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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

順番が狂った 

2019/02/11
Mon. 23:08

「ねぇ〜、今日は帰ってくるの?」
通勤坊主で出かけようとしていたら、珍しくワイフが聞いてきた。
「何もなければ、明るいうちに帰れると思うけど・・・」
「ねぇ〜、今日は帰ってきてよ・・」
寺の用事は予定がたてにくくて、急に電話がかかったり呼び出されたりすることがあるから、そういう時は状況に応じてそのまま寺泊になることもある。普通は「どぉ〜ぞ、わざわざ帰らなくていいわよ!また予定が変わったら連絡してね」程度のクールな肯定的反応が返ってくるばかりだが、今朝はいつもと様子が違う。
特に何かの記念日でもないと思うし、なっちゃんの誕生日もまだだし、何かの予定も無かったはずだし、どうもシックリと当てはまる素材が見当たらない。
「えっ?今夜何かあったっけ??」
「べつになにもないけど、できたら帰ってきてよ・・」
「わかった、とにかく、確実に帰ることにするから・・・それで、何で??」
「のどぐろ、そろそろ食べないと限界だから・・」
・・・なぁぁ〜〜んだ・・・
のどぐろには失礼だが、のどぐろの「賞味期限が迫っているから・・」という理由があったようだ。確かに、このところ連日何かしら何処かから貰い物が続いていて、昨日も急きょカキフライにありつくことになったし、ワイフの手料理の予定がどんどん狂ってそのたびにのどぐろが後に後に回されていたのだろう。私がいなくても一人で平らげれば済むことなのに、ワイフはわざわざ「ボクを待っていてくれたんだなぁ〜〜・・」と思わずニヤケた。
彼女と知り合って40年が過ぎた今でも、基本的に二人それなりに仲良く暮らすことができている。その日暮らしの貧乏一家だが、まぁ、それなりに幸せなことだ。
もう、若い頃のように好きだ嫌いだなどと何かにつけて男女の仲で心ときめくようなこともなくなったかわりに、どこかしら吉田家オリジナルの生活共同体的連帯感のようなものが出来上がって、お互いが適度な距離を保ちながらそれぞれの個人を尊重しつつ過不足なく支えあっているふうな具合だ。

「もしもし、万善寺さんですかいねぇ〜、息子が死んだんですがぁ〜・・・まだ家へ帰るのは先のようでハッキリしとりませんで、それで一応お知らせだけでもしておこう思いまして・・・」
「えっ??息子さんですか??」
それは、突然の電話だった・・・
お檀家さんのお父さんからで、電話の声は落ち着いているように聞こえたが、やはりどこかしら平常でない様子がうかがえる。何度か確認を取り付けたことを総合すると、どうやら死因がはっきりしなくて、その検死がされるらしい。坊主がジタバタしても始まらない。親子の順番が狂ったが、コレばかりはどうしようもないことだ。

夕食はのどぐろが煮付けになっていた。刺激的な1日になったが、のどぐろの美味さは十二分に堪能できた。
結局坊主は葬式請負人の役を全うするしかないことなのだろう。それで喪主家の気持ちが少しでも安らぐなら、それはソレで何かしらの意味があるのだろう。

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山盛りカキフライ 

2019/02/10
Sun. 23:59

三回忌の法事は孫まで揃ってとても賑やかだった。
関東暮らしのお子様家族は冬の悪天候で飛行機が飛ぶかどうか危ぶまれたが、山陰は思ったほど寒波が厳しくなくて、無事に帰省できたということだ。
亡くなったご主人は私と同じ歳だった。
残された奥さんとは職場で知り合って結婚された。
奥さんのご親族も参集されてお孫さんまで入れると総勢20人は越えていたと思う。
息子さんを先に亡くされたおばあさんにとってはひ孫さんまで法事に駆けつけてもらえて、さぞかし嬉しかったことだろうが、一方で息子さんに先立たれた悲しみも思い出されて複雑な気持ちの法事になったことだろう。
お墓参りを済ませてお斎が終わったのは午後の2時近かった。
いつもならとっくに万善寺へ帰ってのんびりしている頃だが、ご親族の年齢も比較的若くて華やいだご法事になったものだから、知らず知らず長居をしてしまった。

