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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

週末は石見銀山 

2018/06/30
Sat. 23:29

6月の仏事イベントが全て終了して、緊張が少し緩んだ。
単身赴任坊主が増えていたところだが、週末は石見銀山で過ごすことができそうだ。

浄土寺前住職の一周忌が終わって昼過ぎに万善寺へ帰ると、大衣を衣紋掛けに移して白衣襦袢などを洗った。
7月に入ったら、臨済宗寺院の大般若会があるので、大衣はギリギリまで吊るして風を通しておこうと思う。これから秋になるまでは汗もたくさんかくし衣の管理が難しくなる。
手頃な和箪笥が老朽化したので引き出しを抜いて台所へ茶箪笥におろしてからあと、まともに大衣や袈裟など坊主衣装を仕舞う場所が手薄になっている。
いまだに手付かずの前住職夫婦の遺品がアチコチへたくさん残っていて、なかなか整理できないまま2年が過ぎた。来年には母親の三回忌があって、それで寺の法事はまず一段落するから、その後の身辺整理をそろそろ計画しておこうと思う。
とにかく、昔と違って今の暮らしはモノを捨てることがとても難しくなった。いらないものは出来るだけ早く始末しておかないと日常の暮らしが不自由になってキリが無くなる。

超豪華な斎膳の折弁当を持ち帰って、少し落ち着いてからゆっくりと昼食にしようと思っていたのに、寺のアレコレをしているうちにその機会を逃してしまった。気がつくと午後のティータイム時が迫っているし、その頃になって折弁当を開くのも億劫になったので、井戸水を湯にして濃いめのコーヒーをマグカップにたっぷりと入れた。寺のデスクトップを立ち上げてメールを確認したら、ものすごい量のメールが溜まっていた。ウエブニュースを確認すると、今度の大雨は飯南高原のあたりだけでなくて、沖縄の方では台風も近づいているようだし、梅雨が開けた地域もあるようで、自分が気づかいない間に日本各地でいろんなコトがあっていた。

日曜日には恒例の石見銀山史跡一斉清掃があるから草刈り機を運びたかったのだが、銀くんのリヤデッキに積むには雨が心配なのでそれは次に回すことにした。
石見銀山の様子も気になるし、急いで帰り支度をして夕方早くに万善寺を出発した。街道から左折して銀山の町へ入ると、羅漢寺川が泥水に変わっていて銀山川へ合流するところで濁流になっていた。雨の方はひとまず止んでいる。
吉田家の玄関先へツバメのフンが溜まっている。見上げると留守にしている間にヒナが大きくなっていて窮屈そうに並んで巣の端へ顎を乗せていた。

夜はまたすごい雨になった。大粒の雨が大屋根を叩いて、それがうるさくてほとんど眠れなかった。朝も時折強烈な雨が降ったが、しばらく会話のないままでいたし情報交換も兼ねてワイフと買い物に出かけた。浜田の魚を目指して西へ向かっている途中もバケツの水をうつしたような土砂降りが何度かあったが、昼を過ぎには止んだ。
自宅にいても二人の会話がなかなか成立しないし、少し距離が開いたと感じたら買い物を餌にワイフを連れ出すに限る。ドライブの時間が上手く機能して都合が良い。

夜はノドグロのアラ煮・・・アラにしては少し高かったけど、ワイフの腕を堪能した!

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豪雨の小祥忌 

2018/06/29
Fri. 23:30

最近・・というか、近年の雨の降り様は尋常でない。
昨日から本格的な雨になったが、これが突然物凄い豪雨がドッと降り出して境内がアッという間に池になってしまうほどのゲリラ豪雨。これほど激しい雨が一瞬で降ると、いつもの排水の傾斜や大屋根からの雨樋などまったく役に立たないでアチコチでオーバーフローを起こす。
一昔前はこういうタイプの雨など降らなかった。
それに、しばらく続いた猛暑も6月のうちに気温が30℃を超えることなど記憶の限り経験がない。

前日から深夜にかけて、飯南高原は大荒れに荒れた。
浄土寺前住職の一周忌法要の朝も大雨で明けた。
司会原稿はすでに届いていて、それを元にお参りのお檀家さん用レジュメ解説も45部印刷しておいた。万善寺住職の事前準備はすでに終わっていて、あとはそれらを忘れないように大衣用の頭陀袋へ仕舞えば良い。
玄関前に横付けしておいた銀くんの屋根で大屋根からあふれた雨が大きく跳ねて窓ガラスを流れ落ちている。銀くんへ乗り込むのも一苦労で、雨のタイミングを読み誤ると改良衣が一瞬でずぶ濡れになりそうだ。他に荷物もあるし、一周忌法要は朝からえらいことになった・・・

なんとか、大雨の間隙を縫って銀くんへ飛び乗って、国道へ合流して右折した。
朝のこの時間帯は対向車線を通勤の車列が広島方面へ流れている。飯南高原の町役場や小中高の学校もそっち方面になるから、それが影響しているかもしれない。
国道54号線は、数年前に松江から広島尾道を結ぶ松江尾道道が全線開通した。一部区間を除いてほとんど無料通行区間になっているので、長距離の物流や商用車はほとんどそちらへ迂回するようになった。
それ以来、国道の交通量が激減して、日頃は近隣地域の生活車専用道となった。国土交通省の出先機関がすぐ近くにあって頻繁に巡回している様子なのに、なぜか国道の補修工事が殆ど無い。自動車道が開通する前は一年中どこかで補修工事をしていて、片側交互通行でイライラの連続だったが、最近はそういうことも稀になった。
今度の猛烈な豪雨が補修のない国道のくぼんだ轍を頼りに流れ下って一瞬で川に変わった。轍を避けられないまま銀くんを走らせていると洗車マシーンを潜っているようにすっぽりと雨水に浸かってしまった。
いつもはたった5分の距離がやたら遠く感じた・・・

そんな悪天候の中、法要は粛々と進み、斎膳の頃にはそれまでの雨が嘘のように上がった。
プリントの部数がかなり余った。この雨でお参りを躊躇されたお檀家さんも多かったのだろう。自然を相手にどうなるものでもないから無理はしないことだ。
司会解説をしながら先ごろ書いた塔婆の裏書きを思い出していた。さすがにこの豪雨では「坐看雲起時」の境地に浸る余裕など、ナンチャッテ坊主には無理なことです・・・

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浄土寺一周忌解説

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曇天の朝 

2018/06/28
Thu. 23:51

朝から雲行きが怪しくなって、風も強くなるし、梅雨らしくなったといえばそれまでだが、今まで真夏のような天気が続いていたから、気持ちのほうが上手く順応できないでいる。

万善寺の庫裏へ銀くんを横付けして玄関の鍵を開けて荷物を運んだりしてポストを確認したら、今度の1周忌法要で配役を受けた司会原稿が入っていた。
昨日の夕方は、書類の提出などがあっていつもより早く寺を出たから、それから後に方丈さんが訪ねられたのだろう。留守をして悪いことをした・・・
すでに届いていた差定案内を見ておおよそのレジュメは用意してあったから、内容を確認しながら原稿の過不足を調整すればなんとかなるはずだ。

それにしても、風が強くて時折遠雷も聞こえてくる。
万善寺の境内が気になってなかなか原稿に集中できないから、ひとまず会場のお寺まで出かけてみることにした。隣町のことだから5分もあれば寺へ着く。
その間にも雲がどんどん下がっていつ雨になってもおかしくない状況だ。
参道を上ったら、駐車場へ数台の車があってお檀家さん方が忙しく準備作業をしていらっしゃる。
ご住職の車がなかったからお留守だとわかった。それでも、そのまま引き返すのも失礼だから庫裏玄関を訪ねて経緯を伝えておいた。

その寺のご本尊様は阿弥陀如来さんのはずだ。
山号を養加山というから、それだけでもご本尊様がだいたい想像できるが、寺名の浄土寺と併せてみると、阿弥陀さんの功徳がそのまま寺の名前につながってとてもわかり易い。
一周忌の先代住職は22世で、偶然にも万善寺の先代住職憲正さんも同じ22世だった。
そういうこともあって、私個人としては憲正さんが現役引退してから後は何かにつけて頼りにしていたし、色々お世話にもなった。
だからだろうか・・・憲正さんのことを思い出すたびに何かしらそれに連動してその方丈さんのことも偲ばれて親近感があった。
法式差定のことや寺院宛案内の様式のことなどで相談に伺うと、ご在宅の時はだいたい本堂脇に併設された檀信徒会館の窓際で新聞を読まれたりしてくつろいでいらした。
チロだったかコロだったか?・・そういう名前の柴犬が飼われていて、鳩や雀が方丈さまを恐れないですぐ近くまで寄っていた。適度に俗っぽいところもあって砕けた会話も普通に出来たが、一方で所作の決まり事には厳しいところもあって、私が住職交代をしてから後は、万善寺の法要になると、どの方丈さまより早く到着されてさりげなく荘厳や配置の確認がてら本堂のご本尊様へお参りされた。
万善寺は親族身内だけで仏事を仕切るから、法要の当日はお寺さまのおもてなしが行き届かなくてずいぶん失礼なことばかりした。
今更どうすることにもならないが、明日の法要は自分なりに精一杯おつとめさせていただこうと思っている。
お檀家さんの身施の御蔭もあって、本堂荘厳もスキなく準備万端整えられてあった。

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真夜中のラムちゃん 

2018/06/27
Wed. 23:10

まだ6月とは思えないほど暑くて、昼食が終わっても、すぐには外仕事をする気になれなくて昼休みがどんどん長くなってしまう。
近年になく暑さが身体にこたえて何もする気になれない。
今年は、今まで経験がない冬の極寒で苦労したし、少し前までは連日の草刈りで体力を奪われていたから、そういうことの積み重ねと密かに忍び寄る老化が重なって、身体が悲鳴を上げているのだろうと思っていたのだが、たまに夕方早く帰宅してみると、吉田家の連中も一緒のように昼間からアチコチでグッタリとゴロゴロしてまったくやる気がない。
自分の体力減退が原因でいつもより暑さが厳しく感じているのだろうと思っていたが、それだけでもなさそうだ。

ワイフが家に居ると常にテレビがつきっぱなしになっている。
何気なく地方版のニュースを見ていたら、各地で記録的な暑さを観測したと云っている。
少し前には島根県の川本町で全国一の暑さを記録した日があったらしい。
川本町というと、東西に長い島根県のほぼ中央に位置していて、広島県の方から日本海へ向けて流れている江の川の中流にある山間の町だ。
私は、まだ30代の頃4年間ほどその町へ毎日通勤していたことがある。江の川沿岸の申し訳程度の平地を頼って形成された小さな町で、そういう地形をよく知っているから、とても全国一暑くなるようなところではないと、すぐにはその情報を信じることが出来なかった。
「まんざら、体力減退のせいだけでもなさそうだな・・」と、今の暑さのほうが正常でないことをわかった気がする。そうしてみると、クロが吉田家で一番涼しそうな場所を見つけてだらしなく転がっている様子も納得できる。

とにかく、この数日は我慢出来ないほどの暑さが続いていて、寝不足が慢性化して1日中身体が重たくてダルい。それで特にこれといって何をするわけでもなくだらしなく過ごしているのに、なぜかいつの間にか腹が減っていてなにか食べたくなって、結局冷蔵庫や冷凍庫をあさって簡単に食べられそうなものを探し出したりしてしまう。寺の用事のこともあって一泊したときもそういうメシのことになると身体が普通に動いて台所でセッセとありあわせの何かをつくっていたりする。
「こういう時は栄養をとって体力温存しないと・・」などと適当な理由をでっち上げて、冷凍庫で眠っていたラム肉の残りと、冷蔵庫の奥の方で忘れられていたスパゲッティの使いかけを探し出して夕食にした。それに、アルコールの力を借りれば蒸し暑さに負けないで「ぐっすり眠れるはずだ!」と都合の良い理由も添えたのだが、その効果もなく夜中に寝苦しくて目が覚めて、そのまま寝られなくなってしまった。まだ、自分の身体のほうが蒸し暑さに慣れていなくて、何をする気にもなれない。読みかけの本もあるし、連続のアメリカドラマもあるし、暇つぶしは幾らでもできるはずなのだがそれも面倒臭い。
・・・そして、思いつくことといえば、飲むことくらいしかなくて、また真夜中の台所のアチコチを物色し始める。それで、ラム酒の残りを見つけてトマトジュースで割ってグビッと一口やったら、少し元気が出た。
こんなことばかりやってるから、また最近になって太りはじめた・・・

