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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

周藤さんの彫刻 

2018/11/12
Mon. 23:39

周藤さんの彫刻が徳島から帰ってきた。
彼が軽トラックで搬出に行くと決まってから、吉田の彫刻も一緒に搬出してくれるというので甘えることにした。
富山町の周藤彫刻の定位置へ設置することになっていたので、事前に草刈りもしておいたし、あとは彼からの連絡を待って現地集合すればいい。
それまでは個展用の彫刻を制作しながら工場で過ごすことにした。

「今から工場へ行きますから」と彼から電話が入ったので「彫刻の設置手伝うよ」といったら、もう終わったという。ひょっとして、私の手伝いを遠慮したのかも知れない。
彫刻のことはおたがいさまで、持ちつ持たれつ協力し合いながら助かっているわけだから、遠慮することも無いだろうと思っている。そのうち自分も歳をとって手伝おうにも身体が思うように動かなくなるだろうし、そうなると、何かと周藤さんに手伝ってもらうことのほうが増える。できたらもう少し長い目で見て負担のない気楽な付き合いが続くと良いと、私は思っているのだけど・・・

彼は数年前から彫刻の方向性が安定してきたように感じる。
「彫刻の方向性」といっても掴みどころのない曖昧な言い回しだが、長い付き合いの中で彼の彫刻を吉田的に勝手に整理して見ているようなところがあって、そういう目で見たときの彫刻の成長の印象のようなものだ。
思うに、彼の彫刻表現のテーマは、いまのところまだひとつに定まらないまま揺れているようなところがあって、短期的な刺激がそのまま彫刻の造形へダイレクトに置き換えられている気がする。現代社会の象徴的な事象に刺激を受けたナニカを彫刻テーマの軸にした抽象彫刻として表現されている。
最近ではひと頃の現代美術に多く見られたメッセージ性の強い彫刻を見る機会が少なくなった。造形上の素材とか技法とか工法とか形態をある程度統一することも大事なことかも知れないが、そういうことに縛られすぎて彫刻のテーマやメッセージの広がりが無くなって制作が萎縮しないでほしい。今のような方向性の彫刻が、そのうち彼のオリジナルになって個性になっていくと良いと思う。
それでも野外彫刻としての耐候性のことがひとつ気になる。
野外彫刻は公共性も強くなるし、設置環境を配慮して安全でできるだけ長持ちすることが望ましい。制作上のミスが残ったままになってしまうと、ソレが元で彫刻の劣化が進む。天災人災、何が起きるかわからないから、あらかじめそういうことも予測しながら制作をすることが大事だ。これからも続く長い作家歴の中で、少なくても野外彫刻に関してはなによりも堅牢であることを目指して欲しい。

「通勤の行き帰りであの彫刻見てるんですよ。知らない間に前のが無くなってて・・・アレ何処へいったんですか?」
「アレはですね、今、岡山の方へ行って喫茶店の横に置いてありますよ」
「あぁ〜、そうなんですか・・・あの彫刻好きだったのに・・・」
富山町では少しずつ周藤彫刻のファンが増えている。

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坊主彫刻家的嗜好 

2018/11/11
Sun. 23:41

徳島の野外彫刻展へ出品していた彫刻が帰ってきた。
少し余裕を持って自分で搬出をして、その足で「愛媛に住んでいる友人を訪ねてもいいなぁ・・」と計画していたのだが、直前になってみると万善寺のことや富山町の野外彫刻のことや、11月末から始まる個展のことなどが重なって徳島行きの都合がどんどん窮屈になってどうしようか悩んでいたところへ・・・
「徳島の彫刻一緒に搬出しておきますよ!」
周藤さんがどうせ自分も搬出に行かなければいけないからと、吉田の代行を引き受けてくれた。
彼の軽トラへ二人分の彫刻が乗るのだろうか?少し心配になったが、駄目なら駄目でそのときは次の方法を考えれば良いだろうと、彼の好意へ甘えることにした。
それで、10日から11日にかけての2日間のスケジュールが少し楽になったものだから、日曜日は朝から工場へこもって彫刻の制作をすることにした。

今度の個展は野外彫刻を中心にして、3月末までの会期中は時々場所移動をしながら配置の変化を工夫してみようと思っている。
いつものように、石見銀山の吉田家周辺が個展会場になるから、借景と絡んだ彫刻の現状を自分の目で確認できて安心だし楽しみでもある。島根のような日本海側の冬のシーズンは、気候条件が目まぐるしく変化することも当たり前だし、そういうある意味予測不能の環境との対峙も期待したい。

