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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

背負子 

2018/07/31
Tue. 23:50

背負子が欲しくて、そのことをワイフに話したら、しばらくの間iPadをつついていたが、
「あったぁ〜!良いのがあったよ♡!あなた、こんなのでしょぉ〜!」
と、Amazonのページを見せてくれた。
ざっくりと簡単に編んだ竹籠で、見た感じ、何かのディスプレイで使うような雑貨っぽい仕上がりの、かろうじて実用に耐えられるかどうかギリギリといったところのもので4000円弱だった。

YouTubeで見たのは、おばあさんがPPバンドを編んで自作したふうな網籠を背負っていて、その中に猫がおとなしく入っていた。
細く長い坂道を登ったあと、昔暮らしていたのかも知れない朽ち果てた小さな家の前の広場に着いて籠をおろすと、猫は勝手知った様子で網籠から出て雑草の生い茂った庭で遊びはじめた。
なんとも微笑ましくていい感じの動画で、それを見て自分にもPPバンドの背負子があると何かにつけて便利だろうと思ったものだから、
「PPバンドで背負子編んでくれない?」と目の前のワイフへ聞いてみたら、Amazonを探って適当なのを見つけてくれたというわけ・・・

その背負子は、結局ワイフがボクのために買ってくれることになって、昨日出雲の用事を済ませて帰宅したら、玄関の板場に置いてあった。
早速大きなAmazonマークの箱を開けてみると、写真にあったのと同じ感じで可愛い華奢な背負籠が入っていた。
ゴソゴソやっていたら、その音を聞きつけてクロがやってきた。
シロはそうでもないが、クロはダンボールの箱とかビニール袋とか、そういうチョットした入れ物の類が大好きで、だいたい何処にいったか見えなくなると、上手に手頃な場所の手頃な箱へスッポリ収まって爆睡していたりする。
背負子の入っていた箱はクロにとっては少しサイズがでかすぎたのか、あまり興味を示さなかった。
せっかくだから抱き上げて竹の背負子へ入れてやったら、嫌がりもしないでスンナリ収まった。
背負ってみるとクロの重みがズシリと肩へ食い込んだ。
竹籠の具合は案の定貧弱なものでクロが動く度にフニャフニャとねじれた。
お盆の掃除にあわせて、ストーブの焚付用に杉葉とか枯れ落ちた小枝を投げ込んで持ち帰れたら便利でいいと思う。現実的にハードな使用へ何処まで耐えられるかどうかわからないが、無いよりはマシだし、ワイフの好意でもあるから大事にしようと思う。

まさか、今の時代、Amazonの商品でみつかるとは思ってもいなかった。
背負子は、昔、今度のように竹籠で出来たものと、適度な角度で二股に別れた枝木を使って組み合わせたものと、大きく分けて2種類のものを用途に応じて使い分けていて、山里の暮らしに無くてはならない必需品だった。
寺の土蔵かどこかを探せば、まだ修理して使えそうなモノが残っているかも知れない。

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何かが動いた・・ 

2018/07/30
Mon. 23:01

島根県はあっけなく台風が通り過ぎていった。

今年は正月早々の極寒大雪から始まって7月からの大雨猛暑と、あまりにも極端に過ぎる地球環境が目立って気になる。
今度の東からやってきた台風も、自分の過去の記憶に無い変な台風になって風雨がどうなることか予測できないから、とにかく、ビクビクしながら1日1晩過ごした。
過ぎてしまえばなんのこともない、猛暑が落ち着いて過ごしやすい1日になったし、風が吹いたと云えばそよ風程度のことで、ちょうどいい加減に涼しくて気持ちよかったりするほどだった。
庫裏の裏庭を覗くと、網戸越しに裏山の紅葉の青葉と裏庭に迫ってはびこって来た孟宗竹の葉が時折の微風にゆったりと揺れ動いて、しばらくすると何もなかったようにピタリと静止する。また少し経つとゆらりと揺れてまた止む・・その繰り返しが夕方まで続いた。
まさに、洪自誠さんの「風来疎竹 風過而竹不留声」の如きひと時を見た気がした。

吉田家に帰って1日の台風の様子を聞くと、石見銀山はもっと普通に何もなかったようで、特に警戒の防災放送も無かったらしい。帰省中のじゅん君は何処かへ出かけたきり夜になって私が寝る頃になってもまだ帰ってこなかった。
先日のワイフの定期検査の結果がわかる日だったので、彼女に付き合って朝のうちから出雲まで出かけた。日本海を左に見ながら国道を走っていると、波も穏やかで、島根半島の日御碕が遠望できた。台風一過でもないだろうが、とにかくしばらく中断していた猛暑が、また普通に戻ってきた。
ワイフが診察の結果を待つ間、コーヒー屋さんで時間を潰した。

iPadでウエブニュースを流し読みしていたら、枝野さんの3時間演説が本になることを知った。
衆議院で提出の不信任決議案趣旨説明の演説のことで、これだけ長い演説は過去50年近く無かったことらしい。個人的には特に強く興味があるわけでもないが、その3時間の演説を「本にしよう!」と決めた誰かがいて、「その本を読みたい!」と思った誰かがいて、その2者の気持ちが繋がった結果、とりあえず25000部の出版が決まったようだ。
政治家議員の皆さんは、演説を聞くのも仕事のうちだから、3時間を聞くか寝るか内職でもするか・・・とにかく、粛々と演説終了を待つしか無いことだが、「面白そうだから・・」と食いついた一般の国民が、少なくても25000人いるということがすごいことだと思った。
飯南高原には小さな子供から高齢者まで全て合わせて約5000人が暮らしている。その5倍ほどの人々が本になった枝野さんの演説を読むことになるわけで、政治の思想がドォ〜のコォ〜の関係なく「何かが動いた・・」ことだけは確かなことだ。そのうち、議事録が一般公開されるだろうから、興味があればそれをチェックするのも良いかも知れない。

本当に大事なことは、どのように「風過而竹不留声」でいられるか・・ということだろうが、その前にまずは「風来疎竹」に気付かなければどうしようもないことだ。

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東から来た! 

2018/07/29
Sun. 23:29

台風が東から近づいている。
私の今までの人生で、東からやってくる台風は記憶にない。
このところ、地球全体がなにかとんでもなくおかしなことになってきた。
末法の世が近づいてきたのか、又はすでに末世に突入してしまっているのか・・・
平成の元号も終わりに近づいているが、次の元号は平和に過ぎていくのか予測できない。

吉田家裏庭の整備もやっと一段落した。
台風が来る前にできるだけ刈り取った枝木や雑草などを燃やして灰にしようと裏庭のほぼ中央で焚き火をしていたら、ワイフにこっぴどく叱られた。自分としては十分に気を配って注意しているつもりだったのだが、ワイフにとっては、それが我慢できなくて許せないほど危険極まりない行為に見えたようだ。
連日続く猛暑で乾燥が続く中での焚き火はやはり慎むべきことだとは思うが、自分には他にもこの時期に外せないことがあって、とにかく一つずつ用事を片付けていくしか無いわけで、そういうボクの事情も少しは考慮してほしいものだ。
そんなわけで、とても中途半端な裏庭整備になってしまった。
あとは、夏が過ぎ秋も過ぎ彫刻の展覧会が一段落して冬になったくらいにやっと裏庭の残りへ取り掛かることが出来るかどうか・・・といった予想だ。
自然の節目を相手に、自分の都合を合わせて付き合うことは、とにかく難しい。

じゅん君が隠岐から帰省した。
世間のお盆が終わるまで吉田家にいるようだ。
万善寺のお盆仏事のメインは18日だからその頃は隠岐に帰ってしまって、寺のお手伝いは期待できない。
毎年のことだからじゅん君を当てにすることもなく、自分一人で出来ることをコツコツとこなしているが、それもそろそろ体力的に限界が見えてきた。特に今年のように早くから暑い日が続くと、お盆の本番まで身体が保つかどうか不安になる。

台風を気にしながら草刈り機などの道具を銀くんへ積み込んで吉田家を出発した。
途中、3回ほどドッと激しく雨が降ったが、あとは風もなく普通に小雨が続いた。
九日市の温度計が25℃だった。
朝のまだ早い時間でその温度は決して低いわけでもないが、それまでは、すでに35℃くらいの日もあったから、それを思うと実に快適で涼しく感じる。
朝から温かい飲み物が欲しくなって井戸水を沸かした。
コーヒーを入れたついでにインスタントのコーンスープをつくってココナッツオイルを少々・・・これが朝食代わり・・・
カレコレ10日以上は雨が降らないでいたのに、井戸水だけは普通に使うことがきた。
西日本を襲った大雨が地中へタップリと溜まっているからだろう。
SNSをチェックしながらスープをすすっていると、町内の一斉放送が流れた。
「・・・台風による暴風雨警報は先程解除されました・・」
10時23分だった・・・これからまた暑さが戻るのだろう・・・・

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米虫世界 

2018/07/28
Sat. 23:41

朝から暑い!
万善寺の境内も、真砂土が見えなくなるまで各種の庭草が茂ってきた。
この暑さで外仕事をする気になれないから、庫裏のアチコチを片付けたり修繕したりして過ごしている。

本堂への渡り廊下へ先代夫婦が使っていた古い精米機がある。
最近は町に1・2箇所コイン精米機ボックスが設置されていて、500円もあれば無洗米を精米してくれて便利になった。そういう事もあって使わなくなった精米機はそのまま取り扱いにくい粗大ごみになってしまった。捨てるのは簡単だが、あの重たい機械を運ぶのも面倒だし、ジャマだけど当面はジャマにならないところへしまいこんで自分の住職代はそのままにしてしまおうと思っている。
精米機の近くに一斗缶があって、その中に精米が終わったもち米がビッシリ詰まっていた。
もう3年以上前の古々米で、米虫が食べて米粉になりつつ、虫の方は缶の中でサナギになって羽化してまた卵を生んで、何世代も世代交代しながら生き続けていた。彼等にとって食料はほぼ無限にあるから上手に交配を続ければ一斗缶の小宇宙で無限に子孫を繋ぐことが出来るかもしれない。

思えば、人間世界・・というより地球のあらゆる生き物すべても一斗缶の米虫世界と似たようなものだ。
実にチッポケなものだ。
お釈迦様はすでにそういうことに気付いていらしたということを、スンナリと受け入れられる。なんとなく曖昧なまま、その「曖昧である」ということに疑問を感じるわけもなく、特に深く詮索することもなく、何気なくそれをそのままそんなもんだと受け入れている自分がいる。
自分が生涯で自分に出来ることはせいぜい知れているし、自分の一生など地球の歴史では一本の髭先の点よりもまだ微小な痕跡にもならない。
精一杯頑張って切磋琢磨の上昇志向は、結局自分の目指す先に貪欲になればなるほどジャマな垢や埃や汚れが絡みついて、気がつけば折角の琢磨の輝きが濁ってしまっていたりする。我欲や名誉欲やプライドや主観の正義感とか・・・そういうモノにしがみついて悶々と悩み苦しむ様子のなんと虚しいことか・・・

自分に出来ることを丁寧に育みつつコツコツと積み重ねることに終始していれば、そのうち自分で気が付かないまま何かの自分らしさのようなものがちゃんと蓄積されて積み重なっていたりする。それがその人の生き抜く力になって、生き抜いた証になっていくものだ。

