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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

告別式の朝 

2019/07/29
Mon. 23:17

万善寺では、お葬式ができると大量の書物をする。

数年前まで葬儀旗は、最低8枚書いていたが、JA葬祭が葬儀を仕切ることが増えてから、本部の地域事情を踏襲して少しずつ枚数が減り、やがて「葬儀旗はあまり必要とされないところがほとんどなものですから・・・どうしても無いと困るということでしたら別に作って用意させていただきますがいかがでしょう??」などと事前に担当さんから喪主さんへ伝えられていたりして「JAさんがそのようにおっしゃるものですから、略式でお願いできれば助かるのですが・・」と、喪主さんの方から言ってこられると「ハイ、それではそういうことで・・・」とお返事するしか無いことになって、結局最近は暗黙のうちに割愛されることがほとんどになってしまって、この度もそうなった。

七本塔婆は、お葬式の開蓮忌塔婆とは別に初七日から始まって四十九日の7日間分を書くのだが、万善寺の場合は最後の四十九日大練忌塔婆と開蓮忌塔婆の2枚は5尺か6尺塔婆を使うことにしているから、厳密には六本の塔婆を書いている。

六道さんは、俗にいう六地蔵のことで、昔は六枚の板が用意されていたがその後簡略されて今では一枚の板にノコ刃のような6つの山形を切り出したものに変わった。

白木のお位牌さんは、喪主家によって2基書く場合と1基で済ませる場合がある。細かく云えばそれぞれに意味があるが、葬祭告別式の様式上で何時の頃からかそういう習わしが定着してきたもので、坊主的には1基あれば用が足りるから、私の場合はだいたい1基書いて済ますことにしている。

他にも、如来十号とか剃髪偈とかとにかく枕経から通夜葬儀とリミットのある書物ばかりが続く。
大小の塔婆にしてもお位牌にしても、一つ一つすべてがお金だから書き損じが許されない。慎重に気遣いながら短時間で書き上げると、普通の健康体でもドッと疲労がたまる。
頚椎のこともあって右半身へシビレが続いているから、長い間筆先に集中することが難しくなった。それに塔婆は野外で野ざらしになるから墨汁だと雨に流れて字がなくなる。
そんな感じで、しばらくぶりのお葬式が出来てシビレをダマシダマシ墨をすって筆を使ったせいか、夜になって引導を考えるようになってからは、首筋から肩にかけて重たい砂袋が乗っているみたいになって、身体が思うように動かなくて頭の思考力も鈍ってきた。

引導香語の良し悪しで葬儀告別式で参列の皆さんの緊張感が変わる。
通夜は思ったより夜の虫も少なくて涼しかったし衣が苦にならなかった。
葬儀告別式の朝、8時前には温度計が27度まで上がっていた。襦袢へ白衣を重ね着しているだけで汗がにじみ出てくる。過酷な告別式になりそうな気もするが、唯一の救いは葬祭開場に使用されることになった自治会館は標高が高くて涼しい場所にあること。
100才に迫るほど長生きされて大往生のおばあさんを遺漏なくお見送りしなければいけない。めったにない久しぶりのお葬式でチキン坊主は少々緊張しております・・・

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寒山拾得 

2019/07/28
Sun. 23:25

飯南高原は朝から30度近くまで気温が上昇して猛烈に暑くなった。
今年はひと頃のような梅雨らしい梅雨で長雨が続いたから、高原では珍しいほどの蒸し暑さだ。

朝の用事が一通り終わったのを予測したように洗濯機のブザーがなった。
洗濯物を干し終わってから何もする気になれなくてコーヒーをチビチビやりながらブログネタのメモを流し見していたら、玄関の訪問チャイムが鳴った。近所の人はチャイムを鳴らすことなど無いから、少し緊張して、急いでリーバイスを履いた。

この時期の寺ぐらしは、いつも朝のひと仕事が終わるとシャツにパンツ一丁でいて、隣近所の付き合いはだいたいソレで乗り切っている。
先代夫婦やワイフがいたりするとモッテノホカのだらしない事と絶対に出来ないことだが「見た目ばかり気にしても中身がなければしょぉ〜がない」という、身勝手な持論を駆使してここ数年を乗り切っていたら、一部決まった常連訪問者の間では特に気にされる様子も見えなくなってきたところだ。もっとも、あとになって誰かが何処かでどんなコトを言いふらしているかまではわからないけどね・・・
昔の文献をチェックすると、寒山拾得羅漢尊者などなど、今の時代よりずいぶん涼しくて過ごしやすかっただろう百年千年昔で、無精極まりないスタイルの絵画彫刻の逸品をよく見かけるし、堂々と正直に「暑い時は暑いなりの過ごしようもあるのだ!」と、私のような偏屈のだらしない坊主が一人くらいいてもいいだろうと判断して実践しているわけであります。

閑話休題・・・

訪問者は、大万木山の麓にあるお檀家さんだった。
「おばあさんが、亡くなりまして・・・」
病院から直接寺へ寄った様子だった。
「ソレはご愁傷さまのことです・・・何か、ご心配でもありましたらお聞きしましょうか・・」
おばあさんは行年98才の大往生であった。眠るように亡くなったという。
「ご遺体がご自宅へお帰りになりましたら連絡してください。枕経をおつとめにお伺いしますので」
それから、必要なものをアレコレ準備して待機していると、夕方になって連絡がきた。
そのお檀家さんの先は大万木山へ続く林道になっていて、その林道を少し登るとレストランを兼ねた研修施設がある。其処を過ぎてしばらく行くとブナ林がはじまる。ブナの木はある程度の高山でないと生息しないから、標高450mあたりの万善寺周辺にブナ林はない。それだけこのたびのお檀家さんのご住居が標高の高いところにあるわけで、枕経を読んでいる間も、ヒンヤリと爽やかで涼しい風が心地よかった。
「これだけ涼しいとエアコンはいらないな・・・」
おばあさんは、とてもおだやかな寝顔でやすらかにお休みされていた。

辻晋堂 作 寒山拾得
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家族の距離 

2019/07/27
Sat. 23:36

娘たちから相次いで近況報告があった。
最近は、離散した家族のコミュニケーション手段もずいぶんとハードルが下がって、すぐ隣近所に住み暮らしているような気になってしまう。
ボクを中心にして距離の近い順から云うと・・・←なっちゃん←キーポン←ワイフ←ノッチ←←←じゅん君・・・という感じだろうか・・・

なっちゃんは、4月に長男が生まれて子育て真っ最中!
息子の毎日の成長の変化が楽しくてしょうがないようで、育児ノイローゼとは無縁の日々をマメに家族LINEへ更新し続けている。
ユーシン君も最近は寝返りをするようになって、だんだん上手にできるようになってきたから、動画を公開することが増えてきた。

キーポンは、保育園の担任をしていて、今のクラスや昨年のクラスの子供達の様子をマメに報告してくれる。
毎日預かっている子供たちのご飯やお昼寝にお散歩やウンコシッコの世話までしていると、何かと大変ではあるだろうがその分「情」が移って可愛くて仕方がないようだ。
その日に面白いことや楽しいネタがあると、1日の仕事が終わって最寄り駅で下車してから帰宅する10分間を使ってお父さんへLINE電話してくれる。

現在石見銀山で二人暮らしのワイフとは、通勤坊主で帰宅する度にそれなりに当たり障りのない会話をしているつもりだが、それでも1日のうちに彼女と同じ時間を過ごしているのは夕食前後のせいぜい2〜3時間程度のことだと思う。
万善寺の経営維持管理を私一人でするようになってからは、石見銀山のことすべてをワイフへ任せてしまっている。彼女は特に表面上嫌がりもせずにそれらを引き受けてくれていて、地域の信頼も厚く、名刺にすると片面だけでは足らないほどのいろいろな役職を一人でこなしている。東京出身の彼女がここまで島根に根付いているということはすごいことだと思う。

マイペースに暮らしているノッチは、それなりにお父さんとの距離も離れている。だからといって疎遠であるわけでもなく、適度に情報を流してくれているし、ある意味で絶妙な距離感が維持できている。
さいきんは、80歳を越えて一人暮らしの怜子おばあちゃんに付き合ってくれていて、一緒にジム通いもしているようだ。
彼女の人生で4年位は国外で暮らしているし、私など足元にも及ばないほど社会の事情をわきまえてクールに乗り切っている。これで、男運が良くなれば幸せな人生を送れるだろうけど、そればかりは本人のめぐり合わせでもあるからオヤジは静観するしかない。

長かった隠岐の暮らしが終わって、この春から本土に帰ったじゅん君は、距離から云うと吉田家の一番近くで暮らしている。それでも、会話というか意思の疎通というか、そのあたりのことになるとオヤジとの距離は遠い。まぁ、ボクも昔はそうだったけどね・・・

ユーシン君の足
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キーポンとユーシン君
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ノッチは沖縄を満喫
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怜子さんとジム帰りにお祭り見物
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レプリカント 

2019/07/26
Fri. 23:58

なんとなく夜眠れないのでイジイジしていたら、私の気配を察したのかクロがでかい声で鳴き始めた。しばらくしてロフトへの階段を登る足音が聞こえてきて、それからすぐ耳元で「ニャァー!」と鳴いた。
わざと足音をたてて階段を登って来るような時は、だいたいメシの催促だ。
メシのことなら1階のリビングのすぐ隣で寝ているワイフのほうがずっと近くて都合が良いだろうに、クロは夜中のことになるとなぜか私を名指しで起こしに来る。
仕方なく起き上がると、クルリともと来た階段へ向き直って私が来るのを待っている。自分から先にたってスタスタと空っぽになった器の前まで行って猫座りすると、無表情な視線を合わせてくる。まったく、真夜中に人間をアゴで使っているふうでムッとくる。そのまま素直にクロの言うことを聞くのもシャクなので、先にオシッコをしてフェイントをかけてやる。トイレから出ると、ちゃっかりシロがクロと並んで待っている。こういうネコチャンズの行動をみていると、ワイフとボクの夫婦関係が何気にリサーチされて、夫婦の力関係をコピーされているように思えて益々シャクにさわる。
結局、今夜もワイフは寝たままで起きてこなかった・・・

完全に覚醒してしまった時は、無理に寝ようと思わないで映画を観ることにしている。面白ければ最後まで観終わるし、退屈すると途中で知らない間に寝てしまっているし、どちらにしても真夜中の2時間程度はすぐに過ぎてしまう。
AmazonPrimeでブレードランナーファイナルカットを観た。
ブレードランナーは確かバージョンが3つあったはずだ。
東京から島根にUターンして2年目くらいだったかに当時の劇場公開版がビデオになった。
あの頃はまだキネマ旬報を購読していたから、監督はあのエイリアンのリドリー・スコットだし、主演はハリソン・フォードだし、ブレードランナーのデータを読み漁って期待と妄想で脳みそがとろけそうになっていた。
今でこそ島根もTジョイシネマが増えて話題の映画はだいたい封切りで回ってくるが、35年前のあの頃の島根は老朽化した昭和の映画館が次々と廃業していて、ちょっとマイナーな封切りを観るには米子か広島へ出かけるしかなかったから、ブレードランナーを観るのも、ビデオのレンタルを待つしかなかった。
それで、劇場公開版だが、あとになってディレクターズカット版やファイナルカット版を見比べてみると、リドリー・スコットさんのブレードランナーに対する形而上的熱量の高さがストーリーの抽象性に昇華して、映像を通した視覚的芸術表現のレベルがより高くなっているふうに思えた。劇場公開版は大衆娯楽映画的位置づけが強かったから、それではリドリー・スコットさんの目指そうとしていた映画芸術としての着地点は望めなかっただろう。いずれにしても、観る人の価値観の問題だから商業映画としての良し悪しの判断は大衆社会へゆだねるしか無いことだろう。
2019年秋のロサンゼルスが映画の舞台になっている。現実では今年の秋のこと・・・改めて、いろいろと考えさせられる映画だった。
目が冴えて寝不足のまま目が覚めた朝、レプリカントのリーダー役で強烈に印象深かったルトガー・ハウアーさんの訃報を知った。偶然とは思えないことだ。
ボクにとっては今まで以上に、より一層忘れられない映画の一つになった・・・

