FC2ブログ

工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

銀座の彫刻展終了! 

2018/03/31
Sat. 23:20

展覧会の1週間がアッという間に過ぎた。
自分としては、近年まれにみる濃厚な日々となった。
当分の間、何かにつけてこの数日の出来事を思い出すことになりそうだ。

島根に帰って落ち着いてからだいたい35年ほどになる。
その間に4人の子供が生まれて、それぞれそれなりに育って、久しぶりにワイフとの二人暮らしがはじまったと思ったら、私の両親が相次いで他界した。
万善寺のことも、誰に気兼ねすることもなく自分の思うようにコトを進めることが出来るようになったはずなのだが、いまだに先代夫婦の後始末で毎日が過ぎている。
それに加えて今度の強烈寒波のダメージがのしかかって、またその上に今回の彫刻展が迫って、結局修繕半ばで1週間ほど寺を留守にすることになった。

彫刻の方は自分の好きで始めて、それから今まで続けていることだから、少々の無理も苦労も気にならないで乗り切っている。
今年に入って最初の制作になった彫刻も、計画では立春が過ぎたら工場へ通うつもりにしていた。ところが、次々と押し寄せる寒波のおかげで寺を離れることが難しくなって、その計画が大幅に狂った。それでも最後の辻褄をあわせるところまではなんとか持ち直して展覧会のメンバーへ大きな迷惑をかけることは回避できた気がする。
いずれにしても、幾つかの彫刻展は毎年恒例のことになっているし、長期的な計画を練っておけば直前のドタバタで大騒ぎすることもないのだが、やはり生来の怠け者にはそれがナカナカ出来なくて難しい。

午後になって、関東各地から出品の作家が少しずつ集まってきた。
遠方の作家は、奈良からiさんが搬出に上京された以外は、会場へ集まったメンバーで梱包を手分けして発送するまでを代行することになる。会員も年数を重ねたベテランになると、すべて遺漏なく手配できているが、出品歴の少ない作家は展覧会全体の流れに不慣れなところもあって、なかなかトンチンカンで微笑ましいミスがあったりする。30分足らずの間に全ての彫刻を梱包してクロネコさんへ託すわけだから、よほどに手早く作業を進めないとみんなが迷惑する。まぁ、こういう展覧会の前フリ後フリの諸々の作業は、自分の流した汗の量で身体に覚えさせるしか無いことだと思う。そうしてみると、彫刻家吉田正純は、まだ自分の彫刻を造る以前からワイフの制作や搬入出を手伝ったりしながら少しずつ大事なことを覚えて今に至っているわけだから、相当量の汗を流したことになる。

島根の彫刻展も、こういう過去からの彫刻絡みのアレコレが蓄積されているから、自分の動きやすいようにスケジュールを組み立てて楽にすることが出来ている。
助成金で運営していた企画が、昨年度で一区切り着いた。
2010年に思い立って企画がスタートして、当初の2年間は実績を積み上げることを目標に自己資金で運営した。そういう原点に帰って、今年度の島根県各地巡回の彫刻展は自己資金をメインにして協賛金を獲得しながら乗り切ってみようと思っている。コレが上手くいったら、助成金母体への報告書作成の義務が無くなってボクとしてはとても気楽になれる。そろそろ、こういう少々堅苦しい文化事業も後進につなぐ時期だとも思っている。

IMG_6293.jpg
IMG_6287.jpg
IMG_2867_20180403102138651.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

花冷えの銀座 

2018/03/30
Fri. 23:41

2年前も銀座のギャラリーで1週間彫刻展の受付をしたが、確かあの時は会期が今より1週間ほどあとで、4月に入っていたと思う・・・が、記憶が間違っているかもしれない。
とにかく、今度の展覧会は、2年前より来場が少なく感じる(気のせいかもしれない・・)。
芳名録の記帳簿へ記帳する人は、今回が多い気がするけど、それでもフラリとギャラリーへ立ち寄った人は記帳しないでそのままフラリと去ってしまう。そういう人が減ったように感じる。日が長くなりつつあっても、今の時期でクローズの迫った夕方の7時となると看板の灯りのほうが目立ってくる。そういうことも来場数に関係しているかもしれない。
吉田家二人の彫刻家目当てに16人が会場へ来てくれた。最終日に来るという連絡も入っているので、もう少し増えるかもしれない。総入場者数が150人チョットだから、島根在住彫刻家としては広報活動も健闘している方だと勝手に納得している。

前回いつ映画館に入ったか全く覚えていないほど久しぶりにキーポンと新宿で映画を観た。その帰り道に小さな公園があって、そこに咲く桜の花びらが路肩の電柱脇へビッシリと吹き溜まって、辺り一帯が淡いピンク色に染まっていた。桜の種類にもよるだろうが、東京は4月になる前に桜の花が終わりそうだ。
田舎に暮らしていると、周囲の草木の変化がそのまま季節の変わり目を教えてくれるので、なんとなくそれと連動して節目の行事を覚えていたりする。
今は1週間を留守にしているから、島根の現状がわからなくて落ち着かない。
ワイフと電話で話すたびに桜はどうだとかすももはどうしたとか聞くものだから、今日になって吉田家グループLINEへ銀山川に面した裏庭の様子写真を添付してくれた。すももは白い花がキレイに咲いているし、菜の花もアチコチに黄色い島をつくっているが、吉田家の桜はまだやっと一つ二つ花が開いている程度だった。石見銀山でそのくらいなら飯南高原の万善寺は、まだ梅の花が残っているかもしれない。

日が暮れてから一気に冷え込んだ。このところ暖かい日が続いていてそれに慣れていたから少々つらい。会場をクローズして最寄り駅で下車してキーポンのアパートまで帰っていたら、居酒屋の集まった横丁を抜けた当たりで細い路地からキジトラのネコがヒョイと飛び出してきた。たまたま方向が同じでしばらく横に並んで歩いていたが、それからまたすぐ先の民家の隙間へ曲がって見えなくなった。ソコソコ立派に太って貫禄のある老猫に見えた。キジトラの模様がもう少しグレーっぽくてほっそりと若返らせたら、明大前で同居していたタマの雰囲気によく似ていた。それで久しぶりにあの頃を思い出した。
どういうきっかけでタマが私に近づいてきたのか覚えていない。特にだきあげて頬ずりするわけでもなく、もちろん、貧乏暮らしで猫飯を自分で食べることはあってもタマのためにつくってやることなど無かったのに、なんとなくお互いの距離が縮まって、私が帰宅して鍵を開けて部屋の電気をつけると、タマはゴミの掃き出し窓から入って自分から私の膝へ乗ってきたりする、なんとも奇妙な適度な距離感の関係が2年位は続いただろうか?・・・それから、その家を取り壊すことになって引っ越しが決まって荷物の整理などをし始めたところで、フラリと何処かへ行って見えなくなった。あのタマはもうとっくに死んでいるくらい昔のことだ。吉田家のネコチャンズは今頃どうしているだろう・・・

IMG_2879.jpg
IMG_2880.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

東京の夜 

2018/03/29
Thu. 23:36

銀座の展覧会場で受付をしていたら、出雲のお檀家さんから電話が入った。
墓納め(墓終い)のことでもう2年前から継続してお話していたことが、この数ヶ月で一気に先へ進んだ。一連の先祖供養が終わったら、晴れて離檀されることになります。
血縁親族も絶えてお墓の維持が出来なくなる家もこれから一気に増えることでしょう・・・まぁ、これは万善寺のある飯南高原のような田舎過疎地のことで、人口流入が続く市街地寺院には関係ないことだけどね。

今の小品彫刻の展覧会は隔年で開催されていて、確か今年で8回展になるはずだ。私は初期の頃に出品参加していたが、途中で会期が少しずれたことと、寺の春の仏事が重なったことでしばらく出品が途絶えていた。
開催要項は欠かさず届けられていたので、スケジュールの調整がうまくいけば出品をしようと思っていたところへ、数年前に1週間ほど展覧会の会期がズレたことがあって、「コレなら出品可能だ!」と久しぶりに新作の小品彫刻を造ることに決めた。せっかくだからと、ワイフも誘い続けて、それからあとは彼女も小さな彫刻を造ることが増えた。
この彫刻のグループ展は、公募団体二紀会の彫刻部会員有志が集まって成立している。だから、メンバーの出入りは実に流動的で、委員になる彫刻家もいれば新しく会員になる彫刻家もいて、出品者の定着が無いことがある意味で面白い。ちなみに私は永久会員のようなところがあって、そろそろこの展覧会の生き字引的存在になりつつある。
関東一円在住の会員作家が中心になって展覧会の運営を仕切っていらっしゃるが、島根の田舎暮らしから見ると、煩雑な事務仕事を粛々とこなされるコアなメンバーの皆さんには頭が下がる。隔年開催とはいえ、会期直前まで何もしないでボォ〜〜っと過ぎている吉田家彫刻家とは比較にならない忙しさだと思うから、せめて会期中だけでも業務軽減になれば良いと思って、出来る限り1週間ほどは受付を引き受けるようにしている。

毎日受け付けをしていると、それなりにあらかじめ発送しておいたDMの効果があって、だいたい毎日知り合いの誰かが会場を訪ねてくれる。それでも、結局は田舎暮らしの吉田目当ての来場者は美術業界に影響力のある偉い人など皆無で、展覧会をネタにした同窓会みたいな様相に近いノリで、作品鑑賞もしたかどうかわからないまま、気がつけば昔話に終始して、そのうち「せっかくだから何処かで一杯!・・・」ということになったりして、本末転倒実に不順な動機の方へ流されてしまう。
だいたい毎日がそんな風に過ぎているところへ、島根で縁のある写真好きの高校生が両親と一緒に会場を訪ねてくれた。彼等は吉田目当ての訪問者の中では実にトップクラスの鑑賞者で、ジックリとそれぞれの彫刻をみてくれた。そのあとは例のごとく、「せっかくだから食事でも・・」ということになって、銀座の老舗のレストランで夕食になった。こういう機会でもないとなかなか出会えない良い雰囲気のレトロな店で、食事もとても美味しかった。
それからキーポンへ連絡して新宿へ移動して、新宿ピカデリーで待ち合わせした。昔の面影は皆無でオシャレな最新の映画館に変わっていた。貧乏学生にとって封切り映画館は高嶺の花だった。かれこれ30年ぶりにピカデリーでチケットを買った。やっぱり、映画は大画面の大音響の迫力でないとダメだなと、改めて感動した。

IMG_2878.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

トイレの絵本 

2018/03/28
Wed. 23:15

キーポンの部屋へ転がり込んで数日過ぎた。
その間のほとんどが早朝出勤で夕方6時くらいまで仕事をしている。
ついこの前まで、アマエンボォーのガキだと思っていたが、もう立派な社会人になって働いている。

彼女は東京で働くようになってから、まだ一度も石見銀山へ帰省していない。吉田家はそういうことで特に面倒なことは言わないほうだから、帰省したければ自分で何かの都合をつけて考えるだろう。
オヤジのこういうスタンスはキーポンに限らないで、吉田家の家族みんなに浸透している。ワイフに至っては、東京生まれの東京育ちなのに、自分から進んで実家を恋しがることもないし、こうして彫刻の用事で上京するたびに「一緒に行こうよ・・」と誘っても、だいたい幾つかの用事を理由に断られる。

吉田家の90%は朝シャワー派で、残り一人(ボクのことです!)だけが夕方のまだ世間が明るいうちから風呂に防水スピーカーを持ち込んでチャポリッと湯に浸かる。だから、どうも朝シャワーになれないのだが、居候も長くなるとだんだんそれに慣れてきて、シャワーにあたりながら歯磨きをするようになった。じゅん君が吉田家へ帰ると、歯磨きチューブが風呂に移動している理由がわかった。
自分の着替えを洗うついでにキーポンが洗濯機へ投げ込んでいるモノも一緒に洗って、展覧会場へ出かける前に部屋干しをしておく。せめてもの居候のお礼と思っているが、それも毎朝になるとなんとなく習慣づいて、狭い部屋の動線がシンプルになって整理されるようになってきた。
日常の避けられない習慣も、こうして状況が変化するとかえって新鮮に思えて苦にならない。それでもせいぜい1週間位が限界で、あとはしだいに日常の形式化されたパターンに組み込まれて気持ちの揺れもなくなっていくのだろう。

