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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

台風襲来! 

2018/09/30
Sun. 23:05

徳島の夜は楽しかった!
坊主家業の御陰で毎日メシが食えている身としては不謹慎なことだが、やはり彫刻の世界に浸る至福のひと時は何にも代えがたい喜びであり、気持ちも華やいで若返る。翌日のこともあるので深酒を気にしながら飲んで1次会がお開きになったところで宿舎へ帰った。

早朝に徳島を出発して瀬戸中央自動車道へ入った時は、風速10mの海風を受けて銀くんがかなりふらついた。
倉敷に入ってから何処かのサービスエリアへ寄って朝食にしようと思っていたのだが、それほど空腹も感じないし、行けるところまで走って、腹が減ったらコンビニで済ませようと計画を変更してひたすら島根県を目指した。
萬善寺へ着いたのはお昼少し前だった。
徳島へ出発するときに寺の洗濯機へ投げ込んでおいた大衣などが脱水を終わってそのままだったから、そういう家事をひと通り済ませてからコーヒーを入れた。
徳島を出発してから飲まず食わずで萬善寺まで帰ってきたから一杯のコーヒーで胃袋のかたちがわかった。
ウエブニュースによると、島根の方は台風の影響もほとんど無さそうだ。

工場では、縦100cm横100cm高さ250cmの彫刻がやっと溶接が終わった・・・
ディスクグラインダーの砥石を新しいのに付け替えて仕上げの作業へ入る前に彫刻を工場の外のデッキへ運び出そうとしたら、ドアが狭くて彫刻を外へ出すことが出来ないことに気づいた・・・
寝かせても斜めにしてもどうやってもどうにもならない・・・
あとは、ドアのある壁をぶち壊すか、せっかく溶接した彫刻を半分に溶断で刻むか・・・
悩んだ結果、彫刻を溶断することに決めて、プラズマ切断のスイッチをONしたがピクリとも反応しない・・・
コンプレッサーの具合を確認したらこれも電源が落ちている・・・
電気の問題かもしれないとブレーカーを確認したが正常で問題なく、工場の明かりもきちんとついている・・・
焦って業者さんに電話したら今日は日曜日・・・
ついさっきまで工具も正常に動いていたのにどういう事になったのだ???・・・
工場の外は猛烈な嵐になって地面に並べてあった鉄板がヒラリと空へ舞い上がってそのまま工場の壁に突き刺さった・・・
もう1枚の鉄板が自分めがけて真横から飛んでくる・・・
「あぁ〜〜〜もぉ〜〜〜だめだぁ〜〜!!」・・・というところで目が覚めた。

・・・すべてが夢だった・・・それにしても、リアルな夢だった。
六本木の彫刻制作は搬入まであと1日ほど余裕がある。ナニが起きるかわからないし、最後まで気をつけながら慎重に残りの仕事をしなければいけない!
風がかなり強くなって寺の外が騒がしくなっていた。ナニカが断続的にぶつかる大きな音が境内から聞こえる。
工場のデッキへおいた彫刻が心配だ。吉田家へは工場経由で帰ることに決めた。

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ボクは逃げない! 

2018/09/29
Sat. 23:14

どうも最近の報道は情報量が多すぎてポイントを一つに絞りきれなくて困る。
台風のことにしても、一つ一つのデータが詳しすぎると云うか、島根県にとっては遥か沖縄の台風通過情報は特に神経質に気にする必要も無いのだが、色々なメディアに同じ動画とか同じ記事が繰り返し登場していて、逆に事態の重要さが希薄に感じられてしまったりするのはボクだけのことなのだろうか??・・・例えば、台風の予報であれば、進路の先々の状況を当該地域限定で予報してもらえるだけで十分だと思うのだが・・・
もうすでに台風が通過した地域の被害情報はその地域にとって重大で重要な情報であるわけで、それぞれの地域の実態に即して取捨選択した情報提供が大事なことだと思う。

その、どうも一つに絞りきれなくてよくわからない台風情報を収集しながら四十九日の法事に出かけた。
飯南高原は雨も風も普通で法事を一つ厳修するには特に大きな支障は何もない。それでも、坊主としては途中で休憩を一つはさみたいところだが、施主さんの意向とかお墓参りの都合を考慮して一つ通しの次第に切り替えた。
MCナシの1時間半ブッ通しソロライブはけっこう体力を消耗する。フラフラになりながらお墓参りまで済ませて萬善寺へ帰宅した時はすでにお昼を少し回っていた。
急いで着物や大衣などをたたんだり洗濯機へ投げ込んだりして昼ごはんも食べないまま銀くんへ飛び乗った。

徳島の野外彫刻展が日曜日からスタートする。
島根からだと瀬戸中央自動車道経由でだいたい4時間とチョットで会場へ到着する。
前夜祭では出品の主だった彫刻家が集まって簡単なパーティーになるから、それを目指して萬善寺を出発した。
途中は台風の影響も無くて、とても楽な移動になった。
高松道を徳島県へ入った頃にはもうすでにパーティーの時間になっていたが、まずは薄暗くなった公園へ回って前に搬入設置した彫刻へパーツの最後の一つを組み入れた。これでやっと今回の野外彫刻が完成した。
搬入してから雨が何度か降った御陰で、彫刻には適度なサビが広がって制作の痕跡が薄らいでいた。
それからあらかじめ案内されていたパーティー会場へ合流したら、ちょうどタイミングがピッタリで私の自己紹介を兼ねた作家挨拶の順番が回ってきた。
なんとも落ち着かない1日になったが、それでも無理をして徳島へ出かけてよかった。

久しぶりに彫刻の会話で盛り上がった。
島根にいるとこういう機会はゼロに近い。
彫刻のことで自分の考えていることや日頃から気になることなど、時々は自分の言葉にして口に出して伝えていくことはとても大事なことだ。それをするから自分の制作の目標も定まるし、制作から楽に逃げることが難しくなる。自分の近い未来を自ら同業へ語ることで自分の彫刻制作を追い込むことになって踏ん張りも効く。
今年の冬の個展も少し宣伝した。これで、個展をキャンセルすることが出来なくなった。

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かたちが見えた 

2018/09/28
Fri. 23:53

工場から帰ると家は真っ暗だった。
いつものように、ネコチャンズはボクを無視している・・・
ワイフが帰ると車の音を聞いただけでクロは土間の格子戸めがけてすっ飛んでいくし、シロはフギャフギャ甘え泣きしながら何処かから湧き出てきてソワソワと落ち着かない。
アイツラは人間のように嘘もつかないし裏表もないことは解っているから腹も立たないしガッカリもしないが、少し寂しい・・・
仕事の汚れをシャワーで流して、麦とホップをプシュッとやったところで、ネコチャンズがドタバタとうるさくなった。どうやら、ワイフが帰宅したようだ。
「ノッチ帰っていったわよぉ〜」
「今朝、出掛けにそんなこと言ってたから・・・ヤッパリ帰ったんだ・・」
ノッチの帰省はなんとなく慌ただしくてにぎやかで、これからやってくる台風のようだった。

しばらく前に、島根県の彫刻仲間で学校の先生をしている木彫の作家からメールが来た。
奥出雲の小品展の案内を送ってあったからそのことかと思ったら違った。
もう何年も一緒に東京へ彫刻を出品していた彫刻仲間だったのだが、最近は制作から遠ざかって出品もしていなかった。
公募の美術団体はどこも会費を納めて搬入出や美術活動の情報提供の便宜を受けたりしながら制作活動を続けることになる。それが、彫刻も造らないし出品もしないしで会費を納入しているだけでは、なんとなくお金の無駄に思えるものだから、何時だったか、直接本人にそのコトを云ったことがある。
その時は、制作の時間がないとか、またそのうち制作を再開するつもりだとか、そのような話だったが、私には、なんとなく彫刻制作に対する意欲が薄らいで、彫刻表現の方向性を見失っているように思えた。
いずれにしても、こういうことは本人の気持ち次第で決まることだからまわりがえらそぉ〜にドウコウ言えるものでもない。それでその後とくに何も接触のないまま過ぎていたのだが、小品彫刻展のように島根で彫刻関連の何かをする時は一応情報提供だけは続けていた。

メールは、公募の団体を退会する旨の内容だった。これから先、また彫刻制作の条件が整ったら制作を再開するとあった。
本人の事情は本人でしかわからないことだが、私としては少々残念ではある。彼が初出品をしたり初入選をしたりした時から長い間同じ展覧会へ搬入出の寝食を共に苦労してきたわけで、そういうことがふと思い出されて寂しさもある。
一方、こうした避けることの出来ない淘汰の世界は表現者の一人として強く自覚しておかなければいけないことだと思う。自分の表現の枯渇は自分の日頃の精進の蓄積で回避できることだ。表現の手段は彫刻だけではないし、他に彫刻以上の魅力ある表現手段が見つかればそれでいい。
「ひとまずはそういう期待を忘れないでいよう・・・」
溶接をしながらそんなことを思っていた。彫刻制作は今の処だいたい順調に進んでいる。

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守破離 

2018/09/27
Thu. 23:26

徳島の野外彫刻を造り終わって搬入したあと、一度工場を片付けてザッと掃除をした。
ワイフが見ているテレビでは、しきりに台風のことを報道していて、それも気になる。
週末には徳島中央公園の野外彫刻展がオープニングを迎えるが、北上している台風がそれを目指すように東寄りに進路を変えてくる。
いつもはだいたいがヒマに暮らしているボクにとって、この週末は1年に何度もない試練の日々になりそうだ・・・

工場の次の制作は、六本木の展覧会で出品する野外彫刻。
ちょうど1年くらい前に、石見銀山で個展をしないかと地元のアパレル会社のボスから誘いがあった。
そのボスとはもう30年ほどの付き合いになる。
きっかけは彼の店で彫刻の個展をしたこと。
それが縁になって、その後定期的に個展をして今度の誘いが確か4回目になる。
今年の六本木の彫刻は、個展の連作で考えていたうちの1つを造ることに決めていた。
この彫刻のテーマは、かれこれ4〜5年あたためてきた。
少しずつ試作を繰り返して工法の様子を見ながら、自分の気持の中で彫刻のかたちとかバランスとか配置とかスケールなどの要素が固まってくることを待っていたところもある。
1年前に個展の話をもらった時から雰囲気を確かめていたが、やっと無駄なかたちを捨てられるふうに気持ちが向いてきた。野外彫刻は不特定多数の目に入るから、どこかしらひとの感を刺激する要素も必要だとは思うが、それは必要最小限にとどめておこうと思う。

私が彫刻を造るようになったのは、10年の東京ぐらしを切り上げて島根県へUターンした年からになる。
学生の頃は金属工芸の技術習得や素材研究などをしていて本格的に彫刻の勉強をしたことがなかった。社会人になって仕事をしながらその合間を縫って同時進行で制作の実践を積み重ねながら少しずつ彫刻の造形感を身体で覚えた。
金属工芸の勉強をしていたときの師匠は、多くを語らないで「見て覚えろ!」的な職人の棟梁のようなタイプのひとだった。
その師匠を通して「守破離(しゅはり)」を知った。
当時は、単純に知識だけのことでその意味を頭で覚える程度のことだったが、なんとなく自分のこれからの制作にとって「とても重要な要素になっていくのだろうなぁ・・・」と漠然と感じるものもあって忘れないまま今に至っている。
最近はその守破離が自分の彫刻にとって大事なことなのだと実感することが増えた。たぶん、なにか一つの要素が崩れたり偏ったりして全体のバランスが乱れることが増えてきたからだと思う。体力や身体能力が気持ちの充実とか高揚についていかなくなっている自分を感じる。自分の現状とクールに向き合わないといけない。これから先、納得できるだけの彫刻はそんなにたくさんできるわけでもないことだから・・・

「わたし、そろそろ帰るね」・・・ノッチが朝のうちにそう云っていた。
久しぶりの石見銀山で、少しは心身のリフレッシュになったのだろうか?

