FC2ブログ

工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

吉田家の玄関 

2017/08/31
Thu. 23:35

吉田家の暮らしに少しほど慣れた・・・というのもおかしな話だ。
たぶん、こういう違和感がまだ健在だった母親が暮らしていた頃の万善寺へ帰った時に感じていたものと同質だったのだろう。
自分の自由が効かなくて、どことなく無理をしたり我慢をしたりしているところがあった。

母親が死んで、万善寺のアチコチに手を加え始めたら、それはそれで際限がなくなっていまだに収集のつかないままでいるが、それでもどこかしら自分の責任ですべてを仕切っていると、それなりに気持ちの開放感のようなものがある。
寺の草刈りのことも、肉体的なつらさはあるが、自分の好きなように自分のペースでコトをすすめることが出来て、ずいぶん気持ちが楽になった。
ユキちゃんの彫刻制作と寄宿暮らしのことも、母親が居たら100%不可能なことだったろう。
庫裏を開放したギャラリーも、机上の構想ばかりが先走って実現に到ることもなかっただろう。
万善寺の身内のことだけでどれだけ自分が萎縮していたことか・・・この半年でよくわかった。

吉田家暮らしが再開すると、私がいない間のワイフの暮らしの痕跡がアチコチに残っていて、それはそれで特に気にすることでもないのだが、やはりどこかしら自分の居場所が随分と狭まっていることに気付く。
巨大な新しい猫タワーが鎮座していたり、通販で買ったらしいソファーベッドがリビングを占領していたり、食卓の半分以上がワイフの持ち物で溢れていたり、それに、ボクの大事なデスクトップが部屋の隅へ片付けられていたり・・・
まぁ、一つ一つは他愛ないことなのだが、やはりどこかしら自分の居場所が定まらないで落ち着かない数日が続いた。

今頃になって少しずつ吉田家の新しい(と言ってもいいだろう・・)環境になれてきたものの・・・玄関の引き戸が格子戸に変わっていたことと、板戸へ真新しい鍵が着いていたことは想定外だった。
「これが玄関の鍵だからね。私がいない時はこれで鍵あけてね♡!」
そういって、小さな鍵を渡された時はなんとも複雑な気持ちだった。
家に男がいないことの不安があったのかもしれない。
そういえば、憲正さんが死んで一人暮らしがはじまった母親は、何かというと玄関へ鍵をかけてガラス戸を締め切って薄暗い庫裏の真ん中の部屋で1日を過ごしていて、ひどい時は、夜の常会から帰るとすでに施錠されていて庫裏を締め出されたこともある。

「玄関開けてくれない?中に入れないんだけど・・」
夕方に寺から帰宅すると吉田家の玄関が開かないから、玄関外でワイフへ電話した。
「アレ??玄関あかないの?」・・・しばらくしてワイフが土間をドタドタ走ってきた。

IMG_2193.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

イサム・ノグチとトム・スコット 

2017/08/30
Wed. 23:22

クスノキを買うことにして、製材所の社長自ら軽トラへ積んで万善寺の境内まで持ってきてくれた。残りはお互い少し落ち着いてから、冬に入るまでに2tのユニックか何かで運ぶことにしてある。
そのクスノキのことでユキちゃんが寺に来た時、ちょうどいいタイミングだから「イサム・ノグチのDVD見てみるかい?」と聞いたら見たいというので、お昼休みの時にセッティンしてあげた。

イサム・ノグチというと、もうすでに私が学生の頃から超有名な彫刻家で、いつ頃だったか??竹橋の近代美術館で大規模の企画展があった時も観に行ったはずだ。
私は坊主という商売柄、子供の時からマメに日本文化へ接していたし、若い頃の憲正さんは美術が好きで、島根県に時々巡回してくる大小の美術展へ頻繁に子供の私を連れ出してくれていたおかげで、その頃には世界的な彫刻家イサム・ノグチの名前くらいは情報として収集できていた。
逆にそういうことがわざわいしてか、大きくなって本格的に美術の勉強を始めた頃も、彼の彫刻の良さがよくわからないまま時が過ぎた。
今は自分も歳をとったせいか、彼の彫刻がとてもいいと思う。
DVDを見おわったユキちゃんは、それなりに感動してくれていたようだし、少しくらい刺激になったかもしれないし、1時間位の番組だけど見せてあげてよかった気がする。

夏の間、仏事続きの坊主暮らしが続いていたから、洋楽の新譜などから縁遠くなっていた。
前回いつ休んだか覚えがないほど毎日絶え間なく着物を着たり脱いだり洗濯したりばかりしていたから、残暑の厳しい昼間の2時間位は昼寝でもして休もうと決心して、そのバックミュージックで久しぶりにiPadを駆使した。
垂れ流しのウエブラジオでフュージョン系のJAZZ番組があったからそれに決めてKENWOODの小さなスピーカーへ飛ばした。
ヴォーカルの無い音楽はイメージが膨らんで「聴き流すには都合がいい」・・・と自分ではそう思っていて、心地よい軽めのJAZZにつつまれながらウツラウツラしていたら、トム・スコットが流れてきた。
トム・スコットというと、学生時代に2枚ほどアルバム(もちろんレコード!)を買った。
最初に彼を知ったのは映画の「タクシードライバー」で、ロバート・デ・ニーロがイエローキャブを転がしながら、時折チラリとルームミラーを覗くあたりのシーンで流れていたけだるいサックスからだった。マンホールの蓋の隙間から立ち上る白い水蒸気をタクシーが巻き上げるあたりの映像に音楽がピタリとシンクロして、背筋がゾクッとしたことをよく覚えている。
スコアーの方は、あのヒッチコックと縁深いバーナード・ハーマンで、このタクシードライバーの完成直後に死んだらしい。
マーティン・スコセッシは、音楽センスがとても良い監督だと思う。
そういえば、最近になって映画を見なくなった。それで疲れがとれないのかなぁ?・・・

IMG_5750_201708310923220d7.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

Happy Birthday 

2017/08/29
Tue. 23:06

約1ヶ月ぶりに吉田家でワイフと暮らしている。
彼女と知り合ってからだともう40年位一緒にいて、いまさら1ヶ月間離れていても特に大きな気持ちの変化があるわけでもないが、「彼女の方はどうなのだろう?・・」と、「今までに無いほどの気持ちのすれ違いがあるかもしれない?・・」と、そういう意識をしていたりする。
一見、特に変わったふうもなく、普通に今までと変わりない日常の会話になって、空白期間の情報交換をして暮らしの穴埋めをして、ランダムに散らばった石見銀山やワイフや吉田家家族やネコチャンズなどの周辺事情を縫い合わせる。そうして、一つ一つの点が線でつながってやがてそれが絡み合って小さな面になって、面と面が触れ合って少しずつ大きな面になって、その端っこの方に私がしがみついてぶら下がるほどになってやっと、「あぁ〜〜、石見銀山へかえってきたなぁ〜〜」と実感できる。
そうなるまでは、島根県の飯南高原とか石見銀山とか奥出雲とか、そういう狭い地域を、幾つかの顔を使い分けながらボイジャーのように浮遊している感もあって、自分の居場所の定まらないまま、ボンヤリとした疎外感を抱えながら日常の眼前の事実にむきあっていた。

吉田家に少しほど落ち着いて、一歩下がってみると、私のいない間、吉田家は随分荒れた感じになってしまっていた。まぁ、それも当然のことで仕方がない。やはり、ダラダラと何もしないでそこに居ても居なくてもどうでもいいくらいノラリクラリ暮らしているように見えても、私なりにそれなりに自分の役割をソコソコ果たしていたという存在の痕跡がかすかに残っている。

・・・さて、ナニが出来るか??、ナニから始めようか??・・
寺から持ち帰ったツナギに着替えて、1年以上手付かずだった土間の杉の丸太を薪に片付けることから始めた。
私がいない間、ほとんど新鮮な風が抜けることも無かったのだろう、土間が湿っぽく淀んでいる。薪割り機の油圧の油が少しずつ暖まって揮発すると、丸太に沁み込んだカビの匂いに混ざったなんとも異様なほこりっぽい空気がかき混ぜられる。
吉田家の暮らしがそこまで停滞していたのかと、一人暮らしを強いられていたワイフがかわいそうになった。
「ネコチャンズがいてくれるおかげよ・・・」
擦り寄ってきたシロをだきあげて、ワイフがポロリとそうつぶやいた。
ひと頃は、あれだけ猫嫌いを周囲に告知していたはずなのに、彼女の心変わりもナカナカのものだ。それでも、結果的にはソレでよかった。最初に、瀕死のクロを救出して連れ帰ったじゅん君はなかなか良い仕事をしたことになる。

半日かけて丸太を片付けて、土間を掃いた。それから、雨の降る中、工場から花屋さんを回って万善寺へ向かって日が暮れるまで草刈りをして、暗くなってから帰宅した。
ワイフの誕生日はバラの花束をプレゼントしていて、それが恒例になっている。
その夜、吉田家SNSが飛び交い、3人の娘がそれぞれ時間差でワイフへ電話してきた。

IMG_2190.jpg
IMG_0761.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

クスノキ 

2017/08/28
Mon. 23:52

飯南高原に比べると石見銀山は残暑が厳しくて暑い。
夜も寝苦しくて、なかなか寝付けないし夜中に何度も目が覚める。
・・・というわけで、とっても久しぶりに石見銀山吉田家に帰宅した。

前日の夕方にユキちゃんが万善寺へやってきた。
夏休みの間は、彫刻の制作も小休止で、各地のイベントやワークショップへ参加して過ごしているようだ。
話を聞くと、クリエイティブなことが本当にスキなのだなぁと思ってしまう。
私もどちらかといえばそちらの方面へシフトしている気もするが、彼女ほどアクティブにその系統の情報を収集してアチコチ出かけるほどマメでもない。それだけ、彼女が心身ともに健康で若くて私がジジイだということなのだろう。
そういえば、彼女との出会いも現代彫刻小品展のワークショップ会場だった。その時の世間話がきっかけで今につながってくるのだから、なかなか面白い縁があったのだなぁと他人事のように思ってしまう。
最近、こういう何かに向かって脇目をフル余裕もないくらい突き進むタイプの若者を見かけなくなった。
どこかしら自分の限界を楽なあたりに用意して、そこらへんで満足して、すぐ目先の近い将来を比較的常識的な路線に落とし込んで、大きな夢を持つこともなく、つつましく毎日を過ごす若者が私の周囲には多い気がする。もっとも、過疎の進む万善寺周辺の若者事情に限ったことのことだから、他の土地ではもっと若者の活性が充満しているのかもしれないけど・・・

せっかくだから、ユキちゃんを誘って親しくしている製材所へ出かけた。
以前から、「クスノキの丸太があるけど見てみないか?」と聞いていて、それが木彫のユキちゃんにどうかと思っていたところだったから、材料代のことは後回しにして、ひとまず現物をこの目で確認しておこうと思っていたところだった。
1.5mと5mの丸太があって、どちらも数年前の大水害で水没したものだった。幸い、水が引くと濁流に流されることもなく、資材置き場で土泥に埋まったまま見つかったのだが、そういう悪条件に遭遇した材料は建材として売り物になりにくいらしい。
私は鉄の彫刻を造っているから、どちらかといえば木材は縁遠いが、ユキちゃんのような木彫をメインに考えている作家には都合の良い材料であるかもしれない。
外側の白太部分は腐っているが、芯の方はシッカリしていて彫刻に出来るものだ。

ユキちゃんにとっては、大学の卒業制作以来の大作になりそうな気もして、ひとまず「短い方だけでも自腹でなんとかしてみろ」と購入を勧めた。残りの5mの方は私の懐事情を考えると少々厳しい金額だったが、せっかくのことだし、それも何かの縁だろうと思って引き取ることにした。万善寺の駐車場まで運んでもらって、そこで少しずつ刻みながら使おうと考えている。
このまま彼女が本気になって彫刻制作にハマることにでもなれば、その丸太を小売して原価のもとを取ることが出来るかも・・と、俗な打算が脳味噌を駆け巡ったりする。