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差定配役 

2018/06/26
Tue. 23:18

今週末には同宗寺院の先住忌法要がある。
早いもので、現職のまま遷化されて1年が経つ。
その大和尚さまは、遷化の半月前に万善寺の憲正さん三回忌の法事で導師をしていただいた。
あの時は、まさかそれから1ヶ月も経たないで亡くなられるとは思ってもいなかった。焼香にも立たれ、香語も用意され、お経もいつもどおりおつとめになられた。斎膳でもお酒を飲まれ、終始にこやかに過ごしておられた。
1年後の今にして思うと、すでにその頃は病気も進んで体調不良が続いていたのだろう。それを周囲に悟らせないまま平然とされる姿を思い出すと、そこまでの精神力の強さや覚悟に驚くばかりだ。

一周忌の法要では、司会の配役を指名された。
私の膝が曲がらなくなってしまったので、正座や三拝などの所作が難しいだろうと配慮を頂いたことになる。
膝のことは、もう10年は前に「アレッ?なにかへんだぞ??」と思い当たることがあって、それをかばいながらそれまでと同じ日常を過ごしていたら、今から4年くらい前のことだっただろうか??・・・彫刻の制作中に些細なことで怪我をしてしまって、その怪我が膝の症状悪化を誘発してしまったことが、現在の状況の原因になってしまった。
10年前というと、ちょうど、それまでの彫刻のテーマを次につなげようと悩んでいた頃で、何度めかの個展も思いついていて、それで一気に制作の展開を決めてしまおうと、そのことばかり思いながら1年近く彫刻を引きずっている時期だった。
膝の不具合を無視して、数十kgの鉄材をほぼ人力で動かし続けていたことも、膝にとっては大きな負担になっていたのだろう。

いずれにしても、曹洞宗の方丈さま方の差定配役所作は、素晴らしくキリリと締まった振る舞いに終始するから、私のように正座もできない坊主は法要全体の流れを乱す不届き者であって、無理して表舞台へしゃしゃり出るような真似は慎むべきことである。何もしないわけにいかないし、あてがわれた配役を謹んで承って、現ご住職のお考えに即した。
いずれ、期日が近づいたら原稿をいただけるだろうから、それまでに自分で出来ることを少しずつまとめているところだ。司会と云っても、結婚式披露宴のようにベラベラと賑やかに場の盛り上がるようなおしゃべりを続けるわけにもいかないし、宗門には、司会専門といえるほどの立派でプロフェッショナルな方丈さまもたくさんいらっしゃるから、わたしにできることは、ほとんどなにもないに等しい。そこで、思いついたのが、レジュメのような解説をプリントしてお参りの皆様へ配布すること。こうしておけば、法要までの暇つぶしにもなるし、法要中に場の読めないおしゃべりを続けることも減るし、それに、メモ程度のことでも文字に置き換えておけば、檀信徒の皆さんもあとになってよくわからない仏教用語の確認ができるかもしれないし、なにもないよりは少しはなにかの役に立つこともあるだろうと、無い知恵を絞って原稿を作り始めた。
カットの一つくらいは「あってもいいかな?」と、久しぶりに筆でメモしてみた。お仏壇の重要な三具足(みつぐそく)の配置ですが、みなさん、なんの絵かわかりますか??

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不義理 

2018/06/25
Mon. 23:41

寺籍調査でいろいろな項目へ数字などを記入していたら、この10年間で絶縁や連絡先不明が5軒あって、万善寺の名簿から削除することになった。
絶縁は、ひとまず親族の連絡先も確認できていて、過去帳の移行処置とか離檀の手続きとか送付するのだが、回答の返事を待っても無反応にスルーされて返ってくることはない。
連絡先不明に関しては、こちらでどうすることも出来ないから、万善寺の位牌堂へ安座されている先祖代々の位牌を撤去しておくしか方法がない。
家庭の事情も色々あるのだろうが、自分の親のことでも死んでしまえば仏事一切放り出して菩提寺との付き合いを絶ってしまうような不義理が普通に行われるようになったのは残念なことだ。

一方で、自分のことはと云うと、彫刻家吉田正純は平然と周辺同業への不義理を続けていて、自分で言うのもどうかと思うが実に失礼なことだ。
これで立場が違えば、口も聞きたくない顔も見たくないほどの我儘者でしかない。
そういうことを十分にわかっていても、それでも自分ではどうしようもなく体制に迎合できなかったりするところもあって、それだからやはり自分の方から少し距離をおいたほうが都合良かったりするわけだ。
組織というのはある程度個人の都合や考えを犠牲にして付き合うことをしておかないと、円滑な運営は望めないところもある。しかし、それが彫刻家のような作家集団となると、ある程度作家性の相違を許容して付き合わないと組織運営はうまくいかなくなる。そういう常識はおおよそ理解できているとは思うのだが、どうしても彫刻家吉田正純個人の気持ちとか立ち位置を優先すると、組織的活動が負担になって自分の制作意欲とか方向性が矮小化してしまう。
彫刻家であってもそれなりに人の付き合いも大事なことだとはわかるが、いつの間にかそれが優先して制作が惰性になってしまったりすると、自分の本来あるべき姿を見失って制作の意欲まで希薄なものになることも無いわけではなく、そうなってしまう自分が怖い。
2010年から続けている島根県内での小品彫刻展は、実に緩やかな拘束のもとで運営している。それぞれの作家が出来ることをそれぞれの作家に託しておく程度でなんとか最低限の運営が出来ていればそれで十分だと思う。やはり大事なのは運営業務の負担が彫刻の制作意欲を阻害しないことにある。一人ひとりの彫刻家がその時々で最高の彫刻を制作して発表できる環境を確保することが大事なことだ。

菩提寺への不義理も、彫刻組織への不義理も、見た目はそれほど差はないことだとは思うが、その真意の清浄には大きな差があると思う。菩提寺の経営や住職の思想に抵抗しての離反であれば、まだお互いに会話もできて歩み寄れる余地も残されているかもしれない。彫刻組織についてもボクの気持ちの元はだいたい似たようなものだと思っているから、なにかしら会話の機会でもあれば停滞した現状を再構築できる妙案が浮かぶかもしれない。

寺泊が続くとキーポンが送ってくれたハーブエキスの瓶から、ビールに数滴継ぎ足して時々のカクテルもどきを楽しんでいる。見た目が同じでも味がかなり変わる。新鮮な味覚に誘われてついつい飲みすぎてしまうところは少々ヤバイが、たまにはそれも良い。

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縁日 

2018/06/24
Sun. 23:15

毎年弘法大師さまのご縁日前後に御大師講があって、地域の集会所におじゃまして、安座されたお大師さま尊前の守護祭事とお参り各家先祖供養の塔婆回向を厳修する。

そもそも、お大師さまは真言宗の開祖様なので曹洞宗の万善寺が宗派を超えて大事な法要を厳修して良いものなのかどうか・・・現住職としては判断に苦しむところではある。
そういう、一抹の疑念を感じながらも、代々地域に根づいた民衆の宗教行事もそれはそれで大事なことだし、仏教の場合は此岸の高僧が入滅後の彼岸の国ではすべて立派な仏様となられてこの世に暮らす我々俗人の救済活動に日夜専念されていると言われていることでもあるから、ボクのようなナンチャッテ坊主でも「少しはお大師さま代行の役に立っているのかもしれない・・?」と思うようにして、前住職から引き継いだことを心をこめておつとめさせていただいている次第。
それで、だいたい春の田植えが落ち着いて、梅雨に入って田の水の心配も落ち着いた今頃から、お盆を挟んで秋分の日に至る時期で適当な日を決めて法要の依頼が入ってくる。
お大師さまは毎月21日がご縁日となる。縁日の定義は主役の神仏によって色々だが、お大師さまの場合は入滅の日が縁日になったようで、それが現在まで引き継がれている。
私が御大師講へ前住職のお供でお参りするようになってからそろそろ20年位なるかもしれない。前住職の身体が動くうちは送迎要因でお付き合いし、そのついでに鳴り物の担当などをしていた。その後、仏事の全てを任されるようになって塔婆回向の和讃も私がするようになった。

縁日の場合、最近の年回法事と違って施主家の都合で日程調整されることは、基本的にあまりよろしくない。その日その当日の法要厳修がご利益につながる訳だから当然のことだ。だから、縁日の法要は昼の仕事が一段落した夕方から深夜にかけて厳修される。昔々は神仏がそれぞれの役割を果たしてバランスよく共存していたから、毎月の縁日になるとお参りのあとさきに夜店が出て娯楽の役を果たしていた。今でも日本の各地でその名残が続けられていて、規模は極小であるものの、万善寺の場合も縁日法要は全て夕方日が暮れて夜になってから始まる。周辺の寺院がその時々の事情で縁日法要を取りやめたり割愛したりするようになってからあとも、万善寺の前住職はそれをしなかったし、むしろ頑固に守り続けようとしていた。理由を詳しく聞き取ったわけではないが、基本的には仏宝興隆の重大さを祈念してのことだったと思う。
こうして、今現在縁日法要を引き継いでみると、その重大さが少しはわかるようになってきた気がする。
神仏の役割は現代文明や科学経済社会では証明の実態がない嘘言で済まされているようなところもあるが、そうはいっても、ひとの存在全てを客観的に必然的に証明できる社会構造が確立されているわけでもない。ひとの考えはひとそれぞれで、世間の常識が全ての人類に機能しているわけではない。今の世の中、殆どの人類はファジーなカオスに支配された迷宮で蠢いているばかりだ。そうであれば、能動的に何かを信じて何かにすがることで自分を楽にして浄化する具体的な手段が少しは現代社会に存在しても良いと思う。「おかげさまで・・・」生かさせてもらっている自分を客観的に見つめることも大事なことだ。
お大師さまの御下がりをいただいて、万善寺へ帰宅したのは夜9時を過ぎた頃だった。

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隠居が消えた 

2018/06/23
Sat. 23:48

10時始まりの法事なので、その準備をしていたらどうも体の節々が重たくて動きがポンコツロボットのようになってしまう。
いつもだったらしばらく我慢して動き続けていたら夜の間に硬直していた筋肉が少しずつ緩んで楽になる・・・そう思ってコーヒーを入れて白衣を着たりして、足袋を履こうと思ったら腰が曲がらないし膝も上がらない。
「どうもいつもと様子が違うなぁ〜・・・」と、しだいに気になり始めて、最近の数日間を振り返ってみたら、思い当たることが一つあった。
「本堂の荘厳の片付けだな・・・」

1年に2〜3回は本堂の荘厳をする。
まだ副住職だった頃は、年間のスケジュールを住職が取り仕切っていて、荘厳の日程も副住職(ボクのこと)の都合関係なく、寺の都合ですべてが決まっていた。どうしても私が荘厳を手伝えないことも時々あって、そういう時は内室の母親がブツブツ言いながら住職を手伝っていて、その時の様子をあとになって逐一漏らさず副住職の私へ報告というより小言の矛先を向けてきた。
そこまでして手伝ってもらわないでもいいだろうにとその頃は思っていたが、今になると荘厳作務の厳しさが身にしみてよくわかってきた。小事を聞きながらでもそれを我慢して手伝ってもらうほうがまだマシで助かる・・・のだ!
荘厳の片付け復元は、準備ほどではないがそれでも結構体力が必要になる。
踏み台の上り下りや長梯子の上り下りを20〜30回は繰り返しているだろう。これは、日頃自堕落に過ごしているナンチャッテ住職としてはかなりのハードワークといえる。
1週間の間に荘厳の上げ下げ2回を一人でこなしているわけだから、老体の節々が重たくなるのも当然のことだ。