最近は、一周忌の法事でも遠方の親族は「仕事が休めないもので・・・」などと理由があって不参加が普通になりはじめている。
核家族が当たり前の時代で、施主家の家族だけの法事となると、関係者1人か2人だけ参列!・・・なんてのもあったりする。確か「お孫さんも同居のはずだけど?・・・」と思って伺うと「あいつは今日はちょっと用事で・・・」などと言われて、そういうお宅では、もう仏教とか宗教とかのたぐいは日常の暮らしから完全に縁が切れて、祥月命日のコトなど、年中行事の数にも入らなくなってしまっているようだ。
ホボホボお葬式と法事の儀式だけで生活している在家職業坊主のボクなど、お布施収入も減少する一方でこの先どうやって暮せばいいのかお先真っ暗状態だ。

賑やかな法事のあと、いつもと変わらない万善寺の静かな日常へ引き戻されたからか、いつになく気持ちが沈んだ。
そういえば、しばらくワイフとまともな会話もしていないし、施主家から法事の引き物も頂いたから、かるくお供えをしたあと、それを抱えてまだ陽があるうちに石見銀山へ帰った。
駐車場へ銀くんを停めたところで、個展会場のオーナーさんと出会って声をかけられた。
「正チャンには身体に障るかも知れないけど、たくさん頂いたから少し手伝ってくれない?」
手渡されたのはビニール袋にタップリと入ったむき身の牡蠣!
「こんなに頂いて良いんですか?うち二人しかいませんし・・・」
「いいのよ〜ぉ、うちだって町内別居で家族みんなバラバラなんだから・・こんなにたくさん、とても一人で食べきれないから、どぉ〜ぞどぉ〜ぞ」
「すみませんねぇ〜、それじゃぁ〜有り難く・・」
玄関先で立ち話をしていたら土間の奥でクロが鳴いた。珍しくお出迎えをしてくれたようだ。
結局、今の吉田家も子どもたちは独り立ちしてワイフと二人暮らしの核家族状態。
夕食は贅沢に山盛りのカキフライ!・・・美味すぎて痛風を刺激してしまいそうだ・・・

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クラフトの行く先 

2019/02/09
Sat. 23:08

今から10年ほど前に吉田家の一部屋をDIYしてギャラリーにしたことがある。
石見銀山の町並みはシーズンになるとそれなりに観光客で賑わうから、ちょっとした旅行記念のおみやげになるくらいの鉄の小物を造ってその一部屋へ並べた。
部屋の隅へ作業机を用意していくつかのパーツを造ったり、少し飽きると、あの頃はまだ元気にしていた犬のシェパくんを相手にのんびり暇つぶしをしたりしながら店番をしていた。
そういうことが1年半ほど続いたが、冬シーズンは開店休業状態になるから、実質は1年弱くらいしかギャラリーをオープンできなかった。
少しずつ春めいてお彼岸が過ぎたら本格的にギャラリーを再開しようと思っていたところへ父親が体調を崩して病院通いが本格的になった。その時は介護というほど大げさなことでもなかったが、そのうち通院が頻繁になったり手術して入院したりして、そういうことのお世話が避けられなくなってギャラリーオープンのスケジュールを調整することが難しくなった。結局冬のシーズンにクローズした状態のまま雨戸を開けることも無くなって、それから見る見る暮らしの荷物が増えてギャラリーが物置に変わった。
父親が永眠して一周忌が過ぎた頃に、再オープンを目指して荷物を撤去して心機一転床を張り替えた。
それで、今度はクラフト小物の路線を封印して純粋に彫刻展示をメインのギャラリーにするつもりで準備を進めていたら、今度は母親が弱ってきて、デイサービスの手続きとか通院の付き添いが必要になってきた。そうこうしているうちに、同宗寺院のご住職や内室が相次いで他界されるなどしてどんどん万善寺業務が増えてきて、せっかくきれいにした元ギャラリーの床には、また少しずつ色々な荷物が増えはじめ、雨戸を開ける機会が遠のいた。
しばらくして母親も他界して一周忌が過ぎた頃に、またまた思い切って建具屋さんへ頼んで障子をプラスチックの丈夫なものに張り替えてもらった。せめて元ギャラリーの雨戸だけでも毎朝開けるようにすれば、このまま物置部屋になることが避けられるかも知れないし、今の個展で造った新作の彫刻をそのまま展示してギャラリーを再開できるかも知れないと思ったからだ。

