FC2ブログ

工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

コリコリオヤジ 

2019/01/16
Wed. 23:38

しばらく前まで冬にしては暖かい日が続いていた。
2〜3日前は3月中旬の陽気になったりして、少し動き回ると汗ばむほどだった。
暖かいことは良いことなのだが、着るものや寝具の調整がうまくいかなくて「ちょっと寒いなぁ〜」と夜中に目覚めると布団がゴッソリはねのけられて身体中が冷え切っていたりする。昨夜は、ワイフが一晩中コツコツと咳をしていた。今はネコも人間も男同士女同士で別々に寝ていて家庭内別居状態でいるから、睡眠中も自分のコトは自分で責任を持ってもらわないと困る。先週の土曜日は、坊主家業ではない新年最初の出稼ぎ仕事がインフルエンザの流行でキャンセルになった。人混みへ出ればインフルエンザ感染のリスクも増すし、こういう場合は自宅と寺の往復ぐらいに用事を絞っておきたい。

年始の慌ただしさは落ち着いたものの、毎日何かしらの用事があってゆっくりと休養することのないまま半月が過ぎた。
「明日は決まった用事もないから1日休むことにするから・・」
夕食の時にワイフへそう宣言して寝る準備をしていたら保賀の役員さんから電話が入った。年末に回覧した書類に間違いがあったのでその修正版を再度回覧し直してほしいということだった。電話でのことでよくわからないが、文言や期日の間違い程度のことなら電話の言い次伝言で済むことだろうにと思ったが、一応「上組班長!」の肩書があるものの実態は「ただの使い走り」としては「イヤだ!」と断るわけにもいかず、せっかく楽しみにしていた「ボクの休日」が見事に消えて無くなった。
石見銀山の朝は、久しぶりの雪がハラリと舞い落ちていたから飯南高原は本格的な雪になっているだろうと、覚悟しながら通勤坊主で移動した。
確かに雪は降っていたが難なく銀くんを境内まで上げることが出来た。
用事はすぐに終わって、ついでに洗い物の家事を済ませてから、もみ屋さんへ予約の電話をしてみると「ハイ、その時間でしたら大丈夫ですよ。空いてます!」ということだったので、即予約した。昨年末から何度も予約してフラレてばかりだったから半日の予定が決まって気持ちが少し華やいだ。
雪の舞う国道を出雲へ向けて走らせていると、神戸川の支流から本流へ合流したあたりから道が乾いていた。車で1時間も移動していないのにここまで天候に差がある。不便な山里の冬に比べると雪のない日常は何かにつけて過ごしやすいことだろう・・・

「身体全体硬いですねぇ〜」
1時間の全身マッサージが終わって肩をモミながらそう言われた。「また、近い内に来てください。お待ちしてます!・・お水タップリ飲んでおいてくださいね!」
あれだけ身体が硬直していたら、もみほぐしはあまり日を空けないでしばらく集中して続けたほうが良いということだった。まぁ、営業もかなりタップリ入っているだろうが、それでも1時間ジックリ揉んでもらうだけで身体が少しは軽くなる。
支払いを済ませて外に出ると出雲の上空はすっかり晴れて良い天気だった。飯南高原の方角を見ると、厚い雲が中国山地の稜線を隠している。きっと万善寺は雪だろう・・・
島根県中央部をぐるっと一周して帰宅すると、ワイフは夜の会議で出かけるところだった。買い置きのパンと牛乳で簡単に夕食を済ませつつ、デスクトップをつついて1年前の写真を見ると、今日の万善寺とは全く様子が違っていた。
どう考えても今年は暖冬だ!

IMG_2626.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

とまり木 

2019/01/15
Tue. 23:12

少し風はあるが、それほど寒くもないから庫裏の空気を入れ替えようと、アチコチの窓を開けた。
飯南高原の冬は、だいたい雪が積もるからそれなりに湿度もある。そのうえ、締め切った家内で暮らしていると朝晩煮炊きもするからよけいに湿気がこもる。内も外も湿気だらけでどうしようもないが、それでも窓を開けて風を通すと澱んだ部屋の空気が入れ替わってスッキリする。
性格もあるのだろうが、どうも建具を締め切って薄暗い部屋に閉じこもるより内も外もなくフルオープンに開放感のある方が好きだから、こうして冬の寒い時期でも庫裏から本堂の入り口が見えるくらい素通しの状態で過ごしている。
結局はオヤジの一人暮らしで誰も文句を言うヤツもいないからこういう暮らしが出来ているわけだが、これで四六時中隣にワイフでもいたりするとこういうわけにはいかないだろう。いずれにしても、ソコソコ身体の動くうちは若干不自由なことはあっても気兼ねのない毎日を過ごすほうがストレスもたまらなくて調子がいい。

洗面所の窓を開けると、すぐ目の前にオノレバエで大きくなった柿の木と雑木の枝が茂っている。今は葉を落として向こうの景色が素通しだからそれほど気にならないが、春になって若葉が芽吹き始めると見る見る見通しが悪くなって鬱陶しくなる。それで、その時は枝を切り払おうと思うし根本から切り倒してしまおうと思うのだが、そのうちだんだんと葉の茂った景色に目が慣れてしまって「どうせなら、秋になって葉が落ちてから切り払ったほうが始末も楽だから・・」と気が変わってひと夏すぎるまでやり過ごしてしまう。そして、秋になる頃には枝木の刈払いのことなどすっかり忘れていて、そのうち葉が落ちて向こうの景色が素通しになると、特に鬱陶しく思うこともなくなってそのまま次の春になってしまう。こういうコトが繰り返されてもう何年にもなる。
今は、その柿と雑木の枝が寒雀の休憩所になっている。
捨てるのももったいないからと、虫の入った古々米の処分を雀たちに任せているところで、ちょうどその餌場近くに都合よく柿と雑木が枝を広げているものだから、彼らの食事時が重なると保賀の谷から集まった雀たちが鈴なりになって枝がしなる程になる。そういう光景を洗面所の窓からのぞき見ていると「特に急いで切り倒さなくてもいいか・・」と云う気になる。

万善寺も、この数年で裏山が境内まで迫ってきた。このまま見過ごせばそのうち座の下から筍が伸びるかも知れない。
もう何年も前のこと、万善寺営繕のことでツイツイ近所のおじいさんへソレを愚痴った。
「雑木は無理して刈り倒さんでもええですけぇ〜ねぇ〜」
そのおじいさんは、若い頃山仕事で暮らしていたから、山事情に詳しい。
「植林の枝打ちと間伐が先ですがぁ〜。雑木はどうせ4〜5年のうちに生え変わりますけぇ〜」なのだそうだ。根が浅いから夏の暑さでヤラれ、冬の雪でヤラれ、大きく育つ前に生存競争で淘汰されて長生きできないのだそうだ。それで腐った枝木や落ち葉が堆積して腐葉土になって山が肥えて都合が良いのだそうだ。
今はそのおじいさんも他界されて山の話を聞く手段も絶えた。