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言い次 

2019/07/25
Thu. 23:15

島根県の梅雨明けはまだのはずなのに、琴引山から雲が切れて青空がチラチラと覗き始めたら、一気に蒸し暑くなった。
飯南高原は「もう梅雨明けと云ってもいいだろう」と勝手に自分でそう決めた。

いつものように寺の朝の用事を一通りすませてコーヒーを入れていたら保賀の班長さんから電話が入った。
「うっかりしとりましたが、今度の日曜日は草刈りの日になっとりますけぇ〜。都合がつくようならでてくださいやぁ〜・・・朝の7時半に会館へ集合ということですけぇ〜」
そういえば、2・3日前に班長さんからの着信があった。丁度その時はすぐに電話へ出られなかったから後でかけ直したのだが、今度は班長さんの方が電話へ出なくてそれっきりになっていた。急ぎの用事なら返信があるだろうとそのままにしておいたのだが、きっと草刈りの言い次だったのだろう。

電話帳へ載っている万善寺の電話番号は、もう10年近く前からFAX専用にして電話回線から電話機を取り外してしまった。
理由は2つあって、まだ健在だった両親の電話番に少しずつ不具合が生じてきたことと、迷惑電話や詐欺電話が激増したこと。
当初、両親とも自分ではまだ昔のようにシッカリと電話番の寺務が出来ていると確信しているふうだったが、住職業を引き継いだ自分としては寺務に限らず自治会の付き合いの細かなことまでコトの整合性をいちいち確認しながら二度手間を繰り返すことが増えてきて、これではそのうち必ず「アチコチへ迷惑をかける事になるから」と事あるごとに「電話に出なくてもいいからね・・」とヤンワリ云い続けていたのだが、なかなかすぐに納得してもらえないまま時が過ぎ・・・その間に幾つかの失敗もあり、しかし両親ともソレが自分のせいであることを認めること無く、何かしらアレコレ言い訳をしてくるし、やがてソレが頻繁になり、電話の相手も何気なく「アレッ?チョットオカシイぞ??」と気づき始め、そのうちダイレクトに私宛に連絡が来るようになり「ヤレヤレ少し楽になった・・」と思っていたら、今度はサプリメントだとか羽毛布団だとか健康食品だとか、そういうタグイの迷惑電話がかかってきて、延々とその悪質業者の話を聞いてそのうち質問やらしはじめて会話が終わらなくなって、気がつくと私のことやワイフの話まで始まったりしてマンマと業者の術中へハマって個人情報を垂れ流していたりするものだから「コレはもう限界だ!」と途中から会話好きの母親の手から電話をもぎ取って悪質業者の「住所と電話番号を教えてもらえますか?チョット母親と相談して改めてこちらから電話させてもらいますから・・」などと切り返すと、途端に電話口の態度が急変して向こうからプツンと電話を切る・・・というようなことも数回あって、それにもっと明らかに「怪しいぞ!」と分かる悪質詐欺電話も増えてきたから、それでFAX専用にした。

世の中が便利になることは、ソレはソレで良いこともたくさんあるだろうが、世間の進化のスピードについていけないでよく実態を把握できないままなんとなくその場のノリでわかったつもりでいたりするようなことが度重なると、そのうち自分の許容を超えて収集がつかなくなる。ボクもそろそろ時代の先進に取り残され始めているかもしれないなぁ〜

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不二法門(ふにほうもん) 

2019/07/24
Wed. 23:45

退院する時に処方された薬が無くなったので近くの外科医院へ行った。
受付で保険証などを提出して待合室を見渡すと、座る場所がすぐには見当たらないほど混み合っていた。
ほとんどが俗にいう75歳以上くらいの高齢者で、私程度の年齢の患者さんは4〜5人くらいしか見当たらない。
ワイフも昨年くらいから同じ病院へ通院していて、彼女は定期的に電気治療を受けている。
薬をもらうだけのことだが、ドクターの問診を受けなければいけないから自分の順番を辛抱強く待つしか無い。

iPad miniでWEBニュースを流し読みしていたら、先日の選挙のコトが記事になっていた。
なんとかチルドレンとかタレント議員とか、選挙にも流行のようなものがあるようで、そういう人が当選して本当に国民の代表として政治の仕事に従事できるのだろうかと、どうも素直に信用出来ないものがある。
蛇の道は蛇の類友集団が寄って集まってアレコレ議論を積み重ねても、混沌として誰にも予測不能な日本の近未来は現状とそれほど大きく改善しているとも思えないし、場合によっては改悪になってしまうということだって十分に考えられることだ。
坊主的に云うと「ことの善と悪の判断はソレを認識する人によって様々であり誰もが納得できる客観的常識というやつは最初から存在しないのだ!・・・つまり、善も悪もそれぞれ対比する存在ではなく両方併せ持った一つのものなのだ!・・・そしてそれは全人類の心に内在しているのだ!」と云う概念のような存在があるわけです。
自分を取り巻く環境には、善と悪のような相対する関係が大なり小なり存在しているわけで、それら全てを飲み込んでそれがそのまま自分である!・・・という事実を謙虚に受け入れることが大事なことだと・・・ボクは思うのです。
ひとそれぞれ、自分の考えや意見を持っているだろうから、ソレはソレで大事なことだけど、ソレが善くても悪くても誰にでも納得できるだけの構築された対案になっていないとひとの気持ちを動かすことは難しい。
形而上学的抽象論をぶつけているだけでは大衆を納得させることは出来ないだろう・・・と、どちらかと云えば抽象思考で毎日を過ごし、坊主家業をつとめつつ彫刻を造っている私は、身をもってその現実に向き合い、日々悶々としながら、それでもできるだけ妥協をしないようにしようと心がけているわけであります。まぁ、実態はそういう現実からしょっちゅう逃避してだらしなく楽に楽に過ごしている自分もいるわけですが・・・

「もう1ヶ月も通ってるのに全然ようならんけぇ〜、紹介状書いてくれぇ〜やぁ〜!この病院わぁ〜、つまりゃぁ〜せんがぁ〜!!」
突然、受付のお姉さん相手にオジサンが大声で苦情を言い始めた。待合室の皆の視線が一気にそのオジサンへ集まった。
もう、結構いい歳のオヤジが昔の若い頃と同じようにピンピンと元気になれるはずも無いだろうに・・・あぁ云う担板漢はどんな思いで清き一票を投じたのだろうか??

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四枚の絵 

2019/07/23
Tue. 23:20

台風は去ったがいまひとつスッキリしない毎日が続いている。
スズメたちへ古古米などを集めて餌場を作ってあったのが雨に降られてベチャベチャになっていた。それで工夫して軒下の比較的雨の影響を受けないあたりへ餌場を移動しておいたら、保賀の谷のアチコチから集まってきて大騒ぎになった。
彼等も長雨の影響でまともにメシも食えないで飢えた状態が続いていたのかもしれない。

雨のやみ間を見計らって草刈りでもしようと準備していたら、近所のオジサンが森林組合の回覧を持ってきた。
万善寺は昔から寺の山が点在しているから森林組合の組合員になっているらしい。それで私も詳しいことは何も知らないまま毎年回ってくる回覧を受け取って必要があれば指定の箇所に記名したり捺印したりしているが、内容は全く理解できていない。
「草刈りはもう少し乾いてからしんさいや・・・今は濡れとって重たいばっかりですけぇ〜」
私の草刈りスタイルを見てオジサンが教えてくれた。
ようするに、今の草は雨水をタップリ吸い込んで瑞々しく勢いがあって重たいから、燃料も無駄に使うし濡れた草が刃に巻き付いたりして機械の負担も増えて良いことではない・・というわけだ。雨がやんで好天が続いて草も土もカリカリに乾燥して軽くなってからのほうが「草刈りが楽になりますけぇ〜もう少し待ちんさいやぁ〜」だそうだ。
さすがベテランのお百姓さんだ。そう云われてみると確かにその通りだと思う。
「そんなもんですか?・・・」
なんとなく出鼻をくじかれた感じになったが、素直に教えに従って長靴を脱いだ。

何もしないで昼寝ばかりしているわけにもいかないから、前々から気になっていた昔は配膳部屋だった板の間を少しつついて展示スペースにすることにした。
なにもないとだいたい8畳くらいの大きさだが以前は母親が板戸や障子で四方を締め切って色々なモノを詰め込んで自分の寝室にしていた。その先には台所や風呂やトイレに勝手口もあって、ある意味で万善寺住人の通行の要所でもあったから、とにかく使い勝手が悪くて不便だった。
1周忌までに邪魔な建具や箪笥などを取り払って風通しを良くしながら少しずつ改造を進めていて、今年の3月には3回忌の法事をすませたし、そろそろ見た目の体裁や使い勝手も考えながらなんとかしようと思っていたところだった。

20代の、丁度今のノッチと同じ年齢の頃に、2年間かけて4枚の平面を描いた。その平面は、金属の平面作品を造るための試作も兼ねていて、構図や構成のこともあるが、制作の工法や作品のスケールを確かめることが主な目的でもあった。
その後4点の平面作品をベースにして、彫刻の研究発表をしながら金属レリーフの連作を5年間造り続けた。まだ彫刻の立体に自信が持てないでいた頃だったから、とても良い勉強になった。
自分にとってはある意味で制作上の重要な分岐点であったとも言える。
半日ほどで壁面を増設して4枚の絵を展示した。いい汗をかいた。

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直指人心 

2019/07/22
Mon. 23:51

普通台風が過ぎたあとは、スッキリと晴れて一気に蒸し暑くなるものだが、今度はいつまでも雲が残ってその上時折雨が降ったりする。
境内の雑草がこの1週間でグイグイ伸びて、みすぼらしい山寺の雰囲気が一層深まってきた。これから1週間は草刈りなどの作務をすることにしていたのだが、梅雨明けの具合を待ちながらもうしばらく様子を見てみようと思う。

あまり成功したとは言えないが、縁側へ干しておいた柿渋染の手ぬぐいが乾いたのでアイロンを当てた。夏の粗品は、文字を染め抜いた手ぬぐいが定着し始めた。
自分が勝手に自分で満足しているだけのことだからお参りのみなさんが満足しているかどうかは気にしないことにしている。たまに何かの拍子に文字の意味を聞かれるようなことがあっても、ソレもせいぜい2〜3人くらいのことで、あとになって手ぬぐいの話題が出ることもない。
染色は特に改まって勉強したこともなくて、せいぜい学生の頃の何かの講座で理屈や技法をメモしたくらいのことだから、素人の頼みの綱は染色材料の裏へ書いてある使用の手引きになる。それでも、1年毎に毎回同じことを繰り返していると以前の失敗を思い出すから少しずつミスも減ってきてコストダウンにはなっているのではないかと思っている。