「今朝は、身体が動かなくて足袋を履くのも一苦労で・・・まったく、体力も弱ってつまらんよぉ〜になりましたわぁ〜・・・」
お仏壇の前で法事朝課のお経を一通り終わった中休みのお茶をいただきながら世間話のつもりで万善寺の事情を話していたら、隣で聞いていた施主の親父さんが申し訳無さそうな神妙な顔で頷いていらっしゃる。
その様子に「シマッタ!」と気付いた。
飯南高原に点在する寺院は80%以上が浄土真宗さん。
だから、門徒さん方は毎月のように報恩感謝の勤労奉仕を習慣にしていらっしゃるし、寺の報恩講などの仏事法要には門徒さん参集で荘厳作務に汗を流される。
地域の付き合いの中でそういう実態は周知のことだから、万善寺のお檀家さんが寺の法要仏事にどれほど楽をしているかをよくご存知で、それの実態に目をつぶってヤブを突かないようにと、かえってその苦労があるかもしれない。
今は核家族が進んで、昔のように各家に「隠居」が消えた。寺とはだいたい施主家を代表して隠居さんが責任を持ってお付き合いされていたから、寺のことに堂々と手も口も出せていたところもある。
現住職の方も、ヤブを突きすぎないようにそれなりに気を使っているところであります。

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なっちゃんのおかげ 

2018/06/22
Fri. 23:57

島根沖アジのタタキと骨せんべいと南蛮漬け。
タイのアラ煮や鶏皮ポン酢あえなどなど・・・
本社出張で帰省中のなっちゃんのリクエストに答えて、ワイフが腕をふるった。
ボクはなっちゃんのおかげでとても豪華な夕食にありつくことが出来た幸せ者だ。

大般若会が終わって少し落ち着いたはずなのに、10年に一度調査が入る寺関係の書類を整えなければいけなくて、役場とか市役所とか関係諸庁舎をせわしなく行き来している。
前回は住職交代の前のことで前住職の憲正さんがすべての書類を作成していた。
あの頃は加齢によるもの忘れも進んでいて、すでに事務能力がかなり衰えていたから役場の行き来など大変な思いをしていたことだろう。
彼は、住職在職60年のベテランだったから、10年毎の寺籍調査も過去データの保管場所さえ忘れないでおけば変更箇所の修正でなんとか書類作成が出来ていたと思うが、さて、それが出来ていたかどうか・・・今になっては不明だ。

私の場合は、在職中にあと1回はこういう書類作成が巡ってくるだろうが、その次の2回めがあるかどうかは微妙なところだ。
こうして、自分の昔を振り返ると、一番長く続いている彫刻家でもまだ35年程度のことだから、憲正さんの辛抱は並大抵のことでないということをあらためて痛感する。
現住職のどうしようもなくだらしない人生が証明されたようで恥ずかしい限りだ。

週末から日曜日にかけて、法事などの仏事が重なる。
書類作成の合間を縫って、墨をすって塔婆を2枚書いた。
しばらくぶりの年回法事のことで、裏書きを何にしようか少し悩んだが、今の落ち着かない自分の状況を客観的に落ち着かせることも大事なことだと思って、「坐看雲起時」と書かせてもらった。
いつもより梅雨の入りが早かったわりに、その後、雨降りも長続きしなくて晴れて暑くなることもたくさんあって、そういう時はセッセと草刈りしたり庭掃きしたりサツキを刈り込んだり・・・毎日地べたばかり見て過ごしていた気がする。今度の二つの年回法事では、せめて15分位は坊主らしいお話をすることになるし、そのネタも考えておかなければいけない。坊主家業に熱心な近所の方丈さん方は説教師の資格なども持っておられて、1時間以上は普通に平気で説教講話をされる。私にできる話は彫刻の溶接作業や材料ネタのことくらいしか無いし、日頃の世間話でお茶を濁すわけにもいかないし、気が重い。

豪華な夕食をいただいて、満腹になって、いつもより早く寝た。
塔婆書きや寺務の役所巡りと、気遣いの多い一日だったから疲れが溜まったのかもしれない。横になると身体の節々が重たくて、それが気になって深夜に目が覚めた。部屋のどこかでクロが短く鳴いた。私の目覚めを気付いたのだろう。日頃はだいたいクールに適度な距離をおいてベタベタ甘えることもないが、さり気なく近くでオヤジを気遣ってくれているようなところもある。
明日は2時間のソロライブとMCがあって、夕方から御大師講の塔婆回向独演会と続く。

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絶滅の鍵 

2018/06/21
Thu. 23:59

いつもより少し遅れて吉田家を出発した。
梅雨らしくない爽やかな朝で、空気も澄んでいて気持ちが良い。

石見銀山の町並みから銀山街道へ合流してしばらく走ると、数年前まで瓦粘土を採土していた丘陵へ出る。まだ採土すれば粘土の埋蔵量が十分あるはずだが、神戸の大震災以来、瓦の重量が原因で家屋倒壊の被害が広がったというような風評被害が全国に広がって、島根県の瓦産業が一気に衰退した。
石見銀山で銀の採掘をしなくなってから後、周辺に広がる良質の粘土を原料とした瓦産業が発展した。島根県の山間部を東西に伸びる中国山地は、風化の進んだ古い土地で、様々な工業製品の原材料が豊富に点在している。そういう良質の材料を求めて職人集団が集まって、やがて工業地帯が広がって職を求めて労働者が集まって町が出来る。江戸時代の銀山街道は、そういう小規模な集落が広島県の瀬戸内まで続いていて、今では想像できないほどの賑わいだったはずだ。
平成時代の今は、古くからの植林も荒れて、人手の入らないまま原生林に戻って手の入れようも出来ないまでになっている。
人の入らなくなった山ではサルとかシカとかイノシシとかツキノワグマなどの動物が繁殖して、今は人間の暮らしを脅かす獣害として駆除の対象にまでなっている。

曹洞宗には十重禁戒の教えがあって、その第一に不殺生戎を挙げてある。
ダイレクトに意味を解くと「殺生はダメ!」と受け取られがちだが、その真意はもっと深いところにあって、〜人が生きるためには殺生を避けることが出来ない〜という前提が定まる。つまり、「自分は、たくさんの大切な命を頂くことによって生かさせていただいているのだ!」という認識が大事なことであり、そのための殺生であるわけだから無駄なくありがたく感謝して大切に食することが大事なのだというわけだ。
駆除の対象は単なる殺戮の残酷でしかないわけで、人間の自己中心的な傲慢でしかないことであると解釈できる。

イスラエルの学者、ハラリ氏の著書『サピエンス全史』では「人類は発展の過程で、数え切れないほどの動植物を絶滅させてきた」とある。気になってKindleのお試しダウンロードで読み始めたら、あまりに重たい内容で今の自分にはそれを読み切るだけの心の余裕がないと、途中でやめてしまった。彼は1万年に及ぶ人類の歴史を研究して著書にまとめているわけだからスケールがデカイ。お釈迦様の「不殺生戎」という教えは今から約2600年前からのこと。地球滅亡のカギはホモサピエンスが握っているといっていいだろう。

今は太陽光発電のプレートが広がる元採土場跡を過ぎて、銀くんの窓を開けて爽やかな風を受けながら銀山街道を走っていると、牧草地を抜けたなんでもないところで、フッと針葉樹の香りが銀くんを包み込んだ。その先のトンネルに入るとその香りが一気に強まった。それからトンネルへ入るたびに針葉樹の残り香が車内へ入り込んで、マイナスイオンに包み込まれた感じだ。飯南高原の赤名城跡が見えてそこから出雲街道へ合流するところで、伐採の枝木を山積みしたトラックが広島方面へ右折するのが見えた。香りの元はアレだった。

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ダメなオヤジ 

2018/06/20
Wed. 23:22

埼玉に暮らして東京へ通勤しているなっちゃんの会社の本社は島根にある。
現在の彼女は東京ベースで営業の仕事をしているようだが、業務内容までは詳しく知らない。
彼女は年に何回か島根の本社へ出張で帰省してくる。
私が法事などで飯南高原の万善寺でほぼ缶詰に近い状態の時に、出張で帰ってくることになったらしい。
ワイフとはしばらく前から帰省の情報交換をしていたようで、○○日は夕食がいらないとか△△日の夕食は自宅に帰るとか、アレが食べたいコレが欲しいなどと、年甲斐もなくお母さんへ甘えきっている様子だ。

四十九日の当日、早朝の保賀は谷全体が雲海に沈んで、山裾の万善寺も朝靄にすっぽりと包まれていた。施主家へ出かける時は霧雨に変わって梅雨らしい一日が始まった。
塗り位牌さんを点眼してお仏壇へ安座の法要を済ませた。それまで仏壇とは別にお祀りしてあった祭壇の片付けをして施主家を出ると、小雨が止んで空が少し明るくなっていた。
お地蔵さんから参道を登ると、駐車場脇へ伐採して山積みのサツキが茶色く乾き始めていた。そのままにしておくわけにもいかないから、いずれは焼却しようと考えているが、風が強かったり雨になったり法事が重なったりと、なかなか好機がつかめないままでいる。なっちゃんの帰省のこともあるから石見銀山の吉田家へ帰ろうと思っているから、今度もまた先送りになりそうだ。

アメリカ国内を旅行中のノッチが吉田家LINEに写真を送ってくれた。
カリフォルニアのディズニーランドへも行っていたようだ。お父さんへのお土産を自分で試着したようだが、仕方がない。いまだに気にかけてくれているだけでありがたい。
キーポンからも時々連絡が入るし、子供たちの元気な様子が確認できるだけで安心だ。

まぁ、そんな感じで娘たちとはソコソコ連絡がついているところへ、珍しくじゅん君の方から電話が入った。
彼の方から連絡してくるのはだいたい何かしら用事のあることばかりだ。今度もどうせそのようなことだろうと思っていたら、図星だった。
かなり前からチラチラと話を聞いていたが、ついに今乗っている車がダメになって買い換えることに決めたらしい。私も4月に変えたばかりだからオヤジの財政難はわかっているはずなのに、最後に頼ってくるのはオヤジしかいないということなのだろう。
おじいちゃんおばあちゃんが元気だった時は、オヤジの私のわからないところでジジババに泣きついていたらしいが、今はソレも出来ないし、まずはワイフへ相談していたようだがそれも失敗に終わって、結局頼る先はボクしかいないということだ!
「しかたないなぁ〜〜・・・、それでどれくらい必要なの?・・・」
良い歳した男が不甲斐ないことだと思いつつ、それでもまだ親に頼ってくる可愛いところもある。本人は必ず返すと云っているから信じてやろう!
これから本気に金策を考えないといけなくて現実は厳しいことだが、長男に頼ってこられる嬉しさも無いわけでもなく・・・まったく、ダメなオヤジだなぁ〜〜〜・・・

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コンビニコーヒーの効能 

2018/06/19
Tue. 23:59

夏至が近いせいか、ずいぶん日が長くなった。
梅雨なのに雨があまり降らなくて夕日もキレイだから、通勤坊主の帰り道が苦にならない。
銀山街道周辺の動物たちも良い天気に浮かれているのか、蛇とかカラスとか猫とか・・交通量の少ない街道の真ん中でのんびりとくつろいだりしていて、跳ね飛ばしてしまいそうになる。
先日、夕方の7時過ぎにキレイな夕日を見ながら銀くんを走らせていたら、つがいのキジが仲良く道を横切っていた。雄のキジは時々同じようなところで見かけるが、つがいに出会うことは少ない。
そのあたりには、もう1年近く前からサルの群れが定住している。今は子育てが落ち着いたようで、自由行動が増えた子ザルたちが街道の周辺で活発に遊ぶようになった。ソコでは前に一度サルを跳ねた。あの時はしばらくそのときの様子が思い出されてあまり良い気がしなかったことがある。
たまたま夕方の時間帯が、動物の行動が活発になるときなのかもしれないから、ノンビリではあるが、それなりに周囲を気にしながら慎重に走っている。