IMG_3694.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

三界萬霊 

2019/01/14
Mon. 23:57

たぶん、万善寺の現住職(ボクのことです!)が保賀のとんど祭でお経を読むようになってからはじめてのことだろう・・・こんな良い天気!
お正月の月半ば頃は、だいたい周囲全体雪景色で、暴風雪が続いていたりするのに、今年は高層の筋雲がひと刷毛浮かんでいるくらい。
風が少々強くて大般若経の経典をめくることが出来なかったくらいどぉ〜ってこと無い。
とんどのお焚き上げも一瞬で煙に変わって、天にたち昇っていきました。

お昼からは保賀の新年会がはじまるので、万善寺住職は急いで寺へ帰って大衣をたたんで自由服に着替えていると、すでにみんな集まって準備万端「方丈さんを待っとりますけぇ〜ねぇ〜」早く来い!と電話が入った。
一升瓶を1本とお供えしてあった羊羹の箱を抱えて集会場へ行ってみると、一番上座が空けてあって「方丈さん、はよう座って、はようはよう!」と急かされた。
たいして偉くもなんともないナンチャッテ坊主ごときが一番上座へ座らされるのもどうかと思うが、先代からの慣わしもあるので気にしないことにした。

「墓地の端っこに石塔がありますがぁ〜?うちの宗派じゃぁ見かけんですが、禅宗さんのお墓にゃぁ〜だいたいありますがぁ〜?ありゃぁ〜、なんちゅうて書いてありましたかいねぇ〜、サンやらマンやら字があったような??・・・」
この2〜3年のうちに相次いで町内の長老クラスが他界され、一気に長老格へ駆け上った感のある中組のおじいさんが、私の目の前で一杯やりながらしきりに質問される。どうも内容がよく飲み込めないでいろいろと苦労しながら話の糸を繋いで、やっと「三界萬霊」にいきついた。絶対!というわけでもないが、確かに浄土真宗さんの多い飯南高原では、墓地に三界萬霊塔が建立されることが少ない気もする。
「あぁ〜〜、それ、サンガイバンレイね!・・ハイハイ・・あの石塔は信心供養の気持ちの現われですから、あまり宗派は関係ないと思いますけどねぇ〜」と、だいたいの意味をおじいさんがわかりやすいように解説することになった。近所で暮らしていても、こうして面と向かって会話することなどめったに無い事だ。なにか新年会で昼間から気楽に飲み食いして、寺へ帰ってバタンキューを決め込んでいたのに、それどころではなくなった。

「三界萬霊」の発想そのものは、宗教的形而上において抽象性レベルの高いところで定義づけされていると思う。それをどうやってわかりやすく形而下の具体的要素に置き換えて解説するかとなると、ナンチャッテ坊主は役不足だ。とにかく、大汗かきながらアレコレ手を変え品を変え話してみたが、おじいさんが納得できたかどうかはわからない。
坊主的解釈でいうと、色界、無色界、欲界の三世界を意味付けることが多いと思うが、この解説がなかなか至難の業でボクには無理・・なので、おじいさんにはわかりやすく過去現在未来の三世界のことを云うのだと話しておいた。
今の自分のこともよくわからんのに、前世がどうとか来世がどうとか考え始めたら夜も眠れなくなる。まずは三界萬霊塔を建立して「三世界全部ひっくるめて供養信心しておけば間違いはないのだ!」というわけ!・・ずいぶん乱暴なことだが、そもそも抽象表現の根本は「如何にして単純化を追求するか!」ということではないかとボクは思っている。

IMG_2821.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

鏡餅のいき場所 

2019/01/13
Sun. 23:42

お供えの鏡餅を下げると30個近く集まるので冷凍庫を整理した。
底の方にはちょうど1年前に同じようなことをして保存しておいた去年の鏡餅がまだ残っていた。とにかく、そういう古いものからなんとかして消費しないとスペースの確保が難しいから、一度中の物を全部取り出してみた。
いらないものがあるだろうと思っていたらそうでもなくて、みなそれなりに捨てるにはもったいないものばかりだったから、オヤジの一人暮らしで使い切ることを目標に、アレコレ見繕って冷蔵庫の方へ移し替えた。

今日も朝から良い天気で、本堂の荘厳を片付ける間ストーブがなくても全然寒くなかった。
お供えのお下がりを何往復もして台所まで運んでから、しめ縄とか松竹梅を撤収してとんど祭でお焚き上げできるように一つに集めた。最後に荘厳を取り払っていつもの須弥壇に戻ったのはお昼を少し過ぎた頃だった。
人の好みとか趣味にもよるだろうが、私はとにかく何事もシンプルで質素な方が好きだ。基本的な荘厳の決まり事は宗派の常識として周知されているから、だいたいそれをお手本にして坊主個人の好みは二の次であることが大事ではある。住職は宗派の常識を元に荘厳を整えることが当然の義務であることもよくわかってはいる。それでも、やはりボクなりの美意識のようなものもあって、どうもそういう画一的な様式美を素直に飲み込むことが出来ない。前住職が健在だった頃は師匠の言付けを粛々と守って言われたようにコトを進めていたが、今は後にも先にも荘厳作務一式全て現住職である私の一存で仕切っているから、建前はソレとしてひとまず置いておいて、自分の本音を優先することに気持ちを切り替えた。常日頃は近所から信心のお参りがあるわけでもないから、自分が一人で一切合切責任を持って心得ておけばソレでいいと云うことにしてある。

本堂での作務を終わらせてから昼食の支度に取り掛かった。
つい先日まで三度の食事をワイフが用意してくれていたから、今もそのくせが抜けきれなくてなかなか食事の1品を作る気になれない。
冷蔵庫を開けたら、冷凍庫から移動しておいた幾つかの食材が解凍されていた。
好きでよく買う砂肝も良い感じで解凍されていたから、お昼はそれをメインになにか作ることにした・・・と、そこまでは決めたのだが、さて何にしようかなかなか決まらないまま、とにかく、まずは砂肝に包丁を入れることにした。気持ちが乗れば「絶対塩焼きだな!」と、一瞬閃いたが、塩焼きだとやっぱり串に挿して「炭焼だよね!」と気持ちが次に飛んで、そういえばワイフが竹串を何処かに仕舞っていたはずだ・・と思い出して、台所のそれらしき場所をアチコチ探したが結局見つけ出すことが出来なかった。まな板の上で二つに切り分けられた砂肝を眺めてしばし迷ったが、そのうち塩焼きのために炭を火起こしするのがだんだんと面倒臭くなってきた。それで、結局いつもの手っ取り早いアヒージョに落ち着いた。ワイフが差し入れしてくれた手作りパンもまだ残っているし、そのパンに砂肝エキスの滲み出たオリーブオイルを付けて食べたら美味そうだし、簡単だから「そうしよう!」と決めた。「コレにワインでもあると最高だなぁ〜」と一瞬そう思ったが、さすがに昼間から一杯やるのは気が引けて、それは断念した。

