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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

アッチもコッチも 

2019/12/30
Mon. 10:43

24日のクリスマスイブは小品彫刻展の最終日だった。
吉田はお檀家さんの二・七日以芳忌で朝から通勤坊主。
展覧会の方は、12月に入ってクローズが1時間早まって夕方5時になったから、その時間に間に合うように寺を出発することが難しい状態のまま日が過ぎた。とにかく、最終日だけでも受付をしながら会場の様子を見ようと急いだのだが、石見銀山へ到着したのは結局クローズぎりぎりになってしまった。記帳を確認したら広島在住で絵画の作家F氏のサインがあった。あとになってショップスタッフが「家族で観光だったみたいで、展覧会のポスターを町内で見られたそうで・・」と彼の名刺を手渡してくれた。
クローズのあと、1時間位かかって展示台から彫刻を降ろし、送られた梱包材を広げてたところでその日はひとまず作業を終わらせた。夜になってF氏にお礼の電話を入れると、良い目の保養をさせてもらったと嘘か真か有り難いねぎらいのお言葉を頂いた。

25日は朝から彫刻の梱包にとりかかった。
年末のことで県内からの出品作家もそれぞれに自分のことで忙しいだろうと、最初から手間の助けは期待していなかったが、作業中に作家の一人から「明日にはお手伝いしますので・・・」と電話が入って、それでまたヤル気が出た。「今日中に全部終わらせるから大丈夫!」と気持ちだけありがたく受け取って作業をしていたら午後になってショップ関係者の男性社員が集合して、展示台や梱包済みの彫刻の運搬を手伝ってくれた。手間数が一気に増えて一瞬で搬出作業が終わった。
夜になって雨になった。

26日は丁度小品彫刻展がスタートした日に亡くなったおばあさんの四十九日大練忌と重なったので早朝に石見銀山を出発した。前夜の雨を心配したが朝にはやんでいた。万善寺から急げばその日のうちに彫刻の発送ができる。吉田家へ帰ると直ぐに銀くんへ梱包した彫刻を積み込んで近くの郵便局へ走った。すでに集配が終わった後だったようなのに局長さんがさり気なく集配中の局員へ電話をしてくれた。あまり大きな声では言えないが、こういう時に多少の融通が効くのも顔見知りの田舎の小さな郵便局のいいところだ。
それから1~2日のうちに、SNSで五月雨にアチコチの作家から彫刻受け取り完了の知らせが入った。

あれからまた1週間が過ぎて、明日は大晦日で令和元年が終わり、そして、万善寺のナンチャッテ住職は小品彫刻展交流会前日に葬儀のあったおばあさんの三・七日洒水忌。
今年の小品彫刻展は、ことごとく万善寺の葬儀仏事と重なって少々苦労した。
長い人生、こういうこともたまにはあるものだと実に具体的に実体験した。
まだ年末のアレコレやらなければいけないことも残っているが、出来ることを一つずつ片付けてそれで何かが残れば、それはそれで仕方がないことだ。
1年をふるいにかけて均せばそんなに大騒ぎするほど忙しいわけでもないのだが、こうして一人しかいない吉田の周辺で同じ時に別のことが重なるとアッチもコッチもいつもと同じようにはいかないから、結局アッチにもコッチにも迷惑をかけてしまう。
坊主も彫刻家も自営で自由業なはずなのに兼業となるとなかなか難しいものだ・・・

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不妄念~ふもうねん~ 

2019/12/23
Mon. 23:33

元号が平成から令和に変わろうとする前後の万善寺オリジナルカレンダーは、以前からのデザインを踏襲しつつ、何かしら時代の節目としての痕跡を残しておきたいとも考え始めたら、それで気持ちが乱れてまとまりようがなくなって、ちょうど昨年の今頃は昼となく夜となくジタバタと悩み続けていた。
結果、落ち着いたのが「八大人覚(はちだいにんがく)」だった。

宗門では修行の根本とされているから、ソレを知らない坊主がいたら偽坊主ということになって大騒ぎになるくらいとても大事なことだ。
仏紀2585年はまだ「令和」元号がわからないでいたから、仏紀と西暦だけ記載し、八大人覚の前半4つを4シーズンに分けてカレンダーにした。
周知の如きナンチャッテ坊主は僧堂の修行も適当にヌルイまま済ませてしまったから、こうして改めてお釈迦様や道元様のお言葉に向き合うと、言葉一つの重さや深さにたじろいでしまって、2019年カレンダーはなかなか原稿を完成させることが出来なかった。
今年は、昨年の悩み苦労を回避しつつ後半の4つをまとめて今までより少しほど日程に余裕を持って印刷原稿をつくった。
印刷屋さんも、年末は何時にも増して忙しいだろうに快く引き受けてくれて、クリスマス前後には納品してもらえそうだ。

