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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

逃げる2月 

2020/02/29
Sat. 14:12

早いものでもう怜子さんの5・7日小練忌がおわった。
万善寺に安座した仮位牌や仏具の前で一人七日努めのお経を読み続けているが、もう命日から5週間が過ぎた。急逝だったから、ワイフもトシちゃんも心の準備が無いまま慌ただしく通夜葬儀から告別式を終わらせて、気持ちの落ち着かないまま日常の仕事へ帰っていった。
いつもなら、2月の万善寺は立春が過ぎて時々初午祭のご縁日が巡った年は法要でお参りが数人ある程度で、あとは年回法事の仏事も殆どない。それでも1年で一番雪が沢山降り積もる時期でもあるから、単身赴任に切り替えて朝夕の参道雪かき道開け作務が欠かせない。
今年はその参道雪かきを1回しただけで、もう3月になろうとしている。

雪がないからだろう、2月は毎週末から連休にかけて年回法事が続いて、そのうち2日ほどは県境を越えて広島まで出かけた。
広島は毛利公の関係で浄土真宗が多く、法事の様式も万善寺とはかなり違う。法事にお集まりのご親族もいつもと勝手が違って戸惑い気味だ。
こちらもお檀家さんであるとは云っても飯南高原の気のおけない勝手知った近所付き合いの延長のような法事付き合いにならなくて緊張する。前日から塔婆を書いたり経本を揃えたり法要用の線香や焼香用の香炭を用意したりと準備だけで時間がすぐに過ぎた。

雪が降り積もっていないからなのか、目付きの悪い黒猫を頻繁に見かけるようになった。
以前は保賀の谷のアチコチへ出没していたようだが、最近は万善寺境内のどこかでほぼ毎日目が合う。
庭木の剪定をしていたらサツキの株脇で丸くなっていたし、銀くんを庫裏玄関へ横付けして荷物をおろしていたらボクの造った彫刻脇でジッとこちらの動きを凝視していた。勝手口で灯油のポリタンクを出し入れしていたら物置の曲がり角で行儀よく猫座りをしていた。その物置に入って剪定用のノコやカマなどを物色していたら日当たりの良い南側の窓際でゴロリと寝たまジッとこちらを見ていた時はかなりビックリした。本堂の仏花を替えていたら高床の座の下からボクの動きをしっかりとロックオンしていた・・・
2月になって接近遭遇が激増したので、境内へ出入りするたびに「ネコちゃん!」と声掛けを続けていたら、そのうちその黒猫の方も「どうやら自分は(ネコちゃん!)であるらしい・・・」と自覚するようになって、あてもなく「ネコちゃぁ〜ん!」と呼ぶとどこかからひょっこりと現れるようになってきた。まだ手が届くほど近くへ寄ってくるまででもないから彼か彼女か判別はできていないが、以前よりはお互いの距離が短くはなっているようだ。それにしても、いまだにその猫の鳴き声を聞いたことがない。まだ「鳴く」ということが人間とのコミュニケーションの手段の一つであるということを知らないでいるのだろう。

飯南高原で雪のない2月は私の人生で初体験になった。境内の掃き掃除や墓地への参道整備、それに俊江さんが健在だった頃からの懸案事項である荒れ放題に繁茂したツツジの伐採も少しずつ進んできたところだ。雪かきとは違った忙しい2月が終わろうとしている。

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花が咲いた 

2020/02/21
Fri. 23:37

怜子さん四・七日阿経忌の朝も前夜からの放射冷却でかなり冷え込んだ。
まずは本堂の業務用灯油ストーブを点火して、それから一連の朝の用事を済ませてから阿経忌のお経を読んだ。

正月用にお供えした梅とシキビに花が咲いた。
シキビは花入れの水を時々補充したり入れ替えたりしてお世話していると、半年を過ぎてお盆の頃まで長持ちして、条件が良ければ花入れの中で根を出すものもチラホラ出てくる。
梅は松や竹と一緒にお供えしたものだが、その時は小さくて硬い蕾が確認された程度だった。それが約1ヶ月の間に少しずつ膨らんで、立春を過ぎたあたりからチラホラと花を咲かせ始めて、今はだいたいどの花入れも満開になって見頃を迎えている。
松は元々丈夫にできているから水を絶やさなければかなり長い間松葉の緑を見ていられる。流石に春彼岸を過ぎて大般若転読の法要まで花入れにそのままというわけにもいかないから、少し寒さが緩んで春めいた頃合いを見てひとまず挿し木にまではしておくのだが、殆どはそのまま根付くこと無くいずれ枯れて地に帰る。
竹は切ってすぐから青葉が丸まって1日と保たない。それでお正月飾りの松竹梅を代表してとんど祭のお焚き上で天に帰ってもらう。