六本木や徳島の彫刻は、個展用に制作したものの一部になっている。
いくつかの独立したパーツを造って、それを設置場所の条件を見ながら組み合わせようと考えていて、ベースは、六地蔵とか十王さんのような野仏とか庚申さまや道祖神道標のような感じをイメージしている。
島根県内を始めとして、もう何十年もの間西日本を中心に彫刻と一緒の旅を続けている。
最近は四国が多いが、他にも九州や兵庫県北部、近畿地方、少し遠くなって新潟や栃木あたりまで出かけてきた。行く先々でよく見かける石像はだいたいが宗教がらみの物が多いが、中には営農振興の記念碑とか、集落の境界碑もあちこちで見かける。
彫刻を造っているが坊主でもあるから、土地土地の石仏を見ると、なんとなくその辺り一帯の信仰の具合が見えるような気もして、ある意味一つの目標に向かったブレのない精神性が造形の存在感を強く示しているように感じる。一つ一つの造形物は小さいものだと一人で持ち上げられるくらいのものから大きいものでも1m前後だから、決してモニュメンタルで大仰なものでないところに親近感を感じる。だいたいが民衆主体の信仰から始まった造形が多いようで、時時の時代の状況を背景にした信仰の対象を具現化したものでもあるから、具象的であるよりはむしろ限りなくデフォルメされて記号化された抽象形に近づいているふうに感じる。
私が暮らす島根県の特に東部の方は、むき出しで野ざらしの信仰的造形物が少ない。そういうものの殆どは簡単な掘っ建てから本格的な寺社造りまで様々な形状の祠としてお祀りされているから、よけいに旅先で見かけるランダムな造形の連鎖に自分の気持がひかれているのかもしれない。

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土曜日の朝 

2018/11/10
Sat. 23:27

午前中は江津の高校で2時間ほど高校生諸君と授業をすることになっている。
数年前にその高校の校長さんから「1ヶ月に1~2回のことだけなんだけど全校活動美術の面倒見てもらえませんか?」と打診があって引き受けることにした。
経緯はいろいろあったが割愛するとして、その校長先生とは30年ほど前からの知り合いで、よっぽどのことでもないと上手に断わる理由が見つからなかった。
失礼な言い方になってしまうが「子守くらいのことしかできないけどなァ~」と、内心はそう思っていて「ワークショップの延長のことくらいだったらなんとかなるだろう?」程度に考えて今に至っている。

はじめの頃は、高校生の実態に慣れないし、ボク自身結構な人見知りでシャイな性格だから何かと間が持てなくてツマヅイてばかりだったが、そのうち自分なりに少しずつ打ち解けてきて生徒たちとの距離が縮んだ。
前期と後期で選択替えがあってメンバーが多少入れ替わるが、2~3年の間は2~3人を相手に2時間ほど付き合うくらいのことだったので、自分の手持ちの道具や工具や材料や消耗品などを提供しながら、なんとか授業らしきことをしてきた。
ところが今年度に入って一気に選択人数が倍増以上に増えた。
そうなると、さすがに手持ちの材料でなんとかできる域を超えてしまって、あらかじめ人数分の教材のようなものを用意するところからコトを進めなければいけないことになって、少し忙しくなった。それでとにかく、今まであちこちで開店営業していたワークショップの教材を見直しつつ、現役で美術の時間講師をしているワイフやノリちゃんのネタを借用したりしてこの半年間はなんとか乗り切った。
10月からの後期は、ちょうど自分の彫刻制作や小品彫刻の展覧会や美術イベントの企画などがドッと重なってくるから、よっぽど工夫して教材の準備をしておかないとカワイイ高校生諸君に迷惑がかかる。
いくつか候補教材を決めてみたが、最後はワイフの力を頼って彼女から教材のノウハウを頂いた。身近にそういう人材がいるとたいへん助かる!
それで前回からモビールをつくっているのだが、今日ですべて完成することになっている。制作が遅れた場合は自己責任でなんとかするということにしてあるので、完成作品から順次記録写真を撮ってあとは制作者本人へ作品を返す。

朝、少し早い時間に学校へ到着して美術小屋へ入ると、その最後の一人のモビールがいい感じで出来上がってぶら下がっていた。自分のやりたいことがしっかりと伝わってきた。彼女の制作中の様子を見ていたが、とにかく一つ一つのパーツを丁寧につくっていたから、そういう様子だと完成がかなり遅れるだろうということはわかっていた。
なにかしらものつくりにかかわっている人間としていつも思うことは「造形の内容と制作〆切りのバランスをどのように調整して実材に取り掛かるか?」ということ。最近は迷いも減って失敗も減ったが、昔は時間配分や工法技術や造形の見通しにどこかしら不具合が生じて適当なところで妥協することばかりだった。
時間優先か造形優先か、結局は2つに1つの選択になってしまうことだが、やっぱり、ボクとしてはできるだけ造形に妥協はしたくないな・・・

