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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

猫のぬくもり 

2017/11/30
Thu. 19:41

とみ山彫刻フィールドアートワークの最終日が19日に終了して、それからほぼ毎日富山へ通いながら後片付けや教室復元をしながら井形さんの彫刻を梱包したり本池さんや周藤さんなどの作品搬出をしたりしていたら、アッという間に11月が終わってしまった。
11月は、晴れと雨の日がほぼ1日ずつ目まぐるしく代わって、気温も強烈な上下を繰り返して、平地は晴れて暖かで山は降って寒くて、とにかく、気まぐれな日本海の気候に悩まされながら雨よけの梱包を強化したりと事後処理労働が続いた。

しばらく留守にするワイフを送ってから、万善寺へ向かった。
冬というより、正月仕度で長年気がかりだった庫裏の檀信徒用に提供している2間の襖や障子の張替えを建具屋さんにお願いしていて、それがなおってきた。
ちょうど法事で出かけている時に電話が入ったので、「留守だけど勝手に上がって結構ですから・・」と、すぐに返事をしておいた。
来年のお彼岸まで、冬の間はキレイになった襖や障子を壁面代わりに使って、彫刻の小品を展示しておこうと思う。
オヤジの一人暮らしは部屋になにもないからそれなりに広々と都合よく使っているが、彫刻を置くことを思うと、とたんに狭くなって展示台の配置に悩んでしまう。それでも10点位はなんとかして配置してお正月のお年始会でお参りのお檀家さんへお披露目するつもりだ。吉田正純と吉田満寿美の彫刻は大きすぎるから、ユキちゃんの二紀展初出品初入選の木彫を6畳の真ん中へ置こうと思っている。他にも平面作品が少しあると良いと思うがそこまで手が回るかどうか今はわからない。

そんなことをアレコレつつき回していたら、もうあたりが暗くなり始めている。
石見銀山にワイフがいないから、ネコチャンズのことも心配だし、万善寺をザッと片付けて銀山街道を北上した。
なにか、1日がとても短く感じる。
土間へ入ると居間の方から灯りが漏れている。
誰も居ないはずだし、ネコチャンズが照明をつけるわけもないから消し忘れだろうとわかっていても、やはり灯りがあるだけで気持ちが緩む。
別に、これといって何も重労働をしているわけでもないが、身体中に少しずつ毎日の疲労が溜まってしまっているようで、ネコチャンズのご飯を補充して手を洗って・・・というところまではシッカリしていたように思うが、居間の照明を消して真っ暗になって、それからあとのことは良く思い出せないまま、気がつくと飯も食べないでジャケットとリーバイスのまま電源OFFのこたつに潜り込んで寝てしまっていた。
足元がなんとなく暖かくて、ウツラウツラしながら覚醒を待っていると、その熱源がシロだとわかった。顔のすぐ横ではこたつ布団の重しになったクロが丸くなって寝息を立てている。私が寺暮らしで留守の夜は、たぶんワイフも今のようにネコチャンズの温もりを感じながら眠っているのだろう。
もう何ヶ月ぶりだろう?・・アルコールの入らない夜を過ごしたのは・・
大屋根を叩く雨音が一気に強くなった。「また、雨だ・・」
それから・・・あと少し残っている富山のことが気になって寝付けなくなった。

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オヤジ鍋 

2017/11/26
Sun. 23:13

目が覚めるとすでに7時を過ぎていた。
日曜日は町内の有線放送も定時の目覚ましコールが無い。
平日はやかましくてしょうがないまま起こされてしまうが、それも無くて静かなままだったりすると気が抜けてしまってしっくり来なかったりする。全く都合の良いワガママ者だ。

珍しく法事が二つ重なったので、午前と午後に分けた。
万善寺の上空は雲が低くて雨がいつ落ちてもおかしくない。
大衣などの準備をして結界君へ乗り込んで国道へ出ると、そのまま島根県の県境を越えた。
広島県側は曇っているものの空が明るい。
こういう日は、放射冷却もなくて比較的温かいことが多くて、ある意味過ごしやすい。
法事の会場は、最近新しくできた葬祭会館で、全てがいたれりつくせりで施主家も坊主もどこかしらみんながお客様感覚の仏事が始まって終わる。
私はどちらかと言うとこういうタイプの法事に慣れていなくて味気ない気持ちが優先してしまうが、施主家の方は諸々の負担が軽減されて楽に法事が出来るのだろう。
墓参して納骨を済ませて斎膳でしばらく歓談して中座して結界くんへ乗り込んで国道を広島県側から引き返していると、県境あたりの上空に重たい雲が広がって、中国山地の稜線はすでに雲の中に隠れている。
これが典型的な冬の風景だ。
案の定、県境のトンネルを越えたら雨になっていた。
雪が降るよりマシだが、それから寺へ移動する間に雨脚がどんどん強くなって、結界君を境内に乗り上げた頃には土砂降りに近いくらいに本格的な雨になった。
次の法事は万善寺の本堂になる。すでに時間が迫ってほとんど間がない。
急いで位牌堂の荘厳準備をして、灯油ストーブを点火した。
本堂のストーブはこのシーズンではじめて使うから、上手く起動するか心配だったが、とりあえずはなんとか動いて本堂が少し暖かくなった。
灯油を継ぎ足していたら法事の施主さんがご夫婦で到着された。
それから50回忌の法事を済ませ、ストーブの前でしばらく立ち話の事務連絡を交換して別れた。
1日のうちに2つの法事はやはりキツイ。
こういうことは1年に5回と無いほど万善寺では稀なことで、それを一人でやりくりすると、やはりドッと疲れる。彫刻絡みのことで動き回るほうがずっと楽に思える。