最初にギャラリーをオープンした時の売れ残ったクラフト小物は、そのまま捨てるのももったいないから吉田家や万善寺の各所で有効に使うようにしている。トイレ読書用の壁面ブックスタンドもそれぞれの場所へ取り付けてみたら意外なほどしっくりとその場の空間に馴染んだ。
私の好きな安西水丸さんはその場所ですでに何回転もしていて、最近また吉田家のブックスタンドへ返り咲いた。3月には安西水丸さんの命日が巡ってくる。早いものでそろそろ七回忌が近いはずだ。
先日、なっちゃんからSNSが届いた。おなかの子供が9ヶ月に入ったそうで、いまのところ経過は順調なようだ。私にとっては初孫の誕生が近い。
この10年は眼前の事実に粛々と向き合いながら過ぎた。気がつけば体力も減退して昔ほどの無理も効かなくなっている。なっちゃんが無事に子供を生んでくれたら、ボクのオリジナルブックスタンドと安西水丸さんの絵本をプレゼントしようと決めている。
ついでに、保育士をしているキーポンへも送ってやろうかな・・・

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残骸 

2019/02/08
Fri. 23:52

気になっていた寒気団は、それほどオオゴトにならないまま過ぎていくようだが、それでも丁度一番厳しさが増す頃にあわせて3回忌の法事が入っているので、その法事が過ぎるまでは万善寺を離れないようにしておくことにした。
節分立春が過ぎるまでの冬の万善寺はそれなりに慌ただしくもあって、今は少し落ち着いたところだがその流れの諸々の用事もないわけではない。
庫裏の各部屋は特に使うこともなくて汚れることもないから毎日こまめに掃除をすることもない。それでも、強風の後は天井裏の積年のホコリが舞い降りて気がつくと畳がざらついていたりする。
彫刻の展示台を部屋のコーナーへ設置して、時々入れ替えながら展示しているから、掃除のついでにその模様替えをすることにした。1月末に終わった小品彫刻展の作品はすでにそれぞれの作家へ返却したが、吉田正純とか吉田満壽美とか他にも数点預かっている彫刻もあるので、それらを定期的に入れ替えれば気持ちも更新してしばらくは新鮮でいられる。

庫裏の6畳ひと部屋は、寺で一人暮らしの私がのんびりとくつろげるように、炬燵やソファーや按摩機を配置して、100インチのスクリーンを壁一面に張って何時でも映画を見ることができるようにしてある。
その部屋は、冬の来客の客間にも使っているのでそれなりにこまめに掃除をしている。
普段は炬燵を撤去して敷物の下まで掃除をすることもないのだが、せっかくのことなのでたまには徹底的に掃除をしておくことにした。
炬燵板をとって、こたつ布団を縁側の物干しへ掛けて、炬燵櫓を片付けたら、炬燵敷きの中程あたりへ木の実の食べかけが転がっていた。上手に外皮を剥がして、中の実だけ食べている。
秋が終わった頃から、本堂と言わず庫裏と言わず、なにかを移動したりすると万善寺の彼方此方から木の実が転がり出てくる。どうせ野ネズミの仕業だろうが、今までその木の実を捨てないで集めておいたら、飯茶碗1杯位たまった。彼らの越冬中の食料になっているのだろうか?・・その様子がどこかしら健気に見えていじらしくなる。
寺に吉田家のネコチャンズでもいたら、彼らは毎日嬉々としてネズミたちを追いかけて大騒動するだろう。
「三毛猫はようネズミをつかまえてくれますけぇ〜ねぇ〜」
今はもう亡くなった隣のおばあさんは家で猫を飼っていた。
「雌猫は家について遠くへ行きませんけぇ〜・・よぉ〜働いてくれますがぁ〜・・」
お茶飲み話によくネコの話題が出ていた。その家では、おじいさんが元気な頃は和牛を2〜3頭飼っていたからネズミも多かったのだろうが、まんざらネズミ退治だけでネコを飼っていただけでも無かったと思う。おばあさんの猫好きはネンキが入っていた。

炬燵敷きの木の実の残骸は掃除機で吸い込んでキレイにして、それから縁側へ炬燵敷きを広げて、天日干しにしておくことにしたのだが、さて、いつになったら冬型の気圧配置が緩んで縁側へ日差しが戻ってくるのだろうか・・・しばらくのあいだ炬燵のない暮らしが続きそうだ。

