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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

年の瀬の万善寺 

2017/12/31
Sun. 18:04

一日中気味が悪いほどよく晴れていたのに夜のうちから雨音が始まった。
2017年もあと1日かと思うと、やり残したことが幾つか見つかって、それが気になってしょうがなくなってきた。それに昼間は暖かかったから布団の中で汗をかいていて、そのこともあってなんとなく眠れなくなって深夜になってからデンマーク映画を観始めてしまって、そのうち雨音に気がついたわけ。

31日の朝は、少し寝坊した・・・といっても、8時にはもう起きていたけど・・
今年最後の本堂掃除をして、それぞれの場所へしめ縄を飾って、そのまま庫裏へ移動して、最後に豊川稲荷分社のお堂とお地蔵さんへ回って、年越しの準備が整った。
年内に御札の手摺りだけは済ませておきたいし、気がつくと正午を過ぎていたが空腹を感じないので、そのまま明治の版木を即席寺務所の食卓テーブルへ持ち出した。
最近は、和紙を良い大きさにカットしてそれに浮世絵版画の要領で手摺りしている。明治の版木を復刻した当初はエッチング版画の要領で洋紙を水にくぐらせて手摺りしていたが、手間が多くてやたらと時間がかかるし、そのわりに見た目もパッとしないので和紙にかえた。やはり洋紙に比べて和紙のほうが摺りやすいし見た目もいいし高級感も増した。
昼飯抜きでコーヒーを飲みながら2時間ばかり摺り続けた頃にワイフから電話が入った。夕方までにはじゅん君と一緒に万善寺へ来てくれる。
台所の食卓が手摺りの一式で散らかっているし、ワイフが到着するまでに必要枚数を摺り終えておこうと必死になった。
かろうじてあとは守護印を押すだけになったところでワイフたち到着!

昼過ぎから飯南高原の雲が切れて陽が差してきた。
夕方になって、本堂へ灯りを付けて、蝋燭を付け替えて、風呂の準備に入る。
くっきりとしたレンブラント光線がやたらに綺麗だ!まさか、2017年最後の夕方にこういう光景を見ることが出来るとは、想像もしていなかった。
いつも思うことだが・・・今日が終わって明日になるだけのことなのに、12月31日だけは、1年の終わりで明日は来年になる。積み残しの仕事は「今日のうちに終わらせておかなければいけないのだ!」と、なんとなく普通に当たり前のようにそういうふうに思ってしまう自分がいる。

今年の3月におかみさんが永眠して、はじめて私の身内だけで年越しを迎えることになる。おかみさんは年々、日に日に頑固になって一度広がった溝がなかなか修復できないまま母子の心情がどんどん離れていった。坊主という商売柄、高齢者との付き合いは比較的多い方だが、おかみさんほど付き合いの難しい老人はそれほど多くなかった。年末になって寺暮らしが復活してから、晩年のおかみさんのことを時々思い出す。
「まぁ、スッカリ様子が変わって!おかっつぁんが亡くなってから、はじめて玄関入らせてもらいましたがぁ〜」
生前親しくお付き合いさせてもらっていた近所の仲の良いオバサンが歳暮持参で訪問の第一声がそれだった。
1年足らずの間に、見た目の様子だけはおかみさんの面影が消えているようだ。

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窓越しの保賀の谷 

2017/12/30
Sat. 23:30

年末のこの時期に、朝から青空を見ることができた。
寺のことだから仕方がないが、この数日、薄暗い台所の即席寺務所に引きこもって書類ごとに没頭していたから、身体が芯まで冷え切って気持ちが湿っぽくなっていたところだった。
例のごとく、数少ない気晴らしも含めてモーニングコーヒーを入れたり、食器を洗ったりしていたら、いつの間にかお昼近くになっていた。
AppleWatchで天気情報をチェックしたら、なんと飯南高原が気温7℃になっている。
万善寺の暮らしでは、絶好の外仕事日和だから、一気にコーヒーを飲みきって素足のまま長靴を履いた。

まずはストレッチ代わりの境内の庭掃きで、固まった節々を柔らかくして、それから参道を下りて保賀川を渡って、保賀の谷の向こう側にある松の若木を採りに行った。
数年前まで真砂土の採土場だったが、おおよそ採り尽くして閉山した後の腐葉土も何もないむき出しの真砂土斜面にマツクイムシの被害で生き残った松の種が根付いた。
保賀川のこちら側は、万善寺の裏山から谷を二つばかり越えた先までマツクイムシに殺られて、それこそかろうじて生き残ったのは境内の松くらいのものだった。
昔は、年末に雪をかき分けて寺の裏山へ少しほど入り込んだら、どこにでもオノレ生えの若松が無尽にあったが、今はそれも完全に絶えてしまった。
昨年は例年並みに雪が積もっていたから、谷の向こう側へ行くことができなかったので、寺の用事の合間を縫ってワザワザ雪の少ない石見銀山の近所まで結界君をすっ飛ばして松の若木を採りに出かけた。寺を出る時、まだ生きていたおかみさんが、「この時期に寺を空けて、どうせ、石見銀山の家まで行くつもりだろうが、寺のことも考えてもらわにゃぁいけんけぇ~ね~!」と私の背中に毒づいていたことを思い出す。

採土場へ続くトラックが往復していた砂利道を伝って、重機が回転していた幾つかの平地を越えて、昔棚田があった小さな谷のどん詰まり辺りまで登った。
その先をそのまま登りきると山の頂上にテレビ塔があったが、今はケーブルテレビに変わって、テレビアンテナが用済みになってそのかわりに携帯電話各社の中継地に変わった。
土嚢袋いっぱいに若松を詰め込んで寺へ引き返して、それから竹を採りに裏山へ登った。雪がないからとても助かった。あとは、ワイフが吉田家裏の梅の小枝とシキビを持参してくれるはずになっている。

庭木の剪定を少しして、春先から気になっていた何年も掃除していない台所のガラス窓を取り外した。おかみさんが生きているうちは台所を牛耳っていたから手を出せないまま過ぎていた。アルミサッシの溝いっぱいに土蜂が巣を作っていて、幼虫が数匹年越しをしていた。ガラス窓の掃除を終わって元の状態に戻すと、信じられないくらい窓越しの視界がクリアーになっていた。
少ししてワイフがやってきた。立派な鏡餅が出来ていたし、しめ縄も持ってきてくれた。しばらくしてワイフが帰っていった。
冷蔵庫にはお正月用の食材がビッシリ詰め込まれてあった。

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珈琲と音楽 

2017/12/29
Fri. 23:08

この時期、飯南高原は5℃・・・気持ち悪いほど暖かい。
空一面に厚い雲が低く広がって、万善寺の庫裏は、電気をつけないといけないくらい昼間から薄暗い。
かえって、こういう状態だから地表の熱が無駄に放射されなくて暖かくなっているのだろう。

午前中は、寺務のデスクワークで台所へこもった。
学生の頃から「ながら勉強」ばかりしていたから、この歳になってもそのくせが抜けない。
高校生になって学校の近くで一人暮らしをはじめた時、憲正さんが生活に必要なモノの買い出しに付き合ってくれて、その時にはじめてFMの入るナショナルのラジオをせがんで買ってもらった。
万善寺は山の中にあるからFMの電波は届かなかったし、AMの方は韓国からの電波が強くて、ニッポン放送とか文化放送などまともに聞くことも出来ない劣悪な環境だった。そのストレスの反動もあってか、ナショナルラジオの受信状態と音の良さに感動してしまって、それ以来、何かにつけて自分の周囲に何かの音がないと集中できなくなってしまったようなところがある。
18歳で上京して、北向き角部屋共同トイレ前の四畳半で暮らしはじめた時もそのラジオが側で鳴っていた。
はじめてのアルバイトではじめてもらった日給月給を握りしめて新宿の丸井へ飛び込んでTEACのドルビーつきカセットデッキを月賦で買った。
まだ未成年だったから、連帯保証人とかややこしいことがたくさんあったが、目の前にぶら下がっているTEACの魅力に惹かれて、10日くらいかかってすべての面倒を乗り越えてやっと手に入れた。
アンプもスピーカーも何もなくて、カセットデッキが勉強机にデン!と乗っているだけのオーディオともいえないような環境からスタートした時も、しばらくの間それを眺めながらナショナルを聴いているという、次の給料をもらった時にパイオニアの密閉型ヘッドホンを買うまで、ねじれた「ながら生活」が続いた。
まぁ、坊主でもあるが彫刻家でもある吉田の音楽好きの元は、そういう昔の体験とか思い出とか、そのあたりが根っこにあると言っていいだろう。

趣味というわけでもないが、コーヒーが無いと万善寺の1日が始まらないようなところがあって、ほぼ毎日のように、朝のひと時はその日の気分で色々なウエブ配信の音楽を聴きながらコーヒーをいれるところから始まる。年末だとか正月の準備だとか、相変わらず慌ただしいと云えなくもないが、だから忙しくてしょうがないというわけでもなく、どちらかといえばヒマな1日をおくっている。それでも、さすがにいつもよりは朝の余裕が無かったりするので、超お手軽な紙フィルタードリップとサイフォンをたして二で割ったようないかがわしい商品をみつけて手に入れた。紙フィルターサイズ分のコーヒー豆を入れて、ぬるめのお湯を注い豆をかき混ぜて蓋をして5分蒸らしたら出来上がる。その5分の間に寺のアチコチドタバタ出来るし、味も悪くないし、なかなか都合がいいのだ!

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年末のひとり飯 

2017/12/28
Thu. 23:58

いつも通り目覚めると、ワイフが正月用の餅つきをしていた。
正月は万善寺の本堂や庫裏の各所へ鏡餅をお供えするから、その準備を始めてくれた。
結婚して以来毎年恒例の行事で厨房絡みのことは、前住職内室直伝で引き継いでくれていて、とても助かっている。
このお正月のお供え餅はその後切り餅にして、結局3月のお彼岸の頃まで前住職夫婦が餅カビと戦いながら延々と食べ続けて消費していた。私は、物心ついたときからそういう朝食生活だったから、一人暮らしをはじめて寺の餅から開放されたことがわかった時、「なんか少し大人に近づいた!」と、何故かそういう気がしたことをよく覚えている。こういう少年時代の寺の朝食の体験からなのか、いまだに朝食を抜きにすることがほとんどだし、餅に関しては全く美味しいと思って食べることがない。基本的に食べ物で好き嫌いは無い方だが、たとえば、餅とかうどんや素麺とか生菓子のように好んで食べたいと思うことのない食材も幾つかあって、それらはだいたい寺独特の食生活に起因していることが多い。
いずれにしても、一般的には贅沢なワガママといっていいだろう。

年末の大掃除というわけでもないが、ワイフの餅つきの間、私の方は吉田家の煙突掃除をした。
杉の間伐材をたくさんもらっていて、この2年間はそれが薪の中心を占めている。杉に限らず、主に針葉樹はヤニが多くて、煙がタールになって煙突の内部に張り付きやすい。これを見逃して放置してしまうと、煙道がどんどん細くなって排気効率が悪くなるし、時には燃焼室の炎がタールに引火して煙突から火柱が上がったりする。そういう危険を避けるためにも出来るだけしっかり乾燥した広葉樹の薪を焚き続けるのが一番いいのだが、それもなかなか難しいから、今のボクには普通にこまめに煙突掃除を繰り返すことを習慣にするくらいしか出来ない。
この冬シーズンが終わったら、煙突を更新しようと思う。そのくらい内部にタールがこびりついて黒光りしていた。