IMG_3688_201901141942351c4.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

セロテープと障子糊 

2019/01/12
Sat. 23:56

2日半の徹夜分を取り戻すようにひたすら眠り続けた。
早朝の保賀の谷は、雲はあるが山陰の冬としては良い天気といえるだろう。

寺の正月の習慣を続けていたら、最近は毎日朝食をとるようになった。もうずいぶん長い間朝食抜きの暮らしが続いていたのに、どういうわけか今度の正月以来オヤジの一人暮らしになってから後も、なにかしら朝ごはんになるような一品を作っていたりする。まぁ、普通に三度のメシを食べるということは一般的に悪いことでもないだろうから、あまりストレスにならない程度に続けてもいいかなという気もしている。

11日も過ぎたし、本格的に正月のお供え物や正月飾りを下げたりしなければいけないと思いつつ、それでも身体がなんとなく重たいものだから読みかけの文庫本を開いたりしてグダグダしていたらお昼近くになってしまった。
「コレはマズイ!」と気を取り直して、まずは身の回りの家事から片付けることにした。
台所で使いまわしている布巾代わりのタオルなど洗濯物が少し溜まっていたので洗濯機を回した。それから、灯油ストーブのタンクへ灯油を補充したりゴミの仕分けをしたりした。
重たい身体を騙しながらモタモタとそういうコトをしていたら何かの拍子に小指の爪をどこかで引っ掛けたようで爪が3分の1ほど剥がれた。血がにじんできたので絆創膏を探したが思いついた場所に見当たらない。もう1年以上も前に一箱開けてそれが使い切らないまま残っているということは間違いなく覚えているのだが、それを何処へ仕舞ったのかそのコトを覚えていない。仕方がないから、セロテープで応急処置をして近所のホームセンターへ走った。

絆創膏を探している時に障子糊を見つけた。
前々からお経本の折れ目が破れてバラバラになりそうだったのをダマシダマシ使っていたのを思い出して、この際一気に「お経本の修繕をしよう!」と決めた。
前住職はセロテープで簡易的に補修をしていたものだから、使いにくくてしょうがなかったことを思い出した。やはり折れ目の補修は和紙でないとダメだ。
特に何に使うかと決めたわけでもなく、御札製作でサイズからはみ出した余分を捨てないで仕舞っておいたのを取り出してダイニングテーブルを作業台にした。
空の雲が少しずつ切れて、台所へ西日が差し込んでくる。
時折、寒雀の集団が古古米を食べにやってくる。
作業のバックミュージックには、YouTubeからエンドレス配信の音楽を選んでおいた。

正月の荘厳を復元しょうと思っていたのに、お経本の修繕が思った以上に長引いてしまったので、そちらの方は1日ずらすことに決めた。14日は保賀のとんど祭があるから、前日に寺のコトを終わらせておけばまだ間に合う。
夕食用にテーブルを片付けて台所仕事をしていたら、小指の絆創膏がポロリと落ちた。やはり、安い絆創膏はダメだ。血の方はとっくに止まっていたが、爪の剥がれたところがヒリヒリと痛い。「夕食何にしようかなぁ〜・・」小指をしゃぶりながらしばし悩んだ。

IMG_3687.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

冬のネコチャンズ 

2019/01/11
Fri. 23:58

不摂生の徹夜をしたおかげでお昼すぎには郵便局へ行くことが出来た。
週末ギリギリの滑り込みセーフになった。
ワイフが三度の食事を世話してくれなかったら、週末の発送が間に合わなかっただろう。
そのワイフは、昼食を食べたら直ぐに仕事へ出かけた。
彼女はフリースクールの非常勤もしていて、なかなか学校へ行けない子供たちの話し相手になっている。
自分では「特にこれといって何するわけでもないけどね」といっているが、それなりに気疲れもあるだろうし、普通に簡単に引き受けられる仕事でもない気がする。

郵便局から直接万善寺へ向かって、まだ日のあるうちに寺へ着いた。
昨年の強烈寒波が嘘のように穏やかな毎日が続いている。それでも日本海側の気候だから曇りがちではある。その雲の御蔭で気温がそれほど下がらないから都合がいい。
寒雀の群れが庫裏の西側へ集まって賑やかに鳴き騒いでいる。
吉田家のデスクワークでしばらく寺を留守にしていたから、古古米を食べ尽くしてしまったのだろう。
とにかく、不摂生でかなり体力が消耗した。雀に古古米を補充して、それから風呂へお湯を入れた。湯船に浸かると一気に睡魔が襲ってきて、ウトウト寝てしまった。
ゆっくりと時間をかけて温まったので、少し身体が楽になった。
ワイフが仕事で出かける前に夕ご飯用のおかずなどを用意してくれたので、それをレンジでチンしたりお湯を沸かしてインスタントのスープをつくったりして早めの夕食にした。
台所を即席の壁で半分に仕切った寝室へ移動してベッドへ横になって、すぐ隣のテーブルに置いてある寺の寺務用デスクトップを起動した。
連休の最終日に保賀のとんど祭りがあるから、その準備に過去データを探し始めたところまでは思えているが、その途中でいつの間にか寝てしまったらしい。
気がつくと4時間位寝てしまっていて、その間に珍しくワイフから幾つか電話が入っていた。もう夜が遅いし、朝になってから返信の電話をすることにした。

今頃、ネコチャンズはどうしているだろう?
こんどのことで吉田家へ帰った時は、何年か前に鉄板の廃材で造ったネコチャンズチェアーで仲良くくつろいでいた。冬の間はストーブの近くへ移動しておく鉄板製のネコチャンズチェアーは、ストーブの放熱で椅子全体が少しずつ温まってネコチャンズの絶好の居場所になる。夏は夏で、鉄板のヒンヤリとした冷たさが気持ちよくてネコチャンズの絶え間ない椅子取りバトルが繰り返されているが、冬はお互い身体を寄せ合って体温を共有しておいたほうが良いらしく、気がつくと仲良く抱き合っていたりする。
「あの子達、あなたがいないと2匹とも私にベッタリくっついてなかなか眠れないのよ」
シロはワイフの布団へ潜り込んで、クロは布団の上からワイフの上へ乗ってくるのだそうだ。夏の間は涼しい場所を見つけてそれぞれ好きなところで寝ているのに気温の変化に敏感というか正直というか・・・とにかく、いずれにしてもワイフは彼らのおかげで何かと癒やされているようだ。私が留守にしても全然平気らしい・・・嬉々としてネコチャンズ事情を語るワイフを見ると、ボクはちょっと寂しいな・・・