どうでもいいくらいの思いつきで今年から柿渋染を始めた。
万善寺の寺領(チョット大げさだけど・・)はほとんどが山林でアチコチに点在する耕作地は全部合わせても1町歩無いだろう。昔はその耕作地と山林の境界あたりへ梅の木や柿の木やイチヂクや栗などの実の生る木が植えられていた。シーズンになるとそれらを収穫して自給自足の足しにしていたのだが、それも自分一人ではかなりの重労働だし、耕作地の利用もやめた今となっては、果実の収穫も止めてほったらかし状態になった。耕作地は年々確実に原野に変わり山林との境界が曖昧になって、ソレを待っていたように山の生き物たちが自由に動き回って悪さをするようになってきたから、梅と柿と栗の木を切り倒すことにした。伐採した木はストーブの焚付の足しにできる。
数本の柿の木から手頃なのを選んで、実がまだ色づく前に毎年1本ずつ切り倒すことにした。それから柿の実を収穫して柿渋を作り置きしようと思う。絞った柿渋をペットボトルに入れておけば1年後には染色に使えるはずだ。数年間掛けて毎年切り倒しながら柿渋溶液にしておけば、しばらくはそれを使って柿渋染ができるはずだ。

文字は「直指人心」と書いた。禅語で比較的有名だから知っている人もいると思う。
指差した先にあるものにばかり心を囚われてはいけない。むしろ指差した自分の心の道理を冷静に客観的に見つめ、その真意を推し量ることのほうがズッと大事なことなんだ!・・・とでも云えば良いのかなぁ〜・・・
とにかく、軽々しくモノを指差したりするもんじゃない!・・・くらいに思っておいたら、自分の軽率な行為を自粛できるのではないだろうかと・・・そんなふうに思って、その手ぬぐいを頭に巻いて作務でもしてみようと考えた次第です。それでもたぶん、2〜3回も洗濯すればその字も消えて無くなって元の柿渋色だけが残るだろう・・と予測もしていたりしています。ソレはソレで恩着せがましくなくて良いでしょぉ〜

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台風のあと 

2019/07/21
Sun. 23:56

選挙の日は台風の通過と重なった。
その日の夕方からは弘法大師様の供養法要があるので、前日から万善寺へ泊まって塔婆回向の経木塔婆を書いた。
一晩中強風が続いて雨戸代わりの窓ガラスがガタガタとうるさかった。
雨の方は前日が凄かった。庫裏の大屋根から雨水が滝のように流れ落ちて、狭い裏庭が池のようになった。
夜が明けてから少しずつ小降りになって、お昼前には風も雨も峠を越して蜩が鳴き始め、鳥たちも鳴き始めた。
台風が南から温かい湿った空気を運んできたからだろう、やたらと蒸し暑くなった。窓を開けると湿った外気が一気に屋内へ流れ込んできそうだ。エアコンにしようか迷ったが、やはり自然の風が良いと思ってアチコチの窓を開けた。
お大師講へ出かける準備を始めたら汗がにじみ出て、首からヘソの方へつたい流れる。着物へ着替える前にシャワーでも浴びようかと思ったが、結局出先でまた汗をかくし、夜の法要が終わってからゆっくりと汗を流すことにした。
夕方、まだ少し明るさが残っている頃に地区の自治会館へ到着した。
お大師様の供養法要でお経を読んでからお参りの皆様へご焼香をしていただき、和讃を読みながら20枚チョットの塔婆回向を終わったのが、夜の9時前だった。
台風通過や選挙のこともあって、お参りの皆さんもお疲れのことだろうと少し心配して、
「・・・いつもなら少しお話をさせていただいていますが、いかがしましょうか?」
と、一応お伺いをたててみると、あちこちでさり気なく首を縦に振る方もいらっしゃるし「それじゃぁ、せっかくですので少しほどお話を・・・」させてもらうことにした。

まずは、選挙のこと。そして、台風のこと。それからお釈迦様や道元禅師さまのことをお話させてもらった。
何が正しくて何が間違いかという判断は、結局ひとそれぞれそのひとの主観的な常識の範ちゅうで決まることが多い。何が本物で何が偽物かの選択眼も結局はそのひとの眼力の度量の大小で決まったりする。
自分は複雑な人間関係や社会構成の中で、あふれかえる程の情報量や価値観にさらされて生きているということを自覚しないと、世間の現状を正しく把握することができなくなる。
激しい風雨にさらされたり大きな災害に合うと、だいたい殆どの場合それらに対してひとの心が一つになってなんとかしようと協力が芽生えるものだ。そういう中で、自分勝手に行動したり人の言うことを聞かなかったりすると、変に摩擦が生じてまとまるものもまとまらなくなる。
なんでも自分の思い通りにならない時だからこそ、自分の身勝手な思いを抑え気持を引き締めて眼前の事実に向き合うことが大事だ。
神仏にすがることでそのまますべての解決や安寧に繋がるわけではない。まずは、自分で自分の不徳を自覚し、善行を積み重ねることの努力を惜しまないということが大事で、結果はついてくるものである。
・・なんて偉そうなことを言いましたが、コレは全て仏教の偉い人から頂いたものです。

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台風 

2019/07/20
Sat. 23:21

台風が近づいている。
石見銀山は特に風が強くもなく、時々激しい雨が降るくらいだが、WEBの天気情報を見ると飯南高原の方は雷マークの雲や傘が斜めになっていたりしているから少々心配になる。

21日は弘法大師様の御縁日で、近くの集落でお祀りのお大師様供養がある。
「お大師さんですが、台風で大丈夫でしょうか?」
毎年持ち回りでお世話をされる大師講の当番さんから電話が入った。
「大丈夫でしょう!天気情報だと夕方には朝鮮半島の方へ行っているようですし・・・私の方はお伺いできますが、そちらの皆さんのお考えでもあれば・・・」
「方丈さんが大丈夫なら変更無しでお願いしましょうか?」
「ハイ!、それじゃぁ〜そういうことで・・・また変更でもあれば連絡してください」

弘法大師様のお堂が出来たのは何時頃からなのか、今の大師講の皆さんではもうわからなくなっている。
私の方も、真言宗の開祖さんである弘法大師様とは直接縁深いわけでもないし、先代から引き継いだ法要をその通りに守り続けているだけだ。
今は、御大師堂から地域の集会場へ御本尊様を移してそちらで供養法要をされているが、先代の頃は直接御大師堂まで出かけたこともあったらしい。
その御大師堂は標高約500mくらいの松本山の麓にある。
松本山には賀田城という戦国時代の山城があったから、そのお城からみで何かしらのいわれがあったのかもしれないし、四国八十八ヶ所霊場巡礼とか西国三十三所観音霊場巡礼などの民衆信仰は比較的地域に根付くことが多いから、江戸以降のいずれかの時に流行した民衆信仰が起源であったかもしれない。
現在の賀田城は、遺跡遺構が残っているだけで詳しい歴史研究がされていることもないようだが、地元有志の皆さんは草刈りなどの整備を続けていて、三の丸付近までは軽トラで登れるようになっているらしい。
戦国時代は毛利と尼子の石見銀山攻防戦激戦地で、地元では賀田城は尼子方武将の城主が負け戦覚悟で籠城したと語り継がれている。

御大師講のこともだが、万善寺のことが心配だったから昼のうちに寺へ移動した。
銀山街道を南下しながら登っていくと、途中からしだいに雨脚が強まって飯南高原へ出ると時折の強風に田んぼの稲がバタバタと波打っていた。
万善寺の境内へ着くと、庫裏の玄関先が乱れて様子が変わっている。
「そういえば・・・柿渋染の道具がそのままだった・・・」
台風が来ているということは知っていたが、柿渋染の頃は九州のはるか南のことだったから、実感が無かった。
野外用で使っている洗濯機のフタが何処かへ飛んでいった。
作業で使い続けているブルーシートは石垣脇の紅葉の木へ巻き付いて引っかかっていた。
それでもその程度でなんとか持ちこたえていた。今年最初の台風がこれから最接近する。

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酒がすすむ 

2019/07/19
Fri. 23:41

チョット用事でワイフへ電話したら「今日帰るの何時くらい?」と聞いてきた。
帰宅時間の確認など10回電話して1回あるかどうかの珍しいことだから「なにかあるの?」と聞き返したら今夜は「イワシの刺し身!」だという。
よっぽど新鮮なイワシが手に入ったらしい。
寺の用事が残っていたので、夕方日が暮れたくらいに帰ろうと思っていたが、ソレを聞いたらイワシが気になってしょうがなくなった。
とりあえず、干しておいた大衣を2枚ほど畳んで、あとは庫裏のアチコチへ散らかった仕事の残りをそのままにして早々と帰宅の準備をした。

このところ、青空が覗いてカラリと晴れ渡ることが無いから、寺中に湿気がこもって抜けることがない。敷板も畳も縁側や本堂の敷物やゴザ座布団までどこかしらシットリと湿っていて、とにかくあらゆるモノが湿っぽい。
梅雨が続いているから仕方のないことだが、管理を怠けると何処も彼処もカビだらけになるし、ひょっとしたら目に見えない気が付かないところでキノコが生えているかもしれない。昔々のことだが実際にそういう現場を見たこともある。
それで大衣のことだが、この時期はどうしても法事の間に汗をかいてしまうからすぐに畳んで仕舞うことが出来ない。しょっちゅう洗い張りへ出すことも現実的でないし、だいたいは風通しの良いところでしばらく陰干しをして十分に湿気を抜いてから畳むようにしている。そういう、チョットひと手間のメンテナンスをしておかないと衣が痛む。
なんだかんだ云っても、坊主は準備から片づけまで一般の家庭に無縁の面倒臭い用事ができたりするものだ。寺の作務すべてを一人でやりくりしていると、今の梅雨のようにすんなりと用事が進まないで後に後に溜まってしまうことがいちばんつらい。

まだ明るいうちに帰宅して玄関へ入ると、クロが鳴きながら出迎えてくれた。
リビングにはテレビが付いていてワイフは台所仕事をしていた。
「刺し身にできるイワシなんて珍しいねぇ〜」
「仕事の帰りにスーパーよったらたまたま新鮮なのがあったから・・もうチョットでできるからね」

万善寺は山寺だから、私が少年の頃は魚というとイワシやアジの干物か塩サバばかりだった。旬の時期は時々サンマやカレーもあったが、食卓に乗るのは年に数回ほどの珍しいことだった。イカやタコはほとんどがボイルだったし、シジミの味噌汁も1ヶ月に数回しか出なくて、ようするに、新鮮な「海の幸」とは全く縁のない日常生活を送っていた。だから、本当に魚を美味しいと感じて食べたのは石見銀山で住み暮らしてから後のことで、ボクの日常の食生活に新鮮な魚が登場したのはワイフと結婚してから後のことになる。

刺し身はアブラの乗ったシイラもあって、美味かった。ハンペンとキノコの具沢山なお吸い物はシイタケの出汁がよく出てコレも美味かった。お隣さんから頂いたというレバの煮付けも美味かったし、ワイフのモツ煮込みも絶品だった。これで酒が進まないわけがない。一瞬で1日の疲れが吹き飛んだ。

