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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

ゆれる彫刻 

2017/10/30
Mon. 18:36

2週間ぶりに自分の彫刻と再開した。
たしか、台風は熱帯低気圧か何かになって通り過ぎたはずなのに、六本木のビル風はまともに立っていられないほど強かった。

野外彫刻展示会場の自分の彫刻の前に立っていると、重心のバランスが少しヤバイなと思っていたパーツの方が時折の突風にあおられるたびに微妙にフラリと揺れていた。
何もかもが自分の責任のことだが、かたちの甘さが分かっているのに都合の良い言い訳をつくって制作のスケジュールを優先してしまっていることがこういう時にバレてしまう。

遅れて発送しておいた招待状が届いたらしく、たった半日の間彫刻の周辺をうろついているあいだに、知り合いが2人やってきて、1人電話を入れてくれた。
チーボォーは、ワイフが大学時代の部活友達だった。年齢はワイフより幾つか若いはずだ。そのせいか、久しぶりに逢ったはずなのに学生時代の面影がしっかり残っていて、すぐに気がついた。突風にあおられながらしばらく立ち話をしたが、お互いに体の芯まで冷え切ってきたし、話題の区切りを見計らって別れた。
ユーコちゃん(といっても、もうしっかりとしたオバサンだが)は私より20歳位は若いと思う。武蔵美の油絵を出ていて、いまだにコツコツと制作を続けている。しばらく前にも個展のDMが届いていたので、二人して突風に揺れながらその話題になった。
DMにあった彼女の描いた絵を見ていると、変わらないテーマの題材に少し表現の変化があった風に思っていたが、そのあたりのことをセッセと話してくれた。だいたい2年位ほど密かにあたため続けていたらしい。日常の時間軸が随分スローペースに思えて、少し羨ましかった。自分も周辺の事情からみるとかなりスローにシフトして日常を過ごしていると思っているのだが、彼女のスパンとは違った暮らしぶりだということを自覚した。
シューメーは、律儀に電話してくれた。
「最終日って終了早いね!4時位だと思ってたよ・・」
会社では重職でバリバリと、まぁ、とても忙しいくしていて、ナンチャッテ住職の吉田とはラベルの違う人だから、電話をくれただけでも鼻水が出る。

色々なことがあって、今年は展覧会が始まって半分くらいすぎた頃にDMを送ってしまったから、何時も吉田夫婦の愚作を観てくれる常連さんにとっては失礼なことをしてしまった。
毎年、年賀状の隅っこに手書きで「展覧会見たよ!」と書いてあったりすると坊主家業の慌ただしく荒んだ正月が少しほど潤って気持ちが暖かくなる。そういうこともあって、親族の不幸があっても喪中はがきを出すことをしない。少しほど時期をずらして「さり気なく寒中見舞いらしきメールを返しておくくらいで良いかな?」と、勝手に思っている。

展覧会の展示作業が終わって改めて自分の彫刻を見ながら、気持ちの方は次の制作に切り替わっている。だいたいの感じが固まっているが、こうして搬出で2週間ぶりに改めて自分の彫刻の前に立つと、また違った風なかたちが見えてきたりする。これから先、300日位は日常のアレコレをしながら彫刻のことをアレコレ迷いながら暮らすことになる。

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霧の三瓶山 

2017/10/30
Mon. 09:00

半日あれば終わる草刈りが雨でつぶれた。
天気のことが相手ではどうなるものでもないから、富山のことから六本木の彫刻搬出の方へ気持ちを切り替えて、ホームセンターに回った。
彫刻の移動に必要な梱包材などを一通り揃えて結界君へ積み込むとそのまま万善寺へ向かった。三回忌法事の塔婆も書かないといけないし、大衣の準備もある。

まったく、我ながら自分は「いったいなにをやっているんだろう?」と思う。
本当のところは、やっぱり彫刻のこととか鉄のこととか、そのことばかりで毎日を過ごすことが出来たら良いと思っているフシがある。そんな人間が一方でお経を読んでいたりするわけだから檀家の帰属意識も希薄になるのは当然のことだろう。

永代供養墓建立の時に自然石へ「道心」と書かせてもらった。
道元さまが大事に思われていたお言葉だということだが、宗門の末席を汚しているナンチャッテ坊主でも、やはりとても大事なお言葉であり、重たい指針と思っている。
彫刻を造りながら一方で道心というそういう大事な気持ちを忘れないでいると云うよりむしろ制作のベースに置き続けるということは、かたちの出来不出来とか造形の構造とかの具体的な表現より何よりも自分の内面に隠されてゆらぐテーマの根本であるのかもしれない。

今年は、春先の彼岸明けの日に母親が死んでからあと、とにかく自分の意思が全く機能しないまま次々あれこれ様々なことが自分の前を通り過ぎている。このままいけば、あと残すところ2ヶ月の間にも何かしら色々なことが起きるのかもしれない。
まず、一番大きく日常の暮らしが変化したのは、この歳になってオヤジの一人暮らしが再開したことだ。
流石に、この30年の間に日本社会は計り知れないほどの成長を続け、生活水準も急激に向上して暮らしやすくなった。万善寺の一人暮らしで時々近所の小さなスーパーへいくと、私と同じようにヨレヨレの親父になった小学校の同級生がお惣菜と半額の弁当と発泡酒を2缶ほどかごに入れてレジに並んでいた。オヤジが一人で暮らしていてもソコソコ食べるに困らないほど楽に暮らしているということだ。結婚する前の一人暮らしの方がずっと過酷だったかもしれない。あの頃は、自家製パン屋さんのショウケースの角に大きめのアルミバットへ山盛りされた食パンの切り落としを、近所のおばちゃんに突き飛ばされながら買い続けていたこともあった。パンもなまもので、かろうじて1週間くらいしか持たないものの、その間の空き腹は苦労しないでまかなうことが出来た。

搬出作業には出雲市から高速バスで移動するので、その途中に富山へ寄った。
今年から島根大学の彫刻研究室絡みの連中が参加してくれて、いっきに出品関係者の平均年齢が若返った。平日は稼ぎの仕事で忙しいから彼らの搬入は休日に済ませなければいけない。旧富山小学校へ到着すると、すでにユキちゃんが待っていた。彫刻の成長にはまだまだ時間が必要だと思うが、彼女はこの半年の間で随分たくましくなった。自分の変化がそのまま彫刻の成長と重みに変わることになれば良いなと思っている。