銀山街道から飯南高原を経由して途中ホームセンターへ寄って小ぶりの土鍋を買って万善寺へ到着したのはお昼近かった。境内にはまだ雪が少し残っている。
次の雪が降るまえに年始案内を配布しておきたいから、昼食を抜きにして台所の食卓で年始案内を作成して印刷をした。お檀家さんも代替わりが増えたり、墓納めもあったりして名簿の変更に手間取った。
これから当分の間寺暮らしが続くので、久しぶりに三合ほど米を炊いた。
冷凍しておいた砂肝を解凍して刻んで夕食の準備をしてから、風呂へ入って頭へ今年最後のバリカンを当てた。本当は29日が良いのだが在家坊主の都合もある。
キーポンが少し前から「金田一少年の事件簿観て♡!山田くん出てるのぉ〜〜♡♡!」とうるさいから、Huluを夕食のお供にした。
数年前までは、吉田家の子供たちも一緒に暮れから正月を寺で暮らしていたから、巨大な土鍋がフル稼働していたが、今はオヤジの一人飯が殆どで、土鍋が大きすぎる。砂肝のアヒージョと湯豆腐で一杯やった。
夕食の間に金田一少年の周辺で高校生が4人死んだ。

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夕焼けの彫刻 

2017/12/27
Wed. 20:33

2017年最後の回覧板を保賀上組へ配った。
上組といっても、現在は万善寺というか吉田家というか・・・とにかく、それも含めて5軒だけのことだから、チョットした散歩程度で用が足りる事だ。
万善寺は、昨年に引き続いて2年間同じように回覧板を配り各種集金をして回っている。本来は1年毎に一軒ずつズレながらグルグルと役が回っているのだが、高齢化も進んでいるし、万善寺は留守がちで迷惑もかけるし、それにたいした仕事量でもないから、自分の都合で自由に動くにはかえって役付きでいたほうが都合良かったりするのだ。

12月に入って駆け込み法事が続いていたが、ひとまず本日を持って一段落した。流石にこれから後はそういう部類の連絡も控えられるだろうし、お檀家さんの方でも我が家の年末事情を優先する時期に入っている。
坊主の方も、約1時間半のソロライブをしているようなもので、MCや休憩を入れたら2時間以上続く緊張は結構身体にこたえる。1流ミュージシャンのように、ライブスケジュールで1年が埋まっているほどの坊主なら、それなりにモチベーションも維持できるだろうし、気持ちが抜けることもないだろうから、ある意味で迷いもないし自分の行動に責任も出て良い仕事につながるだろうが、私のような3流以下の坊主は、1ヶ月に数回しか無いたった2時間程度の法事をひとつ済ませるだけで息切れしてドッと体力を消耗してしまう。まぁ、暇な坊主の悪循環が一年中続いているということだ。

珍しく今のところ雪が少ないから、荒れ地の端に設置した彫刻までチョクチョク近づくことが出来ている。
この彫刻のシリーズをキチンとその気になって組み立てたのは、今から3年ほど前のことだ。それまで、時々思いつくたびにそれなりの試作を続けていたのだが、それが次第に固まって、造形の先もおおよそ自信を持って読めるようになってきたし、制作の工法の工夫も責任が持てるようになってきたから、今後はそれらをベースにした造形の展開を組み立てる段階に入ったことになる。
今までは、大作と小品を完全に分けて、気持ちや視点を切り替えてそれぞれ別の角度から取り組んで別の彫刻に仕立てていた。それはそれで、自分のボキャブラリーを深めることになって研究の実践として重要な区別であったのだが、それらの蓄積が長い年月で少しずつ混ざりあって溶け合って、最近は一つの造形に再構成されつつある気がしている。
30代前半の頃にも、今に似たようなことがあったが、その時は一つの造形的視点がもう一つの造形に吸収統合されたかたちで消滅した。今思うと、当時は彫刻の迷いがそのままテーマの揺れになってふらついていたものが、吸収統合と一方の消滅によって、結果的に次の表現価値のベースに繋がってくれた分岐点であったと思う。
今回の造形の方向は、彫刻の大小の造り分けをより具体的に正確に見極めていくことが大事だと思っている。大は小を兼ねるとか、小は大のマケット習作だとか、そういう安直なレベルの彫刻にならないようにしなければいけない。彫刻の大小にはそれぞれに具体的にそれでなければいけない、もしくは、その大きさそのものに意味のある代用の効かない緊張感を有することを目指す必要がある。夕日に照らされた荒れ地の彫刻の側に立って、そういう思いを再確認している。

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2018版万善寺オリジナルカレンダー完成 

2017/12/26
Tue. 23:32

万善寺は一気に冷え込んで寒くなった!
このところ、あまり冬らしくない曖昧な気候が続いて、ジジイに近いオヤジは身も心もだらしなく生ぬるい暮らしに慣れていたところだったから、この程度の寒さが身にしみて応える。
飯南高原は、最高気温が2℃までしか上がらなかった。こうして、ダイニングテーブルでキーボードを叩いていると、足元から寒気が這い上がって、オシッコも近くなってどうも落ち着かない。

2018年のカレンダーが出来上がったといつもの印刷屋さんから連絡が入ったのは、今のように冷え込む少し前のことだった。
丁度用事で出かけていて、印刷屋さんの近くで珈琲屋さんに寄っていたから、そのままそこからカレンダーを受け取りに向かった。
年末も押し迫って近所のお檀家さんから駆け込み法事の依頼が入っていて、その1つを済ませたばかりだったし、お供えの御下りを結界君へ積んでいたから、その「御下りのまた御下り」を年末の粗品代わりとことわってカレンダーと引き換えた。

やたらと遠回りになったが、暗くなってから石見銀山の吉田家へ帰ってワイフへカレンダーを渡したら、なんとなく反応が微妙だった。
毎年それほど大きく内容が変わるわけでもないし、反応が鈍いのも当然のことだろうが、手造りの万善寺オリジナルにすることも、それはそれで見えないところの苦労もあったりするから、少しは優しいねぎらいのひと言くらいあっても良い気がしていて、若干ガッカリした。

駆け込み法事がもう一つ残っていて、雪も本格的に降り始めるようだったので、大事をとって、前夜から寺泊にした。久しぶりに寺で寝ることになるから大音響で映画でも見ようと決めて楽しみでもあったが、雪の降り具合も気になるし、一人で夕食をつくるなどしていたら、夜がアッという間に過ぎていた。
ウエブ配信の映画をチェックしていたら、3〜4年前によく観ていたデンマークの映画ドラマをみつけた。デンマークにかぎらず、ヨーロッパのドラマは、ハリウッドのようなカラッとして派手なスッキリ感がなくて、湿っぽくて刺々しいわりにどこかしらほのかな人肌の温もりを感じさせる不思議な雰囲気があって、自分としてはどちらかといえば好きな方だ。2時間のドラマにグイグイ引き込まれて、終わってから後も高ぶった気持ちがなかなか静まらない。明日は朝から法事だから早く寝ようとするのだが、とにかく寝付けないまま、しばらくのあいだ布団の中で転げ回った。

最近のカレンダーは、背景に水で濡らした和紙を使って下地にアクリルガッシュを垂らしている。毎日目にするものだし、どちらかといえば仏間とか仏壇の近くはほの暗いことが多いから、せめてそういう状況に少しでも気持ちが明るく晴れ晴れすると良いと思って、意識して原色に近い派手な色を垂らしている。ハリウッド的かもしれないが、「それが良いことだってある!」と、自分ではそれなりに納得しているつもりだ。

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チャーリー・プースを聴きながら 

2017/12/25
Mon. 23:37

世間はクリスマスで賑わっている・・・はずだ。
万善寺ではお寺参りがあって、本堂の舎利棚殿へ施主家先祖と施主家親族で絶縁となった古墓二軒分をまとめて納骨があった。
1ヶ月ほど前の雨のやみ間にお墓納めと墓地墓石の撥遣を終わっていて、その後全ての古墓を整理して今に至った。
そのお檀家さんも、高齢のおばあさんが一人暮らしで、いずれ家が絶えることがわかっている。残されるお墓のことが心配だから、まだ身体の動くうちにすべてを整理して菩提寺に後の供養を委ねようと家族で決まったようだ。
来年の春になって、少し気候が穏やかになった頃に万善寺の墓地へ合葬の納骨をすることになる。
それまで本堂でご先祖様をお守りするわけだ。

お供えに 1対の鏡餅を用意されていた。
法要が終わった後、今は寺務のテーブルになっている食卓へ下げて、柔らかさが残っているうちに切り餅へ刻んだ。
お供えのお餅も、昔に比べたらずいぶん少なくなったが、それでも今回のおばあさんのように、動かない身体でお百姓を続けながら米を収穫しているような昔ながらのお百姓さんは、こうして我が家で育てた餅米を使って餅つきをして、お寺のお供えにして持参される。
きっと、数日前からコツコツと準備をして今日の日に間に合わせていらっしゃったのだろうから、そういう気持ちを粗末には出来ない。一重ねは煮たり焼いたり出来るように厚めに切り落とし、一重ねはかき餅煎餅に出来るように薄く切り落として冷凍にした。
今年の正月が終わるまでは、母親がヨチヨチとそういう台所仕事をしていたが、今は、それを私が自分で引き継いでいる。これからあと何年こういうことが出来るかわからないが、身体の動くうちは坊主・・というより、万善寺の住職としての務めを果たしていこうと思っている。

普通に餅を切るだけのことだが、他にもアレコレ用事がないわけでもないし、どうも気持ちがそちらへ向かないから、まずはコーヒーを入れた。
九州へ彫刻を持っていった時に井形さんからいただいた豆をミルに掛け、それから、何かバックミュージックも欲しくなって、デスクトップを起動した。
30年位前の古い巨大なKENWOODアンプを経由して小さなDENONスピーカーを鳴らした。YouTubeの中からCharlie Puthのミックスリストを視聴ながら、餅をきざみ終わったら、だいたいそれだけで1時間半が過ぎていた。
年末の万善寺はそれほど暇なわけでもないのに、餅をきざむだけでコレだけの環境を整備しないといけない自分に呆れた。

石見銀山を出発する時、銀山街道脇の温度計は6℃だった。
万善寺の近所の飯南高原は3℃だった。
夕方の石見銀山は、朝と同じ6℃だった。

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雪のないクリスマス 

2017/12/24
Sun. 23:15

クリスマスだからといって、坊主は特に何をするわけでもないが、吉田家はワイフがチキンをオーブンで焼いたりアサリのスパゲティーを作ってくれたりしてくれて、それなりにクリスマスイブらしい夜を過ごした。
チキン坊主がチキンを食べるとなるとどこかしら共食いをしている風な気がしないでもないが、どちらかといえば鶏肉は好きな方なので、あまり深く考えないようにして美味しくいただいた。

このところ冬らしくない良い天気が続いていたが、強力な寒気団が北から下りてきたようで夕方近くになって一気に冷え込んだ。それでも、朝のうちはチラホラと青空も見え隠れするほどで、この時期の島根県としては雪も消えて例年になく珍しい年の暮れになっている。
万善寺の境内も、何年ぶりかで庭掃きができた。
境内の端には年々元気がなくなっている松がある。
数十年前に、中国地方一帯を東から西へ駆け抜けたマツクイムシの被害をかろうじて免れて生き抜いた松が、この近年一気に枯れはじめてひと冬ごとに落ち葉が増えるようになった。原因は松の幹に絡みついている蔦だとわかっているのだが、根元の方を切断しても、幹の皮に巻き付いた茎に根っこが残っていて、根絶やしにすることが出来ないでいる。一人ではどうにもならないから、専門の誰かに頼むしか無いと思っているが、昔のように山の仕事をしているお檀家さんもいなくなったし、タダで何とかしてくれる伝手が絶えた。

