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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

吉田家一人飯事情 

2018/01/31
Wed. 23:25

それにしても、島根の寒さは近年に珍しくしつこい。
万善寺は、1月も終わりになって若干寒さが和らいで、「ついに!」というか「やっと!」というか、とにかく日中の数時間ほど気温が2℃まで上昇した。夜は−4℃まで下がったがそれでもまだ暖かい方で、いつものように夕食の鍋を造り始めたら台所の冷えた空気が温まって風呂上がりの身体が汗ばむほどになった。
2回めの寒波は、おかげさまで雪が少なくて助かった。それに、気温が低くて雪質も上等のパウダースノーだったから道開けの除雪も楽だった。そのかわり、庫裏の屋根に積もって張り付いた雪が落ちてくれない。本堂の急勾配でも北側はいまだに屋根へ雪が残っている。
庫裏の端にある台所の氷柱がついに1mを越えた。
物心ついてから今まで、これだけ長く伸びた氷柱を観た記憶がない。
今シーズンの万善寺はそれだけ寒い日が続いているということなのだろう。

日本と12時間位時差のあるノッチから夜のうちにLINEが届いていた。
アメリカも今の日本以上に厳しい寒さで大変なようだが、フロリダは南の方だからだいたい大丈夫だろう。
写真は、ノッチ自作(らしい?・・)のツマミの数々と地元ビールが並べられて画面いっぱいに写っていた。
パーテイーでもしたのだろうか?彼女がこれほど見事に手料理をこなすとは予想外だった。一人暮らしが長いから自然と自分で出来るようになってきたのだろう。オヤジの私もそうだった。
ワイフは、結婚するまで実家暮らしだったが、私と付き合うようになってから一気に料理の腕を上げた。酒のツマミの幾つかは私が彼女に伝授して、それを元に少しずつ改良しながらバージョンアップさせて、今ではワイフオリジナルのツマミが出来上がって、たまの来客にも大好評だ。いつだったか、周藤さんがワイフ名指しに電話して料理のレシピを聞いたりしていた。
キーポンも比較的マメに手造りしたおかずの写真を送ってくれる。
色々工夫していて、最近は一人鍋を時々つくっているようだ。
なっちゃんは結婚して旦那もいるから、それなりに主婦の端くれとして「美味い飯を食べさせていることだろうナ?!」と思っていたら、旦那の帰りが遅いのかどうなのかよくわからないが、結構彼女も一人飯が多いようだ。夫婦生活は円満なようだからなっちゃんの飯が不味くて旦那の外食が増えているわけではないと思う。
海士町で一人暮らしのじゅん君は・・・さて?・・・ちゃんと3度の飯を食べているのだろうか?・・・学生の頃は帰省した時に男の手料理を振る舞ってくれたこともあった。海士町は本土に比べて物価が高いようだから、ワイフが時々ドサッと食料品を買って送ったりしている。彼は私にはあまり私生活を語らないから、どういう食生活なのか謎だ。
私は、アルバイト時代から、まかない飯目当てで各種水商売を渡り歩いていたから、中華と刺し身以外だいたいひと通りナンチャッテ料理くらいのことはなんとかなっている。今の一人暮らしも、食材が無ければないなりに色々工夫しながら、雪で孤立状態の万善寺でナントカ暮らせている・・・ということで、今夜は和風だし寄せ鍋風湯豆腐で一杯!

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鍋坊主 

2018/01/30
Tue. 23:20

もう2週間位長期間寒い日が続いている。
青空が見えて気温が緩んだのは2日と無かったろう。
12月から1月の光熱水費請求が揃った。
合計すると、収入に対して完全な赤字。
エアコンフル稼働の1ヶ月電気代は、法事の布施収入で賄えなかった。
氷点下の水道凍結回避対策で水の垂れ流しも1ヶ月続いているし、檀家用の野外トイレは凍結防止の暖房対策で灯油ストーブつけっぱなし。
これだけの出費を続けながら万善寺で常駐する必要があるのか疑問に思う。
万善寺とほぼ同等の近隣寺院は、冬の期間無住状態にして寺院機能を放棄している所も多い。
ガス、水道の元栓を締め、冷蔵庫をカラにしてブレーカーのメインスイッチを切り、人の生活の痕跡を消してしまえば、1・2ヶ月の支出がゼロに抑えられる。
そこまでして、坊主が自ら信仰の対象を放棄することの是非を思うと、私のようなチキン坊主はビビッてしまってなかなか踏み切れないまま、赤字とわかって無駄に出費を重ねている。

連日続く参道の道開けで足腰の痛みが慢性化して、夜寝ていても痛みが酷くて目が覚めるようになってきた。
ホッカイロを貼ったり、電気敷毛布で患部を温めたりいろいろ試してみたが、今のところコンパネと鉄パイプで自作した大きくて足の長い電気コタツに潜り込むことが一番安眠できる方法のようだ。
日頃はほぼ1年中シャツとパンツ一丁で布団に潜り込んで寝るのだが、それだと身体にホッカイロを貼り付けることもできないし、電気敷毛布の温熱療法も寝ている間に低温やけどになってしまいそうだし、一番の問題は布団の重みが腰痛を誘発してよろしくない。
結果、トレーナーにジャージをパジャマ代わりで1つ余分に着込んで、敷布団を敷いて炬燵を渡して炬燵布団代わりの封筒型シュラフを広げてその中に潜り込めば、ちょうど腰から膝にかけての痛いところを中心に温めることが出来るし、炬燵の空間で布団の重さも意識しないでフリーに身体を動かすことも出来るし、なかなか都合が良い。
それを始めてから、最近はソコソコ安眠できるようになって、寝ている間は身体の痛みを意識しないですんでいる。

水道代の節約で、風呂や洗濯の回数も減らしているが、オヤジの一人暮らしでどうも気持ちが滅入ってサッパリしないから、ケチくさい努力を放棄してストレスを溜めないようにすることにした。
連日の餅消費もしばらく中断して、ワイフが用意してくれた白菜としいたけをふんだんに使って朝から鍋にした。
今度の冬は、今のところ寒いだけで積雪量はそれほどでもないから、それだけでも助かっている。鍋が出来上がる間に参道の道開けを終わって、別棟のトイレに灯油ストーブを用意した。
朝から鍋だと熱燗の一杯が欲しくなるが、さすがにそれはグッと我慢した。

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氷点下の万善寺 

2018/01/29
Mon. 23:35

アドリブ満載ボーサントリオのセッションが終わって万善寺の玄関先まで帰ると、庫裏の方から何か男の声がボソボソと聞こえていて、すぐ静かになった。
「たしか出かける時に施錠したはずだけど?」少々慌てていたから「カギ閉め忘れたかも?」と不安になって玄関引き戸に手をかけてみるとやはりシッカリ施錠されていた。
それから気になって、法衣の荷物を抱えたまま勝手口の方へ回ってみたが異常なし。
どう思い直しても気のせいではないくらいちゃんと男の声が聞こえていたので、チキンオヤジはドキドキしながら庫裏玄関へ入った。
土間には自分の履物が朝出たときと同じ状態で動かないまま納まっているから、見た目に変わったところはない。庫裏を一巡し本堂を回っても異常なし!・・でホッとした。

お昼過ぎとはいえ、気温は零下のままで、もう1週間位そういう状態が続いている。だから留守にするときは水道蛇口が集まっている台所からトイレ洗面所やお風呂までの水回りは、、蛇口を少し捻って糸状に水を流しっぱなしにして、エアコンや電気ストーブをつけっぱなしにしておく。
万善寺の一ヶ月の光熱水費がどれだけになっているか恐ろしくなるが、背に腹はかえらえない。

高齢になった前住職夫婦が万善寺で暮らしていた時は、他にも数カ所に水道管が回っていて、毎年冬になるとその水道パイプの何処かが凍って、春になって雪が溶けて業者さんに修理してもらうまで漏水が続いていたりした。
先に憲正さんが死んで、残ったおかみさんも身体が動かなくなって2年目の冬にも、同じように漏水がはじまって、この時はその水で庭の雪が解けて境内が見えるまで被害が広がったから、さすがにそのままには出来なくて業者さんに無理をしてもらって冬の間に配管の途中からパイプを切って止水栓を接着してもらった。
来客用の洗面所は永久に使用できなくなったが、今時寺で宿泊も無いし毎年アチコチで漏水することを思うと寺暮らしのインフラを極力シンプルにしておいたほうが都合がいい。
そんな冬のドサクサが毎年のように続くものだから、私が一人暮らしになってからは、少々生活費が厳しくなっても、節約や我慢をしないで、寒いなりに出来るだけ快適に過ごせるくらいの贅沢は仕方がないと気持ちを切り替えたところだ。エアコンを新設したり、ガスストーブをレンタルしたり、バラバラに使い分けていた給湯器を一つに絞って管理の効率を見直した。少々使い勝手が悪くなっても、使用の90%は自己責任で用がすむし、残りは1年に何回かワイフが我慢してくれればなんとかなるはずだ。

約10畳ほどの台所の中ほどに展覧会で使っていた平面の展示パネルを張り巡らせてザックリと二部屋に仕切った。今は、自分の生活を出来るだけその一部屋でまかなえるように工夫しながら寺暮らしをしている。昔から狭い一部屋で暮らすことになれているから特に不便は感じない。着物を脱いで洋服に着替えてお湯を沸かして部屋が少し温まってコーヒーをいれ始めていたら、防災放送がはじまった。役場の建設課から漏水による断水の告知放送だった。あの男の声は防災放送だった。田舎の過疎地は人間が暮らしていても管理がままならないのに、空き家もやたらに多いから漏水が増えても仕方がないことだ。

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ボーサンライブ 

2018/01/28
Sun. 22:20

約1ヶ月ぶりの2時間ソロライブと、夜の部はボーサントリオの1時間オンステージと、2ステージがあって、ナンチャッテ坊主はヨレヨレ坊主になった。

昼の部が終わってお地蔵さん下まで帰ってくると、参道の一本道が3倍の広さになって境内入り口まで続いていた。
近所のお檀家さんの誰かが除雪機で往復してくれたようだ。
いつもの俊ちゃん(といっても、もう80歳近いおじいさんだけど・・)のユンボ身施だったらすぐ解るが、除雪機のこういうことははじめてだから見当がつかない。ソロライブの先で吉川饅頭(隣町に古くからある和菓子の店で、利休饅頭が名物)の一箱をお供えにもらったから、明日は今までのユンボのお礼方々それをもってお伺いをしてみよう。

途中休憩の無い2時間ブッ通しソロライブは、日頃無口に過ごす彫刻家にとってかなり過酷な肉体労働になる。こういうことなら、最初から美術家を目指すより音楽家を目指しておいたほうがつぶしが効いてよかった。
夜の部はボーサントリオのライブだったから少し楽だったが、導師さんは松江在住で、あちらの方はラップのごとく超ハイスピードでお経を読みまくるから、のんびりと暮らす田舎の山寺坊主は舌が回らなくて導師さんのスピードについていくだけでドッと疲れた。
新亡さんは、行年104歳の長寿を全うされた大往生であった。
菩提寺は万善寺ではなくて、隣町の同宗寺院なのだが、亡くなった本人のご親族が万善寺の3代前住職の内室だったから、その縁で若干の交流が続いていた。お盆の棚経でお邪魔すると、毎年のようにその頃からの昔話が同じように始まってなかなか終わらない・・そういうお付き合いが続いていて、このたび副導師のお声がかかった次第。
今の時期のことで、その施主家も万善寺も雪に埋もれているから、枕経や通夜と移動だけでも一苦労だった。

