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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

ヨレヨレオヤジ奮闘記ーその2 

2017/10/05
Thu. 20:36

月の変わり目は徳島で過ごした。
徳島の野外彫刻展が、今年で55回を迎える。
この55回という数字は、地方の彫刻文化にとって、とてもとても重たい数字だと思う。

日本の美術界は、各種公募団体展が大きな勢力をもっていて、そのほとんどが東京の美術館で展覧会開催される。
私のように、何処かの公募団体に属して制作を続ける田舎の彫刻家は、そういう展覧会を目指して制作した彫刻の殆どを東京へ搬入し、東京で発表する。
私に彫刻の物心がついた頃にはすでにそういうルートが完成して、ほぼ一方通行に近い地方と東京を結ぶ文化のレールのようなものが存在していた。
島根に帰った始めの頃は、特に大きな疑問もなく、展覧会の出品とか発表はだいたいがそういうふうなものなのだろうと思っていて、ワイフが東京にいるときから出品を続けていた二紀会のことは前々から付き合いもあって知っていたことでもあるし、ワイフの彫刻制作や発表の助けをしながら自分もその流れに乗って自分の彫刻を出品するようになった。

さて、今から20年ほども前だっただろうか?・・・徳島で開催される西日本全体を見渡した彫刻文化振興のシンポジウムイベントに参加の声がかかった。
その頃は、自分のみる先に東京の美術館で作品発表をすることしか考えつかないほど周辺の身近な彫刻環境を知らなかったから、指示された幾つかの資料を用意して観光旅行程度の気楽な気持ちで徳島へ出かけてみた。
結果、想像もつかないほどの多数の彫刻家が参集し、手厚いおもてなしを受け、夢のような交流会となり、「超」が付くほどの真面目で真剣なシンポジウムイベントが開催された。
それが、私と徳島彫刻集団の最初の出会いだった。
たしか、その頃イベントの事務局で精力的に働いていたのが、今の会長の松永勉さんだったと思う。
その松永さんを知ってから、少しずつ自分の見る先が東京からそれるようになって、やがて九州の野外彫刻展へ出品したり、島根の石見銀山で個展をしたり、当時経営がどん底状態だった一畑電鉄のホームで個展をしたりと、自分の足元を見ながらそこに根付くことの出来るような彫刻を造ることに目覚めた気がする。

彫刻造形の完成度とか芸術レベルの高さとか、そういう研究表現の研鑽も制作者として大事な使命であると思うが、一方で彫刻を通した社会へのアンチテーゼ表現であったり、土着文化の啓蒙や発信であったり、そういうことを継続するということも、とても重要な表現活動であるということを教えられたのが、徳島彫刻集団の野外彫刻展であった。
だいたい20年ほど前の出会いから時が流れ、3年ほど前にはじめて展覧会へ賛助出品のお誘いを頂いて、昨年からはワイフにも出品の機会を頂いた。
9月から11月にかけての彫刻制作と発表のスケジュールが少し立て込むことになったが、少しも苦にならない。むしろ、今の自分に次の楽しみが一つ増えた気もして、片道5時間の距離が全く苦にならないまま搬入搬出が出来ている。

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ヨレヨレオヤジ奮闘記ーその1 

2017/10/05
Thu. 03:09

気がつけば、9月が終わり10月が始まっていた。
石見銀山の夜はぐっと冷え込んですっかり秋らしくなっていた。
「こんばんわ!今日は満月らしいですけど、なんかチョット欠けてるような??・・お月さまに虹がかかってキレイですよ♡!」
吉田家前の駐車場へ結界君を駐めてエンジンを切ったら、隣の若奥さんが、これも少し前に隣へ駐車した車から降りているところで、スライドドアの中から荷物を引き出しながらそう教えてくれた。
「あぁ、こんばんわ・・そうですか、満月ですか・・・」
見上げると、石見銀山の要害山へ続く山のアウトラインが黒く沈んで夜の町並みがボンヤリと浮かび上がり、吉田家の大屋根の瓦が月の光に反射してまぶしいくらいだった。
確かに、空に浮かぶ秋の月には真丸の虹がかかり、上層には出来損ないのうろこ雲が小さな島をつくって満月の横を南から北の方へゆっくり移動していた。

今朝・・・といっても、お昼の12時半頃に目が覚めた。
ワイフには、朝から通勤坊主で寺に行くことを伝えて寝たはずなのに、12時間以上の間、何度か微妙に覚醒しながら切れ切れに幾つかの夢を見ながら眠り続けていたようだ。
ハッキリと目が覚めたのは、ワイフがなっちゃんと会話している様子が耳に入ったからだ。
最初は、少し意識が混乱していて、また何かの用事でなっちゃんが帰省したのかと思ったりしていたのだが、ワイフの声だけが聞こえてくる現実の状況が次第に理解できるようになって、それで、電話での会話だということがわかってきた。
そういえば、食料などを買い込んで送るようなことを云っていた。
2日間レンタルしていた2tユニックを返してワイフに拾ってもらってから近くのスーパーで大量に買い物をしたことを思い出した。

今年も、六本木の美術館で始まる展覧会に向けて島根搬入が始まって終わった。
気持ちも身体も緊張が続いて微妙にシッカリと正気でいられているが、実態はかなり疲労が蓄積していたようで、東京までのチャーター便へ全ての彫刻を積み込んで解散してから、その様子を記録しておくことを忘れたことに気付いた。
昨年までは、搬入経費を抑えようと、集配所のプラットホームと工場や吉田家などを軽トラックで2〜3往復したりしていたが、今年は、今後の体力温存を気遣って2tユニックを手配しておいた。
それほど大きくも重くもない彫刻だから普通に軽トラックで1日かけて回数を稼げばなんとかなるくらいのことだったが、その往復の連続に自分の集中力と持続力が絶えられる自信が無かった。
まぁ、ようするに自分もこの1年の間にそれだけ老け込んでジジイになったということなのだろう。
年季の入った折り紙つきの底無し貧乏人だから、2tユニックのレンタル料くらい、500円貯金を少しほど切り崩せばなんとかなるだろうし、次には六本木での陳列作業も控えているし、この度は、少しほど贅沢をさせてもらった次第です!

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2017-10