IMG_0964_20190113205906b04.jpg
IMG_3667.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

dele 

2019/01/10
Thu. 23:53

このところ、自分でも呆れるほど不摂生をしている。
在家坊主の住職業のだいたい70%くらいを一人でこなしていると、万善寺のような極小規模の山寺業務でもけっこうヤルことがいっぱいあって、年末から年始にかけての集中した時期に鮮度をある程度保ちながら作務や寺務をこなすとなると、かなりの体力と精神力を消耗する。
加齢による体力の減退は、そのまま集中力や持続力の減退に連動する。そういうことを自覚しつつ、一方でヤラないですますわけにいかないから身体をダマシダマシ無理をする。その無理のしわ寄せがアチコチに蓄積されて慢性化する・・・
そういうコトが続いて、今は右の首筋から肩にかけての痛みが激しく、その影響もあってなのだろう指先がシビレて何をするにも感覚が鈍っている。またそれの影響なのか、気づかないままアカギレがヒドくなってしまう。最近は箸を持つにも指先のシビレとアカギレの相乗効果でモノがまともにつかめない。それでも、必要量の業務をこなさなければいけないから、ひと通りの仕事が終わるまでモタモタと且つ延々と効率の悪い時間を消費してしまう。それが悪循環になってきたことが自覚できたので、寺業務を一式まとめて吉田家へ帰った。
ワイフが近くにいてくれると、三度の食事が保証してもらえるだけでずいぶんと助かる。コーヒーやお茶も、「ほしいなぁ〜・・」と思ったらすでにちゃんとポットに用意できている。なにもない時は普通にアタリマエのことで気にしないことでも、こうして日常の家事負担が少しでも軽減できることを身をもって感じると、ワイフの存在の有り難さを痛感する。

今年は寺業務に加えて私の彫刻個展があって、それの中間広報を二個一で絡めることにしたものだから余計にヤルことが増えた。
いろいろと最善の策を考えながらそれぞれの仕事を組み立てていると、どうしても実動ギリギリまでアレコレと考えていることのほうが多くなってしまう。データベースに頼りながら日夜デスクトップと自前のプリンターをフル稼働させて2日目が過ぎた。
郵便局の営業時間ギリギリに発送物を持ち込んで寺務と個展事務を一区切り付けた。
今週中にはすべての発送業務を終わらせて週末には万善寺へ通勤坊主が再開する。保賀のとんど祭りが連休最終日にあるからそれの準備を兼ねた本堂の荘厳復元をする。いまのところ雪の影響が回避できているだけでもかなり気持ちが楽でいられる。

「dele」がHuluへ下りてきていた。放送中はリアルタイムでインターネット配信のテレビを観ていた。久しぶりに1週間が待ち遠しく感じたテレビドラマだった。クドクドとした説明とか、無駄なお笑いとか、そういう軽い要素を極力排除したドラマになっていて、それがよかった。プリンターがセッセと動いている間とか、発送業務の単純作業が連続しているときとかにデスクトップのモニターをテレビに切り替えて、deleを観返しした。
まだワイフと結婚する前、つかこうへい事務所の公演を高田馬場東芸劇場で観ていた。あの長台詞に飛び散るつばと汗にはつかこうへい独特の演劇世界があった。
演劇とは違うけど、deleにつくり手と役者と観客の間に漂う一体感のようなものを久しぶりに感じた気がする。ボク的には#3が良かったな・・・

IMG_3671.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

三度のメシ 

2019/01/09
Wed. 23:07

「あなた、絶対アル中よ!」
ワイフは、何かと言うとボクにそう言ってくる・・・
「そんな、毎日酒飲むなんておかしいよ!」とか、あげくには「あんた、ヘンよ!」とまで言われる。そんな辛辣でデリカシーのないことを本人はどこまで自覚して発言しているのかわからないが、とにかく、面と向かってそういうコトを言われ続けながら酒を飲んでいるボクとしては、なかなかにやるせないものがある。
確かに、酒とかタバコは中毒性を有するものであるとは思う。ボクとしてはそれを自覚しつつ、ある意味でそれなりの理性のもとに酒を飲んでいるようなところもあるから、「よしヤメよう!」と思えば、何時でもやめられる自信がある。タバコに至っては、ほぼチェーンスモーカーだったボクが、長男の妊娠がわかったことを契機に、誕生のだいたい2ヶ月ほど前からピタリとヤメたという、実績もある。
そもそも、酒を含めた飲食全般は基本的に嗜好性の強いものであるから、好きな奴もいれば嫌いな奴がいて当然だし、美味いと思う人もいれば不味いと思う人もいてアタリマエのことだ。そういう好みの問題を自分の主観的尺度で判断して良し悪しを結論付けられても困ってしまう。まぁ、ワイフの場合は、私の健康を気遣ってそういう厳しい言い回しをしてくれているものだと好意的に解釈しているけど・・

彼女が酒のこととか食べ合わせのこととかあまりしつこくチクチクと云うものだから、こちらも対抗手段として「マッチャンが○○食べちゃダメというから・・」とか「ボクはもう、☓☓食べられないんだもんね〜・・」とか「別に酒飲まなくても全然大丈夫だから・・」とか、ワイフがあれダメこれダメということを、一つ一つ口に出して証明しながら実践することにした。
酒に関しては、麦酒にしても日本酒、焼酎、ウイスキー、ラムにワインなどなど、それなりに各種なんでも別け隔てなくそこにあるものを美味しいと思って飲んでいるが、基本的にアルコールであることに変わりがないから、「飲まない!」という一点をキープすればそれほど気にすること無く普通に簡単に禁酒できる。いっぽう、食べ物の方はなかなか至難の業で結構頭を使うというか・・・「アレはダメでコレは大丈夫で・・・」などと考えながら食べるということがめんどくさくて食欲が減退する。これも一種のダイエット効果と言えなくもないが、「美味しくいただく」という気持ちが失せてしまって、毎日の食事が味気なく感じてしまうようになった。
そういうコトをしばらく続けた後にお正月を迎え、ワイフ手造りのおせちが出て、お供えの鏡餅が仏様の数ほど大量に造られ、それらを消費することの「もったいない義務」で三度のメシに望んでいる今日このごろ・・・あらためて、美味しいご飯がいただけるということがどれだけありがたく幸せなことかということを身をもって実感する。

