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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

変な癖 

2018/07/21
Sat. 23:31

また訃報が入った。
今度は流政之さん・・もうかなりのご高齢だったと思うから、きっと大往生だったろう。

私がまだ美術方面の基礎的な勉強をしている時、油絵とか日本画とか、「絵を描く方面の選択肢は無いだろうな・・・」と漠然と決め始めていた頃、神保町の古本屋さんで流政之さんの作品集を見つけて、それから暫くの間、頭の片隅に流さんの彫刻の映像が張り付いて離れなくなって困ったことがある。
受験用の課題でイメージ構成の立体造形をつくると、どこかしら「流っぽい」造形になって、流さんの彫刻の真似をしているような気持ちになって、自分ではそれが嫌で、少しの期間チョットしたスランプ状態になったことがあった。ちょうど自分は「具象か抽象かどちら・・・」に向いているのかよくわかっていなかった頃でもあった。
今はどうかわからないが、当時は美術方面の受験勉強と云うと、いちばん大事なポイントがデッサン力であって、平面でも立体でもまずは客観的で正確な観察眼と具象的表現力が重視されていたように思う。それに対して、自分の主観的感性とか造形性は評価の対象として「変な癖」と看做されるようなところがあって、「お前は、そういう癖があるから、それ以上伸びないんだよ!」などと指導教官によく云われていた。
流さんの彫刻を観ていると、どこかしら具象抽象の傾向が感じられて、抽象のベースには具体的な素材とかテーマとかがあって、それがとてもわかり易くシンプルな造形に昇華されていて、あの頃の自分に素直に入り込んだ。
その後・・・まぁ、自分ではそれなりの苦悩の日々が続いたものの、いつの頃からか「まずは受験の壁を乗り越えるしか無いことだ!」と割り切ることが出来るようになって気持ちの整理がついた。それで、変なデフォルマシオンを捨てて、観えたものを観えるように素直に写し取ることに専念していたら、平面も立体も、自分では面白くもなんともないつまらないモノしかできなくなって、そのあまりにも特徴のない地味な普通さが功を奏して、特に上手でもなく、かといって下手でもなく、良いところも無いが大きな破綻も無く、総じて欠点も波もない無難な仕上がりの受験課題作品ができあがるようになった。
それからしばらくして、流政之さんの回顧展のような大きな企画個展が何処かであった。
竹橋の近代美術館だったかもしれないが、確か其処ではイサム・ノグチさんの個展があったはずだし、石彫の彫刻が混ざり合って場所を思い出すことが出来ない。
制作年代やテーマごとにパネルで仕切られた展示室には、かなりたくさんの流彫刻があって、そのムーブマンを一つ一つゆっくり時間をかけて間近で観ることが出来た。図録の写真からでは伝わらない造形のコンセプトが観えた気がした。

まだ勉強中のことで色々ふらついていたが、少なくても流政之さんの彫刻に接したことで自分の造形が抽象の方向へ傾いていったことだけは確かだと思う。当時は前後して沢山の造形作家や造形作品をチェックした。それらを精査して整理すると具象にはない抽象の奥深さや広がりのようなものに気持ちが引かれる自分がいることに気付いた。
別に、頑固に深く具象や抽象の境界を気にすることもなく、好き嫌いで造りたいものを造っているだけだが、やはり性格なのだろう「自分は抽象がスキなのだろうなぁ〜」と流さんの彫刻が教えてくれた気がする。結局それが自分の「癖の元」なのかもしれない・・・

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