FC2ブログ

工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

吉田家記念日 

2019/04/29
Mon. 23:51

吉田家長女のなっちゃんが長男を出産した。
なっちゃんは昭和生まれでその子は平成生まれになった。
生む直前まで平成だとか令和だとか騒いでいたが、実際、母子ともに健康であればそういうことは大きな問題ではない。
いずれにしても、吉田家にとって今の状況は普通に頻繁に遭遇することでないことだけは確かだ。
オヤジは急な手術になって入院中。
ワイフは長女の出産で留守中。
長女のなっちゃんは人生初めての出産。
長男のじゅんくんは4月から転勤で連休関係なく毎日深夜まで仕事らしい。
ノッチはパーフェクトな10連休で毎日が行楽。
キーポンはシフトの関係で半分程度出勤らしい。
そして、吉田家のネコチャンズとグッピーたちは、10日間連続で留守番。
みんな見事にバラバラで元号をまたぐことになって、吉田家の歴史上、ある意味記念すべき数日を迎えることになった。

病室の窓からは全体がグレーに染まった空と宍道湖と島根半島が見える。そのうち、間違いなく雨が落ちてくるだろう。
理学療法と作業療法の担当者さんは、連休シフトで毎日頻繁に人が入れ替わる。担当固定もそれなりにリハビリ効果があるとは思うが、自分としてはどちらかというと時々人の入れ替わりがあったほうが新しい発見もあって良い。
今入院中の病院は、整形外科で手術を受けた人ばかりだから、手術が終わればあとは傷が治るのを待つばかりなので、基本的に8割の患者さんは元気だ。残りの2割が、手術前で苦痛と格闘している人だったり、手術後すぐでまだベッドから起き上がれない人だったり、ボクのように手術絡みの麻痺が身体のどこかに残っていたりする連中になる。
連休に入ってからは、毎日朝から夕方を過ぎて夜の消灯時間ギリギリまで家族や友人知人の面会が絶え間なく続いている。見舞いも患者も基本元気だから病室や院内のフロアーに会話や笑いが充満して、とても病院とは思えない状況だ。看護師さんやリハビリ療法士さんもそういうノイズには実に寛容で、場合によっては職務を忘れて一緒に仲良く盛り上がっていたりする。はじめのうちは、院内の雑踏雑音が少々気になるので、小説に集中できないでいたが、そのうち、新宿駅のホームのベンチに座って読みかけの本を読んでいるようなものだと気持ちが切り替わった。iPhoneにダウンロードして溜め込んだ世界の音楽をヘッドフォンで聞きながら静かに自分の世界へ浸っていると、時間がアッという間に過ぎて次のリハビリ療法が迫っていたりしてあわてる。
今入院中の病院ではリハビリ治療だけは1年中無休で続くのだそうで、担当さんに聞いたら、そういう病院は「ボクは島根県で他に1箇所しか知らない・・」ということで、全国でもそう多くないということだった。
総合病院だと、普通外科が完治したらその時点で退院になるらしいが、さて、ボクの退院は何時になるのだろう??
ちなみに、なっちゃんは5月3日が退院予定らしい。まぁ、妊婦は病気じゃないからね。

IMG_3888_2019043010522005a.jpg
IMG_3889.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

毎日が大型連休 

2019/04/28
Sun. 23:21

なっちゃんの出産後しばらくのあいだ身の回りの世話をすることになったワイフが、ボクの見舞いも兼ねて大量のコーヒーや文庫本などを差し入れしてくれた。これだけあれば、大型連休は何不自由なく過ごせそうだ・・・といっても、入院中の身にとっては毎日が大型連休のようなもので、どちらかといえばむしろ「暇つぶしに苦労することになるかもしれない・・」と、そちらの心配をしていたのだが、生活共同体の慈愛に満ちた以心伝心は実にタイムリーに効力を発揮することになった。

