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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

搬出の日 

2018/10/31
Wed. 23:46

搬出の日、少し時間の余裕を持って六本木の美術館へ行った。絵画も含めて、彫刻の会場をあらためてもう一巡しておこうと思ったからだ。
彫刻の搬入出は島根県から共同搬送していて、最近はストウさんが一人で搬入作業を引き受けてくれている。陳列展示は自分の彫刻のことで余裕がなくてじっくりと作品鑑賞が出来ないままだし、会期初日は知り合いの彫刻家もたくさんいるし、展覧会を見に来てくれる知人もいて1日がアッという間に過ぎて帰りの高速バスに飛び乗る。
結局搬出作業をする前の数時間しか落ち着いて会場を巡ることが出来ない。

前々からなんとなく気づいて思っていたことだが、この近年具象作品が増えて抽象が減った。
美術造形の世界では、そういう流行があるのかも知れない。
私が展覧会へ出品をはじめた頃は抽象彫刻がたくさんあったし、絵画も抽象の現代美術が集まった展示室が独立してあって楽しめた。
具象が嫌だとは思ってもいないが、やはり自分としては抽象が好きだ。
想像というかイメージというか構成とかバランスとか素材とか、とにかく作家それぞれの表現に気持ちが揺れる要素がたくさんあって見ていて飽きない。
自分はそういう嗜好が強いから彫刻を造っていても、具象的傾向へ偏っていくとどこかしら説明的要素がチラついて落ち着かないし、ひどい時は制作の途中で仕事に飽きてしまって気持ちが全く入らなくなっていたりする。
こうして何十年も似たような彫刻を造っているわけだから、自分で気づかない間に自分のスタイルが出来上がっているのかも知れないが、一方で、まだ自分にとっての未開の造形領域が山のように存在しているふうにも思えて、ナニカの端っこがチラリと見えたりすると、もう鳥肌モノで震え上がるような感動に包まれることがある。そういうことが繰り返されて、その感動のいくつかがジワジワと時間をかけて何かしらのカタチにかわっていくようになるプロセスが楽しい。

六本木の野外彫刻展示会場は、比較的抽象系の彫刻が多く集まる。それでも、最近は作家の定着が進んで風通しが悪くなってしまった。そう感じるのは自分だけのことかも知れないが、どこかしら展示の無風状態が感動の停滞につながって新鮮な活性が感じられなくなった。自分の彫刻を棚に上げて偉そうなことだと思ってしまうが、こればかりはどうも仕方がない。
今年は久しぶりの個展が控えていて、その準備がすでに始まっている。ちょうどうそういう時期だから余計に自分の造形感が敏感になっているのかも知れない。
このところ、半年ぶりくらいに工場通いが続いていて、自分の一日のスケジュールが彫刻の制作を中心に動くようになってきた。久しぶりのことだ。
さすがに年齢のこともあって昔のように無理が効かなくなってはいるが、一方で、過去の彫刻テーマを再考しながらそれをもっと掘り下げて見つめ直す良い機会でもあるし、目が覚めている時は、メシの時もトイレや風呂の時も、四六時中彫刻のことが頭から離れないで考えられている。
子供の自立や両親の他界を経て、どこかしら身軽になったからかもしれない。

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再会 

2018/10/30
Tue. 23:08

マリちゃん(・・・って、今はもうオバサンだけど・・)と久しぶりに逢った。
彫刻の搬出で前日に東京入していたからマリちゃんが何処かで逢おうと云ってきた。前回は5・6年前だったと思うが、確か田園調布に住んでいたこれも学生時代の同級生のマンションに数人が集まって小規模の同窓会のような感じで飲んだ。

自分で云うのも何だけど、ボクはどちらかといえば人嫌いな方で一人でいることのほうが気楽で良かったりするほうだから、学生の時もそういう感じで自分の方から積極的に友達をつくろうと思うようなことはなかった。それでも、ナンダカンダと気軽にくっつく連中がいないわけでもなくて、マリちゃんもそのうちの一人だった。
今にして思えば、何かの縁のようなものもあったのかも知れない。
きっかけは、確か新入生歓迎会の時だったと思う。新入生はあいうえお順に並ばされてどんぶりいっぱいの日本酒を回し飲みしながら自己紹介をさせられるという、今にして思えば実に過酷極まりない歓迎会だったのだが、その順番で吉田の前にいたのがマリちゃんだった。だいたい、一般常識として成人間もない女子がどんぶりに波波と注がれた酒を飲み干すことなど普通に無理なことで、彼女も酒の入ったどんぶりを手にしてアタフタしながら悶絶していたところを、その次に控えていたボクが引き受けて(つまり、吉田はどんぶり2杯の酒を飲んだということです・・)事なきを得たという、まぁ、それなりの男気を示した!・・・というあたりから、付き合いが始まったような気がする。
四六時中ベッタリくっついていたわけでも何でも無いが、何故かそれぞれの行動が重なることも多くて、気がつけば付かず離れず一緒にいたりして、不思議な関係が卒業するまで続いた。
当時、彼女は藤沢でおねえさんと一緒に住んでいて、私はその隣の駅で降りてバスに乗ってしばらく行ったところに親戚のオバサンの家があって、それでそちら方面へ行くときはよく電車が一緒になることもあったし、鶴見の北口のロータリーに面した焼き鳥屋でバイトしていた時も学校から帰りの方向が一緒だった。彼女が渋谷の近くへ引っ越した時もたまたま自分も渋谷でバイトをしていたりして、まぁ、一般的に一緒にいる時間も多いとしゃべることも増えてそれなりに親近感もわくし、特に男と女の深刻な関係に踏み込むこともないまま気楽な縁であったと、自分では思っているが、彼女がどう思っていたのかは知らない。

キーポンと六本木の美術館へ行ってお父さんとお母さんの彫刻などを見て、そちらから銀座へ移動した。マリちゃんは和光の前の花屋さんの角で待っていて、そこからすぐ近い銀座ライオンの本店で飲んだ。
前回に逢った以来の空白を埋めるるようにアレコレと話していると、キーポンが山野楽器で楽譜を見てから合流し、それからしばらくして仕事帰りのノッチが合流した。
マリちゃんは「大丈夫だろうか??」と心配になるほどよく飲んで「二次会へ行こう!」と言いはじめて、それから吉田父娘たちと一緒に彼女の自宅が近い中目黒へ移動してまた飲んだ。
しばらく逢わないうちにずいぶん飲めるようになったもんだ。彼女なりに色々と場数を重ねてきたのだろう。今は一人息子も結婚して手が離れて制作を再開している。

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新宿の朝 

2018/10/29
Mon. 23:33

搬出作業があって上京した。
さすがに、高速バスは少々疲れる。
島根県の石見銀山から新宿までは約900kmで、高速バスでの移動だとだいたい13時間ほどかかる。新幹線を使った列車移動でも点から点までで10時間くらいになるから、映画を1本見るか見ないか程度の時間差にしかならない。飛行機だと1時間前には搭乗口前に着いていることになるし、着陸してもそこから目的地までの移動時間がが結構かかる。出雲空港からは羽田までの点から点は約1時間半ほどで着くが、それに最低3時間は移動時間がプラスしてしまうから、食事をしたりしているとだいたい5〜6時間かかって目的地へ到着となる。昔は、俗に云うブルートレイン特急夜行寝台列車の出雲号というのがあって、これが一番楽で時間のムダもなくてとても都合が良かったのだが、もう何十年も前に廃止になった。特別対策として自分で車を運転する手段もあるが、これだけは出来るだけ避けたい。燃料代や高速料金も馬鹿にならないし、それに何より自分の体力が極度に奪われる。
アレコレ色々工夫しても、島根と東京の時間地図はそれほど大きく変わることがないから、結局今の自分にとっては高速バスが分相応の選択肢に落ち着く。

新宿バスタへは、ほぼ予定通りに到着した。
前回は途中の道路事情で1時間以上遅延して、その後の予定が大きく崩れて苦労したが、今回はそれもなくて助かった。
事前にキーポンと新宿で待ち合わせの約束をしていたから、念の為電話をした。「おはよお〜〜・・」の声が、完全に寝ている。
「ハナレイ・ベイ始まるの9時過ぎだからね!遅刻しないでよ!」
「はぁ〜〜〜い・・・」
声の様子がどうも心配ではある・・・ちゃんと起きてくれるだろうか?
それから、南口の甲州街道沿いにあるマクドナルドでコーヒーを飲みながら時間を調整して新宿ピカデリーへ移動した。新しくなった新宿ピカデリーはこれで2回目になる。
グレーティストショーマンを見た最初の時は、とにかく迷った。
あのときもキーポンと現地集合で待ち合わせしていたのだが、目的の新宿ピカデリーをどうしても見つけることが出来なくてウロウロしている間に上映時間は迫るしキーポンもギリギリまでこない。確か、紀伊国屋の裏から靖国通りの間の何処かに劇場があったはずなのだがそのあたりを何度行き来しても映画館らしき入り口が無い。もう誰かに聞くしか無いと思って、とにかく近くのエスカレーターに乗ったら、着いた先がそのままピカデリーのロビーホールになっていて自動のチケット販売機がズラリと並んでいた。
変われば変わるモノだ。学生時代のあのピカデリーの面影は皆無だった。
一度とことん迷うと、あとはキッチリ覚えてしまうから、今回は難なく時間に余裕を持ってロビーホールに着いた。キーポンの方は、案の定時間ギリギリに到着して、急いでチケットを買った。すでに予告が始まっていた。
それで、「ハナレイ・ベイ」だが、ボクとしてはなかなかコンパクトにまとまった良い映画だと思った。
「出てる人少な!」・・・それがキーポンの感想だった。

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造る喜び 

2018/10/28
Sun. 23:14

この数年の間に自分の周辺で2人の彫刻家が制作から遠ざかって疎遠になった。
一人は体調不良が改善できないということらしいがその後どうなったか定かではない。
もう一人は公務多忙で制作の余裕がないということのようだが、これも実際どれだけ制作ができないほど多忙なのかはよくわからない。

一般的に美術家人口はそれほど多くないと思う。たとえば島根県に限ってみても専業の美術家として精力的に作家活動を続けている人を探すとなるとなかなか見つからない。私も坊主家業の片手間で彫刻を造っていると言っていいほどの中途半端な兼業彫刻家だし、ワイフも時間講師でいる時間の方が彫刻家の制作時間より数倍多い。
みんなそれぞれに自分の生活があるから美術の創作三昧で毎日が過ぎる作家など今の日本では芸術院会員くらいかもしれないが、それもみんながみんな専業の美術家であるかどうか、判断に苦しむところだ。

30歳前に生活の拠点を島根に戻してから今までワイフと一緒に制作を続けているが、その間に仕事が忙しくて制作発表を断念したことは一度もない。一身上の都合で出品が決まっていた展覧会をドタキャンしたことが1度だけある。ソレ以外は基本的に全ての彫刻制作と発表は自分の意志で参加不参加出品不出品を決めることにしていて、それが毎年のことになるとライフワークの一つになっているといっていいだろう。

彫刻家としての立場による自分の生活信条というと「構想と制作の継続」であるといえる。寝ている時以外は常に彫刻のことを思考の基盤に占めておくということ。それをしているから、少々の世間的摩擦や認識解釈の相違で起きる諸問題もあまり深く悩まないで切り抜けてしまうことが出来ている。「彫刻家であること」を自覚することで、日常の様々な場面で生じる価値観の相違による深刻なストレスを回避できている利点がある。