一つ悩んだのは「不忘念」にするか「不妄念」にするかということ。
勉強中からつい最近までズゥ〜ッと「忘」の字を当てていたのだが、2020年カレンダーを作るにあたって改めておさらいしてみると「妄」の字を当てるという解釈もアリに思えてきはじめた。
筆で書くには「忘」の字がサマになるような気がして、しばらくはそれで練習メモを続けて、最終原稿までもっていった。それから一晩寝て再度見直してみると、やはり「妄」の字のほうが今の自分の心境を言い当てているような気がして、急遽文字を入れ替えることにした。正しいとか間違いとかそういうことではなくて、どちらもそれなりに大事なポイントをもっていることだと自分を納得させて、あとはその時の自分の現状を「妄」の一文字に託したような感じだ。
それで「不妄念」だが、その3文字を借りて今の自分の生きざまを素直に表してみた。
数年前から「Landscape trace 或る日の痕跡」を彫刻のタイトルにしている。
過ぎた失敗は取り返しがつかないから、せめて同じ失敗を繰り返さないようにするしかない。自分への戒めも込めて一つ一つの彫刻を造り残すことが制作の目標になっている。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
不妄念~ふもうねん~
だいたいに人の心は弱いもの
やたらと見栄を張ってみたり・・
根拠のない妄想に取り憑かれたり・・
欲に目がくらんで理性をなくしたり・・
些細なプライドを捨てられなかったり・・
なかなか厄介ないきものなのです

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1~3月印刷原稿2020

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交流会の朝 

2019/12/22
Sun. 20:27

小品彫刻展交流会の朝は空に月が残っていた。早いものでそれから1週間が過ぎた。
年末の慌ただしい時期に日程の都合を決めてしまったから、参加も少ないだろうと勝手に5人も集まればいいだろう位に予測していたら、結果、その2倍以上の参加になった。
4~5人程度だったらいつもの「まっちゃん食堂」でなんとかすればいいと事前にワイフへ相談やらお願いやらしていたのだが、彼女も昼となく夜となく用事が詰まっていてなかなか良い返事がもらえないまま日が過ぎた。
そうこうしている間に、ある日の早朝、万善寺のお檀家さんから着信が入った。
ちょうど運悪く直ぐに電話へ出られない事情が重なっていたので、少し落ち着いてから返信をすると「今朝早くにお母さんが亡くなりまして・・」と、またも訃報が入った。
お母さんといっても、すでに90歳にはなるだろうご高齢のおばあさんで「春くらいから急に弱ってきて・・」とか「起き上がることもやっとのようで・・」とか周辺からチラホラと漏れ聞こえる話は、あまり良いことでないものが増えていた。とにかく、まずは枕経を急ぐことになって交流会のことを後回しにするしか無いことになってしまった。
飯南高原の行政区では、この1年で死亡による人口の自然減がすでに200を超えたらしい。一方、出生の方は20人以下で「今後人口増加に好転することはまず無いだろう・・」と、保賀の山王さんの秋祭りで話題になったばかりだった。
万善寺では、結局この1年でお檀家さんのお葬式が6つになって、檀家軒数の1割を超えた。寺の維持管理も日頃は別段忙しいわけでもないのだが、だからといって余裕があるわけでもなく、実に曖昧でその場しのぎのいい加減ゆるいスケジュールでやりくりしてなんとか1年間の辻褄を合わせているのだが、今年ばかりはそうもいかなくて流石に疲労の回復が間に合わなくて弱った。

交流会は、徳島の松永さん、三木さん、武田さんが沢山の徳島名産持参で参加してくれた。島根県の作家は私も含めて4人。あとは彫刻の展示会場を提供してくれたショップのスタッフ有志。それに、埼玉の本多さんや高橋さんは参加できないからと差し入れして気遣ってくれた。他にもなにかの縁でもあったのかグッド・タイミングで其処此処からの差し入れも重なって贅沢な交流会になった。
今年の小品彫刻展は、久しぶりに抽象彫刻が増えた。
この近年というか、かれこれ20年位は前からのことになるのだろうか、時代の流行もあるのだろう、少しずつ彫刻表現が具象に偏ってきて抽象彫刻が減り続けている。若い作家の嗜好にそういう流れができあがっているのかもしれない。
抽象彫刻というと、ある日突然にフッとひらめいて湧いて出てくるようなものでもないし、それなりにデッサン力の裏付けも大事だし、造形の理屈も心得る必要がある。それに何より制作上の客観的なコンセプトがしっかりとしていないと、彫刻としての構造物へ昇華還元するまでにならない。
たまたまだったのだろうが、この度の交流会は作家歴は違うものの、みんなそれぞれが自分の抽象を追いかけ続けている彫刻家が集まった。飲み食いで忙しかったから抽象の突っ込んだ話をするまでには至らなかったが、それでもお互いに次の制作へ向けてそれなりに刺激を受け合うことはできた気がする。みんな春には次の展覧会が決まっている。小品彫刻展が少しでも次のステップアップに繋がってくれるといいのだが・・・

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猫も一役 

2019/12/21
Sat. 16:10

12月に入ってしばらくした頃、雀たちが万善寺へ帰ってきた。
保賀の谷の田んぼで稲の穂が出て少しずつ実が膨らむ頃までは、毎朝夕古古古米へ稗や粟や向日葵などをブレンドした万善寺オリジナルの雀ご飯を先を争ってパクツイていたのに、そろそろお盆になろうかとする暑い盛りに稲穂が頭を下げ始めたら途端に糠臭い古古古米など見向きもしないで新鮮な新米の甘くて柔らかい若穂目当てに保賀の谷へ広がる田んぼのあちこちへ飛び去ってしまった。

本堂の座の下を散歩の通り道にして猫が徘徊するようになったと気づいたのは、まだ雀が万善寺へ帰ってくる前だった。
衣替えで、夏の着物を洗濯して和箪笥へ仕舞いながら冬シーズンの袷や襦袢と一緒に大衣を取り出していると、畳んだ衣の間からネズミ駆除用のピンクの毒エサが次々と転がり落ちた。あの頃はまだ万善寺のアチコチへネズミが出没してお供えのお菓子や乾物をカジッたりして悪さをしていたが、猫が何処かからやってくるようになった途端にネズミがいなくなった。