IMG_2182.jpg
IMG_2177.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

夏はそうめん 

2017/08/27
Sun. 23:34

朝の8時には草刈り機を振り回していた。
この1ヶ月で1mは伸びていただろうか?
万善寺施食会の3日前にドタバタで刈り込んだところでも1週間で20cm伸びている。
8月はとにかく雨が多かった。それで、刈った草が乾燥しないで腐っていく。乾燥すれば集めてくよす事もできるが、腐ってしまうとそういうわけにいかない。
「えっ!??方丈さんが草刈りですか?」
浄土真宗の門徒さん宅で古墳の供養をした後、世間話の流れでポロリと万善寺事情を喋っていたら、「草刈り」のところでビックリされて話題に食いつかれてしまって「シマッタ!」と気付いたが時すでに遅し・・・
飯南高原に点在する寺院では、お檀家や門徒さんの草刈り奉仕で寺の営繕作務を乗り切ることが普通に行われている。
万善寺は昔からそのようなシステムがお檀家さんに浸透していない。
私が住職になった時、2〜3年ほどさりげなくお盆法要のお知らせに添えて草刈奉仕のお願い文を挟んだことがある。結局、毎年問い合わせもなく無視されてスルーされた。護持会役員の皆様からしてそうであるから、一般のお檀家さんが動かれるはずもなく・・・そのお知らせは3年後に消滅した。
たかが草刈りであるが、それはそれで東西南北境内周辺グルリと刈り回るのもそれなりに重労働だ。いつまで続くかわからないが、私の体力が続くうちは「自分でなんとかするしか無い!」と、今では腹をくくっているところもあって、周辺寺院と比べて気持ちが騒ぐこともなくなった。
我身で出来ることを我身をいたわりながら我身の修行と信じて粛々とこなすことが、何より安らかでいられると思う。頭の片隅で「〜のに」のフレーズがチラッとでも湧き上がってしまったら、自分の修行もまだヘナチョコだということだ。

お中元も兼ねて、遠くのお檀家さんからそうめんの詰め合わせが数箱届いた。
賞味期限はだいたい1年位あるから、1年の間にその全てを消費すればすむことだが、やはり、そうめんといえば夏の定番麺類である気もして、なんとなく「夏もそろそろ過ぎる頃だし、なんとかしなければ・・・」などと、根拠のない常識めいた発想が厳しい残暑で発酵寸前の脳味噌を刺激する。
それにしても万善寺の一人暮らしで三度の食事をそうめんゆでてめんつゆ漬けてすするのも味気ないし、(贅沢なことだが)その前に飽きる。
草刈りをしている間に絵描きの知り合いから相談のメールが入っていて、試作を持って万善寺へ移動中だという。
なかなかいいタイミングだから、「君のためにオヤジの男飯でも作ってやるよ!」と、恩着せがましいSNSを返しておいた。
もちろん、食材はそうめん!
トマトとタマゴがメインの中華風スープを作って冷蔵庫で冷やして、茹でたそうめんへブッかければ完成!という、簡単料理。
草刈りを切り上げて、シャワーを浴びて新着のアルバムを聞きながら昼食の準備をしていたら、境内から車のエンジン音が聞こえてきた。

IMG_5748.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

一人暮らし坊主 

2017/08/26
Sat. 23:59


「いやに冷えるなぁ〜・・・」と気づいて目が覚めると、まだ早朝の5時前だった。
万善寺の庫裏に漂う空気はヒンヤリとして肌寒い。
AppleWatchを見ると、飯南高原の気温が17℃だった。
ほんの数分の間に東の空がいっきに明るくなって、鳥たちが鳴き始めた。
二度寝をむさぼろうと思ったが、昨夜寝る前に白衣などの着物類を洗濯機へ放り込んでおいたのを思い出してその機会を失った。

今年のお盆がひとまず終わった。
来週からは気持ちを切り替えて石見銀山暮らしをしながら彫刻制作に入ろうと計画している。
それにむけて、寺の夏を整理しておかなければいけない。
夏の着物類や衣を洗って、8月最後の草刈りもしておかないといけない。
昨年までは母親が万善寺の庫裏で暮らしていたから、その遠慮もあって季節の節目に区切りをつけることが出来にくかった。あと何年続くかわからないが、これからしばらくは気兼ねなく自分のペースで寺暮らしを続けることになる。

午前中は、この夏最後の棚経と古墓供養を2軒分済ませ、午後からは施食会に随喜した。
江津市桜江町の日笠寺さんが説教導師をお務めと案内にあったので、法要が終わってから時間の許せるところでギリギリまでお話を聞かせていただいた。
日笠寺さんは、先代住職がご健在の間は東京暮らしが長かった。
ご本人は哲学者でもあって、武蔵野美術大学で座学の講義もされていた。その縁があって、随分前から親しくお付き合いさせてもらっている。
現在は、東京の自宅へ奥さんを残し、日笠寺で一人暮らしをしながら住職に専念されていらっしゃる。
聞くところによると、五年前と2年前に2度ほど脳梗塞で倒れられたそうだが、後遺症もなく見事に蘇られて、このたび久しぶりに元気なお姿を拝見することが出来た。
お説教も相変わらず哲学的で奥深く、仏教の常識に固まった説教坊主とは一味違って面白い。最後まで拝聴したかったのだが、次の用事もあって途中で退席した。
まだ70歳代だが、お元気なうちに万善寺でお話をいただきたいと思っている・・・さて、今のお檀家さんの状態だと実現が難しいかもしれない。
彼のことについては、まだまだ語りたいことが山ほどある。それほど魅力的な人で、憧れの方丈さんである。

お葬式の導師代行をした施主さんの三・七日なので、事前の打ち合わせ通り、夕方6時を目指して移動した。
その施主さんの菩提寺の跡取りになる方丈さんから、具体的な支持もないので万善寺流の七日務めをして、途中、スーパーで夕食の買い出しをして寺へ帰った。
例年だと、お盆の一区切りでワイフの手料理をパクツキながらささやかな打ち上げをしていたが、今年はひとり飯で寂しい夕食になった。
「こういう年もめったにないだろう・・」冷奴用のわけぎを刻みながらふとそう思った。

IMG_2189_20170827070007f8f.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

烏枢沙摩明王さま 

2017/08/25
Fri. 23:17

だいたい万善寺の夜は「寝苦しくてしょうがない・・」ということがないわけではないが珍しい。
夏は熱くて眠れないという日が、せいぜい5日あるかどうかだ。その珍しく眠れない1夜が明けた。
夜の間に締め切った庫裏へ溜まった湿気が、ベタリと肌に張り付いて不快だ。
朝方になって雨が落ちはじめて、夜が明ける頃には本格的に降りはじめた。
久しぶりのまとまった雨になりそうな降り方になったから、これで草がいっきに伸びるだろうと思うとうんざりする。
庫裏に充満した不快な湿気はひと晩のうちにあらゆるモノへ沁み込んだのだろう。いつもなら次の朝には乾いている洗濯物がまだ湿気っている。

2〜3日まえに、お檀家さんからトイレの改修をするのでお経をあげてくれと依頼があった。
トイレには烏枢沙摩明王さまが安座していられる・・・と、万善寺では前住職から口伝で引き継いでいた。
毎年正月の三が日は、万善寺の隅から隅までその場所場所に安座される守護神様を巡ってお経を読むことにしている。
ひところ大流行したトイレの神様の歌と似たようなものだと思うが、仏教でお祀りしてある烏枢沙摩明王さまは、お釈迦様の布教を妨害する連中を懲らしめるシークレットサービスのようなカッコイイ存在で、人間から吐き出される邪気を飲み込んで浄化してくれる、とてもありがたい仏様なのだ。
お釈迦様のありがたいお言葉は、邪気の去った晴れ晴れと清らかで澄みきった人々の心に沁み込んで、信心が芽生え仏心が根付くことになるのだ。

雨の中を雪駄履きで出かけることになるから、さすがに足袋を履くことが出来ない。素足のままでお経を読ませてもらうことをことわって撥遣のおつとめをした。
お経回向が終わってから、改修前のトイレの隅々まで洒水し塩をまいて、撥遣の偈文を唱えた。
まぁ、このたびの烏枢沙摩明王さまに限らず、お仏壇やお墓納めなど、撥遣に該当する仏事はだいたいそのような作法で引き継いでいる。
それにしても、トイレの改修でお経をお願いされることは、今時めずらしいといえば稀少なことといっていいだろう。
その施主さんは、元々日蓮宗の信者さんだった。
私が若い頃にはまだ飯南高原の隣町に日蓮宗の寺院があったのだが、ご住職の他界後に廃寺となった。その施主さんは、それ以降しばらくのあいだ1時間以上も離れた同宗のお寺へ仏事をお願いされていたようだが、色々な不具合も生じたようで、禅宗の万善寺へ宗派替えされた。代々の信心深いことは改宗後の今も変わりなく引き継がれている。

あれだけ夜が蒸し暑かったのに、雨のおかげか着物でも汗が出ない。
これから一雨ごとに涼しくなっていくのだろう。寺へ帰ると何処かで鈴虫が鳴いていた。

IMG_2169.jpg
IMG_2171_20170826071804ad1.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

朝もやの向こう 

2017/08/24
Thu. 23:56

なっちゃんが帰省しているので、できるだけ石見銀山に帰ろうとスケジュールを工夫している。
それでも万善寺の用事は毎日続くし、8月も後半になって棚経の疲れも溜まりっぱなしで体調不良が改善できないまま、身体が重いし、1日3回の胃薬が絶えない。
「坊主に夏痩せはない!」といわれている。自分でも今までそうだったが、今年の私はその定説も崩れて8月の半月のうちに3kg痩せた。
胃薬が手放せないのも、職業病のようなもので、棚経の先で一日何杯も煎茶を飲み、インスタントや缶コーヒーをいただき、時には炭酸ソーダも出たりして、それらを有難くいただき続けていれば、そのうち胃袋がおかしくなっても仕方のないことだ。年々歳をとるばかりで若返ることはないから、自分の身体も衰えるばかりで、私にとっての夏の仏事は非常に過酷なものになっている。
一人暮らしをはじめてから、朝に目が覚めても、夕方寺へ帰っても、食事の世話は自分でしなければいけないから、目先の細々とした洗濯や戸の開け閉めや、もちろん本堂のことと、毎日続く用事を片付けていると、結局それに流されて飯抜きになったりして不摂生極まりない。こういう時に、ワイフのありがたさを痛感する。

まだ、朝寝を貪っているなっちゃんを吉田家に残して、自宅を出発したのは朝の7時前だった。すでにその2時間ほど前には目が覚めていて、この半年近く吉田家に埋もれていた私の私物を整理して結界くんへ積み込んだりした。
ギャラリーになる予定の町並みに面した一部屋も、結局以前と変わりなく物置になりつつある。その中からホコリをかぶった昔の彫刻を見つけた。
ちょうどその彫刻をつくったことが転機になって、今のテーマが固まってきた、自分にとっては記念すべき彫刻といえる。
改めてクールな目でこの時期の彫刻を見直すことも大事なことで、経本がボロボロになるまで何度も繰り返しながら一つお経を読み続けることの大事さに通じるところもある。

