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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

キーポンの夏休み 

2019/08/30
Fri. 13:54

夕方から観音様とお地蔵様とソレをお祀りのお宅の先祖供養と、もう一軒古墓一切の供養で出かける。
もうずいぶん前に先代住職が書いてそのままになっている守護塔婆をそろそろ更新したほうが良いだろうと、それぞれに経木塔婆を書き直して新調した。
本当は、毎年更新したほうが良いことなのだが、施主家は浄土真宗の門徒さんでもあるし、あまりしつこく曹洞宗の様式を押し売りするのもどうかと思って、そのあたりの実情を深く掘り下げないようにしている。
ちょうど元号も変わったことだし、タイミングとしては良い頃合いだと思う。

1週間ほど前にキーポンがお盆休みをずらして帰省して、昨日の最終便で東京へ帰っていった。今頃は、職場の保育園でセッセと働いているはずだ。
吉田家の場合、盆正月は寺の仏事がいつも以上に立て込んで、在家のような「お盆休み」とか「正月休み」のような習慣がない。だからキーポンに限らず、子供皆には「どうせ帰ってもお互いに落ち着かないし、無理に国民の大移動へあわせる必要もないから・・」と云い続けている。

春は春でお彼岸の仏事があるし、結局世間の長期休暇の時期へ何かしら1年の節目の仏事が重なっている。
まだ少年だった頃は、そういう寺暮らしの不条理をなかなか素直に受け入れることが出来なくて、何かと反抗を繰り返していた。
高校生になってから後も、学校が休みになる度に寺の仕事が入ってソレに付き合うことになって夏や冬のメジャーな遊びに集中することも出来なかったし、休業を使って本格的な長期旅行や観光をすることもなかったから、そのことについても毎年常にかなり根強く陰鬱な不満を持ち続けていた。
結婚して子供が生まれると、余計に寺の公的環境と吉田家の私的環境を区別することが難しくなって、子供たちを前にして公私混同を避けることが出来ないまま今に至った。
昔、自分自身が環境の現状に馴染めないまま悶々として過ごしていたから、我が子やワイフにはそういうストレスばかりの面倒臭い生活はしてほしくないと、できるだけ私一人で出来ることは家族の誰も当てにしないで済まそうと心がけている。
それでキーポンが帰省を決めた時も、お盆の行事が重ならない時期を調整してこの時期になった。
もっとも、キーポン自身は帰省の主たる目的が吉田家の日常とは別のところにあって、仕事のストレスからしばし開放されて、久しぶりに地元の友人と逢うことであったり、ネコチャンズと戯れて癒やされることであったり、島根の美味いものを堪能することであったりして、パパ・ママはひたすら自分のスケジュールを調整して彼女の専属ドライバーやお抱え調理師に徹したのでありました。

ズゥ〜ッと県内のアチコチを転々としているじゅん君は別にして、関東で暮らしている三姉妹は島根への帰省をそれなりに喜んでくれている様子が伺える。私と違って、里帰りが苦痛になっていないだけでも、少しは公私を切り替えることが出来たのかなぁと思う。

キーポンとの昼食は寺の近所の奥出雲そば
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ネコチャンズは1年半ぶりのキーポンを覚えていたのでしょうか??
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昼食は家族3人でオシャレなレストラン
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レストランの前庭やアプローチには彫刻家吉田正純の鉄の彫刻
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気持ちの向く先 

2019/08/29
Thu. 13:18

銀山街道や出雲街道脇の田圃でコンバインが動き始めた。
年々稲刈りが早くなってるように思っていたが、今年は8月のうちから稲刈りが始まっている。早稲の品種や飼料米のこともあるのだろうが、それにしても早い。
週が変わって義務教育の子供たちの通学風景が戻ってきた。
こちらも、8月のうちから二学期が始まったようだ。
自分が歳をとったせいなのか、周囲の色々なもののスピードがどんどん速くなっているように感じていたが、そういえば、まだ8月に入ったばかりで棚経が始まった頃、やっと実り始めたばかりの稲穂スレスレに盆トンボの大群が風に乗ってホバリングをしていた。風向きが変わると一斉に銀くん目がけて向きを変えてくるものだから、チョット焦って思わずハンドルを握る手に力が入った。
梅雨が開けて連日暑い日が続いていた。

