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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

小人 

2014/01/16
Thu. 09:27

一人で仕事などしていると、いつのまにか瞑想ならぬ妄想の世界にはまり込んで抜け出せなくなることがあったりします。
だいたいはその時ばかりのことで、チョット休憩でコーヒーなど飲んでしまうと、それっきりそれまで悶々としていた脳みそのモヤモヤはすっかり消えてしまったりするのですが、たまに珍しく、いつまでも気にかかってしまって、どうにも忘れられなくなるようなことも無いわけではありません。

今、彫刻の個展を始めているのですが、その流れで小品の彫刻を造る準備をしているところです。
どのようなかたちで連作にするのかだいたい見当をつけていて、あとは実材前に少しでも多くのメモを溜め込んで、その中からいくつかを彫刻に置き換える作業に入ることになります。
幾つかのパターンが出揃うと、あとは何を考えても堂々巡りで、結局はじめのメモに引かれてしまって、そのようなことを延々と繰り返していると、少しずつ無駄なものが淘汰されて、しだいに何かしらのかたちが固まってくるといった具合で、彫刻の制作が進みます。

そのような状況の中でモヤモヤがはじまったのです。
それが「小人」と云う言葉。
この「小人」を「こびと」と読むか「しょうじん」と読むか・・・
そこで、オヤジの脳みそは躓いてしまったわけです。
まったく、どうでも良いようなことなのですが、そもそものきっかけは、彫刻の小品を作るときのスケールからはじまったことでした。
つまり、彫刻の寸法をどのように決めるかということです。
曲尺やメジャーを使いながらあれこれ悩んでいると、ふと「小さいおじさん」が浮かんできたのです。
そぉ〜いえば、いつ頃のことだったっけ??
なにかイヤに流行っていたことがあったような・・
短編かなにかで読んだような気もするし・・

ことの起こりは「こびと」からはじまったのですが、例の如くトイレ読書でまたまた「小人」が出てきました。
ここでは「しょうじん」と読んで、まぁ、チンピラとでも云うようなタイプの人物を総称しているようです。
世間が狭いとか、了見が狭いとか、見識がないとか、うつわが小さいとか、品性がないとか・・・そんなような人物の総称のようです。
その解釈で云うと、私などきっちり小人の端くれに属していることになりますが・・

「小人之過也必文」(しょうじんの過ちや、かならずかざる)
「文」をかざると読むのだそうです。
意味はくどくど言わなくても何となくわかるでしょう。

その言葉を残したのは、子夏という今からだいたい2400年以上位前の中国の人。
子夏をはじめ、老子や孔子もほぼ同時代を生きていたようです。
お釈迦様は今からだいたい2600年ほど前にいらっしゃったらしいし、嘘か真か、老子さんは晩年、お釈迦様に逢うためにインドへ旅立ったとか・・・
その約1000年後に中国で禅を広められた達磨さんはペルシャの人だったとか・・
その達磨さんから延々と禅が続いて今に至る・・ことになります。
飛行機も飛んでいない時代に、メチャクチャスケールの大きな話しです。

キーポンを学校へ送った後、吉田家の狭いトイレに籠って、そんなとりとめもないことに縷々思う小人オヤジであります。
石見銀山の空には、久しぶりに青空がのぞいていました。

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