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大事な時間 

2017/10/27
Fri. 23:15

ポカポカとのどかな1日だった。
万善寺の朝の用事を片付けて三瓶山の山越えルートで富山へ向かった。
登りが多いから結界君が苦しそうだ。もう1年ほど前からエンジンオイルが漏れるようになっていて、走り初めは焼けたマフラーへ漏れ溜まったオイルが焼き付いてしばらくのあいだ室内がその匂いで充満する。最近はもう慣れてしまったが、あまり気持ちのよいものではない。それに、徳島の往復が終わってからエアコンモーターも力尽きてクラッシュしたままだし、20万キロを越えてから急にアチコチの不具合が増えてきた。エンジンの方は軽やかに動いて快調だから、不具合を修理したらもうしばらくは頑張ってくれるとは思うが、さて、その修理代のもとが取れるほどになるかどうか微妙なところだ。

富山の展示作業は、ノリちゃんが手伝ってくれた。
10歳以上の年齢の差は歴然としていて、限りなくジジイに近いオヤジとは比べ物にならないほど動きが軽やかだ。彼女のおかげで、一人では出来ないパネル設置のアレコレなどを終わらせることも出来たし、旧富山小学校の校舎内で現在出来ることはだいたい修了した。あとはこの週末土日で作家の搬入展示を待つばかりになった。
草刈りの方は、富山の有志おじいちゃんたちが頑張ってくれた御陰で、随分と私の作業が楽になって助けられた。あと半日もあればひとまず会期中見苦しくないまでに整備できるはずだ。

夕方になって万善寺へ移動中に大田市の教育委員会から電話が入った。
提出書類の不備を指摘されて、来週までに再提出をすることになった。3年目の開催だから、過去の資料の手直しで乗り切れると思っていたら、今年は書類事がイヤに厳しくなって前例が機能しにくくなった。どうやら「セクションのボスが代わったらしい」という話も漏れ聞こえてきてややこしい。
仕事に忠実で真面目であるということは良いことであるとは思うが、それがすぎるとかえって摩擦も増えて動きが鈍くなる。自分の手元足元の近場ばかり見ていたら、遠くの景色の変化を見落としてしまうことになる。昼夜土日祭日関係なく目先の用事をダラダラと乗り切って辻褄を合わせるくらいの適当なノリの毎日に慣れてしまった私などは、平日の決まった時間のうちで用事の何かを片付けることなど不可能に近いことだ。

日曜日には今月最後の坊主家業で法事が一つはいっている。
施主さんは東京に在住で、法事のために帰省される。先日、念押しの電話が入った。お経や墓参りの時間をしつこいほど気にされているから、斎膳の予約で大事なことなのだろうと想像できる。最近は、こういう法事が増えて坊主のペースを守ることに苦労するようになった。このままいけば、お経の幾つかを差し替えるか割愛するかしないといけなくなってしまいそうだ。街場や都市部では宗派問わず法事が20分で終わるような話を聞いた。日本全国市街地の常識ではないだろうが、島根の田舎の過疎地山寺法事にそういう常識はない。どんなに頑張って割愛しても法事ひとつに1時間半は必要だ。
お役所は融通がきかないほど複雑に仕事が絡み合って大事な自分の時間を削られ、坊主家業は施主さんの都合で大事なお経の時間を割愛し・・どうも釈然としないなぁ??・・・

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DM発送前夜 

2017/10/26
Thu. 23:51

朝の7時過ぎに石見銀山を出発して朝もやの銀山街道を飯南高原へ急いだ。
夜の雨もあがって、良い天気になりそうだ。
富山の彫刻周辺の草刈りも気になるが、その前にDM発送の事務も残っているし、こういう時は自分のクローンがほしいと切に思う。
東京へいる間、時間だけはタップリあるのになにもしないまま1日が過ぎていたから、それなりに「もったいないことだ・・」と思わないわけでもなかったが、だからどうなるものでもないし、台風前から降り続いていた雨のせいにも出来ないし、「なるようにしかならない」と気持ちを切り替えていた。

「草刈りはだいたいいつ頃が効率いいんですか?」
法事の席に、飯南高原の農作業代行を一手に引き受ける農業会社のご主人が同席していたので聞いてみたら、「6月の草刈りはしてもしょうがないね」ということだった。刈ったあとに、ほんの2〜3日でいっきに二番芽が成長してきりがないのだそうだ。刈れば刈るほど株が太くなって、それが夏の日差しで丈夫に固くなって収集がつかなくなるのだそうだ。かえって、梅雨の水分をタップリ吸い込んで軟弱にヒョロリと伸びたあとくらいのほうが刈りやすいし、回数も若干稼げるらしい。
そのご主人は、高齢のお百姓さんに代わって代行農業で朝から夜までひたすら同じ作業を繰り返しているのだそうだ。自分にそういうことが出来るかどうか怪しいものだ。性格とか好き嫌いとかそれぞれの個人事情で長続きする職業が決まってくるのだろう。

草刈りにはもってこいの良い天気が1日中続いたが、とにかくそれは考えないようにしながら万善寺の6畳へこもって1日中デスクワークに集中した。
DMの発送先を仕分け整理したら130通になった。この数字が多いか少ないか判断に苦しむところだが、富山のことが3年目を迎えることを思うと、まぁ、妥当かなという気もする。
島根県内から参加してくれる彫刻や教室個展の作家も少しずつ増えているし若返っている。目に見えて大きく代わっているわけでもないが、こういうイベント企画も何もしないよりはマシだとは思う。富山の地域の皆さんは確実に彫刻や美術に触れる機会も増えて、そういうことに慣れつつある。

島根県展用の石彫を制作中のユキちゃんが万善寺へやってきた。
来待ストーンの制作環境があまり思わしくなくて落ち着かないらしい。ちゃんと屋根も道具もあって至れり尽くせりな気でいたが、観光目当ての来場もあって、制作中のユキちゃんへ場をわきまえないチョッカイが多くて集中できないのだそうだ。言われてみるとそんなものなのかもしれない。私はそもそも対人関係に無礼なところがあって、知らない人には愛想もないし無視を決め込むことがほとんどだから、そういうガードの固いオーラがさりげなく漂っているようで、彫刻に絡む色々な出来事ではそれほど苦労もしないで今に至っている。
かえって万善寺の劣悪な制作環境が彼女にとってはソコソコ適しているのかもしれない。最近、ユキちゃんが我が子のように思えてきだした・・・ヤバイ!

