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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

それぞれの自粛 

2020/05/31
Sun. 18:17

コロナの自粛が解除されてはじめての日曜日。
四十九日大練忌の法事で早朝いつもより早く吉田家を出発した。
コロナがなければ日曜日の朝は県外ナンバーが銀山街道を石見銀山へ向けてたくさん走っているのに、今朝は約45分の通勤時間で地元の軽トラを含めて4台ほどすれ違っただけだった。
石見銀山は観光収入に頼っているところもあるから、世間が動き始める3月から今までの間に町内の飲食業2軒が廃業した。2軒とも知らない仲では無かったし、同じ町内住人としては複雑な気持ちだ。
吉田家もこの数ヶ月はとても厳しい生活を強いられているが、ワイフもボクも何年も前から一人一人ほぼ単気筒1馬力??の共同生活が続いているから、お互いにお互いの足らない分をチマチマと補填しながら暮らすことに慣れているので、今のところナントカそれなりに工夫しながら自粛の毎日を過ごしている。

中国地方全県が平常の暮らしに戻ってから、ワイフを誘って道の駅ツアーに出かけた。
例年だと春の地産の旬を目当てに毎週のようにアチコチの道の駅を巡っていたのだが、今年はソレが出来なくてワイフはかなりイライラしていた。
本人は気づいていない様子だったが、すぐ近くに居ると彼女のササクレた様子が伝わってきて言動の一つ一つにもかなり気を遣っていつも以上に気疲れする。
彼女の気持ちが少しでも楽になれば良いと思って、万善寺の帰りには毎日のように孟宗の筍をたくさん掘って土産にしたし、いつもは草刈りで刈り倒して放置する蕗もたくさん収穫した。筍と蕗くらいでしか彼女の気を引くことが出来なかったが、それでも収穫のたびに色々工夫して美味しい手料理を造ってくれて、少しは気が紛れたようではある。
その手料理は関東で自粛ぐらしの娘たちへの差し入れにもなった。
彼女たちも仕事の殆どが在宅勤務になった関係で自炊が増えたようだ。少し歩けばコンビニもスーパーも飲食店もすぐ近くにいくらでもあって楽に楽に暮らすこに慣れてしまうと、なかなか自炊することに気持ちが向かないこともあっただろうが、家族LINEの情報交換で自炊の手料理が飛び交ううちにそれぞれ手料理の腕を上げてきつつある。これからコロナが収束しても今の習慣はこのまま残って続いていけばいいなとオヤジは勝手に思っているが、さてどうなることだろう・・・
ワイフはアレコレコマメに料理したものを荷造りして娘たちにセッセと送っている。
キーポンは大量のカレーをつくって保存食にかえたりしているようだし、ノッチは魚を焼いたり餃子を手作りし始めた。本当なら育児休暇が終わって5月から出勤を再開するはずだったなっちゃんは在宅が続いてユーシンくんの保育園が延期されている間に離乳食が始まった。島根で先生のじゅん君は久しぶりに先週から学校がはじまった。昼食は給食でなんとかまかなえているはずだ。

万善寺では6月に入ると毎年恒例大般若経転読会の祈祷法要がある。
住職として法要中止は考えていない。これから檀信徒の皆様へ法要ご案内のプリントを配布して回る。
お参りの可否はそれぞれ皆さんのお気持ちに委ねることになる。

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冷凍みかんと水出しコーヒー 

2020/05/29
Fri. 17:28

満タンにした草刈り機の油がなくなる頃には額から汗が流れ落ちるまでに暖かくなった。
通勤坊主で寺へ到着すると、午前中の作務をひと仕事済ませてコーヒーを入れる。
少し前まではステンレスメッシュを使っていたが、今は水出しコーヒーに変えた。
お昼ごはんを終わった昼休みに、ハンドミルを回して豆を挽いて前日に沸騰させて一晩冷ましておいた井戸水を使う。一回の水出しで1リットルほどつくって冷蔵庫で冷やしておけば、それで次の日に飲むぶんのコーヒーが足りる。
季節が初夏から初秋までの暑い間のティータイムは冬に造った自作の冷凍みかんと水出しコーヒーで済ませている。

今年は教区も彫刻も春の総会が中止になった。
寺院の方は一応住職でもあるから欠席できないが、彫刻の方は全国から東京の総会会場へ集合することになるので、もう何年も前から委任状で済ませて欠席させてもらっている。
その展覧会の会報が届いたので目を通していると、長年彫刻部の委員で組織運営にご尽力を頂いていたHさんの功労退会が記載されてあった。
Hさんよりもご高齢の作家も参与などでまだ在籍していらっしゃるし、退会されるにはなにかそれなりに特別の事情でもあるのかと心配していたら、後日、ご本人から健康上の都合だとする丁寧な退会のお知らせハガキが届いた。
具象の彫刻家であるHさんは、この近年仏教絡みの宗教的なテーマを追いかけて彫刻を制作されていた。そのテーマには、何かしらご本人の意図するものがあるのだろうと毎年会場で彫刻の前に立ってそのことを読み取ろうとしてみたが、結局彫刻を見るだけでは制作の背景を感じとるまでに至らなかった。
いずれ、何かの機会に彫刻の宗教的背景を聞いてみたいと思っていたから、ソレが出来ないままご本人との接点が切れてしまった。

自分では彫刻を造っていると同時に、まがりなりにも住職まで勤めているナンチャッテ坊主でもあるから、具象の彫刻家が宗教的題材の彫刻を制作するということは、かなりの勇気が必要だと思っている。
知人である奈良に在住の寺院の壁画を描くほどのフレスコ画家は、下描きを始める前に剃髪し心身を清めて仏教の三千大千世界に帰依される。画家であると同時に仏教の一宗教家として制作に向かわれる。そういう姿を見聞していると、彫刻家としての自分の立ち位置は「宗教家からは程遠いところにいるなぁ〜・・・」と感じる。

職業と云うと、自分のことを「彫刻家」とは色々な場面でよく使いよく言う。しかし、自分を坊主とは云っても自分から「宗教家」と言うことは無い。
気持ちの問題と云ってしまえばその程度のことだが、仏教とか宗門とか、そういうことの知識も適当でいいかげんなボクが、偉そうに宗教を語ることなどできるわけもない。そうであるから余計に、彫刻家としての自分が自分の責任で仏教的背景に起因する彫刻を制作することなど有り得ないことなのだ。

最近は、万善寺の須弥壇に安座される御本尊様正面へ経机を移動して下手な自己流太鼓をたたきながら地球の安寧を願って祈祷法要を続けている。

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コロナ渦 

2020/05/28
Thu. 17:06

何時頃何処からやってきたのか、境内の西側へ回り込んだ石垣沿いに根付いたムラサキツユクサが次々と花を咲かせ始めた。
飯南高原では6月を待たないで田植えがほぼ終わった。次は減反の田んぼへ大豆や蕎麦が植えられることになるのだが、それにプラスして耕作放棄地も増えてきたようだ。飯南高原の農耕地帯ではコロナ渦より高齢過疎化の影響のほうが大きいように感じる。
この頃は、雨と晴れが周期的に交互に巡ってくるので、寺と吉田家の整備作務のスケジュールが決めやすくなった。
それで、吉田家裏庭の方はおおよそ一巡して片付いて、あとは朝夕のひと時ほど枯れ草や枯れ木のクヨシをすればいつかそのうち片付くはずだ。
寺の方は、境内の東西南北をグルグル回りながら作務を続けているが、6月の万善寺大般若経転読会までに一巡して片付くことは難しいだろう。