御仏前に線香と蝋燭と一緒にお花をお供えすることは、仏事の一つとして欠かせない大事な意味がある。
本堂の須弥壇には、木製金箔の蓮が一対お供えされてある。宗門の場合、それに季節の切花を添えてお供えするのだが、その決まり事は住職の考えや代代の引き継ぎなどで寺ごとに違っている。
万善寺先代の場合は、だいたい1週間に一度位を目安に季節の状況を見ながら花の入れ替えをしていた。先代がまだ元気で日常の買い物などが自分でできていた頃は、そのついでに花入れの数分ほど季節の花をドッサリ買って帰って、自分で入れ替えをしていた。一般在家のお仏壇へお花をお供えするようなイメージとは全く違って、本堂から庫裏まで全てのお供えを総入れ替えした後の大量のお花は、その捨て場所が決まっていて一箇所に集まって山になる。私は、少年の頃から時々住職の指令で花の入れ替えをしていたのだが、実はソレがとても嫌だった。シーズンが春から秋にかけては花入れの水とか廃棄された花の山がすぐに腐って、その匂いが万善寺中に広がる。慣れてしまうと気にならないのだろうが、時々お参りがあったり近所の用事で来客があったりすると、その人達は絶対に腐った匂いを敏感に感じていたはずだ。

先代から住職を引き継いだ頃から、少しずつジワジワと花入れの様子をシキビに変えてきた。飯南高原はシキビを仏花にする習慣が根付いていないから、はじめはお参りのお檀家さんも須弥壇や位牌堂の様子が地味になったことに違和感があったようだが、今はソレもなくなって、少しずつ在家のお仏壇へもシキビが浸透し始めている。
シキビは、一方で毒花でもある。お墓花に使われるのは、昼夜の動物に仏花が悪さをされないようにする意味もあるし、何より丈夫でいつまでも緑でいてもらえるからでもある。

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ラムと古古古古米 

2020/02/20
Thu. 14:30

日曜日の夜から降り始めた雪が月曜日は終日降り続き、火曜日の朝には膝下まである鉄板入りの安全長靴の履き口から雪が入り込むくらいに一晩でドカッと積もった。
その日は六・七日檀弘忌があるので、いつもなら施主家に10時着くらいで準備をして出かけるのだが、これだけ雪が積もると参道の道開けをして銀くんを国道まで移動させるだけでお昼を過ぎてしまう。まずは、施主家に電話して現状を伝え、七日参りはお昼を過ぎてからということで了解を得た。

今度のドカ雪は水分をたっぷりと含んだ重たい雪だった。
こういうタイプの雪は除雪に苦労する。スコップもプラスチックの華奢なものだと雪の重さに絶えられなくてすぐに破れ壊れてしまう。それで土蔵にしまってあったアルミ製の雪かきスコップを取り出して雪を払いながら一本道を長靴で踏み固めつつ参道をお地蔵様の前まで降りた。夜の雪は一気に降り積もるから、あらかじめ前日の夕方にお地蔵様横の林道脇まで銀くんを降ろしておいたのだが、その銀くんも雪にすっぽりと包まれてすぐに動かすことができない。林道にはすでに車の轍ができていたから、その轍へ銀くんをはめ込めば国道まで進めるはずだ。
保賀の谷へ除雪車が上がってくるのはだいたい午後の3時位になる。それまで待てば楽に銀くんを動かせるのだが、夕方まで七日参りを遅らせるのもどうかと思うし、とにかく少しでも早くに銀くんを脱出させることにした。
前日から降り続いていた雪は七日参りが終わる頃になって止んだ。
しだいに雲が薄くなって雪の積もった琴引山から大万木山の峰が雲の切れた青空をバックにくっきりと白く浮かび上がって目があけていられないほど眩しい。例年だと3月のお彼岸前後に降る雪の後がこういう感じになる。今はまだ2月で1ヶ月ほど早いから、夜の放射冷却でかなり冷え込むはずだ。
寺へ帰ってから庫裏の南側にある縁側の温度計を取り外してお風呂場へ移動しておいた。
屋外はすでに夕方から氷点下まで気温が下がっていたし、深夜になって屋内の温度が氷点下5℃を下回るようなら水道管が凍結する。

その夜、飯南高原は午前2時に−7℃まで下がり、夜明け前の午前4時には−8℃になった。万善寺のお風呂場は夕方から電気ストーブを持ち込むなどして気をつけていたから、深夜の時間帯でー3℃まで下がったがソレ以下にはならないで済んだ。
水曜日の朝をほぼ徹夜に近い状態で迎えた。
本堂の朝の用事を済ませていると、東からの日差しに自分の動いて巻上げたチリがキラキラと反射していた。
庫裏の方で雪吊りのものすごい音がして本堂が少し揺れた。朝日に緩んだ屋根の雪が一気にずり落ちたようだ。それから一日中絶え間なく小規模の雪吊りがアチコチで続き、お昼を過ぎた頃からそれに雪解け水の雨だれの音がにぎやかに加わった。
この様子だともう一晩ほど放射冷却が続きそうなので寺に泊まることにした。
年が変わって冷蔵庫で眠っている古古古米が乾燥しきった古古古古米になった。捨てるわけにもいかないから最近は一人用の土鍋を灯油ストーブに乗せて出汁味のおじやを作っている。夜はソレにラムを5切れほど解凍して野菜と炒めた。

