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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

ついていけない・・ 

2019/06/30
Sun. 23:22

梅雨らしい雨が降り続くようになってから、周囲の草木が勢いづいて日に日に緑のボリュームが増していく。
1日に1時間程度の草刈りではとても成長のスピードに追いつかない。

「ねぇ〜、出かける前に少しはビワ収穫しておいてよ」

吉田家の裏庭にあるビワが鈴なりになって色づいている。
今年はビワの生り年のようで、銀山街道のアチコチでも黄色く色づいたビワの木を見かけるが、収穫されている様子が見えない。
まだ本格的に梅雨の雨が降り始める前、吉田家の大屋根から隣の家の屋根にかけて猿の通り道になったことがある。猿たちは石見銀山の谷のアチコチにある家庭菜園の野菜などを食べ尽くしながら移動する。色づいて食べごろになったビワも、彼らの絶好の餌になる可能性が無いわけでもない。ワイフは、それが心配だという。
昨年の秋は、寺の柿が大量に実をつけた。その時は、行政が熊の出没被害の元になるから柿の実を収穫するか、柿の木を切り倒してくれと防災放送で住民に呼びかけていた。
猿と熊では危険度がかなり違うから比べにくいことだが、いずれにしても最近は山の生き物の行動範囲が人間の生活圏を脅かす状態になっていることは間違いなさそうだ。
ビワは2日かけてだいたいを収穫した。
ワイフがソレを選別しながら吉田家の子供達へ送ったり、近所の子沢山のお宅へ持っていったりして、ほとんど無駄にしないでさばくことが出来た。

夕方になって寺から帰ると、だいたいクロが鳴きながら出迎えてくれる。
クロはそれから次の朝までは私やワイフの近くでウロウロしているが、我々が出かけて留守になると、1日の殆どを窓際でゴロゴロしながら過ごしているようだ。猿のこともあるし、裏庭の様子が気になっているのかもしれない。
猫の気持ちはよくわからないが、なんとなく窓際のクロが退屈しているように思えて、少し前から裏庭の適当な場所へ鳥の餌台を用意して餌付けをはじめた。
スズメくらいはすぐに集まってくるだろうと思っていたら、山鳩やカラスなど雑食の野鳥が集まって餌の取り合いが始まった。
鳥たちはよく餌台を見つけたものだと感心する。
人間が気づいていないだけで、彼らは空の何処かから我々の行動をシッカリと観察しているのだろう。それぞれの力関係で安全の距離を測りながら上手くやりくりをしている。
雨のやみ間に餌を補充しておいたら、気がつくとカタツムリが餌の上を這っていた。まさか、カタツムリまで鳥の餌を食べに来たわけでも無いだろうが、窓際のクロはその様子をクールに観察しているふうに見えた。
餌台のすぐ向こうでは葛の葉が目立ってきた。
今のうちに蔓を切っておかないと、しつこく庭木に絡みついて厄介なことになる。
7月になったら吉田家裏庭の整備を始めようと計画はしているが、まだ寺の草刈りも一区切りついていないし、容赦なく迫ってくる自然を相手に、それもだんだんと怪しくなってきた・・・

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ヤモリのシーズン 

2019/06/29
Sat. 23:11

琴引山がすっぽりと隠れて、雲が低い。
庫裏玄関の土間は昨日に増して露がタップリと張り付いている。
昼過ぎからは雨が本降りになる様子なので、午前中をつかって本堂の東側から駐車場にかけて草刈りを進めておくことにした。
大般若経転読会の前に境内のぐるりを整備しておいたのだが、その後ひと雨降るたびに刈り込んだ草がグイグイ伸びてキリがない。
草刈り機のグリップを握る右手がシビレてどうも調子が出ない。
混合油1回の給油でだいたい1時間はもつが、今は人間のボクの握力のほうが30分位しか持たない。休憩を1回入れて約1時間ほど草刈りをして、それから刈り倒した草を駐車場の隅へ集めたところで体力の限界が来た。
以前のような無理は出来ないということに少しずつ慣れてきた。

昼食に賞味期限2015年というかなり熟成された?年代物の素麺を一握りほど茹でた。
茹で上がるまでにインスタントのオニオンスープをお湯で溶かし、つけ汁は梅のり茶漬けをこれもお湯で溶かしておいた。
ワイフが持たせてくれたきんぴらとオカヒジキを取り皿に移して、茹で上がった素麺をどんぶりにすくい取った。
バックミュージックはAppleMusicからジャズのピアノ・バーにした。ちょうどダイアナ・クラールが気怠げに歌い始めたところだった。彼女は確かバークレーかジュリアードを卒業していたはずだ。アメリカはショービジネス業界の層が厚いといつも思う。