3日ほど吉田家裏庭にかかりっきりだったから、その間に万善寺のポストが郵便物でいっぱいになっていた。
殆どは仏具屋さんからのダイレクトメールだったが、業者さんもコロナ対策絡みでなかなか商魂たくましい。
飯南高原一帯ではすでに行政からの第二弾マスク配布もあって、都合7枚ほど寺のポストへ投函されていた。ソレに加えて仏具屋さんからは白衣生地で造ったマスクが3枚送られてきたり、作務衣とおそろいマスクの注文表が届いていたりと、これから先、坊主業界でも当分の間各種マスクが大流行しそうだ。
SNSでもマスクデザインは賑わっているし、すでにワイフは吉田家家族のマスクを何枚も手づくりしているし、ポジティブなコロナ予防は小さなコミュニティーを越えて世界中に洗練されたマスクファッションが流行すると、それはそれでなかなか面白くなりそうだ。
ちなみに、あの「アベノマスク」は未だに島根の吉田家へは届いていない。今更届いてもまず使うことはないだろうと思いつつ、かといって廃棄するのもどうかと思うし、取り扱いに悩む面倒が残っていたのだが、なっちゃんが「捨てる神あればナントカ・・」という面白い情報を教えてくれた。

今年秋の展覧会に向けて本部事務局からアンケートが届いた。彫刻の制作出品展示作業は、人の濃密接触や長距離移動は避けられないから回答に窮した。
作家それぞれに制作発表の形態が違っているから、アンケート結果をもとにして展覧会の方向性を統一することは不可能だろうと思う。
個人的主観になるが、展覧会の本展開催が決定された場合は今までと変わりなく彫刻展示や搬入出に六本木まで往復しようと考えている。私の場合、彫刻展示は他人に任せることが出来ないからだ。それでも、例えば彫刻移動でお世話になっている業者さんに東京往復のチャータートラックを拒否されたり、共同搬入の作家が出品辞退をしたりすれば、彫刻の制作は出来ても展示発表が出来なくなる可能性もあるわけで、結局は体制の決定に我が身を委ねるしか選択肢は無いことになる。
コロナ渦は一人の彫刻作家のモチベーションにまで大きな影響を及ぼしている。
不要不急の外出自粛は、今までの生活様式を変えるほどのビッグウエーブになってきた。

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おがむこと 

2020/05/24
Sun. 17:23

自然の再生や成長のスピードに万善寺境内の整備作務が追いつかない。
人力の手間にエンジンの草刈機やチェンソーくらいでは太刀打ちできない。
あれもこれも理想や完成度ばかり追いかけていても、現実の実態に許容量が伴っていなければどうしょうもない。今の自分にできることをコツコツと続けていくしかないことだ。

「いつもお世話になります!長谷の○○ですが・・・今年のお大師さんのことなんですけど・・・」
万善寺の大般若経転読会まですでに1ヶ月を切って、弘法大師さんの月縁日もチョット前に過ぎたところだから、そろそろ問い合わせがあるかもしれないと思っていた。
万善寺から出雲街道を北上して出雲大社参詣道の一つへ合流してしばらく行った先にある集落が長谷になる。名前でわかるように保賀の集落とは比べ物にならないほど端から端までが長い。小学校までかなりの距離があって子供の足で通学が難しいということで昔は長谷分校があった。今の長谷お大師講メンバーの半分はその分校卒業生で残りの半分くらいは分校が廃校になった後の本校卒業生で私より若い。
長谷お大師講は集会所に改修した分校へ各家にお祀りのお大師様を集めて供養法要と先祖代々や古墳一切の塔婆回向がされる。電話はそのお伺いだった。

この近年はどの地域も代替わりが進んで、お大師講をはじめ、昔ながらの観音講とか薬師講などの民間信仰が廃れてきた。住職坊主の方も同じように代替わりが続いて、それを契機にお寺の方から御講の廃止を勧められたりされてジワジワと衰退が進んでいる。
万善寺はお寺の開基が天台宗絡みの曹洞宗だったりした関係からか、代々の住職口伝で祈祷法要が大事にされてきた。私も副住職のころから先代の侍者で各地域の御講法要へ出かけていたから、毎年の慣習として先代を引き継いで絶えること無く今に至っている。
電話は、コロナ渦の影響で世話人さんが開催の有無を悩みつつの相談だった。
「万善寺の法要はお参りの自粛があってもお寺での法要中止はありませんが、それでコロナを軽く考えているわけではありません。外出や三密集合の自粛もそろそろ2ヶ月になりますし、それだけの間に皆さんの自覚の気持ちも身についていらっしゃるでしょうから、それぞれのお考えで行動されても良いようにも思いますけど・・・お寺としては、むしろこういう状況の時であるから、余計にみんなでシッカリとコロナ終息への念を込めておがむことも大事なことと思っていますので・・・」
「お寺さんの方からそう云っていただくとこちらも少し気が楽になります。実は自分も中止する必要はないだろうと考えていたものですから。今度集まりがありますので、お寺さんのお考えもお話ししてどうするか決めさせていただこうと思いますので・・」改めてどうなったか連絡していただくことになった。話し合いが上手くまとまるといいけど・・

人の気持や考えは頭の数だけ人それぞれだから、ことの善し悪しとか正解不正解とか成功失敗とか、それぞれ条件とか環境によって判断が変わるだろう。これほど世間にコロナ渦が周知されると、個々人の軽率な行動はその人の責任に委ねるということも、人それぞれの人間力を高める方策に思う。お互いの自覚の深さや重さがコロナ渦終息に向けての支えになると、私個人はそう思っている。

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思いの場所 

2020/05/23
Sat. 19:09

飯南高原の朝はまだ9時前だというのに23℃まで気温が上昇していた。
昨日から一気に10℃も暖かくなった。そのせいでもないだろうが、ネズミが寺のアチコチへ出没するようになった。ピンクの毒エサを置いても、彼らはソレを別の所へ運んで隠しためてしまうから手に負えない。せっかく大衣や改良衣や袷の着物など洗濯して和箪笥に仕舞っておいても、奴らは箪笥にまで毒エサを持ち込んで着物の間へ溜め込んだりするからアイツラの活動が一段落するまでは衣替えを終わらせることが出来ない。
境内では猫が消えて帰ってきたスズメたちが朝も早くからやかましいほどに大騒ぎしている。草刈り機を使っていても気にする様子もない。彼らも水田の多い農村地帯で暮らしていると色々な農耕機のエンジン音に慣れているのだろう。

まだ雨の降る前、連休が始まる頃に、保賀のお檀家さんが寺の耕作放棄地へユンボを持ち込んで荒れ放題の低木や雑草や蔓かずらを根こそぎ引き抜いてくれた。
先代の憲正さんは何度かの手術をして無理ができなくなってから外の仕事は一切しなくなって、内室の母親が一人で畑を耕したり草刈りをしたりしていた。元気で身体の動くうちはツツジやサツキなどの低木を挿し木したり紫陽花の苗木をたくさん注文して畑の周辺に植栽したりして楽しんでいたのだが、そのうち身体も思うように動かなくなって毎年の剪定ができなくなった頃から、それらの木々や葛が自由に伸び放題に伸びて手がつけられなくなってしまった。
それからだいたい20年近く経って、ユンボが2日ほど動いてやっと昔の様子が蘇った。毎年のようにチマチマと切ったり刈ったりしていたのが、ほんの2日で更地に戻った。
数十年ぶりに全貌が蘇った石垣のあまりの荒れ様に心が痛んだ。昔、あの石垣にはオランダイチゴが根付いていて、シーズンになると赤く色づいた甘酸っぱいイチゴを石垣に張り付いて飽きること無く食べ続けていた・・・そんなことを思い出しながらノコとカマと剪定バサミを持ち替えながら荒れた石垣を掃除した。あの頃からすると、石積みの隙間が広がって全体が膨らんで張り出しているように思えた。