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冬が来た 

2020/02/19
Wed. 19:48

シーズン一番の寒気団が峠を超えた。
飯南高原は−8℃位まで下がるから夜間の水道凍結に十分注意するようにと週が変わってから何度も町の防災放送で注意報が流れた。
数年前にも同じような事があって、その時は水道の元栓から庫裏の西側へ集中している水道管の養生ばかりに集中してソレで安心して石見銀山の吉田家へ避難していたら、その間に風呂のカランが破裂して一晩中蛇口から温水がタレ流しされていた。水道水とプロパンガスの請求がいつもの3倍から4倍とすごいことになって、修理代もかさむし、生活費の圧迫で万善寺の備蓄がたった3ヶ月で一気に底をついた。
その年の夏は連日30℃を超える猛暑になって、万善寺台所にある唯一のエアコンをひと夏フル稼働してなんとか乗り切ったが今度は電気代がすごいことになった。
吉田家の生活費から万善寺へ経費を補填しながらなんとか半年を乗り切った矢先の猛暑は万善寺経営に深刻な影響を与えた。

もう、かれこれ10年以上前から500円貯金を続けている。
始めた時の主たる目的は彫刻の制作に関する諸々の必要経費と会費の捻出にあった。
とにかく、買い物は現金をメインにしてカード決済を極力避けるように気遣いながら1年を過ごしてお釣りの中から500円を抜き取って家中の至るところへ設置した仮の貯金箱へ溜め込んでいたものを集めるとそこそこの金額になっていて制作の経費補填がずいぶんと楽になった。500円貯金もなかなか侮れないところもあって、そういうことを10年も続けていると、最近ではチョット高額の買い物をする時の目標にもなったりして、貧乏なりの楽しみにもなって達成の喜びもひとしおだ。
Powerbeats Pro 貯金は3月からはじめて9月末に目標を達成した。彫刻の展覧会で上京の時、往復の高速バスで大活躍してくれて、今は銀くんを運転中のハンズフリー電話でiPhoneの強い味方になってくれている。

自分の周辺に起こる具体的で深刻な環境変化がこの10年間で地球の温暖化を確実に証明している。
10年前は吉田家のリビングにエアコンが一つあれば家族6人が苦もなくひと夏を乗り切っていたのに、今はワイフと気楽な二人暮らしでも20年前のエアコン性能が環境の変化に追いつかなくなってしまって用をなさなくなってしまった。
これから先、昔のように温暖で過ごしやすい環境を期待することは諦めるしか無いことだと極寒猛暑を乗り切った時に痛感した。自然を相手にジタバタあがいても無駄なエネルギー浪費と、今の現状を大所高所に受け入れるしか無い。
それで、自分に何ができるか考えるに・・・
ひとつは、おおよその将来を意識した上で生活に密着した環境の改善を具体的に進めること。とにかく、暮らしの無駄を省いて極力シンプルに生活環境を整理すること。
そしてもうひとつは、彫刻の制作を通して環境の経年変化を記録し続けること。これはすでに2014年の石見銀山個展から具体的に現場へ落とし込んでいて、幾つかのデータも集まっている。彫刻制作による一連の表現活動は今の自分にとってとても大事なライフワークになっている。

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処世の道 

2020/02/18
Tue. 21:04

節分を少し過ぎた頃にちょっとした寒波が北から島根県上空へ降りて雪が少し降った。
それが過ぎると、冬とは思えないほど穏やかな小春日和が続いた。
通勤坊主を続けてもいいと思っていたが、法事の準備や塔婆書きもあるし朝夕の移動が面倒になったので単身赴任坊主に気持ちを切り替えた。
寺暮らしが続くと、炊事とか洗濯とか家事がついて回る。それに、せっかくの良い天気に外仕事の作務をしないのももったいない気がして、庭木の剪定などをした。気がつくと通勤坊主で往復に使う時間とドッコイくらい、いやむしろそれ以上に家事でドタバタしている。本当に改めて心からワイフのありがたさを噛み締めている。

週末になって冬には珍しい大風が吹き始めてそれから土砂降りになった。
1周忌法事の当日は朝から生憎の風雨になって気温も一気に下がった・・・といっても、いつもだとこの時期風雪が当たり前だから寒いと云っても随分と温かい。
1月から続いている七日努めがまだ残っているから、とにかく1週間が落ち着かない。連日のように銀くんを乗り回して飯南高原のアチコチへでかけていると、国道の補修や脇道の拡張とか、神戸川支流にかかる橋の架替とか、とにかく公共工事がやたらと多くて片側とか交互通行で足止めされる。どこへ行くにも迂回路が無いから赤信号で捕まる度にジッと我慢して青信号を待つしか無い。
そもそも、2月のこの時期にこれほどたくさんの仏事が続いたり重なることも極めて珍しいことだが、例年だと除雪作業くらいの仕事で重機を動かす程度の土建業の方も公共工事でフル稼働していてまた珍しい。