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マイ・ブーム 

2019/07/18
Thu. 23:55

中国山地の山並みを水源にした渓流が、やがて幾つかの支流を集めて神戸川の源流になって飯南高原南部のほぼ中央を流れ下った先に水力発電と貯水を兼ねたダムがある。
30年ほど前にはそのダム湖畔にキャンプ場があって、当時はアウトドアがブームだったし万善寺からも近かったから吉田家も子供が小さい頃はオートキャンプを楽しんでいた。

平成の時代になった頃にダム湖から4kmくらい上流の神戸川脇へ湧き出している泉源から温泉を引いて休憩や食事もできる日帰り温泉が出来た。元々数百年も昔から地域の湯治場として利用されていたのだが、昭和の時代に県道の拡幅工事があって、その時に泉源の真上にあった掘っ建ての小屋が解体されてソレっきりになっていたものを周辺の集落が共同で出資した資金と行政の助成金を使って再建した。地域では泉質が良いことで知られていたから、再建オープンされると一気に情報が流れて大繁盛になった。
今では広島県や島根県各地からの温泉客がずいぶん増えて連日絶え間なく賑わっている。
万善寺からだと車で3分ほどの近いところにあるから、寺で泊まる時はその「温泉へ行こうか」と普通は思ってしまいそうだが、実は私は1度もその温泉へ入ったことがない。あまりに地元過ぎて隣近所みんなが「万善寺の方丈さん」を知っていて、ソレでどうも自分には落ち着いて温泉気分にひたれない気分なのだ。
結局寺泊というと、シャワーで簡単に済ませて、バリカンで床屋をし、ジレットで髭を剃り、電動歯ブラシを使って、体を拭いたバスタオルでそのままシステムバスの主だったところを拭き掃除して、洗濯機を回す・・といういかにも味気ない作業で終始する。

年齢なのか手術の経過状況なのか自分の不摂生なのかよくわからないが、とにかく最近は右半身を中心に疲労が蓄積して肩から指先にかけてピリピリとシビレが走って我慢できないほどのことが続いている。
梅雨もそろそろ終わるだろうと思っていたら、台風が前線を刺激してなかなかスッキリと晴れないまま愚図ついた毎日が続いているし「温泉にでも行かない?」とワイフを誘ったらその後恒例の「道の駅行きたいな!」と云うことになって吉田家から車で30分ほど走ったところにある湯谷温泉へ行った。
その温泉は、実は3月末から休業していた。業務委託されていた東京の事業主が営業不振で撤退したからだ。その後、行政の商工観光課あたりが各方面へ働きかけて、6月になって地元有志の共同経営で営業が再開された。泉質は良いのだが、源泉は温泉の基準温度に達しない鉱泉で、ボイラーの加熱がないと冷たくて使えないらしい。結局、設備投資が高額になって入浴客との兼ね合いで利益が出ないことになってしまったのだろう。
湯谷温泉も歴史の古い由緒ある温泉のようで、戦国時代は時の城主が家臣たちの戦の疲れを癒やすために入浴を奨励していたとか・・
約1時間ゆっくりと湯につかったあと、道の駅へ寄ったり途中のレストランへ寄ったりして、結局疲労が軽減したのかどうかよくわからないまま1日が過ぎた。
最近は、またオートキャンプに再ブームが来ているようで、自分の周辺のアチコチの道の駅には立派なキャンピングカーがよく駐車している。
ボクも昔はキャンピングカーに憧れてワイフと時々そのような話をしていたこともあったが、今はもうキャンプより温泉の方が良いな。

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冷心思理 

2019/07/17
Wed. 23:36

Amazonがプライム会員特典セールをすると頻繁に宣伝していた。
チキンのくせにアマノジャクな面倒臭い性格のボクは、セールと称してみんなが飛びつくような餌を大量にまかれたりすると、とたんに興味が失せて購買意欲が消沈する。
「あなた、Amazon何か頼んだ?」
一方、ワイフはこういう安売りセールとなると急に積極的になって熱心に自分のiPad miniを覗き込んでいる。
「特にこれといって欲しいものもないし・・マッチャンなにか良いのあった?」
「トランク安くなってたから!」
・・・早速買い物カゴをポチッとしたらしい・・・
そういえば、トランクの写真がセールのトップページにあったような?・・・案の定、既に彼女はセールにパクリと食いついていた。

私が覚えているだけでもワイフはこの1・2年の間にAmazonで大小のトランクを3個買っている。
改まって何処かへ旅行する予定もないし、チョットお出かけするくらいでトランクが必要なほどの大荷物にもならない気もするのだが、彼女の場合はなんとしてでもハードケースのトランクが必要なコトがあるのだろう。
そういえば、私が入院することになった時、病院からもらった「入院の手引き」なるプリントを見ながらセッセと必要なものを用意して幾つかあるトランクの適当な大きさのものへ何枚ものパンツやシャツなどを整然とへ詰め込んでいた。
「アナタのコロコロ見たけど、相当くたびれてたからコレに詰めておくからね。色は赤しかないけど、どうせ中身を移したら私が持って帰っておくから、ソレでいいでしょ!」
「スンマセンなぁ〜〜助かります。ありがとぉ〜〜」
本当は、自分で準備しなければいけないコトを嫌がりもしないで代行してくれていることに文句など全く無い。それに、せっかく立派なトランクが幾つもあるわけだし使わないでしまっておくばかりは勿体無い。

さて、そのAmazonだがせっかくプライムセールをしているならKindleで何か掘り出し物0円読み放題の小説があるかもしれないと探していたら、山本周五郎さんの「樅ノ木は残った」全巻があった!ボクにとってはなかなかの掘り出し物なのでパクリと食いついた。
しばらく前には、守屋洋さんの「決定版菜根譚」もKindleで見つけた。
前集の206項に「冷眼観人、冷耳聴語、冷情当感、冷心思理」がある。
守屋さんは解説に「冷静な眼で人間を観察し、冷静な耳でことばを判断する。冷静な感情で仕事に取り組み、冷静な心理で道理を考える」とある。
昨今の社会情勢をみるに、政治では選挙も近いし、外交政策も不穏な状況だし、年金や保険で不安を刺激され、メディアの報道もどこかしら殺伐と過激で、どうも一方通行の情報過多に平静が揺らぐ。
「菜根譚」は私の30年来のバイブルのようなもので、この歳になるまで何度も助けられ気持ちが穏やかでいられた。今はiPad miniで何時でも簡単に読めるようになった。そう考えると、なんだかんだ云ってAmazonもなかなか捨てがたい便利さがある。

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令心思理2のコピー (1)

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連休明け 

2019/07/16
Tue. 23:51

埼玉で暮らしている長女のなっちゃんが4月に生まれた初孫を連れて帰省する。
LINEで送ってくれた往復チケットのコピーを見たら、なんと1ヶ月も吉田家に滞在する事になっていて、その上、最後の1週間は旦那も休暇をとって吉田家へ合流するらしい。
ワイフもしばらく前からなっちゃんのことでそのような話をしていたが、まさか本当のことになるとは思っていなかった。あの頃私は丁度彫刻の制作に取り掛かっている最中だし、寺の方でも幾つかの法要行事が決まっているし、よっぽどキチンとスケジュールを調整しておかないとオオゴトになりそうで、チキンオヤジは少々ビビっている。
それからしばらくして、今度は東京で保育士をしているキーポンから同じように家族LINEで帰省スケジュールを送ってきた。日程を見ると、お盆のピークが過ぎた頃に1週間ほど帰省することになっている。
これも、坊主のボクとしては盆月の終盤でまだまだ日夜各種法要に忙しくしている頃。

失敗した柿渋染の仕切り直しへ入る前にお盆の棚経計画を作ってお檀家さんへお知らせしようと思って、丁度そのスケジュールを作り始めたところだった。例年は1日の棚経をかなり窮屈に決めて4日位ほど空き日を作って其処へ万善寺の草刈りや本堂荘厳などの作務を入れていた。今年の夏は、手術した頚椎のことや右半身のシビレのこともあって身体が慣れないし、まだ無理ができそうもないので、今までと同じようなわけにはいかない気もする。その上に娘たちのこともあるからよほど慎重に体調管理をしておかないと吉田家家族だけでなくお檀家さんへも迷惑をかけてしまいそうな様子だ。

そのようなことを考えながら朝早くに寺を出発して病院へ向かった。
連休明けは1ヶ月ほど前から決まっていた定期通院日になっていた。
血圧や血液や尿の検査をしてその数値を見ながらドクターの問診を受ける。どうせ「病院ごとで1日が過ぎてしまうだろうから・・」と、2つの病院へ通院することに決めて事前にそれぞれのドクターへ相談しておいた。
一人は以前からかかりつけの町医者Wドクター。
もう一人は総合病院の内科で一ヶ月に2日しか出張日のない腎臓専門のYドクター。
結局Yドクターの都合に併せて通院日を決めるしかないので自分の選択肢は殆ど無い。
女医のY氏は細かい数値の変化に厳しくて、自堕落に不摂生を続けるオヤジの生温い日常生活が我慢ならないようだ。長い付き合いのWドクターは「まぁ、チョット数値が高いですがこの程度ならもうしばらく様子を見ていきましょう・・」などと、患者と繋がる細い糸を自分から断ち切らないように、なかなかの営業努力をされる。ボクとしては世間話をしながら気心の知れたWドクターの方が付き合いやすいのだがなかなかそういうわけにもいかないし、最近、少しずつ病院通いが日課になっている高齢者へ仲間入りしつつある。

ほぼ1日中病院をハシゴしていると、ソレだけで自分が病人になってしまったように思えてぐったり疲れる。
吉田家へ帰ると、ワイフとシロが仲良く昼寝していた。シケイロスだったか?オロスコだったか?それともリベラだったか??・・・パースペクティブを強調した独特の迫力あるメッセージ性の強いメキシコ絵画を見ているようでもあり、はたまたお釈迦様の涅槃像のようでもあり、どことなく荘厳な雰囲気が漂って、思わず手を合わせたくなった。

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柿渋染の古色 

2019/07/15
Mon. 23:14

退院後はじめての本格的なクリエイティブワークになっていた柿渋染だったが、見事な失敗に終わった!
せめてもの救いは、ボクの正業(ちなみに、家業は「坊主」です)である彫刻家としての仕事ではなかったこと。
これで鉄のナニカで失敗していたら、彫刻家引退を考えたかもしれない・・・とはいっても、完全なる大失敗という気もなくて、要するに「万善寺粗品」としての商品価値をクリアーすることができなかった・・・という程度の失敗。
柿渋染そのものは、久しぶりにワクワクドキドキするような実験と発見の連続で、ソレはソレで実に楽しい工夫の日々であった。

失敗のポイントはおおよそ予測できている。これからそのあたりの工法を修正しながらなんとかしてお盆の法要までに必要量の粗品を確保することになる。
俗なことだが、今回失敗した万善寺粗品手ぬぐいに要した経費を集計したらナント!16,000円にもなっていて、手ぬぐい1枚が400円もする万善寺規模の粗品としては完全な大赤字になった。
先代の憲正さんが配っていた粗品は、例えば万善寺の寺名入り100円ライターとかポケットティッシュとかボールペンとかそういうもので、だいたい1個150円程度だった。
今でも、業者発注ですませてしまえば、だいたい似たような経費で用が足りると思うが、一方で彫刻家であることに生きがいを感じてもいる現住職のボクとしてはソレをしたくない意地のようなものがある。法要にお参りの檀信徒の皆様へ何かしら住職の「流した汗の痕跡をお持ち帰りいただきたい」と勝手に思っているのだ。
俗に染まったナンチャッテ在家坊主のヘナチョコお経で信心がより一層深まることなど期待できないし、かといって、そんなもんだと飲み込んで坊主家業にあぐらをかいているのも嫌だし・・・せっかく一方でクリエイティブな世界に身を置いているわけでもあるから、それじゃぁ〜「粗品くらい坊主自ら一つ一つ念入りに手造りしたモノがあってもいいじゃないか・・・」と考えているわけです・・・