諸仏の夜法要がひとまず落ち着いた。
これから8月末までに幾つかの古墓一切追善法要が少し残っているだけなので、気持ちが日に日に彫刻の方へ向き始めている。
今年は5週間の入院生活のおかげで、かなり大量のメモが溜まった。
その中から幾つか目星をつけておおよそ制作の方向を決めておいたものを仏事の合間に眺めて再考していると、また次の欲が湧きはじめてきた。
夜、オシッコで目が覚めてなかなか寝付けなくなってしまった時にメモの幾つかを思い出したりすると、またまた無駄に浅ましく欲深いコトを考え始めてしまったりして収集がつかなくなる。
結局は、今の自分の体力や体調と相談しながら無理のないように出来ることを精査することが肝心なのだが、どうもすんなりと割り切れないで気持ちがジタバタと落ち着かない。
今まで造ってきた彫刻は、必ず形の何処かへどうでも良い蛇足がひと手間加わってしまうことばかりだった。ソレはソレで「ソレが吉田の彫刻らしさダ!」と云えなくもないが、やはり造り終わってみると無駄な蛇足が無駄に目について造形の緊張感が崩れていたりする。
結局は考えすぎているからだろうし、やれば出来てしまうくらいの邪魔な技術が我が身に染み付いてしまっていて、それで身体が勝手に動いてしまうのだろう。
この頃は、彫刻であると言えるかどうかもわからないような、なんの変哲もない彫刻が造れると良いと思う。

1日中晴れて良い天気だと思っていたら夜になって土砂降りになったりして、銀くんのリヤデッキに積んであった彫刻梱包用の古毛布などが濡れてしまった。
稲刈りが終わって11月から農閑期の数ヶ月ほど次の彫刻を展示させてもらうから、今のうちに前に造った彫刻を引き取ってもらう施主家まで移動する。
秋雨前線の様子をみて2tのユニック車を予約しておいた。
全部で4点の彫刻を早朝から積み込んでお昼前にそのうち3点ほどを施主家の庭先へ仮置きした。それから寺へ移動して残りの1点を境内の端へ設置して夕方に2tを返却した。
今の体調で少々無理をしすぎたように思うが、とにかくこれから彫刻制作がはじまる・・・

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2019年の501 

2019/08/27
Tue. 14:16

特に深刻に本気になっているわけでもないが、身体が思うように動かなくなってから、今まで以上に自分の周囲をできるだけ丁寧に慎重に意識するように心がけるようになった。
断捨離を兼ねた身辺整理のようなものだ。

車の運転は、今後身体の状態が急変しないで大過なく過ごすことができたとしても、せいぜい15年位が潮時のような気がする。銀くんを大事に乗り回して20万kmは乗り続けようと思っているが、1年半で走行距離が4万kmに達しようとしているし、これからは無駄に乗り回さないようにしなければ、土壇場のところで辻褄が合わなくなってしまいそうだ。

彫刻家を自覚してそろそろ40年近くになって、このままいけば自分の半世紀を彫刻家として過ごすまでになる。制作を継続している彫刻にしても、これからは完成後の彫刻の身の振り方を含めて一括制作計画へ取り込んでおかないと、結局気づかない間に粗大ゴミと化して家族や後輩諸氏へ大変な迷惑をかけてしまいそうだ。坊主家業の方は住職を引き継いでからまだ10年程度のことだから、あと10年ほど大きな波風をたてないように慎重に目立たないように過ごせば、さりげなく周囲の知らない間に世代交代を進められるかもしれない。自分の周囲の痕跡とクールに付き合いながら少しずつ抹消していくことがこれからのライフワークになる。