塔婆の裏書きに「一月在天 影印衆水 (いちげつてんにあり かげはしゅうすいにうつす)」と書いた。この禅語は好きで、時々塔婆に書かせてもらっている。坊主解釈はその筋の書物に詳しく解説されているからソレをチェックする方が間違いない。
私は坊主的立場で好きな言葉というより、一個人としてこの言葉を大事にしている。大げさに言えば自分が毎日の暮らしの中で忘れないようにしておきたい処世の道とでも云っていいかも知れない。
自分の何気ない言動は、時として周囲の人達にとても重たい影響を与えてしまっている可能性がある。それが常識的に正しいことであれば特に大きな問題にならないかも知れないが、一方、限りなく個人的で主観的な言動が自分の気づかないまま周囲に良くも悪くも何かしらの影響を与えてしまうということもあり得る訳で、そのことの責任の自覚がないと自分の真意を正しく伝達する道が絶える可能性もある。自分が伝えたいことであったり託したいことであったりするものは一つでも、それを受ける側の解釈は種々様々である。

まだ学生の頃、師匠であるY教授から「守破離」の話を聞いた。前後の経緯は全く記憶にないがなぜかその言葉が強く印象に残って脳みその片隅に張り付いた。道元禅師様は「喜心老心大心」の重要を説法された。僧堂老師のお話でその言葉を知った時、自然とY教授の守破離とつながった。坊主であり彫刻家である自分の環境がたまたまその2つの言葉を結びつけて意識させてくれたことだと思う。心身が両輪になって蛇行しないでいられるのもそろそろ先が見えている。周囲を整理したシンプルを探すのもかなり難しいことだ。

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令和の日常 

2020/02/14
Fri. 12:25

怜子さん洒水忌前日はなっちゃんの誕生日だった。早いもので彼女ももう○○(ご想像ください・・)歳になる。
今は、長男を産んで産休中だが、新年度になったら仕事に復帰するはずだ。

そのなっちゃんは昭和最後の年に生まれて、長男のユーシン君は平成最後の年に生まれた。これもなにかのめぐり合わせかも知れない。ちなみに、怜子さんとボクは月は違うが同じ27日生まれだったから誕生日を忘れることがなかった。ワイフとキーポンは29日生まれで憲正さんも同じ日だった。じゅん君となっちゃんとノッチは12・13・14と日にちが続いているから時々混乱する。吉田家の家族LINEでも誰かが誰かの誕生日を忘れていたり、1日早かったり遅かったり、何かとややこしい。
ボクの母親の俊江さんは大正15年1月1日生まれだったが、本人は昭和元年1月1日生まれだと言い張っていたし、実際には前年の12月中にはもう誕生していたという話だ。大正の頃は、出生の諸手続きも種々の都合の自己申告をそのまま飲み込んで済まされることが多かったのかも知れない。

大正から昭和平成令和と元号が目まぐるしく代わって、その間に世界や世間の事情も大きく変化した。この近年は、自分の周囲でも周辺寺院の随喜も含めて寺の年中行事はほとんど増減もないまま過ぎているのに万善寺暮らしが随分と増えた。10年前には想像もできなかったことだ。それだけ万善寺に葬儀や法事の仏事が増えているということだ。その仏事の合間にも、今年の冬は雪もなくて良い天気が続くから外仕事の作務が絶えないし、時々雨が降ると前住職夫婦から引き継いだものの整理が延々と続いて終りが見えない。
とにかく、まだかろうじて身体が動く今のうちから自分の後に面倒を残さないようにアレコレドタバタしていると、1日がいつの間にか終わっている。

週が変わって七日努めの五七日小練忌が過ぎた頃から、どうも身体がだるくて重くて食欲もないし、何より酒を飲む気になれなくて体調が優れないものだからいつもお世話になっているドクターの診察を受けたらいつも以上に血圧が高かった。そのせいだけでも無いだろうと、問診を受けながら最近のことを話していると「それは、多分疲労がたまっているんじゃないですか?・・・なにか心当たりでも無いですか??昔の若い頃と同じようにはいきませんよ。それなりの年齢でもあるし」・・というわけで、結局疲労の蓄積は年齢のせいで済まされた。要するに、あまり無理をしすぎないでボチボチ休みながら緩やかに過ごせ・・ということ。
だからというわけでもないが、以前から買い置きして溜まっていた文庫本もこのところ落ち着いて読むこともないままになっていたから、少し意識してゴロリと横になって「久しぶりの時代小説でも・・」と、佐伯泰英さんを読み始めたのだが、これが失敗だった。
読み始めたら終わらなくなって、結局連日夜ふかしが続いて血圧が上がりっぱなしのまま今に至っている。
全50巻を超える平成のベストセラーは主人公磐音の波乱の日常が延々と綴られる。
江戸時代が200年続いたということは、善悪悲喜その時々色々だったろうが、概ねそれらを飲み込んだ分相応に平和な暮らしが続いていたからのような気もする・・