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オヤジ三昧 

2019/02/07
Thu. 23:42

冬の間の寺の食料は、基本的に「餅!」
ヒドい時(餅さんゴメンナサイ!)は、朝昼晩三度のメシを餅で済ませることもある。
そんな食生活を続けていると、3月の桃の節句が近づく頃にはだいたい3kgは太ってしまう。
身体に良いことではないと思いつつ、一方でお正月のために暮れから準備した大量の餅を消費しないでそのままにしてしまうと、3月の終わり頃には寺の一人暮らしのくせに業務用の冷凍庫を準備しないといけないほどになってしまう。
実は今も、一昨年に冷凍しておいた餅と格闘しているところだ・・・
それで、主食の方は余り余るほど充足しているのだが、オカズのほうが無くなってしまって、冷蔵庫を開けても何も残っていない。
久しぶりに本格的な冬型の気圧配置が戻ってくるようだし、寺暮らしの行動が難しくなる前に近所のスーパーで日持ちのする野菜などを仕入れておくことにした。
万善寺を起点に南北へ少し走るとJAのスーパーがある。若干高いが一人分の食料程度のことだからあまり気にならない。
豆乳やトマトジュースは日持ちするから欠かせない。
きのこ類はすぐに使うぶんだけ残して、あとは適当に刻んで小分けして冷凍庫行き。
ネギとワケギも使うぶんだけ残して、刻んでから冷凍庫行き。
冷凍の枝豆やカット野菜も仕入れておいた。
まぁ、こんな感じで吉田家だとワイフに任せてノラリクラリと逃げを打っている台所仕事をこまめに繰り返している次第です。
それで、晩飯はきのこタップリの中華風スープを造った。もちろん、主食は餅!

昨年末から始まっている吉田正純鉄の彫刻展もあと2ヶ月ばかりで終了する。
予定としては2月のうちに数点の彫刻を加えて、3月のうちに一気に10点くらい追加展示するつもりだ。
例年だと石見銀山では桃の節句あたりにシーズン最後の寒波がやってきて、開花した梅に雪が積もったりする。その春の淡雪が溶けた頃から少しずつ寒さが緩んで一気に春めいてくる。ソレに合わせて入り込みの観光客が増えて町並みが賑わい始める。私の個展も、3月最後のそういう時期にあわせて展示替えの移動をしていこうという計画だ。
冬の間は、主に本当にマニアックに彫刻を見ている同業の作家とか、オヤジの吉田と個人的知り合いだったりする少数の友人が訪ねてきてくれる。季節が春めいて地球上の生物へ活気が戻ってくるあたりからは、不特定多数の見学者が増えてくる。
だいたいが一般大衆によくわからない抽象のかたちばかり造っているから、個展に関しては若干わかりやすくて想像が広がるような楽しみの要素を少しほど加えたりしているつもりだが、それを理解してもらっているかどうかはわからない。
吉田の個展は、とにかくワガママ放題でやりたいことをやりたいようにやらせていただいている。
ワイフには「アンタ、少しくらいは暮らしの足しになるような売れる彫刻も造ってもらわないと困るわよ!」と渋い顔をされる。重々承知のことなのだが、どうしても気持ちの方向がソレとは真反対へ向いてしまう。だって、その方が造っていて面白いんだもの・・・

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2月のみぞれ 

2019/02/06
Wed. 23:46

体調もすぐれないし薬も残り少なくなってきたしするので、病院を回って寺へ行くことにした。
このところ、島根県はインフルエンザが流行していて、学校では学級閉鎖もあったりしているからあまり病院へ行きたくないのだが仕方がない。日頃から人付き合いの殆ど無い暮らしをしているから、よっぽどのことがないと出先で感染することはないと思うが、何時何処で何があるかわからないからコレばかりは運を天に任せて観音様にすがるしかないことだ。

いつものかかりつけの開業医へ行くと、思ったより患者さんが少なくて助かった。
病院の方は死活問題でもあろうが、私の方は混雑の少ないヒマな病院は大好きだ。
いつもの優しいドクターと世間話をしながらひととおりの診察を受けていつものように2ヶ月分の薬を出してもらうことにして薬局を回って寺へ向かった。

今年に入ってかなり強い寒気団が南下しているようだ。それでも、昨年のことを思えば楽なもので万善寺も屋根からの雪吊りの山を避ければ、なんとか境内まで銀くんを乗り上げることが出来ている。曇り空ではあるが、今の所大きく天候が崩れることも無さそうだ。
玄関を開けて荷物を搬入して、勝手口の方へ外から回ってスズメたちへ古古米を補充してからひとけのない冷え切った庫裏へ入った。
台所のダイニングテーブルが寺の寺務机になっているから、まずは部屋を温めるのにガスストーブを点火し、エアコンをONして、灯油ストーブをつけた。そのくらいしないとすぐに部屋が温まらない。湯沸かしポットへ井戸水を満タンにして、コーヒーを入れる準備をしてから、デスクトップを起動させた。
以前は四六時中パソコンを何かしらのことでつついていたが、最近はそれも激減した。日常の情報はiPadで収集できるし、メールのやりとりも簡単なことはショートメールで済ませてしまう。展覧会の報告事務が無くなっただけでもずいぶん楽になった。不便というと、ブログの更新が停滞してしまうことくらいか・・・