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ノッチ様様 

2018/09/26
Wed. 23:59

ワイフが腕によりをかけて手料理をつくっている。
久しぶりのノッチへあれもこれも、食べさせたいものがたくさんあるのだろう・・・
「わたし、何を食べても美味しいとか不味いとかあんまり気にならないの・・」
ノッチは、昔からだいたいそのようなことを云っていた。
そのわりに食通なところもあって、私の知らない食べ物のことをたくさん知っていたりするし、ジャンクフードが大好きだと公言したりと、振り幅が広い。

吉田家の彫刻家達にとって、ちょうど今の時期は六本木の展覧会に向けて大作彫刻を造っている時期だから、ノッチの帰宅がそれに重なってワイフも落ち着かない。
一晩くらいは家族揃って外食もいいだろうと誘ってみたら、
「そぉ〜ねぇ〜・・・ノッチ次第ネ!」とワイフが云って、
「イコイコ!里見八犬伝!」とノッチが云って、
「そうじゃなくて、八剣伝だから・・」
ということになって、夕方から焼き鳥の八剣伝へ出かけた。
ソコソコの街なら何処にでもあるチェーン店だから特にどうということもないが、その店には私のジム・ビームが置いてあるし、炭火の焼き鳥はそれなりに美味いし、季節ごとにその店オリジナルの一品や、〆の飯や麺類もあるし、店員さんも私のことを覚えてくれていて、席につくとさり気なくキープのボトルを用意してくれるし・・・まぁ、色々と面倒がなくてチョイと飲むには都合の良い居酒屋だ。

「今年は原点に帰ってみるつもりなの」
何時だったか、ワイフがそんなことを云っていた。
その時は、彼女が彫刻のことを云っているのだとは思っていなかったのだが、それからしばらくして3✕6板の建材用ウレタンボードを買い込んで吉田家にある彼女の制作部屋へ搬入していたから、それで「原点に帰る」意味がつかめた。確かに、彼女の今の彫刻テーマが決まった初期の頃には彫刻素材にウレタンボードを多用していた時期があった。
島根県を代表する女流彫刻家のワイフは、最近では山陰地方から中国地方一帯を代表しても良いくらいに彫刻の質レベルを上げている。
家事をしながら子育てをしながら美術の時間講師をしながら町内外の色々な役員を受けて四六時中ドタバタと忙しくしている合間を縫って彫刻を造っているのだからたいしたものだと思うが、それ以上に凄いのはその彫刻の質が落ちないままキープできていることだ。
だいたいが目先の優先順位が高いところから順番に仕事のヤリクリをつけて、自分のことが後回しになって、適当に辻褄を合わせたヤッツケ仕事で終わらせてしまうことが多いのに、彼女の場合はそういう手抜きをすることがない上に、今回のように向上心もあって制作意欲も盛んで寝る間を惜しんで徹夜までする。
一応、坊主彫刻家の吉田正純も、それなりに失敗のないように彫刻の質を下げないように意識しながら制作を続けているつもりではあるが、やはり昔のように無理な踏ん張りが効かなくなって制作のスパンがだらしなくなってきている。

こんどのノッチの帰省が刺激になって自分の気持がかなりハッキリと切り替わった。
たぶん、ワイフも同じように刺激を受けていると思う。ノッチ様様です!

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ノッチ帰る 

2018/09/25
Tue. 23:49

アジアを旅行していたノッチが関西空港へ帰ってきた。
そこからバズに乗って直接出雲市まで移動して、石見銀山の吉田家まで帰ってくる。
私の方は、ちょうどお地蔵さんの縁日と重なって萬善寺のことでドタバタしていたから、ワイフがスケジュールを併せてノッチを出雲まで迎えに行ったりすることになった。

ノッチと逢うのは久しぶりのことだ。
私の方は日本の近場をグルグルと行雲流水の暮らしが続いているが、ノッチの行雲流水はスケールが違う。
彼女が小さい時は、何かにつけてプリプリと機嫌の悪いことが多かった。
私がノッチのお風呂当番でよく彼女の髪を洗ったりしていたときも、シャワー嫌いでだいたいいつも抵抗して狭いお風呂で大騒ぎだった。中学校に入った頃から反抗期になりはじめて、毎日気難しくふてくされた顔つきでいた。高校のときに1年ほどケンタッキーのルイビルでホームスティした。彼女が留学をしたいと云ったときに、学校を留年することになるだろうと密かに覚悟していたが、そのころからノッチの自立心が急激に芽生えて、必要最低限の努力で最大限の効果を得るための処世術習得がめざましく成長した。気がつけば、自分で進路を決めて留年することもなく大学まで卒業して、シンガポールの仕事を決めていた。

昨今のカオスジャパンで、ガチガチに凝り固まったクソ真面目な生き方より、ずっと自然で自分に正直でいられて、それでソコソコ生活に困らないほどの仕事が出来ていられるだけでもたいしたものだ。
いつまでも親離れできないで反抗期が延長したまま親に甘えて我儘放題の大人になるよりは、少々ガキっぽくて思慮深さに欠けて周囲に迷惑をかけるようなところはあっても、サッサと親離れして自立して、なんでもおおよそ一人で片付けてしまうような大人になったほうが面白い人生を過ごせるだろう。
我が子だから親の思い通りに育ってほしいなどと、親の期待が負担になるような人生はつまらない。自分の一生は一度だから、死ぬときになって後悔しないように生きてほしいと、強いて言えば、それがオヤジの私の願いである。

寺の用事を片付けて吉田家に帰ったら、ネコチャンズがご主人様を出迎えるわけでもなくそれぞれ勝手に好きなところでゴロゴロと留守番をしていた。猫に主従関係は成立しない・・・というより、むしろ私など「ニャァー!」のひと鳴きで戸の開け締めをしたりご飯や水やトイレの世話をしたり、彼らにこき使われている。そのネコチャンズが突然それぞれムクリと起き上がって、クロは土間の入り口へ走り、シロは珍しくワイフの寝室へ入り込んだ。
何事かと思っていたら、それからしばらくして「ただいまぁ〜〜!」と、あの懐かしいノッチの声が聞こえた。
小さなコロコロトランクひとつ持ってアジアから吉田家に帰ってきた。
「クロ!ダメ!ダメよ!!」
脱走を試みたクロを叱りつけるワイフの声がいつにもまして大きかった。

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お地蔵さんの数珠繰り 

2018/09/24
Mon. 23:13

ワイフが、ポテトサラダとりんごのケーキと、「今年の新芋でつくった芋けんぴもあるからね」と、あといくつかのお茶のおもともを持たせてくれた。

地蔵供養の法要は夜になってからだが、「夜になってから出かけるのはチョットたいへんなものだから・・・」という人もあって、そういう人のお参りは自分の都合で出かけやすいときに萬善寺の参道をヨイショと登ってこられるから、住職が留守にするのも失礼なことだし、法要の準備は1日かかるわけでもないのだが、ひとまず早朝から庫裏玄関の鍵を開けて急なお参りに対応できるようにはしておく。

ワイフの心づくしの手料理などを適当な鉢に移し替えて、いつでもお茶席へ出せるようにしておいたら、あとは何もすることが無くなった。
そろそろ9月も終わりだし、衣替えの時期が近いから、洗濯のできる大衣を洗っておくことにした。物干しの関係で一回に2着しか洗えないから、衣替えの洗濯だけでも1週間位かかってしまう。隣町のお寺はこの時期に法衣屋さんへ預けてクリーニングと縫い物の補修をしてもらうのだそうだ。ケチくさいことだが、萬善寺の財政ではとてもそれだけのことが出来ないので、とにかく自分でできることは自力で乗り切るようにしている。
縫い物もするが、針に糸を通すことが出来ないから今年になってハズキルーペを買った。結構高かったが、大衣のクリーニングよりは経済的なのでずいぶん重宝している。

お昼前に近所のおばあさんがお供えを持って来られたので、お地蔵さんの御札を渡しておいた。それから夕方にかけて3人のお参りがあった。
あまり良い天気とはいえないものの、かろうじて雨降りは回避できそうだと思っていたら小雨が落ちてき始めて、参道の舗装が濡れ始めた。
その参道は側溝が無いから、雨が降るとそのまま雨水が集まって川のようになってしまう。お参りのみなさんが慣れない夜道で滑って転ばれても困るし、それが気になってチョット不安になりつつお茶会のテーブルを整えていたら、最初のお参りがあった。
それから少しずつお参りが増えて、予定の時間少し前にいつものメンバーがおおよそ集まった。
先祖供養の塔婆を書いてくれと申し出があって、急きょ塔婆回向もすることになった。恒例の行事なら次第進行が乱れて迷惑になるから個人交渉は断ることにしているが、お地蔵さんの日はお参りも少ないし、塔婆回向で時間のロスも無いから引き受けることにした。

数珠繰りが終わって、説法にもならないお話を少しほどしてお茶会に入った。
昔の人は、仏様を名指しで信仰の対象にすることが多かった。「私はいつもアソコの三叉路の角にある観音様のお堂を拝んどるんよぉ〜」と、誰かが言い始めると「私は○○のお地蔵さんへはよくお参りしとるけぇ〜」とか「最近体調が悪くなってきたけぇ〜△□薬師さんへ参ることにしたんよ!」などと、仏さんや信心参りの情報交換が始まったりした。
少し前までは、萬善寺の豊川稲荷さんにも朝夕お参りがあったりしたものだ。
今回の地蔵供養のお茶会は病気と病院の情報交換で話題が盛り上がっていた。お参りのみなさんも、1年毎に確実に1歳ずつ歳を重ねていらっしゃる。

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地蔵盆 

2018/09/23
Sun. 23:52

本堂の正面階段へ仮置きしている永代供養の墓碑前に豪華な生花があふれるように活けてあった。
秋の彼岸入りは過ぎているし、それでもと思って岡山から帰った朝、丈夫な青葉を境内の端から切り取ってお供えしておいたのだが、そのひと枝が邪魔に思えるほど見事に華やいで、萬善寺の薄汚れた本堂が色めいている。

毎年、9月の24日を地蔵盆の法要に決めていて、今年もそのお知らせを発送しておいた。
いつもは、少し余裕にあるときに町内へ点在する40軒程のお檀家さんと保賀の各家をぐるりと回ってプリントしたお知らせを1枚ほどポストに投げ込んでおくのだが、それだけでも全部回るのに3時間近くはかかるし、今年はその時間の余裕が無くて、結局徳島へ行く前に夜なべで封筒詰めをして郵送しておいた。
お彼岸の方は、春彼岸で供養法要をするから、特にお檀家さんへお参りにお知らせをすることはない。飯南高原では秋の農繁期でアチコチがあわただしい最中だ。そういう地域事情もあって、地蔵盆の法要は夜になってからスタートする。お経が終わってからお地蔵さんの御真言をとなえながらお参りのみんなで大きな数珠を時計回りに回す。最後にお茶会をしてお供えしておいた御札を配る。