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冬の朝日 

2020/02/13
Thu. 15:06

1週間がすぐに過ぎてしまう。
怜子さんの三・七日洒水忌が来た。
朝から雲が低くて小雨が絶え間なく降っている。例年ならこの雨が雪になっているはずだ。2月もすでに半分が過ぎて川岸では温い水につられて菜の花が咲いているし銀山街道のアチコチで紅白の梅も咲き始めた。
島根中央部の暖冬は尋常でない。このままだと、農繁期の水量を確保できなくて稲の生育環境を維持することが確実に難しくなるだろう。

先週末はシーズンで一番の寒気団が北から島根県上空まで降りてくるような事を言っていた。仕事というほどでもない用事が江津であるので、雪の心配もあって直接寺から出かけるのも少し億劫だから、夕方のうちに石見銀山の吉田家へ帰っておくことにした。
その日も保賀の谷は上空に雲が広がっていて、むしろその雲のおかげで地表が適度に保温されて冬なりに温かだった。

およその作務に一区切りつけて帰り支度を済ませてから吉田家のストーブ用に本堂の床下を漁って薪になりそうな製材の板を引き出した。
万善寺は観音堂形式で高床の男寺だから、飯南高原に点在する各宗派寺院の中で一番座が高い。それでそれが特に自慢であるわけでもなくて、要するに江戸中期に再建された古い形式がそのまま今に残ってしまっただけのオンボロ寺であるというだけのことだ。
それでも、あの時代は建材だけは比較的柔軟に確保できていたらしく、構造物の主要な部材には欅がたくさん使われてある。縦柱にはホゾの補修や羽目木が目立つから、ほとんどの建材は以前の寺院を解体して移築の時に再利用したものだろう。まぁ、そんな感じのガタピシとねじれ狂った本堂の座の下には、まだ槍鉋で面をさらった古い杉板などが積年のホコリを被ってしまい込まれている。子供のときには、本堂の床下が丁度いいかくれんぼの遊び場でもあったから、そういう古い杉板の影に隠れたりして鬼の追跡を上手にかわしていたものだ。
ここだけの話だが、現住職は、ある意味歴史の資料になるかもしれない古材を引き出して吉田家ストーブの焚付にしようとしているわけだから、その筋の研究者でもいたら大騒ぎになってしまうような行為を平気でしているわけだ。

かれこれ半月ほど前、1月31日から月替りの2月1日は徳島県の阿南町にいた。
石見銀山で個展をしてくれた武田さんの彫刻を彼女の倉庫まで搬送して荷降ろしをした。
近所でワンボックスと若いスタッフを調達して経費をギリギリまで削減した貧乏旅行になったが、坊主家業が日常のボクは高齢者との付き合いばかりで毎日を過ごしていたから、20代の若いスタッフと二人旅はたくさんの発見もあって久しぶりに新鮮だった。
彫刻をしていても仲間がみんな一緒になって一年ずつ歳を重ねているから、気がつけばみんなでジジババになっていて会話にトキメキもない。彫刻は積年の経験の積み重ねもあって、それなりに深みも味も渋みもでて安心できて、それはそれで良いことかも知れないが、一方で造形の限界も見えたりして気が滅入る。
北ヘ向かって帰路につく早朝、東から昇る冬の朝日が眩しかった。

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我儘 

2020/02/07
Fri. 13:03

土地の立地条件が関係しているのかどうなのかよくわからないが、飯南高原で俗に云う「節分寒波」は、良くも悪くも不思議なほどに今までだいたい言い当てていて、そこに暮らす住民は冬の過酷な環境をそれはそれとして飲み込んで受け入れているようなところがある。
節分から立春は、万善寺で年間に幾つかある寺の仏事行事として毎年欠かさず引き継いでささやかな法要をする。
本堂が寒くてナンチャッテ住職の気持ちが萎えることもあるが、その程度の我儘で仏事をサボるわけにもいかないから、自分の軟弱な心身を騙し騙し下手くそなお経を読み続けている。
吉田家の方でも、節分の豆まきをするから、吉田家施主であり万善寺住職であるボクは二箇所で行われる2つの年中行事を時間差で乗り切るしかないことになって、節分寒波の真っ最中に銀山街道や出雲街道界隈を朝夕行ったり来たりの通勤坊主を続けている。今年は、それに怜子さんの七日努めが加わったから、この時期にドカ雪でも降ったらどうしようと毎日気象情報を検索しながらビクビク暮らしていたが、幸い、運良く、過去に前例を覚えていないほどの暖冬になって、立春も里雪で済んで、自他共認める雨男も随分と楽をさせてもらった。