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今時上法事事情 

2018/11/09
Fri. 23:30

寺の夜は結構寒かった。
今年は今までにないほど暖かい日が続いていて秋になってからは雨もそれほど降らない。
そのせいかどうかわからないが、自分の身体が暖かさに慣れて鈍り切ってしまっていたようだ。
石見銀山と飯南高原の標高差は200mくらいのものだろうから、それほど気温の差も無いだろうと思っていたが、少々考えが甘かったようだ。さすがに高原の夜は冷え込んだ。温かいとはいえ、やはり季節は確実に冬に向かっている。

上げ法事のお参りが9時になっている。
前夜にあらかた法事の準備はしておいたから、あとは本堂の朝の用事を済ませて施主さんの到着を待つばかり。
俗に「上げ法事」というのは、お寺の本堂で法事をすることを云う。ことの始まりは、昔々戦争とか災害で一つ集落が全滅するほど大量の死者が出た時、それぞれ個人でお葬式を出すことが出来なくてどうしようか困っているところへ「それじゃぁ、お寺さんの本堂を借りてみんなで合同葬にしましょう!」と思いついたのが始まりだと聞いた。
それが、最近では個人の葬儀や法事でもお寺を借りることが増えてきて、市街地ではむしろその方が当たり前の常識になっているようである。
細かいことを言えば、昔ながらの仕来りにはそれなりに納得できる意味があることなのだが、時代が変われば変わったなりにその時時の自分の都合が優先で物事が進むようになってしまった結果が今に至っているということなのだろう。
萬善寺のような田舎の山寺も、結局は施主家の都合が先に立って市街地の方から流入してきた「上げ法事システム」が増えてきた。
田舎から街場に転出した家族親族から「うちの方では、お寺さんへ行って法事してますよ」などと、ソレが普通のようにもっともらしい情報を聞かされてしまうと「そういう方法もあったか!」とか「そりゃぁ、自宅の世話が無くて楽になるわぁ〜」とか「お寺さんへ現地集合ということでよろしく!」とか、そういう簡易的法事形式が浸透し始めた。

ワイフの実家は菩提寺が新宿の方の比較的有名な浄土真宗大谷派のお寺だが、そこでは先代の御院家さんが亡くなって今の代になってから一度も自宅の仏壇前でお経をあげてもらったことが無いそうだ。それで、上げ法事が普通になって法事のお参りをすると、お布施の他に本堂使用量、茶菓子代、花代などの必要経費を別途請求された上、御院家さんの斎膳の膳料や会館の使用量まで請求されるのだそうだ。そういうことになると、何のための法事なのかわけのわからないことになってしまう。それで、最近では法事もやめてしまって御院家さんに見つからないように親族が境内の墓地へ集まって墓参りだけをして近くの料理屋で親族だけで斎膳をいただくことにしたそうだ。お経のない法事というのもどうかと思うし、萬善寺の場合ではあり得ないことだ。
そんな、今時の法事事情をサラリと受け流して、茶菓子と番茶を用意して位牌堂へ法事の準備を済ませて待っていたら、施主家のご夫婦が到着された。
せっかく本堂で法事だから、妙法蓮華経如来寿量品をゆっくりキッチリおつとめさせていただきました。

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経費削減 

2018/11/08
Thu. 23:11

集会とか会議とか研修会とか総会とか、とにかく決められた日の決められた時間に決められた場所へ関係者が集まってみんなでナニカ一つ事をするとかいうことが昔から嫌で嫌でしょうがなかった。
「あの人は協調性に欠けてるよね・・」なんてレベルではなく、本当に自分は「協調性の無い人間だ!」とつくづくそう思う。
それでも、昔の学校に通っていた小さい頃とか若い頃はグッと我慢してその場の流れに身を委ねて粛々と乗り切ってしのいでいたが、もう社会の現役を殆ど引退したような自由気ままな暮らしに慣れてしまうと、どうしてもワガママの方が勝ってしまって協調性のことなどどうでもよくなってしまう。

現在の定職というと、萬善寺の住職と彫刻家である。
どちらの仕事も、実に不安定で明日の暮らしが全く予測できないままの毎日を1日1日積み重ねて生活している。
経済的には決して満たされているわけでは無いが、だから不幸だとは全く思わない。
どちらかといえば、マイペースにわがまま放題の毎日を過ごさせてもらって幸せなことだと思っている。
11月に入ってから法事の依頼が二つ三つ入ってきた。
先月までは六本木だとか徳島だとか、彫刻のことで散財が続いて蓄えが底をついていたところだったから、この法事のおかげで生活の家計が少しほど楽になる。
さすがに、ありがたく頂いたお布施をそのまま彫刻の材料代へ横流しするようなマネはしないが、生きるための食い扶持に当てることは坊主の権利として妥当な支出に該当するから、まずは仏様へお供えをして、それからそれをお下がりとして生活の糧に代えさせていただいている。