その石垣が庫裏の勝手口側へ回り込んだ先の土蔵脇へLandscapeシリーズで造っている彫刻を設置した。
その彫刻は、いずれは万善寺の境内地へ置くことを念頭に徳島の野外彫刻展用に造ったもので、制作してから約3年の間アチコチ彫刻の旅をしてやっと今年の春になって思いの場所へ落ち着いた。
徳島に向けて造る彫刻は、徳島市民の誰もが気軽に集う中央公園の環境を考慮して、大きなシリーズのククリの中でも比較的具象よりでわかり易いかたちを用意するようにしている。野外設置の彫刻であるから、全天候型で様々な気象条件に耐えられるだけの丈夫な彫刻であることが何より大事なことだから構造上の工夫は慎重に丁寧に造り込んでいる。それと「万善寺には雪が降る!」という環境を忘れてはいけない。雪が降ることを魅力に変えるほどの造形上の付加価値の可能性を確かめるという密かな狙いも含まれている。
国道から保賀の谷へ入ると、田んぼの向こうに見える四季折々の万善寺の様子にLandscapeシリーズの彫刻がさりげなく寄り添ってチラチラと見え隠れするくらいに溶け込んでくれるといいなぁと思っている。

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最後の蕗 

2020/05/22
Fri. 18:27

寒くて目が覚めた。
町並みの川下から車が近づいて吉田家の隣あたりで止まった。しばらくして木製のポストが「カタン」と鳴った。新聞を投げ込んだのだろう。
「最近、彼女新聞読んでるのかなぁ?」
もう新聞を読まなくなって随分経った。だから吉田家で新聞を読むのはワイフしかいない。昔は夕食が終わって寝る前のひと時ほど、洗い物の食器を片付けたテーブルへ新聞を広げていた。子どもたちが一人暮らしを始めて家を出てからのワイフは、夕食のあとテレビを見ている時間のほうが増えたような気がする。新聞もテレビ欄くらいしか見ないのだったら購読をやめてもよさそうな気がするのだが、新聞屋さんとの付き合いに義理立てでもしているのだろうか?彼女の考えていることはよくわからない。
この寒さはもう一週間くらい続いている気がする。
陽が落ちて真夜中になると一気に気温が3〜4℃くらいまで下がる。寒くて早くに目が覚めてオシッコをしてから二度寝しようと思ったがやめた。午前中に三十五日小練忌の七日努めがある。一度寝たら寺までの通勤坊主を遅刻してしまいそうだ。
しばらく続いていた梅雨のような雨降りがやっと終わって、石見銀山の町並みから東の空を見ると久しぶりに青空が広がっていた。

しばらく雨が降り続いていたから蕗を採りそこねている間に春の草が一気に伸びて蕗の葉が埋もれてしまった。
七日努めから帰って着物を脱いでコーヒーを飲んで少し休憩していつものつなぎ作業着に着替えた。
本堂の東側から庫裏の西側の端まで草刈りをしながらついでに蕗を採る。
草刈り機には笹刈り用の刃がついたままになっているが取り替えるのも面倒なのでその刃をそのまま使い続けることにしてグラインダーの方へダイヤモンド砥石を付け替えて目立てをした。
今年の蕗もこれが最後になる。
昨年は入院中で蕗の収穫が出来なかった。若い頃は蕗の美味しさもまったくわからなくて箸をつけることも殆どなかったのに、この歳になると味覚や好みが変わったのだろうか、あの蕗独特の青臭さが美味しいと思うようになった。
「もう、時期が過ぎとりましょぉ〜が?これからは虫が付きますけぇ〜・・・蕗ならコッチよりアッチの田の畦にマゲなのがまだありましょう・・・」
己バエのマーガレットを避けて草刈りをしながらアチコチに己バエの蕗を採りあつめていたら、いつも万善寺の営繕奉仕をしてもらっている保賀のお檀家さんが田仕事の手を休めて心配の声をかけてくれた。
「ありがとうございます。気になってたんですが雨が続いて採り損ねて今になってしまって・・・よさそうなものだけでも選んでみようと思って・・・」
さすが、年季の入った百姓のプロは保賀の自然を熟知していらっしゃる。
小一時間くらいほど草刈機を回しながら蕗を収穫した。これだけあったら伽羅蕗にしたものを関東で不自由に自粛している娘たちへもお裾分けできるだろう。
知らない間に随分と陽が長くなった。寺の境内から猫が消えてから戻ってきたスズメたちがやたらとうるさく鳴いていた。何処かで蛇でも出たのだろうか・・・

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Stuck with U  

2020/05/21
Thu. 18:55

吉田家の玄関を出ると昨日から降っていた雨はあがっていたが石見銀山の町並みはまだしっとりと濡れたままだった。毎日のようにシトシト降ったりやんだり雨が続くといつの間にか「梅雨になってしまったのかもしれない?」と思ってしまう。
銀山街道の道端にはアザミが咲き始めた。
渓流沿いの斜面ではアチコチでやま藤が紫の花を咲かせている。
国道から町道へ右折して保賀の谷へ入ると、正面に見えるはずの琴引山は濃い霧に包まれてまったく見えない。田植えが終わった水田では水面から覗いた苗稲が寒そうだ。
庫裏玄関の柱の水銀温度計が12℃だったし寒くて耐えられないから火鉢が復活した。
温暖化が進む近年のこの時期に、これだけ寒い日は珍しい。少し前に冬物の洗濯をだいたい済ませて、あとは夏物と入れ替えるばかりになっていたのに、またゴソゴソと引き出して重ね着をした。

万善寺の床下に住み着いていた黒猫が10日ほど前からいなくなった。
その少し前に天井裏でネズミが騒ぎ始めていて、ピンクの毒エサが和箪笥の改良衣の下とか香炉の灰の上とか洗濯して畳んであったバスタオルの中とか、セッセと運んで溜め込んでいたりしていた。野良猫は寺の周囲で動くものを何でも捕まえて食べていたから、ネズミと一緒に毒エサも食べてしまったのかもしれない。
猫を見かけなくなってしばらくしたらスズメの集団が境内へ帰ってきてうるさく鳴き始めるようになった。そのうちツバメも巣作りの場所を探して開け放していた庫裏玄関へ飛び込むようになって、それまで静かだった寺暮らしが急ににぎやかになった。
たった一匹の猫がいるといないとで寺の周囲の生き物たちの生態系が変わったようだ。
これから夏に向かって縁側のガラス窓を開けることも増えるし、寺中の建具を開け放して風を通すことも増えるから、野良猫が床の上下関係なく自由に入り込んだらどうしようと心配をしていたところだったから少し安心したが、一方、この数カ月間、どこかしらオヤジの一人暮らしにさりげなく寄り添ってくれていた気もして、今まで頻繁に見かけていた猫がいないとなるとチョットだけ淋しくもある。

裏の斜面の足元の悪いところで木を切っていたノコ刃がソレて指の関節を怪我した。チョットした気持ちの緩みだった。工場で彫刻を造るときも同じだが、一人でなにかする時はとにかく気持ちが集中していないと小さなミスが大きな怪我につながる。誰も助けてくれないから慎重に行動するしかない。日頃から一人でいることに慣れているから大きな支障があるわけでもないのだが、一人でいると小さな怪我でも心細くなるものだ。
AppleMusicから新譜や更新のお知らせが届いていたのでひと通り回覧した。
世界のミュージシャンもコロナウイルスで在宅が続いているようだ。
吉田のような在家坊主の彫刻家は年がら年中一人で在宅しているようなものだから特に日常の不便は感じていないが、コミュニティーの規模が桁違いに大きな彼らにとっては何かと不自由な暮らしでストレスも溜まっているだろう。
久しぶりのアリアナちゃんが、ジャスティンくんとコラボしてタイムリーで素敵なシングル(Stuck with U )が出来ていた。最近の通勤坊主で耳のお供に欠かせない。欧米の人達は日頃からスキンシップが濃密だから随分と苦労しているのだろうなぁ〜・・