キーポンは、都内の保育園で保育士をしている。
今の仕事を始める時に、私も含めて家族の殆どが「どうせだったら幼稚園の方が良いよ」と、文科省管轄下の先生を勧めた。本人は、終始一貫して家族の提案を無視して保育士一本でブレないまま自分で就職を決めた。
彼女が自分で決めたことだから、彼女なりの理由でもあるのだろうと思いつつ、それを聞き出すこともなく過ぎたが、いまだになっちゃんがしつこく「なんで幼稚園にしなかったの?」と云い続けていて、昨夜一緒に飲んでいる時、やっとその理由を話してくれた。聞くと、なるほど最もなことで、学校で色々な勉強や実習をしながらそれなりの取捨選択をしてよくよく考えて自分の働く場所を決めて来たのだとわかった。
「幼稚園はゼロ歳児から見れないから・・」
キーポンはゼロ歳児からの成長を確かめられることが働く楽しみになっているようだ。今になって彼女の知られざる一面を見た。
部屋のトイレには彼女の工夫で絵本がオシャレにディスプレイしてある。開くと朝礼進行の小さなメモが挟んであった。彼女にとっては大切な忘れがたいある日の仕事の1シーンだったのかもしれない。

IMG_2877.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

銀座で一杯 

2018/03/27
Tue. 23:02

キーポンの部屋へ鍵をかけて、最寄り駅まで7〜8分歩いて、電車に乗って、1回乗り換えて、有楽町駅から10分位歩くと、彫刻のグループ展会場へ到着する。帰りは、キーポンの部屋までだいたいその逆をたどっているが、時には新宿で夕食をしたり、最寄り駅で軽くいっぱい飲んだりすることもある。
展覧会が日曜日からはじまって、毎日そういう生活をしているが、とにかく、東京の人は早く歩く。田舎オヤジはなかなかそういうペースについていけなくて、今朝、駅まであるきはじめてしばらくしたら、右足の小指が靴ずれで痛くなってきた。もう1年以上履き続けている靴なのに、今になってどうも収まりが悪くなってしまった。1日会場の受付をしていると、夕方には足がむくんでいる。靴ずれはそのせいもあるかもしれない。

上野の都立美術館で東京二紀や独立の春展をやっていて、せっかくだからそちらへも回ろうと思っていたのだが、受付のタイミングがうまくあわなくて今日になってしまった。
朝に画廊を開けてすぐに彫刻出品のメンバーが来てくれたので、2時間ほどヒマをもらって痛い足を引きずりながら上野まで行ってきた。
このところの陽気で満開の盛りは過ぎた様子だが、まだ十分にきれいな上野の桜を横目で見ながら美術館へ急いだ。ずいぶん昔、8年間ほど通い慣れた上野公園も、あの頃の面影を探すのが難しいほど様変わりした。知らない別の町の似たような雰囲気の公園を見ている感じだ。

展覧会の絵画や彫刻はどれも力作ぞろいで見応えがあった。
作家の個展形式の部屋が5つくらいあって、美術館の高い天井も開放感があるし作品の統一された部屋の雰囲気が良かった。
広島出身の彫刻家が、結婚して東京に住んでいて、東京二紀の展覧会へ出品している。とても真面目で丁寧な彫刻で、自分にはああ云う制作の仕事をすることは「絶対にできない!」といつも思っている。
今回も、テラコッタの首像を始めとして幾つか出品していた。昼間は銀座の画廊から5分位のところで仕事をしていて、DMを送っておいたら2日続けて職場の昼休みを使って差し入れをしてくれた。
短時間だけど、彫刻の感想を話した。メシの糧を稼ぎながら時間を調整して彫刻を造り続けることそのものが、ナカナカ普通にできることではない。自分もそれでこの年齢まで乗り切っているからひとごとに思えなくて気になって、言わなくても良い余計なことまで言ってしまった。
継続して彫刻を造るだけでオオゴトなのに、その先のことまでオセッカイがすぎると、それこそ本人には大きな迷惑だ。
頂いた差し入れをほうばりながら反省した。

週が変わって今日になってはじめてキーポンの勤務が早く上がる。彼女はまだ銀座の画廊を見ていないから、LINEで地図を送っておいた。
夕方になって合流して、会場のクローズを見届けて、その広島出身の彫刻家と銀座の何処かで余計なことは言わないで楽しく一杯飲もうと思う。

IMG_2870.jpg
IMG_2872.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

鉄のテーブル 

2018/03/26
Mon. 23:34

まだ寝ている間に、いつのまにかキーポンが出かけていた。そういえば早番だと云っていたが、想像以上に朝が早い。

1週間の東京暮らしで必要な最低限の衣類は彫刻の梱包材で使って、銀座のギャラリーに届いている。そこから少しずつ小分けしてキーポンの部屋へ持っていって洗濯をしたりしながら一応毎日それなりにコーディネートを考えて着替えている。
東京は思ったより寒くて、島根のほうが暖かく感じる。昔東京で暮らしていた時も、晩秋や春先は風が冷たく感じて厚着をしていたことを思い出した。

キーポンの生活ルールに従って、朝シャワーを浴びて髭を剃った。それから、自分の下着などをキーポンの洗濯物と一緒に洗った。
ギャラリーの受付で出かけるまでまだ十分に時間があるから、その間に洗濯物を部屋干しするところまで済ませた。
やはり、朝には一杯のコーヒーが欲しいところだが、彼女はコーヒーを飲まないから、仕方がないのでインスタントのポタージュスープを飲んだ。

キーポンは高校を卒業して一人暮らしを始めて、それから就職が決まって昨年の3月に東京へ引っ越して1年が過ぎた。
久しぶりにオヤジが来るというので少し慎重に部屋を片付けたのかもしれないが、何気なく散らかっているようにも思うし、総じてキレイに片付けられている風に見える。
部屋のほぼ中央には娘のためにオヤジが手造りしたテーブルがある。冬はそれが炬燵にもなるから、今は二人で並んでそれに潜り込んで寝ている。夜中に寝苦しくて目が覚めるとキーポンの頭が私の腕に乗っている。彼女は、小さい時からオヤジの腕枕で寝ていて、いまだにそれが続いていることになる。

その炬燵にもなるテーブルは、長女のなっちゃんが進学して一人暮らしをすることが決まった時に造ってやったのがはじまりで、その後ノッチが一人暮らしを始める時に「私もアレがほしい!」とせがむので2つ目を造った。
なっちゃんは、引っ越しのたびにそのテーブルを持ち歩いて、結婚した今では旦那と二人でそれを使っていて、「今度は、吉田家にあるような大きいヤツ造ってね♡!」と、すでに次のテーブルを催促している。
キーポンが使っているテーブルは、ノッチから預かっているもので、ノッチが帰国したらそれがダレのものになるか今はわからない。セミダブルの比較的大きなベッドも、元々ノッチが買って使っていたものをキーポンが使っている。だから、これからノッチが帰国したら、少し揉めてめんどくさいことになるかもしれない。結局、その炬燵テーブルがノッチへ戻ることになったら、それこそ3つ目を造らないといけなくなる可能性もある。

「彫刻を造って生活できるんですか?」と、時々質問を受ける。あまりにも分かりきったことだからかえって回答に困ってしまうが、吉田の場合は、こうやって日常の幾つかの場面で使い勝手の良い何かを造ったりして暮らしの糧に変えているわけであります。

IMG_2865.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

銀座の彫刻展 

2018/03/25
Sun. 23:59

結界君を同級生のカーディーラー君に預けて、ワイフの車に乗り換えて出雲へ向かった。
スズキの代理店へダイハツを預けることになって、「ダイハツなんだけど・・・?」と聞いたら、「ぜぇ〜んぜん大丈夫よぉ〜!!」と云ってくれた。
田舎の自動車屋さんは、メーカーがドォーのコォーの云っていたら商売にならないし、周囲は高齢者がほとんどだから、とにかく、相手の希望をそのまま飲みこんで最善を尽くす商売をすることが「生き残りには大事なことになるのだろう・・・」と、勝手に一人納得して、結界君を託した次第。

出雲市の駅前を夕方に出発して、新宿バスタへは翌日の朝に到着する高速バスへ乗り込んだ。すでに彫刻は島根から一緒に出品する彫刻家に預けていて、自分は肩掛けのバッグひとつの軽装。「あなた、荷物それだけ?スペイン行ったときのトランクドォ〜したのよ?」などと、ワイフが頓珍漢なことを急に云い始めた。チョット1週間ほど展覧会の受付で出かけるだけで、海外旅行並の大げさな荷物もいらないだろうに・・・
東京では、キーポンの部屋へ居候する。
新宿バスタへ着いてから彼女に連絡したら、まだもうしばらく部屋にいると云うから、「それじゃぁ、荷物少し軽くさせて・・」と彼女の承諾を得て急いでJRへ乗った。

少し身軽になって、銀座の画廊へ着いたのはオープンの少し前だった。すでに、何人か出品の彫刻家が集まっていて、展示台の微調整をしてくれていた。
私は、自分の彫刻の最終仕上げに取り掛かった。
今回出品した彫刻は、植物を植え込むことにした。
1週間の展覧会受付を引き受けているのも、出品者のみんなへ吉田が恩を売ろうとしているわけでもなんでもなくて、ようするに、自分の彫刻の生物のメンテナンスが大事だからそれのためなのです。

植栽の植物は、彫刻を制作するよりずっと長く考えて、それなりに悩んだ。
簡単な彫刻のメモに、色々なタイプの植物を描き加えてみたが、イメージが一回りすると、だいたい同じようなところへ落ち着くので、そのイメージに近いかたち(植物)を探して花屋さんをあるいて回ったりし始めたのは、ちょうど1月に入って2度めの強力寒波が島根上空へ降りてきた頃だった。
万善寺の周囲は一面見渡す限り雪だらけだから、境内の端っこの雑草の中からそれらしき植物をヒョイと簡単に採取できるわけでもないし、色々情報を収集してペットショップの猫草へたどり着いたのが2月の節分の頃。「立春大吉」の御札を配ったり発送したりするついでに猫草の種を仕入れて栽培を始めた。芽が出てノビてそれなりの全貌が整って、ピークを過ぎて黄色く枯れ倒れるまでの一連の経過を確認し、それを2回ほど繰り返してデータのベースにして、それから彫刻の本体を造った。植栽の構造を見えないところで工夫して、出品の梱包ギリギリまでその猫草で全体のフォルムを確認しながら、万善寺の雪解けを待って、お彼岸法要が終わって母親の一周忌が終わって梱包の準備を整えて、それから雪が溶けて下草が覗き始めた境内の端っこからリュウノヒゲを掘り起こした。
今、銀座で展示してある彫刻は約2ヶ月かけて、練りに練った渾身の力作である!