現在、彫刻から遠ざかっている二人も、たとえば目先の生活レベルをキープすることを最低限の譲れない条件としてそれを優先的に用意しているとすると、やはり彫刻のこと全てが二の次になってしまうことは避けられないことだ。
日常の暮らしの中で常に彫刻のことが最優先に位置付いていたら「あれがあるから彫刻ができない」的発想は出てこないはずだ。結局造形意欲とか創造力の枯渇が制作意欲の減退につながって、結果「造る喜び」が消えて苦痛に変わってしまうことも十分に考えられることだ。
自分の造形上のテーマを曖昧なままその場しのぎでやり過ごしてしまうと、やはりいずれそのうち制作の目標を見失って自分の立ち位置も揺らいで制作意欲も消沈して立ち直ることができなくなってしまう。彫刻が遠のいた二人はもう時すでに遅いところまで来ているかも知れないが、ほんの少しでも造る喜びの記憶が残っているなら、まずはなりふり構わずどんなモノでもいいから手足身体を動かして制作の汗を流してほしい。
彫刻の制作が、現実からの逃避の手段であってもいいと思う。
とりあえずはそのあたりのところで気持ちを切り替えることが出来て、少しでも気楽になれるなら、それだけで十分に彫刻制作を続ける意味があるというものだ。

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他人の目 

2018/10/27
Sat. 23:05

10月は彫刻の展覧会が続くから何時にもまして毎日が一瞬で過ぎていく。
もともとノンビリとヒマに暮らしている方だから、時の過ぎるのが早すぎて気持ちが上手くついていけない。

「吉田さんは、けっこう几帳面で真面目だから・・・」
何かの拍子に、話題の流れでそのひとから見るところの吉田像を感想として語られたことがある。
「もちろん!名前からして正しく純スイですからネ!」
などと、物心ついて「純粋」の漢字が読めるようになってから乱発している定番ジョークをまた使ってしまった。だいたいが、その後に「みんなは(不正不純)って云ってますけどね♡!」と続くが、その時はそのフレーズを割愛した。
そもそもの吉田像は、吉田本人が一番良く解っているはずなのだが、あの時のように、自分を見る人によって色々な感じ取り方もあるのだなぁと、自分のことを他人事のようにクールに自覚している(何やら解ったような解らないような面倒臭い)自分がいた。

これも昔のことで前後の状況を全く思い出すことが出来ないままでいるのだが、あるひとが「(上手下手と向き不向き)は自分で思ってることと他人が思っていることは違うからね!」と云われたことをよく覚えていて、「まさにソレだな!」と云う場面でフッと思い出して「確かにそうだな!」と納得することがよくある。これは、人それぞれに価値基準とか常識のズレがあるから、当然当たり前のことを云っているわけだが、当事者としては何かの大事な場面で判断基準を大きく左右することになる重要な解釈を問われていたりして、少々ビビる・・・ようするに、「上手だから向いている」わけでも「下手だから向かない」わけでもないということで、自分のライフワークにつながるような重大な選択を求められたりするような時に本当に真剣に悩んだこともあった。

結局は、自分のことは自分が一番良く解っているというつもりでいても、他人が見るとまんざらそうでもなかったりするというわけで、その「他人の目」というのは、結構客観的総合的な判断が出来ていることだとも考えられるわけで、貴重な意見として拝聴しておくことも大事だと考える。それで、吉田は「几帳面で真面目」であると云うふうに見ている人もいないわけではないと思っておくことにすると、「そういえば、確かにそうかもしれない・・・」と思える場面もソコソコ思い出されたりする・・・という、またややこしい考えに遭遇したりしてまたまた面倒臭いことになってしまう。

どうして、こんな面倒臭い思考を捏ね繰り回しているかと云うと、眠れないからである・・・といって、ひと頃の不眠症が再発した訳ではない。隣りに座っている青年のニンニク臭い口臭が気になって目覚めたまま、目が冴えてしまったからなのだ!普通、深夜の高速バスへ乗る前にニンニク入の夕食をとることじたい不謹慎極まりない。少しは周囲の迷惑も考えてもらいたいものだ。
早いもので、つい先日始まったと思っていた展覧会がもう終わろうとしている。
彫刻の搬出でそれなりの重労働が待ってる。陳列に続いて只今10月2回目の移動中です・・

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いい汗かいた 

2018/10/26
Fri. 23:02

大田市富山町で開催していた「とみ山彫刻フィールドアートワーク」が、3年過ぎて助成金の対象外になった。
3年間連続して助成してやったんだから「あとは自力でなんとかしろ!」ということだ。
適当な金蔓もなくて年中金欠症候群が持病のような吉田としては、この際キッパリと島根県での彫刻振興から手を引こうという選択肢が無いわけでもないが、今の処、1年を均せばメシが食えなくてひもじい思いをしたこともないし、麦とホップも常飲できているから、もうしばらくは自力運営を続けてみるのもいいだろうという気になっている。
それで、気持ちの方は前向きにやる気満々でいるのだが、今年は春先から体調が思わしくなくて身体が思うように動かない毎日が続いていて、それでも、すでに決まっている会期は待ってくれないから、奥出雲の小品彫刻を搬出するタイミングで富山町の会場へ搬入するという二度一を兼ねて2tアルミをレンタルした。

奥出雲の会場は、階段も少なくて台車がそれなりに使えるから比較的楽な展覧会作業になるが、富山町はそういうわけにいかない。
元々の小学校が廃校になって倉庫代わりに使われていたところを借りてはじめた展覧会だから、展示会場はすべて2階の昔教室だったところを使うことになる。
今回はその教室まで約40点の彫刻と展示台を人力で持ち上げることになって、その作業がとにかく体調不良のボクには辛い。
それでも、1日をタップリゆっくり使ってコツコツと同じことを繰り返していれば、そのうち全ての彫刻も全ての展示台も2階へ持ち上げることが出来ることは解っているから、無理のないように「ノンビリと彫刻移動すればいいや・・」と腹をくくっていたところへ「ワタシ、あの日だったら何とかなるので手伝いますよ!」と、ノリちゃんが云ってくれた。彼女も自分の用事が忙しくて決して暇なわけでもないのだが、吉田の現状を風の便りに聞き取ったのかどうか??見るに見かねて手伝ってくれることになった。

そんな訳で、朝早くに国道沿いのコンビニ駐車場で待ち合わせて奥出雲へ向かった。
彫刻や展示台の積み込みはアッという間に終わって、午前中には富山町の旧富山小学校へ到着した。お昼ご飯をどうするか少し迷ったが、ノリちゃんもそれほど腹が減ってないというし「それじゃぁ、一気に搬入作業を済ませてしまおう!」と、ノリちゃんが階段を往復したのがだいたい100回くらい。膝を痛めている私はだいたいその半分くらいで勘弁してもらって、おおよそ3時間のうちに全ての搬入作業が終了した。
これから日を改めて様子を見ながら彫刻の梱包を解いたり展示台を配置したりすることになる。それも、吉田の様子を見かねたノリちゃんが結構手伝ってくれた。
自分としては、色々と面倒なことや窮屈な付き合いがいっぱいあっても、こうして彫刻のことで汗を流していると、その間はソコソコすべて忘れて気楽でいられるからありがたくもある。

島根県の中央部から東へ向けて、1日ぐるりと一周していい汗をかいた。
ノッチの方は1週間のNY暮らしを堪能していた。毎度のことながら、彼女のスケールは想像できないくらいデカイ。土産話を楽しみにしておこう・・・

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坊主事情 

2018/10/25
Thu. 23:55

前日の雨が少し残って、石見銀山の早朝の町並みはしっとりと濡れていた。
ずっといい天気が続いていたから、これから少し本格的な雨になるかと思っていたらお昼前にはすっかり良い天気になった。

10月末は六本木の彫刻搬出があって、11月に入ったら富山町の美術イベントが始まる。
それまでにいくつかの萬善寺がらみの用事を済ますことになる。
少し前にお地蔵さんの供養依頼が入った。毎年おおよそこの時期におつとめしているが、日時は流動的ではっきりしない。
そのお地蔵さんは昔、地域の町別れの境界峠のてっぺんへ安座されていたそうだ。その尾根の峠が、日本の近代化が進む中の国道拡幅工事で切通しになって消えた。その後、道筋の変わったあとの国道脇に場所を移動して安座されてあったのだが、今度はその場所に近所の蕎麦屋さんが製粉工場を建設することになってまた移動することになった。その頃は前住職が遷座安座の法要をつとめて、私が先代からお地蔵さんの供養を引き継いだのはそれからしばらくしてからだった。
道端のお地蔵さんだから、法要が雨の日もあれば大風のこともあって、1年に1度だけのことではあるが心配が多い。
昨年、蕎麦屋さんの工場を拡張することになって、そのお地蔵さんがまた遷座されることになった。これで、私が聞いているだけでもお地蔵さんの遷座場所替えが3~4回は繰り返されていることになる。人間の暮らしの都合でアチコチ移動が多くてなかなか落ち着かないお地蔵さんだが「隣の山が土を採り尽くしたら広くなって見晴らしも良くなるし、そうしたらあの場所が良いんじゃないかと・・」などと、蕎麦屋のご主人がまた遷座先のことを考えていらっしゃる。
そのお地蔵さんのような石の野仏様は、だいたいどの地域でも似たようなことが繰り返されてアチコチ移動されることが普通だ。
最近では、地域でお守りすることも叶わないと、農地や道端に点在する野仏さんを一箇所に集めてお祀りされたり、熱心に信心される地域では、みんなで出資してお堂を建立されるところもある。萬善寺の六地蔵さんは、過去に数回のお堂改築を繰り返しながら参道脇の同じ場所に安座されるが、私の記憶にあるだけでも何度と無く「近所の野仏さんが粗末になるもんで・・」と、十王さんや木葉地蔵さんが持ち込まれてお堂が手狭になっている。
明日は、そのお地蔵さんのおつとめと七日つとめがあるから久しぶりに朝から通勤坊主をすることになる。

NYに旅行中のノッチは、ブロードウエイを堪能しているようだ。SNSの写真を見ていると、飯南高原のお地蔵さんとのギャップがありすぎてどうもピンとこない。
家族の歴史というか、自分の宿命というか、私のように寺で縛られた生涯を決められていたりすると、その枠の中でギリギリの選択肢を模索しながら毎日を窮屈に過ごさなければいけなくなって、なかなかしんどい。これから先、NYどころか、徳島の阿波踊りや京都の祇園祭や仙台の七夕まつりなどなど、自分には一生縁のないモノもたくさんある。
彫刻を造っていられるだけでもありがたいと思わないとね・・・

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上出来な未完成 

2018/10/24
Wed. 23:06

もうそろそろ10月も終わろうとしているのに、まだ半袖でもいいくらいに温かい。
ケイティの宿舎前で待ち合わせをして、一緒に工場へ向かった。
助手席の彼女と日本語と英語で作業の話をしていたら、彼女は防塵用のグッズを持っていないことがわかった。
いつもはボク一人で制作をするだけだから、必要なモノを余分にためているわけでもないので、急きょ近くの町のホームセンターで調達することにした。
一応、まがりなりに金属彫刻のプロだと思っているボクとしては、それに関する色々な工具や消耗品や材料を資材業者さんを通して取寄せているし、よっぽどの急用でも無い限りホームセンターを利用することがない。広い店内でお目当ての必要なものを探すだけでも一苦労で、無駄に時間を潰してしまった。
二人でレジに並んで支払いを済ませると、すぐに工場へ移動した。