一斗缶の米虫に弱肉強食の大きな世界を見せてやるのもいいだろうと、ふと悪心が盛り上がって、庫裏の外の三和土へ持ち出したら、15分もしないうちに何処からか蟻が沸いてきて、その日の夕方には雀の集団も舞い降りて、米虫はひとたまりもなく全滅した。

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遺影の人 

2018/07/27
Fri. 23:49

町内の集まりに出かけていたワイフが訃報を聞いて帰った。

吉田家の家族が石見銀山で暮らしはじめたときの家は、今の自宅から1kmくらい銀山の坑道方面へ登っていった先の大森小学校の近くにあった。
その大森小学校へ長男のじゅん君が1年生で入学して、それから吉田家4人の子供たち全員が大森小学校を卒業した。

引っ越しをした年の大森小学校には、新1年生があと一人入学することで、かろうじて複式学級を回避することが出来るという、とても重たい現実があった。
私達夫婦はそのことを知った時、町民人口500人程度の小さな石見銀山の町へ引っ越しをするかしないか二者択一の選択肢で少し悩んだ。
吉田家が石見銀山で暮らすことになって、じゅん君が大森小学校へ入学することが彼にとって良いことなのかどうか・・・大人の都合とか地域の事情とか親の教育方針とか、小学校に入学前の小さな子供にとってはどうでもいいことだし、自分の意志で決められることでもない。
結局、じゅん君は幼稚園からの友達と別れて、大森小学校へ入学し、なっちゃんは小学校の端に併設されている大森幼稚園へ転入園した。

じゅん君が大森小学校へ入学することになって、元々入学予定だった大田小学校は1年生のクラスが1クラス減った。じゅん君一人が入学するかしないかで、一方は複式学級を免れ、一方はクラス減になったことになる。
そのクラス減になった大田小学校の当時の校長先生が大森小学校の隣りにある浄土真宗のご院家さんだった。大森小学校を真ん中にはさんでクラス減になった小学校の校長先生のお寺と、大森小学校1年生になるじゅん君が暮らす吉田家があったというわけだ。

訃報のヌシはその当時大田小学校の校長先生だったご院家さんで、行年85歳だった。
あの時の学校選択決定は間違っていなかったと自分では思っている。
しかし一方、自分の個人的主観の先で地域の教育に若干の迷惑を掛けたことにもなる。
せめて通夜にはお参りさせて頂こうと、改良衣に着替えて万善寺を出発した。
葬祭会場は石見銀山の小学校の隣のお寺ではなくてJA葬祭会館の虹のホールだった。それが故人の遺言だったそうだ。寺院方控室へ通されると、浄土真宗のご院家さん方が40名ほどお集まりで、曹洞宗は私一人で、あと一人は日蓮宗の坊さんだった。
経本を見ながら正信偈を読ませてもらった。
祭壇の遺影は、ネクタイにスーツの正装だった。
ご導師のご法話では故人の生前の幼少時代から学生時代の秀才ぶりが語られた。
喪主挨拶では主に故人の学校教員から校長時代の教育者としての功績が語られた。
ネクタイ姿のご院家さんの遺影が目の奥に焼き付いて離れない。

帰宅したら、シロがサッと逃げた。私の改良衣にビックリした様子だ。
翌日の葬儀にはワイフが参列してくれた。弔事では、現職時代の学校関係者に続いて、門徒総代から本堂屋根替などの住職としての業績が少しだけ語られたそうだ。

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台風と彫刻 

2018/07/26
Thu. 23:15

台風が嫌な感じで日本へ近づいている。
いつもだったら秋の台風のようで、関東を直撃するコースだが、今年はそれが7月の今の時期になっている。

秋の台風には過去に何度か彫刻展で苦労させられた。
私が彫刻を野外会場へ展示するようになったのは、まだ展覧会が上野公園内の東京都立美術館で開催されていた頃だ。
美術館の東側入口から建物の壁に沿って右側へ進んだところに大きな銀杏の木があって、その木をぐるりと囲むように小さくて狭い野外彫刻展示室があった。
野外展示室の西側に展覧会の搬入口がある。野外彫刻は審査があって会期が始まるまでその搬入口前の駐車スペースへ仮置きすることになっていた。
島根から彫刻を運搬して搬入を済ませてその日のうちにまた島根へトンボ返りするという強行スケジュールを何年も続けていたから、上野の美術館の滞在時間は早朝からお昼すぎまでの数時間しかなかった。そういう時に台風が重なったりすると、もう嫌になるくらい大変な作業が半日ほど続いて、グッタリと疲れたまま島根に向かって東京を出発することになる。そういうことが、2~3回はあった気がする。
展示中に台風が通過することもあって、関東に在住する彫刻家の友人へ電話して善後策を工夫するなどして気をもんだことも数回あった。
会場が上野から六本木へ変わった最近でも、会期中に台風通過が何回かあって、予測不能な六本木のビル風にはいまだに気をもんでいる。
そんなわけで台風というと、島根のことより東京とか彫刻のことが真っ先に結びつく。

振り返ると、もう30年以上も島根で彫刻を造り続けていて、それを毎年最低1回は東京へ運んでいる。
私もワイフも、20代の頃から何かしら展覧会の出品発表を続けていた。
彫刻の制作で苦労することはたくさんあったが、島根へ帰ってからあとの搬入搬出の彫刻出品に付随する諸事情に関しては彫刻制作とはまた違った全く別の苦労が多々あって、それらの事情をすべてゴクリと飲み込んで「こんなものだ!」と片付けてしまわないと、今まで毎年続けて彫刻を造ることは出来ていなかったと思う。
30年というと、ずいぶん歳をとった。
その間に、島根の彫刻仲間も少し増えたし、ワイフと二人だけで彫刻を続けているよりは賑やかになって励みにもなったが、結局みんなで一緒に1年ずつ毎年確実に歳をとっているわけで、そうなると、みんなで一緒に制作の肉体的精神的負担も増してくる。吉田家の場合は経済的な負担も加わるし、そろそろ年齢の先も見えて、どう考えてもこれから先の彫刻発展は望めそうにない状態だ。
ワイフのことはどうかわからないが、私の場合いまのところ彫刻造形の枯渇はなくて、それが唯一の救いといえるものの、制作の体力減退が実感できるようになった。あとは、経済も含めて総合的具体的に現状を判断しながら彫刻に向き合うしか無いと思っている。
いずれにしても、自分の彫刻で出来ることを出来る範囲でコツコツと楽しみながら続けるようにしていくつもりだ。
今度の個展からはボクの彫刻制作が後編に入った感がある。

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眼前の事実 

2018/07/25
Wed. 23:05

吉田家の夫婦は二人してそれぞれ幾つかの持病を持っていて、死ぬまでソレと付き合い続けるしか無いまま今に至っている。
だから、定期通院とか定期検査とか薬の補充とかが欠かせない。

私は日中寺にいることが増えたので、病院の開業時間内に間に合わなかったりすることが多くなった。
ドクターに相談したら、寺の近所の病院へ紹介状を書いてあげようかといわれた。
それでも良いと思ったが、その病院は小さいながらも地域唯一の簡易的な総合病院になっているから、定期通院とか受診とか、今の開業医のような自由が効かなくなって何かと窮屈になる。それで、ひとまずもう少し様子を見ようと云うことに決めたのだが、それからそろそろ1ヶ月が過ぎて薬のストックが無くなってきた。自分の身体のことだから自分で責任を持って面倒を見ていくしか無いことだが、とにかく病院嫌いはどうしようもない。

先日ワイフの定期通院があって、それから数日後に定期検査があった。
ワイフの通院にはできるだけ付き合うようにしていているのだが、どうも病院独特の建物に染み付いたような匂いを嗅いだだけで病気がひどくなりそうな気がして、私の方は彼女を玄関先まで送り届けたら、そのまま半日くらいアチコチで暇つぶしをしながら彼女からの連絡を待つことになる。
暇つぶしと云っても、それはソレでボクだけの貴重な時間でもあるからできるだけ有意義なものにしようとする。
本屋めぐりをしたり、マッサージの予約を入れたり、コメダ珈琲でデスクワークをしたりしていると、アッという間に時間が過ぎてワイフから電話が入ってくる。
二人とも、もうそれなりにそれなりの年齢になってすでに先が見えているし、今更ドタバタジタバタしてもはじまらない。

最近、人工も自然も何かしら不穏な動きが目立って、それが地球のアチコチで連続して生じると、私のようなチキンオヤジはどうもそういうことが気になりはじめて平静でいられなくなってしまう。
昭和初期の政治家で立憲民主党の斎藤隆夫さんの記事を見つけた。
政治の世界にチンプンカンプンで分からないことだらけだが、斎藤さんの弁舌はとてもわかり易くてダイレクトに頭へ入ってきた。
曰く・・「ひとたび戦争が起これば、問題は正邪曲直、是非善悪の争いではなく、徹頭徹尾力の争いであり、強者が弱者を征服することである!」・・と。
先日の広島や岡山や愛媛の災害にしても、自然の驚異を前に、人工はひとたまりもなく飲み込まれたふうに思える。
あの洪自誠さん曰く、「執相非真、破相亦非真」・・「現実へ執着がすぎれば真実を見失い、現実を無視してもまた真実を見失う」・・と。

何事も眼前の事実にキチンと謙虚に向き合うことが大事なことだと改めて気付かされた。

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百日紅が咲いた 

2018/07/24
Tue. 23:13

少し前まで銀山街道のあちこちにねむの木が満開の花を咲かせていたのに、ふと気づくと、もう百日紅が咲き始めている。
百日紅と云いうと、飯南高原のあたりでは盆の花のイメージが強かったから、今年はずいぶん早く開花が始まったものだ。

朝夕の通勤坊主で銀山街道を往復していると、いつも何処かで何かに出会ったり何かが起こったりして油断ができない。
少し前からドロガメが湧き出て道のあちこちを彷徨いている。彼等にとっては恋のシーズンなのかもしれない。
ボーッとしていると、反応が鈍って轢き潰してしまいそうになったことが何度かあった。彼等の彷徨きが少し収まるまでいつも以上に緊張しながら銀くんのハンドルを握っていると、今朝は、幾つかあるトンネルの一番最後のトンネルへ入ったところでゴイサギと出会った。焦ってブレーキを踏んで衝突は免れたが、向こうもビックリしたようで一瞬動きが固まったあと、トンネルの向こう側の出口へ向かって飛びはじめた。なんとなくゴイサギを後ろから追い立てるような状況になって、後をついてゆっくりと銀くんを走らせた。
そもそも、こういうシチュエーションにはそう何度も出会うことではないから、異空間に入り込んだような不思議な感覚になった。
ゴイサギはトンネルを出てすぐ左に旋回して谷川の方へ消えていった。
似たような光景を何処かで見たような気がして、しばらく記憶の糸を手繰っていたら、ジュラシック・パークの映画を思い出した。
ゴイサギそのものは巨大と云うほど大きな鳥でもないが、トンネルの中を滑空する様子はなかなか迫力があった。

保賀川につがいの白鷺が一時期出没していたことがある。
もう何年も前のことになるが、田植えが終わった保賀川沿いの田んぼへ2羽の白鷺が毎日のように舞い降りて何かをつついていたから、きっとオタマジャクシを食べていたのだと思う。それからしばらくして気がつくと、白鷺はいつのまにか保賀の谷からいなくなっていた。あとになって近所のオジサンから聞いたことだが、そのつがいの白鷺が保賀の谷の何処かで暮らすようになってから、ハエンゴやヤゴなど保賀川の生き物がすべて食べつくされて全滅したのだそうだ。
私が小さい頃はシーズンになるとホタルが乱舞して見事だった。
保賀川にかかる橋の上で竹箒を一振りすると、ホタルがたくさん絡みついていくらでも捕まえることが出来た。