「忙しいとは思うけど、また今年もお茶会の茶口よろしくね♡!」
ワイフは、秋の展覧会に向けて彫刻制作に忙しくしている。
その制作の手間を少しばかり借りて地蔵供養の茶口をつくってもらうことになるから、できるだけ彼女の負担にならないようにさり気なく気遣いながら食材の材料代込みの薄謝手当を手渡しながらお願いしている。
「去年は何だったっけ??」
そう聞かれても、1年前の茶口の内容まではメモで残していないし「ポテトサラダとりんごのケーキはあったと思うなぁ?」・・・よく覚えていないまま記憶を手繰ってそのくらいに応えておいた。あとは、彼女の都合でなんとかしてくれるだろう。

今度の法要で本堂の荘厳をすることはないが、それでもザッと掃除してお供え物を整えて経木塔婆へ奉請を書いた。
「紙へ書くより筆が早くダメになってしまうんだよなぁ〜・・御札だし紙の印刷にしようかなぁ〜・・・」
「印刷って有難味がないじゃない。塔婆書きなんて2時間の映画一本観るの我慢したらできるんじゃないの?お供え頂いてるんだから、筆の1本くらいケチらないでそのくらいしなさいよ・・」
ワイフへ塔婆書きの愚痴をいったら、ボクのケチ臭い言い訳に軽くダメ出しが返ってきた。毎年のお参りも10人くらいだし、事付けも含めて15枚も書けば足りる。
寺の昼食はオヤジのひとり飯で、久しぶりに塩ラーメンをつくって食べた。
それから食器類を準備して、ワイフのつくってくれる茶口を受け取りに夕方になって石見銀山へ帰った。

2018地蔵法要ご案内 (1)
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次の彫刻は・・ 

2018/09/22
Sat. 23:13

意識の遠くの方で渓流の音がエンドレスで聞こえている。
巨岩の隙間を縫うように流れ落ちるいくつもの小さな滝が、ソコソコで滝壺をつくっていて、それがまた次の小さな滝になって張り出した岩を叩いて飛沫が散っている。

銀くんのシートを倒して車中泊した。
車中泊は先代の結界くんで慣れているから全く苦にならない。それに、島根に比べると岡山はずいぶん暖かくて、防寒用のシュラフを使うこともなかった。
とにかく、高級な旨い酒の御陰でスッキリと気持ちよく目覚めた。
渓流の音がうるさくて我慢出来ないほどになって、完全に覚醒した。
顔を洗って歯磨きをしたいと思ったが、近くに適当な浄水が見当たらなかったから、途中のサービスエリアまで我慢することにして銀くんのキーを回した。
由加山から萬善寺まで、ゆっくりと走って3時間ちょっと。結局、顔を洗うのもめんどくさくなって、そのまま寺まで帰った。

七日務めの用意をしていたら、施主さんの親戚から着信が来た。
だいたい何時くらいになるだろうかの問い合わせだったので、今から寺を出かけようと思っていることを伝えた。
お母さんが永眠されてからあと、その施主家では身体が不自由で歩けない息子さんが一人で暮らしている。訪問介護が時々来るようだが、トイレのことは一人で這って済ませているらしい。
頭はしっかりして口も達者で、それにプライドが高すぎるくらい高い人で、そういう性格のこともあって、親戚の方も一歩下がって様子を見ながら付き合っている感じだ。
四十九日が近いし、息子さんは一人で何も出来ないから、時期を見て寺へ問い合わせが来たふうな様子だった。

「ロウソク線香は、火事が怖いけぇ〜点けんようにしとるけぇ〜・・」
奥の間の床へ四十九日までの仮祭壇を用意して、1週間毎に七日務めのお経を読む。
息子さんがああいう状態だから、花を替えたり墓参りをして七本塔婆の世話をしたりすることはすべて私が代行で済ませている。マッチは湿気って火がつきにくいし、香炉の灰は湿気って立てた線香が最後まで灰になってくれない。
ふすま一つ隔てた隣の部屋でほとんど寝たきり状態の息子さんと襖越しに会話をして、親戚さんからの電話のことなどを伝えて四十九日の法事の手配を済ませてからお墓参りをした。縁側のガラス戸も、私がお邪魔する七日務め以外では開くことがないのだろう、1週間分の空気が部屋中へ停滞して湿っぽい。

住職の坊主家業と彫刻家の切り替えがあまりに頻繁で、なかなかスッキリとスイッチが切り替わらなくて困る。
岡山からの帰りは、銀くんを運転しながら延々と次の彫刻の制作工程をシミュレーションしていた。彫刻を一つ造る前に、気持ちの中ではもうすでにほぼ完成した状態でいる。タイトルはもう決まっていて、それが今度の個展のテーマになるはずだ・・・

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雲水彫刻家 

2018/09/21
Fri. 23:03

倉敷の児島と水島の間くらいのところに美味しいコーヒーを飲ませてくれる友人がいる。
自宅は倉敷の方だが、由加山の参拝古道脇にあるコーヒー屋と養蜂業でミツバチの世話をするために1週間で3日位は通って店を開いている。
いつ行っても開いているわけではないから、今回のように四国へ用事があるときなどは、あらかじめ彼に連絡を入れて様子を確認することにしている。

徳島へ彫刻の搬入を終わらせて、四国から瀬戸中央自動車道へ乗ったのはお昼を少し過ぎたくらいだった。
児島のインターチェンジを降りて、鷲羽山方面へ回って瀬戸内海を展望したりして、それから由加山へ向かった。
明日中に寺へ到着していればいい。
私が由加山へ廻ることが連絡網で回って、陶芸家と草月流の二人もコーヒー屋へ合流することになった。
陶芸家の芝さんと草月流の西本さんは富山町の彫刻イベントで個展などをしてもらってお世話になった。コーヒー屋の森山さんは養蜂業もしていて書道家でもあるなかなか風流な文化人で、彼も富山のイベントに参加してくれた。

由加山への古い参詣道は普通車がやっと通れるほどの渓流沿いの狭い道で、渓谷の風景に趣がある。
コーヒー屋はその狭い参詣道と巨岩の重なる渓流の間にある小さなスペースを目一杯使って建っている。
基本的に駐車場はない。参詣道の少し幅広の場所を探してソコに銀くんを駐車した。
森山さんはコーヒーを自家焙煎しているから、私の好みに合わせて絶妙の焙煎でコーヒーを入れてくれる。
あんなにフルーティーで美味いモカを飲んだのは何年ぶりだろう?口の中に何時までもコーヒーの香りが残って、それだけで旅の疲れを忘れる。
渓流に住む山雀がしきりにテーブルにある餌場に舞い降りてひまわりの種をくわえて飛び去っていく。
山雀はくじ引きの鳥でお宮には縁が深い。昔々は、由加山でもくじ引き芸を仕込まれていたのかもしれない。今に住む山雀もその末裔か何かでおみくじ芸のDNAを引き継いでいるのだろうか?とにかく人懐っこい。

夕方になって山雀が巣に帰って、それから少しして芝さんがやってきて、チョチョイッといちじくの生ハム巻きをつくってくれた。
それが良いおつまみになって響がより一層旨くなった。
コーヒーがウイスキーに変わって、島根から持参の地酒が加わった頃におつまみの家庭料理を持って西本さんが来た。
それから焼酎も出て、打ち止めがビールだった。
贅沢な彫刻搬入旅行になった。
たまに、こういうことがあるから、行雲流水がやめられない・・・

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銀くんデビュー 

2018/09/20
Thu. 23:01

1日工場へこもって野外彫刻のパーツを完成させたら、少し仮眠して徳島へ出発する。
銀くんの彫刻搬入本格デビューになる。
先代の結界くんよりシートが華奢になったぶんだけ、荷台スペースがずいぶん広くなった。
今度の野外彫刻も、高さが2mチョットでスケールはおおよそ予想通りに仕上がりそうだ。このパーツは、溶接の総延長距離10mくらいで、補強のパーツなどを若干溶接すれば終わりだから、ゆっくり時間をかけても夕方にはすべて作業が終わる。

夏が猛暑だったせいか、今になってヤブ蚊が盛んに飛びはじめて、溶接をしていると無防備な首から後頭部にかけてコレでもかと云うほど群がって刺してくる。溶接中はじっと動かないように身体を固定していなければいけないから、ひたすら痒みを我慢するしか無い。なかなか作業に集中できなくて無駄に体力を消耗してしまった。
彫刻を造っていると、けっこうハードに身体を動かしているように思うかもしれないが、実は坊主でお経を読んでいるときと殆ど変わらないほど身体を固定していることが多い。
溶接や溶断などの作業に集中していると、フッと思考が消滅して座禅の瞑想に近い状態になる時がある。
身体の揺れが止まって、工場の床に自分の足の裏が張り付いた感じになって、重心が少しずつ臍のあたりまで下がってくるふうに感じる。そういう時は、あとでグラインダーを使うと、彫刻の溶接面がきれいに仕上がって無駄がない。
彫刻を一つ造る間に、雑念が抜ける瞑想状態になることはそれほど多くない。今回はヤブ蚊に邪魔されてかなり制作が乱れてしまった。

搬入の準備を整えて、吉田家経由で萬善寺へ移動した。
彫刻の重心を下げるために寺で保管してある玉石の土嚢袋を積み込んだ。
瀬戸中央自動車道を経由して徳島の彫刻展示会場へ午前10時位到着を目指して出発した。
長距離を走る時は、体力の消耗を避けるために地道で60km、自動車道で80〜90kmの定地走行をする。
最近あおり運転の被害が多発しているらしいが、そういうことは今に始まったことでも無くて、昔から普通にあったように思う。気がつけば、自分のほうがあおり運転らしきことをしていたりすることも時々あって、ワイフが助手席に乗っていたりすると「あんた、そんなに急ぐことないでしょ!もっと車間距離とらないと・・」などと、うるさく注意される。
運転の癖のようなものは誰にでもあることだから、少々タイミングのズレがあってもすぐにイライラしないように気持ちの平静を維持することが大事だ。
徳島駅の裏側にある、公園のゲートへ着いてから彫刻展主催の松永さんへ電話を入れた。
公園のいつもの場所へ銀くんを乗り入れて、だいたい20分ほどでセッティングが終わった。
移動時間4時間半は、自分としては全く気にならない日帰りコースだが、せっかくだから帰りは、少し余裕を持って倉敷の友人を訪ねてみようと思う。

