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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

ヤル気の素 

2018/12/31
Mon. 23:01

「○△※□◇〜〜」・・・

庫裏の西の端から北の裏山の方へほぼ正方形に出張った台所をDIYで長方形2つの部屋へ改造して、オヤジの坊主暮らしはその2部屋を行き来しながらだいたいの用事を済ませている。
いつもは食事に使っているダイニングテーブルを片付けて年末の万善寺寺務をしていたら、庫裏玄関から男の声が聞こえた。年末のお客さんか宅配の業者さんが来たのかと思って急いで出てみるとじゅん君だった。
「じゅん君かぁ〜〜・・」
「ただいまぁ〜〜・・」
「あぁ〜、おかえり・・ご苦労さま・・」
それから少しして、ワイフが「ただいまぁ〜〜」と荷物を抱えて玄関へ入ってきた。

「(ただいまぁ〜〜)・・・か・・・」
何かしら、ちょっと嬉しかった。
どちらかといえば自分としては、通勤坊主や単身赴任で生家である万善寺へ「行ってくる・・」じゃなくて「帰ってくる!」気持ちの方が若干強いかな・・・
石見銀山をベースに暮らす吉田家家族からすると、万善寺は(自分の家へ帰る・・)感覚からは遠い気がする。なんとなくそう思っていたものだから彼らの「ただいまぁ〜〜!」の一言が嬉しかった。

毎年それなりの出来事があって、年末になるとそのしわ寄せのようなものが立て込んで気ぜわしく落ち着かないことが増えるからそれも仕方のないことだと諦めも加わった数日を粛々と過ごしているのだが、この1年間は何時にもましてとにかくいろいろと厳しいことが続いたものだから、今まで以上に心身の負担が増して身体のアチコチで不具合のサインが多発していた。それで、ちょっと沈んだ気持ちでいたときのことだったので「ただいまぁ〜〜」のたった一言で自分の気持ちがかなり晴れ晴れとして、ヤル気が復活した。

除夜の鐘ギリギリまで本堂へ入り浸ってベッタリと諸仏さんと付き合っている。
須弥壇の御本尊様は千手千眼観世音菩薩さまと云われているが、先代住職には十一面観世音菩薩も合体した特別に珍しい本尊様だと教えられた。自分としては、ベーシックな千手千眼観世音菩薩だと思うのだが、仏教美術の専門家ではないから正しくはどちらなのかわからない。須弥壇の右には大権(だいげん)さま、左には達磨さまが安座されている。続き部屋には両本山の開祖様が安座され、その隣に豊川稲荷がお祀りされている。須弥壇の裏側は万善寺開祖様以下歴代の大和尚さま方がお祀りの位牌堂があって、その隣に檀信徒のみなさまの位牌堂などがある。
本堂にいるといつも思うのだが、偶像物を中心に様々な信仰の抽象的造形がそれを取り囲んで独特な空間が創り出されていて、その具象と抽象の混沌とした混在が不思議に面白い。
彫刻家としての今の自分の造形感の原点は、多分そのあたりから発しているのだと思う。

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単身赴任坊主の年末 

2018/12/30
Sun. 23:29

こうみえても、ボクは小心者の心配性なものだから、ひと晩の雪のことが気になって朝もまだ暗いうちから目が覚めてしまう・・・
それで、今朝もオシッコのついでに庫裏の南側の縁側で雪の具合を確かめると、昨日夕方近くに参道を往復しておいたのに、それが辛うじて確認できるくらいまでたっぷりと降り積もっていた。

決して雪が嫌いではない。むしろ冬になると雪の降るのを心の何処かで待ちわびているようなところがある。
今年のシーズンは、年末ギリギリまで全く雪の降る気配がなく「このままだと、雪のない正月になるのかも知れない・・」などと、少々がっかりしていたところだ。
それが、28日から一気に強力寒気団が南下して飯南高原はもちろん、石見銀山の方でも雪が降り始めた。
石見銀山は申し訳程度に白くなったくらいで、すぐに消えたそうだが、さすがに飯南高原はそこまで甘くない。それから今日まで連日絶え間なく降り続けている。

夜が明けて少し明るくなってから外に出ると、空全体が暗いグレーに染まっていた。
萬善寺の上空は雪が切れているが、近所の何処かでは集中して雪が降っている感じだ。
お地蔵さんの脇へ路上駐車してある銀くんへシキビと梅と松が積んであるから、それを運び上げるついでに参道の道を開けた。
雪が重たくてかなりの重労働になる。
銀くんもひと晩のうちに全身雪に埋まっていた。

本堂から庫裏の各所へ松竹梅のお供えをして、最後にお地蔵さんまで参道を下りて鏡餅といっしょにお供えをしてご真言をお唱えした頃は、もうお昼になっていた。
朝は厚い雲で覆われていた南の空が若干明るくなって、時折弱々しい日差しも感じる。とりあえず強力寒波が収束に向かっているのかもしれない。少し寒さが和らぐと重たい雪が水っぽくなってますます重くなる。このまま雪が止めば除雪をしないでも勝手に消えてくれるからそれを期待したい。
たった3日間の除雪労働ですでに膝がガクガクしてくるぶしの古傷がうずきはじめ、腰の骨がコキコキと乾いた音をたてている。
まだまだ寺の年末の用事は山積みだが、正月早々寝込むわけにもいかないし、大事を取って少し早めに風呂へ入って身体をほぐしておくことにした。気づくと頭もヒゲも伸び放題でむさ苦しくて貧相なオヤジ顔になっていた。充電が弱ったバリカンが伸びた髪の毛に負けてしまう。裸のままいつもの倍くらい時間をかけて床屋をしていたら、風呂で身体を暖めるどころか完全に冷え切ってしまった。
湯気で曇った鏡の下を飛び跳ねる気力も失せたベンジョコオロギが弱々しく歩いて横切った。風呂の何処かで越冬をするつもりだったのかもしれないが、考えが甘い・・・

夕食でオヤジのひとり飯は、冷凍庫をあさってタコの頭を解凍しておいたものにシメジを添えてアヒージョにした。

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重たい雪 

2018/12/29
Sat. 14:42

夜半から降り始めた雪が朝になっても絶え間なく降り続いている。
まだ雪の降る前に境内に乗り入れた銀くんを朝のうちにお地蔵さんのところまでおろしておいた。

寺の作務もキリがないほど沢山あって、それらを自分一人でこなしているとアッという間に1日が過ぎる。
過去帳から来年の年回法事を繰り出していたら、ガス屋さんがプロパンガスの補充にやってきた。萬善寺は雪が本格的になると境内へ軽トラを上げることが難しくなるから、その前にひと冬分のボンベを追加しておく。雪がどんどん降り積もる中、参道に残った銀くんのタイヤの轍を頼って辛うじて登りきってくれた。
過去帳の繰り出しが一区切り着いたところで、参道の道開けに出かけた。
今度の寒波はまだ気温が高い方で、雪がやたらに重たい。こういう雪質だと1回の参道の往復で1日分の体力をほぼ全て使い切ってしまう。道開けを終わって庫裏玄関へ帰った頃は腰が痛くて長靴を脱ぐことが出来ないほどだった。少し落ち着くまで雪の中をうろついて、スズメの餌場に古古米を補充したりした。その間にも本堂の大屋根から雪吊りが続いている。