昔のことを思うと、山里の様子もずいぶん近代化されて変わってきたとは思うが、それでも動物も植物もアレコレの生き物たちはそれなりにしぶとく生き抜いていると思う。
1日の終りに万善寺の境内へ古古米を撒いておくと、次の朝にはだいたい殆どスズメたちに食べつくされている。古古米を捨てることがもったいないと思うだけで飼っているわけではない。
スズメのような野鳥は人間が餌付けをして飼うことを禁じられているということだ。違反の度が過ぎると罰金罰則があるとはじめて知った。
自然とは適度な距離を持って付き合うことが自然保護につながるのだということらしい。

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もったいなくて捨てられない 

2018/07/23
Mon. 23:37

前後の事情で寺に泊まるような時は、ワイフが気遣ってつまみにもなるような簡単な幾つかの手料理を持たせてくれる。

近所のスーパーでコストコ出張フェアーがあって、普通だと毎朝二人で2個ずつ食べたとしても全部消費するまで1ヶ月はかかるだろうくらいの大量のコストコパンをワイフが仕入れて帰ってきた。通勤坊主から帰宅すると、テーブルにそのビニール袋に入ったパンの山がドカッと鎮座して、その横でシロがそれを珍しそうに眺めていた。
それからしばらくして急きょ寺泊が決まったある日・・・
「あなた、出かける時に教えてね・・・」とワイフが云っていたから朝の準備を終わって出発を伝えると、幾つかのタッパーウェアとコストコパンの袋が詰め込まれた買い物カゴを渡してくれた。
1泊では消費できそうにないほどの量だったが、冷凍と冷蔵を上手に使い分ければ当分の間一人暮らしが賄えそうで助かった。テーブルのコストコパンを見た時はどうなることかと心配したが、彼女にはちゃんとした計画が出来ていたようだ。
そういうわけで、いつもは朝食無しがほとんどだけど、せっかくの彼女の気配りに感謝して、万善寺の早朝のアレコレを片付けてから、朝食の支度に取り掛かった。
冷蔵庫で眠っていたタマゴと芽が伸びたジャガイモを使ってスペインオムレツをつくった。そのタマゴとジャガイモとコーヒー以外はすべてワイフが持たせてくれたもの。
久しぶりの朝食だから胃がびっくりしないようにゆっくりと時間をかけて完食した。

いつものように朝から暑くて、南向きの縁側はすでに30℃を超えつつある。
境内の草も伸びてきたが、この暑さが落ち着くギリギリまで何もしないで伸ばしておくことにした。見かけはみすぼらしい荒れ寺に見えるが、草の御蔭で少しは地面の照り返しも和らぐはずだ。室内は野外より少しはマシだが、それでも暑い。30分も用事をすると全身汗まみれになる。
少し前から、3年前まで寺務所兼用寝室にしていたボクのロフトを片付けはじめた。
そのロフトは庫裏玄関の真上にあって、夜は下に誰もいないから少々ドタバタ暴れても全く気にならなくて都合が良い。昔は寺の過去書類や季節ごとの模様替えや布団や衣替えの衣類や法事の引き物などを仕舞う物置部屋にしていた。中学校へ入った時に両親から許可をもらって自分の勉強部屋にした。それから3年前までズゥ〜〜〜ッとボクの部屋になっていて、今は、いらないものばかりがホコリを被って置きっぱなしになっているので、そろそろ断捨離を兼ねて片付けることにした。

数年前に一度思い切って部屋に溢れかえった本の整理をしてかなりの量をBOOK OFFへ持ち込んだ。重たい思いをして運んだ労力の割に価値の評価がなくてガッカリした。そんなことなら、はじめから紙屑の回収業者へ持ち込んだほうがまだマシだった。
本は古くなっても食材のように傷んで腐ることもないし、いつまでも置いておける。
断捨離するにも、すべての本に詰まった思い出まで一緒に捨てているようでやるせないから、せめて図録と専門書と単行本と文庫本だけはこのまま寺へ残すことに決めた・・・って、結局捨てる本ほとんどないじゃない・・・

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無精面 

2018/07/22
Sun. 23:23

夏休みに入ったので時間講師のワイフも少し暇になると思っていたら、毎日のように○○の会とか☓☓の会議とかで昼となく夜となく慌ただしく出かけている。
これだけ暑い毎日が続くと、自宅で暇にしているよりは少しくらい忙しくしていた方が気も紛れて良いと云えなくもない。一方、年中暇にプラプラしているボクにとっては、どこかしら居心地が悪くて「何かしないといけない!」と思ってはいるのだがこの暑さでなんとも身体がだるくて動く気になれないまま1日が過ぎる。

寺の隣のおじいさんが亡くなった時にお葬式のお手伝いをして、それからお大師講の法要がひとつあっただけで、その後特に仏事で出かけることが無くなった。
それでも急な訪問や地域の付き合いがあったりて気が抜けないから、できるだけ昼の間は通勤坊主で寺に居るようにはしている。
「私、今夜も用事で出かけて夕食も適当になったりするから、そのまま寺で一晩寝たらどぉ~お?」と朝に云ってきたので、「燃料も高くてもったいないし、じゃぁ~、そうするかぁ~~」と云うことになった。
庫裏の勝手口に網戸が入った時、邪魔なものをソックリ動かしたままになっていて、それを元に戻せばすぐに仕事が済むことなのだが、せっかく数十年ぶりに物を動かして何も無くなってスッキリしたところでもあるし、この機会にもう少し使い勝手が良いように工夫してみようと、メジャーをもって寸法を測ったり、寺のぐるりを回って適当な材料を見繕ってDIYしようと思ってみたりしているのだが、なかなか「ヨシ!!コレで行こう!!」と気持ちの踏ん切りがつかないまま1週間ほど過ぎてしまった。

吉田家では裏庭の草刈りが中途半端に残っているし、万善寺ではガタピシで隙間だらけの庫裏の改修DIYが遅れているし、そうやって目先のアレコレを改めてチェックすると「まんざら暇なわけでもないな・・」と気がついて、少々焦ってしまったりする。
世間との付き合いも特に無いまま、朝夕の少し過ごしやすい時間帯を見計らって数時間の労働をして、それで流れる汗をその度にシャワーや行水で流して・・・そうやって1日に2~3枚のパンツを履き替えたりシャツを着替えたりしていたら、洗濯物がすぐに溜まったりして洗濯すると、物干しやハンガーがすぐに洗濯物でいっぱいになって・・・などと、毎日ドタバタと家事に励んでいるうちに、気がつけば何年ぶりかで黒々とした髪と、すっかり白くなった無精髭が伸びていた。仏事が続いている時は、3日もすれば頭にバリカンを当て毎日汗を流すついでにジレットを使っていたので、この1週間鏡も見ないまま何もしないで汗を流すばかりに過ごしていたら見事に人相が変わっていた。

宗門の修行中は基本的に4と9の日が風呂の日になっていて、その時に頭や髭を剃ることになる。私のような在家坊主は僧堂にこもって修行の日々を過ごすこともないから毎日の都合で気がついたときとか、何かのついでのときとか、適当にバリカンを使っている。昔の副住職だった頃はもっと自堕落に年中無精を決め込んで見苦しく暮らしていた。
「ずいぶん歳をとってジジイになったなぁ・・」
白くなった髭面を観て、そう思った。イガグリのごとく伸びた坊主頭はいまだに結構黒々としていて、抜け毛も少なくて今のところハゲる兆候もない。
少々見苦しいが、誰に迷惑をかけるわけでもないし、もうしばらく無精のままでいてもいいかな・・・

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変な癖 

2018/07/21
Sat. 23:31

また訃報が入った。
今度は流政之さん・・もうかなりのご高齢だったと思うから、きっと大往生だったろう。

私がまだ美術方面の基礎的な勉強をしている時、油絵とか日本画とか、「絵を描く方面の選択肢は無いだろうな・・・」と漠然と決め始めていた頃、神保町の古本屋さんで流政之さんの作品集を見つけて、それから暫くの間、頭の片隅に流さんの彫刻の映像が張り付いて離れなくなって困ったことがある。
受験用の課題でイメージ構成の立体造形をつくると、どこかしら「流っぽい」造形になって、流さんの彫刻の真似をしているような気持ちになって、自分ではそれが嫌で、少しの期間チョットしたスランプ状態になったことがあった。ちょうど自分は「具象か抽象かどちら・・・」に向いているのかよくわかっていなかった頃でもあった。
今はどうかわからないが、当時は美術方面の受験勉強と云うと、いちばん大事なポイントがデッサン力であって、平面でも立体でもまずは客観的で正確な観察眼と具象的表現力が重視されていたように思う。それに対して、自分の主観的感性とか造形性は評価の対象として「変な癖」と看做されるようなところがあって、「お前は、そういう癖があるから、それ以上伸びないんだよ!」などと指導教官によく云われていた。
流さんの彫刻を観ていると、どこかしら具象抽象の傾向が感じられて、抽象のベースには具体的な素材とかテーマとかがあって、それがとてもわかり易くシンプルな造形に昇華されていて、あの頃の自分に素直に入り込んだ。
その後・・・まぁ、自分ではそれなりの苦悩の日々が続いたものの、いつの頃からか「まずは受験の壁を乗り越えるしか無いことだ!」と割り切ることが出来るようになって気持ちの整理がついた。それで、変なデフォルマシオンを捨てて、観えたものを観えるように素直に写し取ることに専念していたら、平面も立体も、自分では面白くもなんともないつまらないモノしかできなくなって、そのあまりにも特徴のない地味な普通さが功を奏して、特に上手でもなく、かといって下手でもなく、良いところも無いが大きな破綻も無く、総じて欠点も波もない無難な仕上がりの受験課題作品ができあがるようになった。
それからしばらくして、流政之さんの回顧展のような大きな企画個展が何処かであった。
竹橋の近代美術館だったかもしれないが、確か其処ではイサム・ノグチさんの個展があったはずだし、石彫の彫刻が混ざり合って場所を思い出すことが出来ない。
制作年代やテーマごとにパネルで仕切られた展示室には、かなりたくさんの流彫刻があって、そのムーブマンを一つ一つゆっくり時間をかけて間近で観ることが出来た。図録の写真からでは伝わらない造形のコンセプトが観えた気がした。

まだ勉強中のことで色々ふらついていたが、少なくても流政之さんの彫刻に接したことで自分の造形が抽象の方向へ傾いていったことだけは確かだと思う。当時は前後して沢山の造形作家や造形作品をチェックした。それらを精査して整理すると具象にはない抽象の奥深さや広がりのようなものに気持ちが引かれる自分がいることに気付いた。
別に、頑固に深く具象や抽象の境界を気にすることもなく、好き嫌いで造りたいものを造っているだけだが、やはり性格なのだろう「自分は抽象がスキなのだろうなぁ〜」と流さんの彫刻が教えてくれた気がする。結局それが自分の「癖の元」なのかもしれない・・・