数年前には狸が座の下へ住み着いていたこともあるし、本堂の天井裏にはイタチの寝床もあった。ちょうど1年前には朝帰りのテンが繁茂した裏山の雑木を伝って庫裏の屋根伝いに天井裏へ入り込んで昼寝をむさぼっていたがそのうちいなくなって、それから1年テンを見ることも絶えた。
寺の日常の暮らしが困ってしまうほど特に迷惑をかける訳でもないし、狸やイタチやテンもネズミの駆除に役立ってくれるといいと思って見て見ぬふりで過ごしていたのだが、その頃はネズミ出没の絶えることがなかった。そのかわりムカデやベンジョコウロギが絶えた。彼らの食性はどうやらそちらの方を好んでいたようだ。

猫は寺へ住み着いているわけでもないし、時々の散歩コースに本堂の床下が入っているだけなのだろうが、それでも寺の管理者である住職のボクとしては、一匹の猫のおかげであれほど悪さをしていたネズミがいなくなったという事実は見過ごせないものがある。それで、ささやかなお礼も兼ねてホームセンターにある一番安い猫飯を一袋買った。毎日万善寺へ通勤しているわけでもないが、年の瀬に向かって日中は寺で過ごすことも増えたし、早朝に出勤すると本堂の座の下脇へ猫飯を一皿用意しておくことにした。そうすると、だいたい次の朝には食べ残しの残骸も全く落ちていないほど皿がきれいに空っぽになっている。

吉田家のネコチャンズは日がな一日ゴロゴロと寝てばかりいる。
寒くなって吉田家ロフトのマイルームへコタツを出したら、それからシロが入り浸るようになった。クロは図々しくも昼と云わず夜と云わず、ほぼ1日中マイベッドのど真ん中を占領している。
彼等が吉田家に同居をはじめた7年前から、吉田家からネズミが消えた。あれだけ雑然と散らかり放題なのにゴキブリやムカデと出くわすことなど1年で5回と無い。
猫たちもそれなりにさり気なく一役働いてくれて立派な生活共同体になっている。

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眠れない夜 

2019/12/09
Mon. 23:40

右手の痺れは、これ以上ひどくならないように気をつけながら死ぬまで上手に付き合うしかないことになった。特にネガティブに思うこともないが、痺れが我慢できなくて深夜に目が覚めてしまうとそれから後が目が冴えて眠れなくなって、ソレが少々つらい。
小品彫刻展がスタートした頃は痺れもいつもどおりでそれほど気にならなかったのに、受付で長い間ジッと椅子に座っているといつの間にか身体の節々が凝り固まって動きがぎこちなくなっていたりする。そういうことが何回か続いているうちにこうして眠れなくなる夜が増えてきたところだ。
「素人診断はダメよ!きついんだったらちゃんと病院へ行きなさい!!」
食事の何気ない会話でポロリと愚痴らしきことをこぼしてしまうと、だいたい何時もそうやってワイフに厳しく叱られる。
自分としては「今日は何時もよりチョットだけ辛いな・・」くらいの軽い世間話のつもりなのだが、途端に食卓の空気が重く沈んでせっかくのメシが急に味気なくなってしまう。
こうして、自分はこれから先少しずつ歳をとって身体が不自由になっていくのだろう・・

眠れない夜は趣味の音楽にドップリと浸かってそれなりに充実した時間を過ごしている。
昔はFMのエアチェック専門で、ジェットストリームが終わってからのアスペクト・イン・ジャズを楽しみにしていて、油井正一さんのプロフェショナルな解説が良かった。録音しておいたカセットテープを聴き直してLPを探したりするのも楽しみの一つだった。
オスカー・ピーターソンの「ナイト・トレイン」を探しだした時は、ジャケットの写真がメチャクチャカッコよく感じた。ニュー・アルバムではなかったが中古品でもなくて、当時の貧乏学生にはなかなか手を出せないまま何度も購入を断念したものの、やはりどうしても欲しくてその月の25日に手渡しでもらったアルバイト代をリーバイスのお尻ポケットに入れて新宿三越の裏にあるレコード店へ直行したことを覚えている。肝心の楽曲の方は、オスカー・ピーターソンらしいラウンジジャズのような癖のないテクニカルな演奏で、それこそ眠れない夜のお供に最適だった。

LPレコードの時代は、カッコいいジャケットのデザインを探し出すのも楽しみの一つだったし、何より美術の基礎を勉強していた自分には趣味と実益が一つになってとても都合の良いデータベースにもなっていた。特に本気になって分析をしていたわけでもないが、中でもジャズは中身の楽曲がボンヤリとイメージできて好きなものが多かった気がする。
ニューシネマが全盛の頃はまだ高校生だったが、いちご白書の主題歌にもなったジョニー・ミッチェルのサークルゲームを松江のレコード店で探した時は、アルバムジャケットのイラストがやたらとオシャレでカッコよくて、レコードプレーヤーも持っていないのに思わずそのレコードを衝動買してしまったこともあった。ナント!、そのイラストはジョニー・ミッチェル自身が描いたものだった。彼女の透明感のある歌声がそのままイラストになった感じで「ボクにはとてもあぁ云う絵が描けるセンスはないな!」と、それでデザイン科を受験することをやめた。
今は、トルド・グスタフセンのアルバムデザインが好きだ。ノルウエーだったかスウェーデンだったか、彼は何処か北欧のジャズマンだったと思う。勿論中身の楽曲もボク好みで良い!最近、夜に眠れない時はよく聴くようになった。