IMG_2856.jpg
IMG_2864.jpg
IMG_2863.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

3月の麗日 

2018/03/24
Sat. 23:16

母親が死んだのは1年前の3月23日だった。
お彼岸の法要を終わって、本堂などを片付けて、母親にその日の残り物を託して石見銀山へ帰った。
母親は、それから寺で一人暮らしを続けて、23日にその年最初のデイサービスへ出かけて、夕方に寺へ帰って、玄関の鍵を締めて、いつもの6畳で電気炬燵のスイッチを入れて、着替えもしないで炬燵へ潜り込んだまま、テレビのスイッチを入れることもなく、心臓発作で死んだ。
発見した時は、少し苦しんだ様子があって、周囲のモノが乱れていたが仰向けになって昼寝をしているような様子だった。

毎年3月の終わり頃には展覧会が東京であって、そのための彫刻を造ったり、搬入展示で移動したりと、慌ただしく毎日が過ぎる。
それで、母親の異常に気付いたのはお彼岸のあと一週間ほど過ぎた頃だった。いつも親しくさせてもらっていた近所のオバサンが私の携帯へ連絡を入れてくれた。状況を聞くと母親が普通の状態ではないことがすぐにわかったので、ワイフにその旨伝えて、寺まで同行してもらった。
あとは、鍵の掛かった庫裏へ何とか上がり込んで、死んだ母親を発見して警察や消防へ連絡したりして次の朝を迎えた。それから、通夜密葬から葬儀と、3月から4月にかけて落ち着かない数日が過ぎた。
母親は、俗に言う孤独死だった。
1年前のその時、何故か不思議に取り乱すことがなかった。
普通に眼前の事実へ粛々と向き合っていた。
「あの時、あぁ〜しておけばよかった」とか、「もっと、こうしたら良かったかも・・・」とか、後悔というか反省というか、特にそういう気持ちになることもなかった。母親の死を、かなり冷静に受け入れていた気がする。
子供が両親を見送ることが、人生の順当な筋道で、なんとかそれが自分で出来ただけでもありがたいことだと思っている。両親は、それなりに幸せに生きて、それなりにわがままを通して、ソコソコ上手に死んでいくことが出来たほうだと自分では思っている。

母親の祥月命日にあわせて、一周忌の法要を厳修した。
隣町のご住職へ差定の手伝いをお願いして、万善寺住職の私が法事の導師をつとめた。
もっと正式に本来の仏事差定に沿った法事にすべきところなのだろうが、今の私にはそれが出来るほどの器もないし、略式のまた略式程度のことで息切れする。
とにかく、母親が生前お世話になっていた(はずの・・・)親族を大事にして、法事の日取りを伝えたら、島根県内各地から広島まで総勢8人の親子孫三世代の参集があった。あまり、進んで人付き合いをするタイプでもなかった母親の法事としては賑やかな方だ。
一年ぶりに親戚が集まって、一年の情報交換をしながら、母親との思い出話に花が咲き、いつもとは少しほど違う豪華で美味しいお斎の料理をいただき、次の再会を約束して散開した。
浄照院慈門俊香禅尼一周忌法要は、ワイフの気配りも上々で、天気もよく麗日に過ぎた。

IMG_2031 (1)

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

22万km突破 

2018/03/23
Fri. 23:28

ボクの結界君がいよいよ調子悪くなって、脇道から本線に右折するときなど急にフラッとハンドルが揺れて血の気が引くことがある。それでなくても歩く成人病の高血圧症を持っているボクは、「あぁ〜〜、ついに脳みその何処かの血管が切れたのかもしれないぃぃ〜〜〜」と、一瞬クラリとしてお陀仏を覚悟しながらしばらく本線を走らせていると、それがハンドルというか、サスペンションというか、とにかく結界君の足回りの具合でふらついているのだとわかる。こういう症状が頻繁になると、それはそれで「こんなもんだ・・」とか、「また来たな・・」とか、慣れてしまって気にならなくなるのだろうが、前回の似たような症状から相当に日時がたったあとだったりすると、前のことなどスッカリ忘れているからメチャクチャ焦ってしまうのだ。信号待ちで停まってクラッチを踏んでニュートラにすると、途端に結界君がブルブル震えはじめて「エンジンが止まるかもしれない!」と、またまた焦ってしまう。

とにかくそういう状態が冬の間中続いて、近所の町の同級生のカーディーラーへ寄って、コーヒーをズリズリすすりながら世間話の合間にポロリと愚痴をこぼしたら、それじゃぁ、チョット見せてみろと、ハンドルを据え切りしたりエンジンをかけてアクセルを踏み込んでみたりして、感触を確かめてくれた。
今の結界くんは、その前のダットサンが潰れて乗り換えたはじめての中古軽自動車だったから、ダットサンの馬力で慣れていたところで、パワー不足にがっかりしたこともあった。それでも、地道にそんなもんだと思って乗り回していると、ダットサンでは苦労していた幾つかがすんなりと解消できて、それはそれで気楽に使い倒すことも出来るし、知らない間に無くてはならない大事な相棒になっていた。
東京の往復も何度かして、新名神や新東名を走ることもできた。九州や四国も彫刻と一緒に出かけたし、自作のフックを造って100号の油絵を運んだこともあった。もちろん、薪ストーブの燃料を山のように積んでフラフラしながら吉田家まで運んだことも数え切れない。助手席をフルフラットにして、180cm✕45cmの自作ベットをはめ込んだりした。シュラフはシーズンごとに積み替えて、遠出の時はカセットコンロやポットを積み込んだりと、とにかく、都合の良いように使っている。
平均すると1年で3万kmくらいは走っている。オイル交換は出来るだけ3000〜5000でするようにしてきた。仕事の流れでアチコチぶつけたりこすったりしてはいるが、特に大きな故障も無いまま22万kmチョットまで走っている。なんとなく「調子が悪いなぁ〜」と気付いたのが21万kmくらいの頃で、夏の猛暑が続く四国へ出かけていた時、ついにエアコンが壊れた。
ダットサンは24万km、その前のハイラックスが28万kmで潰れた。軽貨物車の結界くんは22万kmだから、そろそろ限界も近いだろうと覚悟をしつつ、それなりに大事に乗っていたのだが、「こりゃぁ〜、もぉ〜、やれんでぇ〜、あんまり遠くへ行かんほうがえぇ〜でぇ〜」という、カーディーラー君の話でした・・・
スズキの代理店で元々は自転車屋だった。中学校は自転車通学をしていて、父親の御下りを使っていた。その自転車のパンク修理は彼のおじいちゃんがしてくれた。彼のお父さんがスズキのバイクを取り扱うようになって、それから、自動車を販売するようになった。
ボクの寺暮らしも本格的になったから、そろそろ、次の車は彼に頼もうと思っている。

IMG_5357_20180326132827a09.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

寺のお彼岸 

2018/03/22
Thu. 23:17


彼岸の中日まで続いた雨が夕方になってやっと終わった。
これで少しはいつものように春らしくなるだろうと思っていたら、関東の方は雪になったらしい。日頃、万善寺ではテレビを見ないし新聞も無いから、知らない間に世間の今から取り残されている。

お彼岸の法要で塔婆回向を済ませておいた施主さんが、受取にお参りされた。
境内は長雨のせいで未だに雨水がアチコチへ水たまりになって残っている。それを大きく迂回しながら時間をかけてヨチヨチと庫裏玄関まで歩かれる。自分もそうだが、年々歳を重ねると、昔は普通にできていたことが少しずつ難しくなって、ある時を境にそれが一気に加速する。
万善寺の幾つかある1年の仏事の中で、飯南高原に点在するお檀家さんは、それぞれ自分の都合を調整しながら「出来るだけ1年に1回はお参りしておかないとねぇ〜」と、決めていらっしゃるようなところがある。今日のお参りも、1日前だったら本堂に上がれるし、ささやかながらお茶を飲んで世間話も出来て、それなりに「少しは気持ちも晴れるだろうに・・・」と思ったりもするが、まぁ、皆さんそれぞれに事情もあるし、また別の仏事でお参りもされるから、こちらとしては、当たりも触りもないようにサラリとお付き合いするようにしている。

いつものように朝食代わりで一杯のコーヒーでも造ろうかとお湯を沸かしはじめてから、前日に大きな来客用のポットへしそブレンドの番茶を造っていたことを思い出した。
しそブレンドの番茶は死んだ母親が得意としていて、晩年になってからはお客さんへのふるまいを、上下左右斜め仏様全く関係なくすべてそのブレンド番茶で済ませていた。
坊主社会の常識をさりげなく無視いてしまえば特に気になることでもないが、一応万善寺の住職として各寺院方丈様方とお付き合いが無いわけでもないし、そのブレンド番茶はそういう交流の常識からはかなり逸脱したふるまいであった。自分自身そういうところがあるのだが、坊主というのは、顔と心の気持ちとはかなり大きくズレているようなところがあって、ほとんどはそれを顔や口に出さないでゴクリと飲みこんで事なきを得る方向へさりけなくかじを切ることが多い。お茶一つとっても、上げ下げの所作がうるさかったり、あげればキリがないほどツッコミどころ満載のふるまいを万善寺の内室俊江さんは堂々を講釈付きで押し売りしていたところがあった。
そんな思い出と一緒に、今朝のティータイムはしそブレンドの番茶を頂きました。

明日は、その内室俊江さんの1周忌法要がある。
最近の法事は口の動くものの都合で、本人(この場合は俊江さん)の祥月命日など二の次三の次で法事の日時が決まることが殆どになった。
私は、どちらかといえば古いタイプの坊主としてモノを考えたり決めたりしていることが多いのかもしれないが、やはり、生きている者の都合で彼岸の国に暮らすご先祖様の祥月命日を動かすことは良くないことだと思う。やはりこういう時は年に1度のことでその気になってやりくりすれば万障繰り合わせてお参りすることぐらいは出来てほしいと、ささやかに願いを込めつつ、俊江さんの法事準備をしているところだ。

IMG_2847.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

大雨のお彼岸 

2018/03/21
Wed. 23:38

もう、何年も前からお彼岸の行事一式を住職一人(ボクのこと!)でやりくりしているから、特にいまさら改まって緊張することもないが、何故か、あまり眠れまいまま一晩が過ぎた。
朝になる前から、雨が本格的に降りはじめて雨音がうるさい。
お彼岸は雪が降った年もあったけど、だいたいそれなりに晴れていることが多かった。
こうして朝から土砂降りに近い雨が降ることはあまり記憶にない。

法要は午後からだから、少し余裕のある朝のうちにワイフの彫刻パーツへ手をいれることにした。
雪が溶けて勝手口が機能しはじめてから、彫刻の工具や作業テーブルを移動して簡単な制作が出来るようにした。本格的に万善寺の一人暮らしをスタートさせてから、少しずつ彫刻の制作環境を整えつつあって時々思い出した時に色々と使い勝手を工夫している。通勤坊主の移動中に幾つかひらめいたりすることがあると、寺に到着して忘れないうちにメジャーで寸法を測ったりして作業台がピタリとハマったりすると思わずニヤついてしまう。
勝手口は西側に開けているから、夕方になると西陽の逆光で仕事にならない。
お彼岸を過ぎて、これから日が長くなってくると、この勝手口は万善寺の居住スペースで一二を争うほど暑くなって過酷な環境になる。そういうことも予測しながら、ひとまずは仮の制作場所として様子を見ながらしばらく使ってみようと思っている。

昼を過ぎて、本堂の業務用灯油ヒーターのスイッチを入れた。
朝から点火すると夕方には2リットルの灯油缶を1つ使い切ってしまう。
まことに不経済極まりないが、これもお檀家さんのご厚意で倒産流れの中古品を譲っていただいたものだから大事に修繕しながら使わせてもらっている。
本堂がほんのりと暖かくなり始めた頃、最初のお参りがあった。
お檀家さんの中で一番遠くのそのお宅は、琴弾山の麓から大万木山へ抜ける林道の入口付近にある。
出雲大社沖の日本海へそそぐ神戸川(かんどがわ)の支流に沿って続く林道から橋を渡った先に母屋と納屋と土蔵があって、畑を通って少し行くと墓地になる。畑の脇の川端にある桜の木が実に見事で、花の咲く頃に万善寺のお知らせを持参すると、谷を吹き下ろす風に乗って杉の造林の深緑をバックに花吹雪が舞っていたりする。
「橋の下の水道管が破られましてねぇ・・・まぁ、往生しましたわぁ〜」
ヤッパリ!!・・・という感じ。
今度の寒波は万善寺でアレだけ大騒ぎになっていたから、「それ以上は確実だ!」と思っていたが、ご主人のお話は想像以上だった。
そのご主人は、自衛隊を退職された方で、現職中は長く北海道へ駐屯されていた。奥さんともその時に結婚されて、ご両親の高齢と介護で帰郷された。元々の商売柄、サバイバルには長けていらっしゃる人が、大雪をかき分け、破裂した水道管を修理したり、除雪のこない林道の雪を巻き上げながら車をすっ飛ばすたくましい姿をかなりリアルに想像した。

17人のお参りがあって、お経読んで、塔婆回向して、お茶を飲んでお彼岸が終わった。

IMG_2834.jpg
IMG_2836.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

彼岸の前 

2018/03/20
Tue. 23:24

冷たい雨が降り続いている。
境内や墓の掃除は結局やめることにした。
本堂の座敷から庫裏を通って台所まで、掃除をした。
小さな山寺のことではあるが、こうして端から端まで掃除機をかけていると、まぁ、それなりに広い。
気がつくともうお昼になっていて、そういえば、朝から飲まず食わずで動き回っていた。
あまり余裕もないが、せめてコーヒータイムくらいは良いだろうとホウロウケトルに井戸水を継いだところで、お茶会用の配膳や食器などの手配をしていないことを思い出した。
まずは、コンロに火をつけてAppleWatchのタイマーをセットしてから、万善寺のロゴ入り茶碗などを茶箪笥から引き出した。
こういう時のために、ワイフが1年前からセッセと食器などの収納をわかりやすく整えておいてくれたから、とても楽になった。
彼岸法要が終わってからのお茶会の席を用意していたら、手首でタイマーがブルブルと震えた。