庭掃きが一段落して、ティータイムでコーヒーを飲んでいる間に雨が落ちはじめた。このままだと雪に変わりそうだからその前に石見銀山へ移動することにした。
出雲街道から銀山街道へ入っても雨が降り続いていたが、途中から道が乾いた。
吉田家前の駐車場へ着いた時は、まだ降っていなかったから薪割りをすることにした。薪を運んでいる間に石見銀山も雨が降りはじめた。結局、山陰のクリスマスの時期は雨とか雪とか、降ることになっているようだ。

数日前から、クロがオシッコで苦労するようになっていた。
なんとなくおかしいと気付いていたが、この度はワイフのほうから「クロの調子悪いみたい・・」と心配して言ってきた。休日だし病院はお休みかもしれないとも思ったが、ダメ元で連絡したら、休日診療をしていたので、ワイフがすぐに連れて行った。
「シッカリした顔をしているから、ひとまず薬で様子を見ましょう!」と診断されたらしい。「まずは、ダイエットで1kgは痩せましょう!」とも言われたようだ。
現在のクロは6kg以上あって、抱くとずっしり重い。オス猫は膀胱に結石ができやすかったり尿道が詰まりやすかったりするから、それを見逃すと尿毒症になってすぐに死んでしまうらしい。小さい時に一度尿道に管を通してもらったことがあるし、クロはオシッコ系が弱いようだ。猫と人間を一緒には出来ないが、ボクのパパ(憲正さんのこと)も死ぬ前の3年間くらいはオチンチンから管を膀胱まで入れっぱなしで過ごした。吉田家の男どもはどうもそういう方面が弱いようだ。
明日は我身・・・と、チョット不安になる。冬の寒さが身にしみるクリスマスになった。

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両忘 

2017/12/23
Sat. 20:08

両忘~りょうぼう~
この世には、数え切れないほどの相対がある
富と貧、生と死、美と醜、多と少、濃と希、有と無・・・
YES!があってNO!があって・・
気づかないまま相対を用意して自分を慰めている自分がいる
どちらでもない難しさ厳しさ、そしてその素晴らしさに気づきましょう
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
例のごとく、石見銀山の自宅を出発する時に、
「まちづくりセンターでクリスマス会だから・・」
ワイフにそう云われて、「もうクリスマスのシーズンなんだ」と気づいた。
欧米では、最近クリスマスと言わないで「HAPPY HOLIDAYS」と言うことが多いらしい。
元々は、異人種の集合体であるUSAで宗教を限定したような言い回しは避けようということで言い換えられたようだが、良いことだと思う。
この言い回しは、ある映画を見ていて教わった・・というより気付かされた。

宗門というより、万善寺ではクリスマスシーズンになると宗教の違いがドォーのコォーのとめんどくさいことは一切言わないで、憲正さんが裏山へ柊を取りに出かけたり、イチゴのショートケーキを買ってくれたり、もちろんサンタさんもやってきてクリスマスプレゼントを置いていってくれたりした。
結局は万善寺の山風だということだったのかもしれないが、そもそも仏教には普通に拡大解釈をして上手に諸々飲みこんでしまうようなところもあるから、私も師匠の教えに従って都合よくこのシーズンを乗り切っている。
近所の別宗派の寺院では、家族一家揃ってクリスマス行事を一切無視している生粋の仏教宗教家もいらっしゃるから、どちらが良いとか悪いとか、白黒はっきりさせようなどとは思ってもいない。

仏教の坊主をしていると、殆ど漢字で書かれたお経を読みながら、仏教的意味合いとは全く違ったところで現代社会の常識で使われている一句に遭遇することがよくある。
仏教はお釈迦様以来2600年近くの長い間継承されてきた宗教であるから、その時時やその土地土地の一般の常識とか解釈に都合よく転化されて今に至ったためであろう。

両忘とは、両方を忘れると解釈すればいいと思っている。
「両方」は、時と場合に応じてさまざまに置き換えることが出来るだろう。要するに中道であることを自覚し意識することであり、日常の暮らしの中で常にそういう立場を維持し、さり気なく両方へ伝えることを務めとすると言っていいだろう。これは、なかなか出来ることではなくてとてもむずかしいことだと思う。特に私のようにいつもフラフラと適当に生きているチキンオヤジにとっては死ぬまで越えることのできない高い壁のようなものだ。そういうことを解っていて、それでも「やっぱり、大事なことだよなぁ・・」と思っている・・・オット!その「大事」も「仏教的大事!」がありましたよ・・・

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晴れ女 

2017/12/22
Fri. 23:50

本社出張のなっちゃんが旦那の元へ帰っていった。
たった3日くらいの吉田家滞在だったが、ワイフと二人の生活に慣れていたからなのか、なんとなく生活のペースが狂って落ち着かなかった。
普通だと、我が子が久しぶりに帰省するのだからそれなりに心浮かれても良さそうなのに、なんとなくひとごとのように思えてしまって、自分は「なんて薄情なオヤジなのだ!」と、自分を責めた。
親娘とはいえ、お互いの生活の基盤が違って長いから、それぞれの大事なポイントも変わってくるし、一人の大人として考え方も自立しているから、1年に数日数時間しか同じ生活空間を共有する程度では昔の親娘関係に戻ることは出来ないことになってしまっているのだろう。
こういう状態が、「親の子離れ」であって「子の親離れ」であると云えるのかもしれない。特にお互い遠慮しているわけもないが、少し距離をおいた良好な付き合いができているということだと思っている。

なっちゃんの帰省で一番心乱れて平常心が狂ってしまったのはネコチャンズだっただろう。
まだ乳離しない手乗り猫状態の頃から吉田家で暮らしはじめたクロは、人間を恐れることがない。むしろ強い好奇心を持って人間を観察していたりするようなところもあるから、なっちゃんのミスを見逃さないで上手に脱走を成功させたりするようなずる賢い接し方を覚えている。
生まれてすぐから野良猫だったシロは、殆どの人間を自分の敵だと思っていて、人見知り程度のレベル以上に野生の本能で人間を警戒しているようなところがある。なっちゃんに対しても自分の方から気持ちを開くことがないから、なっちゃんはそういうシロを好きになれないでいる。
いずれにしても、猫は「ねることが仕事」のような身勝手マイペースなところがあるから、なっちゃんが吉田家をうろついている間、シロはワイフの部屋、クロは私の部屋へ避難してほぼ一日中眠り続けていたようだ。

ネコチャンズにとっては、疫病神に近い状態のなっちゃんであるが、私達夫婦にとっては、日常の暮らしに刺激をくれた愛娘で、その上、12月のこの時期に気持ちの悪いほど続いたいい天気を連れてきてくれた晴れ女であった。
おかげさまで、1日は万善寺で保管していた薪をきざむことが出来たし、1日は吉田家駐車場の薪を割ることができた。これから正月が開けて過ぎるまでは薪づくりも難しいだろうからとても助かった。

二日続けて薪作りをしたら、身体のアチコチがミシミシと痛い。
とにかく、少しでも早く寝るに限ると決めて部屋にこもって炬燵に潜り込んでiPadをつついていたら、クロがジワジワと音も立てずに私の股間の真上へ乗ってきた。彼がこの数日間好んで寝場所に決めていた丁度その場所を私が占領してしまったようだ。さすがにそのままで耐えられないから、結局その場所はクロに譲った。