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分相応 

2018/07/20
Fri. 23:23

早いものでもう週末になった。
吉田家裏庭のジャングル状態に茂った庭木のアレコレを剪定した枝木が山積みになって足の踏み場も無くなったから、少しずつ刻んで焚き火をしながら灰にしている。
あまりに暑いものだから、焚き火が全く熱く感じない。
銀山川の向こうを知り合いが歩いていて「毎日暑いねぇ〜」と声をかけたら、「一日中エアコンの部屋で仕事してますからねぇ〜・・・」あんまり暑いと思わないらしい。こういう時に仕事を選ぶことも出来ないで焚き火をしているボクが自分でせつなくなってきた。
「乾燥してますからねぇ〜・・火は気をつけてくださいね〜・・・」
別れ際にかけてくれたひと言が、親切な助言に気づくまで少し間が空いた。

大森小学校が夏休みに入って公民館キャンプが土日にある。
吉田家の子供たちがまだ小学生へ通っていた頃は、毎年のように公民館キャンプで焼き肉をしながら親子で楽しく遊んでいた。
じゅん君やなっちゃんの頃は、小学校の校庭へテントを張って子供たちは一晩その中で寝た。
保護者の父親や公民館の関係者や小学校の職員や町内の有志たちは小学校の体育館で雑魚寝をした。
用事というと、時々子供たちの夜の様子を見回るくらいで、後は持ち寄ったツマミを頬張って各種酒類を注ぎあいながら夜遅くまで酒盛りが続いた。
30年ほど前のことだが、今から思うとあの頃は学校や先生や地域や保護者や、みんなそれぞれの敷居がずいぶん低くて、風通しも良かった。
ノッチの頃になると、キャンプは小学校の校庭から公民館のエアコンの効いたホールに移動して夜の大人の交流会も自粛傾向が増して縮小された。
キーポンの頃になると、わずかに焼き肉担当のオヤジたちが集まって申し訳程度のささやかなパーティーが2時間位あって、それから子供たちの花火大会が始まる頃には関係者だけが残って、あとは三々五々解散になった。

教育の公私混同や飲酒の是非など、面倒臭い共通理解とか認識とか社会情勢の波に飲み込まれて、建前ばかりで筋を通そうとするかたっ苦しい付き合いが世間の常識になりつつある。
それぞれの立場をわきまえた付き合いの幅がどんどん狭まって、誰が何を考えているのか、ナニがよくてナニが悪いと思っているのか、判断の素材を拾い集めることも難しくなって、遠慮がちな付き合いが当たり前のようになって、立場と立場の境界の敷居がどんどん高くなって城壁の如き壁となって、風通しがやたらと悪くなってきたふうに思えてきた。
ちょうど都合よく、今はワイフがセッセと学校や地域の付き合いに精を出してくれているので、オヤジの出番が見事になくなった。
今度の公民館キャンプも、彼女が子供たち相手にナニカのお絵かきなどをボランティアするらしい。人付き合いの不器用なボクとしては、こうして世間のシガラミから少しずつ遠ざかって消えていけるありがたさを噛み締めている。

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橋本脚本 

2018/07/19
Thu. 23:35

橋本忍さんの訃報を知った。
かなりのご高齢だとは思っていたが100歳だったらしい。
今続いている猛暑のせいではないだろう、大往生と云っていいだろう・・・
今年に入って、私の気になる存在の人々が相次いで亡くなっている。
こういうことが続く時もあるのだろうと、受け止めるしか無い・・・

橋本さんと云えば、やはり黒澤明さんとの沢山の共同脚本が思い出される。
はじめて「羅生門」を観た時は、まだ小学生の3〜4年くらいだったと思う。万善寺に白黒のナショナルテレビが来てから何年か後の年末か年始に深夜放送で観た記憶がある。
寒い冬に炭炬燵へ潜り込んで眠い目をこすりながら最後まで観た。映画は次々と汗が滴り落ちる暑い暑い場面と、スコールのような激しい土砂降りの場面と、それに京マチ子さんのエロチックな唇や肌がとにかく強烈に鮮明に目の奥へ焼き付いて、観終わった後、眠たいのに眠ることが出来ない興奮を朝まで引きずったことを覚えている。
「砂の器」は確か新宿松竹の封切りで観たはずだ。
先日亡くなった加藤剛さんが音楽家だった。原作は現代クラシックだったと思うが、映画の方はアカデミックなクラシックの交響楽になっていて後半の盛り上がりにいい具合にシンクロして、不覚にもボロボロ泣いて鼻水をズルズルすすった。
上京して2〜3年経った頃で、あの頃は完全に映画芸術にのめり込んでいた。
貧乏学生だったから、まずは映画関連の雑誌やシナリオの専門誌を立ち読みしたり古本を探したりして基本データを収集して、それから封切りにするか2番館3番館にするか決めて主に新宿を起点にして池袋とか銀座とかを巡りながら見漁っていた。
砂の器の時に脚本家橋本忍さんをはじめて本気で意識して、それからさかのぼって羅生門が橋本さんの最初の脚本だったことを知った。
そのあと、しばらく橋本脚本を追っかけるように日本映画を見漁った時期があった。

橋本さんの監督した「私は貝になりたい」も最初に観たのは万善寺の白黒テレビで、小学校6年か中学校に入ってすぐの頃だったと思う。
フランキー堺さん主役と新聞のテレビ欄にあったので、最初はコメディーだろうと勝手に思い込んでいたのだが、映画の方は全く違って、落ち込むばかりのなんともやるせない夢も希望も無い重たい話だった。自分の知っていたフランキー堺さんとのギャップが激しすぎて、それが衝撃的だった。
今から10年くらい前に島根県の隠岐の島や奥出雲がロケ地になって中居くん主役の映画になった時は、結局周辺の事情で観る機会を逸した。橋本さんは、そのときに自分の脚本へ初めて自分で加筆したらしい。どこがどう変わったのか見比べてみたいと思っているが、今の所それが出来ないままでいる。

最近の数年間は、久しぶりに日本の映画やドラマが面白くなってきて、楽しみが増えた。
追悼というほど大げさなことでもないが、もう一度橋本脚本を観直して見ようと思う。
「七人の侍」「蜘蛛巣城」「隠し砦の三悪人」「張り込み」「ゼロの焦点」・・・・合掌・・・

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ケンタッキーノッチ 

2018/07/18
Wed. 23:17

ノッチが久しぶりに大量の画像や動画をSNSに載せていた。

彼女は高校生の時に1年間ケンタッキーのルイビルで暮らしていた。
ホストファミリーがとても優しかったそうで、帰国してから今までだいたい10年の間連絡を絶やさないで過ぎてきたようだ。
オヤジに似ているところがあって、何かにつけてすぐにめんどくさがったり飽きたりするノッチが、いまだに付き合いを継続しているというだけでも、ルイビルでの1年間で良い思い出をいっぱいつくることが出来たのだろう。
親としては、多感で面倒臭い時期のノッチを上手に育ててくれたことだと、とてもありがたく思っている。
フロリダでの暮らしもそろそろあと僅かとなって、帰国する前に休みをとってルイビルのホストファミリーを訪ねたり、高校の時の友達と逢ったりして楽しく過ごしたようだ。

石見銀山は、西日本大被害の大雨が去った後、連日猛暑が続いて吉田家のエアコンや扇風機がフル稼働している。
ロフトのような荷物置き場も兼ねた二階の部屋は、昔、子供たちの部屋で使っていた。
ワイフと二人暮らしになってから、夜になると音楽や映画でうるさくするので「2階が空いてるんだからあなたはキーポンのベッドで寝なさい!」と1階から追い出されて家庭内別居を続けていたのだが、さすがにエアコンも無い蒸し風呂のような熱帯夜が延々と続くと、それに耐えられなくて今はリビングの片隅にあるワイフの憩いの場になっていたソファーベッドを使わせてもらっている。
エアコンは、そのリビングから続きのキッチンへ向かって1機と、ワイフが寝室にしている昔ボクの工房むうあ事務所を兼ねた書斎だった四畳半に1機ある。
万善寺の世代交代の引き継ぎからあとは、書斎のデスクワークも少しずつ寺の方へ移動させて四畳半を寝室に使うようになった。それでしばらくはワイフと仲良く四畳半で寝ていたのだが、キーポンが時々帰省すると無理やり夫婦の寝室へ侵入して川の字で寝たりするものだから、オヤジはしだいに寝づらくなって、その頃から少しずつ吉田家のボクの居場所が狭まって今に至っている。

かれこれ3週間位前のことになるだろうか・・・暑くなる前に2機のエアコンを一度丁寧にクリーニングしておいたほうが良いだろうと、電気屋さんに依頼した。
そのクリーニングの日が決まったので朝の草刈りを早めに切り上げてシャワーで汗を流して業者さんを待った。
お昼少し前にクリーニング道具を一式抱えて業者さんが来た。興味津々で人間を恐れないクロが作業の間中オジサンの足元でウロウロして困らせたが、だいたい1時間少々で作業が終了した。
「フィルターに結構ホコリが溜まっていましたが、他は特に故障の原因になるようなことはありませんでしたので・・」と報告を受けた。まだ、四畳半が事務所でフル稼働していた頃から寝室に変わった今までフィルターの掃除などしたこともなかった。
今はワイフとネコチャンズの寝室だが、これで少しは快適に夏を過ごせるだろう・・・

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執着 

2018/07/17
Tue. 23:21

吉田家裏庭の清掃作業が本格的にスタートした・・・とはいっても、連日の猛暑でお昼前には30℃を超えているし、夕方になっても涼しくなる気配がないから、せいぜい実働時間は3〜4時間位にしかならない。

通勤坊主に切り替えて銀山街道を登っていたら、途中にある九日市の集落にある温度計が37℃になっていた。
丁度その日は、午前中の用事を済ませて昼の一番暑くなる頃にその温度計の下を通過したから、たぶん一日の最高温度くらいだっただろうが、それにしても中国山地の山間部にはめったにないほどのことだ。

猛暑と云うと、今から10年位近く前の、まだ石見銀山が世界遺産登録になって間もない頃に一度あったと思う。あの時は、7月の夏休みが始まる直前から現代彫刻小品展を石見銀山の町内でスタートさせた直後で、昔農協の倉庫に使っていた広いスペースを借りて彫刻の小品だけを集めた展覧会をした。
開催資金は彫刻出品者からの出品料と、自分の彫刻材料代で備蓄していたお金を当てた。
何をもって成功とするか失敗とするか・・・そういう基準もハッキリと定まっていたわけでもなく、とにかく、今のうちにナニカしなければ彫刻家としての自分の立ち位置を見失ってしまいそうだ・・・という、曖昧な状態でいた時期だったことは確かで、その「ナニカ」が小品の彫刻展だったというわけだ。
今にして思えば、一つ一つの事務的な作業が後から後から増えてきて、いつになっても落ち着く先が見えないままいつの間にか展覧会が始まって終わっていた・・という感じだった。出品作家も何人か会期中訪ねてきてくれて、中には展覧会の展示を手伝ってくれる作家もいた。
とにかく、「暑さ!」というと、気温だけのことでなくて、自分の気持の方も結構熱く燃えた夏だった。
万善寺の維持管理は、まだ元気だった前住職夫婦にすべて丸投げ状態で任せっきりにしていた。ずいぶんと薄情で非常識な副住職だったと思うが、彼らもまだまだ現役でやる気満々だったから、無理して「手出し口出しするのもどうか・・・」という気もあって、昔ながらの万善寺運営に粛々と従っていたところもある。

私の場合、彫刻にしても寺にしても、自分のヤルことは自分で決めないと気がすまないようなところがあるようで、自分の行為に何かしらの問題意識を持ち続けることがモチベーションの持続になっているような気がする。
吉田家裏庭の草刈り清掃は、一方でワイフの常識や意志との協調も大事だから、自分としてはとてもやりにくいところがある。日常のさりげない会話の中に、少しずつ彼女にとって大事な裏庭の条件を聞き出しながら取捨選択をして自分が受け持つ仕事を決めているわけだが、そういう意思疎通が少しばかり乱れたりすると後のイザコザの元になって収集がつかなくなる。少なくても裏庭のアレコレに関しての主導権はワイフにあって、私はその手先の立場を守るしか無い。
俗な執着は、仏教的に云うと修行の妨げになると云われている。どうせなら、ワイフの場合、執着は裏庭に向けるより、もっと彫刻に向けてもらいたい気もするのだけどね・・・

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今日は海の日? 