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冬の簾 

2019/12/08
Sun. 23:52

皆さんご存知のように、私は本業彫刻家で家業住職坊主で実態はヒトギライな引きこもりニートオヤジ・・・といったところですが、一方、毎日刻々と日が短くなって冬至やクリスマスが近づく、まさにちょうど今の時期がとっても好きでウキウキしてしまうのです。
ようするに、微々たる一日の用事をアレコレと言い訳を用意しながら先送りしつつ、昼間からダラダラ自堕落にニート暮らしを続けているオヤジにとって、昼間が短く夜が長いという1日はかけがえのない至福の1日であるというわけなのです・・・

積雪にもならない雪がパラリと降ってすぐ消えたあと、今の時期にしては珍しいほど晴れの日が長く続いている。
晴れの少ない冬の日本海側で外仕事には絶好の良い天気がここまで長引くと、日頃怠け者のボクでも流石に何もしないで毎日ゴロゴロしているわけにいかなくて、朝から夕方まで境内をグルグル回りながら庭木を刈り込んだり雪囲いをしたりして過ごしている。
もう、かれこれ10年くらい前からシーズンになるとしぶとく使い続けていた簾が、今年の夏の終りになってついに編糸がバラバラにほつれ始めた。それでも風化の具合がそのまま捨てるには忍びないほど渋いものだから、なにか他のことで使えるかも知れないと丸めて土蔵へしまっておいたのをフッと思い出して、黒竹の雪囲いで使うことにした。

昨年までは、土蔵の雪がずり落ちる丁度真下に自生する黒竹が気にはなりつつ、これといって何をすることもなく自然の再生に委ねてばかりだったのだが、流石にほったらかしのままだと年々勢いが無くなってこのままだとそのうち絶えて自然消滅するのがみえはじめてきた。
丁度運良く春の筍の時期に入院して寺を長期間留守にしていたのが幸いして、住職の手が入らないままアチコチから芽を出した黒竹の筍がのびのびと成長した。大きくなって葉を広げた若竹を見ると、それなりに殺伐な境内の風景に少しばかり風情が感じられたりしたものだから、これからしばらくは「チョット手厚く育ててやっても良いなぁ〜・・」と思うようになって、今度が彼らにとって初めての試練の冬になる。
若竹も1年を無事に乗り越えれば2年目から少しずつ繊維も丈夫になって特有の黒光りも艶が増してくる。
廃棄処分同然の簾がどれほど雪囲いの役に立ってくれるかわからないが、無いよりはマシだろうと、朝課のお経が終わってから庭へ出た。

12月になって小品彫刻展の会場はCloseが17:00となった。
陽が短くなって島根の田舎では観光の足も早くから途絶えるし、営業の経費削減も考えなければいけない。それで、彫刻会場の受付も17:00少し前には電源を落として入場を止める。このところ、通勤坊主で寺からの出発が遅れて会場のCloseに間に合わないことが続いていて、ショップのスタッフさんに迷惑をかけてばかりで恐縮する。
今度15日の夕方から石見銀山の近所から出品の彫刻家が集まって慰労や情報交換を兼ねた忘年会のような集会を持つことにした。作家の皆さんへ告知したところ、暮れの忙しい時期なのに四国の松永さんが駆けつけてくれることになった。宿泊の手配も出来たし、当日まであと1週間足らずになった。今から楽しみだ。地酒の新酒でも探してみよう・・・

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銀くんの屋根 

2019/12/07
Sat. 23:12

イチョウがすべて落葉してから、少し前まで万善寺駐車場が黄色の絨毯を敷き詰めたようにキレイだったのが、最近の冷え込みで連日霜が降りるようになると葉の水分が無残に凍って一気に干からびた赤茶色へ薄汚く変色した。
12月に入って雪も降り始めたし、このまま冬になっていくのだろうと思っていたら、予想に反して快晴が続いて、雲ひとつ無い秋の空が戻ってきたようだ。

元号が令和に変わって初めての冬は、頚椎の手術をした私にとっても術後初めての冬になる。
10日ほど前から右手の指先にかけての痺れが急にキツくなって、今まで効いていた薬の効果が薄れてきた。
処方の薬もあと僅かになったし、年内に内科と外科を回っておくことにした。
内科はそれほど気にならないが外科の方は待ち時間が長くなることがわかっているからそのつもりで暇つぶしを確保しておいた。それでも年末のせいもあってか、いっこうに呼び出しもかからなくて流石に暇をつぶすネタも尽きた。
iPad miniをなんとなく回覧していたらAmazonでルーフキャリアを見つけた。
今の銀くんへ変えた時、2m位の長いものを積むためにほしいと思ってカーショップを回ったこともあったが、その時はダイハツのモデル変更直後で規格に合う凡庸性のキャリアがまだ市販されていなかった。
それから日常の慌ただしさに紛れて失念したまま過ぎていたのをAmazonのせいで今頃になって思い出してしまった。そろそろ1回目の車検も迫っているし、ひょっとしたら今の銀くんに合う規格のものが出来ているかも知れないと気になって規格表示サイズを元に探してみたら、ROCKYのSGRシリーズでどうもSGR10がボクの銀くんの屋根に載せられそうだとわかった。Amazonだから買い物かごをポチッとやれば一瞬で購入手続きが完了するのだが、そんなに安い買い物でもないし、とりあえず自宅へ帰って再度細かくチェックしながら一晩くらいは落ち着いて考えてみることにした。
次の朝になって、結局ポチッとやってしまったルーフキャリアが、その後1週間位は過ぎただろう頃に帰宅してみると届いていた。
ちょうど天気も良いし、万善寺でゆっくりと組み立てることにして箱のまま銀くんへ積み込んだ。
いつものように寺の朝のアレコレを片付けて、コーヒーをいつもよりたっぷりと用意した。
バックミュージックはシェリル・クロウのアルバムにしてキャリアを箱から取り出した。アルバム1枚が1時間チョットなのでソレを目安に説明書を見ながら組み立てた。
少し華奢な感じで重量物だとグラツキそうな気がしないでもないが、しばらく様子を見て気になるところは補強を考えてみても良い。
ひとまず、念願だったキャリアを取り付けられたのだが、年末のどちらかといえば寺のこともいつもより忙しかったりするのに、大事な時間を自分の私的なことで使ってしまった。
チョット後ろめたい気もして、チキン坊主の心がチクリと傷んだ。
夕方のお経は、線香も長いものをお供えしていつもより念入りに丁寧に時間をかけた。