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お粗末住職 

2020/05/20
Wed. 17:10

島根県は不要不急の外出自粛要請が緩和されて、一見すると以前の日常の暮らしが戻ってきたように感じるが、2ヶ月近く続いた自粛生活に慣れてしまったのか、人の集まりやすい関係各所が自主的に自主規制を延長しているのか、金融機関やスーパー・コンビニなど何処へ行っても窓口に透明のビニールスクリーンがぶら下がっていたり、床に距離をおいた足跡マークやラインテープが貼り付けてあったり、それになにより公衆の場で行き交う人々のマスク姿はほぼ100%に近い。

寺の年間宗教行事は今のところすべて中止の状態が続いている。
何もなくて今まで通りの日常だと、5月中旬までに教区の新年度役員総会があったり、お大師講や大般若経転読会が開催されて、本年度の活動がスタートしている時期だ。
そうした、殆どすべての事業が中止されて宗教活動が完全に停止している中、教区のお寺さん方が事務局寺院へ集合して新年度最初の研修会と総会が行われた。
このところ雨の降り癖が続いていて、毎日のように降ってくる雨で境内周りの作務がすぐに中断してしまうものだから、雨のやみ間を見つけて10分でも20分でもチョコチョコと外に出て庭木を剪定したり裏山の熊笹を刈り込んだりしていて、研修総会の日も午前中はデスクワークをしながら外の様子を見ながら、庫裏を出たり入ったりと慌ただしく過ぎた。そういうことを言い訳にするわけではないが、総会に持参する大切な書類や印鑑などが入った手提げの籠を丸ごと忘れてしまったことに気づいたのは、車で20分くらい走った先にある会場寺院へ到着した後だった。ソレがないと総会が先に進まないほど大切なものだったから事務局にことわって万善寺へ取りに帰ることにした。そうして2往復している間に総会の定刻が過ぎてしまって、会場ではすでに研修会が始まっていた。内容は障害者差別の根絶に関する事例研究だった。その後総会で会計報告などすべての議題が終わってからマスク着用でお集まりのお寺さん方へ遅参の失礼を謝した。
教区のお寺さん方と今年度はじめて顔をあわせることになった日に遅参の失敗をするという「なんともお粗末な万善寺の住職となってしまったなぁ〜〜・・・」と1日を振り返りつつ運転しながら「去年の総会はどんなだったっけ??」と思い出そうとしたが、まったく思い出せないまま、そのうち万善寺へ到着してしまった。
昨日今日の出来事を忘れてしまうと、そろそろ痴呆を疑ったほうがよさそうであるらしいが、1年前のことを思い出せないくらいだと、それも痴呆のうちに入るのだろうか?憲正さんはどうだったかなぁ〜?
・・・とにかく、頭の思考回路が停滞して忘れることの多い1日が終わった。

午後からは台風並みの物凄い強風で帰りの銀くんが何度もふらついてかなり緊張した。
「この風だと今年の梅や李は全滅かもしれない・・・去年は良い梅がたくさん採れたのになぁ〜・・・」
右腕の痺れが残ったまま退院してまだ間がなくて、身体の無理も利かなくて庭の草刈りも出来なくて荒れ放題だったけど、梅や李の周辺はなんとかして下草だけは刈った。
「手術は成功ですがもう頚椎の中の神経が損傷してますから痺れはこれからも残るでしょぉ〜」と退院時にドクターから宣告された・・・アッ!そうだ!!去年の総会はまだ入院中だった!
陽が沈む少し前に出雲街道から右折して銀山街道へ入る頃にはすでに強風はおさまっていて、また雨が降りはじめた。

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裏庭の彫刻 

2020/05/19
Tue. 18:45

前日までにだいたいざっくりとは終わっていた吉田家裏庭の草刈りをキレイに掃除し終わったところで雨がパラパラと落ちてきた。
これから先、庭木の花や果実がひと通り落ち着いてから春の剪定をすれば夏の盛りが過ぎるまでの適当な時期に夏草を刈って、晩秋から初冬にかけて落葉が終わった頃に冬の剪定をして裏庭整備の1年が終わる。
吉田家の裏庭くらいの広さだと毎年の環境整備を怠けないでいればなんとか荒れ地のジャングルにならないで済ませることができるが、それも過去に何回か失敗して手のつけられないほど荒らしたことがある。これから先は自分の体力次第というところだ・・・
一方、万善寺の境内整備は毎年少しずつ悩みのタネが増えている。
年々裏庭へ進出し続けている裏山は、この近年一気に孟宗竹が茂って竹林に変わりつつあるし、少しの日差しを求めて熊笹が庫裏のすぐ裏まで伸び広がってきた。
イノシシは毎年のように山から降りて境内のアチコチを掘り返して歩いているし、春になって少し暖かくなるとアナグマが本堂のすぐ横で昼寝していたりする。
寺の裏山は尾根に沿ってクマの道も出来ていて、それが墓地の裏を通ってその先から保賀の谷を渡って山越えの獣道へ続いている。年に節目の参道や墓掃除はそれこそクマとの接近遭遇を避けてビクビクしながら続けている。今はまだだが、寺の周囲へ猿が出没するようになったら、万善寺の環境整備もお手上げだ。

20年ほど前に石見銀山の町内を会場にして個展をして、その時の彫刻を一つほど吉田家の裏庭へ移動した。
あの頃はまだ庭木を植栽する前で、以前の畑の名残が一面に広がっていた。それから数年の間にワイフがセッセと各種庭木を植え続けてその木々が鬱蒼と茂った。彫刻は同じ場所でピクリとも動いていないのに年々その場所は日当たりが悪くなって日陰が増えて今に至っている。
あの彫刻を造った頃の自分は、かなりいきがった自信家で変なプライドの塊ばかりだった気がする。
鉄の素材も加工技術も身勝手なこだわりがあったし、細かいところまでチマチマと造り込んで、無くても良い付属品をワザワザ造り足したりして、とにかく自己主張の強い独り善がりな彫刻を飽きもしないで次々と繰り返し造り続けていた気がする。
20年の経年変化を見ると、無駄に造ったかたちのアチコチへ野生が住み着いて成長して彫刻を侵食している。彫刻の人工の存在感が次第に自然の経年秩序へ飲み込まれつつある。見方や意識を切り替えると、それはそれでそういう彫刻があっても良いかとも思うが、一方で、彫刻制作の当時に近未来の存在条件とか存在価値とかをまったく予測できていなかった自分に落胆する。
裏庭の整備で草刈りのたびに彫刻を取り巻く周辺環境の現状を後付で受け入れざるを得ない自分の未熟を思い知らされて息苦しくなる。

その彫刻の無駄なひと手間へ数年前に南天が根付いて、それからしばらく後にリュウノヒゲの仲間も根付き始めた。それでも、まだまだ数十年先まで、いつか私がいなくなっても、その彫刻は裏庭のその場所でしぶとく周辺の自然に抵抗しながら居続けるだろう。

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Tさんのシキビ 

2020/05/18
Mon. 16:05

コロナウイルスのおかげで今までの我が人生で経験したことのない毎日を送っている。
それでも、都市部や市街地に暮らす人々よりは随分と楽に過ごしていると思う。
幸いなことに生まれも育ちも島根県の山間部の小さな集落が集まってできた小さな行政区であったし、成人して結婚して30歳前にUターンで帰省してからも少年の頃の暮らしと大差ない生活に戻ったくらいのことだったから、自分としては特に不自由を感じることもなく子育ても済ませて今に至った。
このままコロナがなければ、彫刻制作や在家坊主の家業もそれなりに惰性で乗り切って歳をとって行くばかりのことだっただろう。
日頃から人付き合いにマメな方でもないし、マイペースに毎日を過ごすことのほうが性に合っているし、人恋しくてしょうがないというわけでもないから、個人的にはコロナの影響もほとんど無いといえばそうなのだが、やはり、いくら末寺の山寺でも法要の中止とか法事の延期とかがこの1ヶ月に集中して重なってくると、たった数千円とか数万円のことでも収入が有ると無いでは営業維持管理に気持ちのゆとりがくなってしまう。それでも、食べることに関しては何かと手間がかかるものの季節の旬へ上手に寄り添って付き合って贅沢を考えなければ1年中食材の絶えることもなく、ありがたいことだと思う。

