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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

遺影の人 

2018/07/27
Fri. 23:49

町内の集まりに出かけていたワイフが訃報を聞いて帰った。

吉田家の家族が石見銀山で暮らしはじめたときの家は、今の自宅から1kmくらい銀山の坑道方面へ登っていった先の大森小学校の近くにあった。
その大森小学校へ長男のじゅん君が1年生で入学して、それから吉田家4人の子供たち全員が大森小学校を卒業した。

引っ越しをした年の大森小学校には、新1年生があと一人入学することで、かろうじて複式学級を回避することが出来るという、とても重たい現実があった。
私達夫婦はそのことを知った時、町民人口500人程度の小さな石見銀山の町へ引っ越しをするかしないか二者択一の選択肢で少し悩んだ。
吉田家が石見銀山で暮らすことになって、じゅん君が大森小学校へ入学することが彼にとって良いことなのかどうか・・・大人の都合とか地域の事情とか親の教育方針とか、小学校に入学前の小さな子供にとってはどうでもいいことだし、自分の意志で決められることでもない。
結局、じゅん君は幼稚園からの友達と別れて、大森小学校へ入学し、なっちゃんは小学校の端に併設されている大森幼稚園へ転入園した。

じゅん君が大森小学校へ入学することになって、元々入学予定だった大田小学校は1年生のクラスが1クラス減った。じゅん君一人が入学するかしないかで、一方は複式学級を免れ、一方はクラス減になったことになる。
そのクラス減になった大田小学校の当時の校長先生が大森小学校の隣りにある浄土真宗のご院家さんだった。大森小学校を真ん中にはさんでクラス減になった小学校の校長先生のお寺と、大森小学校1年生になるじゅん君が暮らす吉田家があったというわけだ。

訃報のヌシはその当時大田小学校の校長先生だったご院家さんで、行年85歳だった。
あの時の学校選択決定は間違っていなかったと自分では思っている。
しかし一方、自分の個人的主観の先で地域の教育に若干の迷惑を掛けたことにもなる。
せめて通夜にはお参りさせて頂こうと、改良衣に着替えて万善寺を出発した。
葬祭会場は石見銀山の小学校の隣のお寺ではなくてJA葬祭会館の虹のホールだった。それが故人の遺言だったそうだ。寺院方控室へ通されると、浄土真宗のご院家さん方が40名ほどお集まりで、曹洞宗は私一人で、あと一人は日蓮宗の坊さんだった。
経本を見ながら正信偈を読ませてもらった。
祭壇の遺影は、ネクタイにスーツの正装だった。
ご導師のご法話では故人の生前の幼少時代から学生時代の秀才ぶりが語られた。
喪主挨拶では主に故人の学校教員から校長時代の教育者としての功績が語られた。
ネクタイ姿のご院家さんの遺影が目の奥に焼き付いて離れない。

帰宅したら、シロがサッと逃げた。私の改良衣にビックリした様子だ。
翌日の葬儀にはワイフが参列してくれた。弔事では、現職時代の学校関係者に続いて、門徒総代から本堂屋根替などの住職としての業績が少しだけ語られたそうだ。

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