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初月忌 

2019/12/06
Fri. 23:24

雪は境内に少しほど残してあとはすっかり消えた。
ひとまずシーズン最初の寒波が去ったようだ。
万善寺の庫裏はアチコチ隙間だらけで、立て付けの悪いガラス戸1枚で仕切られただけの外の気温と殆ど変わらなくて寒い。
潜り込んでいた布団のぬくもりが恋しくてなかなか起き上がれないままグズグズしていたら知らない間に二度寝をしてしまって、9時過ぎには初月忌のお経を読みに出かけようと思っていたのに寝過ごして遅刻してしまいそうになった。
寒いなどと言っていられないから、急いでハンガーに掛けてある冷え切った襦袢や袷の着物を着た。

早いもので、おばあさんの訃報を聞いて枕経を読んでからもう1ヶ月が過ぎた。
初月忌は、祥月命日の次の月に巡ってくる、初めての月命日を云う。地域や寺の事情によっては初月忌のお経を割愛するお寺もあるようだが、万善寺の場合は施主家の要望があれば伺うようにしている。それでも、前住職から私に代替わりした頃にはすでにその習わしもほとんど消えかけていて「初月忌はどうされますか?」と聞くと「ソレなんですか??」と聞き返されたりすることが殆どになっていた。意味の説明をしていると、話の途中で「ソレいいですわぁ〜、どうせすぐに七日が回ってきますから・・」と辞退される。四十九日までの七日ごとのお参りと、初月忌のお参りはその趣旨とか意味がぜんぜん違っているのだが、日常の我が身の生活に手一杯で「そういう仏事の一つ一つへ律儀に付き合うだけの余裕が無いので・・・」という面倒臭そうな様子がモロに表情へ出ていたりすると、その程度の信心へいちいち付き合うことも面倒になって「あぁ〜そぉ〜ですか。じゃぁ〜オタクでお供えしてもらって、舎利礼文くらいは読んであげておいてください・・・」と、サラリと流してしまう。
万善寺くらいの規模の寺で、葬式坊主とか法事坊主を決め込んでセッセと坊主営業を勤め上げても、ソレだけで我が身の日常生活が普通にできるわけでもないから、せめて寺に居る時くらいはできるだけ本来坊主の大事な勤めである修行三昧とガタピシ山寺の維持管理の作務に励むことを大切にしようと心がけている。

それで、滑り込みセーフで初月忌のお経を読むことが出来たあと、世間話をしながら帰り支度をしていたら「ちょっとまってくださいね、お膳のスパゲティーたくさん作りすぎたんで方丈さんのお昼代わりにしてもらおうと思って・・・今持ってきますから・・・」と、あらかじめ準備してあった様子のラップで包んだお弁当を頂いた。丁寧に割り箸まで添えてあって、ラップ越しにサラダや香の物も見える。
「おばあさん、食べることが本当に好きだったから・・・味付けが薄いと思いますから・・・濃い味のものがあんまり好きじゃなかったものですから・・・」
むすめさんはこうして節目のお膳を料理しながら生前のおばあさんの好みをなぞっていらっしゃるのかも知れない。まさに、おばあさんのお膳のおさがりを頂いたふうで、むすめさんの信心の気持ちが手にとるように伝わってくる。
四十九日まで続く仏事で、これほど坊主の気持ちが和むことはめったに無い。
お昼は、自然と背筋が伸びて手作りのお弁当に手を合わせて合掌した。

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今日の仏膳 

2019/12/05
Thu. 23:35

飯南高原は雪になった。
広島県との県境には海抜1000mを越える琴引山と大万木山がある。
その山頂が見えなくなるほどの雪が断続的に降り続いたが、国道や万善寺のあたりはうっすらと白くなった程度ですぐに消えて積雪までにはならなかった。それでも、万善寺の境内には屋根からの雪吊りで雪山が出来た。
今年は秋が暖かかったから、紅葉の見頃が無いまま冬になった。
いつもだと今頃にはだいたいほとんどの広葉樹は葉が枯れ落ちて枝木だけになっているのだが、未だに枯れ葉がしぶとく枝にくっついていて山の地姿が全く見えてこない。このままドカ雪が降ったりすると、落ち葉にならないまま枯れ残った葉に雪が張り付いて、その重さに耐えられない枝木が折れて電線を切るなどの冬の災害が増える。
数年前もちょうど今のような感じで12月が始まって年越しが迫った頃にドカ雪が来た。アチコチの電線が倒木の被害にあってしばらく停電が続いたせいで、今流行りの電化住宅は大変なことだったと聞いた。
万善寺はまだ母親が元気で生きていて、朝夕は目の色を変えて狂ったように参道の雪をかき分けていた事を思い出す。どこかしらあの年と似たような冬になりそうな気もして、チキン坊主は少々ビビっている。