昔は簡単なメモを描いたり、小さなマケットを造ってだいたいの様子を決めてから制作に入っていたが、最近は鉄板へそのまま蝋石でドローイングしてその線を頼りにプラズマ切断機を使ってしまう。
彼女が工場のテーブル代わりに使っている鉄板の上へ図面のような制作メモを広げた時は少々焦った。
とにかく、工具の使い方をひと通り解説して、あとは図面の寸法をおおよそまかなえる鉄板を用意して「コレで何とかしてネ♡!」と日本語に英語の単語と身振り手振りをそえて伝えた。
私の方は、制作途中の彫刻を半自動溶接があるから、狭い工場で彼女のじゃまにならないように気を配りながらセッセと制作の作業を続けた。

ケイティは、結構・・というより、かなり神経質な作家だと思った。溶断した鉄板を紙の図面へ当てはめて寸法の狂いをディスクグラインダで修正をしている・・・「こりゃぁ~1日で完成は無理だな・・」
まだ若かった頃の自分を思い出す。
本格的に彫刻をはじめた頃は、3✕6板ベニヤをカッターナイフで裁断して原寸サイズの型から造っていた。今のケイティの作業の様子があの頃の自分にダブって見える。何かしら懐かしくて、忘れていた過去の自分を思い出した。

お昼はラーメンを食べた。旅慣れているケイティは、出されたものをなんでも「美味しい!!」と食べる。おもに地元で働くオヤジたちや長距離のトラッカーたちを相手にしている食堂だから、それなりに量が多くて美味しい。結局、ケイティはラーメンを完食することができなくて、お店の店員さんに済まなそうな顔をしていた。

夕方少し暗くなるまで仕事を続けて、私は予定通り1日の作業を済ませた。
彼女はやはり、完成しなかった。
それでも、慣れない工場の慣れない工具で仕事をしたわりには、上出来だと思う。
イギリスではなかなかの実力者だろうと感じた。

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吉田正純野外彫刻巡り 

2018/10/23
Tue. 23:26

1日目は石見銀山から、銀山街道を南下しながら私の野外彫刻を紹介して萬善寺へ向かい、2日目は工場で鉄の溶接や溶断をして簡単な造形制作をすることにしようと思う。

夕食ではじめて逢ったケイティは、一見、明るくて気さくなおねえさんに見えた。それに、ずいぶん旅慣れているようにも感じた。
よく飲みよく食べて、少し早めに帰宅した。

朝は、吉田家前の駐車場で待ち合わせをして、それから銀山街道へ出た。
コーディネーターのOさんは、ケイティへの気疲れか?・・チョット元気がないように見えた。
石見銀山から飯南高原で出雲街道で合流するまでは、だいたい30分かかる。
途中に温泉があって、その近くに鴨山窯がある。
「鴨山」と書いて「おうざん」と読む。
鴨山の由来は、万葉の歌人、柿本人麻呂からくる。歌人で精神学博士であった斎藤茂吉が研究の結果、柿本人麻呂終焉の地が、銀山街道沿いにある湯抱温泉の鴨山であったと研究成果を残したことによる。
鴨山窯の森山さんは、その湯抱温泉で生まれ育ち、武蔵野美術大学で油絵を専攻した。卒業後陶芸活動をはじめて、学生の頃からお付き合いのあった奥さんと結婚して帰省。生家のすぐ隣に陶芸の制作工房を構え、「鴨山窯」とされた。以来、その制作工房をベースに、カルチャースクールの陶芸講師をされながら、1年に春と秋の2回ほど陶芸まつりを開催される。
まだ、その案内は届いていないが、時期的にそろそろ秋の陶芸まつりが始まる頃だから覗いてみることにした。運良く在宅で母屋を改装した展示ルームもオープンしていた。
陶芸まつりが近いから新作もけっこうあって、楽しめた。萬善寺用にコーヒーカップを3つ買った。ケイティは、時間をかけて熱心にアレコレ物色して抹茶茶碗を1つ買った。イギリスまで持って帰るのも面倒なことだろうが、寄り道をして良かった。
飯南高原で営業をしている薬膳レストランへ予約をしておいて、昼食にした。
地物の新鮮な季節の野菜タップリのヘルシーなランチを堪能した。ドライバー付きだし、麦酒1杯くらいほしいなと思ったがグッと我慢してコーヒーとケーキで〆た。
そのレストランのアプローチにはボクの野外彫刻を置かせてもらっている。
萬善寺は、その薬膳レストランから車で5分あれば十分だ。
ケイティを本堂へ案内して、般若心境で旅の無事を祈念してあげた。
寺の庫裏はちょっとしたギャラリーにしてあるから、展示の小品彫刻を眺めながら番茶を飲んだ。
帰りは三瓶山を経由した。時間があれば富山町の野外彫刻も案内したかったのだが、ケイティが夕食を招待してくれていて、その仕込み時間がほしいと云うことだったので、三瓶山からそのまま石見銀山を目指すことにした。
半日ほどの、吉田正純野外彫刻巡りの打ち止めは、世界遺産センター横の彫刻。
その彫刻は、まだ石見銀山が世界遺産へ登録される前にあった公園の端の砂防用の池の端へ設置したもので、当時はまだ小さかった吉田家の子供たちを誘ってよく家族で遊びに来ていた。

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ケイティのこと 

2018/10/22
Mon. 23:48

イギリスからケイティが来日して数日前に島根県の奥出雲に着いたと連絡が入った。
ケイティは、鉄鋼関係の製造や素材を研究しながら鉄材を使った造形制作もしている。
イギリスというと近代の産業革命発信地でもあったから、彼女の研究対象も自然とそちらの方へ興味が向いていったのかも知れない。

奥出雲は、たたら製鉄の実践を現代に伝承する日本で唯一の地でもある。
毎年可動して製造される玉鋼は、日本各地の刀剣鍛冶へ少しずつ配布され、鍛冶職人はそれを元に新刀を鍛造制作する。
歴史的建造物として現代に残るたたら製鉄跡は各地に散見するが、現役で可動する奥出雲のたたら製鉄では職人の技術継承も計画的に行われ、製鉄の期間にはその道の関係者を中心に見学会が行われる。
ケイティは、その時期にめぐりあうことはできなかったものの、西日本に点在する鉄関係の施設を訪れて、現地調査をしたり、作業に加わったりしてレポートをまとめるのだそうだ。
私も島根に在住する鉄の造形作家として情報提供をしておくことで日本の窓口になっているOさんから打診を受けていたので、彼女のことは1年前から情報が入っていた。具体的に吉田が彼女とどのように接するのかは、彼女の研修日程が固まる過程で少しずつ見えてくることだろうと気楽に考えていた。
ちょうど奥出雲での彫刻小品展が終わって一段落した頃に、コーディネーターのOさんから具体的なスケジュールが決まったと知らせが入って、それに合わせた吉田の行動内容もほぼ決まった。
島根での滞在拠点は奥出雲に決まって、石見銀山は移動も含めて3泊4日になった。その後岡山の新見へ移動して次は四国の高知へ行くことになるのだそうだ。
2泊3日分の吉田の都合を空けておいてくれということなので、萬善寺のことはそれに併せて前後に振り分けておいた。

「今夜から石見銀山で食事をするんですが、吉田さんもご招待ということで、19時に○○の店まで来てくださいね・・それから、明日と明後日は吉田さんへお任せしてボクは車を出してドライバーになりますんで・・よろしく!・・・あぁ、そうそう・・ケイティが、明日の夕食で料理の腕を披露するそうですから、そちらの出席もよろしく!」
Oさんは、数年前まで行政マンだったからだろう・・・段取りが分単位で細かに決まっている。
音楽好きの気さくな趣味人で、日頃はそういうくだけた付き合いをしているから、彼の知られざる一面を見た気がした。
私の方は、坊主という商売柄あなた任せの緩やかな日程で動くことがほとんどで、それに慣れているから、ガッチリと固まったスケジュールを振られると、どこかしら緊張してうろたえてしまう。
とにかく、夕食に関しては坊主の斎膳の要領で対応させてもらうことにして、2日間の石見銀山をどうするかは、夕食会の雰囲気を見て決めていこうと云うことにした。まだ、ケイティと逢って話したことも無いのだから・・・

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法事の日 

2018/10/21
Sun. 23:59

9月に帰国したノッチは、1ヶ月以上就活をしないまま気ままに暮らしていた。
それでも、毎日遊んで暮らしてばかりいたわけでもなく、住むところを探したり、金融機関の口座を引きついだり、住民票や保険などの事務手続きをしたりして、1年間留守にしていた日本の日常を取り戻しつつ社会人としての基盤を再構築していたようだ。
日本で就職するにも生活の基盤が落ち着かないと、履歴書1枚もまともに書くことができない。世間はグローバル化が加速しているようにもみえるが、組織に属さない個人のレベルではまだまだ社会生活のハードルが高いようにも感じる。
そういう現実の面倒臭い厳しさを、愛嬌と図々しさと人脈とその場のノリでアクテイブに乗り切るノッチのたくましさをみていると、我が娘ながら凄い人間になったものだと感心する。
日本での日常の暮らしができるまでにひと通りのことが一段落して履歴書の様式もソコソコ整備できるまでになって、本格的な就活にとりかかったと聞いていたのはつい先日のことだったのに、あれから1週間も経たない間にアッという間に貿易会社の事務職で再就職が決まったのは、ちょうど私がワイフの彫刻ともども六本木の美術館で陳列展示作業を終わって展覧会がスタートした日だった。それで、11月1日から、彼女は毎日東京のオフィス街のド真ん中へ通勤することになった。

彫刻絡みで慌ただしく過ぎた東京往復のあと、今月にはいって2つ目の法事があった。
ご親族の都合で決められた日程は、遠く群馬県の方からも帰郷されとても賑やかな法事になって、ご自宅前の町道が大小の自家用車で埋まった。
朝が早かったので、萬善寺には前日に入って塔婆を書くなどの準備をした。
吉田家では、台所仕事をすべてワイフへ任せっきりになっているが、寺の一人暮らしではそういうわけにもいかないから、冷蔵庫や冷凍庫を見繕って適当に夕食を作った。
正月にお供えで頂いた日本酒が本堂の位牌堂の棚へそのまま残っていたのでそれを開封してみると、すでに若干黄みがかっていた。ワイフを始めとして、私の周囲では「あいつは呑助だ!」と思われているが、自分ではそれほどでもなくて酒に関してはいたって常識的に普通の人だと思っている。
まだ昭和の時代は、社会が酒にそれほどうるさくなかったから、貧乏な山寺でも1年中お供えに頂いた日本酒や麦酒が切れたことがなかった。それでも先代住職は晩酌が底をついて時々酒屋へ麦酒の大瓶をケースで配達してもらっていて、今の自分よりは相当酒豪だった・・・そんなことを思い出しながら1合ほどレンジでチンして飲んだ。

寝る前に家族のSNSを見たら、ノッチがまた出国していた。昔の知り合いがNYで仕事をしていて、彼女がフロリダに居た時には時々合っていたらしい。就職も決まって、これから先しばらくはノンビリと旅行もできなくなるだろうからそれもいいだろう。
坊主家業のオヤジは、住職の立場でもあるし、萬善寺を起点にしてナニカの時はすぐにストレス無く移動できる手段を用意しながら毎日を過ごしているようなところもある。なかなか窮屈なことだ。
小さい時からそういうふうな暮らしに慣らされているようなところもあったから仕方がないと思いつつ、吉田家の家族はもっと自由にさせてあげたいと思う。
一度しか無い人生だから・・・

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彫刻の先 

2018/10/20
Sat. 23:09

このところ、自分の周辺が今までにないほど目まぐるしく複雑に過ぎて、吉田家へ帰ったらドッと疲れて夕食を終わらせると宵の口からキーポンが使っていたベッドにバタリと倒れ込んですぐに寝てしまう。
「どうしてこういう状態になったのか?」・・・眠りの世界へ移動する前の少しだけ覚醒しているあいだにそのあたりのことを考えようとするのだが、どうもそれらしき要因が決まらないままいつの間にか寝落ちしている。