結界くんの自作カップホルダーへ前日からコーヒーを置きっぱなしにしておいたら、一日一晩の間にカップの中で凍りついてしまって、雫一滴も飲めないまま一日か過ぎた。通夜に向かう道中でやっと数滴口に入ってひと心地ついたから、そのまま導師控えの部屋まで持ち込んで、他の二人のボーサンの前でお茶代わりのシャーベットコーヒーをズリズリススッた。葬儀告別式の打ち合わせをして散開のあと、凍りついた路面に結界くんのお尻を降りながら万善寺まで帰って、遅い夕食をつくって食べた。
寒気団はいまだに島根上空へ居座っていて、マイナス状態の気温が連日続いている。ここまでになると、身体の方も寒さに慣れて、寒いとか手足が冷たいとかあまり気にならなくなってきた。寺の用事は薄手の夏足袋に長靴で出かけているが、それ以外はいまだに一日中内も外も素足でいて、なんとも思わない。慣れというものはこういうものだ。

ワイフから珍しく電話が入って何事かと思ったら、クロを病院へ連れて行ったと報告があった。小さい時から膀胱や尿道にかけての欠陥を持病のように持っていて、昨年末からそれが悪化している。ボクのパパも膀胱に病気を抱えて苦労していた。犬のシェパ君も最後は頻尿に苦しんだ。吉田家の男はみんなそうだ。そのうちボクもそうなるのかなぁ?・・

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カーヴァーとスープ 

2018/01/27
Sat. 23:17

もう1週間ぶりになるはずだ、ワイフと遅めの昼食をとった。
しばらく留守にしている間に、クロがまんまと脱走に成功していた。脱走手段は不明だが、たぶんワイフのチョットしたミスがあったからだと私は思っているが、彼女はクロが新しく脱走ルートを見つけ出したと確信していて、リビングから玄関までの土間の仕切りに手製のガギを取り付けたりして施錠を強化していた。シロの方は、自力で脱走することは最初からあきらめたところがあって、上手にクロに便乗してさり気なく脱走を成功させているようだ。

日曜日には今年に入ってはじめての法事がある。万善寺の方は石見銀山と比べ物にならない雪国だから、日中の雪が緩んでいるうちに移動しておかないと次の朝が気ぜわしくなる。お地蔵さん脇へ到着すると、参道の一本道に長靴の跡が残っていた。状況からして今日の午前中の感じだ。庫裏玄関のポストを見ると郵便物が3通入っていた。それから、結界君と庫裏を3往復して荷物を運んだ。殆どは食料で、ワイフが用意してくれたものと、スーパーに寄って買い込んだものだ。雪でしばらく買い物が途絶えていたから、スーパーオリジナルブランドの安い牛乳も手に入ったし、これで当分の間万善寺の一人暮らしがまかなえる。

大田市にあったBOOK OFFが数年前に店仕舞いして跡地が小洒落たアパートになった。
その関係で、中古本を買うには出雲市まで出かけることになって、そうしょっちゅうそちら方面へ用事があるわけでもないから、それなりに不便になった。
タブレットがヒットした頃はしばらくのあいだ珍しさも手伝って青空文庫などを利用していたこともあったが、そのうち飽きた。やはり、紙媒体でページを一枚ずつめくる感じが自分に合っている。
定期的にどっさり買い込んだ未読の中古本が一巡してしまったから、なんとなく時間を持て余して落ち着かない毎日が続いてる。水丸さんの映画絡みの読み物は何度読み返しても飽きないからそれでしばらく我慢していた。彼は村上さんの文章に挿絵を書いているから、こんどの大雪が始まったあと、水丸さんからの流れで村上さんの本を読み返すようになった。村上さんは小説家のはずだが翻訳もしていて、カーヴァーの短編はほぼ全て網羅しているようなことを、読んだか聞いたかした覚えがある。
カーヴァーのことは、ボクの好きなロバート・アルトマンの映画「ショート・カッツ」の原作だということで知っていた。ショート・カッツは、彼の晩年の映画ではとても強く印象に残っていて、自分では何度見直しても飽きない映画の一つである。
大雪の間にBOOK OFFへのつなぎでAmazonをポチッとしておいた村上さん翻訳のカーヴァーが石見銀山の自宅へ届いていたので、早速万善寺の用事の合間にそれを読みはじめている。確かに、ロバート・アルトマンが好みそうな常識から少しズレた日常を切り取った語り口が面白くて、これから先、当分の間カーヴァーにハマってしまいそうな予感がする。
結婚する前の一人暮らしでは時々つくっていたシチューに近い具沢山の限りなくトマトベースのスープを何十年ぶりかでつくった。
芋や人参をグツグツ煮込む間にカーヴァーの短編を4つほど読んでしまった。

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万善寺ルール 

2018/01/26
Fri. 23:33

土曜日は江津で用事があるので石見銀山へ帰っておくことにした。
いまだに猛烈な寒気団が島根県上空へ居座って、万善寺をすっぽりと包んでいる。
昼間でも−2℃くらいまでしか気温が上がらなくて、深夜には−8℃まで下がったこともある。万善寺でこれだけの寒い冬を経験するのは自分の人生ではじめてのことだと思う。
両親が死んでから万善寺の一人暮らしを続けているが、生まれた時からこの歳になるまで1月1日を万善寺以外で迎えたことがない。坊主という商売柄、こればかりはどうしようもないことで、結婚してからはワイフもこの万善寺ルールへ巻き込んでしまっている。
冬の万善寺には、最低あと2つほど毎年欠かさず守らなければいけないルールがあって、それができなくなった時は、万善寺が無住になった時・・つまり私が死んだ時だと思っていただいて結構だ。
1つは参道の道開け。
寺から道開けをしながら参道を下るか、町道から道開けをしながら参道を登るかの違いがあっても、1日1回は1本道を確保しておかないと雪に閉ざされて寺が孤立してしまう。数年前までは新聞を購読していたから、その配達で毎日寺へ登り降りする1本道を用意しておく必要があった。それで、寺暮らしの両親が高齢で新聞を読まなくるまで毎朝誰かが参道の道開けをすることが日課になっていた。今は、道開けをするものは自分一人しかいないから、こうして石見銀山で朝を迎えると、通勤坊主で町道の脇へ結界君の駐車スペースをつくったら、そこからセッセと1時間位かけて雪をかき分けて万善寺の玄関へたどり着くことになって、それがそのままその日最初の道開けになっている。明日も江津で用事を済ませたらそのまま万善寺へ向かって、参道下から雪中行軍をすることになる。
もう1つは水道の管理。
冬の間は水道の凍結を回避しないと日常の生活が機能しなくなる。もう半世紀も前の小学校時代のことを思い出すと、今年以上の強烈な豪雪の年、まだ万善寺まで公共の水道が整備されていなくて、300m離れた裏山の間歩水を頼りに冬を乗り切っていた。その間歩水が凍結して生活飲料水が何日も途絶えたことがあった。さすがに、子供ながらにその豪雪のことは覚えていて、風呂に入るにも水がないから降り積もった雪をバケツですくって親子三人風呂釜へバケツリレーをしながら風呂を沸かしたし、母親は米を炊くのも料理をつくるのも全て雪を使ってやりくりしていた。その後、公共の簡易水道が万善寺へも伸びてきて水に困ることは無くなったが、一方で、水道管の凍結を予防しないといけないから、それはそれで水の心配をしながら冬の毎日を過ごすことになって、気の抜けない寺暮らしが今まで続いている。今年は、その水道管理に失敗した。私が寺を留守にしていた数十年の間に、水道事情が目まぐるしく変化していた。たとえば、風呂の改修でシステムバスになったり、水洗トイレの新設で合併浄化槽になったり、間歩水のインフラ老朽化で井戸水をポンプアップしたりなどなどで、境内のアチコチに水道パイプが張り巡らされてしまった。今年はその一つのパイプを見逃してしまって凍結させてしまった。もう既に何処かで破裂して水漏れが始まっているかもしれない。
冬の万善寺の一日は特にナニもすることも無いようだが、それなりに手間のかかる維持管理もある。夕方になって3回目の道開けを終わって結界君へ乗り込んでしばらく走っていると、助手席のあたりからカラカラと変な音がしはじめた。気になって確認したら凍っていたボトルのほうじ茶が解け始めていた。寒気に健気に耐える結界君が愛おしくなった。

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デッサン力 

2018/01/25
Thu. 22:08

安西水丸さんが死んだのは、確か4〜5年前だったはずだと思って調べたら、2014年だとわかった。もうすぐ7回忌を迎える。水丸さん死ぬのが早すぎ!・・・と残念でならないから、毎年この時期になると思い出してしまう。
あの人を最初に知ったのはキネマ旬報だった。
キネマ旬報は1ヶ月に2回刊行されていて、読むこところがいっぱいあったから、10日間がアッという間に過ぎて、その本が1冊あれば退屈しなかった。新刊が出ると、最初に水丸さんの記事を読むことにしていて、それが楽しみでしょうがなかった。
なんとも味わい深い絵で、誰にも真似することが出来ないはずだと今でも思う。

自分のことを云えば、あまりにも長くデッサンとか絵を描くことの勉強をしすぎてしまったと思っている。
自分で自分のことは言いにくいが、先も見えて死ぬ時も近くなるばかりだからもうそろそろいいかなと思って言わせてもらうと、「ボクはどちらかといえばデッサンが上手だ」と思っている。あまり何も考えないで、見たものをコツコツと紙に置き換える作業になると、どこかしら無心になれていたりして、普通に癖のない破綻のないデッサンになる。決してかっこいいデッサンではないが、下手なデッサンでもない。彫刻家のデッサンはソレのほうが良いと思う。
誰が見てもかっこいいデッサンを描くとか、味のある癖っぽいデッサンを描くとか、そういう人は絵描きになったり、水丸さんのようにイラストレーターになったり、平面系の方が向いている。自分にはモノの構造や全体の構成を確かめたりするためのデッサンになることのほうが大事なことで、彫刻の手がかりにその手間を一つはさむことで彫刻の制作に迷いが無くなる。デッサンの役割はそのくらいで十分だと思っている。

吉田という存在を知っているくらいの狭い世間で彫刻の話題になると、自分の彫刻について、便宜上「どちらかといえば、抽象彫刻ですかねぇ〜」と答えるようにしている。
自分では、特に具象とか抽象とかを区別して彫刻を造り分けている気もないが、周囲が無理をして理解しようとその場の空気が重くなってしまうのもどうかと思うし、いちいち具象抽象の定義のようなものを解説するのも煩わしいし、一般的に私の周辺で造形の概念を深く掘り下げて話題を振ってくる人もほとんどいないから、俗に云う「わけの分からないモノ」とか「理解できないモノ」は「抽象です!」ということで済ませておいたほうが楽だったりする。これから造ろうと準備している彫刻は、自分の持っている幾つかのテーマの中ではとてもわかり易い彫刻だと自分では思っている。具象であるとハッキリ明言は出来ないけど、どちらかというとわかり易い部類の彫刻の形態や構造は、観る人の知識経験の何かに当てはめて観られることが多いから、自分の持っている感覚を信じて迷いのない彫刻に仕上げておかないと、どこかしら自信のない中途半端な彫刻になって、観る人に不安を感じさせてしまう居心地の悪い彫刻になってしまう。そうならないようにするには、やはり、自分が納得できるまでシッカリ本気のデッサンをしてブレのない造形のムーブマンを定めておかないといけない。
水丸さんのイラストを観ていると、具象性の中に極限まで精査された抽象性を感じてしまう。彼は絶対にデッサンが上手だと思うな・・・吉田なんて足元にも及ばない・・・

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粉雪舞う 

2018/01/24
Wed. 20:11

先程、2回めの道開けをした。
朝は、雪の止み間をねらって2往復した。参道の難所で滑って転んで尻餅をついた。
お昼過ぎに、シーズン2回めの大雪警報が発令された。
その後、延々と止み間なく雪が降り続けているから、2回目はあきらめて雪の降りしきる中、真っ白になって道開けをした。
まだ日が暮れる前で−8℃まで気温が下がっている。
万善寺はいたるところに隙間があって、風の強い時は雪が舞い込んでくる。箒ではき出しても一晩のうちにまた舞い込んで家の中に積もってしまうから、雪が落ち着くまでそのまま見逃しておく。
時折突風が吹いて雪が舞う。
重たい雪は風の強さと風の方向に角度を合わせて規則正しく降り積もって、参道の数カ所に吹き溜まりが出来る。
気温が低いと、雪は水分が少なくて粒が小さくて軽いから、空にあるときからランダムに風に舞い落ちながら降り積もる。
外に出て、雪に濡れるだけで手がカサカサになる。
万善寺の一人暮らしが始まってから髪や髭が伸びて気になりはじめた。
訪問者もないからそのまま無精を続けても良いものだが、どうも気持ちがスッキリしないし、これからバリカンを当てることにした。