ウエブ配信の記事で、レーシングドライバー(だったと思う・・)の話が載っていた。
一般道を走る時は、途中のコンビニへ寄って抽出のカップコーヒーを買うことにしているのだそうだ。その理由が面白くて自分にはどこかしら納得できた。
「カップコーヒーを買っておくと、走行中にそれがこぼれないようにブレーキングも気を使って無理な運転とか乱暴な運転をしなくなるし、都合が良いんですよ」・・・的な内容だった。自分の場合は、カーブだらけの山道だからコンビニコーヒーを買ったりすると余程気をつけて丁寧に運転していても、寺に着くとカップホルダーの底へこぼれたコーヒーが溜まっていたりすることなどしょっちゅうだから、彼の云っているように上手くはいかないが、それでもやはりどこかしらコーヒーを気遣って走りが慎重になっていたりする。
ワイフにそのことを話すと、「フン!・・」と軽くあしらわれた。彼女はそういう気遣いをする必要も無いほど上等な乗用車に乗っているということなのだろう。
そういえば、前の結界くんから乗り換えた銀くんには自動ブレーキこそ無いもののABS装置がはじめから付いていた。もう何十年も前から中古車ばかり乗り継いでいたから、ボクのマイカーへそういう安全装置が付いていることなど今まで無かった。アクセルを踏んでいると、時々ツンツンと地面から突き上げてくるような感覚があって、あまり良い気もしないし嫌なこともあるが、もしもの時になると少しは安全装置の効果が期待できるのかもしれないと我慢している。今度の銀くんに乗るようになって、やっと世間の車社会レベルに近づいたという気もするが、やはり、朝夕の通勤車列の流れに身を任せていると、運転しにくかったりしやすかったり、毎回条件が違って安定しない。人間の癖やテクニックや判断力などは千差万別だから、常識的な安定走行を期待することはかなり難しいことだ。

まだ明るいうちに帰宅できた。ワイフが台所で夕食の支度をしている。ツマミをゴソゴソ探し出してプシュッとやった。
「石鍋の蓋が見当たらなくて・・・」夕食は美味そうな土鍋ビビンバだった。

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単身赴任坊主の実態 

2018/06/18
Mon. 23:55

最近、単身赴任坊主が増えてきた。

寺にいればいたで気になることも増えてキリがないし、吉田家を留守にしすぎるとワイフでは出来ないことや手がまわらないことが溜まって、自宅の内外が微妙に荒れてくる。
キーポンがいなくなってから、夫婦の二人暮らしが始まったと思ったら、間もなくして通勤坊主が本格化して、それから1年も経ったら今度は単身赴任坊主が当たり前になるし、このままでは吉田家からボクが忘れ去られてしまいそうで少々焦り始めた。
すでにその兆候が幾つか現れている。
特にヒドイのはクロが無視するようになったこと。それから、シロがさり気なくボクを避けることが増えたこと。だいたい、動物は人間のように嘘をつかないからネコチャンズの些細な変化で余計にボクの心は乱れ傷つく。
それから、グッピーズの生活環境の悪化。
水槽の水質が気温の上昇でどんどん悪化して浄化フィルターの交換が間に合わなくなった。その上、ワイフが彼らのご飯を忘れることもあって悲惨な状態だ。救いといえば、薄汚れた水槽の中から私を見つけるとみんなしてご飯の催促に集まってくれること。腹をすかせた彼らには私が神様仏様ご主人様としてちゃんと認められているということがヒシヒシと伝わってきて思わず抱きしめたくなる。汚れて水質の悪化した水槽へ手をつけると、ピラニアのように寄ってきて指先をつついてくる。
春になって暖かくなった頃に思いついてオリーブの苗木を買った。
裏庭に転がっている植木鉢の中からそれなりに見栄えの良いのを一つ雑草の中から取り出して、オリーブの育ちやすいような土を用意して植え替えたものをストーブの上に置いたところまでは計画通り順調だったが、その後万善寺の色々なことが忙しくなって水やりのスケジュールが完全に乱れた。植物もどちらかといえば夜行性で夜に成長が活発するからオリーブくんの横を通るたびに「元気かい?」とか、「大きくなれよ!」とか声をかけていたのだが、しばらく留守にしている間に、彼らは落葉樹ではないはずなのに葉っぱが一枚二枚と堕ちて土の上に溜まっている。最近になって、根腐れかもしれないと心配になってワイフに聞いたら「だいじょ〜ぶよぉ〜〜・・」などと呑気な返事が返ってくる。どうしても心配だから、今朝吉田家を出る時に銀くんの助手席足元へ鉢を積み込んだ。
吉田家の玄関先でウロウロしていたら、足元の踏み石にウンコの山が出来ている。頭上を見上げたら、いつの間にかツバメが子育てをしていた。毎年のようにシーズンになると石見銀山の町並みをセキレイと争うように低空飛行をしているツバメが3年ぶりに吉田家の定位置へ帰ってきていた。全然気が付かなかった・・・

万善寺の玄関先へ銀くんを横付けして直ぐにオリーブの鉢を庭先へ運んで植え替えをすると、予測どおり、飽和状態になった水で根っ子が溶けそうになっていた。生存の確率は五分五分といったところか・・・かなりの重症に思えた。
そうこうしているうちに、いつもの石材屋さんが真砂土を持ってきてくれた。
これから、お檀家さんの永代供養墓納骨の法要がある。今年に入って3つ目になる。
法衣に着替えて本堂の舎利棚殿の準備をしていたら、施主さんがお参りなった。お経を一つ読んで、石材屋さんの手伝いをいただいて永代供養墓の納骨を済ませた。

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ブルース・スプリングスティーンを聴きながら 

2018/06/17
Sun. 23:38

5月の連休中に102歳の大往生でお檀家のおじいさんが亡くなった。
それからあと、葬式を済ませ七日つとめを続けて、早いものでそろそろ四十九日をむかえる。ご親族の集まりやすいところで日程調整をされて、少し前倒しの法事になった。
万善寺は大般若会が終わったばかり。
連日の仏事法要が続くから単身赴任住職を続けることにして、ワイフとは慰労代わりの夕食を近所の蕎麦屋で済ませてそこから左右に分かれた。

法要や準備の疲れが溜まっていたのだろう、蕎麦で腹一杯になって寺へ帰ったら睡魔が襲ってきた。
最近ずいぶんと日が長くなった。それに、梅雨のわりに晴れる日が多くていつまでも外が明るい。
庫裏の主だったところを片付けて白衣などを洗濯機へ放り込んで一段落して、インターネットラジオをONしてゴロリと横になったところまでは覚えているが、いつの間にか寝落ちしてしまったようであとが空白になった。時々、ラジオから流れるポップな洋楽が遠くで聴こえることがあって、それが数回あった。
次に目が覚めると、すでに深夜だった。
ラジオはフュージョン系の軽めのJAZZが流れていた。
少しずつ覚醒して、大般若会のひと通りのことが思い出されてきて、夕方まだ明るいときに寝落ちしたところまで記憶がつながった。
そこで、「そうだ!・・・法事の準備が出来ていない!」ことを思い出した。
塔婆を書くこと、仏前香資を包むこと、経本を揃えること、大般若会で着ていた大衣をたたんで襦袢や白衣などを用意すること、それに、法事後の15分程度のお話のネタを探すこと・・・四十九日の節目の法事だから、いつもの年回法事より支度の内容が重たい。
さて・・・目が覚めたついでにこのままそういう準備に取り掛かるか、又は、もうひと眠りして早起きしてそれをするか・・・そうこうするうちにラジオの曲種がJAZZからR&Bに変わった。

のどが渇いたから、大般若会で余った番茶を飲んでオシッコをした。
法事の準備で悩みながらSNSをチェックしていたら、ノッチが写真をウエブアップしていた。
日本の島根県の万善寺で坊主家業にせいをだしている、ほぼ同じ頃に、ノッチはラスベガスからグランドキャニオンへ移動してパワースポットを堪能している。
それにしても、北アメリカ大陸は広大で日本の飯南高原や琴引山あたりとはスケールが違う。
ダウンロードしてモニターで拡大した写真を見ていたら、ラジオからEaglesが流れてきてそれからクラシック・ロックに曲種が変わって、グランドキャニオンの断崖に立つノッチへBruce Springsteenが重なった。
結局、眠気もどこかへ飛んで目が覚めたから硯を持ち出して墨をすることにした。別に信念を持って決めているわけでもないが、塔婆を書く時の水は洒水の清めも兼ねて井戸水にしている。それで、洋楽のロックを聴きながら塔婆を書くのもどうかと思うけどね・・・

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大般若会厳修 

2018/06/16
Sat. 23:49

美術のコアなメンバーで午前0時過ぎまで作戦会議と称した飲み会を続けたから、普通どおりに起きれるか心配しながら寝たのに、なんのこともない、大般若会当日の朝はいつもにも増して爽快な目覚めになった。

まずは飲み散らかした食器類などを片付けて、本堂を一巡して、玄関の掃除に取り掛かっていたら、自前のシュラフへ包まって寝ていたタケちゃんが目を覚ました。少し落ち着いたらコーヒーでも淹れてあげようと思っていたのに、そのまま慌ただしく身の回りを片付けて帰っていった。
タケちゃんの場合、土曜日は普通休みなのだろうに仕事があるようなことを言っていた。私のような自営業と云うか自由業は世間の休日や祭日など関係なしにその時々を乗り切っているから、前回の休日はいつだったのかまったく記憶にないまま普通に毎日が過ぎているが、月々の給料で暮らしている厚生年金組の人たちはもっと規則正しく就業することをしても良いはずなのに、なかなかそうも云っていられなさそうだ。当事者で慣れてしまえば、いつの間にかそういう暮らしも当たり前になってしまうのかもしれないが、やはり労働条件のねじれ具合を身近で見聞するとあまり良い感じがしない。

大般若会の受付帳場で必要なものをプリントアウトしたり塔婆回向用の硯箱を準備したりしていたら、手伝いのワイフが到着した。
万善寺の年中法要は、全てワイフとナンチャッテ住職のボクと二人で大雑把に役割分担を手分けして切り盛りしている。
近隣寺院でこの極小規模の寺院経営は例がない。1日の仕事量を収支計上すると、万善寺主催の法要事業としては、なんとかして現状維持を続けないと収支のバランスが崩れて一事業での赤字が確定してしまう。厳しい話だが、もちろん役員報酬は返上して布施収入の全てを随喜方丈さんへの接待費と薄謝、お参りのお檀家さんの茶菓子代と粗品、本堂の荘厳やお供えの消耗品、それに若干の事務費や案内配りの行動費に当て、残りがワイフの人件費になるというスンポウだが、場合によっては人件費大幅カットもあったりして、そういう時は別立てのポケットマネーをかき集めてワイフのご機嫌をとらせていただいているといったあんばい。
そうまでして、「わざわざ年中行事を増やす必要もないだろう!」と、ワイフに小言を言われつつ、やっと念願かなって大般若会を別立てにして厳修することが出来た。
結果、事付けも含めて予想以上のお参りになった・・・といっても、17人。
この数字は、今の万善寺としては上出来だと思う。それに、この法要で女人信者さんが微増したことも特筆に値する。
そうそう・・・随喜をお願いしていた方丈さんがお一人欠席された。事前にお知らせはしておいたのだが、法要の移動を失念されたのだろう。おおよそ予測もできていたから大勢に影響はないものの、やはり大般若会としてはもう少し賑やかであってほしかった。

今の宗教離れに拍車のかかった殺伐とした世の中にあって、寺の役割が葬式や法事の弔事だけではないのだ!・・・ということを、少しでも体験的に知ってもらえるようにできればいいと思っている・・・
「おつかれさま!」「おつかれさま!」・・・ワイフと二人で1日をねぎらいあった。心地よい疲労になった・・・

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惰性に過ぎない! 