2月から3月にかけて小さな彫刻を一つ造ってから、工場へ通う機会を逸したまま約半年がアッという間に過ぎた。
彫刻の制作が無いわけではないのに、どうしてもそういうことにまとまった時間を造ることができなくて、暮らしの色々な場面で気持ちばかりがスベって、素材へ触れることのないまま頭の中では大小の彫刻が出来上がっては消えていく連続だった。

坊主家業の商売柄、日常のいろいろな場面で中道を心がけるようにしているが、彫刻のことや制作のことや、またそういう俗に云う文化事業的なことになると、全部が全部、何から何まで中道に片付けてしまうことができなくなって、どうしても自分の信念や我欲の方へ惹きつけられるように偏って、俄然勢いづいて頑固な主観を押し売りしてしまっていたりする。あとになって気がついて反省もするのだが、済んでしまったことは取り返しもできないので、自分の胸に仕舞い込んで、出来るだけ早く忘れるようにするしか無い。

自分の彫刻は、どちらかと云うと抽象の部類に入ると思っている。
約10年間の研究期間を過ぎた後、そろそろ自分の彫刻を制作するための目印としていくつかのテーマを用意した。
今までは、そのいくつかのテーマを少しずつダブらせながら感覚の新鮮なうちに彫刻のかたちへ置き換えることを続けてきた。自分の性格上、ひとつ事にじっくりと取り組んでそれをひたすら脇目も振らず継続するということができないタイプだから、彫刻の造形の工夫に飽きて面倒臭くなってしまったら、しばらくはそういう系統のテーマから遠ざかるようにしている。そうして、他のいくつかのテーマに気持ちを切り替えてそれに没頭すると、今度はそのことがまた楽しくなって当分の間は、また違った感じの彫刻を造ることができるし、またソコに新しい発見があったりして次の展開が楽しみになる・・・だいたいそんな感じでこの30年間は過ぎてきた。

今度、しばらくぶりに彫刻個展の話を頂いて、改めて過去の自分を系統立てて整理してみると、やはり彫刻の世界でも自分の立ち位置が「中道であることの重要性を意識していたのだなぁ・・・」と、再確認した気がする。
自分の彫刻に対する思考の根本はやはり形而上的方向性を観ているということ。思い返せば、最初の個展をスタートさせた時からそれがすでに決められていた気がする。それまでの研究期間は常に形而下での自分の立ち位置を確認し続けて造形の客観性を観続けていた。造形上の緊張関係を自分なりに説明できる手段のひとつが抽象表現であり、それは、あくまでもアニミズムの世界へ自分を引き込むための手段であったと云うことだ。

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朗報 

2018/10/19
Fri. 23:54

周知のように、私は二紀会彫刻部の会員で毎年秋のこの時期には六本木の美術館へ彫刻を出品している。
ワイフの吉田満寿美も彫刻部の会員で、吉田家の夫婦はもう30年以上しばしも休まず彫刻をつくり続けている。
ワイフはその間、4人の子供を産んで育ててくれた。

長男のじゅん君は9月生まれだから、彼の時が一番制作に苦労した。
彼女はまだミクストメディアに入る前の頃で、鉄板を使ったり木を使ったりして彫刻を造っていた。搬入は10月のはじめで、それから審査があって入落が決まって入選すれば10月の半ばに陳列展示をして会期が始まる。
制作期間は長男が生まれて産後すぐでもあるし、とても自力で大きな彫刻を制作する体力も時間もないから二人でどうしようか相談して、1年ほど彫刻を休むという選択肢のことも本気で考えた。それでも、数年間続けているワイフの彫刻テーマがそれで一旦絶えてしまうということが残念でならない気持ちもあるし、大きなお腹を抱えてスケッチもしていたしマケットのいくつかも造っていたから「それじゃぁ、オレがマッチャンの手足代わりになるよ・・」と宣言して、自分の彫刻を造りながら彼女の材料を裁断したり組み立てたりして、彼女の方は、自分でないとできないパーツを搬入ギリギリまでコツコツ造って、最後の最後に一発勝負で組み合わせた。
そうして苦労した彫刻は、かろうじて入選して展示することができた。

公募展の制作出品は、とにかく研究と発表を継続することで実力が身につくし、さまざまな彫刻家との交流が作家性の刺激につながる。島根のような田舎で制作を続けていると刺激とか感動とかに巡り会う機会もほとんどなくて「まぁ、それでもいいや・・」とか「この程度で十分満足だね!」とか、とにかく、徹底的に自分に甘えて自分の現状に満足してしまうところがある。
日本に限っても世間は広いし、公募展に限っても1年中絶え間なく様々な公募会派の展覧会が繰り返されていて、美術文化も狭いようで実はけっこう多岐にわたってイガイに広かったりする。
吉田家の二人の彫刻家から少し遅れて二紀会絵画部へ出品をはじめた古くからの友人のタケちゃんがやっと今年の作品で推挙されて会員になった。実に目出度いことである。
彼の絵画は、少なくとも二紀会絵画部では他に類を見ないオリジナルであり、どの作家とも傾向や方向性が違ったところに位置している。
会員になるまでが実に長かった。これで、やっと本当に自分がやりたいことを誰に遠慮すること無く極めることが出来るようになった。彼のことだから大丈夫だとは思うが、今までの数十年の蓄積をベースにしてこれから造形の展開を広げてグイグイ攻めてほしい。

自分のすぐ近くで面白い仕事をしてくれる仲間がいてくれることは、自分への励みになる。彫刻家のワイフがいて、彫刻家のストウさんがいて、それにタケちゃんが加わってくれた感じだ。ボクも、もうしばらく彫刻を造っていけることができそうだ・・・
祝勝会と激励会を兼ねて久しぶりに「まっちゃん食堂」を開店することが決まった。

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カムバックグッチャン 

2018/10/18
Thu. 23:31

グッチャンが石見銀山に点在する鉄の野外彫刻を観て、フラリと吉田家へ立ち寄ったのは、まだ彼女が20代の頃だったと思う。
初対面のその時に、お茶飲み話で彫刻のことを話したのがきっかけで、それからしばらくして勤めていた仕事をやめて吉田家へ転がり込むように単身石見銀山へやってきた。
その頃の吉田家はまだ子供も小さかったし、犬のシェパ君も居て私も定職があって昼の間はワイフが一人で吉田家を切り盛りしつつそろそろ時間講師でもしてみようかと思い始めていた時期だったから「君の仕事は犬の散歩ネ!」と、それを条件にほとんど未使用だった変形の8畳を彼女の部屋に提供した。
子どもたちも彼女によくなついて、子守代わりもしてくれて、それなりに吉田家としては重宝した。
それでも彼女は何もしないで彫刻の制作三昧で毎日過ごすわけにもいかないから、近所のアパレル会社でアルバイトをすることに決めて、それからあとは1日や1周間や1ヶ月のスケジュールもしっかりと固まってくるし、生活のリズムもつかめてきて、時々私の彫刻の手伝いをしながら塑像の制作にとりかかった。
首像からはじめて石膏取りをして、そういうことを繰り返しながら続けていたアルバイトも本格的になって、会社の重要なポジションに定着して、それがきっかけになって吉田家から独立して会社所有の一軒家に住まわせてもらうことになった。
それから、塑像制作が本格的に回転するようになって、「制作工房があると良いね」ということになって、探し当てたのが棟梁の工場事務所。
ひとの良い、面倒見の良い棟梁の御陰もあって、夜な夜な棟梁の工場の事務所へ通いながら制作を続けて、等身大の彫刻を石膏取りをするまでになった。
住まいも、自分で探して会社の社宅から独立したが、「彫刻を造ることを優先したいから・・」と、アルバイト待遇の方はそのままで仕事を続けた。

グッチャンは、どちらかというと、彫刻のセンスがあって器用にオシャレにサラリと制作できるタイプではない。
一つ事を自分が納得するまでコツコツと積み重ねて、対象に誠実に向き合い、存在をトツトツと追求することに時間を惜しまないタイプの彫刻家になりつつあった。初期の頃は、粘土に伝わる指の跡も一つ一つが点で止まって、そういうことが連続して積み重なっていくふうな作風で、それは一方で流れるようなムーブマンの勢いを阻害してしまうし、造形の重心を低い方へ押し下げてしまうような重たい彫刻になることが多かった。
自分が納得しながら一つずつ制作を積み重ねることによって、ゆっくりではあるが確実に造形力が伸びる方向へ向かっていた時に結婚して石見銀山から東京のマンションへ転居した。しばらくは生活を優先の日常が続いていたが、数年の間に小さなテラコッタの彫刻を造れるまでに立ち直った。それから、毎年島根の現代彫刻小品展を目標に制作を続けてくれて、その後関東のグループ展へ出品する機会も得てだいたい10年が過ぎた今年になって、久しぶりに六本木の展覧会へテラコッタの胸像を出品した。
素材に忠実で仕事の痕が最小限まで抑えられて、表情の内面へ引き込まれるような清楚で慎ましやかで上品な胸像に仕上がっていた。審査委員の心が揺れたのかも知れない・・奨励賞を受賞した。造形力の蓄積が裏付けられた見事なカムバックだった。

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人には添うてみよ 

2018/10/17
Wed. 23:46

高校の時から一人暮らしをはじめて、その延長で上京して東京ぐらしが10年続いた。
30歳に近づいても、まだ定職につかないままフラフラしていたから、そろそろシャンとして「何処かの採用試験でも受けなければ・・・」と思いつつ、それでも今ひとつ就職に本気になれないでいたのだが、ちょうどその頃両親が相次いで大病を患って、父親が手術を受けたり入院が長引いたりして萬善寺の行く末に暗雲が湧き上がった。それからしばらく闘病生活が続いていたが、発達中の医療の御陰で日常の暮らしを取り戻すまでに回復した。
「本気で帰省を考えないと・・・」いけないことになったので、10年目の7月になって島根県と広島県の教員採用試験を受けることに決めた。
ちょうど、後輩に広島県出身の娘がいて、その娘は頭も良くてよく勉強をしていたから、お昼ご飯とかちょっとおしゃれなディナーをネタに試験のノウハウを色々教えてもらった。
お陰様で、両県とも無事に合格して、その年の秋になってから通知が直接寺の住所へ届いた。昔のことで記憶も定かではないが、広島県からの連絡が1日ほど遅くて島根県の採用通知を承諾した後だったことはよく覚えている。これが、逆だったら今頃は広島県と縁が続いて石見銀山に自宅をかまえていなかったかも知れない・・・
とにかく、自分としては両親に引き戻された格好で島根県へUターンしたことになる。
ワイフとは、すでに数年間の付き合いが続いていたから就職を契機に結婚することを決めて、勤務校が決まって辞令交付直前の3月末に慌ただしく仏前で結婚式を上げた。
長男のじゅん君が生まれたのはそれから3年ほどあとだった。
その後、なっちゃんにノッチにキーポンと女の子が続いて三姉妹になった。
4人の子供はそれからスクスク成長してみんな立派な社会人になった・・・はずだが・・