石見銀山の町並みを抜けて、銀山街道の古道に沿って付かず離れずアップダウンを繰り返しながら続く現在の銀山街道を太陽に向かってしばらく走っていると、無数の大小のシルエットが道の至る所で逆光を受けてうごめいている。早朝の朝もやも漂っていて現実とは思えない光景だ。こういう状況を何処かで見た覚えがある。結界くんのスピードを緩めてゆっくりの朝もやの中へ入っていくと、逆光が少し緩和されてコントラストが弱まった。
大小のシルエットは、それぞれランダムに動きながら道の両脇へ吸い込まれていく。シルエットの一つが、道の脇で固まって動かなくなった。さて・・・時速20kmくらいだったろうか・・ゆっくりその塊に近づいたら、やっと正体が見えた。
猿の群れだった。だいたい20匹はいたはずだ。独特の野生の獣の匂いが朝もやの中に充満している。
しばらく走りながら、「あの光景は何処かで見たような・・・」思いを忘れられないまま記憶を手繰っていると・・思い出した。
「蜘蛛巣城!」・・・妖気漂う異世界に迷い込む武将の姿が早朝の銀山街道を走る自分に重なった。

IMG_2170.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

ジュウショク 

2017/08/23
Wed. 23:39

万善寺のお盆はまだ続いている。

着物も衣も一日の汗が沁み込んでしまうから、毎日お経を一回読むたびに洗濯機へ直行して上から下まで全てを脱いで放り込む。
一日に仏事が2回あれば洗濯機も2回動くことになる。
一人暮らしにはちょうどいい小ぶりの全自動がフル回転していて、最近気がつくと何かしらモーターコイルの焼けるような匂いが洗面所へ充満している。
洗濯といっても、洗い物を放り込んで洗剤を入れてスイッチONするだけのことだから大した負担でもないが、かえって全ておまかせの全自動だと、そういうちょっとした不具合を見逃してしまって後の始末が大変になることもあるから、たかが洗濯、されど洗濯と、毎日の家事をそれなりに緊張して片付けている。

朝のまだ涼しい間に、毎年恒例になっている古墓と三界萬霊を先祖供養のお墓参りに合わせておつとめしてきた。
その施主家は実は浄土真宗の門徒さんなのだが、年に1回盆の月にお墓の供養をするときだけ万善寺がお参りさせてもらっている。
島根県の飯南高原あたりでは、俗に云う「墓納め」とか「墓終い」の仏事を禅宗に依頼されることが多い。その付き合いがご縁になって、毎年1回は禅宗のお経を読んでもらいたいと思われたりされるようだ。
そもそも、昔々の民衆に密着した仏事というものは、そういうふうに仏教宗派を越えて、その得意とする領域の住み分けをこなして、坊主同士お互い仲良く過不足なく自分の得意ジャンルをキープしながら付き合っていた。
最近の宗門の付き合いは、どうも本山直下の縦社会構造が教化されて、そういう指導や研修が繰り返されてくると、末端の住職現場での交流も疎遠になってどこかしら付き合いも堅苦しくなってくる。高齢過疎限界集落が混在する田舎の山寺住職は、もっと緩く地域の事情に溶け込めるような付き合いを大事にしたほうが良いと思う・・・などと、偉そうなことが言える立場でもないけどね・・・

午後から奥出雲へ出かけて800枚の町内回覧配布のチラシを集配仕分けさせてもらった。
夏休み中のユキちゃんが松江の実家から駆けつけてくれてとても助かった。最近、少しずつ気持ちが通じて、私の動きを読んでくれるようになってきた気がする。適度な距離をおいた付き合いが気楽で居られて良い。

夕方から石見銀山へ向かった。
なっちゃんが勤務先の出張で約1週間ほど帰省している。いつの間にか東京ベースの事務所で幾つかの重職を任されているようだ。どれほどの仕事ができているかどうかは分からないが、本人は特別緊張するわけでもなく偉ぶるわけでもなく、いたって普通に何時もと変わらない様子だから、ぎゃくにそれが凄いと思う。万善寺のチキン住職など、坊主の会議や仏事などあったらオロオロヨレヨレで使いものにならない。
「ジュウショク」違いで差がついてきた。まぁ、それはそれで喜ばしいことである。

IMG_2159.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

晩夏の万善寺 

2017/08/22
Tue. 23:55

保賀の谷の上昇気流を探して、低空飛行の鳶が万善寺裏山の上空へ円を書きながら舞い上がっていった。

最近は、朝晩がずいぶん涼しくなって、夏用の掛け布団がないと寒いくらいになった。
寺の一人暮らしが長引いて、気が付かない間に随分早起きになった。
境内から参道までの様子を確認しながら朝の散歩をしていたら、今年2回目のマムシを見た。前回の丸々と太ったマムシとは違って胴体が私の親指くらいだった。私の気配を察しているはずなのに参道の真ん中で伸び切って動こうとしない。早朝の地面の温度が敏捷に動けるほどの体温の上昇を支えてくれていないのかもしれない。
お参りのお客もないし、1日で人間に会うとなると自分から町内や近所の町へ出かけるしか無い。一人で暮らしていると、周囲の生き物くらいしか私に反応してくれない。
生き物は正直だから、こちらから危害を加えなければ、安全の距離を維持しながら、付かず離れず彼らの日常が繰り返される。

夏の盛りが少しおさまって、秋の気配に変わりつつある。
もう随分前から、古墓の先祖供養だからと、だいたい毎年この時期に自作の塔婆を持参する大工さんがいる。
まだ8時前に手首のAppleWatchがブルブルと動きはじめて着信を教えてくれた。
「◯◯ですが、今年もお侍さんのお墓を供養してもらいたいんですがぁ〜・・」
「ハイ、どうぞ何時でも良いですよ」
「アレッ?・・・今お寺ですか?」
昨年までは母親が寺で暮らしていたから庫裏に私の居場所がなくて、お盆を過ぎたこの時期には石見銀山の吉田家を拠点に、通勤坊主を繰り返していた。大工さんもそれを心得ていて、私に面会できる時間帯の都合を問い合わせてきたわけだ。
「最近は、だいたい寺に居ますから何時でも大丈夫ですよ!」
「そぉ〜ですかぁ〜・・、それじゃぁ、今から持参しますんで・・・いいですかぁ〜」
「ハイ!どうぞ」
・・・こういう、地域のささやかな仏事の付き合いが8月いっぱいは五月雨に続く。
これからも、古墓の墓参りや、ご先祖さまの永代供養などで出かけることがあって、その間隙を縫って彫刻の予定を入れる。

今週に入って、奥出雲の彫刻展が動き出した。
例年に比べると随分準備が停滞しているが、今年の私の個人事情ではこの遅延も仕方がないことだ。塔婆を書き終わった頃に、印刷が終わった800枚の回覧チラシを営業のおじさんが持ってきてくれた。今までは石見銀山の吉田家を事務所にしていたから、今年になってはじめて万善寺を訪ねてくれたことになる。
少しずつ準備中の仮称「ギャラリーまんぜんじ」も見てもらった。
印刷物の付き合いしか無いから、彫刻の実物を観るのがはじめてのようだった。

どこか近くで鳶が「ピィー!」と鳴いて保賀の谷へ響いた。

2017チラシA3奥出雲 (1)
IMG_2162_20170823035613ce2.jpg
IMG_5743_20170823035614348.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

荘厳のこと 

2017/08/21
Mon. 23:03

朝の涼しいうちに本堂の荘厳を解いて片付けた。
坊主の・・というより、私個人の趣味というか美意識というか、そういう主観的な要素が多分に入っていると思うが、どうも荘厳の派手派手さに馴染めないところがある。
錦糸の両山紋とか、五色幕とか、朱塗りの高茶台とか、あげればキリがないほど大小の仏具什器には、それぞれにそれなりのいわれもあって大事な装いであるのだが、揃ってそれらを荘厳すると、その派手さが空々しいものに思えてしっくりいかないところがある。

憲正さんが、何かに取り憑かれたように荘厳作務をしていた頃を思い出す。
一つ一つ、それはそれは丁寧にタップリと丸一日は使って延々と本堂にこもっていた。
それが、ある意味彼自身の信心の姿であり修行の現れであるところもあるから、手伝いもギリギリまで控えて、云われたように云われたことをするだけに留めていた。
私が本堂に居るということもあまり好ましくないような雰囲気が漂っていたので、彼の身体が弱って動かなくなってほとんど1日中寝て過ごすようになった頃から、少しずつ荘厳作務を引き継いだ。憲正さんがあまりに自分一人の世界に入って黙々と荘厳にとりかかるものだから、引き継いだ当初は事の前後が何が何やらチンプンカンプンで、やたらに無駄な動きが続いて困った。どうやらこうやら見た目の形を整えてお伺いをたてると、ヨチヨチ本堂へやって来てダメ出しが出る・・・こういうことが数年続いたあと、彼は意識してのことだろう、万善寺仏事のある時は本堂へ顔を見せなくなり、私が居るときも口を出さなくなった。
憲正さんの代で、本堂の仏具什器から鳴り物に至るまで殆どが古いものから更新された。そういう寺院経営の様子を見ても、荘厳の重要性と目指す先のあるべき姿を彼なりに定めていたのだと思う。

万善寺の隣近所のお寺では、荘厳の一式を仏具業者さんへ一任して済ますところがあるし、お檀家さんの護持会へ奉仕作業を依頼されるところもある。いずれも、それなりの支出になって資金が絡むことだが、収支が安定しているから出来ることでもある。
今思うと、憲正さんはある意味幸せな坊主暮らしを貫いたひとであった。自分の意志で自分のペースで、誰に気兼ねもなく納得できるまで荘厳に集中し、その達成感を噛みしめる。仏事のあとの撤収も、最後まで自分で責任を持って終了し、それら一連の流れをただ一人の弟子(ボクのことです・・)に託し、万善寺山風として伝える・・・それはそれとして、ある意味正当な継承となっているのであろうが、託された我が身としてはなかなかに重労働であって、予測できない未来の事態に悶々として修行どころではない。

とにかく、ひとまず、1年に2回の大掛かりな荘厳が片付いた。来年からは、こういう荘厳がもう1回増える。自分でまいた種だから自分で刈り取るしか無い。
なんだかんだいっても結局はどこかしら憲正さんの弟子でいられているなぁと荘厳を片付けながらそう思った。そしてあの空々しい派手さの不具合の元が何か分かった気がした。
寄棟お堂造りの質素で簡素でシンプルな佇まいの万善寺本堂に、あの荘厳はコーディネートに無理があるのだ。
美的調和の不具合が現住職の心をざわめかせてしまうのだ・・・

IMG_2158_2017082205051550d.jpg
IMG_2155.jpg
B93B6336-48BA-4F41-BBC1-8615169B5B3F.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

それぞれの暮らし 

2017/08/20
Sun. 23:16

朝の目覚めは、普通に何時もと変わらなかった。
寺の一人暮らしに慣れてくると、いつの間にか日の出とともになんとなく目がさめるようになって、早朝のアレコレをひと通り済ませることが習慣になりつつある。
だいたい2〜3時間ほどそうやって庫裏や本堂をうろついて、デスクワークを少ししてから休憩に入る。その頃が石見銀山でワイフと二人暮らしをしていた頃の私の目覚めの時間になる。歳をとったせいか、環境が変わったせいかよくわからないが、夜中にひたすら夜更かししてもだいたい決まったように目覚めてしまうから、あまりシッカリと熟睡できていないのかもしれない。

飯南高原のインターネット回線があまりにも貧弱で、夜のうちにデータのやり取りをしようとしても上手く機能しない。遅々としてデスクワークが進まなくてはかどらないから映画でも見ようと気持ちを切り替えるのだが、インターネット経由の映画もまともに動かなくて結局断念する。そのまま仮眠するか、本でも読むかくらいしかすることもないし、なんとなく夜の時間がもったいないと思ってしまう。
かろうじてメールやLINEなどの軽いSNSはソコソコ使えていて、iPadとiPhoneを駆使して事務連絡をとりあっているが、キーボードの感覚に慣れなくてストレスがたまる。
この1〜2年は、大事なデータをCloudに保存することが普通になって、仕事ごとに使い分けていた外付けのハードディスクの使用頻度が激減していたのだが、今になって少しずつ復活し始めている。