「今朝は久しぶりに冷え込みまして足元も悪いのにご足労いただいてすみませんねぇ〜」
七日務めで朝のうちにお参りしたら、亡くなったおばあさんの娘さん(といっても、私とドッコイのおばさんだけど・・)が申し訳無さそうな顔で出迎えてくれた。
「いえいえ、雪も降らないと冬になりませんからねぇ〜これからもっと冷え込むでしょうし・・」などと、世間話をしながらろうそくや線香の準備をして、湯茶と仏膳を香へ潜らせた。早いもので、もう七日務めも四七日になる。
宗門では仏事があると仏前へ5つ組のお膳を用意してお供えする。
そのお宅はいつも丁寧に仏膳を作ってお供えされてあって、とても美味しそうだ。
お経を読んでいても、修行の未熟なナンチャッテ坊主はお膳に釣られて口に唾が溜まって途中で何度もゴクリと唾を飲み込んでお経の流れがだらしなく途切れる。
説教にもならない小話が終わると「いつもいつも美味しそうなお膳で・・おばあさんも喜んでいらっしゃいますよ、きっと!」とお世辞でもない正直な気持ちを伝えると「できるだけおばあさんが好きだったものを作ってあげようと思いましてねぇ〜」と嬉しそうだ。
「あのぉ〜・・・チョット聞くんですけど・・・麻婆豆腐好きだったんですけど挽き肉入ってるし・・・やっぱりおそなえの膳にはダメなんでしょぉ〜ねぇ〜・・・それに、鮭のおにぎりとか、そういうのもよく自分で作ってたんですけど・・・それからつぼ椀に肉じゃがもダメですよねぇ〜・・・」
きっと、亡くなったおばあさんが仏膳のことを事細かに言い伝えされていたのだろう。
「いいじゃぁ〜ないですか!あまり気にされなくてかまいませんよ。万善寺も前住職は何かとうるさいことを言ってましたが、いいですよ好きなものを作ってあげてください!」
今日の仏膳には飯碗へ美味しそうな炊き込みご飯が盛ってあった。
帰り際に「これ、お昼代わりにどうぞ!お膳と同じものですけど、たくさん作ったんで」と弁当にしたものを頂いた・・・帰って開けてみると、炊き込みご飯がノリを巻いて俵むすびになっていた・・・

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定休日 

2019/12/04
Wed. 23:05

この数日で一気に冬らしくなってきた。
隙間だらけの吉田家は朝晩の底冷えが厳しくなってきたせいか、ネコチャンズの活動も鈍って一日中ゴロゴロと寝てばかりいる。
小品彫刻展の会場は毎週水曜日が定休日だし、寺の用事も少し落ち着いたところだし、それに最近右腕から指先の痺れがひどいしするから、たまにはネコチャンズに見習って??一日ゴロゴロと過ごしてみることにした。

半年ほど前から吉田家ホームシアターの要であるプロジェクターが起動するたびにギャァギャァとものすごいノイズを発するようになってズゥ〜ッと気になっていたのだが、なかなかその原因に付き合うほどのまとまった時間が作れないまま今になってしまった。
朝のうちしばらくはネコチャンズとマッタリ戯れながらのんびりしていたのだが、ワイフが仕事にでかけた頃からどうもジッとしていられなくなってソワソワ落ち着かなくなってきた。それで仕方がないから、気になっていたプロジェクターへ付き合うとこに決めた。
その三菱製プロジェクターを使い始めてもう20年近くにはなると思う。
当時はけっこう高い買い物だったが、映画好きのボクとしてはそれなりに納得のいく商品だったから最後まで購入に抵抗していたテレビ好きのワイフを振り切って他の家族を説得して買ったものだ。それから約20年、子どもたちも独立して二人暮らしになってからは、彼女も機嫌の良い時やたまたま時間と気持ちに余裕がある時はボクのホームシアターライフに付き合ってくれるようになった。
彼女のお気に入りは「深夜食堂」と「時効警察」・・・何時だったか、お気に入りの訳を聞いたら、オダギリジョーが好きなのだそうだ。そういえば、どちらのドラマにも彼が出演しているし、もう結婚生活40年近くにもなって初めて彼女の好みがわかった。

取扱説明書が何処かにあるはずだと、吉田家の心当たりの場所をアチコチ探してみたが結局見つけられなかったので、ウエブ検索をしてPDFのページを探り当てた。
プロジェクターは度々動かすこともないし、故障だとすると配線コネクタの接触不良かファンの汚れだろうと素人診断してメンテナンスをしてみたのだが、変な異常音は治らないし、今度は画像までブツブツ途切れるようになって収拾がつかなくなってしまった。
どうしたものかと、だんだん焦ってくるし、そうこうするうちにゴロゴロと寝ていたネコチャンズが目を覚ましてご飯を催促して大騒ぎを始めるし、完全に集中の糸が切れてしまった。とにかくひとまず落ち着こうと、関係のAV機器を全てリセットしてみることにした。
ネコチャンズにご飯をあげて水を補充して、それからカップに残って冷めきっていたコーヒーを飲んだら少し落ち着いた。
再度、それぞれの機器へ電源を入れなおして起動を待っていたら、少しずつ明るくなったスクリーンへ「ランプを交換してください」と荒いドットの文字が浮かんできた。
「そぉ〜かぁ〜・・・さすがに20年も使っていたら、ランプ交換の時期も来るわなぁ〜・・」ということで、不具合の原因がわかって一安心!