今は「ねじまき鳥クロニクル」を数年ぶりで読み返している。
文庫本になっても3冊に分かれるほどの超大作で、最初に読んだときはそろそろ今から10年以上は前だったと記憶している。ちょうど、月々の給料がもらえてボーナスまで保証された安定職を早期退職したばかりの頃だった。
先代住職の憲正さんへ少しずつ前後の記憶に空白が出始めるようになって、定期通院がおぼつかなくなったり薬の飲み忘れが頻繁になったりなどして、家族の支援が必要になりはじめていた。それでもまだ、本格的に介護が必要だというほどでもなくて、まぁ、昔の感覚でいうと「憲正さんも、そろそろいい歳になってだんだんとボケが出始めたらしいでぇ〜〜」くらいのことだったが、母親も身体が思うように動かないし、結局はさしあたって家族の誰かの助けが必要なわけで、今まで自由勝手にやりたい放題を続けてきたことでもあるし、そろそろ両親のことで少しくらいは親身に付き合う時期になってきたのだろうと、自分の甘えた気持ちに一区切りつけてしまおうと決めた次第だ。仕事の方もだんだんと込み入って面倒なことが増え始めてはいたが、自分がやめて組織の歯車が一つくらい無くなってもソレですぐに体制に影響が出るわけでもない。職にしがみついて自分の暮らしが楽であっても、高齢の両親が暮らしにくくなってしまってはどうしょうもない。

島根のブラック公務員から開放されてすぐの頃に、憲正さんのお供をしながら時間つぶしにBook Offで仕入れたのがねじまき鳥クロニクルで、運良く3部作が特価で揃っていた。
完全なる健康体というわけでもないが、特にコレと云った病気があるわけでもないボクにとって、総合病院の付添の待ち時間はとにかく長くて苦痛だ。バロックの室内楽を中心にアレコレとかき集めてiPodにためたものをヘッドホンから垂れ流しながら文庫本の文字を追いかけていると、そのうちお尻から太ももの裏筋にかけてシビレが広がっていく。自分でそんな感じだから、体調の思わしくない憲正さんはよくじっと我慢して硬い待合室の椅子に座っていられるものだと、彼の修行の深さをすぐ隣で実感して感心したものだ。

それで、ねじまき鳥クロニクル三部作だが、とにかく、圧倒的に文字数の多い本だった。それに、解釈の難しい展開で、同じ場所を数回繰り返して読み直すことも多々あった。それでも、ちょうど公務員を辞めて、特に毎日を改まった目的もなく曖昧に過ごしていた時期だったし、小説の中に出てくる新宿や小田急線周辺の街の様子が学生時代の自分の生活圏とダブって引き込まれるものがあった。
あの頃は気づかなかったことだが、久しぶりに読み返してみると、村上さんのくどいほどの長文に託した社会や時代へ対して何かしらの抵抗が発信されているようで、今、その旨味のようなものをぼんやりと噛み締めている。

IMG_6849_20190429102236bfc.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

骨休め 

2019/04/27
Sat. 10:05

三日間降り続いた雨が上がった。
病室の窓から見える欅は、雨の潤いのおかげか一気に芽吹いて外来駐車場までの車道へ日陰を作った。
宍道湖の対岸も、緑の彩度が燃え上がるほどに瑞々しく輝いて見える。

世間では、10連休がスタートした。
時々確認するウエブニュースは新旧の元号のことでジワジワと盛り上がりを見せ始めている。
学生時代も含めて、名実ともにこれだけまとまって「骨休め」をすることなどなかったことだから、周辺の知人友人の心配を有り難く感じつつも、内心ではかなりウキウキとして手放しの開放感にドップリと浸りきっている。
上げ膳据え膳三度の飯に湯茶のサービスや、休日祭日関係無しで連日の掃除ゴミ捨てから定期的なベッドメイキングまでとにかく至れり尽くせりのうえ、お昼前にはシャワーまで使わせてもらえる。
はじめのうちは、日常の暮らしの激変に戸惑うこともあったが、こういう殿様ぐらしが連日当たり前のように続いていると、退院のときの請求額がとんでもないことになっていたりして、そろそろ今のうちからそういう心配が気になり始めてきた。結局は、入院中の収入がゼロであるという現実は避けることができないわけだ。
まぁ、そんなことでネガティブに悶々としていても現状の変化があるわけでもないから、とにかく、今は生涯に何度と巡ることもないだろう至福の日々を堪能しつくすことにしようと思っている。