個展の彫刻制作が本格化して工場通いの毎日だったが、保賀の集落を含む広域の集会へ出席することとお檀家さんが年回法事で萬善寺の本堂へお参りされることが連続したので、工場の仕事を少し早めに切り上げて作業着のまま萬善寺へ直行した。
集会は夜の7時から始まったが、議題内容は直接保賀の集落とは関係のないことだったので、最初の担当からの説明が終わったところで退席した。
夕食がまだだったので冷凍庫で眠っている正月の餅をレンジで解凍してオーブンで焼いて食べた。
法事のお参りはご夫婦2人だけだと聞いていたので、2人分のお菓子とかお茶を準備して、それから塔婆を書いた。
寝る前にお風呂で頭にバリカンを当て、ジレットで髭をそってシャワーを浴びた。ついでに作業着のつなぎも洗濯した。寺の風呂と洗濯機を使うのは久しぶりのことだ。
今年の正月は極寒で風呂のカランが破裂して一晩中水とガスが垂れ流し状態だったから、その時の光熱水費が寺の家計をかなり圧迫した。それもあって、今年は出来るだけ石見銀山の自宅で過ごす時間を増やすようにしてきた。
萬善寺が無住であれば光熱水費の支出が抑えられる。
富山町の廃校になった小学校の維持管理と似たようなことだ。

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とみ山フィールドアートワーク野外彫刻 

2018/11/07
Wed. 23:30

文化の日をメインにスタートした総合美術展「とみ山フィールドアートワーク」の前期が終わった。
約2週間後には富山町文化祭があって、その時に後期がスタートして野外彫刻はそれから1年間は動かないまま展示が続く。

今年は、春先から吉田の体調不良が続いて野外彫刻周辺の事前の草刈りメンテナンスがうまく出来なかった。それで、文化祭までには草刈りを済ませておこうと前期の会場受付が終わってから日を改めて富山町へ向かった。
吉田の彫刻は2箇所に2点ほど設置してあるが、その一つは2mを超えるセイタカアワダチソウが群生する耕作放棄地にある。彫刻の方も2mちょっとの高さがあるので、その気になって注意してみれば作品の頭のほうがセイタカアワダチソウの黄色い花の向こうへチラリと見える。前期の開催中、その彫刻のある一帯を横目で見ながら通過していたが、自分としては鉄の錆色が忘れ去られた廃墟のごとく物悲しい感じに見えて、それはそれでそういう風景があってもいいかなと思ったものだから、草刈りもわざと一番最後へ残しておいた。
隣の一角は周藤さんがもう少し先に彫刻を入れ替えることになっていて、今は彼の彫刻が撤去されて無くなっているから、今のうちに展示設置がしやすいようにキレイに刈り込んでおいた。
他の野外彫刻展示場所はいまのところ彫刻を動かす予定がないから富山町内の道路からキレイに見渡せるように丁寧に刈った。秋のこの時期にきちんと刈り込んでおくと春になって新芽の萌黄色と彫刻との色彩のコントラストがきれいに見えて気持ちがいい。

いずれにしても、自分が責任を持って彫刻の維持管理できることが大事だから、自分の行動の限界もあるし、野外彫刻を展示できる環境を見つけ出すにもそれなりに苦労する。富山町は棚田の広がる高原の町で風景も良いし、耕作放棄地や休耕田もアチコチにあるから、地権者の方には丁寧に彫刻のことをお話して納得をいただいて設置させてもらっている。
そろそろ、今の場所が手狭になってきたので、今後のことを考える時期になってきたと思っていたら、まちづくりセンターの方から、行政の来年度事業計画の説明を受けて現在の美術展メイン会場である旧富山小学校へ工事が入って、各教室は行政関係の資材倉庫になる予定だと知らされた。行政管理の方も教育委員会社会教育課の手を離れて別のところへ移ることになったそうだ。
旧富山小学校は耐震構造に脆弱なところがあって、民間への払い下げなど永久使用の適応が難しいらしい。結局耐震工事の負担支出が今の財政では難しいという事情があるようだ。それで、物置倉庫くらいにしか使えないということなのだろうが、その物置にするにしても元々小学校として設計されているから1階と2階を人力で荷物の上げ下ろしするしかないことになるわけで、効率がすこぶる悪い。教室個展や小品彫刻の搬入出で苦労している実態を行政が見聞していたらそういう案も出てこなかったかも知れない。結局は、2階の教室に溜め込んだモノもほぼ永久にその場から動くこともなく古びていくことになるのだろう。断捨離とはかけ離れた机上の発想に思えた。