衣食住を日常の生活の基盤とすると、一存では融通がきかなくて一番やっかいなのが「住」だ。コレばかりは家族のこともあるから、とにかく自分に関係するモノだけでも後の厄介にならないように地道に始末し続けるしかない。
「食」は、最近とくに意識して無駄食いとか無駄買いをしないように努めている。お寺のことだから年間を通して色々なお供えを有難く頂いているが、戦後の時代を乗り切った前住職夫婦はとにかくなんでも大事にしすぎるようなところがあって、お供えしてあった御下がりの1年も前のもみじ饅頭が冷蔵庫で眠っていたことなど普通だった。いくらありがたいお供えであっても、自分や家族で御下がりの消費が難しいと判断したら「お供えの御下がりなので少々線香臭いとは思いますが・・・」などと注釈しながら賞味期限が切れないうちに近所の彼方此方へすぐにおすそ分けすることにしている。シーズンの旬のものはとにかく何かに調理しているから無駄にゴミで捨てることもない。自分の嗜好を優先しなければ、冷凍庫で眠っている一昨年の餅や米だって美味しくいただくことが出来る。
「衣」は、そもそも基本的にユニホームを更新し続けているだけだから、自分で劣化の時期をおおよそ判断して買い替えている。大衣や袈裟は数十万もするから私の代は更新しないことに決めている。改良衣や白衣は5年ほど前に更新したから、あと5年位はなんとかして繕いながらもたせるつもりだ。彫刻の作業着はこれから彫刻家を廃業するまでくらいは更新しないで済みそうだ。日常のカジュアルな普段着はワイフが時々親切に衝動買いしてくれるから自分ではリーバイスの501を更新するだけでいい。前回は2013年と2014年の11月にメキシコ製を買った。時間差で更新しておくと最低5年は保つ。それで、2013年が6年目でついにダメージジーンズになった。注文したら先日エジプト製が届いたので早速洗濯機へ放り込んだところだ。今後あと1回位は更新で注文することになるだろう。
ボクの場合、着るものに流行がないところが大いに助かっている・・・

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夏の坊主 

2019/08/24
Sat. 11:16

飯南高原は朝晩が寒くなって過ごしやすくなった。
日の出日の入りも一ヶ月前からすると目に見えて変わってきた。
境内へ舞い降りていたスズメの集団は、保賀の谷に広がる稲の穂へ飛散して姿を見なくなった。
ツクツクボウシが裏山の彼方此方で鳴き始めた。
ミンミンゼミの鳴き声もわずかに聞こえる。
気温の上昇が激しすぎるからか、近年はセミの鳴き声をあまり聞かなくなった。
昔は境内の庭木へセミの抜け殻がたくさん張り付いていたものだが、最近はシーズンに2〜3個しか見かけることが無い。
少し落ち着いて自分の周辺を見渡すと、確実に自然環境が変化していることを実感する。

朝の用事を一巡しても、汗をかかなくなった。
ポットに湯を沸かしてコーヒーの準備をしながらインスタントのオニオンスープを一杯すすった。
5月末に退院してから後、寺にいる時はだいたい朝のスタイルがこんな感じで落ち着いている。
ご飯1合だと3日で完食する。
お供えに頂いた素麺だと1日に一束茹でる。
御下がりのお餅だと食べやすい大きさに切り分けて冷凍しておいたものを2個ほどレンジでチンする。
主食はそのようにして昼食と夕食の時に食べ分けながら毎日が過ぎている。
夏の間は、棚経の先でお布施代わりに夏野菜をいただく。
きゅうり一本やなす二本やピーマン三個に、時々トマト一個くらいを「今日の朝収穫したものですけぇ〜」と新聞紙に包んでおすそ分けをいただく。
一軒一軒はわずかなものだが、その日一日棚経を一巡すると、自分一人で食べきれないほどのひと夏分の食い扶持が集まる。
棚経帰りに、この夏になってはじめて近所の農協スーパーへ寄っておすそ分けでカバーできないタンパク質を補充した。
2割引や半額を探すのだが、鳥や豚や豆腐や練り物など、十分すぎるほどの食材をゲットできた。夏の約1ヶ月半はせいぜい食費が5000円もあれば十分で、かなり助かる。
それに、市街地でお住まいのお檀家さんからはチラホラとビールの詰め合わせがお供えで届いたりして、毎晩の晩酌も不自由がない。
必要経費の出費と云えば、棚経移動の燃料代にお知らせ案内の郵券代、それに生活費の光熱水費がいつもより増えるが、それは節約も限界があるし、仕方のないことだ。

夏の坊主は、なかなか厳しいハードワークが連続する。
しかし、一方で特に贅沢をしなければ生活のゆとりも出来て気持ちが豊かでいられる。
世間の在家のようにお盆休みで帰省の家族親族でごった返す慌ただしさもない。
一日が終って文庫本片手にいただきものをつまみにしてチビチビやりながらノンビリ過ごすオヤジの一人飯もなかなか良いものだ。