お彼岸が終わって先住職内室俊江さんの3回忌が終わって、体調不良を騙しながら入院前に片付けたい用事で慌ただしい毎日を過ごしていた頃、萩原健一さんの訃報が入った。
私とほぼ同世代で同じ時代を生きた人だった。いろいろとやんちゃなところもあったようだが、俳優業が増えてからあとの彼が好きだった。
その萩原健一さんで一番強く印象に残っているのは「股旅」という市川崑さんがATG(アート・シアター・ギルド)で撮った映画。
その頃は「木枯し紋次郎」が大流行していて、何作かは市川崑さんが監督していた。股旅はその木枯し紋次郎の空気感をもっと濃密にした感じの映画になっていた。萩原健一さんのなんとも不格好なヘナチョコ渡世人がテレビの印象と全く違っていて、あのカッコ悪さに強烈なリアリズムを感じた。
その映画で強く印象に残っているのは、渡世人の身につけている襦袢や袷や合羽や道中の小物入れなど。その使い込んで擦り切れてボロボロになった風合いがリアルに伝わった。
染め落ちた柿渋染の古色に、あの「股旅」の世界が再現された気がしてどこかしら懐かしかった。

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梅雨の晴れ間 

2019/07/14
Sun. 23:47

Hello Sunshine!!

保賀の谷へ久しぶりにお日さまがふりそそいでおります!
怠け者で雨男のボクが、なにか思いついてそれなりに真面目に動き始めると、途端に雨が降りはじめて出鼻をくじかれる・・・まさに、この度の柿渋染がそうで、毎日どれだけお日さまの恵みを待ちわびていたことか・・・

電話でワイフへ弱気な愚痴をタレていたら「あんた、明日だけ晴れそうだよ」と教えてくれた。
「そっちで泊まればいいじゃない。目が覚めたらすぐに仕事始められるし・・」
寺の単身赴任を切り上げて吉田家へ帰る気満々で電話したのにそんな事を言うもんだから、なんとなく帰るタイミングを逸して、もう一晩万善寺泊をすることになった。

早朝からヒヨドリがやかましく鳴きはじめて目が覚めた。
オシッコのついでに庭へ出て境内の端から琴引山の尾根を見たらなんとなく雲が明るくなっていた。
それで、そのままウロウロとパンツ一丁で玄関先に作業場所を広げて、本堂の端から境内の真ん中へロープを張って天日干しの準備をした。
今朝はやたらとヒヨドリが鳴く。彼らも久しぶりのお日さまを喜んでいるのかもしれない・・・
縁側の物干し竿へぶら下げていた手ぬぐいを庭のロープへ移動し終わった頃には、琴引山の向こうから朝日が境内へ伸びてきて、一気に蒸し暑くなった。
これから半日ほど晴れてくれれば、柿渋の定着も今までよりはマシになるだろう。上手くいけば夕方には色止めも終わらせて洗濯機を回すことができるかもしれない。

作業の区切りを調整して昼食にした。
朝が早かったから、満腹になると急に睡魔が襲ってきた。
湿気が身体中に巻き付いて蒸し暑い。
少し横になっていたら、いつのまにか寝てしまったらしい。
遠くの方でスズメたちがやけに騒がしく鳴き始めた。しだいに騒動が大きくなって尋常じゃない。
しばらくすると、一段と賑やかに騒ぎ始めて、それにセミの鳴き声も混ざっている気がする。
目を開けるとあたりが薄暗い。
「まさか・・もう日が暮れたのか??」
一瞬そんな錯覚をしたが、違った。
スズメが騒いでいると思っていたのは、実はカエルだった。
昼寝している間に、保賀の谷へ一気に雲が広がって今にも雨が落ちてきそうだ。
飛び起きて境内へ出て急いで手ぬぐいを取り込んだ。
結局・・・柿渋染は今日も未完成のまま、次の晴れの日を待つことになった・・・

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彫刻今昔 

2019/07/13
Sat. 23:58

軽めの室内楽を流しながらコーヒーを飲んでいたら宅急便さんが来た。
県外にお住まいのお檀家さんからお中元を兼ねたお供え物だった。
毎年同じものがこの時期に届く。
返礼は大般若祈念の御札と、万善寺オリジナル手ぬぐいの粗品と、今年は図々しくもボクの彫刻個展の絵葉書を添えることにした。

数日前に打ち合わせをしておいたお仏壇遷座の日が来た。
同級生のディーラーが修理工場と自宅兼用の一部を改築して、客間も兼ねた仏間を造ることが決まってからもう2年ほど過ぎた。
彼が依頼していた建築士や工務店が、広島を襲った豪雨災害の復旧で一気に忙しくなって、被害のなかった島根県の工事スケジュールが軒並み順延になった。改築工事の足場を組み上げたところで、それ以降の工事が完全にストップしたまま1年が過ぎ6月が過ぎるとそろそろ2年目になりそうだったところを、しびれを切らした彼の猛催促でやっと工事が再開し先頃引き渡しが終了した。

こじんまりと落ち着いた感じの玄関も出来ていて、案内された仏間と次の間の二部屋は、元々修理工場の一角にあった板金塗装や溶接修理のスペースだったところ。
そろそろ30歳になろうとしていた私が、結婚してUターンをすることに決めて島根に帰ってきた直後にはまだそのスペースが機能していて、アセチレンボンベや電気溶接の機械が並んで、ソレを同級生のおじいちゃんが使用管理していた。

帰省と同時に一時中断していた彫刻の制作を翌年の春から再開し、その年の秋には公募展へ出品した。
制作再開の1年目は大工さんへお願いして工務店経由で材料を取り寄せてもらって、ソレをベースにUターンの荷物へ紛れていた彫刻材料を工夫しながら構成してミクストメディアの彫刻にした。
2年目は島根の仕事も生活も少しずつ慣れて落ち着いてきたので、中期的な仕事のスケジュールを調整して、かなり計画的に彫刻制作を進めた。
使う素材ごとに工法を決めて数枚の図面を書き起こし、1枚は近所の棟梁へ材料ごとパーツ制作を依頼し、1枚は鉄工所のご主人へ図面を見てもらって材料の発注を代行してもらった。
幾つかのパーツを、それぞれ別々に依頼して、それらが集まったところで自分で溶接などして組み立てるという、今にして思うと、なんともめんどくさい工程を積み重ねて彫刻の連作を制作して、それを秋の公募展へ出品した。
たぶんその時の彫刻も、自分にとっては作品制作を再開した2作目の記念すべき作品であるし、自分で捨てたり処分した記憶がないから本気になって寺の何処かを探せば出てくると思う。その彫刻パーツを溶接して造った場所が、丁度今の玄関から仏間へ上がるあたりだった。あの頃の面影はもう消えて無くなったが、どこかしら懐かしくもある。遷座供養のお経を読みながら、昔の記憶を手繰っていた。
これからは法事の度に、あの頃制作した彫刻のことを思い出すことになりそうだ。

令心思理1のコピー (1)

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ただいま苦戦中 

2019/07/12
Fri. 23:05

珍しく週末から仏事が続いて単身赴任をしている。
吉田家を出発する時にワイフが食料を持たせてくれたから、ワンパックずつレンジでチンしながら楽に食事をしている。

柿渋染めの方は、そろそろ1週間が過ぎてまだ思うように染まってくれない。
都合よく梅雨の晴れ間がしばらく続きそうな様子だったので準備を始めたのだが、布を柿渋に浸して染め始めたら、タイミングよく梅雨の雨降りが再開してしまって、連休に入ってからもぐずついた空模様が続きそうだ。
太陽の光が大事な一役の時なのに、それも期待できないまま作業が1巡し2巡し3巡し・・・もう、4回ほど同じことを繰り返している。いつまでも雨が振り続けることもないだろうし、何時かは晴れる日も来るはずだからその日を粛々と待ち続けるしかない。
せっかくだから、万善寺で揃えられる色止めのナンチャッテ媒染液を2種類ほど試してみることにした。
1つは煮物や漬物などに使うミョウバン水。もう1つは流しの下で眠っていた使いかけのらっきょう酢へ不燃物で集めていた古釘を浸けてタンパン酢もどき。
太陽に見放されて染色の進行も期待できないから、アレコレ実験してみるのも良いかもしれない。予測として媒染液の効果が期待できるとすると、色落ちの軽減くらいのことになれば良いと思っている。手間隙かけた作業になるが、あまり期待が大きくて高いと落胆のダメージでしばらく立ち直れそうにない。

琴引山の8合目付近まで雲が降りていたらいつ雨が落ちてもおかしくない。
曇空でも琴引山の尾根から山頂まで見えていたらお日様が覗いてくれる可能性がある。
飯南高原の保賀の谷だけのピンポイント天気予報だが、ソコソコ当たる確率も高いので琴引山の様子を見に参道をお地蔵さまのあたりまで降りてみた。
かろうじて尾根が見えるほどに雲が高いから、翌日には少し晴れ間が覗くかもしれない。
せっかく町道まで降りてみたから、草の伸び具合を確認しながら少し散歩をした。
駐車場だけはまだ雨が降る前に下草を刈り込んでおいたのだが、それももうかなり伸びて見苦しい。今のボクには自然の成長スピードについていくことが難しい。最悪はお金で解決してどこかの土建業者さんへ草刈りをお願いするしかなさそうだ・・・

駐車場脇のイチョウが、瑞々しく緑に茂っている。
落ち葉の頃になると、駐車場の半分ほどは黄色く染まる。
イチョウの葉は水分をタップリ含んでいて、集めて焼こうとしてもなかなか火がつかないし、秋の台風とか季節風で適度に吹き飛ばされて見苦しくないまでキレイになるから特に掃き掃除もしないでほったらかす。その駐車場のイチョウは長い間男イチョウだとばかり思っていた。今まで実の成ったところを見たことがない。ソレが、散歩のついでによく見ると、緑の葉の根本へ緑の実がついていた。成長の具合で丁度実をつける時期が来たのかもしれない。藤の花もそうだが、もう諦めた頃になって実や花を見られたりする。
そういえば、オノレバエの柿も忘れた頃になって実が付き始めた。今年もたくさん小さな緑の実をつけている。早めに収穫して柿渋でも作り置きしようかな・・・どうせヒマだし・・・

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山の中のカレー屋さん 

2019/07/11
Thu. 23:34

石見銀山から銀山街道を南下して県境の町赤名から赤名峠を越えて広島県へ入ると三次まで国道を下り、松江尾道道へ乗る。尾道方面へ約30分ほど走って一般道へ出てしばらく走ると、山の中の古民家を改修したカレー屋さんがある。