2018/07/16
Mon. 23:45

三連休だということはなんとなく知っていたが、さて、何の祝日かと云うとよくわからない。
その連休最終日になってやっと「海の日かもしれない?」と思い当たったが、それが正しいかどうかはわからない。
とにかく休みであるわけだし、平日はワイフも仕事で出かけるから、世間のサラリーマンの皆さんと似たような休日を過ごすのもいいだろうと、彼女を誘って出雲へ出かけた。
特にコレと云った目的を決めることもなく、国道を東へ向けて走りながら、少しずつ目標を固めて出雲へ着く頃にはだいたいのスケジュールが決まった。

最近になって、ワイフが美味しいパスタ屋さんを見つけて、一度試しに入ったら、スープスパゲティがなかなか美味しかったので、ソコに予約を入れた。
自宅にいても暑いばかりで仕事にもならないし、結局ゴロゴロするばかりだから、どうせなら冷房のきいた商業施設をハシゴしながら1日涼んでいたほうが良い。
夜になって吉田家へ帰宅すると、それでも少しは過ごしやすくなっていた。ネコチャンズはそれぞれスキなところで伸び切っていたけど・・・

7月に入って半月が過ぎて、やっと万善寺の仏事が少し落ち着いた。
このところまともに石見銀山で1日を過ごすことが無かったから、これからしばらくは通勤坊主を休むことに決めた・・・まぁ、とりあえずのことだけどね・・・
当面の用事は吉田家裏庭の整備!
しばらく続いていた長雨の御蔭で、裏庭が銀山川の岸までジャングルのようになっている。まずは、歩くところだけでも草刈りをして、ソコから少しずつ伸び広がった木の枝を刈り込んだりしていこうと計画している。当分は暑い日が続いて雨も降ることがなさそうだし、切り倒した木の枝を乾燥させながらストーブの焚付になるまで刻めば、結構な量の薪が確保できそうだ。

寝る前にSNSを一巡していたら、ノッチが珍しくF.Bを使っていた。アメリカでの彼女は、F.Bをメインに活用しているようだ。
日本と12時間位時差があるらしいから、向こうはまだお昼くらいになるのだろうか??
とにかく、あと2ヶ月あまりで帰国するし、その前に昔お世話になっていたホストファミリーを尋ねることにしたらしい。
彼女は吉田家家族でいちばんアクティブに過ごしている。
どちらかと云えば、オヤジの私も若い頃はひとつところへジッとしていることが出来ない方だったから、ノッチはオヤジの性格を引き継いでしまったのかもしれない。

F.Bというと、最近はほとんど自分から利用することをしなくなった。直近の書き込みは、確か3月のグループ展の告知だったはずだから、ずいぶんご無沙汰している。F.Bを始めてからもう何年にもなるが、どうも、あの回転の速さというか、書き込み更新のスピード感についていけなくなってしまった。それで、少しずつ記事の書き込みや更新にストレスを感じるようになったので、今は一歩下がって距離を置くことにしている。

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縁が切れた 

2018/07/15
Sun. 23:19

唐突に「明日お寺へお伺いしますので・・だいたい、お昼すぎの2時か3時くらいになると思います・・」と、寺参りの電話が入った。

坊主家業の90%は受動的にスケジュールが決まっていくから、そういう突然の電話にも出来る限り誠意を持って対応しているつもりだが、それにしても、『今日の明日』というのは、あまりにも突然で・・・というわけで、せっかくの3連休はジワジワ潰れていく。

朝から日差しが容赦なく強い。
寺参りの内容もよくわからないまま、とにかく掃除機だけでも掛けておこうと本堂の窓を開けたら、外から一気に熱気が侵入した。
厚手のカーテンを閉めて暗くしてある本堂は、想像以上に涼しいものだ。
いつもは、何もしないでジッとしておくことが諸々の仏具や荘厳が長持ちして都合が良い。朝のお供え線香の香りが1日中本堂に漂って、それが毎日のように続いて少しずつ柱や壁や天井や畳や座板などに染み込んでいくことが、五感に伝わる聖域の最低条件のようなものだ。
私は、自分の性格なのだろうか、常に締め切ったままの鬱陶しさが性に合わないから、寺暮らしの時はだいたいその日の天気と相談しながら窓を全開にして外の風を通してしまう。
前住職の憲正さんはそれを極度に嫌がって、まだ身体の動くうちは「仏様の功徳が逃げる・・」と云って私が全開にしていたアチコチの窓や引き戸などを片端から締めて回っていた。燭台の灯明は『仏様の智慧』。お供えの花は『仏様の慈悲』。そして香のかおりは『仏様の功徳』だと、三具足の意味を特に大事にしていた。
気持ちはわかるが、崖っぷち在家坊主のボクとしては、どうしても信心の気持ちが自分の暮らしの楽な方へ傾いてしまう。

本堂の荘厳を調整して、お参りの施主家の位牌を整えて、番茶を沸かしてお供えして、着物に着替えて帯を締めて・・・いろいろ滞りなくお参りの準備を整えて一休みしていたら、庫裏の玄関先で訪問の声が聞こえた。
急いで出てみると、電話があったお宅の娘さんが玄関先に立っておられた。
「お母さんがヨロシクとのことでしたので・・それじゃぁ~、先がありますので、これで・・・」
取り付く島もないまま、玄関先で立ったままお供えらしきものを受け取ってそれで終わった。
本堂の準備がすべて意味のないことになった。

もう、その施主家とは「縁が切れたことになったのだろう・・・」と、ボンヤリ確信できた気がする。
こちらから強く引き止める気もない。信心は自発的能動的行為の先にある。
本堂を元に復元して、戸締まりを確認して、万善寺をあとにした。
あの、やたらに暑い吉田家とワイフの小言と無視を決込むネコチャンズが恋しくなった。

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オールヌードの夜 

2018/07/14
Sat. 23:54

1週間続いた万善寺の仏事でフラフラになりながら石見銀山の吉田家へ帰宅すると、ネコチャンズもワイフもそれぞれの場所でゴロリと横になっていた。飯南高原でアレだけの猛暑が続いていたから、海抜100mは低い石見銀山の暑さはそれ以上で、さぞかし辛かったことだろう。
「アラ!おかえり・・」
ファンや扇風機が吉田家のアチコチで可動していて、思ったより過ごしやすい。
ワイフはしばらく昼寝をしていたのだろう・・・なんとなく、寝ぼけ気味に起き出してきて、それにシロがついてきた。

やはり、暑いとは云え吉田家へ帰ると気が休まる。
私の顔を確かめるとワイフはすぐに台所仕事へとりかかった。
お互いに1週間の出来事をポツリポツリと伝えながら、それぞれ情報交換をして記憶の空白を埋め合わせした。

午前中は江津の用事があった。
コレが済めば9月までしばらく間が空く。
自宅を10時前に出発することになるので、朝の時間を持て余して困った。最近は、早朝に目覚めることが癖になってしまって、寺暮らしだとそのあと本堂のことや庫裏の風通しのことやスズメたちに古々米の朝ごはんを振る舞ったりしてからメールやSNSを確認しながらコーヒーをドリップしたりしていると、すぐに1〜2時間が過ぎる。
吉田家の朝は変にウロウロ動き始めると、とたんにワイフが機嫌を損ねて小言が増える。
目は覚めているのに、そのまま何もしないでしばらくゴロゴロしていると、それはそれでワイフの気に障るようで、それなりの小言が飛んでくる。共同生活の難しさと云うか、絶妙なバランスを維持するためのさじ加減がなかなか難しくて、気付かない間に結構緊張していたりする。

江津の用事を済ませて昼食時に帰宅した。
「コストコフェアで、ピザゲットしたわよ!」
1ヶ月に数回ほど、コストコが近所のスーパーへ出張してくる。地元ではソコソコ人気があって、時間が少し遅れるとほとんど完売になってしまう。コストコのピザは特に人気があるようで、なかなか吉田家の口に入らないから久しぶりに美味かった。

夕方から弘法大師さんのお大師講があるので、ピザを完食して少し休んでから石見銀山を出発した。
20枚ほど書いておいた弘法大師尊前の先祖供養塔婆で西国巡礼和讃を唱えた。
夜の飯南高原でも、さすがに大衣でいると暑くて我慢できない。寺へ帰ると早速着物の洗濯をしながらシャワーで汗を流した。夜のことで誰もいないし、寝るまでオールヌードのまま洗濯物を干したり、簡単なツマミをつくったりして例のごとくプシュ!っとやった。
網戸を整備した御蔭で蚊にも刺されないし、適度な夜風で汗が引く。
吉田家の連中は熱帯夜で寝苦しくしていることだろう・・・

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ヨレヨレ坊主 

2018/07/13
Fri. 23:52

万善寺の隣のおじいさんのお葬式は、ご自宅の庭先へ朝から自治会のテントが張られた。
雨も降りそうにないのに葬儀会場へ日除けでテントが張られることなどとても珍しい。
大雨がやんだ数日前から暑い日が続いていて、今朝も保賀の谷の空は雲ひとつ無い晴天で気温がどんどん上昇した。

当年90歳のご導師は、副導師万善寺住職(ボクのことです・・)の法衣と比べ物にならないくらい豪華絢爛でかなりの重量もある。それに、一人では袈裟を掛ける事もできない複雑な仕組みになっていて、それもあるからだいたい浄土真宗のご院家さまはお付きの役僧さんを従えて行動されることが多い。
浄土真宗ご導師さまの法衣着付けをお手伝いするときは「曹洞宗は簡素で楽チンで良かったなぁ〜〜」と、いつもそう思ってしまう。それにしても、このご高齢でこの暑さはさぞかし身体に応えていらっしゃることだろうと思うが、そういう素振りは微塵も感じられない。さすが、ナンチャッテ坊主とは年季の入り様が違う。

事前の打ち合わせをして、鳴り物の打ち出しなどをおさらいして、葬儀本番に臨んだ。
曹洞宗の鳴り物もまともに出来ないでいるのに、他宗のこととなると様子が違って導師さまとしてはやりにくかったことだろうに「おかげさまで、色々お世話様になりまして、ありがとうございます・・」などと、葬儀が終わって控室に帰ったところで深々と頭を下げられて、恐縮した。
墓参の後、安居と初七日のお経をおつとめして斎膳になって、お昼を少し回ったところで葬儀すべて滞りなく終了した。
喪主挨拶にもあったが、これから隣の家は空き家になって1年の節目節目に喪主の長男さんが帰省されることになる。日常の維持管理は自治会の心安いお宅へ委託されるようだ。

今年に入って3月の雪が消えた頃から隣家の周辺へしきりに重機が入って整備が続いていた。それに、この近年草刈りもほとんどされないで荒れ放題だった場所へ何度も草刈りが入って万善寺の境内地がみすぼらしく感じるほどキレイになった。訃報が届く前日には最後まで残っていた地すべり箇所の修繕も終わって重機が搬出されて、いらない家財の搬出が夕方遅くまで続いていた。今にして思えば、春先を境に隣のおじいさんの容態へ変化が生じていたのかもしれない。

万善寺の法事が終わって、その夜の仮通夜から葬儀が終わるまで3日間連続して法衣を着続けたことになる。夏のお盆の時期に改良衣で過ごすことはあっても毎日法衣を着続けるまでのことはない。明日は夕方から夜にかけて弘法大師さんの大師講で塔婆回向があるから、またそこで法衣に着替える。
今週は1週間毎日着物の洗濯をして過ごした。暑くて洗濯物がすぐ乾くからそれでずいぶん助かっている。単身赴任坊主も、食事や洗濯掃除まで一人でこなして、その上お経ライブが1日2ステージばかり続くと、もうそれだけでかなりの重労働で疲労困憊・・・
ナンチャッテ坊主は、連日の猛暑も加わってフラフラのヨレヨレ坊主に変身しつつあります・・・

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プシュッ! 