朝の用事が終わるとコーヒーでひとやすみ
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頂いた夏野菜が大活躍!
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豚肉は半額、朝どれきゅうりが美味い
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冷蔵庫で眠っていたベーコンを発見!
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塩麹浸けの鳥はチョット油断して揚げすぎてしまった・・・
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シーチキンとあえたいんげんやスープにしたトマトはお供えの御下がり
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飯南高原の夜 

2019/08/23
Fri. 09:04

万善寺の施食会が終わると、飯南高原に点在する諸仏や古墓の供養法要が続く。
どの法要もほとんどが夕方から夜にかけてはじまる夜法要になる。
夜の法要は、それなりにそれなりの意味があってのことなのだが、そのあたりのことをくどくどと語り始めても興味のない人には面倒臭いだけのことだろうからやめるが、昔々は夜の仏事もけっこう多かったということだ。万善寺も、現住職が小僧時代は夜の法要後に盆踊りがあって、狭い境内には屋台も出て、ソレはソレは賑わったものだ・・・

さて、その夏の夜法要のスタートは、薬師堂に安座されるお薬師様の供養法要。
薬師堂のすぐ裏にある小高い山には山城があった。
そのお城を中心にした一帯にはお寺の跡も確認できていて、そのお薬師堂も昔は地域全体で大事にお祀りされていたのだろう、先代住職の頃までには夜法要に周辺から多くのお参りがあって賑わっていたと聞いた。
昭和から平成に元号が変わる頃から周辺願主の世代交代や高齢化が進み、地域の常会を経て供養法要が解体された。結果、お堂再建に積極的に関わった当時の有志のみなさんが残って、小規模なお薬師講として今に存続することになった。
私はそういう地域の事情が落ち着いてからあとになって、彫刻制作で毎日プラプラしていたところへ「せめて夜くらいは坊主の仕事が出来るだろう・・」と先代住職に押し切られて、副住職の業務ということで夜法要へ出かけることになった。まぁ、それまでも副住職という職名のもとで先代の侍者送迎担当を続けていたから、鐘つき坊主が導師に昇格した程度のことだったけど、塔婆回向も引き継いだりしてそれなりに荷が重くなって「気楽ではいられなくなった・・」という、経緯がある。

次はお薬師堂から2kmと離れていないところで、七面大菩薩を中心にお祀りされてある馬頭観音様や地蔵菩薩様など諸仏の供養法要がある。
琴引山を遠望できる緩やかな丘陵にお堂があって、昔からその地域各所へ点在していた野仏さまや個人願主の祈念で建立された仏様や掛け絵仏の観音さまなどが集められて安座されてある。先代住職の頃までは、その諸仏も地域全戸で法要の当夜を持ち回りされながらお祀りされてあったのだが、私が住職を引き継いですぐに、これも地域の常会で法要の継続不能と決着がついて、諸仏に縁深い有志の皆さまが七面さまを中心にした御講を組織されて今に至っている。
こちらの方は、一度法要が解体された機会をもって塔婆回向だけ自然消滅した。そのぶん法要の時間も短縮できて年々棚経の疲れもたまる一方だった私もずいぶん助かった。

法要後の御下がりをいただきながらささやかな酒宴が始まると、誰からともなく自分が小さかった頃からの仏様にまつわる思い出話が始まる。特に計画建てて気にしているわけでも無いと思うが、昔話に花を咲かせながらさりげなく次の世代へ申し送りをされているふうにも思える。とかく親の云うことは「面倒臭い!」が先になって上手く引き継ぎできないことが多い。隣のオヤジにナニカ云われて肝が据わる。
仏教の根本がどうこう難しいことはヌキにして、とにかく、かたちばかりのコトが長く続くうちにだんだんと仏様を身近に感じるようになれれば良いと思う。