本堂の照明を落としたら、すでに日が暮れていてあたりは暗くなっていた。
気持ちを切り替えて夕食の準備をした・・・といっても、酒のツマミを用意して日本酒をお燗するくらいのことだけどね・・
やはり、これからの晩酌は日本酒に限る。
オヤジの一人飯も味気ないものだが、熱燗があればそれもまぎれる。
この度の寺暮らしが始まった夜に、土鍋いっぱいの鍋を作り置きしておいた。
毎晩新しい食材を継ぎ足しつつ煮込み続けているから、だんだん濃厚に美味くなっている。
明日はそれにうどんを入れて卵を落としてシメにしようと思っている。

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紅葉の満天星 

2017/11/25
Sat. 20:51

飯南高原は一瞬で真っ白になって、それからしばらくしてアッという間に消えた。それからシトシトと冷たい雨が断続的に降り続いて、そのうち暗くなって濡れた路面に車のヘッドライトが反射してとにかく走りにくい。

富山町の文化祭が終わって、引き続いて彫刻や教室個展の搬出などの仕事をしながら万善寺の法事をこなし、寺関係の研修会もあったり、来年度事業の起案もすすめつつ、事業報告の整理もして・・・と、とろけた脳みそが発酵するくらいにフル回転している。
それに加えて、1日毎に降ったり晴れたり落ち着かない天候が続いて体調不良が慢性化しつつある。
飯南高原は、例年11月の最終週から12月の一週目あたりにかけて冬シーズンのスタートを切ってドカッと雪が降る。
今年はあまり寒さを感じない気がするが、それでもいつもより雪が早いようだ。

すでに走行距離20万kmを超えた結界君は冬に入る前に21万kmを超え、急激に不具合が加速している。歴代のボクの相棒たちも、だいたい似たような経緯を経てリタイヤを繰り返してきた。自分としては大事に整備しながら付き合っているつもりなのだが、やはり一般の常識からするとかなり過酷に使い倒してしまっているのかもしれない。いつもお世話になっているメカニックさんに聞くと、「最近の軽は丈夫になっているから、30万kmくらいは行きますよ!」と云ってもらっているが、今の結界君はどうもそろそろ限界が来ているようだ。長い間ピックアップのトラックに乗っていたから、やはり軽自動車をそれと同等くらいに使い倒してしまうのは無理があるようだ。
中学校までの同級生に車屋さんがいるから、法事のついでにさりげなく「見積もりできないかなぁ?」と聞いてみると、「うちはどのメーカーさんとも付き合いがあるから見積もりくらいやってあげるよ!」と、気軽に対応してくれた。
そろそろ、自分の生涯も先が見えているし、せいぜい20年持てば御の字だし、せめて人生の最後くらいは新車から使い倒してみるのも良いかなと思うようになっていたところへ、「あんた、今更程度の良い中古買ってもしょうがないじゃない!」と、日頃自分の意見を語らないワイフがイヤに熱心に新車を勧めたりするから、ひとまず今回の冬シーズンを結界君で乗り切って来年の3月くらいになってから本気で次の算段を考えようと気持ちが定まってきたところだ。

庫裡の裏庭が今年も紅葉の落ち葉で埋まった。
昨年までは母親が元気だったから、この時期になると呪文のように落ち葉のことや庭掃きのことを云い続けていた。私は、この落ち葉をそのままにして来年の春彼岸前に掃き集めることにしている。特に信念を持ってそうしているわけでもないが、結局雪が降って地面が凍って庭が痩せて雪解けの水と一緒に庭土がどんどん流されてしまうことがわかっているし、毎年補充する真砂土もタダで手に入るわけでもないから、そういうムダをできるだけ避けるためには、落ち葉で庭の表面を保護しておくくらいが適当なのだと思っているし、実際そうすることで真砂土の補充も幾分楽になっている。
今は見頃の満天星の紅葉もそのうち無くなって、やがて雪に埋もれることになる。

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井形さんの教室個展 

2017/11/24
Fri. 10:00

珍しく一日中晴れてくれた。
雲は多かったが、久しぶりに青空を見る気がした。
ちょうど、富山の彫刻展会場から展示台を搬出して倉庫へ移動することにしていたので、恵みの晴れになった。

朝から会場の復元をしていたらユキちゃんが手伝いに来てくれた。それからしばらくして周藤さんも来てくれた。
2階の会場と1階を何度も往復しているうちに、調子の悪い膝がシクシクと痛くなりはじめた頃だったので、2人の応援はとても助かった。
1日かかると思っていた搬出作業は、2人のおかげでお昼過ぎに終了した。工場近くのレストランでお昼ごはんを食べて、そのまま別れるのも味気ない気もするし、ささやかな中間の打ち上げをしようということになった。その会場はノリちゃんの旦那のお店。
夕方から飲みはじめて夜になって気がつけば午前0時が近づいていた。周藤さんと一緒だとどこかしら気持ちが華やいでツイツイ飲みすぎてしまう。どうやって自宅へたどり着いたのか記憶がなくて、気がつけば朝になっていた。