2018/07/12
Thu. 23:33

保賀地区内にいいつぎ連絡網が回ったのは、法事へ出かける前の夜だった。
早めの夕食を終わって、塔婆を書く準備をしている時に入った訃報だった。
これで今年に入って半年の間に保賀の谷で3人が亡くなった。

万善寺の上隣のお宅は、1年半ほど前におばあさんが亡くなられた。
それから暫くの間、残されたおじいさんが訪問介護などの助けを借りながら一人暮らしをされていたが、すでに高齢でもあるし、ひと冬を乗り切った頃、関西に暮らす息子さんが高齢者施設への入所手続きをされた。それから隣が空き家になった。
もうひと冬施設暮らしのあと、梅雨が過ぎて猛暑の中、おじいさんが永眠された。
お隣さんご夫婦は、万善寺の前住職憲正さんと同級生で、生前はお互い頻繁に行き来をしていた仲だったが、同級生が一人ずつ順番に亡くなって最後の一人だった。
最初に死んだのが憲正さんで、葬儀の時は、保賀の谷に暮らす同級生みんなで最後のお別れのお参りをしていただいた。

法事へ出かける準備をしていたら、朝の早い時間に喪主の息子さんから直接連絡を頂いた。
菩提寺は浄土真宗だが、隣同士の長い付き合いでもあったし、副導師としてお葬式をお願いしたいとのお話だった。
先に亡くなったおばあさんの時もお葬式の声をかけていただいていたので、「喜んでお手伝いをさせていただきます!」とこたえておいた。

2✕4新築住宅のお宅で法事をして墓参や斎膳を終わって寺へ帰ったら、もう全身汗びっしょりだった。
お仏壇の部屋にはエアコンがなくて、ご親族の皆さんと一緒に大汗をかきながら、なかなか過酷で鍛えられる3回忌法事になった。立て付けが良すぎるというのも良し悪しで、前の古い日本家屋の涼しさが今更ながら懐かしく思い出された。

夕方には仮通夜が始まるので、法事で汗を吸った着物を洗濯機へ放り込んでから浄土真宗の経本を探し出して、久しぶりの正信偈や仏説阿弥陀経など、通夜から葬儀の流れをひと通りおさらいした。
導師の御院家さんは、憲正さんより1歳年下だからすでに90歳になられているはずだ。
そのご高齢でまだ自家用車を運転されていらっしゃる。私にはとても出来そうにないほどお元気で頭も良い。夕方まだ明るいうちに車で喪主家の駐車場へ到着され、仮通夜が滞りなく終了した。

2回目の洗濯とシャワーを浴びて、簡単なツマミを準備してプシュッ!と一缶空けて、少し落ち着いてからSNSを一巡した。
キーポンがトマトのその後を報告している。小さな花の蕾ができていた。トマトは暑さに強いから少々の水不足もなんとか凌げるだろうが、関東の方でも今年の暑さは異常なようだ。ひとごとながら彼女の初菜園の成功を祈りつつ二缶目をプシュッ!!と開けた。

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猛暑の1日 

2018/07/11
Wed. 23:18

朝、ワイフが出かける頃までは比較的涼しくて過ごしやすかった。

吉田家の裏庭がジャンルになっているので、前夜「明日は午前中だけでも草刈りをしよう!」と決めて寝た。
クズやヤマフジなどの蔦がはびこって、アチコチへ巻き付いている。
草刈り機を振り回すとその蔦がすぐに巻き付いて厄介だから、まずは、蔦を切り剥がすところから始めたら、もうそれだけで身体中がカッ!と熱くなって汗が吹き出した。
涼しかったのは早朝の一瞬で、それから一気に日差しが強くなって夜の湿気をたっぷり含んだ裏庭全体がミストサウナ状態になった。
庭の様子が半分ほど見えるまで刈り込んだところで、ついに力尽きた。
このまま続ければ確実に熱中症になるだろうし、ちょうど燃料オイルも切れて仕事のキリが良いから無理はしないことにした。

まだぬくもりが残っていた前夜の風呂を使って行水をした。
身体の熱は普通に下がったが、顔から頭全体が火照ってなかなか治まらない。
洗面所でクロが鳴いた。

もうお昼近かったが食欲もないので、そのまま移動の支度をして銀くんのドアを開けると
車内から熱気が湧き出してきた。
これから盛夏に向かってどうなることか、気が重くなる・・・

万善寺の庫裏玄関を開けると、昼過ぎの一番熱い頃なのに中から冷気が流れ出た。
さすがに谷底の石見銀山と違って飯南高原は暑さが爽やかだ。
アチコチの窓を開けながらいつものように本堂を一巡してそれぞれの場所へ線香をお供えした。
翌日は朝からお檀家さん宅で3回忌の法事がある。
そのお檀家さんは、数年前に古い家を解体して2✕4オール電化住宅に新築された。
古い家には庭先に土蔵があって、裏山の崖際まで奥に伸びた趣のあるつくりの母屋だった。夏のお盆の棚経でお邪魔しても風がよく通って扇風機もいらないほど涼しい家だった。

少し前にスーパーで蕎麦の乾麺切り落とし徳用袋を見つけた。
万善寺で一人飯をつくるに都合が良いと思って買っておいたのだが、あれから法事やお大師法要が続いて赤飯や鏡餅やお供えの御下がりとか、日持ちのしないいただきものが続いて、その消費がやっと一段落したので、遅めの昼食に切り落としのそばを茹でた。
麺類は、大中小3種類の土鍋を使い分けて茹でている。
土鍋はお湯が沸騰してから後の茹で加減が楽で、タイマーの時間を短めに設定しておけば、あとは予熱で茹で上がってしまう。
久しぶりの蕎麦が美味かった。
明日の法事もまた御下がりを頂くだろうから、蕎麦はまたしばらくお預けになる・・・

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夫婦水入らず 

2018/07/10
Tue. 23:54

とにかく、朝から晩まで一日中暑くてかなわない・・・
働かなければいけないことが山ほど溜まっているのに、身体が動かない・・・というより、気持ちが萎えて吉田という人間が使い物にならない・・・

しばらく続いた万善寺の一人暮らしに、少しほど区切りをつけて石見銀山の吉田家を基地に通勤坊主の暮らしへ切り替えたばかりなのだが、とにかく、何をするにもヤル気が起きない。まだ7月になったばかりなのに、もう夏バテが始まっているのかもしれない。

毎朝几帳面にテレビを見ながら朝食をはじめたワイフへ「今日の予定は?」と聞いたら、「今日は一日特になにもない」ということだった。
そういえば今年度から月曜日に休めることが増えたようなことを云っていた。私ほどあなた任せの受動的スケジュールで動くほどではないが、時間講師のワイフも1週間がかなり不規則なスケジュールで過ぎることが多い。
キーポンが一人暮らしを始めてから夫婦の時間がもっと増えるだろうと漠然と思っていたら、そういうことはまったくなくて、むしろお互いに時間の拘束が微妙にズレることが多くなって、一日中二人でゴロゴロしている日が激減してしまった。子供の手が離れて、リタイヤの年齢にもなって、今更忙しくなりすぎてしまうのもおかしなことだ。本当ならもう少しノンビリとゆったりと一日が過ぎていても良いような気がするのに、なかなか思うように上手く日常が回らない。
私の石見銀山滞在時間もこの2〜3年でどんどん少なくなっている。完全なる別居というわけでもないが、1年を均すと3〜4ヶ月は別居で暮らしている気がする。

「映画観に行かない?」
「何観るの?」
「モリのいる場所」
「あぁ〜、あなたが観たいって云ってたやつ・・・、良いわよ、私も観たいと思ってたから・・それで、何時のにする?」
「早い時間がいいな・・・どこかで昼ごはん食べれるくらいの・・・」

監督の沖田修一さんは、確か日大芸術学部の出身だったと思う。間違ってたらゴメンナサイ・・・
まだ若い人だが、とても丁寧にコツコツと積み重ねられた映像になんとも言えない暖かくて包容力のある「間」が感じられて、最近の若い監督さんの中ではボク的に気に入っている。
「モリ」とは、熊谷守一さんのこと。
映画は、晩年の熊谷さんの暮らしの1ページを切り取ったようなシンプルな構成になっていて、熊谷さんの日常が淡々と紡がれていく。
嘘か真か・・・守一さん役の山崎努さんが、監督に「ボクは熊谷守一さんが大好きなんです・・」というようなことをなにかのついでの話題にしたそうで「それならそれを映画にしましょう!」ということになって映画が一本出来上がったらしい・・良いなぁ〜〜・・・
絵を描くシーンが無かった。それがとても良かった・・・

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キーポンのトマト 

2018/07/09
Mon. 23:07

キーポンが育てているトマトが水不足で瀕死の状態だったらしい。

島根県やその近所のことしかわからないが、こんどの大雨は中国地方各所に大きな被害をもたらした。
万善寺のある保賀の谷もそうだが、大雑把にいうと、中国山地一帯は地球の日本の歴史の中では古い土地で風化が進んでいる。
そういうところだから、一方で良質の産業資源がアチコチで産出されて、少なくても日本の歴史の初期から一大工業地帯であったし、それに付随して農業や林業も発達した。

岡山では川の氾濫で被害を受け、広島では玉石を抱いた真砂土の山崩れで大きな被害を受けた。
最近のように前代未聞の大雨が降ることも珍しかった一時代前までの人々は、そういう中国山地一帯の自然環境をおおよそ理解しながらその時々をやりくりして上手に付き合って暮らせていただろうが、今に暮らす人々は急激にすすむ地球の気候変化についていけなくなっているということにそろそろ気づき実感しはじめているはずだ。
過去の長い歴史のなかで、人々は語り尽くせないほど多くの恵みを大地から頂いて過ごしてきたのだということを謙虚に受け止めることも大事だと感じる。

石彫の彫刻家諸氏は当然の常識として石のこととか地形のこととかの知識と知恵を駆使して彫刻の制作に向き合っていらっしゃることだろう。
私のような根性のない軟弱彫刻家は、地球の素材に正面から向き合って彫刻を造ることに最初から逃げているようなところがあって、人工の工業製品を彫刻の素材にしておいたほうが気楽で良かったりするから、よけいに人工の非力を棚に上げてこんどの災害を自然のせいにばかり出来ないように思えて気持ちが萎える。

