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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

白い息 

2017/12/13
Wed. 20:14

石見銀山の吉田家は、町並みから裏庭まで続く土間が1年中吹き抜けになっていて、建具の殆どは障子とかガラス戸とか、自作の板戸で、アルミサッシはほんの数カ所にあるだけという、掘っ立て小屋の延長のような作りになっている。
特に信念を持って好んでそういうふうに改修したわけではなくて、補助金支給を条件に伝統建築の保存を優先した行政指導の網が掛かった状態で改修工事を行った結果、現在のような隙間だらけの家が出来上がったわけである。
土間を中心に部屋が左右に別れていて、事前調査の結果、建築上土間の右側の部屋より左側の方が時代考証で重要な建築物であるということがわかって、そちらの方が古くてガタピシしているのに、その状態を保存しつつ改修することになって、とにかくややこしい図面のやりとりが施主(ボクのことです・・)の頭上を飛び交った。
それは、約20年前のことだったのだが、当時の調査結果だと石見銀山の吉田家は江戸時代中期文化文政の頃の染色業を営む製造業又は商家であっただろうと推定される建築物であるらしいということだった。

万善寺の方は、開祖さんの遷化が永禄年間であることから、だいたい今から450年くらい前には「万善寺」という寺名が周知されていたことがわかる。現在の場所に移築再建されたのが江戸時代の文久年間であるから、石見銀山の吉田家の元が建築されてから約40年位後の事になる。
いずれにしても、吉田一家は、アッチへ行ってもコッチへ行っても、隙間だらけのガタピシ住居で1年中過ごしていることになる。
冬に入った今の時期は、部屋の中で会話していても白い息が漂う。夜寝ていると、鼻息の露が口髭(鼻毛ではない)にビッシリとついていたりする。

今朝は、いつもより30分位遅れて吉田家を出発した。
万善寺は積雪で結界くんの4WDでは参道を登れないだろうと覚悟していたが、思いの外雪が少なくて、かろうじて境内まで乗り入れることが出来た。
この時期にしては例年より雪が少ないから、かえってこれから先のことが心配になる。
春先からストーブの薪にしようと貯めていた寺の周囲の倒木や枯れ木をリヤデッキに積み込んだところで雪が降り始めたのでそのまま参道下の町道へ結界くんを下ろしておいた。
奥出雲町のOさんから新蕎麦の会があるから参加しないかとお誘いがあった。
丁度別件で相談事があったから、彼の都合が合えば、当日それも兼ねて蕎麦を食べに行こうと計画したところだ。
奥出雲の新蕎麦の会は、けっこう長い歴史があるようだ。

石見銀山であったり、飯南高原であったり、奥出雲であったり、それぞれ、土地土地に住み暮らす人々は、その地域ならではの過酷な環境に耐え、且つそうした環境を愛し、それを楽しみに変えてお互いを刺激し合いながら寄り添って歴史を紡ぎ続けている気がする。
窓の外の雪の状況や、境内の庭木に群がる寒雀を観察しながら寺の1日を過ごしている。
これからしばらくはお正月の新年会で配る新年の御札を手摺りすることになる。
さて、バックミュージックは何にしよう?・・・

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