長女のなっちゃんは、妊娠中の子が3000を超えていつ生まれてもおかしくない状態になった。なっちゃんにとっては初めての出産になるから、4人の子供を生んで育てたベテランのワイフが出産前後の身の回りの世話をすることになって、連休前の1日を移動日に使った。これから、10日間はなっちゃんにつきっきりで世話をして、連休が終わると同時に島根の日常の生活に戻ることになる。
なっちゃん本人は平成だとか令和だとか、出産元号のことを気にしているようだが、家族兄弟姉妹みんなの都合も含めて実にタイミングよく親孝行なことだ。

なっちゃんというと、学生時代は染織を専攻して卒業制作は糸を染めてタピスリーを織った。卒業と同時に兵庫県の公立のミュージアムで仕事が決まっときに引っ越しを手伝って、就職祝いを兼ねた「菜根譚」の単行本をプレゼントした。ハードカバーの装丁でけっこう高かったが、なっちゃんの名前を命名するときに菜根譚から「菜」の字を頂いた縁もあってのことだった。しばらくして「読んでるか?」と聞くと「昼寝用の枕に使っている」といっていた。オヤジの自己満足のようなものだから読んでも読まなくてもどうでもいいことだが、はじめて私がその本に出会ったのは確か35歳位の頃だったと記憶していて、ちょうど吉田家ではなっちゃんが生まれて間もない頃だった。そういうこともあって、自分で勝手になっちゃんと縁深い本だと決めている。
手術が終わって身体が少し楽になってからその菜根譚をまた読み返している。

IMG_3883.jpg
IMG_3881.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

愛のかたち 

2019/04/26
Fri. 15:59

4月に入って早々に降った雪が消えてからしばらくは、春めいた良い天気が続いていた。
そろそろ大型連休が始まろうとする今頃になって雨が降り始めて、今日で3日目になる。
菜種梅雨というには少々時期がずれてしまったが、心地よい程度の適度な肌寒さと湿気はかぎりなくジジイに近いオヤジの干乾びたお肌に適度な潤いを補充してくれる。

手術後2週間が過ぎた。
3日ほど前から首のガードを取り外して全身シャワーがOKになった。
2週間目の当日には、手術の傷口を止めていたテープがとれて、歩行補助器使用が解除された。
久しぶりに自分のペースで歩き、一般トイレの出入りが解禁され、エレベーターを使った病院内の縦移動も許可された。
理学療法と作業療法のリハビリ治療も、自分のベッド上からリハビリステーションへ移動して行われることになった。
普通に日常の暮らしへ戻ると、生活のそこここで想定外のストレスに遭遇することもあるだろうが、病院内での恵まれた環境ではそれほど大きな不便を感じることのないまま、特に改まって意識することなく少しずつそれぞれの場面への適応力が身についていて、そういう状態をクールに認識しながら現状を受け入れている自分がいる。

手術が終わって覚醒してから3日目の朝、目が覚めると左の肩に神経の麻痺が出ていた。
腕を上げることができないし、全く筋肉が動かなくて力も抜けたままだった。
指先のシビレは、右手のほうがひどかったが、右肩は以前と変わりなくストレス無くだいたい普通に動いていた。
首の骨の関節の隙間から出ている神経の束が手術の影響で圧迫されて「麻痺が出るということは稀にあることだ」と事前に説明を受けていたから、自分では「左肩へアレが出たな・・」くらいに担当の看護師さんへ症状の報告をしておいたのだが、それからしばらくして、深刻な顔をした主治医のドクターが回診してくれた。
「こういう症状が出ることは稀なことなんですけどねぇ〜・・・」と、左腕の稼働状況を確認したあと、「現状確認と記録を兼ねて・・」ということで術後の管が全て取れたところで断層写真を残しておくことになった。
いずれにしても、自分にはそのときどきの状況をそのままダイレクトに受け入れることしかできないわけだから、アレコレと深刻にジタバタしてどうなるものでもない。

ワイフは、仕事の合間を縫ってマメに見舞いをしてくれている。そのたびに、ポット満タンのコーヒーを持ってきてくれる。アルコールは特に苦労すること無く禁酒できているが、コーヒーはなかなかそういうわけにいかない。コーヒー絶ちの方が今の自分にとって辛いことになっている気がする。
ワイフとは結婚してそろそろ40年近くになって新婚当時の甘ったるい恋愛関係など雲散霧消と化した今、気がつけば、ソレとは全く違った生活共同体としての信頼関係が強化されていたという発見があったように思う。
ソレもまた愛のかたちのひとつなのかも知れない。