人間ドックでアレコレの肉体的諸問題を告知され、お正月のお下がりを冷蔵庫から出し入れする毎日が続くという2019年がスタートしている。ささやかな救いといえば「ボクはアル中ではありません!!」ということをワイフが認めてくれたことくらいかな・・
一方、ノッチは想像以上に健康的且つ健全な生活を続けているようで、1週間分の弁当を作り置きし、女子力をレベルアップさせている。さすが料理上手のマッチャンの娘だ。

IMG_0967_20190112120841c80.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

寂静 

2019/01/08
Tue. 23:31

最近は早起きに慣れてしまった。
ひどい時は、朝の・・というより、深夜の3時過ぎに目が覚めたりする。
昔は、いくら寝ても眠り足らないでいつまでも際限なくメシも食べないでシッコもしないで眠り続けていたこともシバシバあったのに・・・

今朝も、いつもどおり??・・3時過ぎに目覚めてそれから眠れなくなったから、即席のDIYで仕切った壁の向こうの台所へ移動してダイニングテーブルに寺務の仕事を広げた。
そして念のために6時45分でタイマーをセットした。

今から半年ぐらい前のことだっただろうか・・・いつも無口で自分の意志を多く語らないワイフが珍しく強硬に人間ドックの受診を迫ってきた。
改まった人間ドックはもう10年以上遠ざかっているから私の健康を心配してのことなのだが、年金暮らしも本格化して定期的な収入というとソレしか無いまでに精選された現状で私がある日バタリと逝ってしまったら、残された吉田家の維持管理がオオゴトになってしまうというある意味具体的でリアルな現実が彼女の目の前にチラツキ始めたのだろう。
そろそろ、抵抗も無駄だろうと思って「自分でないと出来ないことしかヤラないからね」と念押しをして受診することを承諾した。
2〜3日前からウンコを採取して、前夜は絶食で、人間ドックの決まりごとを遂行しつつ、一方で、1日の時間の消失分をなんとかしなければいけないこともあって、早朝の寺務仕事に至ったという次第。

7時に寺の駐車場へ下りる時は、参道に流れ下った雪解け水がバリバリに凍っていて、何度も滑って転びそうになった。銀くんも全身真っ白に霜をかぶって凍りついていたからしばらく暖気運転をして霜が溶けてから受診の病院へ向けて出発した。
1時間位走って指定時間の30分前に到着したら受付が1番だった。
待時間用に読みかけの文庫本とiPhoneとイヤホンを用意して暇つぶしの準備を整えた。
それから、午前中いっぱい使って通常の患者さんで溢れかえった院内をアチコチ移動しながらすべての検査を終わらせた。
最後に簡単なその日の検査の結果を問診して、急を要する治療の受診予約の手続きをしてすべてが終わったのはお昼を過ぎて1時近かった。
身長がこの10年間で4cm縮んでいた。じゅん君の背が伸びたふうに思っていたのだが自分の背が縮んでいただけのことだった。
胃カメラを飲む前に測った血圧がなかなか下がらなくて待ち時間のほうが長くなった。夜中の3時過ぎから起き出してウロウロした後、絶食で血圧の薬も飲まないで睡眠不足のまま1時間も車を運転したりしているわけだから仕方がない。
「あなた!十二指腸に潰瘍がありますよ!!ほっておいたら腸に穴が空きますよ!」ベテランの胃カメラ技師ドクターがイヤに大きな声で脅してきた。
問診の内科医ドクターは物静かな人だった。「腎機能が低下していて、これは良くないですね」と直ぐに受診予約を入れてくれた。猫の腎臓病は死病につながることが多いようだ。吉田家のクロも若干そのきらいがある。
ボクもそろそろ先がみえてきたなぁ〜・・・

カレンダー校正

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

年賀状に関する一考察 

2019/01/07
Mon. 23:01

吉田家を基地にして万善寺へ出かけることは「通勤坊主である!」と言える。さてその逆で寺から吉田家へ向かうという状態はどう言えば良いのだろう?・・
普通だと「自宅へ帰る」ということなのだろうが、私の場合は万善寺も生家だからそれも自宅であるわけで、ということは「自宅から自宅へ帰る」ことになるわけでもあり・・・などと、どうでもいいわけもわからないことを布団の温もりから抜け出せないままボォ〜〜っと考えていたらワイフから電話がきた。
「昨夜、電話もらってたようで・・・ごめん、もう寝てた。何か用だった?」
用事があるから電話したんだけどネ・・・
「年賀状、急いでたんでしょ?印刷終わったから、そのこと・・・」

副住職が長かった時は、生活の拠点がほぼ100%吉田家にあったから、年賀状も吉田家に届くものをそのままチェックしていればよかった。
住職交代をしてからは寺と吉田家の両方の年賀状が混在するようになってデータベースの管理が急にややこしくなった。それで、毎年のように年末から年始にかけて年賀状の対応をどのようにすれば一番良いのか試行錯誤を繰り返しているが、まだ最善の策が見つかっていない。
個人的には、日頃から普通に親しく付き合っている友人知人とか、毎日仕事で顔を合わせている同僚とか、仕事の付き合いが外せない仕事仲間は、特に改まって年賀状のやりとりをするまでもないことのような気がしている。
日頃不義理をして疎遠になっている親族や、無視の出来ないほど大事な恩人や、気軽に逢うことの難しい遠方の友人知人が年賀状の対象であるくらいでいいような気がしている。
そうはいっても、こればかりはお互いに相手のあることだから、自分の身勝手な都合ばかりを優先するわけにもいかないし、相手に失礼のない気遣いも大事なことだから、それでいつも悶々と悩んでしまう。
この2〜3年の吉田家は前住職夫婦の他界で喪中も絡んだし、周辺の皆様も似たような状況らしく喪中はがきが増えていて、それも含めたデータベースの管理が年々複雑になっている。

万善寺オリジナルカレンダーや手摺り和紙のおふだなどを遠方のお檀家さんへ発送するためのデスクワークをしていたら、ワイフがお昼前に寺へ来て、早速彼女分の年賀状へ新年の挨拶や宛名書きをはじめた。
前住職の頃は、寺用の年賀状には出来るだけ「謹」の字を使うように気をつけていた。
「謹」には「うやまう」とか「かしこまる」とか相手に対して敬意を表する意味が込められているから「新年を飾る文字としては欠かさないほうが良い」と、前住職から聞かされていた。個人的には、かえって堅苦しく余所余所しく思えて、親しみの距離が遠ざかってしまうような印象もあったから、むしろ吉田家の年賀状へは「謹」絡みの文字とか言葉をあまり使用しないようにしていた。
そもそもの年賀状の意味というか意義はよくわからないが、どこかしら郵便局の営業戦略に思えなくもなく・・・まぁ、いろいろありますが新年のお知らせというか挨拶というか・・・ひとまず今週中には一段落するはずです。