久しぶりにキーポンが一人飯の写真を送ってくれた。
現在の吉田家は、結婚したなっちゃん以外みんなアチコチで一人暮らしをしている。いちばん味気ない食生活を送っているのは、たぶんじゅん君だろう。ノッチはオーランドでシェアハウス暮らしになったから、食事の世話もそれなりにみんなでワイワイと仲良くこなしていることだろう。ワイフは比較的几帳面に食事の管理をする人だから、心配することもない。私は、棚経が始まってから不摂生が続いて、最近は胃の調子がすこぶる悪くて、胃薬が手放せない状態だ。

吉田家の一人暮らしが続いているワイフは、それでもネコチャンズやグッピーたちがいて、その世話で手間もかかるだろうが、私ほど純粋に一人で寂しく過ごしていることもないだろう。彼女は、先日思い切ってソファーベッドを購入したらしく、その写真をSNSで届けてくれた。狭いリビングがより狭くなって、ついに私の居場所がなくなった。
20年ほど前に手づくりして家族が入れ替わりながらごろ寝していたカウチはいつのまにか物置になっている。そろそろ彫刻の制作で吉田家暮らしに戻ることになる。そうしたら、カウチを分解して撤去することも考えたほうが良いかもしれない。
結局は、吉田家で一番長く暮らすワイフに併せて少しでも彼女が住みやすい環境を整えてあげることが一番いいと思う。

知らない間に相当疲れが溜まっていたのだろう。朝のひと仕事が終わって切りの良い所でごろ寝したら、そのまま昼食も食べないで夕方まで寝てしまっていた。

S__13606914.jpg
IMG_0760.jpg
IMG_2148.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

慰労の夜 

2017/08/19
Sat. 23:45

お盆月恒例の諸仏祈祷法要がまた一つ終わった。
こうして少しずつ万善寺の夏が過ぎて秋がやって来る。

昔々の飯南高原は、林業と農業が主な産業で、あとは、出雲街道と銀山街道に沿って適度な距離を維持しながら市場町や宿場町が点在していた。
農業の方は、ほとんど稲作が中心で、農耕の補助に黒毛和牛を育て、米と牛からの収入で暮らしていた。
稲作には水が必要になるが、場所によっては農業用水の確保が難しいところもあって、天候を頼って自然の恵みに一喜一憂することの繰り返しが続く中で、仏頼み神頼みの信心が芽生え、有志を募って水田の脇へお堂や石仏を建立したりして豊作を願った。
その建立された諸仏を粗末にできないからと、供養と祈念を兼ねた法要が今に続いている。
おもしろいもので、土壌や水源の条件が整っている地域では、神仏にすがるまでの悲壮感も薄くて、過去からの信仰風習も途絶えたままになっているが、水源の確保が難しい地域では、世代が変わっても信仰心の絶えることがない。
万善寺は、一年の節目で行われる地域の五穀豊穣を祈念する信心仏事に招待を受ける。

10年ほど前に新築された2畳ほどのお堂でお経を読んでから近くの自治会館へ移動して、お供えのお下がりをいただいた。
憲正さんの頃は私が付き添って送迎を兼ねていたから、お酒も出て賑やかな宴会になっていたが、今は飲酒の規制が厳しいから随分静かになった。
1時間近く経ってからさり気なく退席して寺へ帰るとユキちゃんが展覧会の慰労を兼ねた手料理を持参してくれていた。
しばらくして、ヒョロリテツヤもやってきた。
ユキちゃんの手料理は、なかなか凝ったものでワイフの味付けとはまた違って新鮮で旨かった。
二人ともあまり遠慮しないで結構飲むものだから、ついつい酒が進んで会話もはずんだ。
いつもはどちらかといえば寡黙なユキちゃんが饒舌になった。
彼女の知られざる一面を垣間見た気がして親近感が深まった気がする。

春に万善寺で寄宿が始まって、今までに3点の小品彫刻を造った。
すべて島根の地元であった展覧会へ出品して、発表も精力的だ。
素材へ取り組む姿勢も前向きで、少しずつ彫刻に対する我欲も増しているふうに感じる。
吉田にはたいしたこと出来るわけでもないが、少しでも頼ってくれるうちはなんとか付き合っていこうと思っている。

境内に日参していたスズメが絶えた。他の何処かで条件の良い餌場が見つかったのかもしれない。参道脇をつがいの白鷺が低空で飛び去った。
雨の降り癖が収まって残暑が厳しくなりそうだ。刈り倒した草が少しずつ乾燥してきた。
お盆前に注文していた彫刻用の鉄板がそろそろ届く頃だ。

IMG_2152.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

万善寺の暑い夏 

2017/08/18
Fri. 23:26

万善寺の暑い夏が終わった。
今年のお参りは、大人17名、小人4名、合計21名であった。
塔婆回向は11枚、年回塔婆の回向が2枚、初盆塔婆が6枚と、俊江さんの1枚。
まぁ、だいたい例年通りといったところだが、今年は吉田家も含めて初盆が多かった。私と同じ歳で亡くなったご主人を除けば、あとはだいたい天寿を全うされた大往生であった。

随喜寺院は、浄土寺さん遷化でどうなることかと心配だったが、お弟子さんの息子さんが松江から駆けつけてくれて、例年と変わらない人数で仏事を仕切ることが出来た。
変わったことといえば、大般若会を憲正さんの祥月命日へ移動すると宣言したこと。
お参りの皆さんの反応は微妙だったが、「まぁ、方丈さんがそう決めたのならしかたねぇ〜なぁ〜〜・・」という感じの表情を読み取って、了解を得たことと勝手に判断させてもらった。
生前の浄土寺さんに相談したら、「そりやぁ〜、えぇ〜じゃないの」とにこやかにうなずいていらっしゃった。
内室の俊江さんじゃないが、「お参りは激減だろぉ〜なぁ〜〜・・」って感じだが、それも万善寺お檀家さん方の信心の気持ちの問題で、住職の方は粛々と我身の役割をはたすだけのことだから、それで十分だと思っている。まぁ、荘厳の作務が一つ増えることは弱った老体に応えるけどね・・・

「くれぐれも、無理のないように出来ることをしておいてくれればいいから・・」
ワイフには、寺院方の接待を一任した。
寺の仏事の運営は、それぞれの寺事情で変わってくるし、ザックリとした決まり事が無いわけでもないが、近隣の各寺のように、檀家の奥様方まで動員して内にも外にも気苦労をかけるのもしのびないし、それ以前に、檀家の奥様に「私にお手伝いさせてくださいませ♡!」といった、身施の信心の持ち合わせも無いだろう。
ワイフにとって何よりの達成感は、随喜を終わった寺院方が、庫裏に下がってノンビリと落ち着いて世間話などしながら心づくしの手料理をパクツイてくれること。それがうまくいけば、それだけで「彼女は満足してくれるはずだ」・・・と、私はそう思うようにしている。食材の買い出しや器の選別など、自分の都合で調整して組み立ててくれればそれで十分。かえって、住職坊主が「あの寺はあれが出た」とか、「この寺ではこうだった」とか、「作法はこうだから」とか、事細かに口出ししないでおいたほうが、ワイフオリジナルの接待になるし、そのうち万善寺オリジナルの接待が組み立てられて、近隣寺院方に周知されることになるはずだ。
ワイフもボクも、一方では彫刻家の顔を持っているし、全身クリエイティブで固まっているから、こういう時のオリジナルバージョンは、何かにつけて人目を引いて記憶に残っていくものだ。

ふと気がつくと、蜩が絶えた。あれだけ、早朝も夕方も賑やかに鳴きわめいていたのに、人の絶えた万善寺がやけに静かだ。自分の耳鳴りがやたらにうるさい。

IMG_2149_20170819072631d1c.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

言い訳はしない 

2017/08/17
Thu. 23:59

本葬仏事が無事終了し、大練忌法要も終わって斎膳が本堂へ配膳され、総勢100名近い方丈さまやお檀家衆が着座されて献杯になったのは13:00を過ぎた頃だった。
主喪の役目も最後のおもだった方丈さま方へ酌をして回ればそれで終了と心に決めて、一巡したあと、さりげなく荷物をまとめて退席した。
本当は、斎の酒宴が終わった後の片付けまで居残るべきだろうが、さすがにそこまでの心身の余裕がない。

もう前回石見銀山へ帰宅したのが何時の頃だったのか思い出せない。
まさか、ここまでベッタリと万善寺に居続けようと考えてもいなかったから、18日の万善寺お盆の大イベントへ向けて色々な必需品が石見銀山の吉田家に残されている。帰宅のスケジュールを考えながら「なんとかして」とか、「そろそろ」とか、「そのうちに」とか思いつつ、結局前日まで帰宅できないまま時が過ぎた。さすがに残された余裕もないから、いっきに石見銀山まで久しぶりの銀山街道を走った。こういう時に限って、やたらとノロノロフラフラ走る県外ナンバーが邪魔をする。かなりイライラしながら石見銀山の町へハンドルを切ると、唖然とするほどヒトがひしめいている。
「そぉ〜か、世間は夏休みでお盆だ!」
過疎の進む飯南高原でノンビリとした毎日をおくっていて、それがすっかり普通のことになってしまっていた。

必要な荷物をまとめて結界くんへ積み込んでいる間に、ワイフが買い物から帰宅した。
クロは何処かで眠りこけているのだろう、終始顔も見せない。
シロはフギャフギャ甘えてダッコをせがんできた。
グッピー軍団は、水量の減った水槽の中で「餌をくれ!」とピラニアの如き勢いでピチャピチャ跳ねていた。
リビングに巨大なソファーが搬入され、土間には梱包材が散乱していた。
私のデスクトップが、部屋の隅で小さくなっている。
しばらく留守にしている間に、吉田家はワイフの暮らしが充満していた。彼女には彼女なりの考えがあって、吉田家がしだいに自分の住みやすいように変化していったのだろう。
前例にないほどの多忙な万善寺業務で忙殺されている間に、ワイフは一人で味気なく暮らしていたのかもしれない。
口では、大丈夫そうなことを云って自分の多忙を訴えていたが、はたしてそれは本心だったのだろうか?