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万善寺夏の大イベント 

2019/08/19
Mon. 13:46

万善寺夏の大イベント施食会法要が盛況??のうちに終わった。

午後の2時から施食会がスタートして、終了後塔婆回向をして、約1時間半で法要のすべてが終わる。
ワイフは珍しく前日の夕方に万善寺入りしてくれた。
私の方は、右の首筋から指先まで重くズシリとシビレていて、塔婆を書くのが実に辛かった。
荘厳などの準備は、ジュンくんが半日ほど手伝ってくれて、保賀の檀家さんから紀ちゃんが手伝ってくれた。
棚経の方は15日で前半が無事に終了したのだが、そのあいだの疲労が少しずつ蓄積して庫裏の整頓と本堂の荘厳準備は身体が思うように動かなくてどうなることかと悲壮感も漂い始めていた状態だったから、二人のお手伝いは何よりありがたいことだった。
8月後半になってこれからしばらくは、地域や個人の施主家へでかけて色々な仏様や古墓の供養法要が続く。
荘厳の片付けは、その合間を縫って少しずつ無理のないようにゆっくりと時間をかけて終わらせるつもりだ。

とにかく、年金暮らしが本格的になるのを待っていたように体力がガクリと減退した。
昨年もそれなりに厳しいお盆ではあったが、まだそれなりに一切合切一人で切り盛りできていた。
今年はとても昨年までのようにいきそうもなくて、法要の直前まで途方に暮れた。それでも本番当日をむかえてしまうと、まぁ、それなりになんとかなってしまった。
今までのコトを思うと、寺の彼方此方で見苦しい様子がさらされてしまってはいるが、それはそれで、自分が今できることを精一杯やり遂げた結果だから、それなりに納得は出来ているつもりだ。

ワイフは、法要が終わって後片付けが一段落したところで石見銀山の吉田家へ帰った。
手間替え随喜の方丈さまがたの湯茶などの接待を、ワイフが一人で相手してくれている。
私の方は本堂のアレコレを一人で切り盛りして、その間に法要の導師をつとめている。
方丈さまがたは総勢5人。今年お参りの檀信徒のみなさまは16人で、ことづけが7軒。
なにかと気を使うことばかりだが、総勢20人を相手なら、ワイフと二人で半日くらいはなんとか乗り切ることは出来る。
今更ながらにソコソコよくやっている方だと自分では思っているし、ワイフの働きには頭が下がる。

梅雨が終わってから連日猛暑が続き、先日は島根県を縦断するように大型台風が来た。
田んぼのコメはいつもよりずいぶん早く花が咲いて穂が出て、今はそろそろ穂先が垂れ始めている。万善寺の古古米を食べに来ていたスズメたちが台風に合わせたようにパッタリと来なくなった。アイツラもコメの穂が実り始めたことをよく知っている。不味い古々米より瑞々しく実りはじめの新米が美味いに決まっている。

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台風がきた 

2019/08/16
Fri. 10:11

やっと棚経が終わった!

最終日は大型台風が西日本を通過するということで、前日から行政の防災放送が何度も流されていた。
北に小高い山を背負った南向きの万善寺は、中国山地の南(広島県側)を西から東へかけて台風が通過すると、強風に注意しなければいけない。
保賀の谷を琴引山から強風が吹き下ろしたり、逆に琴引山へ向かって吹き上げたりする風の道になっていて、あまりにも風が強烈だったり、気圧が一気に変わったりするとつむじ風に変わったりすることもある。

まだ、島根県へUターンしてすぐの頃、土蔵のトタン屋根が畑のど真ん中まで吹き飛んでV字にひっくり返った。健在だった前住職夫婦が大騒ぎをして大変な思いをしたが、人力でもとに戻すことも出来ないし、ひとまず雨よけのブルーシートを掛けて当面はソレでなんとか凌ぐしか無いことになった。
そもそも、土蔵の屋根がトタンぶきだというところから本来の土蔵の意味をなしていないような気もするのだが、現住職の私が小学校へ上がる前後の頃までは薄っぺらいソギぶきだったから、ソレよりは少しはマシになったといえるのかもしれない。