コーヒーを飲みながら1度ワイフへ電話したが出なかった。
それからしばらくして、「今講習が終わったところなの・・・」と、ワイフから電話がかかってきた。
そういえば、今日は大田市の何処かで何かに出席するようなことを云っていたことを、その電話で思い出した。
ワイフにはお彼岸の簡単なクチトリを頼んでいて、その受取をどうするか打ち合わせをして時間を決めて電話を切った。
お寺参りのことで、特にこれといって大事なわけでもないが、その大事なことがごっそり抜け落ちてしまっているようで何かしら気ぜわしくて落ち着かない。
お参りはだいたい15人くらいだろうと概算して、経木塔婆をその程度と、冬の間墓参が出来ないでいた150cmほどの法事塔婆を4枚書いた。

打ち合わせしてあった予定の時間を少し過ぎて、久しぶりに石見銀山吉田家へ到着!
土間へ入ったら、クロがリビング入り口から顔を覗かせていたがすぐに引っ込めた。
荷物を下ろすなどして結界君の支度を整えてから、ワイフの手作り料理を運んだ。
それから、彼女の彫刻パーツの制作内容を聞き取って、それも積み込んだ。
帰りの移動中は雨が降らないでいたが、飯南高原で出雲街道へ合流したあたりから路面が濡れていた。琴弾山の上半分が雲に隠れている。

本堂前の駐車場へ車が1台停まっていた。
大田市の実家へ引っ越したばかりのK君だった。彼は、大学を卒業して江津の方の小学校へ採用が決まった。それからしばらくして、ユキちゃんがMちゃんを連れてやってきて、最後にテツヤくんが合流した。彼は今度の転勤で浜田市へ引っ越すのか引っ越したのか・・これからしばらくは浜田で暮らすことが決まった。
お彼岸前夜は万善寺の庫裏に若い彫刻家が集まって、久しぶりに寺が活気づいた!

IMG_2833.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

気楽に慣れた 

2018/03/19
Mon. 23:13

この様子だと、今年のお彼岸は雨だな!・・・きっと・・・
いつもは、この時期まだ庭に雪が残っていることもあるから、それよりはマシだと思うけど、結局雨がやまないから庭掃きもできないしお墓掃除も出来ないまま、お彼岸が来てしまいそうだ。地球の自然を相手に芥子粒以下のチッポケなオヤジがドタバタしてもどうなるわけでもないから、見た目よりは信心の気持ち優先ということで、乗り切るしかない。

世間は3月末の年度末に向かって大きく動いている時期だろうから、お寺の仏事で大事な時間をつぶすのも難しいだろう。
ウエブのニュースというか、書込みを見ていたら、1日に15時間以上の労働を毎日続けてそれでも仕事が終わらなくてサービス残業までしているわけだから今の週休2日ではとても休日が足らない。これからは週休3日を本気になって検討すべきだ・・というような記事が載っていた。
四六時中、のんびりとヒマに暮らしているボクには、まったく無縁の悩みだ。
・・・といって、毎日が休日というわけでもなく、自分に関係する仕事らしき用事とまったく縁を切って、フラリと何処かへ温泉旅行でもしようとか、一日中自宅に引きこもって布団の中でゴロゴロするとか・・と云うような休日を過ごすこともない。どちらかといえば、前回いつ休日らしき日を過ごしたか、まったく覚えがないほど毎日ダラダラとだらしなく何かしらの用事を片付けていて曜日の感覚が欠落している。
フロリダにいるノッチが、今年の夏まで1年契約の仕事をして秋には帰国する。
「私がこちらにいる間に遊びにいらっしゃいよ!今度帰国したらもう外国へ行くこともないだろうし、今のうちだよ!」と、再三誘ってくれる。とても嬉しいし、自分としてはなんとかしてアメリカへ行ってみたいと思うし、かなり前向きに検討している。ところが、なかなか自分の思うように上手く都合が合わなくて、現在3度めの仕切り直しに入っているところだ。
これで、普通に給料取りの暮らしをしていたらもっとしっかりしたスケジュールが組立つはずだ。今の自分が自営業というか自由業というか、そういう状態だから、一見主体的に能動的に働いているようで、実は世間周囲の事情に併せて微妙にフラフラとゆらぎながら受動的な立場で働くことのほうがずっと多くなっている。自分のライフワークだと確信している彫刻の制作にしても、気がつくと、その他の数々の目先の用事を順番に片付けている間に結局彫刻制作が一番後回しになっていたりする。
こうみえても、10年前まではちゃんとした月給をもらって吉田家のワイフや子どもたちを養っていたから、当時と現在の日常生活の違いがよく分かる。フリーになった当初は、身体が休日を覚えていて、気持ちの切り替えが出来なくて、土日祭日になると全く働く気に慣れなくてかなり苦労した。本気になって「何でみんなが休んで遊んでいるのにボクだけ働かなきゃいけないんだよ!」と思っていたし、それでかなりイライラしていた。
それから、今のように気楽に慣れるまで2〜3年はかかったかもしれない。
いつの間にか少しずつ昔の暮らしを忘れて、土日はないけど今の暮らしに馴染んできた。

強烈だった凍結で風呂のカランが壊れて修理を依頼していたのが、お彼岸前にやっと半分ほど修繕工事が終わった。今夜は1ヶ月ぶりにシャワーで坊主頭が洗える!

IMG_2832_201803201214045c2.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

豊川さんの灯籠 

2018/03/18
Sun. 23:48

容赦なく確実にお彼岸が近づいてくる・・・

冬の間、あれほど大量の寒波が押し寄せてきたのに、例年になく春が早くて万善寺の境内は雪解けが早い。
前庭は前回の雨で完全に雪が消えた。
それからしばらくして本堂東側の豊川稲荷さん周辺の雪が消えた。
倒れた灯籠を移動する準備をして、あとは晴れるのを待っていたのだが、小刻みに天気が変わって庭がなかなか乾かないでいた。そのうちお彼岸が近づいて、また雨になりそうなので、無理をして灯籠を動かすことにした。
業者さんへ頼むと楽だがその分経費がかかるので、自分で動かした。
こういう時に彫刻制作の工夫がとても役に立つ。
さいわい、台座と大柱は接着が取れないでいてくれたから、豊川さん前から本堂の前まで数メートルを歩かせようと決めていた。それには、地面の真砂土が乾いて固くなったほうが楽だから、それを待っていたのだが、とにかく晴れたと思ったら次の日は雨が降ったりしてしまって、なかなか思うようにいかない。それで、本堂の床下を物色して廃棄した杉の床板を引き出して、その上を歩かせることにした。
たった数メールの距離でも、一人の作業はなかなかハードだった。
残りの、接着が取れてバラバラになったパーツはネコ(一輪荷車)に乗せた。
土留めを兼ねた花壇用にとっておいた古タイヤが役に立った。

灯籠は保賀の同じ自治会に住むお檀家さんが平成になってから個人で寄進されたものだ。
飯南高原に点在する寺院の中で、豊川稲荷をお祀りしてあるのは万善寺だけだと思う。
そういうこともあって、昔から保賀の自治会は仏教の宗派関係なく豊川稲荷さんへの信仰心が深かった。今では、地域のお年寄りもご高齢になったり亡くなられたりしてお参りも無くて寂しくなったが、昔は、毎日朝夕の日課でお地蔵さんと豊川さんへお参りされる姿をよく見かけた。季節の野菜をもらったり、おかえしでお供えをおすそ分けしたりして、大人たちの交流が頻繁だった。寺の隣は空き家になって2冬が過ぎたし、保賀川の脇にある家は空き家になって5年近くなる。その2軒が一番万善寺と親しくて、暇な時は半日も縁側で会話が弾んだり、男同士は囲碁がはじまったりしたこともたくさんあった。
灯籠を動かしながら、ボンヤリと昔のことを思い出していた。

昼過ぎからお彼岸の案内を約50軒分配って回った。
飯南高原の端から端まで手際よく結界君を駆使してお檀家さん一軒ずつポストへ投げ込んで2時間ほどかかる。
毎年、お参りは15名くらいだから、私がこういう住職の仕事をしていると、「お参りも無いのに、そんな無駄なことせんでもえぇがぁ〜〜」と、死んだ母親がいつも同じことを云っていた。
「毎度毎度万善寺仏事のお知らせを、住職自ら持って回っているから毎年15人もお参りが絶えないで続いているのだ!」と、自分ではそう思っている。
明日はまた雨になって冷え込みそうだ・・・万善寺の春はまだもう少し先だね。

IMG_2831.jpg
IMG_2773.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

単身赴任坊主の1日 

2018/03/17
Sat. 23:37

万善寺の庫裏は、少し変形した田の字になっていて、南側に狭い前庭が広がる。
その前庭に面した床のある奥の間と庫裏玄関につながる前の間の2部屋が俗に云う(檀信徒会館)の役目を担う。
奥の間の北側に納戸を兼ねた方丈の間があるが、そこに床はない。その部屋から縁側が続いていて、その外は申し訳程度の狭い裏庭があってすぐ裏山になる。
田の字の残った一枠が俗に云う家族の居間になっていて、そこから韋駄天さんのお祀りしてある3畳間と典座寮配膳室を兼ねる板の間があって勝手口につながる。
板の間の並びに一段下がって約15畳の典座寮(台所)がある。
その台所には昔、裏庭に面して細長い畳4枚分の板の間があって、そこが食事の場所になっていた。私も小学生の頃は夏も冬もほぼ1年中その狭い板の間で食事をしていた。
残り3分の2のスペースは叩き土間になっていて、中央に調理台を兼ねた四角い板テーブルがあって、その端には4畳に面して小さなへっついがあった。しばらくして叩き土間をコンクリートに改修する時にそのへっついとそこから出ていた煙突を撤去した。
板の間と反対側の窓際には向かって右から順に間歩水を貯める水槽、流し、3連のへっついが続いて、そのほぼ中央から屋根を突き抜けて煙突が出ていてまだ上水道は無かった。
私がそういう状態の万善寺で過ごしていたのは中学校を卒業するまでで、それから後は下宿やアパートを転々とする一人暮らしになった。その間に、何度目かの典座寮改修工事が入って、土間が古いタイプのフローリングに変わり、へっついがシステムキッチンとガスコンロになり、煙突がなくなって天井が張られ、間歩水を引いた水槽がステンレスに変わって、簡易水道が引かれた。
昨年まで約40年の間、台所は改修の手が入ることなく老朽化が進んだ。
万善寺の行事でお参りも減ってお斎料理のふるまいもワイフの強力な手伝いもあって家族身内でなんとかなるようになって、まかないのお手伝いも台所へ入ることがなくなったから、特に体裁よく改修をする必要も無くなったわけだ。
合板フローリングの床がブクブクしはじめて、歩くたびにフニャリとたわみ始めるようになってからずいぶん経つが、そろそろそれも限界になって何時床を踏み抜くか分からない状態になった頃、なんと、となりの板の間の床板を3枚踏み抜いてしまった。それで一気にヤバイと性根が入って、急いで近くのホームセンターへコンパネを買いに走った。全部で15枚位買ったから、それで台所が約15畳だとわかった次第。
今の万善寺財力で改修工事が頼めるわけもなく、フニャフニャのフローリングの上へ2日かけて一気にコンパネを貼った。見た目は悪いが、お檀家衆が台所へ入ることもないし、自分が生きているうちはコレで凌げるだろうから、それで十分だ。
寒くなる前に、その台所を簡易パーテーションで2部屋にした。
田の字の部屋はオープンスペースにして公私を使い分けられるようにして、私の私的居住区は台所一部屋に絞った。あとは、仏事絡みで納戸兼用の方丈の間を使い、檀信徒会館用の二部屋を、特に仏事で使わない時は彫刻の展示をしたり若い作家に制作のドローイングスペースで提供したりしている。
雨模様の半日を使ってそういう庫裏の模様替えをしつつ、ザックリと掃除を終わらせた。
今朝は放射冷却で霜も降りて冷え込んだが、その分天気も良くなったので、裏庭の雪が溶けた所だけでも落ち葉を集めて庭掃除をした。まぁ、お彼岸はこれでOKでしょう!