2019正月状ますみ (1)

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

通勤坊主2019 

2019/01/06
Sun. 23:14

年賀状のこととか幾つかの書類ごとが吉田家で停滞していて、そろそろワイフの我慢が限界に近づいているようだったので、一度石見銀山へ帰ることにした。

冬至を過ぎてから夜明けが少しずつ早くなっている。
雪の切れた駐車場に停めてあるある銀くんには、霜が張り付いて真っ白になっていた。しばらく暖機運転をして窓ガラスの霜を溶かしてから参道を下った。
さすがに境内は雪に埋もれているが、今年は参道や本堂下の駐車場が普通に使えている。
銀山街道を走りながらちょうど1年前のことを思い出していた。
気温が−5℃くらいまで下がって水道管が凍結したり風呂のカランが破裂したりして対応に苦労した。まだ辛うじて健気に動いていた結界君はお地蔵さんの前で雪に埋まって身動きできないでいた。

今年になってはじめて石見銀山へ帰った。
町並みはまだ寝静まっていて雪の痕跡もない。
吉田家はすでに玄関も雨戸も開いていた。きっと、ワイフが早朝のウォーキングへ出かけているのだろう。
土間からクロの鳴く声が聞こえた。まだ私のことを覚えてくれていたようだ。
留守にしていた間に土間へ積み上げてあった薪が無くなっていた。

1時間ほど吉田家で用事を済ませて寺へ引き返した。
正月は、時々年始のお参りがあるので昼のうちは寺を留守に出来ない。本堂の用事をしたりしながら留守番をするのが住職の仕事にもなるが、人が一人でも居れば、暖房や三度のメシとか無駄に光熱水費を垂れ流ししているようなところもあるから、いっそのこと万善寺も「冬季休業期間を作ってもいいかな?・・」と本気で考え始めているが、私の住職できる間はそうにもなるまい。

本堂の荘厳は10日位までそのままにしておく。お供えの手造り鏡餅はそろそろカビが出る頃なので既成のパック餅に入れ替えた。早速お昼にお下がりをいただくことにする。
庫裏の南側二つの部屋は、大屋根に積もった雪の重みを支えるために冬の間だけ襖で仕切ることにしている。模様替えというほどでもないが、明るい昼のうちに彫刻の場所替えをしたりお供え用のシキビを入れ替えたりした。
年末にバリカンを当てた頭がそろそろ見苦しくなったので、夕方早いうちに風呂へ入った。さっぱりした後の夕食はおせちの残り・・・これもそろそろ飽きてきたが、ワイフの手料理を無駄にできないし、三度の食事でセッセと消費している。

正月の年始行事が過ぎてから、時間だけはたっぷりあるから読み残しや読み返しの本を読んだり見逃した映画やドラマを観たりしようとは思うのだが、目先の用事を片付けていたら気づかない間にツイツイ時が過ぎてまとまった時間が無くなってしまう。それでも、気楽に一人でいられる自由はそれなりに捨てがたいものでもある。気づけば何か一つ事に意識を集中できていたりする。寺の1日がアッという間に過ぎた。

IMG_3663.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

テーマの本質 

2019/01/05
Sat. 17:49

正月の年始会が終わって、おおよそ後片付けの目処が付いたところでワイフとじゅん君は石見銀山の吉田家へ帰っていった。
今年はじゅん君が参道の道開けをしてくれたおかげで、万善寺の駐車場まで車を上げることが出来てとても助かった。
年始会の余り物やおせちを寺用と吉田家用に小分けしてくれたから、当分の間はそれでオヤジのひとり飯がまかなえる。

まだ、後片付けが終わらないでいる時に石見銀山で親しくしている友人が新年のお寺参りに来てくれた。
大雪でなければだいたい正月三ヶ日のいずれかに万善寺を訪ねてくれる。
たまたままだ改良衣のままだったから、般若心経などのお経で彼の家内安全や商売繁盛の祈念をした。
彼が夫婦で築き上げた今の商売が昨年で30周年を迎えた。
石見銀山の古民家を買い取ってお店に改装した直後に私がその店内外全体を使って個展をさせてもらったことが縁の始まりで、その後家族ぐるみで親しく付き合うようになった。
昨年からの個展は、その店の30周年記念事業の一環にもなっている。

近年は4〜5年を目処に継続している「吉田正純鉄の彫刻展」も今後何回まで続けられるかそろそろ先が見えてきた。
この個展のテーマの本質は30年前から一貫して変えていない。
自分としてはこのテーマの本質をできる限り抽象性の高いところでキープしておくことを心がけている。抽象性の高さレベルがその時時の個展テーマに昇華還元された核になって、それぞれ個展ごとに統一された彫刻の形態に具現化する仕組みを用意している。
自分の思考の根本は、物心ついた頃から普通に形而上の宗教的な概念世界に浮遊しているようなところがあって、造形表現はその一般的に掴みどころのない形而上的思考を形而下の実在世界へ具体的に落とし込むことの手段の一つと考えている。
形而上的抽象性は、幅広く点在する個々の具象を包括してよりシンプルで普遍的な造形へ方向付ける指標として、自分の造形感の重要な要素になっている。
いずれにしてもこういう面倒臭いことは自分だけが気にして思いつめていればいいだけのことで、個展の一つ一つの彫刻はそれなりの関連があって制作して出来上がっているという、まぁ、それだけのことだ。脳みそと身体が動いている限りは、そういうテーマの本質を退化させること無く追求し続けたいと願っているしだいです。

「全然気づかなかったんだけど、ネコチャンズが脱走してたのよ!」
何時もはワイフの方から電話してくることが殆ど無いのに、珍しく向こうから電話がかかってきた。
最初に気づいたのはシロが勝手口の外で鳴いていたからだという。それからクロもいないことに気づいて探したが見つからないまま時が過ぎて心配していたら、しばらく経って裏口の方で中へ入れろと鳴いたそうだ。彼らは2019年早々から初散歩を楽しんだようだ。
ネコチャンズにもあいたいし、一度寺暮らしを切り上げて石見銀山へ帰ろうかなぁ・・・

IMG_6654.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

偶然の一致 

2019/01/04
Fri. 23:47

三ヶ日も終わって、朝が少しゆっくりになった。
昨日からの晴天で放射冷却が強烈だ。
目は覚めているが寒いから布団にくるまって温々していたい気持ちが勝って、しばらく寝転がったままダラダラと過ごした。