本格的な本場インドカレーで、嘘か真か・・・ご主人は若い頃にインドでカレー作りを教わったとか・・・まぁ私の場合、自分の口に合えばそういうことはどうでも良いことで・・・とにかく、自宅の納屋を改装して手造りした厨房には薪のナン窯があって、その窯に火を入れるところから営業が始まる。
本格的なのかどうかはよくわからないが、こだわりのカレー屋さんであることは確かだ。
普通乗用車がやっと通れるほどの、万善寺の参道よりもっと急で狭いアプローチを登りきった先に狭い駐車場があって、食事の後、町道まで楽に降りるために車を出船駐車へ切り返ししようとすると、なかなか思うようにいかなくてひと汗かくことになる。
どんなに美味しいカレー屋さんでも「わたし、バックで駐車できないのぉ〜」とか「信号のある交差点でしかじょぉ〜ずにまがれないのぉ〜」とかそういうシティー派のセレブには不向きなお店だ・・・と、ボクは思う。
ご主人にとってはとても重要で深い意味があるのだろうお店の看板代わりのよくわからないバリ風の絵を見ながらお店に向かう。
正面は庭で、その右側には農家風の母屋がある。
庭を見ながら左へ曲がるとお店の玄関があってその向こうはウッドデッキが広がる。天気が良かったり店内が満席だったり何かのパーティーだったりする時に使われている様子で、のどかな山間の田舎風景が見渡せる。

そのカレー屋さんを紹介してくれたのは、もうかれこれ10年以上お付き合いの広島在住百姓オヤジ。
結構なこだわり者で、ピンポイントに博識で、ソコソコ人なつっこくてネットワークも広く、宗教の信仰心もそれなりに強く、どちらかといえば理系で各種メカにも精通し・・・ザックリ云うと、なんともめんどくさい偏屈者。
それで、これもどちらかといえば「偏屈者!」と云われても反論できないボクとしては、どこかしらめんどくさいながらも気が合ったりしてしまうのです・・・

「今度の連休なんですけど・・・二人予約できますか?」
なかなかワイフを連れて行ってやれないまま、このままだとお盆になっていよいよ出かける機会を逸してしまいそうだから前後のスケジュールを調整して電話してみた。
「ゴメンナサイ!・・・実は主人このあいだから肺炎で入院してるんです。それで、大事を取って7月いっぱいは休みにしようと云うことになって・・」
奥さんは、電話口で申し訳なさそうだ。1日に予約の電話が何本もかかってきて、その度に同じように予約を断り続けているのだろう。電話番だけで1日が過ぎてしまいそうなのも、我が身に置き換えてみるとなかなかしんどくて辛い。
「ソレはご心配なことです。くれぐれもお大事にてください」
カレー屋さんは彫刻の完成打ち上げ!・・ということで秋になってしまいそうだな・・・

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あめふり坊主 

2019/07/10
Wed. 23:53

「仏壇動かすんだけど、お経読んでもらったほうが良いよねぇ〜」
同級生から電話がかかってきたので、また飲み会の話かと思ったら坊主家業の真面目な問い合わせでした・・・

ひと頃のように1日中雨が降り続くことも無くなったが、それでも時々思い出したようにドサッと降ったり、晴れていたかと思うといつの間にか霧雨になっていたり、夜になってから急に大風が出て暴風雨になったりと、まぁ、梅雨らしいといえば梅雨らしい毎日が続いている。
それで、寺の方も吉田家の方も外の用事がなかなかはかどらなくて、最近どうも無駄に1日が過ぎる。
聞くところによると「20日位が梅雨明けになりそうだ・・」と誰かが言っていた。それじゃぁソレを当てにして彫刻展の外交営業などをしてみようと、スケジュールを調整することにした。
いつもだったら、年度末に軽くお伺いを立ててざっくりとした日程を押さえたあと、新年度の総会が一巡してそれぞれ関係各所の行事予定が決まったあたりに開催予定地を再度訪問して日程調整をして開催日を決めたあと、作家宛の案内要項を作成する。
開催地の条件によってなかなか正式な日程が決まらないこともあるから、毎年同じように事務が進むこともないが、それでも例年だと今頃は第1段の出品案内が出来ていてもおかしくない時期が来ている。
今年は、3月から5月いっぱい病院絡みの通院や検査や入院手術などでが続いていつもと同じように計画することが出来なかった。退院して気になりつつも体調不良が無いわけでもないし、彫刻展のことをのらりくらりと後回しに過ごしていたら、今になった。
まずは、近年お世話になっている奥出雲の関係各所へ連絡してみると、なかなかタイミングが合わなくて上手く話が通じない。行政は年度替わりに部署や役職の移動が絡むから余計にややこしくなって前例が上手く通用しない。やっと早朝の出勤前を襲うような感じで連絡がとれたものの、いつもお世話になっている友人は連休明けまでは身動きがつかないということだった。「それじゃぁ、その頃にまた連絡しますんで」と、とりあえず次の約束を入れて気持ちを切り替えた所で、お仏壇遷座の問い合わせが入った・・という次第。

「通勤坊主で朝晩前を通過しているから明日にでも顔出すよ・・詳しくはその時ということで・・・」
「ハイハイ、それじゃぁ〜それでよろしく!」
奥出雲訪問も仕切り直しになったし、同級生からの問い合わせはある意味都合良く仕事が入ったふうになった。
そろそろお盆法要の粗品を造り始めようと思っていたところだ。
しばらく藍染の手ぬぐいが続いているし、今までのように短時間で一気に作成するほどの体力も不安だしするから、ダラダラと時間はかかるが作業は単純で簡単な柿渋染めにしてみようと決めた。柿渋は知り合いの棟梁へ頼むといくらでも分けてくれるが、まずは試作で試してみることにして、匂いのないお手軽な柿渋を注文した。少々高いが作業中に匂いのストレスが無いだけでも助かる。上手くいけば本格的に大量生産を計画してみよう。

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コチョウランとレンゲ 

2019/07/09
Tue. 23:46

この数日は梅雨も小康状態だが、所によっては局地的に激しいスコールが降っていてホコリまみれの銀くんを都合よく洗車してくれる。
ガソリンスタンドへついた頃には、スコールのおかげでソコソコキレイになっていたから、燃料を満タンにしてからスタンドに置いてあるセルフのタオル雑巾で窓ガラスだけ念入りに拭いておいた。

吉田家前の駐車場には、既にワイフの車が停めてあった。
玄関を開けてもクロは出迎えてくれない。
ワイフが先に帰った時は彼女のお出迎えで満足するらしく、だいたいオヤジの帰宅は無視される。彼女は毎日猫たちのご飯やトイレの世話をしているからあつい信頼関係で意思の疎通が出来ているのだろう。吉田家のネコチャンズは実に正直者だ。

右手のシビレがひどいから夕食ができるまでの間、ロフトに上がって少し休むことにした。iPad miniを開いたら大量のLINE着信があった。ほとんどがなっちゃん絡みでユーシン君の写真が可愛い。もう2ヶ月を過ぎた。自分の子供達のことは記憶も薄れて成長の様子がなかなか思い出せない。首が座るとダッコが楽になると思うが、そうすると寝返りを始めたりいろいろ動きはじめて目が離せなくなる・・・そろそろそういう時期になっているのかもしれない。

東京在住の彫刻家Oさんから、日本橋三越で個展をしている本多さんの会場風景が届いていた。
照明が絞られて落ち着きのある会場へ展示された本多さんのテラコッタが素敵だ。
現代の具象彫刻家の王道を行く作風はさすがだ。
近年の彼の一連の作品群は表現のテーマが一貫している。見た目の優しさとかフォルムの美しさとか、そういう表面的な造形美に流されない、表現の品と芯の強さを感じる。
同じ彫刻家として40年近く制作を続けていると、プロフェショナルの彫刻家の力量は小品を見ればだいたいわかるような気がする。彼の彫刻には日本橋三越の画廊ギャラリーやコチョウランがよく似合う。

「ごはんよぉ〜〜」
夕食の支度が出来たらしい。ワイフの声で本多さんの世界から現実に帰った。
コンニャクとモツの煮込みが美味い。
アスパラの豚バラ巻き炒めには麦とホップがよく合う。
日本橋三越に吉田の彫刻は200%そぐわないナ!
吉田の個展にコチョウランはありえないナ!
まぁ、自分の彫刻と制作の立場をあぁいう世界と比べるということそのものが無意味なことだけど、コンニャク食べながらそんな妄想をしていることがなんとなく面白くてニヤケてしまった。
「あんた、そんなにコンニャク好きだったの?JAのモツが上等だったからじゃない?」
ボクの彫刻にはピーピー豆やレンゲが妥当だな・・・莫妄想!

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インデアン・ランナー 

2019/07/08
Mon. 23:35

銀山街道沿いは、しばらく前に栗の花が散った頃から家々の庭先や田の畦で紫陽花が満開に咲きはじめた。

通勤坊主で片道約40kmを往復していると、右半身のシビレがかなりこたえる。何をしても全快できるわけでもないということがわかっているから、いよいよ我慢ができなくなるまではダマシダマシ過ごしていこうと思っているが、それもまだ慣れなくて少々つらい。

まだ入院して手術を受ける前に「これから先、映画館で2時間ほどジッと座っていられることが難しくなるかもしれないから」と、ワイフを誘って出雲の映画館へ行った。ちょうどタイミングよく「グリーンブック」が始まるところだったのでソレを観ることにした。
白人と黒人の珍道中のシンプルな造りの映画だが、実在の人物がストーリーの元になっているそうだ。
白人の役者はヴィゴ・モーテンセンで、世間的にはロード・オブ・ザ・リングで名実ともに有名になったのだろうが、私が彼をチラリと見たのは「刑事ジョン・ブック目撃者」のアーミッシュの青年役だった。今から30年くらい前のことだったと思う。
あの頃は、ビデオデッキが大ヒットして、各家庭にまんべんなく復旧し、レンタルビデオ屋さんが一気に増えた。元々小さい頃から映画好きだったから、島根の映画館のない小さな田舎町でも自分の家で何時でも自由に映画を観ることができるようになったのは、自分の人生で一二を争うほどの幸せなことだった。
刑事ジョン・ブック目撃者も、吉田家のナンチャッテホームシアターで何度も観た。
慎ましく暮らすアーミッシュたちのコミュニティーで生まれ育った青年たちの狂気をはらむストレートで純粋な正義感の危うさが気になってアーミッシュに惹きつけられた。
それから先、幾つかの映画でちょい役だったり悪役だったりのヴィゴ・モーテンセンを見かけることはあったものの、私の乏しい映画情報の網に引っかかることはほとんど無くて、実は彼の名前を初めて知ったのもロード・オブ・ザ・リングだった。
ロード・オブ・ザ・リングで観た時は、影の薄いアーミッシュ青年とずいぶん印象が違ってたくましくなって、なんとなく自分がイメージしていた印象とは違いすぎていていた。
グリーンブックでは、そのヴィゴ・モーテンセンが、デブおやじになって登場した。
なかなかの変貌ぶりでビックリしたが、流石の役者根性だ。