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忙しい 

2017/10/24
Tue. 23:06

台風前からスッキリしない天気が続いていて、富山の野外彫刻周辺が整備できないままでいる。
万善寺への通勤坊主も、やっと以前のように日常化して吉田家の出発時間も少しずつ早くなってきた。何もなければ、片道40分から45分くらいで移動できるが、銀山街道の難所が幾つかあって、そのあたりの拡幅整備工事が何年も前から続いているから、停止信号の事情で運が悪いと1時間近くかかることもある。市街地や都会ほどでもないが、朝夕の通勤時間帯には1つの信号で2回くらい捕まることもあって厄介だから、そういう時間帯の移動は避けるようにしている。

再開したブログで六本木の野外彫刻が「台風で大丈夫だろうか?」と書いておいたら、彫刻部委員のHさんが、「大丈夫だったよ!」とSNSを送ってくれた。会の組織委員ともなると自分のこと以上に全体の不具合を気にしておかないといけないこともたくさんあって気が抜けないことだろう。
「台風なんて来るものは来るんだから、家で酒飲みながら彫刻の心配してたってしょうがないじゃない!」
ヘナチョコなチキンオヤジが、ワイフ相手に煮えきらないことを云っていたら、ガツンと叱られた。正にごもっともなことで言い返すことも出来ないし、気を使ってくれたHさんに悪いことをしてしまった。

毎年この時期は彫刻のことで2度ほど東京往復をするし、3年前からは富山の彫刻イベントも始めてしまったから、こうして文字に置き換えるとソコソコ忙し気に思われるだろうが、自分としては特別そう思うこともないし、それなりに暇な時間もあってノンビリと過ごしていられる。それでも、この度のように、2・3日前になって檀家さんから法事の依頼が入ったりすると若干時間調整に苦労することもある。
そもそも、「忙しい」という概念そのものに個人差もあって、その人の職業や環境や経験値など様々な状況を総合してまことに抽象的な感覚に寄りすがって「忙しいのだ!」と認識してしまっているにすぎないのではないかと思うことがある。
自分の場合は、周辺の環境に我身を投じてそれを「ゴクリ!」と飲み込んでしまっているようなところもあるから、そういう状況においては、「忙しくてしょうがない!」と感じることがあまり多くないだけのことだ。
たとえば、こうして毎日通勤坊主をしていても、結界君で往復の2時間弱は惰性で運転しているだけのことでけっこうボォ〜〜っとして過ごしているし、彫刻のことでアレコレととろけた脳味噌にドローイングをしたりしてなかなか有意義だったりする。
境内の庭掃きをしていても熊手や箒で造る真砂土の形状を工夫していたり、草刈り機を振り回していても土地の起伏や稜線の面白い変化に気付いたりして、なにかしら彫刻のことにつながってしまうようなことも多い。

夕食が終わったところで、ワイフが「アナタに私からのプレゼント♡!」と低反発の敷布団マットレスを手渡してくれた。
今夜は良い夢でも見られるかな??・・・と、気がつくとまた雨が降っている・・・

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台風一過 

2017/10/23
Mon. 23:02

一週間のご無沙汰でした!
吉田は、マアマアそれなりに過ごしていたけど、それなりに体力も消耗して、まだ本調子でないまま、先程法事から寺へ帰宅したところであります。

この1週間は、富山の草刈が雨で順延になり、寺の法事が入りその合間の雨の合間に(やややこしい・・・)寺の草刈りを片付け、その後石見銀山経由で出雲市から高速バスに乗り、新宿バスタ経由で乃木坂の新美術館へ移動し、彫刻の展示から会場当番を終わらせ、慌ただしく島根に帰って、その日の午後には衣に着替えてお経を読んでいる・・・という、なんとも落ち着かない毎日を過ごしていた。

この近年、ラップトップも含めて1日以上パソコンを操作しないで過ごしたことなど無かったのに、この数日間はiPhoneとiPadだけしか使わないで過ぎた。
ブログのこともあるし、普通だと1日に1時間位はキーボードをプチプチ叩いていたが、それも無縁のままでいると、いつの間にかそれに慣れてしまって、久しぶりにラップトップを開こうとしても、どうもその気になれないまま半日が過ぎ、法事が終わって今頃になってやっとスイッチをONしたところだ。

富山の彫刻イベントが本格的に動きはじめてから、三瓶山を中心にして石見銀山と飯南高原と富山町のトライアングルを右回りしたり左回りしたりして慌ただしく過ごしている間に、超大型台風が日本列島をかすめて過ぎ去った。
六本木にあるボクの軟弱彫刻が強風で東京の空へ舞い上がってしまうのではないかとビクビクいていたが、何処からも誰からも緊急連絡が入ってこなかったから、多分大丈夫だったのだろう。
その台風通過の一夜を、ほぼ1週間ぶりに石見銀山の吉田家のいちばん屋根に近い部屋で過ごした。吉田家の側面に、時折強烈な突風がぶつかってミシミシと四方から嫌な音が聞こえる。雨はほぼ一晩中降り続いていた。
そういう状態だったから、ほとんど眠れないまま寝返りばかりしていると、真夜中の吉田家巡回をすませたクロがフギャフギャ鳴きながら布団の上に乗ってきた。足を少しずらして居場所をつくってやると、しばらくのあいだグルグルと右に左に回って適度なくぼみをつくったあとその中心に落ち着いて丸くなった。そのうちクロの体温が自分の足に伝わってきて、眠気が誘発され、風雨の音が遠ざかっていった。

小学生の登校の賑やかな声で目覚めると、クロが足元で爆睡している。
ここしばらくこういう目覚めから遠ざかっていた・・・やはり、オヤジの一人暮らしは味気ないものだ・・・と、やけに改まってしみじみと感じた。
何日ぶりかでワイフと朝の会話をして、通勤坊主で銀山街道を万善寺へ急いだ。道の至る所に倒木や山のゴミが散乱したり吹き溜まったりしている。万善寺の様子が気になって心配したが、境内のすべてのものがピクリとも動かないでそのまま雨に濡れているくらいだった。

まぁ、こんな感じでプチプチブログを再開させていただきます・・・

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道楽を極める者 

2017/10/14
Sat. 23:06

「そろそろ、道楽もたいがいにしてお寺のことで頑張ってもらわないといけませんがねぇ〜」
今に始まったことでもないが、何かにつけて前々からそのようなことを檀家さんに言われながら、結局は住職交代もして、「寺を守らにゃぁいけんけぇ〜」が口癖の母親が死んでからは万善寺を1週間と連続して留守にしたことがない。
それこそ、名実ともに「住職」を務めていることが増えたが、だからといって母親のように寺の庫裏の一部屋へ根が生えたように引きこもっているわけでもなく、昼の間は坊主家業で留守がちの「無住職」だし、夜は彫刻家の吉田に変身して石見銀山を拠点にすることも多いから、どちらかといえば「通勤坊主」の暮らしが常態といっていい。
たぶん、私のそのような居所の定まらない暮らしぶりを見るか聞くかして、自分の意に沿わない不満が「道楽」のひと言に集約されているのだろう。