2018/06/15
Fri. 23:59

万善寺を前住職から引き継いで今まで、特に大きな年中行事の変更をすることもなく過ぎてきた。その間に前住職夫婦をみおくって、来年春に内室(私の母親)の3回忌法要を済ませれば、万善寺の内輪ごとがやっと一段落する。

寺の仏事は一般在家と少し違って古来から引き継がれた伝承ごとがいまだに色濃く残っている。
私などは住職と云っても坊主付き合いがマメな方でもないし、何かと言うと簡素に割愛することばかりに気持ちが走っている方だ。それでもやはり、最低抑えて置かなければいけないところもあるし、避けることの出来ない付き合いもあるから、そういうことを一つずつ片付けていると気がつけばそれなりに坊主家業の用事が増えていて万善寺を離れることができなくなっていたりする。

今年から大般若会の日程を6月16日に移動して、明日がその法要当日。
これは、私が思いついて前住職の仏事行事に変更を加えたはじめての法要仏事になる。
随喜寺院の方丈様方にはあらかじめ何度か念押しをしておいたので覚えてもらえているとは思うが、やはりこういうことはその時になるまでドキドキと落ち着かない。
本堂の荘厳も今までのシステムとは変わることもあるから惰性に過ぎるわけにもいかなくて、それなりに気を使ってけっこう力が入った!
境内の営繕作業は、3日続いた好天のおかげで見た目の気になるところはなんとか見るに耐えるまでにはしておいたが、やはり一人での作業は限界もあって全体に納得できるまでの手を入れることは出来なくて、早めに取り掛かった北側の裏庭にはもう雑草が伸び始めてキリがない・・・

彫刻や絵画の作家がグループ展に向けて作戦会議をすることになって、会場が万善寺の庫裏になった。彫刻家吉田正純は特にグループ展とは縁がないのだが、この時期に万善寺を離れることも出来ないし、「寺へ集まれるんだったら、久しぶりに一杯やろうか・・・」ということになった。
作戦会議と云ってもどうせ飲むことがメインのコアなメンバーだから、営繕作業を早めに切り上げてシャワーで汗を流してから、作戦会議の会場づくりをした。それから、予定の時間から逆算して解凍しておいた砂肝をアヒージョにした。あとは、昼食の残りものとかワイフの差し入れしてくれた酒のツマミを数種類用意したところで周藤さんがきた。それからしばらくしてハイボールグッズ一式と一緒にタケちゃんがきた。

最近の美術界は具象化傾向が強まっていると感じる。これも時代の流行だとは思うが、具象も過ぎるとそれはそれで飽和状態になって俗っぽい方向へ傾きすぎてしまいそうな気がしないでもない。
プロの作家の目というか、評価というか、そういうものが俗に迎合しなければ良いのだが・・・美術の世界も審査や評価の入落受賞が絡むとそれはそれで流行との整合性をどう判断するかややこしいことになる。自分の表現へ不器用にしがみついているボクとしては、時代の流れに乗りつつ表現の純粋性がキープできる造形力に期待したいところだ。

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ばーすでーノッチ 

2018/06/14
Thu. 23:51

6月14日はノッチとシロの誕生日。
朝吉田家を出発する時は、ノッチへSNSを送ろうと思っていたのだが、寺へつくと目先の色々なことが気になって、それを優先していたらbirthdaySNSが他の吉田家家族に先を越されてしまった。

シロの誕生日をノッチと同じにしたのは、その方がいつまでもシロのことを忘れないで「覚えているだろうから・・・」と判断したことと、もう一つは、シロをみるたびにノッチのことを思い出すことができるからという、まぁ、特に深い意味もなく単純な思いつきからだった。
シロは、2012年の確か秋の彫刻の制作をし始めたかどうかという、その頃に吉田家へやってきた。
きっかけは知り合いからの拡散メールだった。
その知り合いは、すでに2匹の猫を飼っていて、3匹目までは面倒を見れないということだった。元々野良の子猫で、知らない間に家猫たちのご飯をつまみ食いしていているところを発見して保護したらしい。そのころ、吉田家にはすでにクロがいて、まだ、正式に名前も決まらないまま内弁慶のワガママ放題でいたから、同居猫が増えると少しは猫らしく落ち着いてくれるかもしれないと、まずはお見合いをさせてみることにした。そうすると、シロは野良の経験もあってすでになかなかしたたかで猫慣れしていて、普通に恐れること無くクロに近づいた。クロがシロになれるまでは少し時間がかかったが、それでも、一晩の間に猫同士の距離が縮んでそれほど相性も悪くないようだったので、そのまま預かることにしてその後正式に吉田家の猫で受け入れることになった。
シロの誕生日のことは、それからしばらくして、生まれ月が「だいたい3ヶ月は前だ!」という病院のドクターの見立てで決まった。それが、ノッチの誕生日と重なった。

ノッチは、今フロリダで1年契約の仕事をしているが、その1年がそろそろ近づいて有給休暇の消化??も兼ねた旅行を繰り返している。
メキシコとかプエルトリコとかアメリカの国内東海岸とか、色々旅しているようだが、今はラスベガスにいてシルク・ドゥ・ソレイユの公演を観るらしい。これからグランドキャニオンへ回ると云っていた。9月には日本へ帰っているはずだ。日本での就職先が決まっているかどうかは微妙だが、私の彫刻制作が順調なら、10月には東京で会えると思う。
吉田家の4人の子供たちは、みんなそれぞれ心身ともにソコソコ健康で立派に育ってくれて、ボクとしては子育てを十分に楽しませてもらった。ワイフはどう思っているかわからないが、子供たちはお母さんを大事にしてくれているし、みんなアチコチ離れていても母子の会話も絶え間がないし、自分としてはいい雰囲気の家族だと思っている。
基本的に吉田家は慢性の貧乏暮らしをしているから、子供たちに十分なこともしてやれなかったし贅沢な暮らしとは縁遠いまま大人になった。その中でも、ノッチは結構弾けた自由人になった気がする。なんとなく小さいときから一匹っ狼で乗り切っているようなところがあって、まわりからすると極端なワガママモノに見えていたかもしれないが、自分の行動へ責任が持てるならそれでいいと、オヤジとしては思っている・・甘やかしかな??
でも、まぁ良いや!みんな一度しかないこの世の人生だから・・・

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熱燗とトマト 

2018/06/13
Wed. 23:32

寺の夜は寒い。
夕食にはだいたい麦とホップだからいつもの癖でひと缶プシュッとやったのだが、飲んでいるうちに身体が冷えてきて熱燗が欲しくなってきた。
飲み過ぎを少し迷ったが、誘惑に負けて湯呑に注いだ日本酒をレンジでチンした。

テレビ好きのワイフがいないから一人で寺に泊まる時は全くテレビを見ない。こういう状態でNHKの受信料を支払い続けているのも釈然としないが仕方がない。ワイフが寺にいることは1年に1週間あるかどうかだから、万善寺の受信料は超高額になっている。
少しぬるくなった湯呑の酒を飲みながらウエブ配信の文字ニュースを読んでいたら、久しぶりにキーポンが電話してきた。
「トマト大きくなったのぉ〜♡!写真送ったから見てぇ〜」
そういえば、SNSにトマトの写真があった。まさか、キーポンがトマトを育て始めるなど思ってもいなかった。トマトは雨にあてると病気が出やすいこととか、水をやりすぎると根腐れするとか、一応自分の知識を教えておいた。
ワイフから、キーポンが友達と雨のディズニーランドで遊んだことを聞いていたからその話をしたら、また「写真送ったから見てぇ~」と言ってきた。観ると、スプラッシュ・マウンテンで赤いカッパを着た二人が写っていた。先程見ていた2本のトマトの芽がその写真にダブった。赤い二人がトマトに見えて電話で話しながらガハハと大笑いした。

寺は朝も冷えて寒かった。それで寒くて目が覚めてから寝られなくなった。
少しは暖かくなるだろうと、コーヒー用のお湯を沸かした。
その間に豆を挽いていつもの万善寺巡回をして台所へ戻ると、もうお湯が沸いてなんとなくほの暖かくなっていた。
朝食代わりのバターコーヒーで少し落ち着いたら大般若会のアチコチの準備が気になり始めた。それで、トイレとか勝手口とか掃き掃除をしたりしていたら、朝の時間がアッという間に過ぎていた。七日つとめへ出かける時間が迫っていて、焦って改良衣に着替えて玄関を出ると小雨が降っていた。施主家へ到着すると玄関に鍵がかかっていた。そういえば、朝のドタバタで電話を入れることを忘れていた。悪いことをしてしまった・・・
「寒いですがぁ〜・・、さっきまでストーブつけてました。灯油も使い切っておかないといけなかったし・・・」
さすがに万善寺はストーブまでつけることはしなかったものの、早朝の飯南高原はだいたい各家似たようなことをしていたようだ。

お経を終わって帰る頃には小雨が霧雨に変わっていて、琴引山の方には青空が見えていた。午後からは一気に晴れて、朝の寒さが嘘のように暑くなってきた。草刈機を振り回していると汗がにじみ出る。ここまで寒暖の差が激しいとそれで体調を崩してしまいそうだ。夕方になってからシャワーで仕事の汗を流してワイフへ電話したら、応答の声に元気がなくておかしい。体調が悪くて仕事にならなかったとシャワーのあいだにSNSが届いていた。風邪では無いらしいがとにかく気になる。安静にしたほうが良いからと、邪魔しないように寺でもう一泊することにした。さて、夕食何にしよう?・・・まずは熱燗だな!

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箪笥 

2018/06/12
Tue. 23:36

大般若会には手間替え随喜の方丈さんが5人集まるはずだが、昨年までと日程の変更をしたから、さて・・覚えてもらっていて集まってもらえるかどうか・・・微妙なところだ。
これは、檀家さんにも言えることで、万善寺の法要と云うと、盆正月のお参りで20人集まれば良いほうだから、これも日程移動の影響で半減する確率が高そうに思う。
雨の中、案内の印刷物を配って歩いたが、「今はちょうど忙しい時期だけぇ〜ねぇ〜〜」と先手を打たれるところもあった。近年の神仏信仰離れは目に見えて加速しているから、それも時代の流れということで、私一人が「信心、しんじん、シンジン・・」とドタバタ大騒ぎしてもしょうのないことだ。日頃のお檀家さん仏事教育を怠けていたツケが回ってきて、それが今頃になってボディーブローのごとく効き始めている。
ひところは、代替わりにもなったことだし、気持ちを引き締めて「仏法興隆に励もう!」と意気込んだこともあったが、とっくにその熱も冷めた。
残りわずかの人生、今以上に心身が充実して盛り上がることもまず無いし、体力の低下と上手に付き合いながら、万善寺の作務の日常を繰り返すだけのことだ・・・というわけで、年代物のガタピシ箪笥をやっとメンテナンスすることが出来た。
この箪笥は、私が物心ついた頃から先代夫婦が日常の小物入れに使っていた。
最上段の引き戸には薬や電池電球などの日常の消耗品が入っていた。
その下の三列の引き出しには左から文房具類、封筒便箋類、そして一番右にはドライバーとか肥後守とか千枚通しとか爪切りなどの工具刃物類が入っていた。
その下の2列に並んだ引き出しの左側は憲正さんの日記帳や印鑑小銭入れなどで、右側は俊江さんの日記帳や健康手帳などが入っていた。
その下には5段の長引き出しが縦に並んで、それぞれに障子紙などの日常のものや仏事絡みの半紙などの消耗品、繕い物に使う端切れとか、タオル・てぬぐい・布巾が集めてあったりと、その箪笥は半世紀以上全く同じ状態で使い続けられた。
3年の間に相次いで永眠した前住職夫婦の日常が今まで手付かずのまましまい込まれてあった。
箪笥を使うかどうかは後で決めることにして、とにかく、ひとまず中の物を全て出して廃棄するものと残すものを選別しなければいけなかったのだが、それが今まで延び延びになっていた。外は雨だし、大般若会の法要では庫裏の二部屋を方丈さんの控えの間で使うことになるし、どうせそういうこともあってキッチリと掃除する必要もあったから、こういう機会でもないとまたズルズルダラダラ何年も箪笥の片付けを引き伸ばしてしまうだろうし、思い切って整理することに決めた。ことを始めれば、せいぜい2〜3時間もあれば片付くことなのだが、それが今まで出来ていなかったわけだ。
引き出しからは思いもしない色々なものが出てきた。二人ともとにかくやたらと物持ちが良かった。憲正さんの日記帳は、独特のクセ字でビッシリ書き込まれてあったが、平成の時代から少しずつページの余白が目立つようになってきて、入退院を繰り返すようになった後は連日の書き込みも途絶えることが増えていた。俊江さんは、死ぬ週までビッシリと細かい字で1日の出来事が記入されていた。几帳面な性格で健康オタクでもあったから日記帳の他に健康手帳の血圧データも血圧の計測器が壊れるまで毎日欠かさず記帳されてあった。あらためて時間をつくって二人の日記を読むまでのこともないとは思ったが、なんとなく処分を躊躇した。箪笥の方は私の代までは使い続けることになるだろう。