井形さんの彫刻は12月に入ってから搬出することにしていて、それまでに梱包を済ませることになる。
10年位前に福岡の彼女の自宅を訪ねたことがあるから、こんどの彫刻返送移動が楽しみだ。
彼女はタケちゃんと大学が一緒で会期中には学生時代の話で盛り上がっていた。
彫刻の方は、二紀会の彫刻部に出品を続けていて、長い間揺れていたテーマが数年前に落ち着いて固まって、それからすぐ会員になった。
福岡には木彫の馬場さんとか新庄さんとか、スケールの大きな彫刻を造る作家がいるし、宮崎では石彫の田中等さんが精力的に地元地域に根付いた彫刻イベントを仕立てているし、他にも九州には元気の良い彫刻家がたくさんいてとても刺激になる。
井形さんも最近彫刻の展開が面白くなっていたから、富山小学校の教室個展で今のシリーズを一気に集めると「素敵だろうなぁ〜」と思うようになって誘ったら、少し間があってから承諾してくれた。
彼女はとみ山彫刻フィールドアートワークが始まってから島根へ移動して会期中会場当番を手伝ってくれた。やはり、出品の作家が会場にいるだけで場が締まる。
聞くところによると、彼女の彫刻家人生で個展をするのは初めてだったらしい。
ちゃんとした美術館の展示室でもない廃校の小学校の教室が初個展の会場になってしまったわけだが、はたしてそれでよかったのかどうか?・・・私自身は、とても良い見ごたえのある個展になった気がする。これを機会に、もっと精力的に発表活動を展開して欲しい。

若干二日酔い気味でこたつに潜り込んでキーボードをプチプチ叩いていたら、クロがノシノシと私の上へ乗ってきた。珍しいこともあるものだが、それにしても重くて息苦しい。
結局晴れたのは1日だけで、今朝は一気に冷え込んで雪が舞っている。

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竹田茂教室個展 

2017/11/22
Wed. 23:32

石見銀山の町並みは、昨夜の雨でしっとり濡れていた。
このところ、連日雨が続いていて、晴れたかと思うとほんの数時間後には雲が広がってそのうち小雨が降り始める。
山陰の晩秋から初冬はだいたいこんな感じを繰り返しながら少しずつ本格的な冬になっていく。

富山の彫刻イベントが終わってから、会場の後片付けや復元整理などの仕事があるので、朝から富山小学校へこもることにした。
工場へ寄って搬出作業に必要なモノを結界君へ積み込んで日本海沿いの国道を走っていたら途中からまた雨になった。結界君のリヤデッキには濡れてほしくないものを積み込んでいたが仕方がない。早朝の通勤時間は田舎道でも車が混み合っている。焦ってもしょうがないから車列の流れに身を任せるしかない。こういう時に限って信号の運が悪くて、ことごとく赤に引っかかってしまう。iPhoneからカーステレオのAUX端子へ繋いで気の晴れるような何かを探した。マイリー・サイラスが珍しくカントリーがかった新しいアルバムを出していて、耳に心地良からそれにした。彼女のことは世間では音楽活動以外のところで何かと話題になることが多い。とても良い音楽センスを持っていると思うし、リバイバルのカバーも吉田のようなオヤジ世代の心をくすぐるのが上手い。

竹田茂氏とは古い付き合いで、周藤さんより長い。
昔から「タケちゃん!」とよんでいて、それぞれの子供が小さかった頃はよく一緒にキャンプをしていた。
制作の方は絵画中心で発表を続けているが、たとえば現代彫刻小品展のような島根県内での展覧会には抽象や具象の彫刻を造って出品してくれる。もともとは、確かインダストリアルデザインを勉強していたと思うから、立体のことも詳しいし、そういう方面への興味もあるのだと思う。絵画作品でもレリーフを強く意識した立体感の強い仕事を長く続けているから、どこかしら立体的造形感のようなものが捨てがたいままでいるのだろう。
富山の企画が始まった時に、教室個展にタケちゃんを誘ってみるのもいいなぁと思っていたが、もともとが小学校の教室で便利よく使われていたわけだから平面の展示には不向きな環境でもあって、個展のことを言い出しにくいまま別の若い平面作家で試してみることにして1年が過ぎた。彼なりに、今までの制作の方向性を振り返ってみるのもいい時期だし、次の方向性を試すにも適当な会場だろうと思って個展の話をふったら、さり気なくパクリと食いついてきてくれた・・・というわけで、今回連続2回目の「竹田茂教室個展」になった。

やはり、タケちゃんは絵を描くことがスキなんだなぁと、改めてそう思った。半立体の絵画にこだわりすぎるのもどうかと思って観るようになった。最近では、平面とか立体とかそういうシンプルなククリで造形の認識を区別できることが難しくなっている。自己表現の多様化が進んでいるということだろうから、そういう世間では自分の方向性を整理してあまり複雑にしないほうが良いと私は思っている。もちろん、彼くらいのベテランになるとなかなか捨てがたい彼なりのコダワリもあるのだろうけどね・・・