IMG_3871 (1)

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

想定外の毎日 

2019/04/21
Sun. 10:35

手術が終わって2回目の日曜日は朝から快晴。
病室の窓から見える宍道湖の湖面は波ひとつなく、対岸の島根半島を鏡のようにくっきりと逆さに写している。

4月に入って間もなく入院手術が決まって、その後、細かな検査とか日程の調整を図りながら、すでに決まっていた万善寺の法事予定をやりくりしたりして数日間が慌ただしく過ぎた。もともとお檀家さんの少ない寺だから、だいたい1ヶ月ちょっとになるだろう入院期間中に重なっていた法事も2つだけだった。少々問題なのは、毎年春の新年度が始まってから続くいくつかの総会とそれにからんだ監査などの事務的な用事を調整すること。それに関連した諸連絡はだいたい郵送でのアナログなやり取りになるから、ベッドの上でウツラウツラしながら電話のSNSで簡単に済ませるわけにもいかないし、結局はワイフの好意にすがるしかないことになって、ソレで少し気が重い。
他にもコマゴマとしたことで気になることがないわけでもないが、アレコレ悶々としてもどうなることでもないし、時の流れに身を任せるつもりにして今に至っている。

もう、かれこれ10年以上前から足腰や肩背中の調子が思わしくなくてだましだまし暮らしていたのだが、いよいよ昨年の秋風が吹く頃から本格的に痛みが慢性化してきて我慢が難しくなっていた。それでも、だいたいいつもと変わりなく彫刻の制作や展覧会のことなどを一通りこなして、少し落ち着いた年末ギリギリになって「客観的現状把握の検査だけでもしておくか・・」と思いついた。
それこそ10年以上ご無沙汰していた人間ドックも受けることになって、正月のひと山が過ぎたところであちこち検査通院が始まった。内科的には、生活習慣病といえる幾つかの数値で厳しい指摘を受けて専門医に回されたりしつつ経過観察を続けることになったが、外科的には直接近所の開業医へ現状を訴えるしかないということになった。その頃になっても「なんとか難を逃れることができないものか・・・」と渋々ノラリクラリと言い訳を続けていたら、ついにあの温厚なワイフの逆鱗に触れることになった。

近所の外科へ通院の朝は冷たい小雨になって、そのせいもあってか、いつもより指先のシビレが気になった。読みかけの文庫本を読みながら順番を待って問診を受けた後レントゲン撮影になった。
「症状の軽いところからいいますとね・・・」膝とか腰とかは「良くはないけど、まぁいまのところすぐにどぉこぉすることもないでしょう・・・」
一呼吸おいて「どうやら、シビレのもとは頚椎のようですね・・ここでは、コレ以上の検査もできないし、紹介状を書きますのでそちらへ回ってください・・・それで、何時が良いですか?明日でもいいですけど・・・担当のドクターは火曜日が良いですね・・・来週にしますか?再来週??」・・・というわけで、ボクの選択肢は限りなくゼロに近い状態で、サクッと次の病院が決まったのだが、まさか、その時点で本人(ボクのこと)はまだ手術になるとは思ってもいなかった。それから自分の人生で初めてづくしの想定外の毎日が続いている・・・けど、一応それなりに元気で生きているし、こうしてソコソコ指も動いてプチプチとリニューアルラップトップをつつける事はできている。

IMG_8790.jpg
IMG_3870.jpg

追記:雪が降る(4月1日)
   新元号発表の日、ボクは一日中春の雪と格闘していた。たぶん、ボケるまでその日のことは忘れないだろう・・・
玉造病院(4月2日)
   病室からは宍道湖が一望できます
首の問題(4月3日)
   ソレでなくても首が回らないのに・・・
レンゲの咲く頃(4月4日)
   石見銀山の谷は桜が終わって菜の花やレンゲが咲き始めました