お湯が湧いたのでネルドリップを用意した。
寺でひとりの時は、なっちゃんがボクの誕生日プレゼントで買ってくれたネルドリップを使うことが多い。1日3回位はソレを使い、あとはクノールのカップスープだったりお供えで頂いた煎茶のお下がりだったり、とにかく温かい飲み物を欠かさないようにしながらデスクワークをしている。
台所のトタン屋根が急にうるさくなった。みぞれ混じりの雨が降っている。
保賀の谷に散らばっていた寒雀の集団が、ドッと古古米に集まってきたのが台所の窓越しによく見える。冬の羽毛のせいか、それとも古古米の支給のせいか、まるまると太って実に美味そうだ。
昔、焼鳥屋でバイトしている時に中国産の冷凍雀をさばいて串に刺していたことを思い出した。くちばしと両足を切り落として腹割した雀を串に刺す。夕方に店が開く頃には解凍されていて、塩焼きにすると少し苦みばしって実に美味かった・・・スズメと目があって一気に飛び立っていった。
彼らには私の顔が悪魔に見えたのかも知れない・・・南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏・・・

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説教とは・・ 

2019/02/05
Tue. 23:47

なんとなく寝るタイミングを逸してしまって、ウエブ配信のドラマや映画を見る気にもならないし、しばらくYouTubeで音楽のビデオを見ていたが、ソレも今ひとつ身に入らないし、垂れ流しのBGMに切り替えて、ウエブニュースを上から順番にチェックしていたら、そのうち、いくつかの読みかけの文庫本があったことを思い出した。
一つは葉室麟さんの長編。一つは三浦しをんさん、一つは安西水丸さんのキネマ旬報へ連載されていた映画エッセイ(これは読みかけとは言えないな・・・)、一つは夢枕獏さんの仏陀の荒唐無稽長編冒険譚、一つは村上春樹さんの対談・・・などなど、夜中にその気になって探し始めたら自分の周囲の彼方此方から読みかけの文庫本が湧き出るように見つかった。
こんなに、際限もなくアレコレの本をつまみ食いのようにつまみ読みしていると、その1冊の読みかけのところまでがどんな内容だったかほとんど覚えていなかったりする。
こんなことだと、「読書」という領域から逸脱していて、どこかしら自分の近くに何かしらの本が転がっているだけでなんとなく気持ちが落ち着くといった、精神安定剤のような役割にしかなっていないように思ったりする。
それでも、それらの1冊1冊には、記憶に残るというか脳みその何処かに張り付いて離れないというか、そんな感じで前後の雰囲気をいつまでもソコソコ覚えているようなこともあったりして、それはソレで「何もないわけじゃないからネ・・・」と勝手に自分でそういう状況を肯定的に納得しているようなところもある。
さて、それじゃぁ~ひとまず「どれから読み続けようか?」と決め始めたら、それがなかなか決まらない。夜中のことだから、すぐに眠くなる本にするのも良いかも知れないし、軽めの感じで無理なくスラスラ読み続けるのも良いかも知れないし、せっかくだから、少し丁寧に行間を追いかけるのも有りの気もする・・・

ボンヤリと、そんなことを思っていたら、いつも鞄に忍ばせて持ち歩いている菜根譚を思い出した。
洪自誠さんの菜根譚は、私のバイブルのようなもので、日常の何かにつけて暇があればパラパラとページを捲って、止まったところから2つ3つ読み進めたりしている。特に暗記をしようと思ってもいないが、気になるフレーズはしばらくのあいだ覚えていられるし、その時時の状況によって微妙に解釈が変わって感じられたりして飽きることがない。
こういう状態の菜根譚と私の関係はどこかしら師弟関係に通じるような気もしていて、日頃だらしなく暮らしている自分には大事なことのように思う。
洪自誠さんの時代・・というより、孔子さんや老子さんなど中国哲学では「小人(しょうじん)」と「君子(くんし)」を並べて論じる傾向にあるようだ。小人は「人徳がなく度量の小さい人」で、君子は「学識や人格が優れた徳の高い人」を象徴して定義づけられていて、だいたいその2者を対比させながら善悪善し悪しが示される。洪自誠さんの菜根譚もザックリとそういう形態に属しているから、云っていることが結構厳しくて断言的ではあるが、私にはどこかしらボンヤリとした柔らかさも感じられて、それが好きなのだろう。時々「法事の後のナンチャッテ説教で使えないかな?」と思ったりもするが、なかなか自分の言葉に置き換えるまでの技量がなくて諦める。
「説教とは、教訓を垂れること!」とあって、「教訓とは教え諭すこと」とあった。
どうも意味不明でボクにはよくわからない・・・?