まだかろうじて雨が落ちていないから、工具や道具を湿気の少ない物置きに移動しておくことにした。
物置きは昔お風呂だったところで、まだホーローの浴槽が残っている。寺の風呂とトイレは、火事のリスクを避けるために庫裏から切り離して別棟になっていた。その後、ユニットバスに切り替えた時、庫裏の一角にあった物置きを風呂にして別棟の風呂を物置きにした。それで、今は物置きになった風呂の浴槽で彫刻の展示につかう玉石を保管している。他にも彫刻の工具や寺の営繕の道具などいろいろなものが物置きへ詰め込んであるが、少し太い杉の丸太も何かに使えないかと何本か一緒に入れてあって、ソレが場所をとっていたから移動していたら、杉皮の裏から隠れていたヤモリの子供が出てきた。

シーズンになると、物置きやトイレの窓へヤモリがどこからともなく現れて張り付いている。常夜灯代わりに電気をつけておいてやると、夜の虫たちが明るさにたかって、ヤモリはそれを食べている。
時々ヤモリをモチーフに小さな彫刻を造るから、造形の観察にも都合が良い。
まだ高校生だった頃、お盆で寺へ帰省するまで下宿の部屋でヤモリを飼っていたことがある。夕方に学校から帰ると部屋の電気をつけて30分位窓を開けておくと、ヤモリの餌たちが向こうから舞い込んでくる。ソレを生け捕りにしてヤモリの部屋(大きめのガラスコップ)へ入れておくと、次の朝には跡形もなくヤモリの腹へ収まっていると云う具合だ。
ヤモリはちいさな声で鳴く。それもまた可愛い。

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令和になって・・ 

2019/06/28
Fri. 15:49

令和元号になって初の台風が発生したとか接近するとか、朝の情報番組で言っていたような気もするが、あまり本気で聞かないまま吉田家を出発して銀山街道へ入ると、万善寺へ着くまで比較的激しい雨が降り続いた。
たぶん「台風の雨かもしれない」となんとなく思ったが、激しい風が吹くわけでもなく普通に梅雨らしいふうな様子だった。
寺の庫裏玄関へ入ると土間のたたきにビッシリと露が張り付いて、飽和状態に近い湿気がいっきに絡みついてきた。
屋内はひんやりとして特に蒸し暑いわけでもなくそれほど不快でも無いが、なんとなく肌が湿っぽいのですぐに首の装具を外した。
気圧の関係なのだろうか、右半身がだるくて指先までシビレがひどい。

本堂をひとまわりして、昨日に届いていた5尺塔婆を倉庫から運んだ。
自分が住職になってからは国内産のヒノキで製材した塔婆を奈良県の業者へ頼んでいたが、年々値段が上がってつい先ごろ調べた価格は初めて注文した頃の2倍を超えるまでになっていた。山寺の零細寺院ではとてもそれほどの投資は出来ないので止むを得ず他の業者を探すことにしたのが1週間ほど前のこと。
結局お檀家さんには悪いが背に腹は代えられないと、洋材を寄せ集めて板目に製材したB品を探し出して、それで手を打って発注を掛けた。梱包を解いて中身を確認すると、板目の塔婆にはそれこそ台風の目のような節が所々にあって、ヒノキ材とかなり差がついてしまった。これからは、塔婆用に年末まで500円貯金を工夫するしかなさそうだ。

急に風が出てきて縁側のガラス窓がうるさくなってきた。
境内の整備作業はとても無理そうなのでワイフから頼まれていたポスターの原稿を作ることにした。文字打ち程度のことだが、自分の思うようにいかないことばかりだからどうもヤル気になれない。
ワイフは、昔からデザイン仕事に慣れないところがあって、いまだに昔ながらの手描き切り貼りのアナログ原稿で業者さんとのやりとりをしている。
デザイン専用アプリが常識になっている最近は、かえって手造り感が濃厚に漂うデザインも新鮮に思えて自分としては「ソレはソレでアリかな・・」とも思う。時間と予算が充実すればできることだろうが、今の常識的印刷事情ではなかなかデザイナーの意思を汲み取った印刷物になるまでのことも難しいことだ。

塔婆もそうだし、印刷もそうだし、結局は「何をするにも金次第・・」ということなのだろうか?
そういえば、身体が不調の進行へシンクロするように、電動やエンジンの工具や道具が少しずつ増えている。
自分で気づかないまま自分の身体の不具合を機械でまかなおうという気になっているのかもしれない。
剪定用の電動ジグソーや、電動ノコ、エンジン草払い機にエンジンブロワー、充電式芝刈り機などなど・・・さて、自分の体力がどれだけお金で買えているのだろう??