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

レンゲの咲く頃 

2019/04/04
Thu. 23:11

3月いっぱいで吉田正純鉄の彫刻展が終わった。
会場提供でもお世話になっている主催の担当さんから、その後の彫刻撤収や移動のことで連絡が入るだろうと待っていたのだが、その気配がない。
手術が決まって入院の日程もハッキリしたから、彫刻移動はそれまでに済ませておかないとアチコチに迷惑をかけてしまう。今の吉田はいつもの吉田のようにだいたい暇に過ごしている状態でなくなっているから、主催者の都合を「のんびりと待ち続けるわけにもいかないだろう」と、会社の朝礼が終わった頃を見計らって遠慮がちに連絡を入れてみた。
担当さんとは、まだ、3月のうちに立ち話程度のザックリとした話はできていたから、ソレをベースに少しは具体的なことになっているだろうと思っていたら、当の担当さんが別の用事で出張中だったりと、どうもそうでもない様子。
吉田正純鉄の彫刻展撤収計画は何の進展もないまま停滞状態であることがわかった。

「このままだと、ドタバタの面倒なことになりそうだな・・」と、思い切って奥の手を使うことにした。
正式な役職はよく知らないが、まだ現役を引退したという話を聞かないからたぶん現在も会社役員会長職にあるのだろう、創業者本人とはもう30年以上の飲み友達。おたがい、この歳になるまでよく肝臓が保っているものだ。昔は当時流行していた「田舎町の活性化」を酒の肴にして、それこそ毎晩のように飲み明かしていた。そのうち、それぞれの目指す先で時間の融通がつきにくくなって、しだいに疎遠になったが、それでも1年に2~3回は一緒に飲む機会もあって、それなりお互い年齢相応に丸くなってきてはいるものの、そこそこハードなネタを酒の肴で振りあっている。そういう関係だから、まずは彼に話を通すとだいたい一両日中にコトが進展して目先の問題がいっきに解決する。
吉田としては、最終兵器の彼を持ち出すまでに現場の事情に沿って穏便にコトを進めたい気持ちでいるものの、なかなか現実に具体的な事情をやりくりするには理想論だけで済まされないところもある・・・と、いうわけで「どうしようか??手術もきまったし・・」と、相談を持ちかけてから30分もしないで会社の総務部長自ら連絡が入った。

彫刻移動の日時が決まって、朝から準備を進めて、待ち合わせの場所へ行ってみると、会社の若手が4人も集まって準備万端。アッという間にあらかじめ打ち合わせの通り予定していた撤収と移動作業すべてが終了した。これから先の予定としては、一連の大きな彫刻は、レンゲが満開になって田起こしが始まるギリギリまでそのままにしておいて、春の観光さんたちに楽しんでもらうことにした。10点のこぶりな彫刻は、石見銀山の町並みに面した古民家オープンスペースへ展示替えをして、しばらくのあいだ常設展示に切り替えることになった。他は吉田家前などアチコチへ移動して、その後の調整は、退院できて身体がソコソコ動いていたら、その時の状況に応じて考えようということになっている。

だいたいが一人でやりくりしていると、さりげなく力関係や利害関係が絡む状況下で、ひとが動くというかひとを動かすというか、そういうコトがとても気重に感じる。やっぱり、なにごとも終始ひとりでコトに当たるほうが気楽でいられる。
さて、手術からあとは自分の身体状況がどのように変化しているのだろう?
もっともっと今以上に色々なひとの手助けに頼ることになるのだろうなぁ~~きっと・・

IMG_6788.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

首の問題 

2019/04/03
Wed. 23:57

最近の病院は凄い!
午前中いっぱい内科も含めて色々な検査をした結果が、診察室のドクターのデスクトップへすべて反映されていた。幾つかの断層写真は、マウスのツマミをコロコロと転がすだけで動画のようにスムーズに動いている。血液の数値も適正範囲がひと目で見渡せるようになっていたり、マウスを使った手書きの書き込みも簡単にできてしまう。
ドクターは、しばらくのあいだデスクトップを観ながらそういう操作を繰り返していた。