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立春の朝 

2019/02/04
Mon. 23:54

吉田家の豆まきがあるので、日が暮れるまでに石見銀山へ帰った。
駐車場へ銀くんを停めた時は、いつもと変わりなく町並みは静まりかえって、ほの暗い外灯の灯りだけが夜露に滲んで瞬いていた。
この時期は寒の戻りの節分寒波の影響でだいたい雪が降ったり積もったりするのだが、今年は雪の欠片もなく晴れ渡っている。
こういう状態だと、空が高くなって放射冷却が激しい。少し雪が降って雲が下がっているくらいがかえって夜の冷え込みもゆるくてすごしやすかったりする。

ワイフが風呂を用意してくれていた。
ゆっくりと温まってから、恒例の豆撒きをした。
子供がいる時は、吉田家の内外まんべんなく大量の豆を撒き散らしていたが、今は夫婦とネコチャンズだけなので、あとの掃除のことも考えてひとつまみずつパラパラとまく程度に自粛している。それでも、どこかしらケチくさい感じにならないように声だけは威勢よく張り上げて豆の少なさをごまかしておいた。
ワイフが其処此処の障子や戸口や窓を開けて、私が豆撒きの係。
クロがすきを狙って脱走しようとしばらく豆撒きについて歩いていたが、途中で諦めて何処かへ消えていった。
夕食には、ワイフ手造りの太巻きが出た。
久しぶりだったからとても美味しかった。
「この程度で良かったら、お正月の年始もこんな感じでつくってもいいわねぇ〜」
いつもは、寺の近くの三日市にある仕出し屋さんへお檀家さんの年始会用に太巻きを注文している。ワイフはおでんをつくって振舞っているのだが、それに太巻きが加わると正月早々仕事が増えるし、それに仕出し屋さんとのお付き合いも大事だから「そこまで無理はしなくていいよ」とさりげなくことわっておいた。

茅場町の会社勤めをするようになったノッチが、最近はお弁当を手作りしている。
日曜日に1週間分の料理をまとめて作り置きして、ソレを朝昼晩上手に消費しながら自炊生活をしている。いつまで続くかわからないが、今の所三日坊主で終わることにはなっていないようだ。ワイフの手料理はどこに出してもおかしくないと自慢できる。ノッチもお母さんの娘だから「ヤレバデキル!」素質がある。けっこう不摂生もしているようだが、それなりに健康志向でもあるみたいだし、シッカリした大人になってくれた。

万善寺のことも少し落ち着いたし、これからしばらくは石見銀山の吉田家を拠点にして、時々必要に応じて通勤坊主をしながら彫刻の制作へ気持ちを切り替えようと思っている。
これからさき、雪がひどく降らないまま少しずつ春になってくれると良いのだが、島根の方は2月が本格的な雪のシーズンでもあるから予断は許されない。もうしばらくは気持ちが緩まないように気を使いながら生活しよう。
「お隣さんも豆まきしたみたいよ。道で豆がいっぱい潰れてるぅ〜〜」
新聞を取りに行ったワイフが、玄関先で教えてくれた。隣はまだ子供も小さいし、誰かが鬼になったのかなぁ〜?・・・さて、立春大吉のおふだ張り出さなきゃぁ〜・・・

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気持の拠り所 

2019/02/03
Sun. 23:51

寺で暮らしている時は、時間をみつけて祈祷太鼓をたたいている。
先代は、塔婆の書はもちろん、音感がよくてお経も御詠歌も和讃も太鼓も上手だった。
現住職のボクは、自他ともに認めるナンチャッテ坊主だから、先代とは比べ物にならないほど坊主業全てにおいて下手糞だ。それでも、万善寺の住職はボクしかいなくて住職業の何をするにも避けて通れないこともいっぱいあるから、様々な場面でたくさんの恥をかきながらどうにかこうにか乗り切っている。