昔の仕事で付き合いのあった美術の先生が3月末までの勤務を終えて定年退職をする。
それに併せて回顧展をすることになって先日立派な展覧会案内状が届いた。リーフレットには初期の頃からの作品写真がテーマごとに系統立てて几帳面に配置されて、彼の性格が手にとるように良く伝わってくる・・・と同時に、数十年もの期間休まずに制作を続けてきた多数の作品群をよく大切に保管管理できていたものだと感心し感動した。
彼とは若い頃からの飲み仲間で制作仲間でもあるから、回顧展のほぼ全ての作品を知っている。幾つかは、随分と熱く語り議論を繰り返した結果の作品もあって、その時のことを懐かしく思い出される。
彫刻家の吉田には、彼のような几帳面さもないし制作を終わった彫刻を資料ファイルで残すようなことを思いついたこともない。出来上がった彫刻も、ほとんどサインすることがないからあとになって制作年代や正確なサイズの問い合わせがあったりすると大騒ぎになって気持ちが萎える。彼のように自分の作品に対して責任を持ち続けることも大事なことだと、リーフレットを見ながら改めて反省した・・・といっても、今更どうなるわけでもないけどネ・・・

平成元号が終わろうとする頃から回顧展案内が頻繁に届くようになった。自分の作家歴がそういう制作を一区切り付ける作家諸氏とうまい具合にシンクロしているのかも知れない。丁度その頃から、彫刻家としての活動を大幅に整理しようとボンヤリ思っていたのだが、こうして彼からの案内状を見ると、これから先わずかに残った作家活動の方向というか方針というか、そういうものが具体的に見えてきた気がする。長年付き合っている彼には悪いが、基本的に彫刻家吉田正純が絡まない各種展覧会を失礼することにした。大鉈を振るって絶断する気はないが、例えば年賀状のように、少しずつ規模を整理してさり気なく何気なく表立ったお付き合いから消えていければいい。
我儘なことだがそろそろ造形に対する我欲の毒を抜いて天地に向き合う自分を大事にしてみようと思うようになった。

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怜子さん以芳忌 

2020/02/06
Thu. 16:01

吉田家前の駐車場には、夜のうちから降り始めた雪が3cmくらい積もっていた。
通勤坊主の荷物を銀くんへ積み込んでいたら、隣の旦那が自分の車へ積もった雪を払うついでに銀くんの雪も払い落としてくれた。
「これからお寺ですか?あっちは結構積もってるんじゃないですか?」
「さぁ、どうでしょうかねぇ~、参道が登れるかどうか・・なんとなく里雪のような気もしますしねぇ~・・」
「道中気をつけて・・・」
「あぁ~どうも・・雪のほうもありがとう・・」
朝の挨拶がわりに雪を払ってもらったお礼をしている間も、休み無く綿雪が降り続けていた。銀くんを暖機運転する間に「雪道だからいつもより少し時間がかかるだろう・・」とAppleMusicからルイス・キャパルディを探して50分チョットのアルバムを再生した。
牧場の真ん中を切り取るように伸びている銀山街道を登り切ると、雪の重みでアーチ状にたわんだ竹がかろうじて銀くんの屋根をこすらないで済むくらいのトンネルを作っていた。それからしばらくの間、江の川へ合流する支流に沿って緩やかな下りの銀山街道が続く。雪が綿雪から粉雪に変わりはじめてはいたが、積雪は逆に少なくなった。中国山地をえぐる深い谷の底を流れる江の川周辺は山の中でも海抜が他より低いから降った雪はすぐに消える。
雪国に暮らす者の経験では、こういう雪の降り具合だと飯南高原の雪も大したことはないはずだ。
銀山街道から出雲街道へ合流して丁度保賀の谷へ右折するところで、ルイス・キャパルディが終わった。参道下の林道にはそれでも5cm位の積雪があった。4WDとシフトチェンジを駆使してお尻を降りながら銀くんを寺の駐車場まで上げた。予想通りいつもより5分位遅れて万善寺へ到着した。

早いもので怜子さんのドタバタ葬儀が終わって、二・七日が来た。
あれから、ワイフとトシちゃんの姉弟では、曽祖父の代から続く菩提寺を離れることに気持ちが傾いている様子だ。仏教のくくりは同じでも宗派が違うから仏式や経典解釈などが違って、善し悪しの判断は出来ない。その上、ワイフも義弟もこれまで信心深い仏教徒であったとは言いにくいし、単純な好き嫌いの感情だけで宗派替えを即決するのもどうかという気がしないでもなく、坊主の末席にしがみついているボクとしては、自分の身近な親族身内の出来事として見過ごすことも出来ないし内心なかなか複雑な気持ちだ。
とにかく、菩提寺さんと葬儀話がこじれて「万善寺流でよければ」と引き受けたわけだから、四十九日までは責任を持って曹洞宗として七日ごとのお経を絶やさないでいたい。
まずは底冷えのする本堂を業務用の灯油ヒーターで温めて、怜子さん用に即席の祭壇を用意した。お供えのことなど十分なことは出来ないが、しきびの花と線香蝋燭を準備して、怜子さんの好きだった梨と、私が常飲しているそば茶の熱いのをお供えに変えてから二・七日参りのお経を読んだ。
万善寺の先住職夫婦は二人とも生前すでに得度授戒を済ませていたから、七日ごとの供養も無くてほぼ1ヶ月をゆっくりと四十九日の大練忌法事厳修に向けて準備に使うことが出来た。非力ながらせめてボク一人でも怜子さんの仏道修行を引き継いでお助けしよう!