今の寒波が過ぎたら、彫刻の仕事に入ろうと計画している。
まずは3月のグループ展に向けて小品を一つ造る。
それで工法やバランスの様子を見てから、次に比較的小振りな野外彫刻を造る。
すでに、おおよその雰囲気はメモしてあるから、今はそれを何時でも見られる所へ張り出してチラチラ見ながらイメージを整理しているところだ。
最近は、マケットを造ることもなくなって、ずいぶん怠けて楽をしていると思うが、かといって、いつもいつもコツコツとデッサンしたりマケットを造ったりしないといけないとも思わない。チョットしたひらめきをメモしておいたり、以前からあたためていたかたちを思い出した時にメモしたりしながら、少しずつ自分の気持ちを彫刻の方へ向けていく位の自然な流れで制作を続けるほうが自分のライフワークに向いているようにも思っている。
彫刻を造りはじめてすぐの頃に、「彫刻の出来不出来は、背面を見ればすぐ解る」と具象の偉い彫刻家に教わったことをよく思い出す。あの頃は、どうもピンとこなくてその意味の重要さが解らないでいたが、なんとなく言われた内容は「とても大事で忘れてはいけないことなのだ!」という気がして、今でも、実材に取り掛かるギリギリのところまで背面のことを意識しながら「かたちの溜め」〜音楽で言うと「サビの部分」とでもいうのだろうか?〜を彫刻へ造るようにしている。

重たい雪は、降り積もる先の吹き溜まりのことまでおおよそ予測できるが、軽い雪は、なかなか積雪のベースにある地形の状況が読み難くてあなどれない。
2回めの道開けはホワイトアウトもあって随分だらしなく蛇行してしまった。

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吉田家雪情報 

2018/01/23
Tue. 20:40

万善寺の外は、相変わらず雪が舞っている。
幸いにして、今のところ昼の雪になっているから一気に積もることが無くて、降っては解け解けては降ることの繰り返しで助かる。
朝のうちに参道の一本道を開けようと思っていたら、その前に近所のおじさんが回覧板をもって4WDの軽トラで要領よく本堂下の駐車場まで上がってくれた。そのワダチが消える次の積雪までは道開けをしないで大丈夫そうだ。
島根県山間部豪雪地帯にある万善寺は、冬の間の法事は殆ど無いに等しいから、いたってヒマに自炊しながら雪の世話をしつつ1日を過ごすのが仕事のようなものになっている。

関東の方は4年ぶりに大雪になったようなので、なっちゃんとキーポンを心配して連絡をしてみた。
キーポンの職場は中央線の駅一つ分だから、列車が動かないでもなんとかなるだろうと分かっていたが、それでも東京の雪は経験がなくて苦労しているかもしれない。
なっちゃんは、自宅が埼玉で職場から離れているし、列車の移動や乗り換えで大変な状況かもしれない。
キーポンは、「電車は遅れてたけど、普通に乗れたよ。大家さんが雪かきしてくれて、お菓子とジュースもってきてくれたぁ〜♡!」・・・ということで、全然だいじょうぶ!・・・のようだが、職場から近いということで、翌日は早番にシフトが変わったそうだ。
なっちゃんは、帰宅ラッシュに捕まって身動きできなくなっていた。途中駅で旦那と待ち合わせして、どこかで夕食でも食べながらピークを回避することにしたらしく、その判断が正解だったようで、二人一緒に埼玉へ帰宅できたのだが、LINEには「東京より埼玉がやばかった!」と、写真入りで報告が返ってきた。
島根の山間部はよほどの悪天候でないと交通マヒを起こすこともない。
とりあえず平和な日本だから、大雪で都市機能がマヒしても社会情勢が不安になることはないだろうが、何時何処で何が起きるかわからないから、転ばぬ先の杖というか、防災への認識は強化しておいたほうが無難だと思う。
ちなみに、石見銀山のワイフは、「雪も降らなくて大丈夫だけど、寒い!」と電話口で鼻をすすっていた。昼間は仕事で留守にしていて、火の気のない吉田家は冷え切っている。留守番のネコチャンズは、仲良く寄り添って丸くなっていたようだ。

夕方から一気に気温が下がって、保賀の谷が雪で真っ白になった。このまま一晩降り続くようだ。
寺にストックしてある文庫本が底をついた。今のところ、何度も繰り返して読みたい本も置いていないし、そういう気分でもないから、今度の雪が落ち着いたらBOOK OFFへ出かけてみようと思う。そろそろ半年以上はご無沙汰してる気がする。
池波正太郎さんが死んで、藤沢周平さんも死んで、少し前に葉室麟さんも死んで、なにか、自分の周辺の本事情が寂しくなった。この際だから、昔のように翻訳物の小説でも読んでみようかと思うようになった。そういえば、10代の頃はサルトルとかカミュとかヘミングウェイとか・・・読んでたっけ・・・

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寒気の夜 

2018/01/22
Mon. 20:14

万善寺は夜明け前から絶え間なく雪が降り続けている。
昨日のうちに移動しておいて大正解だった。

今度の雪は、水分をタップリ含んでいて除雪用のプラスチックスコップが雪の重みでフニャフニャと使い物にならないほど重たい。
こういう雪が一気に大量に積もると、家屋のダメージが大きくなるので気が抜けない。
自然を相手に人間の出来ることなどたかが知れているから、運を天に任せて「神頼み」ならぬ「仏様頼み」で寒波を乗り切るしかない。

雪のことが気になってチラチラと窓の外の様子を眺めながらデスクワークをしているが、やはりこういう時にはなかなか一つ事に集中できなくて、ウエブニュースを見たり、読みかけの文庫本を開いたりして、どうしても休憩しているほうが多くなってしまう。
文庫本のように、自分の趣味や主観的系統の選択肢で抽出した表現媒体は、その内容に毒があったり否定的なものであったりしても、それをチョイスした自分の自己責任で良し悪しとか賛否を乗り切るしか無いが、不特定多数を対象にしたニュースやコメントは、自分の価値観を越えたところで物事が飛び交ってしまって、そういうことにいちいち反応し始めたらキリがないし、不快でたまらないし、気持ちの平静を維持することも難しくなってしまうから、私のようなワガママ者は面倒臭い現実からできるだけ遠い所へ逃避しようと、そういうことばかり思いながら毎日を過ごしているようなところがある。
最近のメディアは、表現の自由とかフェミニズムとかピューリタニズムとか、そういうものがあまりにも過激に暴走しすぎている気がする。
どこかしら、あえて波風を大きくすることで自分の存在を誇示することに喜びを感じるようなチープなエゴイズムがすぎる。

ハリウッドのプロデューサーのことで大騒ぎになっているところへ、先ごろフランスの大女優カトリーヌ・ドヌーヴさんがメチャクチャかっこ良く一石を投じてくれたと、私は思っている。今のところ、内容はあまり支持されていないようだが、吉田的にはとても共感できる発言だし、立場や価値観の違いで解釈も大きく変わることだから、ドヌーヴさんの発言も一つの正論として、もっと議論されて良いと思っているところへ、今度はブリジット・バルドーさんもニュアンスは違うようだが似たようなお話をされたようだし、とっても久しぶりに、フランスの女優さんの元気な姿が拝見できて、自分の青春を思い出してしまった。もう死んじゃったけど、ミレーユ・ダルクさんは、スクリーンに掲載された写真を見て何度もデッサンしたし、ミレーヌ・ドモンジョさんは、もうメチャクチャ綺麗すぎてセミヌードの写真は直視できなかった。あのヤッターマンの「ドロンジョ」さまはドモンジョさんの名前を拝借したらしい。イタリアのジーナ・ロロブリジーダさんもキレイだし、ダニエラ・ビアンキさんは、007映画でトップワンのボンドガールだと今でも思っている。高校生の時は彼女を見るために何度も封切りの映画館へ行って貴重な生活費を使い果たした。
私の身勝手な思い込みだけかもしれないが、ヨーロッパの女優さんは、女性としての魅力を正しく自覚し理解し区別しながらフェミニズムを認識できている気がする。

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2連休終了 

2018/01/21
Sun. 23:59

今年に入ってはじめて石見銀山で2連休させてもらった。
いちおう冬だからそれなりに寒いが、それでも昼間はシャツにトレーナーくらいで普通に過ごせるほど暖かい。

ワイフは、朝早くから台所へ立ちっぱなしでコツコツと料理を続けている。
私は、ストーブの世話をしながら80インチのプロジェクターで深夜食堂を観はじめた。
ワイフの実家は西武新宿線の沿線だから、JR新宿駅から靖国通りを渡って西武新宿の駅へ向かう。
ドラマの始まりのタイトルバックに、丁度その靖国通りを西新宿から歌舞伎町方面に向かってJRガード下を通り過ぎるあたりの見慣れた風景が撮影されていて、懐かしい。
台所から煮物の美味しそうな香りが漂ってくるし、スクリーンでは豚汁が手際よく出来上がっているし、映像と現実がさり気なくシンクロしている。

これから1週間は、シーズン2回めの大寒気団が島根県上空に居座るらしい。
雪になると万善寺の参道を結界君が登れなくなるから、今のうちに食料品などの荷物を搬入しておいたほうが楽でいい。
キリの良いところまで深夜食堂を観て、昼食を済ませて、石見銀山の町並みへ出た。
買い物のレジカゴには、白菜やネギと一緒に浜田で買い込んだ海のモノでワイフがつくってくれた料理も小分けされて入っている。参道の道開けをしながらこれから1週間、寒気団が過ぎるまで雪に閉ざされた万善寺で暮らすことになる。

2日ほど留守にしていた万善寺を一巡して、コーヒーを入れて少し落ち着いてからお風呂の支度をした。もう少し沢山雪が溶けているだろうと思っていたが、2日前とほとんど変わらない。飯南高原は、それほど気温が上昇しなかったようだ。
明るいうちにお風呂へ入るのは久しぶりだし、たまには長湯も良いだろうと文庫本を持ち込んで、陽が沈みはじめて文字が読みづらくなるまで半身浴をした。身体が温まっている間に頭の先から足の先まで手の届く範囲へオイルを塗って全身をマッサージした。前回の大雪の時に膝や腰を酷使した痛みがとれないままに、また雪と付き合うことになるから、今のうちに少しでも身体を休めて体調を整えておいたほうが良い。

キーポンが仕事の休日を使って髪を切ってパーマを当ててメガネを新調したと云うから、しつこく拝み倒して、やっと自撮りの写真を転送してもらった。
ヘアーサロンは原宿から歩いて表参道の方まで行ったらしい。
メガネは新宿のメガネ屋さんで、近視や乱視があるのに数時間ほどで出来上がったらしい。島根だとレンズが出来上がるまで1週間はかかる。物流の格差がすごい。
東京で暮らしはじめて1年も経たないのに、スッカリ一人暮らしに慣れたようだ。
写真のキーポンは、メガネも似合って女子力がグッとアップしたようにみえる。
iPhoneに替えた時に待ち受けをクロにして、今までそのままだったのを、キーポンの写真に差し替えた。
これからは、しばらくクロに休んでもらってキーポンに癒してもらおうと思う。

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海の幸 

2018/01/20
Sat. 23:57

山陰の冬にはもったいないほどの良い天気になって過ごしやすい日になった。
天気アプリだと、万善寺の方は来週から連日雪マークになっているし、そうなるとしばらく通勤坊主から単身赴任坊主になって、朝夕の参道道開け業務に従事することになるから休むのは今しかないと心に決めて、ワイフへそう伝えた。