検査の結果がわかって今後の予定がおおよそ決まるということで「次の来院はご家族の方も同席をお願いしますね・・」とあらかじめ伝えられていたから、ワイフと並んでドクターの説明を聞くことになった。
「そぉ〜ですねぇ〜〜・・、お話が楽なところからはじめましょぉ〜か・・・ソレでいいですね」
そんな感じで検査の結果説明が始まった。
「まずは、膝ですが・・・これは、骨の様子を見る限りまだ今の所隙間も確保できていますから、関節の動きを改善する工夫が必要ですね」
・・・ということで、ひとまず、膝はパス!
「腰ですけど、骨のみだれは見えますから良くはないですが、今すぐどうこうするほどの状態ではないですから、まぁ、しばらく様子を見てみましょう」
・・・ということで、これもひとまずクリアー!
「それで、問題は頚椎です!これは、いけませんねぇ〜。このままだと手足が動かなくなりますよ。ほら、ココのところ白くなってるでしょ・・骨の中に神経が走ってるんですが、ソレが圧迫されて機能しなくなってるんですよ。丸いホースが前後から潰れて楕円になっているような感じですね。これは、かなりの重症ですよ。指がそれだけ動いているということが不思議なほどですよ。この状態だと手術は避けられませんね。何処で観てもらっても同じこと言われるでしょうね・・・」
・・・本人(ボクのこと)の自覚は、そこまでヒドイものだとは思っていなかったから、そういう説明があっても、特に緊張感もなく、動揺することもなかった。
「それで、手術はどうされますか?この状態は、まぁ、交通事故にあって緊急の手術が必要だというような・・そのくらい急を要することですから・・・ね。他の病院でも心当たりがアレばそれでも良いですが・・・どうされますか??」

わざわざ、近所のドクターから玉造病院名指しで紹介状を書いてもらったことだし、それに、今までの検査とほぼ同じようなことをまた繰り返すのも気が滅入る。
「避けられないことなら、こちらでそのまま手術していただけると良いと思うのですが・・」
あとで聞くとワイフの方は、入院中の見舞い移動のこともあるし、もう少し近いところの病院が良いと考えていたようだった。
それから、入院日程などの事務的な説明などがあって、途中、アチコチで買い物をしながら吉田家へ帰宅したのは夕方だった。
平成元号最後の4月がこんな感じではじまった・・・

IMG_6817.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

玉造病院 

2019/04/02
Tue. 23:52

山陰本線の踏切を渡って上り坂の途中から右折すると、正面に患者用の駐車場へ誘導する看板があった。
車道脇の植え込みには立派なイチョウとカエデの木が並んでいる。
新芽がかろうじて確認できるほどに伸び始めているが、全体の様子は秋から冬にかけて枯れ葉を落としたそのままに成長が止まって見える。

「玉造病院」という名前だけは昔から知っていた。
高齢者の間では病院長が整形外科の名医で有名だと噂で、若い人にも、ヘルニアの手術が信頼できると情報が広がっていた。
まさか自分の人生で、そういう整形外科に特化した病院のお世話になるとは予想もしていなかったから世間のうわさ話も他人事で「自分とは関係がないことだ」と、普通に無関心でいた・・・その病院へ紹介状が回った。
イチョウやカエデの成長具合から、そこそこ古い歴史のある病院だとわかる。外壁のタイルも昭和のデザインが残っていてどこかしら昔懐かしい。少々くたびれた雰囲気はそれなりに風格を感じるが、銀座の煉瓦亭やライオンほどの歴史の重みはない。

1階の外来待合はゆったりと広い。そこから受付の手続きをして整形外科へまわって順番を待っていると「よしださぁ〜ん、どぉ〜したんですか??」と、中学生くらいの女の子を連れたおかあさんが声をかけてきた。
「おひさしぶりですぅ〜・・どうしたんですかぁ〜・・どこかわるいんですかぁ〜??」
・・・そのおねえさん・・いや、おかあさんは、昔まだ高校で美術の先生をしていた頃の美術部員で、それと野球部のマネージャーを掛け持ちもしていた。確か、ヘルニアを患っていて、学生時代は苦労していたようだが社会人になったかどうかのところで思い切っって手術に踏み切ったという話を聞いたか、年賀状で知ったか、どちらかだったと思う。
その日は、骨折をした娘さんの治療通院だった。
奇遇といえばそれまでだが、縁のあることだ。
旦那さんとは入院中に仲良くなって結婚に至ったらしい。そのご主人が先程ボクの首をレントゲン撮影してくれた。
「アレが旦那ですぅ〜」と奥さんが教えてくれた。旦那の視線は別のところにあったから、たぶん彼は気づかなかっただろう。
とにかく、大きな娘さんもいて幸せそうだと思っていたら「今は違うけど、あの頃、旦那の実家まだ五右衛門風呂だったんですぅ〜・・・親と同居だったしぃ〜・・・」
短時間だったが、久しぶりの会話からはなかなか過酷な新婚生活が想像された。まぁ、それでも結局子供も恵まれて暮らしも安定しているようだし、なによりなにより・・・
それからしばらくして次の検査で呼び出されて、会話はそこで途切れたままになった。