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オヤジの加齢臭 

2017/11/21
Tue. 10:20

「しょうちゃん、この服すごく臭かったわよ!着たらすぐ洗わなきゃダメよ!」

春先に母親が死んでから、万善寺での一人暮らしが圧倒的に増えて、吉田家でワイフと二人暮らしでいることが激減した。4月からはキーポンの一人暮らしも始まったから、今年になってからの吉田家は一瞬で一家が離散した格好だ。
そろそろ1年が終わろうとする11月も半ばを過ぎて、やっとまとまって夕方から次の朝まで石見銀山の吉田家で過ごせるようになって、そろそろ1週間が過ぎた頃だ。
慢性的に生活のリズムとか、個人のスケジュールがズレてくると、なんとなく自由にワガママが言いにくくなって、少しの遠慮が自分の気持の何処かに張り付いてしまったまま毎日が過ぎている気がする。最近は特に日が短くなって、気がつけば周囲が真っ暗になっている。出先の用事から1時間位かけて吉田家へ帰宅することやそれから後の夕食などのワイフの手間のことを考えると、なんとなくそういうわずらわしさの負担をかけることが悪い気になってしまっている。自分一人のことなら、冷蔵庫にある食材の残骸をかき集めて酒のツマミくらいはなんとか出来たりするから、結局、そのまま寺暮らしが長引いてしまう。それに慣れてくるとそれはそれでどこかしら気楽でいられたりもして、一人でいることの孤独が苦にならないでいられる自分がいたりする。
長期的な別居ぐらしで、掃除や洗濯も自分のペースが出来つつあって、特にサボったり怠慢しているわけでもないし、毎日風呂やシャワーも欠かさないし、自堕落に過ぎているわけでもないと思っているところへ、目の前に洗濯物を突きつけられて「臭い!」と云われたりすると、ナンチャッテ坊主ごときの自分としてはすぐに「カチン!」ときて何処かの感情の糸がプツンと切れてしまったりするわけです。
ワイフは、私の体臭に男フェロモンを嗅ぎ取って「ドキッ!」とときめいてよろめいてしてしまうより、ジジイの加齢臭にむせて拒否反応を示したというわけだ。

吉田家で同居しているネコチャンズは、私が留守をしている間にオヤジを見て逃げ回るようになった。クロはもともと抱かれることを嫌がるところがあって、それを無理やり捕まえて抱きしめながら頬ずりしたりするものだから余計に嫌がって、我慢できなくなると「シャァー!」と威嚇してくる。そのクロのホッペタの下辺りにある汗腺から醸し出される香ばしい香りをクンクン嗅ぐことがスキで癒されるものだからいくら嫌われても思わず抱き上げてしまう。
聞くところによると、クロのその香ばしい香りが猫社会での男フェロモンであるらしい。
そもそも、男フェロモンは闘争心を撒き散らして自らの男の強さを誇示したり、そうすることで男社会の力関係の上下をハッキリさせて無駄な争いを避けたりするという働きを持っているらしい。メス猫は、その男フェロモンを敏感に感じ取って好き嫌いを決めているようなところもあるらしいが、殆どの場合、男フェロモンによろめくよりオスの欲望に押し倒される恐怖心が勝って拒否反応を示すことが多いようだ。吉田家のシロが四六時中ワイフにベッタリくっついて加齢臭なのかフェロモンなのかただようオヤジの私から逃げ回っているところを見ると、そういう解釈も大きく外れていない気がする。

徳島の搬出が終わった流れで武田亜希子さんの彫刻を小学校のアプローチから移動して、3人の金属彫刻作家の3点の鉄の彫刻を1箇所に集めた。
富山の野外彫刻がまた充実した。

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造形とは・・ 

2017/11/20
Mon. 19:26

飯南高原では初雪が舞った。
ほぼおなじ頃、文化祭のあった富山町ではアラレが降ったということだ。
この2〜3日、島根県は冬型の気圧配置に包まれている。

日曜日で、今年の彫刻絡みの行事が全て終わった。
これから年末までに少しずつ会場の復元をしたり事務を整理したりして過ごすことになる。
自分の周辺で自分と同じふうに暇しているモノもいないし、その上、年末に向けて世間が微妙に慌ただしく感じるようになってきて、そういう状況で図々しく彫刻絡みの用事を振りまくる勇気などチキンオヤジにあるわけもなく、全ては時間が解決してくれることだからと、一人コツコツ眼前の用事を片付けていると、どうしても、自分のことが後回しになって、吉田家の暮らしが停滞してしまったり、万善寺の年末の整理が適当になってしまったり、身内にばかり迷惑をかけている。