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cool head 

2019/06/27
Thu. 15:11

朝のうちは、一日中吉田家ロフトに引きこもって休養をとろうと思っていたが、ワイフから「お昼ご飯よぉ〜!」の声がかかってからは、何もしないでいることがだんだんと落ち着かなくなってきて、ロフトの片付けなどをし始めたら止まらなくなった。
時々ネコチャンズが様子を見に階段を駆け上がってきてしばらくウロウロと見回りをして去っていく。

気がつくと右半身が重たく凝って指先のシビレが腕から肩にかけて広がっている。
それでまたしばらくゴロリと横になっていると、アレやコレや次のことが思い浮かんでジッとしていられない。ゴソゴソと起き出して、デスクトップをつついていると入院中に描きためて保存しておいたメモ素材が出てきたので、それを原稿に使えるまで加工しておくことにした。暇といえば暇だから、こういうときでないとなかなか本気になれない。いつもなら面倒が先に立って後回しにしているようなことだ。

メモ帳に筆ペンをつかって何本も線を描く。
これを1本ずつ画像で取り込んでコントラストなどの処理を済ませて保管しておけば、ポスターやチラシなどに使う線や面の素材にできる。
高価な画像編集ソフトなどを使えばこういう面倒もしなくてすむのだろうが、私の場合は原則としてお手軽無料アプリしか使わないから、たまに自力で素材作りをしながら作業効率を強化しているわけで、もう10年以上そういうことをコツコツと続けていると、ストックも溜まってそれなりに使い勝手も良くなっている。
ソレをつかって個展の彫刻を撮りためた写真をハガキにした。
文字も入院中にメモ帳へ書いておいたものだ。
日常の移動でも鞄には筆ペンが2本くらい忍ばせてあって、文字にしても素材にしても、それに彫刻原稿も、とにかく思いつくと筆ペンでメモをとる。
そういうことは、まぁ、都合の良い自分なりに現実逃避の手段ともいえる。

ノッチは最近ダーツにハマっている。
職場からの帰りに2〜3時間ほど一人でダーツを楽しんでいるらしい。都内で流行っているようで、なかなかの腕前だ。彼女の周辺の雑然とした日常の中で、心静かに無になれる貴重なひとときになっているのかも知れない。
夕食の後は近所のジムへ通い始めたようだし、ひと頃は、連日飲み歩いていたほどの彼女も、自分の健康を見つめ直すようになったのだろうか?それともノッチなりの現実逃避の手段になっているということなのだろうか?

一人で楽しめるゲームスポーツというと、私のころは歌舞伎町に空気銃の射撃場があって、一時期は頻繁に通っていた。そこからすぐの西武新宿駅近くの路地には地下一階に小劇場があって、結構メジャーな俳優や女優さんがマニアックで前衛な一人芝居や朗読などをしていた。
今度ノッチに逢ったらダーツを教えてもらおうかな・・・
右手のシビレはそのまま残っているだろうけど、ソレは仕方がないね・・・

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ボクはおとうさん 

2019/06/26
Wed. 17:46

このところ万善寺業務が続いて流石に疲れがとれないし右腕のシビレがひどくなる一方だったから、単身赴任を切り上げて吉田家帰った。
駐車場で銀くんを降りると、土間の格子戸の向こうでクロが甘ったるい声で鳴きながら出迎えてくれた。

ワイフは台所でなにかしていて、シロは猫タワーでのんびりとくつろいでいた。
グッピーの家族も劣悪な環境にもめげないで小さな子供がいっぱい生まれていた。
テーブルには読みかけの新聞が広げられていて、そのとなりに飲みかけのコーヒーカップが置いてある。
テレビがリビングに向かって一人でしゃべり続けている。
寺暮らしでは新聞もないしテレビも見ないから、久しぶりに吉田家の日常へ引き戻された感じだ。