そもそも、「道楽」とは、仏教に語源があって、今で言う世間的な意味合いとは解釈も違ってなかなか高尚で有難く、仏門にある私などはそれを目指すべきこととして大事に思わないといけない生涯の目標とか指針のようなものであったりする。
いちいち理屈をこねてそのようなことを反論しても、正しいとか正しくないとか、対立のもとになって、これも私としてはよろしくないところに結論が落ち着きそうだったりして都合が悪い。
まぁだいたいが、モゴモゴと口の中の曖昧な言葉をツバと一緒に飲み込みつつ、ニコニコと笑顔で首を縦でもなく横でもなく微妙に曖昧に振って切り抜けることにしている。

ついでだが、「極道」も仏教用語で時代時々の高僧は「極道者」と賞賛され崇められたりされるときにもちいられたという、ありがたいお言葉であったのだ。
世の中が変わって、時代の流行や風習の変化にともなって、本来の大事な意味を持ついろいろな物事がねじれ曲がってしまうと、なかなか元に戻れなくなってしまうということは、とても悲しいことだと思う。
現在の私など、「道楽を極める者」と言われているようなもので、身に余るほどの光栄なお言葉をいただいて、ナンチャッテ坊主のヨレヨレオヤジは幸せ者であるのだ!

秋らしく爽やかに澄みきった雨後の半日ほど夕暮れまでそのような都合の良いことを思い巡らしながら、今年最後(・・にしたい)の万善寺草刈りを続けた。
オヤジの一人飯で湯豆腐と残り物のアレコレをツマミに一杯やったあと、インターネットラジで見つけたアラブ音楽を聞きながら「とみ山彫刻 field art work」の回覧チラシをまとめた。アラブ音楽はけっこうマイナー・コードが多くてどこかしら意外だった。やはりシルクロードは東の果ての日本まで続いているのだ。
チラシの草案は余裕をもって完成していたのだが、その後、出品するとかしないとかの作家とのやりとりが手こずって、島根の若い木彫作家グループが最後まで揺れた。
若い作家には、こういう造形とか制作とか発表とかの活動に優柔不断なほどの曖昧さがあることは大事なことだと思う。あまり早うちから自分の世界が固まってしまうのもつまらない。

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文化とは・・・ 

2017/10/13
Fri. 12:50

11月3日は国民の祝日「文化の日」で、手持ちの辞書で定義を検索したら「自由と平和を愛し,文化をすすめることを趣旨とする」とあった。
それじゃぁ、そもそも「文化」とは何かと検索をしたら、限りないほどたくさんの「文化〜」とか「〜文化」とか項目が際限なくなって、めんどくさくなって検索をヤメた。

「とみ山彫刻 field art work」のメインタイトルで企画を練り上げて具体的に開催できたのは2015年だった。
この企画を考えて事業計画を起案して予算を落とし込んで助成金の申請をするまでには、2〜3年かかっていて、まだ石見銀山で現代彫刻小品展を開催できていた頃だった。

大田市で暮らし始めてから30年ほどになって、石見銀山の暮らしも20年は過ぎた。
生まれ育った万善寺の暮らしは15歳で一人暮らしを始めるまでだから、いつの間にかその2倍ほどを大田市の行政区で過ごしていることになる。
自分が住み暮らす地域に根付く文化活動をしようと自覚と責任を持って決めたのは大田市へ引っ越してすぐの頃だった。
自治会名は大田市天神町といって、天神さんのお祭りの時は、境内に屋台が並んで特設の大きなスクリーンには子供相手の映画が映し出されて、まだじゅん君やなっちゃんも小さくて生まれて間もないころのノッチも一緒に家族でひと時を楽しんだ。
その後、仕事の関係で引っ越しをすることになって、石見銀山へ家族の生活の拠点を移した。それから今までの間に4人の子供たちは地域の小学校と中学校を卒業してそれぞれの高校へ進学し、バラバラの大学を経て仕事について今に至っている。

そもそも、「地域に根付く文化活動」とはどういうことなのかと改めて思うに、自分にできることというと彫刻を中心にした美術造形に絡むイベントくらいしか思いつかない。
現在主にお世話になっている助成金母体はしまね文化ファンドさんだが、その事務局担当さんは、美術関連部門の助成金申請が少ないのでその掘り起こしに苦労していらっしゃる様子。結局は、島根県の場合は祭りや神楽や音楽関連の文化活動への助成に偏りすぎているとの誤解もチラホラあるようだ。
そういえば、吉田家の4人の子供たちは全員吹奏楽を経験し、ワイフのお粗末なピアノと、私の吹くホラ?!を併せて家族セッションが出来るまでに音楽漬けの学生生活を送っていた。近所の小さな子が地域の子供神楽団に属していたり、ある意味でその類の文化活動が島根の長い歴史の中で自然に育まれ受け入れられやすい風習を築いてきたのだろう。

彫刻絡みの文化活動といっても、スタートは個人の個展だったり同好の士が集まったグループ展だったりするところがせいぜいで、現代彫刻小品展でやっと10年続いたくらいのことだ。後援依頼や、会場使用申請や広報活動の回覧手続きで教育委員会を中心に市役所へ日参しているが、そこでの指摘というか論点というか、そもそもそのあたりで文化活動の振興啓蒙とは程遠い事務的な内容に揉めることもシバシバだ。
行政マン諸氏にとっては、事業の内容より、書類の不備や費用計算のほうが大事なことであって、文化活動の趣旨とか事業効果とか実績とかには興味が無いようだ。

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雨に救われたヨレヨレオヤジ 

2017/10/12
Thu. 23:18

面白いもので、秋になって日が短くなって夜明けも遅くなってくると、ソレに合わせて保賀のカラスも朝寝坊をするようになってきた。
最近では、カラスより私のほうが早起きだったりすることが増えている。