吉田家に幾つか大事な忘れ物をしていて、思い出すたびにワイフへ電話していたらそのうち少しずつ機嫌が悪くなってきた。彼女の方も年末のアレコレで忙しくしているわけだから当たり前のことだとは思うが、日頃は通勤坊主で二重生活をしているからそれも仕方がないことだと思う。毎年この時期同じことを同じように繰り返しているはずなのにどうしても忘れ物が減らない。これから先こういう大事なことを忘れることが増えることはあっても減ることはないだろうから、今のうちに年末年始の年越し作務を記録しておく必要を感じる。
1日が終わって次の1日が始まるだけのことなのに、1年の終わりと始まりのことになるととたんに何もかもが更新されて気ぜわしくなる。
毎年の1年を振り返ると、1日として同じ出来事の1日を繰り返すことがないのに、年越しの1日だけは同じように巡ってくるから、結局何もかもをその1日にあわせて都合をつけている。自分としてはどうも釈然としないもどかしさもあるが、だから自分の自由に振る舞うこともはばかられる。坊主という商売柄で余計に窮屈な決まりごとで縛られているところもあってどうなるものでもない。

外は休み無く雪が降り続いている。重たい雪だし、1日で2回は道を開けておかないと次の日の道開けが辛くなる。
本格的な冬がはじまった。
石見銀山の田んぼ彫刻は降り積もった雪でどんな具合に変化しているのだろう?
そのことも気になるし、今度の雪が残っている年内に一度は記録にとっておきたい。正月の御札を手摺りしなければいけない。町外のお檀家さん宛てへ年始の発送準備もある。元号が変わることでもあるし、年賀状は別の手段へ切り替えようと考えている。
あと3日もないのに、全部できるのだろうか??

カレンダー2
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平成最後の年末 

2018/12/28
Fri. 23:21

年内最強の寒波が南下してくるという。
雪は避けられない状態のようだし、萬善寺の参道は積雪で4WDの銀くんでも登ることができなくなるから、重たい荷物とか大きなかさばるものは事前に寺へ搬入しておいたほうが賢明だ。

前日に萬善寺入りして、ワイフが持たせてくれた鏡餅やお正月の年始会で必要な食材などを搬入した。
しばらく石見銀山の暮らしが続いている間に、たぬきが寺の留守番をしてくれていたようで、庫裏の西の端の勝手口から本堂の東側の基礎石の角まで、要所要所にウンコのマーキングをして夜回りをしてくれていた。
今年は、年始めの寒波と夏の猛暑で母親が育てていた鉢ものがほとんど絶えた。
そのなかの幾つかは鉢から地植えに移して何とかひと夏を乗り切ることが出来たものの、今度の年末寒波に絶えられるかどうか、微妙なところだ。
植物はしゃべらないし動かないから自分の身勝手な都合で面倒をみるくらいしかしょうがない。特別植物が嫌いというわけでもないが、わざわざ水やりをいてまで育てようとも思わない。それに、放ったらかしで何もしないと際限なくはびこってしまうこともあったりして、そうなってからではよけいに始末が悪い。毎年、秋になって落葉してから刈り込んで絶やしてやろうと考えてはいるのだが、秋は一方で彫刻制作の繁忙期だから、庭木や植木の剪定にまで労力が及ばないまま、結局ははびこるままになって今に至っている。

植物というと、正月の松竹梅の準備もある。
これも天気との関係でなかなか日程の調整が難しい。
前住職が他界して3年になるし、そろそろ現住職なりのシステムを導入しても良さそうな気もする。結局は個人の趣向で決まることでもあるが、今年は、松竹梅も含めて生物のお供えは最小限に留めてみようと思っている。
萬善寺の周囲を見渡すと、松は数十年前のマツクイムシ襲来以来、近所からの採取が難しくなった。梅は20年ほど前に西の畑へ植林したが、その後母親の老化に伴って管理が手薄になって今は原生林に近づいた荒れ地に変わった。竹は春先の筍採取に私の手が回らなくて猛烈な勢いで寺の周囲を攻められている。今年の春にはついに寺の東側の庭で1本ほど伸びて、今は本堂の軒に成長を阻止されて窮屈に斜めに曲がっている。松竹梅も縁起物で大事な年越しグッズになっているのだとは思うが、結局は成長の芽を摘んで枯らしてとんど祭りの焚付に変わっているだけのことだから、自分としてはそういう人間の身勝手な利己主義の具現化が良いことだとは思わない。

これから29日を避けて、本堂の供え物などをして荘厳を完成させるつもりだが、平成の元号で年越しをするのも最後になることだし、次の元号を目指して気持ちや様式の切り替えを質素倹約優先で取り仕切っても良いかなと思っている。仏事行事の継承に反する行為かもしれないし、なにかと異論があるかもしれないが、今後、老化を避けられない我が身としては、現行行事の継承が途絶える日も避けられないことでもある。今のうちから最小限の労働作務でできることにしておけば、それはそれで少しは長続きするかも知れない。

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年越し準備 

2018/12/27
Thu. 11:18

じゅん君には高校時代からの仲のいい同級生が数人いて、帰省すると連日飽きもせず誰かと何処かで逢っているようだ。
みんな、それなりにヤンチャな連中で何かと騒ぎのネタをふりまいていたこともあって、そういう類友の結束力が今に至っているのだろう。
オヤジの私の方は濃厚な友人付き合いから縁遠くて、どちらかというと鬱陶しかったり面倒だったりする方へシフトしているようなところがあるから、じゅん君の行動はどうもよくわからないところがある。それでも、生涯を通して気の許せる友人がいるということは良いことであるとは思う。

煙突掃除が終わってから大田市の蕎麦屋さんで昼食にした。
その蕎麦屋は、じゅん君が仲良くしている友達がお母さんと二人で営業している。
彼は、出雲蕎麦の老舗で数年間ほど本格的な修行をした。1日の営業分だけそば打ちをして、それが無くなると店じまいになる。変則四つ角にある店で駐車場も無いからなかなか気楽に入りにくいところもあるが、一度味を占めるとその上品な旨さのとりこになる。
その店での私は、だいたい釜揚げそばとざるそばを食べて、最後にそばがきを注文する。
ワイフやじゅん君はその時々で違うが、今回は山かけそばの温かいのを頼んでいた。

それほど寒い1日でもなかったが、煙突がきれいになったこともあって、じゅん君がガンガンストーブを焚いた。ひと頃は部屋中が熱くなって半袖で十分なほどになった。
デスクトップや周辺機器を2階へ移動したから夕食後は自室で過ごすことが増えた。住所録を整理していたら富山町のKさんから電話が入った。11月のイベントが終わってすぐにお願いしていたことがあって、その状況結果の連絡だった。それで、翌日1日の行動予定が決まった。