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如愚 

2017/12/21
Thu. 20:41

如愚~ぐのごとし~
有能であり利口であることが目指す先であれば、それは楽なこと
あたりまえのことがあたりまえにできること
それは、誰かのためにでなく自分のためになること
コツコツと精一杯のおこないの継続は難しい
何に対してもどんな時も、常にベストを尽くす先に真の結果がみえる
~~~~~~~~~~~~
2018年の4~6月カレンダーの言葉。
万善寺では、朝課やお正月三ヶ日のおつとめなどに「宝鏡三昧」というお経を読む。
そのお経の最後の方に、「如愚如魯」の一句がある。
「愚」も「魯」も似たような意味で、それを二つ続けてあるところに、ことの重大さがうかがえる。

万善寺の毎日は、だいたい似たようなことを続けながら過ぎていく。
小さな山寺であっても、年末の今の時期は1日に何回か宅急便が届くこともあるから、こちらの都合で寺を離れることが出来ない・・・というより、出来る限り寺にいるようにする。お正月の1ヶ月も年始のお参りがあったりするから同じような寺暮らしが続く。
ザックリと云ってしまえば、寺に居ることが坊主の仕事ということだ。
私も最近になってやっと「住職(じゅうしょく)」と呼ばれることが増えてきた。
この住職はつまり、「住む職業」であるというわけで、坊主であるなら、「フラフラとアチコチ出歩かないで、日々修行に励みつつ、御本尊様を守り寺の維持管理に励みなさい!」といわれているようなものだ。
私の場合は、檀家も少ないし彫刻を造ったりもしているから素直に粛々と住職暮らしを続けることにはならないが、お檀家さんからの法事収入で家計を賄えるほどの住職なら、それも可能になるというわけだ。いずれにしても、コツコツと実直に仏道修行に励むということが大事なことだと、宝鏡三昧で教えていただいていることになる。

こういう教えは、坊主である以前にひとりの人間として、とても重要な生き方の指針であると思っている。
彫刻に向かい彫刻を造る姿勢もそうでなければいけないと思っている。
ただ闇雲に気持ちの動くまま身体の動くまま、造りたいものをひたすら造り続けているだけで良いのか?
自分の個人的感情とか主観の塊の自己満足で彫刻を造り続けていて良いのか?
誰でも一つ事をそれなりに長く続けていればそれなりの技術や技巧も身につくし、上達もする。だいたいの制作の方向性が決まったら、それほど苦労することもなく技術や技巧を駆使してそれなりの完成度を保つ彫刻を造ることも出来るようになるだろう。
・・・それで良いのか??
ある程度の熟練の彫刻家がそういう安直な思考で彫刻を造っていてそれで良いのか?
自分にできる表現の原点で造形の提案であったりするものが、彫刻という表現形態を借りてひとの感動を刺激し気持ちのゆらぎを引き出すほどに昇華したいなぁ〜と思うけど・・・

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福不可受尽 

2017/12/20
Wed. 18:37

勢不可使尽~いきおい、つかいつくすべからず~
調子よく物事がうまくいっているときこそ、自分の立ち位置をシッカリ確かめて盤石なものにしていくことが大事。
だいたいにおいて、人の暮らしは順風満帆であるばかりではない。
いいときもあれば、どうしようもなくうまくいかないときもある。
ムリヤリ無理を通しして無理しすぎると、そのうち力尽きておしまい。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
上記は、2017年1月から3月までのカレンダーへ書いた言葉で、中国宋代の偉い偉い高僧のお言葉をいただいたもの。
1年経って改めて読み直すと、自分自身はそれほど調子よく物事が上手くいかないことがほとんどだった。それでも、先の言葉を戒めにしておいたおかげでそれなりに納得できる事も多々あったし、それでよかったと今は思っている。
その高僧曰く、この言葉に「福不可受尽」と続く。
だいたい意味はわかると思うが、そういう、「勢」とか「福」の限界を見失うというか、見極め損なうというか、今の世間はそういうことが普通になっている気がしてならない。
分相応の謙虚な気持ちが何処かに忘れられて、驕り高ぶり慢心や場をわきまえないプライドであふれ、簡単に妥協し諦め納得し限界を認めたりする。
個々人のレベルに留まればそれでいいが、それが公共に蔓延してしまうと収集がつかない。
自分の慢心を振り返って反省するほどの余裕が大事だと思う。

先日、島大を卒業(在学中もいた)した若い彫刻家4人と一緒に周藤さんやタケちゃんも加わって飲んだ・・・といっても、飲んだのはオヤジたちばかりだったけど・・
私は、飲むと自分を見失って説教臭いことばかり喋り始めるところがあるから、これから将来のある若い人たちの爽やかに伸び続ける芽を摘む訳にいかないと、そういう使命のもとにひたすら飲み続けて説教する前に酔った。
自分が彼等くらいの年齢だった時はもっとイキガッてもっとナマイキに世間を見下していたように覚えている。もちろん、彫刻で自分自身それなりのジレンマや悩みを持っていたし、不安もあって自信などかけらもないまま、口先だけで我身の無能を必死になって取り繕っていたことも自覚している。そういう自分と比較できるわけもないが、彼等若い彫刻家を見て、本当に謙虚に慎ましく生きているなぁと思った。
彫刻を制作するような者は、どこかしら狂気を秘め正常でないものを持つことも必要なことだと思う。そういうものがあるから、それが制作のエネルギーやテーマの方向性につながる基盤になる。
彼等は、「SHIMANE創刻」という若い彫刻集団を立ち上げた。これからその4人がコアなメンバーとなって島根に根付いた彫刻主体の色々な事業を企画実践することになるはずだ。
私など、この歳になってもいまだに一人で体制に向かってギャァギャァわめき騒いでばかりいる程度だから、彼等のクールに且つ、内に秘めた熱いエネルギーを爆発させようという試みに感銘するし尊敬してしまう。

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1~3月見本2 (1)

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玄妙とは・・ 

2017/12/19
Tue. 23:22

用語解説をチェックすると、「玄妙(げんみょう)」とは、「道理や技芸のさえが、奥深く(=玄)すぐれている(=妙)こと」とか、「趣が深くすぐれていること。また、そのさま」とあり、単純でなく、容易でなく、素晴らしいこととある。
「玄」を手繰ると、中国の老荘思想では万物の根本であるとされ、俗な解説には、お坊さん・・つまり僧侶の俗称になっていて、その筋の夜遊びスポットあたりでは「玄さまぁ〜〜♡!」と呼ばれていたりしていたようだ。
「妙」とは、優れているとか、巧みであるとか、素晴らしいとか、そういう解釈が妥当であるようだが、いっぽうで、坊主的に解釈すると「妙」は「女」と「少」を分けると「少女」になるから、「坊主と極めて仲良くしている女性」という裏の意味も隠されていて面白い。
日常の私など、さしずめ「玄さまぁ~」などと妖艶な女性に呼ばれて鼻の下が伸び切っているようなだらしないナンチャッテ坊主だったりする気がしないでもないが、本人は極めて真面目に「玄妙のひと」でありたいと願っているのだ!

来年の万善寺カレンダーを制作中だ。
万善寺のオリジナルカレンダーを造りはじめて数年経って、やっとアチコチからなんとなく好意的に解釈できるような反応が返るようになって、それが少しずつ増えてきた。
カレンダーには、書道とは程遠いが、一応硯ですった墨でレタリングを書いている。
自分のことを棚に上げて偉そうなことを喋れるほどの度胸はないから、せめて1年に一度くらいは、密かに心の隅に仕舞い込んで温めている自分への戒めを整理しておくことも大事なことかもしれないと思って始めたことだ。
基本的にはお釈迦様以来現在に至る仏教の教典をベースにして、禅宗の禅語から引き出した自分なりの解釈を書かせてもらっているから、世間の仏教思想家や研究者の皆さんの高尚で正確な解説とは程遠いものになっているだろうことを自覚しつつ、年頭の挨拶代わりであったりする気持ちも込めて乗り切っている。
「玄妙」は、1月から3月までのページに用意しようと思っている。
前記のように、表の意味はなかなか奥深いものを感じていて、最近自分の中で気になっている言葉だ。ついでに、裏の意味もなかなかうなずけたりしてニヤケてしまうが、カレンダーの解説では伏せておくつもりだ。
周知のごとく、ひとりの人間が坊主であり彫刻家であるから、在家坊主も彫刻家も分けること無く微妙に関連しながら日々務めているつもりだ。

今年は、坊主である自分の身近な周囲で何時になく沢山のひとが死に沢山の年忌法要があった。母親の死亡、父親の三回忌、法類寺東堂さんの死亡、組寺住職さん夫妻の死亡などなど・・・そういう状態で、彫刻の制作スケジュールを組み込むことはかなりの試練だったと、今更に思う。
宗門の方丈は、毎年正月にその年の遺偈(弟子に残す遺言)を作成する習わしがある。
「オレは坊主の弟子はとらないが、彫刻の弟子はとるよ!」と常々公言しているから、別に自分の遺偈をしたためる責任もないが、それはそれとして、そろそろ宗門の伝承決まりに沿った書き置きでもしておこうかと思い始めている。

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カキフライ 

2017/12/18
Mon. 18:14

なっちゃんが本社出張で帰ってくる。
出張の仕事が終わったら、そのあとから忘年会になるのだそうだ。
いつものことだが、仕事がらみの帰省は朝から夜遅くまで吉田家に居ることがなくて、家族の夕食はせいぜい1晩あるかどうかといったところだ。

「今夜はカキフライだからね!」
自宅を出発する時に、ワイフが声をかけてくれた。
今のシーズンは牡蠣が旨い。
私は牡蠣が大好きで、カキフライだったら際限なく食べられるから、痛風の身体に良くない。
「痛風は、右足の親指の関節へ尿酸が集まって激痛になる」と外科のドクターから教わった。
もう随分前になるが、彫刻の制作があと一晩で終了するというその夜に、借りていた鉄工所のクレーンフックが外れて、約1tの彫刻パーツがその右足の親指を直撃した。
ちょっとした気の緩みで起きた過失事故だったが、幸いにも、ほんの1cmほど床の鉄板から指先が外れていたおかげで、関節を骨折はしたものの、足がつぶれないですんだ。
その時は、そのまま痛みをこらえながら残った仕事を済ませて翌日病院へ行ったくらいの軽傷だと思っていた。
「これは折れてますねぇ〜、ギブスが良いけど、生活が大変だから当て木とテーピングの固定で乗り切りましょう・・・チョット折れた場所がねぇ〜、良くなかったなぁ〜・・」
治療してくれたドクターの顔が終始曇った感じだから、「実は重症なのかもしれない」と心配になって聞いてみると、痛風を心配した先程のような回答があったという次第。
固定が1日2日のことではなくて長期間になるから、それが「痛風を誘発してしまいそうで怖い」というわけだ。
当て木は約1ヶ月半くらい続いて、その間は痛風の症状も出ないで何事もなく過ぎた。
「早く体力が回復して元気になってね♡!」
まだ、子供も小さい若夫婦時代のワイフは今にもましてとてもボクに優しくしてくれた。
普通に歩けるようになるまではと、毎晩のようにレバーやホルモンや精のつくものをたくさん食べさせてくれた。
私も、そういう食材が限りなくスキな方だったから、喜んでパクパク食べていたのだが、或る日の朝、起きて歩こうとするとどうも右足の親指がうずく。
おかしいな?と思いつつ1日立仕事などしていたら、夕方には親指が2倍位に腫れて歩けないほどになった。次第に痛みも激しくなってナニをしてもドウしてもとにかく延々と激痛が続くようになってやっと「これが痛風というやつかも??」と思い当たった。
「ははぁ〜、やっぱり発症しましたねぇ〜・・・一応痛み止め出しますが、この病気は内科の方ですから・・」
いただいた薬がなくなった時、内科の開業医へ行って、それ以来、そのお医者さんがボクの主治医状態になった。嘘か誠か、彼いわく「痛風のメカニズムが解明されたら、ノーベル賞ものですよ!今はまぁ、対処療法くらいしか無いですからねぇ〜」ということだった・・・カキフライ、10個は食べたいなぁ〜〜・・

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冬本番到来 

2017/12/17
Sun. 20:26

石見銀山は結界君の窓に少しほど雪が積もっているくらいだった。