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ナンチャッテ坊主はナンチャッテ住職 

2020/02/05
Wed. 12:17

立春を過ぎて少しは寒さが厳しくなるだろうと覚悟していたら、東の琴引山の向こうからまばゆいほどの朝日が昇って、夜の放射冷却で保賀の谷一面真っ白に張り付いていた霜を一気に溶かし始めた。

昨夜は、飯南高原の地元に残っている同級生が集まって新年会のような飲み会があった。
常々女房殿の下僕で小さくなっているオヤジどもは、普通になんの目的もないまま集まって飲むほどの勇気もなく、いくつかの理由をあれこれと画策してでっち上げて涙ぐましい努力を繰り返しながら集まっている。それで今度は新年会という名目の元、町内のプラント会社で永年勤務の重役U君とMさんが退職したことの祝と、6月に決まっている同窓会の事前打ち合わせというもっともらしい言い訳をつくって親しいところから順を追って連絡網が回ってきた。
三日市にある居酒屋は万善寺からだと下りで徒歩10分、帰りの上りだと徒歩20分の距離にある。数日前まで怜子さんのことで東京のアチコチを延々と歩き続けていた疲労が膝と腰に溜まってしまって寺の用事や吉田家の階段を上り下りしている間にシクシクと痛むものだから片道だけでも楽をしようと酒を飲まない友達へ連絡して迎えに来てもらった。
同級生の何人かは「真面目」を絵に描いたような世話人がいて、時々思い出したように審議事項の議題を持ち出しながら鍋をつつき、酒を飲みつつしているうちに、少しずつ辻褄もあって話もまとまって、それからあとは他愛ない世間話になった。

昨年に我々同窓生の担任だった先生が天寿を全うして大往生された。曹洞宗の隣町のお寺の檀家総代を永年務められた立派な信心者であった。晩年は年中行事の仏事でそのお寺へ随喜のたびに教え子のボクに向かって「ワシが死んだらお経をあげてぇ~よ!頼むけぇ~ねぇ~」が口癖のようになっていた。それで、こちらもその気になって葬儀の時は誠心誠意副導師の職を努めようと思っていたのだが、結局は代替わりされた現住職のお考えもあって、サラリと告別式も過ぎて、万善寺としてはどこかしら消化不良のままに終わった。せめて「四十九日の時にでも改めて・・・」と気持ちを切り替えたのだが御導師さんの方から「四十九日はお参り結構ですから・・」と云われて、それも菩提寺様のご意向とゴクンと飲み込んで全てが終わった。
怜子さんの菩提寺は浄土真宗大谷派になるが、御院家さんの都合で葬儀が日延べ先送りになりかけた。私個人としては「坊主は喪主施主の都合に併せてナンボ・・」と決めているところがあって、仏事と仏事が重なる時でも出来る限り喪主施主さんの意向に添えるよう最善策を考える。先代からの申し送りでもあるが、やはりソレであることが菩提寺住職の務めであると自分では思っている。

この近年、仏事が殺伐として寺務がしだいに事務的になってきたように感じる。
彫刻を造る時は、打算など気にすることのないまま必死でテーマを追いかけながら制作にしがみついているような、そういうある種純粋であることが彫刻家としての務めと思う。
今の万善寺住職は、宗教家の欠片も無いタダの職業坊主として世間の事情に流されながら、気がつけば自分で気づかないうちに打算を追いかけていることが増えていたりする。結局、ナンチャッテ坊主はナンチャッテ住職しかできそうにない・・虚しいなぁ~・・

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冬の東京 

2020/02/04
Tue. 13:59

立春の朝は青空が高くて冷え込んだ。
見上げると、石見銀山の谷のはるか上空には箒でサッと掃いたような筋状の雲が東西に横切っていた。
銀くんの窓ガラスは一面霜が厚く張り付いて真っ白だ。
霜が溶けるまで暖機運転をしながらApple Musicをチェックした。

このところ、ゆっくりと音楽を聴く余裕も時間もないままだったからその間にニューリリースのアルバムが増えていた。
年末から年始にかけて新譜のリリースで賑わっていて、お陰様でお正月の寺の一人暮らしは夜な夜な大音量のエアチェックが続いて全然寂しくなかった。
ホールジーの久しぶりのアルバムは彼女の透き通るような声に惹かれる。もうかれこれ40年も前に買ったDIATONEの古いスピーカーから流れるアコースティックの柔らかな音を聴いていると自然に睡魔がやってきて右半身の痺れもしばし忘れていられる。
メーガン・トレイナーの4〜5年ぶりのアルバムは、ある意味で彼女らしくて、運転のバックミュージックで聞き流すにはいい感じだ。石見銀山の自宅前の駐車場で再生を始めると、だいたいアルバム1枚聴き終わる頃に寺の境内へ到着する。丁度いいタイムキーパーになっていて、今のところ通勤坊主が飽きないでいられる。