しばらく前に吉田家のファミリーLINEで「父の日」ネタが飛び交っていた。
そもそも、父である自分自身がいつが「父の日」だったのか分からないでいるくらいだから、三姉妹を中心にしてお父さんをネタにしてもらえるだけでありがたいことだ。
まだ入院中だったときに「キーちゃんと一緒に探して、これに決めたの。お店のオリジナルよ!」と、退院したらこれをかぶれとキーポンからの父の日プレゼントを東京帰りのワイフが手渡ししてくれていた。そのハンチングはけっこう派手で目立つ柄に見えたから、病院内でかぶるのは少し勇気がいると思ったが、それからしばらくして退院してから後は普通に朝夕の通勤坊主で愛用させてもらっている。そのハンチングと首に巻いた装具のスタイルはかなりのインパクトがあるようで、銀山街道の拡張工事で片側通行の信号待ちをしていたりすると、すれ違う車のドライバーがよく二度見している。
ノッチは正確に当日のLINEで感謝をしてくれた。おとうさんとしては特にこれといってノッチになにかしているわけでもないからどこかしら恥ずかしくもあったが素直に嬉しかった。
それからずいぶん日が経って、なっちゃんがユーシン君の写真を送ってくれた。彼女は子育ての忙しさで父の日のことをコロッと忘れていたようだ。
いずれにしても、おとうさんとしては、自分の娘達の気遣いが素直に嬉しい。みんな立派に育ってくれた。
じゅんくんは家族LINEに何か書いていただろうか?・・・どうもはっきりと思い出せない。まぁ自分も、母の日はワイフが気を利かせてくれた花をあげたりしてそれなりに母親のケアはしていた気もするが、父の日に改まって父親へなにかしたような覚えもないし、男はそのくらいで良い気もする。
そうそう「私はあなたの子供じゃないからネ!」と、ワイフは例の調子で知らんふりをしていたが、それでもさり気なくその日の夕食にボクの好物を揃えてくれていたりして、ジワリと嬉しかったりする。

こうして、1日中自宅から一歩も外へ出ないで過ごしたことは退院した次の日以来だと思う。つくづく無理のできない身体になったものだと今更ながらに感じた。

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お不動さまと鮎 

2019/06/25
Tue. 14:58

右手のシビレが疼いてなかなか眠れなかった。
飯南高原の夜はけっこう冷え込んで、夏ふとんがおぼつかないほどだ。
なんとなく上手く眠れないまま朝になった。
スズメたちが騒がしくて目が覚めてから、朝食代わりの野菜ジュースをコップ一杯飲んで早朝の万善寺を一回り巡回した。そうしていると毎晩フギャフギャ鳴きながら吉田家の夜回りをしているクロを思い出した。

2日ほど前から2泊3日の単身赴任で万善寺暮らしが続いている。
3日目は飯南高原のハズレにお住まいの施主さんが一人でお守りされているお不動さんの祈念供養で出かけた。
先代住職の頃から続いている供養を私が引き継いでから、もう20年近くになる。
すでに代替わりをして、その後ご主人も早くに亡くなって、今は残されたご高齢の奥さんがお守りしていらっしゃるが、どういう経緯でお不動さんをお祀りになられたのか今の奥さんではよくわからないようだ。それでも「昔からあの場所へお不動さんがお祀りしてありましたけぇ〜ねぇ〜」ということで、一年に一度ほど春の時期にお経を読んでくれと連絡が入る。今年は、私の入院があったから6月の今の時期にしてもらった。
ご自宅の裏山の山道を登った途中に広がる竹林の中の小さな平地へぽつんと安座されてあるお不動様のお堂も、次の代替わりからあとは今の状態がどこまで維持されていくかは微妙なところだ。ひとまずは、万善寺へ声がかかる間はなんとかして小さなお堂まで山道を登り続けようと覚悟はできている。

万善寺から出雲街道を南下して、途中から銀山街道へ曲がる。その銀山街道を少し走ってひと山越えた次の谷へ入ると渓流に沿って付かず離れず続く道を江の川の本流方面へしばらく下ったあたりにお不動様安座の施主家がある。
渓流は中国山地の島根県側の麓から北へ向かって流れ下っていて昔は江の川の鮎が渓流のかなり上流までのぼっていた。施主家から3kmほど下ったあたりの渓流脇に鉱泉が湧いていて、その源泉を引いた沸湯の湯治旅館が道の脇へ一軒ほどあった。旅館のすぐ下を流れる渓流にはシーズンになると鮎の釣り人がやってきて、彼らはその旅館で泊まりながら鮎釣りをし、夜は釣った鮎をご主人の料理で鮎づくしにして一杯!・・・という贅沢な行楽でそれなりに賑わって、知る人ぞ知る名所にもなっていた。