万善寺の諸仏様へお供えの仏花はシキビにしている。
先代の住職は色物が好きで、季節の花をお供えしていたが、特に夏場になると花入れの水がすぐに溝臭くなって線香の香りに混ざってしまうことが気になって、私はソレが嫌だった。それで、先代住職の足腰が弱って本堂の諸々と縁が遠くなった頃合いをみてさり気なく何気なく少しずつシキビの出番を増やした。
もう、かれこれ30年近く前になるだろうか?そのシキビの自生苗木を彫刻仲間の木彫作家Tさんが送ってくれた。
Tさんは、新潟の確か出雲崎あたりの出身だったかと思ったが、思い違いかもしれない。
彼は埼玉の方で宮大工の棟梁だった。職人さんを抱えてお寺を新築するくらいの立派な経営者でもあった彼は、一方で木彫の抽象彫刻作家でもあった。展覧会のデビューが私と前後して近かったし、アルプやブランクーシや、それに酒が好きだとか、坊主つながりで良寛さんのこととか共通の話題が豊富で、とても親しくお付き合いをしてもらっていた。
展覧会場が上野から六本木へ移動した頃から展覧会の不出品が増えて彫刻制作や出品から少しずつ縁遠くなった。若い頃から持病があってソレが悪化したとか、宮大工の工務店経営が思わしくないとか、そのあたりの「だろう話」くらいしか耳に入らなかったし、直接本人と話のできる機会もないまま少しずつ疎遠になって今に至っている。

彼から頂いたシキビの苗は、その後吉田家の裏庭でスクスクと育って、今は万善寺の仏花で欠かすことの出来ない大切な存在になっている。春に花が咲いてちょうど今時分、陽の光を通すほどの瑞々しい若葉が芽吹いて少しずつちぢれ枯れた古い葉が落ちて交代する。
昨年末に活けた寺の花入れのシキビも花が咲いて散って、それから少しずつ落葉が進んで若葉に変わり始めた。この調子だと6月の大般若経転読法要まで保つだろう。

こうして、Tさんのシキビは半年ごとに活けかえながら万善寺の仏花で生き続けている。

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伽羅蕗 

2020/05/17
Sun. 14:33

週末になると雨がふるというので、それまでに裏庭の草刈りを終わらせてしまおうと、2日ほど通勤坊主を休んだ。
このところ毎週のように週末になると雨になる。こういう状態が暫く続くと本格的な梅雨がきて草木の若芽の成長が一気に勢いをましてグングン大きく長く伸びる。

桜が散るころに梅の実が出来て少しずつ膨らみながらひと風ごとに弱い実を振り落として自力淘汰を続け、梅雨にはいる頃になると成長の早い実から熟して色づき始める。
頃合いを見計らって2〜3日続けて枝をゆすりながら落ちた実を収穫して、若い実は酒や酢に漬け込む。熟しが進んだ実はそのままガリッと食べると美味いし、煮込んでジャムにしたり日干しして梅干しにしたりする。
連休になる頃から筍が本格的にアチコチで伸び始める。1日も見逃してしまうとアッという間に長く伸びて、食べて消費する量が増える。雨が降ったりするともっと成長が勢いついて収集つかなくなる。5月中旬までの2週間ほどは伸びる筍との戦いが続く。
先週あたりから一雨ごとに蕗の葉が大きくなり始めたので、草刈りのついでに裏庭の蕗の収穫もした。蕗は地下茎で繋がって広がる。刈り取るばかりだと広がり続けて始末に負えなくなるから適当なところで抜き取ってしまったほうが良い。2日に分けて収穫したら結構な量になったので早速ワイフが伽羅蕗をつくってくれた。酒のあてにもなるしこれだけでご飯が何杯も進む。
戦後の貧しい時代を経験している母親は、筍・蕗・蕨・山椒などなんでも収穫した旬のものを塩漬けにしたり冷凍したりして保存食に変えていたから、なにかの時になにかの煮物になって食卓へのっていたが、さすがに今はそこまでして1年中食べ続けようとは思わないし、旬の加工へかける手間も時間も暇もない。

裏庭の草刈りは春になって2回目になる。
梅雨へ入るまでにこうして2回ほど下草を刈っておくと、夏草の草刈りが随分楽になる。
1回目の草刈り目安はピーピー豆の伸び具合で決める。
2回目は菜の花や水仙の花が終わる頃合いで決める。
土地それぞれ人それぞれで色々と草刈りの目安が変わるだろうが、私の場合はおおよそそのあたりの様子を見当にしている。
吉田家の裏庭は銀山川まで細長く続いていて、古民家の改修工事が終わって引っ越したすぐの頃は、土地のほぼ真ん中へかなり弱った桃の枯木があるだけであとは全体が一面野菜の畑になっていた。その桃も畑に日陰ができて野菜が上手く育たないからと徹底的に枝が刈り込まれていてそのまま枯れるのを待つだけの状態だったのを、ワイフが可愛そうだというのでなんとか新芽を生かして比較的勢いの良さそうな枝を残しながら剪定を繰り返しているあいだにそのうち小さな実をつけるまで持ち直したが、その実が食べられるところまでには上手に育てられないままだ。
ワイフは生まれも育ちも江戸っ子で、子供の頃から土の地面をいじることがなかったから野菜や花を育てたりすることに慣れなくて枯らしてばかりで、そのうち気持ちが果木の方へ移った。桃の木が生きかえったあたりから本気になって色々な果木を裏庭のあちこちへ植え始めたが草刈りまではしない。
茱萸・枇杷・李・蜜柑・檸檬・・・何もしないと裏庭がすぐジャングルになる・・・

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雨後の筍 

2020/05/11
Mon. 23:26

銀山街道はいつもの交通量が戻った。
この1ヶ月は日に日に行き交う車も減って、毎日の通勤坊主が楽になって、あれほど静かな連休は今まで経験のないことだった。
いつのまにかそういう毎日に慣れてしまっていたようで、後ろからあおってくる車もいないし渓流に沿って続く銀山街道の春の移ろいを愛でながらのんびりと銀くんを走らせていた。
週が開けても同じようにのびりとハンドルを握っていたら、気がつくとバックミラーに通勤の乗用車が何台もつながって見えて、ソレが自分のせいだとわかって焦ってアクセルを踏み込んだ。
飯南高原に入って出雲街道と合流するまで数台の乗用車が後ろをついてきて、そこから広島方面へ曲がって左右に別れた。出雲街道は広島と松江を結ぶ主要国道で今朝はもう県外ナンバーも走っていた。
コロナ自粛はまだ続いているはずだが、飯南高原だけ見るといつもの日常が戻っているふうに感じる。

万善寺の参道を登って玄関前に銀くんを横付けしてエンジンを切って運転席から降りたと同時に電話がなった。
タイミングがあまりに良すぎて焦ってしまって、電話をコンクリートのたたきへおもいっきり落としてしまった。急いでひろいあげると強化ガラスの保護シートに割れが走って本体のガラスも角が欠けてかなりひどい損傷だ。それでも、電話の機能は動いていてちゃんと普通に話もできたから少し安心した。
万善寺から保賀川を渡って向こう岸のU家からだった。どうやら銀君が寺の参道を登ったところを見ていたようだ。もう一呼吸ずらして電話してくれれば「取り落とすこともなかっただろうに・・・」と、いやらしくも自分のミスをUさんのご主人のせいにしてしまいそうになった。

緑の羽根と赤い羽根基金の集金が合わせて900円。
マスクの各家配布2回目は5枚(ちなみに1回目は7枚だった)。
それから「ふるさと応援宅配助成制度について」という、気持ちはわかるが運用方法がよく理解できない書類。
以上の用事で今から寺へ来るというから「イヤイヤこちらから伺いますから」と電話を切ってそのまま支払いやら受け取りやらした。