今年の秋になって、隠岐の海士町で音楽の講師をしているじゅん君から中学校音楽で正式に教員採用が決まったと知らせがはいった。
彼が先生に向いているがどうか?・・・オヤジとしては自分のDNAを引き継いでいるだけに少々不安ではあったが、本人は音楽教師一本に絞って脇目も振らず勉強を続けていたから、結果的にはそれでよかったと思っている。
それから、オヤジの分身のようにフラフラと落ち着かない暮らしを続けていたノッチが、ちょうど自分と同じ年齢で本気になって採用試験を受けた。
それが、六本木の展覧会オープニングの日・・・
「面接1時から30分ほどで終わるらしいの・・・だから、2時位には美術館行けるよ!」
ノッチとの約束から逆算してキーポンと美術館へ向かっていたら、「もう終わったから、これから移動します!」と連絡が入った。面接は15分で終わったらしい・・・
それから3人でお昼を食べて、お父さんとお母さんの彫刻が展示してある会場を回った。
何人もの彫刻の友人に合って挨拶をしたり娘たちを紹介したりして、Hさんとも会場であった。
Hさんは、ノッチがまだ小学生くらいのときから知っているし、キーポンも小さい時から何度も合っている。
彫刻展示室のど真ん中で、ノッチの就職試験をネタに大いに盛り上がった。

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六本木スタイル 

2018/10/16
Tue. 23:08

高速バスが1時間半遅れて新宿バスタへ着いた。
寝ていたからどうして遅れたのかよくわからないが、途中の事故と朝の通勤ラッシュに捕まったらしい。
荷物は、肩掛けバックと頭陀袋だけだが、彫刻の陳列に必要なものは少ない。
定刻に到着していたらキーポンの部屋へ寄っていらない物を置いて身軽になってから六本木へ向かおうと決めていたのだが、それをすると陳列作業に遅刻してしまいそうなので諦めた。
特に腹も減っていなかったが、時間調整も兼ねて近くのマクドナルドへ入った。
島根のマクドナルドはいつも閑散としているが、流石に新宿はお客も多くてほぼ満席だった。空いた席を見つけて、コーヒーを飲んで少し落ち着いてから久しぶりにラップトップを開いた。

9月に入ってから、外泊や寺泊を繰り返しながら、時々石見銀山に帰って寝るという、なんとも落ち着かない毎日が続いて、まさに今もその延長にあるから、以前に比べるとラップトップをつつく時間も半減した。
自宅に帰ればデスクトップもあるが、夜になって起動するのも面倒臭いし、結局何もしないでそのまま寝てしまう。
ひと頃のように、毎日毎晩パソコンをつつくようなことが珍しくなった。
今年にはいって急に忙しくなってきたというふうに思うこともないのだが、やはりどこかしら暮らしの慌ただしさがキーボードとの距離を遠ざけていることになるのだろう・・・
その気になってキーボードをつつき始めたら、コーヒーを一杯飲む間にA4の1ページくらいは普通に埋まる。
そのコーヒーも、このところコーヒーカップを使って落ち着いて飲むことが減った。自宅の時は、ワイフが入れてくれたモノを蓋付きのマグカップへ入れ替えて出かけるし、寺泊の時は朝目覚めると自分で豆を挽いて直接マグカップへ落として蓋をする。出先ではコンビニコーヒーを買ってそれをマグカップへ移し替える・・・ようするに、このところコーヒーを飲むというと、ほとんどが銀くんを運転しながらチビチビやっているということ。そういえば、コメダ珈琲もしばらく行っていない。

なんとなく、マクドナルドのコーヒーを飲みながら、こうしてプチプチやっているだけで、もうほとんどA4が1ページ分埋まりかけている。まぁ、時間調整の暇つぶしには丁度好加減だ・・・

六本木の陳列作業は、特に大きな障害もなく無事に終わった。展示の組み合わせはザックリと頭の中でシミュレーションしておいた。最近は展示位置が固定されているので、こういう時に助かる。美術館の野外展示室で、外壁との距離感や全体の色調などのバランスがおおよそ頭に入っているから、それを念頭に彫刻のスケールを決めている。野外だけでもだいたい20点前後の彫刻が集まるから、他の作家へ迷惑のかからない範囲で比較的自由に配置を構成させてもらっている。
今年も沢山お手伝いを頂いた。自分の彫刻はそうやって六本木スタイルが完成している。

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夫婦の距離 

2018/10/15
Mon. 23:49

午前中からいくつかの用事を済ませて、少し早めに石見銀山を出発した。
出雲市から高速バスに乗ると、翌朝には東京へ着いてそのまま1日中仕事ができる。
飛行機や新幹線の交通手段もあるが、どうやって都合をつけても前後2日間が往復の移動日になってもったいない。
いいかげんジジイに近いオヤジとしては、睡眠不足になるし身体は固まって動きが鈍くなるし足は浮腫むし、たいして良いこともないのだが、とにかく、窮屈で余裕がないスケジュールをさり気なく消化するには高速バスが最高の移動手段になる。

出雲市までは私がワイフの愛車を運転した。
久しぶりにオートマチック車へ乗ったから、気がつけば左足のもっていく場所を探してしまっていたりして、慣れるまで少し時間がかかった。
バスの移動日が決まっていたので、その後に入った用事はすべてキャンセルして半日ほど空けておいた.。それで時間にも気持ちにもずいぶんゆとりができた。
こういうこともめったにないから、ワイフを誘って映画を見た。
映画館はもう20〜30年は遠ざかっていた。
映画そのものはとても好きなので、ホームシアターでHuluとかAmazonプレミアムとか、色々な手段を使って関係を切らないようにしていたが、今は夫婦割引やシニア料金など色々な特典が利用できるようになったので、時々夫婦で映画を見て食事をして、家庭内別居やオヤジの単身赴任などで疎遠になっていた夫婦の距離を修復する手段に重宝している。

「日々是好日」が封切りされていた。
樹木希林さんの事もあって話題になっていたから、きっと満席に近いかもしれないとビクビクしながら映画館のエスカレーターを登ってみると、人影もまばらで、難なくチケットが購入できた。
場内は我々も含めて10人もいるだろうか?・・・
お陰様で、ノンビリとマイペースに映画へ集中することができた。
「日々是好日って、あぁ云うことだったのね・・・なんとなくどんな意味かわかったような気がしたわ・・」
観終わって、夕食の時にワイフが感想を喋った。
私は、萬善寺の庫裏のひと部屋にある額を子供の時からみていて、中学生になった前後に崩しきった額の漢字が何となく読めるようになって、高校を卒業する頃にそれが禅語の一つだとわかって、それから半世紀が過ぎる間に、何時の頃からか自然にその意味が頭にはいる・・というより気持ちに馴染んで、特に忘れることもなく、気がつけば時々折々にフッと思い出すことを何度も繰り返しながら今に至って、そして、映画の日々是好日を観ることになった・・・という次第。
まぁ、端くれ坊主の自分が云うことでもないと思うが、坊主的にみると「少し説教臭いかな?」と思わないわけでもなかった。それでも、時間の流れがゆったりとしていて、昭和の香りが漂ってくるようなとても味わい深くて良い映画だった。日々是好日の意味を知らないひとが観ると「また違った印象になるのだろう?」・・そういう映画だった。

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要害山を望む 

2018/10/14
Sun. 23:18

六本木の陳列展示が近づいているから、萬善寺の仏事を繰り上げて日程調整をしておいた。
その中で、七日法要が一つ残っていて、コレばかりはあまり大きく日程をずらすこともできないから、移動日の方を調整してギリギリのスケジュールを組み立てた。
それで、朝の9時にはもうお経を読み始めるようなことになって、施主家には迷惑をかけた・・・と思っていたら「お陰様で早くに来てもらって助かりました。今日は子供の試合がある日でして・・・」と逆に感謝されてしまった。

過疎化の進む飯南高原で、男二人女一人の子どもたちは、今どきの若い家族にとって貴重な子沢山になる。その長男さんが地域の少年野球チームに入っている。
隣の行政区では、9人の野球チームを確保することができなくて苦労しているし、結局最終的には個人競技中心のスポーツ少年団に切り替えたところもある。
親の考えも様々だから、ことの良し悪しは地域事情で決まるようなところもあって、若い世代の人口流出を食い止めるための行政対策がなかなか難しい。
最近では、第一子から無料保育無料給食を保証する行政区も出てきた。
吉田家の4人の子どもたちが育った頃はそういう行政からの保証などなかったから、親のボクは子どもたちの教育費を稼ぐことで必死だった。
「自分が楽に暮らすには子供をつくらなければいいだろう・・・」と、吉田家が子育てをはじめた頃はそういう気持ちも周囲には色濃く漂っていた。
今は子育ても終わって気楽な夫婦の二人暮らしが戻ってきたから、まだ若かったあの頃の子育ての苦労も良い思い出に変わっている。

寺のことでいろいろと積み残しの用事が残ってはいるが、ひとまず彫刻の用事を優先にしてお昼前には石見銀山へ向かった。
数年前までは、コロコロトランクへ数日間の着替えなどを詰め込んで、結構大掛かりな旅行準備になっていたが、最近はいつもの肩掛けバックと陳列作業用の一式を頭陀袋へ詰め込んだものと2つくらいの荷物にまとめて身軽に済ますようになった。
キーポンが東京暮らしをはじめたからそういうことも可能になったわけで「ボクの子育てもなかなか上手くいった」と、内心そう思っていてずいぶん助かっている。
9月に帰国したノッチも住むところが決まって少し落ち着いたし、1日くらいは彼女も一緒に夕食ができると良い気もしているが、本人の都合もあるだろうし、もちろん私の彫刻展示の仕事もあるから、まぁ、運良く時間の都合が合えばその時にどうするか決めるくらいでいい。

簡単に荷物の準備をして、あとは富山町のフィールドアートワーク関係の事務に切り替えた。
チラシをつくる都合もあるし、いくつかのデータを整理していたら、周藤さんが届けてくれた野外彫刻の写真があったので、今回はそれを原稿にすることにした。
富山町と出雲地方の境界にある要害山を背景に霜を被った彫刻がキレイだ。
その要害山は石見銀山の銀を目当てに戦国武将たちの攻防戦で激戦地だった。

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モビール事情 

2018/10/13
Sat. 23:33

1ヶ月に2日ほど江津にある全寮制の高校へ行っている。
用事は全員活動の講師。
全員活動はクラブ活動のようなもので、私はその中で一応美術に関する何かの教材を用意して高校生とワイワイやりながら何か美術らしきものを制作表現するようなことをしている。
特に決まったカリキュラムとか指導案とか、そういう面倒臭いことをするなら引き受けることもないと思っていたが、校長先生からは「生徒が喜ぶようなことならなんでも良いですから・・・」と云われていて、その程度のことならボクの乏しいボキャブラリーでもなんとかなるだろうと引き受けてから、早いものでもう3年は過ぎたはずだ・・

さすがに、前日の夜寝る前にネタのチェックをひと通り済ませるだけでは、2時間の制作活動もうまく回らないから、まぁ、それなりにさり気なく事前準備などをしておくのも大事なことだ。
美術と云うと、とかく絵を描くことのような平面的なネタに偏りがちで、選択の生徒たちもどちらかといえば「絵を描くことが好きだ!」とか「絵が上手に描けるようになりたい!」とか、そういう理由でクラブ活動を選択することが多いらしい。それにプラスして陶芸とか野外活動とか他の選択が定員オーバーで第二希望へ流れてきた若干名が加わる。

どちらかといえば、小さい頃から絵を描くよりモノを造っている方が楽しかったところがあって、それの延長で今は彫刻をメインに制作を続けるようになった。
基本的に絵を描くことも嫌いではないのだが、途中で集中が切れてだんだん面倒臭くなって完成するまでのどこかで気持ちが別にそれて中途半端でいい加減な絵になることばかりで、どうも自分の性に合わないところがある。だから、とにかく自分で何かしていて楽しいと思えるようなモノを条件に教材を用意するように心掛けているつもりだ。

今回はモビールを造ることにして、工場の彫刻制作の合間にホームセンターとダイソーへ回って適当な材料を揃えておいた。
ホームセンターは平屋の床面積がやたらとヨコに広がったつくりなので、1年のうちに数回くらいしか用事のないボクにとっては、購買意欲が消滅するほどのストレスを感じる。だから棚卸しの度に商品の場所が移動するような大手ホームセンターはできるだけ避けて品数は少ないが適度に狭くてお目当てのものを探しやすい店を利用するようにしている。
ダイソーも似たようなもので、1年に数回しか立ち寄ることがない。
今回は、お目当ての材料を揃えるにはダイソーが一番楽だろうと仕方なしに決めた。
案の定、店内の商品棚が前回からガラリと変わっていた。
針金一つ探すにも、店内をぐるぐる回ってやっと見つけたし、定員に聞こうと思ってもレジカウンターに張り付いて接客しているおねえさんとおにいさんが2人いるだけで、あとが見当たらない。
ワイフのように買い物が趣味になっているような人々にとってはワクワクするようなお店なのだろうが、ボクは実に苦痛だ・・・それでも、その苦痛の先には「制作の楽しさが待っているのだ!」と思いつつ痛い膝をかばいながらひたすら店内を歩き回ったのでした!