このところ毎晩のように右手のシビレが酷くて眠れないものだから、ついつい夜更かしをして趣味の映画情報をたぐっていたら、ショーン・ペンのアレコレに惹かれていった。それで、彼の映画データをつついていたら、ナント!あのヴィゴ・モーテンセンさんにぶつかった。そういえば、これも随分前「ショーン・ペン初監督作品!」のキャッチコピーに釣られて、レンタルで観た暗い映画があったことをかすかに思い出した。確かベトナム戦争で心を病んでしまった弟と、小さな町の保安官の兄との物語だったような・・・とにかく、映画監督ショーン・ペンがはじめて造った映画としてはそれなりに良く出来ていたと思うが、テーマが重たいからあの頃は2回観る気になれなかった。それでもヴィゴ・モーテンセンは強く印象に残っている。
その映画は「インデアン・ランナー」と云います。もう一度観てみようかなぁ〜・・・

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祭りの夜 

2019/07/07
Sun. 23:57

夕方から飯南高原の赤名半夏祭りへでかけた。

赤名は広島県との県境に近い町で、新築された飯南町の役場があって一応は行政の中心になっているのだろう・・が、人口減少が加速していて町並みの町家は空き家も多い。
そういう、南北に伸びる町並みのほぼ中央に昔の国鉄バスの事務所や整備駐車場跡があって、半夏祭りの時はそこへ特設ステージが作られる。ステージでは、夕方から深夜まで色々な芸能の出し物が開催されていて、無料で鑑賞できる。おおとりは毎年お笑い芸人のステージが30分位行われ、今年はサンシャイン池崎のステージだった。

約2km続く赤名の町並みは祭りの間歩行者天国になって左右の軒先へ屋台が並ぶ。
農協スーパーの事務所前には今年も同窓会でよく開場に使う居酒屋が出張してモツ煮込みの出店を作っていた。
夕方日が暮れる頃から花火が上がる。
吉田家は、子供がまだ小さい頃から何度も見物に出かけているから、だいたい絶景の見物場所を心得ていて、今度も、ワイフが良い場所をおさえてくれた。
飯南町は和牛の産地でもあるから、モツ煮込みもなかなか美味い。他にも幾つかおつまみを買って、生ビールをチビチビやりながら約1時間ほど打ち上げ花火の見物をした。
梅雨のこの時期の祭りは、どうしても雨が多い。数年前には、ひどい土砂降りで花火が中止になったし、また別の年には低く降りた山の雲が切れなくて、打ち上げ花火をぜんぜん見ることが出来ないまま早々と途中で中止されたこともあった。まぁ、いろいろリスクは避けられない時期でもあるが、それでも昔から七夕もかねた半夏祭りが続いている。

赤名は広島方面から出雲大社へ続く参詣道の宿場町でもあったし、石見銀山から尾道の港まで陸路で銀を運ぶ銀山街道の中継地でもあった。
戦国の頃は広島の毛利軍と広瀬の尼子軍の領地拡大と石見銀山をめぐる攻防戦が続いた。
赤名の町を流れる赤名川は戦で流された血で真っ赤に染まったという。水量はそれほど多くないが、中国山地で貯水された水が絶え間なく湧き出して高原の水田を賄うほどの水量は十分に確保される。この赤名川は、幾つかの支流が合流しながら少しずつ大きくなって神戸川になって出雲大社近くの日本海へそそぐ。
瀬戸内方面から出雲大社への参詣者はこの川に沿って付かず離れず続く道を逸れなければ、必ずいずれは出雲大社へたどり着くことができるというわけで、とても重要な参詣街道になっていた。
万善寺も、その参詣街道からほど近いところにある。
飯南高原には歴史上のいろいろないいつたえや遺跡がアチコチに残っていて、古くから出雲の国にとっては霊山や聖域として重要視されていたようだ。そういう、古い土地で半夏祭りも昔から大事にされてきたのだと思う。

久しぶりに、夫婦水入らずで花火も楽しめて良かった。
そういえば・・・ワイフはあちこちで知り合いに出会って世間話をしていたのに、ボクは地元の同級生を全く見なかったし知り合いにも出会わなかった。なにか不思議だ・・・

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良い刺激 

2019/07/06
Sat. 23:08

自分の老化で身体が鈍くなったのか、飯南高原がいつになく涼しいのかよくわからない。
とにかく、島根の7月は近年に珍しく梅雨らしい雲が下がって、湿気は多いが涼しい。

「おかげんどうですか?しばらくご無沙汰ですし、快気祝いなどいかがでしょう?」
しばらく前に島根の彫刻仲間のSさんから連絡が入った。
前のような健康体ではないが、酒くらいは普通に飲んでいるしせっかくの誘いだからことわらないことにした。
彼は仕事の合間を縫って小さな彫刻を造り続けていたらしい。せっかくだからソレも持ってくるという。自分の方はまだ本気に彫刻制作へ入れないまま坊主家業が続いているから、良い刺激をもらえそうだ。
週末だったら夕方には万善寺へ来られると云うので、日程を決めた。
当日は午前中の法事を済ませたあと、午後から寺の作務をやりくりして農協スーパーへ回った。オヤジのナンチャッテつまみ程度のことだが2割引きの食材を中心にかき集めた。
ちょうどワイフの方は女子美術大学島根支部??だったかの同窓会と重なったので、あらかじめ酒のつまみになるようなものを幾つか作り置きしてくれて、とても助かった。
どうせ、仕事の流れで何も食べないで来るだろうから、夕食代わりで少し腹の足しになるようなものも造っておいた。

「これ飲みましょぉ〜!快気祝い奮発しましたよ!」
砂肝を炒めていたら、彼がレミーマルタン持参でやってきた。
さて、4・5千円はすると思う。ずいぶんと奮発したものだ。
彼に手伝ってもらって庫裏の6畳の居間までおつまみなど一式を運んで、まずはビールから快気祝いを始めていると、少し遅れて絵画のTさんが手造りハムとサッポロ黒ラベルを持ってやってきた。
最近は、彫刻のSさんとボクが飲もうと決めると、だいたい絵画のTさんも都合をつけて合流してくれることが増えた。それに、ワイフも含めて石見銀山の吉田家で宅飲みになった時は近所に住む女流彫刻家のUさんも加わる。
昔ほど大勢が集まってバカ飲みして大騒ぎすることも無くなったが、それでも何かと言うと、こういうコアなメンバーが付き合ってくれていることは嬉しい。

こんどのSさんの彫刻は春に制作した小品と同系列のものだ。徳島に出品する野外彫刻のマケットで、バランスとかセッティングの工夫で若干悩んでいるふうだ。
彼の彫刻家としての作家歴もそろそろ30年近くにはなっていると思う。アタリマエのことだが、初期の頃から見ると、造形力も制作技術や技法もずいぶん上達した。学生時代の彼は、制作の基礎技法を中心に勉強していた程度だったから、実材としての彫刻素材がはっきりと鉄材一つに決まったのは私と付き合い始めてからあとだった。溶接や溶断などの制作技術も私の横で自分の彫刻を作りながら見よう見まねで覚えていった。
そういう頃から彼の仕事ぶりを見ていると、最近の造形力の向上には目を見張るモノがある。これからの彫刻に必要な要素はやはり彫刻を触媒として社会と如何に関わりどのような提案をしていくのかという、コミットメントの追求に尽きる気がする。

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積もり積もれば・・ 

2019/07/05
Fri. 23:32

午前中は法事で過ぎた。
とくに年回が回ってきたわけでもないが、おばあさんが「だんだん弱ってきまして、いつまで生きていられるか心配なものですから・・・」ということで、義理の息子さんの方から依頼が入った。
その施主家は比較的大きな家で部屋数も多いから、それを「毎日維持していくのも大変なことだろう」と、配り物で訪問するたびにそう思うのだが、何時行っても玄関土間や坪庭など目につくところはきちんと整頓されて敷板もホコリたまりもなく長年の拭き掃除でツヤツヤと黒光りしている。万善寺などなかなかそこまでキレイに維持できないでいるから、自分の無精を反省して恥ずかしくなって、必要な用事を済ませたらそそくさと退散してしまう。
法事と言っても月命日の永代供養でお経を読む程度のことだろうと勝手に自分で判断して、そのような準備をして予定の時間に訪問したら、おばあさんに義理の息子さんをはじめ、亡くなった娘さんの友人知人まで皆さん正装して集まって、本格的な法事の様子になっていた。一瞬「ヤバイ!」と思ったが、平静を装ってまずはお茶のお手前をいただき、若干雑談をして少し落ち着いてからお経を始めた。

先代住職のお供で鐘つき坊主をしていた頃には、こういうタイプの法事は頻繁にあって、中には月命日に併せてお位牌さん持参でお寺にお参りをされることもあった。そういう一つ一つの供養法事の積み重ねは万善寺1年の経営維持費の糧になるから、ソレはソレで「法事も積もればナントヤラ・・」ということで、ありがたいことでもあったのだが、万善寺の代替わりにシンクロしたようにお檀家さんの代替わりも加速して、昔ながらの供養法要が一気に激減して今に至っている。

お経が終わって少しお話をしたあとお斎のお膳が出た。
最近では珍しいほどの豪華な膳だったから、寺へ帰るとすぐにワイフへ電話した。
私はお斎の膳に慣れているから、エビとか肉とか巻き寿司とか、そういう定番アイテムにあまり食欲を感じない。贅沢な話だが、だからといって粗末にできないから、吸い物とか汁物だけ頂いてあとは有難くオリに詰めて寺へ持ち帰る。それを家族がみんなでおすそ分けで頂戴して平らげるという具合が身に染み付いている。お斎のお下がりに釣られたというわけでもないが、いくつかの用事も兼ねて夕方近くにワイフが万善寺へ到着した。彼女は私の代行で午前中いっぱい働いてくれていたから、その慰労も兼ねて連絡したつもりだ。お下がりの膳をいただきながら、珍しく饒舌に代行の様子を報告してくれた。

月も変わって、もう7月に入っているのに、いまだに寺の用事が長引いている。
イッパイ飲んで良い気持ちでゴロリと横になるところまでは良いのだが、このところ、それから寝付くまでの少しの間にフッと彫刻のコトを思い出して気になったりすると、しばらくのあいだなかなか寝付けなくなってしまう。入院中に描きためたメモが記憶に積もり積もって、その幾つかがグルグル入れ替わりながら脳みそをかすめ去っていく。
やっかいなことだ・・・右半身のひどいシビレをはやくなんとかして形に置き換えていかないと、そのうち不眠症になってしまいそうだ。

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令和の山寺事情 

2019/07/04
Thu. 23:53

いつもは○○県で暮らし、1年の節目に島根県の実家へ帰省して数日間過ごし、大事が収束すると○○県の生活へ帰る・・・
こういう、二重生活が過不足なく続くことは珍しい。
○○県から島根県へも「帰る」と云い、島根県から○○県へも「帰る」と云い・・・前後の事情を知らないでそういう話を初めて聞く時は、なかなかすぐには理解に苦しむことだろう。
最近の私も、規模は小さいものの石見銀山の吉田家と飯南高原の万善寺を通勤坊主で往復していると、知らない間に似たような言い回しを使い分けていたりする。
世間ではそういう生活状況が普通になってきて、会話の流れが変なふうに錯綜して無駄な誤解を招いたりしてややこしいことだ。
人口減少の加速している飯南高原あたりでは、生まれた所で仕事をしながらやがて歳をとって生まれた場所で死んでお葬式が出て先祖代々続くお墓に入るというひと昔前なら当たり前だったことが、最近では逆に珍しくなりつつある。