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とみ山フィールドアートワーク教室個展 

2018/11/06
Tue. 23:56

教室個展には絵画の竹田茂氏と彫刻の周藤豊治氏も参加してくれた。
彼らは島根県出身の作家で、昔から親しく付き合ってくれている。
竹田さんは今年で3年目の個展となる。
周藤さんはとみ山フィールドアートワークへ野外彫刻を出品してくれているが、教室個展は今回がはじめてになる。

ふたりとも作家暦でいうと美術界では中堅のベテランといっていいだろう。公募団体展やグループ展の出品歴も長いし、各地の大賞展へも積極的に出品を繰り返している。
そういう、実力者の個展はイベントの質をレベルの高いところでキープできるので主催者としては安心できるし助かる。反面、美術にあまり親しむ機会がなかったり審美眼を鍛える機会の少ない一般の鑑賞者にとってはハードルの高い展覧会になってしまうところがある。
しかし、私としてはそういう一般鑑賞者に対して日常の暮らしに刺激を与える素材としての美術的ストレスを提示することも大事なことだと思っている。
美術のような俗に云う文化活動は、その成果が具体的なわかりやすいカタチとして実在させることが難しいし、だれにでも簡単に手掛ける素材でもなく、それなりに専門の知識や技術の裏付けがないとどうにもならないところがある。「よくわからない」とか「むずかしい」とか「センスがない」とか、そういうネガティブな感想や反応が結局「興味がない」という自分中心の価値判断で片付けられて「趣味の世界」として一括りにされてしまう。美術活動そのものに生産性を期待することは難しいから、どうしても需要と供給の活性を目指す一般の経済社会構造からは縁遠くなってしまいがちだ。彼ら個展作家も私もそういうことは承知の上で制作を今に継続していることになる。
では、作家性の現実はいったい日常の暮らしの中でどのあたりに位置づけられているのだろう・・・それは大袈裟に言うと、生活の手段とは一線を画する「生きる証」ようなものだと思う。
漫然とした日常の積み重ねに幸せを感じることも大事な生き方であると思うが、一方で常に自分のオリジナルを追求することに飽きない生き方もその人にとって唯一無二の生き様の証として、それを貫くことの喜びを感じることも日常の幸せを紡ぐことになっているはずだ。

周藤さんの彫刻は、数年前から一気にオリジナルの造形感が芽生えてき始めたと感じる。今後の展開が楽しみであることと同時に、今までの彫刻を冷静に振り返る機会を造ることも大事なことだと考えて個展の依頼をした。
竹田さんの絵画は、何年も前から少々迷走を始めたふうに感じていた。彼の表現の悩みがそのまま素直に絵画に表出していた。このまま悶々と悩み続けることは自己表現の開放に支障をきたす・・・そういうふうに感じて個展を誘った。その時時の自分の悩みを吐き続けることが次の表現の解放につながると思ったからだ。
二人の作家は、今の私にとってとても大切なかけがえのない表現者の同士だと思っている。彼らの次の展開が私の表現を刺激してくれる。
教室個展は、シンプルだがとても内容の充実した良い展示になった。

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萩焼内村幹雄作陶展 

2018/11/05
Mon. 23:48

とみ山フィールドアートワークのメイン会場は廃校になった旧富山小学校の教室棟。

一階には保健室と1・2年教室とランチルームがあって、休憩を兼ねた多目的用の8畳和室がある。
今は、この1階を1年一回の富山町文化祭で使っている他、1年3回ほど行われる町内有志とまちづくりセンター共催の富山カフェのメイン会場になっている。
他にも、不定期でいくつかの会合で使用されているようだが、ほとんど1年中未使用のまま過ぎている状態だ。

二階は3つの教室と図書館があって、学年集会が出来るほどの視聴覚やパソコンルームを兼ねた多目的ホールがあって、それに、郷土資料を集めた展示ルームがある。
島根県彫刻振興委員会が主催の美術イベントと展覧会はこの2階を使って行われる。
3つの教室は作家の個展会場になり、多目的ホールは小品彫刻展の会場になる。
使用条件としては、やはり一階のほうが何かと便利に使えるのだが、そういうことは誰も同じように考えるから、かえって使い勝手が悪くなるので、はじめからそのあたりを割り切って二階に絞った展示にしている。