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雨の万善寺 

2018/06/11
Mon. 23:32

夜中に雷で目が覚めた。雨もかなり激しく降っている。
万善寺大般若会のご案内を飯南高原に点在するお檀家さんへ個別配布しようと印刷まで済ませておいたのだが、朝からあいにくの悪天候でボクの心は折れそうになった。
天気のことだから坊主の神頼みも当てにならないし、俗人ナンチャッテ坊主の仏頼みはもっと当てにならないし、モーゼさんとか弘法大師さんのように奇跡を起こせるわけでもないし・・・夏シーズン用のシュラフに包まって眠れないままゴソゴソしていたら、部屋の何処かでクロが「フニャァ〜〜」と小さく鳴いた。
クロは、手乗りの小さな頃から吉田家に同居するようになったから、猫らしくない猫に育ってしまった。それでかどうかわからないが、飼い主のボクに似て内弁慶のチキン猫になったものだから、このくらいの雷でもけっこうビビっていたりする。あいつのビビっているようすが気になって余計に眠れなくなったので、ウエブ配信のラヂヲを流して、それを聞きながら寝ることにしたのだが、結局まともに眠れないまま朝になった。そしてその頃には雷がいつの間にか収まって雨だけが激しく降り続いていた。

V字に切り立った山並みの谷底を流れる江の川の支流に沿って銀山街道を飯南高原まで登り続けると、勾配が緩やかになったところから飯南高原が始まって広がる。ちょうどそのあたりから正面に見える山の尾根には戦国時代の山城跡の石組みと平地が遠望できる。
飯南高原は石見銀山で精錬された銀を尾道まで運搬する陸路のちょうど中程で、ソコを過ぎると中国山地の難所を越えて瀬戸内側の広島県に入る。そういうところだから、銀が発見されてからは戦国の土着豪族たちの利権を巡っての攻防戦が絶え間なく続いた。山城跡のすぐ下を流れる川は、やがて幾つかの支流が合流して最終的に神戸川になって大社近くの日本海へ注ぐ。

飯南高原は、今でこそ高齢者人口が大半を占めるかぎりなく限界集落に近づいた過疎地になっているが、江戸時代中期くらいまでは、日本の先進工業地帯を支える重要な物流と工業資源の拠点でもあった。
何故か万善寺のお檀家さんは、そういう飯南高原のいちばん端っこの辺鄙なあたりを選んだように点在している。雨が降っても軒下を使えば濡れないで托鉢ができるほどの町の中心にある近所の同宗寺院がこういうときほど羨ましく感じることはない。
いつもより、30分は余計にかかっただろうか・・・昼近くになってやっと全て戸別訪問でご案内を配り終えて万善寺の境内へ到着したら、リーバイスの裾がグッショリ濡れてそのまま座敷に上がることも出来ないから、まぁ、自分の他に誰もいないし庫裏の玄関先でパンツだけになった。それから、1合の土鍋でご飯を炊いて、そのあいだに冷凍庫に保存中のワイフが持たせてくれた蕗の佃煮を解凍して、またその解凍中にコーヒーを淹れたりして、そんな感じで昼食にした。
午後からは、本堂へこもりっぱなしで荘厳を整えた。外は雨だから、かえっていつもより集中できた。はしごの上り下りを数え切れないほど続けたから、それが膝に応えて後半はかなり辛かったが、現状の万善寺の荘厳関係の備品としては、ソコソコの出来栄えになったのではないだろうか。近所のお寺さんでは仏具屋さんとかお檀家さん青年部へ委託することもしているらしい。ボクの自力で荘厳できるのもあとどのくらい先までだろう?

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犬と猫 

2018/06/10
Sun. 23:14

ナナちゃんに会ったのは今年に入って確か2回めだったと思う。
本当は3回ほど会っているはずなのだが、1回はいつもの居場所のシャッターがしまっていて、多分中にいたとは思うが姿を確認することができなかった。
ナナちゃんというのはメスの柴犬。
彼女がその家で飼われるようになってからそろそろ4年目が近いはずだ。
犬として良いのか悪いのかわからないが、とても人懐っこくて、私はまだ彼女の鳴き声を聞いたことがない。最初に会った時は今より小さかったから、生まれて数週間くらいの頃だったはずだ。それが3年経って成犬になって少しは大きくなったが、それでもどちらかと云うと一般的な中型犬では小振りのほうだろう。

そのナナちゃんのいるお檀家さんの家で33回忌の年回法要があった。
その法事の本人のおじいさんは、私が小さい頃万善寺で何度か会ったことがある。
正確には覚えていないが、確か大工さんか建具職人さんかどちらかだったはずだ。
どういう経緯かわからないが、元々浄土真宗の門徒さんだったのがそのおじいさんの代に万善寺の檀家さんへ宗派替えされた。
私の周辺だけのことかもしれないが、大工さんとか左官さんとか、そういう自分の腕一本で生活している人たちは信心深い人が多い。自分の周囲の出来事で縁起をとても大事に思っていることが良く伝わってくる。そういうこともあってか、一度ナニかの縁起を信じると、脇目も振らずそれにのめり込んで身施を惜しまない。銭勘定抜きで自分の腕を駆使して最高の仕事をして奉納する。万善寺にも、そういう大工さんの職人仕事で出来た仏具が幾つか残っていて、そのほとんどがいまだに現役で活躍している。
おじいさんの仕事は、庫裏の南側縁側の板雨戸からガラス戸に変えた時のもので、10枚以上のガラス戸を板戸で使っていた戸袋をそのまま使って収納できるように作られている。もう半世紀を過ぎるくらいになる。そのくらい昔の仕事だから今のようにサッシの網戸もなくて、夏になると夜は虫が入るからガラス戸を開けられなかったりして、普通に不便ではある。それでも、その縁側とガラス戸の関係は私の記憶の幾つかで大事な思い出になっていて廃棄更新する気になれない。
法事の施主さんはおじいさんのお孫さんにあたるはずなのだが、斎膳の席でガラス戸のことなど懐かしくお話したのにまったく無反応でむしろ困ったふうな感じにみえた。あとになってよくよく思い直してみると、まだ生まれてもいない50年も前の話しなどいくら聞いてもわからないで当然のことだった。

気がつくと、3時間近く長居をしてしまっていた。慌てて帰り支度をして外に出ると、ナナちゃんが少し首を傾げて私を見ていた。美人というよりキュートでかわいい。どこかしら吉田家のシロちゃんぽい感じだ。
そういえば、元々犬と猫は起原が同じらしいとナニかの本で読んだ。犬は草原へ出たから集団で狩りをするようになって、猫は山に入ったから隠れ場所がいっぱいあって単独行動が都合よかったのだそうだ。それでワガママになって気まぐれな性格になったらしい。
まぁ、結局はボクも中国山地の山間の村に生まれ育った山人間だから猫的性格になってしまったのだろう。どうもいまだに集団で徒党を組むことが出来ない。

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梅雨の晴れ間 

2018/06/09
Sat. 23:18

朝から撥遣の法要をすることになった。
撥遣とは、俗に言う魂抜きのことで、万善寺の場合は仏壇仏様お位牌その他仏具全般に関してはその場所へ行って供養法要をする。他にも、墓地墓石塔婆祠お堂など、仏式に関係する野外施設全般もその場所で撥遣の供養法要をする。
依頼の施主にとっては、気持ちの切り替えで気になることがこの供養法要で一区切りついて気楽になれる。
引き受ける坊主の方は、キッチリと気持ちを入れて丁寧に遺漏の無いようにお経を読んで撥遣の次第をつとめる。
いずれにしても、当事者にとってはとても大事な法要である。

最近は、この法要を割愛の気持ちも皆無のまま簡単に削除することが増えた。
たぶん、「魂抜き」という言葉も当事者の知識から欠落しているのだろう。最初から知識として知らないことだからナニをどうしなければいけないのかということも特に気にすることもないままゴミのように廃棄してしまったり、適当に便利屋さんへ丸投げしたりして済ませているのだろう。

細かいことは坊主次第で何から何まで共通しているわけでもないようで、万善寺の場合はだいたいが先代住職の憲正さんからその都度口伝で聞きとって、忘れないうちに自分でメモもして記録に残すようにしておいた。後半の方は、憲正さんももの忘れがひどくなって、記憶の混乱が激しかったから、同じ質問へ全て違った答えが返ってきたりして、そのなかから、前後の整合性を探しながら修正や調整を加えていくことになった。
副住職時代に、憲正さんの役僧侍者で付き合っていなかったらもっとわからないことだらけで、まともな撥遣法要もできなかっただろう。あの頃は面倒臭いが先に立って仏事のありがたさなどひとごとのように済ませてしまっていた。今にして思うと、もっと丁寧に謙虚な気持ちで色々な仏事に取り組んでおけばここまで苦労しないで済んだだろうと、反省しきりだ。

とにかく、今回の撥遣法要をもって、万善寺の檀家さんが一軒完全に絶縁消滅した。
今後、事務的な書類を交わしてそれぞれ納得ができたところで、万善寺の過去帳に「絶縁」と記帳することになる。私が住職を引き継いではじめての正式な手続きになった。

梅雨の晴れ間がもったいないから、つなぎの作業着に着替えて境内地の野外整備を続けた。1週間後には万善寺大般若会がある。せめて駐車場とその周辺だけでもなんとか小綺麗にしておかないと、怖くて偉いお檀家さんに叱られる。もっとも、この時期にどれだけのお参りがあるかあまり期待できない気もしているところだけど・・・
だいたい普通に歩けるようになっていた足に、整備作業が終わってみると痛みが出た。少し無理をしすぎたかもしれない。石見銀山の街道がなんとなくいつもより長く感じた。
吉田家の土間へ入るとネコチャンズの迎えもなくてがっかりした。居間の引き戸を開けたら美味しそうなスパイシーな香りが漂ってきた。なんと!夕食の懐石盛りはゴージャスタンドリーチキンだった。麦とホップののどごしがいつにも増して爽快だった・・・

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ストレスマックス 

2018/06/08
Fri. 23:16

奥出雲町での小品彫刻展要項と後援依頼を持って教育委員会へ行ってきた。
先方の都合で午前中が良いということだったので、石見銀山の出発をいつもより早くして、万善寺経由で幾つかの山越えをしながら予定の時間を少し遅れて到着した。
特に遠回りになるわけでなく、だいたい万善寺のあたりが石見銀山と奥出雲町の中間地点になっているようなもので、山道ではあるが、対向車も少ないし走り慣れたルートの方がストレスもなくて楽に感じるからそうしているだけのことだ。

規模の大小はあっても、公的機関の公務員は立場の上下関係無く、だいたい似たり寄ったりの保守的で堅苦しい連中が多くて話が噛み合わなくて疲れる。
特に人間としての性格が常識的な領域から逸れているわけでもないとは思うが、それにしても向学心の伝わらないハウツー人間ばかりが選別されて揃っているふうに感じる。
私のように四六時中世間を斜めに見ているような人間にとっては、もっとも付き合いたくない避けて通りたい連中の集合体であって、そういう集団のど真ん中へ玉砕覚悟で飛び込むということはとても勇気のいることだ。たった半日数時間のことなのにストレスマックスが前後1週間は続いてしまって、いま正にグッタリ疲れている。
数日前から昼となく夜となく常に空腹感が抜けなくて過食気味になって、それでなくても体調不良が続いているところへ、飲み食いが止まらなくなってアッという間に慢性胃炎になってしまった。その上睡眠障害まで出てき始めて体調管理の収拾がつかないことになってしまった。
いずれにしても、自分の個人的不適合が原因だから公務員の方へ問題があるわけでもなく、彼らにとってはまったく迷惑なことだ・・・「あなた方が悪いわけでも何でも無いので特に気にされないでくださいませ・・ゴメンナサイ!」