IMG_2829.jpg
IMG_2828.jpg
IMG_6939_20180317193839f50.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

万善寺春仕様 

2018/03/16
Fri. 23:46

「やっと家に着いた!!色々ありがとね!」
夜の11時過ぎになっちゃんからLINEが入った。
本社出張を終わって、出雲空港から最終便で東京へ帰っていった。

いつもと変わりなく通勤坊主の支度をしていると、なっちゃんが「出雲空港まで送って・・」ということになって、「じゃぁ、5時出発で・・」と時間を決めた。
彼岸前だからお寺の用事も際限なくあって落ち着かない時期だが、まぁ、基本的にフリーな状態で特にまわりへ迷惑をかけることもなく毎日を過ごしているから、時間調整も自分の工夫でなんとかしてしまう。それに、昨日から冬が戻ってきたように気温が下がって寒くなって、小雨というか霧雨というか、なんとも曖昧な雨降りが続いて外の仕事も出来ないので、本堂から庫裏にかけて来客やお参り用のレイアウトを整えることにした。

母親が生きている間は、庫裏のど真ん中の部屋を占領していて、秋から冬から春にかけて、ほぼ半年は建具を締め切ったままテレビを相手にこもりっきりの暮らしが続いた。
寺の用事で帰った時も、その部屋を迂回して用事を済まさなければいけないし、けっこう不自由した。庫裏の玄関を入ると、淀んでいた家中の空気がかき混ぜられて老人特有の加齢臭が鼻を突く。自分では気付かないのだろうが、時々訪ねてくる業者さんとか訪問客にずいぶんつらい思いをさせてしまっていたと思う。
母親が死んだ今は、私がオヤジの一人暮らしで秋から最近まで冬こもりの暮らしをしていたから、オヤジの加齢臭が寺の至る所へ染み込んでいることだろう。
お彼岸の寺参り前に冬の空気を入れ替えておこうと思っているが、どうも天気も悪くて雨も降って寒いし、ひとまず、勝手口から板の間だけでもなんとかしようと外の空気を入れた。
万善寺唯一の小さな灯油ストーブへ給油しながら土間の掃除をしていたら、箒の先で給油ポンプを引っ掛けてしまって、土間から板の間へかけて大量の灯油をふりまいてしまった。なんという大失敗!・・・あわててポンプの電池スイッチを切って、古新聞を探し出そうとしたのだが、そういえば、もう何年も前から新聞を購読していないことを思い出して、またあわてた。その間にこぼれた灯油がどんどん低い方へ流れながら土間や板の間へ染み込んでいく。別棟へ憲正さんの着ていた古い襦袢や股引などを処分するのにまとめていたのを思い出して、それらを詰め込んでいたビニール袋を破った。
家の中の淀んだ空気を入れ替えようとしたのに、灯油の匂いが充満することになってしまった。なっちゃんを空港まで送らないといけないし、万善寺の窓や障子を開けたまま出かけるわけにもいかないし、散々な1日になってしまった。

「小学校の卒業式良かったわよ!○○ちゃんなんか、歌唄いながらシクシク泣いてるし、もらい泣きしちゃったわよぉ〜・・そうそう、△△ちゃん、袴だったの!着物ピンクで、髪飾りも色合わせて、可愛かったわよおぉ〜」
午前中は民生委員をしているワイフが大森小学校の卒業式に来賓で出席していた。
ちょうどその頃、万善寺のオヤジはふりまいてしまった灯油と格闘していたことになる。
なんとなく寺の顛末を話しづらくなって、そのままボクの心に仕舞っておくことにした。

IMG_2827.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

春の展覧会 

2018/03/15
Thu. 23:15

三寒四温は冬の頃を云うのだろうが、万善寺の暮らしだと丁度今頃のことを当てはめたほうがピッタリだと思わないでもない。

ワイフの仕事がおおよそ落ち着いて、これから先は三瓶山へ登る用事も減るだろうから、そろそろスタッドレスタイヤを履き替えておいたほうがいい時期になった。それで万善寺の土蔵で保管してあるノーマルタイヤを雨が降る前に結界君へ積み込んでおいた。昔はタイヤ交換経費をケチって、半日ほどかけて2台の車をジャッキアップしたりしていたが、最近はそれほどの時間も体力も、それに気力もなくなって、お金で済ますことにしている。結界君の方は、スタッドレスタイヤもチビてきて次の冬シーズンは使えないだろうから、そのまま履きつぶしてしまおうと思っている。

東京で営業の仕事をしているなっちゃんが島根の本社出張で帰省している。
日が暮れて暗くなってから吉田家へ帰ったら、すでになっちゃんがボクのくつろぎスペースを占領していた。ネコチャンズは彼女を恐れて何処かへ潜り込んで出てこない。たった2〜3日のことだが、夫婦の二人暮らしに慣れていると、いつもと調子が違って我が家ながら居心地が悪かったりする。それでも、ワイフはウキウキと夕食の支度などして嬉しそうにしている。あと1週間したら今度は私が彫刻のグループ展で東京へ行くことになる。会期中は、なっちゃんが会場へ来てくれるようだし、時間を調整して食事でも出来たら良いと思っている。

母娘の会話に割り込むのも悪いから、早々と布団に潜り込んで短編を読み始めた。
そろそろ寝ようかと思っているところへユキちゃんから電話が入った。
彫刻つながりで彼女の周辺の連中が久しぶりに集まるという。私はお彼岸の準備で万善寺を抜け出せないから、せっかくだしお寺へ集合しようと連絡網を回してもらうことにした。今より少しは暖かくなっているだろうし、吉田使用のシュラフも余分があるし、4〜5人くらいならみんなで雑魚寝すれば一晩くらいはなんとかなるだろう。
島大出身で彫刻を造り続けている連中は、研究室の先生の関係で春の公募展へ出品している。私も学生の頃は春の3月末にある公募展へ属して作品制作をしたり搬入搬出をしたりしていたが、島根へUターンした1年後の3月は年度末の煩雑な仕事と重なって、とても落ち着いて作品制作する余裕などなかった。それでも、「アレがあるからコレが出来ない・・」などと、仕事の忙しさを理由に制作を断念するのもシャクだし、道具も材料も制作場所も十分に揃わないまま何日も夜なべしたことを思い出す。そういう、落ち着かない3月の制作を数年続けていたが、やはりどう工夫しても造形の完成度を目指すことは難しいとわかって、春の展覧会出品をやめた。ワイフの方は学生の頃から秋の展覧会へ彫刻を出品していたから、その搬入搬出を島根で手伝っていたし、どうせワイフの制作を手伝うなら自分も一緒に彫刻を造ろうと決めて、それからあと、今に至るまで吉田家夫婦は二人して毎年秋の公募展へ出品を続けている。ユキちゃんの友達はほとんどが春の公募展で彫刻制作を頑張っている。まだみんな若いし、今のうちは少々無理をしてもなんとかなるだろうが、この時期落ち着いて制作に集中するのも難しいことだ。
自分の経験もあるし、一杯やりながら彼等とそんな話ができれば良いナ・・・

IMG_2826.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

お彼岸間近 

2018/03/14
Wed. 23:43

朝のうちは澄みきった青空が広がっていた飯南高原だったが、昼を過ぎたあたりから少しずつ薄雲が広がってきた。
しばらく春めいた良い天気が続いていたから、そろそろそれも終わりになるのかもしれない。

お彼岸の準備もあるし、その後には母親の一周忌が来て、その準備も続く。
外仕事でやらなければいけないことがたくさん残っているのに、ほとんど何も出来ないまま1日がアッという間に過ぎる。
出かけている間に、近所の電気屋さんが別棟に続く内線工事を片付けてくれた。
「早速、ありがとうございました!・・・それで、費用はいくらでしょうか?これから支払いでお邪魔しようかと・・」とお礼の連絡をしたら、まだ計算が出来ていないから後でいいと言われた。
「まぁ、せいぜい2・3000円くらいだと思いますがねぇ〜」・・・らしいので、そのくらいなら万善寺の支払いが少々遅れてもそれで経営がどうこうなるものでもないだろう。3月末は1週間ほど留守にするし、一応そのことは伝えておいた。

寒い間、板の間へ放置していた果物や野菜など日持ちのしないものを冷蔵庫や冷凍庫へ移し替えた。冬の間は、冷蔵庫より板の間のほうが冷え込んでいたからそれでよかったが、さすがに3月も半ばになると庫裏の温度も上昇し始める。本堂は天井も高いし、いまだにひんやりとして昼間でも肌寒いくらいだから、お供え物もまだ難なく大丈夫。例年、お彼岸が過ぎて5月の連休くらいまでは果物のような日持ちのするなまものを長期間お供えしておいても大丈夫だ。お彼岸を目処に、シキビなどの青葉をお供えしておこうと思う。冬は荘厳用の鋳物の花器の水が凍って使い物にならなくなるから、お釈迦様には悪いが、水無でも大丈夫な造花をお供えさせてもらっている。最近の造花は出来が良くて、100円均一のモノでも十分本堂での使用に耐えられるから重宝している。お地蔵さんはもうずいぶん前から造花で済ませているが、節目の行事や仏事がある時は、それに青葉を足しておく。保賀のカラスも最近は全く悪さをしなくなくなったから、それも助かる。

倒れた灯籠もそろそなんとかしないといけない。このところ寄進の願主さんにお伺いをしようと連絡しているのだが繋がらないままでいる。動かすにも、まずは願主さんの了解をもらわないとむやみに動かせないし、それで移動作業が停滞している。夕方になって仕事帰りの石屋さんが寺へ寄ってくれた。永代供養の戒名板のことや、燭台一式の見積もりのこともあって連絡しておいたので、その商談を済ませたついでに灯籠の話になった。万善寺の東側境内には昔から豊川稲荷の分社がお祭りしてあるが、世間ではそれは神さんで仏教と一緒になっていていいのか?・・・などと、妙に気にする人も多い。そもそも、万善寺の豊川さんの本尊様は吒枳尼尊天様で、同宗妙厳寺の境内に守護神としてお祀りしてある。細かいことを云えば色々あるが、まぁ、ザックリいうと元々神仏は仲良くそれぞれのお役目があって一緒にお祀りしてあったわけだから、特になんの問題もないというか、むしろその形態が信心信仰の本道ともいえるのだ。
とにかく、無理をすれば彫刻は2〜3日で一つ出来るのに、仏事はナカナカ片付かない。

IMG_0542 (1)

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

ニカラグアの珈琲 

2018/03/13
Tue. 23:28

ついに大牟田の珈琲がなくなった。
近所のスーパーで安売りを買ったり、茶の子で頂いたスティックやドリップタイプの珈琲などと併用しながら、大事にチビチビ飲んでいたが、ついになくなった。

吉田家の場合は大きなコーヒーメーカーがあって、ワイフがさりげなく気を使ってポットいっぱいの珈琲をつくり置きしておいてくれる。
万善寺は自分で用意するしかないから、通勤坊主や単身赴任坊主の時は、ネルドリップとかペーパーフィルターとかステンレスメッシュとか、その日の気分で珈琲をいれている。
やっぱり、飲む分だけ豆を挽くのが一番美味しいから、だいたい朝のティータイムはミルを使うことが多い。
そんなわけで、万善寺の珈琲豆がなくなったから、ワイフを誘って出雲まで買い出しに行くことに決めた。

毎年、この時期は確定申告があるから税務署の近くでワイフと待ち合わせをした。
申告の手続きをしていたら、昔一緒に仕事をしていたときの友人とバッタリ会った。お互い、自営業というか自由業というか、源泉徴収とは縁のない世界の日銭で暮らしているから、仕事も趣味もまったく接点がないのに、それでもどこかしら類友のような親近感がある。奥さんや子供も知らないわけでないし、立ち話で昔のことが少し蘇った。

よく晴れた良い天気で、出雲への移動も気持ちがいい。
ワイフと他愛ない会話を楽しみながら運転をしていると、電話が鳴った。
「今何してるの?もう申告終わった?」
誰かと思ったら、先程の彼からだった。今出雲へ向かっているといったら、帰りに寄らないかという。
「5時過ぎると思うけど、それでもいいの?」
「全然大丈夫!子供も帰国しているし、久しぶりだからいらっしゃいよ!」
「それじゃぁ、寄らせてもらうよ!」
ということになって、彼へのお土産に浅煎りの珈琲を粗挽きしてもらった。

お土産を渡すと、彼は、早速アメリカンのさっぱりした珈琲をいれてくれた。
昔、長野の方で短期間だけペンションを経営していたことがあるから、そのあたりのことは手際が良い。
息子さんはずいぶん大きく逞しく立派な大人になっていた。つい先日までオーストラリアのファームで働いていたそうだ。そのあたりはオヤジに似てワイルドだ。同じ外国暮らしでもフロリダディズニーで働いているノッチは吉田家のオヤジに似て軟弱チキンだったりするから、血は争えないものだ。
1時間がアッという間に過ぎていた。
夜も遅いからと再会を約束して別れた。
申告も終わって、1年が一区切り付いたし、旧知の友人と久しぶりの再会もあったし、なんとなく温かい気持ちになった。

IMG_2823.jpg
IMG_2822_201803141130125af.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

アレはアレ!コレはコレ! 