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秋の夜 

2018/10/12
Fri. 23:10

このところ、慢性の膝痛に悩まされている。
骨の方に異常は無いようだが、筋が固くなって少しでも膝を曲げると激痛が走る。
元々は足首の不具合があって、それが膝に回ってきた感じだ。

夜寝ていると、右膝の外側がピリピリ痛み始めた。少し身体をひねって、一番楽な体勢を探しながら布団の中でイジイジしていると、膝からスネにかけてズシリとした重さを感じる。少し前に夏の布団から化学繊維の綿入り布団へ変えたところだったので、その布団の重みが足に伝わっているのだろうと思っていた。
ほとんど寝ている状態で完全に覚醒しないまま、またしばらく眠ってしまっていたようだ。

それから布団の重みがどうしても我慢できないくらいになって本格的に目覚めた。
目が覚めたついでにオシッコもしておこうと起き上がろうとしたら、腰から下の足にズシリとした重みが伝わって思うように動かない。
今年に入って、膝の痛みをごまかしながら今までだましだまし動いていたから、遂にその「ダメージが下半身全体へ回ったのかも知れない?・・・」と思い始めたら急に怖くなって冷や汗が出た。そうなると、それまであまり気にならなかった尿意が我慢できなくなってきて、とにかく起き上がって歩くことをしないとオシッコが漏れてしまいそうだ。
暗い中で電灯のコードをさぐって引っ張った。
部屋がほの明るくなると、何やら丸くて黒い物体が足元からスネのあたりに張り付いて見える。
最初は、いつも使っている低反発の枕が寝ている間に足元まで転がってしまったのかと思っていたが、その枕が少し動いたように見えた。それでまたドキッとして冷や汗がドッと出て背筋に寒気が走った。
とにかく、このままではオシッコが漏れてしまいそうだから何とか立ち上がらないといけないと意を決して痛い膝を動かした。すると、枕から「ニッ!」という音が聞こえてまた少し動いた。今度は絶対に動いた!
首をひねってメガネを探して掛けて、よく見るとクロだった・・・少し動いたのは、クロの短い団子しっぽだった。

クロが何時布団の上に乗ってきたのか全く覚えがない。
このところ彫刻制作で工場通いが続いている。
知らない間に制作の疲労が少しずつ溜まっているのかもしれない。
結局、痛い膝をかばいながら布団から抜け出してオシッコに立つまでクロは動かないままだった。
トイレに入っているとドアの外で「ニャァ〜〜」とクロが鳴いた。
夜中にご飯をあげたりしてドタバタしていたら、ワイフの部屋で明かりがついた。覗いてみるとシロがワイフの腕枕で寝ていた。それからワイフも起きてきてトイレに入った。今度はシロがドアの外で「フニャ〜〜」と鳴いた。
もう完全に目が覚めてしまって寝れそうにない・・・まだ、夜の3時半だ・・・

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旅のお供 

2018/10/11
Thu. 23:29

来週早々には六本木の陳列がある。
早割だと飛行機もかなり安くなるが、私は高速バスを使うことにしている。
急な天候不順の影響を受けにくいからだ。それこそ、高速バスが運行停止になるとすると巨大な地震が発生した時くらいのものだろうと思っている。
抽象彫刻の場合は、展示や陳列の作業を自分で責任持たないといけないところがある。特に私は会場で構成を考えながら組み立てる方法をとっているから、自分がその場にいないとどうしようもないことになる。小難しく云うと自分なりの彫刻に対するコダワリのようなものだ。
今年も、そんな感じでいくつかのシミュレーションを用意して彫刻と周辺の演出用素材を搬入のトラックへ積み込んでおいた。

そろそろ、東京への移動中に欠かせない耳のお供を用意しておこうと思いついて、iTunesやAppleMusicを確認したり、YouTubeで新譜を調べたりしていたら、ウイントン・マルサリスを見つけた。もう何年も前のことになるが、一時期よく聴いていたことを思い出した。
それほど詳しくないが、それでもどちらかと云うとJAZZは好きな方だ。
特にどのジャンルでなければいけないと云うほど一つの系統にこだわるわけでもないから、例えばJAZZとなるとウイントン・マルサリスくらいの時代を超えた何でもそつなくこなす技巧派のジャズマンは何かの時のバックミュージックに都合が良い。それで、夜のお供で久しぶりにAppleMusicから彼のアルバムを引き出して聴いてみた。改めて聴いてみると、やはり彼の多才ぶりが身にしみた。
それはそれで良いのだが、高速バスの中で睡眠を誘導させるには適さないと思った。
私の場合、やはりキース・ジャレットあたりの、一本筋の通った頑固で振り幅の少ない方が気持ちよく安心できて自分の世界に入りやすい。
最近は、スムース・ジャズとかフュージョン・ジャズをよく聴いていたから、サキソフォンとかトランペットとかギターとかそういう音色から少し離れたかったのかもしれない。そうすると、なんとなく自然にピアノやボーカルくらいで楽に落ち着ける方が良いと思うようになって、他にもチック・コリアとかハービー・ハンコックとか、渋くオスカー・ピーターソンとかビル・エヴァンズとか・・・まぁ、色々探っていたらドンドン夜が更けて目も冴えてきて眠れなくなってきた。

自分がJAZZを好んで聴くようになったのは18歳で上京してからだった。あの頃は、特にJAZZ好きの友人がいるわけでもなかったから、誰かに誘われてしだいに好きになっていったというわけでもなかった。自分にとってのJAZZは、なんとなく当時の自分の曖昧で混沌として身の置所の定まらない将来のことも薄靄に包まれてぼんやりとしてなんとも中途半端でやり場のない状況を代弁しているように感じるところがあった。
新宿のDIGやDUGは、店内に入ると巨大なスピーカー(確かJBLだったかなぁ〜?・・)から流れる大音量のJAZZに全身が包み込まれるような感じになって、一杯のコーヒーや水割りで一人の時間をいつまでも楽しむことができた。
耳のお供は「やっぱり、ボクの好きなキース・ジャレットにしよう!」

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探り電話 

2018/10/10
Wed. 23:28

着信がいくつかあった。
もう、何年も前から吉田家も萬善寺も自宅電話はFAX専用にしてしまって、何十回鳴り続けても無視して受話器をとらない。
そういうコトを続けながら、親しい知人とか仕事の関係者とかだけには自分の携帯番号を伝えているうちに、自宅電話の鳴ることが少しずつ減ってきたものだから、少し前にFAXもあるプリンター複合機へ電話回線を直結して自宅電話を廃棄した。
実に主観的で自己中心的な限り無く一方通行に近い電話の使い方をしているから、世代が少し違えば吉田のワガママになかなかついていけないところもあって、何かしらねじれた不具合が生じたりして、それはそれで若干面倒だったりするものの、自分から遠く離れたどうでもいい面倒臭い用事とかうっとうしい販促電話とかは完全にシャットアウトできるから、自分では何不自由なく数年間が過ぎて今の状態に慣れてしまった。
それでも、テキモサルモノヒッカクモノで、ツテにツテを頼ってボクの携帯番号を探り当てて電話が掛かってくることもある。
「おぉ〜、萬善寺さん!今いい?大丈夫?」
同級生の獣医から掛かってきたのも、そういうたぐいの探り電話だった。
「大丈夫だけどナニ?・・・良いラム肉でも手に入った?」
その、同級生の獣医は自分の職業の良い蔓を持っていて、新鮮な肉を数kg単位で安く買い貯めしている。太っ腹なところもあって、時々同級生のオヤジどもを誘って焼肉パーティーなどもするし、ラム好きのボクには原価で譲ってくれたりする。
「来島小学校の先生が吉田と話したいことがあるらしいんだけど、電話番号教えても良い?」
「それ、どういう話?」
「なんか、彫刻のことで聞きたいことがあるらしい・・・」
「そういうことなら、良いよ・・」
「○○先生という人から、そのうち電話があると思うんで、じゃぁ、よろしく!」
だいたい、9月とか10月とか、11月から年末までは萬善寺の住職が無住職状態になって彫刻家の吉田になる時期だから、制作絡みの用事以外はできるだけ避けて通っているのだが、そういう、同級生のツテを頼ってこられると逃げのウチようがない・・・

その日のうちに来島小学校の、該当の先生から早速電話があった。
たまたま、保賀の用事もあったりして寺にいたときだったから「今日は夕方まで寺にいますよ」と伝えておいた。
来島小学校は、吉田の母校である。
今の小学校は新しく建て変わって20年は過ぎただろう。昔の面影は全く無いほどに周囲の景観も含めて変わったから、特に懐かしいなどとは思うこともないが、一方で来島中学校は私が学生で東京暮らしの時に廃校になって、それからしばらくして取り壊されて更地になって、今は来島小学校のグラウンドの一部になった。中学校の歴史は絶えたが小学校の方はとりあえず未だに存続しているわけだから、それはそれで地元の住民としてはありがたいことだし、吉田ごときで出来ることでもあればできるだけ「NOは言わないようにしよう!」と、心に決めている・・・なんか、ジジ臭いことを思うようになったものだ。

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不確か情報 

2018/10/09
Tue. 23:20

いつもこんなだったかなぁ〜〜〜・・・

今年は10月に入って展覧会絡みの報告というか何というか、特にボクにはコレと云って重要なコトでもないのだけど、まぁ、考えようによってはわざわざ吉田目指して様々な現状を大きなタイム・ラグもなく逐一こまめに伝えていただいているわけで、それはそれで、周囲が吉田を忘れていなかったということが実感できて、密かに嬉しかったりもする。こういうことが、あと何年続くかわからないが、ボクも美術とか彫刻の世界ではまだ十分に現役でいられているということだとともいえるわけで「知らない間に義理や人情が優先の付き合いだけになっていた!・・」というようなことだけにはならないように気をつけようと思う。