チョット急ぎだがホンの10分程度の用事ができて、松江まで出かけた。
ソレだけのことで脇目も振らずに片道80kmを走り続けるのもむなしいし、せっかくだから美術館で開催中の島根県展を観てきた。
彫刻部門のコーナーには趣味の延長のような曖昧な彫刻が約15点くらい並んでいた。私の濁った目ととろけた脳味噌を駆使して鑑賞させてもらったが、それなりに納得できる彫刻になっていたモノはせいぜい2〜3点だけだった。立派な分厚いリーフレットにはそうそうたる後援機関がずらりと3列くらい並んでいた。まぁ、殆ど名義貸し程度のものだろうが、依頼を取り付けるほどの組織力があるということでもあって、民間のヨレヨレオヤジが地道に乗り切っている彫刻の企画に付き合っていただいている全国の彫刻家有志諸氏に申し訳ないことだといたたまれなくなって、そそくさと美術館を後にした。
今年のとみ山彫刻フィールドアートワークには、1点ずつ数えると100点以上の美術作品が集まった。絵画や陶芸やインスタレーションの個展に若い木彫作家のグループ展もあって、総合美術展といっていいほどの充実した展示になった。

岡山から陶芸の新作を持ってきてくれた芝さんは、3年ほど前から「島根で個展しませんか?」とか「作品送ってくれるだけでいいから・・」とか「旅費くらいだったらなんとかしますよ!」とか、逢うたびに手を変え品を変え耳元でささやき続けてやっと陥落させた作陶家だ。
彫刻の持つ外に向かって吹き出すような造形エネルギーを内在する立体とは違って、かたちの内部に観るものの感心を吸い込むようなブレのない造形感を持った立体の数々は、芝さんのデリケートでナイーブな感性がタップリと内包されて、思わず抱きしめて頬ずりしたくなってしまう。
念願が叶って「芝眞路の造形」展を開催できただけでもありがたいことだったが、芝さん自ら搬入、作品展示、搬出、会場復元と、全ての個展スケジュールを自力で乗り切ってくれたあたりに、プロの作陶家の意地と底力を感じた。完成の作陶造形が全てではない、人生観や心情などを包括して彼の造形感に触れたことは収穫であった。

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冬が来た 

2017/11/19
Sun. 17:43

夜のうちから大屋根の瓦を叩く雨音が続いていた。
予定していた用事が急きょ変更になったので、大森小学校の学習発表会を見ることにしていたのだが、万善寺がらみの違う筋から別の用事が入って、結局学習発表会を見ることが出来ないまま曇り空の石見銀山を出発した。

夜のうちの雨音とクロの夜間徘徊の騒動で夜中に目が覚めてからなかなか寝付けなかったものだから、不覚にも朝になって寝坊が過ぎて少々焦った。
この時期の飯南高原は油断していると雨が一気に雪に変わったりすることもよくあるので、数日前に結界君をスタッドレスタイヤに履き替えておいた。
夏用のノーマルタイヤは、今年の春先に更新したばかりで路面のグリップ力が良くてとても走りやすかったのだが、スタッドレスタイヤへ履き替えてみると、やたらにフニャフニャと頼りなげに揺れてしまって、どうも上手く慣れないまま早朝の銀山街道を走った。
寺の用事は、「こんちもさいなら!」でチャッチャッと済ますわけにもいかなくて、とりとめもない世間話のほうが主たる話題より長くなってしまったりする。それでも「ちょっと後の用事があるもんで・・」とナントカ話を切り上げて石見銀山へ引き返したのはお昼を過ぎた頃だった。

もう1ヶ月も前から吉田家のギャラリールームに中古の2ドア冷蔵庫が置いてある。
なっちゃんが奈良県で一人暮らしをはじめた時に買ったもので、それから兵庫の篠山や東京の八王子などを転々として、最後は結婚してからあと埼玉県で数ヶ月を過ごし、廃棄処分間際になって隠岐の海士町で暮らすじゅん君が引き取ることになったから、小荷物の搬送の都合で吉田家に届いたまま放置されていたものだ。
冷蔵庫ひとつにどれだけの愛着があるのか分からない。結局オヤジがなんとかして動かさないと何時までたってもギャラリールームにピクリとも動かないで鎮座したままになってしまいそうなので、これから雪が降り始めようという今頃になって発送準備を始めたという次第。
本土から隠岐へ荷物を渡すには、陸路を運搬したあと船に載せないといけないから、それがなかなか高くつく。いろいろ考えてみるに、自分で船に乗せてしまえばそれなりに安くなるかもしれないと思ってじゅん君に問い合わせたらまさに「その通り!」だという。そこで思いついて結界君のリヤデッキへ積み込んで、小雨の降り続く山陰海岸をひたすら東進して七類港の貨物プラットホームへ冷蔵庫を降ろした。約30kgくらいだろうと思っていたが、それよし少し重かった。それでも1000円チョットで海士町へ届けられるからずいぶん安い。浮いたお金ができたので、境港まで足を伸ばしてこのシーズン初の紅ズワイガニを大量に買い込んだ。他に「タコの頭」とか巨大な「宍道湖のシジミ」とか色々併せて買った。その夜は酒も進んでドライブの疲れも吹き飛んだが、一晩中カニ臭くてネコチャンズに嫌われた。

七類港は天候不順で終日欠航だったし、境港の水揚げもイマイチだった。
「日本海の荒波は想像を絶するねぇ!」・・・徳島の松永さんが彫刻のイベントに島根を訪問してくれた時も荒れた天候だった。島根の冬はだいたいこんなもんだ。