2018/03/12
Mon. 23:34

強風と大雪で断裂したまま軒先にぶら下がっていた別棟の電気配線は周辺の雪が溶けて動きやすくなったので、近所の内線工事業者さんへ修繕依頼して、今度の寒波被害の復旧に目処が付いた。
風呂のカランの方は、まだなんの連絡も入ってこないままそろそろ1ヶ月になろうとしている。水道関係の業者さんも小さな町に1つ有るか無いかの店舗数で地域一帯に広がるこの冬の凍結被害復旧作業をこなすのもおおごとなことだろう。
屋根の雪に押されて固まったままピクリとも動かなかった建具が、先週くらいから少しずつ動くようになって、今になってやっとガタピシながらも今までどおり日常の生活に苦労しない程度に戻った。
山の斜面に面した北側は、まだ雪が溶けないまま残っている。今度の大雪で瓦がずれているかもしれないし、その確認もしておかなければいけないが、今はまだ少し早い。お彼岸前の大掃除にあわせてそれをしようと思っている。
除雪作業で酷使した膝が夜になって疼き始める。布団の中へ手持ちのヴァイブレータを持ち込んでブルブルと膝周りをマッサージすると、次第に温もって血行も良くなるのかしばらくは痛みも消えてそのうち寝てしまっている。お彼岸までには膝の具合をなんとか少しでも良くしておこうと思うが、墓掃除や倒れたままの灯籠の復旧もあって、無理な気がする。
彫刻の方は、お檀家さんの土地に植わっていた栗の木を切り倒したのがあって、それを材料でもらうことになっている。あまり大きな木ではないが、近くには今どき栗の木を扱っている材木屋など無いし、チップ工場で雑木の山から探し出すのも大仕事だから、お経の合間の世間話でそれこそ呪文のように「アノ木が欲しい、コノ木が欲しい・・」とささやいていると、時々それがヒットしてそれなりの情報が入ってくる。今度の栗の木もその一つで、彫刻に使えなければストーブの薪になるし、いずれにしても野ざらしで腐らせるよりはいい。

3月も、アッという間に月半ばが近づいた。
年度末の書類作成をしながら化学着色を続けている小さな彫刻が、少しずつそれなりの錆色になり始めたので、展示するときの効果を確認するために吉田家へ持って帰った。
今度の彫刻は、いちおう「彫刻!」と言ってはいるが、どちらかといえばインテリアクラフトに近いところに位置している。今の美術館は公共とか私設とか関係なく、作家の作品展示にやたらと厳しい規制がかかる。美術館サイドの管理運営を優先した規制が過ぎて、作家の表現の自由が無視される傾向にある。昔は、相手の事情に出来るだけ順応しようと努力しながら制作を続けていたこともあったが、そういうことのストレスが自分の彫刻の造形感というかコンセプトに悪影響を及ぼすことがわかってきて、それからは、とにかく自分で自分に「アレはアレ!コレはコレ!」と言い聞かせて時と場所を使い分けながら大小の彫刻を造るようになった。だから、本当に造りたいモノを造ろうと決めるときは、自分の許容できる発表展示の環境を用意して、それから周辺事情を調整しながら交渉を進めることにしている。こんどの小さな彫刻は、どちらかといえば、少し遠慮もあるが自分のワガママ優先で造りたいモノを造った。銀座のアノ画廊は、まだそういう類の彫刻を受け入れてくれる許容があると信じている。

IMG_7032.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

坊主走る! 

2018/03/11
Sun. 23:22

午前中は隣町のお寺のお手伝い法事で鐘つき坊主を務め、午後は万善寺のお参りでお檀家さんの3回忌法事。
法衣をたたむ間もなく1日2つの法事で走り回った。

冬の間の参道の雪かきがこたえて、特に右膝から太腿お尻を通って腰まで激痛が走る。朝の起きてすぐは、歩くのもままならないほどつらい。おまけに、今朝は放射冷却でぐっと冷え込み、前日の雪解け水がバリバリに固まって、少しの日陰でもスリップの危険があってアクセルとブレーキを踏み分けするたびに身体の右半分が痛くて痺れて頭がクラクラして卒倒しそうだった。

寺の勝手口で鉄の錆び付けをしているのだが、冬に逆戻りしたようなこの数日の寒さで錆液の化学反応が鈍くてこまる。
起きてすぐ、顔も洗わないで錆液を塗るのだが、午前中の法事から帰って確認しても錆の変化を見分けることが出来ない。
今まで、何度も冬の彫刻制作や錆液の化学着色をしてきたが、こんなことははじめてでどうにもしようがない。たぶん、それだけ気温が低いということなのだろう。

集中した法事の最中も、だいたい今年の強力寒波が話題になっていて、もう80歳を越えたご高齢のおじいちゃんも「今年みたいに寒いのは生まれて初めてだがねぇ〜!」としきりにそんな話題を周囲に振っていらした。一見するとあのおじいちゃん、まだボケてなさそうだし、彼の年齢で未経験の寒さだと云うくらいだから、それこそ今年の島根県中国山地一帯では100年に1度あるかないかの出来事であったのかもしれない。
万善寺の場合は、水道の不具合と、参道の道開けに悩まされたくらいで、あとは停電も短時間だったし、プロパンガスもカセットコンロで代用できたし、厳しくはあったが、生活が停滞する一歩手前でなんとか持ちこたえていたところもある。
詳しくは分からないが、お檀家さんのお話だと、停電が長引いた一帯の電化住宅では、予備のバッテリー電源とお湯用の給水タンクがほとんど底をついて、停電がもう1日続いたら一家全員で避難するしか無い状態であったらしい。他にも、水が出ないからお風呂は毎日近くの温泉へ通っていたとか、そうすると、みんなが同じ考えで、温泉施設が超満員で芋洗い状態だったとか、斎膳の席で冬の間の色々な話題というか情報交換が飛び交っていた。

1日の法事をすべて終わって万善寺へ帰ってきたのが夜の7時近かった。
法事2つで斎膳も2回お付き合いさせていただいて、もう自分の身体中飲食の入る隙間がない。折弁当やお供えや果物籠も2つ分で一抱えあって、鮮度のあるうちに一人でありがたく頂くことも不可能だし、半分を本堂へお供えしたあと、急きょ思いついてワイフに電話して石見銀山へ日持ちのしない半分ほど持ち帰ることにした。
正月から少しずつ消費してあと残りわずかになっていた冷凍庫の餅であったが、この2日間でお供えの鏡餅や切り餅が一気に増えてもと通りになった。この調子でこれから1年間は、万善寺の冷凍庫がお餅で占領されることのなるのかもしれない。

IMG_6195.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

春の法事ブッキング 

2018/03/10
Sat. 23:56

私の師匠であり万善寺の前住職であった憲正さんには2人の兄弟弟子があった。
そのうちお一人は若くして亡くなられたが、もうお一人の弟弟子さんとは私正純との師弟関係より長きに渡って親しく交流が続いていた。
憲正さんが遷化した時も、弟弟子の方丈さんには密葬から葬儀一式ずいぶんお世話になってとても助かった。
その弟弟子さんは、憲正さんの一周忌がすぎ、三回忌を間近にして突然後を追うように庫裏で倒れそのまま覚醒することなく遷化された。
それから、早いものでちょうど1年が経つ。
現住職から早々と昨年末に一周忌法要のご案内が届いていて、「随喜させていただきます」と返事をしておいた。

一方、年が変わってからは、この度の大寒波襲来で万善寺はほぼ2ヶ月に渡って陸の孤島と化したが、3月のおひなさま寒波のあと一気に気候が春に向かって加速した。それで、にわかに万善寺のお檀家さん事情が活気づいて、停滞していた法事の依頼が続いた・・・といっても、田舎の山寺のことだから「毎日のように・・」ではなく、「毎土日のように・・」「○○日の土曜日は??」という感じでお伺いの電話が二重三重に重なってしまって、ほんの少し前まで雪や凍結と格闘していた現住職はお檀家さんの法事ブッキングと格闘することになった。
飯南高原の近場のお檀家さんは土曜日を日曜日にしたり、午前を午後にしたりしてなんとか「それじゃぁ、第2週目の午後2時からということで・・・」などとスケジュールをさばいたが、関西方面の遠方にお住まいのお檀家さんは、「もう島根県も雪が消えたようで・・しばらくお参り出来ていないお墓のことも気になりますし、お彼岸前に休みが取れたものですから、今度の土曜日に日帰りすることに決めましたので・・・」などと、すでに自分のスケジュールを決めた後から法事の依頼をされたりして、コレばかりは住職やお寺の都合は全く通用しないで、とにかく困ったことになり始めた。
基本的には、先着順で法事を受け付けるので、結局「それじゃぁ、この度はお寺参りは失礼して帰らせていただきます・・・」などと云うことになって貴重な法事の布施収入が次々減っていく。まぁ、施主様のほうは、内心出費が減って「シメシメ」と思っていらっしゃるかも??・・・だけど・・・

そういう、あぁ〜だこぉ〜だのやりとりがあって、弟弟子様の1周忌法要へ随喜した後、大急ぎで万善寺へ帰って年回法事を一つ済ませた。坊主のお茶飲み話によると市街地では夕方の4時からお葬式が始まるようなこともあるようで、それよりはマシかなと思わないでもないが、地域事情の格差が仏教界にも広がっているように感じた。
一人飯の夕食準備でトマトを刻みながら麦とホップを一口二口飲んだところまでは覚えているが、そのあと、ゴロリと横になって気がつけば夜の9時を過ぎていた。ワイフは卒業式の慰労会だと云っていたからそろそろ帰宅しただろうと電話したら「電話しようかと思ったんだけどね・・きっと疲れて寝てるんじゃないかと思って・・」珍しく気を使ってくれたようだ。ピッタリとその通りで、別居中であっても意思の疎通は出来ているようだ。・・・それからしばらくして、ネコチャンズの写真をLINEで送ってくれた。

IMG_2778_2018030912404199c.jpg
IMG_2797.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

週末の坊主 

2018/03/09
Fri. 23:26

珍しく仕事が休みだというワイフが朝寝を貪っている。
こういう朝はめったにないからゆっくり寝かせておいてやろうと、起こさないようにできるだけ静かに朝の支度をして家を出た。
このところ急に暖かくなったり大風が吹いたり落ち着かない。
今朝の石見銀山はどちらかというと「少し寒いかな?」と感じたが、我慢できないほどでもない。

週末から来週にかけて寺の用事が続くから、荷物の移動がいつもより少し多い。2回に分けて結界君へ積み込んで万善寺へ向かった。
飯南高原で銀山街道から出雲街道へ入ると目の前の琴弾山が白くなっている。万善寺は標高450mくらいだから、だいたい目算で標高600mくらいから上のほうは雪が降って積もっていた。慎重に境内へ結界君を乗り入れたら、なんとか庫裏玄関前までそのまま進めそうだ。最初の寒波がやってきてからあと、今朝になってメチャクチャ久しぶりにいつもの定位置へ結界君を駐車することができた。
それでも、やはり寒い。
しばらく薄着でいたから、さすがにこの寒さは身体にこたえる。荷物を降ろしている最中もときおり雪が舞い降りてくる。琴弾山の上の方に降っている雪が解けないで風に乗って境内まで運ばれているのだろう。
出来上がった小品の彫刻に錆び付けをして一晩外へ出しておいたのだが、この寒さで錆液の化学反応も進行が鈍くてほとんど変化がみられない。このまま一日こんな状態ならストーブの近くの暖かいところへ移動しておいたほうが良さそうだ。