先代住職の憲正さんは温泉好きの趣味人でもあったから、お盆の多忙が少し落ち着いた頃になるとその旅館へ予約を入れて、私やワイフやまだ小さかった孫たちも誘って1泊2日で湯に浸かり鮎三昧の慰労会をしていた。ワイフは川魚が苦手で鮎が食べにくそうにしていたし、癖っぽい鮎が孫たちの口に合うわけもなく、憲正さんと私の前には鮎の各種料理がズラリと並んでついつい酒が進んだ。ボク的に今は良い思い出になっている。

その旅館はご主人のヘルニヤが悪化したからという理由でずいぶん前に廃業した。鉱泉の源泉は今でも湧いていて、趣のある旅館の佇まいもそのままで残っているが、代替わりをした後、旅館業を再開することはなかった。お不動様のお経を済ませたあと、その元旅館の少し先にある同宗のお寺へ用事を済ませた。

アッという間に3ヶ月が過ぎた。右手のシビレは特に大きな改善もないまま続いている。

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仏様のいろいろ 

2019/06/24
Mon. 18:41

早いもので隣町にある同宗寺院のご住職が遷化されて三回忌が巡ってきた。
宗門では三回忌のことを「大祥忌」という。坊主の間では普通に日常会話でその意味が通じているが、一般の檀信徒のみなさんにとっては聞き慣れない言葉だから、追善法要のときは一般に対して「大祥三回忌」などと丁寧にお話ししているが、さて、そのようにしてもお参りの檀信徒の皆様方にどれほど理解できているか・・・私個人としては微妙なふうに思える。

現職の住職が亡くなったのだから、年回の法要も内輪で簡単に済ますわけにもいかない窮屈なところもあって、法要を円滑に進めるために最低でも10人チョットの方丈様方が配役参集される。
私も、万善寺住職として随喜することになるが、数年前に腰から下の膝やくるぶしの関節が曲がらなくなってまともに正座や三拝もできないし、身体の不具合が法要の邪魔になることばかりになったから、それでもなんとか一役こなせる程度のコトをさせてもらって許してもらっている。それで現住職のお考えもあって、そのお寺でこの度のような規模の法要がある時はだいたい司会を務めることになっている。
坊主の間で通用する仏教用語でも、一般にはわかりにくいこともあるし、そもそも、法要の中で誰が何をしているのか、どんなお経を読むのか、方丈様方の色々な動作にどういう意味があるのか、参列の皆さんはどのように立ち居振る舞わなければいけないのか、よくわからないことがたくさんあるから、法要の流れに沿ってそれらをわかりやすく解説していくというのが、司会の主な役割になる。ドタバタと動く必要もないし、本堂の片隅のじゃまにならないところで静かに気配を消して喋っていればなんとか一役務まるから、万善寺方丈にはソコソコ適役であるとは思う・・・が、そもそも大勢を相手に一人で喋り続けるということに慣れないから結局ソレも適役とはいい難いところでもあって、ようするに、現ご住職には失礼なことだが、何かもっともらしい口実を付けてどこかの方丈様へ香資を託して「トンズラしたい!」というのが本心だ。

時期的には梅雨に入って雨が降ってもおかしくないが、朝から良い天気でそのわりに暑いわけでもなく、過ごしやすい一日になった。
お寺へ着くと既にお檀家の役員方が参集され、おおよそ準備が整っていた。
前夜に大急ぎでまとめたプリントを渡して、法要開始までの手持ち無沙汰な時間の場繋ぎにしてもらった。こういう機会に少しほど本気になって仏教の常識を再確認してもらうことも大事だし、何よりこれから暫くの間は万善寺の法事で説教代わりの小ネタに使えるから自分にとっても都合がいい。
退院したときに自分への良く頑張ったご褒美で買ったiPad mini5が便利に活躍した。
今までアナログ原稿から始めていたコトが、iPad mini5とApple Pencilだけで特に専用のアプリが必要でもなく簡単にできるようになった。とても2〜3時間でできることでもなかったものが、手間数としては3〜4工程は省くことができて、ナッツを口とりに冷酒をチビチビやりながら原稿を書いて、午前0時過ぎにはプリントまで終わった。
それでも、首から方にかけて負担が大きかったのだろう、寝てるときから右手がひどく痺れて、それから法要の最中も我慢が難しいほど疼いた。