今年は、その教室個展の一部屋を萩焼の内村幹雄さんが使ってくれた。
彼は、三越や高島屋、阪急など有名デパートで展示会をするほどの実力者で、萩市の地元でも幾つかの重職を担う名士でもある。
数年前から、維新の往還街道を活性させようと街道沿いの各地域に声をかけて、行政の枠を超えた連携組織を立ち上げつつガイドマップの作成に着手している。
とにかく、日々エネルギッシュに活動を続けているので、島根のだれも知らないような田舎町の美術イベントへ参加してくれる事自体、異例のことだといっていいだろう。

展示のときは、私が小品彫刻の会場を整えている隣の部屋で一人セッセと作業を続けてくれた。
廃校の教室にはもったいないレベルの器がずらりと並ぶ様子はどこかしら圧倒されるものがある。
穴窯で焼成した器も幾つかあって、それはすぐにわかる。
萬善寺の床の間に欲しい花瓶があった。
吉田家のテーブルサイズにピッタリの鉢は穴窯の味わいがしっとりと醸し出されてたまらない。
大ぶりのオシャレなカップは新作だと思う。
他にも、気に入った器ばかりが揃って目移りしてしまう。
とにかく、大事な商品だから取扱は十分に気を配って管理しなければいけない。会期が終わったら、直接交渉で目をつけたというか唾を付けたというか、それらの器をゲットしようと決めた。
「値札はつけないので、よろしく!」
展示が終わった時、内村さんから念押しされた。教室個展は販売いたしません・・・

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藤井保トークショー 

2018/11/04
Sun. 23:36

とみ山フィールドアートワークのスピンオフ企画で写真カメラマンの藤井保さんトークショーを企画した。
経緯はちょっとややこしいから割愛するとして、ちょうど石見銀山で彼の写真展が開催中で、その最終日に併せて彼も石見銀山にいるというから「それじゃぁせっかくだから何か話してくれませんか?」とお願いしたら快諾を得た。

藤井さんは大田市の出身だから石見銀山とも縁がある。
すでに彼の生家は無くなっていて、帰省しても帰る場所がないからとりあえず石見銀山の知合いを頼って定宿を確保している。彼は年に何回か取材も兼ねて帰省するときはだいたいそういうふうな感じで数日間を島根県で過ごす。
その滞在中の数日間がちょうど富山町での美術イベントと重なったので、最初は富山の方へ来てもらって廃校になった小学校の教室をひとつ使って写真のスライドを上映しながらお話をしてもらうと良いと思っていたのだが、せっかく石見銀山で個展の期間中だから、どうせなら展示会場で作品の写真を見ながらお話してもらったほうがリアルで良いかも知れないと、計画を変更した。
それで、少しずつ具体的なスケジュールが決まって、藤井さんの会場変更承諾もとりつけて、あとは集客を目指して各方面へ告知の準備を進めた。
その過程で、たまたま高校生たちの美術活動で出かけている学校の先生へ藤井さんの話をしたら、ちょうどその日は学校全校生徒が石見銀山へ研修遠足をするから「ぜひトークショーに参加したい」と話が一気に盛り上がった。
学校の方では、当日のスケジュールを決め始めたところでまだ中身は流動的だった。
それから何回か担当の先生と打ち合わせをして内容が具体的になっていくと、総勢約60人くらい集まることになって、急きょそれだけの人数を収容できる会場を手配することになった。
私の方は、富山の展覧会会場で受付の用事もあって石見銀山の会場準備までは付き合えないから、藤井さんの写真展を企画した主催の方へそれをお願いしておいた。

トークショーは30分程度の短いものだったが、とても内容が深くて創造性の豊かな味わい深いお話だった。高校生たちからもたくさん質問が出たりして大いに盛り上がった!・・・と私は感じた。予定の時間をかなりオーバーして、最後はみんなで記念撮影をして解散となった。とみやまの会場はワイフや教室個展の作家へ受付代行をお願いしておいた。トークショーが終わってから、心配で電話をしてみると、特に大きな問題もないとのことだった。何人か知り合いもとみやまへ来てくれたと報告があった。

とみ山フィールドアートワークは、昨年までワークショップを3年間続けていた。
講師の手配がなかなか大仕事になって、自分としては少々オーバーワークで息切れをしていたところだったので、今年はアッサリとワークショップをやめることにした。そのかわりのトークショーだったのだが、結局こちらのスピンオフ企画もなかなかハードなスケジュールになった。まぁ、終わりよければ・・・ってやつで、それは「それで良かった!」ということにしよう・・