「それじゃ~いってきまぁ〜す!」
「あんたは、自由でいいわねぇ〜」
(いってらっしゃい)代わりのワイフの皮肉を背中で聞きながら吉田家を出た。

本日の石見銀山駒の足自治会は年末恒例の餅つきであります。
だいたい、ナントカ都合をつけて例年出席するようにしている。
自治会の中ではもう年寄りの部類に属しているし、昨年は参加して餅つきをしたし、腰や背中も痛いし、若いオヤジもたくさんいるし、ジジイがしゃしゃり出るまでもなくサラリと世代交代をするくらいが良いだろう・・・と、自分ではそう考えているが、ワイフは常日頃からこういう「地域の付き合いを大事にしないといけない!」と思っている人だから、オヤジの行動がどこかしら気に入らなくて、皮肉が出てしまうのだ。

昨日、寺を出発する時は、保賀の谷が真っ白になって直前が見えなくなるほど粉雪が舞っていた。石見銀山も夜のうちから一気に冷え込んできたし、この調子だと飯南高原はかなりの積雪になっているだろうと予測して、万善寺の参道を雪かきするだけでも一苦労だろうと、そちらを餅つきに優先したわけだ。
雪が降ると、銀山街道は数カ所に難所が出来る。
ほぼ1日中日の当たることがなくて、確実にアイスバーンになっているところや、橋を渡った先はどっさり雪が積もっているところとか、トンネルの先がすぐに橋だったりとか、とにかく土地っ子でないと焦ってしまう危険な箇所があって、終始緊張しながら運転している。
出雲街道へ合流すると、雪は多いがかえってそれに慣れた車ばかりだから比較的気楽に運転できる。
いずれにしても、冬の間は知った道でも何が起きるかわからないから深夜と早朝は動かないようにしておいたほうが良い。

このところ通勤坊主が定着して、それなりに気持ちの切り替えがスムーズに出来るようになった。
週明け早々には、印刷原稿を最終調整してデータ送信をする。それが終わったら、本堂を中心に万善寺の室内を大掃除する。これがだいたい3日くらいはかかるつもりでいる。
今の雪の具合だと来週末にはかなりの積雪になっているだろう。石見銀山の吉田家は、薪の量がかろうじて年内は保つだろうくらいに減っている。寺が一段落したら、吉田家の薪を補充しなければいけない。
私が吉田家で寝起きするようになってからクロが横で寝るようになった。シングルの敷布団があるだけだから、クロのおかげでかなり窮屈な思いをしているが、それでも毎晩擦り寄ってこられると悪い気もしなくて可愛いものだ。クロは男のプライドなのか、布団の中に入ろうとしない。夜中に背中を擦ってみると、冷たくなっている。薄い布団をかけてやると丸くなっていた身体に手足が少しずつ伸びはじめる。余計に布団が狭くなるものの、クロの体温が伝わって寒さは和らぐ。猫の一役というあんばいだ。

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真夜中のノッチ 

2017/12/16
Sat. 23:18

万善寺で、いつものように一人寂しく男飯をつくって昼ご飯を終わらせた。
外は冬といえば冬らしいものの、どちらかといえば雪になるほどでもなく雨の方が多くてなんとも微妙な天気が朝から続いている。

ガタピシの日本家屋はとにかく隙間風がひどくて、夏の間はそれなりに涼しくて過ごしやすいが、冬になると一気に冷え込んで家も外もたいして気温が変わらない。
炬燵もあるが、それに潜り込んでしまうとそのまま出れなくなって一日中ゴロゴロとだらしなく過ごしてしまうから、今は台所の食卓へ寺務の用事を広げてテーブルと椅子の暮らしをしている。

少しはお昼休みでもしようと、憲正さんが使っていたベッドへ横になってくつろいでいると、久しぶりにノッチからLINE電話が入った。
フロリダと島根では約12時間の時差があるから、島根が昼の1時だとフロリダは夜の1時ということになる。
「こんな夜中にまだ起きてるの?」
「いつもだいたいこんなもんだよ。寝るのは3時くらいかな??」
コマ落ちでぎこちない動きのノッチが、缶ビール片手にニッコリ笑っている。
アメリカの人たちはほとんどライトビールばかり飲んでいて酒好きのノッチには味気ないのだそうだ。それで、ビンテージのラガービールをみつけてそればかり飲んでいるらしい。ラベルを見せてもらったが、初めて見るものだった。
とりとめのない会話なのだが、久々にノッチの声が聞けて良かった。
気がつくと1時間ほど喋っていて、その間に、ノッチは缶ビール2缶あけて、マルガリータを作って飲んでいた。私はこれから石見銀山へ移動があるし、雪の状態も心配だからアルコールはグッとこらえて、コーヒーをチビチビやりながら会話に付き合った。

ノッチもそろそろいい歳だし、10代から3回ほど外国で暮らしていて、そろそろ日本へ落ち着こうと考えているようだ。
我が子とはいえ、本人の気持ちのことだから私の思うことを押し付けるつもりもないから、彼女の自由にすればいいと思っているが、最近の日本は貧乏な国民(ボクのことです・・)から容赦なくアレコレ理由をでっち上げて金を巻き上げるような国になってしまったから、ノッチのような自由人にはきっとかなり住みにくいのではないかと思ってしまう。
彼女がフロリダに居る間のいつか、ノッチを頼りにワイフと二人で旅行でもしようと思っている。前回、シンガポールの時は、そのつもりで500円貯金をしていたのに、あと一歩というところで、ノッチが帰国してしまった。結局、あの時の500円はボクの彫刻に化けてしまったが、使いみちとしては実に有意義であって、保険だとか年金だとか消費税だとか、そういうことで巻き上げられよりずっとマシだった。あの時の残金と、その後も続いているワンコイン貯金を元手に、アメリカ往復くらいはなんとかなるのではないかと試算しはじめた。あとは、ワイフが本気になってくれるだけだが、仕事や地域の付き合いにとにかく前向きな人だからどこまで個人の自由を優先できるか・・それが問題だ・・

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新蕎麦の会 

2017/12/15
Fri. 18:53

朝の奥出雲は快晴だった!
ひと晩お世話になった浪花旅館から横田駅前のロータリーへ出ると、温度計は−1℃だった。

Oさんから新蕎麦を食べに横田へ来ないかとメールで誘いがあったので、蕎麦に目のない吉田は、14日の夕方から結界君をすっ飛ばして奥出雲へ向かった。
「新蕎麦の会」は、今年で47年目を迎える歴史ある地元密着型イベントの一つだ。
なぜ毎年12月14日の縁日が決まっているかというと、「赤穂浪士四十七士が討ち入りの前にそばを食べた!」という言い伝えに習って、当時の横田町の有志が発起したということなのだそうだ。
その当時集まった47人の蕎麦好きたちには、けっこう厳しいルールがあったそうで、それに少しでも抵触する人はメンバーになれなかったのだそうだ。
「50年近く前に出席していた40代から上の皆さんは、既にほとんどが彼岸の国へ旅立っていかれて、当時からの初期メンバーは残りわずかとなりました・・」と、開宴の挨拶にあった。
そういう、歴史ある新蕎麦の会にお誘いをいただいて、身の引き締まる思いだ・・・なんてこともなく、今は高かった敷居もバリアフリー状態になっているようで、吉田ごときがノコノコ出かけても、それなりに紹介もいただいたり歓迎もしていただいて、 美味い田舎そばをたらふくいただくことができた。
昔から横田の小八川一帯が蕎麦の産地だったようで、そこで取れた蕎麦をそば殻ごと製粉してそば打ちをしていたのだそうだ。
私は、そのそば殻が混ざり込んだ蕎麦が香りが引き立って好きだ。それに、気のせいか便通も良くなって健康に良さそうに思う。
この歴史ある会には、蕎麦と一緒に鯉の造りととろろが欠かせないのだそうだ。鯉は久しぶりで旨かったしとろろも好きだから、もうこの会は吉田のためにあるようなものだ。
酒は地元の簸上正宗(ひかみまさむね)で、これも吉田がスキな酒だ。
夢のような一夜になった。

斐伊川の上流から、それに沿って下り、中流のあたりから鋭角に左折して神戸川の上流をかすめてその支流の保賀川脇の万善寺へ帰った。
上空は雲一つない青空が広がっている。
12月のこの時期に、コレほどの快晴をみるのはとても珍しい。
予報によると、それも一瞬で午後遅くには雨が降りはじめて、山沿いは雪に変わるかもしれないということだ。
屋根に残った雪が日差しで急激に溶けている。
これで境内に雪がなければ外仕事でもしたいところだが、この時期のことでそこまで甘くない。昨夜の蕎麦を思い出しながら食卓に広げたデスクワークをした。
昼時になって、昼食は何にしようか少し迷ってうどんの乾麺をゆでた。
同じ麺でも、昨夜の蕎麦と大違いで味気ない。
台所の窓に、雲が広がりつつある空へ保賀のつがいのカラスが舞い上がるのが見えた。

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カレン・ソウサを聴きながら 

2017/12/14
Thu. 18:26

飯南高原は、冬シーズン一番の冷え込みになっている。
朝は0℃以下でお昼も3℃くらいまでしか気温が上がらなくて、夕方からまた一気に冷え込んできた。
さすがに、寒くて動く気になれない。
それでも探しもので本堂や町道に止めてある結界くんやアチコチうろついたりしていると、そのたびに寒雀の群れがバタバタと飛び立って、それはそれで賑やかだったりする。
保賀の谷は一面雪に覆われて真っ白だから、スズメ達も食べるものがなくて腹をすかせているのだろう、器の古々米が半日で無くなっている。

万善寺で一番大きなテーブルは台所の食卓だから、少し前にデスクワークの一式をそちらへ移動して、今は台所が寺務所代わりになっている。
本堂も庫裏も台所も、寺のすべての建物が少しずつアッチやコッチへ傾いていて、建具がまともに締まることがない。
台所も四方に隙間があって、いたるところから外気が入り込んでいる。

今は、年末から年始にかけての寺の用事を優先しているが、年が明けて少し落ち着いたら春のグループ展に向けて彫刻を一つ造る。これは銀座のギャラリーで室内展示になるから、野外彫刻のかたちをそのまま縮小したような安直なノリで造る訳にはいかない。
小品彫刻には、野外彫刻とは違った密度が大事になる。
食卓をいっぱいに使って御札用の和紙をカットしたり、墨汁と墨を硯でブレンドしたりしながら、脳味噌は彫刻のことで動いている。時々ひらめいたかたちをメモして、また寺務に戻る。これからしばらくそういうことを続けていくうちに、少しずつかたちの方向性が固まって、そのベースのかたちに「アレもしたいコレもしたい・・」とやりたいことが加わって張り付いて、それはそれで人目を引く面白いものになりそうな気もして、しばらくはイメージを組み合わせて頭の中で彫刻にしてみたりする。こういう、ひたすら物思いにふけるひと時が楽しかったりする。コーヒーを飲んだり、お供えの御下りをつまんだりしているあいだに、彫刻のイメージが崩れて消えてしまうこともよくある。それはそれでその程度のものだから、消えて忘れるくらいの方がいい。
実材制作のギリギリまでそういうことを繰り返している間に、結局アレやコレや無駄に張り付いたものが一掃されて、シンプルなベースのかたちが残る。そのかたちの緊張感を再確認して迷いがなくなったところで制作がスタートする。
この小品の彫刻は、長い目で見ると野外彫刻のマケットであったり習作であったりする、そういう位置づけにあるのかもしれないが、自分では独立した造形スタイルを別に用意しているつもりだったりして、いずれそれが次の野外彫刻のベースになればいいと思っている。

台所の音響へ手を加える余裕が無いから、バックミュージックもいまいち集中力の助けにならなくて、自分の耳鳴りの方がうるさい。ウエブラジオなどいろいろ探して、ひとまず、カレン・ソウサに落ち着いた。なんとなく音程がふらついて揺れている具合が、かえって心地よかったりする。それでも、アルバムごとにこなれてきて、いい感じだ。

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白い息 

2017/12/13
Wed. 20:14

石見銀山の吉田家は、町並みから裏庭まで続く土間が1年中吹き抜けになっていて、建具の殆どは障子とかガラス戸とか、自作の板戸で、アルミサッシはほんの数カ所にあるだけという、掘っ立て小屋の延長のような作りになっている。
特に信念を持って好んでそういうふうに改修したわけではなくて、補助金支給を条件に伝統建築の保存を優先した行政指導の網が掛かった状態で改修工事を行った結果、現在のような隙間だらけの家が出来上がったわけである。
土間を中心に部屋が左右に別れていて、事前調査の結果、建築上土間の右側の部屋より左側の方が時代考証で重要な建築物であるということがわかって、そちらの方が古くてガタピシしているのに、その状態を保存しつつ改修することになって、とにかくややこしい図面のやりとりが施主(ボクのことです・・)の頭上を飛び交った。