3日は節分だから、一人本堂で祈祷のお経を読んだ。祈祷のお経は太鼓を叩くことが多いから、下手糞なりにバチを振った。
正月になって、三ヶ日が終わって、節分までのできるだけ早い時期に、自分なりに今年1年の自戒をいくつか用意する。
偉い和尚さんは、毎年のはじめに遺偈(遺言のようなもの)を残される。
私は偉くもなんともないから、偉そうに遺偈を残すなど恐れ多い。それで、そういうことはしない代わりに、自戒を用意するわけだ。そうしておくと、何かにつけてそのコトが思い出されて、だらしなく緩みきった自分の気持が若干矯正できる。
塔婆を書く時は、裏書きにその言葉を使うこともある。
展覧会や季節のお知らせとか、ときには何かのデザインのキャッチコピーに使うこともある。
そうやって、日常に都合よく利用していると、知らない間にその言葉が少しずつ自分の気持の中へ入り込んで、やがて現実的で具体的な事象と結びつくことがある。だいたい1年が過ぎる頃には最初は曖昧でどうとでも解釈される抽象的な文言がそれなりに煮詰まって記憶の何処かへ張り付いてくれることもある。
名僧高僧さまをはじめ先人諸氏の名言は、はじめのうちは自分の現実と全然関係ないところで浮遊していて、頭ではなんとなくわかってもソレを自分の実感として自分の所作に置き換えるまでには程遠い。せめて1年位は心にあたためて時々思い出しながらそういうコトを繰り返しているうちに少しずつ現実の具体と関連するコトがあってソレに気付いてドキッとする自分がいる・・・ということを何度となく実感している間に、気がつけばそれなりの信念や確信を持ってその文言に自分の気持の拠り所を意識できていたりする。
もっとも、用意した自戒の全てが自分の気持を動かすことも珍しくて、実際、1年も過ぎれば知らない間に年始めの自戒などコロッと忘れて忘却の彼方に消え去ってしまっていることも多い・・・というより、ほとんどソレばかりだったりする。
それでも、そういうことの繰り返しのなかで、とにかく色々な場面で思い出されることもあるし、絶対に忘れることのないまま生き様であったり信念であったりそういうものに変わる自戒もないわけではない。
そういう文言のいくつかは、確実に自分の救いになっているし力になっている。
信心の気持ちというものは、そもそもそういうことの終わりのない積み重ねであるような気がする。

今年は、「動静両忘」「風逐自然清」「静聴鐘声」の3つを書いておいた。
私が好きな洪自誠さんの言葉の一節です。文字を並べるとシンプルで簡単なことだが、その奥深さに感じるものがある。「静聴鐘声」は個展の案内で早速使わせてもらった。

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2月の新年会 

2019/02/02
Sat. 23:25

そろそろ1月もあと僅かのある日、節分から立春へ向けて準備をしていたら着信があった。
名前を見ると中学校の同級生で元野球部、少し前まで郵便局の局長からだった。
彼からの電話はだいたい内容がわかる。
「2日新年会するけど、来れる?・・・夕方6時半で会費4000円・・・」
「寺は節分あるけど、そっちは大丈夫?前日だよ?」
「節分3日でしょぉ〜、大丈夫大丈夫、そんな遅くまでヤラないから・・・みんな昔みたいに飲めなくなってるし」
「チョット遅れると思うけど、行くよ・・・予定変わったらすぐに誰かへ連絡しておく」
「だいたい、いつものメンバーだから誰でも良いよ、都合変わったら知らせといて・・」

それで、2日は明るいうちに本堂を片付けたりお経を一つ読んだりしておいたのだが、結局なにかしらアレコレ用事を片付けていたら時間がどんどん過ぎていた。
膝と腰の具合が思わしくないし、夜になったら歩道が凍みるだろう。
銀くんに常備のステッキを引き出して、ソレを支えに参道を下って町道から国道へ出て三日市の町まで歩いた。
寺を出るときはまだ明るかった。
もう少し時間がかかるだろうと思ったら、道がズゥ〜っと下りだからだろう、15分で三日市に1軒の居酒屋へ着いた。
店に入るとメガネが一気に曇った。
「早いじゃない。もっとおそくなるかとおもったわぁ〜」
「吉田のぶんチャンと残してあるゾォ〜」
「お前の席、コッチコッチ!」
「ハイ!改めてカンパイィ〜〜!」
「おつかれぇ〜」
「ハイ、今年もヨロシクゥ〜!!」