「ねぇ、久しぶりに温泉行かない?」
そばを食べた帰りにワイフが誘ってきた。確かにもう2年は遠ざかっている気がする。夫婦して温泉は好きな方なのだが、とにかく最近なかなかそういう時間がとれなかった。せっかくワイフがその気になってくれたことだし、自分の都合だけで断るのもどうかと思うし、富山の方は何とか工夫できるだろうとワイフの誘いに乗った。
温泉が久しぶりだったからだろうか、どこかしら湯当たりしたように全身がだるくて身体が思うように動かなくて苦労したが、それでも午後から寺へ移動して本堂の荘厳を正月仕様に整え、萬善寺の要所へしめ縄を飾って床の間の軸を替えて正月準備をした。あとは年末ギリギリに鏡餅をお供えしたり来年1年有効の御札を手刷りすれば年末のおおよその萬善寺寺務が終わる。
夕方近くになって給油へ回って、それから富山へ移動した。ちょうど帰宅ラッシュにぶつかってしまって、富山へ着いた時は夜になってしまった。Kさんがらみの用事を済ませて帰宅したら、じゅん君は例の仲の良い連中とささやかな忘年会で出かけていた。
「今夜は湯豆腐ね♡!」
それを聞くと飲まずにはいられない・・・蔵出しの純米酒をコップ1杯ほど冷で頂いた。昆布としいたけの出汁がきいた湯豆腐は久しぶりに絶品だった。

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クリスマスの煙突掃除 

2018/12/26
Wed. 23:09

吉田家にサンタさんが来てくれなくなって2年目になるかなぁ〜・・・
どうして来なくなったかいろいろ考えてみた結果、一つほど思い当たるフシがあった。
「そうか!そういえばストーブシーズンに入ってから煙突掃除してないなぁ〜」
そういうわけで、クリスマスは朝から煙突掃除をすることになった。
今年はじゅん君も手伝ってくれることになったので、ジックリと徹底的に掃除ができる。

改築してから20年は過ぎたトタン屋根は煙突からの煤煙をかぶってかなり錆びてきた。
屋根に上るたびに手の届く範囲は使いかけのラッカースプレーを吹き付けて応急処置を繰り返しているが、それもそろそろ限界に近い。
彫刻の制作資金で500円貯金を続けているものを、これから1年分は二手に分けてトタン屋根の修繕費に当てようと、屋根の上で決めた。加えて、今のうちにストーブを更新することも決めた。
自分の体力を考えるとこれから先10年もつかどうか微妙だし、それだけ生きていられるかどうか怪しいものだ。そろそろ後々のことをホンキで考えて周辺の環境を見渡して身辺整理をはじめたほうが良さそうだ・・・

屋根から裏庭の庭木越しにチラチラと田んぼの彫刻が見え隠れしている。
当初の計画だと、11月の終わりに設置した後、12月早々には雪が降って彫刻の雪景色を撮影したものを第2段の展覧会お知らせとして発送する予定だった。それが、待てど暮らせど気温が下がる気配もなく、チョット天気が悪くなるとシトシトと梅雨のような雨がしばらく降る程度で、北風が吹くこともなく気がつけば雲が切れて青空が覗いている。
ずいぶん昔にこんな感じの12月があったような気がする。年内に雪が降らなかったこともあったような気がする。そういうシーズンは年が明けて3月になってもまだ時々雪が降ったり、ひどい時は4月の入学式に桜吹雪きどころか雪が降り積もったこともあった。今年も、なんとなくそういう状況に似ている。

吉田家の薪ストーブは増築箇所の壁に穴を開けて縦横のステンレス煙突をクランク状に曲げて外へ出している。煙の匕ッパリ具合を調整するには、縦の煙突を横の3倍位に伸ばしておくと横煙突へ灰が溜まりにくくて都合がいい。燃料になる薪の種類によるが、ここ数年焚き続けている間伐の杉材はタールが多いから煙突内部にこびりついて煙道の表面積が増えてそれに灰が絡みついてくる。煙道で巻き上がった火の粉を含んだ灰が着火剤になってタールに火が着くことがあって、それが火災の元になる。まだ萬善寺の風呂を薪で沸かしていた頃、煙突の煙道が細くなってバックファイアーをおこしたことを見たことがある。つい数週間前にはお檀家さんが1軒お風呂が火元で全焼された。
薪ストーブは一時期新築住宅の流行になったことがある。銀山街道沿いにも数軒ほど煙突のある家を見かけるが、年中薪のストックが積み上げられてシーズンを通して煙突から煙が上っているところはなかなか少ない。
「あなたがいなくなったら薪ストーブも終わりね。ワタシじゃ薪つくり無理だから・・」
吉田家もワイフが思い出したように時々そう言ってくる。
それにしてもクリスマス当日に煙突掃除をしたのは、はじめてのことだ・・・

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イブの朝 

2018/12/25
Tue. 22:46

仏教の坊主としてはクリスマスだから特になにかすることもないし、いつもと変わらない1日が始まって終わる。
独り立ちしてそれぞれの生活を始めた4人の子供達がいなくなってからイブの夜に家族が集って豪華なワイフの手づくり料理を堪能することもなくなって静かなものだ。それでも今年は珍しくじゅん君が帰省しているから夕食も少し豪華になった。

イブの朝・・かなり激しい雨音で目が醒めた。
朝といってもまだ真夜中に近い頃から続く雨の音が気になって眠れなくなった。
確か金曜日から4回目のリバイバルでガガが主演した「スター誕生」が封切りされたはずだ。
お檀家さんのお仏壇一式とお位牌さんの開眼仏事を終わって、やっと一息ついた。
吉田家のメンテナンス一式や万善寺の年末年始のこともあるから、のんびりと映画を見る余裕があるわけでもないが、何かしら気持ちの区切りを用意しておくのも大事なことだし、年内の仕事が落ち着いたワイフを「映画に誘って見よう・・」と、眠れないまま決めた。
私にとっての「スター誕生」は、なんといってもバーバラ・ストライサンドに尽きる。良くも悪くも彼女の歌唱力がすごかったことを覚えている。クリス・クリストファーソンのカントリー・ロックミュージシャンも俗っぽくて映画のストーリーによくあっていたと思う。それにしても、バーバラ・ストライサンドは声もきれいだし歌が上手いことに感心した。あれはきっとあの鼻の大きさと密接に関係があるはずだとあの当時は本気でそう思っていた。確か彼女の歌はグラミーかアカデミーでなにかの賞をとっていたと思うが、よく覚えていない。映画が終わる頃には鼻の大きさが気にならなくなっていたから不思議だ。

最新作のスター誕生は、レディ・ガガ主演で前評判も良さそうだし封切り間もないし「結構混んでいるかも・・」と、気になって朝一番の上映時間をチェックして出かけた。チケットの自動券売機前にはそれなりの人だかりができていた。少し並んで発券の操作をしたら、吉田夫婦が「スター誕生」チケット購入第1番と2番だった。あれだけの人だかりは「いったいなんなのだ!」と、状況の判断に苦しんだが、ハリー・ポッター系列の映画に人気が集まっているということにすぐあとで気づいた。吉田家の二人は世間の嗜好と少しばかりズレを生じていたようだ。
それで、最新版スター誕生は、ガガのアリーがびっくりするほど自然で良かった。歌も歌声もバーバラ・ストライサンドとはまた違って新鮮で素敵で良かった。ブラッドリー・クーパーのつぶれた喉から縛りだすようなザラッとした低音にシビレた。ストーリーの方は・・・あまり喋りすぎるとマズイかな??・・とにかく、なかなか今風でよかった。ハリウッドの常道で既成の概念から逸脱しないシンプルなストーリー展開が、安心して楽しめるエンターテイメントに仕上がっていた。
映画が終わって、お昼前にロビーへ出ると入場を待つ人だかりがすごいことになっていた。初回上映のチョイスは「大成功!」だったと思うが、吉田夫婦の他に年配の男性が2人と、若い女性の二人連れと、都合6人でほぼ貸切状態!・・・って、どうだかなぁ〜?
ちょっとずれた映画好きにとっては田舎のT-JOYシネマもなかなかいいですなぁ〜