3連休が終わった週初めから富山へ通い続けて、野外彫刻の周辺を草刈りしている。
今年は、春から夏にかけて何時になく万善寺の用事が連続したから、富山へ行く機会を見つけられないまま秋になった。
本当は、田植えが終わった頃と、梅雨がはじまった頃と、お盆前の頃に草刈りをしておくと、耕作放棄地でも比較的楽に整備し続けることが出来て都合が良いのだが、今年はそのうち、春と盆前の2回ほどそれが出来ないで伸び放題の雑草を放置することになった。
結果、葛とセイタカアワダチソウが我が物顔にはびこってしまった。
葛はすぐに草刈り機の回転に巻き付いてしまうし、セイタカアワダチソウは茎が杉の枝木ほどに固くなってチップの刃がすぐに摩耗する。
自分の都合で伸びる雑草を放置してしまったわけだから責任は自分にあることだし、この3日間は粛々と草刈りに励んでいたのだが、夏に戻ったような暑い日が続いて体力がみるみる消耗して午後の3時を過ぎた頃には足元がふらついて腰に力が入らなくなって、いっきに集中力が切れる。
そんな状態を続けてどうにか全体の半分ほど終わらせたところで、昨日から助けの雨が降り始めた。このまま、太陽の日差しに炙られながらもう1日ほど草刈りをしていたら、たぶんひとまずは彫刻周辺の整備もおおよその終了が予測できたが、それをしたら、今度は自分の体力が消耗しきって回復に時間がかかってしまうことになる。
こんどの秋雨復活になって、やはり、ねっからの雨男はその雨に救われたかたちになって、寝込む寸前のところでかろうじて蘇ることが出来た。

草刈りの間、久しぶりに石見銀山の吉田家暮らしが続いた。
昼のうちは私もワイフも留守になるから、ネコチャンズが留守番をしているくらいで、暮らしに特別刺激があるわけでもないが、早朝の短時間と夕方から夕食が終わって寝るまでの数時間は他愛ない夫婦の会話があって、そのくらいのことで昼の疲れも和らぐし、身体のアチコチの痛みも忘れることができる。それでも結局疲労の痛みが消えているわけでもなく、いざ寝ようと思うと逆に神経が敏感になってスヤスヤ眠っているワイフを気遣いながら寝苦しい夜を過ごすことになる。
結局は自分のことで自分が痛い目にあっているわけだから誰の仕業でもないのだが、そう解っていても「もっとあぁ〜だったら、ちょっとこぉ〜だったら・・」などと、自分を棚に上げて周囲の事情を無視して都合のいいように我身を正当化して愚痴っぽく考えていたりする。
「自浄其意」という、仏教ではソコソコ周知の偈文の一節がある。
頭の中で知識としてわかっていても、日常の暮らしのアレコレに紛れてだいたいが気にしないまま過ごしているばかりだ。
まぁ、ヨレヨレオヤジのモチベーションが揺らいでいる時に、ふと思い出したりしてスイッチをこまめに切り替えたりしてときどきを乗り切っているところであります・・

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富山の秋 

2017/10/10
Tue. 23:14

大田市役所を経由して富山町へ回った。
まちづくりセンターで打ち合わせをしてから旧富山小学校へ移動した。
教室の状況を確認しながら1階から2階へ展示台を少し運んだ。
奥出雲から展示台と彫刻を移動して以来、誰も何も使われていなかったようで、校舎の中には埃っぽい空気が淀んでいた。
修理をする気もないのだろう、水道の蛇口から水が規則的に滴り落ちている。

学校が廃校になってからもう何年も過ぎているが、いまだに市の教育委員会が管理窓口になっていて、校舎の敷地の端で肩身の狭い思いをしながら窮屈に機能している富山町のまちづくりセンターが哀れに思える。
こういう使いみちの定まらないまま器だけが放置に近い状態で取り残されているようなところを探し回っては彫刻の展覧会やイベントを続けている。
管理責任者が見放した施設は、その気になって探せば何処にでもあるが、その全てが自由に使えるわけでもないし、行政区や自治区の状況で使用規定もマチマチだったりするし、ほとんどは交渉の段階で管理母体の壁にぶつかって企画を断念することが多い。
胡散臭い民間人が営業利益とは無縁の企画を持ち込むことからして信用されないところもあるし、それに文化イベントのメインが「彫刻」だったりすることが窓口担当者の知識や概念の外にはみ出てしまって、良く実態の掴めない曖昧な企画に思われてしまうと、そこから先は取り付く島もないほど事務的な対応に変わって「お話の内容はひとまず聞き取らせていただきましたので・・」あとは、「関係各所と協議して」・・・何ていう感じで逃げを打たれたりしてしまう。

富山町での彫刻イベント「とみやま彫刻フィールドアートワーク」は助成金の補助をいただきながら開催して3年目を迎える。
そのあいだに、少しずつ町内の皆様に顔も覚えられるようになった。彫刻絡みの話題も聞かれるようになって、まちづくりセンターの職員さんからは、町内企画のイベントへ参加依頼をしてもらえるようになってきた。
自分の周囲にほんの数人で良いからスタッフが加わってくれれば、もっとフットワークも軽くなって内容の充実も増すだろうが、吉田にはそこまでの財力も人望もないから、自分で出来ることを自分でやりくりしながら迷惑にならないように動くことが精一杯だ。

富山町の1日目は、野外彫刻の設置で借りている場所の草刈りをした。全部で4箇所に点在している彫刻の周辺を、11月のイベント開催までに見苦しくないくらいには整備しておく必要がある。
野外の温度計が24℃だった。この時期としてはナカナカ厳しく暑い。
ユキちゃんが勤務先から直行して訪ねてきてくれた。校舎の教室を案内したあと、別れ際にスポーツドリンクを差し入れしてくれた。
「ほんにねぇ〜〜、草刈りしてあげられるといいんだけどねぇ〜〜」
知り合いになった地元のおばちゃんが優しく声をかけてくれた。その気持だけでありがたい。「富山の芸術の秋は、草刈りからスタートです!」・・・そう返したら笑っていた。

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終わらない草刈り 

2017/10/09
Mon. 23:58

草刈りをしている間に3連休が過ぎた。
その少し前は、雨に悩まされながら彫刻の搬入作業をしていたのだが、幸いにもその後草刈りを始めるとほぼ晴れの日が続いてくれたので、雨男の吉田としては大いに助かった。
きっと、万善寺の御本尊様がヘナチョコ住職の愚態を哀れんで少しばかり助けの手を差し伸べてくれたのだろう。
一日の仕事が終わって夜になると、身体のアチコチに鈍痛が生じて寝てから後もその刺激が神経のアチコチを絶え間なく刺激してくるものだから、なかなか熟睡できないまま一晩が過ぎる。連休最後の日は、天気が良すぎて気温もグングン上昇して、夏を思わせるほど暑くなって、わずかに残っていた体力がアッという間に吸い取られてしまった。ちょうど、境内下の用水路を保全するために業者さんが入って仕事をしていて、その辺り一帯は草刈りも出来ないし、次の土日が晴れることを確信して、ひとまず万善寺を引き上げることにした。

週初めには、富山の彫刻イベントを事務処理からスタートさせる。
早起きをして、幾つかの書類を整えて関係の部署を一巡しながら富山へ向かうつもりだ。
富山では野外彫刻の環境整備でまた草刈りをする。
この数年間で少しずつ知り合いになって話しやすくなった近所の町民の皆さんを表敬訪問しながら1日かければ、彫刻の周辺もなんとか見苦しくないまでにはなるだろう。

