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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

3月の麗日 

2018/03/24
Sat. 23:16

母親が死んだのは1年前の3月23日だった。
お彼岸の法要を終わって、本堂などを片付けて、母親にその日の残り物を託して石見銀山へ帰った。
母親は、それから寺で一人暮らしを続けて、23日にその年最初のデイサービスへ出かけて、夕方に寺へ帰って、玄関の鍵を締めて、いつもの6畳で電気炬燵のスイッチを入れて、着替えもしないで炬燵へ潜り込んだまま、テレビのスイッチを入れることもなく、心臓発作で死んだ。
発見した時は、少し苦しんだ様子があって、周囲のモノが乱れていたが仰向けになって昼寝をしているような様子だった。

毎年3月の終わり頃には展覧会が東京であって、そのための彫刻を造ったり、搬入展示で移動したりと、慌ただしく毎日が過ぎる。
それで、母親の異常に気付いたのはお彼岸のあと一週間ほど過ぎた頃だった。いつも親しくさせてもらっていた近所のオバサンが私の携帯へ連絡を入れてくれた。状況を聞くと母親が普通の状態ではないことがすぐにわかったので、ワイフにその旨伝えて、寺まで同行してもらった。
あとは、鍵の掛かった庫裏へ何とか上がり込んで、死んだ母親を発見して警察や消防へ連絡したりして次の朝を迎えた。それから、通夜密葬から葬儀と、3月から4月にかけて落ち着かない数日が過ぎた。
母親は、俗に言う孤独死だった。
1年前のその時、何故か不思議に取り乱すことがなかった。
普通に眼前の事実へ粛々と向き合っていた。
「あの時、あぁ〜しておけばよかった」とか、「もっと、こうしたら良かったかも・・・」とか、後悔というか反省というか、特にそういう気持ちになることもなかった。母親の死を、かなり冷静に受け入れていた気がする。
子供が両親を見送ることが、人生の順当な筋道で、なんとかそれが自分で出来ただけでもありがたいことだと思っている。両親は、それなりに幸せに生きて、それなりにわがままを通して、ソコソコ上手に死んでいくことが出来たほうだと自分では思っている。

母親の祥月命日にあわせて、一周忌の法要を厳修した。
隣町のご住職へ差定の手伝いをお願いして、万善寺住職の私が法事の導師をつとめた。
もっと正式に本来の仏事差定に沿った法事にすべきところなのだろうが、今の私にはそれが出来るほどの器もないし、略式のまた略式程度のことで息切れする。
とにかく、母親が生前お世話になっていた(はずの・・・)親族を大事にして、法事の日取りを伝えたら、島根県内各地から広島まで総勢8人の親子孫三世代の参集があった。あまり、進んで人付き合いをするタイプでもなかった母親の法事としては賑やかな方だ。
一年ぶりに親戚が集まって、一年の情報交換をしながら、母親との思い出話に花が咲き、いつもとは少しほど違う豪華で美味しいお斎の料理をいただき、次の再会を約束して散開した。
浄照院慈門俊香禅尼一周忌法要は、ワイフの気配りも上々で、天気もよく麗日に過ぎた。

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2018-03