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氷点下の朝 

2017/11/17
Fri. 23:16

約1ヶ月ほど続いた徳島中央公園での野外彫刻展が終わって、その彫刻搬出をした。
六本木の展覧会は搬入や搬出が大雨や台風にぶつかってなかなか厳しい思いをしたが、徳島は比較的穏やかな気候に巡り合って楽に作業をさせてもらった。
それでも、会期中は2回ほど大きな台風が四国を通り過ぎた。
主催代表の松永勉さんは野外彫刻展の会場管理に大変な苦労をされたことだろう。

この徳島野外彫刻展は、今回で55回を迎える長寿野外彫刻展だ。
スタートしてから半世紀以上になる55年の歳月は、とてつもなく凄いエネルギーを継続していると思う。
松永勉さんの野外彫刻は日本全国に散らばっていて、比較的シンプルで一貫性のある作風だからその気になって探すと、「あれは、松永さんの彫刻だな!」とすぐに分かる。
中国地方だと広島の呉にあるそうで、浜田市で現代彫刻小品展を開催していた時に会場を訪れた呉市からのお客さんが教えてくれた。
松永さんが野外彫刻で良い仕事を続けていられるのも、毎年台風が通過する徳島の過酷な野外環境に彫刻を設置し続けてきた実績があるからだと思う。
いずれは富山の棚田を借景にして松永さんのステンレス彫刻が観られるといいなぁと思っているが、こればかりは予算の現実もあるし、私のような非力な民間人ではどうにもならないことである。もしそういうことが実現するとなると、それは島根県大田市の富山町が野外彫刻のフィールドミュージアムとして世間に認知されたという証明であるともいえる。まぁ、自分が生きているうちは難しいだろうが、島根に根付く次の彫刻世代が盛り上がってくれれば実現の可能性が無いわけでもないと、一人で勝手にそう思って期待したりしている。

昨年から島根県を代表する女流彫刻家吉田満寿美の彫刻も徳島の野外彫刻展に出品させていただいている。いまのところ、彼女の彫刻は島根の野外環境に年間通して絶えられるだけの耐候性を有しているわけではないが、制作の工夫の努力もあって少しずつ丈夫な彫刻に仕上がりつつある。今年の徳島も、2度の台風に耐えて40日間の会期を乗り切ることが出来た。ワンボックスの箱バンに積み込んだ彫刻は、その日の夕方には万善寺へ持って帰って、しかるべく場所へ設置をすませた。
今年の春先まで元気だった母親が死んでからは、少しずつ万善寺の環境が自分の思うように変わってきていて、境内へ野外彫刻の設置も自分の自由に思うように出来るようになった。
私の鉄の彫刻は、昨年まで母親がアレコレ耕していた畑の一角へ置いた。
ワイフの彫刻は、保賀の谷を一望できて、冬の雪害を避けた境内地の南の端に設置した。さて、来年の春先まで彫刻が耐えられるか微妙な感じだが、研究実験のひとつだと思って経過観察を続けようと思っている。

石見銀山を出発すると、銀山街道にある温度計が1℃だった。飯南高原から出雲街道へ合流した辺りは−1℃だった。このシーズンで一番冷え込んだ朝は、ワイフの彫刻へビッシリと霜が張り付いていた。

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草月流師範西本秋翆さんのこと 

2017/11/16
Thu. 22:00

カメムシがやたらと多くて少々閉口気味だ。
世間では、「こういう年は雪が多いんだよ!」と言われている。
万善寺の場合は、雪が多くても少なくても特に関係なく毎年それなりの雪量になるし、当然毎年同じように参道の雪かきをすることになるから態勢に大きな影響があるわけでもないわけで、とにかくカメムシが減ってくれればそれで十分なのであります。

このところ、石見銀山の吉田家滞在が増えているのは、停滞していた冬支度を急ピッチで進めているからだ。
昨日は午前中かけて裏庭の草刈りをして、午後からは駐車場に積み上げた杉の丸太の一部をストーブの薪に仕立てた。乾燥のこともあって約1年近く丸太のまま放置している間に、シロアリがはびこって食べ放題に食べられて食い散らかされていた。薪に割ってすぐに土間へ運んでしまったら、しぶとく生き残ったシロアリの残党が吉田家の土台を食い荒らしてしまいそうなので、ひとまず駐車場の隅へ井桁に積み上げてヤツラを追い出すことにした。

カメムシといいシロアリといい、あれだけ大量に増殖して人間の生活へ踏み込んでこられると、周囲の環境が確実に原生の自然に戻りつつあるのだということを身をもって感じる。
私がまだ少年だった昭和の時代は、周囲の山の端や農業耕作地や寺の境内地の端もずいぶん遠くにあって、紅葉の終わった落ち葉が屋根や雨樋に吹き溜まることも稀だった。今は、境内の裏山全体が寺の本堂や庫裏の屋根に覆いかぶさるほど迫っていて、秋の終わりになると庭一面が落ち葉の絨毯に敷き詰められてしまう。