ノッチがおばあちゃんちからの帰りにメガネを買った。
昨年帰国してしばらく「スキルアップ休暇」を決め込んでいたのだが、貯蓄の目減りが気になり始めた頃から本気に就活をはじめて11月から貿易事務の仕事に就いてそろそろ研修期間が過ぎる。先輩社員と同等の業務になると、今までのように定時退社も無くなって残業が増えるということだ。1日の殆どをデスクワークで過ごし「モニターの数字や書類とにらめっこすることになるから」と、ブルーライトカットのレンズに決めたそうだ。
キーポンは小さい頃から視力が弱くてメガネが手放せない。
学生で保育士の勉強を始めると、実践の現場でメガネは何かと不具合があることがわかってコンタクトレンズにした。それでも1日中そればかりだと疲れるし、自宅で過ごすときや職場以外ではメガネでいることもあるからと、今のメガネを買った。
お父さんのボクは、もともと遠視が強かった上に30代の頃から乱視が入りはじめ、疲れ目がひどくなった。それでも我慢して数年は乗り切っていたのだが、そのうち近くを見るための筋肉収縮が劣化して老眼が入ってデスクワークの事務や寺の寺務に影響が出るようになったからメガネ購入を決めた。それから寝る時以外は四六時中メガネの暮らしになって今に至っている。
1年ほど前、春の彫刻を造って完成したものを移動している時に、ちょっとした不注意で彫刻を引っ掛けてレンズへ傷を付けてしまった。運悪く、目の焦点が一番良く合うところにひっかき傷が着いたものだから、日常の暮らしには支障がないものの、本を読んだり字を書いたりする時になるとその傷が目に入って邪魔でしょうがない。我慢も限界になっていつものメガネ屋へ駆け込んだら「レンズ変えるしか無いですね」と気の毒そうに言われた。レンズ交換と新品メガネの購入がほぼ同じような金額で2000円と変わらないことがわかったので何時も使いと仕事使いと使い分けることにして夏の暑い時期に新調した。
いまのところメガネがいらないのはなっちゃんだけだが、「ワタシ、目が悪くなるほど目を使っていないから・・」と本人はそう言っている。それでも外国ドラマが大好きで暇な時には延々と見漁っているようだし、そのうち彼女もメガネが必要になるだろう。

メガネは3人それぞれ違う理由で違う店で買ったのに、気が合うというか顔形が似ているというか、偶然にもボストンタイプの似たようなデザインに揃った。
なっちゃん曰く「あのデザイン、今流行りみたいだから・・うちの会社でも何人か似たようなメガネかけてるよ」・・・だそうだ。
だいたい車にしても家電や家具にしても社会に氾濫する工業デザインというものは製造者主導で決まることがほとんどだから、今のボストンタイプもそういう流行に乗ったのかも知れない。それでも結局最後の決定判断は機能性が大事であって、それとデザインがキチンとシンクロすればそれがその人にとっての逸品となり得るはずだ。
今のメガネも今の視力が変わらないうちは大事に使い続けていこうと思っている。

IMG_0962 (1)

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

それぞれの正月 

2019/01/03
Thu. 23:14

正月3日は元日から続く年始の朝課法要最終になる。
この三ヶ日はだいたい1時間半から2時間をかけて本堂から庫裏の各所に安座される仏様方を巡って国家平安とか家内安全などの祈念をする。
先代住職は、まだ元気に身体が動く間、僧堂の修行時代から引き継いだ朝課システムを頑なに守り続けていたから、弟子の私もそれに習って鐘つきなど導師さまの侍者をしていたが、住職交代から後は少しずつ自分のペースに切り替えて今に至っている。
3日めの朝は、ワイフたちも石見銀山へ帰ってオヤジの一人暮らしが戻ったから、少しゆっくりと法要の準備をしたので、朝課が全て終わって大衣を脱いだ頃にはすっかり冬の夜が明けていた。

万善寺では昔から3日が保賀の集落の年始回りに決まっていた。
少年時代は住職のお供をして年始に歩き、やがて一人で年始回りをするようになり、結婚してからはワイフと回り、子供が出来て少し大きくなった頃からは子供たちと一緒に回り、その子供たちも自分の意志が固まり始めると長男から順番に一人ずつ減って、今はまた昔のように一人で集落をグルリと一周している。
最近は正月2日の年始参りされなかったお檀家さんへも早いうちに年始の品を持って回ることにしている。今年は青空の見えるうららかな日和になったので、保賀地内を回る流れで飯南高原をグルリと一廻りしておこうと決めた。
お昼前に寺を出発すれば、だいたい3時間ほどで終わるだろうと予定を立てて準備していたら電話が鳴った。
家族がいて賑やかだった頃は正月早々から長電話をしていたこともあったが、オヤジの一人暮らしが普通になった今では正月に電話が鳴ることも無くなって静かなものだ。
新年早々の電話はあまり良いことでないかも知れないとドキドキしながら出てみると、お檀家さんから1月に祥月命日のご先祖様にお経を読んでもらいたいと法事の依頼だった。仕事始めが普通に諸官庁へ準ずるようになって、いつまでも正月気分でノンビリとしていられなくなった昨今、そのお檀家さんもお休みをとれるのは今しかないし、ちょうど雪も降らなくて良い天気だし「万善寺さんのご都合が許されるようでしたらと急に思いつきまして・・簡単なことで構いませんから今日お経を読んでいただくと助かるんですが・・・」
自分の都合ばかりで申し訳無さそうな口ぶりだったので「ちょうど年始回りをするので、そのついでで良ければ・・・」ということになって、急きょ正月3日の法事が決まった。

急なことで塔婆も用意できないままの略式法事になったが、それでも喜んでもらえて帰りにはおせち料理のおすそ分けも頂いた。ワイフ手造りおせちとあわせて、たまの吟醸酒一杯で豪華な夕食になって、ひと心地してからSNSをチェックしたら、3姉妹が東京のおばあちゃん家へ集合してくれていて、久しぶりに孫たちに囲まれて嬉しそうだった。いつもは一人暮らしのおばあちゃん手造りのおせち料理はビックリするほど大量で豪華だ。たぶん、それぞれの孫たちへ少しずつ持ち帰らせるための気遣いもあるのだろう。
寺の正月は一般在家の団らんとは縁遠いところで過ぎていくが、一般社会でも正月営業で働く人々も限りない。
平成元号最後の万善寺の正月三ヶ日は珍しいほど穏やかに過ぎた。