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じゅん君帰宅 

2018/12/24
Mon. 20:10

現在海士町在住のじゅん君が冬休みで帰ってきた。
だいたいに男というものはみんな似たような感じなのかも知れないが、じゅん君は現在の自分の状況を細かく報告するようなことがないから、どういう経緯で帰省したのかよくわからないところがある。
私の周辺では25日に学校の終業式があって冬休みはそれから後のことが多い気もする。最近の学校の先生は世間の勤務体系と同じように年内の仕事納めまでは普通に勤務が続くはずだし、クリスマス前から年が明けて学校が始まるまで延々と休み続けることが出来るのかどうかもよくわからない。特別ズル休みをしているわけでもないだろうから、親父が気にすることもないことだろうが、それでも簡単な現状の報告くらいはあっても良いと思うんだけど・・・想像するに、隠岐の生活ももう4年になるし、義務教育に正式採用も決まったから、今まで貯まっている有給休暇や代休の解消をしているのかも知れない。
まぁ、そんなわけで、寺から吉田家へ帰ってきたらじゅん君がいたという次第。

デスクトップがリビングの隅にあって、自宅での事務処理はその場所を使っていたのだが、じゅん君の寝場所にもなっていて、自分の自由がなくなった。
プリンターなどの周辺機器も一式パソコン周りに集まってケーブルで繋がっているし、それでなくてもラップトップが機能しなくなってから後、何かと不自由が続いているところへ追い打ちがかかってしまった状態だ。

その夜、ネコチャンズが珍しく私の寝室になっている2階の元キーポンの部屋へ時間差でやってきた。
シロは早々と電気炬燵へ潜り込んで私の足元で丸くなった。
クロはそれからしばらくしてから2階へ上がってきて炬燵布団をガサゴソやっていたが、読書中の私の真横の窮屈なところへ落ち着いて丸くなった。
いつもはワイフの周辺でゴロゴロしていることがほとんどのネコチャンズが、じゅん君の帰省でオヤジのところへ避難してきたふうな感じだ。そのうち彼らも腹が減ったりのどが渇いたりしたら仕方なしにじゅん君の横をすり抜けざるを得なくなるから、そうこうしている間に警戒心も薄れて慣れてくるだろう。
2018年も残りわずかだし、このまま吉田家のデスクワークを停滞させるわけにいかないから、年末の大掃除も兼ねて現在のオヤジの寝室を書斎兼用に出来ないか工夫することにした。
ボクの寝室はワイフが彫刻を制作している工房部屋の真上だから、それなりに広いのだが、半分は子供たちが昔着ていた洋服や最後まで我が物顔で使っていたキーポンの荷物で占領されていて、石見銀山の町並みに面した明かりとりの窓際にはネコチャンズが外の様子を見ながらしばしくつろげるほどのスペースも用意してある。その並びには子供たちが使いまわしていた勉強机が2基並んでいたりして、結局自由に使えそうな場所は以前書斎で使っていた四畳半より狭いスペースしか残っていない。
まがりなりにも吉田家の家長としてはどこかしら家族からしいたげられた不条理を感じなくもないが、深く思い悩んでも現状を改善できる余地がそれほどあるわけでもなく、ひとまずはあまり深く考えないことにした。

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年の瀬の訃報 

2018/12/23
Sun. 17:28

年の瀬になって急に慌ただしくなった。
宗門手帳を見ると、12月のページはほぼ空白で2日のワークショップと14日の新蕎麦の会と松永さんの来訪くらいだったのが、ここにきて連日のようにアチコチから駆け込み法事などの問い合せが入って、土日祭日を中心に年末ギリギリまで寺の用事が立て込んできた。
たぶん、そういうことも今年だけのことだと思う。
例年だとこの時期は根雪になるかならないか微妙な感じの雪がそれなりに積もっていて、そういう時に駆け込み法事の依頼などまずこない。寺の方は毎年変わりなく冬シーズンの維持管理を中心に年末年始の決まりごとを粛々と繰り返しているだけのことなのだが、今年はそれもなかなか出来なくて、その影響で石見銀山の吉田家のことがどんどん後回しになっている。このままだと年内に済まそうと思っていた自分の彫刻制作など、完全に何処か遠い彼方へ消え去ってしまいそうだ。せっかく材料も届いて消耗品の補充も済んだところなのに・・・なかなか自分の思うように上手く事が進まないものだ・・・

萬善寺で幾つかの用事を片付けていたらワイフから電話が入った。
石見銀山の天理教大森支部長さんのご母堂が亡くなったとの知らせだった。天理教は日本宗教をザックリくくると神道に寄っていて仏教とは葬祭の様式がずいぶん違っている。私は仏教でいうところの通夜に当たる神事しか参列できないからその開始時間へ間に合うように急いで石見銀山へ帰った。喪服は着る機会もないまま何処かに仕舞い込んだままだから、寺で改良衣に着替えてそのまま通夜神事に出席した。坊主が改良衣で榊を玉串奉奠するという、日頃はなかなか遭遇しない機会を得たわけだが、個人的には故人を見送る気持ちに変わりがあることでもないし、それはそれで何の問題もないと思っているのに、隣に着座の参列者がやたらとうるさく根掘り葉掘り知ったかぶりの宗教を問い掛けてくるものだから、とにかくボク的には面倒臭い居心地の悪い通夜神事になってしまった。

帰宅して、賞味期限が切れて不味くなった日本酒を飲みながら遅めの夕食を済ませて少し落ち着いてから自宅のパソコンを開いてメールチェックをしたら、木彫家の小島弘さんの訃報が入っていた。詳しいことはわからないが、もうかなりの高齢だったからきっと大往生だっただろうと思うことにした。
島根県の小品彫刻展をスタートした当初から数年前まで毎年欠かさず素敵な木彫作品を出品していただいた。奥様に先立たれ、その後しばらくして自ら介護移設へ入所され、静かな余生を送られたようだ。小品彫刻展の方は、入所を決断されたところで丁寧な出品辞退の手紙を頂いた。
何事も几帳面に滞りなく処理される様子は、日頃から自堕落に過ぎる私にはなかなかマネの出来ないことだ。
まだ健在だった頃の厳格な所作言動は、気楽に近づき難いオーラが漂っていて、田舎者のボクなどは視線を逸らせて避けて通っているようなところもあったが、小島さんの方はキチンと吉田と吉田の彫刻のことを認識されていたようだ。
木彫の小島彫刻は抽象への境界を踏み越える一歩手前までデフォルメされた緊張感のある洗練されて気骨のある具象のムーブマンが実に魅力的だった・・・九拝合掌・・

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更新追記:11/11坊主彫刻家的嗜好
徳島でいい感じの錆色に色づいた彫刻が石見銀山のいつもの田んぼへ帰ってきました。
これから年越しをして3月末まで動きません・・・みなさん、冬の間しか観ることができませんよ!