教室の展覧会も個展作家がおおよそ決まった。
昨年から引き続いて島根の竹田茂氏と鳥取の本池文乃氏に加え、新しく島大教育学部彫刻専攻の流れをくむ若い彫刻家がグループ展をしてくれることになって、少しずつ地元地域の美術活動が活性してきた。あとは、岡山赤礬から陶芸作家の芝さんと九州大牟田から女流彫刻家の井形さんが参加してくれることになった。昨年公開制作をしてくれた草月流華道家の西本さんにはワークショップでお世話になろうと思っている。

昨年までの過去2年間の資料を再確認していたら、本池さんの作品資料に目が止まった。山陰のグループ展ではじめて彼女の油絵を見た時に、面白い視点を持っていると思ったので声をかけてみたのがきっかけで教室個展に繋がった。教室個展は平面造形というよりも空間を構成演出するインスタレーション作品になっていた。シンプルな展示だったが、かえって制作の方向性がストレートに伝わってきて好感が持てたし、それ以降の展開が楽しみになった。その後、縁あって倉敷の芸術イベントでも一緒に展示することになって、彼女との距離が少し縮んだし、そこでの展示は確実に造形の方向性が面白くなっていた。
いつもは学校の先生をしているひとだから、その仕事の合間を使って制作するのはなかなか大変なことだろうが、良く踏ん張っていると思う。
今年に入っていつ頃だったろう??久しぶりに制作のことで縁が復活して、その後時々彼女の造形を見ていると、なにやらとんでもなく面白いことを考えていて、次の展開にとてつもない広がりを感じるようになった。彼女の師匠は島大の新井さんだが、彼の指導が良かったのか、彼女の潜在の資質を上手く引き出して育てていたのかもしれない。
さて、今度の富山ではどんな個展をしてくれるのか・・楽しみにしている。

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雑草の山 

2017/10/08
Sun. 23:21

自分の背丈ほどに伸びた雑草を刈り倒して畑の稜線が確認できるまでになったのは、草刈りをはじめて3日目のことだった。
彫刻の制作で使う筋肉や身体の動きと、草刈りで使うソレとは違っているようで、とにかく腰を中心にして身体中が痛くてかなわない。
夜寝ていても、ジッとしていられなくて寝返りばかり繰り返している。
連休の最終日もこの調子で寺の参道から東側まで草刈りが続くことになる。

富山の彫刻イベント参加者が大体出揃ったので、週明けの平日にまちづくりセンターを訪問して直前の打ち合わせをしたあと、急いで広報活動にとりかかる。
まずは、後援依頼から初めて印刷物の原稿作りをすることになるが、今年は全てのことに少しずつ遅れが出ていて最終の辻褄を合わせることが出来るのか不安だ。

寺で寄宿中のユキちゃんが固まった粘土を砕いて水簸を始めた。
次の制作目標は島根県展。
福光石のブロックが2〜3個本堂の脇に転がっていて、それを何か彫刻に出来ないかと考え始めた。石彫はまだ経験が浅いから、はじめのうちは石彫仏師の坪内さんにだいたいのことを教えてもらうことになった。

ホームセンターで買い物をしていたら、隣町で働いているIターンのおねえさんが声をかけてきた。
彼女とはもう3年ほど前に知り合っていて、私が彫刻を造ったり美術イベントを企画したりしていることを知っているから自分の美術活動の悩み事を聞いてもらいたいらしくて、買い物の支払いが終わって駐車場へ出たところでしばらく立ち話が続いた。
帰る方向が寺と一緒だから、「時間があったらこのまま寺に来ませんか?」と誘ったら喜んでついてきた。美術の専門的な勉強を経験しないまま、好きで始めた創作活動がそろそろ行き詰まって悩み始めたところだったようだ。特に差し迫った用事も無いということだったので、ユキちゃんと3人で夕食を食べながら創作の話をすることになった。

ユキちゃんもそうだが、自分の表現のネタというか、駒数というか、玉数というか、そういうものが圧倒的に足りない。たとえば100のアイデアから1つを抽出するのと、10のアイデアから1つを抽出するのでは、その深みとか広がりとか説得力とかの質量が違って表現の重みが全く違ってくる。はじめのうちはとにかく質より量を追求していくくらいのほうが伸び率が良いし成長も早い。そのうち精査抽出できるまでの質量が充実したところで、少しずつ造形力の質を高める工夫をすればいい。

大して広くもない畑だが、伸びた雑草を刈り込んで一処へ集めると、ほぼ自分の背丈ほどにもなって、まるでモネの積みわらのような雑草の山が出来た。何種類もの様々な形態の雑草が一つに集まると、それなりのボリュームになってナカナカの存在感となった。
その山もやがて数年間風雨にさらされている間に熟成とか発酵とか色々な反応が繰り返されて堆肥に変わってカブトムシの幼虫の巣に変わるかも知れない。

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ナントカ暇無し 

2017/10/07
Sat. 23:06

「羊雲が広がってるから雨だろうなぁ〜」
「えっ??どうして?夕焼け出てるじゃない?」
「あの雲かうろこ雲だとだいたい雨降るよ」

彫刻の制作や搬入が終わって、休みたい気持ちを抑えつつ次の用事に気持ちを切り替えた。
出雲へ出かけるワイフを途中で降ろしてそのまま奥出雲まで走った。
斐伊川に沿って続く街道をひたすら中国山地の船通山方面目指して南下していくと、途中にダムが二つあってその先が奥出雲になる。帰りは下りが続いて楽な道だが、行きはひたすら上り坂が続くからボクの結界君が息切れして苦しそうだ。
現代彫刻小品展の会期中は、毎日その道を昇り降りしていた。
先日、万善寺の境内で結界くんをバックさせていたら、本堂の前で「ガツン!」と大きな金属音がした。基礎石に結界くんの何処かをぶつけたのかと思ったがそうでもないし、エンジンも変わりなく軽快に回転しているし、ハンドルやブレーキも問題ないようで特に変わった様子もないまま、とにかくその衝撃音だけが大きく聞こえた。さすがに20万km以上走行していると、どこかしら気づかないところでガタが来ている。

彫刻搬入の最中に降り続いていた雨があがってから、残暑が戻ったように蒸し暑くなった。
結界君のACスイッチをONしてしばらく走っていても、どうも涼しくならない。
つまみをあれこれガチャガチャ動かしてみても、一向に涼しくならない。
気がつくとエアコンのモーター音が聞こえてこないし、アクセルに負荷も感じない。
「あの衝撃音は、エアコンだったか・・・」
今年に入ってエアコンを使い始めてから、時々モーターの不具合があって調子が悪いままになっていた。
ひと夏はなんとか乗り切って、奥出雲の往復にも絶えて、つい先日は徳島の往復にもなんとか絶えて機能していたエアコンが万善寺の境内でついに力尽きてしまったようだ。

