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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

程々の付き合い 

2018/05/09
Wed. 23:29

石見銀山から飯南高原にかけて朝から雨が降らないのは久しぶりだ。
1年前の今頃は、寺の草刈りが一段落して石見銀山の吉田家周辺の草刈りもほぼ終わったくらいだった。今年の島根は、春先には異常なほど暖かかったのに4月になってから雨の降ることが増えて、寒い日が続いていた。
いずれにしても、相手が地球の天気のことだからチッポケな人間ごときがジタバタしてもどうなるわけでもない。毎日の空模様と上手に付き合いながら一日を乗り切るしかないことだ。

貴重な晴れの日になるかもしれないから、急いで吉田家を出発して万善寺へ向かった。
刈り残しのある本堂東側からはじめて、出来たら参道脇を刈りながらお地蔵さん周辺まで終わらせたい。それで、まだ余力があれば庫裏側の石垣から耕作放棄地にした畑まで刈り進めたい。
3月の展覧会の頃から調子を崩していた足首から膝にかけて、痛みがとれないままもう2ヶ月近くになる。アッチが直ったかと思ったら次にはコッチが痛くなって、一晩寝ている間に膝が曲がらなくなっていたりと、際限がない。

まだ元気だった頃の母親は、一時期花物とツツジやサツキやアジサイなどの低木庭木へ夢中になっていたことがあった。
彼女は何かに凝ると脇目も振らないでそればかりにハマるきらいがあって、それが数年間続く。一番すごかった時は、サツキの季節が終わる頃になると剪定をしながら寺の境内を片端からグルリ囲むように挿し木して回ったことがあった。シーズンになると、住職まで駆り出されるし、まだ小学校の高学年だった息子のボクまで手伝わされることがあった。
1年目は挿し木がだいたい60%くらい根付いて、2年目は枯れてダメだった穴埋めの挿し木をしてそれがまた60%くらい根付いて、3年目にはほぼ一面サツキの壁になっているというスンポウだ。母親はそれを計画的に行っていたのかどうか分からないが、とにかく、低木の壁が出来上がると、こんどはその要領を次の場所へ移して、当分の間それが続いた。気がつくと、中学校を卒業する頃には、両親が田植えなどの農作業で忙しくしている裏番組で、ボクが低木の剪定係になっていた。1学期の中間テスト期間にはテスト勉強もしないで夕方日が暮れるまで剪定ばさみを使っていることもあった。
高校に入学して一人暮らしを始めた時は、5月の連休で帰省すると、結局寺の用事を手伝わされることがわかっているから、「勉強が難しくて遅れているから・・・」と、適当な理由をつけて帰らないでいた。クラスに映画好きがいて、007を今はない松江中央の封切りで観たのも確か連休中だったはずだ。

草刈り機を振り回しながら、昔のことを思い出していた。
結局、母親の挿し木は私が上京してから後もしばらく続いていて、今はその頃の後遺症の荒れ放題で自分が悩まされている。挿し木が広がってから後は、その隙間や周辺へ己生えがはびこって、それが境内の石垣を侵食するまでになった。
植物も動物も、それに人間も・・・生き物を相手は、何事も程々のところでクールに切り上げないとあとになってまわりが迷惑をする。母親の挿し木の後始末が2年目を迎えた。

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2018-05