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デスクトップフル稼働 

2018/12/22
Sat. 08:06

Cloudへ移動しておいた書きかけのBlog原稿を引き出してチェックしてみると、2〜3行で終わったり半分ほどで終わっていたりする中途半端なページが大量に貯まっていた。
ラップトップの有り難さをあらためて噛み締めている・・・
過ぎたことは仕方がないから、半分ほどは諦めが着いているものの「まだなんとかなるかも知れない・・」と、少し時間の余裕ができてからささやかな望みをAppleの修理へ託してみようと思っているところだ。

松永さんが徳島から吉田の個展と彫刻小品展の会場視察を兼ねて石見銀山へ来てくれたのは今から1週間前のこと。
2泊3日ほど島根県で滞在してくれたのだが、萬善寺の用事で3日めの見送りが出来ないまま中途半端に別れた後、年末の駆け込み法事が続いて彫刻制作どころではなくなった。
連日通勤坊主をして寺の用事を片付けて庫裏玄関へ帰ってみるとポストにゆうパックの不在連絡票がこれもまた連日のように投げ込んである。
田舎の山寺は昔ながらに施主家での法事が主流だから、朝のうちから寺を留守にして帰宅するのはだいたいお昼を過ぎて2時か3時位になる。玄関先で改良衣のまますぐに折り返しの電話をかけると聞き覚えのある宅配担当さんの声が返ってくる。二度手間が申し訳ないとも思うが、仕事の約束事を丁寧に守り続けることも事業の信用を保つ大事なことだから、自分勝手な仏心の対案でむやみに担当さんの業務へ踏み込まないようにしている。

夕方になって再配達が届くまで数時間の間が空くから、その間に積み残しの過去ブログをアレコレ記憶の糸を類って思い出しながらまとめることにしたものの、寺に居れば居たで何かと寺の用事が目について気になったりして、ツイツイそちらを優先してしまう。
これといって改めて記録に残しておくほどのたいした出来事が続くわけでもないのだが、それでも毎日何かしら少し違ったその日だけの出来事が過ぎていく。やはり何かしら1日の出来事を再確認して自堕落な自分の戒めにしておくことも必要なことだと改めて思う。

「年内にお位牌さんをなんとかしたいと思っとりますんですが・・・」
今年は、本格的な雪になっていないせいか、12月に入ってから今までにないほど急な仏事依頼がいろいろと舞い込んでくる。お檀家さんも年々1歳ずつ歳を重ねて高齢化が進んで、そうなると一つ一つの思いつきに余裕が無くなるふうになるのかもしれない。それほど差し迫ったことでもないだろうという気もするが、それはそれ、私が勝手にそう思ってしまっているだけのことなので、とにかく自分の都合を飲み込んでお檀家さんのその時の気持ちを最優先でお付き合いをさせていただいている。まぁ、萬善寺の場合はそういうことが普通にできる程度の檀家数だからネ・・・
「チョット急な書き物が出来たから今夜はお寺で泊まります・・」
ワイフにそう伝えてから硯を出して墨を摺り始めた。そのお位牌さんは箱位牌とか繰り出し位牌とか俗にそう云う。
ついでというわけでもないが、萬善寺カレンダーの制作に入った。もう何年も前から続けていてデータベースが残っているから楽にできる。こういう時はデスクトップがフル稼働する。そのまたついでに、積み残しのBlogも少しだけ記事が埋まった。

カレンダー1月

更新追記:11/10「土曜日の朝」
徳島の野外彫刻を撤収するはずだったんだけど、周藤さんが代行してくれました・・・感謝!

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ブログ停滞事情 

2018/12/21
Fri. 19:03

かれこれ1ヶ月は前のこと・・・ボクのラップトップがついにクラッシュしたのです!

数年前に「もうダメかもしれない・・」と諦めかけたことがあった。
その時はシステムを入れ替えたり、いらないデータを大量に削除したりして何とか普通に動くようになったものの、前のようにサクサクとストレス無くデスクワークが出来るまでには回復しないまま、ダマシダマシ使っていたところだった。
はじめの頃は「前はもっとらくにうごいていたのになぁ〜・・」とモタッとした動きが気になってしょうがなかったのに、そのうちそれが普通になって「こんなもんだろう・・」と思うようになって、知らない間にそういうラップトップへ慣れてしまっていた。
工場へ出かける時も、通勤坊主の時も、彫刻を銀くんへ積んで徳島へ行った時も、とにかく旅のお供にいつも一緒に持ち歩いていた。
充電ケーブルの接触に不具合があったり、ガサツに使いまわしてアチコチぶつけてボコボコになっても、健気に動き続けていたからラップトップがいつも手元にあることが当たり前になっていた。
このBlogも、工場の仕事の集中が切れると日本海へ出かけて海を見ながらプチプチとキーボードを打っていたし、寺の一人暮らしもゴロリと横になってメタボ腹の上に乗せて気楽にプチプチやったりして、まぁ、チョット気になることがあったり少しヒマが出来たりすると、いつも気軽に使い倒していた。

結局は、何かと便利に使い勝手が良かったということだろう。
動かなくなってしまってからとにかくBlogの更新が停滞する。
1日の用事が終わって夕ご飯を終わって、とりあえずは「さて、そろそろキーボードでもつつくか・・・」という気になるものの、デスクトップを起動することがなかなか出来ないまま、結局睡魔の方が優先してしまう。
早朝に目覚めても布団の中でゴロゴロしている間に「わざわざBlogのためにデスクトップを起動するのも面倒臭いなぁ〜・・・」ということになる。
寺の寺務や展覧会の事務や各種書類作成や広報関連の印刷原稿の作成など、少しストレスのある重たい仕事はやはりデスクトップの方が仕事もしやすいし、集中できて作業もはかどる。
撮りためた写真データの整理や、好きな音楽のアルバム作成や、手紙や宛名のデータベースやSNSの確認のような軽い用事のほとんどをラップトップでまかなっていたから、それが全部デスクトップへ回ってくることになった。

はっきりいって、ラップトップの存在を甘く見ていた・・・
日常の暮らしのスケジュールを見直さなければ、今までと同じようなわけにはいかなくなった。毎日の出来事にそれほどのドラマがあるわけでもないし、雨が降ったとか暑かったとかそれで仕事のスケジュールが狂うわけでもないし、簡単な覚書程度のメモを残しておけばそれでBlogを代用することにもなるのだろうが、なんとなくそれだけでは味気ない気もしている。
そんなわけで、現在物理的諸事情によりBlogの停滞が続いています。あしからず・・・