春から夏にかけては草刈りに苦労させられ、これからしばらくは落ち葉と格闘し、庭木の剪定や雑木の伐採で忙しくなり、やがて雪が振り始めると春になって雪が消えるまで参道の雪かきが続く。

昨年からとみ山彫刻フィールドアートワークへ参加していただいている倉敷の草月流師範西本秋翆さんへ、今年は富山の竹を使ったワークショップをお願いしておいた。
2年目のことなので、彼女の都合で動きやすいように、こちらからは緩めのスケジュールをふっておく程度にしておいたら、見事に住民参加型の素敵なワークショップを組み立ててくれた。
ワークショップは、カルチャースクールとか社会教育とか講師指導型教材で無くて共同参加型教材の方が良いと思っている。内容はともかく、何かしら手を動かしたりモノをつくったりすることを楽しんでもらう体験を通して造形の面白さに気付いてもらえたら良い。
西本さんとは、時に綿密な打ち合わせをしたわけでもないが、私の考えていることがそう大きくずれること無く伝わっていたように思う。それになにより、富山に暮らす地域の皆さんと仲良くおつきあいできていることが良い。まぁ、むさ苦しい無骨な吉田より、オシャレで素敵な熟女の指令で動くほうが富山のオヤジたちにとっては気持ちが良いだろうし、そういうことが毎年の楽しみになってくれると良いと思っている。

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富山の秋 

2017/11/15
Wed. 02:08

11月3日の文化の日に併せて「とみ山彫刻フィールドアートワーク」なる美術イベントをはじめて3年目を向かえた。
期間中は、富山町内の皆様をはじめ周辺地域から少しずつ来場が増えて、ちょっと賑やかになった感じだ。
目玉は、石の彫刻体験ワークショップ。
島根県安来に在住の石彫仏師坪内さんを講師に迎えて、高さ30cmほどの小さな彫刻を手彫する体験講座を繰り返していて、毎年参加の皆さんは、今回で3体目の石彫に挑戦することになる。

坪内さんとは、もう5年以上の付き合いになる。
彼のルーツは大阪の石工さんで、江戸の初期に石見銀山の銀採掘に関係した守護や鎮魂をはじめとして各種石材構造物の制作などを工人として支えるために石見福光に産する凝灰岩の採石を任され、500体の羅漢像制作や五輪塔作成を一手に賄っていた棟梁であった。
そういう、彼の歴史もあってか、関西の大学を卒業したあと島根県東部で活躍していた石彫仏師に師事して彫刻を勉強し、その後独立して今に至っている。
何かとガサツにすぎる吉田と違って、物静かで場をわきまえて慎ましく佇む様子は、ワークショップに参加される皆さんの信頼をしっかりと掴んでいる。
最近は、事前の打ち合わせもしないまま「よろしく!」の電話一本で日程を知らせるほどで全て飲みこんで的確に動いてくれるようになっていて、頼りになる。

今年は文化の日から3連休だったから、近所の人は秋の観光で遠出することも考えられるし、富山の集客が期待できないだろうと考えていたが、石彫の参加者は今までになく賑やかに若返った。
万善寺に寄宿中のユキちゃんも木彫のノミを石彫のタガネに持ち替えて制作を続け、島根県展彫刻部に出品した。
あんまり難しいことを考えたり云ったりしないでも、結局はモノを造ることが楽しいとか流す汗が気持ちいいとか、そういうところから少しずつ彫刻の深いところに食い込んでくれることが大事だと思う。

富山町を見下ろす要害山は「重蔵山」が本当の名前で、石見銀山争奪戦の激戦地であった。標高がだいたい300mくらいだからそれほど高いわけでもないが、頂上から見下ろす富山の棚田風景や北のやまなみの向こうに広がる日本海は絶景だ。
県道の脇に設置してある野外彫刻も、この3年間で周辺の景観と自然に馴染んできた。
秋も深まって富山の銀杏も少しずつ色づいてきた。
富山の一日が終わると、幾つかの峠のアップダウンを繰り返しながら約45分かけて三瓶山を迂回して飯南高原の万善寺へ移動する。
飯南高原は、標高約450mのあたりに位置していて、約1000m級の中国山地に周囲を囲まれている。
万善寺へ帰ると駐車場の脇ですでに色づいた銀杏が夕日の逆光を受けて黄色く輝いている。富山の銀杏が見頃になるのはもう少し先になりそうだ。

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Fight Song 

2017/11/14
Tue. 13:55

奥出雲がスタートしてから、六本木が始まって終わって、富山(とみやま)が始まって終わって、万善寺の法事がチョットあって、徳島が始まって終わって・・・吉田の秋が始まって終わりに近づいている。
なんとなく「いそがしいなぁ〜」と思うことも無いではないが、毎日がそれほどドタバタと慌ただしく過ぎているわけでも無いのに、何故か気がつけば日が暮れて夜になって眠くなって寝ているうちに朝になって、また次の1日が始まっている。