山ひとつがすべて青御影の玉石で出来ているという石山が寺の近くにあった。高度経済成長の活気の中で、その山ひとつが無くなったこともある。当時は用途がそれだけ多岐にわたって消費されていたわけだ。万善寺の境内地は真砂土の山を切って平地にして出来上がっているし、保賀川をはさんだ向かい側の山からは良質の真砂土が採れて採土の採算がとれなくなるまで掘り尽くされた。玉石も真砂土も、長い年月人々の暮らしを支え続けている大事な資源のひとつでもある。それが一方で人々の暮らしを破壊する凶器にもなる。

人は地球の自然に対してゴマ粒芥子粒ほどのものか、それ以下のものだと思う。
キーポンのトマトは、小さな植木鉢の一握りの土の微量の栄養と適度な水を糧に育って実をつけることになるのだろう。
小さな植木鉢・・一握りの土・・微量の栄養・・適度な水・・そういうそれぞれの役目がバランスよく整って実をつけることができて、収穫につながってキーポンの口に入ってキーポンの栄養になって生かさせてもらっている・・という連鎖を忘れないでいてほしい。
平和な日常は無限に続くことでは無いと、そういう覚悟を持って毎日を穏やかに暮らしていたいものだ。

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映画を見ながら・・・ 

2018/07/08
Sun. 23:54

半夏の夜は、斎膳の残りをパックに詰めてもらって、それをつまみに映画を見ながらひとり酒。

長い間、前住職夫婦が居間に使っていた六畳をフローリングに改修して、立て付けが狂って動かなくなった4枚の襖をそのままハメ殺しにして巨大なスクリーンをカンバス張りの要領で画鋲で貼り付けて、40年前のDIATONEと、中古の小さなKENWOODのスピーカーをDENONのアンプからチェーン配線してつくった即席のオーディオルームへ安い中華プロジェクターを導入してチャチなシアタールームを造ってからそろそろ1年が経つ。
寺で宿泊の少し余裕がある時は、夕食でチビチビやりながらHuluやアマゾンプライムビデオを観たりする。

どうなることかと予測不能の豪雨が去って少し落ち着いたと思ったら、朝から一気に蒸し暑くなって、それで寝苦しくて目が覚めた。
7月に入った頃の宗門手帳には法事が1つ入っているだけで、あとは手間替え随喜を務めるだけの真っ白な状態だったのだが、この1週間でみるみる予定が埋まってスケジュールの調整が難しくなった。
8月の盆に向けて今のうちから万善寺の境内地を整備し始めるつもりでいたのだが、長雨で1週間が身動きできないまま過ぎて、雨がやんだと思ったら今度は宗門手帳が仏事の書き込みで埋まってしまって、とにかく、自分の都合がどんどん後回しになってしまう。

カンヌ常連の是枝監督がエライことになって、日本映画界が一気に活気づいてきた。
私が上京してすぐの頃は、日本映画のピークが完全に過ぎていて、かろうじてソコソコの活気を維持していたのは松竹の寅さんと日活ロマンポルノくらいだった。高校生の時は、さすがに土曜のオールナイト上映へ潜り込むのも難しくてかなりの変装テクニックを要したものだったが、上京してから後は、普通に平然とチケットを購入して、堂々と新宿東映横の階段を登って神代辰巳さんや宮下順子さんの世界に浸っていた。それから直後に仁義なき戦いが大ヒットして、ATG映画が活気づいてきた。
物心ついた頃は娯楽といえば映画くらいしか無かった時代だった。小学校の芸術鑑賞の特別授業は町の映画館へ全校で移動して松竹の二本立て映画を鑑賞するような時代だった。
個人的にはそういう映画館の雰囲気がとてもスキで、毎日でも入り浸っていたかったがそれも出来ないし、万善寺へ白黒のテレビが来てから後は、テレビのロードショーを欠かさず観続けていた。
「ところで、おたくの趣味は??」と聞かれると「ハイ!映画鑑賞です!!」などと、いまだにつまらない回答を真面目に返してしまうが、正真正銘筋金入りの映画好きなのだ。

それで、是枝さんだが、カンヌのこともあるので幾つかの映画を見直しているところだ。
ボク的には、今の映画監督で云うと、佐々部清さんや沖田修一さんあたりがスキだったりする。是枝さんの映画もとても素敵で良いとは思うが、観終わった後に頭の両耳の後ろあたりへ湿気の塊のようなものがジワリと残り続けてしまって、今のボクは少し気が重くなる。とにかく、久しぶりに日本映画が活気づいていることは喜ばしいことだ・・・

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半夏(はんげ) 

2018/07/07
Sat. 23:21

全国の常識としては7月7日は七夕の日になっているようで、各地でお祭りが行われて今頃は行楽でさぞ賑やかなことだろう。

宿命というやつで寺の子として生まれた時から仏事中心の生活がボクの常識になってしまったから、コレばかりはとにかく深く何も考えないで「そんなもんだ!」とゴクリ飲み込むしかない。だから、この七夕まつりもそうだが、各地で行われる様々なメジャーイベントの殆どが寺の仏事と重なって過ぎるから、どうしても寺を優先することになって、一生涯各地の有名なお祭りとは全く縁がないままだ。

飯南高原では、昔から七夕まつりの少し前7月2日に「半夏祭り」があってその時は町並みの通りが夕方から夜更けまで車両通行止めになって屋台が並んで賑わっていた。
私が地元を離れて学生生活を送っている間に、半夏祭りのシステムが変わって、今では、7月の一週目土曜日の夜に曜日固定されて、天気が良ければ花火が打ち上げられる。たしか、昔は二日間続いていたと思うが、今は夕方から始まってその日の夜で終わる。
万善寺では、ちょうど半夏祭りの日に大般若会の手間替え随喜があった。まだ少年だった頃は夕方になって父親が帰宅すると、それから早めの夕食を済ませて半夏祭りへ連れ出してくれていて、中学生になると仲の良い友人と待ち合わせして自転車で出かけるようになった。
半夏祭りは自分にとって心置き無く楽しめる娯楽の一つだった。
そういう過去の思い出のこともあって、吉田家の子供たちは小さいときから何度となく半夏祭りへ連れて出かけた。昔に比べると規模も縮小されて寂しくなったものの、それでもそれなりに屋台も出て賑わいもあってみんなそれなりに楽しんでくれていた気がする。

今年は、ちょうど半夏祭りが七夕まつりと重なった。
前日まで大雨が降り続いていて、直前まで開催が危ぶまれていたが、七日の朝からは雨もやんで、曇り空ではあったが風もないし花火の打ち上げは予定通り行われることになった。
万善寺の方は、お檀家さんの法事が重なった。
午前中は別の用事が入っていたので、法事を午後に回してもらった。
斎膳が終わる頃は花火打ち上げの直前になった。改良衣で花火・・・というのもどうかと思うし、今年は自粛ということで夜はそのまま万善寺でおとなしくひとり酒にした。

半夏(はんげ)とは、仏事の習わしが語源になっている・・・と、前住職から教わった。お釈迦さまの時代、ちょうど雨季の頃で、布教活動の旅を続けると、小さな虫の命を踏み潰したりして無駄な殺生をすることになるし、それを避ける意味でも皆で旅の宿坊へ集まって合宿しながら修行に励むための期間にしようと決め、その修行期間を夏安居(げあんご)と云い90日間続き、調度45日の中間に当たる日を「半夏」と云った・・・という仏事的にはそういう言い伝えだが、他にも半夏という毒草が芽吹く時とも云われていて、世間に毒が満ちる危険な時期は無闇な外出を避けて修行に励もう・・と云う意味合いもあるとか諸説色々あるようだが、ボク的には前住職さまの教えを口伝しようと思っている。

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飯南高原大雨事情 

2018/07/06
Fri. 23:40

予定では吉田家裏庭整備の1日に当てていたのだが、前夜から猛烈な雨になっていた。
それで、無理はやめて休養日にしようと気持ちを切り替えた。
ワイフの方は、午前中から時間講師で出かけて、午後はもう一つの仕事に回って夕方遅くに帰宅することになっている。

目が覚めても朝の雨がかなり激しくてやみそうもないし、自宅でゴロゴロしていてもどこかしら落ち着かないまま6時になり7時になって、そのうち寺の様子が気になり始めたら、もうジッとしていられなくなって8時前には休養日を返上することに決めた。

ワイフの通勤ルートが万善寺までの銀山街道へ半分くらい重なっているから、少し早めに石見銀山を出発して道の様子を確認しておくことにした。
今は太陽光発電のプレートがビッシリ並んでいる元瓦粘土の採土場を過ぎて江の川の支流にかかる橋を渡ってからアップダウンがしばらく続く山道へさしかかると、側溝のアチコチに溜まった枝木や落ち葉などが雨水をせき止めて道全体が川になっている。
対向車が過ぎると水しぶきが銀くんへドバッ!とかかって一瞬前方の視界がゼロになる。ワイフの車は銀くんより若干車高が低いからもっと大変なことになるだろうと、難所を過ぎて少し運転が楽になったところでワイフへ現状を連絡しておいた。

銀山街道と付かず離れず並行して流れる川が恐ろしいほどの濁流になっている。その濁流の水源が飯南高原の端にあたるから、あちらの方はもっと大変なことになっているかもしれない。そういえば、九州から広島にかけて大雨になっているらしいし、万善寺が余計心配になって先を急いだ。
「無理しちゃダメよ!何かあってもあなた一人じゃどうにもならないことなんだから・・」
銀くんを運転しながら、いつもはのんびり者のワイフが珍しくボクのことを気遣ってくれていたのを思い出した。
様子を見て寺に一泊しするかもしれないと言いおいてあったが、寺の周辺には大きな変化もなく保賀川の水量も増水はしているがまだ余裕があるし、それに濁りも少ないから少し安心した。せっかくだし、様子だけ見て何もしないで引き返すのももったいない気がして、勝手口から台所にかけて片付けておくことにした。

まだ大雨が降る前日に、建具屋さんが頼んでおいた台所の出窓サッシに取り付ける網戸を持ってきてくれた。その時「余って廃棄するしか無い網戸があって、それが勝手口に使えるかもしれないから・・上手く寸法があったらレール代だけであげますわぁ~」と云ってくれたので、「使えるものだったら、是非ください!」とお願いしておいた。
それがなんとかなるだろうと云うことになって、それじゃぁこの機会に「少しでもキレイにしておこう!」という気になった。
ついでに、今まで窮屈に使っていた流し台から食器乾燥ケースを撤去したらずいぶんスッキリした。タオルを上手に使い回せば、流し台が有効に広く使えることを、バイトの経験で知っていたから、洗濯物がすぐ乾く夏の間だけでも思い切ってそうすることにした。

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吉田家限定特別助成金 

2018/07/05
Thu. 23:56

キーポンが東京暮らしを始めてから早いもので1年半になろうとしている。
今住んでいる社宅の入居が決まって、慌ただしく準備して引っ越しして仕事に慣れて日常の暮らしが落ち着いた頃から、「ピアノ買ってぇ〜〜♡!」とか「ピアノ欲しい〜ぃ♡!」とか、何かの機会を見つけてはオヤジへせがむようになった。
こうなると、あとは父娘どちらが根負けするか勝負しているようなもので、日常の慌ただしさに紛れて記憶の彼方へ忘れ去っていると、彼女の誕生日が近づいて、プレゼントをネタに「買ってぇ~♡!」が始まる。
なんとかノラリクラリ話題をそらしていると、クリスマスが近づいて、またプレゼントをネタに「買ってぇ~♡!」が始まる。
仏教の坊主にキリストさん事情は混同できないと宗教的条件を持ち出そうにも、自分自身が少年時代から万善寺の場合は世界の宗教が都合よく混在して特に気にすることもないで大きく育った経緯もあって、なかなかノー!と言えないところもあるから、またまたノラリクラリ話題をそらすことになる。
そうこうしているうちに年が変わって1年が過ぎてまた誕生日が近づいてくる・・・