このところ、ワイフの体調があまり思わしくないから、そういうこともあって気晴らしも兼ねて浜田のおさかなセンターまで出かけた。
日本海は波も穏やかで、日差しも柔らかで、とても1月の今の時期とは思えないほどだ。
この1週間は飯南高原で日中を過ごしていても、雨が雪へ変わることもなかったし、特に強い風も吹かなかったから、きっと日本海の第一次産業も活性して賑わっていたはずだ。
山の中での暮らしが続いて、海のものが恋しくなっていた頃だし、毎日の餅もそろそろ限界になっていた。ワイフとのとりとめのない会話を楽しみながら1時間ほど走って浜田港へ到着すると、だいたい、みんな考えることが一緒のようで、おさかなセンター前の駐車場が何時になく賑わっていた。

この時期定番のアンコウをはじめとして、旨そうな日本海の魚介類がビッシリと並んでいた。アンコウの肝も並んでいたが、「痛風の事もあるしね♡!」と、ワイフが云うし、グッと我慢した。
タコを美味いと思って食べ始めたのは石見銀山で暮らすようになってからだった。今でも、スーパーに生ダコを見かけることが珍しいくらいだから、それだけ新鮮なタコに巡り合うことが少ない。まずはタコの頭も一緒に巨大な足を二本分迷わずゲット!
それから刺身にできるアジを一盛ゲット!魚は青物が好きで、アジは子供の頃から美味いと思って食べていた。
とにかく、久しぶりの魚屋だから目移りしてしょうがない。ワイフがヒラメのアラを買った。寒い時期のアラ煮は一晩置くと煮凝りが出来て、それを熱いご飯にのせるとそれだけで食が進む。
やはり、新鮮な海のものは、それなりの所へ行かないと手に入らない。充実した休日になった。

「浜田へ来たの1年ぶりかそれ以上だわぁ〜、きっと・・」
そう云われると、たしかにそうかもしれない。
2011年の春から浜田こども美術館で現代彫刻小品展をはじめて、それからたしか2016年まで展覧会が続いた。
浜田は、日展系会派の洋画が強いところで、展覧会を通して彫刻への関心が少しでも開拓できれば良いと思っていたのだが、まったくカスリもしないまま、始まって終わった感じだった。
だいたい、島根県美術界の体質がそういうところにあるから仕方のないことではあるが、それにしても、あまりに保守的すぎて若い芽の育つ余地がない。自我独断が強くて協調性に欠ける同じ穴のムジナの如き個人が自分の利害優先で繋がった縦社会にすがって我身の進退を守っているようなところもあって窮屈なことだ。

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観音様の御蔭 

2018/01/19
Fri. 12:03

一日一晩雨が降り続いたおかげで、銀山街道から出雲街道にかけて幾つかある難所の雪が一気に消えた。
私が通勤坊主で往復している街道は、400年以上前から少しずつ整備されてきた。
その時々に、大水が出たり、崖が崩れたり、トンネルやバイパスがつくられたりして道筋が変わりながら今に至っている。主要街道はそういう整備も進んで、だいたい全線に渡って中央ラインのある2車線になっているが、まだバイパスや拡幅工事が進まなくて大型トラックがすれ違うことの出来ないほどの狭い場所が、かなりの距離残っている。それに、往時の通行の要所だったところもその後の道筋の大幅な改変によって、今は山の中の獣道ほどの状態になって、その気になって注意深く確認してやっとそれらしき痕跡を見つけ出せるくらいに街道の機能が途絶えてしまっている場所もかなりある。そういう場所の付近は、近代交通には大きな障害になる難所であるところが多いから、民家も少ないし、交通量も少ないし、日当たりも悪いしして、この度のようなドカ雪になったりすると、除雪もなくて積もった雪が圧雪になってなかなか溶けないまま何時までも路面に張り付いて残ってしまうことになる。
私は、毎日朝夕そういうところを通っているわけだが、冬のこの時期はほとんどが道を熟知した土地っ子ばかりが往来しているので、それなりに慎重に注意していれば交通マヒを起こすほどの大げさなことにはならない。

それはまだ大寒波が島根上空に居座っていた頃のこと・・・
いつもより石見銀山出発が1時間近く遅れてしまったのだが、万善寺のことで特に差し迫った用もないから、そのままのんびりと慎重に結界君を運転して銀山街道を登っていたときのことだった。比較的きつめの登りS字カーブがあって、その入口に差し掛かった時にスリップが始まってしまった。幸い対向車も来なくて道の右側にはガードレールもあったから最悪それにぶつかれば止まってくれるだろうと、結界くんの踏ん張りにすべてを委ねたのだが、途中から左方向にスリップしはじめて、このままいけば道の下に流れている沢へ落ちてしまうことになって、それからメチャクチャ焦ってしまった。こういう時にブレーキや急ハンドルを使ったりすると泥沼にハマってしまうことは解っていたが、それをしてでもナントカ沢の底まで落ちてしまわないようにすることが最優先と判断して、とにかくドタバタと手足を動かした。それらのことはたぶんほんの1分程度の出来事だったのだろうが、自分にはサム・ペキンパーのワイルドバンチが如きスローモーションでアイスバーンの路面や右側のガードレールや左側の沢が目の前で回転し、それがやたらと長い時間に感じた。そして、深い沢の谷のすぐ脇にある街道から30cmほど下がった湿地へ結界が頭から突っ込んで止まった。あと1mズレていたら、ボクは沢に落ちてお陀仏だったかもしれない。そういうことがあって直後に、地元の水道修理業者さんの軽バンが止まってくれて、その直後に、道路工事の業者さんのトラック集団が3台止まって、その直後に、除雪中の巨大な除雪専用車が止まってくれて、たまたま結界くんへ積んでいたスリングやロープを総動員して、約30分位で道の下の湿地から瀕死の結界くんを引き上げてくれた。
エンジンをかけると普通に動いて、ミッションも異常無し!油漏れも無し!電気系統も異常なし!・・・だったが、座席下のエンジンを保護しているカバーはボロボロ!
絶対にボクは万善寺御本尊十一面千手千眼観世音菩薩様に守られているなと確信した!

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「イヤッ!」といえない 

2018/01/18
Thu. 18:00

この時期の食生活は、ボクをどんどん太らせる・・・
万善寺の冷凍庫で大量に在庫を抱えている餅の一袋を、やっと片付けた。それでも、似たような大きさの袋があと3つくらいと、パック詰めの鏡餅が10個と・・・まだまだ数え切れない餅が大量に残っていて、気が遠くなりそうだ・・・
台所の食卓でデスクワークをしながら、毎日の食事をつくっているのだが、最近は、近所のホームセンターに並んでいた小ぶりの土鍋が大活躍している。
土鍋の利点は、食材がなかなか冷めないこと。それに、寒い時は身体が温まる。
使うたびに煮込んだ食材のエキスが土鍋に沁み込んで、次に使う時、水をお湯に暖めるだけでそれなりのスープが出来上がってしまっているということも、土鍋でないとできない良いところだ。そういうことを、毎回繰り返しながら土鍋を使っていると、台所中に食欲をそそる香りが充満して、どうしても一杯が欲しくなって、仕事に集中できない・・それが欠点になる。
まだ、購入してから1ヶ月も経たないのに、すでにシッカリと味の染み込んだ土鍋になりつつある。
最近体調の優れないワイフを気遣って、出来るだけ彼女に負担をかけないように、自分の食べるものくらい自分でなんとかしようとしていて、そのくらいのことしか出来ないのだが、それで太ってしまうのだから気遣いが逆効果になったりして、なかなか思うようにいかない。

「3月まで○○中学校へ行くことになったのよ・・・△□時間だって!」
夕方になって石見銀山へ帰ったら、珍しくワイフがストーブを焚き付けていた。竹野町の石屋さんがダンボール一箱分の立派な薪を送ってくれていて、その蓋が開いていた。このところ連日のように職場から帰るとそのまま寝室を真っ暗にして寝ていることが多かったから、体調が少し良くなったのかと思ったのだが、私に美術の時間講師を引き受けたことを知らせることで起きていたのかもしれないとも思った。
とにかく、ワイフは「イヤ!」と言えない性格で、それで、自分で自分の首を締めているようなところがある。周囲は、それを心得ていて都合のいいように上手に用事や仕事を振っているように思えてならないのだが、そういう性格の彼女は、負担が重なって無理が増えることが解っているのに結局は引き受けてしまっていたりする。
このたびも、ワイフが断れなかった諸悪の根源は、3学期になって早々、自分の都合でサッサと辞めてしまった前任の美術教師にある。詳しいことは全然知らないが、普通に常識で考えても、この時期に可愛い生徒を残して自分の都合で辞めることが出来るという、そういう人格でもって良く長年学校の教師が務まっていたものだと呆れる。
ワイフはすでに、三瓶山を中心の3つの中学校で時間講師をしているから、それにまた1校が加わって3月の終業まで4校を掛け持つことになった。自分の意思で決めたことだろうからボクにドォ〜のコォ〜の言うことも出来ないし、そのうえ、3月の終わりには彫刻のグループ展も控えていて、その制作もしてもらわないといけないし、万善寺のお彼岸のこともあって、吉田家は予断を許さない情勢にある。
この難曲はワイフの体調管理とボクの献身と、それにネコチャンズの癒やしに救いを求めつつなんとか助け合って乗り切るしか無い。

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万善寺越冬事情 

2018/01/17
Wed. 18:51

随分前(よく覚えていないが、去年からだっかもしれない・・)から、万善寺のトイレで一匹の蜘蛛が越冬を始めた。
その時々で暖かいところを探しているのかもしれない、少しずつアチコチ移動していて、2・3日見えない時もあったりするが、気がつくとまた何処かから現れて壁に張り付いている。
ジッとしてまったく動かないから、最初は死んでミイラ化しているものだろうと思っていた。ある日その場所から蜘蛛がいなくなっていたから、何かの拍子でトイレの窓から突風でも吹き込んで、ミイラの死骸が何処かへ飛ばされてもしたのだろうと、簡単に決めつけて忘れてしまっていたのだが、しばらくして別の場所で発見して、それでやっと「アイツ生きてるな!」とわかった。
特に自分が坊主だから殺生を避けているわけでもないのだが、無理に叩き殺してしまわなければいけないという強い嫌悪も感じないから、そのまま見て見ぬふりで放置していたら、今朝になって蜘蛛が2匹に増えていた。今まで、たまたま2匹の蜘蛛を1匹ずつ別々に見ていただけのことかもしれないが、とにかく今朝は、2匹が壁のアッチとコッチに張り付いていたので、結局は万善寺のトイレが彼等の越冬場所に一つになっているということを確信した。
そう云えば、同じトイレのサッシの隙間でヤモリも数匹冬眠していたっけ・・・

万善寺の先代から法衣をはじめとした坊主の商売道具である着物類や、襦袢から足袋まですべて引き継いだのだが、先代夫婦が、年中湿気の多い庫裏の押し入れや和ダンスへそれらをあまりにも大事にしまい込みすぎてしまって、虫干しの片付けがてら、少しずつ取り出して確認を始めたら、そのほとんどがカビのシミや死骸になったカメムシの体液や虫食いの穴だらけになっていて使い物にならない。新品のまだビニール袋に入っているモノなどはそのまま捨てるのももったいないからそれでもと思って洗濯や漂白を数回繰り返してみたが、そのたびに洗濯機の浴槽へ干からびたカメムシが浮き上がってくるし、そのうち、繊維の劣化が激しかったあたりから布が溶けるように破れが広がって、もうどうしようもなくなって、そういうことが白衣や白帯やV字のシャツに至るまで、ことごとくそのような状態であるということを確認しただけのことになってしまった。秋になって衣替えする時に、それらを燃えるゴミにまとめようとしたのだが、とても一回で済ますことにならないから、残りを手付かずのまま放置して年を越す事になった。これから、夏の衣替えまで待って、その時に一気に片付けてしまおうと思っている。
先代夫婦は激動の昭和を生き抜いた人たちだから、モノを大事にする気持ちのかなりの部分を当代の私へ引き継いだつもりであったのだろうが、結局、引き継がれた方の私は、彼等の後始末が余分な仕事で増えただけのことだから、どうも、そういう片付けごとに本気になれない。万善寺の現状で、モノを粗末にしないように暮らすにはどうすれば良いか、季節の変わり目のその時々に悩みながら今に至った。結局何をするにも完璧にこなすということは難しいようだし、まずは、無駄に沢山のものをしまい込まないで最小限必要なモノに絞ってシンプルに暮らしつつ自分にできることを粛々とこなすしか無いのだろう。