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浄土寺大祥忌法要配布 (1)

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銀くんはミッション 

2019/06/23
Sun. 19:52

万善寺本堂でお檀家さんの法事をした。
お檀家さんが菩提寺へお参りをして法事をおこなうというと、山寺の万善寺としては殆ど無いほどに珍しい。
だいたいが法事の日取りが決まったら、事前に塔婆を書くなどの準備をして坊主の方からお檀家さんのお宅を訪問する。御本尊様と一緒にその家のご先祖様をお祀りしてあるお仏壇に向かって、法事に該当の御位牌を中央に安座して、お経を読む・・・という、そういう流れで法事が始まるのだが、1年のうちには時々この度のように檀家さんの方からお寺へお参りをして法事をされるところも無いわけではない。

市街地ではこういう形式の年回や供養法事が一般的になりつつあるようだが、万善寺住職的に云うとそれはあくまでも略式の法事であると考えている。
最近は、ひとの生き死にというと、生まれるときも死ぬときも病院から始まって病院で終わることが当たり前になってきた。私個人としては生家で産婆さんのお世話になって産湯を使い、長年愛着のある自宅の畳の上で死にたいものだと古臭いことを思っている。正純和尚も万善寺の庫裏のひと部屋で産声をあげた。さて、死ぬときはどうなることやら・・

そんなわけで、いまひとつ落ち着かない余所行きの法事を午前中でサクッと済ませ、ひと心地ついてから飯南高原に点在のお檀家さんをグルッと一周配りものをして回った。
3時間弱かかって走行距離60km。銀くんの乗り降りを繰り返しながら戸別訪問でポストに配りものを投げ込みながら弱った足腰を酷使していたら、寺の庫裏玄関にたどり着いたときは膝がいまいち上がりにくくなっていて、高くもなんともない敷居につまづいてひっくり返りそうになった。それで思わず踏ん張った膝の具合がそれからどうも思わしくなくて鈍い痛みが続いている。

そういえば、広島の百ヶ日では往復250kmを走破した。首をかばいながら2日間で300km以上を走ったことになる。昨年の異常寒波が終わった春先に結界くんから乗り換えた銀くんは、1年の間に3万km走った。島根県山間部を拠点に活動していると車は自分の足がわりの必需品で無くてはならない大事な道具の一つになっている。
最近、各種メディアがしつこく食いついている高齢者の人身事故は、今の自分にとって他人事で割り切ることのできない切実な問題として眼前にぶら下がっている。
幸か不幸か、万善寺の変に癖っぽくねじれて曲がった急な参道の御蔭で銀くんはミッション。上り坂の途中でサイドブレーキを駆使して坂道発進したりして、なかなかハイレベルな運転技術が必要になるが、そこまでしても冬になって雪が降ると参道が登れなくなる。
ミッションは操作を失敗するとエンストして動かないから、ある意味同じ操作ミスでも高齢者にとってはかえって安全な車であるような気もする。適度な運転ストレスがあってとことん優しすぎない所が良い。
近い将来、銀くんの操作もおぼつかなくなる日が必ずやってくる。仕方のないことだが、車が勝手に動いて走る狂気と化して人身事故を起こすよりはマシだとあきらめも付く。
今のうちから、「畳の上で元気に死のう!」を目標に「ひきこもりジジイの楽しい暮らし」なるネタを、けっこう本気であれこれ考えはじめている。

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Hello Sunshine 

2019/06/22
Sat. 13:45

早いもので、百余歳の長寿を全うされて大往生されたお婆さんの百ヶ日が巡ってきた。
四十九日の法要をすませてすぐに入院したから、時空を超えてタイムスリップしたようなヘンな気持ちだ。

銀山街道のアチコチに満開の栗の花を見ながら万善寺へ着いた。
島根の方ではだいたい梅雨に入る少し前くらいから栗の花が咲き始めて、ソレが散り始めると雨が本格的に降り始める。少し前までは梅雨の目安にもなっていたが、この近年は天候の異常が常態化して予測も当てにならなくなった。
法事に必要な仏具を用意して予め書いておいた卒哭忌塔婆と一緒に銀くんへ積み込んで、それから首の装具を締め直して装着具合を確認した。