夜の横路薬師供養の仏事が毎年恒例になっていて、石見銀山から万善寺へ帰着すると夕方までの間に塔婆を書いたりして準備を進めた。
坊主の事情で何時になく忙しかったことなど、お薬師様へお参りの皆様には関係のないこと。ざわめく気持ちを落ち着かせて境内から参道へ降りたら、琴弾山の尾根に虹が見えた。「なるようにしかならない」ことだとわかっていつつ、ジタバタしている自分に気付いた気がする。
「言い訳はしないことにしよう・・・」と決めてお薬師様のお堂へ向かった。

IMG_2138_201708180759588b9.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

大夜仏事 

2017/08/16
Wed. 23:17

なんとか辻褄を合わせて棚経を調整して、大夜仏事に随喜した。

大夜とは、俗に云う通夜のようなもので、曹洞宗の住職が遷化されると、まずは密葬をして、仕切り直しで本葬に入るが、その前日の夜を「大夜」(言い方は他にもあるし、漢字もいろいろ違うこともあるのであしからず・・・)といって、幾つかの大夜仏事を厳修して本葬を迎えるというスケジュールになる。
ややこしいことだが、これはようするに葬儀に関係する方丈さま方のスケジュール調整期間を用意しているのだと思っていただくとわかりやすいだろう。
一般のように2〜3日のうちに住職の葬儀をしようと思うと、そのためにお手伝いも含めて約30人ほどの方丈さんが短期間で遺漏なく都合をつけることなど無理な話だから、はじめからそれぞれの方丈さんの都合を合わせやすいように49日までの適当な日を本葬のために用意しておけば、諸々随喜で自分のスケジュールを調整しやすくなると云うわけだ。
それでも結局は、直前に我が寺の葬式が入ったり、すでに当日が我が寺の仏事でふさがっていたりと、全て100%上手く調整できるわけでもないから、あとは、坊主が自分で自分のスケジュールを都合の良いように修正するしかないことになる。
私の場合も、変更や修正の難しい仏事が重なっていないわけでもなく、なかなか厳しい状況の中でこの度の当て職を受けている。

集合時間の少し前に葬儀会場になる寺院へ到着した。
その後、続々と若い方丈さんたちが参集して、会場の微調整に入った。
私は、立場上現場監督のような采配をふるうことになっているが、そういう器でもないし、たかが隣町のナンチャッテ坊主ごときはあまり出しゃばらないほうが八方丸く収まる。
時々、それとなく写真撮影をしたりして、大夜仏事のスタートを待った。
昨日まで断続的なスコールで落ち着かない毎日が続いていたが、ここにきてやっと半日ほど天気が持ちなおすようなことを云っていたし、少しくらいは坊主が運を天に任せるのも良いかなと思った。
予報はソコソコ的中して、お経の途中あたりになって雨が本降りになりはじめた。

亡くなった大方丈様が可愛がっていた犬がいない。
血統書付きの柴犬だそうだが、けっこう歳をとっていて、雨も降るし少し心配しつつ、何時もつながれているあたりを気にしたが、今日一日は犬の周辺のものも片付けられて、そこに犬がつながれていたという痕跡も消えていた。
どういう経緯で亡くなった方丈さまが犬を飼い始めたかわからないが、私がさり気なく犬の話題を持ち出すと、嬉しそうに柴犬との暮らしぶりを語られて、そういうところに、方丈さまの心根の優しさがにじみ出たりして微笑ましく思ったものだ。

方丈さまのいつもの定位置も、今はすっかり片付けられてどこかしら寒々しい。
本葬が終わってしばらくあとには、無住の空き寺になるようだ。

IMG_5401_201708170517362a5.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

豪雨のあと 

2017/08/15
Tue. 23:54

棚経最終日の前夜は強烈な豪雨だった。
梅雨の雨以来、今年になって飯南高原最大の雨がひと晩降り続いた。
本堂の寄棟屋根から四方に向かって流れ落ちる雨水が境内や庫裏の壁を一晩中叩き続けて眠れないまま夜が明けた。

往時は広島方面から出雲大社への参詣街道でもあった出雲街道が神戸川の上流に沿って付かず離れず続く。
街道沿いに幾つかの集落が点在していて、小規模の城下町や市場町や宿場町が形成され、その面影が現在に残る。
万善寺は代々の檀家総代宅がある市場町とその周辺をぐるりと回って、棚経の90%が終わる。
ひと晩続いた豪雨のあと、のこり雨が降る中、裸足に雪駄履きで万善寺を出発した。
2〜3軒回るうちに雨も上がったので、足袋をはいた。
「この前の台風の雨より昨夜がすごかったですけぇ〜。川の増水も今年一番で、丸太がうちの下の護岸に衝突したりして眠れませんでしたがぁ〜・・」
側溝の排水も許容を越えていたし、いたるところでめくら打ちの排水管から真横に雨水が吹き出していた。

いずれにしても、これから2日間は、本葬仏事の主喪充て職で朝から夜まで葬儀会場の寺院へ張り付くことになる。
その次の日が万善寺の今年一番の大イベントである施食会と大般若会と塔婆回向がある。
先代住職が当初バラバラの3つの仏事を、内室の助言に折れて一つにまとめてしまったのは、私が寺を出て一人暮らしをしていた頃のことだった。理由は簡単で、年々減少する仏事へのお参りの数が、「一つにまとめたら昔のように増えて賑やかになるはずだ!」という、いかにも打算的で俗物的な内室の浅知恵に乗ってしまったことによる。
仏事に限らず、それぞれそれなりに意味も訳もある行事を一つにまとめて統廃合してしまうと、次にそれをもとに戻すことは至難の業でかなりの説得力とエネルギーが必要になる。大きな行事にはそれなりの経費もかかって収入も増えるが支出も増える。結局、万善寺運営も、その後数年の間にどんどん厳しい経営状態になり、ほぼ、時を同じくして先代住職の病気発病となり、万善寺がいっきに消沈した。

厳しい現実を粛々と乗り切っているヨレヨレ住職だが、今年のお盆仏事は今までにないほどの厳しさで毎日が過ぎた。
唯一の救いは、豪雨の後に半日ほど草刈りが出来て、かたちばかりのことだが、お盆のお墓参りも出来たこと。
万善寺ご本尊の千手千眼観世音菩薩さまは、ボクを見放さないでくれたようだ。
母親の俊江さんの真新しい墓石には、前日に墓参りをしてくれたじゅん君が少し多めに線香をお供えしてくれていた。古道の面影を残す参道は豪雨の渠が刻まれ、墓地の土には大粒の雨痕が一面に広がって残っていた。
お参りの粗品を毎年手造りしていたが、今はその気力も体力も無い・・・

IMG_2133.jpg
IMG_2127.jpg
IMG_2128_20170816081313b9e.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

お先真っ暗坊主 

2017/08/14
Mon. 23:24

飯南高原は、島根県東部の南端にあって広島県の県境に接し、出雲大社近くの日本海へ流れ出る神戸川の上流に位置する。
万善寺は飯南高原の歴史ある名山琴弾山の麓にあって、神戸川の支流保賀川の流れる谷に沿って集落を形成する約20戸のひとつである。
毎年お盆の14日にこの保賀の集落を棚経で回ることにしていて、その風習から、保賀の地域では世間の常識と少しずれて14日からお盆がスタートする。
前住職の頃は、そうめんをゆでたりお団子をつくったりして本堂や仏壇やお墓へお供えしていたが、今年になって母親が死んで私一人になってからは、それら全ての盆行事を何時もより上等の高級線香をお供えして縮小割愛した。
気持ちの問題のひとことで済ますことも出来ない現実の事情には逆らえない。
ようするに、坊主1人で盆行事を切り盛りすることが物理的に不可能だということだ。
そのうえ、今年は台風の通過以降、毎日のように雨が降り続いて境内地の整備や草刈りが出来ないまま盆を向かえたことと、隣町の現職住職の遷化で本葬仏事が加わったことで、万善寺の長い歴史の中で過去に例を見ないほど多忙な8月になっている。

私が住職を引き継いでからそろそろ10年になる。
その間に保賀の集落から転出や絶縁などで7戸の家が空き家になった。
昔は、憲正さんと手分けして棚経をつとめてもお昼は過ぎていたが、今は一人で集落を回っても午前中に棚経が済んでしまう。
この2日間ほど、石見銀山で暮らす吉田家の家族二人が万善寺へ通いながら棚経の留守に盆の手伝いをしてくれている。
手伝いといっても、寺の盆のことであるから一般在家の延長でもなくて、なかなかに普通でないところがあって、簡単に済ますことも出来ない独特の習慣のようなものがある。
そもそも、寺の一つ仏事は1年に一度しか巡ってこないから、その一度のことを1年間覚えておけというのも非常識なことだ。
結局、一つ一つ口伝えに教えて一つ一つ聞いて覚えて、それを延々と何年も続ける間になんとなく頭に入って身体が覚えて、そのうちそれぞれの役目を分業しながら粛々と仏事のひと山を乗り切るという、長い年月の蓄積が大事なことになる。
吉田家からのお手伝い二人も、気持ちはわかるが動きがチグハグで、どうにも自分のペースが乱れて心が騒ぐ。
ヒマで余裕があれば、コツコツと丁寧に目先の事物へ対応できるのだろうが、そういう余裕もないし、どうしても自分の心のざわめきが態度や顔に出てしまう。
私の場合は、少年時代からの長い経験が蓄積されているから、毎日朝にはその日の様子を見てスケジュールの修正をしながらなんとか最低限の作務だけはこなして次に繋がるように仕向けていたりする。
会話の相手が他人であれば、お互いの遠慮もあって、お互いの立場を気遣いながらやりくりできるところもあるから、檀家との連携が出来ているお寺は、檀家から奥さんが寺内の用事をし、ご主人が寺外の用事を手伝い、いい感じで切り盛りが出来ていたりする。
万善寺はそういう習慣が絶えて久しいから今更どうにかするのも難しい。仏事の手伝いをアルバイト募集するくらいが都合良かったりするが・・お先真っ暗坊主のボクなのです。

IMG_5331.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

盆が来た 

2017/08/13
Sun. 23:04

久しぶりに雨の降らない1日だった。
久しぶりに・・・本当に久しぶりに・・・ワイフとじゅん君が万善寺へ来てくれた。

棚経と雨のおかげで境内地や参道などの外仕事が停滞して、その間に草が伸びる一方で、万善寺が里山の自然に飲み込まれつつあった。
施食会当日まで自分に残されている作務の日はあと2日しかない。
それで全てを済ませるのは「まず、不可能だろうなぁ〜・・・」と、ボンヤリ思いながら、一人暮らしの夜を過ごしていた。
一番つらいのが、隣町の現職住職の本葬・・・
これが万善寺施食会の前日で、大夜がその前日。この2日間は朝から拘束されるから万善寺の作務はまったく出来ないことになる。あれはあれでこれはこれでそれはそれだから、あれやこれやをまとめてひとつに済ませることは不可能なこと。寺院の付き合いには時々こういうことがあるからとにかく始末が悪い。
今は、ナニを残してドレを割愛するか、そういうことを考え始めている。
お参りのお檀家さんの目があるから、見た目の外面だけでも体裁を整えておかないといけない。申し訳ないことだが、今年のお盆のお墓参りは1週間ほど遅延させてもらおうと密かに考えていたところだ。
・・・そこへ、ワイフとじゅん君が来てくれたというわけ。

私が棚経をしている間に、じゅん君がお墓の掃除をしてくれたようだ。
これでもう1日万善寺を手伝ってくれたら、ひとまず、私の代行でお墓参りをしておいてもらおうと思う。
ワイフの方は、施食会に向けてマイペースに台所や庫裏の片付けをしてくれていた。
食器を始めとして、色々なものが彼女の都合でアチコチ移動していたから、当分の間自分の行動形態が狂って少し苦労するだろうが、彼女なりに自分の良いように工夫した結果であろうから、そのことでアレコレ気をもむのはやめることにする・・と云うよりむしろ、そのような余裕が今の私にはない。
夫婦とか親子とか、そういう家族の中のことであっても、ひとそれぞれに自分の考えがあって、その連携で緩やかな拘束が機能しているから、過不足のない中道の暮らしが出来ているのだ。そういう力関係の引き合いのバランスが良くないと、どこかしら重心のポイントが偏って、家族形態に歪みができて暮らしにくくなる。

万善寺の一人暮らしが続く中で、自分本位で自分に都合のいい暮らしが少し長く続きすぎていたようだ。たまにこうして家族が集ることで暮らしのズレを修復したり、修正したり出来ることが大事なことだと気付いた。
ほぼ1ヶ月の間に草が伸び放題で荒れ地寸前までになっていた境内が、少しきれいになってお寺らしい佇まいが再現されつつある。
母親がセッセと散布していた枯葉剤で瀕死状態だった百日紅に今年も花が咲いた。枯れる寸前にまでなっていた老木だから、花を咲かせることも想像を絶するほどのエネルギーを使っていることだろう。曇り空を背景に咲くピンクの花に少し元気をもらった気がする。

IMG_2126 2

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

仮称:ギャラリーまんぜんじ 

2017/08/12
Sat. 23:01

台風の大風が吹いて以来、雨の降り癖がついてしまったようで、一気に伸びた草を刈ることも出来ないまま毎日がアッという間に過ぎる。
ワイフに電話をすると、石見銀山も似たようなもので、雨がよく降っているそうだ。