冬の万善寺は、沢山の生き物の越冬場所になっているようだ。無駄な殺生をしないで春を迎えたいものだ・・と思っていたら目の前をカマドウマがヨタヨタと跳ねて横切った。

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冬の悩み 

2018/01/16
Tue. 18:53

お肌の弱いボクは、冬を乗り越えるのに一苦労する。
冬そのものはキライではないし、雪がいっぱい降って湿度も100%に近い状態が続いて、極端に乾燥することもないのに、水仕事をするとアカギレになるし、雪かきをして肌がカサカサになるし、鼻の粘膜もやられて鼻血が出るし・・・とにかく、お肌へのダメージが避けられない。
もう何年も、アトリックスとかニベアとかオロナインH軟膏とかを頭から足の先まで全身塗りまくって冬を乗り切っていたが、ワイフがそういうシーンを見咎めて、「アレはハンドクリームだから顔はダメだ!」とか、「そんなにいっぱい塗っても効果は一緒だ!」とか、どうも指摘が細かくてうるさいから、そのうち、影に隠れてコソコソとスキンケアをすることになって、それはそれで肉体的というより精神的ダメージが蓄積されてどうも良くないし・・・そういうことが冬シーズンの悩みの一つになっていた。

雪が降り続く万善寺で眠れない夜を過ごしていた時、それこそ、徳用のニベアかなんかを万善寺用に買っておこうかと思ってAmazonをチェックしていたら、「スキンケアオイル」なるものを見つけた。
探していくうちに、「オイル」という検索項目で山のようにヒットしはじめてえらいことになった。
効能や成分を見ると、スキンオイルをフライパンへ移して野菜炒めくらいできそうな感じだし、普通に食べるものに使うようなオイルだったらお肌にも良いかもしれないと思って、試しに日清食品系列で販売しているオイルをポチッとしてみた。
すぐに届いて、早速寺の風呂上がりにそれを使ってみたら、ボクのお肌にシックリ馴染んで、伸びもいいし、なかなかいい感じだ。
あれから、洗濯や食器洗いなどの水仕事の後にはだいたいそれを少量使うようにしている。その効果が出てきたのか、最近はアカギレも出ないし、お肌のカサカサも若干和らいでいるように思う。お風呂上がりのチョットした贅沢だと思えば、それなりに納得してしまうものの、そろそろ先が見えているクタビレオヤジが「今更オシャレぶってスキンオイルでもないだろう・・」とも思うし、日常は、サラダ油とかベニバナ油くらいで済ませて、チョットお出かけの時は「オリーブオイルにでもしてみようかな?」と、フライパンを使いながらそんなことを結構真面目に考えたりしている。
とにかく、お寺のことで、台所の調味料はいただきもののストックがたくさんあるから、その中からオイルボトルを1本洗面所へ置いてみても良いかもしれない。一度は試してみる価値はあるな!

強い寒気が去って、飯南高原も気温がグングン上昇している。
早朝は、前日に溶けた雪が凍ってお地蔵さん前の参道を登ることが出来なくて大変な思いをしたが、お昼前にはそのあたりを滝のように雪解け水が流れ下っていた。雪はどれほどたくさん降り積もっても、いずれ消えて無くなることはわかっているし、無理をして参道や境内の除雪をすることもないと、私はそういう考えで冬の寺暮らしを続けている。
和紙が指先に張り付かなくて苦労しながら今年分の「立春大吉」が刷り上がった。
もう節分が近い。

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雪原の彫刻 

2018/01/15
Mon. 18:49

今度の寒波は日本海側を中心に記録的な大雪になったりして、いたるところへ大きな被害を与えたようだ。
そういう状況にあって、不謹慎なことかもしれないが、私個人としては、冬や雪が日本の四季の中で比較的好きな・・というより、一番好きな季節なのかもしれない・・と、思っていたりする。

毎年のように悩まされている参道の道開けは、かなりの重労働でいつも大変な思いをしているが、むしろ気持ちの何処かでは傷一つ無い新雪をかき分けてひたすら1本道をつくり続ける単調な繰り返しがキライではないし、道開けの1時間から2時間の間に保賀の谷でおこるさまざまな現象が、自然のつくりだすたくらみのない純粋な造形に思えて、それに包み込まれている自分の非力が眼前の事実として証明されてしまっていることをスッキリといさぎよく受け入れることができて、それが気持ちよかったりする。
観なくても良い、観たくもない、そういう自分の周囲の日頃の色々な気になる環境すべてが降り続ける新雪に少しずつ隠されて微妙な立体の曲線の稜線で一つにつながって行く様子を観ていると、自分がアレコレ悩みながら造り続けている彫刻の虚弱さがバレてがっかりしつつ、一方で、そういうたくらみのない造形の美しさに憧れるし、それが制作のテーマや目標になったりすることもある。

私の父親であり師匠でもあった憲正さんは、私の造形活動に理解があって、それで万善寺の運営に少々支障があっても、なんとなく見て見ぬふりでいてくれていた。それだけでも私にとっては大きな後ろ盾に思えて随分助けられてきた。
内室で母親の俊江さんの方は、私の造形が生活の糧につながらないことをことごとく嫌って、自分の周囲の目に見えるところにある私のものは片端から人の目に触れないように隠して、そういう話題に触れることを生涯拒み続けたひとだった。

昨年のお彼岸明けに母親が永眠してから、少しずつ万善寺の環境へ私やワイフや、その他にも関係の深いいろいろな造形を持ち込んでいる。
もう少し早くから・・・というより、島根へUターンした時からすぐに万善寺の環境をそういう風に作り変えたかったことだったのだが、今になってやっとそれが実現しはじめたわけだ。自分の造形はこの30年で随分と遅れを取ってしまったように思うが、それはそれとして過ぎたことはもとに戻すことにもならないから、今がスタートということで前を見て乗り切るしかない。
母親が大好きだった畑をそのまま耕作放棄して荒れ地にした後、昨年の暮になってユキちゃんに手伝ってもらって、やっと私の鉄の彫刻を置くことができた。
彫刻にとっては、はじめての冬シーズンを万善寺の近所で過ごすことになったわけだ。
今まで、石見銀山を中心に、飯南高原のアチコチで積雪と彫刻の関係を確認してきてはいても、こうして日常の暮らしのさまざまな場面で、その時々の変化をつぶさに確認できて記録できる環境が出来たということは、彫刻家としての自分にとって制作の方向性を模索するとても重要な条件がひとつ加わったことになる。そして、制作の楽しみがひとつ増えた。これからあと、どれだけ彫刻に置き換えることが出来るかわからないけどね・・・

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雪が止んだ! 

2018/01/14
Sun. 13:39

2時間かかった参道の道開けは、私の体力を奪い、慢性に痛みが続く腰と膝に思った以上のダメージを与えたようだ。
夜になって、食卓に仕事を広げて寺務を始めようとしたら、10分と椅子に座っていられないほど腰が痛くて我慢していられなくなった。

10年位前の大雪の時に、参道の道明けを無理してしまって、それが元で腰痛が慢性になったことを思い出した。あの頃は、なんちゃんやじゅん君や子どもたちみんなで手伝ってくれた。今は、手伝いもなくて一人で万善寺の冬を乗り切らなければいけないから、とにかく必要以上の無理はしないように気をつけていたつもりだが、やはり、この10年間の老化は避けられない。
仕事になりそうもないから早めに布団へ潜り込んだのだが、1時間もすると腰痛で目が覚める。しばらくモゾモゾと布団の中でストレッチもどきをして、痛みが収まるとまた寝るのだが、また1時間位して今度は膝が痛くて目が覚める・・・そんなことが一晩中繰り返されて、朝近くなってやっと少しまとめて眠ることができた。

朝の道明けをしようと準備をしていたら、参道の方からキャタピラの音が聞こえてきた。保賀の谷に一人暮らしのお檀家さんがユンボで道を作ってくれていた。急いで着替えて外に出てみると、ほとんど人力で何もすることがないくらい雪かきが終わっていた。お地蔵さんまで降りると、町道脇へ駐車場も出来ていた。もう、80歳近いおじいさんだから、いつまでユンボを動かせるかわからないが、とにかく今は万善寺の冬の暮らしの強力な助っ人になってくれている。冬が去って春がくるころに何かお礼をしようと思っている。

結界君からおろせないままになっていた食料の箱を持ち帰って、朝と昼を兼ねた食事をとった。
さすがに、餅を食べる気になれなくて、我慢できなくてコメダ珈琲の分厚い食パンに手を出してしまった。ワイフが、昨年末に置いていってくれたキャベツの葉を3枚ばかり使った。今の時期、野菜は貴重品だから大事に使っている。
食事の途中から典座寮の板の間が急に明るくなった。台所の窓の外は日差しが眩しい。そろそろ、1週間ぶりに万善寺で晴れを見る。
鉄の彫刻に積もり張り付いていた雪が目に見えて溶け剥がれている。
南に面した屋根は雪吊りが絶え間ない。

この冬一番の大型寒気団がやっと去っていったようだ。
お昼過ぎで日差しもあって一番気温が上昇するころでも、まだ1℃にしかなっていないから、今度の寒気はかなり強烈だったことが分かる。こういう気候だと軽いパウダースノーの雪質も良くて、積雪量が多い割に雪害が少ないから助かる。心配していた水道の凍結も、シーズンへ入る前に保温ヒーターを取り付けておいたから、それで随分助かった。一晩留守にした時に停電していたようだが、その影響も無かった。
これから、まだ2〜3回は強烈な寒気団が南下してくるだろうから、油断ならない。それでも、その先は必ず春が巡ってくる。そして、春来草自生・・・だね・・

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万善寺大雪警報 

2018/01/13
Sat. 23:11

町道から参道へ踏み込むと、1mちかく雪が降り積もっていて、2日前に踏み固めておいた1本道の痕跡がかろうじて確認できる程度だった。
新雪の除雪をしながら踏み固めて、人が一人両手に荷物を持って歩けるほどの道幅を確保しながら地道に参道を登って万善寺の境内を目指す。

午前中は江津に用事があって、お昼前にそれが終わって、万善寺のお地蔵さん前に到着したのが12:30だった。
途中のコンビニでお弁当でも買おうか悩んだが、寺の餅を少しずつ消費しているところで、弁当は「贅沢すぎる!」と空腹を我慢することにしたのだが、目の前の積雪の状況を見て、それを少し後悔した。使い古してボロボロになったプラスチックスコップを使って一本道を造り始めて、それから2時間後・・・やっと、本堂西側の基礎石まで到着した。
その間、絶え間なく雪が降り続けて、時々後ろを振り返ると、先程踏み固めた長靴の後がもう消えている。

予報では、飯南高原一帯、こういう状態が日曜日まで続くらしい。
正月の月半ばまで雪の全くない日が続いていたが、それからとんど祭りに強風が吹き荒れて、その後一気にこの状態だから鈍り切った身体が除雪の重労働に耐えられないで悲鳴をあげている。
庫裏玄関の板の間へ立つと、冷え切って真っ赤になった足の指が触感を失って思うように歩けない。
フラフラしながら荷物を移動して、すぐに本堂へ回った。ひと気や火の気のない本堂中央へ、片付けておいた業務用の灯油ストーブを移動してスイッチを入れた。せめて夕方まではこうして本尊様や仏具荘厳を少しでも温めておく。
それから、風呂にお湯を入れ始め、縁側で冷たくなっていた洗濯物を取り込んだりした。
お湯の具合をタイマーが知らせてくれたので、まずは冷えた身体を暖めることにした。
頭にバリカンを当てるのは1週間ぶりになる。僧堂で修行の時は、基本的に4と9の日にカミソリを当てたりすることになっているが、在家坊主の日常ではそれを守り暮らすのも堅苦しいことで、私はだいたいその時々の事情の中でやりくりしている。

そうこうしている間も雪は絶え間なく降り続いていた。
結局、気がつけばお昼ごはんを食べ損ね、江津へ出かける前にワイフが用意してくれた肉まん2個で1日を乗り切ったことになった。
切り餅4切れを2回にわけてレンジでチンした。今日は、そうしておいてから鍋に入れて簡単な味付けをしたスープに浸してグツグツ煮込んだ。いつも同じように食べているとさすがに飽きるから、その日の気分で餅を使い変えながら食べて消費している。おかげで、正月から半月で2kg太った。昨年から、寺の一人暮らしが増えて、そういう食生活のこともあって、数十年ぶりに少しずつ痩せ始めていたところへ、正月早々から餅づくしの贅沢が続いている。固くなった餅は、お皿にラップを張ってオリーブオイルを垂らした上に乗せてレンジでチンすると、早く柔らかになるし、ベタベタと張り付かないで都合がいい。
餅の消費で苦労している方は、一度試してみてくださいネ♡!

