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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

ゆれる彫刻 

2017/10/30
Mon. 18:36

2週間ぶりに自分の彫刻と再開した。
たしか、台風は熱帯低気圧か何かになって通り過ぎたはずなのに、六本木のビル風はまともに立っていられないほど強かった。

野外彫刻展示会場の自分の彫刻の前に立っていると、重心のバランスが少しヤバイなと思っていたパーツの方が時折の突風にあおられるたびに微妙にフラリと揺れていた。
何もかもが自分の責任のことだが、かたちの甘さが分かっているのに都合の良い言い訳をつくって制作のスケジュールを優先してしまっていることがこういう時にバレてしまう。

遅れて発送しておいた招待状が届いたらしく、たった半日の間彫刻の周辺をうろついているあいだに、知り合いが2人やってきて、1人電話を入れてくれた。
チーボォーは、ワイフが大学時代の部活友達だった。年齢はワイフより幾つか若いはずだ。そのせいか、久しぶりに逢ったはずなのに学生時代の面影がしっかり残っていて、すぐに気がついた。突風にあおられながらしばらく立ち話をしたが、お互いに体の芯まで冷え切ってきたし、話題の区切りを見計らって別れた。
ユーコちゃん(といっても、もうしっかりとしたオバサンだが)は私より20歳位は若いと思う。武蔵美の油絵を出ていて、いまだにコツコツと制作を続けている。しばらく前にも個展のDMが届いていたので、二人して突風に揺れながらその話題になった。
DMにあった彼女の描いた絵を見ていると、変わらないテーマの題材に少し表現の変化があった風に思っていたが、そのあたりのことをセッセと話してくれた。だいたい2年位ほど密かにあたため続けていたらしい。日常の時間軸が随分スローペースに思えて、少し羨ましかった。自分も周辺の事情からみるとかなりスローにシフトして日常を過ごしていると思っているのだが、彼女のスパンとは違った暮らしぶりだということを自覚した。
シューメーは、律儀に電話してくれた。
「最終日って終了早いね!4時位だと思ってたよ・・」
会社では重職でバリバリと、まぁ、とても忙しいくしていて、ナンチャッテ住職の吉田とはラベルの違う人だから、電話をくれただけでも鼻水が出る。

色々なことがあって、今年は展覧会が始まって半分くらいすぎた頃にDMを送ってしまったから、何時も吉田夫婦の愚作を観てくれる常連さんにとっては失礼なことをしてしまった。
毎年、年賀状の隅っこに手書きで「展覧会見たよ!」と書いてあったりすると坊主家業の慌ただしく荒んだ正月が少しほど潤って気持ちが暖かくなる。そういうこともあって、親族の不幸があっても喪中はがきを出すことをしない。少しほど時期をずらして「さり気なく寒中見舞いらしきメールを返しておくくらいで良いかな?」と、勝手に思っている。

展覧会の展示作業が終わって改めて自分の彫刻を見ながら、気持ちの方は次の制作に切り替わっている。だいたいの感じが固まっているが、こうして搬出で2週間ぶりに改めて自分の彫刻の前に立つと、また違った風なかたちが見えてきたりする。これから先、300日位は日常のアレコレをしながら彫刻のことをアレコレ迷いながら暮らすことになる。

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霧の三瓶山 

2017/10/30
Mon. 09:00

半日あれば終わる草刈りが雨でつぶれた。
天気のことが相手ではどうなるものでもないから、富山のことから六本木の彫刻搬出の方へ気持ちを切り替えて、ホームセンターに回った。
彫刻の移動に必要な梱包材などを一通り揃えて結界君へ積み込むとそのまま万善寺へ向かった。三回忌法事の塔婆も書かないといけないし、大衣の準備もある。

まったく、我ながら自分は「いったいなにをやっているんだろう?」と思う。
本当のところは、やっぱり彫刻のこととか鉄のこととか、そのことばかりで毎日を過ごすことが出来たら良いと思っているフシがある。そんな人間が一方でお経を読んでいたりするわけだから檀家の帰属意識も希薄になるのは当然のことだろう。

永代供養墓建立の時に自然石へ「道心」と書かせてもらった。
道元さまが大事に思われていたお言葉だということだが、宗門の末席を汚しているナンチャッテ坊主でも、やはりとても大事なお言葉であり、重たい指針と思っている。
彫刻を造りながら一方で道心というそういう大事な気持ちを忘れないでいると云うよりむしろ制作のベースに置き続けるということは、かたちの出来不出来とか造形の構造とかの具体的な表現より何よりも自分の内面に隠されてゆらぐテーマの根本であるのかもしれない。

今年は、春先の彼岸明けの日に母親が死んでからあと、とにかく自分の意思が全く機能しないまま次々あれこれ様々なことが自分の前を通り過ぎている。このままいけば、あと残すところ2ヶ月の間にも何かしら色々なことが起きるのかもしれない。
まず、一番大きく日常の暮らしが変化したのは、この歳になってオヤジの一人暮らしが再開したことだ。
流石に、この30年の間に日本社会は計り知れないほどの成長を続け、生活水準も急激に向上して暮らしやすくなった。万善寺の一人暮らしで時々近所の小さなスーパーへいくと、私と同じようにヨレヨレの親父になった小学校の同級生がお惣菜と半額の弁当と発泡酒を2缶ほどかごに入れてレジに並んでいた。オヤジが一人で暮らしていてもソコソコ食べるに困らないほど楽に暮らしているということだ。結婚する前の一人暮らしの方がずっと過酷だったかもしれない。あの頃は、自家製パン屋さんのショウケースの角に大きめのアルミバットへ山盛りされた食パンの切り落としを、近所のおばちゃんに突き飛ばされながら買い続けていたこともあった。パンもなまもので、かろうじて1週間くらいしか持たないものの、その間の空き腹は苦労しないでまかなうことが出来た。

搬出作業には出雲市から高速バスで移動するので、その途中に富山へ寄った。
今年から島根大学の彫刻研究室絡みの連中が参加してくれて、いっきに出品関係者の平均年齢が若返った。平日は稼ぎの仕事で忙しいから彼らの搬入は休日に済ませなければいけない。旧富山小学校へ到着すると、すでにユキちゃんが待っていた。彫刻の成長にはまだまだ時間が必要だと思うが、彼女はこの半年の間で随分たくましくなった。自分の変化がそのまま彫刻の成長と重みに変わることになれば良いなと思っている。

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