生活の基盤が人付き合いの濃密さと大きく関連するから「ワシが死んだら、田舎の実家で葬式を出してくれ!」とか遺言めいたことを家族に話していても、結局当人が死んでしまえば残された家族の付き合いが優先されて、現住所の近所にある葬祭会館で葬式が出される。その方が葬儀の参列者も故人の付き合いや遺族の付き合いで八方丸く収まって助かる。

他の寺院の事情はわからないが、万善寺はこの近年細切れの葬式坊主とか法事坊主の事務的な依頼が何気なく微増し始めている。
例えば「戒名だけつけてください」とか「葬式にだけ来てもらえませんか?」とか、「うちの法事はおじいちゃんまででいいですから」とか「墓納めをしてもらえばあとは家族でなんとかしていきますので」とか「散骨に決まりましたので法事やお墓参りは結構です」とか・・・施主と云うか喪主と云うか、そういう人たちの生活地域によって寺院の収益事業にかなりの誤差が出ているようだ。
市街地のお寺では、戒名料を請求するらしいし、年間の墓地使用料徴収も当たり前のようだ。他にも坊主的に説明のしようがない不条理な金銭授受が、それこそ常識として通用していたりするようだ。

万善寺の場合、1年に1回ほど5尺塔婆をまとめて購入しておけばソレでだいたい用が足りる。そろそろ在庫が減って心配だから今までの業者さんへ発注しようと価格表を見たら、いつの間にか値上がりしていて予定が狂った。せめて、年回法事の塔婆だけでも内地産の柾目がキレイなヒノキくらいにはしておきたいと思っていたのだが、今の万善寺ではとても手が出せない。あれこれ業者さんを探して、洋材だけどソコソコの柾目が揃うあたりで手を打つことにした。施主さんへの塔婆代請求は購入金額から割り出している。塔婆で儲けようなどサラサラ思わないが、それでも金額を言うと「それじゃぁ、塔婆はナシということで・・」などと云われたりする。
さて、令和の坊主家業はこれからどうなっていくのだろう???

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よってらっしゃいみてらっしゃい! 

2019/07/03
Wed. 23:09

飯南高原は、まだ栗の花が咲いている。
途中の銀山街道の石見銀山あたりでは、そろそろネムノキが咲き始めた。
吉田家と万善寺では、営みのスピードにだいたい半月ほど差がついているようだ。

ワイフは花火が好きで、打ち上げ花火の情報が入るとその日の夕方を待ってわざわざ人混みを目指して出かけたりする。
私は、すでに一杯やっていたりして運転できないから自宅のホームシアターで映画でも見ていたほうが良い部類に属する。
子供達が小さくて狭い吉田家で家族6人が蠢いていた頃は、花火好きのワイフが近所の子供まで誘ってイソイソと花火見物へ出かけていた。
やはり東京生まれで東京育ちの彼女には江戸っ子のDNAが引き継がれているのだろう。

今年も飯南高原は赤名(あかな)半夏祭りが近づいた。
「半夏(はんげ)」というと、坊主的には、僧堂の修行僧たちにとって夏安居の折り返し点であり、私のような在家坊主には手間替え随喜の真っ最中ということになる。
元々半夏祭りは、隣町の禅宗寺院で大般若経転読会の随喜日に決まっていた。想像だが、赤名半夏は地域のお百姓さんたちがちょうど田植えシーズンでもあるし、田畑の神様へ豊作をお願いするお祭りとして僧侶の夏安居時期に併せてご縁日が出来上がったのではないかと思っている。
最近の赤名半夏は飯南町の商工会主催で行われているから、特にお百姓さんたちの神事とは関係がなくなって毎年7月のいずれかの土曜日に開催されるようになった。
イベントの最中に飯南高原のりんご園の近所から打ち上げ花火があげられて、ソレがなかなかの規模で見応えがあるから、ワイフへ半夏情報を伝えておくことにしている。
よく覚えていないが、昨年は何かしらの都合が重なって花火見物が上手くいかなかったように記憶している。
今年はちょうど私は昼のうちに法事があって万善寺にいるし、ワイフは講師の仕事をしていて一緒に行動できないから「どうする?半夏??」と彼女に相談したら「私がお寺へ行けば良いんでしょ。そうすればアナタは飲めるし」ということで、花火を見物しながら生ビールをグビッとやることが出来そうな様子だ。
そうなると、あとはこれからセッセとお経をあげて当日の好天を御本尊の千手観音様にお願いすることになる!

「男はつらいよ」の新作ができるらしい。
寅さんの甥っ子の満男がメインでストーリーが展開されるようだ。
半夏祭りには寅さんのようなテキヤ業のみなさんがアルミの箱トラックやワンボックスで西日本一帯から集まってくる。今は、昔から比べると町並み歩行者天国の規模が3分の1に縮小された。そのかわりになるのだろうか?芸能ステージが旧国鉄の整備車庫に作られた特設会場で行われる。
その夜は、小中高校生たちも特別に半夏祭りを堪能できるようになっていて、私も、小さい頃は寺から自転車で延々1時間かけて出かけたものだが、打ち上げ花火は無かった。

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只今梅雨真っ最中! 

2019/07/02
Tue. 23:24

飯南高原は相変わらず梅雨らしい毎日が続いていて、ここしばらく琴引山の全景を見ていない。
通勤坊主で銀山街道を走っていると、ちょうど峠を登りきった行政境から飯南高原へ入ったあたりで耳の鼓膜が気圧の変化に反応してエンジン音が変わって聞こえる。それでゴクンとつばを飲み込むとまたもとに戻る。
だいたい、そのあたりが海抜450mくらいになっていると思う。万善寺もほぼそのくらいのところにある。

琴引山は海抜1000mを少し超えるほどだったと思うから、梅雨の雨雲がソレよりずっと下まで降りているということで、だから湿度も高くて洗濯物も乾きにくくて少々困っている。
いくつかの洗濯物と一緒にリーバイスを干していたらソレだけ乾きが遅くて、やっと乾いた頃にはなんとも不快な匂いが染み付いていた。そのままたたんで仕舞うと他の洗濯物へその匂いが移りそうな気がして、結局洗濯をし直して今度は干し方を変えてみた。
物干し代わりに使っている庫裏の南側の縁側も気のせいか湿気で湿っぽく感じる。
まだ子供の頃のことだったけど、庫裏の北側にある納戸の襖を開けたら、床に敷いてある夏ゴザに青カビがビッシリと生えていて、畳との隙間には小さな白いキノコが生えていたことがある。毎日人が住み暮らしていてもそういう事があるほど梅雨は湿気が多いということなのだろうが、あの時の発見は小さな子供にとってはかなり大きな衝撃だった。
洗濯物をたたみながら、そんな昔のことを思い出した。
島根県はそういう梅雨らしい梅雨の毎日が続いているが、九州の方は大雨が続いて被害が深刻なようだ。宮崎や福岡には彫刻の知人もいるから心配だ。

吉田家の裏庭整備もあるし、今のうちに急いで寺の境内地をキレイにしておかないと、お盆前の草刈りがオオゴトになる。
庫裏の西側では、もう何年も放置して伸び放題の庭木がジャングルになっているから、思い切って今のうちにすべて切り倒してしまおうと決めた。両親が健在だと絶対に許可がもらえなかったことだ。
そういう午前中の作務をおおよそ計画して作業着に着替えたり長靴を履くなど準備をしていたら、玄関土間に張り付いている湿気に足を滑らせた。あと一歩のところで大事には至らなかったが、足首の古傷と膝からふくらはぎにかけての筋へ激痛が走った。そのままひっくり返ったら準備しておいた草刈機のノコ刃を引っ掛けて大怪我になっていたかもしれない。
お寺のことばかりでもなく、工場で彫刻の制作中もそうだが、いつどこで何が起きるかわからない。近くにだれもいない一人の時はとにかく慎重に行動しないといけない。アブナイアブナイ・・・

Apple Watch4の転倒検出機能で何人もの人が生命を救われていると記事にあった。最近は、交通事故のお婆さんやお風呂で意識不明になった男性もその機能のおかげで助かったそうだ。これからは、自分の命は自分で守れるように管理できることが増えていきそうだ。ちなみに、ボクのApple Watch2にはその機能はありません・・・残念ながら・・・

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雨男の覚悟 

2019/07/01
Mon. 23:04

どちらかといえば「雨男」だと自分では思っている。
だから、今のようにシトシトと降り続く梅雨とか、晩秋から早春にかけての山陰地方特有のドンヨリとした冬空から舞い落ちる雪とか、そういう湿っぽい環境はあまり嫌いではない。
それでも、この近年は突然のゲリラ豪雨とかドカ雪とか迷走台風とか、予測不能の天候が頻繁になって、のんびりと「実は、ボク雨男でして・・・」とか「雨もそれなりに情緒があっていいですねぇ〜」とか、そういう発言も「不謹慎だ!!」とはばかられるようになって、世間話ひとつするにもどこかしら勝手が違って緊張していたりする。

万善寺オリジナル3ヶ月カレンダーの2枚めが終わって3枚目に入った。
カレンダー上でのフォーシーズンが、後半に入ったことになる。
前半は、3月に個展が終わってから入院手術と続いて、退院できたら万善寺がらみの諸行事が絶え間なく続き、連日の営繕作務も体力減退で持続力も半減し、とにかく1日が一瞬で去っていくような毎日が続いて、いまだにそれが解消できないでいる。
今年のフォーシーズンカレンダーは八大人覚から前半の4つをいただいたものだが、これからの3ヶ月はまさに「寂静」を目標に過ごしていきたいものだと、終わった1枚をめくりながら気持ちを改めたところだ。
7月は営繕作務に汗を流し、8月の盆月は坊主家業に汗を流し、9月からは彫刻の制作に汗を流し・・と、心穏やかに過ごしにくい3ヶ月となる。
そろそろ通勤坊主から単身赴任に切り替える時期になって、人付き合いの苦手なボクとしては、世間のお付き合いにドップリと浸り切る試練のシーズンでもある。
あまり無理をしないで失った日々を少しずつ取り戻したいと思っている。

飯南高原に残っている地元の同級生が久しぶりに集まって飲んだ。
公務員や会社員など前職は様々だが、死ぬまでリタイヤのない自営業も何人かいる。
一応住職の肩書を持つ私も、自分の意志で帰俗しない限り死ぬまで住職でありつづけることになる。自分としては、なかなか気楽でいられないことで重たい錘を抱え続けているようなものだ。
ちょうどその日、AppleCEOのティム・クックさんが、スタンフォード大で恒例のスピーチを行っていた。WEB配信の記事には、前CEOのスティーブ・ジョブズさんが亡くなった時、初めて「単にAppleを引き継ぐ“準備ができていること”と本当の意味で“覚悟ができていること”の違いを自覚した!」そうで、それから学位授与の学生たちへ「誰かの人生を生きることに時間を使わないでほしい!誰かの思い通りになってはいけない!」と話したとあった。どれだけの学生が彼のスピーチを受け入れ自覚できたかはわからないが、少なくとも還暦を過ぎて限りなくヨレヨレのボクの心にはグサリと突き刺さった。

八大人覚はお釈迦様の遺言と言われているし、道元禅師さまはその修学がなければ坊主とは言えないと言われているほどの、大事な仏教の心理であるようだ。ナンチャッテ坊主にはとてもついていけそうにない気もしているが、「大事であること」くらいはわかる気がする。とにかく向こう3ヶ月は「寂静」を大事に暮らしていこうと努力するつもりだ。

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2019-07