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チャチャッと彫刻 

2018/09/19
Wed. 23:21

数年前から出品をさせて頂いている徳島中央公園の野外彫刻展は、だいたい9月のお彼岸が終わったくらいからスタートして11月のはじめまで会期が続く。

今年も彫刻制作を計画しつつ奥出雲の小品彫刻展や寺のことをしていて、もう、これ以上制作の取り掛かりが遅れると彫刻にならないくらいまでのタイムリミットギリギリまでかたちの考えを引きずっていた。
こういう制作スタイルは、もうずいぶん前から決まってしまっていたようなところがあって、何かの拍子で何かに躓いたりすると、もうそれでその時の彫刻は完成しないまま終わって、関係各所に多大な迷惑をかけることになるのだが、一方、自分では気持ちの何処かに「そうなったら、それはそれでイイや・・・」と、自分の彫刻をクールに投げ出してしまっているようなところがある。
「なんか、正ちゃん、彫刻造るの早いから、ありがたみに欠けるわよね!」
近所の衣料雑貨会社オーナーのトミさんには、私がいつもチャチャッと彫刻を造っているふうに見えているようで、いつもそう言われる。
「構想はエンドレスで1年中続いているから、彫刻はそれでズッシリと重たくなってるんですよ!」
さりげなく軽く返しているが、内心まさにそのとおりで、今度の徳島などは1年どころかもう何年も前からいろいろ工夫して試作したりしながらギリギリのところで踏ん切りをつけた彫刻になるはずなのだ。
他人には気づかないところで、見えない工夫をしているから、制作上の工程は前後や裏表の失敗は許されないことで、そういう場面で些細なミスを一つ犯すと、それだけで完成の予定がかなり狂ってしまうほど繊細であったるもする。

随分前のこと・・・まだ、東京の展覧会場が上野公園の都立美術館だった頃、何時になくたっぷりと時間をかけて、その上見習いの助手志願の娘に制作の一部を手伝わせて、そのときに造りたいかたちをひたすら徹底的に造り込んでコテコテの彫刻に仕上げたことがあった。
それまでやりたくても出来なかったことが出来て十分に満足できるほどの彫刻になって晴れ晴れと最高の気分で搬入して陳列展示してその夜は打ち上げの美酒に酔いしれた。
次の朝、会期の始まった会場へ出かけて自分の彫刻の前に立つと、どうもいつもと違った違和感のようなものを感じて、前日の高揚が一気に消沈した。
記録の写真を撮るなどして島根へ帰って現像に出したフィルムを見直してみると、面倒臭いほどデコデコといらないものばかりがアチコチへベタベタ張り付いて最低の彫刻になっていた。それが、結局は会場で感じた違和感の元だと気づいたときはすでに遅し・・・
未だにあのときの失敗を時々思い出すとゾッとして寒気がする。
時間も手間もあればあるだけ良いというものではない。
時間があるなら、ギリギリタイムリミット直前までかたちの推考を繰り返すことに使ったほうが良い。手間があっても結局は限界まで自力で乗り切る覚悟がないと、自分の責任の着地点が狂ってしまう。
年齢相応の表現を常に客観的に正視できる自分であり続けたいと思っている。

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再スタート 

2018/09/18
Tue. 23:27

1年間フロリダで仕事をしていたノッチが帰国して、今はなっちゃん家に転がり込んでいる。

日本で新しい仕事を探すのも、きちんとした住所が決まらないといけないし、住民票のこととか健康保険のこととか、色々な手続きが必要になってなかなか大変そうだ。
オヤジの私のところへも戸籍謄本を送れと云ってきたので、寺の用事の合間に役場へ出かけて住民課の担当さんへ問い合わせたりして結構面倒だった。
世間をモヤァ〜っと見てると、自分の周辺でも「○○ちゃんがオーストラリアの農場で働いている」とか、「△△さんがアフリカの何とかという国に行ったきり帰ってこない」とかいう話を漏れ聞いたりして「世界はずいぶんと近くなったものだ・・」と漠然に思っていたりしたが、実情は出国も入国もかなり厳しくチェックされていて、それらをすべてクリアするだけでもかなりのエネルギーを必要としているということがよくわかった。
それだから余計に、この度無事に帰国したノッチのアクティブ過ぎるほどの行動力が「凄いことだ!」と思えてくる。

そんなわけで、現在のノッチは日本の暮らしを再スタートするための各種事務手続きを続けながら、再就職の就活をすることも少しばかり休憩して、ひとまずは自分のスキルアップも兼ねた小旅行を続けている。
先日は、2年半ぶりくらいになるだろうか?昔働いていたシンガポールへ行って、当時の友達に再会したようだ。
そこからベトナムとかタイとかを経由して関空へ帰ってきた。
今は、家族や友人の間でも、普通にどこでもSNSのやり取りで情報交換が簡単にできるから、一昔前のようなタイム・ラグも無くなって心配でもあるが安心する。

私の方は、家族LINEで交わされるそういうノッチの時時の様子を確認しながら奥出雲の小品彫刻展を切り盛りし、萬善寺のお檀家さんの訃報を受けて葬儀を済ませ、そうこうしながら頭の中では野外彫刻のかたちを最終段階まで練り上げ、やっと本格的に久しぶりの工場通いをスタートさせた。
前回工場へ通っていたのはいつの頃だったか、思い出そうと思って記憶の糸を手繰ってもすぐには思い出せないくらい彫刻制作から縁遠くなっていた。
これから順繰りに季節が巡って春が来るのか不安になるほどまだ雪がタップリ残っていた2月の頃だった。それから半年・・・今回の野外彫刻は、あのときに小品の彫刻を造っておおよその方向性を確かめておいたものをベースにして制作をしようと決めている。
搬入搬出の移動のこともあるから、まずは今の相棒銀くんの寸法を測って、それを工場の壁に立てかけてあるコンパネへチョークで写した。積み込みスペースを決めてから彫刻の制作へ入るなど、ずいぶんと打算的に割り切った彫刻になってしまいそうにも思えるが、それはそれなりにスケールのバランスの緊張感を考えてのことであるし、制作の方向性で妥協をしているわけではない。
鉄板を狭い工場の床に寝かせて、直接チョークでドローイングするところからはじめて、ほぼ全てのパーツを切り出すのに1日かかった。

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ボクの立場 

2018/09/17
Mon. 23:17

三連休の最終日は、奥出雲の後片付けで会場復元に当てていたのだが、初七日などの萬善寺仏事が重なって、またスケジュールが変更になった。
しばらく前に、ノリちゃんが連絡をしてくれて会場の後片付けを手伝ってくれることになっていた。主催者であるボクが自らドタキャンをしてしまって、彼女にはとても悪いことをしてしまった。連絡を取り合って善後策を相談して、あとは彼女に甘えることにした。

今更ながらのことだけど、私は二紀会の彫刻部に属していて、東京の六本木には毎年少し大きめの彫刻を出品している。
島根にUターンしてから本格的に彫刻の勉強を初めて、最初は研究発表の意味も兼ねて二紀会へ出品をはじめた。
それまでは何年も金属工芸の作品をつくっていたのだが、自分の気持が少しずつ彫刻へ傾いていた頃にワイフと知り合った。ワイフは学生の頃から金属彫刻の研究室で勉強していてその時の指導教官が二紀会彫刻部の委員だったから、彼女はすでに学生の頃から研究作品や卒業制作を二紀会へ出品していた。結婚して二人で島根にUターンした後も、専業主婦をしながら彫刻の制作を続けて、島根から二紀会の展覧会がある東京まで業者搬入をした。
島根で運送業者を探すことや彫刻の梱包のことなどの手間を手伝っていたら、彼女の彫刻だけ発送したり搬入搬出をしたりするだけの労力がもったいない気もしてきて、どうせなら自分も彫刻を造って一緒に出品したほうが良いと思うようになった。
それが始まりで毎年出品を続けることになって今に至っている。

島根くらいの田舎から、毎年東京を目指して彫刻制作と出品を続けることは、精神的にも肉体的にも物理的にも財政的にもなかなかの試練になる。
基本的に怠け者で飽きっぽい性格の私が、よく途中で挫折しないでここまでこれたものだと我ながら感心する。
ここまでの歳月はとにかく記憶にあるだけでも色々な出来事があった。
それでもなんとか継続できたのは、やはり自分の生活を彫刻制作優先に組み立てていたからだと思う。
この近年・・・というより、先代住職の憲正さんから住職を引き継いだ頃から、自分に降りかかる仏事のアレコレを避けることが出来なくなった。それで、結局寺のことが優先になって彫刻のことを後回しにせざるを得なくなってきた。
そろそろ10年になる島根での小品彫刻展も、少しずつスケジュールの不具合が増えてきてアチコチへ迷惑をかけることが多くなった。このまま、今の状態が続くかもっと悪化すれば確実に展覧会の継続は難しくなる。

今年も、これから二紀会彫刻部の展覧会に向けて少し大きめの彫刻制作を始める。
いまのところ、おおよそのかたちはイメージ出来ていて、工場へ通い始めたらなんとかそれなりの彫刻にはなってくれるとは思うが、昔のように十分納得するまでじっくりと落ち着いて時間をかけて鉄に向かうことはできにくくなっている。
そろそろ、次の展開をどうするか決める時期に差し掛かっている。

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行雲流水ー旧ガラス工芸館 

2018/09/16
Sun. 23:48

気がつけば小品彫刻展も最終日!
今回は準備中から今までに一二を争うほどの色々なことがあった。

少し余裕を持って会場へ到着してオープンの準備をしていたら、早速来客があった。
ソコソコ良い天気だし連休ということもあって人の動きが活性しているのかもしれない。

奥出雲の展覧会場は、元々地元出身でガラス工芸の修行をしていたガラス作家が、バブル時代の箱物行政に招へいされてスタートしたガラス製品の博物館を兼ねた制作工房だった。当時は土間にガラスの焼成炉があって、そのガラス作家が制作したガラス製品を展示しながらガラス工芸館の運営をしていて、受付事務などで地元からの雇用もあって賑わっていたようだ。
私は、まだ奥出雲との縁もそれほど深くなくて、どちらかというと、鉄の彫刻を造っている関係でたたら製鉄絡みの付き合いが始まったばかりの頃だった。そのたたら製鉄関連の施設や木工の施設も次々と建造されて、島根県の山間部ではダントツに活気のある地域に思えた。
それからしばらくして岡山に本部のあるデザイン専門学校の奥出雲進出が決まって、ガラス工芸館のすぐ近くにカッコイイ校舎が出来た。その校舎には登り窯も造られて、1年に数回ほど学生や地元有志の制作作品を焼成していた。
そのデザイン専門学校が出来てしばらく経ってから奥出雲との縁が深まりはじめた。

奥出雲は、そばの産地でもあって、地域全体では10軒近くの蕎麦屋が点在している。
そば好きの私にとっては、そば関連の情報が入る度にイソイソと出かけて、アチコチで美味いそばを食べ歩いた。
彫刻展の方も、いずれは奥出雲の何処かで開催できると良いと思っていて、蕎麦の会に参加しながら地道に情報収集を続けていた。そうしたら、なんと、当時デザイン専門学校の校長先生だった石彫の彫刻家が「学校の隣の施設が空いてるよ」と教えてくれて、それが昔賑わっていたガラス工芸館だった。

ガラス工芸館で制作活動を続けていた工芸作家はその後病気になって、それが完治しないまま亡くなった。
ガラスの焼成炉を可動させることの出来る作家をしばらく探していたようだが、結局それもうまくいかなくて閉館が決まった。
今は、なにかのイベントで使用することがあっても、1年間で1ヶ月も利用されることがないまま年々老朽化が進む状態だ。元々行政の建てた施設だから管理も行政でされているのだが、今の行政は施設の利活用にまで積極的な検討をすることも考えていないらしい。

広島の福山からのお客さんは、ずいぶん久しぶりに観光と温泉巡りで山越えして来たということだった。まだガラス工芸館が機能していた頃のことを微かに覚えていて懐かしがっていた。
昨年奥出雲へUターンされたご婦人は、娘さんが当時のガラス工芸館で受付をされていて懐かしがっていた。
そういうこともあって、展覧会開催の意味もある気がしている。