飯南高原は朝から暑い。
これから気温がグングン上昇しそうだ。
庫裏玄関の式台へ荷物を入れて、そのまま境内を一巡した。西側の軒先まであと1mくらいのところで筍が数本伸びているのを見つけた。このままだと近い将来座の下で伸びた筍が畳を押し上げてしまうだろう。今のうちになんとかしないといけないと思うが、自然を相手に住職一人の作務では限界を感じる。
さっそく飯南町の宅配助成制度を利用して掘った筍でもおくってやろうかなぁ〜・・

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網籠と花束 

2020/05/10
Sun. 23:06

母の日の朝、保賀の谷は濃い霧に包まれた。
境内から参道へ下るとすぐ其処にあるはずの六地蔵様のお堂が濃霧に隠れて見えない。
南に向いた庫裏玄関の柱に掛かる水銀温度計は13℃だった。
最近は毎日寒暖の差が激しい。その上、毎週末になると雨になって週明けまで続く変な天候の習慣ができてしまった。そのせいでもないだろうが、連休前にしろかきまで終わった保賀の水田は田植えを前にして農耕機の動きが止まったままになっている。
霧の向こうでうぐいすが鳴いている。
祈祷法要の準備で灯した蝋燭の芯が時々「ジジッ!」と鳴る。
いつになく静かな朝だ・・・

予定では、昨年の秋六本木の展覧会へ向けて造った六基の彫刻を石見銀山の町並みへ移動するように計画していた。
それが、前日には雨が降るとわかってしまったので直ぐに手伝いを頼んでいたT君へ連絡して取りやめにした。T君は、今年に入ってすぐ徳島へ彫刻移動をする時に手伝ってくれた。車の運転から彫刻の積み込みや搬入出まで随分とお世話になった。一方、1泊2日の二人旅で自分の体力が減退したことを具体に実感した。
秋に六基の彫刻を制作した時もなんとなく身体の限界を自覚したような気もしたが、そのときはそれほど強く実感したわけでもなかったから、それから約半年を過ぎて年が変わった頃になって「無理の限界も自覚しないと!」いけないふうにわかって自分を戒めた。それで、今回も無理に自分だけで無理をしないではじめからT君を頼ってしまうことにしたところだ。

かれこれ20〜30年くらい前は、彫刻の仲間も随分たくさんいたし、それに何より自分の体力もまだ十分に余裕があって、彫刻の制作から展覧会発表までなんの苦労も疲労も感じることがなかった。それから今に至る間に、彫刻仲間も一人二人と去って消えて、その上、自分の体力も限界が見えてきた。一方でしぶとく彫刻にしがみついて残ってきた仲間はそれぞれ自分の彫刻制作や発表に正面から向き合ってグングン伸びている真っ最中だ。
今、あらためて自分自身と自分周辺の彫刻事情を均して見るに、なかなか良い具合に作家性も彫刻の方向性も遺漏なく的確に成熟していると感じる。
20代から30代にかけて彫刻に目覚め彫刻にしがみついて没頭していた黎明期。
30代後半からの10年間は思いつく限りのテーマと一つずつ納得するまで正面から向き合った草創期。
それからは造形の想像と現実の整合性を確認するために実践創造期の10年間が過ぎ、少し前からは、かたちの無駄を自覚しじっくりと納得できるまで自分に向き合って取捨を選択する俯瞰期に入っている気がする。
これから先、体力減退を理由にして自分の意思で彫刻と縁を切るということは無いと思うが、一方で、今まで無意識に遥か遠くばかりをみつづけた彫刻になっていた気がしないでもないし、これからはもっと素直に丁寧に自分の足元を気遣うことも大事なのかと思う。

夕方、いつもの花屋へ駆け込んで、じゅん君の代わりに小さな花束を造ってもらった。
ワイフへは既に関東に住む娘たちから素敵な手さげの網カゴが届いていた・・・

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祈る毎日 

2020/05/09
Sat. 23:51

「31日に法事したいんですが空いてますか?」
「丁度その日は大般若法要の手間替え随喜が入ってまして・・・この時期のことなので中止になるかもしれないし・・ご案内のはがきがそろそろ届くと思うんですが・・」
「そぉ〜ですかぁ〜、こういう時なので法事も近い親戚だけにして自宅の方で一切済ませようと云うことで話してるところなんですけど、それでもそろそろ予定を決めて案内しておかないと・・・」
「そぉ〜ですねぇ〜、なにかとご心配のことです・・・それじゃぁ〜、先方の方丈さまへ聞いてみますので、なにかわかったらこちらから改めて連絡させていただきますので・・」
・・・とにかく、この度のコロナ騒動は先々の展開が曖昧で見通しがつかないで困る。
生命が一大事ということは承知だが、具体的に実態が見えてこない驚異に対してはどうしても気持ちが緩んで、みんなが頭の数だけ考えも違ってなかなか一つ事にまとまらない。
在家坊主の末寺住職ごときであっても、自分の都合を優先で仏事を押し通すわけにもいかないくて、末寺住職だから余計に「あなたの都合」へ寄り添ってあなた次第を優先しながら毎日を過ごしている。

大般若法要開催の有無を問い合わせたらご住職は仕事で留守だからと老僧が応対された。「ハイハイ、こういう時期のことですから、住職も中止の方向で考えているようで、ご案内が遅れていまして・・・どうぞどうぞ、オタクの都合を優先してくださいませ・・」
「そうですか、それじゃぁ法事を受けさせていただきますので、何かのときはお知らせくださいませ。ご住職へ宜しくお伝えください」
と、一応の了解をとりつけて電話を切った。
ご住職本人は、確か小学校だか中学校だかの校長先生をされているはずだ。奥さんも学校の先生で、老僧夫婦も昔は先生だった。子供は何処かの大学の医学部で勉強中のようだし、お寺全体が先生で集まっている。
万善寺はというと、年中行事の法要が一つなくなると現金の布施収入が途絶えて、一気に生活が厳しくなって月々の光熱水費もまともに支出できなくなってしまう。何が何でも法要を中止するという選択肢は無い。万善寺23世現住職は想定外の苦労を背負ってなかなか平静でいられない。

5月に入って直ぐに本堂の仏具を須弥壇の御本尊様へ向かって正面に配置換えした。
先代住職は、祈祷法要の続くようなことがあると時々そういうふうに経机を配置換えしていたのだが、ナンチャッテ坊主の現住職はそこまでして祈祷できるほどの技量もないし、在職以来今まで祈祷で御本尊様へ向き合うことなど恐れ多いと避けてきた。
世界へ蔓延したコロナウイルスは500万人近く感染しているとされる。第二次世界大戦で民間軍人あわせて5000万人の被害者とは桁が一つ違うものの、現代地球世界の発展を思うと、自然の具体に対して人々はあまりに傲慢に驕りに過ぎ無知で無力だと感じる。
森羅万象のうつろいに寄り添って分相応の自分を静かに見つめることも今を生きる人にとって大事なことのように思いつつ、下手な祈祷太鼓に託して国家昌平万邦和楽福寿長久、それに山門康寧を祈る毎日である。

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美味しいお布施 

2020/05/08
Fri. 23:36

街道沿いの様々な萌黄色に染まった山並みの所々で遅咲きの桜が満開になっている。
桜の淡いピンクとヤマツツジの濃いピンクが一面エメラルドグリーンやライトグリーンをした山並みをバックにして引き込まれるようにキレイに映えて見惚れる。
連休中は不要不急の外出自粛で銀山街道もすれ違う車もまばらでのんびりとしたドライブを楽しむことができた。
平日に戻った日は七日努めの日だったから朝少し早めに石見銀山の自宅を出発した。
島根県は外出の自粛要請が月末まで延長されたが、農家の田植えを始めとして在宅勤務が難しい仕事もそれなりにあるようで、朝の通勤時間帯で行き交う車が一気に増えた。いつもなら、特に気になる量でもないが、いつの間にか連休中の閑散とした世間に慣れてしまっていたようで、曲がりくねった狭い道をすれ違う緊張が倍増した感じだ。