それは、約20年前のことだったのだが、当時の調査結果だと石見銀山の吉田家は江戸時代中期文化文政の頃の染色業を営む製造業又は商家であっただろうと推定される建築物であるらしいということだった。

万善寺の方は、開祖さんの遷化が永禄年間であることから、だいたい今から450年くらい前には「万善寺」という寺名が周知されていたことがわかる。現在の場所に移築再建されたのが江戸時代の文久年間であるから、石見銀山の吉田家の元が建築されてから約40年位後の事になる。
いずれにしても、吉田一家は、アッチへ行ってもコッチへ行っても、隙間だらけのガタピシ住居で1年中過ごしていることになる。
冬に入った今の時期は、部屋の中で会話していても白い息が漂う。夜寝ていると、鼻息の露が口髭(鼻毛ではない)にビッシリとついていたりする。

今朝は、いつもより30分位遅れて吉田家を出発した。
万善寺は積雪で結界くんの4WDでは参道を登れないだろうと覚悟していたが、思いの外雪が少なくて、かろうじて境内まで乗り入れることが出来た。
この時期にしては例年より雪が少ないから、かえってこれから先のことが心配になる。
春先からストーブの薪にしようと貯めていた寺の周囲の倒木や枯れ木をリヤデッキに積み込んだところで雪が降り始めたのでそのまま参道下の町道へ結界くんを下ろしておいた。
奥出雲町のOさんから新蕎麦の会があるから参加しないかとお誘いがあった。
丁度別件で相談事があったから、彼の都合が合えば、当日それも兼ねて蕎麦を食べに行こうと計画したところだ。
奥出雲の新蕎麦の会は、けっこう長い歴史があるようだ。

石見銀山であったり、飯南高原であったり、奥出雲であったり、それぞれ、土地土地に住み暮らす人々は、その地域ならではの過酷な環境に耐え、且つそうした環境を愛し、それを楽しみに変えてお互いを刺激し合いながら寄り添って歴史を紡ぎ続けている気がする。
窓の外の雪の状況や、境内の庭木に群がる寒雀を観察しながら寺の1日を過ごしている。
これからしばらくはお正月の新年会で配る新年の御札を手摺りすることになる。
さて、バックミュージックは何にしよう?・・・

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ラップ 

2017/12/12
Tue. 20:01

「吉田さんの梱包は無駄がない❗ラップぐるぐるで腕が痛くなったのもうなずけます。時間も労力もかかったことでしょう。おちびたち全員の帰宅を確認しました・・・」

少し前に、大牟田の井形さんへ旧富山小学校2階の教室などを使った個展の彫刻を返しに行った。
ダンボールが5つくらいと、あとはエアキャップとラップで梱包したものをワンボックスに積んで陸送した。
大きな方の彫刻本体はFRP製なので、軽くて丈夫だから取扱も楽だったし、小さな彫刻は素焼き程度で焼き上げた無垢のテラコッタで、こちらも少々のことでは壊れないくらいのものだったので、無造作にダンボール箱へ詰め込んだ。
「表面塗料が劣化するかもしれないから、梱包は早めに解いておいたほうが良いかも・・」と、帰りがけに伝えておいたから、その返事が来た。
とにかく壊れないで無事だったことがうかがえて少し安心した。
今年は、井形さんも含め彫刻の梱包や返却で1週間位かかった。1点ずつ数えると100以上の彫刻が集まったから、まぁ、それなりに責任を持って返却するまでのアレコレをするとなると、そのくらいの期間は必要だっただろう。

私がはじめてラップ梱包を見たのは、石見銀山の隣町にある瓦工場の作業場だった。
製品になった瓦がパレットに積み上げられて、それをひたすらグルグルと何重にもラップで巻き続ける専用の機械があって、ベルトコンベアの流れ作業の最終段階のあたりでそれが絶え間なく回転していた。今から20年以上は前のことだったと思う。
次に見たのは2010年の梅雨に入る頃だった。
現代彫刻小品展を企画して、島根県内外の彫刻家へ開催要項を発送して、出品の有無を待たないまま、ボスターやチラシを持って広報を兼ねた協賛金獲得に回った先でそのラップを見た。工場の広報担当はPTAの関係で昔から知り合いだったから、彫刻展のことよりラップのことに話がそれて、結局、賛助金の獲得までに至らないままだったが、そういう、工業用のラップは随分前から実用化されていたのだということを知って、なんとなく納得した。
そのラップは、今ではホームセンターや100円ショップにあるほど家庭の日常品になっている。彫刻だけでなくて、キーポンの引っ越しでも大活躍した。

瓦工場では、瓦の乗ったパレットを載せた回転台とラップのロールを上下させながら巻きつける2つの回転動作が1つに連動して動いていた。
彫刻の梱包は、凸凹もいっぱいあるから単純な動きでは対応ができないだろう。やはり、少々面倒でも人力で巻きつけるのが一番安心できる。今のところ、そういう作業の殆どを一人でまかなっているが、出来たらあともう一人が一緒になってラップを巻きつけることが出来たらずいぶん楽になるだろう。
来年は、そういう作業を手伝ってくれるような若い彫刻家が吉田の近くで育ってくれるといいなぁと思う。
いまだに右手の肘から肩にかけて痛みが続いている。ジジイになったものだ。

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キース・ジャレットのチェンバロ 

2017/12/11
Mon. 23:46

寒雀が境内の庭木へ群れている。
寒くなると、寺への訪問客も絶えて、時々郵便物や宅配便の配達がある程度の出入りになる。
それでも、正月を迎えるには掃除もしてキレイにしておかないといけないと思うし、それが昔からの習慣になっているから、モノを動かしたり掃除機を使ったりしていると、時間がすぐに過ぎている。
庫裏の内で動き回る私の人影が窓越しに見えるのだろう、そのたびにスズメが一斉に飛び上がったりして賑やかだ。夏の間は水田や耕作地へ散らばっていたスズメたちが、こうしてアチコチから万善寺へ集まってくると、それなりの数になって、庭木にスズメの花が咲いたようだ。これで、セキセイインコやカナリヤのようにキレイな色の鳥だったら冬の彩りになっていいだろうなぁと思いつつ、地味な色調のスズメの群れを庫裏の内側から窓越しに鑑賞している。

冬になる前に約半年の寄宿を切り上げてユキちゃんが出ていった。
彼女用の冷蔵庫にいっぱい食材を残していってくれたから、このところスーパーのお世話にならないまま、それを使って万善寺暮らしを食べ繋いでいる。石見銀山でワイフと二人暮らしが再開してから、彼女の規則的な食生活に付き合っている間に、一人暮らしでしぼんでいた胃袋が少しずつ伸びて大食いになってきた。体重も増えて2kgは太ってしまった。まぁ、それだけ彼女のつくるものが美味しいということであるが、二人暮らしにしては量もチョット多すぎるということだ。胃袋が膨らんだということは、誰の責任でもない食欲に負ける自分の心の弱さであるのだが、その影響で、寺にいる時も、一仕事終わると空腹が我慢できなくなって、ユキちゃんの冷凍ご飯がとても重宝している。

雪の心配がない時は通勤坊主を続けていて、昼のうちは万善寺で暮らすようにしている。片道40分が普通だが、道路工事の片側通行があったりして、そういう事情でだいたい50分位あれば余裕を持って移動できている。これで雪が積もればそれなりに神経を使いながら1時間を越えることもあって、さすがに少々苦痛になる。先日、身体の節々が痛んで眠れない時があったので、通勤坊主で移動中の耳のお供をiTunesから探しはじめた。幾つか作業用のプレイリストをつくっているので、結界くんで移動中のプレイリストでも新設しようとアレコレ探っていたら、ネット配信のラジオでキース・ジャレットを見つけた。私が20歳の頃から好きなピアニストだったのだが、何故か今まで彼のアルバムは1枚も持っていない。我ながら不思議な事だと思いつつ、いろいろ手繰っていたら、チェンバロクラシックが入った7時間を越えるプレイリストを見つけた。それで、せっかくだから古いDIATONEの大きなスピーカーを鳴らして聴きながら寝ることにしたのだが、余計に目が冴えて眠れなくなってしまった。寝返りで動き続けるものだから、隣で寝ていたクロが朝方になってさり気なく声も音もたてないで横をすり抜けていった。
「いやにごゆっくりで・・」
朝が30分遅れただけで、ワイフに少し皮肉を云われた。
クロはストーブ横の一番暖かいところでシロと一緒にマッタリと朝をむさぼっていた。
久しぶりのキース・ジャレットが良かった。

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ジャンクフード家族 

2017/12/10
Sun. 23:13

拾骨が終わって、ご先祖様のご遺骨が集められた「骨壷が自宅に帰ってきたから・・」という連絡が娘さんから入った。
その家は、ご主人を亡くされたおばあさんが一人で暮らしていらっしゃる。お子さんたちは、既にその家を出てそれぞれ自分の家族を持って暮らしていらっしゃるから、おばあさんのあとは誰も今の家に帰ること無く、絶縁空き家になる。ご先祖様のお墓もいずれは放置されて荒れることになるから、万善寺の永代供養墓へ合葬を希望されて、そのように取り計らう事務処理を進めることになった。今は昔と違って、何から何まで書類の作成が必要でそういうことがよく頭に入って飲み込めている役場の事務職員などは簡単にコトを済ます事もできるだろうが、家に一人で取り残された老人にとってはチンプンカンプンのことで、書類ごと一つのことで飛散した家族が集って話し合われるなどされて、1年近く経った今頃になって少しほど事態が進展した。
万善寺の周辺にはそういう家が年々増えている。

毎年のことだが、年末はいろいろヤルことも多くてなかなか落ち着かないまま1日が過ぎる。
長女のなっちゃんが正式に結婚式をあげたから、吉田家も親戚が一つ増えて賑やかになった・・といっても、なっちゃんの嫁ぎ先は埼玉の方だから、「今度の週末は一緒にバーベキューでもやりましょうか?」などと、親密な付き合いになるわけでもなく、時節のご挨拶をするくらいのものだ。それで、先日先方から石見銀山の方へお歳暮が届いた。私はこのところ万善寺暮らしが続いていたので、ワイフからその報告を受けた時も「あぁ〜そぉ〜・・」と、一瞬スルーしかけたが、「チョット待て!こちらも何かしなければ!」と気付いて、それから何にしようかアレコレ気にしながら数日が過ぎた。
厳しい寒気もひとまず遠のいて天候も若干回復したから、「カニでも買いに行こうか?」とワイフを誘った。
午前中に拾骨絡みのおつとめが終わったので、それから境港へ走った。
いつも行きつけの卸売市場は、年末のお客さんであふれて活気があった。しばらく続いていた寒波のおかげて、近海の魚は少し高めだったが、どれも目移りするほど立派なものばかりだった。行きつけのカニやさんを覗いたら、もう顔見知りになっているオバチャンと目があった。お客でいっぱいだったが、視線のやりとりで会話して、お歳暮の一品をカニに決めた。ついでに吉田家用の安いカニもみつくろった。

「マクドナルドへ寄ってくれる?ジャンクフード食べたい気分なの♡」
出雲市あたりまで帰ってきた頃、珍しくワイフがそう云ってきた。
そういえば、吉田家はだいたいみんな揃ってジャンクフードがスキな傾向にある。特に、一人暮らしをはじめたキーポンは、仕事先と自宅の間にあるマクドナルドへ入り浸っているようだ。時々電話で話す時はだいたい「今ポテト食べてるのぉ〜」とか、「ビックマックセット買ったのぉ〜」とか云っていて、きっとワイフはそれを思い出したのだろう・・
最近は、オヤジも一人暮らしが慣れてきはじめている。
冬に入って、火鉢の管理をしながらデスクワークを続けていると、ツイツイ金網をのせて餅を焼いたり地鶏を焼いたりして、そちらのほうが楽しくなって困っている。

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荒れ地の彫刻 

2017/12/09
Sat. 21:39

「石見銀山は晴れてるよ!」
SNSでモーニングメールを送っておいたら、しばらくしてワイフから返信がきた。
万善寺は前日の夕方から一晩の間に10cmほど積もっていた。

雪が降ると、夜の周囲の音を吸い込んで無音が続くから、それで状況が推測できる。
時々屋根の雪吊りや裏山の木々の枝から落ちる雪の音がするときは、「重たい雪だな・・」と想像できる。