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行雲流水ーお葬式のあと 

2018/09/15
Sat. 23:27

本堂の東側には山鳩の夫婦が仲良く暮らしている。
軒の何処かの野地板か何かがズレたか腐ったかしているのだろう場所があって、そこから上手に本堂の天井裏へ入っているようだ。其処まではまだ見逃してもいいと思っているのだが、時々天井板の隙間から本堂の中へ入り込んでウンコを畳の上に落とす。
何もない時なら乾くのを待って掃除機で吸い取ってから科学雑巾で乾拭きをかけておく。
それが、今は通夜から葬儀にかけて祭壇の荘厳がされているから、そういうところへ入り込まれると少々厄介だ。
夜に寝ていてそのことが気になりはじめた。
朝早くから世話役さんたちが帳場に来られたりするから、それまでに本堂の下見だけはしておこうと、いつもよりずいぶん早起きをした。
さいわい、山鳩のウンコ被害は無くて安心した。

いつも朝食を食べることは殆どないが、食材が無いわけでもないから、それを無駄にしないように卵焼きなどをつくっていると、喪主さんの奥さんやお子さんたちが庫裏玄関から上がって来られた。萬善寺の庫裏は今風に言う葬祭会館を兼ねているから、今度のように寺で仏事がある時はお檀家さんへ南側の二部屋を開放する。
昔ながらの田の字のつくりで台所までの使用までは開放していないのだが、チョットした水回りの用事を片付けようと勝手知った様子で出入りされるから、住職のプライバシーは普通に無視される。それでもと思って着物に着替えてから朝食にしたので、かろうじて見苦しい様子を見せないですんだ。

彫刻展の会場はお願いついでにいつもの奥出雲のオヤジさんへ頼んだ。
ワイフの方は私の用事を代行してもらった。
お葬式は昨日の雨も上がって納骨も無事に済んだし、初七日のおつとめも終わった。
とにかく、何から何まで落ち着かない3日間だったが、表面上はさりげなく平静を装って何事もなく過ぎた。
お昼を過ぎたところで、こまかいゴミや葬儀の残骸がアチコチに多少散らかっているものの、萬善寺のおおよそが復元されて元の様子に戻った。
急いで汗になった着物を着替えて洗濯機へ投げ込んでから奥出雲へ向かった。
会場を頼んでいたオヤジさんは、アプローチを草刈りまでしてくれていた。
ちょうど地元からのお客さんが彫刻を観終わったところで、私も知らないわけでもないからそのまま世間話になって、1週間前の選挙の話題も出た。それからオヤジさんには少し早く帰ってもらって、彫刻展の会場もたった2時間くらいでクローズの時間になったが、無理をしてでも駆けつけてよかった。
気がつくとテラスの手摺で山雀が物欲しそうにこちらを観ながら鳴いていた。人懐こい感じだから何処かの誰かにご飯をもらっているのかもしれない。

寺に帰るとまだ十分に明るかった。昼にはまだ残っていた生花の籠も撤去してあった。本堂前に黒いものがポツリと落ちている。何かと思ったらそれは立派なカタツムリだった。裏山ではしきりに山鳩が鳴きあっていた。

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行雲流水ー通夜の朝 

2018/09/14
Fri. 23:54

埼玉の千代子さんがカルチャースクールの生徒さんと奥出雲の会場を訪ねてくれた。
旅行の計画を展覧会の会期中に併せてくれたようだ。

通夜は夜だけど朝から本堂を葬儀用に荘厳しなければいけないから、それらのことは葬儀社さんと世話役さんへお願いして会場へ急いだ。
途中千代子さんから電話が入ってタクシーを頼んで向かっているとのこと・・・なんと気の早いことだ・・・
千代子さんは具象彫刻の作家で、二紀会彫刻部の委員で活躍していらっしゃる。
堅実で妥協のないシッカリとした彫刻は、日常のさりげない情景の一瞬を切り取ったような題材が多い。
今回の小品彫刻は模刻の習作に思えるテラコッタの可愛い3匹のウサギを送ってくれた。

具象の彫刻は完成までに結構時間がかかるから、飽きっぽくて短気なボクにはとても造れそうにない・・というか、造る気がしない。
彫刻家はその作家の性格や好き嫌いもあるから、それが彫刻の多様性になって面白い。
一方、変に頑固に自分の作風に執着する彫刻家もいて、コレがあまり意固地になると始末が悪い。
そもそも、「作風」というものは、おおよそ巧まずじて醸し出される「味わい」のようなもので、その領域に達すると本物で唯一無二の彫刻であり彫刻家と言える。
今の世間の殆どの彫刻家は、結局誰かの息や影が掛かっていたりして、その線を手繰っていけばだいたい心当たりの誰かにたどり着く。
彫刻家吉田正純も、まさにその一人で、私の造る彫刻はある日突然空から舞い降りたり降って湧いたりしたものでもない。

自分の周辺を断捨離している時、山本兼文氏のことが掲載された新聞記事が見つかった。
自分で切り抜いてスクラップしていたらだいたい覚えているから、たぶん新聞好きのワイフが記事に気づいて切り抜いておいたものだろう。
その山本兼文さんは、鳥取県の岩美町生まれで、学校の美術の先生から校長まで務めた立派な彫刻家であり教育者だった。
私が島根にUターンしてから後、彫刻のことでさんざんお世話になった。
田舎の地元で展覧会をすることの大事な意味を教わったことが、今の小品彫刻展に繋がっている。
都市部や中央彫刻界にばかり目を向けていては、田舎に埋もれた才能を引き出すことは出来ないと、具体に実践されたひとだった。

千代子さん御一行は、台風のごとく展覧会場へやってきて去っていった。
奥出雲から石見銀山へ移動してワイフとの会話もあったようだ。
一応住職のボクは、彫刻のこともだが、今はお通夜のことで失敗しないようにすることが大事。
通夜の夜は、お経の声も聞こえないほどの雨だった。ほんとにボクは雨男だなぁ〜・・・

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行雲流水ー枕経の日 

2018/09/13
Thu. 23:54

展覧会の接客が少し落ち着いてから、葬儀の世話役さんへ折返しの電話を入れた。

保賀の自治会は、上中下と3つの班に分かれて自治運営されていて、葬儀の時は、まずは喪主家のある班が集まって喪主家の意向を聞きながら日程や段取りを決める。
それから残り2つの班長へ葬儀日程の連絡をお願いして、詳細がひと通り保賀の全戸へ伝達されて、その後喪主家へ各家の代表が弔問を兼ねて集合し役割の相談が始まる。
私は上組の班長でもあるから、まずは連絡網の手配をした後、今度は菩提寺の住職に立場を変えて世話役さんとこまかな打ち合わせをすることになった。
昔々の萬善寺は、今の場所へ移築されてから俗に言う庄屋寺となって、農地や山林の管理で寺の収入を得ながら自営していた。その関係で、保賀の集落はほぼ全域が萬善寺の経営管理下にあって、其処に暮らす住民は萬善寺の小作として従事し生活を保証されていた。
だから、小作各家は日頃の付き合いで上下の立場が崩れないよう、旦那寺の萬善寺を避けて他の寺を菩提寺に選ぶことが多く、その名残が今に続いているから、20軒の保賀自治会で萬善寺のお檀家さんは4軒だけと少ない。
この度の喪主家はそのわずかなお檀家さんの1軒となる。

彫刻展の会場を坊主の都合で留守にすることも出来ないから、とにかく2度3度と接客の合間に世話役さんへ連絡をとって、落ち着かない1日になった。
クローズの時間まで待って、急いで萬善寺へ帰ってからすぐ改良衣に着替えた。
葬儀次第の相談を兼ねた弔問の時間に併せて喪主家へ当客した時は、すでに保賀地内の皆さん参集が終わっていた。
おおよその段取りが決まってやっと枕経を読むことが出来た。
近所のご親族はだいたいお集まりだったが、遠くでお暮らしのご親戚はまだお顔が見えない。確か、長野県か群馬県あたりに故人の娘さんが嫁いでいらっしゃるはずだ・・・

次は仮通夜でその次が通夜で土曜日が葬儀と決まった。
葬儀会場は、ナンと萬善寺!
もう、こうなっては彫刻展がドォーのコォーの云っていられない。
島根県内から出品の彫刻家へ電話をかけまくり、ワイフの都合も聞いたりしたが、まぁ、一般的に世間の都合はすぐに変えることなど出来ないのが今どきの常識だから、あっちへ聞いてもこっちへ聞いても「いやぁ〜〜、ちょっとそれわぁ〜〜・・」無理だと、だいたい似たような返事になって、万事休す!
坊主の神頼みと、すがるような思いで奥出雲の地元でいつも手伝ってくれるオヤジさんに連絡をしてみたら、「ハイ、良いですよ!」と、なんともアッサリ受付代行を引き受けてくれた。
とにかく、通夜や仮通夜は夜のことだから、昼のうちはなんとか自由も効く。会場当番も「出来る限り自分でなんとかしよう」とシャワーを浴びながらそう決めて腹をくくった。
1年をおおよそ平らにならしてみると、だいたいノンビリとヒマに暮らしている。
特に忙しいとも思わないが、やはり、長い人生重なる時は「コレでもか!」と重なるもので、それはそれで、どうにもならない。
まずは仮通夜・・・生身の故人と最後のお別れになる・・・

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予測不能 

2018/09/12
Wed. 23:25

彫刻展に毎年来てくれている奥出雲の地元のオジサンが今年も来てくれた。
とても熱心な人で、彫刻を1点ずつタップリ時間をかけて丁寧に観てくれる。
ワークショップがあると、それにも積極的に参加して、道具や材料も少しずつ自分で揃えて冬の農閑期に彫刻制作を楽しんでいらっしゃる。

今は奥出雲が展覧会の会場になっているが、石見銀山も富山町も浜田市のときも、展覧会の先々で必ず一人くらいは彫刻に惹かれて鑑賞や制作を楽しまれる方が現れる。
そういう、行く先々で彫刻を触媒とした出会いがあるということが、展覧会の企画を組み立てるエネルギーになっている。

朝のオープンを待っていたように、会場へ来てくれたオジサンと1年ぶりの再開の挨拶を交わして、今年の彫刻を一つずつ解説していたら電話の着信が来た。
話の途中でもあるし、そのままスルーしてしまおうとしていたのだが、なかなか諦める様子もなくしつこくブルブル鳴り続けるからオジサンとの会話を区切って会場の外へ出た。
発信を見ると、役場に勤務している保賀の自治会のオヤジさんだった。
週初めに防災の集まりがあった直後だったし、何か行政絡みの用事かも知れないと思ったが違った。
「萬善寺さんですか?お忙しいところすみませんねぇ〜」
「そんなに忙しくもないですが・・ところで、何か?・・」
「あぁ〜、それがですねぇ〜・・、実は○○さんが亡くなられまして・・」
「はぁ〜〜??○○さんですかぁ〜??・・」
その名前のヌシは私より3〜4歳年上のまだ死ぬほどの歳でもないオヤジさん。
「亡くなったのは、昨日の朝らしくて・・・今朝息子さんが気付かれてすぐに救急車呼ばれたそうですが、もう搬送も無くて・・」
「えぇ〜??昨日ですかぁ??・・」
展覧会の接客もあるから、かいつまんでザックリと様子を聞き取ったところで、
「今チョット手が離せないことがありますんで、少し後にこちらから改めて連絡させてもらいますから・・」と、自分の都合を伝えて、ひとまず電話を切った。
それからあとの接客の彫刻話は、なんとなく気持ちが上手く入らなくて話題がスベってきたから「先程は、お檀家さんの訃報の電話だったんだすよぉ〜」と、思い切って打ち明けた。
その彫刻好きのオジサンとは数年前からの顔見知りになっていて、私が山寺の住職をしていることはすでにご存知だから、正直に伝えたら「あぁ〜〜そぉ〜かぁ〜〜・・」と瞬時に納得された。