主治医に決まったドクターからの詳しい話が聞けたのは、午後の2時を過ぎた頃だった。
昼食抜きになったが特に空腹は感じなかった。たぶん、ドクターの方も昼食はまだだっただろう・・・真面目というか熱心というか・・だいたいが自堕落な自分とは比べられないなと、変なところで感心しながら症状の現状を聞いていた。結構重症のようらしい・・・

IMG_6769.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

雪が降る 

2019/04/01
Mon. 23:07

新元号発表の日でエイプリールフールの4月1日・・・万善寺は朝から雪になった。
飯南高原で4月に入って雪が降ることはそれほど珍しいことでもないが、この年齢になるまで経験したことのないほどの暖冬だった今年で4月の雪となるとかなり焦った。
3月のお彼岸を過ぎた適当な日に、同級生の経営するカーディーラーへ銀くんをピット・インして夏タイヤに履き替えたばかりだった。とにかく、この1〜2年の飯南高原は過去の常識が裏切られるばかりで天候の予測がつかない。

神戸川上流の河岸脇に1軒だけ離れて建つお檀家さんでは、四十九日と納骨と位牌点眼を一つにまとめておつとめをすることになっていた。
「寺の方は雪の具合どうですかいねぇ?」
「境内は真っ白ですが、車はお地蔵さん脇にあるのでなんとか走れるとは思うんですけど・・・」
「ははぁ〜〜・・・こっちの方は道も真っ白になっとりますけぇ〜ねぇ〜・・・スタッドレスだと大丈夫でしょうが・・・」
「まぁ、伺うのはお昼過ぎてからですから、その頃にはなんとか・・・」
「まぁまぁ・・やれんようだったら電話くださいや、迎えに行きますけぇ〜・・・」
「はいはい、それじゃぁ〜そぉ〜いぅ〜ことで・・・」

念のために前日には万善寺入をして塔婆を書いて点眼の準備をしたし、雪のことがなければ特に心配することもないのに、どうもどこかしら気になって前夜一晩は熟睡できないまま朝になった。補充しておいた古古米目当てのスズメたちが早くから騒いでいたし、どうせ春の雪だからそのうちにはやむだろうという気はしていたが、地元に詳しいお檀家さんの方からわざわざ心配の電話が入ったりすると、チキンオヤジはさすがに少々ビビる。食欲のないまま昼食を抜いて、慎重に雪の積もった参道をお地蔵さん脇まで降りてみると、車道は雪もなくて凍っている様子もないから夏タイヤでそのまま移動することにした。
施主家へ着くと雪はやんでいて、そのかわりやたらと冷たい雨が絶え間なく降っていた。納骨が若干苦労するだろうが、雪よりはマシだろう。
おおよそ1時間位ですべてのおつとめがおわって、それから、自家製の手作り煮しめなどが出た。雪のせいもあって、ご親族のお参りは少なかったが何処かから取り寄せの斎膳弁当よりはずっとマシだ。見た目や味の善し悪しや好き嫌いよりも、おもてなしの気持ちが伝わってきて、そのほうが好きだ。アレコレと世間話に花が咲いて思わず長居をしている間に、気がつけば雨がまた雪に変わっていた。翌日は通院で少し詳しめの検査が決まっているので、ひとまず石見銀山の自宅へ帰っておかなければいけない。雪は海抜400mのあたりまで降り続いていて、それから先は雨に変わった。銀くんの4WDとミッションの切り替えを駆使して、夏タイヤを騙し騙し慎重に走った。

やっとの思いでたどり着いた吉田家は雪の痕跡も無く、実に平和なものだった。
新元号が「令和だって」・・・夕食の支度をしながらワイフが教えてくれた。珍しくネコチャンズがベッタリと仲良く寝ていた。
「塔婆や過去帳・・チョット書き難いかも・・・」チラリとそう思った。

IMG_3834.jpg
IMG_0985.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

2019-04