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田んぼ彫刻 

2018/12/09
Sun. 04:36

「今年は観音様の供養がまだなんだけど、法事の時に一緒というのはダメ??」
少し前に獣医の同級生が電話をしてきた。
最近は・・というより、住職が私の代になってからそういうことは他でもよくあることだから「ソレでも良いよ」と返事をしておいたら、日を改めて「9日でどぉ〜〜?」と電話が入って「あぁ〜〜良いよ!」と答えておいたのだが、それからしばらくしてまた電話が入って1週間ずらしてくれということになって9日がフッと空いた。
彼も私と同じ年だから、すでに公務員の獣医は退職をしているのだが、現職に人員が足らなくて、宿直とか休日勤務の補助要員で駆り出されることがあって、なかなか農業1本に絞れないまま忙しい毎日を送っている。

萬善寺への通勤坊主をしなくて良いことになったから、彫刻家に気持ちを切り替えた。
11月の29日に個展がスタートして10日が過ぎた。
個展といっても、自分の場合は石見銀山の谷の吉田家の近所にある稲刈りが終わって来年春まで使うことのない田んぼの適当な場所へ野外彫刻を置くだけのことだから、入場するもしないも24時間オールフリーの展覧会になっている。
石見銀山の町並みに本店のある衣料雑貨の店が吉田の個展を主催してくれていて、その店からのダイレクトメールに第1段の展覧会案内が同封された。
作家としては、作家個人からのダイレクトメールを発送するタイミングを測りかねていて少し悩んだが、一応は展覧会の主催が他にあることなので、作家からの展覧会開催案内は少し遅れて発送することにした。
こういうタイプの展覧会は、以前にもしたことがあって、その時は、約3ヶ月の展示期間中に3回の作品入れ替えをした。
その都度案内状を発送してみたのだが、島根県の冬は雪も降るし表日本からの移動が難しかったりするから、労多くして効無し的展覧会になってしまった。
その反省も含めて、今回は3ヶ月の長期展示を同一テーマで引っ張り続けることにした。それで定期的に彫刻を移動したり加えたり減らしたりしながら展示の変化とか効果を記録していこうと決めた。

今は、この10日の間に少しずつ彫刻を増やしている段階だ。
前回の展覧会の経験で、遠方からの来場がそれほど期待できないとわかっているから、ターゲットを石見銀山に生活する様々な人々の目に絞った。
そうすることで、主催会社の従業員やそのお店のお客さんや、大森小学校へ通う子供たち、保育園に通う親子連れ、住民のおじいちゃんおばあちゃん、町内の各種事業関係者、路線バスの乗客やドライバーなど、身近な人々が彫刻の変化に気づいてくれること。それに若干プラスして田んぼの彫刻が観光流入の人々の目に入るくらいで良いふうな予測をした。
寺のことがなければ、ほぼ毎日工場へ通う日々が普通になって身体の疲労は貯まるが気持ちの方は良い意味で充実している。彫刻のカタチも、制作時間が充足されたおかげで軽々しい表現の変化を抑えることが出来てきた。
個展はこれが最後になるかも知れない。踏ん張ってカタチを掘り下げていこうと思う。

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血と煙 

2018/12/08
Sat. 04:08

行きつけの開業医は土曜日でも午前中だけ診察してくれるので、朝早くに自宅を出て工場へ行く前にそちらへ回った。

その病院の待合室にはF6からF10程度の風景画やブロンズの小品彫刻が数点飾ってある。ドクターの趣味なのか薬剤師の奥さんの趣味なのか、もしくは税金対策なのかよくわからないが、総合病院によくある統一感のない寄贈品ばかりの展示とか、病院職員や関係者の趣味の作品展示よりはずっと上品で好感が持てる。
吉田家は上の子供がまだ幼稚園くらいだった小さい頃から家族全員でそのドクターの世話になっていて心安くさせてもらっている。確か娘さんがじゅん君と同じ高校で吹奏楽部の先輩後輩の関係だったと思う。看護師さんも吉田家のなっちゃんと同級生の子供がいるはずで、まぁ、狭い街のことだからなんずかんずいろいろ手繰ると普通に何処かで誰かと繋がりが出来てくる。

ボクは、もう何年も前から歩く成人病状態で数種類の薬が手放せない。ソコソコ几帳面に飲み続けてはいるのだが、目に見えて症状が改善するわけでもないし、薬の効果がどの程度なのか判断に苦しむところだが、かと言ってドクターはそれで特に深刻な様子でもないし、結局慢性の持病だと思って死ぬまで付き合うしかないことなのだろうと、今のところ自分で勝手にそう思い込んでいる。急激な体調の変化とか、診察中のドクターの顔色が一瞬曇ったとか、そうなった時はそれなりに病状の悪化を覚悟しよう。

病院が終わったらそのまま工場へ行くつもりで、つなぎなどの作業着一式を用意しておいた。さすがに鉄の埃にまみれた作業着のまま診察を受けることは出来ない。
血液検査の結果があまり良くなくてちょっと気持ちが重たい。
前日に途中で終わっていた彫刻の溶接を続けてカタチが少しずつ見えて、いつのまにか彫刻の方へ気持ちが入り込んで血液検査のことを忘れかけていたところへ、うっかり鉄板の切れ端にグローブを引っ掛けてそのあたりの手の甲に血がにじんできた。傷というほど大したものでもなかったが、ペロリとなめてもしばらく血が止まらなかった。
「これは血液の凝固を和らげる薬ですからね」・・・以前、ドクターがそのような説明をしていた。「そうか!たぶん、高血圧の薬のせいかも知れない・・・」血は鉄の味がした。血の出た傷よりまだ新しいグローブが破れたほうがショックだった。

気を取り直して溶接をしてグラインダーを使っていたら、今度は何かしら焦げ臭い匂いが漂ってくる。近くに燃えるものは無いはずなのにとにかく焦げ臭い。そのうち溶接の紫外線光に照らされて何処かから立ち上る煙が見えてきた。煙がいやに近い!
グラインダーのスイッチを切ってあたりを見回したら、なんと!ボクのつなぎの腹のあたりから煙が立ち上り、左腕の袖口にはチロチロと小さく燻る火が見えた。
焦ってグローブでバタバタと火を消したが、暫くの間ボロ布が燻る匂いと煙が工場に漂っていた。
つなぎの作業着は母親が元気だった頃ボロ布を当てて手縫いしてくれた。少なくても5年以上は前のことだ。さすがに、もう廃棄するしか無い。母親の痕跡がまた一つ消滅する。

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無心 

2018/12/07
Fri. 04:11

朝から溶接が続いて立っているのが少し辛くなってきたから、いつもの海へ出てみることにした。
北西風が比較的強くて波が少し高かった。
大陸へ続く水平線が凸凹に波打っている。