さて、そんなわけで、いくつかの報告の中で一番嬉しかったのが昔から苦楽をともにしている絵画の友人が「受賞するか推挙されるかどちらかもしれない??・・」という、なんとも不確かな情報・・・
今までに何度となく彼にはそういう機会が巡ってきそうだったのに、その度に何度もスルーされていた。吉田としては、彼のそういう状況がわかる気がするものの、一方で歯がゆくも感じていた。
当初から彼の作風は、彼の研究を積み重ねた先にある完全に彼オリジナルのものであった。私から見ると、目を瞠るような鮮烈なデビューだといえる。
一方で、今の公募団体展でくくられた画壇に彼の絵画性がどこまで理解してもらえるか不安だった。
「彫刻が向いてるんじゃない?」とか「絶対彫刻のほうが面白くなるよ!」とか「その作品が彫刻になっても全然問題ないんじゃない!」とか、あらゆる手段で彫刻へ誘ったこともあったが、頑固な彼はかたくなにそれを断り続けた。
何時の頃からか「あいつは本当に絵を描くことが心底好きなんだなぁ〜!」と残念だが私も納得するようになった。
その頃から彼の迷いが絵に出てきたように感じた。彼にとっては試練の数年だったと思う。
その試練の数年がとにかく長かった・・・自分でパンドラの箱を開けてしまったと云うか、ラビリンスの扉を開けてしまったと云うか、そういう感じで、少し距離をおいて見ているうちに、彼の絵画はカオスと苦悩の世界に染まった。
ある日、彼の自宅のすぐ近くを通過することがあって、ちょうど日曜日だったしひょっとしたら自宅にいるかも知れない?・・・と、ちょっとした思いつきで訪問したとき「もう、彼とはこれから先、昔のように付き合うことは難しいかもしれない・・・」と、思うことがあった。彼や彼の奥さんが在宅だったが、とにかくどことなくよそよそしくて取り付く島もないほどで吉田との距離が一気に遠ざかった風に感じた。それからあと、一歩も二歩も下がって彼との付き合いを遠ざけていたが、どうしてもその離れた距離に我慢ならなくて今年の春のある日、彼と飲む機会をつくった。とにかく、飲んで喋って私の鬱々とした彼に対しての数年間の気持ちを伝えた。
それが良かったのかどうかよくはわからないが、今年の彼の絵画は少し変わっていた。

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彫刻事情 

2018/10/08
Mon. 23:48

曇で風が少し強いように感じるが、台風の影響ではない気がする。
時々お昼の休憩に使っている海岸は、工場から5分位のところで、1年の数カ月は石の海岸になる。9月に来た時は砂浜海岸になっていたが、今はほんの少し申し訳程度に小石が戻っていた。

六本木の彫刻絡みのことで友人のHさんからメールが入っていた。
今年は島根から4人の出品があったが、難なく審査を通過したようだ。昔一緒に彫刻出品をしていた仲間も結婚で東京へ行ってから、久しぶりにテラコッタの胸像彫刻を出品してくれたらしく、「なかなか品のある良い彫刻を造っていた」とメールにあった。
Hさんは、出品歴が私とほぼ同じで、もう35年位は続いていると思う。委員に推挙されてからでも10年にはなるはずだ。彼は基本的に具象彫刻の作家で、石彫や限りなく本焼きに近いテラコッタ彫刻を制作している。野外会場へ彫刻を展示しはじめた時期が私とだいたい同じで、それ以来、どの作家よりも親しくお付き合いすることが増えた。私の方は、島根の田舎で鉄を使ってどちらかといえば抽象がかった彫刻ばかりを造っているから作風も感性も全く違って、特にコレと云った造形の共通点もないし方向性も違うのだが、なぜか気の合うようなところがあるようだ。自由気ままでわがままな会員の吉田とは、あまり親密にならないほうが彼の今後の為だと思ったりもするが、まぁ、性格も頭も良くて事務仕事もできるし、それにもちろんテーマのしっかりと見える良い彫刻をコンスタントに発表している実力者だから、今後、組織の上を見るような時期になればそれはそれで付き合い方も変わってくる時が来るだとうと思っている。
メールには「全般に彫刻が小さくなって出品点数も減った・・・」とあった。
世間の景気は上向いているようだが、美術界や文化事業の方は未だに冷え込みが続いているようだ。

この近年、自分の周辺の彫刻事情が落ち込んで、昔のように見惚れるような刺激的な造形をたくさん見る機会が無くなってきた。まずは、自分の目が曇って感性も鈍って自分自身が劣化してしまってきたのかも知れないと思ってみたりするが、それでも、一方で今の造形力の低下は自分だけのことではない気がする。各種大賞展と違って公募団体展は出品作家の固定や継続が組織の力量や特色につながる。それぞれの組織で造形の方向性が微妙に違うことも審査の方向性と連動する結果だと思う。審査員の力量は組織を構成する作家一人ひとりの造形力に反映されるから、審査員だからといっていいかげんで適当な制作に走ってしまわないよう、終始徹底的に自己管理を厳格にし、常に最高の造形表現を目指すことが大事なことだ。出品者はそういう審査員の背中を見ながら制作の力量や彫刻の魅力に刺激を受けて自らの彫刻制作に還元することを目指しているはずだ。
私が公募団体展へ彫刻を出品し始めた頃は、作家歴の浅いアマチュアの若造と彫刻界の重鎮とも云えるような凄い彫刻を制作する審査員との距離がずいぶん近かった気がする。今はお互い世間のコンプライアンスとかハラスメントとか、そういう面倒臭いことに縛られてずいぶんと人間付き合いも難しくなっている。表現者の集団は本来もっと過激であるから新しい発見もあって感動もあって、そういう刺激が制作や作品に反映されているということ・・それが正常と云えるような気もするのだけど・・・ボクは・・・

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台風の後・・ 

2018/10/07
Sun. 23:44

法事へ出かける頃には雨も風もやんで静かな朝になった。
秋の台風が日本海を通過したことが嘘のようだ・・・それから石見銀山へ帰って・・・夕方まだ波の残った日本海へ出ると、沖の方をタンカーがゆっくりと西へ向かっていた。

鳥取在住で私と同じ公募団体展へ出品しているまだ若い絵画のMさんから「どうやら入選したらしい・・」とショートメールが入っていた。
彼女は、地元の大学で美術教育を専攻して卒業してから学校の先生になった。
ワイフが付き合って出品している山陰のグループ展へ彼女も出品していて、ワイフの搬入を手伝ったりしているとき何度か会場で絵を見かけたことがあったものの、その頃は、それほど強く印象に残る絵画であると思って観ていなかった。その次のグループ展のときだったかに観た絵もあまり印象になかったのだが、どこかしらその展覧会の中では面白いセンスを持っているように感じたので、その時企画していた美術イベントの教室個展へ誘ってみた。そうすると、いがいにすんなり食いついて出品してくれることになった。

会場は廃校になった小学校の教室だから、大きな絵画が楽に展示できるようなシステムではない。そういう現状を説明して、いくつかの過去資料も用意して、あとは作家の自由に任せて、展示の手間などの諸経費を保証することを伝えて、おおよその打ち合わせを済ませた。
会期が近づいてから手間の手配を打ち合わせして、いつも私がお世話になっている棟梁へお願いして彼女の展示へ付き合ってもらうことにした。
それから、それなりにいろんな事があったが、ひとまずイベントのオープンには間に合って展示の終わった会場へ行ってみると、グループ展へ出品していた絵画作品とは全く違ったインスタレーションになっていた。
「彼女はこういうセンスも持っているのか・・・」
意外ではあったが、一方で印象が大きく変わった。

山陰の小規模な仲の良い友達が集まって出来上がったグループ展も、それはそれで出品者にとってはとても大事な研鑽と発表の場ではあるのだろうが、吉田としては、そういうところでの造形に関するディスカッションが自分の制作や表現の伸長に影響できているか、あまり期待できない気もしている。
結局は、グループ展に限らず発表の実践においてとても重要な制作上の趣旨でありテーマであるところの根本をそれぞれ作家個々人がどれだけ共通理解を持って認識し共有してお互いを高め合い刺激しあっているかが大事なことで、そういうことにどこかしら曖昧なところがあって、ある種のヌルサの共有に作家間の居心地の良さがあったりするような環境になっていたりすると、それで自分の作家性の成長や向上を期待することはなかなか難しいことなのだろうなぁと思ってしまう。それぞれの作家が自分の造形表現を研究し成長を目指すことはまず当然なことだが、その自分の表現システムや主観を押し売りしたりしはじめたら、もうどうにもならないし表現の成長を阻害することにもなりかねない。
彼女の場合は、そういうグループ展や周辺の作家事情も含めて現状をクールに認識しながらピュアな自分のセンスを磨き続けてほしいものだ。
・・・とにかく入選おめでとう!

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台風の夜 

2018/10/06
Sat. 23:33

日曜日には法事が入っているので、午前中の用事を済ませて、夕方になる前に萬善寺へ向かった。
通勤坊主が復活してから10月に入って最初の単身赴任で寺泊になる。

夏はあれだけ暑かったのに、今はそれが嘘のように秋らしくなってきた。それでも今年は例年になく島根絡みの台風が多くて、秋のこの時期に今度の台風は日本海へ回ってくるという。
朝の用事は江津の方で、その往復には日本海からの強い横風を受けた。
先日の徳島往復で遭遇した台風の瀬戸中央自動車道を走っていた時の海風ほどではなかったが、それでもボクの可愛い銀くんにはかなりのダメージだった。
法事の施主さんは、遠くの親戚や大阪住まいの息子さんのことが気がかりで、直前まで悩んでいらした。
こんどの台風にしても、夏の猛暑にしても、冬の極寒にしても、地球の自然を相手にして人間ごときのチッポケな存在が寄り集まって絞り出した対策の知恵など「たかがせいぜい知れたものだ・・・」といつもそう思う。
いくらドタバタしても、結局はあなた任せで地球の自然に身を委ねるしか無いことだ。
自分にできることがあればできるだけできるかぎりそれをしておくくらいのことしかできないことだ。
我が身の安全を第一に考えて、無理はしないでじっと静かにやり過ごすしかないことだ。

流石に寺の夜は台風通過でかなりうるさかった。
運が悪いと雨戸兼用の窓ガラスが1・2枚割れるかも知れないほどの風だった。
吉田家のワイフも心配だったが、何かあれば連絡してくるだろうし、石見銀山の谷は風当たりの関係でいつも台風通過の被害はそれほどでもない。むしろ、工場の方が心配で鉄板がどこかへ飛んでいっているかもしれない。週が変わったら彫刻制作を再開するつもりだ。何も被害がなければ助かるがどうだろう?
萬善寺に居て「いちいち工場や彫刻のことを気にしてばかりいてもしょうがないから」と、気持ちを切り替えて寝ようと思うのだが、なかなか寝付けない。

眠れないまま吉田家のSNSを確認したらワイフとノッチが会話をしていた。
ノッチは、帰国して1ヶ月が過ぎてアパートも探して引っ越しも終わって少し落ち着いたようだ。
今は、仲の良い友人と連絡を取り合いながら「スキルアップの充電中なの!」と本人はニート暮らしを謳歌している。
NYで再会した昔のバイト時代の男友達が「暇してるんだったら遊びにこない?」と誘ってくれたから、今度1週間ばかりアメリカへ行くのだそうだ。
彼女にとっては、オヤジが仕事で東京を往復するくらいの感覚なのだろう。そういうノッチらしいアクティブな気楽さが気持ちいい。
ノッチがその「彼のことを好きなのかもしれない♡!」とか、「彼がノッチのことを好きなのかも??」とか、ワイフは一人で勝手にアレコレ妄想中のようだが・・・

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日日好 

2018/10/05
Fri. 23:16

連日の徹夜制作で溜まった疲労がなかなか取れなくて使い物にならなくなっていたワイフが、やっと回復の兆しを見せ始めてきた。
時間講師の仕事は休むわけにもいかず、その上地域の文化祭が迫っていたり、何かの会議が入ったり、民生委員がどうとかこうとか・・・そういうことはだいたい少し前から解っていることなのだからもう少し緩やかな計画を立てて彫刻制作を始めればここまでの「肉体的ダメージにはならないだろうに・・」とこっちで勝手に思ってはいても、ワイフもレッキとしたプロの彫刻家であるわけだから、ソコはやはり「自己責任で制作に臨んでもらいたいものだ!」と、この時期になると毎年同じことを思っている。
そんなわけで、吉田家の一室が彼女のアトリエになっているし、私がいない時はダイニングテーブルが作業台になっていたりして、制作三昧の数日が過ぎてやっと日常の暮らしが戻りつつある。