棚経ばかりで他に何もしないでいるわけにいかないから、本堂の荘厳をおおよそ済ませた。
いつもはガランとして畳ばかりの本堂だが、荘厳の配置をしたり仏具を移動したりしてみると、どこかしら雑然として狭苦しく俗っぽくなってしまう。
少し強い風が吹くたびに天井裏の積年の埃ゴミが舞い落ちて配置を終わった仏具に降りかかる。お盆のお寺参りも時々あるし、本当なら施食会法要の直前まで何もしないでおきたかったのだが、夢と理想と現実を調整してみるに、このひと夏の万善寺のほとんど80%以上を一人で乗り切ることを思うと背に腹は代えられない。

庫裏の方は、今まで老人の二人暮らしが半世紀以上続いて、その間の色々なものがあふれかえって空気の淀みが室内のいたるところに出来ていたのを解消することに終始している。
北側の全面は、家屋の内外含めて朽ち落ちる寸前まで劣化して手のつけようがない。
ひとまずは、捨てられないまま無駄に室内各所へ詰め込まれたモノを1箇所へ集めて、冬になってから落ち着いて整理することにした。
狭いながらに、いちおう寺院の機能が足りるくらいの部屋はなんとか確保しなければいけないし、それを思うと、大げさでもなく、頭が冴えて眠れない日が続いている。
先のことを悶々と考え続けても室内のモノが動くわけでもないから、棚経を終わると雨の様子を見ながらセッセと庫裏の整備に集中した。

1年の万善寺行事をザックリ洗いだすと、庫裏の公的使用はせいぜい10日程度のものだ。それ以外のほとんど毎日を締め切ってしまうのは、どう考えても回転率が悪すぎる。
先々うまくいくかどうか分からないが、自分にできることはなにかと考えてみるに、美術造形絡みの活用くらいしか思いつかない。
この10年間で展示開催していた現代彫刻小品展のノウハウをもとに、畳の床をフローリングに張り替えたり壁面を仮設したりして、なんとなく美術展示が出来るくらいのスペースをつくってみた。若い作家の個展とかグループ展ができれば良いかなと思っていて、今後、期間中の宿泊も可能なくらいまでに改修してみようと思う。

ユキちゃんの参加したグループ展が一段落して、そのかわりのように、鳥取からアヤノちゃんが大作の試作模型を持って伺いにやってきた。鳥取からだとかなりの距離だし、ワザワザ島根の山奥で一人暮らしの吉田をアテにすることもないだろうと思わないでもないが、今までの幾つかの企画絡みで表現の伸びも感じるし、彼女次第だけど、作家路線が安定して少し先が見通せるくらいまでは付き合っておいたほうが良いようにも思っている。
昼は棚経の裏番組で寺の留守番しながら試作を座敷に広げ、寄宿暮らしのユキちゃんに提供した部屋で一晩寝て帰っていった。

IMG_5328_2017081308013782b.jpg
IMG_5330_2017081308014068e.jpg
IMG_5329.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

自分の都合 

2017/08/11
Fri. 23:20

このところ雨が降りやすくなって草刈りが出来ないでいる。
棚経の方も傘が手放せない状態で、もたついている間に世間は盆休にに入ってしまった。
彫刻の方もそろそろ具体的に計画をたてないといけないから、まずは材料の注文をしておいた。
庫裏の修繕は、ひとまず1日かけてなんとか体裁を取り繕うまでに出来た。
留守の間に建具屋さんが網戸の修繕も終わらせてくれていたし、近所のお檀家さんは夏野菜をたくさん届けてくれた。
ワイフは夏風邪でもひいたらしく、微熱が出て1日ほどふせっていたらしい。
じゅん君は今年も自分の都合で夏休みのスケジュールが決まって、寺の手伝いも期待できなくなった。
結婚式も終わって少し落ち着いたらしいなっちゃんが伸ばしていた髪をバッサリ切った。
フロリダで暮らしはじめたノッチは早速友達ができてその様子をLINEに載せていた。アメリカのミッキーたちは、なんとなくデカイ気がする。
キーポンは、保育士の仕事にも慣れて系列の保育園へヘルプを頼まれるまでになったようだ。
彫刻見習いのユキちゃんは松江の美術館でグループ展のあと、来年からの職探しをスタートさせるようだ。
ユキちゃんつながりで最近知り合ったヒョロリテツヤ君は学校講師の仕事と彫刻を両立させて精力的に制作を続けているようだ。
鳥取で制作を続けているアヤノちゃんは、公募展出品をめざして大作にとりかかる準備をはじめたようだ。
吉田家のネコチャンズは、人間のスキをねらってマンマと脱走して石見銀山の町並みを彷徨いていたらしい。

・・・「〜らしい」とか、「〜ようだ」とか、なんとも曖昧な情報しか入ってこないままの日々が続くと、どうも気持ちがもやもやしてスッキリしない。
やはり、自分にはこういう受動的で曖昧な暮らしが性に合わないようで、確実に少しずつストレスが蓄積されている。
気晴らしになるかもしれないとG15をぶらさげて早朝の散歩に出た。
参道から境内に入るところでマムシをみた。このところ雨が続いているからどこかに潜んでいるか気にかけていたが、案の定いつもの場所をぎこちなくニョロニョロ動いていた。
山鳩の夫婦も境内で羽根を休めることが日課になりつつあるようだ。まだ人間に慣れるところまででもなく私を見かけると慌てて飛び立っていく。
相変わらず朝一番に蜩が鳴き始め、日暮れ時になるとまた蜩がうるさく鳴き始める。

春先に母親が死んだから、この歳になって自分の人生ではじめて正真正銘の一人暮らしが続いている。何をするにも自分しかいないからふとした拍子にもやもやとして悶々としている自分自身のことがクールに見渡せていたりする。
良いも悪いも、誰のせいでもない結局は自分の都合で決まってしまうものだとわかる。
「自返照看」とは、こういう状態であることを云っているのかもしれない。

IMG_5324.jpg
IMG_0758.jpg
IMG_0754_201708120720407a9.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

単身赴任住職 

2017/08/10
Thu. 23:42

万善寺単身赴任住職の一人暮らしが続いている。
この頃になって、日本の・・いや、世界中の一人暮らしオヤジのわびしさがなんとなくわかり始めたようなきがする。
15歳で一人暮らしをはじめて28歳で結婚するまで、特に寂しいともわびしいとも思わないし、どちらかといえば毎日がマイペースに気楽に過ぎて周辺へのわずらわしさもないし、都合よく暮らしていたことを思い出す。
やはり、嫁さんが出来て子供も出来て家族が増えてくると、若い頃の気楽な暮らしとは全然違って、「家族」とか「家庭」とかいう、オリジナル極小コミュニティーが成立して、それなりのゆるやかな拘束感や帰属意識を自覚するようになって、そうなってから後の単身赴任的暮らしが続くと、やはり、どこかしら気持ちの支えとかより処が某獏と曖昧になって、そういうことがオヤジのわびしさの種になっているのかもしれない。

お決まりの施食会随喜のあと、お決まりの棚経の続きで県境を越えた。
島根県のほぼ中央を南から北の日本海へ流れる江の川の上流近くにある盆地の町へ向けて結界君を走らせていると、にわかに空が暗転して強烈なスコールになった。まるで水中を走っているような(・・といっても、ボクはハンマーだから想像するだけのことだけど・・)感じでワイパーが全く機能しない。前を走るダンプの車幅をたよりに国道を走り続け、江の川を渡った。
帰りにはスコールが嘘のように雲の切れ間から青空も覗いていた。
早朝に万善寺を出て、夕方6時近くに帰着して庫裏玄関を開けると一日分の不快な湿気が充満している。こういう状況に遭遇すると、一人暮らしのわびしさが目覚める。

体内時計が正常に働いていないようで腹が減っているのかどうなのか判断に苦しむ。
今日1日は、結局固形物を口に入れないで過ぎてしまった。
シャワーで汗を流して、パンツ一丁で朝食のような夕食をつくった。
棚経の布施代わりやお中元代わりのお供え物に頂いた夏野菜を刻んだ。
夏野菜だけは、お供えもして、その上一人では食べきれないほど大量に溜まっている。
キュウリを塩もみしても、1食で1本食べれば十分で、消費に悩むのもこの時期の贅沢だ。なんとかしてあと1週間鮮度をもたせれば施食会のお供えに使える。
収穫時期を過ぎて出荷できないアスパラも大量にもらった。もう筋張って硬いからお供えにもならないし、炒めるとか茹でるとかして消費しようと思う。

これからお盆になって棚経もいっきに佳境に入る。
吉田家でワイフが一時期ガスコンロ用の土鍋式炊飯器にハマって使っていたことを思い出して、それを探し出して寺まで持ってきた。
夕食の後で、母親が食べ残した古い米をセッセとといで炊いた。
独身の一人暮らしでは片手鍋を使って炊飯していたし、そのほうが短時間ですぐ炊ける。
古いなりに、米も立っておこげも少々出来て見た目は旨そうだが、味は期待できないだろう。キーポン流に茶碗一杯ずつラップにくるんで冷凍庫へ放り込んでおいた。これで、漬物かふりかけでもあれば2〜3日はなんとかなる。

IMG_2121.jpg
IMG_2124.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

島根のスコールとフロリダの月 

2017/08/09
Wed. 23:45

導師代行の葬儀が終わってから、松江の美術館へ結界君をすっ飛ばした。空にはとても嫌な感じの雲が広がって、何時スコールがくるかわからない。久しぶりに結界君のエアコンをフル稼働して島根上空に漂う湿気と戦いながら、国道を北上した。

会場にユキちゃんはいなかったが、万善寺庫裏の玄関でほぼ徹夜して制作した彫刻が静かに展示してあった。その後ろには、ヒョロリテツヤの彫刻もいい感じの距離感で寄り添うように設置してあった。
そもそも、その展覧会がどういう趣旨でどういう対象で開催されているのか、私には全くわかっていない。プレゼンのファイルブックのようなものもあったし、キャプション脇に解説文もあったが、どうもじっくり読むきになれないままスルーしてしまった。リーフレットにはアンケート用紙も挟んであって、展覧会参加メンバーのヤル気が伝わってくる。

私は、島根の県境に近い飯南高原の山寺で住職をしながら彫刻を造っているが、こういう松江くらいの近所の展覧会情報が入ると、できるだけ都合をつけて出かけるようにしている。住職坊主も、職業柄狭い地域で行動するばかりで、気がつくと社会の大きな流れに取り残されて世間知らずになっていたりするし、彫刻というと、ひたすら完成を目指して工場に閉じこもって制作ばかりの毎日だから、周辺との会話も絶えて新鮮な情報に取り残されていたりする。
面倒な付き合いもなくて気楽な日常が過ぎるばかりで私のようなナマケモノには都合のいい暮らしなのかもしれないが、一方で造形のビビットな先端からはどんどん縁遠くなってもいる。石見銀山の吉田家を基地にして行動している時は、インターネット環境を泳ぎながらSNSを利用してマメに情報を収集したり発信したりしていたが、万善寺の劣悪なWeb環境ではそれをするのも面倒になってしまう。それもヤバイと思うから、たとえば今回のように、乏しい情報を手繰って足で稼いでアナログの暮らしなりに工夫しているわけだ。