12月のこの時期に重たい雪が一気に大量に積もると、雪害が広がる。随分前のことになるが、万善寺の大屋根の垂木が雪の重さで折れて大事になったことがある。最近は、雪質も変わって水分をタップリ含んだ水っぽいドカ雪が降ることが増えた。そういう心配もあるから出来るだけ寺を離れないようにしようと思うが、小さな山寺でも坊主の一人暮らしでは手にあまることも多くて十分なことも出来ないでいる。
少し前に、「しめ縄とお供えの鏡餅は用意できたからね」と、ワイフがさり気なく気を配ってくれた。なかなかそういうところまですぐに気づかなかったりするから随分助かる。

お昼近くなって雪が少し緩んできたので、畑だった荒れ地の端に置いた彫刻の近くまで行った。
鉄さびの微細な凹凸が雪を引っ掛けて予想を超えたコントラストを造ってくれるから、それを確かめることが楽しみだ。条件が良ければ、頻繁にそれをチェックして次の彫刻のデータにしたいといつも思うのだが、なかなかタイミングがうまくあわなくて機会を逸することのほうが多い。ヒョットしたら彫刻の近くまで行けるのもこれが最後になるかもしれない。
島根県日本海沿岸一帯は、積雪量もそれほど多くない。石見銀山のあたりが積雪量の変化する境界といっていい。富山は標高の割に雪が少ない。三瓶山はそれなりに良く降るが日当たりの関係ですぐに溶けて消える。飯南高原は、島根県有数の豪雪地帯だから、雪が消える間もなく次の寒波がやってきて降り積もる。
私は野外彫刻を造り続けていて、これまで幾つかのテーマを設定して環境との共存を追いかけてきた。そろそろ本格的に飯南高原の環境条件に沿った彫刻造形を工夫する時期が来たように思う。これから先、どれだけの野外彫刻を制作できるかわからないが、それでもだいたい生涯の制作点数が予測できるほどの年齢になった。鉄の彫刻が周囲の状況を取り込み溶け込むような造形が出来たら良いと思っている。1mを越える夏草や積雪を予測しながらスケールを設定して彫刻のかたちに置き換える制作は、そういう彫刻が出来上がったときからそれぞれの環境に育てられて成長できると良いと思っている。

〜結果自然成〜
1年もそろそろ終わりに近づいてくると、好きな禅語を思い出す。
ふりかえると、今年も色々あった・・と云うより、今年はそれまでにも益してとにかく色々あった。
宗門の2018年手帳が届いたので、それをもとにして万善寺のカレンダーを造る。
これから先、少しずつ自分の身辺を整理して、シンプルな暮らしになれると良いと思う。

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島根県彫刻振興委員会 

2017/12/08
Fri. 21:50

寺の用事があったのだが、施主さんの都合とか色々あって、結局ギリギリになってキャンセルになった。
万善寺としては、特別どうこうもないことだが、それぞれの家の事情もそれぞれで、だからといってそれぞれの事情にいちいち合わせていたら仏事の芯がズレて収拾つかなくなるから、キッチリと坊主の立場を示して崩さないようにしているつもりだ。
万善寺の近所の田舎事情であれば、ザックリとした地域の風習のようなものがあるから相談を受けても答えやすいが、都会や街場の暮らしが長いと、とことんあちら感覚でモノが進んで、仏事のすり合わせが難しくて、こちらでアタリマエのこともなかなかすんなり通じることが無くて苦労する。

なんとなくモヤモヤと気持ちが定まらないまま、火鉢を抱え込んでコーヒーをチビチビやっているうちに、とっくにお昼を過ぎて午後のティータイムが近くなっていた。
シーチキンを混ぜ込んだ卵焼きをつくって、パンを一枚食べて昼食にした。
その頃から雪の降り方が本格的になって、境内が一気に白くなった。
このまま夜のうちも降り続いてつもりそうな雰囲気なので、急いで結界君をお地蔵様脇の町道までおろした。雪はその間も絶え間なく降り続いてタイヤの跡がみるみる消えていく。
石見銀山へ帰ってもいいかなと思っていたが、この様子だと寺で居るほうが良いと判断してワイフにSNSを送っておいた。ワイフは、三瓶山の麓の方で仕事があると云っていたが、「雪無いよ!みぞれかな?」と気楽な返事が帰ってきた。

とみ山彫刻フィールドアートワークの報告を作成する関係で、その資料を整理しながら開催期間を振り返っている。項目ごとに整理したフォルダが少しずつ増えていて、バラバラに錯綜していたモノが少しずつまとまりつつある。
せっかくだから、しばらく遠ざかっていたF.Bの書き込みを再開した。
資料の彫刻や教室個展の写真を観ていると、島根県立美術館の県展を思い出した。
今更ながら、あの県展の彫刻部門はヒドかった。
出品の彫刻関係者に限らず、絵画やデザインなどの部門にも知り合いが居ないわけでもないのに、DMが一枚も届かない。たまたま松江に用事があってその先で情報が入ったので寄ってみたのだが、とにかく、アレが島根県を代表する総合美術展の彫刻部門であるというわけだから、どうにもやるせない。
今まで、そういう実情を知らないまま周藤さんやワイフなど周辺の彫刻家へ出品を勧めていた自分の無責任さを痛感した。
今回、県展の展覧会事情がハッキリとわかったので、これからは方針を切り替えて今以上に積極的に県展とは違った立場を明確にして、彫刻造形の魅力を提案しようと気持ちが固まってきた。
奥出雲町へ用事ができたので、雪の様子を見ながら出かける準備をしていたら、名刺が無くなっていることを思い出した。早速印刷データを引き出したら、少し手を加えたほうが良いところに気付いた。ついでと云っては軽くなるが名刺だけでも2010年に発足した「島根県現代彫刻振興委員会」から、「現代」を取ってしまうことにした。

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至福の時 

2017/12/07
Thu. 20:16

石見銀山を出発する時は、町並みも乾いて空も明るくて、「寒気団去ったな!」と確信してウキウキしながら銀山街道を上っていたら、トンネルを幾つか越えて、拡幅の工事現場を過ぎたあたりからポツリポツリと雨が落ち始め、結局万善寺の境内へ到着した時は本降りになっていた。土蔵の軒下に組み上げている薪とか、本堂の座の下へ仕舞い込んである廃棄した建材とかを刻んでストーブの薪の足しにしようと、結界君を運転しながら本日のスケジュールを組み立てていたのに・・・山陰の冬はだいたいこんな感じで毎日が過ぎるから、仕方がないとあきらめて気持ちを切り替えた。
年も押し迫って、積み残しの支払いを出来るだけ減らしておこうと、金融機関をアチコチ回ってみたが、結局無いものは無いからどうしようもなくて、通帳を記帳して回ったくらいで用がすんだ。

秋が過ぎて、食料の確保が難しくなったスズメたちが、万善寺古々米を頼って、境内へ帰ってきた。朝のうちに一握りほど器へ投げ込んでおくと翌日はキレイに無くなっている。
これから次の春になるまで、保賀の谷の鳥たちが万善寺の周辺へ集まってくるはずだ。
先代夫婦が健在だった頃は、保賀のカラスにお供えの花を抜かれたり、六地蔵さんの蝋燭や線香を荒らされたり、畑の野菜をつつき回されたり、やたらと悪さされるから二人で朝夕外に出て追い払ったりして大騒ぎをしていた。母親が弱って、私の寺暮らしが増えた頃から、つがいのカラスに声掛けするようにして毎日を過ごしている間に、気がつくと彼らの悪さが無くなっていた。時々鳶と空中戦をしたあとは、だいたい寺の土蔵の屋根で羽を休めて身繕いをして体裁を整えてから何事もなかったように空へ舞い上がったりしている。そういう時も、「たいへんだったなぁ〜、鳶には勝てないか?」などと声掛けしたりしていると、まぁ、人間の言葉の意味まで理解は出来ていないだろうが、彼らにとっても、日常の暮らしの中で気の休まる安全な場所を確保できていることの恩を感じて、無駄に悪さしないでいてくれるのかもしれない。

1年で、秋から次の春までの冬シーズンは、結構スキだったりする。
多分少年の頃からそういう傾向にあったと思うが、デスクワークの関係でこの数年の写真を整理していて、圧倒的に冬シーズンの写真が多くて夏の2倍以上溜まっていることに気がついた。写真の枚数だけで判断できないところもあるが、日常生活で無駄に思えるようなことに楽しみを感じることも多々あったりして、まぁ、要するに吉田は基本的にインドア派であるということなのだろう。
少し前になるが、半年ぶりに吉田家のストーブを焚きはじめた頃、早速薪を炭にしてスペアリブを焼いた。オーブンとバーベキューが入り交じったような感じだが、やはり遠赤外線でジワリと焼き上げた肉の旨味は何にも代えがたい。
今度の冬シーズンから寺の一人暮らしが始まった。秋が始まってまだ残暑が厳しい頃に、本堂の裏の物置の一番奥に仕舞い込んであった火鉢を引っ張り出して、湿気を吸って固まっていた灰を再生して冬支度をしておいた。その火鉢がこのところ連日大活躍だ。湯を沸かしてコーヒーを入れ、網を乗せて冷凍保存の切り餅を焼き、キーボードを叩いて冷え切った指を温め、土鍋を乗せてオヤジ鍋をつつき、湯煎で熱燗し・・・ペンチで殻を割った焼銀杏など最高に旨い。いつの間にか仕事を忘れて至福の時が過ぎていたりする。

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坐看雲起時の日々 

2017/12/06
Wed. 21:39

島根県上空へシーズン最大の寒気団が北から下りてきて2日目になる。
これからこの規模の寒気更新が続きながら冬が本格化し、万善寺が雪に埋もれて孤立することになる。まだそれほど強烈な寒さを感じるほどでもないが、肩口から背中にかけて部屋の寒気が絶えず入り込んで寒気が収まらない。

11月の月末にしばらくワイフが留守にしていた関係で、夜は吉田家に居ることが習慣になってきた。母親が死んでからは、どちらかといえば万善寺でのひとり暮らしが多かったから、やっとこの頃になって通勤坊主の感覚が戻ってきて朝もちゃんとそれなりの時間に規則的に目覚めるようになった。それに、このところクロが私の右肩の横で夜通し寝るようになって、こちらの方も習慣になりつつある。いつもは抱かれることを嫌がって、私を避けて適度な距離を起きながらゴロゴロしているのに、寝るときだけはむこうの方からさり気なく定位置へ擦り寄ってくる。今年の春までオヤジの腕枕で寝ていたキーポンが一人暮らしを始めて吉田家からいなくなったから、その変わりというわけでもないだろうが、クロは今までにないほどの近い距離で寝るようになった。アイツも、それなりに歳をとって気持ちも性格も少しずつ落ち着いてきたのかもしれない。

井形さんの彫刻を積み込んで九州の大牟田まで往復したその夜に、地元で暮らす中学の同級生たちが集まって忘年会のような同窓会を開いた。
吉田は、何故かそういう集まりのある時に限って、寺のことや彫刻のことで用事が重なって出席率が悪い。1年を均してみると3割位に留まっていると思う。
誘いの電話口で、丁度その日は都合が悪いと断ると、まずは、「ガハハッ!!」と大笑いが始まる。それはそうだろう・・・だいたいが年中自由にヒマに暮らしていて、坊主のくせに着物姿でウロウロすることも殆ど無いことくらい、地元で暮らす同級生たちはとっくの昔から知っていることだ。久しぶりに町の何処かで逢った時など、「お前、このあいだ草刈り機2本も積んで何処の草刈っとった?寺の山、そんなアチコチにあるんかぁ?」などと、冷笑してイジられる。坊主が着物の代わりにつなぎ着て鉄板の入った重たい長靴はいて結界くんに乗ってウロウロしているところをしっかり目撃されているわけだ。癪に障るから、たまに改良衣スタイルの時など、そのまま出先から近所の農協スーパーへ寄って、難しい顔して、豆腐とかモヤシとか買ったりするが、そういう時に同級生に会うことも無いから無駄なアリバイ工作で終わってしまう。結局、「吉田がおらん時ねらって飲み会するようにしとるんよぉ〜!お前がおるとみんなの酒ひとりで飲んでしまうけぇ〜損するガァ〜」などと、次の飲み会の酒のツマミにされる。
10人位集まったが、飲む奴はそんなにいなかったのに、軽く焼酎が1升ほど空いて解散になったらしい。

粛々と「坐看雲起時」の日々をおくっている今日此頃、琴引山の頂上あたりまで厚く下りた雲からは、絶え間なく牡丹雪がまっすぐに境内めがけて落ちている。
朝方は粉雪だったから、昼を過ぎて少し寒さが緩んできたのかもしれない。このまま一晩降り続いたら、そろそろ結界くんで境内へ登ることもできなくなりそうだ。
万善寺暮らしにマレーシア産のマングローブ間伐炭と火鉢が欠かせなくなってきた。

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本池文乃インスタレーション 

2017/12/05
Tue. 21:08

石見銀山の町並みに雪が舞っていた。
今年は11月に既にチラリとぱらついていたから初雪とは云えないが、これだけ冷え込んだ朝は今までになかったから、本格的な冬に入ったと認識していいだろう。