奥出雲の用事を済ませ、帰りにワイフを出雲でピックアップした。
「これから涼しくなって寒くなるし、壊れたままでも何とかなるんじゃない」
ワイフが助手席でひとごとのように無責任なことをいった。
「そりゃそぉ〜だけど・・・窓ガラスくもり始めたらやっかいだなぁ〜・・」
他愛ない会話に思えるが、ボクとしてはかわいい結界くんのダメージに心が傷ついて気持ちが沈んでいる。

空一面に広がる雲は羊雲のようにも思えるが、専門家でもないし確証がない。
確かにワイフの言うように夕焼けでもあるし、明日も良い天気になるかもしれない。
島根の田園は、稲刈りも終盤を迎え、しばらく続いていた雨に濡れた枯れ草の匂いがエアコンが壊れて全開の窓から流れ込んで息苦しいほどだ。
これから万善寺と吉田家と富山の彫刻周りの草刈りをして、それから薪割りが続く。

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ヨレヨレオヤジ奮闘記ーその4 

2017/10/06
Fri. 22:43

10月3日の朝は、雨が少し残っていたがボクの彫刻を動かす時とは比べものにならないほど楽ないい天気になっていた。

石見銀山の吉田家を早朝に出発して万善寺へ到着すると、すでにユキちゃんが土蔵の軒下で制作をしていた。
「おはようございます!」の挨拶には相変わらず悲壮感が漂っている。
電動工具の使い方をチェックすると、操作ミスの傷がアチコチに残っている。
技術の方は、こうしてみんな少しずつ上手になっていくものだから、見た目には予測の範囲で彫刻になるにはなっている。
あまり早いうちから、技術とかテクニックとか、そちら方面にコダワリすぎると、かえって彫刻の大事な本質が見えなくなって、手先の思い込みだけの浅い彫刻になってしまう。
少々荒くて雑に見えても、制作者の目指す先のかたちがシンプルにダイレクトに伝わっている方が良いと、自分ではそう思っている。
この半年間、ユキちゃんの木彫を見ていると、あと一歩のところで造形のツッコミが足らないままに終わっている気がしている。
これからもうしばらく彫刻での付き合いが続けられるのなら、そのあたりの弱い部分を越えられるまではなんとかしてやりたいな・・・

そろそろ搬入積み込みの時間が迫っているから、結界君をバックさせてリヤデッキへ載せる準備に切り替えた。
チェーンブロックと足場板を使えば一人で積み込むことぐらいは出来るのだが、こういう一連の動きは、体で覚えることも大事なことなのでユキちゃんと手分けして声を掛け合いながらお互いの役割を分業した。

「とにかく、シャワーを浴びてらっしゃい!!」
これから彼女はいつもの仕事に出かける。彫刻を積み終わった後は、それまでの焦燥感が安心感に変わって「ボォ〜〜〜」っとしているから、声が少し荒っぽくなってしまった。
(ボクが代わりにプラットフォームまで搬入することになるんだけど・・・)
少々おせっかいが過ぎて甘やかしている気もするが、誰かが助けてやらないとどうにも出来ないことだってある。

ワイフは、昼過ぎまでいつもの仕事に出かけているから、彼女には「搬入来なくてもいいよ」と云っておいた。まぁ、これは「おせっかい」というより「生活共同体の愛情」と云うべきだろう。今年は、穴蔵のようないつもの彼女の制作部屋から、完成前の彫刻をギャラリー部屋へ移してあげた。
少しは広々と環境の良いところで彫刻の全体を見渡しながら完成させたほうが気も晴れるだろうと思ったからだ。
搬入前に写真を写してみると、なかなか雰囲気のある面白い彫刻に見えていた。
彼女の彫刻は会場の状況によって色々なふうに変化して見える。以前からそう思っていたのだが、今回は特にそれがハッキリ伝わった。体調不良のままよく頑張った!

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ヨレヨレオヤジ奮闘記ーその3 

2017/10/06
Fri. 08:29

徳島から帰ってから彫刻の島根搬入が終わるまで、島根県は比較的強い雨が降り続いた。
万善寺土蔵の軒先で制作を続けていたユキちゃんは、最後の追い込みで大事な時に雨に降られることになってなかなかの試練になった。

早朝5時起きで万善寺から石見銀山へ移動して、ワイフの彫刻の進み具合を確認すると、さすがに作家歴40年近くのベテランだけあって、とりあえず完成は見えている状態であった。
「ユニック借りるから、乗せていってくれない?」
「どこまで??・・・あぁ、資源ゴミ屋さんの近くの・・・」
最近は、あまり体調が良くない制作途中のワイフへ用事を頼むのは気が引けるが、彼女の助けがないと島根搬入も上手く動かないし、遠慮しながらお願いした。
借りたユニックを工場に横付けして、慎重に自分の彫刻を積み込んでからカッパを着たままボクの結界くんへ乗り換えて急いで万善寺へ走った。
雨男ヨレヨレオヤジは、雨の中大活躍だ!

「職場へお願いして、お昼から早退させてもらいました・・・」
万善寺へ到着すると、確か夕方まで仕事だったはずのユキちゃんが、悲壮感の漂う引きつった笑顔でそう報告してきた。
とにかく、少しでもたくさんの制作時間を確保してやりたいから、ユキちゃんが帰ってくるまでに土蔵の下屋先へ即席の雨よけを造っておこうと思っていたのだ。
彫刻を雨で濡らしながら制作していたので、急いでブルーシートを張った。
長年の彫刻家人生の殆どを青空工房で乗り切っているベテラン雨男彫刻家は、こういう時の応急対応能力レベルがかなり高いのだ!