それからしばらくしてワイフが帰ってきた。なんか、休息どころかグッタリ疲れたなぁ〜

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吉田ネコチャンズ 

2019/12/03
Tue. 23:55

あまり行儀の良いことでないとわかっているが、やはり会場の受付をしているとお客さんが絶える時間帯もあって退屈になるものだから、そういう時はiPadのKindleへダウンロードしておいた本をチビチビ読み流している。

「村上さんのところ」は、暇があると繰り返し読んでいてもう何度目かになる。
小説でもないし、エッセイでもないし・・・ああいうQ&Aの集合体的本はなんと言って良いのだろう??・・とにかく、何処から読み始めても何処で終わっても全然気にならないし、何より、既に何回か同じ場所を読んでいるはずなのに「全く内容を覚えていない・・」というところが飽きなくて都合が良い。
そんなわけで、たまたま今回開いたページからは猫のネタが幾つか連続で続いていた。
村上さんのことはそれほど詳しいわけでもないが、幾つかの村上本を読んでいると、どうやら彼は比較的猫好きの人であるらしい。だからといって、たとえば夏目漱石さんとか竹下夢二さんとか群ようこさんとか、彫刻では木内克さんとか・・世の中に猫ネタで思い当たる有名人はいっぱいいるし、村上さんが特別という気もしない。

実は、吉田もどちらかといえば猫好きな方で、現在同居している猫を含めて7匹の猫が今までの自分の人生の節目のどこかに絡んでいた。犬の方は小さい頃に寺で飼っていたポチと2012年の2月に19歳10ヶ月の長寿で大往生したシェパ君の2匹だから、やはり犬よりは猫のほうが縁深いのだろう。
今同居しているのは2匹で、名前はクロとシロ。
クロの方は迷い猫か捨て猫だったのをじゅん君が拾ってきた。石見銀山の間歩へ行く途中の側溝へ落ちて這い上がれないまま弱々しく鳴いていたらしい。まだ乳離もしていないし自力でウンコやシッコもできないほど小さかったから、運が良ければ生き残れるだろうくらいの気持ちで世話を始めて特に猫用の飼育グッズを用意することもしないまま、だいたいを吉田家のそのあたりにある代用品で済ませたのだが、しぶとく生き続けてそれなりにスクスクと育った。少しずつ性格が固まってきた頃にオシッコの出が悪くなったのでドクターに診てもらったら尿道が詰まっていた。腎臓障害の傾向があるようだと診断されて、それから何度か医者にかかったりご飯を高級品に変えたりしたらその後極端に体調を崩すこともなくなって、わがまま放題に脱走を繰り返しつつ気がつけばもう7歳になる。
クロが同居を初めて2ヶ月ほど経った頃、シロが吉田家にやってきた。
シロは、子猫ながらもすでに立派な野良猫になっていて、いつの間にか知人が飼っていた二匹の猫に混ざってご飯を盗み食いしていたところを捕獲された。その知人が「さすがにウチの財政で三匹は無理!」とSNSで告知していたのに気がついて、吉田家は家を留守にすることも多いし、性格が合えば留守番をするクロの気休めになるかも知れないと1日位ほどさり気なく見合いをさせたら、そのうち自然と仲良くなったのでそのまま預かることにして今に至った。元々野良猫で暮らしていたから人間のすきを狙ってつまみ食いをする癖が染み付いていて、今でもソレは治らないままだが、この7年で人間に対しての警戒心は随分と薄らいで、甘えん坊に変わった。
半年くらい前からお乳のところに大きなデキモノが出来て少しずつ大きくなっている。悪性の腫瘍かもしれないがソレもシロの寿命と手術は考えなで最後まで付き合うことにして、ドクターにはそう伝えてある。

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道標の彫刻 

2019/12/02
Mon. 23:24

12月では珍しい南風が一晩中吹き荒れた。それがやっとやんだと思ったら、今度は強烈な土砂降りになって、わずかに残っていた寺のイチョウの葉と銀杏が見事に散り落ちた。
少し前には申し訳程度に雪も降ったし、そろそろ本格的に冬がやってくるかなと思っていた。別に冬を期待しているわけでもないが、それにしても今頃になって生温い南風が吹き荒れたりスコールのような土砂降りになったりすると、冬に向かっての覚悟も揺らいでどうも気持ちがスッキリしない。