IMG_0957.jpg
IMG_0958.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

万善寺年始会今昔 

2019/01/02
Wed. 23:02

正月2日は原則として年始会が恒例になっている。
私が物心ついた時にはすでにそういう決まりができていて、当時は新年の祝賀祈念法要とその後てづくりおせちの精進料理や初餅のお雑煮や黄粉餅に日本酒の熱燗で日が暮れるまでエンドレスに酒宴が開催されていた。
近所からまかないでお願いした奥様方が5〜6人集まって、それぞれが自分の役割を分担して手際よく年始会を切り盛りしてもらっていた。
酒宴が盛り上がると流行歌がアチコチから出はじめたり、早々と何時もは家族が居間で使っている掘り炬燵へ移動して囲碁が始まったりした。
年始参りの檀信徒の皆さんの大半は、公共交通機関の路線バスの時刻に合わせて日が暮れる前に帰られる。今のように自家用車の持ち合わせなど稀なことで、せいぜい50ccのバイクくらいしかなかったから、雪の正月の寺参りはバスか徒歩だった。
お檀家さんで遠いところは一里以上もさきから徒歩で万善寺を目指す方もいて、年始参りも1日仕事になる。そこまでしてお寺参りされるくらいだから信心の強さも並ではなくて、正月早々年始会が2次会に突入する頃には、お参りの旦那衆総出で並んだ配膳机が片付けられ、取り払われていたふすまや障子が建て付けられ、いつもの掘り炬燵に復元されて、それから炬燵ごとのグループが出来て寺の運営で議論が始まるなどして賑やかなものだった。

高度経済成長とともに家族の離散が本格的になって、市街地で暮らす親族の帰省ラッシュが普通になって、それぞれのお檀家さんでは年始参りの信心より、久しぶりに揃う家族と過ごす正月が当たり前のことになった。
万善寺も、息子の私は30歳直前まで日頃は東京で暮らしていたから乗車率200%ほどの新幹線自由席や在来線を使って延々と10時間ほどかけて帰省することが当たり前だった。
その頃の万善寺は、年始参りもすでに激減していて、まかないでお願いしていた近所の奥様方も高齢を言い訳に一人ずつリタイヤされ、それに変わるように新婚間もないワイフが年末のうちから年始会の仕込みなどで都合よく内室のおかみさんを手伝わされるようになった。
私の方は、すでに少年時代から毎年繰り返される年末年始の決まりごととして粛々と受け止めていたからそれほど大きな感情の起伏も無かったが、在家から嫁いだワイフの方はある日突然に寺のまかないが回ってきて想定外の苦労を背負うことになった。それでも幸いに、お手伝いさんの数人はまだ引退前だったから、そういうご婦人方の他愛無い井戸端会議に救われて内室からのダイレクト司令を避けることが出来た。おかげさまでそれで嫁姑の直接対決を避けられたし、辛うじてギリギリ平常心でいられることが出来た。

私もワイフも彫刻家でもあるわけで、制作中はどちらかといえば自分の仕事をマイペースに進めることが多いから、万善寺のことも内室のおかみさんが他界してからは正月行事がずいぶんやりやすくなって楽になった。何事も、まずは誰かを当てにするところからスタートすると、かえってそのための事前事後の手間が負担になって気疲れする。はじめから他人を当てにしないでいたほうが気楽でいられて都合が良い。
今年の年始会は天気も落ち着いて、お参りも例年と変わりなく静かに始まって終わった。

IMG_3656.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

元日の朝 

2019/01/01
Tue. 23:40

正月元日の朝は井戸水をお湯にするところからはじまる。

午前0時を過ぎて、ワイフとじゅん君が除夜の鐘をつき終わるまでに新しい蝋燭へ火をつけ、線香をつけ、須弥壇の御本尊様をはじめ万善寺じゅうの諸仏へお供えする。それから井戸水を沸かして同じように本堂から庫裏の各所へお供えする。
万善寺の元日は先代住職の頃からだいたい同じことが繰り返されてきた。

同宗の近隣寺院がどのようなお正月をされるかわからないが、私は子供の頃から師匠である先代住職の司令を受けて眠い目をこすりながらそれらの決まりごとを繰り返していた。
師弟関係というものは、そういう日々の繰り返しが基本になるのだろう。
まずは、いつも同じことを同じように遺漏なく繰り返すことが出来るようになるということが大事なことだと、先代住職がほぼ寝たきりになってから気がついた。
だから、守破離の「守」の重要さが自覚できたのはつい最近のこと。
何をするにも前後後先の順序がとにかく曖昧でコトが先に進まない。物心ついた頃から自分の坊主人生のほとんどで毎年同じことを繰り返し続けていたはずなのに、すべて自分の責任で取り仕切ろうとすると、何もかもが中途半端に曖昧でとたんに自信が失せる。
師弟関係であっても私の場合はその前に親子関係でもあったから、どこかしら父親への反抗心もあって、完全に公私が混同されたままの師弟関係になってしまっていた。謙虚な気持ちでモノを教わるという自覚が足りない・・というより「ほとんど皆無に近かったのだ!」と今更ながら気づいた。
先代住職は人生の殆ど半分は病気と付き合いながら生きてきて、それでも90歳近くまで長生きできていたわけだから、私がその気になって師匠の所作へ寄り添っていれば今の不安はずいぶん軽減できていたはずだが、とにかくなにごとも時すでに遅し!・・・

「坊主の弟子は持たない」と、心に決めている。だから、万善寺の次代には住職の姓が変わるはずだ。それでいいと思うし、自分の宿命を思うとむしろ「その方が良い!」と思う。ずいぶん身勝手なことだが、今の周辺環境や社会事情の客観性に即して自分の立ち位置をみればそれが最善の選択肢だと思う。
実にモタモタしつつ、それでもそれなりに自分の身辺整理を心がけている。
特に、長男であり一般常識的師弟関係の対象として一番身近な存在であるじゅん君には対応が難しい。
年末からワイフと一緒に万善寺で親子三人の暮らしを続けているが、彼の信仰心を直ぐ側で見ていると、仏教の根本からは程遠いところにあると気付く。それはそれで、彼の気持ちが収まることであればそれで良い。彼ももう30歳を過ぎるし、すでに立派な彼なりの人格が形成されているわけだ。

初釜の湯をお供えして、元日の法要をはじめて、ひと通り各所の仏様を一巡して、すべての次第が終了したのはそれから2時間ほどあと。そのまま徹夜で正月2日の年始会準備に入った。すべて自分一人で取り仕切らなければいけないことなのだが、朝になって元日の朝食が終わってしばらくして、ワイフが見るに見かねて遅れた準備を手伝ってくれた。

IMG_8773 (1)

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

2019-01