ワイフの勤務先と万善寺の方向が一緒だったから、珍しく二人一緒に自宅を出発した。
ワイフは途中から三瓶山へ上っていく。
私はいつものように三瓶山を迂回して銀山街道を飯南高原へ向かう。
海抜は450mくらいだと思うから、石見銀山よりは確実に雪が多いはずだと覚悟していたが、路面が白くなるほどでもなく4WDも使う必要も無くて助かった。それでも、寺の境内には屋根からの雪吊りが溜まっている。

12月の3日は富山でクリスマスイベントを兼ねた「富山カフェ」があった。
私は大牟田へ彫刻の搬送があったから、当日のワークショップはノリちゃんにお願いしておいた。その様子を写真などに撮ってこまめにメール送信で報告してくれた。ムサ苦しいオヤジが愛想もないワークショップをするのと比べ物にならないほど大盛況だったようだ。写真の様子を見ていて、いっそのこと、教室展示を12月まで引っ張っても良かったかなと気付いた。とみ山彫刻フィールドアートワークも3年目を向かえて、少しずつ地域に定着しつつあるように思うが、やはり大事な情報が抜け落ちていることも多くて、ネットワークの甘さを感じる。

その教室展示も年々内容が充実して、少しずつ美術芸術のレベルが上がっているふうに思う。個展をお願いする時も、富山のような地域立地条件が活かせるように工夫するなら、単発で毎年作家が入れ替わるより、地元密着型の展覧会を組み立てて、作家の定着や個展の継続があったほうが良いようにも思う。
第一線で活躍する造形のプロが提案する堅牢な個展も良いが、作品の方向性を模索しつつ研究と検証を繰り返す若い作家の継続的な個展があっていい。

昨年から2回連続個展になる本池さんのインスタレーションも、そういう意味で造形の方向性を探る実験的展示になっているようだ。一つの教室を一人の作家が継続して使用できる環境の利点が活かせる提案を提供することも大事なことだと思っている。
インスタレーションは、一年1回、二年でたった2回だけの発表で、その真価を左右できるものでもない。たくさんのドローイングと、シミュレーションを繰り返し、それを実在に置き換え、具体的な実践を繰り返すことで、少しずつ表現の方向性が見えてきて空間構成がかたちになっていくところに造形の広がりや深みが出て作品の完成度が高まる。
彼女はまだ自分のセンスを自分の自由に操作表現できないでいるジレンマを持っているふうに感じる。素材の選択肢とか構成表現の工夫とか、そのあたりのボキャブラリーが熟れるまでには、まだもう少し時間が必要な気がする。今のところ彼女のベースに平面への指向性を強く感じる。空間構成はある意味で立体的造形要素を機能させることも大事なことであるし、構造上の工法や展示上の安全性とか、絵画的要素の枠を越えたところで無視できない制作上のさまざまな問題を一つずつクリアーしながら作品のレベルアップを目指して欲しい。次の展開が楽しみな作家の一人だ。

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woodcarving art work 

2017/12/04
Mon. 19:09

大牟田往復の疲れが今ひとつ取れないまま、石見銀山を出発して万善寺へ向かった。
自宅を出る時、少し寒いと思ったが、万善寺の方は一面真っ白に霜が降りてもっと寒い。
年中ほとんど裸足で過ごしているから少々の寒さは気にならないが、流石に今朝の万善寺の板の間はいつもより冷たく感じた。足指の感覚が無くなって歩くのもぎこちない。
奈良の方へ依頼していた塔婆の製材が終わって、50枚ほど届いた。万善寺くらいの規模だと、1年の法事が50枚の塔婆でだいたい足りる。田舎価格のお布施に、1枚約1500円の塔婆代金込みの法事が年収の大部分になるわけだから、ボクとボクの家族の暮らしがどれだけ厳しいものか想像していただけることだろう。

とみ山彫刻フィールドアートワークの肉体労働実務がだいたい落ち着いて、これからしばらく書類整理などのデスクワークが続く。
今年は、20代の若い彫刻グループが教室の展覧会に参加してくれた。確か、最年長が25歳だったはずだ。地元大田市からは、まだ大学に在学中の学生さんが卒業制作の合間に参加してくれた。島大の教育学部には木彫が専門の先生が研究室の1つを任されていて、そのせいか、学生さんの彫刻は木彫が多い。今回の4人グループも木彫を出品してくれた。

絵画と違って彫刻はそれなりの規模の制作工房が必要になるから、社会人になってから制作を継続するにはよほどの覚悟と最低限必要な材料や資金の確保が必要になる。あとは、昼間の労働の疲れが気にならないほどの強靭な精神力と体力がないと彫刻制作へのモチベーションが続かない。テーマの落とし所とか確かな技術技法の裏付けとか、そういうことも大切なことだが、若いうちは、それにも増して制作への意欲とかコダワリとかにすがりながら、ひたすら手を動かし、身体を酷使して汗を流し続けることが大事だと思う。
とにかく辛抱してそういうことをコツコツ続けていれば、そのうち何かがひらめいて自分の方向性が見えて来はじめて、制作の背景に確信が持てるようになる。
Tさんは、一見とてもおとなしくて純粋で真面目なひとに見えるが、どこかしら頑固で芯の強いところもあるように感じる。彫刻の方は、まさにそういう彼女の為人がそのまま立体の形になったように思えて、その素直な表現に好感が持てたし、そういう制作の方向性に今後の造形の展開へ向けての新鮮な発見が期待できて楽しみなひとだ。
Kくんは、大学の4年生で、今卒業制作の真っ最中だ。島大で絵画の研究室を持つ新井教授と話す機会があって、彼のことが少しほど話題になった。卒業制作では、それまで取り組んでいた造形のテーマや表現に一区切り付けて、次の展開を模索しはじめたところだという。そういうことを聞くと、卒業制作展を観ないわけにはいかなくなる。
Eくんは、島大附属中学で講師をしながら自宅の納屋で木彫の制作をしているらしい。彼は、すでに自分の造形に関する強い研究のテーマを持っていて、彫刻の方向性がブレていない。あとは、いかにして形態の緊張感とか必然性を引き出して魅力のあるムーブマンに置き換えられるかがこれからの目標であり試練になるだろう。表現の完成度は経験の質量に比例するところもあるから、とにかく焦らないでクールに素材と付き合って欲しい。
そしてもう一人はユキちゃん!・・・彼女はこの半年間、かなり親密に制作の現場で付き合ってきた。造形の密度も増した。表現の一つ一つを大事にして息の長い彫刻家になって欲しいと思うが、まぁ、彼女の根性だったらキチンと自覚して乗り切ってくれるだろう。

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井形彫刻搬送の旅 

2017/12/03
Sun. 23:29

日頃アラームをセットすることなど無いから、かえってそれで緊張して眠れなくなって、結局、きちんと眠れたのかどうかよくわからないまま、出発予定の午前1時より30分ほど前には完全に目覚めた。

大牟田の井形さんの彫刻は、すでに吉田家駐車場のワンボックスに収まっている。
石見銀山の夜は、冷え込んで入るが空には星も見えて晴れている。外灯も少ない町並みがなんとなく明るいから、きっとどこかで月も出ているのだろう。
大牟田までのルートを検索したら、3つほど出てきた。そのうち2つは九州行きでよく使っていたもので、徳山から竹田津へわたるフェリーにも何度か乗ったことがあるし、昔、宇品港から別府までのフェリーがあった頃には、それもよく利用していた。延々と車を運転するより、フェリーに乗っている間はゴロリと寝転んで休息もとれるし、体力の温存にはもってこいだから、彫刻の搬入出がらみの移動ではよく利用していた。宇品港からのルートは随分前に廃船になって、今は徳山港のルートしか残っていない。

エンジンをかけてiPhoneのナビを起動させてから、少し迷ったが今回は萩を経由して中国道に乗って関門海峡を渡って九州道へ入るルートにした。
途中、休憩を挟んで6時間ぐらいだろうと予測して、早朝には井形家の下の道に横付けして仮眠して、適当な時に電話で彼女を起こせばよいだろうと、運転しながらだいたいのスケジュールを決めた。
中国道へ入った頃には、進行方向にお月さまが大きく見えてキレイだった。夜が白むまで付かず離れず月が一緒に移動してくれて気が紛れた。
九州道へ入って、古賀のサービスエリヤで休憩しながら時間調整をして、井形家へ横付けしたのは早朝6時過ぎだった。ほぼ予定通り休憩も含めて移動に5時間半かかった。やはり、夜に走るとストレスも少なくて楽だ。

8時まで仮眠してから電話で彼女を呼び出した。
二人で彫刻をワンボックスから倉庫まで移動して、それから井形家で朝食をごちそうになった。お母さんはすでに80歳を越えていらっしゃるが、お元気そうでなかなかの博学であるふうに思えた。幾つかの質問を受けたり、自らの知識と照合したりして上手に私から話題を引き出していらっしゃるふうに感じた。母娘が仲良く慎ましく暮らしている様子が伺えて気持ちが和んだ。井形さんの趣味の器を幾つか拝見しつつ、旨い朝食や珈琲などをいただいて、10時過ぎに大牟田を出発し、帰りは萩に暮らす陶芸家の友人を久しぶりに訪ね、休憩がてら小一時間ほど喋り、彼と彼の息子さんのつくった器を買って、日本海を左に見ながら東進した。石見銀山まで帰った時はすでに日が暮れて、荷物の移動は結界君のヘッドライトを頼った。帰宅すると、クロは私の椅子で爆睡中。シロはワイフに擦り寄って甘え鳴きを続けていて、ワイフは夕食をつくっていて、ストーブからは杉ヤニの焼ける匂いが漂っていた。萩で買った徳利でお燗した酒を、これも買った大ぶりのぐい呑に手酌して、井形さんにもらったアレコレをつまみに飲んだ。

この日、石見銀山駒の足自治会は、年に1度の妙見さん祈祷法要のお祭りだった。

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九州出発前夜 

2017/12/02
Sat. 23:43

初冬のこの時期、夜明け頃に保賀の谷へ朝霧が広がっていると、その日はだいたい晴れる。

今年は11月の半ばを過ぎた頃から雪がちらつき始めたから、いつもより冬が早いかもしれないと思っていたが、しばらくすると汗ばむほどの陽気になったりするし、そうかと思うと次の日はまた寒くなって雨が降ったりする、とにかくなんとも気難しくて気まぐれな天気に毎日悩まされている。
こういうことが続くと、ある日突然雪が降って身動きできなくなってしまうこともあるので、早めにスタッドレスタイヤへ履き替えておいた。
ワイフの車も早くそうした方が良いと云っておいたのに、彼女はその時期を逃したまましばらく留守にしてしまったから、いまだにタイヤ交換できないでいる。
島根県は来週から一気に寒くなって雨が続くらしい。
そういう時の飯南高原はだいたい雪になることが多い。
ひどい時は、12月のはじめに降った雪がそのまま根雪になって年を越えることもある。
これからは、それなりの覚悟をして毎日を過ごすことになる。

午前中の用事を済ませて、少しの間留守にしていたワイフを迎えに出雲まで走った。
結界君のリヤデッキには、富山の片付けで溜まった梱包用のダンボールが廃棄の機会を逸したまま積んである。ワイフをピックアップした帰りに、資源ゴミ引き取り屋さんへ持ち込んたら60円になった。こういうことは、お金の問題でなく、それこそ資源の価値の問題で、日頃からそういう意識を大事にしておかないといけないと思っている。

石見銀山の自宅前へ着いたら、町並みに大勢の中国人観光客が押し寄せていて、荷物を下ろすのも一苦労だった。
天候が崩れないうちに、九州の大牟田へ井形さんの彫刻を積んで移動する。さすがに結界君では小さすぎるから、借りておいたワンボックスを引き取って駐車場へ横付けする時も、まだ吉田家前には中国人で溢れていた。観光の流れが収まるのを待って彫刻を積み込み始めたら、吉田家を覗き込んだり、町並みの真ん中で記念撮影を始めたり、なんとも騒がしくて苦労した。

朝のうちはかなり冷え込んで寒かったが、良い天気が1日続いたおかげで積み込みが終わる頃には汗が流れるほどだった。
シャワーを浴びて、早めの夕食をして、仮眠しておくことにした。
ウツラウツラしていると、クロが腹の上を横切って、私の顔のすぐ隣に落ち着いて身繕いをはじめた。まったく、実に身勝手で都合よく擦り寄ってくる。
夜になって、急に冷え込みが強くなった。
ソコソコ晴れて、久しぶりに青空も広がっていたから放射冷却が始まったのだろう。

石見銀山出発は午前1時くらいにして、国道の下道を使って山口県まで走ろうと思う。
それから高速へ上がって大牟田へは10時前には到着する予定だ。

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2017-12