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西方浄土 

2018/01/12
Fri. 18:17

雪深い万善寺のトイレ読書で村上春樹さんの文庫本をペラペラめくっていたら、ボブ・ディランの「I Shall Be Released」を思い出した。
そういえば、何日か前に「チョコレートドーナツ」の映画の事を考えていたから、たぶん頭の何処かにその記憶が残っていたことが影響していたのだろう。

ボブ・ディランといえば、最近はノーベル文学賞を受賞したことで話題になっていたが、私にとっては多感な10代の思い出の中でラジオから流れる彼の歌の方が強く記憶に残っている。
それから上京してはじめて遅ればせながら彼の顔を知った。もう少し小奇麗にしていれば「けっこういい男だろうに・・」と思ったが、あの頃は、あぁ云う格好が流行っていたし、私もひとの迷惑を無視して似たような格好でいた。

デッサンなどの勉強をしていて、それに疲れると音楽雑誌に載っている英語の歌詞を和訳したりして暇をつぶしてた。どちらかといえば、インドア派の引きこもりに近い暮らしをしていて、アルバイトが休みの時は一晩中TEACに録音したカセットを回しながら、ビートルズとかギルバート・オサリヴァンとかイーグルスとかなどと一緒に、ボブ・ディランの詞も単語一つずつ辞書から抜き出していた。
デッサンなどの時間を削ってそちらの方へ気持ちが傾いていたら、もっと英語が好きになっていたかもしれないと、今になって思う。そういう、私の中のもう一人の自分が吉田家次女のノッチへ引き継がれていたのかもしれない。現在の彼女は、日常会話レベルの英語は普通に喋って、それなりに不自由なくフロリダで暮らしている。
単語を和訳していると、ボブ・ディランの歌詞はどうもうまく日本語にならなくて、ピンとこないままでいることがほとんどだった。あのI Shall Be Releasedもその1つで、歌詞の途中に西とか東とか出てきて、「From the west unto the east」のところがどうにも意味がつかめなくて、あの頃は、それで余計にその曲が忘れられないでいた。
半世紀も過ぎた今頃になって「チョコレートドーナツ」のおかげで、またあの頃を思い出して、それがノーベル賞に結びついて、それが村上春樹へ結びついて、たまたまトイレでそれらのキーワードが逆連鎖になってFrom the west unto the eastに行き着いたのだと思う。
もう、還暦を過ぎて人生が一巡した今になって、思いついて改めて日本語を当てはめても、やはりチンプンカンプンであの頃と変わりなく、ボブ・ディランの歌詞は私のような凡人には難解のままだった。
雪に埋もれた万善寺で、見つけた和訳がなかなかいい感じだった。

http://blogs.yahoo.co.jp/hotel_zihuatanejo/30437465.html
最近は、Googleさんがイザという時、ボクの強い味方になってくれる。
そして、坊主的に拡大解釈すれば、西方浄土の阿弥陀さんが、未来を司る如来さんであるということに思い当たった。
まぁ、あの頃も今もボブ・ディランが仏教を信仰しているということはまずありえないことだろうが、どんな宗教も結局は「ある根本」へ行き着くと云えなくもないしねぇ〜・・

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万善寺大雪情報 

2018/01/11
Thu. 23:46

天気アプリだと飯南高原は−7℃とある。
石見銀山は−3℃だからそれなりに冷え込んで寒いけど、万善寺よりは少しほど過ごしやすい。それに、雪が全く無いに等しいからそれだけでも気持ちが楽でいられる。

今週末は石見銀山の吉田家絡みの用事が続く。
大雪警報が出ている飯南高原も心配なので、ワイフを北三瓶の職場へ送ってから万善寺へ移動した。路面はバリバリに凍っていて、気温が低いことがよく分かる。
結界君のミッションをこまめに切り替えながら低速でゆっくりと時間をかけて銀山街道を登りきったところで、急に路面状況が悪化した。

万善寺のある飯石郡飯南町は、東西南北端から端まで島根県有数の豪雪地帯で、近年、2つの行政区が統合して1つの町になった。
それ以前は、それぞれの行政区事情で除雪作業をしていたから、寺のすぐ下の町道まで1日2回位は除雪車が来てくれていた。それが、統合してからあとは国道と幹線道路の除雪が優先になって、何日も除雪が入らないことが頻繁になった。今度の大雪のように、1日でドカッとイッキに降り積もってしまうと、除雪の手間が積雪のスピードについていかなくて、地域の交通網がすぐに麻痺して機能しなくなる。
今日も、お昼前に国道から万善寺までの町道へ入ると、地域住民の車のワダチがかろうじて残っていて、それを頼りにお地蔵さん下までたどり着くことが出来た。あのワダチがなかったら、国道の何処かに結界君を駐めて、ソコから歩くしかなかった。
トップダウンに近い国策にノーということのない日和見イエスマン気質の島根県事情は、結局田舎過疎地に暮らす住民の生活を圧迫し続けて、住みにくくなる一方だ。

まずは結界君の駐車スペースを確保して、参道の雪かきをしながら万善寺を目指した。
腰が痛いのを我慢してひたすら雪中行軍を続け、1時間少々で庫裏玄関へ到着。
風当たりの関係で、雪の吹き溜まりのあたりは1m近くまで降り積もっている。だいたい平均して70cm〜80cmくらいは積もっている様子だ。それでも、もっと山深くに暮らすお檀家さんのことを思うと万善寺は良いほうだと思う。
少し落ち着いてから窓越しに外を確認すると、積雪の定規代わりになっている彫刻がすごいことになっていた。まるで、新しい抽象の雪像彫刻が一つ出来上がっているようだ。

ワイフと調整していた時間が近づいたので、豪雪地帯を迂回してワイフの職場を目指した。決めていた15時の5分前に駐車場へ着いた。北三瓶は30cmの積雪があっただろうか?・・・飯南高原よりずいぶん少なく感じた。
「この時間で路面の雪が溶けないでいるんだから、気温が低いのよ、きっと!」
もう、何年も通勤しているワイフが助手席でそういった。冬の悪条件が続く道路事情を思うと、ワイフの度胸と根性に頭が下がる。彼女がこうして苦労しながら、不甲斐ないボクや子供たちに美味い飯を食べさせてくれているわけだ。
帰りに、途中のスーパーへ寄ってたくさんの買い物をした。レジに並んだ彼女へ、感謝の気持ちということで、ボクの薄っぺらい財布を手渡した。

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飯南町大雪警報発令! 

2018/01/10
Wed. 15:46

参道下のお地蔵さん脇から、雪を踏み固め、かき分けながらひたすら坂道を登り続け、庫裏の玄関へたどり着くまで1時間はかかったと思う。

徳島の展覧会が終わって搬出したあと、前は万善寺の畑だったところへ置いた彫刻が、積雪の定規代わりになっている。
昨日から1日1晩で50cmくらいは積もっていた。
結界くんのパワーと、そろそろチビ始めたスタッドレスタイヤでは、この半分くらいの積雪をかき分けるのが限界だ。

こうして雪が降り続ける間は、とにかく万善寺をできるだけ離れないようにしておかないと、何時何が起きるかわからない。例えば停電になったり、例えば屋根からの雪吊りで何かが壊れるかもしれないし、例えば水道管が凍って漏水がひどくなるかもしれない。
・・・それに、最低朝夕の2回は参道の雪かきをしておかないと、それこそ雪に閉ざされて寺が孤立してしまう。
2年ほど前から空き家になった隣の2軒は、生活道路が雪の下になって日常の営みが完全に絶えた。
朝昼兼用の切り餅を2つ食べてコーヒーを入れていたら、飯南町に「さきほど大雪警報が発令されました!」と防災放送が流れた。このままこの調子で降り続くと、明るい間にかるく1mは降り積もるだろう。

とんど祭もおわり、雪も本格的になったから、寒中見舞いの支度に入った。
世間は、喪中のことだからと、年賀状の失礼を良しとすることが多いが、私は特にそういうことにこだわらないで過ごしている。世間的に云うなら、昨年に母親が永眠しているから今年の年賀状は失礼することになる。それでも、年賀状が1年に1度きりの挨拶状になっていることも多いし、こうして、少し時期をずらして何時もの年賀の挨拶を寒中見舞いに置き換えることにしている。
それで、今年の自分への戒めとして「動処静得 苦中楽得」を書かせてもらった。
「年頭の気持ちを忘れないように・・」と、最近は年間通して塔婆の裏書きにすることが増えた。もちろん、時と場合によって色々と使い分けるから、すべての法事仏事をその一節で乗り切っているわけではないが、だいたい、そうすることが多い。墓前のお経を読みながら、その裏書きを見ることで、その年に自分が何を大事に思っていたか解るし、自分の惰性や怠慢を反省することにもなる。
出典は、私のスキな洪自誠さんの菜根譚による。
とかくドタバタと忙しくしてばかりいると心の余裕がなくなってイライラして、それがすぐに顔に出て、結局周りを巻き込んだりして迷惑をかける。
自分の好きなことばかりにのめり込んでいる、そういう毎日は楽しくていつまでも続いてほしいことだが、そればかりでは自分を磨くどころかいつのまにか自分に甘えてしまって、気がつけば周りから取り残されていたりする。
自分にとって本当の「心の穏やかさ」とか「行いの楽しさ」を極めるにはそれなりの努力や苦労が大事ということ。

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雪起こし 

2018/01/09
Tue. 23:09

遂に!・・というか、やっと!・・というか・・・
飯南高原は本格的な雪になりました!