とにかく、今年の彫刻展はボクにとって外せない用事が次々に湧いてきてスケジュールがガタガタに崩れてしまう。
選挙戦や大雨のあとは、萬善寺の葬儀がぶつかってきた。
「お前もそろそろ彫刻を考え直して住職業に専念する時じゃないの?」と、須弥壇に安座される千手千眼観世音菩薩さまのお言葉が聞こえてきた気がするが、錯覚だったかなぁ〜・・

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観音様の御陰 

2018/09/11
Tue. 23:58

台風が通過してから秋雨前線が刺激されたのか、今ひとつパッとしない天気が続いていて、なかなかスッキリとした秋空になってくれない。
彫刻展の会場をオープンする時間から逆算して飯南高原を出発した。
前夜は、例の防災マップ作成に関する調査開始の説明などがあった。
飯南高原を大きく3~4ほどに分けてそれぞれのグループから自治会の責任者が集まってきた。50人以上は居たと思う。
議題へ入る前に15分ほどのDVDを見せられて、私はたった15分の間に寝てしまっていた。隣りに座っていたのは、夏に棚経でお邪魔するお宅のご主人だった。ひょっとしてイビキをかいてしまったかもしれないと若干不安だったが、済んだことは仕方がない。
年齢のこともあって、私の同級生たちの顔が結構たくさん集まっていた。
顔ぶれを見ると、それなりのご意見番で活躍していそうな連中だったから、そういうことは極力避けて生きている私としては、とにかく面倒臭いことにならないように、集会が終わるとすぐ彼等と目を合わせないように工夫しながら早々に退散した。

保賀の谷は、全体が真砂土でその上に腐葉土が被っている。
萬善寺の裏山も、私が記憶しているだけで2回は大きな土砂崩れがあって、その度に腐葉土がずり落ちて真砂土がむき出しになった。
観音様の御陰もあって、本堂の真裏で崩れた土砂は2回とも庫裏の裏を斜めに横切って西側の畑に向かってずり落ちた。
1回目の土砂崩れで裏庭の面積が半分になって、その痕跡を隠すように母親がセッセとサツキやツツジの挿し木をした。
2回目の土砂崩れは庫裏の隣りにある別棟の客殿の角をかすめて、長方形の家全体が平行四辺形になったうえに、土砂の一部が家の中に入り込んで壁や柱や建具を壊して畳の一部がダメになった。家のすぐ横の畑はその時の土砂で完全に埋まった。流石にその時は保賀の町内の男衆が総出で家屋内の復旧を手伝ってくれた。それからあとも、萬善寺は何度も自然災害に遭遇してアチコチに数え切れないほどのダメージを受けているが、すべて観音様の御陰によってその都度なんとか復旧して今に至っている。

国や県の防災計画によると、自分の住居が幾つかある災害防災パターンのどれかに該当する場合は、立ち退きを迫られるか、国の基準に則った防御壁を建造をするかしないといけないことになるらしい。
さて、萬善寺は調査の結果どういう対応を迫られることになるのだろう・・・
開祖さん以来、400年以上の歴史ある萬善寺が今の場所に移築再建されたのは江戸の中期になる。
戦国の頃は毛利と尼子の最前線で激戦地だった。そういうところに山の一部を削って平地をつくってアチコチから古寺の部材をかき集めて観音堂のような本堂が造られた。
それから250年くらいは過ぎて、いまの萬善寺は、地面から垂直に建っている柱は一本もない。同じ場所へ改築する気にもなれないし、まぁ、ボクの住職代に何かあれば萬善寺と運命を共にするしか無いだろう。
観音様の庇護も命運尽きて、災害で潰れてしまえば後腐れなくてそれも良い。

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行雲流水〜コーヒータイム 

2018/09/10
Mon. 23:12

さぁ!これから1週間、奥出雲の小品彫刻展が続く・・・

初日は、選挙と大雨で開店休業状態だったが、これからはそういうわけにもいかないからのんびりもしていられない。
移動の途中で、行政窓口が開く時間帯を狙って文化協会へ電話を入れた。町内へ告知放送をしてもらうためだ。
なかなか繋がらなかったが、やっといつもの担当さんと会話ができたのは、もう会場の鍵を開けたあとだった。
坊主や彫刻とフリーで毎日を過ごしていると、曜日の感覚が無くなって、土日祝日に休みになってしまう関係諸機関との調整がなかなかうまくいかない。これは、相手の問題というより自分の責任で生じた不具合だから、そういう失敗は「ごめんなさい・・」と謝るしか無い。

オープンの準備を済ませて、例のごとくコンビニコーヒーでくつろいでいたら、島根から出品の作家が出張のついでに訪ねてきてくれた。
彫刻の梱包材代わりに同封してくれてあったクッキーを開けて、寺から持参した澤井珈琲の豆をミルで挽いた。その間に、彼は丁寧に時間をかけて会場の彫刻を見てくれた。

10年近く同じコンセプトの展覧会を続けていると、主催者は毎回過去の失敗を修正しながらそれなりに新鮮な気持ちで展覧会を運営しているつもりでも、何処かに慣れのようなものが絡みついて大事なポイントを気付かないままスルーしてしまったりする。今年は展覧会の主催事務としてそういうことが頻繁にあって、出品作家諸氏には迷惑をかけた。
一方、出品作家もこの10年で制作活動に変化が生じた諸氏が散見された。
彫刻の向上や力量の好転は大歓迎だが、反対に制作の惰性が見えたり意欲がしぼんだりする作家もあって、主催として展覧会の質をキープする難しさを感じた。
奥出雲の会場は、この10年で一番狭い。
落ち着いた作りで雰囲気もあるし、照明も派手派手しくなくて適度な自然光も入って彫刻の量感がバランスよく伝わる。具象抽象の表現の違いはあるが、どちらもそれなりに作家のテーマとか素材の表情が彫刻の魅力になって目に優しい。
残念なのは、会場が少し狭いこと。
展示台の箱を50個も並べたらそれだけで会場がものすごく窮屈に見えて、展示された彫刻が落ち着かない。それで、今年は10個ほど展示台を減らしてみたのだが、結局展示効果はそれほど変わらなかった。

コーヒーを飲みながら彫刻の話をしていたら、時間がすぐに過ぎてお昼近くなった。
彫刻を制作していると云っても、ほとんどみんな他に生活を支える仕事を持っていて日常はそちらで忙しいから、少し無理をしてでも何かの機会をつくって色々なタイプの彫刻家と会話をするようにしていかないと自分の彫刻が前に進まない。
この展覧会も、彫刻出品で参加するのであれば制作の領域を少しでも広げてもらえるような情報交換の場になるといいと思う。

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行雲流水ーヒトゴトジンジ 

2018/09/09
Sun. 23:15

日頃の行いがそれほど悪いとは思っていないのだが・・・
どうも、奥出雲の彫刻展は何かしら色々あって年々ハードルが高くなっている。
昨年は初日オープニングを狙ったように台風襲来!
今年は奥出雲の町長選挙が初日に重なって、広報活動で事前にアチコチ訪問すると、チラシをバシッと受け取って、あとは知らんぷりの取り付く島もない。
役場や教育委員会は選挙準備で職員もほとんど居ないし、椅子を温めているのは課長係長クラスの偉い方々ばかりで受付カウンターまでの距離がやたら遠い。
おまけに展覧会初日は前線の影響を受けて1日中大雨!・・・
展覧会の事務もまだ残っていてそちらも気になるから、会場の受付を周藤さんへ任せて午後の早いところで早退させてもらった。
あとになって、周藤さんが1日の様子を電話で報告してくれた。
「おつかれさんですぅ〜・・・会場ゼロでした!」
やっぱり・・・まぁ、あぁいう状態だとボクでも「大雨の日にワザワザ出かけないだろうな・・」と確信を持って思ってしまう。
会場から帰りがけに少し遠回りして奥出雲の町内をトロトロと銀くんと流してみたが、選挙があるはずなのにダレも歩いていなくて役場のあるメイン通りでも人影を見ることがなかった。さて、投票率はどうだったのだろう??
・・・やっぱり、ボクの行いのせいなのかなぁ〜〜・・・

展示台搬入の時はかなり増水していた斐伊川の水位も普通になっていた。
ソコソコ安定している吉田家のWi-Fiを頼って、停滞しているデスクワークを少し片付けるつもりで石見銀山へ急いだ。
「防災調査の説明会が改善センターであるようで、その出席の知らせなんですが・・・」
保賀の自治会長さんから出席してくれとの連絡が入った。班長だし、春の役員会は勝手に無視して欠席していたから、その埋め合わせも兼ねて出席すると伝えておいた。
内容はよくわからないが、防災のことは1年ほど前から石見銀山の自治会で大騒ぎをしていたし、今年になって地震もあったりしたから飯南高原でもハザードマップ作成の事前調査に本腰を入れたのかもしれない。
とにかく、「会議」と称した招集がかかっても、その殆どは一方通行の説明会で、レジュメの下の方のその他の議題のところに「質疑応答」と書いてある程度のことだから、行政の「ヤッタゴト」対策というやつで済まされるようなことだろうとだいたい予測できる。
こういうことは、あまり本気になって頻繁に説明会を重ねて地域住民が身動きできないほどギュウギュウに締め上げられるのも窮屈でしょうがないことだから、少々こぼれて抜け落ちたくらいのゆるい条例くらいで済ませておいてもらいたいものだ。
イザという時は、やはり自分の身は自己責任で守ることを住民みんなが自覚すれば、それなりの覚悟も固まって個人がシャンとする。
どうも、ボク個人は行政とか組織とか仏教界も含めて大勢に流されることに馴染めない。世間の常識的な付き合いでは我儘も限界があるからそれなりに「ゴクリ!」と飲み込んでいるが、「他人事人事(ヒトゴトジンジ)」のサジ加減には敏感でいられるよう心掛けている。

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行雲流水ーサイズに関する一考察 

2018/09/08
Sat. 23:48

行雲流水が始まって、気がつけばもう週末・・・
銀くんの走行距離は1000km近くになって、石見銀山から東京のワイフの実家へ到着するくらいは走った。
毎日朝夕の往復が続くから、最近は無理してすっ飛ばすことをやめた。
何をどうしても絶対に1時間は過ぎるし、それでも1時間半ほどあればだいたい会場か自宅か寺かどこかへ到着している。
運転中は聞き逃して数年間に溜まってしまったPodcastのラヂヲを一つずつ再生して過去の様子を振り返りながら自分の記憶を取り戻している。