土曜日から日曜日にかけてお寺参りの法事が続く。
施主さんに電話で人数を確認すると2日合わせて参列が30人近くになるという。それだけの数が集まって法事となると、お茶の支度がおおごとだ。
彫刻の世話を終わって、やっとひと心地ついて、いつものように珈琲を一杯やりながら一日のスケジュールを組み立てた。
坊主一人の接待になるから十分なことはできないが、それでも饅頭一皿と番茶くらいは用意しておかないといけない。湯呑みに菓子皿に懐紙にクロモジを揃えて、夕方には番茶のポットを用意しておくことになる。庫裏の方でそこまで準備してから、近くの店まで出かけて饅頭を人数分仕入れた。
1年前に母親が死んでから私が寺のすべてを厳しく管理するようになって、ネズミが激減した。それまでは、本堂のお供え物とか来客用の湯茶や菓子皿の準備とか食べかけのお菓子とか毎度の食事の食べ残しとか、台所の流しの生ゴミやゴミ箱の中身まで、ネズミの餌になるようなものを無造作に放置してあることばかりで、毎晩のように寺のアチコチからネズミが動き回る音が聞こえてきた。前住職夫婦の時代は、ホームセンターでネズミ退治の毒エサや粘着シートや捕獲カゴなどを買ってきてネズミ退治をしていたが、ようするに彼等の食べ物が無くなればそれで問題もほぼ解決することだから、寺の管理が自分に変わってから後、ことごとくそのあたりの不具合を改善して1年たった。
夜になって、墨を擦って塔婆を3枚書いて法衣を準備して、ツマミを造って一杯やった。

IMG_2804.jpg
IMG_2806.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

ナニが起きるかわからない 

2018/03/08
Thu. 23:39

小品の彫刻と云っても、小さい分だけ早く出来上がるというわけでもない。
むしろ、2m以上の大きな彫刻のほうが楽にできて造りやすかったりする。
そういうこともあって、制作中にナニが起きるかわからないから、早々と吉田家を出て工場へ向かった。
石見銀山の町並みから銀山川を渡って新道へ結界君を回すと、微かに濡れた路面へ木や竹の葉が張り付いて、道脇にはプラスチック製のプランターが転がっていたりする。前夜にそこまでの強風が吹いていたのだろうか特に記憶がない。
町道から主要道へ左折してすぐにあるトンネルを抜けると下り坂が乾いている。山一つ越えるだけで天候条件がかなり違うのはアタリマエのことで、もう20年以上住み暮らしている石見銀山の町はそういう地理的環境にあるということだ。

工場通いは前日に続いて2日目になる。
いつものように、倉庫に囲まれた内庭で結界君を回してバックから工場入口へ進入し始めたら、バックミラーに入るいつもの風景がどうも変だ。側溝を目安にして左右を確認しながら慎重に工場横まで移動すると、昨日と鉄板の位置がズレている気がして少し手前で結界君を止めてエンジンを切った。その気になって注意して周囲の状況を見直してみると、資材置き場の材料が倒れていびつに重なり合っている。工場の入口前へ寝かしておいた1.6mmの鉄板がひらりと舞い上がって裏返しになっている。その上に入口横に立てかけてあった9mmの3✕6板が倒れて直撃して1.6mm板は無残に折れ曲がって変形している。
どうやら、工場の周辺地域は強烈な突風が吹き荒れたらしい。

本当にナニが起きるかわからない・・・
9mmの鉄板は、もう5年以上前に3枚ほど重ねてその場所へ立てかけておいたものだ。
それから現在まで、少しずつ裁断しながら使って今は1枚だけ残っていて、あとは切り刻んだ端材が、探せば何処かにあるくらいに減った。あの頃は、それでもまだ体力や腕力もあって腰や膝や足首の故障もそれほどひどくなかったから、地面に寝かした9mmの鉄板を起こして立てかけるくらいのことは苦もなくできていた。
その9mmを含めて工場の入口周辺に散乱した彫刻の材料を片付けるだけで、本日の体力をほぼ全て使い切った。
残りわずかの余力でフラフラになりながら小さな彫刻の最終工程に取り掛かったところで電話が鳴った。(・・・このタイミングで・・・)と見事に制作の気力が萎えたが仕方がない。同級生のクルマ屋のオヤジからだった。「オォー!まいどぉー!吉田くん今イイィ〜〜?」(・・・って全然良くないんだけど・・・)「吉田くん住民票ソッチにあるんじゃないかと思って、確認よぉー。明日までに持ってきてくれると助かるんだけどぉーー!」(・・・ってそれ突然云われても・・・)
・・・なんとか昼過ぎに彫刻を造り終わって、市役所の分庁舎で住民票をもらって、出来上がった彫刻を積んで飯南高原へ向かって同級生に住民票を渡してから万善寺へ向かった。参道を登ったら境内の端の松の枝が折れて用水路脇へ落ちていた。雪の残った境内は他にも色々なものが散乱してすごいことになっていた。
島根県はかなり広範囲で台風クラスの強風が吹き荒れていたらしい。

IMG_2803.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

彫刻制作開始 

2018/03/07
Wed. 23:44

島根県は週末から天気が崩れるらしいが、今のとこと春が来たような暖かい日が続いている。
大雨と雪解けで水浸しだった寺の境内も、もと通りになってやっと結界君が動きやすくなった。
冬シーズン中の不具合が解消されていないところも残っているが、とにかく、少し落ち着いて通勤坊主が楽になった。

大雪と凍結の御陰で予定していた彫刻制作が出来ないでスケジュールがかなり乱れて遅れた。
朝起きると石見銀山はとても良い天気で制作日和だから、通勤坊主のスイッチを彫刻家へ切り替えた。
思えば、工場のカギを開けるのも今年になってはじめての気がする。
外は陽が当たってポカポカと暖かくて錆の加減を見ながら平置きしている鉄板がとてもいい感じに温もっていた。
3ヶ月ほど寝かしているからもう少し錆の定着がすすんでいるはずなのだが、まだ粉っぽくて軽い感じだ。自然が相手でほとんどあなた任せにほったらかしの状態が続いていたから、これからは様子を見ながらもう少し錆が丈夫になるように工夫する必要を感じた。
近年は、錆鉄板のストックを使い切ってしまって、大きな彫刻を造る時は、納品されてすぐの黒皮板をそのまま切り刻むしかなかった。財力が充実しているわけでもないので、無駄にストックを増やすわけにもいかないが、まったくないのも困りものだし、財布と相談しながらチビチビと小分けして買い込んでは錆の仕込みをしているところだ。

今度の展覧会は、銀座の画廊でグループ展になる。
小品の彫刻を展示することになるので、工場の壁に立てかけてある錆付きの鉄板から手頃なものを2枚ほど引き出した。1枚は比較的錆が進んで少し味が出たもの。もう1枚はまだ黒皮が残った無機質な工業製品のままのもの。主にこの2種類の鉄板を使い分けながら彫刻を造ることにした。
午前中はおおよそのスケールを決めて鉄板に直接ドローイングしながらパーツを裁断した。久しぶりに鉄が溶ける匂いと茶褐色の溶断煙が狭い工場へ充満して、彫刻家の勘が戻ってきた。
30歳までチェーンスモーカーだったが、ワイフのお腹にじゅん君が出来たことがわかってから止めた。自分の体にタバコが悪いという意識はあまりしなかったが、生まれてくる子供には良くないだろうと感じて、それで止めた。そのくらいの動機だから、こうして工場でタバコ以上の有害なガスにつつまれることにそれほど健康の危機感を持っているわけでもなく喜々として彫刻を造っている。これからも、身体が動くうちは少々無理をしてでも彫刻を造り続けようと思っているが、その前に脳みそが思うように機能しなくなることもあるし、先のことはわからない・・・と、鉄板を溶断して刻みながらそんなことを考えていた。
それから午後になってパーツの準備が一段落したところで、工場から結界くんで5分の日本海のいつもの海岸へ回った。
この数ヶ月、ひたすら雪と山ばかり見て過ごしていた。

IMG_2789.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

大雨のあと 

2018/03/06
Tue. 23:11

石見銀山は梅まつりが終わってから天気がくずれて一晩中大雨が降り続いていたから、万善寺のことが心配で、夜が明けるとすぐに結界君を走らせた。
ほぼ銀山街道に沿って蛇行しながら流れる江の川の支流がいつになくゴォゴォと濁流になっている。
V字の谷へ張り付くように続いている棚田は昨日まで雪が残っていたのに、一晩で溶けて田植えが終わった後の水田に見えるほど雨水で満ちていた。
飯南高原から出雲街道へ合流してからもそういう景色が続いて、神戸川の支流はもっとひどく増水していた。
すくなくても、島根県の中央部は昨夜一晩でかなりの大雨が降ったようだ。

ドキドキしながら参道を上がってみると境内にはまだ白く雪が見える。一旦、駐車場で結界君を回転させ、バックでお尻から境内へ乗り入れた。
案の定、行き場のない大量の雨水と雪解け水が境内一面に溜まって大きな池のようになっている。庭の真砂土の吸水が間に合わなくて飽和状態になってしまっていた。
雪がなければ、自然にできた庭の傾斜や窪地を辿って上手に農業用の水路まで排水されるようになっているから、かなりの大雨でも気にすることもないが、今はその排水ルートが雪に埋もれて上手く機能していない。
幸い、大雨も峠を超えてどんよりと曇り空ながら朝から気温も高くて春の陽気だ。
この様子だと前庭の方は特に何もしないでもそのうち雪の下を地下水のごとき排水路が出来るはずだ。本堂の東側は、一対の灯籠が倒れたままになっているものの、排水の方は大丈夫。庫裏の西側と北向きに続く裏庭が気になるのだが、そちらは雪は多くていまだに踏み込める状態にない。
庫裏へ入って北に面した裏庭を家の中から覗いてみると、盛り土の上にある基礎石すれすれまで水面が上がっていて、あと少しで床下へ雨水が流れ込みそうな状態になっている。裏庭の排水は、庫裏から台所の軒先に沿って西側へ回り込んで、そちらにある古い用水路の跡を経由して現在現役の水路へ流れ込むようになっている。そのルート上には大量の雪が消え残っているから、これから昨夜のような大雨が降り始めたら万善寺の長い歴史はじまって以来の床下浸水になる。
とにかく、自分にできることと云えば、セッセと人力で雪をかき分けて排水ルートを確保するか、本尊様頼みの祈祷法要を始めるか、もしくは、すべて諦めて一日中空を見上げながら運を天に任せてダラダラ過ごすか・・・そのくらいの選択肢しか浮かばない。
それでもと思って、ウエブチエックで島根県の天気予報を確認すると、これからどんどん冷え込んで気温が一気に下るものの雨が降ることはなさそうだ。最近の天気情報はほぼ完璧に近いくらいよく当たるから、デスクトップを駆使して飯南高原の局地的な天気図を引き出したり、地域のケーブルテレビで天気情報を確認したりして裏付けを固めた。

寺で一日過ごしても事態が急変することも無いだろうから、石見銀山へ引き上げることにした。今日もワイフが仕事で遅くなるようなことを言っていた。いつものように疲れ切って帰宅するだろうから、夕方の家事を少しでも楽にしておくくらいのことなら出来る。ここまで自然に振り回されることも今までに無い。この歳になってナカナカ鍛えられる。

IMG_2781.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

梅まつりの夜 

2018/03/05
Mon. 23:47

石見銀山の銀山公園では毎年恒例の「梅まつり」があった。
婦人会のメンバーでもあるワイフは、三色団子を造る手伝いで朝から出かけたようだ。
この時期の私は相変わらず週末から坊主優先の万善寺暮らしで、もう何年も梅まつりと縁が切れたままになっている。