まだ、イチョウの葉に少しずつ紅葉が始まった頃に、六本木から搬出をした今年の彫刻を寺の駐車場脇まで運んだ。
石見銀山での小品彫刻展が始まってから徳島で展示中の野外彫刻を搬出して、それも駐車場周辺へ設置するつもりでいた。
こうして、万善寺の境内地へ彫刻を少しずつ置くことが長年の夢でもあった。
これから毎年秋の紅葉に併せて彫刻が少しずつ増えていくと、アチコチくたびれて老朽化の進む山寺の景観も少しは変化していくはずだ。
計画としては、寺の墓地までの参道へも彫刻を点在させて墓地の永代供養墓までの道標にできると良いと思っている。
前住職夫婦が健在だった頃は、ソレができなかった。
特に、内室の母親は「境内にわけのわからんものを置かれて仏さんのバチが当たるけぇ、イケンイケン!・・そんなもん、他へ持って行きんさい!」と、機嫌が悪くなってボクの彫刻を受け入れる余地など微塵もない抵抗を生涯に渡って続けた。
それでも母親のスキを見て、さり気なくワイフの彫刻を庫裏玄関のディスプレイのつもりで置かせてもらったりもしたが、ソレも知らない間に別の場所へ撤去されていたりした。老体でよく彫刻が動かせるほどの体力があるものだと感心したが、なんのこともない、母親の支持を受けた憲正さんが手先になって動かしていただけのことだった。
その憲正さんの方は、ボクたち彫刻家夫婦にそれなりの理解を示してくれていて、時々見せてあげていた抽象彫刻の写真に、よくわからない様子ながら目を細めて喜んでいた。

俗に云う「抽象」の彫刻に絞って本格的に造り始めたのは35年位前のことになる。
初期は、とにかく「抽象」というものの概念とはどういうものなのか・・・その根本を探り続けて過ぎた。おおよそ、誰の眼にもつまらない、なんの変哲もない形態ばかりセッセと造り続け、それから自分なりに納得できる最小限の構造の可能性を求めて鉄という素材を絞り込んでいった。
制作とか造形とか、そういうものがおおよそ一つにまとまったコンセプトのようなものが決まったわけでもなかったが、それでも何かしら彫刻の方向性に一つの区切りをつけて、ある程度は自分で納得して責任を持てるほどの技量をベースに自分なりの抽象的概念を何かしらの立体造形に置き換えようとした時、アニミズム的な抽象概念がなんの抵抗もなく自分の中に入り込んできた。要するに、自分が物心ついた頃から既にそういう思考を受け入れやすい環境にいたということだ・・・と、今更ながらに思う。
これから先、自分の持つ抽象概念が突然大きく変化することもないだろうが、さて、ソレはソレとして今まで見えなかったものが少しほど見え始めた気もするし、先行き制作の楽しみが見えた気もする。

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風動幡動 

2019/12/01
Sun. 23:56

関東の方は2年続けて木枯らし一号の吹かないまま11月が終わったらしい。
だいたい標高450mあたりに位置する山寺の万善寺は、12月を待たないで11月も終わろうとしているある日の朝、初雪というほどでもないくらいの雪の粉が舞い落ちた。

飯南高原は毎年決まったように11月の最終週の頃に初雪が降る。
今年は晩秋になっても暖かい日が続いていたからもう降らないだろうと気楽に考えていたから、スタッドレスタイヤに履き替えてもいなくてチキン坊主のボクは少々焦った。同級生のモーターズへ電話したら「15分もあれば交換できるからいつでも良いよ!」といってくれたので「それじゃぁ、法事の間に交換しておいてくれる?」ということになった。保育園の頃からの付き合いだから半世紀以上の腐れ縁になるが、こういう、地元の同級生がそれぞれ異業種で散らばってくれていると、人付き合いが苦手なボクとしてはとても助かる。

12月1日は、朝から33回忌の年回法事が決まっていた。
丁度故人の祥月命日で日曜日だから親族も集まりやすかったのだろう、もう3ヶ月くらい前に法事の予約が入っていた。
いつも塔婆書きに使っている硯は、吉田家の子供達が義務教育時代に中学卒業まで使いまわしていたものだ。プラスチックの硯箱にセットで入っていた教材用の墨はもうとっくに使い切って、今は3本目がそろそろ無くなろうとしている。
墨汁では雨に流れて使い物にならないから、こうして塔婆に書く墨は、毎回せっせと硯で墨を摺る。今どきの日常に硯で墨を摺るようなことはその筋の書道家を別にして寺社関係の職業宗教家くらいしかいないだろうと思う。
在家坊主の住職は長方形に練り固めた墨の棒を先端が鋭角に尖るまで斜めに斜めに傾けて摺り続ける。摺り落とす面が少しでも広いほうが塔婆書きの時間短縮につながるからだ。
私は、どうもそのスタイルが気に入らなくて、律儀に墨を硯へ直角に立ててきちんと3本の指で摘んでゆっくりと前後に動かすように摺り続ける。今は、墨が短くなって指で持てなくなってペンチを使って摘んでいる。今どきケチくさい話だが、なんとなく塔婆書きへ入るまでの準備運動というか手慣らしというか、そういう一つのものに集中できるまでの時間が大事だとも思う。
それで、そうやって墨をすりながら塔婆の裏書きを考えて、「風動幡動(ふうどうばんどう)」と書いた。有名な禅語だから興味があればググってみれば出てくるだろう。
グレッグ・ローリーの18年ぶりになるニューアルバムを聴きながら塔婆を書かいた。
彼は、あのジャーニーでスティーブ・ペリーの前にキーボードとボーカルを担当していた人だ。少し前にスティーブ・ペリーも久しぶりにソロアルバムを出しているから、それに影響されたわけでもないだろうが、とにかく元気に現役でいられて良かった。

吉田にとっての1970年前後は自分の人生の大きな転換期であった。周辺の環境が一気に変わって、わけもわからないまま時代の激流に流されてアッという間に飲み込まれていった。そんな状況で自分を見失わないでいられたのは、リアル・タイムでアメリカのウッドストックやフォーク・ロックや一連のニューシネマがあったからのような気がする。

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2019-12