朝方まで、窓の外で雨音が続いていた。
前日の夕方には、AppleWatchの天気アプリは雪マークが続いていたが、それが少しずつ変わって、深夜にはすべて雨マークになっていた。
場合によっては、結界君を境内からお地蔵さん脇へ降ろしておかないといけないし、一晩中天気アプリを眺めながら過ごしたら、寝不足になった。
朝方になって、睡魔に襲われてウツラウツラしている間に、気がつけば万善寺の周囲が一気に真っ白に変わっていて、みるみるうちに積雪が進み、朝の支度でモタモタしているほんの1時間程度の間に、一瞬で3cmくらい積もった。
この状態だとお寺参りもないだろうから、急いで支度して結界くんへ飛び乗った。

国道を北上していると、琴引山から大万木山にかけて厚い雪雲にスッポリと包み込まれているのが良くわかった。遠くから雷の音もかすかに聞こえる。
こういう中国山地沿いに集中する雪の振り方は、冬に入る雪起こしの状態に似ている。
今までは、11月の最終週か12月の1週目くらいに最初の雪起こしがあったが、このたびは、年明けの今頃になってそれが来ている。
こういう状態だと、2月から3月にかけての天気が予測できないし、これからの彫刻制作にどこかしら影響が出てしまいそうだ。

斐伊川の近くの町で用事をすませて、そのまま斐伊川に沿って出雲方面へ向かった。
案の定、そのあたりは雪のカケラもなくて路面も乾いている。
同じ島根県でここまで気候状況が違う。
これから、富山を経由して石見銀山へ帰ろうと思っていたが、富山の雪風景は期待できそうにない。
斐伊川土手を途中から逸れて、出雲の西で国道へ合流した。
日本海から吹き付ける強烈な北風で結界くんが時々大きくふらつく。
このくらい強い風だと、富山にある「ボクの彫刻が倒れているかもしれない・・・」
国道を走りながらしだいに心配になってきたものの、今更どうなるわけでもない。
ドキドキしながら要害山を迂回して、富山の谷を超えて彫刻の見えるところまで行ってみると、健気にもかろうじて倒れることもなく、強風にあおられながら直立していた。

まちづくりセンターへ新年の挨拶がてら万善寺カレンダーを置いてきた。
「風で彫刻が心配だったものですから・・、雪が降ってると思ったら無いですね・・」
「今年は降りませんねぇ〜、午前中はもっとすごい風でしたよぉ〜!」
飯南高原は、富山より100mくらい高地になる。この100mの差と、1000m級の連山が続く中国山地の麓とでは、これほど大きく気候条件が違っている。
ふと、奥出雲の船通山がどうなのか気になった。
この近年、吉田の行動はどんどん街場から離れて山里へ入り込んでいる・・

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保賀の谷とんど祭 

2018/01/08
Mon. 20:40

昼前から保賀のとんど祭がはじまった。
1日前から強い風がおさまらないまま、続いている。
万善寺の裏山から吹き下ろしていた北風が、今度は南風に変わって保賀の谷から万善寺へ吹き上げてくる。
雨の方はかろうじて小雨程度でおさまってくれていて、大衣を着ることはできた。
歳徳神の回向を終わってお焚きあげの火を移す頃はいよいよ南風が強くなっていた。
今年の役付の火の番を残して、保賀の集会所へ移動して年始会になった。
それから約2時間ほど酒宴が続き、役付の皆さんの後片付けを手伝って寺へ帰ったのは午後の3時を過ぎた頃だった。
南風がまだ残っていて、この時期にしては珍しい暖かさで、それでもと思って下着に貼り付けておいたホッカイロが熱いくらいだ。
夕方になって陽が暮れて夜になってもそれが続いて、今のこの時間で7℃もある。
たぶん、今日がこの冬シーズンで最高の暖かさになるのだろう。これから明日早朝にかけて爆弾低気圧が接近し始めると、一気に極寒の冬が戻って、万善寺も雪に埋もれる。
それから約1ヶ月半ほど参道の一本道を確保しながら寺の機能を維持することになる。

自分の近くにテレビ好きのワイフがいないと、全くテレビを見ることがない。
今の寺暮らしがそれで、正月の行事を終わってワイフが石見銀山へ帰った夜に、テレビにつながるコンセントを別の用事で抜いてから後、未だにそのままの状態が続いている。
特に差し迫った世間の危機があるわけでもなさそうだし、知らなくてもいいような情報をワザワザ知る必要もないから、たぶん、当分の間寺のテレビは動かないままになるのだろう。そういう状態でも天下のNHKの受信料は引き落としされてしまうのだからどうも気持ちがスッキリしないところもある。いっそのこと、光熱水費と同じようなシステムを導入してメーター1つを取り付けたNHK専用回線にしてしまえば、誰からの文句も出ない純粋な受益者負担になって良いと思ったりするが、それも暇なオヤジの妄想の1つだという程度のことだ。

チョコレートドーナツという映画の中で、ボブ・ディランの「I Shall Be Released」をルディが歌っていた。「何処かで聴いた覚えがあるなぁ〜?」と気付いたものの、その記憶の出元がしばらく分からないままでいたが、その後、FUNの「Carry On」アコースティックバージョンを聴いていて突然ひらめくが如くTHE BANDが「ラスト・ワルツ」で歌っていた曲だと思い出した。そのラスト・ワルツは、あのマーティン・スコセッシが監督した。映画の最後の方でボブ・ディランがTHE BANDのステージに登場して大喝采を浴びながら歌っていたことを思い出す。
どうして、I Shall Be ReleasedとCarry Onが繋がったのだろうと、そのあたりのことは自分でも理解できないでいるが、新年会で久々にタップリ飲んだ熱燗のせいもあって、脳みその何処かに点在していたジグソーパズルのような記憶のカケラが何かの拍子に噛み合ったのかもしれない。
特にこれといって深刻なストレスがあるわけでもないが、思いっきり泣いて涙を流すのもストレス発散に効果があるという。今夜はそんな映画をチェックしてみようかな・・

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三日坊主 

2018/01/07
Sun. 23:12

さすがに餅好きだった憲正さんのようなわけにはいかなくて、手をつくした餅レシピもあまり効果がなく、食べても食べてもいっこうに消費の実感もわかないまま、坊主の餅食が三日坊主で終わってしまいそうな状況だ。
1日に4切れくらいしか腹に入らないし、切り分けた餅はすでに万善寺の冷凍庫からあふれて冷蔵庫を占領している。
いつもは朝食を食べないことに慣れているから、この数日間の万善寺一人暮らしは餅の食べ過ぎで胸焼けが収まらない。まったく、胃薬を飲みながら餅を食べ続ける自分に自分で呆れてしまう。
今の時期のことで、「お供えの御下りですからどうぞ♡!」と近所に配ったりしたらかえって迷惑になるし、正月早々大きな試練に遭遇して悶え苦しんでいるボクなのです。

とんど祭に向けて、しめ縄などの正月飾りや昨年の御札などを集めて、正月の装いを整理した。一般在家とは違って、本堂から庫裏まで各所に散らばった正月飾りをひとつに集めるとかなりの量になる。
午後になってから、時折庫裏の縁側で建具のガラス窓を叩く音が繰り返されて、次第に周辺が賑やかになってきた。万善寺は南向きに建っているから、北風が吹き始めるとその音ですぐわかる。
年末から続いていた気持ち悪いほどの好天も、そろそろ終わりに近づいたようだ。
この2日間は、日中の気温も上昇して夜の冷え込みも和らいでとても過ごしやすかったが、これから爆弾低気圧の接近で天気が崩れることもわかっているし、そうなる前に残った年始回りを片付けておくことにした。
県境を越えて広島県の方から、島根県の雲南市や出雲市との境あたりまでグルリと一周りした。
途中、農協スーパーへ寄ろうとも思ったが、例の餅のこともあるし、食べるものは食べきれないほど豊富にあるから、グッと我慢した。

明日は、朝から保賀のとんど祭があって、万善寺が祈念法要をすることになる。それが終わってからお焚きあげをして、そのまま今年の年始会になる。
保賀は、上中下の3組に分かれている。
上の組は、絶縁や空き家が増えて現在在宅で機能している戸数が5軒だけになった。そのうち、3軒は私のような一人暮らしだから、お祭りとか年始会と云っても随分寂しくなった。それでも、残った住民がなんとかしてこういう年中行事を継続維持して次の世代へ繋いでいかないと地域文化がどんどん衰退して機能しなくなる。
私が少年の頃は、地域の年寄りがやたらと威張って若い世代をこき使っていた。万善寺の憲正さんは、たいして偉くもないのに威張り散らしていた近所の年寄ったお檀家さんから「方丈さん」と呼ばれて別格扱いになっていたおかげで随分楽をしていたが、私の代になったからはそういうわけにもいかなくて、何をするにも地域の皆さんと一緒になって動くようにしている。
大衣も着ることになるし、明日1日というより、せめて午前中だけでも穏やかな天気であってほしいものだ。

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万善寺典座寮配膳室事情 

2018/01/06
Sat. 14:36

本堂が8箇所で庫裏が5箇所。それにお地蔵さん・・・これが、現在の鏡餅お供え総数。
前住職の頃はもっと多くて、その2倍以上だった。
住職が完全交代して私の代になってはじめての正月だったから、それまで母親の目を盗んで少しずつ減らしていたお供え餅の数を、今回一気に絞ったところだ。

今までは毎年正月が過ぎて、お供えの御下りをありがたく頂く毎日が、3月の桃の節句くらいまで延々と続いていた。
憲正さんはお餅好きで、1年中毎朝お餅を欠かさないくらいのひとだったから、正月の御下りも普通に難なく消費できていたが、少年時代からそういう食生活に付き合わされていた正純のほうは、毎朝餅を食べることが仕事のようなものになっていて、一人暮らしを始めて、餅朝食から開放された時の喜びは相当なもので、今でも時々思い出す。
餅を見るのも嫌だとか、喉も通らないで吐き気がするとか、それほどでもないが、とにかく、許されるなら餅を食べないでいられることを切に願っているところもある。
それでも、坊主であるという商売柄、餅との縁を切ることは出来ないから、それも坊主の修行試練と思って粛々と乗り切るしか無い。
お供えも長引くと、餅が石のように固くなって後の保存始末が面倒になるから、ワイフのつくってくれた重ね餅だけを早めに下げた。
それ以来、暇を作ってはレンジでチンして少しやわらかくしてから一口サイズに切り分けしている。小分けしてビニールに入れて冷凍庫へ放り込んでいるが、それも満杯になってきたから、今度は少しずつ消費することを考えないといけない。

石見銀山で一晩過ごしてから、また万善寺の暮らしに戻った。
私は、冬も夏も変わりなく建具を締め切った暮らしが馴染めない。
夏は虫が入るし、冬は外気がはいって寒いしで、吉田家家族も含めて訪問者にはあまり良く思われていないところもあるが、日常のほとんどが正純坊の一人暮らしだから、誰に気兼ねすることもない。
それで、この数日は、正月にワイフが作り置いた幾つかの食材を消費するために、灯油ストーブを昔寺の典座寮配膳室だった板の間の真ん中へ置いて、おでんや煮物の鍋を温めている。
三度の食事で少しずつ食べて減らしつつ、切り餅の消費も欠かさない。おかげで、まったく腹がへることもなく、少しずつ冬太りし始めているが、これも職業病ということで割り切るしか無い。

なんとも命名のしようがない料理ともいえないようなオヤジのナンチャッテ「餅入りおかず」を手を変え品を変え毎回作り変えている。
昨夜は、イタリアン風の味付けにしてワインを楽しんだ。
朝食は、ひとまずおでんに餅を入れて煮込んだ。
今夜は、残っている焼き鯖をほぐしてフレーク風にしたものを餅を伸ばしてナン風に丸く焼き上げた生地へ乗せて餅ピザでも作ろうと思っている。
和風洋風入り乱れて、これからしばらくは、ブログネタが餅づくしになるかもしれない。

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オヤジの帰宅 

2018/01/05
Fri. 16:52

飯南高原の近場のお檀家さんを年始回りで一巡して、そのまま石見銀山へ向かった。

昨年末に万善寺の一人暮らしに入って、自分ではそれなりに万善寺住職の正月重職を勤め上げたつもりで、やっと坊主正月らしき日を迎えることが出来たのが昨日のこと。
だいたい10日ぶりに石見銀山の吉田家へ帰宅した。
荷物をおろしたりして賑やかしているのに吉田家のネコチャンズはまったく姿を見せないし、鳴き声もしない。
「猫だいじょうぶ?脱走してるんじゃない?」
心配になってワイフへ聞いても、自分の用事ばかりで返事がうわのそら・・・
ボクとしては、久しぶりの帰宅になるんだけどなぁ〜・・と、もう少し歓迎されてもいい気がした。これだけ付き合いも長くなると、夢見がちな家庭生活なんて忘却の彼方へ消えてしまっているようだ。もっとも、今更そういう甘ったるい夫婦生活など想像するだけで逆に気持ち悪い。