とにかく、公務員が相対的思考回路に支配されていることを十二分に認識しておかないといけないとは思っている。彼らはそもそもの思考のスタートが相対的価値観前提であって、私のような絶対的我儘者の思考起点を共有する資質を持ち合わせていないことだから仕方がない。波風の立たないまつりごとを継続するには、適材適所の類友組織である方が平和の継続になるのだろう。国民や市民や町民や市井の人々にとっての公僕にヒーローは必要ないというか、むしろ阻害の要因になってしまうのだろう。

せっかくだから奥出雲町の美味い豆腐と和牛のスジ肉を仕入れて万善寺へ到着すると運良く雨が上がった。嫌なことは忘れるに限ると、少し休憩してから夕方まで草刈機を振り回した。シャワーで労働の汗を流して銀山街道を吉田家へ向かった。
そろそろ彫刻絡みの勤労奉仕も心身に限界がきているのかもしれない・・・
ビル・エバンスのアルバムが耳に心地よかった。
ふと、黒澤明さんの「生きる」を思い出した。あの公園のブランコと行政マンの志村喬さんの姿がけっこう鮮明に思い出された。あの映画を最初に見たのは確か小学校の3年生位のときだったと思う。万善寺の居間に白黒のテレビがきてすぐの頃だったはずだ。父親はもう寝ていて母親は炬燵に入って和裁の縫い物をしていた横で小学生のボクは密かに泣いていた。

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線香の効能 

2018/06/07
Thu. 23:15

梅雨に入って一日中雨が降って湿っぽくなった。
いつもの通勤坊主で万善寺の庫裏玄関を入ると、家の中がヒンヤリして寒いくらいだ。
前日の雨で湿気が入り込んで部屋中に停滞している。

坊主の知恵というより、ボクの思いつきだが、少し暖かくなってからあとのこういう湿っっぽい時は、長巻の蚊取り線香を点けることにしている。それで、煙の漂う方向を追いかけて、その日の空気の動きをザッとチェックして、一番効率の良い場所へ置く。朝にそれをしておくと、夕方には田の字のガタピシ庫裏の端から本堂の端まで線香の煙が行き渡って、家の中の小虫がはびこることをそれなりに食い止めてくれる。
周囲を耕作放棄地や雑木の茂った里山に囲まれている山寺は、ほったらかしにすると小動物や虫たちの絶好の繁殖場所になってしまう。
蚊取り線香も、長巻一缶50巻を使い切る頃はうっとうしいシーズンがだいたい終わっているから、それほど無駄使いしているふうには思わない。むしろ、そういうことをケチって日常の環境の不具合を見て見ぬふりで1シーズンを過ごしてしまうと、気づかない間に虫たちにアチコチ蝕まれて色々なものが使い物にならなくなっていたりする。それこそ、余計もったいないことで、未然の予防に蚊取り線香の一缶くらいたいしたことでもなんでもないと思っている。

蚊取り線香とは成分も用途も違うが、寺ぐらしで線香は欠かせない。
特別の時は香木のエキスを練り込んだ上等なものを使うが、いつもは杉葉線香を常用している。俗に言う墓参り線香のようなものだから香りを楽しむアロマの効能など期待できないが、それでも、使用が習慣になると、線香の香りが寺の隅々まで染み付いて、時折風の向きが変わって室内の空気がかき混ぜられるときなど、ほのかに漂う香りが気持ちを仏様へ向けてくれる。

朝のうちの肌寒さが嘘のように天気が回復して暑くなった。
草刈り機の修理も終わったし、チェンソーのパーツはまだ未納だがそれでもなんとか母親の呪縛で苦戦している駐車場周辺の整備が一気にはかどりそうだ。
剪定ばさみと枝ばさみに鋸と鎌と熊手を駆使して夕方まで約2時間かけて水路の土手をザッと刈り込んだ。
一息ついてデッサンを確認するように少し離れて全体を見渡すと、半世紀ほど前の子供の頃に見ていた昔懐かしい石垣の様子が再現されていた。それでもあの頃からすると今は、石垣の東の端がサツキの根に掘り起こされて崩れ落ちていた。やはり、手付かずのほったらかし荒れ放題ではダメだ。年間の節目を上手にわきまえて適度なメンテナンスを継続することがだいじなことだ。「守り育てる」とはそういうことだと思う。

「山は人が入らんようになると死ぬけぇ〜ねぇ〜・・・」
憲正さんと同級生だったまぁーちゃんがまだ元気だった頃、法事の斎膳で昔話のついでにそう話していらした。彼は定年退職まで林業に従事していて保賀周辺の山を熟知していらした。寺に小虫や小動物が増えたのも山が人間に放棄されて荒れたからかもしれない。

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美味い! 

2018/06/06
Wed. 23:21

四十九日までの七日つとめが続いているうちは、1週間に一晩は寺で寝ることにしている。その方が、朝の時間に少し余裕ができるし、燃料高騰にはガソリン代の節約になっていい・・・と、前向きに考えているが、さて?それで家計が助かっているかどうかは疑問だ。
寺の一人暮らしだと、どうしてもスーパーへ出かけて自分の好きなものとか、その時食べたいものとか、特に無くても良いものまで無駄買いしてしまう傾向にあるし、いつまでも夜更かしして電気を無駄にしたり、慣れないナンチャッテ料理や風呂にも入りたかったりするし、結局過不足なくストレスのない日常の生活をおくるためには、光熱水費の無駄使いもしていて、万善寺の家計を圧迫する。
自分一人で吉田家の家計も見ないといけないし、やはり、ナニをドォー工夫しても二重生活の無駄は解消することがない。

朝はいつもと同じような時間に目覚めたが、寺でいると石見銀山からの通勤時間がそっくり余って、それから後の七日つとめまでの2時間を持て余してしまう。
こういう時は、何年か前の父の日になっちゃんが買ってくれた備前焼の一人用ネルドリップを使うことが多い。注ぎ口が細く延びたステンレスポットにお湯を移して適温にしてからゆっくりと時間をかけて自分用のコーヒーを淹れる。
例のごとく、農協スーパーでタップリ食材を買い込んでおいたこともあって、珍しく朝食を作る気になった。
お惣菜コーナーで見つけた野菜コロッケにウインナーを炒めて、冷凍庫で眠っていたコストコのパンとか冷凍野菜を解凍したりして、近年にないほどの豪華でボリュームたっぷりの朝食になった。
やはり、ネルドリップはまろやかで香りのたかい美味しいコーヒーになる。
日頃は朝食抜きがほとんどだから、朝から満腹になって七日つとめへ出かける前から睡魔が襲ってきて困った。

梅雨が本格的になったのかもしれない、朝食の間に夜からの断続的な小雨が本格的な本降りに変わった。
飯南高原は、田植えの終わった水田が耕作放棄地と混在しながらパッチワークのように広がっている。
銀くんを施主家前の坂道へ止めてエンジンを切ると、あたり一面からカエルの鳴き声が一気に襲ってきた。雨降りを喜ぶのはお百姓さんと田んぼのカエルくらいかもしれない。
カエルに負けないように、木魚でテンポをとりながらいつもより少し大きな声でお経を読んで鐘をたたいた。
今の施主家では、お経が終わるとすぐにお茶と焼香料が出る。ちゃんとした熨斗封筒に焼香料と墨書きしてあって、だいたい中に300円ほどの小銭が入っている。焼香料も出ないところもあるから、毎週300円いただけるだけでもありがたい。
流石に雨では外仕事にもならないから、外回りの用事を一つ済ませてそのまま吉田家へ帰宅した。いまだにリタイアしないで続いているワイフの懐石盛りには、アジのタタキが余分に添えてあった。島根沖の近海アジは今が旬で油の乗りもいいし、最高に美味い。

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トマトつながり 

2018/06/05
Tue. 23:10

草刈り機を修理に出してドック入りしたまま、まだ連絡がこない。
そうしたら今度は、チエンソーがクラッシュして、いよいよ外仕事が遅れることになった。
島根県は梅雨入りしたとかしないとかするとか・・・微妙な情報が流れているところだが、石見銀山や飯南高原はいつ雨になってもおかしくない状態のままとりあえず今の所かろうじて本格的な雨降りにならないですんでいる。

6月に入って前月分の請求書をまとめて発送しておかないと吉田家も万善寺も生活費に困るから、午前中はそれで過ごした。こうして、請求書を作成できるだけでもありがたいことだから、面倒な事務とか寺務ではあるが口が裂けても「めんどくさいなぁ〜・・」などと言える立場ではないし、そんな事を言ったらワイフや御本尊の観音様に大目玉を食らう。
デスクワークがほぼ終わりかけた頃、草刈り機を預けていたホームセンターから電話が入った。
結構丁寧に修理状況を解説してくれて、交換した部品のことも話してもらったが、なにせ電話でのことだし、こちらとしては修理代が安く済んで機械が使えればそれで良いことなので、「それで、何時くらいには修理が終わってるんですか?」と聞いたら「部品を交換するだけですので、そぉ〜〜ですねぇ〜〜、せいぜい1時間もあれば・・・」作業が終了するということだった。部品交換で1時間程度のことが「どうして今まで何日も待たされたのだろう??」と一瞬疑問に思わないわけでもなかったが、まぁ、いろいろ事情があってのことだったのだろうと、深く考えないことにした。

いつもより少し早めに寺を出発してホームセンターで修理の終わった草刈り機を受け取って支払いも済ませて石見銀山の吉田家前駐車場まで帰ったのは夕方だったがまだ十分に世間が明るい。そろそろ、明日あたりから雨になると云うことらしいので、駐車場へ積み上げて乾燥させておいた薪用の丸太が乾いているうちにできるだけたくさん土間まで移動して積み上げておくことにした。
時間にすると1時間程度のことだったろうが、駐車場でウロウロしいる間に町内外の知り合いが何人か吉田家前を通り過ぎた。最近は昼の間留守ばかりしているから、2・3軒となりのおばさんなど「あぁ〜らおひさしぶりぃ〜〜、家すぐそこなのにねぇ〜」などと、懐かしそうに話しかけてくる。無視もできないから仕事の手を休めて世間話を始めたりして、そういうことが幾つかあって、そのうち日が暮れて、たいして仕事がはかどったわけでもなかったが、まぁ、ナニもしないよりは少しは片付いたかな・・・

キーポンがLINEで芽が出たトマトの写真を送ってきた。彼女はLoft好きで、ソコでみつけたトマトの栽培キットを買って育てている。私も彼女くらいの時は、アパートの窓外へ野菜の鉢を並べて夏野菜を育てて収穫していた。あの頃は栽培キットなどなかったし、今はずいぶんオシャレになったものだ。
その夜の吉田家は、なんと食卓へトマトとタマゴのスープがとても久しぶりに出てきた。
母と娘がトマトでつながっていた。偶然で片付けられない母娘の縁を感じた。

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万善寺植込根絶やし作戦失敗の巻 

2018/06/04
Mon. 23:01

3月末の母親の1周忌法事あたりから足の古傷がうずき始めて、それをかばいながら過ごしていたら下半身全体に不具合が連鎖して、そのうち腰が痛くなって車の運転もつらくなるまでになった。特に忙しいわけでもないが、だからといって暇なわけでもなく、1ヶ月前は真っ白だった宗門の手帳も少しずつ埋まって、結局1ヶ月が終わる頃には予定の空白が5日と無いほどに埋まってしまっている。そうこうするうちに、春が本格的になると翌月の予定も少しずつ埋まり始めて、今は6月の予定も連日埋まってきて、7月の書き込みが増えてき始めた。
1日のうちに、できるだけ休息の時間を増やすようにして、夜もすぐに寝るようにして、とにかく下半身をいたわりながら暮らしていたら、10日ほど前からほぼ普通に歩けるようになって、無理をしなければ1日中立ち動いていてもなんとか身体が耐えられるまでになってきた。