七日努めのお宅は、最近ではとても珍しくなった三世代家族が同居されている。
そのおじいちゃんが4月の終わりに亡くなった。
おじいちゃんのお父さんは若くして亡くなっていたし、まだ戦争中でもあったから自分より年下の兄弟姉妹を親代わりになって育てたと聞いた。
本人はとにかく無口で物静かな方だったから、お寺にお参りの時や棚経でお邪魔した時もこちらから話題のネタを用意しないと自分から口を開くことはまず無かった。
七日努めも早いものでもう三・七日が来た。
初七日の時はおばあちゃんと亡くなったおじいちゃんの親戚親族の他に同居の息子夫婦やお孫さんも在宅でにぎやかだった。
二・七日からはおばあちゃんが一人になって寂しくなったが、お経が終わるとお茶口代わりの煮物になったいろいろな旬の山菜が並べられてティータイムが始まる。
おばあちゃんの方はとても話し好きで、昔のことやおじいちゃんのこと、庭木の剪定や畑に田んぼのこと、息子さんや嫁さんのこと、それに、親戚付き合いのことまで絶え間なく話題が尽きない。
今はコロナウイルスの関係で学校が休みになっている。息子さん夫婦は連休中は田んぼの田植えが忙しいし、平日になるとそれぞれ仕事があるしで忙しくしていらっしゃるが、おばあちゃんのおかげでお孫さんの在宅に心配がない。そのお孫さんはおかあさんといっしょに山へ入って筍とかわらびなどの山菜や旬のものをたくさん採ってきてくれるそうだ。
収穫されたものはおばあちゃんが農家ならではの昔ながらの方法でアク抜きなどをして煮物にするのだそうで、そのお惣菜をこうしてお茶口代わりに私が美味しくいただいていると云うわけ。
おばあちゃんの家庭料理は先代住職の憲正さんも大好きだった。まだ副住職の頃から法事の時に先代住職と二人でおばあちゃんの手料理を「美味しい美味しい」とよく食べていた。帰りには引き物とは別に持ち帰りの折り詰めにしてもらった。お茶飲み話でそんな昔のことが話題になったからだろう、「チョット待っとってくださいや。今ちょうど筍の茹でたのがありますけぇ〜」と持たせてくれた。
「柔らかく茹でてあって美味しそうよ!なかなかこうはならないのよね・・」ワイフが喜んでいた。きっと美味しい煮物に仕上がるだろう。
お金には変えられない美味しいお布施を頂いた。

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鯛とリーバイス 

2020/05/07
Thu. 23:44

飯南高原は春先まで休止していた水田で大小の農耕機が動きだして田起こしが始まった。
連休にはいる頃から一気に活気づいて用水路から水が引き込まれてしろかきが始まって、早いところは田植えも始まった。
昔、まだ土日の2連休もなくて春の連休に飛び石が残っていた頃は、義務教育で学校へ通う子どもたちも飛び石の本来出校日を「田植え休み」と称する臨時休校にして家族や地域総出で田植えをしていた。
今は田んぼの農地整理も進んで大きな農耕機が楽に動かせるようになって農作業に人海戦術の人手を頼ることもなくなって、連休が終わる頃には水田一面すっかり田植えが終わっている。農作業も機械化の導入が進んで随分と楽になった。

全国的に蔓延したコロナウイルスの拡散抑制のために連休中は不要不急の外出自粛が徹底された。
飯南高原は中国山地を越えれば広島県のすぐ近くまでコロナウイルスが迫っていて日常の生活に気が抜けない。それでも春の田植えは時期を選ぶから自宅にこもってジッとしている訳にもいかない。農家のお年寄りの一人暮らしでは都会で暮らす家族の帰省自粛もあって田仕事が停滞してしまった。学校の休校延長で仕事も休めないまま子供を自宅に残した保護者の心配も深刻だ。
地域に点在する寺院僧侶の皆さんは宗派を超えてほとんどが地方公務員と兼業だから特に日常の暮らしで大きな影響もなさそうだが、私のように彫刻を造りながらの専業坊主に近い暮らしが1ヶ月以上続くとさすがに少々つらい。時間講師で家計を助けてくれているワイフも新学期が始まってから仕事の休みが続いて収入が絶えたままだ。

いろいろな立場の違いで心配の事情も様々に違うことだろうが、いずれにしてもなんとか無事に過ごしていられるだけでありがたいことだと思う。
4月の終わりに誕生日を迎えてまた一つ歳をとった。
自分では今更この歳になって自分の誕生日をあらためて祝うようなこともなくていたって平常に過ぎたが、それでも家族のそれぞれはそれなりにオヤジの誕生日を気にかけてくれていて、時節柄そういう思いやりが何時にも増して心にしみた。
誕生日当日もいつもと変わりなく通勤坊主で1日中寺暮らしが続いて夕方に帰宅すると、珍しく風呂が沸いていて、夕食には尾頭付きの鯛が出た。同じ尾頭付きでもいつもの吉田家では頭を縦割りした「あら煮」が定番だから、さて?本物の尾頭付きは何年ぶりになるか?いや、何十年ぶりか?まったく思い出せないほど縁がない。とにかく久しぶりの焼きたてのホクホクの塩焼きは絶品だった。こうしてあらためて味わうと、やはり鯛は美味だ。
子どもたちからは、リーバイスの501が届いた。いつもはメキシコかエジプト産のノンウォッシュを買って、しばらくダブダブのまま履いてから洗濯しているのだが、今回プレゼントで届いたのはアメリカ産のノンウォッシュだった。今までの人生で本場アメリカ産は履いたことがない。サイズも変わりなくて洗濯すればピッタリと縮んで腰回りも股下も丁度良くなるはずなのだが、何故か股下は予想以上に余っていて腰回りがピッタリと窮屈だ。ひょっとしたら、一度洗濯すると腰が入らなくなるかもしれない。ドキドキ・・・

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不殺生戒の憂鬱 

2020/05/06
Wed. 23:17

連休最終日の朝はすでに9時前から気温が20℃を超えて夏のように暑くなった。
少し前は雨が降り続いていてトレーナーだけでは肌寒いから、もう洗濯して仕舞ってあった冬物をまた引っ張り出して重ね着などしていたのに、急激な気温の上下に自分の身体がついていかなくて苦労する。

朝のうちに境内の掃除をできるだけ先へ進めていこうと思って本堂の東側へ回ったら、猫や豆柴より少し大きいくらいのアナグマがのんびりと散歩していた。
夕方に裏庭をうろついているのは見かけるが、朝のうちに境内で遭遇することは今までになかったことだ。時々ゴロリと寝転んでリラックスしているし無理に追い払うのも可愛そうな気がして、ひとまずその場を退散してやり過ごすことにした。見た目は可愛いがすごい爪を持っていて結構凶暴だったりするからあまり刺激をしないほうが無難だ。結局、その日はそれから他のことをしていたら屋外の作務に手が回らなくなってそのまま過ぎた。

境内の東側には豊川稲荷の祠がある。
狭い境内だから冬になると本堂の屋根からずり落ちた雪に押されて今まで何度も横倒しに倒れている。
見かねたお檀家さんが「基礎石にアンカーでも打って止めてしまったほうがいいじゃぁ〜ないですか?なんならワシがやってあげますで、そのくらいのこと・・」と親切に言ってくれるのだが、そうして無理に固定してしまったらかえって祠がバラバラに壊れてしまうおそれもあるので、気持ちだけ有難くいただいて申し出を断ることにしている。
倒れた時は、雪が消えて初午祭までに近所の男手を3人ばかりお願いすればなんとか元通りに安座できる。そのかわり、ご本尊の荼枳尼天さまやあれこれの仏具がそのままだと祠の中でひっくり返って粗末になるからそれらのものは本堂の拝殿へ遷座してそちらの方で手厚くお祀りして拝ませてもらっている。
そういう、なんとも扱いにくい豊川稲荷さまであるが、たまに地域のお年寄りがお参りされることもあるので荒れ放題にほったらかすわけにいかないから季節の節目には少し念入りに整備している。
昨年の春は入院で留守にして、その間に祠の周辺に山が一気に迫って様変わりした。
アナグマがいなくなった頃合いを見て様子を見てみると、昨年まで見ることのなかった小さな黄色い花が満開に咲いていた。最初はタンポポくらいに思っていたのだが、まったく違った種類の花だった。いつの間にこれほど密集して根付いたのだろう。
その黄色い花のせいでもあるのだろう祠の周辺がどこかしら華やいだ感じだから刈払うのも可愛そうというかもったいない気がして、ひとまずその花が終わるまで境内作務を待つことにした。