地元同級生が10人位集まった。
みんな、もう現役は退職の年齢だが、まだ何人かは嘱託か何かで引き続き仕事をしている。他に自営業もいて、身体が動くうちは現役続行が決まっている。万善寺住職もその一人。
いつもラム肉を分けてくれる獣医も来ていた。
銀くんを世話してくれたカーディーラーの社長は酒が飲めない。
カープのファンクラブ会員で元役場職員もいた。
パチンコ好きなプラント役員もいた。
元教頭は去年ハチに刺されて救急車で運ばれた。
棟梁は相変わらずクールに飲んでいた。
ビールが酒に変わってワイワイやっていたが、気がつくといつのまにか奥さんが迎えに来て一人二人と消えていった。
帰り道は20分かかった。上り坂ばかりだからだろう。案の定、歩道はもう凍みていた。

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今時物流事情 

2019/02/01
Fri. 23:03

朝から空模様が怪しくていつ雨が降り始めてもおかしくない感じだったが昼前にはなんとか持ち直してそれなりの天気になった。
小品彫刻展でお世話になったショップが社員の男手を揃えてくれたので、搬出は半日もあれば終わりそうだ。
彫刻の発送は、窓口での伝票記入に時間がかかりそうなので、展示台の移動をショップの関係者へお願いして任せた。

小品彫刻だと持ち込みのゆうパックが便利で、発送業務の80%は会場の近所の郵便局で済ますことができる。
取扱業者によって寸法や重量の規格が若干違うようだが、だいたい同じ条件なので、ヤマト便がゆうパックに変わってもそれほど大きな混乱はない。島根のような田舎だけのことかも知れないが、ヤマト便や佐川急便などの大手宅配業者さんは、取扱店の基地が少なくて持ち込み発送がとても不便だ。ソレに比べてゆうパックの方は、田舎の小さな町でもかならず何処かに郵便局があって宅配便の取扱をしてくれるからとても助かる。
それでも便利なゆうパックも含めて、時々業者の都合で知らない間に取扱条件が変更になっていたりすることもあって、今回もソレに引っかかった。
お客の事情というより営業上の事情が優先された条件変更の不条理にはどうも素直に納得できない。
鬱陶しいほど反乱しているどうでもいいようなCM告知ばかりに精出す暇も予算もあるのなら、こういう突然の利用条件変更に関する事前告知のコマーシャルを優先してほしい。
今まで普通にOKだった取扱が、急に受付窓口で「見直し変更になりまして・・」といわれても、結局当方は梱包のし直しで持ち帰ってまた出直すことになるわけで、私のように、何から何まで自分の都合で事業を切り盛りしている極小零細事業主にとっては、とても厳しい仕打ちなのです・・・プンプン!!ブツブツ・・・
彫刻家が悪いわけでも何でも無いのだが、世の中の物流システムの中で自分の彫刻をその基準にあわせながら制作をするというのもなにかおかしなことだ。結局は作家の都合ばかりで筋を通すことも出来ないから「そんなもんだ・・」と世間の事情を飲み込んで対応するしかない。
それで、具体的にどういうことかというと、作家が展覧会の主催宛に作品を発送する場合は普通に今までどおり梱包して業者持ち込みをすればいい。ちなみにゆうパックの場合は、送り先が同じなら以前の伝票の控えを持参すれば若干値引きしてもらえるはずだ。問題は、主催側から作家個人宛に彫刻を返送する場合。業者さんの話によると、送り先が個人宛の場合は重量や大きさの制限があるようで、その制限を超えた場合は荷物が営業所止めになって、受取人はその営業所へ引き取りに行くことになるらしい。要するに、ドライバーが一人で運搬できない場合は「自分でひきとりにきてちょうだいネ!」ということで、ソレで良ければ「発送させてもらいますヨ!」ということ。業者さんの立場から言うと何の問題もない当然の理由があることになる。
もう半世紀近く親しくしている運送業者は、営業所の所長が変わるたびに「吉田絡みの荷物はチョット厄介だからよろしく・・」と、申し送りされているようだ。今回も、ほとんど無理だろうと諦め気味に持ち込んだAさんの彫刻だったが、顔見知りの職員さんが「チョット料金かかりますけど・・」と念押ししつつ、渋々引き受けてくれた。アリガタヤ!

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2019-02