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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

今の自分 

2017/07/13
Thu. 23:26

週末から万善寺の一人暮らしに戻る。
石見銀山の吉田家からだと結界君で40分もあれば飯南高原の万善寺へ到着するから、通勤坊主でもなんとかなるのだが、やはり法事の仏事が連続すると往復の時間ロスもあるし、なによりジジイに近いオヤジの体力が徐々に奪われてしまって集中力も続かなくなる。春からはじまった一人暮らしも次第に慣れてきたし、自分の食事の世話を面倒がらなければ経費削減にもなるし、それに面倒臭いお荷物オヤジの世話が減るだけでもワイフの家事負担軽減につながるだろうと恐妻家・・・オット失礼!「愛妻家!!」のボクの愛情でもあるのだ。

この3連休で法事や塔婆回向が続く。
塔婆回向は、長い間続いている地域の弘法大師様の大師講で、お大師様の供養法要の後、参列各家先祖代々供養などの塔婆を一枚一枚和讃で読み上げる。憲正さんからの口伝だが、最近になって少しずつマイオリジナルの節回しが安定するようになって少し気が楽になった。
その、塔婆回向用の塔婆を20枚チョット書き続けて、墨を擦ったついでに連休中の法事の塔婆も4枚書き上げた。筆を使って一文字ずつ書き上げることの大事さは分かっているつもりだが、やはりワープロのキーボード操作に慣れてしまうと、塔婆1枚表裏書き上げるのもナカナカの重労働に思えてしまう。
例のごとく、塔婆の裏書きで使う禅語を幾つか思いつく順に絞り出した。
その1枚に「結果自然成」と書いた。これは昨年の万善寺カレンダーでも書いた。
今の自分をもう一度見直す良い頃合いだろうと思ったからだ。
以下は、そのカレンダーの禅語解説の抜粋。文責はナンチャッテ坊主の私自身である。

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「結果自然成」は、「けっかじねんになる」とでも読めばいいかと思います。
この言葉は解釈によっていろいろな意味が考えられます。「成」とは成功を意味したりもしますが、そうすると、「結果的には何をやってもまぁそこそこ成功するものさ!」というように、楽観的な解釈もあるでしょう。さて、どうでしょうか?
私は万善寺住職を引き継いだあとも彫刻を造り続けています。
方丈さんが彫刻を造っているのか、彫刻家が寺の住職を務めているのか、そのあたりの解釈は人それぞれでしょうが、私自身としては、坊さんでも彫刻家でもどちらでもなく、只の一人の人間がそこにいて、それぞれの役割を果たしているということなのです。
万善寺の日常は、そこで彫刻の制作をしていないという只それだけです。
工場で彫刻の仕事をしている時は、自身の修行と寺の作務を重ねあわせて過ごしたりしています。
島根県で小さな彫刻展を企画して開催している時は、これも布教活動だと確信して働いています。
それぞれ何をやっても成功の実感を持つことはありません。
むしろ、今の自分が何をしてきたのか、自分に何が出来るのか、そういうことが大事であって、それが目標になって頑張ることも出来て、結果はそのズゥ~~っと先にあって、自分の行為についてきているだけのことなのです。
ようするに、何もしなければ結果もないということです。
失敗を繰り返しても、それを恐れてなにもしないでいるよりはずっと良いことで、ひょっとしたらいつの間にかそれが人生の生きがいになっているかもしれません。
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