百ヶ日の施主家は広島県の太田川沿いにある。
寺からは中国山地を越えて途中江の川を見ながらひたすら国道を南下する。
退院してからはじめての本格的な長距離ドライブになる。途中で体調の不具合がないわけでもないから、少し時間の余裕をもっていつもより早めに出発した。
飯南高原の上空は雲が広がって、何時雨になってもおかしくない感じだったが県境を超えたあたりからしだいに青空が広がってこの時期には珍しいほどの夏の日差しに変わった。
2・3日前には梅雨起こしのような雷が鳴ってスコールのような土砂降りが断続的に続いていて、広島市内では局地的に避難指示まで発令されていた。
その時の雨をタップリ吸い込んでいた地面から強烈な日差して暖められて蒸発した水分が舞い上がっているのだろう、急に蒸し暑くなって首の装具が汗じみてきて不快だ。

道中の耳のお供用に、キーポンからお下がりでもらったiPhone5sにドライブのバックミュージックを更新した。入院が決まったときに更新してから久しぶりだ。
今年は、春先からオヤジ好みの新譜アルバムのリリースが続いていて目が話せない。
Backstreet BoysのDNAはドライブにピッタリだ。彼らもなかなか良いオヤジになって風格が漂い始めた。大御所のBoz Scaggsもグレートヒッツアルバムが出た。久しぶりのJojoが懐かしい。鬱陶しい梅雨にはShaggyもいい。これから夏にかけて僕の耳のお供には欠かせない。Shaggyというと、あのStingと一緒のアルバムも夏シーズンにはよく聴く。
あれこれとチェックしていたらジャーニーがあった。スティーブ・ペリーの声がいい。
まぁ色々あるが、結局は自分と似たり寄ったりのオヤジミュージシャンが元気に頑張ってクオリティの高い新譜アルバムをリリースし続けているということがボクの励みになっている。「クリエイティブな世界にリタイヤはないのだ!」と実感することが彫刻制作のヤル気につながっている。
YouTubeでBruce Springsteenの新譜から先行配信を見つけた。なんとなく、昔のウッドストックとかニューシネマとかヒッピーにつながるような気がした。なんの脈絡もなくふとアーロ・ガスリーの「アリスのレストラン」を思い出した。ワーゲンのバンがやたらとカッコ良かった。

夕方の飯南高原は曇り空でBruce Springsteenの「Hello Sunshine」がピッタリだった。

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大般若経諸願成就如意吉祥 

2019/06/21
Fri. 11:40

島根県の山間部に点在する禅宗寺院では春の祈念法要で大般若経転読会が厳修される。
大般若会は、特に春の法要として決まっているわけでもないと思うが、万善寺の周辺では昔からそういう事になっていた。
ところが、何故か万善寺だけは夏のお盆過ぎに大般若経転読会を行っていた。
お盆はだいたいどの寺院も棚経をしていて、檀家が多いところは約1ヶ月の間に500軒ほどの棚経をつとめながら、施餓鬼法要や施食会の手間替え随喜をすることになるから、その上に万善寺の大般若経会となると、もう方丈様方は体力を使い果たして声もまともに出ないほどヨレヨレに疲れ切っていらっしゃる。それでも、みなさんがまだ若かった頃はなんとか最後の力を振り絞って法要へお付き合いをしていただいたのだが、年々歳をとって身体が思うように動かなくなり始めると、いよいよ随喜の負担が増して見るからに辛そうな様子が伝わってくる。
住職のボクとしては見て見ぬふりでいられることの限界を感じ始めていたのだが、前住職の健在なうちは長い間の年中行事を気軽に変更することもはばかられて粛々と例年の習わしをそのままにつとめあげていた。

