてやろうと庫裏をドタバタ探していたら、ボクの大事なAppleWatchを思いっきり柱の角へぶつけてしまった。強化ガラスのカバーを付けていて、それが割れ砕けて吹っ飛んだ。カバーがなかったら本体がダメージを受けていたかもしれない。
「このカバー・・小さい割にけっこう高かったのになぁ〜・・・」
一瞬ケチな欲が脳味噌を駆け巡ったが、「観音様の御蔭で、本体が無事で何より♡!」と思うことにした。

幸い、天気の予想では飯南高原はあと数時間のうちに雨もやんで、曇からやがて晴れてくるようだ。それも、あくまで予報のことだから先のことは分からないが、最近はソコソコ正確に当たるし、トタン屋根を叩く雨音も少しやわらかくなった気もする。
あれだけ湿気が酷くて蒸し暑かったのに、この雨で一気に気温が下がった。
万善寺の夜はやたらと寒い。
この様子だと、密葬の当日は比較的過ごしやすい1日になってくれそうだ。
浄土寺の御本尊は阿弥陀様。
きっと、西の空から少しずつ晴れてきてくれるだろう。

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大和尚遷化 

2017/07/03
Mon. 23:50

台風が発生したらしいが、まだ遠いところのことだろうから島根県の方が影響を受けるのはまだ先だろうと思っていたら、結構風が強くて時折結界君がフラリとふらつく。

とにかく、いつになく色々なことがあって1日が一瞬で過ぎたように感じる。
ワイフの通院日だったので、久しぶりに国道を東進した。
日本海は見渡す限り小さな白波が広がって、風の強さが目でも分かる。
沿岸はかろうじて雨が雲の中で踏みとどまっているが、南の中国山地を見ると雲にすっぽりと包まれているから、飯南高原はすでに雨が落ちているかもしれない。

ワイフの受診はほぼ予定通りに終わって、その後、スーパー巡りをした。
隠岐の海士町で一人暮らしのじゅん君が食料を欲しがっているようで、その買い出しをした。本土に比べると隠岐の物価はかなり高くて、気楽に買い物もできにくいらしい。
カートにあふれるほどの買い物になると、「やはり男手がないと厳しいな」と実感した。

気がつくと同業の方丈さんから電話が入っていて返信すると、
「浄土寺の方丈さんが遷化されました・・」の報告だった。
一瞬耳を疑って思わず聞き返してしまった。
浄土寺さんには、俊江さんの49日で導師をしていただいた。
キチンとお経も読まれるし、焼香にも立たれるし、斎膳の席でも終始機嫌が良かった。
つい最近のことでもあるし、まさかそこまで具合が悪いとは思いもしない。
今思うと、ずいぶん気丈に体調不良を我慢していられてのかもしれない。
憲正さんといい、浄土寺さんといい、坊主の最後はなんと潔くてカッコイイのだろう。
私のようなナンチャッテ坊主は、きっと大騒ぎしてドタバタしながら見苦しく死んでいくのだろうなぁ・・・

結界くんのエアコンがまったく効かないほど暑苦しく蒸し暑い。
とにかく万善寺へ急いで、すぐに改良衣に着替えて枕経を読みに出かけた。
到着すると入棺の最中。
方丈さんは布団に入って眠っていらっしゃるように穏やかなお顔だった。
本寺さん到着はまだのようだった。
お檀家の旦那衆がテキパキと働かれて、遺漏がない。
万善寺の憲正さんの時を思い出した。
生前の方丈さんは本当にお檀家の皆さんに慕われていたのだろう。
現役のまま、数日前まで職務に付き、容態の急変も自らその旨を娘さんへ伝え、最後まで様子もシッカリして、死ぬ素振りなど全く無かったということだ。
「元気に死んでいくのが一番!」・・・
さて、浄土寺のご住職は、どんな遺偈を残されたのだろう。
方丈の間をあとにして浄土寺の境内へ出ると、待っていたように雨がポツリと落ちた。
保賀の谷はカエルがやたらにうるさく鳴いている。
いつの間にか、風が止んだ。これから、本格的にな雨になるのかもしれない。

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メタボ同志 

2017/07/02
Sun. 23:53

たった40分しか距離が離れていないのに、石見銀山の吉田家はむせ返るような暑さでビックリした。
おなじ暑くても、飯南高原は石見銀山と比べ物にならないくらい爽やかだ。
それぞれ、その場所で暮らし続けていると、それなりに「暑い暑い!」と文句タラタラで暮らしているのだろうが、それにしても石見銀山の湿度の高さは少々こたえる。

数日ぶりに吉田家へ帰ってきた。
午前中が代行法事で、午後・・というより、夕方からお寺の内室さんの49日法事で鐘撞き坊主で、大衣を着たり脱いだりしていたので、それだけでグッタリと疲れた。
このところ梅雨らしい雨が続いて万善寺の片付けもしばらく停滞していたから、もう少しなんとかしようと動こうとし始めたが、どうも身体が重くて思うように動かない。
着物や足袋などの商売道具を洗濯して干したところで、お昼になったから、そのまま身の回りの大事なものだけ結界くんへ積み込んでから、
「行水したいから、お風呂にヌルいお湯を入れておいてくれると助かるなぁ〜」
電話でワイフへお願いしておいて、石見銀山へ向かった。