さて、棚経最終日の台風は、結局傘を一度も使うことなく午後2時前にすべて終了した。
お盆に入ってからはお檀家さんを中心に棚経をおつとめするが、この近年は高齢者の一人暮らしが増えたり、市街地に家を建てたお子さんがそちらへ引き取られたりなどして、昔から継続している棚経の暗黙のルールのようなものがしだいに乱れ始めてきた。
お経を読んでいる最中に何度も着信が入ったりしてどうも落ち着かない。
移動中に返信をすると「台風で飛行機が飛ばなくなったものですから・・」とか「おばあさんの具合が良くなくて入院することになったものですから・・」とか、そういう連絡だったりして、結局、施主さんの都合にあわせて出直すことになったり棚経のキャンセルになったりする。
それでも、ソレはまだ良い方で、お知らせの棚経案内を郵送しておいても、返信もなく音信不通で家の鍵もかかってどうすることも出来ないという施主家もチラホラと増え始めているし、山寺末寺の住職としてはなかなか厳しい現実にジワジワと締め上げられている。お経が終わってお茶飲み話のついでに、気がつけばお檀家さんを相手に暮らしの愚痴が出ていたりしてドキッとすることが何度かあった・・・坊主にあるまじきことだ・・・反省!

まぁ、そんなこんなでひとまずシビレた身体をダマシダマシ8月の前半をなんとか凌ぐことが出来た。
これから、万善寺の夏本番を迎え施食会法要がある。
身体が思うように動かないから、近所のお檀家さんに荘厳のお手伝いを頼んだ。それから、お墓や参道の掃除も近所の心安いお檀家さんが汗を流してくれた。
これからは、自分で出来ることが少しずつ減っていくのだろうな、きっと・・

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真夜中の懐柔 

2019/08/07
Wed. 11:41

8月に入ってもう1週間が過ぎた。
大往生のおばあさんの二七日が来た。
お盆の棚経も1日から始まって15日まで続く。
ワイフが10日前から留守をしているから、毎日通勤坊主を続けている。
しばらく前から燃料が上がった。
台風8号の影響がまだ少し残っていて風が強い。
早朝の銀山街道を飯南高原へ向かっていると、途中の九日市にある温度計はまだ7時過ぎで既に29℃になっていた。
棚経で木魚を叩き続けているせいか、右腕のシビレがひどくなって夜に眠れない。
・・・まぁ、もう半世紀も前からお盆の月はこんなもんで、そう大きな変化もないからその時時の流れに我が身をゆだねるしかしょうがないことだ。

毎日がそれほどドラマチックに過ぎているわけでもないが、そうかといってなにもないこともないし1日として同じことがデジャビュのように繰り返されているわけでもないからブログネタに窮することもない。
寺の1日の用事を片付けて吉田家へ帰って夕食で一杯やってしまうと腕のシビレも忘れて夜の早いうちから眠くなってしまう。
だいたい深夜の午前0時前後に目覚めてオシッコをすると、それからしばらくは眠れなくなってしまうものだからWEBニュースを回覧したりして次の睡魔がやってくるのを待つ。
幾つか気になる記事があるとソレをメモしたりURLを記録したりして、思いついたことをブログの何処かで書き残しておこうと思うのだが、最近は、落ち着いてA4の1枚分(原稿用紙だと3枚分くらいかな?)を書き起こす時間が無くなっている。
チョット空いた時間があるとラップトップを開いてブログのページへ移動するのだが、途中まで書きかけたモノを改めて読み直していると、どこかしら気持ちが滑って軽々しく思えてしまってガラにもなく真夜中に真剣に物思いにふけったりしはじめて始末が悪い。
結局、それでかえって目が冴えていよいよ眠れなくなってしまったりする。
大事なことは備忘録としてその日のうちにiPad mini5へメモしてあるし、頭がシッカリと回転している間は、しばらく時が過ぎてもそういうメモを手がかりに大事なことは思い出すことも出来るだろうと無理をしないで気楽にいるようにしようと決めた。

たとえば、ブレードランナー2019年のことがきっかけで気になり始めた過去・現在・未来のこと・・・現在の最先端テクノロジーが50年後にはどのように機能しているのか?いないのか?・・・なんてことを真剣に思ってみたりしているのです。
そうすると、毎晩のように真夜中に巡回している幾つかのWEBニュースにしても、気がつけば知らない間に吉田正純の思考や嗜好や指向や志向に特化した記事が集まっていたりして「これは絶対にAI機能で操られているな!」と懐疑的心理が活性しはじめて「アブナイアブナイ!ヤツに懐柔されてはイケナイ!」などと、AI相手にジタバタとどうでも良い芸能や政治や経済や・・とにかくいろいろな記事や流行のYouTubeなどをわざわざ検索して対抗しているつもりになったりしているわけです。

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2019-08