制作の助けになればと思って、バイブレーションサンダーとディスクグラインダー用の研磨ペーパーディスクを近所のホームセンターで仕入れてユキちゃんへ託しておいた。これで少しは制作もはかどるだろうが、使い方がアマチュアなのでむしろかたちの緊張感が崩れてボロボロになるかもしれない・・・

午後の3時にワイフの彫刻を積み込む予定にしているから、急いで工場へ引き返してユニックを石見銀山の自宅前へ移動した。
今年のワイフは室内展示用の制作をしていたから、彫刻を雨に濡らすわけにいかない。
ラップでぐるぐる巻きに梱包してユニックの荷台へ積み込むと、いつもお世話になっている運送業者さんのプラットフォームへ急いだ。
その後、周藤さんの自宅までユニックを届け、帰りは彼の愛車を借りた。
石見銀山の吉田家に到着した時は、夜の8時を回っていた。

・・・以上、10月2日の一日の出来事でありました!
シャワーで汗を流して夕食が終わったら、一気に一日の疲れが吹き出した。
とろけた脳味噌で一日のスケジュールを調整しながらよくここまで行動できたものだ・・

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ヨレヨレオヤジ奮闘記ーその2 

2017/10/05
Thu. 20:36

月の変わり目は徳島で過ごした。
徳島の野外彫刻展が、今年で55回を迎える。
この55回という数字は、地方の彫刻文化にとって、とてもとても重たい数字だと思う。

日本の美術界は、各種公募団体展が大きな勢力をもっていて、そのほとんどが東京の美術館で展覧会開催される。
私のように、何処かの公募団体に属して制作を続ける田舎の彫刻家は、そういう展覧会を目指して制作した彫刻の殆どを東京へ搬入し、東京で発表する。
私に彫刻の物心がついた頃にはすでにそういうルートが完成して、ほぼ一方通行に近い地方と東京を結ぶ文化のレールのようなものが存在していた。
島根に帰った始めの頃は、特に大きな疑問もなく、展覧会の出品とか発表はだいたいがそういうふうなものなのだろうと思っていて、ワイフが東京にいるときから出品を続けていた二紀会のことは前々から付き合いもあって知っていたことでもあるし、ワイフの彫刻制作や発表の助けをしながら自分もその流れに乗って自分の彫刻を出品するようになった。

さて、今から20年ほども前だっただろうか?・・・徳島で開催される西日本全体を見渡した彫刻文化振興のシンポジウムイベントに参加の声がかかった。
その頃は、自分のみる先に東京の美術館で作品発表をすることしか考えつかないほど周辺の身近な彫刻環境を知らなかったから、指示された幾つかの資料を用意して観光旅行程度の気楽な気持ちで徳島へ出かけてみた。
結果、想像もつかないほどの多数の彫刻家が参集し、手厚いおもてなしを受け、夢のような交流会となり、「超」が付くほどの真面目で真剣なシンポジウムイベントが開催された。
それが、私と徳島彫刻集団の最初の出会いだった。
たしか、その頃イベントの事務局で精力的に働いていたのが、今の会長の松永勉さんだったと思う。
その松永さんを知ってから、少しずつ自分の見る先が東京からそれるようになって、やがて九州の野外彫刻展へ出品したり、島根の石見銀山で個展をしたり、当時経営がどん底状態だった一畑電鉄のホームで個展をしたりと、自分の足元を見ながらそこに根付くことの出来るような彫刻を造ることに目覚めた気がする。

彫刻造形の完成度とか芸術レベルの高さとか、そういう研究表現の研鑽も制作者として大事な使命であると思うが、一方で彫刻を通した社会へのアンチテーゼ表現であったり、土着文化の啓蒙や発信であったり、そういうことを継続するということも、とても重要な表現活動であるということを教えられたのが、徳島彫刻集団の野外彫刻展であった。
だいたい20年ほど前の出会いから時が流れ、3年ほど前にはじめて展覧会へ賛助出品のお誘いを頂いて、昨年からはワイフにも出品の機会を頂いた。
9月から11月にかけての彫刻制作と発表のスケジュールが少し立て込むことになったが、少しも苦にならない。むしろ、今の自分に次の楽しみが一つ増えた気もして、片道5時間の距離が全く苦にならないまま搬入搬出が出来ている。

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ヨレヨレオヤジ奮闘記ーその1 

2017/10/05
Thu. 03:09

気がつけば、9月が終わり10月が始まっていた。
石見銀山の夜はぐっと冷え込んですっかり秋らしくなっていた。
「こんばんわ!今日は満月らしいですけど、なんかチョット欠けてるような??・・お月さまに虹がかかってキレイですよ♡!」
吉田家前の駐車場へ結界君を駐めてエンジンを切ったら、隣の若奥さんが、これも少し前に隣へ駐車した車から降りているところで、スライドドアの中から荷物を引き出しながらそう教えてくれた。
「あぁ、こんばんわ・・そうですか、満月ですか・・・」
見上げると、石見銀山の要害山へ続く山のアウトラインが黒く沈んで夜の町並みがボンヤリと浮かび上がり、吉田家の大屋根の瓦が月の光に反射してまぶしいくらいだった。
確かに、空に浮かぶ秋の月には真丸の虹がかかり、上層には出来損ないのうろこ雲が小さな島をつくって満月の横を南から北の方へゆっくり移動していた。

今朝・・・といっても、お昼の12時半頃に目が覚めた。
ワイフには、朝から通勤坊主で寺に行くことを伝えて寝たはずなのに、12時間以上の間、何度か微妙に覚醒しながら切れ切れに幾つかの夢を見ながら眠り続けていたようだ。
ハッキリと目が覚めたのは、ワイフがなっちゃんと会話している様子が耳に入ったからだ。
最初は、少し意識が混乱していて、また何かの用事でなっちゃんが帰省したのかと思ったりしていたのだが、ワイフの声だけが聞こえてくる現実の状況が次第に理解できるようになって、それで、電話での会話だということがわかってきた。
そういえば、食料などを買い込んで送るようなことを云っていた。
2日間レンタルしていた2tユニックを返してワイフに拾ってもらってから近くのスーパーで大量に買い物をしたことを思い出した。

今年も、六本木の美術館で始まる展覧会に向けて島根搬入が始まって終わった。
気持ちも身体も緊張が続いて微妙にシッカリと正気でいられているが、実態はかなり疲労が蓄積していたようで、東京までのチャーター便へ全ての彫刻を積み込んで解散してから、その様子を記録しておくことを忘れたことに気付いた。
昨年までは、搬入経費を抑えようと、集配所のプラットホームと工場や吉田家などを軽トラックで2〜3往復したりしていたが、今年は、今後の体力温存を気遣って2tユニックを手配しておいた。
それほど大きくも重くもない彫刻だから普通に軽トラックで1日かけて回数を稼げばなんとかなるくらいのことだったが、その往復の連続に自分の集中力と持続力が絶えられる自信が無かった。
まぁ、ようするに自分もこの1年の間にそれだけ老け込んでジジイになったということなのだろう。
年季の入った折り紙つきの底無し貧乏人だから、2tユニックのレンタル料くらい、500円貯金を少しほど切り崩せばなんとかなるだろうし、次には六本木での陳列作業も控えているし、この度は、少しほど贅沢をさせてもらった次第です!

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2017-10