怜子さんの急逝で高速バスの移動中には、寝付くまでトルド・グスタフセンの賛美礼拝を繰り返し聴いていた。
具体的な情報がなくて状況がよくわからないまま移動していることのなんともいえないもどかしさというか落ち着かなさというか、そういう感覚は、昔、憲正さんの緊急手術が決まってその連絡を受けて新幹線に飛び乗った時以来のことだ。それでもあの時はまだ生存の予測が可能だったからこの度よりは気持ちに若干の余裕があった。
坊主が賛美礼拝というのもおかしな場違いかもしれないが、歌の意味はわからなくても心が静かでいられるということはいいことだ。
いつの間にか眠っていて、気がつけばあと少しで新宿へ到着の時間だった。

新宿バスタから重たい荷物を引きながら地下通路をJRの南口まで移動して、そこから電車を乗り継いで怜子さんの住む最寄り駅へ降りると、傘が必要なくらいの雨が降っていた。
石見銀山を出発して高速バスへ乗り込むまでは良い天気だったのに・・・とにかく、私が大事なことに関係すると、かなりの確率で雨になる雨男であるようだ。
荷物を引いて抱えて雨に濡れながら青梅街道を渡ってガスタンク脇から石神井川に沿ってしばらく歩いた。見下ろすと水面のあちこちで雨跡の同心円が次々と重なり合って広がっている。久しぶりの石神井川は流れが絶えて澱んだ水溜りにしか見えない。
そういえば、冬の東京は雨も降らなくて毎日肌をさす冷たい風ばかりが強かった。
まだ貧乏学生でワイフと付き合っていた頃、ワイフの実家で数え切れないほどの夕食や朝食を食べさせてもらったし、お風呂に入ることも出来た。
貧乏は今も変わらないが、怜子さんの手料理を味わうことはできなくなった。

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アッ!!という間 

2020/02/03
Mon. 15:55

気がつけば節分で豆まきをしなければいけないじゃないですか!・・・
「豆は用意してあるからネ。でも、私今夜協議会の会議があるのよ・・議長だし、抜けられないから・・帰り遅くなるね」
通勤坊主で出かける準備をしているときにワイフが台所の方で話していたのを、ボンヤリひとごとのように聞いていた。
銀山街道の途中の町で金融機関を一周して、それから万善寺へ向かった。
例年ならこの時期は節分寒波で雪がドカッと降るのだが、今年は屋根から雪吊りで溜まった雪が申し訳程度に境内へ残っているだけだ。
生まれて半世紀を超えた今頃になるまで、今年のような雪のない冬は全く記憶にないし経験がない。

そんな異常気象が続く1月のある日、いつものように寺の用事を片付けていたら珍しくワイフの方からLINE電話が入った。彼女はまだ仕事中で電話の出来る状態でないと思っていたから、「珍しいこともあるものだ・・」と思いつつ電話に出ると、電話口の彼女の声が異常なくらいに震えている。
「・・・おかあさんが亡くなったの・・・」
最初は聞き取りにくくて何度か聞き返すうちに外出先で「怜子さんが急逝した」という事実がわかった。警察からワイフの弟へ連絡が入ったらしい。
「それで、事故なの?病気なの?」
「・・・それが、よくわからないの・・・」
とにかく、全く予期せぬ訃報であった。

それから1日がアッという間に過ぎて1週間が慌ただしく1瞬で去った。
私の方は、お檀家さんの七日参りが2つあって1月の31日には外せない用事が決まっていた。急いで高速バスを往復予約して、それからすぐにお檀家さんに事情を話して七日参りを前倒ししてもらった。
七日のお経を読んでいる時、何度も義弟のトシちゃんから直接電話が入っていた。
寺へ帰るとすぐに返信したら「あのぉ~・・、言いにくいことなんですが、お兄さんでお葬式を出してもらうことできないでしょうか?菩提寺さんと調整が上手くいかなくて・・式場のこともあるし宗派のことが気にならないようなら葬儀は早いほうが良いんじゃないかと・・葬祭屋さんもそういわれるし・・」
怜子さんは警察の霊安室で一晩過ごすことが決まっているだけで、その他の事情を詳しく聞いてジックリ相談できる状態でないし「自分でよければ、これから急いで支度します!」と、そう返事するだけでもトシちゃんの気持ちが少しは楽になるだろうと、前後の事情も飲み込めないまま、急遽私が怜子さんに引導を渡すことになった。

いつもの上京は、頭陀袋に必要最低限のモノを放り込んで袈裟がけしたくらいの気軽な移動ばかりだが、さすがにこの度はそういうわけにもいかない。後で考えたら宅急便で法衣や葬儀仏具一式を送ってしまえば良かったと気づいたが、その時はそこまで落ち着いて考える余裕もなかった。新宿バスタに着くと、この時期珍しく東京は雨だった。

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2020-02