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現代彫刻小品展とみ山会場 

2018/11/03
Sat. 23:11

作業のバックミュージックを何にしようか決めかねて、迷い始めた。
過去の記憶を手繰ってトム・スコットとかウイントン・マルサリスとかをしばらく聴いていたがそれも少々飽きてきた。

彫刻の展示や後片付けから梱包はだいたい一人でコツコツとゆっくり時間を掛けることが多い。
たまには運良く助っ人がたくさん集まることもあるが、なにせ壊れ物を扱うデリケートな作業だから一人のほうがマイペースに落ち着ける。そういう時に欠かせないのがバックミュージックだ。
おおよその作業時間を割り出して、その間エンドレスに垂れ流しに出来るだけのマイアルバムのようなものを即席に作っておけば、そのアルバムが一巡すると「だいたい1時間だ!」とか、「あぁ〜〜、もう3時間過ぎたかぁ〜〜・・」とか、おおよそのことがわかって都合が良い。予測した時間より早く終われば嬉しいし、遅れると休憩を挟んだりして気持ちを切り替える。
それで、富山でのイベントは、小品彫刻の展示にだいたい4時間ほどを予定してそのくらいで一巡するアルバムを用意しようと決めた。寝る前にMacMusicからめぼしいものを拾い出していたら、アッという間に時間が過ぎて朝には少々寝不足気味になっていたりする。
今回は、ひとまず、ジャズ系からキース・ジャレットを選んだ。
彼は、昔から好きなミュージシャンでじっくり集中して聞くのもいいが耳のお供程度に聞き流すことも出来て都合が良い。特に気に入っているのは、楽曲の振り幅が広いところだ。クラシックもながら視聴しているとそれなりに良いところもあるが、たとえばモーツァルトとかを指定してマイアルバムをつくり始めたら、演奏を誰にしようかとかどのアルバムにしようかとかそういう初期段階で迷い始めてキリが無くなるし途中で面倒になって適当に時間だけを調整したような中途半端な状態で出来上がったものを延々と数時間垂れ流して聴き続けていると、そのうち飽きてきて作業の集中力が無くなってしまう。その点キース・ジャレットは、とても都合よく精査されたアルバムになっているからその時の気分で仕分けがしやすくて助かる。それで今回は、クラシックを所々にちりばめたスタンダード中心のマイアルバムをつくっておいた。それをiPhoneからブルトゥースでスピーカーへ飛ばして聞き流しながら小品彫刻の展示をした。
隣の部屋では内村さんが陶芸作品の展示をしていたが、彼はだいたい2時間ほどで終わってしまった。
「こっちは、もう少し時間がかかるので三瓶の温泉にでも行って時間を潰しておいてもらえませんか?夕方に石見銀山で合流ということで・・・」
それじゃぁ〜・・となって、お昼前に別れた後、小品彫刻の展示を続けてキース・ジャレットが一巡する間際にキャプションの配置が終わった。

展示の様子はいつもとあまり変わらないように感じるが、具象彫刻が年々増えている気もした。六本木の展覧会でも似たように感じていたところだった。日本の美術界の流行は全体として具象化傾向にあるのかも知れない。

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とみ山フィールドアートワーク 

2018/11/02
Fri. 23:32

旧富山小学校の彫刻小品展会場へ搬入しておいた彫刻と展示台は、その後、ノリちゃんが梱包を開けて展示台もおおよそ配置を整えてくれていたから、今回はいつもより早く展示作業が終了しそうだ。

もう、今回で4回目を迎える「とみ山彫刻フィールドアートワーク」は、そろそろ総合美術展の方へシフトし始めてきた。それでも「彫刻」に特化していることに変わりがないものの、改めて思うと「わざわざ(彫刻)という単語を使わなくてもいいかな?」とも思うようになって、自分の気持が少し変化した。
それで今回から、さり気なくイベントタイトルから「彫刻」を削除した。
たぶん、ほとんどそれに気づく人はいないと思う・・・

今年は教室個展で彫刻家の周藤豊治氏。絵画作家の竹田茂氏。萩焼作陶家の内村幹雄氏。それに、スピンオフ企画として写真家の藤井保氏の個展会場でギャラリートーク。そして、富山町で巡回展示のいつもの小品彫刻展。野外彫刻。
なかなかボリュームのあるイベントとエキシビジョンになった。
例年のように文化の日を目指して前後の4〜5日が主な会期になる。その後、富山町の文化祭が行われるので、その日も会場をオープンして、その後撤収して全日程をすべて終了する。