仕事中に無心でいられる時間がずいぶん短く減った。
昔は、溶接をしていると足が重くなることも腰が痛くなることも肩から首筋が固まって指先が痺れてくることもなかったが、この頃はしばらく決まった仕事を続けているとそういう身体のアチコチの不具合が気になってきて集中力が切れて絶える。
修行僧的に云うと、座禅の身体がゆらゆらと揺れて気が散っているような感じで、歳を重ねれば重ねるほど修行の成果が身についてくるはずなのに、私の場合はまるでその逆になっている。
「コラ!!修行が足りん!!」と一括されてしまう不甲斐なさだが、なにせ日常の生活優先の在家坊主といては致し方ないところもある。
先代住職のことを思い出すと、膝が思うように動かなくなって、腰痛がひどくなって、サロンパスの効能が用をなさなくなって、指がしびれて物をうまくつかめなくなったり紐を結ぶのに時間がかかったりし始めた頃から、「エイ!クソ!!」を口走ることが一気に増えた。法事の先の人前でも口から出てしまうものだから「そういう、汚いこ言葉は謹んだほうが良いよ・・」とさり気なくたしなめていたのに、今は自分が似たような状況になりつつあって「ヤバイ!!」と気づいて反省することが増えた。そのうち、気づかないまに思わず口走ってしまっていたりしてくると、まさに先代と同じになってしまう。ヤレヤレ・・・

「無心」というと、確か沢庵禅師(だったと思う・・・)が、「分別や思案の無い時の心の状態である・・・」というような定義付けをしていらした(はずだ・・?)。
ようするに「何もしないとか何も考えないとかそういうこととは違うよ!」というふうに私は解釈している。「自分の現状からしばし逃避してボォ〜〜〜っとしている状態のことではない」ということ。
何か一つ事に一心不乱に取り組んでいる時の状態が「無心である」といえる。少し状況が違うかも知れないが「集中している」ということはそういう「無心の時の状態」を云うのではないのかと思っている。

日本海の波を見ていると・・いや、見続けていると・・自然と心が安らかになって、ある時を境に刻々と常に変化する波の様子と自分の気持ちが一つに重なったように感じる時がある。結局はただ「ボォ〜〜〜」っとしていただけのことなのかも知れないが、それでも何かしら彫刻の次の一手に迷いがなくなった清々しさも感じていたりする。
日々自堕落に過ごしているから集中力が退化するのも仕方がないことなのだろう。それでもまだ、いざという時にひと踏ん張り出来る程度の集中力は維持できている気がする。なにごとも、自分のことは自分自身が一番良く心得ているつもりでも、実際自分自身が一番自分の事に気づいていなかったりするものだ。ボクはまだまだ自分に甘いなぁ・・・

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連作彫刻 

2018/12/06
Thu. 04:28

しばらく彫刻から遠ざかっていたことは、かなりのストレスになっていたようだ。
11月の富山町のことが一段落してから、ほぼ毎日のように工場へ通っている。
その間に、身体が忘れていた彫刻の感のようなものを少しずつ取り戻して、気持ちの向く方向へ自然と身体が動くようになって、制作作業のムダが整理されてきた。

それでわかってきたことは、自分の肉体の老化。
つま先に鉄板の入った安全長靴の重さが、気づかないくらいのところで負担になっているようで、床のアチコチへ乱雑に散らばった仕事の痕跡によくつまづくようになった。
はじめの頃は、大きな怪我になる寸前の危険な状態になって肝を冷やしたことが1日になんどもあった。そういうことが連続すると云うことはやはり自分が老域に入ったのだろうと自覚することでもある。一度「そうに違いない!」と現在の状況を認めて受け入れると、それから先、無理をしないような動きを工夫するようになって、今はそれが普通になってきて、4✕8の鉄板を制作台へ乗せるのも、いろいろと工夫して前と変わらないくらいに出来るようになった。

1m以下の小振りの箱彫刻を10個連作しているが、それをすべて溶接し終わるのに2日かかった。
夕方になると集中力が切れて溶接の精度も落ちて1日の作業の限界を感じる。今までは、小休止して気持ちを切り替えて作業を再開していたが、そういう無理をすることが翌日に影響すると余計に作業効率が落ちて完成の目処がつかなくなるから、身体の動きが鈍くなったと思ったら、そこで1日の仕事を打ち切ることにした。
いくら彫刻三昧の1日を過ごしていても他に用事がないわけでもないから、夕方からあとは工場から寺へ移動したり、貯まっていた業者さんへの支払いをしたりして用事の停滞を解消している。

今制作中の彫刻は、今回の個展のサブテーマである「彷蔵」の系列に位置しているものだ。
「彷蔵」は、自分の造語で「ほうぞう」と云う。
その言葉に隠されている自分なりの想いはあるが、それはそのうち語る機会もあるだろう。とにかく、今は10個の箱彫刻の次の工程を造形上の工夫に置き換えることを優先する段階だ。
野外彫刻の個展というものは、展示期間も含めて自分の中で空間の境界をある程度決めておかないと、何事もすべてが曖昧に始まって終わってしまうから、あらかじめ事前におおよそ展覧会のシナリオを造るようにしている。このことも、何かの機会で文字に置き換えておくくらいのことはしておく必要を感じてはいるが、まだ制作の最中だし、そういう段階で自分の彫刻を別の表現手段で語るということは避けておきたい。

今年は、例年になく12月に入ってまだ初雪が降らない。冬シーズン限定で開催している野外彫刻の個展としては、自分の思惑通りにいかないところもあって少々苦戦しているがそれも仕方がない。なにせ地球の環境が相手のことだから・・・

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吉田家の夕食 

2018/12/05
Wed. 04:54

中学校を卒業するまで生まれ育った地元で暮らしていた。
萬善寺から約2kmほど歩いて小学校へ通い、中学校の3年間はその道を父親からお下がりの自転車で通っていた。
学校のあった小さな町にはなんでもあった。
映画館を兼ねた劇場は、1ヶ月に2回位上映替えがあってだいたい2本立てだったが、行楽シーズンとかお盆とかの節目には3本立て上映をしたりして賑わっていた。
大人の娯楽はパチンコ屋があったし、旅館は2軒並んでいて2階の大部屋からは週末になると宴会のザワメキが町並みに降り落ちていた。
内科と小児科を兼ねた開業医があって、その前には薬局と歯医者さんがあった。
町並みのほぼ中央にバス停と小荷物の引き渡し所があって、その隣は郵便局だった。
パーマ屋さんが町の川上にあって、町の川下の端に床屋さんがあった。
恵比寿神社の前には本屋とおもちゃ屋を兼ねた文房具店があって、その隣は電気屋さんだった。
学校へ入る四つ角には、酒屋さんとお菓子屋さんと呉服屋さんと自転車屋さんがあった。
その自転車屋さんは、それからしばらくしてスバルの自動車代理店になって、川下の床屋さんの前にある自転車屋さんはスズキの代理店になってそれぞれバイクや自動車を販売修理するようになった。
学校へ登る坂下の広場を囲むように、森林組合の事務所と農協と農協スーパーと銀行と役場があった。
新聞屋さんの隣にあるタバコ屋さんには通りに面して広い土間があって、簡単な軽食も出していた。梅雨が終わって暑くなり始めるとかき氷の旗が軒先にぶら下がった。
そのタバコ屋さんの前が雑貨屋さんで食器からザル・カゴ・ホウキ・スコップと、日常の生活雑器は何でも揃っていた。
毎日通学する先にあるその町は少年の私にとって大都会だった。