このところ、ブログを書く時間が無くなっていて、「どうしてだろぉ〜??」と結界君を運転しながら考えていたら、その訳がわかった気がした。
つまり、三瓶山を中心に三角形の3つの辺を40分から50分くらいかけて行ったり来たりが続いていたことと、時々、寺の用事で島根県の県境を越えたり、彫刻の用事で松江や、四国の徳島へ往復したりしていて、そのドライブタイムがブログの時間を食いつぶしていたということだ。
1日のうちで、ほんの1時間程度の時間は何時でもつくれる程のスローライフを続けていても、その時間のほとんどを結界君と過ごしていたとなると、やっぱりラップトップはお家でお留守番していることが殆どで、当然キーボードをプチプチすることも無くなってしまっていたわけだ。

そんな毎日が続いている間に、ススキの穂は秋の風に揺られながらすっかり開いてあたりがベージュに染まっている。
島根県はアチコチの自治体で文化祭が盛んだ。
石見銀山も先日の日曜日がその日で、ワイフは前日から大忙しだった。
自分では「文化振興がドォ〜のコォ〜の・・」とめんどくさいことを云っているわりには、地域の文化祭とは全く無縁なところにいる。
こんど、19日の日曜日に富山町の文化祭があって、その日まで富山小学校の教室個展や小品彫刻の展覧会を引っ張っているものの、結局当日は万善寺の法事と重なってしまっている。
島根の周辺の作家や関係者にメール添付のスケジュールデータを流しておいたら、ワイフとノリちゃんが展覧会の会場受付を引き受けてくれた。
法事が終わって三瓶山を迂回して富山町の会場へ向かっても、到着した頃は文化祭も終わって後片付けの真っ最中だろう。
とにかく、どうも最後のツメの甘さが常習化して、「どぉ〜せ吉田のヤルことはその程度のことさ・・」と、普通に納得されてしまっているようなところもあって、少々寂しい。

徳島の彫刻搬出が終わって、そのまま富山の野外彫刻を移動して少し落ち着くと、急に身体のアチコチが痛くなって、しばらくは横に寝たまま動くことが出来ないでいた。せっかくだから寝ようと思って努力したが、そういう時に限って頭が冴えて眠れそうにない。iTunesをつついていたら、Rachel PlattenのWildfireジャパンバージョンを見つけた。「Fight Song」は時々インターネットラジオで流れていたのを聴いていたが、アルバム1枚を聴くのははじめてだった。なんとなく元気が戻る気がした。

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とみ山彫刻フィールドアートワーク前夜 

2017/11/07
Tue. 15:19

六本木での彫刻搬出は、ドライバーさんの動きが良くてとても助かった。
それでも終了は夕方5時少し前になった。
気がつけば、石川の小尾さん夫婦と山陰のチャーター便だけが野外搬出口に残っていて、来年の再会を約束しながら小尾さんたちとハグして別れた。

数時間の労働の間に調子の悪い膝が少しずつ痛みはじめて、移動の地下鉄の階段がつらかった。
新宿バスタから出発の高速バスには十分間に合う。
近くのマクドナルドへ寄って、夕食代わりのセットとコーヒーのMサイズを余分に買って待ち合わせの時間調整でラップトップを開いた。
1時間ほどの余裕があったからブログを1つ書いた。
周囲のざわめきが適度な意識の壁になって、キーボードに集中することが出来た。
島根に帰ったあと、とみ山彫刻フィールドアートワークの準備から終了まで、脆弱なインターネット環境の暮らしが続く。iPhoneがあれば、メールやデータの確認くらいは出来るから、パソコン絡みの事務機器は持って歩かないことにした。昨年まではプリンターまで行く先々へ運んでデスクワークをしていたが、会場配布の目録やチラシなどの枚数も過去のデータでだいたい予測できるし、出来るだけシンプルに会期中の毎日を乗り切ることにした。
ブログを書いたあと、そういうスケジュールの最新版をつくったりして切りの良いところでラップトップを閉じた。

少し早いと思ったが、バスタの指定場所へ移動して高速バスの到着を待っていると、予定の時間が来てもバスがやってこない。今までにそういうことなど無かったから少し心配になった。それから30分ほど過ぎたくらいに交通渋滞に巻き込まれたとアナウンスがあった。夕方の混雑する時間帯だから仕方がないとあきらめて、旅のお供で鞄に忍ばせておいた文庫本を取り出した。
短編のタイトル1つ分読んだ頃にまたアナウンスがあった。回送の途中で起きた交通事故に巻き込まれて身動きができないでいたが、別のルートへ迂回出来ることになってそちらへ動きはじめたということだった。結局バスタの指定場所へ高速バスが到着したのは出発予定時間から1時間半を過ぎた頃だった。
出雲の駅前に着いた時は、定刻より1時間ほど過ぎた頃だった。高速道を一晩走っている間に時間の遅れを30分ほど稼いだことになる。さすがプロの根性と感心しながらドライバーさんへ礼を言って別れた。

石見銀山の自宅に帰るとワイフは仕事で留守にしていた。旅の服を着替えたかったが、あとのこともあるし、必要なモノの出し入れで結界君と自宅を数回往復して、そのまま万善寺へ向かった。
寺にあるポットやカセットコンロや小さな冷蔵庫など、会期中富山で必要な備品を整理して結界君へ積み込んだところで体力がつきた・・・というわけで、10月29日夜車中泊、30日夜車中泊で、31日夜は万善寺の庫裏でダウンしたのでありました・・・

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2017-11