彫刻個展の周藤さんが一抱えの個展用彫刻を軽トラへ積んで持ってきたので、二人で抱えて階段を持ち上げた。
サイズでいうと中品程度だが、教室へ3点ほど搬入したら少し窮屈に感じるほどになった。
彼はこの数年間で彫刻がグイグイとレベルアップして今後の展開が面白くなってきた。こういう時期は、今回の個展のように一度過去作品を系統立てて見つめ直すと自分の現状を客観的に把握することが出来て次の展開が見えてくることもあるので、ちょうどいい頃合いだと教室個展に誘ったのは半年ほど前のことだっただろうか?本人も、私の気持ちを汲み取って個展を快諾してくれて今回の展示になった。
今はまだ、自分の制作や作品のことで頭がいっぱいで彫刻界全体の現状とか自分の立ち位置とかを客観的に把握して広く俯瞰して行動できる状態ではないと思うが、そろそろ彫刻家としての方向性を多角的に判断して、自分と制作との距離に若干の間をとるような工夫をしても良さそうな気がする。

内村幹雄さんは、お昼前に作品を持ってきてくれて自分でセッティングをしてくれた。彼は東京大阪などの有名デパートで展示会をするような萩焼作家だからそのあたりのことは手慣れたものだ。夜は石見銀山で久しぶりに1杯やることになっている。
写真家の藤井保さんも、石見銀山で写真個展が開催中で、彼のギャラリートークのこともあるし夕食がてら少し打ち合わせもすることになっている。
久しぶりに楽しい一晩になりそうだ。
いよいよ、新生「とみ山フィールドアートワーク」がスタートする。

2018とみやまチラシA4会場用

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フィールドアートワーク 

2018/11/01
Thu. 23:50

六本木の彫刻が島根へ帰ってきた。
事前に2tのユニックをレンタルしておいたので、朝から運搬しようと計画していたのだが、午前中に別の用事が入ってしまった。
あせってそちらを片付けても、結局彫刻移動の方は限りなくお昼近くなってしまった。

島根の彫刻搬入出は、出品者が共同搬入出するようになってから日の丸西濃さんへ一括依頼してチャーター便を手配してもらっている。
貧乏彫刻家の集団だから、西濃さんもそのあたりを承知してくれていて、毎回適当な下請けの運送業者さんを手配してくれる。最近は、浜田を拠点にした業者さんが少しずつ定着してきたが、その時時の都合で大田市の運送業者さんに変わることもあったりする。いずれにしても、この数十年は毎年同じ時期に同じ内容の依頼をしているから、トラックのドライバーさんも少しずつ顔見知りになって、色々と面倒なハプニングがあってもそれなりに難なく乗り切ってくれて助かっている。
それでも出品の彫刻家が年々減少していて、作家の個人負担が倍増している。吉田の場合は夫婦で彫刻を造っているから運送料の出費も当然2倍になってなかなか厳しい。そういう必要経費が無くなることは無いから最近ではセッセと500円貯金を続けてなんとか出費の負担を軽減させている。吉田家や萬善寺のいたるところにガラス瓶やアルミの空き缶などを貯金箱代わりに置いておくとその500円貯金もなかなかあなどれないところがあって、1年もすると結構貯まっていて二人分の彫刻出品諸経費がまかなえたりする。

搬出する彫刻は、そのまま富山町のフィールドアートワーク会場へ移動して野外彫刻の展示にする。その美術イベントも今年で4年目になって、富山町内の各所に設置した彫刻は10点を超えるまでになった。設置場所に借りている耕作放棄地などの草刈りが大変だったりするが、借用料を労働の汗で払っていると思えばそれほど苦にならないし、草刈りの様子が住民の目に触れるだけでも親近感を持ってもらえたりするし、そういう勤労奉仕も継続していればそのうち良いこともあるだろうと長い目で気楽に考えている。今年もひとまずはおおよそ自分で草刈りが出来た。

プラットフォームで遅れた彫刻積み込みをしていたら、「これからそちらへ向かうところです」とストウさんから電話が入った。自分一人で彫刻移動をするものだと思っていたからとても助かって感動した。
2tユニックの2往復目でストウさんが合流してそのまま富山町へ向かった。
昨年から徳島のタケダさんが制作している鉄の彫刻を預かって展示している。彼女の彫刻は純粋に抽象で、厚い鉄板をベースに、切る・折る・曲げる・溶接する工程を繰り返した構成彫刻になっている。どのように制作構想をねっているのか知らないが、とにかく、ああいうタイプの彫刻はマケットの段階でしっかりとバランスや強度を確認して、リアルサイズでの仕事に不安を残さないようにしておかないといけない。
彼女の彫刻を毎年見て思うことだが、造形の必然とは関係ない補強のパーツが数箇所に見えてしまっていて、それが造形力を弱めてしまっている。当面の課題であると思うし、それが解消されると一気に彫刻がレベルアップするはずだ。

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2018-11