軟弱な情に流されて後になっておおごとになることがよくある。
随分昔から寺の境内のアチコチへ己生えのマーガレットが根付いていて、ソレがそろそろ白い花を咲かせ始める。そうなると、今度はまたその花が咲き終わるまで刈払うのも躊躇することになってキリがない。
なかなか殺生に踏ん切りがつかない。生き物に優しすぎるというのも厄介なことだ。

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万善寺の旬 

2020/05/05
Tue. 17:41

雨後の筍とはよく云ったもので、寺の朝の用事が一段落して少し落ち着いてから境内をひと周りしてみると、イノシシの掘った穴の周辺を中心に二番目三番目の筍が一気に伸びていた。
次の雨が降るまでこのままにしておくと、筍が本格的に伸びてそのまま竹になってしまうから今のうちに掘り起こしておかないといけない。
イノシシは実に贅沢な奴で、これでもかというほど深い穴を掘って刺し身で食べられるほど柔らかくてアクのないまだ地面から頭を覗かせる前の一番目の筍を狙ったあと、二番目以降の筍は見向きもしないでほったらかしにしてしまう。人間はイノシシのお下がりをいただいているようなものだ。

筍の場所を確認してから昼食前の草刈りをした。
最近は、夜になると雨が降ってきてそれが朝まで続く。
昼のうちはそれなりに晴れてくれるから外仕事もそれほど停滞することもなくて助かってはいるが、一方で境内の周辺にはびこる熊笹や春の雑草が一雨ごとにぐんぐん伸びてしまってキリがない。
一年前は手術から退院まで春の5週間ほど万善寺のことがほったらかしになってしまった上に、退院後の仕事制限まで加わって営繕作務もままならないまま夏が過ぎ秋も深まる頃には見るも無残な荒れ寺になってしまった。一度そういう状態になってしまうと、なかなか以前のような見た目に戻すことも難しくなってジタバタしているうちに冬になって年が変わってまた春になって1年が過ぎた。
今年は暖冬で雪もなかったからお彼岸前には境内の作務に取り掛かって今に至っている。

腕や手指の痺れを騙し騙し作務を続けて庫裏の裏庭を掃除した。
これから本堂の裏庭へ掃除を進めて、東側から前庭に移って参道脇の草を刈りながら駐車場のぐるりへ移動する。其処から境内の石垣を巡って庫裏の西側まで草刈りが終わる頃にはそろそろ梅雨が間近に迫っていて、梅雨の長雨に蘇った裏庭の雑草が瑞々しく成長を再開して今度は本格的に丈夫な夏草になる・・・結局、いつまでたっても終わりのない草刈りをしながら寺の周辺をグルグル回っているわけだが、さて、こういうことがあと何年続けられるのだろうか・・・そのうち境内にはびこる雑草の成長に追いつかなくなって年々荒れ寺化が進んでいくことになるのだろう。
まだ副住職の頃に聞いた隣町の浄土真宗のご院家さんのお話を思い出した。
「○○町の✕✕寺さんが空き寺になりましてねぇ〜、この歳ですけぇ〜門徒さんの法事くらいしか引き受けられませんけぇ〜ねぇ〜」と条件付きで兼務していたら、ある年のお盆前にその寺へ行ってみると、なんと本堂の座の下で竹が伸びて座板や畳を押し上げて御本尊の阿弥陀さんのすぐ前で天井を突き破っていたそうだ。
浄土真宗さんはそれこそ世襲でお寺を守っていらっしゃるから、寺の維持管理をするにも目に見えないところでご苦労も多いことだろう。

万善寺も昨年1年で一気に竹林が境内の直ぐ側まで迫ってきた。イノシシの筍掘りもあてにならないし、床下で筍が芽を出す日も近いかもしれない・・・

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誕生日 

2020/05/04
Mon. 17:03

孫も出来て名実とも「おじいちゃん」になったのが今からちょうど1年前。
頚椎の手術で入院している最中に自分の誕生日を迎えそれから2日後に孫が生まれた。
「時が過ぎるのは実に早い・・・」

その日の朝、足元のクロがゴソゴソしはじめて、なんとなくボンヤリと目が覚めた。
4月も半分ほど終わったくらいから急に寺の仏事が立て込んで毎日が慌ただしく過ぎる。
お葬式が一つ出来た。
そのお葬式が昔ながらの町内葬で世話人さんが仕切ることになったものだから、菩提寺の住職へ葬儀事務を兼ねた葬儀社のような役がついてきてコロナ肺炎のこともあるし何かとおおごとになって、導師の引導が終わる頃にはどっと疲れが出てフラフラになった。
手術から1年、首から右半身の肩から手指の先にかけて残った痺れを騙し騙し上手に付き合いながら暮らしていたが、さすがにここまでいろいろなことが絶え間なく続くと身体の負担に限界がきて、慢性の痺れがいつも以上に辛い。巡ってきた初七日の朝目が覚めると、夜のうちに両足が痛くなっていていつものように起き上がって普通に歩けるようになるか微妙な状態だった。いつの間にか何かと無理が効かなくなって弱くなった。
人生の三分の二が過ぎてそろそろ四分の三が巡ってくるわけだから、身体のあちこちガタが来るのも当たり前でだいたい普通ににこんなものだろうと思う。

連休に入る頃から少しずつ暖かくなってきたものの、次の日の朝には冷え込んで冷たい雨が降っていたりして、ボォ〜っとして暮らしているとすぐに風邪を引いたりしてしまいそうだ。毎日をそれなりに緊張して暮らしていないと四方から迫ってくるコロナウイルスの絶好の餌になってしまいそうだ。
気温の寒暖はカメムシとヤモリと、それに吉田家のクロの様子を見ていればだいたい予測できる。
朝のうち、ちょっと肌寒いと思ってトレーナーを余分に着込んで湯を沸かしてコーヒーを入れてから本堂をウロウロしていたら、南側のサッシの隙間やカーテンレールの内側から越冬したヤモリが2・3匹ほどポトリと落ちてきた。まだ身体が十分に温まっていないようで、不器用にモタモタと這って敷居の隙間へ入り込んでいった。彼らも南向きで暖かい場所をそれなりに認識できているようだ。
出来たてのコーヒーを飲もうと思ってカップを持ち上げたら、カメムシが入れたてのコーヒーへ飛び込んで泳ぐでもなくうごめいていた。さすがにカメムシのエキスが溶け込んだコーヒーは飲む気になれない。そういえば、洗濯物を取り込んでいたらカメムシがポロポロと落ちてきた。越冬して生き残ったアイツラもそろそろ活動を開始したようだ。
吉田家のクロも、最近は一晩を居間のソファーで過ごすことが増えてきた。チョットした気温の変化を敏感に感じ取って寝る場所を調整している。冬の間は足元で邪魔をしていたから、やっとこれからあいつに遠慮しないでゆっくりと休めるようになる。

石見銀山は30年前の昔に戻ったように閑散として人影もない。
銀山街道や出雲街道は交通量が激減した。
飯南高原は連休前から田んぼのしろかきが本格的になって早いところは田植えが始まっている。

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2020-05