寺と奥出雲の移動は、docomoも圏外になるほどの山の中や谷の底に続くアップダウンのワインディング・ロードばかりで、コンビニは奥出雲に入ってからファミリーマートとポプラがあるだけ。
セブンイレブンやローソンは今の所進出していない。
移動中はバックミュージックとドリンク(主にコーヒー)が欠かせないボクとしては、この山道ルートが結構ストレスになってしまう。そこで、思いついたのが奥出雲のファミマでLサイズのコーヒーを道中の往復分で2つ買ってしまうこと。そうすれば、次の朝に冷めたコーヒーをチビチビやりながら過酷な山道をほとんどストレス無く走破できる。
まぁ、そんな感じで彫刻展の会場までアレコレ工夫しながら移動している。

コンビニコーヒーでは、ファミマが一番好きだ。理由はLサイズで180円と若干お得であるということと、濃くて苦めのコーヒーであるということ。
セブンイレブンはだいたい濃い目でボク好みであることは良いのだが、店によって味のばらつきが気になるし、一杯の量が少ないからチョットもったいない気がする。
ローソンは癖のない飲みやすい味で「店員さんがカウンターから手渡ししてくれるところがいいわ♡」とワイフはローソン派!
「カップ手渡しされると、どうも検尿思い出してイヤなの!」
セブンイレブンやファミマでコーヒーを注文する度にワイフはブツブツ小言を言っている。その気持もわからないわけでもないが、ブルーカラープロレタリアートのボクはまったく気にならない。

コンビニコーヒーで、ここまで語ってしまう自分もどうかと思いつつ、一方でコンビニコーヒー愛を愛おしく思ったりしている今日このごろ・・ファミマのコーヒー販売路線改革の情報が舞い込んだ。コーヒーメーカーの刷新を図って、現在の販売システムを変更することが決まったようだ。それで最大の痛手はLサイズが消えるらしい!・・ということ。
iPhoneもこの秋からの新製品はより大きくなるという言う噂だし、スマートフォン世間ではビッグサイズ化が加速しているのにコンビニコーヒーはその逆で縮小化つつある。
そろそろ10年近くになる小品彫刻展は、「小さい彫刻」の良さを引き出すための展覧会になりつつある。大きな彫刻とは違った小さいなりの彫刻表現密度も、現代の彫刻家にとってとても大事な造形技量の一つでもある。

ちなみに、ボク的にはコーヒーはLサイズ派、iPhoneはSサイズ派であります!!

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住職家業 

2018/09/07
Fri. 23:00

9月に入って、はじめての年回法事があった。
施主さんの先代夫婦の年回を一つにまとめてしてくれということで、事前に自作の杉板塔婆を2枚託されていたから、それに戒名など書いて持参した。

昔は、法事の度に施主家の裁量で塔婆をつくって菩提寺を迎えた。
坊主は、法事当日に30分ほど早く施主家へ出向いて、その場でサラサラと塔婆を書く。
萬善寺の先代住職も現役時代はだいたいそうやって乗り切っていた。
身体が動きにくくなった晩年から副住職の私が法事を引き継ぐことも増えて、同時に施主家の方も代替わりが増えて、法事当日のプロローグパフォーマンスでもある塔婆書きショーがうまく機能しなくなってきた。
「えぇ〜〜、本日は13回忌のご法事ということでお参りさせていただきました・・・、なにかとご心配のことでしょうが・・・ひとつよろしくおねがいします。ところで、塔婆のご準備はどのようで??・・・」
「・・・・・??、トォーバといいますと??」
「ご当家でご準備されてあると思いますが・・・」
「・・・?・・・エッ???ソォーなんですか??」
てなかんじで、お経の前からドタバタの大騒ぎになったりすることもシバシバ・・・

飯南高原に萬善寺のお檀家さんは少なくて、ほとんどが塔婆のいらない浄土真宗さんのご門徒さんばかりの土地柄もあって、施主家での申し送りが曖昧に済まされていたりすると、仏事の常識がほとんど欠落したまま法事を坊主の方が仕切ることになったりする。
萬善寺周辺でも葬祭業の浸透で仏事の不案内な施主家が一式丸投げの葬式仏教が増えた。
坊主の布教活動が怠慢であることも一因なのかもしれないが、まぁ、ボク的にはそういうややこしい仏事の決まりごとをクドクド説教しても、結局は聞く側の仏教信心の主体的な受け取り方の問題だから「ソォーいうことはあまり興味ないので」とか「難しいことはわからないので」とか「仕事が忙しくて」とか、なにかと都合の良いように言い訳されておしまいだったりする。
それで数年前から、自分で奈良県の間伐製材屋さんへ直接塔婆制作を依頼することにした。そうしておけば、法事の話が入った時に「それで、塔婆はどうされますか?」と一言事務的に問い合わせするだけで事前のドタバタが解消できる。

世間話をはさみながら家族だけのささやかな法事を済ませ、寺で着物を着替えて洗濯を済ませてから、斎膳の折弁当とお供えに頂いたピオーネの粒落ちパックを持って吉田家へ急いだ。
ブドウはなっちゃんへ土産にして、弁当はワイフへ土産にした。
最近は斎膳のほとんどが弁当になった。贅沢な話だが・・・法事の度に似たような詰合せの弁当を頂いていると、そういう、見た目重視の小洒落た料理より、ワイフの手作り家庭料理のほうがずっと美味しく感じる。それでも、彼女の方は「美味しい♡!」とか、「珍しい♡!」とかいって、結構喜んでくれえるので、粗末になることはない。残りは自分でありがたく完食させていただく。

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お駄賃は豆腐と野菜 

2018/09/06
Thu. 23:50

「洗濯物干すから少し待ってて」
出掛けにそう云っていたから展示台を詰め込んだ2tを銀山川脇の駐車場へ止めてワイフを待った。
台風は夜の間に日本海へ抜けた。
関西を中心にかなり甚大な被害だったようだ。
吉田家も雷が直撃してチューナーからの変換器が壊れた。
隣の家はブレーカーが落ちた。
ワイフが朝になってウォーキング散歩をしながら幾つかの情報を収集したようで、結局、雷の被害はGPSで狙ったように2軒だけだったようだ。

国道を東進して出雲から斐伊川土手へ右折して、あとはひたすら南下すると奥出雲。
出雲から大きく東へ向けて流れを変える斐伊川は宍道湖に開けていて、出雲地方から奥出雲一帯が八岐の大蛇伝説の発祥地になる。
台風絡みの大雨で斐伊川がかなり増水している。
島根へ帰ったすぐの頃はまだ新婚間もなくて、毎日のようにワイフと斐伊川土手を往復していたから懐かしい。

展覧会の会場へ着いたら地元で手伝ってくれているOさんが合流してくれて、とても助かった。
一人の作業だと夕方までかかるだろうと覚悟していたが、手伝いが二人増えただけでずいぶん助かった。
「ねぇ〜、あの美味しいお豆腐と、途中の道の駅で野菜ね♡!」
ワイフは彫刻展の手伝いを兼ねて帰りに買い物の計画を決めていたようで、お駄賃をせがまれた。
奥出雲のこだわり豆腐は普通の2倍ほど高いが、確かに美味い。
地物の野菜類は新鮮で安い。
いずれ、自分の腹におさまる食材でもあるから、彼女の手間賃としては妥当だろう・・

本社出張で帰省中のなっちゃんは、仕事が終わってからミーティングを兼ねた夕食会で夜が遅くなるそうだ。
2tを返して銀くんに乗り換えて業務用スーパー経由で食材の補充をして吉田家へ帰宅したのはもう夕方だった。
気がつくと、ずいぶん日が短くなっている。
いつも繰り返している慣れた作業だが、それでもどこかしら緊張しているようで、ネコチャンズを見ると、忘れていた疲れがドッと出て身体が一気に重くなった。
夕食の途中から眠くなって、早々と寝た。明日はお檀家さんの法事で朝が早い。
ワイフはなっちゃんの帰宅を待っていたようだが、テレビが見えないから退屈だっただろう。
夜中にのどが渇いて目が覚めた。水を飲もうか迷っていたらクロがうるさく鳴きながら夜間徘徊をはじめた。リビングの電気をつけたらなっちゃんが簡易ベッドで寝ていた。

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ピカッ!ドカン!! 

2018/09/05
Wed. 23:45

借りた2tを倉庫のプラットフォームへ寄せて「今のうちに展示台を少しでも積み込んだら、明日が楽だけどなぁ・・」と、一瞬そう思ったが、台風絡みの雨が激しくてどうもその気になれないままワイフに連絡をして迎えに来てもらった。
風はそうでもないが、とにかく雨がすごい。
8月は、あれだけ連日猛暑続きで「夕立の一滴も降らないまま過ぎていったのに・・・」
暗くなった雨降りの空を見上げながら地球を相手に無駄な恨み節がフッと浮かんだところへワイフのヘッドライトが近づいてきた。

シャワーを浴びて、一杯やりながら台所のワイフと台風のことなど話していたら、突然「ピカッ!ドカン!!」と吉田家の真上で強烈な雷が光って鳴った。
同時にテレビのモニターがパチッと消えた。
地デジチューナーから音声だけが何事もなかったように流れてくる。
照明や他の電化製品は普通に動いているようだし、アレコレいじってみたがモニターは消えたままNO SIGNALの文字が一瞬点灯してすぐに暗くなる。
ワイフのiPhoneが鳴った。
「はぁ〜、はぁ〜・・・、それでまだ暗いままですか?・・・うちは電気ついてますが・・・そぉ〜、そぉ〜・・・そぉ〜です。テレビおかしくなってしまったようで・・・お宅は何もつかない??・・・冷蔵庫も・・、あぁ〜〜、ウチのが帰ってるから・・・そぉ〜そぉ〜〜、これから行かせますから・・・イエイエ、ハイハイ、マァマァ・・・ハイハイ・・・すぐに・・・すぐですから・・・ほんとにねぇ〜・・・うちの真上でしたよ、きっと・・・そぉ〜そぉ〜〜、とにかく、行かせますから・・・」
電話の会話でなんとなく察しがついたモノの・・・
「ボク・・もう一杯やってパンツのままくつろいでるんだけど・・・うちのテレビもそのままにできないでしょぉ〜・・ブツブツ・・」
そうこうしていると、なっちゃんが帰ってきた。
「今の雷すごかったねぇ〜・・ウチ大丈夫??」
「正チャン早く行ってあげてよ、隣・・・」
「明日は展示台搬入なのにぃ~・・ブツブツ・・・」
「だから、隣困ってるんだから・・」
雷の「ドカン!」ひとつで、何か大騒ぎになった・・・

お隣さんは、ブレーカーのメインスイッチ復旧で一件落着!
吉田家のモニターは再起動するも画像が戻ることはなかった。
テレビ依存症のワイフは、声だけ聴きながらなっちゃんと夕食をはじめた。
ボクは・・・音声端子や映像端子を抜き差ししたりして大汗をかきながら復旧に務めたが、結局徒労に終わって、気まずい夕食になった。
雷は、あの時の1回だけで終わった。
2度めのシャワーをどうしようか迷ったが、めんどくさくなってそのまま寝た。
「明日、予定空いたから、奥出雲付き合うよ♡!」
ワイフのひと言で少し気が楽になった・・・

