FC2ブログ

工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

道標の彫刻 

2019/12/02
Mon. 23:24

12月では珍しい南風が一晩中吹き荒れた。それがやっとやんだと思ったら、今度は強烈な土砂降りになって、わずかに残っていた寺のイチョウの葉と銀杏が見事に散り落ちた。
少し前には申し訳程度に雪も降ったし、そろそろ本格的に冬がやってくるかなと思っていた。別に冬を期待しているわけでもないが、それにしても今頃になって生温い南風が吹き荒れたりスコールのような土砂降りになったりすると、冬に向かっての覚悟も揺らいでどうも気持ちがスッキリしない。

まだ、イチョウの葉に少しずつ紅葉が始まった頃に、六本木から搬出をした今年の彫刻を寺の駐車場脇まで運んだ。
石見銀山での小品彫刻展が始まってから徳島で展示中の野外彫刻を搬出して、それも駐車場周辺へ設置するつもりでいた。
こうして、万善寺の境内地へ彫刻を少しずつ置くことが長年の夢でもあった。
これから毎年秋の紅葉に併せて彫刻が少しずつ増えていくと、アチコチくたびれて老朽化の進む山寺の景観も少しは変化していくはずだ。
計画としては、寺の墓地までの参道へも彫刻を点在させて墓地の永代供養墓までの道標にできると良いと思っている。
前住職夫婦が健在だった頃は、ソレができなかった。
特に、内室の母親は「境内にわけのわからんものを置かれて仏さんのバチが当たるけぇ、イケンイケン!・・そんなもん、他へ持って行きんさい!」と、機嫌が悪くなってボクの彫刻を受け入れる余地など微塵もない抵抗を生涯に渡って続けた。
それでも母親のスキを見て、さり気なくワイフの彫刻を庫裏玄関のディスプレイのつもりで置かせてもらったりもしたが、ソレも知らない間に別の場所へ撤去されていたりした。老体でよく彫刻が動かせるほどの体力があるものだと感心したが、なんのこともない、母親の支持を受けた憲正さんが手先になって動かしていただけのことだった。
その憲正さんの方は、ボクたち彫刻家夫婦にそれなりの理解を示してくれていて、時々見せてあげていた抽象彫刻の写真に、よくわからない様子ながら目を細めて喜んでいた。

俗に云う「抽象」の彫刻に絞って本格的に造り始めたのは35年位前のことになる。
初期は、とにかく「抽象」というものの概念とはどういうものなのか・・・その根本を探り続けて過ぎた。おおよそ、誰の眼にもつまらない、なんの変哲もない形態ばかりセッセと造り続け、それから自分なりに納得できる最小限の構造の可能性を求めて鉄という素材を絞り込んでいった。
制作とか造形とか、そういうものがおおよそ一つにまとまったコンセプトのようなものが決まったわけでもなかったが、それでも何かしら彫刻の方向性に一つの区切りをつけて、ある程度は自分で納得して責任を持てるほどの技量をベースに自分なりの抽象的概念を何かしらの立体造形に置き換えようとした時、アニミズム的な抽象概念がなんの抵抗もなく自分の中に入り込んできた。要するに、自分が物心ついた頃から既にそういう思考を受け入れやすい環境にいたということだ・・・と、今更ながらに思う。
これから先、自分の持つ抽象概念が突然大きく変化することもないだろうが、さて、ソレはソレとして今まで見えなかったものが少しほど見え始めた気もするし、先行き制作の楽しみが見えた気もする。

IMG_0448.jpeg
IMG_0427.jpeg
IMG_0375.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

2019-12