そういう状況で、自分の身体をダマシダマシ働いて、万善寺の北側だけを残してあとの周囲はだいたい一通りの手を入れて、それがやっと一巡した。梅雨へ入る前にできるだけやり残した整備の手を広げておかないと、せっかく刈り込んだ草木がまた一気に元気になって蘇る。夜寝るときとか、朝目が覚めたときとか、1日の予定を凡そシミュレーションしてみるのだが、気になるところがあまりにも多すぎて、どうもハッキリと決断できないままラビリンスの世界へ迷い込んでしまう。いつまでもこういう状態でいてもしょうがないから、せめて6月の万善寺大般若会までは雨の合間を縫って駐車場周辺の整備だけは完了させようと目標を立てたのが5月末のことだった。
本調子ではないものの、とにかく身体が普通に動くようになったことが良かったのだろう、気持ちのゆらぎも少しずつ安定してきて、今まで遅れて溜まっていたことをこれから一気に片付けてしまおうと、ひとまず迷いが消えて気合を入れ直した。

週も変わって、いつもの通勤坊主のあと、朝のまだ涼しいうちから万善寺駐車場の整備を始めた。
境内の石垣下の用水路脇へ母親が元気で若かった頃に挿し木したサツキが、その後大きな株になって年々整備の手が遠のいて伸び放題に荒れはじめ、それに蔦葛が巻き付いてはびこって収拾がつかない状態になっていたから、一気に根絶やしにして元の用水路土手へ復元しようと手を入れ始めたのが今から4・5年前だった。
途中までサツキを刈り込んだところで母親の「待った!」が入った。
せっかくアレほど大きく成長して土手を隠してくれている上に毎年きれいに花が咲いているのだし、わざわざ刈り込むことも無いだろう・・・と、母親の考えや思いが頑なで、現住職は前住職内室の気持ちを飲み込むしか無いまま作業を中断せざるをえなかった。
その母親の1周忌も過ぎたし、今年は本格的にサツキ刈り込み根絶やし作戦に取り掛かったのが花の終わった5月末だった。
ほぼ1週間してこんどはサツキ植え込み本体へチェンソーを導入して一気になぎ倒してしまおうと準備万端、エンジンを始動させたら、なんと、摩耗して劣化したバーの溝が開いてチェーンを噛み込んでクラッシュした。
その時、一瞬母親の怖い怒った顔が脳裏をかすめた。母親の怨念を見た気がした。

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久しぶりの鐘つき坊主 

2018/06/03
Sun. 23:45

なんとなく寝苦しくて、何度も目が覚めた。
そうなると、いつもは全く気にならない寺の夜の音が耳に付き始めて余計眠れなくなる。
冷蔵庫の電気音とか、風に揺れる竹の葉音とか、立て付けの悪い雨戸兼用の古いガラス窓の音とか、それに、ネズミが何処かをカリカリかじる音とか、遂には自分の耳鳴りまで気になり始めて、いよいよ眠れなくなってきた。
ネズミは、5月に入ってから庫裡のアチコチに出没し始めた。だいたい、1年のうち2回位こうして活発に動き回ることがある。春のこの時期は、保賀の谷の田んぼに農業用水が引かれて一気に水田になる。豊富な春の旬のモノに引かれて山野田畑で過ごしていたネズミたちが、田んぼの水攻めにあって万善寺へ避難してきたのだろう。

とにかく、静かな田舎の山里ではあっても、夜は夜でそれなりにけっこう賑やかだったりするわけだ。こういう時は、迷わずウエブ配信のラヂヲを垂れ流すことにしている。周囲の夜のノイズに悩まされるよりは、好きな音楽でも聴きながらウツラウツラしていたほうがまだマシだ。

6畳のシアタールームから微かに流れるピアノのクラシックに混ざって朝の鳥の声が聞こえてき始めた。もうこうなると眠気も去って完全に目が覚めた。葬儀は10時始まりだから起きるにはまだ早すぎるが仕方がない。井戸水をケトルに入れてガス台へ乗せた。それから、コーヒー豆をミルに移してガリガリやって、お湯が湧く間に寺の朝の用事を済ませて1日分のコーヒーを淹れた。昨日くらいから一気に暑くなったが、寺の朝は冷え込んでかなり寒い。温かいコーヒーで人心地ついた。

葬儀の鐘つき坊主は久しぶりのことで冷や汗をかいたが、なんとか一通りの役を終わって斎膳をいただいてお昼すぎに全て終了した。
今年に入って永代供養の申し入れが続いている。懇意の石材店と相談しながらいろいろ試行錯誤を繰り返して、本堂の正面階段の端へ石の戒名碑を置いた。万善寺の墓地にはすでに永代供養墓が建立されてあるが、お年寄りには参道の登り降りが負担だし、本堂の正面でお参りできればまだ少しは楽だろうと考えた。それに、境内にある方が住職のメンテナンスが楽になって都合がいい。
葬儀に使った仏具や教本を片付けて、戒名碑の青葉を更新して水を足したりしてから、本堂の冬物を片付けて模様替えをし始めたら電話が鳴った。
「モシモシィ〜・・、今日のお帰りは何時くらいになりますかぁ〜・・」
珍しくワイフの方から電話してきたから、大事な予定を忘れてしまったのかもしれないと一瞬焦って「どおして?何か用事でもあったっけ??」と聞いたら特に無いと云いつつ、言葉の端々になにか訴えるような様子も伺えて問いただしたら、入金の督促があったことを忘れていて、期限が今日だということで、それで「お葬式もう終わったぁ〜・・?」と、お布施を当てにしたお金の無心だった。
世間は日曜日で、金融機関の都合も難しくてどうしようと悩んでいたら、万善寺住職のボクがお葬式に出かけていることを思い出したというわけだ。
冷や汗をかきながら、ありがたく頂いたお布施が、たった数時間で生活費に消えた。

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意は無事に随す 

2018/06/02
Sat. 23:01

このところ、通勤坊主が定着してその上に万善寺泊も微妙に増えている気がする。
5月はそういう日ばかりで、工場へ出かけたのも7日間あったかどうかという状態だ。
なにごとも、バランスというものがだいじで、あまり片方へ偏ってしまうと、それがそのままストレスのもとになって、眼前の事実に向き合うしか無いのに、気がつけば気持ちも身体も正直に拒否反応を示していたりしてどうも都合が悪い。

珍しく19時から通夜が始まった。
万善寺の場合は、家族葬でもない限り普通19時半スタートが多いので、準備をして寺を出発するまでが慌ただしくなって少々焦った。
ちょうど衣替えの時に重なって、夏バージョンの一式を準備したところまでは良かったのだが、白衣を着て帯を締めて足袋を履いて・・・改良衣の袖を通した時、右襟の紐の縫い目がほころびていることに気付いた。半年前に確認した時、見落としてしまったらしい。今更針仕事の時間も無いし、とにかくなんとか工夫して通夜の時間へ間に合わせた。

いつ梅雨に入ってもおかしくない時期になったが、お昼前からどんどん気温が上昇して午後になると日差しが突き刺さるくらい強くなった。まだ明るい夕方の葬儀会場は外の路地にまで通夜の参列の人並みが溢れていた。米寿を迎えるほどのおばあさんでこれだけ大人数の参列はめずらしいことだ。御本人の生前のお付き合いや、ご親族の地域での暮らしぶりが忍ばれる。
ちぎれかけている紐をさりげなくかばいながら、通夜の鐘つき坊主を務めて万善寺の庫裏へ帰った時はまだ8時を回っていなかった。それから、まずはシャワーで汗を流して、一度ザッと身体を拭いてから改めて頭にバリカンを当てて髭をそった。
ノンビリと夕食の支度をするのも面倒だから、冷凍庫で眠っていたコストコのバターロールを3つほどオーブントースターへ入れた。焼ける間に改良衣の修繕で針仕事の準備をした。朝のコーヒーの残りでパンを流し込んで、ウエブ配信でJAZZをチューニングして少し落ち着いてから、針を使った。こういう時にはハズキルーペが欠かせなくなった。
iPadがSNSの着信を教えてくれたので確認すると、キーポンがLINEで写真を送っていた。100均のマグネットシートを使って1才児用の知育おもちゃを手作りしていた。同じものを2セットつくったらしい。教材費が支給されるのかどうかわからないが、なかなか前向きによく気が回る良い保育士さんになっているようで感心した。
オヤジは寺でチクチクと針仕事・・・
キーポンは東京の社宅でセッセと教材つくり・・・
面倒臭い針仕事も、どうせ避けて通れないなら、キーポンのように前向きに仕事を楽しめるようにならないといけないな・・・反省!

そういえば、引導の情報収集によるとおばあさんは和裁が得意で、近所の奥様方に教えていたこともあったらしい。交友の広さが通夜の参列に反映していたのかもしれない。
引導には・・「意は無事に随して適い、風は自然を逐うて清し」・・白楽天の一節を使わせてもらうことにしよう〜何事も無作為をこころがければ、自然に吹く風のように清々しい気持ちでいられる〜・・欲に染まった彫刻家坊主への戒めでもあります・・・

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ハチクの頃 

2018/06/01
Fri. 23:52

居間の引き戸を開けたら、買い物袋からハチクが5・6本覗いているのが見えた。
そういえば、万善寺墓地への参道脇でハチクが何本か伸びていたのを思い出した。
いつの間にか筍がモウソウからハチクへ変わっていた。

いつもの懐石盛りへハチクと納豆入り油揚げステーキが加わって、なかなか豪華な夕食を堪能していたら電話が鳴った。
「今大丈夫ですか?夜分にすみませんん・・・」
夜の8時だと、まだ夜分と云うほど夜が更けているわけでもなかったが、日の出とともに働き夕方暗くなったら1日の仕事を切り上げる田舎のお百姓さん的日常だと、普通に夜分と云ってもおかしくない時間ではあった。
電話は、飯南高原から広島県との県境に近い隣町の同じ宗派寺院のご住職からだった。こういう時間帯で方丈さんからの電話はだいたいが訃報絡みのことだ。
「昨日、うちのお檀家さんが亡くなって、お葬式のお手伝いをお願いしたいんですが・・・土・日になるんですけど、お忙しいでしょうねぇ〜・・・」
なんか、とても申し訳なさそうに低姿勢の電話だったが、だいたい年中暇な万善寺は土・日だからと云って特に忙しくもないから、その旨伝えると、早速通夜から葬儀までの具体的スケジュールの話になった。
「週末は寺泊になるなぁ〜・・・」
ボンヤリと、そう思った。

数え歳で米寿になるおばあさんの往生だった。
その施主家は、元々万善寺のお檀家さんだったのを、当時の住職との折り合いが悪かったのと、一家転居で隣町の現在の場所へ移られたのを契機に離檀されて寺院替えされた。昔は、住職の無体な横暴も頻繁だったろうから、離檀はそれほど珍しいことでもなかったようで、万善寺の過去帳をみてもそういう様子がそのまま記録されて残っている。今の時代は完全に個人情報非公開が常識となっているから坊主の方でペラペラと施主家の内情をしゃべることもないが、役場の戸籍情報とドッコイくらいのデータが記載されていることだけは確かだ。

最近は一般大衆の宗教観が大きく変化して、仏教離れが加速しているふうに感じる。
平成の時代になった頃だったと思うが、JAが葬祭業務に本腰を入れはじめて、その後数年の間に「虹のホール」が一気に増えた。最近では僻地での葬祭へもJAの移動葬祭が定着してきはじめて、そうなると、地域の自治会単位で行っていた葬儀の手間替えが軒並み消えていった。万善寺のある保賀自治会もすでに移動葬祭になっている。坊主の身としてはどうもすんなりとこういう営業職の強い葬祭業のシステムを受け入れにくかったりするのだが、時代の大きな流れに逆らうことも難しくて、まさに、万善寺の先代住職夫婦の葬儀も、現住職(ボクのこと・・)の力不足と地域事情で、JA移動葬祭主導の形骸化された檀家葬になった。
正純和尚としては、在家坊主ながらもお釈迦様の教典を信心の根本として日常の大事や無事に向き合っているわけで、法事坊主ばかりをセッセと務めているわけではないと思っているのだ・・・

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2018-06