前住職の永眠から数年の間は悩み迷っていたが、三回忌が終わったところで「そうだ!憲正さんの祥月命日に大般若経転読会を厳修したらどうだろう・・」と思いついて役員の皆さんに了解を図って随喜寺院方へその旨を伝えた。
それから万善寺の大般若経転読会も夏から春の法要に仲間入りして今に至っている。
おかげさまで、寺院方には夏に比べると身体の負担も軽くなって比較的楽なおつとめになったようだ。
その、万善寺大般若経転読会が先ごろ行われた。
住職が導師をつとめることになるから大衣に着替えたところで首の装具もはずした。
もうかれこれ2ヶ月ほど首に装具を巻き付けた状態で暮らしていると、頭を支える首の筋肉が痩せ細ってなんともみすぼらしい様子になっている。親譲りのなで肩体型も加わると大衣に掛けた袈裟がすぐにずり落ちてだらし無く貧相極まりない。その上、頭の重さを支える都合で肩はこるし、腕から指先にかけて残っているシビレはひどくなっていくし、法要が終わって塔婆回向もすんでお参りのみなさんも帰られた後は、本堂から庫裏から後始末で立ち歩くのもやっとだった。
まぁ、当分の間はあまり無理をしないようにボツボツと身体を慣らしていくしかなさそうだ。

春の展覧会から帰ってきていた小さな彫刻が梱包されたままであったから、法要に合わせて庫裏のディスプレイで使うことにした。
自分で勝手に満足する程度のことだが、こうして自分が造った彫刻を触っていると身体の不具合のこともその間は忘れていられる。
この彫刻のシリーズは十三佛がモチーフになっている。個展の連作で造り始めていたものだが、腕のシビレがひどくなってその後手術になったりして、あと10体のパーツを残したまま制作が止まっている。握力も少しずつ戻り始めているし、様子を見ながら制作を再開しようと思う。

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手紙 

2019/06/20
Thu. 11:05

最近は1日が「アッ!」という間に過ぎてしまって、夕食が終わったらすぐに眠くなる。
朝はオシッコで目が覚めるとそのままベッドメイキングなどして銀くんへ飛び乗って万善寺へ直行する・・・
退院してから1ヶ月の間、そういう毎日が繰り返されている。

東京の日本橋三越で個展をする彫刻家から案内状が届いた。島根からだと遠くだからなかなか会場まで行けないだろうと気を利かせて図録が同封されていた。
まだ体調が万全でないまま寺のことで落ち着かない毎日が過ぎているから、彫刻の制作が始められるのはもうしばらく後になりそうだが、こうして、彫刻絡みの情報が入ってくると、なんとなく気持ちがそちらの方へ振られて身体がうずいてくる。彫刻のコトで気持ちが少し晴れたし、せっかくだから自分の近況報告も兼ねて久しぶりに手紙を書いた。
最近は、何かと言うと各種SNSなどで簡単に情報交換ができてしまう。しばらくその便利さにパクリと食いついていた時期もあったが、せいぜい、家族親族くらいな最小のコミュニティーで機能していればそれでいいふうに思うようになって、そのうちなんとなく味気なくなって、その種の類から気持ちがソレて縁遠くなった・・・

○○さんお久しぶりです。
彫刻個展のご案内ありがとうございます。
今年は、春に上京できなかったのでなんとか観に行きたいという気もしましたが、やはり何かと不都合があって残念ですが断念するしかなさそうです。
一応、関東在住の三姉妹には連絡しておこうと思います。気が向けば観に行ってくれるかもしれません。
長女は東川口にマンションを購入して埼玉県人になりました。一ヶ月ほど前に長男が生まれて私は名実ともにおじいちゃんになりました。次女も先日「わたし告白されたの♡!今、運気上昇中なのよ!!」といっていました。三女は勤務先の保育園で小さな男の子から毎日のように告白されたりデートに誘われたりしているようです。

さて吉田の方は、退院はできたものの、入院中の5週間の仕事の空白がかなり厳しくて、その埋め合わせで毎日がアッという間に過ぎています。体力が思うように回復しなくて30分動いて2時間休憩したりなどしていると、予定の用事が遅々として進まないまま気がつけば夜になっています。これだけ用事に追いかけられていることは今までの自分の人生で記憶にありません。還暦を過ぎてあとは残された人生を慎ましくのんびりと過ごしていこうと思っていたのに想定外のことになってしまいました。今までの怠けていたツケが今頃になって回ってきたのかも知れません。

ワイフが図録を観て「これほしい!!」といっていました。
「ほしかったら自分で資金ためてくださいね!」と念押ししておきました。まぁ、○○さんのことだから妖艶な熟女のファンが殺到して一瞬で完売するでしょうけど・・・
奥様を始め、ご家族の皆様によろしくお伝えください。
展覧会のご盛況を万善寺御本尊の千手千眼観世音菩薩様へ祈念しておきます!

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2019-06