松江からの帰りは、スコールへつかまってしまった。あまりに激しい雨で給油する気にもなれないまま、南下して万善寺を目指した。途中、少し雨足が弱くなって空も明るくなってきた。このままだと結界君の燃料が寺までもたないから給油のついでに少し大きなスーパーへ寄ってお盆までの食料を買い込んだ。
例のごとく、夕方から深夜にかけてはインターネットがまともに使えないので、最近は夕食が落ち着いたらとりあえずひと眠りすることにしている。ウツラウツラしていたらフロリダのノッチからLINE電話が入った。
久々に聞く懐かしい声は、いつもと変わりなく元気そうだった。テキサスを経由してほぼ1日くらいかけてフロリダへ着いたらしい。空港の税関のオジサンがノッチを癒やしてくれたようだ。彼女は実にオヤジ好きだ。5人部屋があてがわれて、同室の娘とすぐに仲良く打ち解けることが出来たらしい。私に似てシャイで人見知のノッチとしては上出来だ。
島根とフロリダは半日くらいの時差があるのだろうか?
これから1年間の仕事に向けて、まずは説明会があるのだそうだ。
なんとなく曖昧なタイミングで目が覚めて頭がうまく回転しない。展覧会のリーフレットで作家と作品を思い出そうとしたが、ユキちゃんはじめ4人が限界だった。

IMG_5327_20170810074634342.jpg
IMG_0757_20170810074632d27.jpg
IMG_0755_201708090714072ff.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

ノッチの出国 

2017/08/08
Tue. 23:13

8月に入って、通勤坊主からワイフと別居の単身赴任坊主になって、一人暮らしを続けながら棚経を続けている。
吉田家の家族からはなんとなく疎外された感じもあって、どこかしらわびしい。

そんな中、次女のノッチがアメリカのフロリダへ旅立った。
1年間の期限付きで、オーランドのディズニーリゾート日本館で働く。
詳しくは知らないが、3〜4回の面接試験を通過して採用が決まったらしい。
本人は軽いノリで求人募集に引っかかったらしいから、何人か交代した面接の試験官とも常に軽いノリで世間話していたふうだが、アメリカというお国柄か、そういう比較的ラフでカジュアルなスタンスがかえって功を奏したのかもしれない。採用の母体がアメリカ企業だから、大使館のビザ申請もアッという間にパスしてこのたびの渡米になった。
いわゆる、自分のスキルアップ目的の研修プログラム就労的扱いのようだから、給料も少ないし、宿舎もシェアハウスというより合宿所か学生寮のような感じらしく、5人の日本人部屋があてがわれたようだ。

ノッチは、坊主で云うと雲水を続けながらひとつ場所に留まること無く自分の足でアチコチ旅して先々の恩にスガリながら修行する禅僧のようなかんじだ。まさに、行雲流水の如く、物事に深く執着することなく、その時々の世間の流れに身を任せ、ガチガチに固まる自分を避けるようにナチュラルに徹し、無欲無心に社会を泳いでいるふうに見える。
こうして都合よくオヤジの愛情で定義づけると、「あの娘はなんて立派で素敵なヒトなんだ!」と錯覚するかもしれないが、ようするに、本当はチキンでワガママで場の読めない無学の独善ガールであって、それがかえって殺伐とした世間の荒波に揉まれて喘いでいる常識的な大人たちにとっての清涼癒やし的存在として可愛がられているのかもしれない。
本人はそれなりに歳もとって、そろそろアラサー世代に踏み込もうとしているが、至って気楽にワガママを通しながら浮遊しているようなところもある。

吉田家にとってのチョットした日常のゆらぎを感じつつ、万善寺一人暮らしのオヤジ坊主は、粛々と眼前の事実に向き合って毎日の現実を乗り切っている。
連続して依頼された代行葬儀の入棺出棺から荼毘までお付き合いして万善寺へ帰着したら、たしか、午後から松江の美術館へ「搬入展示のはずなのに・・・?」ユキちゃんの愛車がまだ境内に残っていた。
庫裏玄関へ入ると、まだせっせと杉材の彫刻を制作している顔に悲壮感が漂っている。
今回も、結局制作スケジュールの調整ミスで自滅寸前状態だ。
それでも、まぁそれなりに仕事もソコソコ丁寧だし、本人の完成予想からは大きくソレたかもしれないが、立体のムーブマンにそこはかとない色気もあるし、彫刻の通過点としては評価に値する。作家歴も浅くて、将来への展望が見えないまま悶々と彫刻へしがみついている状態と言って良いかもしれない。
今のユキちゃんは、耳掻きひとすくいでもノッチのエキスを注入してやれたら、きっと随分楽になるだろうに・・・
まだ飯抜きだと云うから、遅すぎるオヤジのナンチャッテ昼食をふるまった。

IMG_0756_20170809071414dd1.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

だろう??? 

2017/08/07
Mon. 23:00

今年の夏は、やたらに鍛えられる。
お檀家さんの高齢化や代替わりの宗教離れに絶縁が進む万善寺の運営であえぐガケップチ坊主は、3ケタ以上のお檀家さんをかかえる専業住職様方の遺漏無い手配や配慮に適宜返礼することもままならないまま振り回されている。

つい先日、同宗寺院から代行依頼された葬式導師が終わったばかりなのに、また別口の葬式代行を依頼されて、万善寺の棚経スケジュールが狂ってきた。
こういうことなど、自分の坊主人生で一度あるかないかの珍しいことだ。
古い話になるが、先代住職の憲正さんが病気で臥せっている時に2〜3回代行導師をお願いしたことがあった。あの頃は、私も融通がきかない公務員だったりして、急な葬儀に即時対応することが出来なかったという事情があった。そういう過去の恩を忘れていないから、この度も黙って代行導師を引き受けている。それにしても、お盆の月に専業住職の忙しさもわかるが、田舎の末寺山寺住職の閑職が慢性化する我が身にとっては、心の奥底の方で専業住職の多忙をうらやんだりしていて、わきあがる煩悩の業欲に負けそうになってしまう。

万善寺のお盆は18日の施食会と大般若経転読会と塔婆供養回向でピークがくる。
それに向けて、本堂の荘厳を整え、境内地や参道とその周辺の草刈り掃除などの整備をしてお檀家さんのお参りをお迎えする。今年はそれに加えて庫裏の修繕も継続中で、なんとか人の目にふれるところだけでも体裁を整えておかなければいけない。
そのながれで、座敷へ彫刻の展示台を持ち込んで私やワイフや見習いユキちゃんの彫刻を展示した。お檀家さんの目に触れることは殆どないが、法要へ手間替え随喜の方丈さま方の目にはふれることになる。
若い頃の自分の絵が残っているし、これから夜なべ仕事に壁面を増設して平面作品も展示したいと思っている。
平面というと、鳥取でがんばっている(だろう?)アヤノちゃんはその後どうしているだろう??
7月末の展覧会では、自分の表現がそれなりに面白い方向へ繋がっていくふうに感じた。特に親しいわけでないから本人のことはあまり良くわからないが、それなりに頑固で意地も根性もあるふうに見えた。絵描きだろうが彫刻家だろうが、男だろうが女だろうが、まずは制作に執着する(坊主に禁物の)我欲が無いと話にならない。見た目ほどキレイな仕事でもないし制作に没頭するときは、身も心もドロドロに汚れまくっていたりするものだ。身体から染み出し漂う体臭を感じたりすると、それだけでだらしなく心乱れてヨロメイてしまったりする。そういう制作のひたむきさに惚れてしまう。
もう、かれこれ30年前からの付き合いになるストウさんも、ノリちゃんも、今は結婚して東京暮らしのグッチャンも、そうやって制作の付き合いが続いている。ユキちゃんが連れてきたヒョロリテツヤくんもなかなか面白い青年だった。これで筋肉がついて力持ちになったら一気に彫刻が伸びるだろう。それに、気がつけばアヤノちゃん推薦の旨い日本酒も飲まれてしまったし、そういう図々しさも良い。
・・・そのアヤノちゃんのあの絵はどんな感じで展開しているのだろう???

IMG_5103.jpg
IMG_2039.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

行水のあと 

2017/08/06
Sun. 23:34

台風の影響だと思うが、やたら蒸し暑くてたまらない。
少しでも過ごしやすいうちに棚経を終わらせようと、8時半を待って万善寺を出発した。
日曜日ということもあって、例年留守で施錠されてある家も、久しぶりにお仏壇の前でお経を読むことが出来た。
年々、身体が弱って体力が衰えてお盆月の棚経がつらくなる。代わりを頼んだりすることも出来ないし・・さて、この状態をあと何年続けることが出来るのやら・・・

膝の具合が良くないままダマシダマシ動いていたら、8月に入ってますます調子が悪くなって、自分でもおかしくなるほど不格好にユラユラ揺れながら歩いている。
島根県の飯南高原に点在するお寺さんの棚経は、宗派を越えてお仏壇の前へ最短距離で上がってお経を始める習わしがあるようで、高い縁側をヨイショと上がり下りするところからすでに体力を消耗する。昔は、棚経というと若い修行僧やそれ専用の役僧や弟子が住職の代行をして済ませていた。憲正さんも、棚経の殆どを弟子で副住職の私へ丸投げして、自分は檀家総代さんや役員の皆さんのお宅を数軒歩いて回る程度だった。私には適当な弟子もいないから、全て自分一人でお盆の行事をまかなうことになる。

昼過ぎの一番暑い頃に万善寺へ帰着したら、境内の日陰でユキちゃんが彫刻を制作していた。
行水で汗を流してから形をみて、少し感想を伝えた。
今の私は、彫刻歴も40年近くなるし、それなりの場数も踏んで、テーマや形の蓄積もあるから、制作の途中で仕事の手が止まることもない。それでも、彫刻歴が若かった頃は、実材へとりかかるギリギリのところまでメモをまとめたりマケットを何個もつくったり壊したりしていたし、時には原寸大の型板を作ってスケールを確かめたりしていた。高価な材料を贅沢に刻んで納得するかたちを作り出すわけだから、失敗のムダは許されない。作品移動の経費も馬鹿にならないし、貧乏人は無駄にお金を捨てるわけにいかない・・・そんな思いで、彫刻の一つ一つを制作していた。
ユキちゃんは、会話の端々に彫刻をつくることへのヒタムキさがにじみ出ている気がする。こういう気持ちで彫刻に向き合っていられるうちは、確実に技量や感性が磨かれて伸びる。一方、その制作に対して気合が入りすぎるのもあまり良いことではない。冷静にかたちへ向き合うことをしないままひたすら手を動かし続けてしまうと、気が付かない間にかたちの緊張のポイントを見逃してしまったりする。
制作を続けるという先に発表の場が用意されているのなら、やはり、それを目指して様々に錯綜するスケジュールをキチンと整理して、予期せぬ事体に備えて少し余裕を持って制作に取り組むことが大事だ。
自分の夢や理想と、目の前の現実とが、あまり大きく開きすぎていると、完成の着地点を見失ってしまう。
自分の現状を一歩引いて俯瞰するくらいクールであってほしい。

台風の影響なのか、時折強い風が保賀の谷を吹き抜けていく。
羽根を休めていた白鷺の群れが、強風に舞って上昇気流を探していた。

IMG_6653.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

オヤジの出来事 

2017/08/05
Sat. 23:09

代行導師の葬儀が終わった。
結界君で5分程度走ったら隣町へ到着する。そのくらいの距離なのに、トコロが変われば葬儀システムも少しずつ違っていて、けっこう気疲れする。
納骨を済ませて、野辺帰り安位のお経を読んで、それに初七日と35日も併せてお経を読んで、それらがワンセットになってお葬式の次第になっているようだ。こういう、坊主の代行業務も滅多にあることでないから、何かに記録しておかないとそのうち忘れてしまって、次に似たような事態が生じた時には、またまた気疲れ心労で苦労することになるかもしれないし、念のためこうしてその時々の出来事を備忘録へ記しているところだ。