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行雲流水ー台風接近 

2018/09/04
Tue. 23:53

石見銀山ー萬善寺が約50km弱
萬善寺ー奥出雲が約50km
奥出雲ー石見銀山が約80km
アップダウントライアングルは、だいたい3分の1がdocomo圏外
Wi-Fi環境脆弱の極み・・・
吉田家へ帰宅したらドッと疲れて、飯くってシャワー浴びてバタンキュー
萬善寺へ帰宅してもドッと疲れて、飯つくってくってシャワー浴びてバタンキュー
奥出雲はパスワードのかかったひ弱なWi-Fiスポットがわずかに1個でボクのiPhone5sが唯一の通信手段
・・・島根県のこんな状況で彫刻展を開催しようとしているワタシは「いったい何を考えて何を目指しているのでしょう?」

台風直前の朝を石見銀山で迎えた。
奥出雲の会場と彫刻業者搬入受け取りは、奥出雲土地っ子O氏に一括してお願いした。
彼は、音楽好きでジャズからクラシックまでライブの企画を奥出雲の各所で廻している文化人だから、彫刻展のことでも我が事のように親身になって手助けしてくれる。
展示台をしまってある場所から、1階のプラットフォームまで一人で3往復した。
倉庫には約2畳の昇降機があって、それがずいぶん役に立つ。
2010年から彫刻展をスタートさせて、もうかなりの回数展示台の上げ下ろしをしている。
多い時は4〜5人くらいのお手伝いが集まったこともあったが、だいたいほとんど一人で移動の作業をしている。
適度な運動をしているつもりで、マイペースに慎重にゆっくりと動いている。
台風接近のこともあるので、プラットフォームの隣りにある1階の部屋へ約60個の展示台を積み上げた。
あとは、2tへ翌朝積み込んで奥出雲へ向かう。会場ではO氏が手伝ってくれて展示台を下ろすことになっている。

お昼ごろから厚い雲が少しずつ下がってきて雨が強くなってきた。
台風が接近しているのだろうが風はそれほどでもない。
近くのコンビニで昼食を買って、夏は海水浴場になる日本海の海岸へ移動した。
昔は、テトラポットが300m沖合に並んでいるだけのなんの変哲も無い海岸だったが、それからしばらくして護岸工事が始まって、海の波打ち際近くまでインターロッキングを敷き詰めて、日除けの東屋も出来て、おしゃれな海水浴場に変わった。
その工事の真っ最中の夏のある日、まだ小学生のキーポンと一緒に石見銀山から里山を抜けて日本海までサイクリングをしたことがある。
その時にワイフのつくってくれたお昼の弁当を開いて食べたのがその東屋だった。
もう、あれから10年は過ぎた。
そんなことを思い出しながらコンビニおにぎりを食べている間に土砂降りになった。
2tを受け取りにレンタカーショップへ向かった時は、雨が小降りに変わっていた。

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行雲流水の暮らし 

2018/09/03
Mon. 23:50

彫刻の業者搬入が始まった。
週末までにどれだけの彫刻が集まるだろう?・・・
1週間集まった彫刻を1日で展示して日曜日から展覧会スタート!
そして、これから行雲流水の暮らし・・・

生来の怠け者で軟弱なボクは、何事にも確固とした信念があるわけでもなく、めさきのことごとくに流されてばかりの毎日を送っているから、特にことさら踏ん張って彫刻展の準備に取り掛かることもなく、時期が来ればそれなりにやらなければいけないことも出来てきて「まぁ、仕方がないからそろそろ動くことにするか・・・」的ノリでフラフラと一つずつ優先順位に沿って用事を片付けることになる。
それで、まずは奥出雲の会場へ出かけて常設の椅子やテーブルを移送する。
奥出雲の観光商業関連施設は月曜日の休館が多くて、彫刻展の会場になる旧ガラス工芸館の隣りにあるたたらと刀剣館もそのひとつ。
会場の鍵の管理をその施設へお願いしてあるから、まずは鍵の受け渡しを具体的に相談しておくことになる。
過去の展覧会実績を元に休館中の事務所でサクッとコトを進めて、善後策を調整した。

こんなゆるい感じで、彫刻展がスタートした。

昨年もそうだったが、台風が近づいている。
なっちゃんが本社出張でその台風と前後して帰ってくる。
押さえておいた2tのアルミレンタカーが台風とぶつかるかも知れないと気をもんだが、夜のうちに日本列島を通過して日本海へ出てしまうらしいので影響も殆ど無いだろうと少し安心・・・
夕方までに展示台の移動も終わらせて台風通過を待つことにした。
吉田家へ帰宅すると、
「なっちゃん明日の飛行機だって・・」
ワイフが夕食の準備をしながら台所から教えてくれた。
関西地域は早々と公共交通機関の運休を告知したが、東京出雲間の飛行機はいつもどおり飛ぶらしい。

帰国したノッチは、時差ボケに苦しみながら就活を進めて、居住地を日本へ戻したり、口座の移動をしたりと、面倒な事務処理をはじめた。
本籍の戸籍証明などの書類を私へ云ってきた。なっちゃんが出張中にそれらを揃えて彼女へ託すことになる。
彫刻展の準備業務の合間を縫って、役場窓口へ出かけることになった。

飯南高原と石見銀山と奥出雲の3箇所を右回りだったり左回りだったりの移動がしばらく続くタイミングを狙ったように台風は来るは燃料は上がるは・・・萬善寺ファンドの乏しい資金で切り盛りしている展覧会へ早々から打撃を受けた。

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石が消えた 

2018/09/02
Sun. 23:52

七日務めがまた巡ってきた。
1週間過ぎるのがとても早く感じる。
この時間のスピード感は、そのまま自分の人生の終末を突っ走っているということでもあって、なにか、ずいぶん慌ただしく落ち着かないまま「死に向かっているのだなぁ・・」と思ってしまう。
一度しかない人生なのだから「もっとゆっくりとのんびりと毎日を過ごしていきたいなぁ〜」・・・そう、思ってはいても現実はなかなかうまくいかないで眼前の慌ただしさに流されてばかりいる。

おばあさんが亡くなって、残された一人息子は足が動かなくて、広い大きな家の一部屋へこもって寝たきりの生活を続けていらっしゃる。1週間に数日ほどデイサービスでお風呂に入れる日があって、あとは弁当の配達を頼んで毎日を過ごしているようだ。
元々歴史ある旧家で、先代は校長先生まで勤め上げた立派な方だった。それが、一人息子を最後に絶縁となって絶えるまでになった。
万善寺は、その息子さんの最後を看取って、あとは先祖代々すべて一括永代供養で引き継ぐことになる。
おばあさんと最後にお話ができたのは随分前のことになる。
息子さんことを心配されながら、ご先祖さまの行末もそれ以上に心配されていらした。
いずれこうなることは、もうずいぶん前からわかっていたことだろうと思うのだが、一方で考えたくもないし思いたくもない現実から逃避することの楽な選択肢も用意されていたのかもしれない。
息子さんのこれからあとは、行政の福祉事業に委ねるしかないことで、それに万善寺がどう関わっていくのかと、それを思うとやはり気が重くなる。
私の人生のめぐり合わせがそのように出来てしまっているわけだから、今更どうあがいてもしょうがないことだとわかっていても、やはり自らの身銭を切って絶縁からその後永代へのお付き合いまですることへの不条理を素直に受け入れることが出来ないでいる。
七日のお経を読んで息子さんのかわりに塔婆を持ってお墓へ参って当家を後にした。
その間、息子さんは奥の一部屋で横になってテレビを見たまま動くこともなく、お母さんの遺影や位牌へ手を合わせることもなかった。
世間では行政や斎場と契約した葬式坊主で楽に暮らしている営業の上手な坊さんも多いらしい。万善寺はそういう仏教界とは縁がないから、今までどおり、自分に出来ることを出来る限り粛々と続けていくしか無いことだ。
とりあえず今は「いちばんつらい思いをしているのは残された息子さんだ・・」と思うようにして四十九日を目指しているところだ。

気晴らし・・・というわけでもないが、工場のこともあるし、着物を作業着に着替えて、寺から石見銀山を素通りして工場へ直行した。
奥出雲の展覧会が近い。倉庫へ回って彫刻の展示台を確認して2tレンタカーの予約を入れたりして、それなりに汗をいかいた。
休憩がてら久しぶりの日本海を見た。いつもの石浜から見事に石が消えていた・・・

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晩夏 

2018/09/01
Sat. 23:07

猛暑続きの8月が終わった。
庭木1本が枯れて、鉢植えは水やりが追いつかなくて全滅した。
飯南高原の街道別れの近くにあった桜の木も枯れた。
境内の草刈りはしないことにした。
稲の刈入れが早まって、スズメたちが古古米をつつきに来なくなった。
何から何まで自分の人生(・・って、たかが知れてるけどね・・)で経験のないほどの猛暑だった。

冬は記憶に無いほどの極寒で、夏は未経験の猛暑・・・
地球の異常のせいだけでもないだろうが、この最近、人間社会でやたらと〇〇ハラスメントが賑わっている。
私の好きなウディ・アレンさんも、映画業界のハラスメント加害者だと告発が続いて、今は出演辞退の役者多発で映画製作が出来ないまま監督引退状態になっているそうだ。
この、ハラスメントというやつは、人間社会だけでなくて世の中の生き物全ての生態社会に存在していて、永遠にゼロと消えて無くなることは無い問題だと思っている。
力関係の強弱とか上下とか大小とか・・色々な場面で、同等対峙のバランスが崩れた瞬間にコトが生じ、やがて時間の経過の中で認識や解釈の相違が深まって発酵した先にハラスメント的定義付けが何処からともなく湧き出してくるもののように思う。
人間以外の動物や植物は嘘の無いコミュニティーであるから、同等対峙のバランスが崩れた時点ですでに関係機能の修復は不可能とお互いが悟る。そういう残酷な潔さが環境の循環を支えているのだと思う。
人間は、とにかく数え切れないほど複雑で様々な思考回路を持っていて、その多様性の絡み合いの中で様々に生き残りを工夫して共存しているから、頭では分かっていても、心情的であったり主観的であったりすることの振り幅や客観的認識の相違とか、時間軸の誤差の許容認識の相違とかでハラスメントの質量も違ってしまって色々とややこしいことになってしまう気もする。

とにかく、人間界におけるハラスメントの認識許容解釈は1000年100年前や50年前の常識も、10年5年前や昨日今日の常識だって一瞬先は通用しない現実がある。そういう、常に変化変態し対峙の中道が揺れ動いている事象に対して今の人間はあまりにも即物的で短絡的でありすぎる。一つ一つの事象においては、その現実と真摯に向き合って自戒を受け入れることが、人間として一大事なことで、その人の持つ技量とか才能とか特異性とか、そういう努力して培われ磨かれる能力にまで踏み込んで包括してハラスメントの網をかけてしまうことはあまりにも早計すぎる。ハラスメント事案と当事者の実績や経験値の深浅を軽々しくイコールにして混同した社会的制裁は慎むべきことだと、私は思う。

改めて冷静に自分自身の過去を振り返ると、この歳になるまで数限りないほどのパワーとかセクシャルとかモラルとか様々なハラスメントの加害者であり被害者であり続けてきたし、これからもそういう事案にゼロであり続ける自信など全く無い。とにかく、今の自分にできそうなことというと、まずは自ら対峙の耐性を鍛えることくらいだろうか・・

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2018-09