夕方になって珍しくワイフの方から電話が入った。
「お寺はどぉ〜ですかぁ〜?私は少し前に帰りましたぁ〜・・これから買い物に出かけるからねぇ〜〜・・あなたお帰りは何時くらいですかぁ〜」と、それなりに機嫌が良い。
一日婦人会の立ち仕事で疲れたのではないかと心配したが、それ程でもないようだ。
その電話があって急に吉田家が恋しくなって、急いで帰り支度を始めた。

万善寺は一日中春になったようないい天気で、吹く風も棘がなくなって柔らかい。
生まれも育ちも山奥の田舎者だからなのか、この歳になって花粉症の発症もないから、こういう春の風は実に心地よくて気持ちが晴れる。
昨年の終わりから数カ月ぶりに、お寺のそこら中の窓やドアを開放して外の空気を入れて、ついでだからといつもより念入りに掃除機をかけた。
家の中を風が通り抜けて、冬の間部屋中に充満していたオヤジの加齢臭が一気に吹き飛んでいった。

まだ明るさが残っているうちに万善寺を出発した。
雪解けの水が街道沿いの川へ一気に流れ込んで、かなり増水している。
島根県の今年の水田は水不足で悩むこともまず無いだろう。
牧場の近くを通る銀山街道へ曲がったら、沈む夕日で逆光の石見の山並みがいつになくくっきりと目に入った。だいたいが、朝夕の霧深いところでそれにこの時期は春霞みも続いて滅多にクッキリとした山景を見ることがない。

吉田家前の駐車場にはすでにワイフの車が停まっていた。
土間へ入ると、珍しくクロが鳴きながら出迎えてくれた。
夕食は、見事に炭水化物が並んだ食卓の端には三色団子。
炭水化物と甘いもの大好きなワイフが、最近少し本気になって食生活を改善しつつある。たまにはそういうストレスから開放されたいと思ったのかもしれない。それに便乗したボクもたらふく食べた。

夜も更けて日が変わる頃、雨が屋根を叩き始めた。それから青白い閃光が吉田家の天窓を通してリビングを照らした。この時期には珍しいほどの豪雨になって、周囲が一気に賑やかになった。それでも、布団の上で丸くなっているクロはピクリともしないでスヤスヤ寝ている。雨と風と雷とクロの重さで完全に目が覚めてイジイジしていると、ワイフも起きてきてトイレへ入った。シロも目覚めたようで更新した首輪の鈴がチリンと鳴った。
「万善寺はどうだろうか?・・・」
境内の溶け残った雪が雨水の排水を邪魔して大事になっている気がする・・・

IMG_2776.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

荼枳尼尊天様の御蔭 

2018/03/04
Sun. 23:16

夜中に暑くて目が覚めた。
3月3日のおひな様から一気に春めいて、暖かくなった。
万善寺は今まで、昼も夜も一日中暖房器具を総動員しないと寒くてしょうがなかったのに・・・地球の自然相手に人間は良いように翻弄されている。
そういえば、夜明けが早くなった。
少し前は、7時を過ぎてからやっと窓の外が明るくなりはじめていたのに、今では6時半の町内一斉放送が始まる頃にはもう明るくなっていて、今朝のように良い天気だと保賀の谷の鳥たちがアチコチで鳴きはじめている。
雪解けも一気に進んで、ほんの1週間前まで毎晩氷点下まで気温が下がっていたのがウソのようだ。

本堂の東側にある豊川稲荷のお堂前の灯籠が雪に押されて倒れた。
冬の間、屋根からずり落ちた雪に押されて傾いていたのを、古タイヤを積むなどして何とか支えていたのだが、結局それも気休め程度のことになって、見事に一対バラバラになって見る影もない。数年前にも片方の灯籠が雪吊りの直撃を受けて倒れたが、その時は今度のシーズンより雪が多かったからその雪がクッションの代わりになって灯籠のパーツも欠けること無く無事だった。
今回の倒壊はあの時より被害も大きくて、パーツの接着が全て取れた。このまま同じ場所に再建しても、上に上に乗せて積み重ねただけでは毎年同じように倒れてしまうから、この際、雪が消えて結界君も境内で自由に動けるようになって道具が使えるようになったら、本堂の軒下の雪の影響があまりない安全な場所へ移動しようと思っている。
せっかく好意で寄進していただいたものだから、粗末には出来ない。

それにしても、倒壊の状況を改めてよく見ると、応急処置で支えにしておいた古タイヤがなかなか良い働きをして被害を最小限に食い止めてくれていた。それも、豊川稲荷ご本尊の荼枳尼(ダキニ)尊天様の御蔭と確信している。そもそも、信心とはそういうものだと思う。
自分の気持の問題というか、思い願いの先に、ナニを求めるかで自分に返ってくる信心の効果が違ってくる。
何かの不安や不幸が自分に降り掛かって、それを自分の力で避けきれない時、どれだけポジティブにプラス思考に受け止めて前向きに向き合うことが事ができるかで、気持ちの楽さ加減が大きく変わってくる。やはり、信心のポイントはソコだと思う。
やがて消えて無くなる雪ではあるが、降り積もる雪の脅威は人間の力でどうなるものでもない。無駄な抵抗をしないで、ジッと耐えて好転の時を待つしかない。
雪で倒壊した灯籠も、一方で降り積もった雪の御陰で被害が最小限で済んでいる!・・
雪の降りしきる中、除雪作業を早々と諦めて古タイヤを積み重ねるくらいのことで終わらせた自分の弱さも、一方で自分がそのとき出来る限りのことをしておいたから被害が最小限で済んでいる!・・
そういう、結果の客観的把握を、「荼枳尼尊天様の御蔭」に置き換えることで、自然の脅威も自分の不甲斐なさも一括受け止めて「ホッ・・」とできるのだ。

IMG_2774.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

島大卒業制作展 

2018/03/03
Sat. 21:19

一週間がアッという間に過ぎてしまう。
1〜2月はどうしようもないほど光熱水費が無駄になったから口座引き落としの支払いがうまくいったか気になってしょうがないので、昨日は昼過ぎから金融機関を一巡した。
松江と広島を結ぶ国道54号線に点在する小さな町の金融機関は、今では郵便局だけ残った。地方銀行は何年も前から早々と撤退してATMの数も少ないし、JA銀行は行政区域の統廃合前から農協独自の裁量で店舗数を縮小した。
先代住職は農協の口座をメインに利用していて、お檀家さんもほとんどが農業従事者だからそれが今でも便利に引き継がれている。住職を引き継いだ方の私は全く農協と縁がないから何のメリットもなくて不便極まりない。なんとかして早く農協と縁を切りたいと思っているのだが、飯南高原一帯が農村地帯だし隣近所の付き合いもあって、自治会の集金とか会計とかが絡んで簡単に抜け出せそうにない。
決して田舎暮らしを否定するわけでもないし、むしろ慌ただしく落ち着かない市街地の暮らしを思うと、少々の不便も気にならないほどマイペースにのんびりとできて、そういうゆったりとした田舎なりの時の流れが気に入っている。それでも、現代社会の日常は田舎も街場も変わりなく同じシステムが導入されてコトが進んでいくから、金融機関の利便性ひとつとっても不便極まりない。私など今のうちは老体を鞭打ってダマシダマシ動いているが、そのうち近い将来それも難しくなるだろうし、田舎で暮らす高齢者にとっては生活の基盤が崩壊する事態がすぐ近くまで迫っている。
金融機関のことで大げさに思うかもしれないが、今の自分にとってはとても重要なことだと感じている。

国道に沿って幾つかの用事を片付けながら北上して松江の県立美術館へ向かった。
ちょうど島大の卒業制作展の会期中で、石見銀山の近所の大田市出身のK君が木彫の作品を展示していて、それがお目当てだった。
近年の少子化も影響しているのだろうが、今年の卒業生は6人だった。そのうち彫刻の専攻が2人で、もう一人は粘土の焼締めというかテラコッタというか、比較的工芸よりの作品だった。
K君の木彫は、制作の方向性がシンプルにダイレクトに伝わって好感が持てた。
若いうちは、色々考えるし悩むし迷うし、なかなか自分の思いが素直に形になってくれないところもある。彼の場合は、自分が今何をしたいのか、今の自分に何が出来るのか、そのあたりの気持ちのブレが少ない説得力のある彫刻に仕上がっていた。
造形の厳しさとか緊張感とか構成力とか、そういうものはこれから少しずつ場数を踏んで確かめていけば良いことで、誰でも最初からなんでもわかって出来上がるものでもない。願わくば、卒業制作を彫刻の着地点に思わないで、今後のさらなる展開をにらんだ出発点と意識してもらいたい。
一般社会での制作環境は、素材とか技法とか道具や機材など、学生が研究室で制作しているレベルとは全く違ってくる。彫刻制作は一人で一部屋にこもって何とかなるものでもない。周囲の様々な協力や理解がないと出来るものではない。彼の就職先は、私の鉄工場からそれほど遠くないし、島根県中央部の工業地帯にも近い。彼は、どちらかといえば人懐っこいところもあるし、うまくいけば良い彫刻の芽が育つかもしれない。

IMG_2769.jpg
IMG_2772.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

アラフォーネコチャンズ 

2018/03/02
Fri. 23:30

少し前のこと・・・
人間のチョットしたスキにクロが2回連続で脱走を成功させた。
とにかく、アイツは想像以上の執念深さで常に脱走の機会を狙っている。
外は危険がいっぱいだとわかっているはずなのに、それでも何とかして脱走したいらしい。
吉田夫婦の目を盗んでそういうことを繰り返しているものだから、今では吉田家周辺のご近所さんもそこら辺の野良猫とクロをキチンと見分けられるようになってきた。上隣の家の若奥さんは脱走したクロを見かけると、わざわざワイフへ電話したりメールしたりして知らせてくれるまでになったし、1ヶ月に一度回ってくる回覧板を下隣へ届けると、「いつだったかなぁ〜、銀山川の向こうの土手のところで日向ぼっこしとったよぉ〜」と、その家のオバチャンが教えてくれたりする。

石見銀山では、3年くらい前に野良猫が大量に繁殖して、それから1年位は、とにかく町並みのアチコチで野良猫被害が多発して、自治会の常会でそのことが議題になった事があった。その時は、保健所から捕獲用のカゴを借りてきて生け捕りして補助金使って避妊手術の世話までした自治会もあったようだ。
人口300人程度の石見銀山に猫が20〜30匹も増えたりすると、さすがに手放しに「アラッ、かわいい♡!」だけではすまなくなる。

吉田家のネコチャンズは、2012年の春から同居がはじまった。
それまでは犬のシェパくんがいて、その年の春先、水仙が咲く頃、19年10ヶ月を生きて大往生したし、またその少し前まではミニウサギのグレーもいて、そのグレーが死んだ時はワイフがいつまでも胸に抱きしめてオイオイ泣いていた。
その頃、世間はまだ今のような猫ブームがやってくる前で、石見銀山町並みでは野良犬が数匹うろついていて、犬の捕獲が常会の議題になっていた。
別に吉田家が世間のペットブームに乗っかっているわけでもないのだが、何故かタイミングよく吉田家に野良犬が住み着いたり捨て猫が拾われてきたりして今に至っている。

それでネコチャンズのことだが、彼等は人間で云うと30歳を超えてそろそろアラフォーが近いくらいの年齢になる。避妊手術をしているからどちらかといえば太り気味で、クロの方はそれに泌尿器系の持病があるし、そちらの悪化も心配な年頃でもある。シロは野良猫時代を覚えていて臆病者だから、自分から進んで脱走をすることもないのだが、時々クロに便乗して外の空気を満喫して帰ってきたりする。いずれにしても、このまま上手に家猫でいられれば、それなりのストレスはあるだろうが、世間の危険にさらされることも無く比較的平和に生涯を全うできる確率は高い。
最近は、完璧主義者のワイフがセッセとネコチャンズの食事制限に専念しはじめて、そのせいか微妙に彼等の体型が絞られてきた気がする。それで、何年も前から変わらないままの古い首輪がスルスルと抜け落ちてしまうようになった。首輪のない猫が外をウロウロしていると、野良猫に間違えられて捕獲される危険もあるので、彼等の誕生日はまだ少し先だが、先日の猫ちゃんの日に何もしてやれなかったし、心機一転首輪を更新してあげた。

IMG_2766_20180302113128316.jpg
IMG_2767.jpg
IMG_2763.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

2018-03