午後からは、同じ隣町の臨済宗のお寺で施餓鬼法要がある。
飯南高原とその周辺は、曹洞宗寺院が3ヵ寺と臨済宗寺院が2ヵ寺ある。施餓鬼とか施食会とか大般若会とか御大師供養とか、そういうそれぞれの寺院で法要の手間替え随喜をしながら坊主の頭数を揃えて法要にあたる。
今回、曹洞宗の現役住職が遷化されたことで、貴重な坊主の頭数が1人減った。
順当に順番が狂わなければ、そのうち近い将来、万善寺住職の私も死ぬだろうし、そうなると、いよいよ寺院の法要仏事や周辺地域の葬祭が回らなくなる厳しい現実がやってくる。先のことに思い巡らして今のうちから悶々と悩むこともないのだろうが・・・ナンチャッテ坊主もなかなか難しいめぐり合わせになってしまったものだ。

それやこれやで、棚経をすべて終わらせて万善寺へ帰着したのが夕方の5時前だった。
パンツから改良衣にまで汗が染み渡って不快極まりない。
早速風呂に温めのお湯を張って行水をした。
さりげなくヒーリング・ミュージックを垂れ流して、1時間位のんびり出来ただろうか?徳島の彫刻家から野外彫刻展絡みの事務連絡が入った。それから少しして、地元の同級生オヤジからAppleWatch絡みの問い合わせ電話が入った。湯船に浸かりながらそれぞれにそれなりの対応をした。
新作の野外彫刻と一緒に、秋に徳島へ行くことになった。最短1泊2日の旅になる。
先日の焼肉飲み会でボクの左手首のAppleWatchを目ざとく見つけた同級生オヤジは、その後、それが欲しくて欲しくてたまらくなって、遂に我慢できなくなって購入に踏み切ったようだ。さりげなく自分に都合よくソコソコの理由を電話口で連打していた。これでAppleWatch仲間が一人増えた。

庫裏で寄宿している彫刻見習いのユキちゃんが、後輩を連れてきた。
痩せてヒョロリと背の高い青年で、どれほどの腕力があるのか怪しげなふうで、ユキちゃんの方がずっとたくましくて力持ちにみえる。
彼は木彫を幾つか持参していて制作のテーマとか方向性のことなど熱心に話してくれた。
彫刻を造ってはいるが、特にその世界で目立った作家でもないし、住職であっても彫刻の重職に就いているわけでもないし、そういう無役のオヤジを彫刻持参で訪問してくれただけでも有難くて嬉しい。思わず「まぁ〜、飲んでヨ!飲んでヨ!」と、残り酒を進めていたら、大事にしていた鳥取のアヤノちゃん推薦の旨い酒がなくなってしまった・・トホホ

IMG_2114_2017080607103097e.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

8月の坊主 

2017/08/04
Fri. 23:17

「これからさき、こういうことが度々あるんでしょうかねぇ〜」
「さぁ〜、わからんけど・・・できるだけ都合つけて帰ってきてほしいものですなぁ〜」

隣町の方丈さんが現役住職のまま遷化されたのが7月に入ってすぐの頃だった。
自分の近所でこういうことがあると、寺の付き合いとか宗派の付き合いとか、世間在家とは違ったところで不具合が生じて、それが元で少しずつ自分の日常の暮らしを侵食して、なんとなしに何処かの歯車が噛み合わなくなって、ぎこちなくアタフタと落ち着かない。

8月に入って棚経がはじまった。
万善寺は、飯南高原の端から端まで昔からの付き合いを中心に最盛期で200軒以上の棚経を続けてきた。
前住職の憲正さんの若い頃は、松江にある師匠寺の棚経も手伝って、お盆が終わるまでのひと夏で1年の生活費を稼いでなんとかしのいでいた。
私は小学校へ上がる頃から憲正さんに付き合ってアチコチ引き回されて、高学年では、飯南高原の町内のお宅をだいたい覚えるまでになっていた。中学生になって自転車通学がはじまってからは、自分の行動範囲も随分広がって、その頃からほぼ自分一人で棚経全般をこなすくらいになった。
私が住職を引き継いだ後、この10年の間にいっきに軒数が減って今年は遂に50年前の半分以下に落ち込んで、かろうじて3桁をキープできるほどになった。

例年と同じようにこの棚経をスタートさせた日に、遷化された方丈さんの代行でお葬式の導師を務めることになった。
葬式はあらかじめの予定が立たないから、自分の都合を優先することができない。
棚経をキャンセルするわけにもいかないし、無い知恵を絞って見た目は平静を装いながら絡み合ったスケジュールをほぐしていくしかない。
そのお寺には、お弟子さんで副住職の息子さんがいらっしゃるのだが、彼は一方で松江のお寺の住職でもあって、もう数十年も前からそちらのほうが優先の暮らしが続いている。
この度も、枕経と戒名を決められた後、万善寺へそれ以降の葬式仏事全てを託して松江の寺へ帰っていかれた。

授戒から入棺、出棺、荼毘と続き、副導師の依頼までを2日に渡って務めて、通夜が終わってからあとの坊主控室で愚痴にもならないつぶやきへ先のひと言が返ってきたわけだ。
「ほんに、この町もこういう状態ですからねぇ〜」
昔は町家がビッシリと軒を連ねて、バスの走る本通りから通りひとつ横に入るのも町並みが切れる枝道まで大きく迂回しなければいけないし、棚経も自転車でないと庭先まで入れないほどだった。今は、本通りから裏通りが普通に見渡せるほど空き地が増えて、町並みが歯抜けになっている。
過疎の進む町のそのお寺は現役住職遷化の後はそのまま無住になるようなことを聞いた。
檀家さんへ維持管理を任せて、必要に応じて葬祭会館で使用されることになるらしい。
随喜坊主の頭数も狂ってしまいそうだし、頭痛のネタが増えた。

IMG_2107.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

不具合の連鎖 

2017/08/03
Thu. 22:37

もう何年もの間、サッシの網戸が破れたままガムテープやセロテープや絶縁テープまで持ち出して修理にもならない修理を続けながら放置されていた。
気にはなっていたが変に口や手を出して毒を吐かれるより、見て見ぬふりで知らん顔をしていたほうが無駄な摩擦も起きないし、平和主義者の私としては都合がいい。

お檀家さんに建具屋さんがある。
その建具屋さんは、先代住職夫婦との付き合いが無いままだった。先代夫婦は寺の修繕全般を大工さんへ任せていて、何か不都合があるとすぐにその大工さんへ電話をすることにしていた。だから、何処かの調子が悪くなっても大工さんへ連絡すれば、都合よくアチコチへ手配してそれなりに修繕が終わるようになっていた。長い付き合いでそういうことも出来たのだろうが、どうも修繕の内容に身が入らないというか、その場しのぎの付け焼刃的修繕で終わっていて、後々の使い勝手が悪くて困ってしまう。

とにかく、庫裏から本堂へかけて、北側のアチコチが思った以上に傷んでいて手のつけようがない。始めの頃は、「お盆までにはなんとかなるだろう・・・}くらいにノンビリと構えていたが、1箇所の不具合が気になり始めると、次々にダメなところが見つかって、呆然となる。

モタモタしている間に、気がつけばお盆がすぐそこまで近づいていた。
石見銀山と飯南高原の二重生活をしているから、自分の道具をアッチとコッチで使い回ししていて、たとえば草刈機などは草が伸びるたびに結界くんのリヤデッキへ積み込んだり降ろしたりがしばらく続くことになる。
本格的に万善寺の修繕を始めたから、それの関係でジグソーやベルトサンダーやドライバドリルやボール盤やディスクグラインダや丸鋸や電動カンナなどなど、工場の道具が少しずつ万善寺の物置へ移動してきた。
なっちゃんの結婚式で必要になったフレームを工場で造り始めてから、使いたい道具が万善寺へ移動していたことに気がついた。ワザワザ取りに行くのも時間の無駄だし、「これも意識して仕組んだ味わいというヤツなのサ!」と、気持ちを切り替えて、その道具無しで制作できるように急きょ路線を変更した。道具というものは、無ければ無いなりに工夫をしてなんとか乗り切ることも出来てしまうが、やはり何かと無駄も多い。
修繕の事というと、不具合が少しばかり気になりはじめた時にすぐそれなりの工夫をしておけば重大な老朽を回避できることなどいくらでも出来ることだ。

「もう、このタイプのサッシは製造されてませんけぇ〜ねぇ〜・・・」
建具屋さんは、しばらくアレコレ対策を考え込んでいたが、「とりあえず、なんとかしてみますけぇ〜。ちゃんと出来るようにしますけぇ〜」
そう云って、寸法を測って修繕のパーツを軽トラへ積み込んで帰っていった。
網戸の修繕など、ソレ用の材料や道具があればなんとか出来るものだと思うが、そういえば、結界君の前のポンコツ君も、部品パーツの在庫切れが元で手放すことになったのだ。
一日の労働が虚しく感じる。行水で汗を流しているうちに西の空へ陽が沈んだ。

IMG_2110.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

旅の途中 

2017/08/02
Wed. 07:04

島根の石見銀山から東京まではおおよそ900kmほどある。
車で移動する場合のルートがいくつかあって、その時々の季節や自分の体調や交通の道路事情(たとえば集中工事とか・・)を考慮してアバウトに決めてから自宅を出発する。
移動のポイントは、経費削減か、時間優先か、そして、自分の体力温存か、それらのどれを優先するか、だいたい3つのパターンから選ぶことにしている。

なっちゃんの結婚式と披露宴が7月の最終日曜日に決まってから、彫刻や展覧会のことや万善寺のことを調整して、7月の25日くらいから比較的楽に動けるように日程調整をして島根に暮らす家族のスケジュールが決まるのを待った。
住職坊主の暮らしは基本的に受動的なものだから、自分の都合で行動をガチガチに固めてしまうことが出来ない。なんとなく緩やかにおおよその行動計画を用意して、あとは周辺の事情へ我が身を委ねて流れに身を任せるくらいがちょうどいい。
8月の1日からお盆の仏事が入るので、東京から島根までの移動は式が終わってから1日しか余裕がなくて、これだけは何があっても外すことが出来ない。随喜法要のためにそれなりの体力を温存しておくことも大事なことだし、ワイフとじゅん君にはそのことだけは事前にキッチリと伝えておいた。

次女のノッチがあと1週間ほどでアメリカへ出発する。
それまでに東京の部屋を引き払うことになるから、引越しの手伝いも兼ねてワイフの赤い普通車で移動することにした。式場での衣装のことやノッチの引越荷物のことを考えると、公共の交通機関を利用することが難しいと判断した。
私は彫刻の搬入出で毎年日本のアチコチを移動しているし、ノッチは仕事を兼ねて気楽で自由で能動的にアチコチ移住しているし、規模や距離の大小長短はあるが、二人ともそれなりにアクティブに活動しているところもあって、モノの整理のこととか移動手段のこととか、そういうノウハウが自然と身体に染み付いているようだ。
「特に必要を感じないの・・」と、運転免許も持たないノッチの潔さはなかなかマネの出来ないところもあって、密かに憧れているし見習いたいと思ったりもする。

東京での2泊は、ノッチのベッドを移動するところから始まってキーポンのお世話になった。
吉田家では掃除も洗濯も料理も、家事らしいことは何もしないでゴロゴロと暮らしていたのに、社会人になって一人暮らしが始まってからは、見違えるほど几帳面でキレイ好きになっていた。彼女の部屋を見ると、ちゃんと親離れも出来て自立してくれたことがよく分かる。
移動の多いノッチの部屋は、必要最小限のものしか無くて暮らしのうるおいを感じるようなこともなく、そっけなくて味気ないものだった。だいたい1〜2年で転職しながら自由に暮らしていると、最初から何も無いことの不便を感じないでいられるのかもしれない。
SNSで公開した紙幣を見ると、彼女の旅の痕跡が凄い。
私なら記憶の証拠として保管するだろうが、彼女はサッサと換金してトランクに変えたようだ。その潔さもまた凄い。

IMG_0752 (1)
IMG_0753_20170802070310c00.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

2017-08