昨年末に薪ストーブの焚付の薪を補充しておいた中から、乾燥が進んで燃えやすくなったモノがほとんど消費されていた。
生まれも育ちも江戸っ子のワイフにとっては、まさか、今頃になって冬の暖房を薪に頼るなどとは思ってもいなかったことだろうから、それにしては文句も言わないで偏屈親父によく従って尽くしてくれているとは思う。
ストーブに火が着いて少し部屋が暖まってきたら、何処かからネコチャンズが湧き出てきた。まったく、みごとにマイペースを極めたヤツラだ。
帰宅した時土間にじゅん君の靴が見えたから、彼はまだオヤジの炬燵へ潜り込んでいるのだろう。
ワイフ情報によると、このところ毎日のように昼は寝正月で夕方になるとゴソゴソ起き出して夕食もとらないで何処かへ出かけるのだそうだ。ワイフもネコチャンズも寝静まった後、夜中になって帰宅しているようで、普通だと自分の家庭をもってもおかしくない歳になっても、まだそのように正月早々毎日夜遊びを続けていて、夜行性の猫の上を行く。
こればかりは、自分の自覚が出ないうちはまわりがとやかく云ってもどうしようもないことだ。親子のことで、冷たいオヤジに思えるかもしれないが、順当にいけばどうせ先に死ぬのは親父の自分の方で、後になって子供がどう苦労しようが、手を貸すことが出来るわけでも無いことだから、先にサッサと子離れしておいたほうが気楽だ。

オヤジの寝室をじゅん君が占拠しているから、新年早々吉田家にボクの寝場所が無い。
彫刻や結界くんと一緒にアチコチ旅して回っているし、こういう劣悪な環境に遭遇してもナントカその場を取り繕ってしのいでいるから、それほど気にすることでもないが、やはりさすがに一晩熟睡できなくて苦労した。オシッコに目覚めた時、じゅん君が帰ってきて、余計に目が覚めたから、それから80インチを起動して映画を1本観た。吉田家の唯一のボクの娯楽で、家族の中でこれらの機器を操作できるのは他にナッちゃんくらいしかいない。ワイフの手前、少し遠慮して音響を絞って静かに観ていたら深夜の巡回を終えたクロが音もなく私の布団の上に乗ってきた。劣悪な睡眠環境がもっと劣悪になった。

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一日遅れの坊主正月 

2018/01/04
Thu. 23:17

正月3日間の朝課法要が一段落して気が緩んだのかもしれない。いつもより1時間位寝坊してしまった。
あわてて着替えて、諸々準備をして遠方のお檀家さん他、関係各所に配布する1年の守護札と年始粗品用カレンダーを祈念しようと本堂にいたら、昔は毎日のように夜な夜な飲んでいた30年来の友人が新年のお参りをしてくれた。

それぞれ違った道を歩きはじめて、気持ちの向く方向が別々になってから少しずつ逢う機会も飲む機会も話す機会も減ってきて、石見銀山の町並みのすぐ近所で暮らしているのに、今は1年に5回と出会うこともないし、酒を飲み交わすこともあるかどうか・・?程度に疎遠になった。それでも、こうして正月のうちに万善寺へ寺参りをしてくれて、それだけはよっぽどの事情がない限りだいたい例年続いている。
「これから、何か用事があるの?」と聞いたら、午前中は特になにもないと云うから、「それじゃぁ、久しぶりだし・・」とコーヒーでも用意することにした。
まずは、祈念のお経を終わらせて、御札などを香にくぐらせて、彼にも焼香してもらって、そのまま本堂に落ち着いて、ほぼ1年ぶりの世間話になった。別に、お互い嫌いになって疎遠になったわけでもないし、それなりに風の便りでおおよその実情は把握できているから、逢えばすぐに疎遠の距離も縮んでそれぞれの近況報告になった。

「今ねぇ、(喜捨)という言葉が気になってるのよぉ〜」
本堂に置いてある喜捨箱をみつけてそう云ってきた。
「寄進とか寄付とか、同じような意味合いだけどね・・(喜捨)といわれるとチョット気持ちが変わってくるよね・・」
文字をそのまま読むと「喜んで捨てる」ということで、その気持の先は、功徳をいただくことに繋がるわけで、そういう汚れのない清らかな気持ちが形になって示されるわけだから、その質量の加減で功徳の過不足が決まるようなものでもない。そういうことの積み重ねが信心の重さ深さになって我身我心の清浄につながるし、徳の道がひらけるわけだ。
今の世の中、とかく銭勘定が優先して打算が過ぎる傾向にある。
「欲」にも良し悪しがあって、選択肢を誤ると無駄に苦労が重なって自分の行末に悩みのネタが尽きなくなる。結局は、何も無いのが一番スッキリして気持ち良かったりするのだが、そういう境地に至るまでが試練だ。
「(放下)ということもよく云われるよね。そっちが(喜捨)の上かもね?我欲が消えて放下の境地になればたいしたものだよ」
「(ホーゲ)って、どんな漢字書くの?」・・・彼は、まだ放下を知らなかった。
そのうち、なにか分かり易く解説でもできるといいなと思ったが、今の自分はまだまだそんなエラソォーなことが言える身でもないし、まずは、自分で自分が納得できるまでのことをしないといけない・・・とまぁ、万善寺の冷えきった本堂でコーヒーすすりながらオヤジ二人の1年がそんな会話から始まった。

彼が帰ってから、今日を一日遅れの坊主正月に決めて、昨年末に万善寺本堂へ導入したAI掃除機君のスイッチをONした。

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坊主正月とSCULPTOR 

2018/01/03
Wed. 16:54

奇跡的な好天のうちに終了した年始会の後片付けを済ませて、ワイフとじゅん君が石見銀山へ帰っていった。

朝から何も食べないで、そのまま年始会でお檀家さんのホストをしながら少し飲んだら、アルコールが一気に回ってしまった。
緊張が緩んで少し放心状態でいたら、酒を飲まないワイフがそれを見咎めて正月早々険悪な雰囲気になった。「私がこんなに頑張って働いているのにあなたのその態度はナンなのよ!!」・・・的イラダチがオーラのごとくワイフの全身から発している。
疲れていることはお互い様で、どちらがどれだけ働いて誰がどれだけ疲れているかとか、そういうことを無理に比べて仕事量の過不足を割り出せるものでは無いと思うのだが、どうもそのあたりの認識の違いがすり合わせられないまま険悪の溝が深くなる。
万善寺の年間を通して、大きな行事のあとには、必ずこのような身内家内のイザコザがついてまわる。コレは、前住職の憲正さんの頃から万善寺の伝承のように世代を超えて引き継がれている。それも、当代住職の私を最後にしようと考えているが、うまくいくかどうか今はわからない。

正月3日は、これも先代から引き継がれている「坊主正月」となっている・・はずだが、私が副住職の頃からそういう習慣は先代夫婦には引き継がれていたものの、私自身には具体的な実態は無くなっていたから、今のところ名称だけが暗黙に引き継がれているという状態だ。3日めの朝課祈念法要は、早朝少し遅めにスタートさせて終わる頃に都合よく朝食になるよう、時間調整がされていた。そうすると、朝食前に正月三ヶ日の法要が終わって、朝から打ち上げの一杯が始まって、それが「坊主正月」になるという次第。いつのまにか、この3日に保賀地内の年始回りをすることが恒例になっていて、その担当が副住職とその家族になっていた。今は万善寺オリジナルカレンダーと手摺りした1年有効の家内安全五穀豊穣祈念守護札を配りながら新年の挨拶にまわる。そういう準備をしたりしてドタバタしていると結局気がつくつと普通にお昼を過ぎて夕方近くになっていたりして、「坊主正月」など、どこかえ消えてなくなっている・・というわけだ。
それでも、今年の3日は、私一人で万善寺の正月を過ごしていて、朝から年始参りが一人と、宅急便の配達が1回あっただけで、もちろん、雪もなくて保賀の年始挨拶も結界くん玄関横付で楽に過ぎて昼寝もできて静かな一日を過ごしている。こういう時は、音楽も何もない無音がいい。ミルで挽くコーヒー豆の砕ける音が部屋中に響いている。「こんなに大きな音なんだ!」と、静かだから気がついた。

昨年末に届いていた「SCULPTOR」の17号を読み返した。
届くとすぐにK.H氏の「編集後記」から読む。彼の文章は彼の彫刻のごとく、とても興味深くて面白い。
毎号、色々な彫刻家が文字の表現を借りて登場していて、それも面白い。
まぁ、自称彫刻家と云っている程度のナンチャッテオヤジごときがエラソーなことをいえるわけでもないが、表現者の力量や純粋さは、彫刻の造形だけでなく文章表現からも見事に伝わってきて、それが凄いと思う。
行間から作家の彫刻が飛び出して見えた。

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2018万善寺年始会 

2018/01/02
Tue. 23:10

毎年、新年二日目はお檀家さんのお参りをいただいて年始会を行う。
この日のために年末から準備を始め、元日も早朝からほとんど一日中立ち働いて、午前0時を過ぎたら正月朝課の祈念法要に入る。
お経を読みながら本堂を一巡し、庫裏の各所を回ってだいたい2時間はかかる。
それが終わったら、すぐ寝るわけでなく、引き続いて二日目の準備に戻るわけだ。

昨年末からじゅん君とワイフが万善寺へ合流してくれて、年始会準備を手伝ってくれた。
かれらは、私の家族親族だというくらいのことで、寺に関係する色々なことを一緒になって働いているわけではないので、本当は自分ひとりで全てを取り仕切るほどの覚悟がないといけないのだが、周知のごとくの軟弱者だから、どうしても彼等家族に頼ってしまうことになって、そういう不甲斐ない自分が嫌になってしまう。
だいたいに、ひとの用事の手伝いというものは、とかく「面倒臭い・・」が先に立って気持ちのこもる仕事になることが少ない。
少年の頃から大人になって副住職になり、住職になってからでも前住職夫婦の居るうちは心底正直に本気に寺務を切り盛りするようなこともなく、どこかしら心の片隅で義務感の方が優先していて、坊主の宗教的使命というようなピュアな気持ちでいられることなど無かった。
人生の殆どをそういうふうに中途半端に過ごしているから、今更或る日突然のごとく立派な宗教家に変身して残されたわずかな人生を全うする気にもなれないし、まぁ、このままなんとなく「成り行きに我が身を委ねるしか無いのだ!」と、思っている。

この近年・・・というより、副住職時代も含めて、正月2日が雪のかけらもなく1日中好天であったことの記憶がない。
それほど驚異的に珍しい年始会になった。
総勢約20名のお檀家さんも革靴正装がほとんどで、ポカポカ陽気で雨具の必要もないし、住職も含めてどこかしら緊張感のないまま祈念法要が始まって終わった。
ワイフが内室として正月を手伝ってくれるようになってから、年始会の定番がおでんになった。
この日のために3日位前から仕込んで、ほぼ一日中コトコト煮込んできたものだ。最近は、出席率ほぼ100%常連のお檀家さんも、ワイフのおでんを楽しみにされるようになった。
法要が終わって本堂に並べた坐テーブルいっぱいにならぶ正月料理は、8割方ワイフの手作りになる。じゅん君と二人で裏方に徹して約2時間の年始会を盛り上げてくれた。

私には住職としての立場を維持しつつホストに徹して場を盛り上げる役があるから、ワイフたちがいてくれないと新年会が回らない。
隣近所の寺院では、お檀家さんの奥さんにまかない役をお願いしていらっしゃるところが多いようだが、万善寺の現状ではそこまでする必要も無いほどだからどうしても家族に負担がかかってしまう。
世間の一般家庭のような正月の過ごし方は、吉田家にとって夢の世界なのだ!

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2018-01