いつまでも父娘でこういうことを繰り返していてもキリがないから、どこかで「一区切りつけないとなぁ〜・・」とぼんやり思っていたら、突然じゅん君が中古車の更新費用を補助してくれと泣きついてきた。
こちらの方も、前々からさりげなく車の更新話を漏れ聞いていて知らないふりして逃げ続けていたのに、気づかない間にボクのバリアの外堀から少しずつ崩されていたようなところがあって、仕方ないからコツコツ貯めてきた500円貯金などをかき集めてじゅん君へ送金した。

その500円貯金は本当ならノッチがシンガポールにいた頃に「私がいる間にコッチへ遊びに来ない♡」と優しく誘ってくれたことがあって、それの旅行費用に当てようと貯め始めたものだった。
それが結局、ジジババの葬式などでキャンセルになったまま、今度はフロリダに行ってまた「私がいる間にコッチへ遊びに来ない♡」と優しくノッチが誘ってくれたから、それで気を取り直して本気になって500円貯金を再開しつつワイフと日程調整をしたが、それも上手くいかなくなってつい1ヶ月ほど前に最終的に断念したところだった。

そんな、オヤジの涙ぐましい地道な貯金活動は、幸か不幸か、ソコソコそれなりの成果があって、眼前の事実に向き合ってみると、土壇場でかろうじて機能してしまったりするものだから、「アレは最初から無かったことだとあきらめて忘れたらそれですむし・・・」と、大した未練もなくその時々の事情に合わせて有効利用し続けている。
そして、じゅん君の必要経費に当てた残りが都合よくキーポンのピアノ購入補助金に化けた。なっちゃんの結婚式でご祝儀に切り崩してから1年の間にソコソコ溜まっていたわけでなかなかあなどれない。
この500円貯金もイザというときの助けになっているということが証明されたような気もしていて、最近は500円を貯めることに何かしら喜びを感じるまでになった。

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梅雨本番 

2018/07/04
Wed. 23:53

飯南高原とその周辺に点在する禅宗寺院の大般若会法要が一巡して一段落。

昨年までは、万善寺だけがポツンと離れて8月にあった。
そもそもの大般若会法要の意味合いから、地域の事情を考慮した春から初夏へかけての時期に法要を集めたほうが妥当だとして、住職を引き継いでから何年もその気持を温めていた。それが今年になってやっと具体的に実践できたことになる。

島根の飯南高原あたりは毛利元就さん以降寺院の改宗などで浄土真宗が殆どになった。
その中で禅宗は臨済宗2ヵ寺、曹洞宗3ヵ寺が現役で機能していて、他宗も含めて他の幾つかの寺院は廃寺か空き寺か兼務寺になる。
大般若会法要を厳修するのは現役で機能する禅寺だけで、それぞれ手間替え随喜する。

大般若会は、原則として600巻の大般若波羅蜜多経典を転読する佛法興隆国家平安身体安全祈祷としてとても重要な法要になる。各寺院の住職が導師を勤め、大般若理趣分経を読み通し、同時に随喜の方丈さまが大般若波羅蜜多経を転読される。
住職の理趣分経作法は寺ごとに口伝されたものでそれぞれ違うが、住職の世代交代もほぼ落ち着いた最近は、特におたがい申し合わせるわけでもなく、なんとなく随喜の方丈さまに負担のかからないような工夫が各寺院でされるようになってきた。
ざっくりいうと、割愛も出来ない大事なポイントを抽出して法要を簡易的簡潔にまとめるということ。
正式な法式に沿って法要を勧めたら相当長いことになって、お参りの檀信徒さんもグッタリ疲れて祈祷どころではなくなって本末転倒と化す。
時代の流れに流されてばかりもよろしくないが、世間の目が向く先を無視もできない。
大事なのは、それぞれの方丈さまが経典の根本をしっかり自覚して粛々と念を込めて一つの法要に向き合うということだと思う。
もっとも、万善寺住職のナンチャッテ坊主は、なかなかキッチリと念の入った理趣分経読み込みが出来ないで恥ずかしい始末だが・・・

とにかく、6月に万善寺が終わって、7月に入って昨日厳修された臨済禅寺の大般若会で今年の各寺院が一巡した。なんとなく気持ちもスッキリして清々しい・・・といったところだが、天気の方は思わしくなく、法要が終了するのを待っていたように、曇天が増して雨になった。梅雨だから仕方ないことだが、それにしても最近の島根全域はいつも以上に水含量が増して、このまま雨が続くと災害を避けられないところまできている。
寺のことはもちろんだが、石見銀山も気になるし、断続的な豪雨の続く銀山街道を北上して夕方少し早めに吉田家へ帰着した。
珍しくクロが愛想よく出迎えてくれた。シロもどこかから現れて甘え鳴きしながら抱っこをせがんできた。ネコチャンズも豪雨の天候不順で落ち着かないのかもしれない。
ワイフに帰宅を伝えて荷物をおいてシロを抱きしめてやった・・・のだが、それが気に入らなかったのか?突然腕の中でもがき始めておもいっきり引掻かれた・・・汗をかきながら大般若波羅蜜多経を転読したのに、ボク自身へのご利益は付いてこなかったようだ・・

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突然一瞬多忙万善寺 

2018/07/03
Tue. 23:58

先月の終わり頃になって法事が立て込んだ。
「基本年中暇万善寺」が「突然一瞬多忙万善寺」になって、住職の暮らしが一時期大きく変わった。

些細なことも含めて一つずつ上げればキリがないが、強いて「コレだ!」と云えば、食生活に炭水化物が激増したこと。
年齢のせいもあるのだろうか、最近は食欲をあまり強く感じることが薄らいで、日頃から朝食と昼食を併せてお昼前後の1食と、あとは吉田家でワイフの手料理を夕食に堪能させてもらって、その時にちょいと1杯やれば、それで1日が満足して終わる・・・という日常に慣れていた。
その日常が法事の連続で乱れた。

法事の度に頂く斎膳弁当、お餅と赤飯、法事まんじゅう、和菓子・・・どれも、あまり日持ちのしないものばかり・・・
法事が終わって斎の席をしばらく過ごし、「坊主は中座が習わしとなっておりますので・・」と断って少し早めに席を辞して寺へ帰ると、まずはお布施以下、法事の一式をお供えして、それから御下がりを一つずつ確認して、日持ちのするもの、夜の留守番諸氏の好物、ナマモノなどなど仕分けする。
お布施は頭の黒い夜の輩にとっては好物だろうが、いつも留守番しているネズミ達にとってはそれほど興味が無いものなので、そのままご本尊様へしばらくお供えする。
海苔とか麺類などの乾物やクッキーなどの洋菓子とか調味料詰め合わせなど日持ちのするものは三方へ懐紙を広げてこれもしばらくご本尊様とか両祖様とか位牌堂とか、それに豊川様へ分配してお供えする。
一考を要するのは、夜の留守番諸氏の好物を仕分けすることと、日持ちのしないナマモノのお供え管理・・・これは、原則として夕方の本堂巡回にあわせて御下がりとして庫裏へ持ち帰ることにしている。
最後に、斎膳弁当・・・これは、さすがに仏様へお供えするわけにいかないので、大体はワイフへのお土産にする。

そして・・・贅沢にも有難く坊主頭を抱えてしまうのは、生菓子やお餅赤飯。
これは、吉田家へ持ち帰っても冷蔵庫でパリパリに固まって眠り続けることになるか、テーブルの端に放置されてカビの温床になるか・・・だいたい先行き粗末なことになってしまうので、万善寺の冷凍庫でしばらく保管することになる。
お供え餅は、包丁が入るほどの硬さを見計らって切り餅にした後冷凍庫行きとなる。
この、万善寺冷凍庫がこの度連続した法事でオーバーフローした。
その冷凍庫から溢れた幾つかは冷蔵庫で保管するがそれも限りがある。

結局この1週間あまり、毎日寺の一人飯は冷蔵庫から溢れた麺類と餅と赤飯を順繰りに回転させながら、和風洋風手を変え品を変え味を変え食べ続けている。
それで今夜は3巡目のパスタ・・・これでやっとあと一束茹でればパスタ完食となる!

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台風接近 

2018/07/02
Mon. 23:06

台風が近づいている。このままだと日本海へ抜けるようだ。
島根県は台風の通過経路になることが多い割には太平洋側のように大きな被害が少ない。
万善寺はというと、北側に山を背負っていて、東には海抜1000m級の琴弾山があって、南から西に向けて保賀の谷が開けている関係で、台風が日本海側へ来ると風当たりが強い。

もう数十年は前のことになるが、台風通過の影響で局地的な突風が保賀の谷を通過した時、土蔵のトタン屋根がソックリ吹き飛ばされて上空で一回転して寺の畑へ舞い落ちたことがある。その時は隣の家の車庫も被害にあったが、保賀の谷のそれ以外の家も場所も全く被害を受けなかった。その時の私はまだ通勤族で島根の各所を移動していて寺で落ち着いて暮らす前だったから詳しい状況は寺ぐらしの老住職夫婦から聞き取るしか無かった。彼らの話を総合すると、たぶん小規模な竜巻が保賀の谷の西から東へ通過したのだと想像できた。
屋根が吹き飛ばされた時に慌てた両親がすぐに連絡をよこして大騒ぎして落ち着く様子が無かったから、とにかく急いで寺まで帰ってみると、トタン屋根の形がそのまま壊れないでひっくり返って寺の一段低い境内地の畑へフワリとかぶさっていた。
すぐに大工さんを呼んでブルーシートで土蔵の応急処置をしてから、数日かけて屋根を分解解体した。
その時の屋根の廃材は、地道に本堂の床下まで移動して、それから後、少しずつストーブの焚付に裁断していまだに使い続けている。

今どきトタン屋根の土蔵は珍しい。
私が少年時代の昔は、檜皮葺きの屋根だった。その檜皮葺きの頃も、大風が吹くと檜皮のパーツが何枚かパラパラめくれ飛んで、その度に屋根葺きの職人さんへ修理を依頼していた。それが毎年台風シーズンになると頻繁に続くので、トタンに張り替えることにした。
本当は土蔵の管理上瓦葺きが屋根の重しにもなってベストなのだが、当時から万善寺の財政は厳しかったからそれも叶わなかった。

この近年は、年々気象状況が悪化して一昔前ではありえないほどの大きな被害が多発するようになった。梅雨から秋の台風被害に冬の雪害や、先頃の島根県中央部地震被害と、寺の管理者としてはほぼ1年中気の休まらないことが増えてきた。
庫裏の南側にある檀家さん寄進の昔ながらのガラス戸も、土蔵がある御蔭で大風の影響を直接受けないですんでいるが、これで土蔵を解体することになったりすると、台風の風がダイレクトに庫裏のガラス戸を直撃することになる。

朝から少しずつ風当たりが強くなっている。
石見銀山のことも心配でワイフに問い合わせたら、向こうは特に気になる程でもないようで、それより見慣れない野良猫が彷徨いてクロが興奮してそれが気になっているらしい。
ボクによく似た性格の内弁慶で小心者のクロのことも心配ではあるが、ひとまず吉田家のことはワイフに託して、万善寺管理者は台風の様子見で一晩寺へ泊まることにした。

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2018-07