行水の間中、クロがフギャフギャ鳴きながら湯船の縁を行ったり来たりしていた。
こうしてマジマジと近くでクロを見るのは久しぶりのことだ。
5年を過ぎて、人間で云うと何歳くらいになっているのだろう。
下腹の方へタップリと重たそうな脂肪がついて、足を動かすたびにユラユラと揺れている。
もともとフテブテシくデカイ頭をしていたし、手足もバランスが崩れて大きかったから、
「たぶん、この猫は大きくなるかもしれないな・・」
じゅん君が手のひらに乗せて帰ってきた時の第一印象がそれだった。
まだ乳離しないで、自力でウンコも出来ないくらいで、歩いてもフラフラして、産毛も残っているくらいの時は、ここまで大きく育つなど想像もつかなかった。
しばらくは、クロが一匹でまだシロも来ていなかったから、その間、他の猫との接点がないまま人間に育てられたので、当分の間、自分を人間だと思いこんでいるようなふうで、何かとても変な性格の黒猫に育ったようなところがあった。
シロが来てからは、やっと自分がシロと同類の猫族だと自覚するようになって、二匹の遊びのじゃれ合いの中で少しずつ猫らしくなっていった。
それでも、野良猫暮らしが続いて悪食の癖が抜けないシロと違って、物心ついたときからキャットフードしか食べないで育ったクロは、鼻先へナニを近づけてもクンクン匂いを嗅ぐくらいでパクリと食いつこうとしない。ワイフが、旨そうな猫缶を空けても知らん顔でペロリと舐めることもしない。隣でシロがガツガツ食べていても、興味を示さない。
それほど人間臭い猫に育ったのに、どういうわけであれほどの贅肉がついてくるのか・・

どこかしらメタボオヤジの私の体型に近いところもあって、同志の親愛をこめてクロの揺れる贅肉を摘んでやるが、気にもしないで後ろ足を上げて私の腕を器用にまたいで風呂の縁を歩く。ポーカーフェイスで無視されると、それがまた可愛かったりする。

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半夏祭りin赤名 

2017/07/01
Sat. 23:16

半夏(はんげ)というと、坊さんのあいだでは、夏安居(げあんご)という夏の修行期間のちょうど真ん中の日をいう。
だから、本当はナンチャッテ坊主のボクも日常のだらしない暮らしから遠ざかって、山にこもって静かに心ゆくまで修行三昧・・・なんて感じで暮らしているはずなのだが・・実際はそういうことなどありえないことで、島根県の田舎の末寺山寺は日常の草刈りやたまの法事や地域の付き合いなども普通にあって、それなりに忙しくドタバタと暮らしている。

飯南高原の広島県県境に接するあたりは、戦国の激戦地であったし、広島方面から出雲大社へお参りする参詣街道と石見銀山の銀を陸路運搬する銀山街道の分岐点になっている。
その分岐点の町を、「赤名(あかな)」といって、今は役場庁舎も新築されて地域行政の中心地でもある。
私が子供の頃から、毎年7月の節句「半夏」になると赤名の町並みを車両通行止めにして「半夏祭り」が行われる。
寺の少年の私には、その半夏祭りが1年の中で唯一と言っていい最大の娯楽であった。
それはなぜかというと・・・
盆に正月にお彼岸は寺の行事が忙しい時で、夏休みと冬休みと春休みは学校は休みなのに、私は寺の手伝いへ駆り出されて遊ぶどころの話ではない。5月の連休は春の田仕事で、秋彼岸やお地蔵さんの日は稲の刈入れで手伝わされたりして、とにかく、今思うと一年中楽しく心置きなく遊び呆ける祝祭日などほとんどなかった。
その中で、半夏祭りは万善寺の行事が無くて自由にできる数少ない娯楽日であった。

昔は、それこそご縁日で日にちが曜日で動くこともなかったが、島根県から離れている間にいつの間にか7月の第一土曜日と日曜日の2日間に変更されていた。
それがまたしばらくして土曜日の1日だけのお祭りになって今に至っている。
吉田家に長男が誕生し、その後三姉妹が生まれて育つ間は、彼らの学業もあったりして落ち着くことが無かったから、気がつけば半世紀近く半夏祭りから遠ざかっていた。
そのうち、憲正さんの病気療養が日常化して万善寺と石見銀山の往復が頻繁になってきて、その頃から地域の回覧板などで半夏祭り情報が入るようになったから、祭りや花火好きのワイフと、吉田家に残っていた子供を連れて赤名の町へ繰り出すようになった。
一時期は、客足も遠のき、祭りも閑散として寂しくて暗い祭りの夜になっていたが、近年は、吉本興業からメジャーなお笑い芸人が最低一人はやってくるようになって、それを目当てにお客さんが少しずつ増えて来た。
吉田家の方は、子供たちも全て独り立ちして夫婦の二人暮らしになったから、ワイフの事情が調整できないとワザワザ一人で出かける気にもなれないし、若干気持ちがそれていたところへ、彫刻見習いちゃんが万善寺へ寄宿するようになったから、今年はその彼女をお笑い芸人を餌に引っ張り出して半夏祭りへ繰り出した。
同業のお寺へ訪問して、方丈さんと一杯やりながら花火見物をしたあと、夜店の並ぶ町並みへ繰り出し、ライブを楽しんだ。
今年のお笑いは「小島よしお」さんで、地元の子供たちの心をガッチリと掴んでいた!

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2017-07