通勤坊主が再開して昼のうちは萬善寺暮らしが戻った。
庫裏のすぐとなりに己バエの柿がそろそろ収穫の頃になったので目に見えるめぼしい枝木の剪定を兼ねてスズナリになった実を採った。全部で30くらいはあったと思うが、それでもまだその3倍位の実が柿の木にぶら下がっている。
この近年は高齢者世帯が増えたし、保賀の谷も空き家が増えて農地が荒れ地に変わって、人の暮らしのすぐ近くまで山が迫ってきた。その関係で、山の生き物も人里近くまで進出しはじめて、萬善寺のような山との境界にしがみつくように建っている建築物は、動物たちの絶好の隠れ家や寝場所や餌場に変わりつつある。庫裏の天井裏にはいつの間にかテンが住み着いているし、本堂の床下にはたぬきの溜め糞が山になっているし、稲刈りが終わった参道脇の田んぼはイノシシの遊び場に変わって、夕方になるとどこからともなく獣の匂いが漂ってきて、外に出るのも相当に注意しておかないと彼らと接近遭遇して大事になりそうだ。

特に何をするわけでもないが、何かしら寺の家事とか作務とかをアレコレ片付けていると1日の時間がすぐに過ぎる。
先日近所のスーパーで買い出しをしておいた食材が残っていたので、チョット本気になって台所に立った。彫刻の制作中はなにかそのあたりにあるありあわせのものとか缶詰やフリーズドライなどでごまかしていたから、良い気持ちの切り替えにもなった。昼食には少し遅くなったが鳥もも肉入の野菜スープをつくって食べた。いつの間にか鍋の季節になった。1年が過ぎるのは早い・・・

六本木での搬入作業を済ませた周藤さんから連絡が入った。
島根からの共同搬入は概ね順調に過ぎたようだ。彫刻の評価も審査委員や関係者には好評だったらしい。絵画の方も島根は力作揃いだったようでなにより!
最近は昔に比べて公募団体展の魅力が希薄になった。時代の流行もあるのだろうが、造形に対する価値観の多様化も進んで、純粋芸術の境界が曖昧になってきたのだろう。
私のような昭和の古い人間は、周囲に流されないで今までの自分の蓄積を大事にして感性の潤いを維持しながら自分のできることを積み重ねていく覚悟が大事だと思っている。

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Landscape trace〜或る日の痕跡〜 

2018/10/04
Thu. 23:05

今開催中の徳島野外彫刻展に出品させてもらっている彫刻の現場写真がメールで届いた。
主催代表の松永さんが気を利かせて天気の条件を見て撮影して送ってくれた。
搬入設置も慌ただしかったし、オープニングは「少しゆっくりできるかな?」と思っていたら台風の通過が重なってその日も結局搬入以上に落ち着かない日程になってしまった。
そういうこともあって、まともに彫刻の設置状況を記録できないままになっていたのだが、彼の気配りの御陰でかろうじて2018年制作彫刻の現場をおさえることができた。

前回の個展から4年位は経っただろうか?・・・久しぶりに年末から石見銀山で個展をすることになった。
メインタイトルは前回の個展を原則引き継ぐことにした。形態のコンセプトはあの時におおよそ一つの方向性も決まって、次の展開も迷いがなくなっていたから、自分としてはひと通りやり尽くした満足感もあった。
それからあとの彫刻はまだ十分に煮詰まっていなくて迷いの残ったままあたためていて、鉄をメインにした実材へ置き換えることを優先に考えながら数年過ぎて、その間に出来上がった数点の彫刻制作は自分の思考の痕跡を系統立てて見つめ直すのにはとても都合の良い期間であったし、良い意味で気持ちの切り替えもできて良かった。

私の彫刻個展は、私小説のような立ち位置で続いているところもある。
だから、主催や鑑賞者には申し訳ないが、限りなくわがままに造りたいものを造りたいように造って、展示設置も自分の好きなように好きな場所を決めてわがままを通させてもらっている。
会期もだいたいがウインターシーズンの雪深い時期でアクセスのストレスもかなりあるから、それを承知でわざわざ冬の石見銀山を目指すような物好きもそう滅多いない。
彫刻はほとんどが野外彫刻で雪の降り積もった全貌の確認しにくい劣悪な状況に耐えてひと冬過ごすことになるし、またそれに耐えられるだけの工法の裏付けも大事なことで手が抜けないし、そういう普通は避けて通るような面倒臭いコトをわざわざ個展条件に決めて彫刻を造っている自分をクールに見つめ直すと、自分で自分をいじめて喜んでいるようなところもあって「オレはひょっとしてドMかも??」などと思ってみたりする。

彫刻そのものは、そんなに難解で理解に苦しむような形態でもないと自分では思っているが、それも結局は吉田正純という人間をどこまでクールに認識して作者と作品の相互反応を許容できて寛容できているかどうか?・・・その容量の大小深浅で「難解」の距離も変わるだろう。
自分の中では、どちらかといえば具象と云うより抽象にシフトしている彫刻を造っているのだろうと思っている。そもそもの、制作テーマそのものが具体的に目の前に存在するナニカでは無いわけだから抽象性が強まることは当然だとは思うが、抽象表現すべてが理解不能で難解であるというわけでもないし、精神の開放であったり普遍性であることの超然的な包容力もあると思っている。
「なんとかして理解しなければならない!!」などと、小難しく考えながら観て頂く必要など全く無くて、自分の好きなように勝手な主観で観てもらえばそれでいい。

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柿の色づく頃 

2018/10/03
Wed. 23:15

しばらくぶりに通勤坊主が復活した。
萬善寺の境内は雑草がノビノビと茂って、風情のある荒れ寺風になった。豊川稲荷のお堂から墓地までの参道あたりは先が見えないほど勢いよく空に向かって伸びている。
庫裏玄関へ入るとお供え花にしているシキビの香りが漂ってきた。
そのシキビはお盆の18日にあった施食会の前にお供えしたものだ。それが10月になってもまだ青々としている。

寺の用事は作ろうと思えばいくらでもあるが、彫刻も一段落したことだし、1日くらいはゆっくりと身体を休めるつもりでいる。
衣替えがまだ途中のままになっているから、それだけは片付けておくことにした。
彫刻制作から搬入作業にかけてかなり身体を酷使したから、自分の動きがどことなくぎこちなくて着物がうまくたためなくて息が切れた。
お昼前にひと通りタンスの中身の入れ替えが終わったのでコーヒーを入れた。
お昼は何にしようか決めかねて冷蔵庫を覗いたが、めぼしいものが何もない。
ひさしぶりに近所のスーパーへ出かけてみることにして銀くんへ乗ったら、オイル交換の時期が過ぎていることに気がついた。
同級生の車屋へ電話したら「あぁ、今からでも良いよ!」と云ってくれたので、スーパーのついでにそちらへも回ることにした。
ナンダカンダしていたら、結局寺へ帰り着いた時は午後のティータイム時になっていて「今更昼メシつくるのもなぁ〜」・・・と、面倒臭くなって結局メシ抜きに決めて買い物のいくつかを冷蔵庫へしまって、2回目のコーヒーを入れた。
少し落ち着いてから、買ってきたわけぎを刻んで袋詰して冷凍庫へ入れて、根っ子は束にして小さな湯呑にさして水栽培にした。こうしておけば、あと2〜3回は伸びたものを切り取って使い回せる。せっかくだから使った包丁に砥石をかけてまな板は殺菌した。
台所の流しへ向かって立ったままマグカップへ残ったコーヒーを啜りながらフッと笑ってしまった。
1日休養するつもりで寺まで帰ってきたはずなのにまったく休みになっていない。

帰り支度を済ませて外へ出たら、境内の雑草の向こうに色づいた小振りの柿が鈴なりになっているのが目の端に入った。
その柿は、前住職夫婦がまだ元気に暮らしていた頃に、なにかの拍子で根付いた己バエで、まだ苗木だった時は今のように大きくなって実をつけるまで育つとは思っていなかったからついついそのままにして何年か過ぎた。秋になって大きな柿の葉が色づいても、別に実がついているわけでもないし特に気にすることもなくまた数年が過ぎた。それから少しして確か前住職が死んだ年の密葬が終わった頃だったかに青い実が付いていることに気づいた。それから毎年少しずつ実の数が増えて、母親が死んだ年の秋には枝木がしなってたわむほどになった。最初は己バエからよくここまで成長したものだと、愛おしくなって一粒もぎりとって食べてみたら甘かった。意外にもその柿は甘柿だった。

吉田家へ帰宅して少し落ち着いてSNSを確認したらノッチが新居に引っ越していた。

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彫刻搬入 

2018/10/02
Tue. 23:32

展覧会の島根搬入がはじまった。
最近、何度と無くお世話になっているレンタカー屋さんでハイゼットの軽トラを借りた。
5時間で4000円弱。
前は、大工の棟梁の愛車軽トラを借りていたが、最近になって世間の景気が上向いているのか?何時行っても作業場が留守でなかなか会う機会が無い。
珍しく日のあるうちに吉田家へ帰宅して石見銀山の町並みを歩いていたら、その棟梁の軽トラが川下の方から上がってきた。
急いで手を降って棟梁を止めたら、となりの助手席で猫が丸くなっていた。
「それどぉ〜したの??」
「猫いらない??」
「いやいや、うちもう2匹いるし・・・無理無理!」
「こいつ、誰かが作業場へ捨てていったのよ。それから住み着いて・・・人馴れしててすぐにトラック乗ってくるし・・・」
まぁ、そんな世間話でひとしきり盛り上がって、
「最近仕事何処ですか?」と本題を切り出したら「アチコチ・・・今日はこれから水上行くところ・・」
「あぁ〜そぉ〜〜、忙しくて何よりじゃないですかぁ〜・・・オレ、相変わらずヒマだけど・・・」
大体の状況が解って、後ろから町並みを乗用車が上がってきたりしたので「それじゃぁ〜また・・」と別れた。
忙しいことは何よりだし、棟梁はヒトが良いから「軽トラ借して?」と云うとだいたい「良いよ!」となってしまうので、それもチョット甘えにくい。
それからすぐにいつものレンタカー屋さんへ電話したら、もう、私の声を聞いただけで察しが付くまでに親しくなった事務のおねえさんが「チョット待っててくださいね。今調べてみますから・・」と電話口でなにやらガサゴソしばらく音がしたあとに「大丈夫です。それでご利用はいつからですか?」と話が次に進んだ。
棟梁の軽トラを借りても、お礼にコーヒー缶を1ケース添えたり燃料を満タンにしたりしてレンタカー料金くらいの出費になるから似たようなものだ。

徹夜で完成させたワイフの彫刻は、まだ完全に乾燥していなくてチョット湿っていたから、まずは私の彫刻を搬入することにして工場へ急いだ。
5時間以内にすべての搬入を片付けて返却しなければいけない。
結局、ワイフの彫刻をギリギリまで乾かして、彼女が時間講師で出かける時に併せて搬入を済ませた。
それから軽トラを返して、事務のおねえさんと少しほど世間話をして、いつもの運送会社のプラットフォームへ引き返したら、島根から共同搬入のメンバーが揃っていた。
ひと頃からすると、出品作家が半減して今年は4人ほどになった。そのうち2人は吉田家の夫婦。
彫刻一つ造るにも、材料費や光熱費の他に、搬入出の経費や団体への会費など、1年でかなりの出費になる。今年もセッセとためた500円貯金が役に立つことになった・・

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2018-10