萬善寺の日常生活は、その町にある酒屋さんや雑貨屋さんの配達が頼りになっていた。
盆正月のお参りは、今では想像できないほどの大賑わいで、法要後の御斎には田の字の庫裏の襖障子をすべて取り外して大部屋になったところへ80人位のお檀家さんがひしめいていた。それだけの人数を賄うための大小の茶碗汁椀湯呑取り皿徳利猪口などなどの食器類は膨大な量で、それらすべてを寺の備品什器として雑貨屋さんから一括取寄せていて、割れたり欠けたりした物の補充更新が毎年のように繰り返されていた。
家族だけの食事には、その更新されて廃棄されるべき器がしぶとく使いまわされていて、子供ながらに、実に味気なくみすぼらしいものに感じていた。せっかくの母親の手料理も欠けた瀬戸物で飲み食いしていては美味しくもなんともない。

内村萩焼作陶工房で仕入れた器が早速吉田家の夕食に登場した。
器の殆どはとみ山フィールドアートワークで教室個展にあった器で、私が目をつけていたもの。それに、ワイフが欲しがったお皿も添えて一括購入した。
食材は、萩からの帰りに寄った数カ所の道の駅でゲットした地物ばかり。
ワイフの手料理がひときわ美味い!・・・

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萩の穴窯 

2018/12/04
Tue. 04:50

山陰で高速道路の整備が一番遅れている島根県西部も、この数年間で工事が加速して少しずつだが開通区間も伸びて長距離移動が便利になってきた。

萩焼の内村さんとはもうずいぶん長い付き合いになる。
彼の窯は登り窯よりもっと原始的な穴窯で、そういう窯で焼成する作陶家は萩地域だけでなく島根県や山陰でも珍しい。付き合い始めの頃は、窯焚きの手伝いをさせてもらうかわりに、自分の器を焚き口の灰被りのあたりの邪魔にならないところへ置かせてもらったりした。やはり、薪窯の味わいは他のガスや灯油の窯とは比べ物にならないが、穴窯はそれにも増して独特の窯変がみられる。酸化と還元が曖昧に混ざりあった中性窯の様子は、薪のくべ方ひとつで大きく変化するから最後の練らし焼成になるまで緊張の連続だ。

富山町での教室個展へ作陶展をお願いしたのは今年の会期スタートからだいたい1年半ほど前のことだった。
私は特に差し迫った用事がない限り内村さんの工房がある明木で5月の連休に行われる往還まつりのイベントへ出かけることにしている。中国地方の各所から集まってきた陶芸やクラフト工芸などの作家が店を出すので、器や小物を見たり買ったりすることを楽しみにしている。
そのまつりの主催で忙しくしている内村さんを捕まえて富山町での作陶展を打診しておいたのだが、その後少し落ち着いてからOKの連絡をもらった。
展示会で生活している彼は、旅慣れているし作品展のノウハウは心得ているから、会期や搬入出のデータと会場の様子を知らせておけば、あとは自分の都合で動いてくれるので依頼する私の負担も減って助かる。
この度も、そんな感じで展示作業は彼に任せっきりにしておいたのだが、いつも忙しい彼に島根と萩を2往復してもらうのも悪い気がして、イベントが終わってからの後片付けと作品梱包などはすべて私が責任を持って行うことにした。それで、11月の連休中にそれを済ませて、あとは萩まで運搬するだけになっていたところへ「久しぶりに私も行きたいなぁ〜・・萩!」とワイフが言いだして「それじゃぁ〜、何時か良い日があったら教えてよ」ということになって、週明けの月曜日早朝、ワイフの車へ内村さんの陶器一式を積み込んで萩へ向かった。

昔は、石見銀山から萩まで5時間ほどはかかっていた。
10年くらい前から少しずつ自動車道が整備されて片道5時間を切った。
2年くらい前から一気に高速が伸びて、今は3時間半あれば内村さんの工房へ到着する。

「今、改築中で年内には完成させる予定!」だということで、焚き口と煙突下の袋窯だけを残してあとの穴窯の部分はレンガが撤去されていた。
「アレコレ考えながら造ってるとなかなか進まなくて・・」
工学系にも強い内村さんが自分で改修工事をしている。
こだわりの穴窯が完成したら、来年の3月まで空焚きをしたりしてそれから窯詰め本焼きと続く。私もなんとかして、再生初窯焼成メンバーに加えてもらえるといいなぁ〜・・

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富山カフェワークショップ 

2018/12/03
Mon. 04:29

大田市富山町の有志とまちづくりセンターが協力して開催している「富山カフェ」へワークショップで参加するようになってからもう3〜4年が過ぎた。
初期の頃は春の連休中と冬のクリスマス直前の2回出かけていたが、最近は冬だけ誘いがかかる。

富山カフェの方は、薪窯ピザとか地産カレーとか食べ物中心で営業しているが、ワークショップの方は、100円のワンコインで材料代だけ頂いている。
「ワンコインって、500円ですか?」と普通に誰からもそう聞かれる。
100円だと答えるとみんなが口を揃えて「安い!」と反応する。それで「親子連れで一人500円はいただけませんよ!」と答えると「確かに・・」とだいたいみんな納得してワークショップに参加してくれる。
今年は、吉田家で密かなブーム(というほどでもないが・・・)になっている「モビール」を造ってもらおうと決めて、ワイフとノリちゃんへ伝えておいた。
富山での彫刻小品展を準備しながらワークショップのことを話していたら、ノリちゃんが材料のことやぶら下げるモチーフのことなど、細かいパーツを幾つか提案してくれたので「それじゃぁ〜、そこらへんのことはまかせておいてもいいかなぁ?」と軽く振っておいた。
ワイフの方は例のごとくブツブツ愚痴というか小言というか、見た目は気に入らない様子オーラを撒き散らしながら、それでも暇を見つけては針金を用意したりフェルト細工でパーツを造ったり100均ショップでアレコレ仕入れたりして準備していた。

2日の日曜日が富山カフェの当日で、朝の9時には会場の準備をはじめた。
カフェの方は、10時からオープンのはずだったのにもうその前からボツボツとチケット購入の人だかりが始まって大盛況だった。
ワークショップは1日が終わるまで切れ目なくお客さんの出入りが続いて、それなりに盛況だった。内容の性質上、結構造形力が問われるところもあって、滞在時間がやたらと長くなった。それで回転率はいまいちだったが一人で2つも造ったり、「家でつくりたいから・・」と材料をもらって帰る人もあったりして、対応がそれなりに忙しかった。
案の定、親子連れの参加もあったから、やはり100円の設定で間違いなかった。

カフェはお昼すぎにすべて売り切れ完売で店じまい状態だったが、ワークショップは午後になっても客が絶えなくて、店じまいしたのが3時前だった。それから急いで後片付けや掃除を済ませて、ノリちゃんとはそこで別れた。
ワイフと二人で久しぶりに出雲へ出かけた。
富山町からだと出雲はすぐだから、あらかじめ予定のうちに入れて、私はもみ屋さんでマッサージ1時間コースを予約しておいた。ワイフは買い物三昧の1時間になったようだが、それでも少し時間が足らなかったらしい。
マッサージは久しぶりで、身体が少し軽くなった。特に指名の指定はしなかったのだが運良く吉田さんに当たった。私の身体を心得ていて、硬いところをほぐしてくれる。
吉田が吉田さんに揉まれている・・という光景はちょっとシュールだ。

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2018-12